臨3311に乗れ(城山三郎)
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たぶん、「就職活動」という言葉がなかった時代があったのだろうと思う。
僕らはもう、「就職活動」という言葉がある時代に生きているし、ほとんどの人が「就職活動」を通じて職を得るだろう。履歴書を書き、面接を受け、自己アピールをし、そんな風にして会社を選び、会社を選んでいく。「就職活動」以外の就職の仕方ももちろん世の中には様々あるだろうけど、世間の第一選択肢は「就職活動」を通じてのものになるだろう。
昔は、どんな風に仕事に就いていたんだろう。
下働きが認められて仕事を任せられるようになるとか、学校の先生の紹介とか、縁故採用とか、そういう現代のような「就職活動」とはまた違った形で職を得ていたのだろうと思う。就職というのが、システムとして確立されていなくて、誰もがそれぞれのやり方で職を見つけ、社会に飛び出していく。
本書で描かれる、近畿日本ツーリストの前身会社である「日本ツーリスト」にも、同じような雰囲気を感じる。
結果的に面接を通じて会社に入るのだけど、「就職活動」という感じではない。半年無休でもいいからと懇願して入れてもらった者もいる。面接に来たその日に、修学旅行の添乗をやらされた者もいる。転職組の中には、退職金で営業所の備品を買った者もいる。
『社員たちは、会社に使われている感じがしなかった。
給料や経費は相変わらず現地調達に近い形だったので、しぜん、自分たちで契約をとって来なければ食えない、という気持になる。』
創業したてで、まだ何者でもない頃から壮大なビジョンを掲げ、情熱だけで突き進んで支援者を増やしていく。それは、辛く苦しい毎日でもあろうが、やりがいや興奮という意味では計り知れないものがあるだろう。
そういう場所には、「就職活動」で紛れ込むことは出来ない。特に「日本ツーリスト」では、選ばれるのを待っているような人間は選ばれない。
『共通していえることは、職にあぶれて、というより、適合しなくて自らはみ出したような男たち、ということである。つまり、ただの浪人ではなく、やはり、生来の野武士といった感じの男が多い。』
『待ったなしの中で育ってきたせいか、わが社は実に気が早い。絶対待ってくれない。待ってくれというと、能力がないようにいわれる。』
『きみは、今日から静岡営業所長だ。すぐ営業所を開け。そして、静岡に腰をすえるんだ』
創業から何年たってもその熱狂は続き、様々な人間を巻き込んで膨れ上がっていく。莫大な夢に向かって爆走する野武士たちが、日本の”旅行”を作り出していったのである。
内容に入ろうと思います。
本書は、近畿日本ツーリストの前身である「日本ツーリスト」の創業から、創業者である馬場の死までを描く作品です。本書は、馬場の依頼で、近畿日本ツーリストの社史のような形で書かれた作品だそうです。
朝鮮銀行に勤務していた馬場は、暴動やソ連軍の進駐などを機に日本に戻る。日本の銀行に就職するも、どうも雰囲気が合わない。さっさと辞めてしまって、何か事業を起こそうと考える。
そんな折、知人から耳寄りな話が飛び込んでくる。
鉄道などの交通を管理する交通公社に、団体旅行などの相談に来る客が増えてきた。しかし交通公社では、輸送力の関係などから団体扱いを停止しており、手に負えなかった。公社に勤めるその知人は別会社を作ってそこに客を回すようにしたが、手が回らなくなってきたから会社ごと引き取ってくれないか、という。
馬場は、旅行代理店という仕事に面白さを感じた。何より、在庫をもたず、しかも前払いで現金が手に入るのが良い。客引きの経験などなかったが、仲間を集めて5人で「日本ツーリスト」を創業した。
しかし、話はそう上手くない。結局交通公社は、団体客を自前で捌くようになり、だから馬場らはゼロからすべてを始めなくてはいけなかった。
当初はとにかく、修学旅行の斡旋をひたすらやった。学校にセールスに行き、地獄のような添乗を何度も行う。彼らは、未経験であるが故に無茶を無茶とも思わない行動を取り、国鉄で土日しか動いていなかった「臨3311」という車両を平日に動かさせ、それに修学旅行生を押し込んで大成功を収めたりもする。
彼らは八面六臂の活躍をした。金が入る度に、支払いを遅らせてでも営業所をどんどん開かせた。備品も給料も、すべて営業所に自前で調達させるやり方だ。営業所は、注文を取ってこないと生活が出来ない。だから必死になって頑張る。新たな修学旅行プランを考え、旅行中は甲斐甲斐しくお世話をし、逆転の発想で難所を切り抜けていく。
日本のトーマス・クック社を目指そう。
僅か5人で創業した時からそんな大それた野望を抱き、馬場は、その時々の会社の規模に関係なしに常に未来への理想を大真面目に語った。常に拡大路線を取り、前しか見ないで突っ走った。妻を旅館に押し込んで女中見習いをさせて旅館の経営を学ばせたり、面接に来たばかりの者に即座に添乗をやらせ、先輩社員があまりにも忙しすぎるから新入社員は時刻表と地図で独学するしかないという環境を作り上げた。ムチャクチャだったけど、誰もが理想に燃えていた。
『野武士たちの熱気を買って、こうした支持者が、各地に少しずつふえて行った』
常に資金繰りに苦しめられた馬場は、安定した資金源を求めて、近鉄交通社の社長・佐伯と出会い、合併。ついに「近畿日本ツーリスト」が誕生し、安定した資金と絶大な信用を得た彼らは、さらなる発展のために驀進していく…。
というような話です。
滅茶苦茶面白い作品でした。城山三郎の作品はほとんど読んだことがないけど、抑制された筆致なのに関わった者たちの興奮や熱意を実に見事に描きだすなぁ、と感じました。城山三郎の書き方は、事実をポンと投げ出しているような感じがする。料理で例えるなら、素材をポンと出されているような感じだ。しかしそれなのに、きちんと”調理”されている感じがする。味わい深く、作った人間の熱意を感じられる。城山三郎の文章からは、そんな雰囲気を感じる。
本書は、とにかく難しいことは考えなくても、出てくるエピソードにいちいち爆笑していくだけでも十分に楽しめる。作品の冒頭は、高島という男が面接にやってくるところから始まるのだけど、その高島がまさに、面接に来たら添乗をやらされたパターンである。しかも、その高島が乗らされたのが、彼ら「日本ツーリスト」の面々が粘り強い交渉をして修学旅行生ように走らせることになった「臨3311」である。「臨3311に乗れ」というタイトルは、高島が言われた言葉そのままである。
他にも、営業所なんてものが存在しないのに所長を命じられ、営業所の建物探しからやらされること。本社から給料が届けられるわけではなく、営業所単位の独立採算であること。そのため、転職者が退職金でオートバイを買ったり、自宅を事務所にして高校回りをしたりと苦労させられる者が出てくる。新婚旅行中に様々な旅館を見学に行って来い、と命じられた者もいる。構内に営業所があると箔がつくから、というだけの理由で、上野駅と新橋駅の薄暗い倉庫みたいなところに営業所を出したり(当然お客は寄り付かない)、妻に無休で船ガイドをさせたり、営業回りの最中口にするものは、大きなおにぎりと川の水だけなんてこともある。とにかく、会社として成立しているのかどうか怪しいぐらいハチャメチャな状態であり、企画力と行動力があったからと言って、よくもまあ「日本ツーリスト」に仕事を依頼しようというところがたくさんあったものだと思う。
修学旅行の話が多く登場するのだけど、当時の修学旅行の凄まじさたるや、半端ではない。普通に鉄道で旅行すると、東京から京都まで20時間も掛かるという。「臨3311」はその時間を大幅に短縮したことで活況を呈することになる。また、いろは坂がまだ整備されていなかった箱根は、車や電車では越えられず、ケーブルカーに分乗して超えていたという。交通公社が見込みで客を取りまくるために、当日まで生徒用の席がきちんと確保されているのか分からない。取れていない時は添乗員があらゆる方策を考えて走り回らなければならない。さらに、同じ宿に別の高校が宿泊する場合、喧嘩が勃発しないように宿を見まわりするなんていうようなことが、旅行代理店の仕事だったりするのである。しかも、修学旅行のシーズンは集中している。だから添乗員は、毎日のようにそんな殺人的な添乗を繰り返さなければならない羽目になる。
現代より交通事情が悪く、また生徒の数が圧倒的に多かっただろうとは言え、とても信じられないような話ばっかりだ。とはいえ、修学旅行生というかなり大きな団体をまとめて輸送出来るということは、会社の実力を示すことにもなるし、なによりも社員たちの成長のいい機会にもなる。「日本ツーリスト」は、修学旅行によって鍛えられたと言ってもいいだろう。
創業者がみな、旅行業界に無知だったということも、彼らの成功を語る上で大きな要素だろう。そもそも日本の交通は、交通公社や国鉄が圧倒的な力を持っていたのであり、そことどう関わるかで話が大きく変わってくる。多くの旅行会社は、交通公社の向こうを張ってもムリだろうと、恐らく最初から諦めていたことだろう。しかし無知な彼らは、そんなことおかまいなしに、とにかく情熱で押し切っていく。創業間もない、まだなんだかよく分からない状態の「日本ツーリスト」が、「臨3311」を開放させたのは、だから快挙なのである。
資金繰りもムチャクチャである。営業所単位の独立採算というのもハチャメチャだが、それだけじゃない。彼らは旅館などに、現金ではなくクーポンで支払いをしていた。旅館が、クーポンをいつ現金化してくれるのかと「日本ツーリスト」側に詰め寄ると、彼らは、「それはそれとして、別にお金を貸してくれないか?」と聞いたという。どれだけ厚顔無恥ならそんな真似が出来るのだろうか、と思うのだけど、彼らには「日本のトーマス・クック社になる」という目標がある。道の進み方はともかく、たどり着く先は素晴らしい場所であるという確信があったからこそ、彼らは手段を選ばなかったのだろうなと思う。彼らには、ここだという、明確なたどり着きたい場所があった。その場所に行き着くためなら何でもやってやる、と思っていたことだろう。
だから、近鉄交通社との合併、という選択もした。
彼らとしては本当は、「日本ツーリスト」だけでやりきりたかっただろう。しかし、日本全国に営業所を展開するにはどうしても金が要るし、どれだけ営業を掛けて注文を取りまくっても、常に金はない状態だった(後年、近鉄交通社と合併した際、近鉄交通社側から派遣された経理担当者が「日本ツーリスト」の経理のザルさを知り唖然としたという)。彼らは、目指すべき場所に行き着くために、名を捨てた。肩書きさえ別になくなったっていい、と思っていたが、近鉄側の佐伯がその辺りのことはうまく収めた。
本書では、近鉄交通社側の創業ストーリーも描かれる。こちらもなかなか面白い。優秀なアイデアマンが、電鉄会社が旅行会社も兼務するという発想を推し進め、さらに様々なアイデアを出しまくって軌道に乗せていく。親会社があるが故に、手数料をさほど取らないというやり方で成長しており、「日本ツーリスト」の定価があってないようなやり方はカルチャーショックだった。
社風もまるで違い、野武士のように突っ走る「日本ツーリスト」に対して、近鉄交通社側は慎重で丁寧。この二社が合併するというのだから、それはそれは大きな混乱が待ち受けているのだけど、その辺りの話も非常に面白い。
馬場には、ビジョンがある。ただ、金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、そういうことでビジネスをやっているのではない。馬場は、修学旅行をより良いものにするために、教育委員会の人間と膝を突き合わせ、修学旅行の研究会を設立し、また、教師を啓蒙するために研修旅行を企画したりする。「一日に四度飯を食え」が口癖で、三食に加えて書物という食事を摂れ、という意味である。大口の注文を受ければ日本中どこへでも駆けつけ、苦しい時に受けた恩は決して忘れなかった。信用などゼロだった「日本ツーリスト」がここまで成長できたのも、彼らの情熱を面白がり、しかしそこに真剣な眼差しも感じ、彼らに感化されるようにして支援を申し出た数多くの人々の支えがあってこそだ。情熱は人を動かすという好例を見せつけられた思いだ。
情熱以外、何も持たなかった男たちの突進劇である。無茶を無茶と思わず、無理を無理と感じない野武士たちが、平原のように何もないところから、新しい”旅行”の形を次々に生み出していった。日本人が、国内はおろか世界各国に旅行する習慣が持てているのも、「日本ツーリスト」が先鞭をつけ、それまで日本にはなかった形の”旅行”を定着させてくれたからかもしれない、とさえ思えてくる。素晴らしい男たちの物語に、強く心を動かされた。
城山三郎「臨3311に乗れ」
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