黒夜行

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仮縫(有吉佐和子)

内容に入ろうと思います。
戸田洋裁学院に通っていた清家隆子は、ある日、院長に呼ばれる。なんでも、松平ユキという女性が、隆子に会いたがっているというのだ。
松平ユキというのは、日本にただ一軒だけ存在する、オートクチュール専門の店を構えている女性だ。「オートクチュール・パルファン」という店のことを隆子は知らなかったが、自分の何かが誰かの目に止まったのだということは意識された。
そうやって隆子は、松平ユキの元で働くことになったのだ。
スカウトされたのだという期待を胸に「オートクチュール・パルファン」に出向くが、しかしそこで隆子は、自分が縫い子の一人であるという現実を知る。しかし、そこに在籍していた幾人かの縫い子の素晴らしい技量を見て、隆子は決心する。何でもやって、この人たちの技を盗もう、と。
オートクチュール・パルファンでは、仮縫を三度もする。仮縫とは、ざっと縫った状態のことだ。お客様に着せた状態で仮縫をし、形を調整していく。その間、いかに高級マダムたちを飽きさせないか。オートクチュール・パルファンでは、縫い子の技量だけではなく、的確な会話力や多方面に渡る知識が要求される。
松平ユキの弟だという信彦、松平ユキとどういう関係なのか判然としない相島。それまで隆子がいた世界にはいなかったタイプの男性と関わりを持ちながら、隆子は次第に、大きな野望を内に秘めるようになっていく…。

というような話です。
これは面白い作品でした。1963年、東京オリンピックに向けて日本中がまっしぐらに突っ走っていた時代に書かれた作品なのだけど、驚くべきことに、今読んでも古さをまったく感じない。作中に、明確に時代背景を表すような具体的な要素がないことも大きいかもしれない。銀座の街並みなんかは描かれるけど、それ以外はファッションの話が主だ。ファッションの、それもかなりセレブな人たちのファッションの流行の歴史を知っている人ならば、この作品から時代背景を読み取ることも出来るのかもしれないけど、そうでもなければ、本書の記述から具体的に何年頃の作品なのかを判断するのは難しいと思います。それぐらい、本書には時代をはっきりさせる要素がない。
それでいて、時代の雰囲気、と言ったようなものは感じさせるのだからお見事という他ない。僕は、読んでいる最中は、本書が1963年に書かれたことを知らなかったけど、有吉佐和子という作家が結構昔の作家だという知識はあったから、舞台設定が現代ではないということは知っていた。読みながら、日本が良い状態の頃の話なんだろうなぁ、というのはひしひしと感じるのだ。マダムたちが高いドレスを買い、銀座は浮足立つような雰囲気をたたえ、映画が時代の最先端として流行を発信する。そういう時代の力強さみたいなものは、読みながら強く感じさせるのだ。

『世の中では若い者ほど権利が主張できるのに、パルファンの縫製室には封建的な気分が濃厚だった』

こんな描写も、時代の面影を感じさせるだろう。現代が舞台であれば、よほどノーテンキな若者を描かない限り、こんな表現は出来ないだろう。
僕は、昔の作品を読むと、どうしても文章が頭に入ってこなくなってしまう傾向がある。古典と呼ばれるほど古い作品でなくとも、松本清張なんかでさえダメだ。文章が古く感じられてしまったり、時代背景をよく知らなかったりで、どうもきちんと読めない。しかし、本書ではそんなことはまったくなかった。オートクチュール・パルファンという、非常に狭く閉ざされた小さな世界が舞台になっているからかもしれない。外界が描かれるのは銀座や新宿での夜の描写ぐらいなもので、後はパルファンの裁縫室だのパルファンの店内だの、そういう閉ざされた空間での物語だ。また、著者が書く文章の若々しいこと。現代でも十分に通用するほど堅さの取れた文章で、非常に読みやすい作品でした。

本書では、隆子が非常に魅力的な人物として描かれていく。
初め隆子は、オートクチュール・パルファンでまったく勝手が分からないまま右往左往することになる。しかし、すぐに仕事に魅了されてしまう。それは、縫い子たちのレベルが高くて、同じレベルになりたいという実技面にモチベーションもあったわけだけど、同時に、野望という意味でのモチベーションもあった。
それに一役買っているのが、松平ユキの弟である信彦である。
信彦は、姉の成功に寄生してダラダラ生きているだけの男だったが、ある時隆子に、オートクチュール・パルファンの秘密を教えてくれた。何故オートクチュール・パルファンでは、貴婦人たちが大金を落としていくのか。信彦の説明を聞いて、隆子はそんな世界があるものかと新鮮な驚きで満たされることになる。そして、自分でもそんな世界を作ってみたい、と思うようになるのだ。
そんな折、オートクチュール・パルファンではちょっとした事件が起こるわけだけど、結果的にそれは隆子の出世を後押しすることになる。隆子は新入りながらも、松平ユキから目を掛けられ、トントン拍子で階段を駆け上がっていくことになる。
隆子はオートクチュール・パルファンで働くようになって、どんどんと変わっていく。かつては、洋裁学校に通う取り立てて何ということもない少女だったのが、目標や野心を持ち、裏表を使いこなし、先の先まで考える非常にしたたかな女性となっていく。時代の風潮も、それを後押ししたことだろう。当時、女性がどれだけ社会進出していたのか、僕には分からないけど、戦争の災禍が一段落つき、新しい時代に向かって国全体が突き進んでいく時代の中で、女性も活躍の場を広げていったことだろう。そういう流れにもうまく乗って、隆子は自分自身をより高くより遠くへと羽ばたかせようとする。女性の活躍が制限されている世の中では、隆子の想像の翼もそう遠くへは広がらなかっただろう。隆子は、技術と、時代の流れと、そして運を身にまとい、ファッション業界の荒波に立ち向かっていく。

隆子は非常にしたたかだが、それがいっそ清々しいくらいで、見ていて気持ちがいい。周りに厳しく当たったり、態度が大きくなったりもするのだけど、しかし隆子は、人一倍努力もしている。彼女の振る舞いが、その努力に裏打ちされていることを感じるからこそ、彼女に対する嫌悪感はほとんどない。むしろ、応援するような気持ちも芽生える。

『私はこの店が欲しい!』

こういう素直で真っ直ぐな気持ちが随所に現れていて、彼女の内面の躍動をかんじさせる。

『間もなく私はこの人にとって代るのだという意識がある』

この自信。本当に、いっそ清々しいのである。

オートクチュール・パルファンというのは、ある種の虚業だ。良い服を作る、という以上の虚飾によって成り立っている世界だ。この「虚飾である」というのは、ある意味本書を通底するテーマであると言ってもいいかもしれない。信彦という存在も、相島の仕事も、そして隆子の人生さえも、すべて「虚飾」であると言って言い過ぎではないかもしれない。特に、隆子の人生の「虚飾っぷり」については、凄まじいとしか言いようがない。もちろんそこには、松平ユキの存在が密接に関わってくるわけだけど、隆子は非常に不可思議で一筋縄ではいかない世界に飛び込んでしまったのだと、後々で気づくことになるのだ。

『一般に名が知れるのを有名というようだけれど、それは低くポピュラーになるだけでね』

まったく違う文脈で松平ユキの口から発せられたこの言葉が、隆子の未来を暗示していたかのようで、隆子が両足を突っ込んで突き進んでいくことに決めた世界の奇々怪々ぶりがわかろうというものだ。

また本書では、まさにタイトルにある「仮縫」が、様々な箇所で縦横無尽に使われる。本来は、正式な形にする前に一旦形を整えておくために仮に留めておく状態、ぐらいのことだと思うのだけど、それを、男あしらいを、店の経営を、そして人生そのものを描きだす比喩として使っている。

『つまり、”人生の仮縫”という考え方。私は仮縫をそんなふうに考えたことはなかったが、そういう考え方もあるのか、作家のものの味方はユニークだと改めて感じた。』

これは、解説を書いている森英恵の文章からの引である。森英恵は、生前の有吉佐和子と交流があったらしいが、有吉佐和子が本書を執筆した時にはまだ知り合っていなかったし、森英恵は本書を有吉佐和子の死後に読んだという。その世界の内側にいる人間として、様々に違和感を覚えもするけど、そうだとしても引っ張られて一気に読ませる力がある、と語っている。

『仮縫の間は、何度でも直しがききますからね』
『仮縫-それはなんという夢多い状態だろうか、と隆子は折に触れて思うのであった。仕立てあげてしまえば、それは隆子の手を離れ、パルファンを巣立ってお客様の洋服ダンスに納いこまれてしまうのだけれども、仮縫している間の、仕立て上がりを夢想しながら布の感触を楽しむ愉悦は、洋裁学校で自分のものを仕立てていた頃とは較べものにならないほどの胸がときめくほどの喜びがあった。』

仮縫は、未完成であり、まだどんな形にでも変えることが出来る可能性の詰まった状態である、という風に本書では繰り返し表現される。最後まで読むと、隆子の人生はこれからどうなるのだろうか、と思わずにはいられない。しかし、隆子は思う。まだまだ仮縫の時間だったのだ、と。そうやって隆子はまた前を向く。まだどんな形にでも変わる可能性がある仮縫状態の存在として、また隆子は一歩を踏み出していく。そんな力強さを感じさせる終わり方だ。

まばゆい世界でのし上がろうとする強い少女が、自らの才覚を信じて突き進んでいく物語。少女から女性へと成長していく中で、むくむくと成長していく野心抱き続け、大人の世界へ一気に駆け上がろうとする少女の奮闘が、読む者の気持ちさえも持ち上げていく。時代の雰囲気と相まって清々しく感じられる女性の成長記です。

有吉佐和子「仮縫」


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3位 浅野いにお「うみべの女の子
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感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

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1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
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4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

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3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
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13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
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