黒夜行

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絆(小杉健治)

嘘をつくのは好きじゃない。
別に、良い人を気取っているわけではない。ただめんどくさいだけだ。本当にバレないように嘘をつくためには、細心の注意を払って様々な辻褄を合わせていかなくてはいけない。たった一つの嘘を守るために、その後どれだけの嘘をつかなければいけないか。しかも、事実ではない形で辻褄を合わせた状況を、未来永劫ずっと覚えていなければいけないのだ。
そんなめんどくさいこと、僕には出来ないな、と思う。
世の中には、すぐバレる嘘をつく人もいる。僕にはその気持ちがまったく理解できない。もしかしたらバレないかも、バレなければ御の字、ぐらいの気持ちで嘘をつくんだろうけど、「こいつは日常的に嘘ばっかりつくんだな」という印象を持たれることは、何よりもマイナスだと思うのだけど、当人はそう感じないのだろうか?
僕が本当に嘘をつくなら、徹底して嘘をつく。嘘つくために綿密に準備を重ねる。そしてさらに、もしバレた時の対処まで考えておく。これぐらいしないと、僕は嘘がつけない。うっかり忘れてしまった、というレベルの嘘は僕もたくさんしてるだろうけど(これは、発言した時にはそういう気持ちがあったので、自分の分類では嘘ではない)、最初から嘘をつくつもりでつく嘘は、真剣に嘘をつく。まあ、なかなかそんな機会もないけれど。
嘘をつくことの困難さはもう一つある。それは、罪悪感がずっと消えない、ということだ。
どんな嘘をつくかにもよるが、隠し立てしなくてはいけない嘘というのは大抵、辛い状況を伴っているものだ。それを、ずっと自分の内側だけに留めておかなくてはいけない。その苦痛さを感じない人も世の中にはいるだろうけど、大抵はそうはいかない。罪悪感がずっと残り続けるという状況に自分がきちんと耐えられるのか否か。嘘をつく上ではそういうことも重要になってくる。
こういうことを考えると、嘘をつくことのメリットはほとんどないように僕には感じられてしまう。だから僕は、嘘をつかなければいけないような状況に陥らないように気をつけるようにしている。普段から一貫性のない行動を見せておくとか、ちょっとまともじゃない価値観を持っている風を装うとかしておくと、嘘をつくまでもなく、相手が勝手に誤解してくれる場合もある。そうやって、自分が嘘をつかなければならない状況を避ける、というのが良いのではないかと思っている。
しかし、避けられない状況というのも存在する。本書に登場するある人物が隠している嘘も、まさにそういう類のものだ。自分がどうこう出来るレベルの問題ではなく、降りかかってきてしまう状況。一生誰にも話せない嘘を抱えてしまった人間の辛さがどのぐらいのものなのか、正直想像もつかない。
嘘に絡め取られずに、生きていきたいものだと、心底思った。

内容に入ろうと思います。
弓丘奈緒子が今、裁判にかけられている。記者である主人公は、傍聴席で彼女の姿を見ている。幼い頃、憧れた女性だった。美しく、知恵遅れの弟を可愛がる、実に心根の優しい女性だった。報道で、弓丘奈緒子が夫を殺した容疑で逮捕されたことを知り、心底驚いた。
弓丘奈緒子は、夫殺しの起訴事実を、すべて認めている。自分の犯行であることを認めている。日々事件が量産され、人々の興味はあちらこちらにうつろう世の中だ。弓丘奈緒子の事件も、容疑者逮捕以降、他の事件と変わることなく報道はぱったり止んだ。
しかし、この事件は再び注目を集めることになる。
当初弓丘奈緒子の弁護は、水木邦夫が務める予定だった。しかし直前になって、原島保に変更された。
この原島保、とある裁判でミスを犯したために弁護士を辞めていた人物だった。また彼は、自分の妻子を車で轢き殺した相手が別の事件で裁判にかけられた時、その男の弁護を買って出たことがあることでも有名だ。原島の登場によって、何かが起こるのかもしれない、という予感が記者の間に走ったのだ。
果たしてそうだった。
検察の起訴事実をすべて認めた弓丘奈緒子に対し、弁護人の原島は、被告人の無罪を主張したのだった。
しかし、状況はすべて弓丘奈緒子が犯人であることを示している。それを証明する証拠も多数存在する。何よりも、弓丘奈緒子自身が自供しているのである。原島は一体何を考え、どうやってこの状況をひっくり返そうとしているのか…。
というような話です。

なかなかよく出来た物語でした。正直、作品の古さは否めません。1987年に出版された作品なので無理もないでしょう。言葉遣いや色んな状況設定からその古さを感じますが、僕が一番強く感じたのは、被告人の娘が証言する場面です。母である被告人を尾行したことがあるという娘は、母親が合っていた男のことを「労務者風の男」と証言します。若い娘が「労務者風」なんて言葉はまあ使わないでしょう。そういう違和感は随所にありますが、とはいえそれは作品がかなり以前に書かれているから仕方ありません。物語自体は圧巻と言っていいかもしれません。

冒頭から裁判が始まりますが、最初の内は、「検察が事件をどう捉えているのか」という状況を理解させるためのパートになります。もちろん検察は弓丘奈緒子が犯人だと考えていて、目撃者や関係者を証人として呼ぶことで、事件の概要を伝えていきます。この、状況説明を兼ねた冒頭の裁判シーンは多少退屈ではありますが、原島の反対尋問が多少のスパイスになります。原島は、後に何かを証明するために、先手を打つようにして様々な質問をっするわけですが、原島以外その意図するところを理解できる人間はいません。原島は一体何をしようとしているのか。その興味が、冒頭から持続する形になります。

読み進めながら、いくつか新しい事実が分かっていきます。事件に関係あるのか不明な人名が登場したり、ある形で考えられていた人間関係が偽りであると暴かれたりもします。しかしそれでも、弓丘奈緒子不利の状況は変わりそうにありません。原島は、明らかに何かをしようとしているが、それは一体なんなのか。そもそも何故、弁護人が直前で変更されたのか。もし原島が言うように弓丘奈緒子が無罪なのだとしたら、何故弓丘奈緒子は罪を被るような証言をしているのか。そういった疑問が次々と浮かんできます。
裁判は進んでいきますが、原島は次第に、現在審理されているのとは関係があるとは思えない、大昔のある事件について証人たちに詳細に質問をしていくことになります。それが最終的に、物語の終焉を引き寄せる形になるわけで、その構成がなかなか絶妙である。
この物語の肝は、「殺人犯という汚名を着ることになっても守りぬきたい秘密」をどんなものに設定するか、と点にある。中途半端な秘密では、「そんなものを守るために、殺人犯として刑務所に行く決断はしないだろう」と思われてしまうでしょう。
この作品は、その高いハードルを超えています。家族さえ驚愕するような真実がそこにはあり、そんなとんでもない秘密を、一人の女性が長い間ひたすら抱え続けてきたのです。裁判の場からほとんど場面転換せず、最初から最後までほぼ裁判のシーンだけで描ききる生粋のミステリが、これほどの”絆”を描き切っている。確かに本書は、ミステリという形でなければ描き得ない物語で、様々な状況設定を驚くべき結末に向けて収束させるために実にうまく機能させているなと感じました。

この作品の本来の主人公は弓丘奈緒子でしょうが(語りは、記者の男であり、便宜上の主人公ですが、物語全体を通してみると弓丘奈緒子が主人公でしょう)、弁護人の原島保もまた、もう一人の主人公と言って良い存在でしょう。
原島は、実に難しい立場に立たされている。被告人は、検察の主張を裏付ける供述をしている。事実はどうあれ、弓丘奈緒子は”殺人犯”になる覚悟がある。それほど守りたいものがあるということだ。
原島はまず、誰のために仕事をすべきなのか、という選択を迫られる。通常であれば被告人の利益のためだが、今回は、被告人は進んで罪を被ろうとしている。果たして、この被告人の望みを叶えることが、弁護人としての本来の役割なのだろうか?それとも、弓丘奈緒子が守りたいと思っている秘密を引きずり出してでも、真実を明らかにすべきか。
結局原島は後者を選択するわけですが、ここにはかなり難しい葛藤があったに違いありません。殺人犯の汚名を着てでも守りたい秘密を引きずり出す権利があるのか。悩みながらも原島は、困難な道を突き進む覚悟を決めます。被告人と弁護人がまったく違う道を進んでいるという奇妙な状況が、作品全体を変わった緊張で包み込んでいるように感じられました。

弓丘奈緒子が隠している秘密についてはここでは触れませんが、大事な人を守るための優しい嘘だった、ということは書いておきましょう。辛い人生を余儀なくされていた人を報いるために、自分が犠牲になってでも嘘をつく。そこに至る説得力が、様々な場面に散りばめられています。弓丘奈緒子の嘘は、誰かを守る嘘でありながら、当然それは、誰かを傷つける嘘でもあるわけです。誰かを傷つけてでもつく嘘。その重さを感じてください。

驚愕の真実へと行き着く過程が実によく練られ、綿密に組み上げられている作品だという感じがします。古さは随所に感じますが、ある程度目をつぶって読んで欲しいです。

小杉健治「絆」


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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
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18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
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新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
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7位 「自分探しと楽しさについて
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小説以外
1位 「死のテレビ実験
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4位 「消された一家
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7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)