黒夜行

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鷲の驕り(服部真澄)<再読>

国益、というのは難しい。
かつて国益というのは、政治の世界の話だっただろうと思う。歴史には全然詳しくないから正確ではないことを書くと思うけど、冷戦や東西の対立など、国益を守ることはすなわち政治的な立場やイデオロギーを守ることと同義だったのではないかと思う。本書の登場人物の一人で、伝説的な女スパイである人物は、スパイが政治問題に関係していた時代は良かった、と言うような発言をしている。
現在では国益と言えば、概ね金である。金を生み出すものがなんであっても構わない。製品でも権利でも技術でも芸術でもなんでも構わない。とにかく、金を生み出す何かをいかに得て、それを守るか。国益というのは、そういうステージへと変わっている。
しかし、政治的な立場やイデオロギーは、国が持つことが出来るが、製品や技術は国が持っているわけではない。その国に存在する企業なり団体が持っているのだ。つまり国は、「国益を守る」という大義名分のもと、一企業に肩入れするという形を取らざるを得ない。
本書の中でもこの点は、繰り返し指摘される。先の女スパイが、「私はIBMやAT&Tのためにスパイをしているわけじゃない」という趣旨のことを言ったり、政府高官が会議の中で、民間に肩入れすることを指摘する場面もある。国益を守るためには、金を生み出す何か、そしてそれを保有する集団に働きかけなくてはいけない、というのは国のあり方として微妙な問題と言えるだろう。
しかし、そうせざるを得ない、という立場も分からなくもない。
本書では、ある技術に関して、その権利を巡って様々な勢力が奮闘を繰り広げることになる。
問題は、対象が「技術」である、という点だ。
作中に、こんな文章が出てくる。

『政府が、諜報活動や外交交渉などによって、つまり税金をつかって収集した情報を特定企業に提供することには、アメリカ国内でも、是非の議論がかまびすしい。
国際的な産業競争のなかで優位を得るための特定データを、政府がある企業に流せば、それはその企業にとって多きなメリットになってしまい、自由競争という建前に抵触する。しかし、そうかといって、重要な情報を放置しておけば、他国に機先を征されてしまう結果が待っている』

そもそも、「諜報活動などで収集した情報」というのは、要はドロボウしたってことなわけで、その行為そのものの是非を問われるべきなのだけど、まあそこは言っても仕方ない。日本も、建前上諜報活動はしていないということになっているらしいけど、まあやってないわけはないと思う。現代においては、なんにせよそういう形での諜報活動は必要なのだろう。その情報を、渡したら渡したで問題があり、無視したら無視したで問題がある。情報の入手の仕方はともかく、入手してしまった情報に対しての判断に迷うというのは、まあ確かにその通りだろうという気はする。
それら技術を保護するために、特許権というものが存在する。発明や技術に対して、それを一番最初に発見し申請した人間にインセンティブを与えよう、というものだ。本書では、この特許というものが一つ、非常に大きなテーマとなっている。
その背景には、米国の特殊な特許事情が存在する。
米国には、「サブマリン特許」と「秘密特許」と呼ばれっているものが存在する。
「サブマリン特許」は、大昔に申請された特許がある日突然許可されたものだ。例えば、30年前に特許の申請をし、その申請が30年後に受理され、特許を授与された、というような場合だ。
大抵の場合、このことは大きな問題を引き起こさないだろう。しかし、時折、申告な問題を引き起こす。
仮にその技術が、申請して以降30年間の間に、世界中で使用されるようになったとしよう。30年間は、問題ない。少なくとも、米国では特許がまだ許可されていないのだから。しかし、30年後に、その技術が突然米国で特許を取得する。特許を取得した者は、世界中の企業を相手取って、自分の発明の使用料を求めて提訴することが出来る、という寸法だ。おかしな話だと思うのだけど、米国のシステムとして定着しているのだからどうにもしようがない。
もう一つの「秘密特許」は、文字通り、申請された特許申請を秘密にする、というものだ。国防上などの理由で、他国に流出するとマズイ発明品については、その公開を禁じ、特許も下りず、その代価として申請者は、国から相応のお金を得ることが出来る。本書によれば、日本では同じことは出来ないそうだ。戦前は日本にも「秘密特許」はあったらしいのだが、敗戦によってすべて開示させられ、今ではすべてを公開している。今の米国は知らないけど、少なくとも本書の舞台である時代には、米国はまだ開示しないでおける特許というのは存在したようだ。
特許は、発明家の功績に見合う権利や報酬を約束してくれるだけではなく、国家間の重要なカードになっている。国益を守るために、いかにカードを切るかが大事になっていく。断片的に見るニュースの裏側に、本書の物語のような謀略が隠されているかもしれない…、と思わせるほどの物語でした。

内容に入ろうと思います。
ケビン・マクガイヤという天才ハッカーは、映画のモデルになるほど有名な男。かつて北米防空司令部のシステムに侵入したこともあり、ハッカー仲間からはヒーロー扱いされている。長年FBIに追われる身だが、しかしある瞬間から彼は自由になる。彼をリクルートしたいある組織の依頼を受けて、またネット上で力試しをすることになったのだ。
笹生勁史は、コンピューターセキュリティの専門家で、かつてケビンを逮捕に追い込んだことで一躍その名が知られるようになった。笹生の元にある日、日本の通産省の役人が現れ、大きなプロジェクトを彼に依頼する。
エリス・クレイソンは謎めいた人物だ。500に近い特許を持つ、現代のエジソンと言われている男だ。弁護士と組んで企業に特許訴訟を仕掛け、莫大な財産を築いている。しかしエリスは、取材は受けず、経歴もほとんど分からない、写真さえほとんど手に入らないという始末。様々な組織が、エリスの存在価値の重要さに気づき、この一個人発明家は、物語の中心になる。
イタリア・マフィアの流れを組む企業家であるロッコ・オラルファは、ネット上で様々な情報を収集しそれをお金に変える、サイバー・マフィアと呼ばれる新しいタイプの存在だ。彼は、大金を生み出すある”鉱脈”を発見し、それを駆使して荒稼ぎしてたが、ある情報に行き当たったことで、さらなる儲け話に首を突っ込むことが出来る可能性に気づく。
トマス・リッポルト卿は、世界を独占するダイヤモンド・シンジケート「DC」の総帥だ。DCは、世界中のダイヤの供給を管理することで、ダイヤの値崩れを抑え、ダイヤの価値を永遠に保つ役割を果たしている。DCに背けばダイヤを扱うことが出来ないことになっているが、その網目を抜けようとする者に、リッポルト卿は目を光らせている。
1995年、ケビンを監視している保護観察プログラムがクラッシュし、FBIがケビンの存在を見失った時から、物語は始まる。
というような話です。

大分以前に読んだことがある本で、色々あって読み直さなくちゃいけなくなったので再読したんですけど、本当に面白い作品だなと思います。
とにかく作品のスケールがとんでもなくデカイ。
日本のヤクザや裏組織を描く作品はたくさんあるし、物語によってはCIAだのFBIだの登場する物語もある。しかし本書は、米国の特許法の矛盾点に端を発し、複数の政府系組織の内紛、政府高官の思惑、米国の世界的大企業の野望、日本の企業群の反撃など、物語の枠組みがとにかくデカイ。本書には、様々な組織が入り乱れて登場するのだけど、それぞれの組織が異なる価値観で、エリス・クレイソンという発明家を追っていく。エリス・クレイソンは個人発明家でありながら、目鼻の利く様々な組織がその価値に気づき、覇権を狙おうと躍起になっている。その組織が、CIAだの世界的大企業だったりだのと、一般には使えないような様々な手腕を駆使出来る立場にあるわけで、その彼らが本気になって戦う物語は圧巻である。
相当数の登場人物が入り乱れ、様々な価値観で動いている組織が多く出てくる物語でありながら、本書は、読んでいて物語の筋を見失ってしまうということがない。これだけスケールがデカく、分量も多い物語なのに、非常に読みやすいのだ。これもまた著者の手腕だろう。章ごとに主人公が入れ替わり、さらに各組織が複雑な動きをしているにも関わらず、ごちゃごちゃしすぎて分からないと感じる場面がまったくなかった。CIAだの国家間の謀略だのと言った物語は、難しいと感じることが多いので苦手なのだけど、これは本当にすんなり読むことが出来て驚く。難しいと感じる小説と、何がどう違うのかは正直良くわからないのだけど、とにかく最後まで一気に読ませる筆力は見事なものだと思う。
描写の細かさにも驚かされる。著者は、ストーリーにあまり関係のない部分についても、徹底的に描写を積み重ねていく。誰がどんな服を着ているか、その土地はどんな歴史の土地なのか、車やコンピューターなど様々な技術的知識から、特許法を始めとした各種法律の深部まで、とにかくあらゆる描写に対して描写の程度が深い。知識的なことは調べればいいだろうけど、なんでそんな描写が出来るんだろうと感じるような、調べようがないような描写もあって、巧いなと感じた(どんな場面でそう感じるのか、具体例はちょっとパッと出てこないんだけど)。
それらの描写は、ストーリーに直結するわけではないが、物語内の世界観を一層広く見せるのに役立っている。実際読んでいると、ここに描かれていることが実際に起こったことなのではないかとさえ思えてくる。もちろん、コンピューター技術やスパイなど、その道の専門家が読めば色々粗はあるんだろうけど、エンターテイメントとして読む分には圧倒的なリーダビリティだと思う。
本書は、ただストーリーが面白いというだけではなくて、実際に起こってもおかしくはない(あるいは、もしかしたら僕らが知らない内に既に起こっているかもしれない)国家間の問題が提起されている。米国の法律の不備をつき、再び経済分野で世界の覇権を掴もうとする米国と、米国の特許法に被害者であり、”米国がやろうとしていること”をなんとか阻止しようとする日本の企業群の争いは、国益が政治的なものから経済的なものへとシフトしている現在においては、かなり重要な問題だろうと思われる。この物語では、米国でも日本でも、政府機関だけではなく企業が絡んでいるのだけど、政府が積極的に企業の権利を守らなければ無様に強奪されてしまうという世の中のあり方が描かれていく。その是非はともかく、そういう世の中になってしまっているんだな驚かされた。技術や権利が国際間の問題に発展する、そしてそれは積極的な防衛をしなくては簡単に強奪されてしまう、という世の中を描きだす物語は、個人はともかく、企業には大きく関係する話で、勤めている企業のジャンルによっては、かなり関心が高い物語ではないかと思う。
本書は、20年以上前に出版された、その当時の技術的知見を元に描かれている。現代から見れば、状況も技術的価値も変わってしまっているものも多くあるだろう。インターネットというものが普及し始め、データ管理に利用されるようになった頃の物語であり、現在はまた状況は違うのかもしれない。しかし、そういう技術的側面はともかく、技術や権利が莫大な富に変わり、しかしそれらは、法律とネットを駆使すればあっさりと奪われてしまうかもしれない、という状況に大きく変わりはないのではないかという気はする。僕はそこまで技術に明るい人間ではないので技術的側面についてはうまく判断できないけど、それ以外の部分で、物語に古さを感じる部分はほとんどなかった。現代でも十分通用する物語だと思う。
とにかく難しいことを考えずに、エンターテイメントとして存分に楽しんで欲しい。そういう小説です。設定や本の分厚さに躊躇せず、是非読んでみてください。

服部真澄「鷲の驕り」


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2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
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19位 奥泉光「黄色い水着の謎
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新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
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小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
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10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
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13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
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2011年の個人的ベストです
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1位 千早茜「からまる
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6位 「もうダマされないための「科学」講義
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番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)