黒夜行

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空に牡丹(大島真寿美)

死んだ後に残るのは名前だけだ、ととある作家が書いていたことがある。
名前、にどこまでのものを含ませているのか、それは定かではないけど、要するに、物質的なものは残らないのだ、ということが言いたかったのだろうと思う。人の名前や物の名前、そしてその周辺の記憶。結局残るのはそういうものでしかないんだ、と。
僕は、金持ちになりたいと思うことは全然ないのだけど、もしひょんなことから金持ちになったらやりたいと思っていることがある。
それは、当代随一の数学者に投資することだ。
よく知らないが、数学者が数学だけで食べていくというのはなかなか難しいだろう。どこかの大学で雇ってもらえれば別だが、そうでもなければ数学の研究をしながら生きていくことは難しい。だから、そういう数学者に資金援助をして、生活の一切合切の面倒を見る。そうやって、数学の深遠な世界の探求に没頭してもらう。
これはなかなか贅沢な金の使い方ではないかな、と僕は思っている。
僕は、物質的なものに強く関心を持つことはないし、こだわりもない。大金をはたいて、自分が何か物珍しいことを体験するというのは、対象によっては興味を抱くかもしれないけど、今パッと思い浮かぶようなものはない。だったら、自分がそこそこ暮らしていけるだけのお金だけは確保しておいて、後は数学者や、まあ数学者じゃなくても、何らかの分野で未来を切り開きそうな人にお金を出して、それを見守るというのはなかなか面白いんじゃないかな、と思っている。
まあ、そういうのを”道楽”と呼ぶんだろう。
お金は、稼ぐより使う方が難しい、と言われる。僕には、稼ぐ方も難しく見えてしまうけど、確かにお金を使うことは難しいように思う。良いお金の使い方が出来る人は格好良いなと思うし、自分にはまあまず無理だろう。
本書では、道楽で花火を上げ続けた御仁が登場する。花火を上げたところで、益になるわけでもない。ひたすらただ持ち出しで、財産を食いつぶしながら花火を上げ続けた。
それはある種の狂気に近いものがあるだろうが、しかしそのお陰で、という言い方が正しいのか、その御仁は、後世まで名が残ることとなった。誰しもが、彼の人生を語るようになった。そういうお金の使い方は、もしかしたら正解の一つに数えてもいいのかもしれない、と思った。

内容に入ろうと思います。
明治時代、江戸からそう遠くはない丹賀宇多村の大地主の次男として生まれた静助。この男が、後に何代も語り継がれる男である。
明治のご一新によって、可津倉家は村の治める役割を失ったが、しかしとはいえ、可津倉家は相変わらず村人から頼られていた。肥沃な土地で、よほどのことがない限り飢えることのない土地で、人々は穏やかに暮らしていた。
静助は、そんな村人の中でも輪を掛けて穏やかに生きていた男で、穏やかというよりもぼんやりしていると言った方がはまるほどだ。学校が出来たが、通い慣れた寺子屋に通い続け、百姓の四男で働き手でもある了吉と違って、家の手伝いをする必要もないから、寺子屋の裏でずっとぼやぼやしているような、そんな子供だった。
ある時了吉が、焔硝蔵を見に行こうと言い出す。村にはひっそりと蔵があり、了吉はそこに銃がしまわれていると言う話を聞き及んだのだ。機会があって焔硝蔵に潜り込むことが出来た二人は、しかしそこで銃を見ることは叶わなかった。代わりに見ることが出来たのが、花火だ。
蔵を管理する杢さんは元花火師で、二度と手を出すまいと決めていた花火作りに、ちょっとしたきっかけでまた関わることになっていた。杢さんは東京で花火師をしており、その頃作っていたものと比べればちゃちなものだが、しかし二人の少年を驚かせるくらいのことは出来たのだった。
静助は、何故か花火に魅せられた。
時代は移り、時は流れ、静助を取り囲む様々な環境も否応無しに変わっていった。家督を継ぐはずの兄が東京で根を下ろしたり、母が始めた商売屋が大繁盛したり、幼なじみの了吉が東京で一旗揚げるんだと意気込んでいたり。どれもこれもが静助の関心の外であり、静助は何をするでもなく、ただ杢さんの花火作りを見たりしながら、ぼんやりと過ごしていた。
様々な要因から、静助が可津倉家の財産を動かせるようになると、静助は花火に莫大な金を注ぎ込んでいく…。
というような話です。

みたいな内容紹介をすると、ずっと花火の話をしているような物語に思えるかもしれませんが、それは誤解です。作品の中心となるものが花火だったので、花火を中心に内容紹介をしましたが、実際のところは、可津倉家を取り巻く様々な人間模様が描かれる物語だ、と捉えていただくとよいと思います。その中心には、なんだかんだで静助がいて、そしてその静助は花火に夢中だった、ということです。
物語の語り方が、まずなかなか面白い。本書は、静助の子孫が、大叔父などを含む様々な人間から聞いた静助の話をまとめた、という体裁の作品になっている。だから、語り口調に推測が入ったり、様々な人間の視点を移動したりする。あくまでも、現在視点から、様々な又聞きを経て子孫の一人に伝わった断片を再構成しましたよ、という形なのだ。だから随所に、「◯◯だったのだろう」とか「どうやらそういうことのようだ」みたいな表現があるし、よくわからないところはよく分からないというような表現になっている。そういう書き方が一層、静助という存在の輪郭を濃くしている感じがしました。本当に実在する人物のように思えるから不思議なものです。
静助は、ぼんやりしている、何も考えていないような人間に、周囲からは見られるだろう。そりゃあそうだ。実際にぼんやりしているし、何があっても響いていないような反応しか返さないのだから、そう思われもするだろう。
しかし、読んでいく内に、決してそうではないのだということが分かる(まあ、厳密に言えば、これは子孫である書き手の妄想ということになるんだろうけど)。静助には静助なりの価値観や行動原理がある。しかし、普段はそれが表に出ないだけだ。なぜ出ないのか。それは、静助にとって関心のある対象が少ないからだ。また、関心のある対象があったとしても、自分が関わる領域の問題ではないと思うからだ。だから静助は、ぼんやりしているように見える。実際には、静助も様々な場面で考えていることだろう。割と自分の軸をしっかり持っている男なので、意見を答えただろう。しかし悲しいかな、静助はあまり人から意見を求められなかった。ぼんやりしているから聞いても無駄だろう、と思われたのだろうか。
静助がこうと決めた時の強情さはなかなかのものだ。学校ではなく寺子屋で学びたいと言った時もそうだったし、ある場面で幼なじみの反対を押し切って「花火を上げる」と主張した時もそうだ。静助の、こうだと決めた時の頑固さはなかなかのだ。
静助の思考で、興味深いものがあった。それは、静助の「東京」や「財産」に関する思考だ。
静助には、ご一新の後、みなが揃いも揃って東京に行きたがることを不思議に思う。自身も東京を何度か訪れているが、花火以外に興味を持てるものは特になかった。了吉はすっかり東京の人間になってしまい、しきりに静助を乗せようとするが、静助には意味が分からない。兄である欣市も東京にいっぱなしだが、一体なにがいいのか。
この時に静助は、「富を所有するというのはどういうことなのか」について思索を繰り広げる。そしてその思索がきっと、後々の散財に繋がっていくのではないかと思う。
この静助の思索が興味深いのは、静助の思索単体でも面白いのだけど、欣市の思索と比較した場合に、より面白くなる。
欣市は欣市で、静助とは逆で、もう丹賀宇多村には戻れないと感じている。
村には東京にあるようなものは何もないし、家督を継いだ欣市がやらなければならないことは、言ってみれば雑事でしかない。東京で商いをしているのと比べれば、退屈に過ぎる。知った顔ばかりと普段会い、いつもと変わらないような会話をする。欣市にはその良さが理解できなくなってしまっていた。
明治維新さえなければ、欣市はまっとうに家督を継ぎ村のために働いていたし、恐らく静助も花火に入れあげることは出来なかっただろう。スケールは小さいが、彼らも時代に翻弄された人間なのだなと思わされる。
静助の花火への執着は、正直僕には理解できないのだけど、しかしそういう静助を羨ましく思う。僕には、静助のように、一つのことについて熱中してやるということが出来ない。色んなことにちょっとずつ手を出して、それぞれでそこそこのレベルにまでは行くんだけど、そこから先に行けない。そんなことを繰り返してきた。それがどんなものであっても、熱中できる対象があるというのは羨ましいことだ。
可津倉家を巡る人間模様というのはなかなか忙しなくて、物語はそういう人間模様を中心に進んでいく。様々な人間の思惑が少しずつ掛け違うことで、最終的な結果が予想も出来なかったほど悪くなってしまう、という出来事が何度も繰り返される。母親である粂が始めた商売屋にしてもそう、欣市や静助の縁談についてもそう。ちょっとずつ歯車がズレてしまって、大きな致命傷を負うことにもなる。花火という要素を抜いたとしても成立するだろうと思わせるくらい、静助を取り巻く人間関係の変遷はなかなか面白い。
ある場面で静助は、一瞬で消えてしまう花火を人間に見立てる。一瞬で消えてしまうものに二ヶ月も費やすのは馬鹿らしくないのか、という問いかけに対する答えだった。人間だって同じだ、長生きするかどうかの違いで、結局いつかは消える。花火だけ無駄なんてことはないよ、と。
僕も静助のように、なんの役にも立たないようなものに道楽として大金を注ぎ込みたいものだなと思わされました。

大島真寿美「空に牡丹」


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2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
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5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

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感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

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1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
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6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

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17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
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