流(東山彰良)
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内容に入ろうと思います。
1984年.葉秋生はは初めて、生まれ故郷である台湾とは政治的な対立が続いている中国の地に降り立った。そこで、10年間彼の脳裏に居座り続けたある疑問が解けるはずだった。
1975年.台湾の英雄である蒋介石が亡くなった。国を上げて悲しみにくれる中、17歳だった秋生は、もう一つの悲しみに見舞われることになる。
葉尊麟。敬愛すべき祖父が、何者かに殺されたのだ。あの祖父が、だ。
祖父は、先の戦争で人を殺しまくり、戦争が終わってからも、良くない話の絶えない人だった。家族と兄弟の契りを結んだ者以外には、非常に横暴で冷淡だったという。しかし、家族に対しては滅法情が熱く、秋生はそんな祖父のことが気に入っていた。丸ごと褒められる存在ではないかもしれないが、秋生にとって祖父は、とても大切な存在だった。
そんな祖父が、何者かに殺された。台湾の警察は、どうもやる気がないようだ。祖父の死は、秋生の内側にポッカリと大きな穴を空け、年を重ねる毎に訪れる様々な場面で、その空洞が秋生の人生に陰を落とすことになる。
中国との政治的に安定しない状況の中、秋生は転落人生を送っていた。非常に秀才だったのだが、あと出来事をきっかけに底辺の高校に通う羽目になり、挙句軍隊に押し込まれることになる。悪い仲間とつるみ、喧嘩をし、仲間を守り、虚勢を張り、恋をし、そんな風にして秋生の人生は続いていく。祖父の存在が、そして祖父の不在が、秋生の人生を形作り、そしてまた壊していく。前に進むために、秋生は、祖父の死から10年後、中国の地を踏みしめる。
というような話です。
雰囲気は好きな小説でした。著者の作品はほとんど読んだことがないのだけど、「現代を舞台にしたノアール寄りのエンタメ作品」を書く作家という認識だったので、恐らく今回の作品は著者のこれまでの作風とは大きく変わっているのだろうとおもいます。馳星周的なノアールの雰囲気の作品には、合うものと合わないものがあるんですが、雰囲気だけで言えばこの作品のノアール的な感じは結構好きです。たぶんそれは、酷すぎないからかな、という気もします。色んなことが起こるのだけど、暴力も殺伐も対立も、どれもやりすぎていないという感じがする。血みどろというような雰囲気ではなく、全体の雰囲気をその少し手前で抑えているような感じはしました。ノアールが好き、という人にはもしかしたら物足りなく感じられる作品かもしれないけど、普通の人が読む分には、これぐらいの雰囲気の方がとっつきやすいだろうと思いました。
暴力の雰囲気は絶えない物語であるのだけど、あくまでも「通暁する雰囲気を醸し出す」という部分に留めていて、実際に暴力が行使される場面はそう多くはない。青年が大人になる過程の様々な通過儀礼のようなものを、時代の変節と織り交ぜつつ描き出していて、そういう「時代が醸し出す雰囲気」みたいなものがよく出ている作品だと感じました。もちろん、僕自身はこの作品の時代の雰囲気は知らないのだけど、知らないものにそれを体感させるような力強さを感じる作品です。
さて、とはいえ、ストーリーを抜き出してみると、あまり好きとは言えない作品でした。ストーリーに、作品全体を引っ張る力がなかったように思います。器(雰囲気)はとても豪華だったけど、料理(ストーリー)がちょっと物足りなかった、という感じです。
僕が難しいと感じた理由の一つは、ストーリーを引っ張る核が「祖父の死」以外にない、ということです。もちろん、時代背景の描写とか、魅力的な登場人物とか、ストーリーではない部分でのプラスアルファは色々見つけられるだろうけど、ストーリーに関して言えば、全体を貫く核は「祖父の死」だけだったように感じました。これが、謎解きを主体にする本格ミステリであれば別にいいのだけど、本書のような物語の場合、それだけではストーリーを駆動させるのに少し馬力が足りないのではないか、と思ってしまいました。
もちろん、本書をどんな物語だと捉えるかによって、ストーリーの捉え方も変わってきます。本書を、「秋生の成長物語」と読めば、秋生自身には人生における様々な場面で色んなことが起こるので、面白い読み方が出来ると思います。ただどうしても僕には、本書をそういう風に捉えることが出来ませんでした。恐らくそれは、「葉尊麟並の存在感を抱かせる登場人物」が、少なくとも僕にはいないように感じられたからだろうと思います。
秋生は、人生の様々な節目で、色んな人間に関わったり、その人について考えたりする。古くからの友人であったり、幼なじみであったり、叔父さんや敵対していた相手だったりする。しかしその誰もが、僕の感覚では、「葉尊麟」ほどの存在感を持ち得ない。畢竟、秋生が祖父についてのことで思考を奪われる度に僕は、「秋生はずっと祖父のこと”だけ”に囚われている」と思ってしまうのです。
秋生は、祖父の死後、様々なことに首を突っ込んだり巻き込まれたりするのだが、それらの中にも、「秋生が祖父の死に囚われていたからこそ起こったこと」というのが結構ある。大げさに言えば、秋生の身に降りかかる様々な出来事が、結局は「祖父の死」に端を発している、そんな感じさえするのだ。
だからこそ僕は、この物語を「秋生の成長物語」としては受け取れなかったし、物語の核になる部分が「祖父の死」にしかなかったように感じられてしまったので、ストーリーをそこまで楽しむことが出来ませんでした。
またもう一つ感じたことが、物語がどこを目指して進んでいるのか見えにくかった、という点だ。
僕が本書を、「祖父の死をメインにしている」とはっきりと感じられるようになったのは、全体の半分以上を過ぎてからだったと思う。それまでは正直、物語が何を目指して進んでいるのか分からなかった。冒頭は、祖父の死から10年後の時系列から始まるのだけど、その冒頭に置かれた序章では、物語の目的地は見えにくいと感じました。半分ぐらいまでの感じでは、「物語全体」にとって「祖父の死」がどれぐらいのウェイトを占めているのかイマイチ理解できなかったし、登場人物のどの辺の人達に着目しいて物語を読み進めていけばいいのかもあまりわからない感じがしました。
面白くなりそうな予感を抱かせる雰囲気の醸し出し方はとても巧いなと思うし、作品全体を取り巻く腐ったトマトのような雰囲気も好きなのだけど、物語としてはそこまで好きにはなれませんでした。アジアの歴史に興味があったり、台湾に行ったことがあったり、アジア諸国との戦争に関わったことがある人が読めば、また違った感想になるのかもしれません。
東山彰良「流」
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