黒夜行

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2008年に書いたショートショート集 No.166~No.214

166.「書店営業」
書店の前に立つと、未だに緊張する。もうこうして書店を訪問するようになってかなり経つのに、未だに慣れるということがない。でも僕は、そんな緊張感がたまらなく好きなのだ。この緊張感を味わいたくて、こうして書店を回っていると言っても言い過ぎではない。
意を決して店内に入る。店内で作業中のスタッフに声を掛け、文芸書の担当者を呼んできてもらう。この店に来るのは初めてだ。というか僕の場合、一書店を訪問するのは一回だけだ。常に、初めましての会話から初め、じゃあまた来ますと言って別れるけれども、その書店には二度と足を運ぶことはないのである。そうするしかないのだから仕方ないとは言え、ちょっと残念だなと思わないでもない。
「初めまして。一二三出版の竹中と申します」
名刺を出して渡すのはさすがに慣れてきた。こればっかりやっているのだ。
「あぁ、一二三出版の方ですか。営業の方が来たのって初めてかもしれないなぁ。そうじゃないですか?」
「えぇ、たぶんそうだと思いますね。ウチは営業を四人でやっていますんで、なかなか回りきれないところがありますよね」
「まあ仕方ないですよね。そういえばあれ売れてますよ、『緑の敷地にガナリアン』。ウチのスタッフが好きでね、趣味みたいなもんですけどね」
「ありがとうございます。あれを売っていただけている書店さんは他にあんまりないでしょうからねぇ。嬉しいです」
「文芸書は最近落ちてるからね。ちょっとでも活気のある話は嬉しいよね」
「そうですね。それでこんな本もあるんですけど、いかがですか?今吉田山書店で週売30冊を超えてるんですよ」
「へぇ、『マルコム仏陀』ですか。変なタイトルですねぇ。ノンフィクションですか?それなら今あの辺に似たようなのを置いてるからそこに混ぜてみようかなぁ」
「ありがとうございます。あと、こっちもなかなかいいんですよ。まだ数字は出てないんですけど、今編集がイチオシなんです。馬蝶書店の長柄さんにPOPを書いてもらおうなんて話もありまして」
「あの長柄さんにかぁ。それはいいですね。じゃあそれも置いてみますよ」
「ありがとうございます。じゃあ番線をお願いします」
こうやってスムーズに話が進んでいくと気持ちがいい。何のかんのと言って、やっぱり本屋が大好きなんだな、と思うのだ。
さて、次の書店でも回ろうか。『マルコム仏陀』なんて本は存在しないし、これからも発売されることはないだろう。僕も、出版社の営業の人間ではない。ただ趣味で書店営業のフリをして本屋を回っているだけだ。一度訪れた書店には二度と行けないし、その内この悪事が誰かに見つかってしまうことだろう。それでも、病み付きになってしまった。だったら本当に書店の営業になればいいんだろうけど…。
まあ人にはいろいろあるのだ。



167.「23人」
その日、我が家に友人が遊びに来た。特に何があったというわけではない。大学時代からの友人であるトモヒロは、よくこうやって僕の家にやってくるのだ。大抵、ゲームをするかテレビをみるか、あるいはお互い喋りもせずに雑誌やマンガや本を読んでいる、という過ごし方が多かった。
トモヒロがウチに来る理由の大半は、僕がそこそこ料理をするからだ。トモヒロは料理はからきしで、いつもコンビニの弁当を食べている。僕は割と料理を作るのが趣味だったりするので、それを見込んで遊びにやってくるのだった。
その日も適当に料理を終え、それからサッカーの試合を見ていた。僕はサッカーにはまったく詳しくないのだけど、トモヒロは大好きらしい。確かその日の試合は、日本代表と韓国代表の試合で、その試合の結果如何でワールドカップへの出場が決まるとかなんとか、確かそんな話だったような気がする。僕も興味はないのだけど、特別することもないため、トモヒロと一緒に試合を見ることにしたのだ。
22人の選手達がセンターで向き合い挨拶を交わす。それから試合が始まった。
何がどうなっているのかイマイチよく分からないが、トモヒロの独り言なのか僕に説明しようとしてくれているのかよく分からない言葉で何となく試合の流れが分かるようになってくる。日本は決定的なシーンでシュートを外し、観客が大げさに落胆していた。
ぼんやりと試合を見ていると、僕はあることに気が付いた。
「なぁ、23人いないか?」
「審判がいるだろ」
「そうじゃなくてさ。もちろん審判を除いての話だよ」
「そんなわけあるかよ。お前だって見てただろ。初め量チームとも11人ずつしかいなかったじゃないか」
「そうなんだけどさ、でも今絶対23人いるって」
僕はこうことに関しては得意だ。映像を写真のように記憶し、それを自分の好きなやり方で取り出すことが出来るのだ。漠然とした疑問を持った僕は、フィールドの全景が映ったシーンを記憶し、そのシーンにいる選手の数を数えてみたのだ。すると、やっぱり間違いなく選手の数は23人だった。こればっかりは間違いない。
「確かにお前がそういうなら間違ってないのかもしれないけどな。でも、普通に考えてそんなことありえないだろ」
「でもさ、案外わかんないんじゃない?ほら、トモだって気づかないわけだろ?審判だってテレビ局の人だってさ、フィールドにいる人数が何人かなんて気にしちゃいないよね。そりゃあどうやってフィールドに潜りこんだかっていう問題はあるけどさ」
「でもまあさ、審判だって気づいてないっていうならさ、そりゃ反則になりようがないわな。まあいいんじゃないか」
トモヒロはあんまり細かいことには頓着しない性格なのだ。
やがてハーフタイムになった。試合は0-0と動いていない。初歩的なミスが目立ちましたねぇと、現役を引退した解説者が語っていた。
「このグラウンドは思い出があるんですよ」
その解説者は実況のアナウンサーとそんな話をし始めた。
「もう6年になると思いますけどね。ここでの試合中に選手の一人が心臓発作で死んじゃったんですよね。今でも思い出しますよ、あの時のことは。その彼もね、当時日本代表だったですからね。今日の試合も観てるかもしれませんね」
それを聞いて、僕とトモヒロは顔を見合わせた。
「そういうことかな」
「そういうことだろうね」
何ともやりきれない話だった。



168.「ロボット」
僕はある時気づいてしまったのだ。自分が、実はロボットであったということに。
きっかけは些細なことだった。というか、それは普通の人のはきっかけと呼ぶには相応しいものではないだろう。あまりにも脈絡がなさすぎる。
僕は部屋で勉強をしていた。机に向かって、真面目にカリカリとシャープペンを動かしていた。その時、どうなったのかよく覚えていないけど、僕はシャープペンを落としてしまったのだ。いや、それは正確な言い方ではない。実際は落とさなかった。手から離れてしまったが、しかしそれが床に落ちる前に僕はシャープペンを掴みなおすことに成功したのだ。
その瞬間、僕は悟ったのだ。なるほど、僕は人間ではなくてロボットだったんだ、と。
そうなれば、いろいろと試してみたくなるのは当然だ。僕は、かなづちで自分の頭を殴ってみたり、母親が飲んでいる睡眠薬を大量に飲んでみたり、自分のお腹をカッターで引き裂いてみたりした。その結果はわかりやすく、すべて救急車を呼ばれる羽目になってしまった。かなづちによって頭蓋骨は陥没し、大量に飲んだ睡眠薬は胃洗浄によって取り除かれ、真一文字に切られた腹からはぬらぬらとした臓器がべちゃべちゃと流れ出るのだった。
両親は、僕が自殺をしようとしているのだと思い、カウンセラーに行かせたがった。しかし、僕はそんなつもりはないということを必死に説明しようとした。自殺をしたいわけでは決してない。ただ僕は確認したいだけなんだ。自分がロボットだっていうことはたぶん間違いない事実だ。後はそれを確かめるだけでいい。これまでの試みは全部失敗だったけど、今度はちゃんと失敗しない方法を考える。だから全然大丈夫だよ。
その結果どうなったか。僕は精神科に連れて行かれることになった。おかしい。ちゃんと自殺の意思がないことを伝えたのに。でもまあいい。もしかしたら精神科医だったら、僕がロボットであることを見抜いてくれるかもしれない。そうなれば、僕が余計な手間を掛けることはなくなるわけだ。まあいいだろう。精神科でも何でも行ってやろうじゃないか。



169.「セバス眼鏡」
「セバス、ちょっとこの眼鏡を掛けてみなさい」
「Y子さん、眼鏡萌えでしたっけ?」
「確かに眼鏡萌えでもあるけど、大事なとこはそこじゃないの!いいから掛けなさい」
「はいはい。ちょっと待ってくださいよ。歩きながらだと掛づらいです。荷物片方持ってもらえません?」
「まったく人使いの荒いセバスね!」
「って、えーっ、な、なんですかこれは?」
「ようやく掛けたのね。どう、私が発明した素晴らしい眼鏡の効果は。って、何で外してるのよ」
「いやいや、こんな眼鏡掛けてられないですって」
「どうして!世界中の女子の夢をあまねく叶える素晴らしい発明品なのに!」
「そもそも僕は男ですし、それにY子さんみたいな趣味を持ってる女性じゃないとダメですよね」
「何を言ってるの。すべての女性は多かれ少なかれそういう願望があるの!私は人よりちょっと多すぎるだけ!」
「…自覚はあるんですね。で、何なんですか、この眼鏡」
「見たものすべてを男に変えてしまう眼鏡よ。名づけてセバス眼鏡!電柱だって車だって、もちろん女性を見たって、すべて男に見えてしまうという優れもの。これさえあれば、日常的にBLの世界を堪能できるってわけ」
「…突っ込まないでいましたけど、もしかしてY子さんが今掛けてる眼鏡って、そのセバス眼鏡なんですか?」
「そうよ!今の私にはありとあらゆるものが男に見えているの!幸せすぎて鼻血が出そうよ!」
「まあそれはよかったですが、僕にはこれは必要ないですよ」
「何言ってるの。あたしといる時は常に掛けておきなさい。これは命令よ」
「えっ、だってそんなことしたら、Y子さんも男に見えちゃうじゃないですか」
「それがいいのよ。禁断の愛って感じでしょ。ほら、つべこべ言わないの!」
「…男になったY子さんも、案外いいかも」
「これであんたも立派に腐女子の仲間入りね!」
「それは違う!断じて違う!」



170.「中国人のジャンプ」
「なぁ、中国人が全員一斉にジャンプしたらどうなると思う」
「っていうか、あんた誰?」
「神様だよ、神様」
「嘘ばっかり。神様がこんなしけた飲み屋にいるかよ」
「実際いるんだから仕方なかろう」
「んで、何だっけ?中国人がどうしたって?」
「だから、中国人が全員一斉にジャンプしたらどうなるか、ってことよ」
「どうなるかも何も、そんなことありえんだろ」
「今誰と話してると思ってるんだ。俺は神様だぞ。そんなこと容易い容易い」
「へぇ、じゃあやってみてよ」
「いいのか?」
「どういうことだ?」
「よく言うじゃないか。中国人が全員一斉にジャンプしたら、地震と津波が起きて日本はヤバイ、って」
「んなアホな」
「だからそれを確かめようと思うんだけど、ホントにやってみてもいいかな」
「まあいいんじゃねぇの。俺だってそんな日本とかに興味ないしね」
「よしじゃあちょっとやってみるか」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
「いかんいかん。ロシア人までジャンプさせてしもうた。日本はちと壊滅してしまったのぉ。まあ仕方ないか」



171.「未来の障害」
「最近、この辺もやっとバリアフリーになってきたよね」
「ホント、私たちみたいな人のことをようやく考えてくれるようになったのね」
「昔は酷かったもんなぁ。ウチの祖父ちゃんなんかがその時代だったらしいけど、ウチらみたいな人間なんて切り捨てられてたみたいだからね」
「あぁ、それウチのお祖母ちゃんも言ってたかも。そんな障害があるわけないだろ、って散々言われたって」
「まあでも、考えてみればそうかもね。俺らみたいな障害を持った人間がまだほんの僅かしかいなかった時代なら、そういう風に思われてても仕方ないかもね」
「でも、あちこちに階段はあったわけだし、それに店とか電車とかにも入れなかったわけでしょ?考えられないよね、ホント」
「そうだよなぁ。どうしてたんだろうね」
「自転車ドクターだっていなかったっていう話だしね」
「それはキツいなぁ。え、じゃあ昔は、自転車のメンテナンスとかどうしてたわけ?」
「さぁ、ちゃんと聞いたわけじゃないけど、同じ障害を持つ人どうしでメンテナンスの知識を共有してお互いにやったりとかしてたみたいだけどね」
「それに比べれば今は楽だよね。自転車に乗ったままメンテナンスしてくれるなんて、今じゃ当たり前だからね」
「っていうか、それがないと生きていけないって」
「でもさ、何で『自転車から降りられない』なんて障害が起こるんだろうね」
「さぁ。遺伝的な要素はないってこの前ニュースでやってたけどね」
「これ、ウチらみたいな人間には全然分かってもらえないけどさ、ホント自転車がお尻から生えてるような感じがするんだよね」
「分かる分かる。そうなんだよね、周りの人ってどうも理解しがたいらしいんだよね」
「まあしょうがないけどね」
「自転車からは降りられないけど、楽しく生きられるしね」



172.「長寿先生」
先生との出会いのきっかけは、いつものように本屋でブラブラしていたことから始まった。僕は見るともなく本を眺め、時折手に取ってはパラパラ捲るということを繰り返していた。
そんな時、一冊の本に僕は釘付けになった。その本が、先生の本だったのである。
内容紹介も帯の文句も至って普通で、著者の名前は聞いたことがなかった。しかし、その著者略歴を読んで僕は驚いたのだ。
『1867年生まれ』
そう書いてあったのだ。
その小説は、どこをとっても、今生きている作家が書いたとしか思えないものだった。内容紹介をざっと読んでも、100年以上前の人間に書けるものではない。となれば可能性は二つしかない。著者略歴に誤植があるか、あるいはとんでもない長生きの作家なのか。
それ以来僕はその作家のことが気になって、とにかく調べまくった。どうやって先生の元に辿り着いたのか、それは割愛しよう。とにかく、とんでもない労力の賜物であった。しかし僕は先生に辿り着いた。それだけで充分だ。
僕は時々先生を訪ね、話をし、そしてその内先生の弟子になった。弟子になったからと言って何かが変わるわけではなかった。そのはずだったのだ。
先生は、見た目は50歳くらいだった。著者略歴の年齢についてもちろん聞いてみたけど、その内分かるだろう、と言って教えてくれなかった。しかし、先生の言う通り、確かにその内唐突に理解することになる。
ある日、先生が病気で倒れた。たまたま僕が一緒にいる時で、僕は救急車を呼んだり、病院までついて行ったりと大忙しだった。
ようやく一段落つくと、先生は病院のベッドの上で、おもむろにこう言いだした。
「そろそろ私も引退のようだ。私の跡は、君が継ぎなさい。君が四代目だよ」
先生も25年ほど前、二代目によって作家の地位を引き継がれたのだという。なるほど、それで生年が1867年になっていたのか。長年の疑問が解けた嬉しさの反面、これから小説を書かなくてはいけないのかと想うと不安でたまらなくなった。



173.「イエスの宿敵」
イエスは、本屋をブラブラしている時に、ふとあるマンガ目に入ったのだ。
「聖☆おにいさん 1巻」
なんだこりゃ、と思ったイエスは、さっそく家に帰り、そのマンガを読んでみることにしたのだった。ちなみにイエスは一人暮らしである。
「な、なんじゃこりゃー」
イエスは一人咆哮することになりました。そこには、宿敵ブッダと自分が仲良く共同生活をしている様が滑稽に描かれているのでした。
「あやつのせいで、アジアにキリスト教を広めることが出来なかったんだ。許せん。マンガとはいえ、自分とブッダが共同生活をしているなんて、許せん!」
しかし、イエスはふと思いつきました。
「なるほど、このマンガのように実際ブッダと一緒に暮らしてみるというのはどうだろう。打倒ブッダを掲げて地上に降り立ったとは言っても、ブッダがどこにいるのかも見当がつかないし、いてもどうやって倒せばいいのか分からないぞ。一緒に生活をしていれば、宿敵を探す手間がそもそも省けるし、弱点なんかも見つけることが出来るかもしれないではないか」
なるほど、これは名案だと思ったイエスは、早速自分がアップしているブログにこんな文章を載せてみました。
『ブッダを探しています。
一緒に生活をしませんか?
連絡待ってます。』
ブッダから連絡が来たのかどうかは、またのお楽しみ…。



174.「エリミネーション」
「はい、次の人」
イエスは、自分の部屋の前に並んだ行列を一人で捌いていた。
何をしているかと言えば、同居人の選別である。
前回、「聖☆おにいさん」を読んだイエスは、宿敵であるブッダと共同生活をすることでブッダをやっつけよう、という計画を立てた。自身のブログに、ブッダに向けて一緒に住もうという文章を書いたところ、我こそはブッダであるという人間が山のように押し寄せてきたのである。
その数、推定1000人。そこでイエスは、夜を徹して本物のブッダ探しに没頭しているのである。
「あなた、そこでちょっと浮いてみてください」
審査はこれだけで充分。ほとんどの候補者は、これが出来ない。当然である。ただの人間なのだから。かつての宗教団体の教祖のようにぴょんぴょん飛び跳ねてみせる者もいるが、もちろん話にならない。
「はい、次の人」
そんなことをしている内にイエスはイライラしてきた。何で1000人もの人間をいちいちチェックせにゃならんのだ。あぁ、めんどくさ。っていうかホント、こんなことさっさと終わりにしないとなぁ。
そんなわけでイエスは、当初の目的をすっかり忘れてしまったのです。
「はい、次の人。はい、あなたで決定」
そんな風に、投げ遣りで同居人を決定してしまったのです。ブッダと共同生活をしなくてはいけないのに、ブッダでも何でもない人間とただ共同生活をするなんて本末転倒。しかし、もはやこの苦行から逃れたかったイエスは、肩の荷が下りたようにホッとしました。
しかし、それもつかの間でした。
「きみ、名前は?」
「ユダです」
よりにもよってイエスが同居人に選んだのは、裏切り者のユダでした。
「おいおい」
とイエスは呟いたそうです。
一方その頃ブッダはというと…。



175.「数学の限界」
「ペッチロード予想に関する重大な検証」
ある時、そう題された論文が、インターネット上にアップされた。投稿したのは、フィンランドの数学者、リッチャウス・ハミーロである。
ペッチロード予想は、今から200年前の数学者ペッチロードが提唱した予想である。五次元以上のすべての構造体は、それぞれある一つのペッチロード関数に対応する、というもので、この予想は恐らく正しいだろうと考えられているが、誰も証明に至ることのなかった難問の一つである。
そのペッチロード予想に関して論文が出されたのだ。数学者は皆、もしかすると証明されたのだろうか、と期待した。それは当然だろう。証明したか、あるいは反例を見つけたか、普通はそのどちらかしか考えられない。
しかし、ハミーロが提示したのは、もっと驚くべきことであった。彼の主張を簡約するとこうなる。
「ペッチロード予想なるものは存在しない」
普通、数学上のある予想に対しては、それが真であることを証明するか、あるいは偽であることを証明するか、あるいは反例を見つけるかのいずれかしかない。例外はある。ゲーデルが証明した不完全性定理というものがあり、大雑把に言えば、数学上の設問には真なのか儀なのか確定できないものが存在する、ということを証明したのだ。しかし、答えがなかろうが、その設問自体は存在することは自明だろう。しかしハミーロは、ペッチロード予想がそもそも存在しない、と主張しているのだ。
数学者はその論文を読み、ハミーロの主張に破綻がないことを理解した。ハミーロは、ペッチロード予想が存在しないことについて証明したが、しかしこれはもっと拡張されることだろう。つまり、ゲーデルの不完全性定理のように、ハミーロの非存在性定理とでも呼ぶべきものに。
数学という学問はこれまで、ありとあらゆる対象を扱って来た。現実には想像することさえ不可能な高次元の幾何や、どんな数なのか想像も出来ない「i」だって扱えるのだ。しかし、存在しないものはさすがに扱うことが出来ない。これでまた一つ、数学上の限界が示されたことになる。




176.「空から生えてきた木」
一番初めに見つけたのは、アマチュア天文家だった、と言われている。しかし恐らくそれは、大衆が見つけた中で一番、ということだろう。天文台やNASAなどが見逃していたはずがない。どうしたって隠すことは出来ないものだから、せめて発覚を遅らせようということで緘口令を敷いていた、というところだろう。
そのアマチュア天文家は、いつものように空を観察していると、見慣れないものを目にした。それは、どうも木にしか見えなかった。根の部分を上にして、木が逆さまに宙に浮かんでいるのだった。
彼は急いで仲間の天文家に連絡に連絡を取り、すぐに大騒ぎになった。木は、初めに見た時よりも一層成長しているようで、位置からするとこのまま行けば、関東近郊のどこかに突き刺さるのではないか、と憶測された。
やがてそのニュースは一般市民も知るところとなった。既に木は肉眼でも見えるくらいになっており、この段階でようやく政府が動き、木が突き刺さる可能性の高い地域への避難勧告が出されたのだった。
しかし、それは杞憂に終わった。木はものすごいスピードで成長を続けてはいたものの、地面から5mほどのところまで来た時にピタッとその成長を止めた。
すぐに自衛隊がやってきた。
政府は、この木に関して厳重な警戒態勢を取った。木の周囲に近づかせないようにし、さらにどのような飛行物体もその木の周囲に近づいてはならない、とされた。木の生えたところは、いくつかの空路と重なっていたのだが、各航空会社は空路の変更を余儀なくされることとなった。
メディアの規制も激しかった。テレビも新聞も、ありとありゃうるメディアでこの木は一切取り上げられなかった。政府が一体どんな手を使ったのか分からなかったが、しかしよほど触れられたくないのだな、と事態を見守っていた人は思った。
しかし、やはりインターネットまでは規制することが出来なかったようだ。あるブログに書かれた記事が、瞬間的に大きく話題になった。すぐにプロバイダ経由で削除されたようであるが、しかしそのブログを見た人がさらにいろんなところで書いて広めていったので、実質的にその噂を止めることはもう不可能だった。
それはこんな文章だった。

『政府が隠したいと思っていることを当ててみせよう。これだけ厳重に隠そうとしているのだ。何かとんでもない秘密が隠れていると皆思っているだろうし、実際それは正しい。
結論から言おう。我々が住んでいるのは、惑星の表面ではないのだ。我々は実は、地底に住んでいるのである。
これまでは、様々な巧妙な細工によって、我々が惑星の表面に住んでいるのだ、と思い込ませることに成功していた。しかしそれは、全世界規模の陰謀なのである。実際我々は、地底に住んでいる。
そう考えれば、あの木の存在についても説明がつくだろう。あの根が、我々が考えているような空に浮いていると考えるのは不自然だ。しかしあれが、地底の天上から下に生えているのだ、と考えれば自然だろう。
つまりそういうことだ。我々は騙されているのだ。騙されていたとしても、我々の生活は大して変わらないだろう。しかしやはり、自分達が地底人であるという事実は、なかなか受け入れがたい』



177.「罪と罰」
「世の中物騒になったわねぇ」
ワイドショーを見ながら、母親がそんなことを言っている。昨日起きた、連続放火魔のニュースをやっているのだ。
「通り魔だって続いてるし、酷いもんだわ」
誰に聞かせるというでもなく、独り言のように母親は呟く。
ここのところ世間を騒がせている大きな二つの事件だった。放火魔は、「水曜日の悪魔」とも呼ばれていて、毎週水曜日、都内近郊でかならず放火が起こる。その現場には、必ず同じ特徴がある、と報道されているけれども、その詳細については秘されている。
一方通り魔の方は、「韋駄天」という異名を取っていた。決まった間隔はなく、事件を起こす場所もまちまちだったが、とにかく逃げ足が速いことで有名だった。一回の犯行で死者が5名を割ったことはなく、こちらも世間を震え上がらせているのであった。
今日は日曜日で、僕はもちろん学校は休み、父親も二階で寝ている。いつものような、ダラダラとした休日の昼である。
そんな折、誰かがやってきた。応対に出た母は、しばらくして部屋に戻ってきたかと思うとそのまま二階へと向かった。二人で階段を下りてきて、僕に「ちょっと遅くなるかもしれないけど、夕飯は適当に食べて」と言い残して出かけていってしまった。僕は、あまり気にも留めずに、ゲームでもしようか、と考えていた。
事態が理解できたのは夕方だった。母親から電話があったのだ。
「お父さんが、水曜日の悪魔かもしれないって」
母親の声は驚くほど震えていた。それが、父親の犯行を認めたくないからなのか、あるいはこれから来る悲惨な生活を思ってのことなのかは分からなかったが、まあ平常ではいられないだろうな、と僕は冷静に思った。
それからの日々は、予想通り大変だった。マスコミが大挙してきた。学校で苛められるようになった。近所の人との付き合いがなくなった。母は次第に疲弊していき、ついには倒れてしまった。
僕はと言えば、そんな状況に何か感じることはなかった。めげなかった、というようなことでは全然ない。複雑な気持ちが渦巻いてはいたが、一番近いのは「不満だ」というものだったかもしれない。
(しかし、まさか父親が放火魔だったとはな)
父親を非難したいという気持ちは一切ない。そうではなくて、この騒ぎが父親によって引き起こされたことが不満だったのだ。
(まあまさか父親も母親も、僕が「韋駄天」だとは思いもよらないだろうけどね)
事実、マスコミに振り回されていた時期は、通り魔「韋駄天」は出没しなかったのである。



178.「スリ」
ひったくりをするなら、やっぱり夕方がいい。山岡翔太は、そんなことを思いながら、暗くなり始めた街を自転車で走っている。暗くなりかけであればまだ警戒心もそこまで強くはないし、それでいて微妙な暗闇が姿を隠してくれる。買い物に出ている人も多いだろうし、そうだとすれば財布の中身もそこそこ期待できる。翔太はいつものように獲物を物色しながら自転車を漕いでいた。
あれにするか。
目の前に一人のおばさんが歩いている。後ろ姿からではなんとも判断できないが、40代ぐらいだろう。片手にショルダーバックを持ち、もう片手にスーパーの買い物袋を下げている。ショルダーバックごと奪ってしまえばいいだろう。買い物後ということで財布の中身がどうかわからないが、しかし両手が塞がっているという条件はやっぱり捨てがたい。
何気なく近づいていき、いつものようにサッとショルダーバッグを奪い取った。すぐさま全力疾走で逃げる。このやり方で、今まで捕まったことはない。
川まで出たところで自転車のスピードを緩める。川岸まで下りれる道を探し、適当なところで自転車を停めた。
犯行後は出来る限り川まで来るのが翔太のやり方だった。現金だけを抜き取って、後は全部捨ててしまうのに、川はちょうどいいのだ。
財布から現金を抜き取る。3万円ぐらいはありそうだ。なかなか上出来。これでまあしばらく生活できるってもんだ。
川に財布を投げ捨てようとしたところで、ふと何かが気になった。たぶん、財布の中の免許証が見えたのだろう。山岡、というような字が見えたような気がする。ありふれた名前というわけでもないけど、そこまで多くはない。一応気になって見てみた。
やはり嫌な予感は当たった。免許証に書かれていた名前は山岡翔子。翔太の母親である。顔写真を見ても、間違いなかった。
まさか、あれが母親?
背格好は確かに記憶にある通りだったかもしれない。しかし、母親に最後に会ったのはもう5年以上も前のことだ。はっきりとは顔を思い出せなくなっている。しかし、ここに母親の免許証がある。間違いない。あれが、母親だったのだ。
まるで別人みたいだったな。
翔太はさっきのおばさんのことを思い出している。断片的母親にこんな生き方してるってばれたら哀しむだろうなぁ。
そんな風に、唐突に母親のことを思い出した。何だか急に、恥ずかしくなった。今さら母親に会いに行けるなんて思ってない。それでも、母親の財布を掏ってしまったことをきっかけにして、母親に恥ずかしくない生き方をしよう、と翔太は思った。

それはそれとして、さっき翔太に財布を掏られた女性はこんなことを思っていました。
「ムカツク。人の財布なんか取りやがって。でもまあいいさ。どうせその財布、ついさっき見知らぬ女から掏ったやつだからね」



179.「探している人」
「人を探しているんですが」
ドアを開けると、二人組みの男女が立っていた。外国人のようだった。男の方が英語でそう尋ねてきたのだった。
ここは市街から山を二つ越えたところにある小さな村。田んぼと畑だらけで、のんびりとした時間の漂う、まあド田舎だ。普段外国人の姿を見るような機会もまったくないような場所だったから、ドアを開けた僕はいきなり面食らってしまった。
「どんな人ですか?」
学生時代から英語だけは得意だった。ちょっとした会話ならなんとかこなすことが出来る。まさかこんなところで役に立つなんて思ってもみなかったけど。
「8年前に別れたきり会っていない妹を探しています。彼女は、ほとんど家出のように飛び出して言ってしまいました。親しい友人に、日本に行くと話していたそうです」
喋っているのは男の方だけだった。一緒にいる女性は無言で立ち尽くしている。彼女も兄弟の一人だろうか。
「この辺に来たというような情報でもあったんですか?」
「いえ。ただ彼女はこういう長閑なところが好きだとずっと言っていました。都会に住んでいるとは考えられません。手掛かりはほとんどないのですが、こういう場所なら外国人は目立つだろうと思って、しらみつぶしに回っているんです」
それはなんと気の遠くなるような話だろうか、と思った。そんな手掛かりのない状況で日本まで来てしまうなんて、普通出来ないだろう。
「残念ながらこの村で外国人の方を見かけたことはないですね」
「そうですか」
あまりにも落胆したその表情を見ていると、なんとかしてやりたい、と思うようになった。
「もしかしたらこれから見かける機会があるかもしれません。もしあれば、その方の写真でも見せてもらえませんか?」
そう言うと彼は、そういえばそうだったというような表情をしながらバッグを漁り始めた。
「これが妹です」
その写真を見て、僕は困惑するしかなかった。どういうことだろう。この男は、ちょっとおかしくなってしまっているのだろうか。
その写真に写った女性を、僕は見たことがあった。というか、今も目の前にいる。男の隣にいる女性こそ、その写真に映っている女性なのだ。それとも、双子だったりとかするのだろうか。
その時、初めて女性が口を開いた。
「彼には私のことが見えないみたいなんです」
いつも同じ説明をしているのだろう。困惑している顔をしながら、淀みなく言葉が出てくる。
「彼が探しているのは私です。突然私のことが見えなくなってしまったみたいで、それからずっと探しているんです。不安なのでこうしてついて行くんですけど、この旅はいつ終わるんでしょうね」
僕が何も言えないでいると、男の方が口を開いた。
「お時間を取らせて申し訳ありません。ありがとうございました」
そう言うと、二人は去っていった。
二人の旅は、一体いつ終わるのだろうか。



180.「UMA」
僕はある特殊な能力を持っていて、それでちょっと悪戯をしてやろうと思った。ホント、初めはただそれだけのつもりだったんだけど、今では何だかドツボに嵌まってしまったような気がする。
僕の能力っていうのは、何にでも変身出来るってことだ。世の中に存在する生物・無生物を問わず、また実在しない架空の存在にだって、それを明確に思い描きさえすれば擬態出来ちゃうんだ。
だから僕は、『ネッシー騒動』を起こしてやることにしたんだ。
まず学校の友達に、山底湖で怪獣を見たよ、と言いふらす。山底湖というのは、近くにある比較的大きな湖だが、今までそんな未確認生物がいたなんて話は聞いたことがないような場所である。
友達はもちろん信じないだろうけど、タイミングを合わせて僕が変身し、怪獣の姿を見せる。そうすれば、一時のネッシー騒動のような大事になるだろう。
僕の読みは、初めの内は当たっていた。友達はびっくりして大人を呼んで来たし、その大人はマスコミの人間を呼んで来た。マスコミの人間にももちろん姿を見せてあげたし、ばっちり映像にも撮られたから、僕は『テッシー』として有名になっていったのだった。
しかし、段々僕の予想外の出来事が起きるようになる。
発端は、学校であるクラスメイトが話したことである。彼は、山底湖で、テッシーとは別の変な生き物を見た、と言った。僕は山底湖をテッシーになって泳いでいるんだから知ってるけど、あの湖には未確認生物なんてまったくいない。そのクラスメイトは、テッシーで話題になっている今なら、別の未確認生物の話をでっちあげればまた話題になるんじゃないか、と思ったのかもしれない。
しかし、そうはいかなかった。そのクラスメイトは嘘つき呼ばわりされ、いじめにまで発展しそうになってしまったのだ。
仕方がないから、僕はそのクラスメイトが言っていた通りの生物に変身してまた姿を現すことにした。これでそのクラスメイトが言っていたことは嘘じゃないということになり、一件落着…のはずだった。
しかし、そのクラスメイトはそれから、様々な未確認生物を見たとことある毎に言いふらすようになったのだ。未確認生物の発見者があまりにももてはやされるので調子に乗ったのだろう。この前も、自分が言った通りの生物が出てきたんだから、また言ったら出てくるだろう、なんて安易に考えているに違いない。
結局僕は、そのクラスメイトが言うままに未確認生物への変身を続けていった。そうなるともう大変で、日本のちっぽけな町に尋常じゃない数の未確認生物がいると知れ渡って、マニアの人々が大挙してくるし、そうなると他にも未確認生物を見たという人が続々出てくる始末で、僕はもうてんてこまいだった。
今でも僕は、何とか時間をやりくりして無茶苦茶多種類の未確認生物に変身して姿を見せている。でもなぁ、ホントはこんなつもりじゃなかったんだけど…。



181.「1+1」
「先生、大変な発見をしてしまったかもしれません」
「どうした」
「間違っているかもしれないんですが…。1+1が2ではない空間を発見してしまいました」
「…もしそれを君以外の人間が言ったとしたなら一笑に付すんだがな」
「ええ、僕も初め見つけた時はとてもじゃないけど信じられませんでした。でも、何度考えても同じ結果になってしまうんです」
「どんな空間なんだ」
「基本的にはヒルベルト空間です。そこで、無限次元の複素数行列を定義しました。その複素数行列と楕円曲線との関係性を考えていたんですが、無限降下法によってとある命題を背理法によって証明しようとすると、どうしてもある一点で躓いてしまうんです。初めの内はどこで躓いてしまうのかさっぱりわからなかったんですが、その内わかりました。この空間―まだ名前はつけていないですが―では、1+1という演算が定義されないんです。1という数字も2という数字もきちんと定義できるし、+という演算子もちゃんと定義できます。しかも、1+1以外のすべての加算は通常通り成立するんです。ただ、1+1だけがどうしても定義できないんです」
「細かい検証は後回しにすることにしよう。しかし、大体の概略は分かった。確かに、君の言う通りになる可能性は否定できないな…。しかし驚いたな。ヒルベルト・プログラムの際、1+1=2の証明は厳密に成されていたと思っていたが…」
「恐らく、非ユークリッド空間に関する論証に穴があったのではないでしょうか。正確なところは分かりませんが…」
「あるいはゲーデルの不完全性定理の別バージョンとも言えるかもしれないな」
「僕はこんなことを考えているんです」
「何だ」
「1+1以外のすべての加算は正確に定義できるわけですから、通常の数学的空間と比べて、1+1に関して対称性が破れていると言えますよね」
「まあ、そうだな」
「もしかしたら、この対称性の破れが、宇宙の創造に何らかの関わりがあるんじゃないか、ってそんな風に思うんです」
「なるほど…。確かにこの空間をビッグバンの時点に適応することは可能かもしれないな。この空間なら、特異点を排除することが出来るかもしれない。なるほど、特異点を排除するために1+1の演算が定義できないことが必要だったということなんだろうか。これはすごい発見だぞ!」
「えぇ。これからさらに調べてみます。もしかしたら、他の演算が定義されない空間も見つけることが出来るかもしれません。でも先生、ホント数学って奥が深いですね」



182.「いじめられっ子の告白」
なぁ、ちょっとだけ俺の話聞いてくれるか。おっ、俺が口を利いたのが意外だって顔してるなぁ。まあ無理もないよね。いじめられっ子いじめっ子にこんな風に話すなんてね。ムカついてる?まあそうだよね。でもさ、ちょっとだけ我慢して欲しいんだ。もし制裁を加えたいんだったらさ、後からいくらでも受けるからさ。ちょっとだけ、ね。
トオル君はいじめられたことってあるかな?ない?ないよね、そりゃあ。勉強もスポーツも出来てかっこいい。女子からもモテる。羨ましいよ、ホント。まあそんなに恵まれた人間なのになんでいじめなんかしてるのかよくわかんないんだけどね。
うん、でね、やっぱりいじめられる人間の気持ちってわかんないだろうなって思うのよ。そうでしょ?じゃあ僕がどんな風に思ってるのか教えてあげるよ。
最初はねぇ、びっくりしてね。何で僕がいじめられるんだろう、って。でもそれからはね、ちょっと楽しくなっていったかな。別にマゾとかそういうことじゃないんだよ。いじめられればいじめられるほど、よりデカイ復讐が出来るな、ってね。
トオル君はタイムトラベルって信じてる?そうそう、未来とか過去に行くやつ。信じてないんだ。まあそうだよね。普通出来るわけないしね。でもあれって、この時代の物理学の知識でも、一応可能だっていうことにはなってるんだよ。まあ未来にしかいけないんだけどね。
何の話かわかんないって?まあそうだろうね。簡単に言っちゃうとね、僕は時間を移動することが出来るんだ。過去にも未来にもね。その顔は信じてないな。まあいいんだ、別に信じてもらおうなんて思ってないんだよ。
でも、一つ聞いていいかな。マツオ君って覚えてる?
覚えてないよね。たぶんこのクラスの誰に聞いても覚えてないと思う。担任だって覚えてないだろうね。マツオ君の親に聞いたって、きっと覚えてないはずなんだ。マツオ君のことを覚えてるのは僕だけ。何故って、僕が彼のことを消しちゃったからなんだ。
ほら、あそこ。教室の真ん中辺りの席。あそこって、何故か誰も座ってないだろ。誰もそれを変だなんて思ってないみたいだけど、普通に考えたらおかしいよね。空席はもっと端っこの一番後ろとかにすればいいんだもんね。
そうそう、あそこがさ、マツオ君のいた席なんだよね。2ヶ月前まではこのクラスにちゃんといたんだよ。でももういなくなっちゃった。マツオ君も、僕のことをいじめててくれたんだ。そのお礼ってとこだよね。
どうやって消したのかって?そんなの簡単じゃないか。過去にちょっと行って、ちっちゃい頃のマツオ君をさらっと殺してあげるだけだよ。この時代で殺しちゃうとさ大騒ぎになっちゃうけど、過去に戻って殺しちゃえばさ、今この時代で姿がなくなっても誰も気づかないからね。
俺のことも消すのかって?いやいや、あれ、今僕そんな話してたっけ?僕はただ、自分がタイムトラベルが出来るってことと、昔マツオ君ってクラスメイトがいたって話をしたかっただけなんだよ。これで僕の話はお終い。
あぁ、そうか。いじめられっ子が生意気にこんな話を始めたんだから制裁を受けないとね。えっ、いいの?トオル君、何だか変わったね。そっちの方が僕好きだな。んじゃ僕帰るね。トオル君は、マツオ君みたいに消えちゃったりしないよね。



183.「お祖母ちゃんの日記帳」
長いこと掃除をしていなかった物置を片付けていると、奥の方からノートが出てきた。大分古いノートで、表紙には子供の字で「にっきちょう」と書かれている。
名前を見て、なるほどお祖母ちゃんのか、と思った。
お祖母ちゃんは2年前、癌で亡くなった。最後まで決して病院に行こうとしなかった。一旦行けば戻ってこれないことが分かっていたのだろう。それに、私たちだってそう簡単に見舞いに行ったり出来ないのだ。ならば、住み慣れた家で親しい人と最後を過ごしたい、とそう願ったのだ。
悪くない人生だったはずだ。
ここに越して来たのはお祖母ちゃんたちだったそうだ。当時、周囲から猛反対を受けたという。それはそうだ。今でこそ、それなりに認知されているとは言え、こんなところに住もうと思う人などいないよ。私にはその言葉はよく理解できなかったけど、お祖母ちゃんはよくそう言っていた。
私はここが好きだった。ここ以外の生活を知らないだけだからかもしれない。それでも、私はここでの生活を気に入っているし、ここから出て行こうと思うこともない。
お祖母ちゃんは、昔の話をあまりしてくれなかった。今から思えば、知らなくていいことは知る必要はない、と思っていたのかもしれない。私はお祖母ちゃんに、ここから出て行くつもりはない、とずっと言っていた。ならば、ここ以外の生活を教えることもないだろう、とそんな風に思っていたのかもしれない。
だからこの日記を読めば、ここ以外の生活について少しは分かるかもしれない。そんな風に期待したのだ。

4がつ5にち
きょうは、でんしゃでとなりの町までいきました。でんしゃははやくて、でもぜんぜん怖くなかったです。となりの町ではお洋服を買いました。いろんなお洋服があって楽しかったです。

でんしゃってなんだろう。そういえばこの前見た映画に出てきたかも。運転手がいて、降りる時にブザーを押すあれ。たぶんそうだ。

4がつ6にち
きょうは、あやなちゃんといっしょに川にいきました。川でカメを見つけてびっくりしました。川についていったらどこまで行けるのかやってみたけど、あんまりにもどこまでもつづいてるので、こうりょく橋のてまえであきらめました。

川かぁ。何だろうな。どこまでも続いてるのか。それなら確かに、ついていってみたくなるだろうな。すっごい長い蛇とかかな?

お祖母ちゃんの日記を読んでも、私にはイマイチよくわからない言葉ばっかりで、よくわかりませんでした。こうして私達は、地上での生活をどんどん忘れてしまうのでしょうね。
空に浮かぶ島に住む、私達のような少数民族は。



184.「模倣犯」
「『くりぬき王子』がまた帰ってきました。今度は大宮にある餃子工場です。製造中の餃子の内65%に当たる80万個から中身だけがくりぬかれた模様です。既にその内55万個以上が出荷されているとのことで、製造元は特定の製造日の商品をすべて回収することを発表しました」
ワイドショーをぼんやりと見ているとそんなニュースが飛び込んで来た。何だか体調が優れなくて、会社を休んで横になっていたのだ。どうも身体が軽くなったような気がするのだが、しかし気分は重い。こんな体調は初めてだ。どうしたというのだろう。
「『くりぬき王子』は、一年ほど前までは頻繁に現れていました。関東近郊で窃盗を働いていたわけですが、その手段が奇妙奇天烈でした。なんと、どんなものでも中身だけくりぬいて盗んでしまうのです。これまでにも、コンビニの食品や六本木ヒルズのビルのコンクリート、はたまたとある富豪が所有していた金塊などが、中身だけくりぬかれた状態で発見されました。食料品はすぐに発覚しますが、森ビルの場合、建物の一部が倒壊して発覚、金塊についてもいつ盗られたのか定かではない、というような状況です。その『くりぬき王子』ですが、ここ一年ほどは新たな被害も報告されていませんでした。
今回は、かつてない程大規模なものです。一つの工場丸々ターゲットにするというのはこれまでのやり方とは多少違う気もします。『くりぬき王子』に、何か変化があったのでしょうか」
模倣犯だな、と僕は思った。マスコミが勝手につけた名前ではあるけれども、『くりぬき王子』というのは僕のことなのだ。しかし最近は『くりぬき王子』としての活動はしていない。もちろんその餃子工場の事件も僕の仕業ではない。自分以外にも同じ能力を持っている人間がいるのか、と親近感を持つものの、結局そいつがやらかしたことはすべて『くりぬき王子』の仕業にされてしまうわけだから始末に悪い。まあ僕が『くりぬき王子』であることが発覚するとは思えないから問題はないのだけど。あるいは、『くりぬき王子』の犯行も自分の仕業だと主張したいやつでもいるのだろうか。まあそれならありがたいことではあるけれども。
しかしこの体調の悪さは尋常ではない。身体に力が入らないのだ。それでいて身体は軽いときている。こんな矛盾する感覚も珍しい。今日一日寝れいればいいかと思ったが、やはり不安なので病院に行ってみることにした。
病院では、一通りの問診と簡単な診察を経て、一応レントゲンを撮ってみるということになった。医者が何を想定しているか分からないが、さっさと原因を突き止めて欲しいものだと思う。
しかし、撮影されたレントゲン写真を見て、医者は絶句した。真っ白なライトに照らされて浮かび上がるレントゲン写真を僕も見る。僕には医学の知識はさっぱりない。しかしそんな僕でさえ、この結果には充分驚くことが出来る。
「えーと、内臓がすべてないように見えますね、これは、はい」
医者はそんな風になんとも煮え切らない言い方をした。そうなのだ。僕だってレントゲン写真を見れば理解出来る。内臓はおろか、肋骨何かの骨さえ何一つ映っていないのだ。なるほど、身体が軽いわけである。
「もう一度レントゲンを撮り直しましょうか。機械のミスかもしれませんし。あるいはMRIを撮るという手もありますが」
「いえ、結構です。充分理解しました」
そういうと僕は勝手に診察室を出た。
状況は分かりすぎるほどに分かっている。誰だか知らないが、『くりぬき王子』の模倣犯が僕の内臓を奪っていったのだ。たまたま僕をという可能性はないではないが、しかし僕が『くりぬき王子』であることを知っての狼藉だと考える方が妥当だろう。なんともめんどくさいことをしてくれたものだ。
とりあえず生きている。内臓がなくなっても生きていける仕組みはよくわからないが、このまま放っておいても死ぬことはないような気がする。問題は、さっさと模倣犯を見つけ出さなくてはいけない、ということだ。さてどうしたものだろうか。



185.「最後の人類」
私は、ついに一人になってしまった。
正確な日付は分からないけど、ついこの間父が死んだ。凍てつく氷の上に、氷の塊りを積み重ねて作った住居の中で、父はその寿命を全うしたのだ。
「これでお前が、人類最後の一人だ」
死の間際、父は念押しするかのようにそう言い遺した。私達は、ずっと二人だけで住んでいた。私達はずっと、人類最後の二人だった。二人だけで、この世界の果てのような閉ざされた島に住み、アザラシを食べ、オーロラを見、長いこと語らいながら、もう絶滅することを宿命付けられた最後の人類としての時を過ごしてきたのだった。
しかし、それもついこの間までの話。父を亡くした今となっては、もう私は一人ぼっちになってしまったのである。生きていくノウハウは、父から教わったのでまるで問題はない。一人で生きていくことだって、これまで何度も父に言い聞かされて育ったから、覚悟は出来ているつもりだ。
しかしやはり、人類最後の一人であるということが、じんわりと重圧になってのしかかってくるのを感じる。別に努力してどうにかなることではない。子孫を残すことが出来るわけでも、意味のある記録を残すことが出来るわけでもない。その、最後だというのに何も出来ない自分に対して、苛立ちを隠すことが出来ない。
それでも、最後の人類として気丈に生きていこう。誰に見られているわけでもないけれども、最後の人類として恥ずかしくない生き方をしよう。陽が沈んでいく、見慣れてはいるが幻想的な光景を目にしながら、私はそう決意した。

その頃、別の場所では。

夕食の準備をしていると、郵便受けに何かが届いた音がした。何となく予感がして、料理の手を休めて取りに行く。
「そうか、もうあれから七年か」
届いたのは死亡通知書だった。七年前に旦那が失踪した。法律により、失踪から七年が経過すると死亡したと見なされるのだ。それを通知するものだった。
「結局戻って来なかったわね」
料理を再会しながら、あの頃のことを思い出す。
付き合っていた頃は、ごく普通の人だと思っていた。優しくて変わったことをよく言う人だった。工学系の大学にいたから、機械だのロボットだのっていう話が多かったけど、そういう話も面白かった。
自動車メーカーに就職が決まったのを機に、私達は結婚した。
結婚してからもしばらくは普通だったのだけど、しばらくすると困ったことが起きた。
彼は会社の中でロボットの研究をしていた。その会社は、世界的に有名なロボットを製作している会社でもあったのだ。彼はロボット作りが性に合っていたようで、次第に自宅で自らの設計によるロボットを研究するようになってしまったのだった。彼がそうなる少し前に妊娠が発覚した。彼がロボットにのめり込んでからだったら子どもは出来なかったかもしれないから、それだけが幸いといえた。
しばらくして私は娘を産み、そして彼はとあるロボットを完成させたようだ。
それから彼は失踪した。そのロボット共に。
最後に彼が言っていた言葉は印象的だった。
「僕は最後の人類になりたいんだ」
その夢は、叶いましたか?



186.「殺意」
まただ。どっちの方向なのか意識を集中させる。場所の特定にはもう慣れた。自分の能力に気づいた当初は、これが一番苦手だった。
遠前公園の近くだと分かる。護身用と称して常にバッグに入れているナイフを確認して、僕はすぐさま現場へと向かう。
僕がこんなことをやり始めたのは2年ほど前からだ。正直、もううんざりしている。やりたくてやっているわけではない。しかし、僕にしか出来ない、そう思うと止めるわけにはいかないと思うのだ。
僕には、ある特殊な能力がある。それに気づいたのが3年ほど前のことだった。僕は、人の『殺気』を感知することが出来るのだ。誰かが誰かを殺そうとしている、あるいは肉体的にかなり損傷を負わせようとしている。そういう気配のようなものを察知できるのである。
初めは、その感覚が何なのか全然理解できなかった。でもその内、新聞記事と自分の感覚とのシンクロに気づくようになり、その感覚がやってくるとその方向へ向かうということをやっていたら、理解出来るようになったのだ。
現場に向かいながら僕は考えている。殺す以外の道はないのだろうか、と。殺意を抑える、あるいは減らすという方向にシフトすることは出来ないのか、と。しかし、無理だろう。殺意とはそういうものだ。結局殺意なんてものは、誰かが死ぬまでなくなることはないのだ。
現場につくと、一人の男に目が行った。なるほど、この男が加害者か。とりあえず跡をつけて被害者が誰なのか把握することにしよう。
道の先に、電柱の近くに停めた自転車の傍で何かしている青年がいる。鍵を取り出そうとしえているのか、あるいは盗もうとしているのかわからないが、とにかくピンと来た。被害者はアイツだ。
僕はその青年の元に先回りし、そしてその青年を殺してしまった。
一足遅れてやってきた加害者になれなかった男は、僕の姿を驚いたように見つめていた。
「こいつが誰なのか、僕は知らない」
僕は彼にそう口を切った。
「ただ、お前が殺す必要はない。もうこいつは死んでいる。それでいいだろう」
そう言って僕は立ち去った。相変わらず人を殺しすぎだ。しかし、彼を犯罪者にすることは防げた。それでいいと僕は思う。



187.「方玄様」
仕事を終え、コンビニでカップラーメンを一つ買って家路につく。今日も疲れた。いい加減な上司の下で働くことの不毛さを改めて思い知らされる日々だった。何度辞めてやると思ったか知れない。もちろん、自分にそんな勇気がないこともちゃんと知っている。
ここを曲がれば自宅はすぐそこ、という曲がり角まで来た時、何だかざわめいている雰囲気があった。どうも自宅付近でのことのようだ。火事でもあったかと思ったが、そういう雰囲気でもない。大勢の人が小声で喋っているだけと言った雰囲気である。
怪訝に思いながら角を曲がって驚いた。なんと僕の自宅の前に、100人を超えるだろう人々が集まっていたのである。なんだこれは。家で何かあったというのだろうか。
彼らも僕の存在に気づいたようだ。すると彼らは突然、
「ホーゲン様」
と声を上げ始めた。ホーゲン?もちろん僕はそんな名前じゃない。何なんだ、こいつらは。
すぐそこに自宅があるというのに、そこまでの道のりがとんでもなく遠く感じられた。

「昨日、弥勒様よりお告げがありました」
講堂と呼んだ方がいいくらい広い空間の中に、一様な服装をした人々が大勢座っている。違うのは服の色ぐらいなものだ。彼らは、壇上で喋っている人物に視線を集中させている。
「近い内に、方玄様が下生なさるでしょう」
するとそこかしこで、「方玄様が」「ついに来てくださるのね」「どれだけ待ちにまったことか」という囁き声が聞こえてくる。
「初めての方もいらっしゃるでしょうから、方玄様について説明しておきましょうか。弥勒様が天界で修行されていたことがご存知ですよね?そのお師匠様に当たるのが方玄様です。法滅の世を救うべく、弥勒様の努力もあって、こちちらに来ていただけることになったのです」
会場から、割れんばかりの拍手が起こる。それが静まるのを待って、壇上の人物は話を続ける。
「方玄様は、ある人物の姿を借りて下生なされます。その人物は現在サラリーマンをしていますが、5日後の夜からは方玄様となるでしょう」

「おい、お前ら、どけ」
僕は、理由もよくわからないまま大勢の人間にまとわりつかれている。どうすればいいんだ、これ。みんな、「ホーゲン様」としか言わないし。気持ち悪い。そもそもここにいる連中は目が死んでないか?何かクスリでもやってるのか、あるいは変な宗教にでも嵌まってるのか。どっちにしてもヤバイぞ。ここは一旦逃げた方がいいかもしれない。ただ、自宅がすぐそこにあるのに逃げるなんてバカらしい。警察でも呼ぶか?
あー、しかしイライラする。何で俺がこんな目に遭わなきゃならんのだ。ムカツク。
「いい加減にしろ!」
そう言うと、一瞬静まり返った。おっ、これならいけるかもしれない、と思った矢先のことだった。
「お告げの通りだ!やっぱり方玄様だ」
そう言うと、先ほどより一層僕に近づこうとしてくるのだった。ホント、何なんだ、こいつらは。

「方玄様はあなた方に試練をお与えになります。その様子は、まるでその方が方玄様とは思えないような印象を与えるかもしれません」
人々はその言葉に不安になったようである。
「しかし安心してください。弥勒様は予言されています。方玄様は必ず、『いい加減にしろ』とおっしゃると。であれば、方玄様に間違いないわけです。皆さん、臆することなく、方玄様の教えを請うようにしましょう」



188.「絶対捕まらない犯罪?」
2008年9月6日 全国紙夕刊
『正午ごろ、葛飾区の高橋徹さん宅から、毛皮のコートなど800万円相当が盗み出されました。盗まれたものはすべて毛皮製品のみで、中にはワシントン条約締結前に取引された希少動物の毛皮も盗まれたとのことです。
警察では盗みの手口から、『怪盗毛皮団』の仕業ではないか、としています。『怪盗毛皮団』は半年ほど前から犯行を繰り返しているとされる集団で、盗むものは毛皮あるいは毛皮製品のみという徹底ぶりです。これまでの被害総額は2億円を超えるとみられ、警察では全力を挙げて捜査をしていくとのことです。』

2009年1月30日 地方紙朝刊
『埼玉県さいたま市のある住居に、獣などを数十匹飼っていてうるさいと市に苦情が殺到している模様です。近所の人の話によりますと、住民が飼っているのは、猫や犬などの普通のペットではなく、狐やワニや狸といった、ペットにしては一風変わった動物たちなのだそうです。騒音などの苦情の他に、何故そんな動物を飼っているのかという不安も相次いで寄せられているとのことです。市としては、何度か勧告する予定のようですが、取り締まる法律が明確にないために、頭の痛い話になりそうです。』

2008年3月5日 全国紙夕刊
『『怪盗毛皮団』名乗り出る!?
埼玉県さいたま市に住む男女がこの程、自分達が『怪盗毛皮団』であると本紙に名乗り出てきました。本紙から警察に通報したのですが、彼らは未だ逮捕されることもなく、自宅待機という形になっている模様です。
その最大の原因が、彼らが主張しているその内容です。彼らは、自宅に数十匹の動物を飼っているのですが、警察が盗んだ毛皮製品はどうしたのだと問い掛けると、その動物達を指し示したというのです。彼ら曰く、彼らには特殊な能力があり、毛皮製品を元の生き物に戻すことが出来る、ということでした。彼らは、毛皮にされてしまった動物たちがあまりにも可哀相で、この犯行を思い立った、と主張しています。
捜査員がざっと確認したところによれば、『怪盗毛皮団』に盗まれたとされる毛皮製品と、彼らが飼っている動物の種類が、数も含めてすべえ一致する、ということです。しかし、毛皮製品を動物に戻したなどという主張を受け入れるわけにもいかず、どうしていいか分からない状況のようです。
またこの件に関して、動物愛護団体が次のような声明を発表しています…。』

『怪盗毛皮団』の二人の会話
「絶対捕まらない犯罪をやってやろうぜ」
「どうするの?」
「まず毛皮製品を盗みまくるんだ。まあこれは、ただの窃盗ってやつだな。俺らの得意分野ってわけだ」
「オッケー。それで?」
「その毛皮を売りさばいて、今度はその毛皮製品の元だった動物を買うんだよ。んで、それをしばらく飼う」
「よくわかんないけど、それで?」
「後は簡単だ。俺らが『怪盗毛皮団』ですって名乗り出ればいい?」
「何でそれで捕まらないわけさ?」
「いいか。最も重要なのは、こう主張することなんだ。俺らは、毛皮を元の動物に戻す特殊な能力を持っている。盗んだ毛皮は、今ここにいる動物に変えてしまったんだよ、ってな」
「なるほど!それは面白いかもね!私乗った!」



189.「吸血鬼」
一週間で五件。まさに異常だ。
また、あの死体が見つかった。
今から一週間前神保町で見つかったのを皮切りに、池袋、品川、目黒、御茶ノ水というように都内のあちこちで同じような死体が見つかっている。異常な連続殺人。このハイペースでこれだけの猟奇殺人を繰り返す犯行はそうはない。マスコミにも大きく騒がれている。何とか早期の解決を目指さなくてはいけない。
全身の血が抜かれているのである。
マスコミでは、吸血鬼やチュパカブラの仕業ではないか、なんて煽っているところもあるようだけど、そんなわけがない。どの死体にも、きちんと注射針の痕が残っている。もちろん、人間の仕業だ。
当初捜査は楽観視された。現場に遺留品がやたら残っていたのである。これは犯人を捕まえるのにそう時間は掛からないだろう。そう誰もが思ったに違いない。
その認識は、今でも変わらない。恐らく我々は、少しずつ犯人に近づいているはずだ。もうそろそろ網に引っかかってもおかしくはないだろうと思う。
しかし犯人は、我々の予想を遥かに超えるスピードで犯行を繰り返した。まさか誰も、この異常な犯行が一週間で五件も続くとは思っていなかった。すぐに捕まえられるだろうという認識は、すぐに捕まえなくてはいけないという認識に改まった。
しかし、その動機については未だに見当もつかない。被害者の血液型がすべてO型で共通しているので、恐らくO型の血が必要だったのだろう。輸血に?それとも、何らかの儀式に?まあこれは、犯人を捕まえてから問いただせばいいだろう。

「で、何であんなことをしたんだ?」
マスコミに『吸血鬼殺人事件』と名づけられた事件の犯人がようやく捕まった。結局、3週間で14人もの人を殺した。過去類を見ない、大量殺人だった。
「O型になりたかったんです」
男は、そう弱々しく言った。
「O型の血を飲めば、O型に変われるんじゃないかって思って」
「…なんてバカなことをしてくれたんだ…」
刑事のその呟きは当然だった。
「君は自分の血液型をB型だと思っているかもしれないが、本当はO型なんだよ」
男がしていたことは、すべて無駄だった。それに気づいた男は、ようやく自分が何をしたのか自覚したかのように、大声で泣き始めた。



190.「メグネック」
「羨ましいよねホント」
「え、何が?」
「だって昔は、少子化だったわけでしょ?」
「まあそうだけどね」
「何人子供を産んでもよかったわけだ」
「まあ別にそう言われていたわけではないだろうけど、実質的にはそうだろうね」
「それに引き換えだよ」
「今は不自由だって?」
「だってそうじゃない?子供は一人しか産めないんだよ」
「私は、まあ一人でいいかなって思うけど」
「嫌だよぉ。出来ればたくさん子供産んでさ、わいわいがやがややりたいじゃん。ったくもぉ、何さ、一人っ子政策って」
「ちょっと声デカイ。先生に見つかっちゃうよ」
「分かってるって。でもさ、理不尽だわよね。何でそんなこと国に決められにゃならんのだろうね」
「まあしょうがないんじゃない。ほら、昔は中国だってそういうのあったって言うし」
「そういう問題じゃないよねぇ。中国がなんだってのさ。問題は、日本、ジャパン、あたし達なわけよ」
「まあでもそうがないって。嫌ならアメリカとかにでも行ったらいいよ」
「おお、何と冷たい。フレンドとは思えない言い方だなぁ」
「まったく、大げさなんだから」
「でもさ、メグネックって知ってる?」
「メグネック?何それ?」
「ホントに知らないの?あんた、女なんだからそれぐらい知ってなさいよ」
「知らないものはしょうがないじゃん」
「今、子供を産んだ女性の間で流行ってるのよ。知らないかなぁ。ほら、首にさ、目薬の容器みたいなの下げてる人見ない?」
「あぁ、いるかも。あれがそうなんだ。何あれ、ダサ、って思ってたけど」
「あれね、実は受精卵が入ってるって噂だよ」
「は?受精卵?何の?」
「人間のに決まってるでしょうに。っていうか、それをつけてる女性の受精卵だよ。出産の終わった女性には、排卵が止まる薬が渡されるっていうでしょ?でね、その薬を飲まなきゃいけなくなるまえに卵子を一個保存しとくの。で、旦那の精子と掛け合わせて、受精卵にするんだって。それを常温で保存する技術がちょっと前に開発されたとかで、みんなそれを目薬のケースに入れてるってわけ。それがメグネック」
「ふーん。ちょっと異常な感じするね。何でそんなことするわけ?」
「そりゃあ、一人っ子政策が解除されたらすぐ子供が欲しいから、とかじゃないかな。あとは、何となくお守りみたいなね」
「そもそもさ、何で目薬の容器に入ってるわけ?」
「それについてはさ、いろんな説があるらしんだけど、正確なところは誰も知らないらしいんだよね…」



191.「誘拐」
「お宅の娘を預かった。1億円を用意しろ」
その電話が掛かって来たのは、優子が誘拐されてから2時間後のことだった。
デパート内でのことだった。優子を連れておもちゃ売り場にいたが、ほんの数秒目を離した隙に、優子の姿は消えていた。それから自宅に戻り、ずっと連絡を待っていた。警察には連絡しなかった。連絡するはずがなかった。
(すべては順調に進んでいる。何も問題はない)
1億円用意する気はまったくなかった。そもそもそんな金があるはずもない。犯人からの連絡にはきちんと用意すると伝えたが、それは単なる時間稼ぎにすぎない。
(大丈夫だ。必要な手手はずはすべて整えた)
俺には自信があった。立てていた計画は、すべて順調に進んでいる。一番問題なのは、どれだけ時間稼ぎが出来るだろうか、という点だ。しかし、何とかなるだろう。1億円用意するのに時間が掛かることぐらい、犯人にだってわかるはずだ。
(さてそろそろこちらも動き出すか)
俺は公衆電話へと向かった。電話を掛けるべき相手は、俺からの連絡を今か今かと待ちわびていることだろう。その不安を煽ることも、計画の一部だった。
公衆電話で、相手の番号を押す。
「お宅の娘を預かった。1億円を用意しろ」
「優子は、優子は無事なの?」
母親らしき人物が金切り声を上げているが、無視して電話を切った。受け渡し方法などは、また連絡をすればいい。
俺の娘、レミが誘拐されるかもしれない、という情報を掴んだのは1週間前だった。それはまさに偶然だった。付き合いのあるバーのマスターが、店内でこんな話をしていた、と教えてくれたのだ。人目のあるところで誘拐の話などしているバカな誘拐犯で助かった。
それから俺は考えた。レミを完全に守りきることは不可能だ。だったら、別の娘をレミだと思わせて、誘拐させればいいのではないだろうか?
誘拐犯の動きを追うのは生半可なことではなかったが、どうにか決行日を知ることが出来た。それと同じ日に、レミに似た少女を自分で誘拐することに決めた。それが優子だ。デパートで優子を誘拐してすぐ、優子はまた別の誘拐犯に誘拐されることになった。
本来なら、優子の両親に身代金を要求する必要はない。しかし、行きがけの駄賃だ。しかも、優子がもし殺されるようなことがあっても、俺とは関係ない。計画は完璧だ。もし困ったら、身代金は諦めればいい。
俺は何よりも、レミを守れたことが何よりも誇らしかった。



192.「映画化」
担当している作家の作品に映画化の打診があり、今日はその打ち合わせだ。僕の隣には、「飛鶴」の作者である蓬田蓬莱。そして僕の前には、西宝の西条西太が座っている。
「はじめまして」
「どうもはじめまして。いや、こういうのは初めてでしてね。もう10年近く書いてますけどね、まさか自分の作品に映画化の話が来るとはね」
「先生の作品は、実はほとんど読んだことがなかったんです。お恥ずかしい限りですよ。しかしですねこの間、友人の一人が面白いって薦めてきましてね。そいつの趣味は僕と合うんですよ。それで初めて手に取ってみた次第でして。そしたらこれが面白いのなんのって。空き時間に公園で読み始めたんですけどね、文字が読みづらくなったなって思ったら、すっかり夕方でしたよ。慌てて仕事に戻りましたけどね」
「嬉しい限りですなぁ。最新作はまだ出たばっかりなのでね、読者からの反応というのがまだイマイチよくわからなかったりするわけなんです。だから、映画化がどうとかって話を抜きにしてもね、こうして一読者の感想を直に聞けたっていうだけでもう素晴らしいですよね」
「映像にするには完璧な作品だと思うんですよ。もう既に脚本家の目星もつけてましてね。ほら、『夏のベイブにおさらばヨ』ってドラマ知りません?あれの脚本を書いた松並松一なんですけどね」
「知ってますよ!ダブマツさんが書いてくれるんですか?それはすごい!」
「もう打診はしてましてね。映画化の話はまだ本決まりじゃないって伝えてはいるんですけどね、小説を読んだらこりゃあすげぇって言ってましたよ。ストーリーは多少いじくるかもしれないけど、こりゃあいい映画になるぞなんて言ってましてね」
「それは楽しみですね。ストーリーは、いくらでも変えてもらって結構ですよ。小説は小説、映画は映画ですからね」
「やっぱり主人公のキャラクターが柱になりますからね。どこにでもいそうな平凡な主婦でありながら、実はマフィアのボスっていうところをいかに活かすかっていうところですね」
「ほほぉ、なるほど。そういう風に持っていきますか。主人公は実はマフィアのボスだったという設定にするわけなんですね」
「いやいや、元々そういう設定じゃないですか。そこに、未来からタイムスリップしてきた、将来の自分の夫だという男がやってくる。彼が告げた衝撃の事実に、マフィアのボスは揺らいでいく…」
「なるほどなるほど、大胆ですな。タイムスリップまで組み込みますか。自分の原作からどういう映画が生まれるのか、これは楽しみですなぁ」
「あっ!」
と声を上げたのは僕だ。それまで二人のやり取りを聞いているだけだったが、ここでとんでもない思い違いに気づいたのだ。
西宝の西条からの電話を受けたのは、文芸部の上司である財部だ。彼から、「『飛鶴』に映画化の打診だよ」と言われたのだ。そこで早速打ち合わせのセッティングをしたのだった。
しかし、原作者とプロデューサーの会話はまったくかみ合っていない。それもそのはずである。恐らく財部が聞き間違えたのだ。映画化を打診されたのは、同じくウチの出版社が出している『トビジル』だったに違いない。プロデューサーの語る話を聞いていると、間違いないだろう。
さてこの場をどうするべきだろうか…。僕は背中に冷や汗をかいているのを感じていた。



193.「天才と呼ばれた医学生」
横溝哲一は、東南大学医学部で、天才と呼ばれていた。
(まさか俺が天才と呼ばれる日が来るとはな)
哲一は、毎年そう思っていた。
哲一は、昔から勉強のあまり出来ない子供だった。もちろん、天才などと言われたことはない。高校一年の時わけあって医者の道を目指すことになり、一念発起して必至の勉強に取り組んだものの、結局潜り込めたのは、新設五年目という県立大学の微妙な医学部だけだった。教養学部での二年間も、サボりにサボって麻雀に明け暮れていたのだ。
そんな哲一が天才と呼ばれる日が来るなどと、誰が予想できただろうか。
しかし、そう呼ばれても哲一には喜べるわけもない。結局はどうもならないことなのだ。自分が天才になってしまったのはある種の必然であり、そしてそこからは決して抜け出すことが出来ないのだ。
哲一は何をやらせても完璧だった。解剖の手さばきは、教授並にうまいと評されていたし、試験はほとんどどれも満点だった。教授らも哲一の秀才さには目を配っていて、自分の医局に引っ張ろうとする動きが盛んにある。
しかし、無駄なのだ。哲一は諦めきっていた。どうせ医者にはなれないのだ。
卒業試験を終え、医師国家試験にも合格し、卒業後の進路もとりあえず決まったその日。哲一にとっては忌まわしい日だった。この日を越えられさえすれば、後は素晴らしい人生が開けているはずだ。しかし、どうせ無理だろう。
午前11時32分。いつもの時間まであと1分。哲一は、この無限に続くループについて考えずにはいられなかった。
そして時間になった。
哲一は、自分がまた、大学一年に戻っていることに気づく。やっぱりかぁ。どうしてもこの無限ループから抜け出せない。
哲一は、あと少しで医者になれるというタイミングで過去に戻ってしまう。大学一年の時間まで遡ることになる。もうこのループを36回繰り返している。そりゃあ、天才にもなるというものだ。また一からやり直しか。まったく、どうやったらこのループから抜け出せるというのだろうか。



194.「9坪ハウス×5」
我が家の周囲を取り囲むようにして、5軒の家がほぼ同時に建った。見た目も大きさもほとんど同じ一軒家である。何がすごいって、その建坪がわずか9坪なのである。9坪なんて言われても全然想像つかないが、しかしとにかく狭いというのは確かである。
5軒同時に建ったのを境に、ほぼ同時に5組の家族が引越しの挨拶にやってきた。初めの内はただ適当に挨拶をしていただけだが、最後の一組の時、やはり気になって聞いてしまった。
「どうして同じような家が5軒も建ったんですか?」
「あぁ、あれはね、何かあった時にロボットになるんだ」
父親らしき男性は、真顔でそう言った。冗談を言っている風でもない。
「ロボットですが。それはすごいですね。でも、何かって何ですか?」
「少なくとも3年以内にハルマゲドンが起こるとアビダル様が仰ってるんです。そのための準備ですね」
激しく危なそうだ。つまり宗教ってことだろう。大丈夫かなぁ。
「そうなんですか。でもちょっと信じがたいですね」
「何なら今ちょっと合体してみましょうか?」
合体って…。何とか戦隊じゃないんだからさ。でも見せてくれるというなら見せてもらうことにした。
しかし、彼らが準備を進めている間ふと思った。5軒の家は私の家を取り囲むようにして建っている。もし本当にロボットに変身するとして、私の家は大丈夫だろうか?
そこのところを聞いてみると、
「えぇ、もちろんお宅の家は木っ端微塵になりますけど」
と平然と言われた。
私が中止を宣言したのは当然の判断である。



195.「視聴率」
今ならはっきりと断言することが出来る。あの頃の自分はどうかしていたのだ。悪魔に魂を売り飛ばしてしまった。そういう表現が正しかったのだろうと思う。血迷っていたし、正常な判断が出来なかった。ただ、長年の夢を叶えたい。ただそれだけのためにあんなことをしてしまったのだ。
私はワラテレビというテレビ局で、主にバラエティ番組のプロデューサーをしている。今でも一応プロデューサー業だが、しかし今ではもはやその価値はないと言っていいだろう。
私は、高視聴率番組をいくつも手掛けてきた。「鬼がトレントブッチャーマン」「回して廻して舞わして」「トラテラモラ」「遅いぞ鉄平!三段跳び」などは、多くの人が知ってくれているのではないかと思う。どれも、年間平均視聴率39%以上、最高視聴率46%以上というお化け番組である。
しかし、私は満足出来なかった。
もし私が、視聴率20%代のごく普通の番組ばかり手掛けていたら、そんな風には思わなかっただろう。しかし私は、手掛ける番組どれもが高視聴率だった。だから私は、もっと上を目指したい、もっと視聴率を取りたいという妄念に取り付かれていったのである。
そんな時だった。あの悪魔に出会ったのは。未だにあいつが何者だったのか、私にはわからない。しかし、本当に悪魔だったのではないか、と思うこともある。私は悪魔に魂を売り渡してしまったのである。
そいつは私にこう持ちかけてきた。
「ありえない視聴率を君に取らせてあげるよ」
私は、その言葉を信じた。ただ信じたかっただけだが、長年の夢を叶えてくれるという相手に出会って舞い上がってしまった。
そいつは、どんな計画を立てているのかまるで教えてくれなかった。細かな仕事や指示を出されるだけで、全体像が把握できなかった。恐らく、私以外にも数多くの助っ人を抱えていたのだろう。そういう人間に分業させることで、計画全体を進行させたに違いない。
だから初めそれが起こった時も、自分が関わっていることと関係があるなんてまるで思いもしなかった。
6年前の9月17日、日本にある、私がいたテレビ局を除くすべてのテレビ局が爆破された。惨劇は一瞬にして同時であり、ダイナマイトによるものだと後で判明した。
細かな情報が入ってくるようになり、そうやく私はあいつが考えていたことを理解することが出来た。確かに、テレビ局が一つしかなければ、視聴率はものすごく高くなることだろう。確かにあいつは嘘を言ってはいなかった。しかし、そんな風にして手に入れた視聴率にどんな意味があるというのだろうか。
私は、唯一残ったテレビ局で、今も番組を作っている。私の作る番組は、平均視聴率が85%を超える。しかし、仕事へのやりがいはほとんどなくなってしまった。



196.「船」
その船は、空も飛べたし、陸も走れたし、もちろん水の上も進むことが出来たという。地球上のどんな場所にだって行くことが出来た。
ただその船は、どうしても湖だけには入りたがらなかった。後に船はこう語った。一度入ったら出られなくなってしまうような気がするんだ、と。



197.「地図配り」
こうして街中で地図を配っていると、あの頃の記憶がまざまざと蘇ってくる。ちょうど30年前、僕はあの地図を受け取ったのだった。
大学受験がちょうど終わって、解放感に浸っていた時だった。まだ合格できるかわからないけど、これまでの自分にお疲れさまみたいな意味で、何か旨いものでも食べて帰ろうかなと思ってブラブラしていた時のことだった。
初めはそこまで意識しなかった。ただのティッシュ配りだと思ったのだ。もらうとももらわないとも決めずに、というか本当に特別意識なんてせずに、でもその男の方へと向かっていった。
そして差し出されたのが地図だったのだ。
それは、地図帳の1ページを強引に破いたもののようで、僕がもらったのは北海道全域の地図だった。
何だコリャ、と思った。地図なんか、それも遠く離れた北海道の地図なんかもらっても、嬉しくもないし使い道もない。ただ、その時は受験が終わって機嫌がよかったのと、行こうと思っていたファミレスがもうすぐそこだったのとで、深く考えることはしなかった。持っていたバッグにしまう直前、地図の端っこに「10950」って数字が書かれていたけど、それもそこまで気に止めなかった。
翌日、バッグの中でぐちゃぐちゃになっていた地図を取り出した。もはやゴミにしか見えなかったが、地図に書かれていた数字が「10949」になっていて僕は驚いた。昨日は「10950」じゃなかったっけ?カウントダウンしてる?でも一体何を?
そんなわけで、何となく気になった僕は、それからその地図をずっととっておくことにしたのだ。
それから30年後。
毎日地図上の数字は一つずつ減っていき、そして30年後ちょうど0になった。と同時に、地図上にあるマークと文章が浮かび上がったのだ。
『ここに宝がある』
もちろん僕だって信じたわけじゃない。けど、本当にちょうど絶妙なタイミングで北海道に行くことになっていた。結婚20周年の記念に、息子が旅行をプレゼントしてくれたのだ。予定では、地図に示された付近には行かないが、その辺の変更はなんとかなるだろう。どうせだからちょっと寄って見よう。別に何もなくたって損するわけでもないし。
旅行の途中、地図上の場所を訪れると、何か勘が働いて足が勝手に動き、それを見つけ出してしまった。電話ボックスを二つくっつけたような大きさの箱が、人目につかないように絶妙に隠してあったのだ。
内部には、一枚の紙切れと、そしてたくさんの地図。
『おめでとう。これはタイムマシンだ。君に贈呈しよう。しかし一つだけお願いがある。30年前に戻って、そこにある地図を配ってもらいたい。よろしく頼む』
だから僕は今地図を配っている。もしかしたら、30年前の自分に会えるのだろうか、と思いながら。これが終われば、後はタイムマシンは自由に使っていいのだろう。どこへ行こうか。何だって出来るじゃないか。しかしまずは、妻を引き入れないとな。あいつは信じてくれるだろうか。



198.「バスケットボール」
「面白いバスケ考えたんだ」
「何だよ、唐突に。面白いバスケ?」
「そうそう。名づけて『竹馬バスケ』」
「はぁ。何だそりゃ?」
「名前の通り、竹馬に乗ってバスケするんだよ」
「んじゃ手が塞がってるじゃんか」
「あぁ、そうか。いや、大丈夫大丈夫。ほら、下駄みたいなのを想像してよ。歯の部分がさ、異常に長いみたいな。それなら手も使えるでしょ」
「まあね。それで?」
「ゴールをね、無茶苦茶高くするわけ。3メートル以上は欲しいね」
「なるほど、それで竹馬だと」
「そうそう。竹馬ってさ、高ければ高いほど動き難くて不利でしょ?けどね、得点に秘密があるわけ?」
「ダンクシュートだと点が高いとか?」
「そう!まさにその通り!普通のシュートやスリーポイントシュートは同じだけど、ダンクシュートだけ得点が10点なんだ。これで、竹馬を高くしてダンクを狙うか、竹馬を低くして安定性を狙うかっていう戦略が生まれるわけだな」
「なるほどなぁ」
「しかも、床に足がついたら反則で点がどんどん減ってくんだよ」
「斬新だね。球技で減点方式なんて、これまでなかっただろうからね」
「だろ。結構面白そうだと思わないか?」
こうして、背の低い二人は、自分達には不利なスポーツであるバスケットボールをいかに楽しもうかと日々妄想しているのである。



199.「浮遊」
それは突然の出来事だった。
雨が降りそうな嫌な天気の中、僕は遅刻すまいと学校に向けて必至でペダルを漕いでいた。このまま行けば、ぎりぎり間に合うか間に合わないかという時間。とにかく飛ばすしかない。
そうやってめったやたらにペダルを漕いでいる時だった。身体がふっと軽くなる瞬間があって、それから僕の身体は自転車毎宙に浮いていたのである。
マジかよ!
ちょうどそのタイミングで雨が降ってきた。何だか知らないけど、宙に浮いてはいるけど、ペダルを漕げば前に進む。とにかく遅れないようにと必至だった。
ほとんど学校近くになると、よくわからないけど僕はまた地面に戻った。
もちろん僕はクラスメイトに自慢した。
「空飛ぶ自転車を手に入れたんだ!」
もちろん皆信じようとはしなかった。しかし僕を嘘つき呼ばわるする奴もいなかった。僕は普段真面目な人間なのだ。そんな僕が突然おかしなことを言い出したので、みんな戸惑っているように見える。
僕は嘘じゃないことを証明しようとした。外じゃあまだ雨は降ってるけど、そんなことは関係ない。僕は濡れるのも構わず外に飛び出して、自転車にまたがった。しかし、漕げども漕げども宙に浮く気配はない。
みんなは優しい言葉をかけてくれた。夢でも見てたんだって。ちょっと疲れてるんじゃないか。そんな風に言われる度に、僕は自分が嘘つきになってしまったみたいで悲しくなった。
どうして飛べないんだろう。っていうか、何であの時は飛べたんだろう。
次の日。僕は何だか自転車に乗る気になれなくて、ちょっと遠いけど歩いていくことにした。っていうか天気もいいし、ちょっと走っていこうかな。風を切って僕は走る。
すると僕の身体はふわりと浮かんだのだ。
僕はそれからもいろいろ考えて研究した。その上で友達を家に呼んでみることにしたのだ。
実験は扇風機の前で。自分の前髪を扇風機の風に当てる。
すると僕の身体はふわりと浮き上がったのだ。前髪が風でなびくと浮く。僕はそういう身体になっていたようである。



200.「99%探偵」
「99%探偵って知ってる?」
「何それ?ドラマとか?」
「じゃなくて。ホントにいる人みたいなんだけどね。的中率が99%を超えるんだって」
「的中率って何が?」
「だから、よくマンガとかであるでしょ?殺人事件とかが起きてさ、『犯人はこの中にいる!』ってやつ。現実にそういう探偵さんがいてね、しかもほとんど間違わないんだって」
「へぇ、すごいじゃん。じゃあその99%探偵がいれば、警察なんてもう全然いらないよね」
「そのはずなんだけどねぇ。でもさ、そんな探偵がホントにいたらさ、もっとニュースとかにバンバン出てきてもよくない?」
「何それ?じゃあホントはいないの?」
「わかんないんだってば。どうなんだろう。ホントにいるのかなぁ、99%探偵」

その頃、99%探偵は。

「犯人はこの中にいる」
99%探偵は声を張り上げた。
「犯人は、二人の人間を殺し、その後発見を遅らせる目的で密室状態を作りだし、またさらに3人を殺害しその死体をバラバラにした。どちらの犯行においても関係者全員にアリバイがなく決め手に欠けていたが…(中略)…、だから、犯人はお前だ!」
そう言って99%探偵は一人の男を指差す。
その男は、腰縄をつけ、裁判長の前に正対している。
被告人である。
そして、99%探偵は、その被告人の弁護人である。
99%探偵は、ミステリー小説が大好きだった。いつか自分も探偵になって、事件をバンバン解決したい、そんな風に思っていたのだ。
しかしもちろんそんな風になれるわけもなく、彼は弁護士になった。しかし彼は、自分の希望を満足させる方法を思いついたのだ。
それが、法廷で探偵ごっこをするということ。
法廷には被告人がいて、その被告人がほぼ間違いなく犯人である。だからこそ彼は、「犯人はこの中にいる」と宣言して探偵の真似事をするのだ。そりゃあほとんど当たるというものである。何せ、日本の有罪率は99%を超えるのだから。
彼は優秀な弁護士であり、この法廷での奇行を差し引いても依頼したいと思う人が多い。裁判所としても、さして重大な問題でもないから放っておいている。
今日も99%探偵は、ほぼ間違えようのない犯人指摘をし、満足したのであった。



201.「とある物理学者の告白」
「いつでも、僕にはそれが見えました」
ある一人の物理学者が、最晩年に残したあるインタビューである。その冒頭でその物理学者はそう語りだした。
「私は昔から視力に問題があった。私の両親は、私の視力が弱いのが原因だと思い、眼科に行ったり適切なメガネを求めたりと奔走してくれた。しかし、状況は一向に改善されなかった」
その物理学者は今、世界中から大いに注目を集めている。その特殊な視覚そのものにも注目が集まっているが、しかしそれ以上に、その視覚によって見えるものの方への関心の方が強いだろう。
「病院にも何度も通わされたけど、原因はまったく分からなかった。あらゆる検査をしたけど、機能的には何の問題もなかった。その内、精神的な問題かもしれないと両親は考えたのだろう。カウンセラーや精神科医と話す事も多くなっていきました」
その物理学者が見ている光景は、他の人間には決して見ることが出来ないものだ。彼が本当にそういう光景を見ているのかどうかも、ほとんど確かめようがない。それでも、彼が嘘をついているように見えないこと、そしてその理由がまったく見当たらないことを根拠に、多くの物理学者が彼の話を信じようとしている。
「私にも、初め何が起こっているのかまったくわかりませんでした。私には、何かが見えていた。しかしそれは、他の人が見ている光景ではないようだったし、何よりも日常生活に意味のある光景ではなかった。今でも私には、鉛筆や夕陽や人間と言ったものはまったく見えません。そういう意味で私は失明していると言っていいでしょう」
物理学は大いに期待しているのだ。これまで謎だった理論が、彼によって進んでいくのではないかと。
「その内物理学を学ぶようになり、私は自分が見ているものが何なのか分かるようになっていきました。要するに私の視覚は、顕微鏡のようなものだったわけです。倍率が極端に大きく、極限的に小さなものしか見えない。そういう眼だったのです。
私に見えていたのは、ひも状のものが振動している様子でした。それは、すべての粒子はひもの振動によって説明できるとするひも理論を目の当たりにしているということだと私は思いました。
ただ私は、このことをこれまで誰にも言いませんでした。言って信用されるとは思わなかったからです。私はもう老い先短い。今なら、私の発言がどう受け取られようと後悔はしないだろう。もしかすると、私の発言によって、理論に何か新たな展開があるかもしれない。そう期待したいと思う」
彼のインタビューから10年後、まさに彼の発言をきっかけとして研究が加速したことで、ひも理論は正しいものとして公に認められることになった。



202.「占い師の招待」
ある占い師の助言を受けて、Z県まで旅行に来た。一人旅なんて学生時代ぶりだろうか。失恋の痛手を癒したい、そう占い師に告げると、ここに来ればいいと言われてやってきたのだ。
そこは、旅行会社に行ってもパンフレットすら存在しないような、観光的にはまったく何もないところだった。周りは田んぼか畑かあるいは山。神社やお寺があるわけでもなく、海水浴や潮干狩りが楽しめるわけでも、紅葉狩りやハイキングが出来るわけでもなく、観光名所になるようなものもまったくないところだった。そもそも泊まれるような場所も限られていて、行ったところで何をするというわけでもなく時間を過ごすしかないような場所だった。
当然観光客の姿なんかないだろうと思っていたのだけど、しかしそれは大いに間違いだったと言わざるをえない。行く場所など何もないはずの土地を、観光客らしい人々がたくさん歩いているのだった。いつの間にここはそんなに有名な観光地になったのだろうと、私は不思議な気分になった。
まあいい。何もないところをブラブラ歩いているだけでも充分気が晴れるし、それに占い師がここが良いって言ってくれたんだから、たぶん間違ってはいないんだろう。あそこに田んぼで農作業をしているおばあさんがいる。飛び入りで手伝ったりしたら迷惑かな?

僕はZ県の役所で働いていたのだけど、どういうわけか今は東京にいる。何でこんなことになったんだろうか。
Z県の役所内にある観光課では、どうしたらこの県に観光客を呼べるかという議論をよくしていた。もちろんいい案が浮かぶわけもない。そもそもこの県には、観光の目玉に出来るようなものが何一つないのだ。
そこである職員が奇抜なことを考え出した。
「占い師に扮して、この県に人を呼んだらどうだろう」
何故かその案が採用されて、そして何でか知らないけど僕が東京に出て占い師の真似事をする羽目になった。
初めの内はふてくされていた。こんなの、役所の人間の仕事じゃないだろ、と。来てくれた人におざなりに相手をして、そして最後に、Z県に行くといいですよ、と付け加えるだけの適当なことをずっとやっていた。
しかし、何が幸いするのか分からない。いつしか僕の占いは評判になっていたのだ。よく当たる、なんて紹介されることが多いんだけど、みんなどんな勘違いをしてるんだろう?
今では僕は人気占い師として注目されている。一応義理でZ県への案内は続けているけど、別にもう止めてもいいかなって思ってる。占い師として食っていく方がお金になりそうだしね。



203.「コアiPS細胞」
自転車は昔、金属で出来ていたのだという。今となっては想像も出来ない。金属なんかで出来た自転車に乗って、何が出来たというのだろう。痛くなかったのだろうか。自転車と意思の疎通など出来なかったことだろう。改めて、技術の進歩というものは素晴らしいものだと思わされる。
iPS細胞という、どんな種類の細胞にでも出来る細胞が発見され、その実用化に様々なアイデアが考えられた。初めの内は主に移植に使われることになったが、ある時ドイツのある企業が、iPS細胞から発展させたコアiPS細胞というものを生み出した。これは特殊な方法で細胞に設計図を読み込ませることで、あらゆる機能や形態を付与させることが出来るという新しい技術だった。
さっそくこのコアiPS細胞は、工業製品に使われるようになった。一番初めに取り入れられたのはパソコンだった。これまでの、入力されたことしか出来ないものではなく、自分で考え判断を下す、人間の脳に近い形のパソコンを設計することが可能になったのだ。
それ以外にも様々な工業製品に応用されるようになった。より直感的に運転の出来る車や、常に最大効率を目指し、ロスを極力減らすように自ら作業効率を調整できる工業機械など、その応用範囲は広かった。
さらにコアiPS細胞は、スポーツの世界にも使われるようになっていった。選手の直感を反映するスパイクや、空気抵抗を自動的に最小限に抑えるユニフォームなどに使われた。
そして自転車競技にも取り入れられるようになったのだ。自転車そのものがコアiPS細胞によって設計されるようになった。これにより、マシンと選手がより一体となり、マシンがまるで身体の一部であるかのように扱えるようになっていったのだ。
しかしこのコアiPS細胞には、一つだけ大きな欠点があった。それは、コアiPS細胞が発見され、工業的に広く応用されるようになってから40年近く経ってからわかったことだ。
それは、コアiPS細胞によって設計された工業製品は、癌を発病するということだった。生体細胞を使用しているので確かにそうなる可能性を予見することは出来たかもしれないが、しかし世界中の科学者にとってはやはり予想外の出来事だった。
コアiPS細胞が使われたものすべてが発症するわけではもちろんない。その発生率は、一説には3%以下だと言われている。しかし、自分が使っているパソコンや車が癌になるというのは、やはり感覚的に理解するのに時間が掛かったものだ。
僕が乗っている自転車も、癌に掛かってしまった。今では、製品癌保険も充実しているし、その保険を使って新しいものを買い換えてしまえばいいのだ。しかし、どうにもそれが出来なかった。壊れてしまったのなら諦めもつくが、癌になったというだけのことだ。今ではこの自転車は、僕の身体の一部と言ってもいい。どうせなら闘ってみようか。僕は今そんな風に思っている。コイツと一緒に癌を乗り越えて、またレースで優勝するんだ。



204.「奇跡の落語」
「いやァ、驚いたなんてェもんじゃないよ。まさかあんな落語があるとはねェ。お前さんも聞きに行ったらどうだい」
芸事に関する批評眼ではここいらでは定評のある呉服屋の親爺が、そう言って触れ回っているのを私も聞いた。彼は、とある落語を聞きに行って、心底ほれ込んだというのだ。まだ二ツ目になったばかりの男で、それほど名もしられちゃァいないが、しかしどうしたッてその内騒がれることになるだろうさ、と言う。私もそれなりに落語を楽しむ方だ。そこまで言われちゃァ聞きに行かない法はない。というわけで早速私は、百遊亭百舌の寄席を聞きに行くことにしたのだった。
その日の真打ちは、当代一の名人と謳われたべん生で、さすがの人気にあと少しで客留めとなるほどの大入りであった。大勢の人が方を寄せ合って同じものを待っている。その感覚が私は好きだった。
前座のあと、百遊亭百舌が出てきた。どことなく優男風の頼りない容貌をしていて、落語家というよりは金持ちの坊ちゃんという感じだった。さてどんな落語を聞かせてくれるのだろうか、と期待して待っていた。
しかしこの百遊亭百舌は、席が始まってからというもの一向に喋りはしないのだ。視線をあちこち移したり、あるいは手を動かしたりしているのだけど、口はいっかな開かない。
しかし一方で、客席からちらほらと、「えっ」とか「なんだこりゃ」という声が上がっている。それは、喋り出さない落語家に対する避難という風ではなく、純粋な驚きから出るもののようだったのか。何が起こったというのだろう。相変わらず私には、喋らない落語家が目の前に座っているだけだ。
しかし、私もある瞬間に「えっ」という声を上げずにはいられなかった。
なんと、落語が聞こえてくるのだった。
目の前にいる百遊亭百舌は、口を開いていない。大道芸に腹話術というのがあるそうで、それは口を開かなくても喋ったりすることの出来る芸であるようだが、それともまず違う。何故なら、その落語は耳から聞こえてくる感じではなかったのだ。なんというか、頭の中に直接響いてくるような、そんな不思議な感覚だった。
どうなっているのかわからなかったが、確かにすごい落語だった。恐らくだが、彼の身振り手手振り、視線の動かし方、あるいはちょっとした表情の変化によって、脳の中のどこかが刺激されるのではないか。それによって、私の脳が勝手に物語を生み出しているのだ。となれば、客席にいる全員が違う落語を聞いている、ということになるのかもしれない。落語は出来るだけ言葉を削って客に想像させるのがよい、と聞くが、確かにこれはその究極の形だった。
後で聞いた話であるが、百遊亭百舌は喋ることの出来ないらしい。なるほど、聾唖の落語家か。すごい男が出てきたものだ。



205.「作家の苦悩」
「山平先生、ホントいつも原稿早くて助かります!」
喫茶店でいつものように打ちあわせを始める前のこと。担当編集者は、相変わらずいつものようにそう言って僕を喜ばせようとする。
僕も、喜んであげているフリをしてあげるのだ。
別に嬉しくなんかない。そう言ってあげてもいいのだが、まあこれも仕事だと思えばいい。
「まあ大したことじゃないですよ」
「いつも聞いてるような気がするんですけど、どうやってそんなに物語を思いつけるんですか?」
そんな聞かれても、答えようがない。だからまあ、いつものように適当に受け流す。
「いやいや、こんなの普通ですよ。全然大したことじゃないんですって」
こういう会話をいつもするのはめんどくさいけど、まあいいさ。これも仕事。こんなに楽な仕事をしてお金をもらっているんだから、少しぐらい我慢しないとバチが当たるってもんだよな。
「しかし先生、未だに不思議なんですけど、先生の著作って未だに出ないですよね。いや別に不満があるわけじゃないんですけど、こう雑誌に短編を発表するだけで、単行本になりませんね。おかしいんですよね。こんなに書いていただいているのに…」
嫌な方向に話が進んだので、無理矢理打ち合わせの方に話を持っていくことにする。
僕は、これまでに小説を一作しか書いたことがない。それは、まさに奇跡の一作と言っていい出来だった。あれ以上の小説なんて、僕にはもう生み出せるわけがない。
しかし、僕は未だに作家として生活を続けている。もう3年にもなる。たった一作の短編しか書いていないのにである。
なぜそんなことが可能だったのか。
僕には、ある特殊な能力がある。人の記憶を部分的に失わせる能力だ。
自分のこの能力に気づいたきっかけは、今となっては覚えていない。いつの間にか、自分にそういう能力があることに気づいた。そういう感じだった。
初めは、なんて意味のない能力だろうか、と思っていた。ちょっと恥ずかしいことをしてしまった時にその記憶を失わせたり、とそんな風な使い方しか思いつけなかった。
僕はある日、気まぐれに小説を書き、そしてそれが新人賞の選考委員に大絶賛を受けた。僕の元に編集者がやってきて、次の作品を書くように催促してきた。
僕は書けなかった。あの一作だけが僕に書けた唯一の小説だった。
そこで僕は考えた。あの小説を使いまわそう。みんなの記憶から、僕の小説のことを消してしまえばいい。そうすれば、同じ小説を提出すればいいじゃないか。
初めは一度だけにするつもりだった。同じ手を何度使ったところで、自分が虚しいだけだ。一度だけ、もう一度だけ絶賛されたい。ただそう思っていただけだった。
それが3年続いてしまった。
後悔している。こんなことをするべきではなかった。特に、他の作家が苦しみながら物語を紡いでいる姿を目にしてからは、後悔がどんどんと募った。
しかし一方で、どうしても止められないところまで来てしまった。僕は世間では流行作家と呼ばれるようになっていた。3年間、一度も単行本を出していない短編作家なのに、驚くほどのファンがいるのだ。出版社も、僕に次々に原稿を依頼してくる。原稿を出さないわけにはいかない。しかし、書けるわけがない。となれば、同じことをするしかない。
僕はきっと、これからも同じことをし続けることだろう。



206.「風が吹けば桶屋が儲かる」
ついこの間僕は、交通事故を起こしてしまった。最悪だ。非はほぼ僕の側にある。居眠り運転だったのだ。その日あまりにも疲れていたので、ついうとうとしてしまったのだった。
僕はこれまでにも何度もこうして失敗を繰り返してきたけど、これまではその度毎に落ち込んできた。しかし、ある本を読んで、「バタフライ効果」という現象を知った時、僕は自分の失敗をあまり悩まなくなりました。
「バタフライ効果」というのは、ほんの些細な出来事がものすごく大きな結果をもたらす、という現象です。名前の由来は、蝶々がアメリカ大陸の上空でその羽をほんの少し動かしたことがきっかけで、中国に台風が発生することもある、というような比喩からです。
僕が起こした交通事故だって、誰かがどこかでくしゃみをいた結果かもしれない。そう考えると、何だか失敗をしてもまったく落ち込まなくなって、自分にとって都合のいい人生を送れるようになりました。



207.「死後5万年」
ある日のこと。既に日本ではよく知られた場所である、東京渋谷にあるスクランブル交差点が、世界中で有名になる事件が起こった。
そこで死体が見つかったのだ。
しかしただの死体ではない。なんとその死体は、死後5万年以上は経っているというのだ。当初は何らかの測定のミスだろうと思われていたが、世界中のどの機関が追試を行っても結論は変わらなかった。昨日までなかったはずの場所に、突如として死後5万年経過した死体が見つかったのである。
世界中で論争が繰り広げられた。
「以後5万年以上経過した異星人の死体が何らかの形で地球にやってきたのだ」
「しかしあの死体はどう考えても地球で進化した人類そのものだぞ」
「発見当時来ていた服は、2006年から2007年にかけてユニクロで販売されていたものと判明しています」
「測定に問題があるのだ」
「その可能性はないと議論は尽くされているはずだ」
「あるいはタイムマシンではないか」
「その考えを導入したらどういうことになるのかね」
もちろん誰も結論を出すことは出来なかった。
真相を知るには、死体に喋ってもらう他なかろう。もちろん彼はもう死んでいるのだけど、まあこれは小説だ。真相解明のために少しだけ死んだまま働いてもらうことにしよう。
(まあそりゃあ分からんだろうよ)
彼は当然そう思った。
(あんたらの知識でこの謎が解明できたら、そらすごいわ)
彼は自分が死んだ瞬間のことを思い出していた。
(2008年10月6日。僕は車に撥ねられた。その瞬間、こりゃダメだな、と僕は思ったよ。咄嗟に僕はアレを発動してしまった。発動してどうなると思っていたわけでもないけどさ)
彼にはある特殊な能力があるのだ。
(時間を止められるんだよね。好きなだけさ。その時は、僕の時計だけが動いているんだ。僕以外の世界の時計はすべて止まっている。死ぬ寸前に時間静止を発動しちゃったから慌てたんだろうね。普段だったらどんなに長くても数年単位でしか時間を止めないのにさ、その時は5万年以上止めちゃったんだよね)
彼が死んでから5万年間、彼以外の時間は止まっていたのである。
まあこんな真相なんですけどね。



208.「魔法のメガネ」
今期の僕の通算打率は7割を超えた。公式な試合だけのカウントでそれなのだから、練習試合なんかを含めたらもっと高くなるだろう。いくら高校野球だからと言って、ちょっと尋常ではない数字だ。
僕は、バッターの素質としては大したことがないと自覚している。フォームも安定しないし、打撃力があるわけでもないし、テクニックがあるというわけでも決してない。素質だけ見れば僕よりうまい選手は山ほどいるのだけど、でも僕はヒットを量産することが出来るのだ。
その理由はメガネにある。
と言っても、メガネ自体はどこにでもある普通のメガネだ。でも、このメガネを掛けてから、僕の打率はうなぎ登りにアップした。
このメガネを書けると、どんなボールでも球筋が分かるのだ。ピッチャーが構えて投げようとしている時から、球種やスピードだけじゃなく、ホームベース上のどこにボールが飛んでくるのかも分かってしまうのだ。どこにボールが飛んでくるのか分かれば、打つのは簡単だ。
初めは、無意識の内に相手ピッチャーの癖を見抜いてるんだと思った。しかし、誰に聞いてもそんな癖はないというし、癖だけでどこにボールが来るかまで分かるなんてことはないだろう。確かめたことはないけど、きっとこのメガネのお陰なんだろうと僕は思っている。
その魔法のメガネが壊れてしまった。
修理すればなんとか使えそうな感じだったので、親に無理を言って修理してもらうことにした。何せ球筋が読めるメガネである。新しく買った方が安いといわれたけど、修理にこだわった。
修理の間、昔おじいちゃんが使っていたというメガネを代わりに掛けてみることにした。微妙に度があってないけど、なんとかなるだろう。
しかしそのメガネはとんでもないメガネだった。
なんと、女性の姿だけ裸に見えるのだ。そういえばおじいちゃんって、外に出るときいつもニヤニヤしてたっけ。あれって、そういうことだったのか。
というわけで僕はそのメガネがすごく気に入った。前のメガネの修理が終わったけど、結局そのメガネをまた掛けることはなかった。
球筋が見えないじゃないかって?それがどうした。



209.「弟子入り」
「弟子にしてください」
落語の世界で、100年に一度の天才と呼ばれる、馬葉家印蔵の元へ押しかけていって、無理矢理弟子入りさせてもらおうと思った。
僕は中学の頃に印蔵の落語のテープを聞いて衝撃を受けた。それから、お小遣いのほとんどを寄席につぎ込み、印蔵の落語を聞きまくった。両親に懇願され、高校にはとりあえず通っているが、周囲が受験勉強なんかをやり始めるのを横目で見ながら、印蔵への思いを募らせていった。
どうしても印蔵の弟子になりたかった僕は、両親に内緒で印蔵のところへ押しかけ、高校は辞めるつもりで印蔵の元へやってきたのだった。
「1年間、オレの言うことを何でも聞くか?」
「もちろんです!どんなことでも耐えてみせます」
「わかった」
晴れて僕は印蔵の弟子になった。
しかし、印蔵の修行は摩訶不思議なものだった。不思議なことに、印蔵の元には他の弟子はいないようだった。だから、これが印蔵の通常の修行なのかどうか分からない。しかし、どう考えたって普通じゃない。
印蔵は英語やら数学やら歴史やらの教科書を持ってきては、ここに書いてあることを全部暗記しろ、というのだ。何でこんなことをやらなくてはいけないのか、と思ったが、師匠の言うことは絶対だ。修行とは、理不尽に耐えることなのだ。やるしかない。
僕は必至で覚えた。これまできちんと勉強したことのない僕にはそれは大変な苦痛だったが、これも修行だと思えばこそ、何とかやりきることが出来た。
結局僕は半年で、与えられた教科書をすべて覚えてしまった。
すると師匠は、『受験票』と書かれた紙を持ってきて、地図の場所に行けという。そこで試験を受けてこい、と。これも修行の一環なのだ、と理解した僕は試験会場に行き、これまで教科書で覚えた知識をフル活用しながら問題を解いた。
僕は東京大学に受かったようだ。自分が受けたのが東京大学の試験だったということさえ知らなかった僕としてはどうでもいい話だったが。
しかし、東京大学合格の通知が来たその日、師匠はとんでもないことを言い出した。
「私は落語家ではありません。予備校の教師です」
何でも印蔵には、予備校教師である双子の弟がいるらしい。僕が弟子入りを願い出たその日、たまたま印蔵が家を空けていて、そしてそこには同じ顔をした彼がいたというわけだ。勘違いした僕は、予備校教師に弟子入りしてしまったというわけだ。
「1年間、オレの言うことを何でも聞くか?と聞いただけで、弟子にしてあげるなんて言ってないでしょ?」
この一年の苦労は何だったのだろうか…。しかし、いつの間にか東京大学に受かっていたのだ。大学に行ってみるってのも、アリなのかなぁ。



210.「不必要な連続殺人」
「44人目の死体が発見されました。この国は、一体どうなってしまったというのでしょうか」
今世間を騒がせている、なんていう表現では物足りないほどの事件をテレビのニュースが流している。1人目の死体が発見されてからまだ2ヶ月しか経っていない。この、「神奈川全県殺人事件」は、今国民の最大の関心を集めている。
吉本衛ちゃんの死体が見つかったのは約二ヶ月前。裸にされ、足につけられたロープで木に吊るされていた。口にはハンカチが詰められていた。もちろん、報道されていない特徴もあった。右手首にに赤い線で丸が三つ描かれており、また片目を潰されていた。
その翌日、まったく同じ格好の死体が見つかった。それから、ほぼ毎日、神奈川県のどこかで同じような死体が見つかっているのである。
警察は大々的な捜査を敷いているが、しかし今のところ何の情報も上がってこない。被害者に残された痕跡はどれも完璧に一致しているのに、犯行時刻や犯人の予想される行動形態がまったく統一されていないのだ。犯行は夜だったり昼だったり朝だったりし、また現場に残された状況から、慎重な性格だったり大雑把な性格だったり神経質な性格だったりと、まったく別々の特徴が現れるのだ。そのため、警察としても犯人像をまるで絞りきることが出来ず、どこから手をつけていいのかさっぱりわからなかった。
被害者同士にも特に繋がりがあるようには思えなかった。時々、学校の同級生だったり同じ塾に通っていたり、あるいは親同士が同じ職場で働いていたりと言った共通点が個々に見受けられることはあるが、しかし44人全員に共通する特徴は今のところ見つかっていない。
マスコミの報道も過熱し、警察の上層部としても一刻も早く事件解決をと発破を掛けてはいるのだが、しかしどうにもならない。ほぼ毎日子どもの死体が見つかっていく。誰にも止められないのではないか…。多くの人がそう思い始めていた。

竹本雅彦は学校が終わると、すぐにバスに乗った。とりあえず行き先はどこでもいい。ここから割と離れたところだったらどこでもいい。あんまりバスに乗ったことはないけど、なんとかなるだろう。
誰に声を掛けたらいいかな。まさかこんなことに選ばれるなんて思ってもみなかったから、ちょっと意外だった。でも、僕はやりきってみせる。昨日だって、きちんと殺せたんだし。今日だってもちろん大丈夫だ。
雅彦は、昨日のことを思い出す。あれはホントにびっくりした。まさかって思ったけど、でもやるしかなかった。何でそんな風に思ったのか分からないけど、でも自分のところで終わらせるなんてことは出来るわけがない。そんなことをしたら空気が読めないと思われてしまうだろう。それだけは嫌だ。だから僕は彼女を殺してあげたのだ。
大口好美と名乗ったその女の子は、突然僕の前にやってきて、そしてこう言った。
「ねぇ、お願いだから私を殺して」
驚いて声も出せない僕を見て、彼女は説明をしてくれた。
「今ニュースで騒いでる連続殺人あるでしょ?あれって、連続殺人じゃないんだよね。いい、よく聞いて。あなたは私を今から私が言う通りに殺すの。報道されてる特徴もあるから知ってるものもあるかもしれないけど、でもニュースになってないものもあるからちゃんと覚えてね。私を殺したら、今度はすぐにあなたは誰か殺してくれる人を探しに行くの。今の私みたいにね。私も、昨日殺したのよ。ほら、ニュースになってたでしょ、動物公園で見つかった子ども。あれ、わたしがやったの。
どう、分かった?そういうわけでね、わたしをちゃんと殺してね」
雅彦は、特に疑問に思うこともなくそれを受け入れた自分を不思議に思った。けれど、僕は正しいことをしているんだと信じることが出来た。だから彼女を殺すことが出来たし、今から自分のことを殺してくれる人を探しに行くことが出来るのだ。
さて、誰に声を掛けようかな。どうせ殺されるならキレイな女の子の方がいいんだけど…。



211.「猟師」
銃を持つ手が震えることはなくなった。
かつて初めて銃を手にした時は、どう扱ったらいいものか悩んだものだ。構えて撃つ。やることは単純だけど、簡単にはいかない。初めの内は、手が震えっぱなしだった。それがなくなったのは、ここ最近だろうか。今では落ち着いて銃を撃つことが出来るようになったものだ。
それにしてもや、つらは相変わらず山でたくさん見かける。
昔はやつらに襲われる仲間も多かったという。そんな時代のことを俺は知らないが、さぞ悔しかったことだろう。毛皮に包まれたその身体で、俺たちを執拗に追いまわすなんて、今では想像もつかない。
今では俺たちの方が圧倒的に優位に立っている。やつらを確実に仕留められるようになってきたからだ。しかしそのせいもあるのだろう、やつらがどんどん山から減っていってしまっているように思う。別の山に移っているのか、あるいは山を下りてそのまま山には戻ってこない奴も多いのかもしれない。まあわざわざやつらを狙わなくても、獲物は他にたくさんいるのだ。わざわざ銃を使う必要もなくなる。特に困るなんてことはないはずだ。
よし、今日の獲物を見つけたぞ。なかなかデカイ奴だな。まあ、俺が一発で仕留めてやるよ。

「今日午後2時頃、○○県△△山で男性の死体が発見されました。男性は発見された時まだ息はありましたが、搬送された病院で息を引き取ったとのことです。男性は、猟で使われる銃で撃たれているようで、ここ半年ほどの間相次いで猟師が撃たれている事件との関連も調べています。
男性を発見した猟師仲間によりますと、男性は意識を失う直前まで『熊に撃たれた』としきりに繰り返していたそうです」



212.「東都大学数学入試問題」
浪人生になって1年弱、猛勉強した。日本一の大学である東都大学に入学するために、それこそすべてを犠牲にして頑張ったのだ。高校時代に付き合っていた彼女とも別れたし、隠れて吸っていた煙草もやめた。睡眠時間は一日4時間程度で、起きている間はほとんど参考書を手放すことはなかった。
一番頑張ったと言えるのは数学だろう。去年の試験ではもう壊滅的だった。数学の穴は致命的だった。
それでなくても東都大学の数学の問題は難しいことで有名だ。常に度肝を抜くような問題ばかりだしてくる。文系志望ならさほど比重は高くないが、理系志望の場合「数学で落ちる」とよく言われるのだ。だからこそこの一年間、特に数学については死ぬほど頑張った。今では、かなり自信を持って試験に臨むことが出来るだけの実力があると思っている。
そして今日はその試験当日。つい先ほど英語が終わった。まずまずの結果だと言えるだろう。そしてこれから数学の試験だ。
通常4問から5問出題され、難易度にもよるが3問半解答できればほぼ合格は間違いなしと言われている。過去の試験問題を思い浮かべながら待っていると、試験が開始された。
問題を見て驚いた。
今年はなんと問題がたったの一問になっている。問題用紙が抜け落ちているのかとも思ったが、配点を見るとそうでもないようだ。
つまり、この問題を解けるかどうかで合否が決まるのだ。
そしてその問題がまたとんでもないものだった。

問1
以下の数学記号を一つずつ使い、f(x)=g(x)となるような関数f(x),g(x)を設定せよ

{e,π,i,∫,sin,cos,log,lim,!,∑}

なお、四則演算や階乗などの一般的な記号は自由にしようしてよい。また必要に応じて適当なアルファベットを定義し用いてもよい。もちろん、∞や複素数を含めたすべての数字はいくら使用しても構わない。

問2
問1で設定したf(x),g(x)が、f(x)=g(x)を満たすことを証明せよ

なるほど、東都大学らしい奇抜な問題だ…、なんて余裕なことを考えられたわけがない。僕の頭は一瞬で真っ白になった。



213.「罠」
最近山菜採りにはまって、出勤前の短い時間とか休日なんかによく山に入る。住んでいるアパートから歩いてすぐのところに森があって、あまり奥まで分け入らなくても豊富に山菜を採ることができるのだ。
まだ始めたばかりで、図鑑を片手に山の中を歩くことになる。ツクシやノビルなんかはもちろん分かるけど、ワラビやヤブカンゾウなどになるとまだイマイチ自信がない。図鑑に載ってる写真と見比べながら、たぶん大丈夫だろう、と確認していくのだ。
こうやって自分の手で食料を調達するなんてことはまずないので、とても新鮮で面白い。身体に毒でさえなければどんな葉っぱでも食べられるんじゃないか、と思ってはいるんだけど、やっぱりそこはそれ、図鑑に食べられると書かれているものしか手を出せない辺りは臆病者なんだけど。
いつものように目ぼしいところを一回りして、さて帰ろうかという時、左足が沈んだなと思ったら身体が傾き、そのまま倒れた。左足に何かが巻きついた感覚があって、罠に嵌まったんだと分かった。
山には、猟師たちが仕掛けている動物用の罠がある。どうやらその一つに引っかかってしまったようだ。普通罠は人間が引っかからないような場所に設置されているのが普通だが、しかし僕が歩いている場所が悪かったんだろう、運悪く掛かってしまったのだ。
さてどうしたものだろうか。携帯電話は部屋に置いていてしまったから連絡を取ることは出来そうにない。罠を自力で外そうと奮闘してもみたが、これもダメ。どうしても左足に巻きついたワイヤーを外すことが出来ないのだ。大声を上げれば誰か気づいてくれるかもしれないが、まあ仕方ない。とりあえずしばらく待つか、と決めた。ワナ猟をする猟師は、最低でも一日一回は罠の見回りをする。既にその見回りを終えた後だと翌日になってしまうのだが、たぶん大丈夫だろう、という方に賭けたのだった。
しかし、とふと頭に浮かんだ疑問を反芻する。何でこの罠は外せないのだろう。獣には人間のような手はないから外せないのは分かる。しかし人間の手でも外せないとなると、この罠を仕掛けた猟師にだって外すのは難しいということではないのだろうか…。
大したことではないのだろうと決め、やらなければならない仕事を思い浮かべたり、納期のスケジュールを思い出したり、あるいは進んでいないRPGの攻略法について考えたりしながら猟師が来るのをまった。
1時間ほどで猟師はやってきた。
「すいません。罠に引っかかってしまったみたいで」
「あぁ、いやいや、ちょうどいいですわ。いやホント素晴らしい」
何が素晴らしいというのか。何となくバカにされているような気がしてムッとしたが、猟師がナイフを手にしているのをみてホッとした。ワイヤーを切ってくれるのだろう。
猟師が近づくと、ナイフを持った手はしかし僕の心臓目掛けて飛んできた。その瞬間僕は悟った。
なるほど、これは人間用の罠だったのか。



214.「鳥籠の中の鳥」
フライパンで肉を焼きながら、僕は昔本で読んだある物理の問題を思い出していた。
あれは確か、鳥籠の中に鳥がいるんだった。その鳥籠は量りの上に載っている。
今量りの目盛りは500グラムを指しているとしよう。さてここで鳥籠の中で、その鳥が羽ばたき宙に浮いたとする。その場合、一体量りの目盛りはいくつを指すだろうか。
肉の焼ける匂いとジュウジュウという音にまみれて、僕は考える。考えるべき重要なことは他にもあるが、それを追いやるためにもこの問題を必至で考える。何だか気が遠くなって来たような気がするんだけど、気のせいだろうか…。
確か答えは、500グラムを指す、だったはずだ。より正確に言えば、鳥が羽ばたいた瞬間目盛りは500グラムを大幅に超え、その後500グラムに落ち着く、だったと思う。
確かそうだ、確かそうだ、と頭の中で繰り返す。ちょっと落ち着いてはきたものの、やっぱり体調がおかしい。僕はそんなにまでして肉が食べたいのだろうか。
何で飛んでいるのに量りの目盛りが変わらないのか。たぶん、500グラムの身体を羽ばたきによって持ち上げているので、その分の力が量りに掛かるのだろう。
何故この問題のことを思い出したのか。そんなことはもちろん簡単だ。今、まさにその僕が鳥籠の中にいる鳥だからだ。
まさかこれほどまでに辛いとは思わなかった。辛いとは確かに聞いていた。しかし、こんなに辛くていいのか?他のボクサーも、こんな辛い状況に毎回耐えているというのだろうか?
減量最終日。もう限界だ。今ここで、何か食べないと発狂してしまうかもしれない。でも、計量だけはどうしてもパスしなければならない。
だから、僕が鳥籠の鳥になったのは正解なのだ。
僕は、自分のフライパンに乗っている、わき腹から切り取った肉を皿に盛り付けた。わき腹からは血がとめどなく流れ出ている。これも減量の足しになるだろう。僕は、わき腹肉ステーキに、フォークを刺した。
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8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
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11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
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コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

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2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
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14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
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18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
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1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
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小説以外

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