黒夜行

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悪魔の封印 眠る株券(波多野聖)

長年従事したファンドマネージャーという職を辞し、その報告も兼ねて世界中を巡っている主人公は、かつての上司であるスイス人からある内密の依頼を受ける。彼の長年の友人であるという人物の父が亡くなり、その相続財産を整理している中で、その元上司のいる会社が、長年開けられていなかった金庫を管理していたことが判明する。そしてそこから出てきたのが、日本語で書かれた膨大な量の帳面なのだ。元上司は主人公に、これを解読し、財産に関係するものなのかどうか判断して欲しいと頼まれる。
それは、戦後最大の疑獄事件として知られる「帝人事件」の一部始終を、シナリオのような形で記述したノートだった。何故スイス人がそんなものを所有していたのかは謎だったが、元上司からのさらなる依頼を受けて主人公は、「帝人事件」について調べることになる。
それは、予審喚問での証人数185名、公判では140名、公判開廷数265回、弁護士数は56名という、裁判史上空前の規模で展開された事件だった。さらに、予審の過程でほぼ全員が自白し、その後公判において全員が否定するという、異例の経緯をとった裁判でもある。
主人公は、あまりに膨大な記録を整理していき、事件の中心を見定めた。そして帝人事件は、渋沢栄一の後に財界の長としての地位を不動のものとした郷誠之助と、郷を囲む会という趣を持つ番町会を中心に展開されていると知り…。
というところから物語が始まっていきます。
実際の物語は、帝人事件が起こる遥か以前の地点をスタート地点としている。郷がまだ東京株式取引所の理事長だった頃からだ。そこから郷がいかにして財界の長へとなり、番町会が形成され、番町会が財界に対してどれほどの力を持っていったのかが描かれ、その延長線上に帝人事件が描かれるのである。
僕は帝人事件を本書で初めて知った。名前ぐらいはどこかで耳にしたことがあったかもしれないけど、正直なところ「帝銀事件」と混ざって覚えてて、初め銀行内での毒殺がモチーフになってるんだと思ったほどだ。僕は、近現代史に限らず歴史全般に疎いのだけど(それはもう、日本人とは思えないレベルで何も知らない)、ごく一般的な日本人には、この帝人事件はどれほどの知名度があるのだろうか。本書を読み終わった今は、帝人事件というものに対して強い関心を持っている。裁判の過程が異常だし、何故そのような裁判になってしまったのかという部分に色濃く時代背景が映し出されていて、小説内でそれが上手く描かれている。また、政治事件でもありながら、経済事件でもあり、カネに翻弄される有象無象を取り巻く物語は非常に面白いと思う。しかし、ざっくりした情報で括ってしまえば、帝人事件というのは株売買の事件であり、「戦後最大の疑獄事件」と言われてもそこまで知名度は高くはないのではないかという気もする。
とにかく本書は、その複雑怪奇な帝人事件という実際の事件をモチーフに、実在した人物が織りなす様々な人間ドラマを描き出す物語だ。どこまで史実なのか、それは僕にはさっぱり判断しようがないけど、僕の勝手な感触では、「帝人事件に関わることになったスイス人」以外は全員実在の人物なのではないかという気がする。帝人事件の裁判記録だけでは、帝人事件に関する部分でも十分ではないだろうし(そもそも帝人事件では、自白が強要されているわけで、記録として不確かsなこと甚だしい)、帝人事件に至るまでの様々な人物の来歴なども、かなり細かく描かれているので、大枠の流れは押さえつつ、大部分を想像力で補って構築したのだろうと思う。そういう意味で、本書で描かれていることが、帝人事件に限らずどの部分であっても、「史実」と呼べるものではないのだろうという感じはする。しかし、物語としては滅法面白い。
そもそも、物語の中心であるはずの「帝人事件」はかなり後半に出て来るのであって、前半は、郷誠之助を中心とした当時の政財界のトップクラスの人間たちの動向が描かれていく。もちろんそれは、「帝人事件がどういう事件であったか」という事実(あるいは、著者の考え)をより強調するための伏線でもあって、郷誠之助を中心とした番町会の面々の活躍をきっちりと描き出すことで、後々帝人事件のパートでそれが生きてくる。
のだけど、前半部分は決してただの伏線なだけのパートではない。前半部分だけ取り出してみたって、十分に面白いのだ。
まず、郷誠之助が東京株式取引所の理事長時代の話には、あの「天一坊」が出て来る。
同じく著者の作品に「銭の戦争」という作品があるが、その2巻にこの天一坊が出て来るのだ。本書が著者のデビュー作だということだから、天一坊の登場はこちらの方が早いわけだが、「銭の戦争」の後で本書を読んだので、懐かしい人物に再会した気分になった。
天一坊は、(確か実在した人物だったと思うのだけど)天才相場師として一時代を築いた男だ。奇策と豪胆さで数々の修羅場をくぐり抜け、数々の相場でその名を残す男だった。その天一坊が、郷誠之助と関わりを持つ。この天一坊のパートは、よく出来たコンゲームのようで痛快だ。世の中の隙間を突き、大勝負を仕掛けてくる天一坊と、株式の取引を一手に引き受ける東京株式取引所のトップのバトルは、なかなかに痛快だ。そして、この天一坊とのバトルで、トラブルシューターとしての才能を見出されたのが、後に帝人事件でも重要な役割を果たす番長会のメンバー、河合良成である。彼がどう天一坊と争い、そしてその結果、どんな価値観を見出すことになるのか。物語のラスト付近で河合良成が吐露した本心は、天一坊とのバトルあってのものだろう。
それから、帝人事件を事件として形作る張本人となる福原憲一が登場する。彼がいなければ、「帝人事件」などというものは恐らく存在しなかっただろう。番町会と福原憲一との関わりの発端以降は、何か特別ド派手な展開は起こるわけではないのだけど、福原憲一という歪んだ男の妄想と、真っ当な商取引がいかにして「事件」に仕立てあげられるのかという、歪な権力闘争と時代背景がゆっくりと描かれていき、読ませるのだ。
正直僕は、経済のことはさっぱり分からない。本書ではそこまで複雑な描写はないが、それでも、株式や相場の話はスッとは入ってこないし、よくわからない部分もある。それでも、株式や相場を取り巻く「熱気」みたいなものがうまく掬い上げられているように感じられるので、経済の描写がイマイチ分からなくても物語に入っていける。
また、それなりの数の登場人物が出て来る物語なのに、人間関係などはすんなり入ってくる。それぞれに個性的な性格を持たせているということもあるだろうし、その場その場で重要
な人物に重点をおいて描写しているということもあるだろうと思う。財界人という、一般人にはなかなか馴染みのない世界の住人の物語ではあるのだけど、彼らが何を考え、どういう意図で何をしているのか、そういうことが、当時の時代背景などについてあらかじめ詳しい知識を持っていなくても読めるのも巧いと感じるし、ちゃんと史実には沿っているのだろうけど、史実として残っていない遊びの部分での登場人物の動かし方が巧いのだろうなぁ、と思う。
それと、これは「銭の戦争」でも同じことを感じたのだけど、この著者は、芸術や文化と言った方面への造形が滅法強い。僕はまったく知識がないので、固有名詞を並べられてもピンとくるものは少ないのだけど、この著者は、ただ固有名詞の羅列にならないで、きちんとその雰囲気を伝えるように描いているのが見事だと思う。言ってしまえば芸術だの文化だのと言った部分は、物語の本筋とは関係ないのだけど、当時の財界人にとっての嗜みであっただろうからそういう描写はあって当然だし、それが登場人物たちの人間性にさらに幅を持たせているとも感じる。
著者は、別名で出している新書で、芸術方面にかなりカネを使ったと書いていたように記憶しているのだけど、恐らくそれらの趣味趣向がきちんと作品に反映されているのだろう。この「遊び」の部分が、作品を一層引き締めていて良いと思う。
著者自身もファンドマネージャーだったからこそ読み解けたのだろう「帝人事件」という謎めいた疑獄事件の裏側を、「恐らくこうだったのだろう」というリアルさを持って描き出す作品です。ラストまで一気に読ませる筆力と、難しい題材をエンタテインメントに仕上げる手腕は見事だと思いました。僕は「帝人事件」については、本書に書かれていること以外一切何も知らないので、本書の記述がどこまで真に迫っているのかは分かりませんが、もしどこかに齟齬があったとしても、フィクションとして非常に読ませる面白い作品だと思います。是非読んでみてください。

波多野聖「悪魔の封印 眠る株券」



 
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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)