黒夜行

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アップルソング(小手鞠るい)

『怖くはありません。なぜなら私は、炎の中から生まれてきたのです』

一人の女性が、世界に名を馳せた一人戦場カメラマンの生涯を追う。鳥飼茉莉江。彼女は、「岡山無警報空襲」の後、兄の手で瓦礫の山から救い出された幼子だった。
炎の中から生まれてきた幼子が、いかにして世界的な戦場カメラマンとなっていったのか。その軌跡を、丁寧に、化石を掘り出すようにしてゆっくりと描き出していく。
母親の違う兄弟たちとの共同生活、突然のアメリカへの移住、沈んだような青春時代、彼女をニューヨークへと駆り立てた出来事。様々な出会い。そして、それまでに経験してきた様々な断片が、排水口に集まるようにして、最終的にスーッと収斂していく。

『この世界は、美しくないもので満たされている。この世界は、美しくない。醜い。むごい。残酷で冷酷だ。非情で非業だ。私は、この醜い世界を撮りたい。悪、憎悪、暴力、虐待、争い、奪い合い、殺人、札商、殺戮、人の悪がもたらす悲劇。私はそれらを撮り続ける。』

美しいものに惹かれて、美しいものを撮りたくて必死でカメラを手に入れた日々。美しいものを撮り続けた日々。茉莉江にはそんな日々が確かにあった。その時間が、堆積が、いかにして「この醜い世界を撮りたい」に変わっていったのか。それは、茉莉江を襲ういくつかの出来事の集積の結果ではあるが、しかし、その端緒は、突然アメリカで暮らすことになった少女が、氷川丸の中で見たある光景の中にも存在していた。

『一枚の絵、一枚の写真、一冊の本、この世界で起こる出来事、この世界に存在している、ありとあらゆる物は、言葉は、ときには人も、戦争でさえ、光の当て方によって、当たり具合によって、どこにどのぐらい当てるかによって、色を姿を形を影を、ときには本質すら、変えてしまうものなのだ、と。』

自ら戦場に飛び込んでいく以外は、決して激動といえるほどではない茉莉江の人生。しかしその人生を深く丹念に解きほぐしていくことで、一人の女性の、世界と対峙する覚悟、未来を希望する祈りのようなものが滲み出てくる。
そして、そんな茉莉江の人生を掘り起こしていくのが、一人の女性だ。
この女性が何者であるのかは、最後の最後まで明かされることはない。茉莉江と一体どんな接点を持つ人物なのか、読んでいる間はわからない。
彼女は、執拗にという表現で言い過ぎではないほどに、茉莉江の人生に執着する。茉莉江が生み出したものに触れ、茉莉江が関わっていた人から話を聞き、茉莉江が見たであろう光景を追体験する。その執拗さ。彼女の背景に、茉莉江とのどんな繋がりがあるのか。
一人の女性が、他人の人生に踏み込んでいく。そこに、希望を感じ取る人もいるかもしれない。自分が死んだ後も、こんな風に、誰かが自分の軌跡を追いかけてくれるかもしれないと。
というような話です。
なかなか素晴らしい作品だと感じました。正直に言えば、読み始めはさほどそうは感じなかったのですが、読み進めていくに連れて重厚感が増していく感じがありました。それはさながら、薄いパイ生地を次々に重ねていくようなものかもしれません。一枚一枚のパイ生地はとても薄い。それ一枚だけを取り上げても、物語にはならない。しかし、それを幾重にも幾重にも重ねていく。するとやがてその重なりは、当初思い描いていたよりもずっと厚くなっていることに気づく。
全体の構成が、非常にうまい作品だと感じました。物語は、様々な人物の視点によって展開されていくのだが、大きく分けて、「茉莉江あるいは茉莉江と同時代の人の視点」と、「茉莉江を追う現代に生きる女性」の二つに分けられる。そしてこの二つのパートが、実にうまく折り重なって物語が進んでいくのだ。茉莉江の時代の描写と繋がるようにして現代のパートが描かれ、現代のパートと繋がるようにして茉莉江の時代が描かれていく。そうやって一個のボールを時空を超えて投げ渡していく中で、少しづつ、綿菓子のようにそのボールが大きくなっていくのだ。
また、現代史を物語の中に絶妙に絡ませているところも巧い。これに関しては、惜しいと感じる点もあるのだけど、全体としては非常に巧く成り立っていると感じる。
茉莉江、そしって茉莉江を追う女性の人生のあちこちに、現代史が色濃く関わっていく。歴史に詳しくない僕でさえ、さすがに名前ぐらいは知っている出来事が描かれていく。そしてそれが、ただ時代背景を描き出すための小道具として出てくるのではなく、茉莉江の人生に、ストーリーそのものに、深く関わっていくことになる。
正直に言えば、有名な出来事に関わり過ぎている、という感じを受けなくもないが、そこは茉莉江が戦場カメラマンであるという設定が非常にうまく利いている点でもあると感じる。それぞれの出来事が、茉莉江に何をもたらし、どう決断を迫るのか。現代史を効果的に使った構成が巧いと感じます。
さらに、それぞれの出来事の細部が非常にリアルだと感じました。これも、僕が歴史に詳しいわけではないので的はずれな感想の可能性もあるけど、描かれる出来事の現実感をうまく捉えている感じがしました。有名な出来事を描いているが故に、おそらくですが、「読者が知っているはずのこと」には敢えてあまり言及していないのではないかという気がします。そして、そうではない、現場にいた人間だからこそ感じられる手触りだとか、そんな風だったのかと思わせるようなちょっとしたエピソードをうまく入れ込むことで、出来事のリアリティをうまく醸し出しているように感じました。
ただ、現代史の挿入の仕方には、少し不満もあります。時々、物語から外れて現代史に焦点が移りすぎていると感じる場面もありました。その後で、ちゃんと物語に戻ってくるのですが、一瞬、ただ歴史の一場面を切り取っているだけのような、その場面がどう物語を関わってくるのかイマイチ想像出来ないような、そんな描写がポンと投げ込まれることがある印象がありました。そういう場面では、もはや作中の誰も主人公ではなく、ただその出来事だけが描かれることになる。三人称で描かれていて、さらに視点もどんどん変わっていく物語なので、「誰かの視点でその出来事を切り取れ」と言うつもりはないのだけど、そういう場面が出てくると、ちょっともったいないという感じになりました。
構成について言えばもう一点。これは僕の中では結構大きな瑕疵だと思っているのだけど、冒頭、もう少し「鳥飼茉莉江」という人物についての描写が必要ではないかと感じました。
冒頭数ページで、鳥飼茉莉江という写真家がいたのだという説明がなされた後で、すぐに岡山での空襲の話になる。茉莉江の生涯を生い立ちから追っていくという構成はいいのだけど、しかし、「鳥飼茉莉江」がどんな人物なのかもまだ良くわかっていないのに、生い立ちから読ませるというのは、かなりハードルの高いことなのではないかと感じます。後半に行けば行くほど、鳥飼茉莉江という人物の厚みは増していくし、読み応えも出てくる。しかし、読み始める前の読者には、まだそれは伝わらない。冒頭で、鳥飼茉莉江という人物の特異さ、凄さ、価値観など、何でもいいから鳥飼茉莉江という人物に読者をもっと惹きつけておいた方が、物語がグッと魅力的になるのではないかと感じました。そこは、本当にもったいないと感じます。「冒頭にこんな風に描かれている鳥飼茉莉江という人物は、一体どんな風にしてこんな女性になったのだろう?」と読者に思わせることが出来るような書き出しがあれば、もっとよくなるのではないかと感じます。
僕は鳥飼茉莉江という人物を、「世界に傷を刻み込む人物」と捉えた。
この捉え方は、普通に考えればおかしい。別に彼女が、世界に傷をつけているわけではない。傷のあるところへと飛んでいって、それを記録するだけだ。
しかし、そうではないのかもしれない、とも思う。
茉莉江が向かうところは、普通の人が入り込むことなどまず出来ないような場所ばかりだ。それはすなわち、そこに傷が存在していることなど誰も気づかない、ということも意味する。
だから彼女のカメラは、「傷を記録するための道具」であると同時に、そもそも、「世界に傷を刻み込むための道具」だったのではないかとも思う。彼女の写真を見るだけの人にとっては、彼女の写真を見ることで初めて「世界の傷」を認識することが出来る。それは、大げさに言ってしまえば、「世界に傷を刻み込んでいるのが茉莉江自身だ」と言い換えも出来るだろう。彼女は、そこに絶望的に存在している傷を記録するために、同じ傷を自分自身で刻んでいく。シャッターを押し続けることで、彼女は世界に傷を刻み込んでいく。

『この会場にいる人たち全員が、望むと望まざるとにかかわらず、戦争にかかわっている、ということを、自覚しなくてはなりません』

彼女には、その自覚があった。シャッターを切ることがこの世界に傷を生むことなんだと。自分も加害者の一人なのだと。きっとそういう意識を持ち続けたのだろう。美しいものの中に留まり続けることなど出来なかった一人の女性の、それが結論だ。
だからこそ、最後、最後の最後、茉莉江が選んだ行動に、感動を覚えるのかもしれない。加害者である自分が成すべきこととはなんだろうか?という自問の行き着く先が、あの行動だったのかもしれないとも思う。彼女は、彼女がその時真っ先に捨てたものの重さを誰よりも知っていた。この物語はずっと、その重さのことを書いてきたと言っても半分ぐらいは当たっているだろう。それを「勇気」や「決断」と呼ぶのはよそう。「意思はなかった」と、そう茉莉江は言っている。意思はなかった。それは、彼女自身が幼き日に自らにプログラムした、ある種の約束だったのかもしれない。
人生は、思った通りには進まない。回り道だと思っていたものが唯一のルートっだったり、踏み込むことなど出来ないと思っていた場所が安住の地であることもある。微視的な視点で人生を眺めていると見えてこないものを、一生を濃密に描き出していくことで描き出した作品であるように感じる。
世界は、思いがけず繋がっていく。茉莉江を追う女性は、茉莉江との関わりをどんな風に自分の人生に組み込んでいくのだろうか?「物事に理由を求めても、正しい答えには、たどりつけない」と悟った彼女が、自らと茉莉江との関わりの中に見出しているものは、一体なんだろうか?
レンズという目を獲得し、世界に傷を刻み続けた女性と、歴史の堆積から一人の女性の軌跡を追い求めようとする女性。二人の、ほぼ交わることのない人生は、歴史に残る出来事を様々に背景にしながら向かい合っている。その日本の線はどこかで、僕達が生きている世界と接しているように思えてならない。そんな風に思わせる作品でした。是非読んでみてください。

小手鞠るい「アップルソング」


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2013年の個人的ベストです。

小説

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3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
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新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
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18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
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13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
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