競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で(高橋源一郎)
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内容に入ろうと思います。
本書は、作家・高橋源一郎が一時期、小説の仕事をほとんどせずに、世界中の競馬場に赴き、馬券を買い、様々な人と話をし、馬と語り、競馬というものの奥の深さに見せられ続けた時期、競馬雑誌に連載し続けた文章をまとめた作品です。
『もしかしたら、わたしは、競馬というよりも、競馬場が好きだったのかもしれない。
そこには、たくさんの競馬ファンがいた。その、たくさんの競馬ファンたちは、外見はみな異なっていたけれど、そこにいる目的は同じだった。彼らは「勝つ」ために、そこにいた。
もちろん、「勝つ」とは、とりあえずは、馬券が当たることだった。そして、ほとんどの場合、競馬ファンたちは「負ける」のである。そして、「マメル」ことに深く傷ついた後、また、「勝つ」ために、馬券を買い、馬を(そして騎手を)応援する。そして、また「負ける」。そのことを、彼らは繰り返し続ける。「負ける」とわかっている勝負に、彼らは魅せられたように、挑んでいた。
そのような人たちのための場所が、競馬場だった。そして、わたしもまた、ひとりの競馬ファンとして、「負け」続けた。
では、そんなに「負け」続けるのに、彼らは、というか、どうして、わたしは、競馬場に行くことを辞められないのだろう。そんな疑問が、時に、脳裏に浮かぶことはあった。けれども、そんな余計な考えはすぐに忘れることにした。そして、わたしは競馬場に通ったのだ。』
僕自身は、競馬をしたことは一度もない。馬が走っているのを見たこともほとんどない(テレビでチラッと視界に入るぐらい)。競馬場に行ったことは一度あるのだけど、競馬をしに行ったわけでも、馬を見に行ったわけでもない。だから、本書に書かれている固有名詞はほぼ分からないし、彼らが一体どこに惹かれて競馬というものにのめり込んでしまうのかも、まったく分からない。
競馬は不思議だ。著者も書いているように、普通に考えれば「負ける」のだ。そういう風に出来ている。しかし本書を読んで、一つ理解したことがある。それは、決して「お金を増やすため」だけに競馬にのめり込んでいるわけではないということだ。
『馬を好きになるのと馬券は別だという人間がいる。その人の言うことはたぶん正しいのだろう。正しい人間はいつまでも正しいことをすればいい。だが、わたしは自分が正しいことを証明するために競馬場に通っているわけではない』
もちろん、競馬の「ギャンブル」的な部分にのめり込んでいる人もたくさんいるのだろう。しかし、本書で高橋源一郎が描き出すのは、ギャンブルとしての競馬ではなく、走るために改良された競馬馬という存在、あらゆる感情が渦巻き、時に一体感を演出しもする競馬場という空間、そして競馬を愛する人間との触れ合いだ。ギャンブルに勝つか負けるか。そんな視点を超越した空間と存在に、人々は魅せられているようなのだ。
『その瞬間までは他人だった。けれども、もう私たちは他人ではなかった。ルドルフの子がロンシャンを2着で走った。見えない壁を乗り越えるには、それだけで充分だったのである。』
高橋源一郎は、日本の競馬場ではなく、世界の競馬場へと飛び出していく。何故なのか。当然高橋源一郎も、競馬を始めた頃は、日本の競馬場に通っていた。僕は知らなかったが、日本の競馬のレベルは、結構高いようだ。
『最初のうち、外国人ジャーナリストたちの興味は「数字」とシステムに限られていた。だが、実際に日本の競馬場へ足を運び、その目で実際にレースを見た時から彼らの書くものの調子は変わった。素直に驚き、感動を語り、そして見習おうとさえするようになった。金より、馬の強さより、競馬場を訪れるファンに彼らは強い衝撃を受けたからだ』
高橋源一郎は、一度競馬場から足が遠のいた後、再び訪れた競馬場で、こんな感想を抱く。
『ある意味で、日本の競馬場は、世界でいちばん華やかで、豊かだった。馬券の売上は世界一だい、競馬場に来るファンたちも若者が増えていた。わたしが競馬を始めた頃とは、違った光景が目の前に広がっていた。新しい競馬ファンたちは、「負ける」ために競馬場に来ているのではなく、もう少し、楽しい何かを求めて来ているように、わたしには見えた。
だとするなら、わたしは、わたしのよく知っている、かつての「競馬場」を求めて、海外に出たのかもしれなかった』
そんな高橋源一郎は、文庫化に辺り本書を読み返して、こう思ったという。
『いま、この本を読み返してみると、わたしはとても不思議な気分になる。この本の中にいる「わたし」が、ほんとうに自分のことなのかわからなくなるのである』
僕は競馬のことはさっぱりわからないのだけど、これだけのめり込めるものがある、というのが、とても羨ましく感じられる。それがたとえ、一時の狂熱であったとしても。僕にはどうにも、そういうものを持てる気がしない。著者は、空気を吸うように、あるいは、毎日歯を磨くかのように、するっと海外の競馬場に行く。行っているように見える。そこには、気負いも決意もなく、「そうすることになっているのだ」という自然体だけがあるように思える。その肩の力の抜け方が、僕には羨ましい。そんな風にして、何かにハマってみたいものだなと思う。
『(著者が一番好きな競馬場にて)わたしたちはあんまり競馬が好きで、しかもあまりにも素晴らしい競馬場にいるので、もう競馬の話をしたくなくなっていたのだ。話に飽きて、ふと空を見上げると、泣きたいくらい晴れていた』
本書にはいくつか、サラブレッドについて書かれている文章がある。競走馬として恐らく最高の品種なのだろうサラブレッドには、世界中の競馬ファンが様々な思い入れを持っていることだろう。本書には、競馬場だけではなく、調教場にも足を踏み入れる。本当に、馬が好きなのだ。
『いいかね、友よ。サラブレッドという種族は歴史の中を流れ行く河なのだ。太くなり細くなり、いくつもの流れに分かれ、ある流れは枯れ果て、別の流れは滔々たる大河となる、その一つ一つの場所につけられた地名、それが彼らの名前なのだ。だから、友よ。「聖地」といってもどこかに場所があるわけではない。彼ら、一頭、一頭がサラブレッドという歴史の中の「聖地」なのだ』
『だが、サラブレッドだけは「生きる理由」を与えられる。それは競馬場にたどり着き、他の馬より速く走るということだ。彼らの障害は一切がそのために費やされる。それをサラブレッドに強いたのは人間だ。
それは人間のわがままだろうか。サラブレッドに対して神の立場に立とうとした人間の驕りだろうか。
わたしにはすは思えない。サラブレッドの「生きる理由」とは、サラブレッドに投影された人間自身の「生きる理由」の陰ではなかったのではないだろうか』
『サラブレッドが走る時には必ず世界中で、そのサラブレッドの一頭一頭に「頑張れ、頑張れ!」と声をかけている人間がいるはずじゃないかね。そして、そのサラブレッドを励ましながら、逆に自分を励ましているんじゃないかと思うんだ。いったい、他にどんな言葉を口にすることが出来るっていうのさ』
著者とその妻は、「一口馬主」という仕組みで自分の馬を持っているらしいが、自分たちが持っている馬について語る文章も良い。
『わたしたちが最初に一口購入した馬は脚部不安に悩まされていた。そして、ずっと牧場暮らしが続いたあげく、とうとう4歳の終わりに登録を抹消された。彼は競馬場には一度も姿を現すことが出来なかった。それからしばらくの間、自分の部屋に閉じこもった妻が、押し殺したような声で泣いているのをわたしは何度も聞いた』
『歴史に名を残す名馬がいる。だが、ファイヤーバードラッドのように、馬主とごく少数の関係者以外からはなんの興味も示されない馬ははるかに多い。彼らは束の間、競馬場に姿を現し、無名のままたちまち消え去ってゆく。だが、彼の首にしがみついて愛撫していた老人たちの顔には安堵と喜びの表情が浮かんでいたように、わたしには思えた。彼らはたぶん、こう言っていたのだ。
「よく競馬場までたどり着いた。そのことをわたしたちはほんとうに誇りに思うよ。ここへ来るためにお前は生まれたのだから」
ファンファーレが鳴った。わたしと妻は立ち上がった。「倒れそう」と妻が言った。ゲートが開いた。小さな国の小さな競馬場の小さなレースがはじまった。そのメンバーの中に、一頭だけ生まれてはじめてレースをする馬がいる』
『わたしたちがはじめて「持った」馬の一頭は5歳になってようやく遅いデビューを冬の小倉で飾った。その小さなレースのファンファーレが鳴った瞬間、わたしは、いとおしさで胸が張り裂けそうになった。ゲートが開いた瞬間、わたしは目の前が真っ白になり、そのまま倒れるのではないかと思った。それは、どんな大きな額を賭けた時にも感じたことのない至福の瞬間だった』
大半は、ほとんど名も知らない馬たちの話がなされる。そういう意味で、僕のような競馬初心者には、やはりどうしてもハードルの上がる作品ではある。しかしこの作品は一方で、取り憑かれてしまった人間の物語でもある。彼らの存在は、羨ましくも見えるし、滑稽でもあるし、愚かでもある。そんな、人間の様々な面が吹きこぼれてしまう競馬場という異空間を、絶妙な筆致で切り取った作品です。読んでみてください。
高橋源一郎「競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で」
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