黒夜行

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祈りの幕が下りる時(東野圭吾)

内容に入ろうと思います。
小菅にあるアパートで、女性の腐乱死体が発見された。死後二週間ほど経っていると思われるが、身元を示すようなものがまったく見つかっておらず、身元を特定するのにもかなりの時間が掛かった。部屋の持ち主は、越川睦夫というが、その男の行方も分からなくなっており、そもそも越川睦夫がどんな人物であるのかも、よくわかっていない。
ようやく、被害者が滋賀県に住む押谷道子と判明するが、越川睦夫との関係は不明のままだ。警視庁捜査一課の刑事であり、この事件を担当することになった松宮は、女性が殺されたと思われる日の前後で発生した、ホームレスの殺人事件も関わりがあるのではないかと想像するが、まだそれは松宮の妄想に過ぎない。
被害者である道子の足取りは、日本橋にある明治座で途切れている。そこでは今、道子の中学時代の同級生であり、女優から演出家になった浅居博美が、自身が演出した『異聞・曽根崎心中』がかけられている。明治座という大きな舞台で演出をするのは博美にとっても初めての経験で、博美は初日からずっと監事室で舞台を見ていた。
松宮の従兄弟で、日本橋署に所属する加賀恭一郎は、松宮からこの事件の詳細を聞かされた時、ある話に食らいついた。それは、越川睦夫の部屋で見つかったカレンダーだ。越川はこのカレンダーの各月に、日本橋にある12の橋の名前を記していた。そして加賀は、それをまったく同じメモを持っているのだ。
加賀の母親は、ある日突然失踪してしまった。その後行方知れずのままだったが、ある時、母親が仙台で亡くなったという連絡をもらうことになる。遺品一式を受け取り、母親の生涯に思いを馳せるよすがにする加賀だったが、その遺品の中に、越川家にあったカレンダーとまったく同じメモがあったのだ。
加賀は以前から、日本橋署への異動願いを出していた。それは、母親が遺したこの謎を解き明かすためだったのだ…。
というような話です。
とりあえず、全体的な感想としては、さすが東野圭吾、というところです。熟達、という表現がぴったりだと思うのだけど、とにかく巧い。全体の構成、ストーリーの展開のさせ方、加賀恭一郎という男の謎と人間的魅力、物語全体を貫く切なさと人間味。さらにそこに、今、あらゆる表現者が無視することは出来ないだろうある要素を無理なく組み込んでいて、さすがベテランという感じの作品でした。安定感は抜群で、東野圭吾はやはり、安心して読める作家の一人だという認識は変わりません。
ただ、ちょっとイジワルなことも言いたくなる作品でした。僕は本書を読んで、「もしこの作品が、新人賞の最終候補作だったらどうだろう?」と考えてしまいました。
個人的な意見では、新人賞を受賞出来るかどうかは半々ではないか、という気がします。
僕のイメージでは、こんな選評が書かれるような気がします。

「構成力、文章力、展開のさせ方など、筆力は非常に高いと感じた。しかし、モチーフやテーマがいささか地味すぎるきらいもある。この作品は、リアルさにこだわったと見えて、細部に渡って非常にリアリティが追求されていると思うが、リアルさを追究するあまり、物語としての魅力を追求することが疎かになっている部分もあるのではないか。」

そして、他の候補作の中に、荒削りだけどずば抜けた部分を感じる作品があれば、きっとその作品が受賞をし、そういう作品がない場合は、消去法で本作が残る。そういう選考になりそうだなぁ、と勝手にイメージしてみました。
とにかく巧い作品だと思います。ここ最近の加賀恭一郎シリーズは、なんでもないような微細な事件を取り上げて、それを読ませるレベルに仕上げるという傾向がある気がします。「新参者」も「麒麟の翼」も本作も、そういう傾向だと思います。もちろんそれは、加賀恭一郎という刑事の存在も大きいでしょう。加賀恭一郎という人物のリアルさを追求する以上、扱う事件も現実に見合ったものにならざるを得ない。そういう部分はあると思います。そういう制約(と言っていいのか分かりませんが)がある中で、本作は、地味な事件の中に、加賀恭一郎自身を組み込んでくるという、実に野心的な謎を持ってきました。加賀恭一郎が日本橋署に異動願を出したのはこの時のためだ、という描写が出てくるので、本書の構想みたいなものは大分以前からあったのでしょう。それまでも、事件や事件の関係者に加賀恭一郎が関係する、という事件はあったと思いますが、本作ほど、事件そのものに加賀恭一郎の存在が組み込まれた事件はなかったのではないかと思います。東野圭吾がいつから加賀恭一郎をシリーズキャラクターと認識したのか、それはわかりませんが、「卒業」で登場した加賀恭一郎が、まさか作中でここまでの存在に成長するとは、という驚きも、本書にはあると思います。
しかい一方で、その点も諸刃の剣と言える部分もあります。先ほどから書いているように、本書は、事件自体はとても地味です。それが悪いと言っているわけではありませんが、現実に起こりそうな事件を、現実に捜査しているような作品、と言っていいかもしれません。その謎を、より不可思議でより魅力的な存在にするのが、加賀恭一郎の存在だと僕は思います。加賀恭一郎の母親の遺品に残っていたメモが、何故越川睦夫の部屋にあったカレンダーと同じなのか。この謎が、物語全体の謎の魅力を大きく引き上げると僕は感じています。
しかしそれは、東野圭吾の作品をある程度読んでいる人間にしか当てはまらないでしょう。加賀恭一郎シリーズに触れていない人が本書をいきなり読んだとして、どれほどそれが伝わるか。本書では、加賀恭一郎の家族の話も当然出てくるのだけど、それも、加賀恭一郎シリーズを読んでいるかいないかによって、大きく読後感が変わってくるだろうと僕は感じます。
なんとなく、謎や物語全体の魅力が、加賀恭一郎の存在に依っている印象があって、それが、新規読者にはなかなか伝わりにくいだろうな、と感じてしまいました。加賀恭一郎の存在に依っていない部分にもっと強い魅力があれば、この作品単体で完結する魅力を打ち出せるのだろうけど、先ほどから繰り返しているように、事件自体は非常に地味です。地味だから悪いというわけではないのだけど、本書から加賀恭一郎の存在を抜いてしまった場合、どこまで作品として単体の魅力を引き出せるか、それはちょっと難しいのではないかな、と感じました。
本作は、繋がりが見いだせない人間関係の謎を追う物語です。なので本書を、「◯◯の物語だ」と書いてしまうことは、若干のネタバレになってしまうかもしれないと思って自重します。加賀恭一郎も含め、本書には、関係があるはずなのにその関係がまるで表に出てこないような人間がたくさん出てきます。いくつもの点が、点のまま散在している。警察の仕事は、足で稼いでその点と点を繋いで行くこと。その過程で、誰しもが想像もしなかった真実が浮き彫りになっていく。そういう意味で本書は、「現実の事件を捜査する物語」というのとはちょっと違う。むしろ、「現実の事件を起点として、様々な人間の過去を引っ張りだす物語」といえるでしょう。犯罪に関わった者だけではなく、犯罪に関わらなかった者も含めて、誰かに寄せる思いがあり、誰かの幸せを願う気持ちがあり、それまで表に出てこなかった様々なそういう思いを、事件の捜査をする過程で掬いあげていくことになる。様々な人生が折り重なる交点に、悲しみや切なさが降り積もる。加賀恭一郎は、厳しくも優しい眼差しで、その悲しみや切なさを受け止めていく。
東野圭吾のミステリーには、犯罪者の「そうせざるを得なかった」という強い思いが丁寧に取り上げられていると思う。もちろん、犯罪は犯罪だから、それを単純に擁護したいわけではもちろんない。しかし、「自分が同じ状況にいたらどうするだろう?絶対にそうしなかったと断言できるか?」と問いかけるような鋭さを持っている。絶望的な環境で、孤独な状況で、それでも人は強くいられるのか。弱さは悪なのか。東野圭吾のミステリーには、そういう、人間の存在を揺さぶる問いが込められているように感じられる。
どうするのが正解だったのか。東野圭吾が突きつける問いに翻弄されながら、是非読んでみて下さい。

東野圭吾「祈りの幕が下りる時」


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Comment

[7290]

こんにちは。
ニュースで見たのですが、東野圭吾さんが直木賞の選考委員になるそうです。
(高村薫さんも加わって、11人になると・・・)

どんな選考会が開かれるのか、なんだか楽しみですね。

[7302]

返信が遅くなってすいません!

そのニュース、見逃してるなぁ。
東野圭吾は、直木賞受賞するまでに、選考委員の不当な妨害にあって(という噂がある 笑)、受賞するのに相当苦労したんで、雰囲気変えて欲しい気がしますね。

しかし、常にそうでしょうけど、小説家ってただでさえ個性が強そうなのに、そんな人がたくさん集まって、議論が成立するんだろうか…(笑)

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「祈りの幕が下りる時」東野圭吾

第48回吉川英治文学賞受賞作品!1000万人が感動した加賀シリーズ10作目にして、加賀恭一郎の最後の謎が解き明かされる。 悲劇なんかじゃない これがわたしの人生。極限まで追いつめられた時、人は何を思うのか。夢見た舞台を実現させた女性演出家。彼女を訪ねた幼なじみが、数日後、遺体となって発見された。数々の人生が絡み合う謎に、捜査は混迷を極めるが…。 今回も仁義と人情に溢れた作品です。引き込...

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
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3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
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10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
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1位 「「科学的思考」のレッスン
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7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)