名探偵の証明(市川哲也)
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内容に入ろうと思います。
屋敷啓次郎は、80年代に一世を風靡した名探偵だ。行く先々で事件に遭遇し、「屋敷がいるから事件が起こるのだ」という無茶苦茶な批判がされることもあったが、解決率ほぼ10割という驚異的な推理力を駆使して、ありとあらゆる事件を解決。時代の人となっていた。
時は流れて2013年。屋敷は引きこもりのような生活をしていた。サラリーマンで言えばもう定年を迎えようかという年齢で、足腰も弱くなり、何よりも思考力が低下していた。
ここ最近、探偵業からは遠ざかっていた。
屋敷にはファンが多く、中でもとある事件で知り合った熱心なファンである不動産会社社長が、あらゆるところから屋敷に解決を求める事件を集めてきてくれる。しかしそれらを、「オレが出向くような事件ではない」と切り捨て、内職をしながら細々と生活をしていた。
もうオレには、探偵として生きていくことは出来ない。
その一因には、現代のアイドル探偵である蜜柑花子の存在もある。彼女も屋敷と同じく行く先々で事件に遭遇し、しかもそれらをことごとく解決している。テレビにも頻繁に登場し、かつての屋敷のように時代の寵児となっているのだ。そんな時代に、もはや老いさらばえたロートルの居場所はない。
そんな屋敷はある時、もう一度探偵業にチャレンジしてみることに決めた。
きっかけになったのは、かつて相棒だった元刑事の竜人だ。屋敷が探偵業から足を洗った後も親交は続いているが、竜人の強い勧めもあって、もう一度全力で事件に向き合ってみることにした。それで、事件を解決出来なければ、探偵業は廃業だ。
ある経営者一家に脅迫状が届いたようで、その脅迫状が蜜柑を名指ししていた。そこに屋敷と竜人も向かうのだという。周囲を谷に囲まれ、吊り橋を渡る以外にたどり着く手段のない別荘に、蜜柑・屋敷・竜人と、彼らを呼んだ4人の計7人が集まった。
そして凶行は起こり…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。僕はそこまで熱心な本格ミステリ読みではありませんが、昔は結構それなりに読みました。それらの作品群と比べて、本書は、非常に野心的で挑戦的な作品に仕上げていると僕は感じました。
本書の大きな特長は2つあると思います。
まずは、探偵本人の一人称で物語が進むということ。
普通、探偵と助手(いわゆるワトソン役)がいる物語の場合、ほぼ99%ワトソン役視点で物語が進んでいきます。まあそれはそうでしょう。探偵視点にしてしまえば、推理の過程も犯人も、全部すぐ読者に分かってしまいます。それ以外にも、ワトソン役視点で物語を進めていく利点はいくつもあるはずです。だからこそ、探偵とは別のワトソン役の人間視点で物語が進んでいくというスタイルが固定していったのだと思います。
しかし本書は、屋敷啓次郎という名探偵(元がつくとはいえ)の一人称の物語です。そこまで多くの本格ミステリを読んでいるわけではない僕ですが、たぶん探偵の一人称の本格ミステリというのは読んだことがないのではないかと思います。まずこの点が非常に斬新だなと感じました。
もう一つは、本書における「探偵」という存在が、とても「リアリティ」のあるものだという点です。
普通本格ミステリで出てくる「探偵」というのは、こう言ってはなんですが「リアリティ」に欠けるきらいがあると僕は感じます。「探偵役」と呼ばれる存在であればいいんです。「探偵役」というのは、普段は学生だったり弁護士だったりという形で生活をしているんだけど、周囲や警察の人間にその推理力を買われていて、事件が起こった時だけ「探偵役」という形で呼ばれる、という存在です。その場合、「探偵」としての「リアリティ」をとやかく言うつもりはありません。
ただ、作品の中で「探偵」として存在する人物というのも出てきます。そしてそういう「探偵」は、どうも現実味に欠ける存在であることが多いです。
何故なら、僕らが生きている世界には、本格ミステリの世界で描かれるような「探偵」というのは存在しないからです。僕らの生きている世界で「探偵」と言えば、浮気調査などをする存在ですが、本格ミステリの中の「探偵」はそんなことはしません。彼らは、殺人事件に介入して、そこで鮮やかに事件を解き明かします。さすがに現実の世界で、そんなことをやっている人間はいません。だから「リアリティ」を獲得するのが難しい。
でも本書では、「探偵」という存在を、僕らが生きている世界にいても不自然ではない存在として描き出します。これが本書の二つ目の特長だと僕は思います。
屋敷も蜜柑も、基本的に警察の協力を大前提としている。基本的に警察力というものを信頼していて、推理や犯人の追いつめ方にも、基本として警察の存在を前提にしている。また、屋敷と蜜柑が出向くことになる人里離れた別荘では、二人とも事件が起こる前にある行動をする。それは、普通の本格ミステリではなかなか描かれない状況だが、現実的に犯人逮捕を目指そうとすれば当然やってしかるべきことだ。また、現代で活躍する蜜柑は、尋問や推理の際にiPadを持って録音をしている。その理由を蜜柑は、「裁判で言った言わないの水掛け論になるから」と言う。そう、本格ミステリの解決のパターンとして、追い詰められた犯人が(大した物的証拠もないのに)自白する、というものがある。これは、その解決現場だけであれば、それでなんの問題もない。しかし、そこから警察に引き渡して裁判ということになると、自白だけが根拠で物的証拠に乏しい場合は、裁判の過程で「そんな自白はしていない!」と犯人が主張することが出来てしまう。それを防ぐための対策もきちんと取っている。
他にも、本格ミステリの世界の「探偵」をリアルな存在に見せるための工夫は随所にあるのだけど、これらは非常に珍しい設定ではないかと思う。普通の本格ミステリでは、名探偵は「何故か」事件に介入できる。その不自然さをどうにかするために、「嵐の山荘」とか「陸の孤島」みたいな状況設定をするのだが、本書のような設定であれば、無理に「嵐の山荘」「陸の孤島」を舞台にする必要はない。屋敷や蜜柑のような「探偵」の存在が社会に受け容れられており(まあ、これに関しても色々あるのだけど、それは是非読んでみてください)、警察ともそこそこ連携が取れているという設定がなされるので、やろうと思えばどんな環境でも違和感なく「探偵」としての存在を発揮することが出来る。
この二点が、なかなか斬新で面白い設定だなと僕は感じました。
そんな設定で物語が進んでいくので、作品全体の焦点は「事件」ではなく「探偵」に当たっている。普通の本格ミステリであれば、「どんな謎に彩られた事件なのか」という関心が先で、その後で「探偵がどのようにして事件を解くのか」という興味が続くでしょう。しかし本書の場合、「探偵がいかに事件を解くか」という関心が先にあって、その後で「どんな謎に彩られた事件なのか」という興味が続くという、非常に珍しい構成になっていると思います。
そこを面白がれるかどうかによって、本書の評価が変わってくるでしょう。一般的な本格ミステリ(つまり前者)が好きな人にとっては、本書はそこまで魅力を感じられない可能性もあるでしょう。一方で、昔は結構本格ミステリ読んだけど、最近全然読まなくなっちゃったなぁ、みたいな僕みたいな人間には、本書は一風変わった本格ミステリとして楽しめるかもしれません。
とはいえ個人的には、もう少し人間の描写を頑張ってくれたらもっと素晴らしかったんだけど、と思いもします。こう言ってはジャンル全体への侮蔑になってしまうかもしれないけど、本格ミステリって僕の認識では、「人間を描くことを犠牲にしてでも、素晴らしいトリック、魅力的な謎を描く」というジャンルだと思っています。だからこそ、人間の描き方については弱い部分がある。それはジャンルとしての宿命でもあるのでいいと思うのですが、しかし本書はそうした「トリックや謎がメインの本格ミステリ」ではありません。あくまでも「探偵」に焦点が当てられたミステリです。であれば、普通の本格ミステリ以上に、人間をもっとリアルに、もっと魅力的に描かないと、作品をより良いものにするのが難しいと僕は思います。
本書を読んでいてどうしても、登場人物の描写が類型的という感じがしてしまいました。普通の本格ミステリであれば許容範囲かなと思うのだけど、本書の場合は人間の描き方にもっと力を入れないと折角の設定が生きてこないと思うので、そこはちょっともう少し頑張って欲しかったなと思いました。
さて、蜜柑についても少し触れましょう。
蜜柑はなかなか魅力的なキャラクターだと思います。蜜柑以外のキャラクターは、「ちょっと頑張って普通の人を描こうとしてちょっと類型的になっちゃった」という感じがするんだけど、蜜柑の場合は、「ぶっ飛んでるんだけど、それが逆にリアリティを生み出している」という感じがします。チャラチャラした外見と、単語で喋るような拙い会話という、まあマンガに出てくるようなキャラクターですけど、個人的には本書の中で唯一、活き活きとして現実感のあるキャラクターに思えました。僕の感じ方がおかしいのかもしれないけど。
蜜柑が作中でどんな立ち位置で描かれているのか、それは是非読んでもらうとして、屋敷と蜜柑の関わり方は僕はとてもいいなと思いました。彼らは共に、行く先々で事件に遭遇してしまう運命の持ち主。それを「使命」と受け止めて、あらゆる雑音をはねのけて、彼らは「探偵」として生き抜いてきた。そんな二人だからこそ理解し合えるみたいな雰囲気がとてもいいなと思いました。
一つ一つの事件の質やトリックの面白さなどは、そこまで本格ミステリを読んでいるわけではない僕にはなかなか論じにくいですが、作品全体の構成はなかなか巧いと感じました。メインの事件が一つあり、その展開はなかなか面白いと思うし、冒頭の「解決シーン」から始まる謎解きとか、後半で出てくるエレベーターの事件は、それぞれにその事件が描写されるべき役割があって、その役割のために作中で登場するのだろうけど、でも事件単体で見てもなかなか良く出来ている感じで、「探偵」を描くという設定に見合った構成はなかなか良かったなと思います。
「探偵による一人称」「探偵という職業のリアリティ」という、普通の本格ミステリではなかなかありえない要素を組み込み、「事件」そのものではなく「探偵」に焦点が当てられた、なかなか珍しいタイプの本格ミステリです。本格ミステリが好きな人がどう感じるのか、それはなんとも分かりませんが、本格ミステリをそこまで読んでいない人間には、ある種手に取りやすい作品と言えるかもしれません。読んでみてください。
市川哲也「名探偵の証明」
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