黒夜行

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夏の果て(岡康道)

内容に入ろうと思います。
主人公の吉田は、ずっと、父親と折り合いをつけられずに生きてきた。
いや、吉田にとって、ほとんどの間、父は「不在」という存在でしかなかった。ある瞬間から、その「不在」の意味合いが大きく変わっただけだ。
典型的なガキ大将として育った吉田。家は、恐ろしく貧乏な時期と、恐ろしく金が余っている時期を往復した。貧乏な時代は、貧乏なりに楽しい生活だった。路地裏で近所の子供達と遊び周り、イタズラを仕掛け、学校でもロクに授業も聞かず悪さばかりしていた。
吉田の内側には、常に「得体の知れない空虚」があった。子供の頃から、それを自覚していた。それは、年齢を重ねるに連れて、表出の仕方が変化していく。しかし、それらはすべて根っこを同じくした、吉田の暗部だった。それが、父親との関わりの中から生まれたものなのか、それはわからない。
父が何をしているのか、誰も知らなかった。ほとんど家にいなかった。父と関わることがあれば、それはすかさず吉田にとって、嫌悪感に変換されることになった。得体の知れない存在として、父の「不在」を捉えていく。
スポーツや読書にハマる時期もありつつも、結局「何かにのめり込む感覚」を得られなかった吉田。学校での生活もどうにもつまらなく、将来の展望も見えず、どうしていいのかわからない退廃的な時間だけが過ぎていく。
19歳の冬。父は5億円の借金を残して姿を消した。
その瞬間から、吉田にとって、父の「不在」の意味が大きく変わっていくことになる。そして、父の「失踪」は、奇妙な形で吉田の大学生活を変えていく。
やがて、広告会社最大手のA社に入社することになった吉田。百鬼夜行の広告業界でも、彼は喘ぎ続けるが…。
というような話です。
さて、この作品の評価は、とても難しい。
広告業界に詳しい人なら、この著者名を見てきっとピンと来ることでしょう。敢えてここまで著者の略歴を書かないできたけど、本書の著者は、元電通のクリエイティブディレクターであり、その後、独立系のクリエイティブエージェンシーなど日本にはまだなかった時代に電通から独立して「TUGBOAT」を設立、現在もクリエイティブディレクターとして一線で活躍する日本を代表するクリエイター、らしいです。僕は広告業界のことはまったく知らないのですけど、恐らくその筋では有名な方なんでしょう。
さて、もう一回書きますが、この作品の評価は、とても難しい。その理由はこれから書くけど、本書が「自伝」ではなく、「自伝的小説」として売りだされている、という点が、非常に難しいと僕は思います。
僕は読みながら、ずっと二つの立場から本書を読んでいました。
一つは、「本書に書かれていることがほとんど事実である」という立場。そしてもう一つは、「本書に書かれていることは、全体の流れとしては著者が生きてきた通りだけど、具体的なエピソードはすべてフィクション」という立場です。前者の立場を「事実」、後者の立場を「フィクション」と呼びます。
「事実」の方に立って読むと、僕は本書をあまり評価できない。本書は、著者のデビュー作です。デビュー作で、丸々実体験を元にした「自伝的小説」を書くというのは、とても評価に困ると思う。「自伝」ならいいのだ。「自伝」なら、「こんなに面白い人生を過ごしてきたのか」という評価でその作品を捉えることが出来る。でも、「自伝的小説」と言われると、「小説」としてもその作品を評価したい。しかし、デビュー作で、丸々実体験を元にした「自伝的小説」だと、その著者の小説を書く力量は、ほとんど分からないと思う。確かに本書は、文章も結構いいと思うし、読ませる作品だとも思う。けどそれは、「実体験だからそういう風に書けたんでしょ」と捉えられても仕方がない。何作か小説作品を出している作家が「自伝的小説」を出すというのなら、それは良いと思う。それまでの作品で、小説を書く力量みたいなものは読者に伝わるだろうから、その上でこの「自伝的小説」を評価してくださいね、という体裁を取れる。しかし本書の場合、そうはならない。だから僕は、本書をどう評価していいのかわからなくなる。確かに、非凡な経験をしても、その経験を小説に仕立て上げられるかどうかというのはまた別問題だ。とはいえ、やっぱり僕は、「非凡な経験をしたんだから書けた小説なんだよね」という視点を拭うことが難しい。
さて一方で、「フィクション」の立場に立って読んだ場合、この作品はとても素晴らしいと思う。ある程度事実は混ぜつつも、自身の人生の全体の流れだけをフォローして、細かな部分は基本的に創作、という作品だとしたら、この著者の小説を書く力量はなかなかのものではないかと感じる。子供の頃から周囲に対して感じているなんとも言えない「違和感」とか、不可解な状況に放り込まれた時の何故か笑い出したくなってしまうような感覚とか、自分の内側に巣食っていると感じている謎めいた空虚とか、そういう著者自身がこれまでの人生で感じてきた様々な感情を、著者自身の実際の経験とは違うエピソードによって描き出しているのだとすれば、なかなか凄い書き手かもしれないと思う。いつ、どこにいても、「その時」に馴染めないでいる感覚とか、離人症のように、自分の感覚と行動が切り離されているみたいに感じとか、そういう著者自身が人生に対してなすりつけてきた色んな想いが、様々なエピソードによって積み上げられていくのだけど、それらほとんどが「実際の自分の経験」でないとしたら、物凄くレベルの高い書き手だなと感じる。
問題は、読者には本書がどちらなのか分からない、ということだ。もちろん、こんなことをウダウダ考える人間は多くないかもしれない。でも僕は、こんな風に感じてしまった。本書がもし「自伝」として売りだされるのであれば、なんの問題もない。主人公の名前を自身の名前に変えて、不都合があれば周囲の人間は仮名でも別にいいけど、そうやって「これは自分がまさに経験してきた出来事なのだ」ということを「自伝」という形で売り出すのであれば、それは良いと思う。小説的な手法で書かれた自伝もあるでしょう。そういう意味でも問題はないはず。
ただ、「自伝的小説」と言われてしまうと、なんだか困る。困るのは僕だけかもしれないけど、それでも僕は困る。「自伝だ」と言われれば、「凄い経験を乗り越えてきた人生」そのものを評価することが出来る。でも「自伝的小説」と言われると、小説としても評価したい。したいのだけど、デビュー作で自伝的小説という状況が、どう読んでも、著者の「小説を書く力量」を覆い隠してしまうように僕には感じられる。
まあそんなこと考えずに、作品そのものを楽しめばいい、と言われればその通りだ。本書は、先程も書いたけど、文章もなかなか良いし、主人公の一筋縄ではいかない内面描写がなかなか面白いと思う。思うのだけど、ここまでウダウダ書いてきたようなことが僕の頭の中をチラチラしていて、どうにも普通に「小説」として捉えることが難しかった。もしこの作品が、著者名を伏せてあって(まあ、僕はこの著者のことを詳しく知らないから、著者名は伏せなくても変わらないけど)、著者略歴が載っていなかったら、「小説」として本書を評価することが出来たかもしれない。
「自伝」なのか「小説」なのかということをウダウダ考えなければ、本書はなかなか良く出来ていると思う。「小説」としてどうなのかは上記の通り判断できないけど、本書が著者の人生そのままなのだとしたら、著者の人生は、なかなか面白いと思う。

岡康道「夏の果て」


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Comment

[7287]

そうなんだよ。すげー評価が難しいんだよ。
これを読んでどう感じたらいいんだ?みたいな、読後感がよくわからない。

読みやすさがあるから最後まで読み切れるところもあるけど、でも、一方で小説ととらえた時に途中で起伏もよく分からない。

という本。評価できんわ。好き嫌いわかれるな、間違いなく。
途中で読みやめちゃう人も多そうだし

[7292]

著者が有名すぎる(まあ俺はあんまり知らないけど)ってのがね、小説としての評価をしにくいんだよね。

たぶん、自分の経験を小説にしておきたかったんだろうなぁ。そうとしか捉えようがない気がする。筆力もあるし、自分の経験を書くことが悪いわけではないけど、小説としての面白さをもう少し追求して欲しかった感じかな。

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8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
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10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
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13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
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15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
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新書

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4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
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小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
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11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
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16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
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18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
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コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
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8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
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18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
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1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
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番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)