黒夜行

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わが盲想(モハメド・オマル・アブディン)

内容に入ろうと思います。
本書は、15年前、20歳になる少し前にスーダンから日本にやってきた著者が、来日時まったく日本語が喋れず、さらになんと、既に視力がほとんどないという状態だったにも関わらず、15年後の現在、音声読み上げソフトを利用して、本書を『自らの手で』執筆するまでに至った、その激動とも言える日々を、面白おかしく綴った作品です。
本書は、ノンフィクション作家であり高野秀行がプロデュース。以前、同じくポプラ社から発売になった、大野更紗「困ってる人」も、確か高野秀行プロデュースだった記憶がある。どちらも、かなり特異で特殊な人物であるのだけど、そういう人間を引き寄せてしまう高野秀行の引き寄せ力みたいなものも凄いなと思わされる作品だ。
元々スーダンのハルツーム大学(結構レベルが高いようだ)に通っていた著者は、ある時、胡散臭い先輩から、胡散臭い話を耳にする。なんでも、日本が鍼灸を学ぶ留学生を募集しているといい、スーダンにもその募集が来ているというのだ。日本では目の見えない人は鍼灸を学び、それを職業にすることが出来るという。日本へのイメージは、「テレビの組立が出来ないと小学校に上がれない」というようなものしか持っていなく、つまり何も知らなかったのだけど、鍼灸なんていう危険な仕事を視覚障害者にやらせるってことは、日本っていう国全体が視覚障害者向けに色々整備されているに違いない、という希望的観測を頼りに、応募してみることになった。
それで、スーダンからたった一人アブディンが選ばれることになった。アブディンが「ライオン」と評す恐ろしい父親をどうにか説得し、不安も抱きつつも日本へと向かうのだった。
日本についた時ちょうどラマダンの時期であり食事の時間心配をしなくてはいけなかったこと、日本で出される食事を食べられるかどうか不安だったこと、地獄のような熱さの「風呂」を体験させられたこと、などなど、日本初体験のアブディンには様々な試練がのしかかるのだが、当然のことながら何が一番の難関かと言えば、やはり「日本語」なのだった。
アブディンは、日本にやってきた当初、基本的にまったく日本語を喋ることが出来なかった。アブディンはとにかく、日本語の訓練で相当に苦労させられることになる。そもそも「日本語」をまったく話すことが出来ないのに、いきなり日本語の点字を教えられたり、あるいは、様々な事情があって福井の盲学校に入学することになるのだが、日本語すら覚束ないのに、鍼灸の授業で出てくる難解な専門用語と福井弁も同時に学んでいかなくてはいけなくなったのだ。
さらにさらに、目の見えないアブディンにとって、「漢字」というのは最難関にもほどがある、恐ろしい難関であった。これも、ある人物の熱心な指導のお陰で乗り越えていけることになる。
日本にやってきた時アブディンは、「靴紐を結ぶことができない」「パソコンのパの字もわからない」「日本語がまったく喋れない」というような状態だった。しかし今では、「この世で一番旨い食べ物は寿司」「好きな作家は夏目漱石と三浦綾子」「好きな球団は広島カープ」と、完全に日本に溶け込んでいる。
そんなアブディンの、15年間の激闘を描いた作品です。
なかなか面白い作品でした。外国人(しかも目が見えない!)が書いたとは思えないほど自然な日本語で、もちろんまったく修正が入らなかったということはないでしょうけど、本書を読むと、確かにこの著者が自分で書いているんだろうなぁ、と思えてくる作品です。15年間で、母語ではない言語、しかも「日本語」という、習得するのに世界でもかなり難易度が高いと言われている言語を、漢字混じりでこれほど操ることが出来るようになる、というところが、やっぱりまず一番の驚きでした。日本に来た時点で、日本語についてまったく知らず、話すこともほとんど出来なかったなんて、やっぱり想像出来ません。
アブディンは、日本語で相当苦労させられるわけですが、本書で印象的だった話は、「福井の盲学校でクラスメートから掛けられた言葉」と「漢字の習得」です。
アブディンは、日本語がほとんど分からない状態で、さらに専門用語が山ほど出てくる鍼灸の授業に出て、絶望します。まったく分からない!そんなアブディンに、同じクラスで学んでいたTさん(40歳前後の、子どもが三人いる女性)が、背中を撫でながらこんな風に言います。

「何言ってるの、これは日本語じゃないよ。私たちにとっても外国語なのよ。モハメドと一緒だよ。私だって泣きたいぐらい」

こう言われてアブディンは、思わず吹き出しそうになったと言います。凄く肩の荷が下りた気がしたとも。もしかしたらTさんのこの言葉がなければ、アブディンはちょっと諦めてしまっていたかもしれません。Tさんとしては、自分の素直な感想を口に出しただけで、別にアブディンを殊更励まそうとしたわけではないのかもしれないけど、アブディンにとっては、この言葉は福音と表現してもしすぎではないほどの言葉だったことでしょう。素敵な仲間が周りにいて良かったな、と思いました。
もう一つの「漢字の習得」の話。盲目のアブディンに日本語を教えてもいい、という人がなかなか現れなかったのだけど、高瀬先生という、元看護師の40代の女性が、アブディンの日本語習得を大いに加速させてくれることになる。高瀬先生は、長女が脳腫瘍を患い、その摘出出樹の歳に神経を傷つけられたために、知能の発達が遅れてしまったとのこと。それで長女のために様々な工夫をするようになったのだが、その経験が盲目のアブディンにも活かされたのだ。
そんな高瀬先生がアブディンに、漢字を覚えた方がいいという。アブディンが「(目が見えない自分が)どうやって勉強するの?」と聞くと、その方法については何も考えていなかったようで、アブディンは爆笑してしまう。高瀬先生はあれこれ考えて、粘土に割り箸で漢字を書いて覚える、というやり方を思いついて、それでアブディンは漢字を覚えることが出来たのだ。
そうやって漢字を覚えていったアブディンが一番気に入った漢字は「大」だという。

『一番気に入ったのは「大」の字である。こんなにくつろいでいいのかと思うぐらい、この字はまったりしているのだ。「大」というよりも「寛」と読ませたいぐらいだ』

外国人が書く文章とは思えないですよね。
こういう文章は作中にかなりあって、ちょっと色々と抜き出してみようと思います。

「父の行為は、明らかな国際人道法違反である」

「ぼくは、人生最大の「トライ」へ向けて、日本”渡来”を果たしたのであった」

「ぼくは初対面の人に「スーダンってどんなところですか」と飽きるほど…、ある時、「数段」という言葉を見つけて、以来、この質問に「スーダンは日本より数段広くて、数段暑い国だ」と返事をするという、初対面の人と打ちとけるのにもってこいのネタを作った。」

「つくばにいた後半の時期にぼくはブラインドサッカーと出会い、以来このスポーツに「盲目的情熱」を注ぐようになった」

「ある日、高野さんから電話があって、しばらく世間話をしていたら、突然とんだ話を持ちかけてきた」

「「めくらめっぽう」ってこういうことなんじゃないかなと、視覚障害をもった兄弟に容赦なく叩かれながらぼくは思った」

「「留学」という言葉があるが、それを聞いたとき、ぼくは「流」に「学」だと直感的に思った。だって、自分がいるところから動いてどこかへ学びに行くのだから、きっと流れて学ぶのだろう。だが、現実はそう甘くはなかった。「りゅう」は流れるどころか、その反対の「留まる」である。その衝撃的事実を聞いたとき、ぼくは怒りさえ覚えた」

こういう表現を、ただ外国人がしているというだけではなく、アブディンが視覚障害者であるという事実に、やっぱり驚かされてしまう。なんでもやれば出来る、なんていう胡散臭いことはあまり言いたくないのだけど、アブディンの15年間を読んでいると、努力で乗り越えられる幅は、それなりに広いのだろうなぁと思わされました。
本書では、日本語への苦労や違和感は結構描かれるのだけど、日本文化や慣習への違和感はあまり描かれない(と僕は感じた)。アブディンにとって、日本はなかなか相性のいい国だったのだろう。なにせ、生魚を基本的に食べることがないスーダン人が、世界で一番旨いものは寿司だというぐらいなのだから、その相性の良さはなかなかのものがある。
とはいえやはり、時々は日本への違和感を抱くこともある。僕が印象に残ったのは、「言論の自由への執着のなさ」と「就活の異様さ」についての話だ。
スーダンは、アブディンが生まれた時には既に内戦が起こっていた。2005年、アブディンが視覚障害者団体主催のスキー旅行中に、ニュースでスーダンの内戦が終結したという事実を知る。
スーダンでは、老いも若きも、政治や未来について議論をするのが当たり前だった。しかし日本でそういう議論をしようとしても、日本の若者は誰も興味を示さない。アブディンはそれを不満に感じるのだ。
また一方で、「就活の異様さ」は、アブディンを恐怖させる。新卒という賞味期間をみんな気にして、昨日まで金髪でアフリカの民族衣装っぽい服を来ていた仲間さえも、就活が始まった途端激変してしまうのだ。アブディンは、日本の就活に不自然さを感じ、正しくないのではと感じるのだが、と同時に冷静に、これは就活をしない自分を正当化するための負け惜しみかもしれない、とも言っている。
15年間、アブディンの人生は激動続きで、時には諦めたくなったこともあっただろう。正直、この原稿を書いている今でさえも、不安が一蹴されているとは思えない。しかしアブディンの筆致は、底抜けに明るいと言っていい。楽観的なわけではないし、現実を見据えていないわけでもない。その辺りのバランスはきちんと保った上で、さらに自分を道化のように仕立てて面白おかしく文章を綴っている。母語で文章を書いても、こういうバランス感覚を発揮することはなかなか難しいのではないか。そういう意味でも本書は、凄まじい作品だなと感じたのでした。
これからアブディンがどんな世界へと羽ばたき、またどんな活躍をしてくれるのか、とても楽しみだなと思います。こんなとてつもない外国人がいるんだな、と思えるだけでも、なんだか力をもらえるような気もします。是非読んでみてください。

モハメド・オマル・アブディン「わが盲想」


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2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
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5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
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9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
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19位 奥泉光「黄色い水着の謎
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4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
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小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
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11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
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9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
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12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
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2011年の個人的ベストです
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1位 千早茜「からまる
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10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)