黒夜行

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愛の徴・天国の方角(近本洋一)

凄い物語だったな、ホント。
到底僕には捉えきれない、壮大過ぎる物語だったけども。
これが新人のデビュー作っていうのは、ちょっとウソじゃないかと思う。
内容に入ろうと思います。
舞台は二つ。2031年、沖縄科学技術大学院(OIST)の量子演算センターと、1649年のヨーロッパ。
太良橋鈴は、OISTで行われるプロジェクトに応募し採用されたフランス語が専門のリサーチャーである。OISTで行われるプロジェクトというのは、文系の鈴にはほとんどさっぱり理解できないのだが、『量子コンピュータを利用して新しい検索用アルゴリズムを作り出すプロジェクト』であるらしい。何故そんなプロジェクトに、フランス語の技官が必要なのかと言えば、『アルゴリズムを自己組織化(?)させるための暴露環境(?)としてフランス国立文書館のデータベースを利用するから』ということなのだが、意味が分からない。
初めの内は、自動翻訳でも出来そうな仕事ばかりさせられていたのだけど、プロジェクトの所長とやり取りをしたことで、状況が少し変わった。
鈴は、翻訳を求められている文章の、そもそもの日本語の意味が分からない、と噛み付いたのだ。例えば趣意書の中には、こんな文章がある。

『事象の蓋然性はマッピングされた量子情報単位のヒルベルト空間での隔たりに基づくが、物理数学的には統計作用素によって表現可能であり、観測者にとって不可知の事象もすべて量子エンタングルメントとして存在する時間発展性を欠く情報と見なすことが可能である』

…意味が分からないから、訳すことだって出来やしない。
しかし所長から、ちょっとでも量子論について学んで、ある程度の単語程度の理解はして欲しいと言われ、それでプロジェクトの主幹が受け持っている講義に出ることにしたのだ。
その講義を聞いて鈴は、自分が何をしなくてはならないのか、徐々に理解していった。
彼らがやろうとしているプロジェクトは、まさに人間が物事や概念を認識する過程を再現するような形で、そういう『自己組織化するアルゴリズム』を生み出そうとしている。そのアルゴリズムに、フランス国立文書館に収蔵されているすべての情報を暴露させ、その結果として何が出力されてくるのかを検証する、というものだ。
そして鈴は、量子コンピュータが出力してきた結果を解釈する役割を期待されているらしい。
鈴は、量子コンピュータが出力してくる様々な情報を、絵画・神学・図像学と言った観点から様々に分析していくが…。
アナは、お屋敷の下女として、朝も昼もなく働き通しの毎日を過ごしていた。怒鳴られ、背中が痛み、藁の寝床で寝る毎日。
そんなアナの唯一の希望が、お屋敷の跡取りと目されていたギュスターヴだ。
ひょんなことからギュスターヴと関わりを持つようになったアナは、ギュスターヴが読んでくれるお話に夢中になった。アナは、ギュスターヴが持っている「本」に物語が書かれているということを、少しずつ理解していった。そしてアナはギュスターヴに本を読んでもらい、さらには文字も教わることになったのだ。文字を覚えたら、何でも本をあげるよ、と言って。
そのギュスターヴが、死んだ。アナはもうここにはいられないと思った。必死で、必死で逃げた。沼を越え、果てることなき草原を歩みながら、逃げ続けた。
その過程でアナは、黄金の蛇の指輪を拾った。
その指輪が、アナの運命を大きく変えることになる。
やがて、どんな病も治す魔女として知られるようになったアナ。狼となって現れたギュスターヴと共にひっそりと暮らしているところへやってきた男。
ある男の熱が一向に下がらないから助けて欲しい、と男は言う…。
というような話です。
第48回メフィスト賞受賞作だそうです。さすがメフィスト賞、という感じです!メフィスト賞以外のどんな新人賞でも、この作品を受け入れることはまず出来ないでしょう。分量的にも、テーマ的にも、新人賞の枠組みを大きく超えるし、そもそも書き手が<新人>の枠組みを凌駕していると言って言い過ぎではないでしょう。また凄い作家が出てきたものだなと思いました。
とはいえ、正直なところ僕には、この作品はちょっと難しすぎるなという感じです。
本書の凄いのは、量子論と歴史というまったく違う学問について、相当詳しく描かれている物語だ、という点です。量子コンピュータと17世紀のヨーロッパの歴史は、そもそもまったく接点のない事柄でしょう。しかしその両者を上手く物語に落とし込んでいる。それだけでなく、個々の知識そのものが本当に深く深く描かれていて、凄すぎるなと思います。
まずそもそも僕は、毎回書くように、歴史の知識がさっぱりないので、アナの方の物語はやっぱりなかなか難しいなと感じました。
なにせ、宗教的な対立だとか、秘密結社だとか、当時の価値観を反映した様々な判断や思考だとか言ったものがかなり詳しく描かれるのだけど、そういう部分が、歴史の素養がない僕にはかなり厳しいなと思いました。ある図像が「寓意」なのか「象徴」なのかという図像学の話とか、新約と旧約の違い、あるいはカソリシズムがどうのとか、神がどうだとかという話は、個々の知識としては面白いと感じられるものも多かったんだけど、ストーリーの中に組み込まれると、やっぱり上手く捉えきれなかったりするのですね。よく数学の式展開で、途中の計算がすっ飛ばされてるために、どうしてそういう式展開になるのか理解できないようなものってあるけど、それと同じように、登場人物たちが何故そこでそういう判断・行動をするのか、何故そういう感情を抱くのか、というのが、当時の価値観なんかを上手く頭の中に取り込めない僕としては、なかなか捉えにくくて、やっぱり読むのが大変だったなぁ、という感じがしました。
とはいえ、分からない部分は多かったのだけど、物語としてはなかなか面白いなと思うのです。このアナの方のパートは、不思議な力を持つ指輪が出てきたり、ギュスターヴが狼の姿になったりと、多少ファンタジー要素もある作品です。で、僕は割とファンタジーって苦手なんだけど、この作品は結構読めたのですよね。まあ、自分が難しいなと感じる部分は、結構スパスパすっ飛ばしながら読みましたけど…。
さて、じゃあ、元々理系な僕は、量子コンピュータの方のパートだったら理解できたのかというと、こっちもまあしかし難しいのなんのって。正直、本書で登場する量子コンピュータが何をしているのか、頭の中では漠然となんとなく理解出来ているような気がするけど、人に説明できるほどもでもないので、やっぱり対して理解できているわけではないだろうなという気がします。
量子コンピュータというのはまだまだ全然実用化には程遠くて、一年か二年前のニュースで、「量子コンピュータで15=3×5の因数分解が出来た!快挙!」みたいなのがあったんで、本当にまだそのレベルです。本書で描かれる「にらい」という名の量子コンピュータが登場するには、まだまだ時間が掛かることでしょう。
僕は、元々量子コンピュータというものについてざっくりとだけど理解しているので、だからこそ本書の説明も、全部とは言わないまでもそれなりには理解できる。けど、これ、文系の人には相当ハードル高いだろうし、理系の人間でも、別に高校の物理の授業で量子論や量子コンピュータについて習うわけじゃないから、個人的に量子コンピュータに関心を持っている人じゃないと、書いてあることがよくわかんないんじゃないかなぁ、という気がします。
それぐらい、結構レベル高い描写がなされる作品だと思います。
一応、量子コンピュータのパートの方は、それまで量子論に触れたこともないフランス語の技官である太良橋鈴が主人公になっているんだけど、でも個人的には、太良橋鈴の理解力は高すぎるだろ、という気がします。鈴は主幹の講義を聞いて、量子論について色々理解していくことになるんだけど、うっそー、初めて量子論について聞く人が、あの説明で分かるかしらん、というような感じが僕はしました。正直、文系の人には相当難しいだろうなぁ。
僕が本書を読んで理解した「にらい」のプロジェクトの概要は、「フランス国立文書館に収蔵されたすべての情報を前提条件として、それらについてのすべての可能な選択肢をすべて計算、その中で最も可能性の高いものを出力する」というものです。
例えば、電車の経路検索を思い浮かべてください。
「◯◯駅から☓☓駅に行きたい」「新幹線は使わない」「駅ではゆっくり歩く」という情報が『前提条件』、その前提条件を元に、「ルート1はどこどこ線を使ってどこで乗り換えて…」というような、可能なすべての選択肢を網羅する。さらにその上で、「このルートが一番早くて安くて便利です」という結果を出力する。
というようなことを「にらい」はやっている。
えー、今の経路検索の例と同じことをしてるなら、量子コンピュータじゃなくても今の古典的コンピュータでも出来るんじゃない?と思われるだろうけど、そうじゃない。具体的には僕も説明できないけど、古典的コンピュータというのは、「可能な選択肢を1つずつ計算する」のに対して、量子コンピュータは「可能性な選択肢を一気に同時に計算する」ことが出来るのだ。だから、古典的コンピュータでは、計算するのに宇宙の年齢以上の時間が掛かる計算も、量子コンピュータならすぐ計算できてしまう。だからこそ、太良橋鈴が関わるようなプロジェクトが実行できる、ということなんですね。
この量子コンピュータのパートとアナのパートが、やがて融合していくことになる。この二つが物語の中で関わりを持っていくというのは、二つのパートの雰囲気が全然違うことから考えてなかなか驚異的だと思うんだけど、本当に二つの物語が壮大な形で収束していくのは、かなり力技かもしれないけど、無理矢理感もなく上手く出来ていると思う。さらに、二つの物語が収束していくことで立ち現れるとある事実(これは、本当に本書に描かれている通りなのかなというのがとても気になる)が面白い。本書は、どこまでが事実なのかはっきり言って僕には全然理解できないのだけど、終盤で明かされるある事柄が、僕らの世界で事実だとするなら、なんか凄いな、という気がする。どう凄さを伝えたらいいのかよくわからないんだけど、なんか凄い。ホント、凄い新人が現れたものだよなぁ。
なんとなく古川日出男を連想させるような物語の壮大さがあります。世界の隅々にまで著者の意識が行き届いているような、まさに『自分が生み出した世界の創造主』たる圧倒的な存在感を持っているというような、そういう凄さがあると思いました。壮大過ぎて僕にはなかなか捉えきれない物語ではありますが、ちょっと読んでみて欲しい作品です。

近本洋一「愛の徴・天国の方角」



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Comment

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[4428] Re: 書評ありがとうございました!

コメント、ありがとうございます!
書評と言えるような大層なものではありませんですけども。

感想の中には書きませんでしたけど、量子論も歴史もこれだけ難しい作品だから、編集の方も色々大変だったでしょうし、校正なんかも恐ろしく大変なんだろうなぁ、と思いました。どこかで読みましたけど、著者の方はこの本を2ヶ月ぐらいで書いたとかで…。いやはや、信じられないですね!

「とある事実」については、ネットでちらっと検索してみましたけど、何もそれらしいものは何もヒットしなく…(笑)いずれ何らかの形で、よろしくお願い致します!

拙い感想ではありますけど、喜んでいただけたなら幸いでございます!

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感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

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