黒夜行

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ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記(小林和彦)





奇妙な本である。
本書は、面白いのかと聞かれれば、ちょっと返答に困ってしまうかもしれない。内容はといえば、一人の青年の思考や行動を描いた日記のようなものだ。僕は小林和彦という人のことを知らない。知らない人の日記は、やはり退屈ではないだろうか。
しかし、興味深いかと聞かれれば、非常に興味深い作品だ。何故なら本書は、統合失調症に冒されたその本人が、何を考えて行動し、どんなものをどのように受け取り、どんな世界に支配されていたのかということを書き綴った作品だからだ。
本書は元々、小林和彦氏が自費出版のような形で出版した「東郷室長賞」という作品がベースになっている。そして、この著者の友人に、アニメーション監督である望月智充という人がいた。著者自身も一時、アニメ制作会社で演出などを手がけていたことがある。その望月氏がこの「東郷室長賞」を読み、これはもっと多くの人に読まれるべき作品なのではないかと考え、文庫化してもらおうと新潮社に打診、そのようにして出版に到った作品なのだ。
その望月氏が冒頭で、こんな風に書いている。

『統合失調症などのいわゆる「重篤な精神疾患」を患った人が、自分の病状を正確に書き綴った例はほとんどないのだという』

解説で、精神科医である岩波明氏もこのように書いている。

『これまで自らの内的体験を正確に、客観的に描写した患者の手記は、「エデン特急」(マーク・ヴォネガット みすず書房)、「精神病棟の二十年」(松本昭夫 新潮文庫)などごく稀にしか存在していない。その点からも本書は、貴重な記録となっている。』

その後こう続く。

『これには理由がある、というのは、統合失調症などの精神疾患においては、自らの病気についての認識が不十分である飢えに、誤った解釈をしていることが多いからである。つまり、「病識」が不十分か欠如していることが多いため、自らの状態について冷静な状態で客観的に語ることができない』

一方で、冒頭で望月氏はこの作品について、こんな風にも書いている。

『彼の病状と並行してアニメ制作の現場の話やよく知られたアニメの作品名などもいろいろと出てくる。つまり、本書は決して堅苦しい記録ではなく、そこに描かれる80年代、90年だいの文化現象や出来事は、読者の皆さんにも興味深い点が多いはずだ。この本は、闘病記としてだけではなく、青春記やエッセイとして読んでいただいても面白いものだと信じている』

そういうわけで、著者が子供の頃からの記憶(何故アニメ制作を目指したのかや、もしかしたら発病に繋がる前兆と言えるのかもしれない出来事や、大学時代の自由で豊かな日常などなど)から始まり、アニメ制作会社で苦しみつつもアニメ演出などを手がけていた24歳のある日、突然彼を襲うことになった出来事、そしてその日以来見えている世界がまったく違ってしまったということから、本書刊行後の状況に至るまで、自らの言葉で可能な限り自らの内的世界を綴った作品です。
僕が本書を読んでとにかく驚異的だと感じるのは、その記憶力です。本書は、リアルタイムで綴られていた記録というわけではない。ところどころ、当時書いた文章を引用、というような箇所が出てくるのだけど、基本的には症状がある程度落ち着いた頃に昔のことを思い返して書いたものだ。
それなのに、これほどまでに詳細に当時のことを覚えていられるものなのか、という驚嘆がまずあった。記憶力が壊滅的に悪い僕には、ちょっと信じられない思いだ。特に子供の頃のことも、実に詳細に綴っている。もちろん覚えていることだけ書いているのだろうけど、その後の発病してからの記録なんかを読んでいても、元々記憶力がすこぶる良い人なんだろうなぁと思う。
さらに驚かされることは、その当時の言動だけではなく、思考さえもふんだんに描き出している点だ。「何を見た」「何を聞いた」「何を言われた」というようなことは、やはり記憶に残りやすいと思う。しかし、「何を考えた」ということを、そこまで忠実に覚えていられるものだろうか、と思った。しかも本書は、どちらかといえば思考の方が多いかもとさえ思える。自分の身の回りの様々な事柄について、当時の自分がどのように感じていたのかということを、これほどまでに詳細に描き出せるものかという驚きが強かった。
と同時にやはり、読みながら、これは「本当のこと」だろうか?とも思う。記憶違いを疑っている、ということではない。記憶違いももちろんあるだろう。しかし、病気によって生み出されてしまった「新たに作り出された記憶」なのではないか、という疑いを持ちながら読み進めてもいた。もちろんそれは、誰にも証明することは出来ない。けれどもやはり、著者が統合失調症だからというのではなく、これほどまでに当時のことを詳細に覚えていられるものだろうかという驚きから、その記憶への疑いを捨てきれないでいる。
読んでいると、あらゆることを客観的に綴っていることにビックリさせられる。著者はある時から、周囲の様々なものから勝手に「暗合」を読み取ってしまうようになる。著者は早稲田大学出身なのだけど、ある時雑誌で見た「めぞん一刻」(著者によると、それまで作品の舞台を指し示すような具体的な情報が出てこないマンガだったらしい)に突然早稲田大学の描写が出てきて、これは自分へのメッセージなのではないかと思ってしまう、というようなことだ。
本書に、こんな文章がある。

『三年前と違うのは、今回は自民党が意図的にはっきり僕を大賞にメッセージを発していたのではなく、僕が自分で勝手にそういう「意味」を受け取った、と認識していることだ。これははっきり心に刻んでおこう。現実的に現実の世界で生きていくために』

この客観性にはビックリさせられました。なんとなくイメージでしか捉えていなかった精神病の患者へのイメージがちょっと変わったような気がします。この著者は、自分の内的世界を言葉で表現することが出来たからそういう部分を外側に伝えられるけど、その伝達手段がない人もいるだろう。伝達手段がないからと言って、著者のような客観性がないわけではないはずだ。そういう意味で、僕自身にもより高度な客観性を与えてくれた作品でもあります。
著者は現在は、精神病患者が集まる施設で共同生活のようなことをしていて、概ね楽しく暮らしているらしい。その意識の根底には、こんな考えがある。

『僕が精神障害なら精神障害のままでいい、とその七年後に悟るのだが、その萌芽はこの時にあった。』

僕は勝手に、これこそが本書が伝える最も重要な価値ではないか、と考えた。別にこれは、精神障害に限らない。今の自分をどのように肯定できるか。それが、現実を現実的に生きていくための唯一の方策だろうと思う。そして、著者がそこにたどり着く過程が本書で描かれていると考えると、本書は、生きるためにどう考えるべきか、という観点からも読むことが出来るのではないかと思います。
非常に特殊で興味深い作品です。内容は、言ってしまえば「個人の日記」なので、書かれている内容そのものに興味を持てるかは人それぞれでしょう。しかし、これを統合失調症を患った人間が書いたのだ、という意識で読むと、途端に興味深い作品に見えてくることでしょう。精神病患者にも様々なタイプがいて、本書を読むだけで精神病患者全体について何か知ることが出来るわけではないけど、でも読めば、精神病というものに対するイメージが変わるのではないかと思います。是非読んでみてください。

小林和彦「ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記」


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Comment

[7573] 元統合失調症患者からの意見です

統合失調症で精神病院に入院したことがあるものです。
どうしても発狂前後の多幸感が忘れられなく本書を読みました。
そして統合失調症の発狂とはまさにこの本の書いた通りで嘘はなく極めて客観的に描かれています。
起きている寝ているなどの感覚はハッキリしているので(僕は発狂前は2日程眠れませんでした)スズメの話なども書いてある通りかと思います。
私の場合は発狂してからは自分が神になったとの妄想に捕らわれながら気を失うまで歩き続けました。
途中本書にもあったように監視の演技をやめるようにラーメン屋にどなりこんで追い出されたり、ビールの缶を地面に置いて女の子の召喚の儀式をしたりなど。最後は尊敬する人間が隠れている家へたどり着いたと思い込みインターホン連打をしつつ玄関前で倒れて警察に捕まり精神病院へ。
現在は仕事もやめてしまい統合失調症の陰性症状でやる気なく寝てばかりいます。
とりあえず言いたかったことは、本書は脚色もなく極めて客観的に起こった現実を書き記ししていると断言できるということです。
わけのわからないことばかり書いて申し訳ありませんでした。

[7574]

コメントありがとうございます。
いえいえ、全然わけわからないことではないですよ。

こんな風に統合失調症の方からコメントをいただけるのは嬉しいですね。
僕は決して、本書の内容を疑っているわけではなかったと思うんですけど(ちょっと前に読んだんで正確には覚えてませんけど)、やはり自分の経験とはほど遠い出来事なので、そのまま受け取るのは難しいという思いはあったと思います。

感想中にも書いたように、僕は本書の客観性にはとても驚きました。様々な妄想に囚われている、というのと、自身を客観的に見ることが出来る、というのは同時に成立しないように感じていたので。

ねすおさん、今も大変なのでしょうが、お大事になさってくださいね。

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3位 浅野いにお「うみべの女の子
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感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
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