黒夜行

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芙蓉千里(須賀しのぶ)

内容に入ろうと思います。
舞台は、1910年頃の、中国北東部の街・哈爾濱(ハルビン)。松花江(スンガリー)という大河と東清鉄道の交点に当たる哈爾濱は、支那人街や日本人街などを擁する大都市であり、そこに妓楼「酔芙蓉」はあった。基本的に支那人たちの街である傳家甸(フージャデン)に、日本人の女郎を抱えた妓楼を構えている店は特異で、女傑と呼ばれた女将が、どんな時勢であっても負けずに踏ん張り続けてきた、妓楼の有名店である。
そんな「酔芙蓉」に日本から売られてきたのが、フミとタエだ。
一つ年上のタエは、船旅の道中ずっとフミのことを支え続けていたが、しかしタエは自分が女郎になる運命だということを受け止めることが出来ずに深い絶望の淵に立たされたような日々を送ることになる。初めは赤前垂れで、店の雑用をやらされるだけだが、月のものが来るようになればタエは女郎として店に出される。そんな運命をどうすることもできず、ただ受け入れるしかない現実に、タエは打ちのめされている。
しかし、フミはまったく違う少女だった。
フミは、辻芸人に拾われ、角兵衛獅子を仕込まれた。全国を回る中で、「父」とのコンビで躍動感溢れる角兵衛獅子を披露し生計を立てていたフミだったが、ある時「父」が元芸妓と恋仲になり、ついには捨てられた。その芸妓に、若干舞を教わったフミだったが、しかしフミは、自らの角兵衛獅子がニセモノなら、芸妓に罵倒された舞もニセモノだと思い込んでいる。
そんなフミの拠り所は、自らの「母」についての知識だ。フミの母親は、吉原の大店でお職(その店で一番の女郎)だった、とフミは信じており、痩せっぽっちで可愛げもない自分だけど、年を取ればいずれ「母」みたいに美しくなると信じていた。
フミは、「酔芙蓉」に売られてきたわけではなかった。フミは、大陸に渡る人買いを見つけて、どうしても連れて行ってくれと頼み込んでここまでやってきたのだった。
大陸一の女郎になる。
その決意を胸に、日本を飛び出してきたフミ。どうせ、捨てるものなど、失うものなど何一つない。フミは、女郎という仕事がどんなものなのか、はっきりと全部わかった上でここまでやってきているのだ。
しかし、現実は厳しい。「酔芙蓉」の女将は、お前は一生赤前垂れだろうね、と宣告する。それでも夢を諦めることのないフミは、その一方で、女郎になりたくないと絶望するタエをその苦境から救うための一発逆転の策を練って実行に移すのだが…。
というような話です。
スケールの大きな話でした。そして、読み始めはさほど惹きこまれなかったんですけど、読んでいく内にどんどんのめり込んでいって、いつしかフミとタエから目が離せなくなってしまう。そんな小説だと思いました。
本書は主に、フミの成長が描かれていく作品です。フミがどんな風に成長していくのかという点を書くわけにはさすがにいかないと思うからなかなかもどかしいけど、フミの成長には驚かされます。
物語の冒頭では、フミは「女の子」でした。確かに、人一倍度胸は座っているし、頭もいい。生きていくために、必要なことは何でもしなくちゃいけない、という覚悟の座っている、「女の子」らしくない「女の子」だと言っていいでしょう。その辺りの対比は、運命に翻弄され、自らの人生を受け入れることが出来ないでいるタエの存在と比較して、のびのびと描かれていきます。
けれど、それでもやっぱりフミは「女の子」でした。人生経験もなければ、自ら掴みとった知識もない。人から見聞きした情報と、その年頃ではありえないほどの度胸だけを頼りに、駆け抜けている元気な「女の子」。そういう印象です。
個人的には、この「女の子」である時期の物語は、そこまで響かないかなという感じがします。でも、この時期の描写はやはり必要です。これからフミが、どのようにして「オンナ」になっていくのか。その落差を描き出すために、やはりフミの「女の子」時代の物語は欠かせません。
「女の子」でしかなかったフミが、一瞬だけ「オンナ」になった瞬間がありました。それが、得体の知れない日本人・山村との出会いです。
喧嘩の仲裁をしてくれたことがきっかけで出会った山村に、フミは一目惚れしてしまいます。一目惚れと言ったって、その時まだフミは12歳ぐらい。山村は大の大人だ。確かに、山村はフミを子供扱いしなかった。一人の人間として接してくれたし、フミにとってはそれは何よりも嬉しいことだった。しかしそれでも、結局は子供の恋心である。
…のはずなんだけど、この山村のことを、フミはずっと忘れることがない。この山村が、物語において非常に重要な軸となっていく辺り、フミの執念深さが伝わろうというものだ。12歳だったフミは、基本的にはまだまだ「女の子」だった。でも、そんなフミを瞬間的に「オンナ」に変えたのが山村だったのだ。
さて、タエとフミの物語は非常に面白くなっていく。フミは、歌の巧いタエが芸妓として生きていけるように策を練る。自分の得意な角兵衛獅子と合わせて披露し、様々な機会を捉えてはタエを芸妓にするためにあれこれと行動する。タエとフミはお互いを支えあってこれまでやってきて、その中でも、女郎になりたくないと絶望していたタエが、それでもとにかく日々生きてこれたのは、フミの励ましがあったが故だ。
そんな二人にとって最初の、そして恐らくは人生最大の瞬間が訪れる。
この場面、どんなシーンなのかここでは書かないけど、本当に素晴らしい。タエが人生最大の覚悟を決めた瞬間であるし、タエが人生で初めて女将に意見した瞬間でもある。ここで、タエとフミは誓い合う。共に、自分が目指した道を絶たれながら、それでも前進するために決断した誓い。お互いのその誓いを胸に刻み、新たな気持ちで未来を見据えるそのシーンを読んで、僕は少し泣いた。月並みな感想だけど、人は、誰かのためにならこれほどまでに強くなれるのだな、と感じました。
それからも、二人の人生は展開していく。やはり、主にフミの物語になるのだけど、フミは自ら望んだわけではないその道を、しかしこれ以上ないというくらい全力で走り抜け、並ぶもののない存在になっていく。黒谷という特異な後ろ盾も得て、益々フミは舞い続けることになる。
が、やはり運命は悪戯をするのだ。やがて迎える決断の時。フミにとってその決断は、自分の身を切り裂くような経験だった。人生のすべての目的、すべての意味、すべての経験がこの瞬間の決断のためだったかのような、それほどまでに大きな大きな決断を迫られることになる。元々カッコ良かったフミの生き様は、ここでさらに一段飛躍する。「オンナ」になればなるほどその強さと美しさを増すフミが選びとる未来。その決断に、なんだか拍手を送りたくなる。
できるだけ内容に触れないようにするために、凄くぼんやりとした感じの文章になってしまっているけど、本当に、年齢を重ねれば重ねるほど輝きを、そして凄みを増してくるフミという存在を鮮やかに描ききる手腕は見事だなという感じがしました。
そしてもう一つ。フミと同列で語ってもよいだろう本書のもう一つの主役は、やはり舞台となる「酔芙蓉」でしょう。
この場の引力の強さ、そこで生きる人間の醜い美しさと言ったら!
フミ(とタエ)の新たな人生は「酔芙蓉」から始まり、そしてそのすべてが「酔芙蓉」で終わると言ってもいいだろう。フミもタエも、「酔芙蓉」を「故郷」と呼ぶ。リセットされた人生のスタート地点であり、「女の子」から「オンナ」へと変貌していく過程のすべてを過ごしたその場所は、彼女たちにとって強い意味を持つ場になる。
「酔芙蓉」には、様々な女郎がいて、そして彼女たち一人ひとりが、何らかの形でフミとタエの人生に関わっていく。
やはり印象に強く残っているのは「お蘭」だろうか。「酔芙蓉」のお職の座を何年も続けているお蘭は、日本人街の妓楼にだって負けないほどの美貌・たおやかさ・細やかさを持つと知れた有名な女郎だった。フミも、お蘭の姿に憧れて、益々女郎の道へ進もうと決意するほどだ。
お蘭は、勝気でもなければ下品でもなく、常にたおやかに、穏やかな雰囲気を崩さない、女郎としては珍しいタイプだ。そんなお蘭との別れは、強く印象に残った。あらゆるものが嘘か幻想で出来ている「酔芙蓉」という空間において、その世界を生み出し続けている女郎という存在には、どんなことだって起こりうる。底辺の底辺の環境の中で、外界にも出られず、身体を酷使しながら日々を送っている女郎という人生の悲哀を、お蘭という存在は強く見せつけてくれた思いでした。
対照的なのが千代。千代も「酔芙蓉」の看板で、お蘭に次ぐ二番手として、その美貌がことに知られる存在だった。
この千代との別れも、また印象的である。「酔芙蓉」の女郎はすべて花の名を持つが、千代はお蘭とはまた違った形でその花を散らした。潔いのか未練がましいのか、どっちともつかない別れではあったのだけど、しかしフミはそんな千代のことを、「私が知っている中で、一番格好いい女郎だったよ」と評価する。確かに、フミの生一本生き様と、それは近いものがあったかもしれない。千代もまた、「酔芙蓉」という魔窟に取り込まれながら、最後まで矜持を捨てずに走り続けた女だった。
他にも、「酔芙蓉」では様々なことが起こり、女だらけのその空間の中で、様々な反応を生み出すことになる。女同士の、応援したいけど憎い、むかつくんだけど尊敬もしている、好きなんだけど貶す。そういう相矛盾した有り様が、常に絶望と隣合わせの環境の中で、必死にならなければ生きていくことなど到底できない壮絶な生き様の化学反応の結果だと感じられるし、どんな事情や個性であれ、どんな状況でも自らの信じるところで全力を出すその生き様は、美しささえ感じさせるなという感じがしました。
本書は、初めは戸惑うばかりでありながら、やがて大化けするタエの物語であり、個性的な女郎を幾人も抱え、時代の激流と共に奮闘し続けた「酔芙蓉」の物語であり、そして、大陸一の女郎を目指して日本を飛び出し、壮絶な努力の末に地位と評価を確立することになるフミの物語だ。どの物語も、読み応えがある。女の強さを改めて実感させられるし、全身全霊の覚悟や、絶望的なまでの努力が生み出す美しさみたいなものを実感させてくれる作品でもあると思います。エンジンが掛かるのはちょっと遅いかもしれないけど、タエとフミに必ずや惹きこまれるだろうと思います。是非読んでみてください。

須賀しのぶ「芙蓉千里」


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3位 浅野いにお「うみべの女の子
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5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

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感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

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2012年の個人的ベストです
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6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
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9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
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18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
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8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
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