静電気と、未夜子の無意識。(木爾チレン)
内容に入ろうと思います。
本書は、大学四年生の時にR-18文学賞を受賞し、本書でデビューした新人作家の作品です。
タイトルのついた三つの作品が収録されているのだけど、全体をひとまとまりで内容紹介をします。
未夜子は、それまで感情のない入れ物みたいなものだった。女の子からは散々嫌われ、見た目のいい男の子と同時にたくさん付き合ってエッチして、そんな風にして毎日生きてきた。違う、生きてきたっていうか、過ごしてきた。どれだけ綺麗な男の子たちと付き合っていても退屈だったし、女の子たちからどれだけ陰口を言われようがどうでもよかった。
大学のキャンパスで、とても変な人を見かけた。重心があるのかわからないようなフラフラした歩き方をして、格好もとても変だった。亘という名前であることはすぐに分かった。背負っているリュックに、でかでかと名前が書いてあったからだ。
未夜子は、かみなりに打たれたみたいになった。
そんなのは、今まで経験したことのない衝撃だった。自分がどうなったのか、よくわからなかった。とにかく未夜子は、亘の後をつけていって、どうにか連絡先を聞いて(でも、何故か住所しか教えてもらえなかった)、そして家に押しかけてエッチした。
絶対に自慰とかしそうにない、って初めに思ったけど、亘もやっぱりエッチするのだった。
十一回エッチをして、そうして未夜子は亘に会えなくなった。未夜子は、それから二年間、息を止めているみたいに、水中で過ごしているかのように、なんだか窮屈になった。
というような話です。ストーリーがどうこうっていう小説ではないんで、なかなか雰囲気を残したまま内容紹介をするのが難しいです。
結構好きな作品です。僕の印象では、千早茜の作品になんとなく雰囲気が近くて、でも千早茜ほどはグサリとこない感じ。方向性は僕の凄く好きなベクトルなんだけど、長さがちょっと足りないかも、という感じ。でもこれは全然悪い評価じゃなくて、僕の中で千早茜が凄すぎるんで、ちょっと千早茜と比べるのは酷だな、って感じです。もし千早茜の作品に出会っていなかったら、僕はこの作品にもっと惹かれていただろうなと思います。あぁ、別に悪い評価をしたいわけではないんだけど、巧く伝えられないなぁ。
僕は昔から、「勝手にイメージを持たれる人って大変だろうなぁ」って思っていました。
それは、「キレイ」とか「かわいい」とか「かっこいい」とか「エロい」とか「たくましい」とか、そういうプラスの評価に対しても、僕はそんな風に感じてしまうのでした。
だって、「キレイ」とか「かわいい」とか「かっこいい」とかって、自分で選んだわけじゃない。だから、それが自分そのものとピッタリ一致するかどうかで、凄く変わってくると思ってた。
『だってみんな、未夜子のかわいいという部分しか見ていないのだ。みんな、未夜子の中身が何で出来ているかなんて、少しも覗こうともしない』
『だけど未夜子はいつも、どれだけ男の子に「かわいい」と言われたって嬉しくなかった。むしろ、かわいいと言われるたび、興ざめするような感じがした。だってみんな、未夜子のかわいいという部分以外、見ようともしなかったのだ』
未夜子はところどころで、こういう感情を抱く。
そう、こういうのって辛いよなぁ、って昔から思っていたのでした。
もちろん、「周りからのイメージ」と「自分そのもの」がピッタリ一致するとか、あるいは「自分そのもの」を「周りからのイメージ」に抵抗なく合わせることが出来るとかなら、全然問題ないんだろうなって思うんです。
でもやっぱ、そういう人ばっかりじゃないよなぁ、って思います。
全然関係ない話をします。
僕は、別に妄想癖があるわけじゃないんだけど、時々、絶対にありえない状況の中でどうするか、っていう思考実験をしてみたりします。たとえば、街中で五人ぐらいの悪者に取り囲まれたらどう戦うか、みたいな思考実験です。
その一つに、もしすげぇ綺麗な女優さんと話す機会があったらどうしようかなぁ、というものがあります。
そして僕は、実際にそうできるかわからないけど、出来るだけ「綺麗ですね」とは言わないようにしよう、と思っているわけなんです。
だって、そんな言葉、その人は言われ慣れているわけですよね。そんな言葉じゃ、相手に何も刺さらない。いや、別に、女優を振り向かせようとしてるとかそういう思考実験なわけじゃないんだけど、でも折角言葉を発するんだったらさ、どこにも刺さりもしないで通り抜けるだけのものじゃない何かを口にしたいじゃないですか。
未夜子の物語を読んでいて、そういうことを思い出していた。
未夜子は、化粧なんかまったくしなくても恐ろしく綺麗な女の子だ。だから、みんなに一目惚れされて、付き合ってエッチして、だけど未夜子は、そんな日々の中に意味のある何かを見出すことは出来ないでいる。
みんな同じだからだ。同じことしか言わない。「かわいいね」「綺麗だね」そんなことしか言わないのだ。中身なんて全然見ない。未夜子に中身が何もなくたって(そして実際、しばらくの間未夜子はまったく中身のない女の子だったんだけど)、なんの問題もない。可愛ければそれでいい。
そういうの、大変だよなぁ、って。
だから、というわけではないけど、未夜子も、付き合う男の子のことは、みんな「君」と呼ぶ。
同時に9人と付き合っていたりすると、名前を呼び間違えてしまうかもしれないからだ。
そういう理由ももちろんあるんだけど、でも、名前を呼ばないことは明らかに『執着のなさ』を表している。
本書は、とてもとても固有名詞が少ない。それは、未夜子があまりにも色んなものに対して執着がないからだ。だから、名前を覚えない。未夜子にとって価値のあるもの、「きのこの山」とか「スタバ」とか、そういう名前はちゃんと覚えている。だから、「君」と呼ばれた彼氏君たちにも、もちろん執着なんてない。「きのこの山」の方が大事だ。
前にバイト先の女の子が、「自分を好きになる人には興味が持てない」という話をしていて、なんだか凄く分かるなぁ、と思ってしまったことがある。まあ、その女の子は結構可愛くて、僕は別にかっこいいわけでもないから、同じ土俵で「わかるわぁ」とか言っても仕方ない話なんだけど、でもわかる気がした。
未夜子もきっとそうで、だからこそ未夜子は、亘に惹かれたのだ。未夜子みたいなかわいい女の子と十一回もエッチしながら、一度足りとも未夜子に関心を寄せることがなかった亘に、未夜子は強烈に惹かれたのだろう。
ある場面で未夜子は、今の亘を他の人が見たら、夢遊病者か浮浪者に見えるだろう、みたいなことを思う。それぐらい亘は、全然かっこよくないし、むしろダサい。でも、未夜子は心を掴まれてしまう。かみなりに打たれてしまう。
未夜子はなんとなく、「女の子」ではなくて、ひらがなで「おんなのこ」と書きたくなるような、そういう感じがする。何が違うのか、と言われると困るんだけど、僕の印象ではそんな感じだ。「女の子」って書くと、なんというか輪郭がはっきりしている気がする。まつ毛の一本一本の先まで、その人の意志が宿っているみたいな、自分自身のありとあらゆる場所は自分がきちんと管理しているんだ、というような印象がある。それでいて「女の子」は、そういう気配を男に感じさせないようにするのが巧いんだ。でも、「おんなのこ」って書くと、なんだか輪郭がぼやぼやしているような気がする。実際未夜子は化粧とかしないし、自分がどんな風に見られているのかということへの意識も希薄だ。なんだか、全然定まっていない感じ。「おんなのこ」っていう表記には、なんとなくそんな印象があって、未夜子にはそっちの方が合うような気がする。
物語は、なんだかずっと夢の中にいるようで、っていうか違うか、タイトルのことを考えれば、『未夜子の無意識』の中にいるような感じ、って表現したらいいかな。固有名詞を覚えない、自分の関心のあるものしか視界に入ってこない、非常に限定された感覚器からの情報と、未夜子のどこから引っ張ってくるのかわからないとりとめのない思考がゴタっとしていて、凄く混沌としている感じ。『言葉未満』という材料をたくさん集めてきて、それらを適当にこね合わせていると、いつの間にか『言葉っぽく見えるもの』に仕上がりました(でも、やっぱりそれは言葉じゃないんだけど)、みたいな、そういう感覚を紙に写し取っているような感じがする。見えていないもの、聞こえていないもの、そういうあるのかどうかわからないものをどうにか捕まえて、どうにか他の人にも感じ取れる『何か』に変換しようとしているような、そういう感じがする。
ゴールがあるのかどうかさえわからない迷路をぐるぐる回っているみたいなもので、『未夜子の無意識』の中で、僕達もぐるぐるする。なんとなくその中は空気が粘ついていて、ぐるぐるしている間にちょっとずつ何かに絡め取られているような感じがして、自分の動きも、そして思考さえも鈍くなっていくみたいな感じ。なんか不思議な感覚の小説だ。
なるほど、こんなものをこんな風に表現するんだなぁ、と思うような、なんかセンスいいなぁと思う場面は結構あったんだけど、二つぐらい書いておきたいかな。
一つは、亘に電話を掛けた未夜子が、その電話を切る場面。花占いのたとえは、凄くいいなと思った。
もう一つ。電車の中で読んだミステリー小説に対する評価。『この小説にでてくる人達は、だれかを殺すなんていう境地に立っているのに、だれも愛していないし、だれも憎んでない、ぜんぜん感情がないコンピュータみたいなのに、だれかを殺したりするなんて頭がおかしすぎる』っていう文章は、なるほど確かにそんな風にも捉えられるななんて思っておかしかった。
僕は凄く好きなタイプの小説だけど、『未夜子の無意識』とどこまで読者が接続出来るかによって読後感がかなり変わってくる作品だろうなという感じはします。凄く不思議な小説です。こちらから文章を追うのではなくて、文章に粘りつけられるみたいな、なんかそんな印象があります。是非読んでみてください。
木爾チレン「静電気と、未夜子の無意識。」
本書は、大学四年生の時にR-18文学賞を受賞し、本書でデビューした新人作家の作品です。
タイトルのついた三つの作品が収録されているのだけど、全体をひとまとまりで内容紹介をします。
未夜子は、それまで感情のない入れ物みたいなものだった。女の子からは散々嫌われ、見た目のいい男の子と同時にたくさん付き合ってエッチして、そんな風にして毎日生きてきた。違う、生きてきたっていうか、過ごしてきた。どれだけ綺麗な男の子たちと付き合っていても退屈だったし、女の子たちからどれだけ陰口を言われようがどうでもよかった。
大学のキャンパスで、とても変な人を見かけた。重心があるのかわからないようなフラフラした歩き方をして、格好もとても変だった。亘という名前であることはすぐに分かった。背負っているリュックに、でかでかと名前が書いてあったからだ。
未夜子は、かみなりに打たれたみたいになった。
そんなのは、今まで経験したことのない衝撃だった。自分がどうなったのか、よくわからなかった。とにかく未夜子は、亘の後をつけていって、どうにか連絡先を聞いて(でも、何故か住所しか教えてもらえなかった)、そして家に押しかけてエッチした。
絶対に自慰とかしそうにない、って初めに思ったけど、亘もやっぱりエッチするのだった。
十一回エッチをして、そうして未夜子は亘に会えなくなった。未夜子は、それから二年間、息を止めているみたいに、水中で過ごしているかのように、なんだか窮屈になった。
というような話です。ストーリーがどうこうっていう小説ではないんで、なかなか雰囲気を残したまま内容紹介をするのが難しいです。
結構好きな作品です。僕の印象では、千早茜の作品になんとなく雰囲気が近くて、でも千早茜ほどはグサリとこない感じ。方向性は僕の凄く好きなベクトルなんだけど、長さがちょっと足りないかも、という感じ。でもこれは全然悪い評価じゃなくて、僕の中で千早茜が凄すぎるんで、ちょっと千早茜と比べるのは酷だな、って感じです。もし千早茜の作品に出会っていなかったら、僕はこの作品にもっと惹かれていただろうなと思います。あぁ、別に悪い評価をしたいわけではないんだけど、巧く伝えられないなぁ。
僕は昔から、「勝手にイメージを持たれる人って大変だろうなぁ」って思っていました。
それは、「キレイ」とか「かわいい」とか「かっこいい」とか「エロい」とか「たくましい」とか、そういうプラスの評価に対しても、僕はそんな風に感じてしまうのでした。
だって、「キレイ」とか「かわいい」とか「かっこいい」とかって、自分で選んだわけじゃない。だから、それが自分そのものとピッタリ一致するかどうかで、凄く変わってくると思ってた。
『だってみんな、未夜子のかわいいという部分しか見ていないのだ。みんな、未夜子の中身が何で出来ているかなんて、少しも覗こうともしない』
『だけど未夜子はいつも、どれだけ男の子に「かわいい」と言われたって嬉しくなかった。むしろ、かわいいと言われるたび、興ざめするような感じがした。だってみんな、未夜子のかわいいという部分以外、見ようともしなかったのだ』
未夜子はところどころで、こういう感情を抱く。
そう、こういうのって辛いよなぁ、って昔から思っていたのでした。
もちろん、「周りからのイメージ」と「自分そのもの」がピッタリ一致するとか、あるいは「自分そのもの」を「周りからのイメージ」に抵抗なく合わせることが出来るとかなら、全然問題ないんだろうなって思うんです。
でもやっぱ、そういう人ばっかりじゃないよなぁ、って思います。
全然関係ない話をします。
僕は、別に妄想癖があるわけじゃないんだけど、時々、絶対にありえない状況の中でどうするか、っていう思考実験をしてみたりします。たとえば、街中で五人ぐらいの悪者に取り囲まれたらどう戦うか、みたいな思考実験です。
その一つに、もしすげぇ綺麗な女優さんと話す機会があったらどうしようかなぁ、というものがあります。
そして僕は、実際にそうできるかわからないけど、出来るだけ「綺麗ですね」とは言わないようにしよう、と思っているわけなんです。
だって、そんな言葉、その人は言われ慣れているわけですよね。そんな言葉じゃ、相手に何も刺さらない。いや、別に、女優を振り向かせようとしてるとかそういう思考実験なわけじゃないんだけど、でも折角言葉を発するんだったらさ、どこにも刺さりもしないで通り抜けるだけのものじゃない何かを口にしたいじゃないですか。
未夜子の物語を読んでいて、そういうことを思い出していた。
未夜子は、化粧なんかまったくしなくても恐ろしく綺麗な女の子だ。だから、みんなに一目惚れされて、付き合ってエッチして、だけど未夜子は、そんな日々の中に意味のある何かを見出すことは出来ないでいる。
みんな同じだからだ。同じことしか言わない。「かわいいね」「綺麗だね」そんなことしか言わないのだ。中身なんて全然見ない。未夜子に中身が何もなくたって(そして実際、しばらくの間未夜子はまったく中身のない女の子だったんだけど)、なんの問題もない。可愛ければそれでいい。
そういうの、大変だよなぁ、って。
だから、というわけではないけど、未夜子も、付き合う男の子のことは、みんな「君」と呼ぶ。
同時に9人と付き合っていたりすると、名前を呼び間違えてしまうかもしれないからだ。
そういう理由ももちろんあるんだけど、でも、名前を呼ばないことは明らかに『執着のなさ』を表している。
本書は、とてもとても固有名詞が少ない。それは、未夜子があまりにも色んなものに対して執着がないからだ。だから、名前を覚えない。未夜子にとって価値のあるもの、「きのこの山」とか「スタバ」とか、そういう名前はちゃんと覚えている。だから、「君」と呼ばれた彼氏君たちにも、もちろん執着なんてない。「きのこの山」の方が大事だ。
前にバイト先の女の子が、「自分を好きになる人には興味が持てない」という話をしていて、なんだか凄く分かるなぁ、と思ってしまったことがある。まあ、その女の子は結構可愛くて、僕は別にかっこいいわけでもないから、同じ土俵で「わかるわぁ」とか言っても仕方ない話なんだけど、でもわかる気がした。
未夜子もきっとそうで、だからこそ未夜子は、亘に惹かれたのだ。未夜子みたいなかわいい女の子と十一回もエッチしながら、一度足りとも未夜子に関心を寄せることがなかった亘に、未夜子は強烈に惹かれたのだろう。
ある場面で未夜子は、今の亘を他の人が見たら、夢遊病者か浮浪者に見えるだろう、みたいなことを思う。それぐらい亘は、全然かっこよくないし、むしろダサい。でも、未夜子は心を掴まれてしまう。かみなりに打たれてしまう。
未夜子はなんとなく、「女の子」ではなくて、ひらがなで「おんなのこ」と書きたくなるような、そういう感じがする。何が違うのか、と言われると困るんだけど、僕の印象ではそんな感じだ。「女の子」って書くと、なんというか輪郭がはっきりしている気がする。まつ毛の一本一本の先まで、その人の意志が宿っているみたいな、自分自身のありとあらゆる場所は自分がきちんと管理しているんだ、というような印象がある。それでいて「女の子」は、そういう気配を男に感じさせないようにするのが巧いんだ。でも、「おんなのこ」って書くと、なんだか輪郭がぼやぼやしているような気がする。実際未夜子は化粧とかしないし、自分がどんな風に見られているのかということへの意識も希薄だ。なんだか、全然定まっていない感じ。「おんなのこ」っていう表記には、なんとなくそんな印象があって、未夜子にはそっちの方が合うような気がする。
物語は、なんだかずっと夢の中にいるようで、っていうか違うか、タイトルのことを考えれば、『未夜子の無意識』の中にいるような感じ、って表現したらいいかな。固有名詞を覚えない、自分の関心のあるものしか視界に入ってこない、非常に限定された感覚器からの情報と、未夜子のどこから引っ張ってくるのかわからないとりとめのない思考がゴタっとしていて、凄く混沌としている感じ。『言葉未満』という材料をたくさん集めてきて、それらを適当にこね合わせていると、いつの間にか『言葉っぽく見えるもの』に仕上がりました(でも、やっぱりそれは言葉じゃないんだけど)、みたいな、そういう感覚を紙に写し取っているような感じがする。見えていないもの、聞こえていないもの、そういうあるのかどうかわからないものをどうにか捕まえて、どうにか他の人にも感じ取れる『何か』に変換しようとしているような、そういう感じがする。
ゴールがあるのかどうかさえわからない迷路をぐるぐる回っているみたいなもので、『未夜子の無意識』の中で、僕達もぐるぐるする。なんとなくその中は空気が粘ついていて、ぐるぐるしている間にちょっとずつ何かに絡め取られているような感じがして、自分の動きも、そして思考さえも鈍くなっていくみたいな感じ。なんか不思議な感覚の小説だ。
なるほど、こんなものをこんな風に表現するんだなぁ、と思うような、なんかセンスいいなぁと思う場面は結構あったんだけど、二つぐらい書いておきたいかな。
一つは、亘に電話を掛けた未夜子が、その電話を切る場面。花占いのたとえは、凄くいいなと思った。
もう一つ。電車の中で読んだミステリー小説に対する評価。『この小説にでてくる人達は、だれかを殺すなんていう境地に立っているのに、だれも愛していないし、だれも憎んでない、ぜんぜん感情がないコンピュータみたいなのに、だれかを殺したりするなんて頭がおかしすぎる』っていう文章は、なるほど確かにそんな風にも捉えられるななんて思っておかしかった。
僕は凄く好きなタイプの小説だけど、『未夜子の無意識』とどこまで読者が接続出来るかによって読後感がかなり変わってくる作品だろうなという感じはします。凄く不思議な小説です。こちらから文章を追うのではなくて、文章に粘りつけられるみたいな、なんかそんな印象があります。是非読んでみてください。
木爾チレン「静電気と、未夜子の無意識。」
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