天使のナイフ(薬丸岳)
可塑性、という言葉を、聞いたことがないではなかったけど、でもその言葉が、まさか少年法という舞台で使われるとは思わなかった。
可塑性、というのは、粘土に例えると分かりやすい。粘土は、一度形を作っても、気に入らなければその形を変えることができる。柔軟性ともいえるだろうか、そうした性質のことを、可塑性というらしい。
少年法は、少年の可塑性に期待してそもそも作られている。
少年は、まだ形が定まっていない。一度間違いを犯したからと言って、その形のままであるということはない。教育を施し、更正によって新たな形を手に入れることができれば、再びやり直せるのだ、と。
しかし、こうした法律は、かなり昔に作られたものであるということを忘れてはいけないと思う。確かに、昔の少年はそうだったかもしれない。しかし、少年のそもそもの質が変わってきた今、その法律がどれだけ有効か、僕にはわからない。
少年法に対する僕の考え方は、以前に「さまよう刃」の感想で書いた。存在自体を否定するつもりはない。しかし、年齢の設定に関してはもっと柔軟性があるべきではないか、と。
誰にとっても素晴らしい法律なんかありえないことはわかっている。それは理想であり、理想では社会は作れない。
それでも、加害者よりも被害者が苦しみ、加害者の方が守られるような法律は、やはり間違っているように思う。
現行の少年法の場合、例えどれだけ計画的で悪意を持った犯行であっても、ある年齢以下の人間の犯行ならば、罪には問われない、ということになっている。でも、普通に考えてやはりそれは間違っていると思う。しっかりと自分のしたことを認識させ、それに対しての罰を与えてから、それから教育をすればいいのではないか。僕はそんな風に思ってしまう。
本作中に、何度かいい文章があったので、抜き出してみようと思う。
(前略)
さらに少年審判は非公開で、被疑者やその家族ですら傍聴することができない。調査官は被疑者の家族である桧山の慟哭に耳を傾けることもなく、被疑者の苦悩を裁判官に届けることもしないのだ。(中略)
そんな中で果たして、少年たちは被害者の苦しみを本当に理解して、改悛するというのだろうか。
(後略)
確かに、被害者という存在と向き合うことなく、罪の大きさを知り、その深さを実感することはできるのだろうか?
(前略)
罪を犯した者が勉学に励み、真っ当な仕事に就くことが更正なのだろうか。二度と刑罰法令に触れる行為を行わないということを更正というのだろうか。確かに社会にとってはそれも重要なことだろう。しかし、桧山は違うと思った。これから自分がどう生きていくかという前に、自分が犯してしまった過ちに、真正面から向き合うということが、真の更正なのではないだろうか。そして、そう導いていくことが、本当の矯正教育なのではないかと。
(後略)
個人のためではなく、社会のために法律はある。それが如実に感じられる言葉であり、現実だと思う。
「(前略)人生につけてしまった黒い染みは、自分では拭えないとな。少年だろうと未熟だろうと、自分で勝手に拭っちゃいけないんだ。それを拭ってくれるのは、自分が傷つけてしまった被害者やその家族だけなんだ。被害者が本当に許してくれるまで償い続けるのが本当の更正なんだとな。勝手に忘れちゃいけないんだ!」
(後略)
勝手に消えるものでも、自分で消せるものでもない。それが罪ということであり、同時に罰でもあるのだろう。人は弱いから、その罰から逃げようとする。
幸いにも、普通の刑法にすら関わるような経験はない。友達で司法試験の勉強をしている人間がいるぐらいだ。ただ、法という世界に引きずり込まれてしまったら最後、結局人は成す術なく引き下がることしかできないのかもしれない。
本作は、「少年法」というものを真正面に扱いながらも、起伏あるミステリー性の高いストーリーである。
妻祥子を、少年三人組に殺された、コーヒーショップの店長桧山。当時犯行を行った少年らは、少年法の恩恵の元に、大した罪に問われぬまま、社会に戻ってきた。桧山は、妻を殺されたにも関わらず大した情報を得ることもできずに、怒りの矛先をどこに向けていいのかわからないまま、それ以来止まってしまった時間と、否応なく進み続ける時間の中で、懸命にふんばってきた。
今桧山は、一人娘の愛美とともに、穏やかな生活を送っている。愛美の通う保育園の保育士であるみゆきや、コーヒーショップの昔からのバイトである福井らに支えられながら日常を送っている。
そんな穏やかな日常は、刑事の登場によって一気に突き崩される。当時、祥子の事件を担当していた刑事がコーヒーショップにやってきて、こう告げた。
少年Bが殺された。
少年Bとは、祥子を殺した少年三人のうちの一人。コーヒーショップ付近にある公園で殺されているのが見つかったのだという。
一体誰が何のために少年Bを殺したのか…。桧山は、少年Bが過ごした更正施設や、少年AやCについても調べていくようになる。今起きている事件は一体何なのか。そして、過去のあの事件は一体何だったのか…。
桧山という男が、少年法や社会という壁に立ちすくみ、それでも前進に繋がると信じて行動を起こす物語である。
正直に言って、読み終えて驚いた。
江戸川乱歩賞は、かなり知名度もあり、かつ実力者を輩出している歴史ある賞であることは間違いないのだが、それでもやはり新人賞であることは間違いない。新人の手になる作品、ということで、やはりそこまで期待しないで読む向きがかなりあったと思う。
だからこそ普段以上に余計に驚いたのかもしれないけど、かなり水準が高い作品であることは間違いない。
少年法というものをまずしっかりと描いているし、一人よがりになっていない。桧山という男の苦悩や叫びを緻密に描いているし、そもそもミステリーとしての完成度がめちゃくちゃ高い。確かに序盤は少し退屈かもしれないが、中盤から終盤にかけての展開の速さと見事さには舌を巻かれる。それこそ、前半の少し退屈な部分など吹き飛んでしまうように。
本当に、まさかまさかの連続で、きっと驚くと思います。
文章的にも、ある選考委員は少し難をつけていたけど、全然問題ないと思った。普通の作家並かそれ以上にちゃんとしている。綾辻行人よりもちゃんとした文章を書いているように思える。
「13階段」や「脳男」に匹敵する、あるいはそれ以上に感じる人もいるかもしれないというぐらい見事な作品です。是非是非読んでください。お勧めです。
薬丸岳「天使のナイフ」
可塑性、というのは、粘土に例えると分かりやすい。粘土は、一度形を作っても、気に入らなければその形を変えることができる。柔軟性ともいえるだろうか、そうした性質のことを、可塑性というらしい。
少年法は、少年の可塑性に期待してそもそも作られている。
少年は、まだ形が定まっていない。一度間違いを犯したからと言って、その形のままであるということはない。教育を施し、更正によって新たな形を手に入れることができれば、再びやり直せるのだ、と。
しかし、こうした法律は、かなり昔に作られたものであるということを忘れてはいけないと思う。確かに、昔の少年はそうだったかもしれない。しかし、少年のそもそもの質が変わってきた今、その法律がどれだけ有効か、僕にはわからない。
少年法に対する僕の考え方は、以前に「さまよう刃」の感想で書いた。存在自体を否定するつもりはない。しかし、年齢の設定に関してはもっと柔軟性があるべきではないか、と。
誰にとっても素晴らしい法律なんかありえないことはわかっている。それは理想であり、理想では社会は作れない。
それでも、加害者よりも被害者が苦しみ、加害者の方が守られるような法律は、やはり間違っているように思う。
現行の少年法の場合、例えどれだけ計画的で悪意を持った犯行であっても、ある年齢以下の人間の犯行ならば、罪には問われない、ということになっている。でも、普通に考えてやはりそれは間違っていると思う。しっかりと自分のしたことを認識させ、それに対しての罰を与えてから、それから教育をすればいいのではないか。僕はそんな風に思ってしまう。
本作中に、何度かいい文章があったので、抜き出してみようと思う。
(前略)
さらに少年審判は非公開で、被疑者やその家族ですら傍聴することができない。調査官は被疑者の家族である桧山の慟哭に耳を傾けることもなく、被疑者の苦悩を裁判官に届けることもしないのだ。(中略)
そんな中で果たして、少年たちは被害者の苦しみを本当に理解して、改悛するというのだろうか。
(後略)
確かに、被害者という存在と向き合うことなく、罪の大きさを知り、その深さを実感することはできるのだろうか?
(前略)
罪を犯した者が勉学に励み、真っ当な仕事に就くことが更正なのだろうか。二度と刑罰法令に触れる行為を行わないということを更正というのだろうか。確かに社会にとってはそれも重要なことだろう。しかし、桧山は違うと思った。これから自分がどう生きていくかという前に、自分が犯してしまった過ちに、真正面から向き合うということが、真の更正なのではないだろうか。そして、そう導いていくことが、本当の矯正教育なのではないかと。
(後略)
個人のためではなく、社会のために法律はある。それが如実に感じられる言葉であり、現実だと思う。
「(前略)人生につけてしまった黒い染みは、自分では拭えないとな。少年だろうと未熟だろうと、自分で勝手に拭っちゃいけないんだ。それを拭ってくれるのは、自分が傷つけてしまった被害者やその家族だけなんだ。被害者が本当に許してくれるまで償い続けるのが本当の更正なんだとな。勝手に忘れちゃいけないんだ!」
(後略)
勝手に消えるものでも、自分で消せるものでもない。それが罪ということであり、同時に罰でもあるのだろう。人は弱いから、その罰から逃げようとする。
幸いにも、普通の刑法にすら関わるような経験はない。友達で司法試験の勉強をしている人間がいるぐらいだ。ただ、法という世界に引きずり込まれてしまったら最後、結局人は成す術なく引き下がることしかできないのかもしれない。
本作は、「少年法」というものを真正面に扱いながらも、起伏あるミステリー性の高いストーリーである。
妻祥子を、少年三人組に殺された、コーヒーショップの店長桧山。当時犯行を行った少年らは、少年法の恩恵の元に、大した罪に問われぬまま、社会に戻ってきた。桧山は、妻を殺されたにも関わらず大した情報を得ることもできずに、怒りの矛先をどこに向けていいのかわからないまま、それ以来止まってしまった時間と、否応なく進み続ける時間の中で、懸命にふんばってきた。
今桧山は、一人娘の愛美とともに、穏やかな生活を送っている。愛美の通う保育園の保育士であるみゆきや、コーヒーショップの昔からのバイトである福井らに支えられながら日常を送っている。
そんな穏やかな日常は、刑事の登場によって一気に突き崩される。当時、祥子の事件を担当していた刑事がコーヒーショップにやってきて、こう告げた。
少年Bが殺された。
少年Bとは、祥子を殺した少年三人のうちの一人。コーヒーショップ付近にある公園で殺されているのが見つかったのだという。
一体誰が何のために少年Bを殺したのか…。桧山は、少年Bが過ごした更正施設や、少年AやCについても調べていくようになる。今起きている事件は一体何なのか。そして、過去のあの事件は一体何だったのか…。
桧山という男が、少年法や社会という壁に立ちすくみ、それでも前進に繋がると信じて行動を起こす物語である。
正直に言って、読み終えて驚いた。
江戸川乱歩賞は、かなり知名度もあり、かつ実力者を輩出している歴史ある賞であることは間違いないのだが、それでもやはり新人賞であることは間違いない。新人の手になる作品、ということで、やはりそこまで期待しないで読む向きがかなりあったと思う。
だからこそ普段以上に余計に驚いたのかもしれないけど、かなり水準が高い作品であることは間違いない。
少年法というものをまずしっかりと描いているし、一人よがりになっていない。桧山という男の苦悩や叫びを緻密に描いているし、そもそもミステリーとしての完成度がめちゃくちゃ高い。確かに序盤は少し退屈かもしれないが、中盤から終盤にかけての展開の速さと見事さには舌を巻かれる。それこそ、前半の少し退屈な部分など吹き飛んでしまうように。
本当に、まさかまさかの連続で、きっと驚くと思います。
文章的にも、ある選考委員は少し難をつけていたけど、全然問題ないと思った。普通の作家並かそれ以上にちゃんとしている。綾辻行人よりもちゃんとした文章を書いているように思える。
「13階段」や「脳男」に匹敵する、あるいはそれ以上に感じる人もいるかもしれないというぐらい見事な作品です。是非是非読んでください。お勧めです。
薬丸岳「天使のナイフ」
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◆ 天使のナイフ 薬丸岳
天使のナイフ薬丸 岳 講談社 2005-08by G-Tools少年犯罪をテーマにした、社会派推理小説。オススメ!主人公の桧山は4年前、妻の祥子を殺されました。犯人は13歳の少年でした。それぞれ更生施設へ送られたり、保護観察処分になったりはしましたが、少年法に守られて3人ともすでに社会復帰しています。その3人の少年のうちの1人が殺されたところから、事件は始まります。「国家が罰を与えないなら、自分の手で犯人を殺してやりたい」とマスコミに発言した事のある桧山は、警察からも、地域の人たちからも疑われることにな