黒夜行

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未踏峰(笹本稜平)

内容に入ろうと思います。
システムエンジニアとして有能であったが、ふとしたことから社会の落伍者となり、貧困層の一人としてふがいない人生を歩み続けてきた橘裕也は、たまたまみつけた北八ヶ岳の山小屋「ビンティ・ヒュッテ」のアルバイト募集に目を留め応募した。ゴールデンウィークから10月下旬までの短期の仕事ではあるが、面接時にやってきた主人の人柄に惹かれ、裕也はそこで働くことに決めた。
裕也の他にアルバイトが二人いた。しかしその二人も、裕也以上に社会の中に溶け込むことが出来ない人たちだった。
一流店でも通用するだけの料理の腕がありながら、アスペルガー症候群によってきちんとしたコミュニケーションを取ることができない戸村サヤカ。絵の才能は抜群で、体力も人並み以上だが、知的障害がある勝田慎二。「ビンティ・ヒュッテ」の主人であり、皆から親しみを込めて「パウロさん」と呼ばれる蒔本康平は、何故かそんな一癖もある面々を集め山小屋を運営していくことに決めたようだ。
彼らは、パウロさんと出会うことで、人生が大きく変わった。山小屋での生活ももちろん、彼らに自信を与えたし、素晴らしいチームワークで山小屋での生活を楽しんでいた。
しかし、それ以上に彼らを変貌させたのは、パウロさんが提案したとてつもない計画だ。ヒマラヤ山脈には、まだ誰も登頂していない山・未踏峰がいくつもある。その内の一つにみんなで登り、その山に名前をつけようではないか、というのだ。
社会の中に居場所を見いだせず、常に除け者にされてきた三人は、山の世界でのある経験から自分の人生を見つめ直すことに決めたパウロさんに導かれ、出会った頃からすれば無謀としか思えない未踏峰への登頂という偉業へ乗り出すことになる…。
というような話です。
これはいい話だったなぁ。笹本稜平の作品をそこまで多く読んでいるわけではないんだけど、笹本稜平の山岳小説である「天空への回廊」には驚愕させられた。「天空への回廊」は、ストーリーや構成力や展開など、あらゆる点でスケールが大きくて、一級のエンタメ小説として傑作だと思うのだけど、薦めにくい理由もある。その厚さや、あるいは登攀に関する馴染みのない専門用語の連発なんかが、多少ハードルとしてある。
その点本作は、人に薦めやすい。山を登るシーンは、最後にある程度まとまってはいるものの、作中の中でほどほどに分散されて、しかも分量としてもそこまで多くないから、どうしても専門用語が頻発せざるを得ない登山のシーンもそこまで大変ではない。それに、舞台がほぼ外国だった「天空への回廊」と比べて、本書は現代日本が舞台になっている。馴染みのある問題が底にあり、それが登山と絡められているという形は、登山そのものに馴染みのない人であってもすんなり読みやすいのではないかと思う。
一番大きな違いは、テーマ性だろうか。「天空への回廊」は、ハリウッド映画を見ているような大スペクタルな作品で、ストーリーが圧倒的に面白い。もちろん、ところどころに込められた小さなテーマはいくつもあるだろうけど、全体としてテーマよりストーリーで推す作品という感じ。
本書の場合はどちらかと言えば、現代日本における若者の姿をテーマとして最奥に持ってき、さらにそこに、山を登ることで人生に大きな変化を生み出せると信じるパウロさんの信念もテーマとして載せられる。社会の落伍者として扱われ、未来に希望も持てず、目の前の現実だけに汲々とするしかなかった若者三人の葛藤や挑戦が読者を揺さぶり、過去の自分と決別したいと願い新たな人生の集大成の一つとして彼ら三人を未踏峰に登らせる決意をしたパウロさんの大きくて暖かな存在感が優しく届く、そんな作品だと思いました。
物語ではよくある設定だけど、本書でも、普通の社会の中では落ちこぼれだった三人が、山という特集な環境の中では、それぞれの個性を抜群に活かしあって全体としてとてもいいパフォーマンスを実現する、というような感じがあって、まあそういう部分は若干うまく出来過ぎだよなぁという感じもするんだけど、悪い気はしない。特に、アスペルガー症候群であり、他者とのコミュニケーションに非常に苦労するサヤカの決断や行動には、考えさせられるものが多かったし、場合によってはサヤカのことが羨ましいとさえ思えた。アスペルガー症候群の人たちは様々に苦労をしているだろうから、羨ましいなんて言うのは間違っているかもしれないけど、僕は作中での裕也のこんな思考に深く頷いてしまうのだ。

『アスペルガーというのはじつは病気ではなく、健常者と呼ばれるこの世間での多数派が、思考や感覚面で自分たちとは異なる少数派に貼りつけたレッテルにすぎないのではないかとさえ思えてくる。』

本書を読むと、本当にそんな風に思う。アスペルガー症候群というのがどんなものなのか、僕は正確な知識がないけど、でも本書で描かれている断片的な描写がすべて正確であるとするなら、アスペルガー症候群の人たちが「少数派」だからと言って「おかしい/間違っている/病気だ」ということにはならないはずだ。むしろ、空気を読み合って言葉にしないコミュニケーションによって伝達・決断をし失敗する『健常者』と呼ばれる人たちの方が、能力として劣っているのではないかと思う。
僕は、アスペルガー症候群のように言葉にしないやり取りを読み取れないとか、ジョークを理解できないとか、そういう症状はないけど、でも感覚として、アスペルガー症候群の人たちの思考は凄く分かる。言葉の裏なんか、読まなくていいなら読みたくないし、言葉が言葉のままの通り相手に伝わるのであれば、それが何よりも一番いいじゃないか、と思う。こんな風に言ったら相手にこういう部分まで伝わってくれるだろうとか、言わなくてもこういうことは分かってくれるだろうというような思考は、社会の暗黙の了解として何故か『正しい』とされているだけで、それが正しい理由などどこにもないと思う。大多数の人たちがそんな風にコミュニケーションを取っているから、というだけの理由で、それが出来ない人が障害扱いされてしまうのは、やっぱりおかしいよな、と思ってしまった。
作中で一番存在感を放つのは、やはりパウロさんだろうか。それは、不在がもたらす存在感でもある。常にそこにいる、という感覚を三人が共有しているからこそ、その存在が輪郭を持つ。
もちろん、彼らが山小屋で働いていた時のパウロさんの存在感も強い。後々、パウロさんが人生の中で背負ってきてしまった重しを彼らは知ることになるのだが、そんな予感を一切抱かせないような包み込むような優しさに溢れたパウロさんの存在は、彼ら三人にとってそれだけで希望だっただろう。自分たちのことを無条件で受け入れてくれようとする人の存在には、普通に生きていてなかなか出会えるものではない。
今僕達は、なかなか『師』と呼ばる人に出会いにくくなった。昔のことは知らないけど、でも弟子入りという言葉は、相撲などごく狭い領域でしか使われていない現代よりも、一層幅広い分野で使われていただろうと思う。それは、師でいられるだけの器を持つ人間が減ったのか、あるいは弟子になるだけの根性を持った人間が減ったのか、それは解らないけど、弟子入りというスタイルが徐々に廃れていくことで、師になれる人あるいは弟子になりたい人がいても、両者を結びつけることがなかなか難しくなったという点も事実だろうとは思う。
彼ら三人は、本当に運良く、師と呼べる相手と出会え、そして最高の修行を施してもらえた。それは、凄く羨ましい。
作中では、色んな希望や価値観が語られる。それらは、希望に喘ぎ、価値観に押しつぶされそうになっていた彼ら三人を救う。読者が、本書で描かれるどんな希望や価値観に共鳴するか、それは解らない。でも、自分の今の生き方に何か不満がある、納得出来ない部分がある、逃げ出したくなる、そんな感覚を抱いている人には、何かしら届くものがあるだろうと思う。時には、本書で描かれる希望や価値観が青臭く感じられることもあるだろう。でもそんな感覚は、本書の解説を読めば吹っ飛ぶはずだ。解説の冒頭、解説氏が渾身の力を込めて放つ言葉は、作中では穏やかに語られていた『なにものか』を増幅したかのようだ。
僕達は、息苦しい世の中に生きている。険しい人生の途上にいる。それは、酸素が薄く標高も高いヒマラヤ山脈の未踏峰のように思えるかもしれない。しかし、山と人生は似て非なるものだ。それでも彼らは、山を登る。それは祈りであり、希望であり、そして『生きること』そのものでもある。そんな三人の挑戦と、彼らを暖かく見守ったパウロさんを描く作品。是非読んでみてください。

笹本稜平「未踏峰」



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2013年の個人的ベストです。

小説

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3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
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5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
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新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
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10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
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小説
1位 千早茜「からまる
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10位 原田マハ「キネマの神様
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新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
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9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)