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約束の森(沢木冬吾)

内容に入ろうと思います。
元警視庁公安部所属の刑事で、様々な理由があって刑事を辞めその日暮らしをしている奥野侑也は、かつての上司である太田経由で侑也に接触してきた緒方という、同じく公安部所属の刑事から、ちょっとした仕事を依頼されることになる。
それは表向き、「モーターモウテル・光芒」と言う名のホテルの従業員として働く、というものだった。
そのホテルは、警察関係者が秘密裏に使う場所のようで、緒方が何を目論んでいるのかさっぱりわからなかったが、とりあえず侑也はその土地で暮らせばいい、ということのようで、太田からの紹介だということもあって受けることにした。
しかしまさか、見知らぬ他人と共同生活だとは思わなかった。
住居としてあてがわれたのは、サイロというちょっと変わった建物だった。侑也一人で住むものだと思っていたら、そこに若い男女も一緒に住むのだという。
葉山ふみと、坂本隼人だ。
緒方の説明によれば、この三人で家族として振舞え、とのことだった。ふみはともかくとして、隼人はなかなか厄介そうな男で、やはりというべきか、初めの内三人は、ぎくしゃくとしたまま過ごすことになった。
緒方は、『N』と呼ばれる組織を追っているという。それを聞いて侑也は、この作戦のきな臭さを嗅ぎとる。
何故なら、かつて公安部にいた侑也にとって、『N』とは実在しない組織の通称であったからだ。その『N』が、実在すると緒方は思っているのだろうか?
ともかく、三人の生活は始まった。いや、三人と一匹だ。
侑也はホテルのオーナーから、ずっとほったらかしにされていたドーベルマンを譲り受けていた。血統書もあった、かなり有能なドーベルマンのようなのだが、長年適当に放置され、また虐待されたような痕も残る実に痛々しい佇まいであった。かつて警察犬を調教の手伝いをしていた侑也は、マクナイトという名のそのドーベルマンを引取り飼うことにしたが、当然というべきか、人間への不信感が強く、なかなか懐こうとしない。
侑也もふみも隼人も、それぞれ与えられた役割を着実にこなしていきながら、日々が過ぎていった。その過程で、行き場のない身寄りである三人の生い立ちや、それぞれが持つ能力や欠点などが少しずつ分かっていく。
状況は、相変わらず動かない。次第に彼らは、本物の家族のようになっていくが…。
というような話です。
これはなかなか面白い作品でした。この作家の作品は昔一作読んだことがあったんだけど、あんまり好きになれない感じだったのだけど、なんか評判の高かったこの作品は、確かに評判通りなかなか良い作品だと思いました。
先に、僕が思う欠点をいくつか挙げようと思います。
まずは、伏線というかネタの配置の仕方がちょっと下手かな、と。別にこの作品はミステリじゃないんで、そういう部分が下手出も別にどうってことはないんだけど、明らかに不自然とか、あぁきっとこれはあとでこういう展開になるんだろうなぁ、というのが結構バレバレ(普段読んでてそういうことにまるで気付かない僕でさえも)なのが、ちょっと残念だったかな、と。
あと、本書は最後の最後でなかなかアクション的な感じの展開になっていくんだけど、そこが若干都合が良すぎるなぁ、という点。確かに盛り上げるためには、危機一髪!というような展開が素敵だけど、でもそれはうまくやらないとただ都合がいいだけの展開になってしまう。本書は、若干そういう部分があって、だって、あれだけの状況普通はくぐり抜けられませんって。そこの説得力みたいなものが、もうちょっと欲しかったかな、という感じがしました。
あとは、タイトルかなぁ。「約束の森」って、正直読み終わった今でもちょっとピンとこない感じだし、読む前でも、これから読もうという気にさせるほどの何かがあるわけでもない。この作品だったら、もう少し適切なタイトルがあったはずじゃないかな、という感じがします。本を売る立場になって、タイトルの重要さみたいなものを常に実感するんですけど、そういう点で本書はちょっと損しているかな、という気がしました。
僕が感じた欠点は以上。
本書はまず、突然一緒に暮らすことになり、初めはぎくしゃくしたままだった侑也・ふみ・隼人の三人の関係性が、どういうことをきっかけに、どういう状況の変化が訪れ、どんな風に移ろっていくのか、そこが非常に読みどころだと思います。
この作品を読んでもらおう、という気になって欲しいから、これぐらいは明かしちゃっていいだろうけど、本書は最終的にハッピーエンドで終わります。
もちろんそうであるためには、侑也・ふみ・隼人の関係性は、物語が始まった当初から相当変わってなくてはいけません。本書では、その関係性の変化に、相当のページ数を費やすことになります。その三人にドーベルマンのマクナイトも加えれば、その三人+一匹の交流の話が作中の8割ぐらいを占めるんじゃないかな、っていうぐらい、彼らの関わりを追う描写がメインです。
侑也は、かつてある事件で妻を失い(結局死体は見つからなかった)、また事情があって警察を辞め、生きる気力が強くあるわけでもないまま孤独に過ごしてきた。
ふみは、離婚した母親に引き取られるも放置され、介護が必要になった叔母の世話を押し付けられ、叔母の死と共にふみの境遇が発覚することになるが、なんと戸籍が存在しなかったという、相当に苦労して生きてきた、23歳。
隼人は、陸上自衛隊にいたが事故で片腕をなくし、またふみと同じくなかなか強烈な生い立ちを潜りぬけ、自らの能力を活かせる「任務」を追い求めてここにやってきた19歳。
そしてマクナイトは、人間にかなり酷く扱われ、侑也が引き取った時は酷い人間不信に陥っていた、しかしその実素晴らしく優秀なドーベルマン。
彼らは、それまでの人生で、相当に傷つき、そしてまた孤独の中で生きてきた。決して自分のせいではない、暴力的なきっかけによって無理矢理その境遇へと押し込められた彼らは、ある意味で人生を半ば諦めていた。
共同生活が始まった当初は、彼らの、そもそも人間に対する不信感から、要らぬ誤解や無用な心配などに苦労させられることになる。どうしていいのかわからない、という彼らの戸惑いが、彼ら自身の生活を乱し、お互い向きあうことは出来なかった。
しかしその関係性は、少しずつ変化していく。マクナイトは、人間への不信感から初めの内は懐かなかったが、次第に元の優秀なドーベルマンの姿へと戻っていく。が、それはマクナイトだけではない。侑也・ふみ・隼人の三人も同じく、人間への不信感から打ち破ることが出来なかった自分の殻を、少しずつ破っていくことになる。
そしてそれは、マクナイトの存在が象徴的だと僕は思う。侑也とマクナイトの関係性が変わっていったことが、他の人間関係の変化を予感させるものだし、また直接的にも、マクナイトが存在したことで関係性の変化が加速する出来事が起こったりもする。本書でマクナイトは実に素晴らしい役割を担うのだけど、その一端は間違いなく、侑也・ふみ・隼人の三人を『家族』にまとめあげた功績だろうと思う。
個人的には、特に隼人が変化していく過程がいいな、と僕は思いました。ふみは、女性らしい柔軟さがやっぱりあるし、侑也はマクナイトとの交流で自分の壁を破る素地が出来ている。でも隼人は、まだ未成年だという若さもあるし、性格的にもなかなか自分から引くことが出来ない男だ。そんな彼が、様々な経験を経て変わっていく姿は、なかなか素晴らしいと思います。
また本書のもう一つの良さは、彼らが置かれている状況の面白さだと思う。
侑也たちの日常の描写を読んでいると、なんとなくごく一般的な家族小説だと錯覚してしまいそうになるけど、本書ではあくまでも彼ら三人は、とある作戦に従事している、ということになっている。彼らが積極的に何かするわけではなく、彼らがその土地で生活をする、というのが作戦にとって重要なわけだけど、いずれにしても彼らの生活は、彼らを覆うとあるミッションの一要素でしかないわけだ。
その、彼らを取り巻く環境そのものが、なかなか面白いのだ。
それは、『N』という存在の不確かさが非常に大きく関わっているという感じがしました。
緒方が追っている『N』というのは、侑也の認識では存在しない組織だ。公安に配属になると出世しやすいと言われる。その一つの理由として、『N』という架空の組織をでっちあげ、その『N』について捜査をしている風に見せかけることで昇進試験にせいを出す、という噂が公安内ではあるのだ。侑也にしてみれば、『N』とはそういう扱いの組織であり、だから緒方が『N』を追っていると聞いて驚く。
緒方としては、もちろん目論見がある。とはいえ、その緒方にしても、すべて自らの自由でこの作戦を動かせているわけではない。そこには様々な思惑が絡みあい、侑也からしてみれば支離滅裂としか思えない謎めいた作戦展開になっている。
その『N』という組織の不確かさが、侑也たちを取り巻く環境をとても魅力的なものにしている。誰の言っていることが正しいのか。そうひとりごちたくなるくらい、様々な人間から様々な話が出てくる。侑也はそれらをすべて保留とし、どれかの意見に与しないよう努力する。そうでもしなければ、ただでさえ侑也自身は実在を疑っている『N』の存在や、またくっついて話題に出る他の組織のことなど、なかなか信用できるものではない。
これは、本書の後半でアクション的な展開になってからも、状況を一層混乱させる原因として働く。誰の思惑でどういう行動が起こされ、今一体何が起きているのか、そういうことすべてが非常に不確かで、何を頼り何を疑えばいいのかまったくわからない状況の中で、急スピードで事態が展開していく。そのスピード感もなかなかのもので、凄く面白い設定を作り上げたなと思いました。
まったくの赤の他人が少しずつ様々な経験を経ることで、血のつながりを超えた『家族』になっていく過程が凄く良い作品だと思います。この作品はなんとなく男臭い(銃をドンパチしたり、裏の世界の人たちがわらわらしたり)作品のように見えちゃう気がするけど、全然そこまででもなくて、最後の方の怒涛のアクション的展開を除けば、傷ついた彼らが徐々にお互いを信頼していく過程を描いていく心温まる作品です。是非読んでみてください。

沢木冬吾「約束の森」



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