黒夜行

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てのひらの父(大沼紀子)

内容に入ろうと思います。
舞台は、世田谷区、松陰神社前駅から徒歩十五分の女性専用の下宿「タマヨハウス」。
タマヨハウスは、タマヨさんという女性が、一人で住むには広すぎる家を、三人の女に間貸ししているという物件。築七十五年、玄関バストイレは共同、朝夕の食事付きで家賃七万円。
長瀬柊子は、ニシオトモミという人を案内しなくてはいけないのに、タマヨハウスまでの道を迷っている。とある事情から無職となり、絶賛転職活動中である柊子は、12年前に買ったリクルートスーツを着てあちこちの面接に行くのだが、成果は芳しくない。
ニシオトモミさんは、タマヨハウスの新たな管理人になる人物だ。その人を迎える役目を、柊子が仰せつかっている。
タマヨさんは突然タマヨハウスを出てアメリカに行ってしまった。その事実を、タマヨさんがアメリカから掛けてきた電話で知る、というぐらいの突然の出来事だった。なんでも、アメリカにいる友人の看病をしたいから、ということのようで、代わりにニシオトモミさんを管理人としてあてがってきたのだった。
一時間も遅刻して、さすがにタマヨハウスの前では待ってないだろう、という予想は当たっていた。どこにもニシオトモミさんらしき人物はいない。いたのは、乳母車に犬を載せた、目付きの悪い妙齢の紳士だった。あまり目線を合わせないようにタマヨハウスに入ろうとしたところを呼び止められてしまった。
なんと、その紳士がニシオトモミさんらしいのだ。
管理人として常駐することになったニシオトモミさんは、管理人として甲斐甲斐しく働いた。掃除や料理などは男性とは思えないほどの手際で、趣味でやっている編み物も実に巧い。また、住人の個人的なトラブルにも、管理人としての責任だから、という律儀さで積極的に関わっていく。「私が仕事だと思ったら、それはもう仕事なのです!」トモミさんは言う。
司法試験を目指し、ひたすらに受験勉強を続ける一方で、なんらかの形で家族とわだかまりを抱えている久遠寺涼子。アパレルメーカーでバリバリと働きながら、逃げられるはずもないとある事情からふらふらと逃げ続けている北田撫子らとともに、最初『異物』でしかなかったトモミさんとの共同生活は進んでいき…。
というような話です。
これはかなりいい作品でした。この著者の作品はなんだかんだ結構読んでるんだけど、ホント書く度に巧くなっていくなぁ。
本書を読んで僕が連想したのが『錨』です。
タマヨハウスというのは、『船』みたいなものです。特にそれまで関わりがあったわけではない人達が、一つ屋根の下で暮らしている、という理由で緩く繋がっている。外に出ていこうと思えば全然出ていけるけど、でも船の中にいた方が安全。
一方で、船って案外脆い。大型船だったらどっしりしてるだろうけど、タマヨハウスぐらいの小さな船だと、ちょっとしたことでもすぐ揺れる。しかも彼女たちが生きている『海』は、彼女たちにとってはなかなか厳しい面も持つ。就職が決まらない柊子、司法試験に挑み続ける涼子、ちょっとしたと表現できない現実を抱える撫子。彼女たちは、それぞれの形で、目の前にある『海』と闘っている。
タマヨハウスにやってきたトモミさんは、彼女たちにとって『錨』のような存在になっていく。そういう物語です。
初めはあらゆる点で周囲から浮いていたトモミさん。アメリカ暮らしが長かった、という理由だけでは説明をつけられない違和感がある。その違和感を、短い言葉で説明するのは難しいんだけど、本書を読んでいると、トモミさんのその『ズレ』が面白くって仕方がない。しかもトモミさんとしては、自分がおかしなことをしているという自覚がないのだ。このトモミさんのキャラが本当に素敵で、こんな時トモミさんだったらどんなことをしでかしてくれるんだろう、っていう期待が、ページをめくらせる原動力になる。そういう意味では読者にとっては、トモミさんっていう存在は強力な『エンジン』でもあるのかもしれないなぁ、とか思ったり。
こんな風な表現をして、読む前にイメージをつけちゃうのはあんまりよくないのかもしれないけど、僕は本書を読んで、『東京バンドワゴン』の大家族じゃないバージョンだな、と感じました。他人同士ではあるけど、一つ屋根の下で暮らしている人たちの間で、なんだかいろんなことが起こる。まあ大体がトラブルなのだけど、ちょっと変わった価値観を持つトモミさんに振り回されつつ、いろんな大立ち回りを繰り広げた末に、いろんなトラブルは丸く収まっていく。その過程が本当に面白い。
本書は、春・夏・秋・晩秋・冬・再春という6編で構成されていて、それぞれでいろんなトラブルが起こるんだけど、一編につき一つのトラブル、というような綺麗な別れ方をしているわけではないし、どんなトラブルなのか書いて読む人の興を削ぐのもあれかなと思って内容紹介では書かないでおいた。
でもほとんどが、家族とのトラブルだ。
本書には、こんなフレーズが出てくる。

『家族は万能ではない。家族だからこそ救えないことはいくらでもある。』

柊子も涼子も撫子も、そしてトモミさんさえも、家族というものとなんらかのわだかまりを抱えている。僕も、家族というものとは色々あって、まあ家族って色々めんどくさいなぁとか思ってる人間なんだけど、結局なんだかんだ言って、家族という関係の中で何もゴタゴタがない、ということは、あんまりないんだろうなぁ、という気がします。柊子も涼子も撫子も、別に特別な人ではない。ごく普通の環境で育った、ごく普通の人だ。彼女たちが抱えるわだかまりは、だから僕らのそれと重なり合う部分が多いのではないかと思う。一つ一つは、ちょっとしたことだ。姉妹のちょっとした差、嘘はつきたくないというちょっとした強情さ、仕事は絶対に疎かに出来ないというちょっとした気の張り方。そういうちょっとしたことって誰もが抱えているだろうし、そういうちょっとしたことが結局物事をどうにもならないところに追い込んだりもする。
そういう時に、トモミさんが本当にうまいアシストをするんだよなぁ。トモミさんのアシストで一番好きだったのが、七夕だ。これはホントよかった。よくもまあそんなこと思いつくよ、というような見事さで、あっぱれって感じだった。こんなことしてもらったら、そりゃあ嬉しいし、心もぐらりと動くよね。
トモミさんがやっていることは、どう考えても首突っ込みすぎだろ!というものが多いし、状況が状況なら、あるいは人が人なら、もしかしたら不愉快に感じるレベルだったりするかもしれない。でも、なんにせよ、トモミさんの『泰然』としている有り様が、なんかいろんなことを納得させてくれる、という感じもしました。初めの内は違和感でしかなかったトモミさんの存在は次第に、トモミさんがそう言うなら仕方ないよね、となっていく。トモミさんのどこまでもブレないあり方が、周囲の人間に何かを伝え、そしてそれが、目に見えない何かを動かしてくんだろうなぁ、という気がしました。年の功と言えなくもないけど、トモミさんみたいな落ち着きを手に入れたいものですよね、ホント。
個人的には、柊子の一番共感しました。
柊子は、いつでも道に迷っている。
転職がまるで決まらない、という状況の中だから仕方ないのかもしれないけど、でも柊子は、無職である今じゃなくても、ずっと道に迷ってきたような、そんな人に見える。
昔、ある文庫のPOPのフレーズとして、こんな文章を考えたことがある。

『光の射す方へ、と大人は言うかもしれない。でも、そんな光、見えたことない』

柊子もきっと、そんな光が見えなかった人だろうな、という気がします。涼子と撫子は違う。涼子は弁護士という光が、そして撫子にはアパレルでの仕事という光がきちんとあった。でも、柊子にはそれがない。
僕も、そんな光が全然見えない人生をずっと送ってきた。
どこに向かって歩いて行けばいいのか、まるで分からなかった。一寸先は闇、っていうけど、その慣用句とはちょっと違った意味で、まさに視界のちょっと先はもうまっくらで、それ以上先は全然見えない、という感じだった。手探りで歩こうにも、何にも触れない。匂いもなければ、音も聞こえない。そんな中で、何の役に立つのかわからない『勉強』という杖だけを持って、僕はずっと歩いてきたのだ。
幸いにも今は、その光を見つけられているような気がする。今の書店の仕事は、僕にとっては天職なのではないか、と思っている。ただ、ここまで来るのには、僕なりにそれなりに大変だった。
柊子は、未だ道に迷っている。光は見えないし、進むべき道もわからない。そういうところが、本当に自分に重なる。『私は、道に迷っている』という文章が出てきた時、俺も!と思わず思ってしまった。
結局人生っていうのは、生まれた時には持っていなかったものを何で補うかを追い求める、ということなのかもしれない。そしてその補うものこそ、僕らには光に見えるのかもしれない。欠落を感じている柊子は、でもまだその欠落を補う何かを見つけられていない。でも、その予感はある。きっと柊子は、このまま生きていけば、自分の欠落をぴったり補う何かを見つけることだろう。そう予感させてくれるところもいいなと思う。
突然管理人が代わりあたふたする下宿での生活、というだけではない、人の心を暖かくする眼差しに満ちた作品だと思います。是非読んでみてください。

大沼紀子「てのひらの父」

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)