黒夜行

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笑い三年、泣き三月。(木内昇)

内容に入ろうと思います。
舞台は、終戦直後の上野。
地方で万歳芸人として旅回りを続けてきた岡部善造は、一座を抜けだして上野までやってきた。芸人として一旗上げようと思ってやってきたのだ。浅草というところで、面白い芸人が次々と出てきているらしい。
右も左も分からない善造に目をつけたのが、東京空襲で家族を皆亡くし、浮浪児としてなんとかこの辛い状況を生き抜いている少年・田川武雄だった。武雄は善造が持つトランクの中に食料がたんまり詰まっていると見て、道案内をするフリをしてトランクを奪ってやろうと考えていた。厳しい寒さを生き抜くのはなかなか辛く、空腹やシラミなども押し寄せてくる。どうにか空腹だけでも満たせないかと、武雄は日々必死で頭を使っているのだ。
しかし善造は、頓珍漢にもほどがあった。受け答えが牧歌的過ぎて、つい先日まで戦争をしていた日本で生きてきたとは思えないほどだった。善造は、自分はもう万歳(マンザイ)の世界では有名だ、東京に出てきさえすればどこでも雇ってもらえるはずだ、あるいは自分の芸でお金をもらえるはずだ、という、どこから出てくるのかわからない自信を持っているのだけど、そのくせ、武雄が時折口にする、ちょっと前に流行った漫才(マンザイ)芸人のネタをことごとく知らないのだ。
武雄はともかく、善造が舞台に上がることが出来るという幻想を抱かせるために、小屋を回ることにした。しかし当然門前払い。しかしその最中、子供の前で屁をひりだしている男を見て善造は感銘を受け、是非相方にしたいと騒ぎ出したのだ。
その男が、かつて映画の世界で働き、戦中は南方にやられてからくも生き延びた鹿内秀光だ。
秀光は、突然やってきたわけのわからないおっさんと子供のコンビに不快さを隠しもしなかったが、空腹に死にそうになっている武雄の眼力にやられた。結局彼らは、鹿内が下働きすることに決まっているミリオン座で雇われることになった。
ミリオン座の支配人である杉浦保は、小屋をかかげたものの一向に開くこともなく、武雄はとりあえず雨風のしのげるところで生活できるようになったものの、こんな連中と長いこと一緒にはいられないと、春になったら出ていこうと考えている。善造は相変わらず、クソ面白くもないネタばかり繰り出し、鹿内もどうにもならない世の中でやさぐれていた。
支配人の杉浦は、とある小屋で見たショーに度肝を抜かれ、ミリオン座はとりあえずエロで行くことに決めるのだが…。
というような話です。
これはかなりいい作品でした。この著者の作品を読むのは二作目で、一番初めに読んだ「茗荷谷の猫」が僕的に正直あんまりだったんですけど、これは良かったです。
とにかく、雰囲気が良い小説なんですね。本書は、良い点を個別に挙げようと思ったらたくさん挙げられるんだけど、まず雰囲気がいい。終戦直後という世界を、そんな世の中で娯楽を提供しようとしている人々から描く、という視点が、凄くいい雰囲気を醸し出している。戦争というとどうしたって、戦闘の厳しさや飢えの辛さ、何もかもが思うようにいかない苦しさなんかを全面に描く作品が多いような気がするんだけど、本書はそういう部分にではなく、娯楽というものを通じて世の中を見る人々のしたたかさとか力強さみたいなものを描いていて、戦争をそんな風に切り取るという新鮮さがありました。
本書では、娯楽を提供する人たちの姿が描かれるんだけど、別に彼らは『娯楽で世の中をよくしよう、明るくしよう』なんて積極的に思ってるわけじゃない。結構適当です。かつて映画を撮っていた支配人の杉浦は、訳あってそれを辞めて小屋を立ち上げ、エロが流行ってるとみればエロを取り入れるという世の流れに乗る。芸術がどうのなんて高尚なことを考えているわけでもなくて、とりあえず生活していくために娯楽を提供している。
本書では、どんな場面でもそうなんだけど、『まず生きていくこと』という雰囲気が、直接的に描写されていなくても背景として染み付いている。もちろん、終戦直後の世の中では、そういう雰囲気になるのは当然なのかもだけど、でもそういう雰囲気が行間から立ち上ってくる、っていうのが凄くいい。とにかく、どうにかして生きていくことが大事で、そのためだったらある程度なんだって許される。そういう了解が、人々の間にある、というのが伝わってくるんですね。それが自分のやりたいことかどうか、というのは、どうにかして生きていく、ということの前では、容易にへし折られる。どうしたって自分の思い通りにはならない世の中の中で、どうにか生きていくために誰もが自分なりに考えて行動をしている。描かれる登場人物それぞれの必死さは、その人それぞれで違う。他愛のない嘘を突き通す人、誰かれ構わず突っかかる人、自分の感情を押し殺す人、ひたすら正しい道を歩き続ける人。一つ一つは、人を傷つけもするし、状況を悪化させもする。そういうことが、少しずつ積み重なっていく。でも、誰も間違っていない。少なくとも、『どうにかして生きていく』という了解が人々の間にある内は、その誰もが間違っていない。結局そうやって生きていくしかないんだ、というような、諦めではない何かが本書には強く描かれていて、それが凄くいい、と思いました。
善造・武雄・秀光、そしてミリオン座のショーガールとして雇われたふう子は、一つ屋根のしたで共同生活をすることになる。境遇も性格も何もかも違う四人の共同生活は、様々な形での衝突と修復の繰り返しだ。相手のことを思う気持ちが誰かを傷つけ、自分の気持ちを表にうまく出せないことがちょっとした誤解に繋がる。生きてきた境遇も、戦中に体験したことも、人生における信念も違う人々が、『自分の大切な何か』だけを必死で囲っていた日々から次第に、『相手の大切な何か』を少しずつ想像し慈しむようになっていく過程が、凄く優しい気持ちにさせてくれる。
善造は、馬鹿がつくほど脳天気で、終戦直後に生きている人間とは思えない牧歌的な感覚が、周囲の誰ともズレている。馬鹿がつくほど不器用で、相手の気持ちを慮るばかりに空回りし、しかも当人は空回りしていることに気づかない、という奇跡的な性格は、しかし結局はミリオン座の面々を穏やかにまとめる接着剤のような役割を担っていた。善造の存在がなければ、彼らの共同生活はもっと殺伐としたものになっていただろうし、長くは続かなかっただろう。
武雄は、子供なのに拾った新聞を丹念に読み、周囲にいる大人の誰よりも世の中の動向を知っている。戦争さえなければ、と未来を嘆くこともしばしばで、両親を失った時の自らの失態を思い出しては恥じることがある。自分の気持ちを一向に開くことなく、周囲の人間をみな敵だと思うような目で見る可愛くない子供だけど、ミリオン座の面々との関わりや、その後の武雄の人生の中心になるかもしれないあるものとの出会いなどを経て、少しずつ変わっていく。
秀光は、とにかく周囲の事柄がいちいち気に障って仕方がない。何かあると周りの人間に当たり散らし暴言を吐くところは一向に改まることがなかった。ミリオン座の面々との共同生活でも様々なトラブルを引き起こしてきたけども、秀光の、物事を徹底的に単純に見て、世の中の感覚に流されることのない価値観は、ミリオン座の運営には欠かせない人材になった。秀光が抱える、ちょっと屈折した恋心も面白い。
ふう子は、嘘を突き通すことで自分を守ることを選んだ。慈愛に満ちた母親のようなあり方は、善造と同じくミリオン座の面々の共同生活を明るくする光のような存在だった。どんな状況でもめげず明るさを貫き通せるふう子のあり方は羨ましいなと思える。
杉浦保は、本書の中で僕が一番好きな人物かもしれない。飄々としていて、はっきりとしない。四半世紀も映画業界にして、下働きとして数々の調整をしてきた手腕はさすがで、結局色んなことを丸め込んで自分の思い通りに勧めてしまう。
しかし何よりも、杉浦が時折こぼすひと言が凄く深いなと思うのだ。印象的だったものを抜き出してみます。

『「人間、笑いたいときに笑えて、泣きたいときに泣けたら、だぁれも映画や実演なんか見ようとは思わないのよ」』

『「風化するはずないじゃない。あんなひどい戦争が」
支配人が言った。
「でもちょっとは忘れないと、進めないじゃない」』

『だけど、いつの時代もわかってもらえないもんなのよねぇ。楽しいものを作るのがどんだけ大変かってこと。娯楽っていっつも真っ先に切り捨てられるからたまんないのよ』

こういうセリフは、杉浦以外の誰が言っても様にならない。杉浦の、それまでの人生で経験してきただろう様々なこと、そして、娯楽というものに対する思いが少しずつ透けて見えるからこそ、こういう言葉が深く思えるのだろうと思います。また逆に、こういうセリフが、杉浦保という人物をより一層掘り下げていくことになるんだろうなぁ、と感じました。
誰しもが、とにかく生きることしか考えられなかった時代。何もかも自分の思い通りにはならなかった時代。そんな世の中にあって、娯楽という、世間から見れば下に見られがちなものを通して、それに関わる人々の成長や世の中のあり方を見事に切り取った作品です。様々な人達のどうにもやりきれない思いがそこかしこに降り積もっていて、その降り積もったものが見事に背景になって作品としての深みが出ているのだろうと思います。その時代の空気を、重苦しくなく、それでいて的確に切り取る手腕は、もちろん終戦直後の時代のことなんて直接に知っているわけでもない僕にも光景が鮮やかに浮かぶようで見事だと思いました。是非読んでみてください。

木内昇「笑い三年、泣き三月。」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
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18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
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新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
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7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)