黒夜行

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灘中 奇跡の国語教室 橋本武の超スロー・リーディング(黒岩祐治)

内容に入ろうと思います。
本書は、21歳から71歳までの50年間、東大進学率トップの灘校で国語を教え続けた伝説の教師・橋本武について、その教え子であり現神奈川県知事である著者が綴った作品です。元々リヨン社から出ていた「恩師の条件」という作品を新書版化したもののようです。その「恩師の条件」は、橋本武という国語教師に世間の注目を集めるきっかけになった一冊でもあるようです。
「銀の匙」という中勘助の小説を3年間掛けて読む、というのが、橋本武のスタイルです。
と、橋本武の国語の授業の話をする前に、灘校についてざっと書いておきましょうか。
灘中学校は、昭和三年に白鶴・菊正宗・桜正宗の三つの酒造会社が出資してできた私立高で、創立当時は、効率の神戸一中のスベリ止めというような位置づけの新設私立高に過ぎなかった。しかし、日本一の学校を目指そう、という大号令の元一丸となり、ついに昭和四三年卒業組で、灘校が初めて東大合格者数日本一になった。
灘校は、中高一貫教育で、六年間同じ教師が受け持つ。だから、橋本武の授業が受けられるのも、六年に一回だけである。そして初めて東大合格者数日本一になった卒業生に国語を教えていたのが、橋本武だったのだ。
東大合格者数日本一の私立高と聞くと、そのイメージだけで、詰め込み教育ばかりやっている学校、という印象を持たれがちだったらしいのだが、実際はまったく違う。校則みたいなものはほとんどなく自由な校風で、また橋本武に限らずほぼすべての教科の教師が、教科書を無視した授業をしていたという。受験対策のような授業はほとんど行われていない、というのが実際のところらしい。解説で、別の灘校卒業生が、英語教師・俵倫一先生の授業についても少し触れているのだkど、『英文法・英文解釈・英作文といった受験用の訓練はほとんどなされず、英語の小説を原書で読破していくという授業だった』と書いています。
そしてその、教科書無視の授業の最たるものが、橋本武の国語の授業だったわけです。
中勘助の「銀の匙」は、明治の日本情緒溢れる東京下町の子供の世界であり、子供目線で話が進んでいくので中学生でも親しみやすい。その他にもいくつかの理由があってこれを国語の教科書にすることに決めるのだけど、これを教科書にするって言っても何も指針はなく、教材からして自分で作っていかなくてはいけない。橋本武の国語の授業は、まさにこの教材作りの軌跡との歩みでもあるのだ。
当時まだガリ版印刷しかなかった時代に、橋本武は常人では信じがたい量のガリ版刷りのプリントを毎回用意してくる。また、一番初めに『銀の匙研究ノート』という、お手製の冊子が配られる。それらを駆使して授業を進めていくのだ。
しかしその授業のやり方は、常識的にはちょっと考えられないものなのです。橋本武曰く、『横道に外れることこそ私の狙い』ということらしいんだけど、横道に逸れすぎだろ!っていうか、そこに道はないぞ!みたいな方向にもどんどん進んで行っちゃうんで、ちょっと衝撃的でした。
例えば、百人一首が出てくる場面になると、国語の授業中に百人一首大会をやる。駄菓子の描写が出てくれば国語の授業中にみんなで駄菓子を食べる、凧揚げのシーンが出てくれば、美術の先生とコラボして、美術の時間に凧を作る、というような感じで、これが一体国語の授業なのか!という感じなんだけど、でもこういう授業だったら受けてみたいよなぁ。
とはいえ、やはりそればかりではなかったようで、とにかく宿題として文章を大量に書かされまくったようです。家で古典を含む様々な本を読み、その感想を書いたりというような課題は常に出されていたようです。百人一首を作る、というような課題もあったとか。
とはいえやっぱり橋本武の授業の基本は、『銀の匙』の超スローリーディングなんでしょう。僕は書店の文庫担当で、中勘助の『銀の匙』が最近売れてるらしいぜ、どうも灘校の先生が三年間掛けてこれを読むとかいう授業をやってたらしいぜ、というような話を聞いて、三年掛けてたった一冊の本を読むなんて、俺には退屈で死んじゃうなぁ、とか思ってたんだけど、でも本書を読んでそのイメージは覆りました。ただ読むだけじゃなくて、こういう形で生徒を巻き込んでいく、そして、とにかく作品の世界に興味を持たせる。そうすれば、後は自ずから自分で学んでいく、そういうことなんだろうと思います。
僕は本当に学生の頃、国語の授業が嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。とにかく、国語の授業に試験がある意味がわからないぞ、と。いや、例えば、漢字を書かせるとか、この指示語が何を指しているのか、みたいな設問ならいいですよ。でも、この時の主人公の心情を答えなさい、って質問に対して、『不正解』が存在する、ということの意味が僕は未だに理解出来ないんです。別にその作品をどう読んだって(それがあまりに間違った解釈であろうとも)、別に読んだ人の自由じゃん、とか思っちゃって、どうしても国語という教科に対しては腹立たしさしかありませんでした。ま、ずっと内職してましたけど(笑)。だから、国語の教科書に載ってた作品とかほぼ覚えてないし、楽しかったなんて記憶もまったくなかったのですよね。
だから本書を読んで、こういう教師に出会えたというのは、本当に奇跡的に素晴らしいことだな、と思います。僕もきっと橋本武の授業を受けていたら、国語は好きになっていたと思います。本書でもちょっと触れられている箇所があるけど、結局のところ教育って、何を教えるかが重要なんじゃなくて、生徒に学びたいという気持ちを起こさせること、あるいはそういう気持ちを起こさせることが難しかったとしても、そういう気持ちになった生徒へのバックアップを完璧にする、というような部分が最も重要なんだろうなぁ、と思いました。
橋本武の超スローリーディングの効果みたいなものは色んなことが考えられるだろうけど、僕が一番重要な効果だと思うのが、他人の本の読み方を知れる、という点ではないかと思うのです。
僕は国語の授業を真面目に受けた記憶がないんで覚えてないだけかもしれないけど、普通国語の授業を受けていても、他の誰かがこの作品をこういう風に解釈して読んだんだ、というようなことってなかなか知りえないですよね。それは授業に限らなくても、知る機会はなかなか少ないだろうと思うんです。僕は一応、小中高と本を読んでいましたけど、周りに本の感想を話せるような相手は皆無だったと思います。だから結局、自分の解釈しか知りようがなかった。
本なんて別に読み方の正解なんてなくて、自由に読んだらいいんだろうけど、でも他の人がどう読んでいるのか知ることが出来るというのは、凄く大事なことなんじゃないかなと思うんですね。
で、そのために、大量の文章を書かせたのではないか、と。たとえある人がある解釈で本を読んだとしても、それを他人に伝える文章が書けなければそれは共有できないですよね。そういう、超スローリーディングをする精読と、とにかく大量の文章を書かせるという両輪で成り立っていたのかな、という感じがしました。
だからホント、学生という時間は凄く貴重だったんだな、と今余計に思います。今僕は、自分の仕事柄という部分ももちろんあるんだけど、本をゆっくり読んでいる余裕というのはまったくありません。とにかく、一冊でも多く早く読まないと、色んなものが回って行かない環境にいたりします。別に書店員じゃなくたって、時間に追われてゆっくり本を読む時間が取れない、なんていう人もたくさんいることでしょう。
だからこそ、学生の、あのアホみたいにありあまる時間があった頃(とはいえ、僕は常人から驚かれるぐらいずっと勉強をしてたんで、全然ヒマじゃなかったんですけど)に、もっともっとゆったりと本を読めたりすればよかったのになぁ、とか思ってしまいました。もうそういう読書が出来る可能性があるとしたら、もう老後ぐらいしかないよ。老後なんて僕にはこないと信じてるけど!
橋本武の授業は、サラリーマン教師から見れば「無駄!」としか思えないようなことばっかりやっている。でも橋本武は、その無駄こそを追い求めて授業を続けてきた。
僕はその部分を読んで、よく思い出すあるエピソードを思い浮かべた。宇宙飛行士がスペースシャトル内で手を切る恐れなく開けられる缶詰を開発しようと、日米の大学や企業が超多額の金額を費やして研究を重ねるも、ついに開発することが出来なかった。しかしそれを、日本の町工場の職人の一人が創り上げてしまったのだ(その職人の制作過程は、アメリカのどこかの有名な大学のテキストにも載った、と聞いたことがある)。
詳しいことは説明できないけど、その手法はこうだ。その缶詰は、一枚の金属板をあーだこーだ加工して作るんだけど、もちろん一枚の金属板すべてが最終的に缶詰になるわけではなくて、捨てられてしまう余分な部分というのが出てくる。その職人は、最終的には捨てられてしまう部分に加工の途中で何か手を加えることで、その手を切らない缶詰を創り上げたのだ。
これは、無駄な部分を切り捨てる、効率だけを追求する、というような思考からはなかなか出てこない発想なのではないかと思う。ちょっと関係ない話をしたけど、この話僕大好きなんで、ちょっと書いてしもーた。
さて後は、橋本武の名言をいくつか抜き出して終わりにしようと思います。

『偏見を打破するだけの実質さえ備えておくなら、どんなことを言われても笑ってすませられよう』

『すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる』

『答えは後回しでもいい。疑問をもつことが第一歩』

橋本武の授業そのものも面白いんだけど、教育ってなんだろうな、と考えさせられる作品でもあります。やっぱり子供の頃、教師を含め、どんな大人に出会ったかで、色んなことが変わっていくんだろうなぁ。その出会いこそを『教育』と呼ぶ、なんてのはまあ無理やりすぎるだろうけど、大きくは外していないのかもしれないな、という感じもします。是非読んでみてください。

黒岩祐治「灘中 奇跡の国語教室 橋本武の超スローリーディング」




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小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
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6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
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12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
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16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
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18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
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コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
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13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
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16位 朝井リョウ「何者
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18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
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10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
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13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
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1位 千早茜「からまる
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