冤罪の軌跡 弘前大学教授夫人殺害事件(井上安正)

内容に入ろうと思います。
本書は1949年8月6に起こった、通称「弘前大学教授夫人殺害事件」の顛末を追った作品です。裁判の過程で、この事件に深く関わった、当時新聞記者だった著者によるノンフィクションです。
その日、自宅で寝ていた弘前大学教授夫人は、何者かに首を刃物で刺され、死亡した。犯人は、滝谷福松という、当時19歳の男。ヒロポン漬けになっていた滝谷は、女性に触れたいという邪な気持ちから家宅侵入し、殺人を犯したのだ。
捜査はなかなか進展しなかった。被害者には特段恨まれるような理由は見当たらず、決定的な目撃者も出なかった。凶器も、結局最後まで発見されなかった。
那須隆は、那須与一宗隆の直系の子孫であり、長男だった隆は父親に厳しくしつけられた。警察官にとりたててもらいたいと考えていた隆は、自ら血痕を探したり、目撃証言の裏を取ったりという行動を取っていた。隆としては、警察にアピールしているつもりだった。
しかし警察はそうは見なかった。隆の行動を不審に思った警察は隆をマーク。しばらくして警察の心証が固まり、隆を逮捕するに至ったのだ。
隆は取り調べでも一貫して否認を続けた。しかし、素人目にも無茶苦茶ではないかと思わされる裁判を経て、隆は有罪判決を下されてしまう。
滝谷の方で動きがあり、ギリギリの細い線を辿るようにして、再審請求のチャンスが巡ってくる。しかし…。
というような話です。
事件モノの作品は結構読んでて、僕がこれまで読んできた作品と比べると、インパクトという点ではちょっと落ちるけど、これはこれでなかなか凄い作品でした。冤罪というのは本当に最低最悪の事柄だと思うんだけど、この事件はちょっとどう考えても酷い。
これとまったく同じ事件が今起こり、同じような過程で捜査が進んだ場合、同じような流れになっただろうか、と思う部分はある。これは、この事件が起こった当時だったからこそ起こったのではないか、と。特に僕は、隆が裁判に掛けられることになった、という点でそう思う。現在では、公判維持が出来ないという理由で、少なくとも本書と同じような状況のままでは裁判には踏み切らないのではないか、と思う。少なくとも、もう少し物証なり証言なりを集めてからでないと厳しいという判断になるのではないか。
なにせ、隆は結局自白せず、動機は不明、凶器も見つかっていない、唯一の物証は、『血がついたとされるシャツ』なのだけど、これは素人目に見てもどう考えてもおかしいいわく付きの証拠で、裁判は、この唯一の物証だけを根拠に進められていくのだ。
そこに、法医学界の天皇と呼ばれた古畑という人物が絡んでくるのだ。検察は、古畑の権威を利用して、唯一の物証であるシャツの怪しさを払拭しようとする。こんなやり方も、どうだろう、今ではなかなか通用しないんじゃないかな、という気がする。でも現在の場合は、法医学者ではなく精神科医で似たようなことが行われている気がするけど。
この古畑という法医学者は、なかなか凄い。戦後の四大冤罪事件と呼ばれる、「財田川事件」「島田事件」「松山事件」「免田事件」の内、初めの三つの事件は、この古畑の血液鑑定が有力な決めてとなって有罪が確定し、死刑となったのだ。古畑は、「捜査陣が挙げ得なかった犯人を、法医学の力で挙げた」と言ってはばからなかったそうだけど、本当に、ちょっと酷過ぎるのではないかと思う。
とまあ、時代性にかなり左右された事件だ、ということも出来ると思うんだけど、でもやっぱりそれだけじゃない。結局のところ、警察が捜査のやり方を改めない限り、冤罪はなくならないのだろうと思う。
警察とすれば、口には出さないけど、「ちょっとぐらい冤罪があったって、凶悪犯をきちんと捕まえさえすればいいんだ」という感覚なのかもしれない。すべての刑事がそうではない、ということはもちろん分かっているけど、でもそういう発想の刑事もいるはずだと思う。また、個々人ではなく、警察という組織の体面を守ろうという意識も、やっぱり昔からずっとそうなのだと思う。これは、警察に限らず検察もだけど。
この基本的な部分がどうにかならないと、何をどうしたって冤罪はなくならないだろう。
本書でも、とりあえず捕まえてみた隆を自白させようと色んな手を使ったり、また『血がついたとされるシャツ』に関する作為など、警察のやり口は酷い。また裁判も、素人が考えたっておかしいと思うような論理が平気でまかり通る。そういう意味では、裁判員制度が作られたのは良かったのかもしれない、と思う。これまでの、裁判の中だけで通じる、被告人を無視した論理は通用させにくくなるだろうと思うから。
しかし本書のケースでは、隆に不利に働いたケースが本当に多くある。ある証言者は、とある理由で虚偽の証言をして警察の隆の印象を決定づけることになるし、一審の際裁判官が判決理由を簡潔に書きすぎたことが、後々の展開を生む一つのきっかけになった。他にも、ちょっとしたことが隆の不利に働くケースが積み重なった。こんなことを言ってはいけないと思うけど、そういう意味では本当に不運だったと思う。
再審が開かれるまでの過程は、本当に小説のようだと思う。滝谷が獄中で村山という男と出会うことからすべてが動き出すのだけど、しかしそこからが本当に大変だった。今でも、再審請求というのは本当に通りにくいのだろうけど、恐らく当時はもっと大変だっただろう。針の穴にラクダを通すようなものだ、と言われるぐらいだったらしい。実際、滝谷の動きがあり、隆が再審請求をしてから再審が認められるまで約5年掛かっている。再審請求は一度棄却されているのだけど、その時の隆の言葉は重い。
『再審制度があることがうらめしい』
つまり、再審制度があるからこそ期待してしまう、しかしその期待は華麗に裏切られる、だからこそうらめしい、ということなのだ。これは、有罪判決を受け手から、再審によって無罪を勝ち取るまで、実に27年掛けた男だからこそ言える、実に重い言葉である。
本書では、きちんとした形で事件と向きあう人間も出てくる。隆の弁護をする人たちはもちろんきちんとしているのだけど、刑事や裁判官の中にも、まっとうな判断の出来る人がいる。特に最後の三浦裁判長は素晴らしい。こういう、自分の頭で判断し、その判断に自分が責任を持つような、そういうきちんとした仕事の出来る人が多くなればいいんだろうと思います。
冤罪というのは、本当に恐ろしいです。防ぎようはないかもしれませんが、知識だけはあった方がいいかもしれません。そんなこと関係なしに、ノンフィクションとしてもなかなか面白い作品です。是非読んでみてください。
井上安正「冤罪の軌跡 弘前大学教授夫人殺害事件」
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