疾走(重松清)
人の死、というのは、いくつかの議論はあるだろうけども、大体心臓が停止した時、ということでいいだろうと思う。
しかし、「人生」の死というのは一体いつ始まりいつ終わるのだろうか?
心臓の停止と同時に「人生」が死ぬわけでは決してないと思う。「人生」というやつはちゃんと生きていて、人の肉体が滅びなくても死ぬことはある。
きっと、前に明日に未来に向かって疾走できなくなった瞬間。その瞬間にきっと「人生」は死ぬのだろう。
肉体的な話ではない。つまりそれは、生きる気力のようなものだ。今日とは違う明日を思い描き、その明日に希望を抱き、少しでも前に進む。どんなにありえなそうでも、未来に対して夢を持ち、それを叶えようと努力する。それが出来なくなれば、生ける屍として、人としては生きながら、死んだ人生を歩まなくてはならない。
救いの道はほとんどない。
世界は不平等にできている。確かに誰もがあらゆる意味で平等であれば、こんなにたくさんの人が生きている必然性はなくなるだろう。まったく同じ個人がたくさんいるなら、一人でも別に同じだ。違いがあるからこそ、これだけたくさんの人間が存在するわけで、違いがあるならば、平等でないことも仕方がないだろうと思う。
本作には神父が出てきてその神父は言う。人間は平等ではないけれども公平だ、と。誰もがいつかは死ぬ。つまり僕の言葉で言えば、「人生」は平等ではないけど、「人」は公平だ、ということだろうか。
世の中にはいろんな人、いや、「にんげん」がいる。漢字でもカタカナでもない「にんげん」。自分なりの幸せの形を追い求めているだけなのに、どこかで踏み外してしまう「にんげん」。いつしか心がぽきっと折れてしまう「にんげん」。弱さを隠せなかったり、隠そうともしない哀れな「にんげん」。巨悪な力になす術もない「にんげん」。誰かのために、どこまでも不幸に陥ってしまう「にんげん」。
救われない人々が、救われない土地で、救われない運命を嘆きながら、それでもどうにか救われようともがきあえぎあがく物語である。
まずは本作の舞台となる土地の話をしよう。
水平線の広がる海に面した町。「沖」と呼ばれる、少し前まで海だった干拓地と、元からの土地「浜」。以前から住み続けていた「浜」の住人と、乗り込んでやってきた「沖」の住人は仲が悪い。それぞれにある小学校から、町に一つの中学校へとあがると、何かしら問題が起こるほどだ。
見渡す限り田んぼとあぜ道と住宅しかない、長閑と言えば長閑で、単調といえば単調に過ぎるこの土地に、突然リゾート開発の話が持ち上がる。
干拓地である「沖」の土地を、暴力団も絡んで買収が始まる。「沖」の住人は立退き料をたんまりもらって引越していくが、そううまく土地の買収が進むわけもない。様々なごたごたがあるも、結局工事は始まっていく。そんな土地が物語の舞台である。
主人公である中学生のシュウジは、寡黙な父、兄を自慢に思う気弱な母、地元有数の進学校に通う兄の四人家族だ。家族の主は兄で、家族は皆兄の顔色を窺うように生活をしている。勉強はできるが神経質で、ちょっとしたことでもすぐに怒り、弟のシュウジに手を出したりもする。それでも家族は、兄に逆らうこともなく、そんな生活を受け入れる。
シュウジの日常は、「沖」と「浜」が交じる中学に通い、陸上部で汗を流し、小学校からの友達でいじめられっ子の徹夫と遊んだりするようなものだ。
ある時徹夫の誘いで、「沖」に出来た教会に行くことになる。そこの神父は、人殺しだという噂があった。そこで出会った同級生のエリ。「沖」の住人であるエリとは、それだけの理由ではなく話すこともなかったが、陸上部でも期待の星であり、気になる存在だった。
人生に切り替えスイッチのようなものがあるとすれば、シュウジにとってのそれは、兄の変化だった。兄が壊れていく。全ては、それさえなければきっと起こらなかっただろう。
学校での成績の低迷に比例するように、兄はどんどん壊れていった。それでも家族は皆、家族としての最低限のまとまりを保とうとなんとか踏ん張るものの、兄が一線を超えてしまうと同時に、家族もまたその一線を踏み越えてしまうはめになる。
兄が犯した犯罪。それが致命的だった。
以降、中学生のシュウジが背負うことになる、余りにも重く大きなもの。時間に耐え土地に耐え「にんげん」に耐え運命に耐え、それでもなんとかそれら全てを疾走していこうとするシュウジ。「人生」の死から逃げるように疾走するシュウジの、過酷過ぎる運命を描いた黙示録。
読んでいて、気持ちが沈んでしまうような作品である。決して悪いなんてことはなくて、その沈ませかたがまた見事で圧巻でもある。
ただのノアールではない。確かに設定や展開は、馳星周の作品のような感じではある。しかし、そういった普通のノアールでは決してない。
重松清の、人物の描き方が並ではない、ということだろう。
とにかく、シュウジを始めとする登場人物達の厚みがすごい。短いエピソードや細かい断片を際限なく組み合わせていくことで、その人間の成長や崩壊などを間近に見ているような錯覚にさせる。
しかも、子供の描き方が尋常ではない。よくもまあここまで、最近の子供の心情やらあり方を、見事に描き出せているな、という感じだ。様々な刺激にさらされ、見えなかったものが見えるようになり、知識が増え、大きく変化していく過程のそのまさに真っ最中の少年を、そしてその暗闇を、見事に正確に言葉に写し取っている。
背景の緻密さも素晴らしい。舞台となる土地の設定というか歴史というか状況というか、とにかく細かいところまで手を抜かずに考えられている。「沖」と「浜」、リゾート計画、教会、学校、暴力団。人だけでなく、舞台もきちんと描けていて、隙がない。
そして、それでいてものすごく重い。
重松清の作品(そこまで多く読んでいるわけではないけど)は、何か厳しい状況に陥った少年少女を、家族という視点で捉えるというものが多いような気がするけど、本作で描かれる状況は、厳しいどころの話ではない。一文字読むごとに何かを載せられたように体が重くなっていくような気がして、シュウジという、まともだった人間が壊れていくまでの人生を追うのが辛くなっていく。
もし自分が同じ状況に陥ったら、なんて考えたくもない。
とにかく素晴らしい作品です。タイトルの通り、かなりの疾走感のある作品で、読んでいて重いけどページを捲る手は止まらない、という感じです。是非読んでみてください。
重松清「疾走」
しかし、「人生」の死というのは一体いつ始まりいつ終わるのだろうか?
心臓の停止と同時に「人生」が死ぬわけでは決してないと思う。「人生」というやつはちゃんと生きていて、人の肉体が滅びなくても死ぬことはある。
きっと、前に明日に未来に向かって疾走できなくなった瞬間。その瞬間にきっと「人生」は死ぬのだろう。
肉体的な話ではない。つまりそれは、生きる気力のようなものだ。今日とは違う明日を思い描き、その明日に希望を抱き、少しでも前に進む。どんなにありえなそうでも、未来に対して夢を持ち、それを叶えようと努力する。それが出来なくなれば、生ける屍として、人としては生きながら、死んだ人生を歩まなくてはならない。
救いの道はほとんどない。
世界は不平等にできている。確かに誰もがあらゆる意味で平等であれば、こんなにたくさんの人が生きている必然性はなくなるだろう。まったく同じ個人がたくさんいるなら、一人でも別に同じだ。違いがあるからこそ、これだけたくさんの人間が存在するわけで、違いがあるならば、平等でないことも仕方がないだろうと思う。
本作には神父が出てきてその神父は言う。人間は平等ではないけれども公平だ、と。誰もがいつかは死ぬ。つまり僕の言葉で言えば、「人生」は平等ではないけど、「人」は公平だ、ということだろうか。
世の中にはいろんな人、いや、「にんげん」がいる。漢字でもカタカナでもない「にんげん」。自分なりの幸せの形を追い求めているだけなのに、どこかで踏み外してしまう「にんげん」。いつしか心がぽきっと折れてしまう「にんげん」。弱さを隠せなかったり、隠そうともしない哀れな「にんげん」。巨悪な力になす術もない「にんげん」。誰かのために、どこまでも不幸に陥ってしまう「にんげん」。
救われない人々が、救われない土地で、救われない運命を嘆きながら、それでもどうにか救われようともがきあえぎあがく物語である。
まずは本作の舞台となる土地の話をしよう。
水平線の広がる海に面した町。「沖」と呼ばれる、少し前まで海だった干拓地と、元からの土地「浜」。以前から住み続けていた「浜」の住人と、乗り込んでやってきた「沖」の住人は仲が悪い。それぞれにある小学校から、町に一つの中学校へとあがると、何かしら問題が起こるほどだ。
見渡す限り田んぼとあぜ道と住宅しかない、長閑と言えば長閑で、単調といえば単調に過ぎるこの土地に、突然リゾート開発の話が持ち上がる。
干拓地である「沖」の土地を、暴力団も絡んで買収が始まる。「沖」の住人は立退き料をたんまりもらって引越していくが、そううまく土地の買収が進むわけもない。様々なごたごたがあるも、結局工事は始まっていく。そんな土地が物語の舞台である。
主人公である中学生のシュウジは、寡黙な父、兄を自慢に思う気弱な母、地元有数の進学校に通う兄の四人家族だ。家族の主は兄で、家族は皆兄の顔色を窺うように生活をしている。勉強はできるが神経質で、ちょっとしたことでもすぐに怒り、弟のシュウジに手を出したりもする。それでも家族は、兄に逆らうこともなく、そんな生活を受け入れる。
シュウジの日常は、「沖」と「浜」が交じる中学に通い、陸上部で汗を流し、小学校からの友達でいじめられっ子の徹夫と遊んだりするようなものだ。
ある時徹夫の誘いで、「沖」に出来た教会に行くことになる。そこの神父は、人殺しだという噂があった。そこで出会った同級生のエリ。「沖」の住人であるエリとは、それだけの理由ではなく話すこともなかったが、陸上部でも期待の星であり、気になる存在だった。
人生に切り替えスイッチのようなものがあるとすれば、シュウジにとってのそれは、兄の変化だった。兄が壊れていく。全ては、それさえなければきっと起こらなかっただろう。
学校での成績の低迷に比例するように、兄はどんどん壊れていった。それでも家族は皆、家族としての最低限のまとまりを保とうとなんとか踏ん張るものの、兄が一線を超えてしまうと同時に、家族もまたその一線を踏み越えてしまうはめになる。
兄が犯した犯罪。それが致命的だった。
以降、中学生のシュウジが背負うことになる、余りにも重く大きなもの。時間に耐え土地に耐え「にんげん」に耐え運命に耐え、それでもなんとかそれら全てを疾走していこうとするシュウジ。「人生」の死から逃げるように疾走するシュウジの、過酷過ぎる運命を描いた黙示録。
読んでいて、気持ちが沈んでしまうような作品である。決して悪いなんてことはなくて、その沈ませかたがまた見事で圧巻でもある。
ただのノアールではない。確かに設定や展開は、馳星周の作品のような感じではある。しかし、そういった普通のノアールでは決してない。
重松清の、人物の描き方が並ではない、ということだろう。
とにかく、シュウジを始めとする登場人物達の厚みがすごい。短いエピソードや細かい断片を際限なく組み合わせていくことで、その人間の成長や崩壊などを間近に見ているような錯覚にさせる。
しかも、子供の描き方が尋常ではない。よくもまあここまで、最近の子供の心情やらあり方を、見事に描き出せているな、という感じだ。様々な刺激にさらされ、見えなかったものが見えるようになり、知識が増え、大きく変化していく過程のそのまさに真っ最中の少年を、そしてその暗闇を、見事に正確に言葉に写し取っている。
背景の緻密さも素晴らしい。舞台となる土地の設定というか歴史というか状況というか、とにかく細かいところまで手を抜かずに考えられている。「沖」と「浜」、リゾート計画、教会、学校、暴力団。人だけでなく、舞台もきちんと描けていて、隙がない。
そして、それでいてものすごく重い。
重松清の作品(そこまで多く読んでいるわけではないけど)は、何か厳しい状況に陥った少年少女を、家族という視点で捉えるというものが多いような気がするけど、本作で描かれる状況は、厳しいどころの話ではない。一文字読むごとに何かを載せられたように体が重くなっていくような気がして、シュウジという、まともだった人間が壊れていくまでの人生を追うのが辛くなっていく。
もし自分が同じ状況に陥ったら、なんて考えたくもない。
とにかく素晴らしい作品です。タイトルの通り、かなりの疾走感のある作品で、読んでいて重いけどページを捲る手は止まらない、という感じです。是非読んでみてください。
重松清「疾走」
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Comment
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[437]
重松清は、結構涙腺を揺らす感動作をたくさん書くから、僕はその反動でこういう作品が生まれたんじゃないかって思いますよ。人のいいところ美しいところを追求していく中で、なら人間は、醜いほうにならどこまでいけるのだろう?と考えたんでしょう、きっと。重松清だからこそ、あそこまで人間の辛さや醜さを描き出せたんだと思います。
それにしても、僕の感想を読んで作品に対しての評価が変わるなんて、僕としてはとても嬉しいですね。これからも頑張ろうって気になります!
それにしても、僕の感想を読んで作品に対しての評価が変わるなんて、僕としてはとても嬉しいですね。これからも頑張ろうって気になります!
[438]
早速の返信をありがとうございます。このブログは書店勤務の方が作っていらしたのですか? 要約の文章、さすがですね。
書き忘れましたが、この「疾走」というタイトルは、一気に読まざるを得ない、という意味が隠されているかも知れませんね。
私の場合、一晩で上下一気に全力疾走で読んでしまいました。お陰で寝不足、というおまけ付きでしたが…。
書き忘れましたが、この「疾走」というタイトルは、一気に読まざるを得ない、という意味が隠されているかも知れませんね。
私の場合、一晩で上下一気に全力疾走で読んでしまいました。お陰で寝不足、というおまけ付きでしたが…。
[439]
そうです。バイトですけど、文庫担当をしている書店員です。もう本を読むのがとにかく好きなので、天職だと思っています。
僕も、これは一気に読んでしまいましたね。確かに、疾走感を伴う読書という意味もあるかもしれませんね。読むのに辛い内容だけど、一気に読んでしまいます。
僕も、これは一気に読んでしまいましたね。確かに、疾走感を伴う読書という意味もあるかもしれませんね。読むのに辛い内容だけど、一気に読んでしまいます。
[440]
ずっと、誰かに伝えたかった。
なぜ重松さんは「疾走」というこれまでとはちがう物語を?
仮説ですが、出逢ったのではないでしょうか。実際、条件がとっても当てはまる土地を知っていますし、そこに住む知人の家族…〈中略〉
重松ファンの私は、発売当時、新作「疾走」を楽しみに書店へ、そして表紙の絵にギョッとし(こんなの家に置けないよ~)、それでもパラパラと読んでみたら…余りに知人に合致し、本を持つ手が震え、震えつつラストを読み…ガ~ン
以降、読んでいません(読めやしません)。
偶然とも思います。が、そうとも言い切れないエピソードも…(私が勝手にそう思っているだけかもですが)
通りすがりさんの「あらすじ」を拝読し、更なる合致を発見!(コジツケかなぁ)
読んでみようかなぁ、図書館で(やはり家には置きたくない)。
なぜ重松さんは「疾走」というこれまでとはちがう物語を?
仮説ですが、出逢ったのではないでしょうか。実際、条件がとっても当てはまる土地を知っていますし、そこに住む知人の家族…〈中略〉
重松ファンの私は、発売当時、新作「疾走」を楽しみに書店へ、そして表紙の絵にギョッとし(こんなの家に置けないよ~)、それでもパラパラと読んでみたら…余りに知人に合致し、本を持つ手が震え、震えつつラストを読み…ガ~ン
以降、読んでいません(読めやしません)。
偶然とも思います。が、そうとも言い切れないエピソードも…(私が勝手にそう思っているだけかもですが)
通りすがりさんの「あらすじ」を拝読し、更なる合致を発見!(コジツケかなぁ)
読んでみようかなぁ、図書館で(やはり家には置きたくない)。
[441]
確かに、「疾走」という物語は、今まで重松清が出してきた作品の中でも結構な異色作ですね。確かに、モデルとなる話を知ってしまい、書かざるおえなかった、という可能性はあるかもしれません。
まあでも結局のところ、みーとーさんの知人の話なのかどうか確認することは出来ないわけですし(作家に確認するわけにもいかないですし、みーとーさんがその知人に聞くことは出来るかもしれないですけど、それが出来るならもうやっているでしょうから何か出来ない事情があるんでしょう)、他の作品と同様、一つの作品として扱う以外にはないでしょう。確かにその知人の話がモデルになっているなら驚きですし、読んでいてそのことが浮かんでしまうならなかなか一つの作品として純粋に読むことは難しいかもしれませんけど。
でも重松清は、雑誌なんかに別名でノンフィクション的な文章を書いたりしている(していた、かもですけど)ようなんで、ありえるかもしれませんね。
まあでも結局のところ、みーとーさんの知人の話なのかどうか確認することは出来ないわけですし(作家に確認するわけにもいかないですし、みーとーさんがその知人に聞くことは出来るかもしれないですけど、それが出来るならもうやっているでしょうから何か出来ない事情があるんでしょう)、他の作品と同様、一つの作品として扱う以外にはないでしょう。確かにその知人の話がモデルになっているなら驚きですし、読んでいてそのことが浮かんでしまうならなかなか一つの作品として純粋に読むことは難しいかもしれませんけど。
でも重松清は、雑誌なんかに別名でノンフィクション的な文章を書いたりしている(していた、かもですけど)ようなんで、ありえるかもしれませんね。
[442]
いつも丁寧なコメ返をありがとうございます。
前回、悩んだ結果〈中略〉にした内容の一部、「本人に確認」とは違いますが。
どういった経緯でか、彼(知り合い)の生い立ちを出版関係者が聞き「本にしてみては?」と言ってきたとか。自費出版なのか、数十万円必要と言われ、即辞退したそうな。要するに自費出版のセールスじゃね?と、軽く流しましたが。
内容が内容(非常にナイーブ且つ進行形)なだけに(立場上からしても好ましくない)ん?と思っても私からは突っ込む事は避けたい。なので、本人の都合の良い様に脚色は当然だし、核心となる部分がスッポリ抜けているかも。
想像(仮説)の域を出ませんね、どれだけ書き連ねても。
仰る様に、取材などでという可能性は有り、この可能性について誰か、頭から否定も変に同調もしない誰か口の固い人(で本作をちゃんと読みこなしてそうな人)に告げたかったのです、ありがとう!
取材といえば、「みんなのなやみ」…ネットで募集した子供たちの悩み相談集。その2では(子供対象に呼びかけたのに)親からの相談も掲載)。笑えます、泣けます、後の重松作品に影響、でしょうね。ベースあってこそ、ですが。
前回、悩んだ結果〈中略〉にした内容の一部、「本人に確認」とは違いますが。
どういった経緯でか、彼(知り合い)の生い立ちを出版関係者が聞き「本にしてみては?」と言ってきたとか。自費出版なのか、数十万円必要と言われ、即辞退したそうな。要するに自費出版のセールスじゃね?と、軽く流しましたが。
内容が内容(非常にナイーブ且つ進行形)なだけに(立場上からしても好ましくない)ん?と思っても私からは突っ込む事は避けたい。なので、本人の都合の良い様に脚色は当然だし、核心となる部分がスッポリ抜けているかも。
想像(仮説)の域を出ませんね、どれだけ書き連ねても。
仰る様に、取材などでという可能性は有り、この可能性について誰か、頭から否定も変に同調もしない誰か口の固い人(で本作をちゃんと読みこなしてそうな人)に告げたかったのです、ありがとう!
取材といえば、「みんなのなやみ」…ネットで募集した子供たちの悩み相談集。その2では(子供対象に呼びかけたのに)親からの相談も掲載)。笑えます、泣けます、後の重松作品に影響、でしょうね。ベースあってこそ、ですが。
[443]
なるほど、その知り合いの方の話は、出版関係者(と言ってもちょっと怪しいですけど)の興味を惹くようなものなのですね。どこかで話を聞いたということであれば、どこかの世界では多少広まっている話なんでしょうし、であればノンフィクションなんかも手がけていた重松清がその話を耳にしていたとしてもおかしくはないかもしれないですね。
本人に確認をしにくい話だということであれば、どれだけ推測を重ねても憶測の域を出ませんけど、いずれにしてもそれが何らかの事実を元にして書かれた作品なんであれば、小説を通じてその事実を長く覚えていたり思い出したりしてくれる人が少しでもいればいいんじゃないかなと思ったりします。
「みんなのなやみ」は最近新潮社で文庫になりましたね。確かに重松清というのは、子どもの悩みを相談するのには適切なイメージはありますね。親からの相談も、というのは確かに面白いなと思います。機会があればいつか読んでみようと思います。
本人に確認をしにくい話だということであれば、どれだけ推測を重ねても憶測の域を出ませんけど、いずれにしてもそれが何らかの事実を元にして書かれた作品なんであれば、小説を通じてその事実を長く覚えていたり思い出したりしてくれる人が少しでもいればいいんじゃないかなと思ったりします。
「みんなのなやみ」は最近新潮社で文庫になりましたね。確かに重松清というのは、子どもの悩みを相談するのには適切なイメージはありますね。親からの相談も、というのは確かに面白いなと思います。機会があればいつか読んでみようと思います。
[444]
ちょっと調べた所、出逢ったのは事実、でも、私の知り合いではなく、池袋連続―の犯人だそうです。背景も私の予想は遠からずも当たらず、犯人と重松さんの出身地の岡山。(海辺はどこも同じような問題が起きているのかな、今の日本では。)
衝撃的事件の犯人が同郷となれば、何かせずにはいられないかも。生田武志さんの本で読んだのですが、生田さんは犯人と同じ高校出身、岡山で有数の進学校だそうです。重松さんも、同校かは分かりませんが、同じような背景で似たような経験をされたのかも。
私の知人は名前がズバリ(知人は漢字です)なのですが、モデルだったら逆に少しは変えますよね。
という事で、この件はおしまい。でも、連続犯(読んだ生い立ち)より知人の話の方が似てるな…
求職中で暇なので、それと、通りすがりさんの返信が何れもとっても誠実感あるから、つい、書き込んでしまう。すみません。
衝撃的事件の犯人が同郷となれば、何かせずにはいられないかも。生田武志さんの本で読んだのですが、生田さんは犯人と同じ高校出身、岡山で有数の進学校だそうです。重松さんも、同校かは分かりませんが、同じような背景で似たような経験をされたのかも。
私の知人は名前がズバリ(知人は漢字です)なのですが、モデルだったら逆に少しは変えますよね。
という事で、この件はおしまい。でも、連続犯(読んだ生い立ち)より知人の話の方が似てるな…
求職中で暇なので、それと、通りすがりさんの返信が何れもとっても誠実感あるから、つい、書き込んでしまう。すみません。
[445]
なるほど、みーとーさんの知り合いとは違う事件の話がモデルっぽいんですね。
分かりませんけど、犯罪に走ってしまう人の背景には、やはり似たような部分があるのかもしれません。
犯人と同郷というのに加えて、やっぱりノンフィクションライター的な視点が重松清にはあるというところも大きいんでしょうね。
それを、小説という手法で、自分なりに理解を探ろうとしたのかもしれません。
僕は、誠実なフリとか優しいフリとかが結構得意なんです(笑)
実は優しくない人間なんですけど、まあそれに気づく人間はそう多くはないですね。
コメントはいつでもお待ちしてますよ。
ある程度は、やっぱり誰かに読んでもらうために文章を書いているんで、
反応があるのは嬉しいものです。
分かりませんけど、犯罪に走ってしまう人の背景には、やはり似たような部分があるのかもしれません。
犯人と同郷というのに加えて、やっぱりノンフィクションライター的な視点が重松清にはあるというところも大きいんでしょうね。
それを、小説という手法で、自分なりに理解を探ろうとしたのかもしれません。
僕は、誠実なフリとか優しいフリとかが結構得意なんです(笑)
実は優しくない人間なんですけど、まあそれに気づく人間はそう多くはないですね。
コメントはいつでもお待ちしてますよ。
ある程度は、やっぱり誰かに読んでもらうために文章を書いているんで、
反応があるのは嬉しいものです。
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この書評を読ませていただいて、その思いがかなり変わりました。この本の素晴らしさに開眼!と言った感じです。どうも、ありがとうございました。では、再読するか?と訊かれるとツライですが…。