黒夜行

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サラの鍵(タチアナ・ド・ロネ)

「いや、そのさ、そこに無造作に置いてあったからさ、ちょっと興味を惹かれたっていうか」
 確かに、探そうとしなくてもすぐ目につくところに置いていた志保が悪い。
「ううん。いいよ」
 そう言うとアカネちゃんは明らかにホッとしたみたいな表情になった。
「でもあれだね」
「ん?」
「お母さんの字って、ベルの字そっくりなんだね」
「え?」
「ほらあたしさ、よくベルからノート借りるだろ。だからベルの字ってすごい見慣れてるんだよ。この書置きの字、ベルの字そっくりだなって思って」
 志保は一瞬なんて言っていいか分からず、答えに詰まった。
「そう。よく似てるって言われる」
 そう言うのが精一杯だった。
「再婚相手は帰った?」
「うん、帰った」
「じゃ、あたしもそろそろ帰るわ」
「うん、アカネちゃん、今日はありがとね」
「いや。ビーフシチュー、うまかったぜ」
 玄関に向かうアカネちゃんと一緒に、志保は急いで自分の部屋に戻っていった。

「失踪シャベル 16-15」

内容に入ろうと思います。
本書は、戦時下のフランスで起こったとある出来事をモチーフにした物語です。それは、『ヴェロドローム・ディヴェール(冬季自転車競技場)の一斉検挙』と呼ばれる、パリ中心部で起こった。フランス警察の手によるホロコーストでした。
物語の前半は、二つの視点で進んでいきます。
一方は、1942年7月、まさにその『ヴェルディヴ』が起こった朝からの出来事を、一人の少女の視点で描いたものです。その少女はまだ幼く、ユダヤ人がどうして迫害されているのか理解出来ていない。当時フランスでは、ユダヤ人である成人男性が摘発されることが多かったため、父親だけが地下室にいる生活だったのだけど、フランス警察がやってきたその朝は、女子供も無関係に連れだされたのだった。
ナチス政権が背景にあったとはいえ、フランス警察はフランス国籍を持つ子供を含む13000人のユダヤ人を検挙し、競技場に押し込んだ。劣悪な環境に置かれた少女には、気がかりな点が一つだけあった。
それは弟のことだった。少女は、すぐに戻って来られると信じていたので、弟を秘密の納戸に隠し、外から鍵を掛けたのだった。連れ去られてからも一瞬足りとも忘れることの出来なかった弟。なんとか弟を救わなくては…。
一方で60年後のフランス。アメリカ人であり、フランス人男性と結婚したジュリアは、勤めている雑誌の編集部から、『ヴェルディヴ』に関する記事を担当するように言われる。ヴェルディヴに関してまるで知らなかった彼女だが、大方のフランス人もそれについてはよく知らないのだ、ということを知る。今では絶版になってしまった多くの書籍を探したり、ユダヤ人救済のための最大の組織を作り上げた人物を取材したりと精力的に取材を続ける彼女だったが、ふとしたことからその取材が、実に個人的な関わりを持つことに気づくことになる。ジュリアは、雑誌の取材とは別に、自らの気持ちを整理するという目的のためにヴェルディヴの取材にのめりこんでいくことになるのだが…。
というような話です。
なかなか重厚な物語でした。驚くような展開があるわけではないし、淡々と物語が進んでいくのだけど、読ませる力のある物語だなと思いました。
僕はそもそもホロコーストというものについてほとんど知らなかったんですね。ホロコーストの意味を知ったのもつい最近という有様で。それまでは、ホロコーストって星占いとかそういう類の何かだと思っていましたよ。
そんな今でも、ホロコーストがどんなものだったのか、ちゃんとした知識があるわけではありません。アウシュビッツ収容所ぐらいは知ってるし、何か類する写真も見たことあるけど、真剣に知ろうとしたことはこれまで特になかったですね。
しかも、本書で扱われている「ヴェルディヴ」というのは、フランス人さえほとんど知らない、という失われつつある過去なんだそうです。このヴェルディヴは、背景にナチスドイツの圧力があったとは言え、基本的にそのほとんどをフランス警察が主導したホロコーストなわけです。1995年に、シラク大統領がこの件に関して触れ、国家として正式に謝罪をしたというスピーチがあったらしいんだけど、それで初めてこの出来事を知ったというフランス人が多数いたそうです。著者もその一人だったようで、歴史の授業でも教わらなかったその出来事について調べ、そして本書を書いたんだそうです。
ホロコースト全般について基本的な知識がないので、このヴェルディヴが他のホロコーストと比べて酷いのかどうかという判断は出来ないのだけど、しかし無茶苦茶だと思いますね。魔女狩りだとかアパルトヘイトやら、歴史にはそういう差別の話は多々ありますけど、やっぱりユダヤ人だというだけの理由で迫害されるというのはまったく理解できませんね。
しかし一方で、じゃあ例えば僕がその時代のフランス人だったとして、ユダヤ人の一斉検挙を目にしたとしたら、何か出来ていただろうかと言われると、それは無理だっただろうな、と思います。結局その場にいた多くのフランス人と同様、見なかったことにしてまた日常に戻っていたことでしょう。戦争にしても何にしてもそうだけど、未来の人間が過去の出来事に対してとやかく言うことは簡単です。でも、その時代その場にいた人の気持ちになることは絶対に出来ないと思う。だからこそ、過去に起こったどんな出来事についてもそうだけど、軽々しく批判は出来無いな、と思ってしまうんですね。もちろん、二度と起きてはいけないとは思うけど。
本書では、そのヴェルディヴに直面した少女の視点から、そのヴェルディヴの真っ只中の描写が語られるというのがとにかく重いですね。もちろん、どれほど資料に当たることが出来たとしても、生存者がほとんどいなかったと言われる出来事なので、このヴェルディヴに関する描写は想像による部分が大きいだろうと思います。どこまで真実なのかは誰にも分からないとはいえ、グッと迫ってくるものがありますね。しかもそれが、何も知らなかった無垢な少女によって語られるので、余計に苦しい感じがします。
こういう話を読むと、昔誰かがやった有名な心理学の実験を思い出します。被験者を適当に刑務官側と囚人側に分けて、それぞれの役回りを演技させます。するとしばらくすると、刑務官側に振り分けられた被験者は横暴になっていく、というものです。元の性格がどうであろうと、与えられた役回りをこなしていく中で、どんどん性格が変わってしまうんだそうです。本書でも、フランス警察はそれまでと態度を一変させてユダヤ人の一斉検挙に乗り出すわけだけど、そこで発揮された非情さは、やはり人間誰しもが持つ固有の傾向なんだろうと思うし、自分がその時代のフランス警察の一員だとして、本書で描かれるような酷いフランス警察のようにきっとなっていただろうなと思います。
さて一方で、ヴェルディヴについて調べているジュリアは、このヴェルディヴにのめりこんでいくことになります。元々アメリカ人であり、フランスが起こしたタブー的な出来事についても先入観を持つことがなかったということもあるでしょう。そういう点でも、主人公をアメリカ人に設定したのはうまいと思います。
またジュリアは私生活でもかなりいろいろと苦しい立場にあったりするんですね。それで、まさに現実から逃避するかのようにヴェルディヴの取材にのめりこんでいく。しかしその過程で彼女は、新しい人生を掴みとっていくことになるわけです。その物語の構成力の巧さは抜群だと思いました。60年前の出来事が、現実的にジュリアの人生に影響を与えていく過程は、なかなか真に迫るものがあるなと思います。
ジュリアが知ることになる、自身の個人的な事情とヴェルディヴの関係の切り出し方も凄くうまくて、物語の導入部分が秀逸だなという感じです。自然とジュリアがヴェルディヴの取材にのめりこんでいくようになる展開がなされていて、違和感なく物語に入れます。その後も、自身が抱える問題とヴェルディヴの問題とがオーバーラップしたりとかして、ただ単にホロコーストを扱ったという作品ではなく、ヴェルディヴというホロコーストを扱いつつ、物語としての完成度も凄く高いと思いました。
個人的に好感が持てたのは、人探しにページを割かなかったこと。探している人が割とあっさり見つかってしまうことに不満を感じる読者がもしかしたらいるかもしれないけど、個人的には人探しに無駄にページを使うより、サクっと見つかって物語がどんどん進む方がいいと思うんで、いいなと思いました。
淡々とした描写で綴られる、物語単体は地味な作品だと思いますけど、見事な構成力と、辛い過去に真摯に向き合う強い気持ちとによって見事な小説になっているなと感じました。静かな中に力強さを感じさせる芯の強い物語であり、またいろんなことについて深く考えさせてくれる作品でもあると思います。僕の個人的な意見ですが、歴史を知ったところで過去は繰り返されてしまうと思います。しかしそれでも、過去何が起こったのかを知ることには意味があるのではないかと思わされました。是非読んでみてください。

タチアナ・ド・ロネ「サラの鍵」




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2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
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5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
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4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
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4位 「消された一家
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8位 「自閉症裁判
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10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)