創造の狂気 ウォルト・ディズニー(ニール・ゲイブラー)
そうやって話してみると脇坂さんというのは人柄のいい人なのだろうと思わされた。少し理屈っぽいところはあるけれど、冷静だし、年下の志保に対しても丁寧さを崩すことがない。脇坂さんがお母さんを志保から奪って、どんどんおかしくしてしまったんだ、と思っていたようなところもあるけれど、実際はお母さんの方が脇坂さんに惚れ込んでしまったのかもしれないとも思った。お母さんが父親とは違ったタイプの男性に惹かれるというのも自然だと思うし、志保にしても会田君のような知性を脇坂さんから感じ始めていた。そうやって、空想の脇坂さんではなくて現実の脇坂さんと会話を交わすことで、少しずつ志保の心の凝り固まっていた部分が溶けて行くような気がした。でも、そこが溶けてしまうのは、志保にとっては都合が悪いのだった。もしかしたら自分は、こういう展開を恐れていたのかもしれない。自分のしたことが、もしかしたら間違っていたのではないかと突きつけられているかのようで、さっきまでとは別の意味で息苦しくなっていった。
「失踪シャベル 16-10」
内容に入ろうと思います。
本書は、史上初めて、ディズニー側の全面協力を得て、かつディズニー側の検閲を受けずに書かれた、ウォルト・ディズニーの伝記です。ディズニーはなかなか難攻不落らしく、通常であれば資料は見せてもらえず、また検閲も厳しいらしいんだけど、どういう理由でかこの著者はそれらを全部パス出来たようで、これほどのウォルト・ディズニーの伝記は今後現れることはないだろう、と言われるほどの作品だそうです。
本書はまさに、ウォルト・ディズニーの生涯を描いた伝記です。父親に苦しめられた少年時代、愛着のあった田舎の風景、自分はクリエーターになって絶対に素晴らしい作品を残すんだと絶対的な自信を持っていた青年時代。そんな時代を経てウォルト・ディズニーは、自らアニメ・スタジオを作ります。
始めこそ短編アニメを生み出し続け、そこでミッキーマウスというキャラクターも生まれたのだけど、カラー化や音声をつけたアニメなど様々に先駆的なことをやり、そして長編アニメを手掛ける。「白雪姫」が物凄く評価を得て、一躍時代の寵児になるも、制作費に金を注ぎすぎるためにスタジオは常に資金難に苦しめられることになります。しかしウォルトは、予算をケチッてつまらないものを作るよりはと、採算が採れなくても制作費をつぎ込んでいきます。
ウォルトは常に新しいことへとチャレンジし、やがてテーマパークの構想を得ます。自分が過去に成し遂げたことには関心を持たず、常に新しい創造の対象を追い求め、死の間際まであらゆることに力を注いだ「創造の狂気」の生涯を描いた作品です。
本書を読んで僕は、ウォルト・ディズニーはスティーヴ・ジョブズにもの凄く近いなという感じがしました。
僕の中でのスティーヴ・ジョブズのイメージというのは、自分が作ると決めたものには一切の妥協をせず、それを実現するためにありとあらゆる無茶をし、人をこき使い、時にはスタッフを特別な理由もなく解雇する、という感じなんですけど、ウォルト・ディズニーもまさにそんな感じなんですね。
とにかく、創造への情熱が物凄い。アニメ一本作るにしても、脚本を決めるだけでも1年とか2年とか平気で掛ける(今実際どれぐらいで作られてるのか知らないけど、でもさすがにこんなに時間を掛けてられないだろうと思います)。アニメの細部に渡ってイメージがあり、それを自ら演じてイメージを伝えようとする。決して妥協せず(これは後年、アニメや映画への情熱を失ってからはまた変わるんだけど)、少しでも気に入らなければやり直しを命じる。アイデアが常に沸いて出てきて、さらに熱中する対象があるとそれにずっと関わって、家に帰らなかったり自分で率先して作業をしたりするのだ。
とにかく、自分がこれだと思ったものを生み出す情熱については物凄いものがあります。決して立ち止まらず、常に何か新しい対象がないかと動き続けるというのも凄い。お金や女性や名誉なんかにはほぼ関心を持たず、お金は作品を生み出すことを保証するためのものであり、賞を授与したいからと言って呼ばれても忙しいからいけないと断ったりする。時計や車や服にも関心がなく、テーマパーク建設の際には、夜遅くまで自ら作業し、作業員と一緒にテントでホットドックを食べるような、そんな人間です。とにかく、対象が定まれば人生がそれ一色になってしまう、というのが凄い。
だからこそ、兄のロイが物凄く苦労することになります。ロイは会社の会計的なことを全て取り仕切っていたのだけど、ウォルトが思いついた端から何でも計画を実行してしまうし、制作費もじゃぶじゃぶつぎ込んでいくしで、よく会社として成り立っていたなぁ、と思います。モノづくりのセンスや先見の明ではウォルトは天才的な直感がありましたけど、経営のセンスはゼロで、ホント兄のロイがいなかったらディズニー社は成り立たなかっただろうな、と思います。
そういう、創造について素晴らしい才能を発揮する一方でウォルトは、人間的にはあまり好かれるタイプではなかったようです。少人数を相手にする時と大人数を相手にする時で態度が変わったりするらしいので、意図的にキャラクターを使い分けていたのだという見方もあるらしいけど、とにかくスタジオでは横暴という感じ。イライラしていることが多いし、何かを創造するという部分では自分の意見を絶対に譲らない。さらに、特になんていうことはない理由で従業員を解雇したりするんですね。特に、スタジオを初期の頃から支えてくれたスタッフでさえあっさり首を切られてしまうというのは驚きです(まあこれはスティーヴ・ジョブズも同じだったと思うけど)。ウォルトにとって、どれだけ長く働いてくれたかなんていうことは関係なく、今進行中のプロジェクトに役に立つか立たないかだけが重要なのであって、そういう非常な面も持ち合わせていたりします。
でも、初期のウォルトは、スタジオを活発で家族的な雰囲気にしたいと考えていたし、事実初期の頃はそういう形でスタジオを運営できていた。組織が大きくなるに従っていろいろ変わってしまったようです。
ただ、公の場に出る時には「親しみやすいおじさん」みたいなイメージでいたので、ウォルトのそういう嫌な部分はあまり表には出なかったのだろうと思います。とにかく、ウォルトと一緒に仕事をしていたスタッフは本当に大変だっただろうと思います。誰かが、「ウォルトは他人の天才を利用する天才だ」と言っていたようで、まさしくその通りだなという感じがしました。
他にも書こうと思えばいろいろ書けると思うんだけど、ちょっと今日は時間がないのでこの辺で終ります。結構長い作品で、ところどころあんまり関心を持てない話題(共産主義がどうとかとか、ウォルトが作ったのはアメリカのなんとかだとか、まあそういう話)もちょっとはありましたけど、なかなか面白かったなと思います。これほど、モノを生み出し続けることに貪欲すぎるという人間は、これからもなかなか出てこないんじゃないかなと思います。日本のトップレベルの漫画家なんかは結構近いかもだけど、でもウォルトみたいに壮大なレベルで物事を考えているというわけでもないでしょうしね。人間的にはなかなか難しい面もあったと思うけど、ウォルトが成した奇跡は素晴らしいものがあるなと思います。たぶんビジネス書としてはまるで役に立たないと思うけど(笑)、こういう人がいたんだなと実感できるいい作品だと思うので、ぜひ読んでみてください。
ニール・ゲイブラー「創造の狂気 ウォルト・ディズニー」
「失踪シャベル 16-10」
内容に入ろうと思います。
本書は、史上初めて、ディズニー側の全面協力を得て、かつディズニー側の検閲を受けずに書かれた、ウォルト・ディズニーの伝記です。ディズニーはなかなか難攻不落らしく、通常であれば資料は見せてもらえず、また検閲も厳しいらしいんだけど、どういう理由でかこの著者はそれらを全部パス出来たようで、これほどのウォルト・ディズニーの伝記は今後現れることはないだろう、と言われるほどの作品だそうです。
本書はまさに、ウォルト・ディズニーの生涯を描いた伝記です。父親に苦しめられた少年時代、愛着のあった田舎の風景、自分はクリエーターになって絶対に素晴らしい作品を残すんだと絶対的な自信を持っていた青年時代。そんな時代を経てウォルト・ディズニーは、自らアニメ・スタジオを作ります。
始めこそ短編アニメを生み出し続け、そこでミッキーマウスというキャラクターも生まれたのだけど、カラー化や音声をつけたアニメなど様々に先駆的なことをやり、そして長編アニメを手掛ける。「白雪姫」が物凄く評価を得て、一躍時代の寵児になるも、制作費に金を注ぎすぎるためにスタジオは常に資金難に苦しめられることになります。しかしウォルトは、予算をケチッてつまらないものを作るよりはと、採算が採れなくても制作費をつぎ込んでいきます。
ウォルトは常に新しいことへとチャレンジし、やがてテーマパークの構想を得ます。自分が過去に成し遂げたことには関心を持たず、常に新しい創造の対象を追い求め、死の間際まであらゆることに力を注いだ「創造の狂気」の生涯を描いた作品です。
本書を読んで僕は、ウォルト・ディズニーはスティーヴ・ジョブズにもの凄く近いなという感じがしました。
僕の中でのスティーヴ・ジョブズのイメージというのは、自分が作ると決めたものには一切の妥協をせず、それを実現するためにありとあらゆる無茶をし、人をこき使い、時にはスタッフを特別な理由もなく解雇する、という感じなんですけど、ウォルト・ディズニーもまさにそんな感じなんですね。
とにかく、創造への情熱が物凄い。アニメ一本作るにしても、脚本を決めるだけでも1年とか2年とか平気で掛ける(今実際どれぐらいで作られてるのか知らないけど、でもさすがにこんなに時間を掛けてられないだろうと思います)。アニメの細部に渡ってイメージがあり、それを自ら演じてイメージを伝えようとする。決して妥協せず(これは後年、アニメや映画への情熱を失ってからはまた変わるんだけど)、少しでも気に入らなければやり直しを命じる。アイデアが常に沸いて出てきて、さらに熱中する対象があるとそれにずっと関わって、家に帰らなかったり自分で率先して作業をしたりするのだ。
とにかく、自分がこれだと思ったものを生み出す情熱については物凄いものがあります。決して立ち止まらず、常に何か新しい対象がないかと動き続けるというのも凄い。お金や女性や名誉なんかにはほぼ関心を持たず、お金は作品を生み出すことを保証するためのものであり、賞を授与したいからと言って呼ばれても忙しいからいけないと断ったりする。時計や車や服にも関心がなく、テーマパーク建設の際には、夜遅くまで自ら作業し、作業員と一緒にテントでホットドックを食べるような、そんな人間です。とにかく、対象が定まれば人生がそれ一色になってしまう、というのが凄い。
だからこそ、兄のロイが物凄く苦労することになります。ロイは会社の会計的なことを全て取り仕切っていたのだけど、ウォルトが思いついた端から何でも計画を実行してしまうし、制作費もじゃぶじゃぶつぎ込んでいくしで、よく会社として成り立っていたなぁ、と思います。モノづくりのセンスや先見の明ではウォルトは天才的な直感がありましたけど、経営のセンスはゼロで、ホント兄のロイがいなかったらディズニー社は成り立たなかっただろうな、と思います。
そういう、創造について素晴らしい才能を発揮する一方でウォルトは、人間的にはあまり好かれるタイプではなかったようです。少人数を相手にする時と大人数を相手にする時で態度が変わったりするらしいので、意図的にキャラクターを使い分けていたのだという見方もあるらしいけど、とにかくスタジオでは横暴という感じ。イライラしていることが多いし、何かを創造するという部分では自分の意見を絶対に譲らない。さらに、特になんていうことはない理由で従業員を解雇したりするんですね。特に、スタジオを初期の頃から支えてくれたスタッフでさえあっさり首を切られてしまうというのは驚きです(まあこれはスティーヴ・ジョブズも同じだったと思うけど)。ウォルトにとって、どれだけ長く働いてくれたかなんていうことは関係なく、今進行中のプロジェクトに役に立つか立たないかだけが重要なのであって、そういう非常な面も持ち合わせていたりします。
でも、初期のウォルトは、スタジオを活発で家族的な雰囲気にしたいと考えていたし、事実初期の頃はそういう形でスタジオを運営できていた。組織が大きくなるに従っていろいろ変わってしまったようです。
ただ、公の場に出る時には「親しみやすいおじさん」みたいなイメージでいたので、ウォルトのそういう嫌な部分はあまり表には出なかったのだろうと思います。とにかく、ウォルトと一緒に仕事をしていたスタッフは本当に大変だっただろうと思います。誰かが、「ウォルトは他人の天才を利用する天才だ」と言っていたようで、まさしくその通りだなという感じがしました。
他にも書こうと思えばいろいろ書けると思うんだけど、ちょっと今日は時間がないのでこの辺で終ります。結構長い作品で、ところどころあんまり関心を持てない話題(共産主義がどうとかとか、ウォルトが作ったのはアメリカのなんとかだとか、まあそういう話)もちょっとはありましたけど、なかなか面白かったなと思います。これほど、モノを生み出し続けることに貪欲すぎるという人間は、これからもなかなか出てこないんじゃないかなと思います。日本のトップレベルの漫画家なんかは結構近いかもだけど、でもウォルトみたいに壮大なレベルで物事を考えているというわけでもないでしょうしね。人間的にはなかなか難しい面もあったと思うけど、ウォルトが成した奇跡は素晴らしいものがあるなと思います。たぶんビジネス書としてはまるで役に立たないと思うけど(笑)、こういう人がいたんだなと実感できるいい作品だと思うので、ぜひ読んでみてください。
ニール・ゲイブラー「創造の狂気 ウォルト・ディズニー」
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