黒夜行

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高砂コンビニ奮闘記 悪衣悪食を恥じず(森雅裕)

適当にお酒を選んだ二人だったけれど、そもそもどうやって注文するのかが分からない。居酒屋のように、スタッフを呼び出すボタンがあるわけでもない。すると、マスターが既にテーブルの横に立っていて、それに同時に気づいた二人は、うわっと小さな声をあげた。そんな反応には慣れていますよとでも言うように、マスターは注文伝票らしい紙と鉛筆を持ちながら静かに佇んでいた。二人がどうやって注文を決めたことを察知したのかは分からないけれど、とにかく注文する時はマスターが来てくれるらしい。二人は、聞いたこともない名前のお酒と聞き慣れた料理をいくつか注文した。
「あのマスターはさ、三億円事件の犯人だって噂があるんだ」
 会田君はカウンターに戻るマスターに聞こえないようにだろう、それまでよりもさらに声を潜めてそう言った。

「失踪シャベル 12-3」

内容に入ろうと思います。
本書は、かつて江戸川乱歩賞を受賞した作家で、現在無職で生きていくのもギリギリの生活をしている著者の、50代半ばにしての初のコンビニアルバイトの顛末を描いたものです。
高砂にあるMニップ(と本書では略している。まあどこのコンビニかはわかるでしょう)は、著者が働き始めてから13ヶ月で閉店してしまったようなんですが、そこでの仕事、出会った人々、奇妙なお客さんなどなど、コンビニバイトの裏側を描いています。
というだけでは特に面白くもなんともないエッセイという感じがするでしょうが、本書は『芸大を優秀な卒業し、作家として辛口の書評家に評価された、これまでずっとフリーでやってきた中高年が、突如生きるためにコンビニバイトをする』という視点の新鮮さがなかなか面白いんですね。
著者としては、何件も面接に出向いてようやく採用されたアルバイト先なので、そもそも文句を言わず真面目に仕事をするつもりなのであるけど、さらにその時代の人らしく、そもそも仕事に対する生真面目さみたいなものを持っているんですね(とわざわざ書くのは、僕も接客業でアルバイトをしていて、仕事に対する生真面目さのない人が増えてきたなぁと感じるため)。コンビニの仕事は相当な激務で、しかも夜勤だった著者はそれはもうとんでもない仕事量だったとか。しかも日々変わらぬルーチンワークの繰り返し。それでも、少しでも効率を上げるやり方を見つけ出したり、クレームに対処する有効な(とは言い難いかも。なにせ悪質なクレーマーには結構喧嘩腰で挑んでいて、そのやり方には個人的に賛成だけど、店長たちからは疎まれていたよう)対処を編み出したり、一回りもふた回りも年齢の違う仲間との関わり方に気を遣ったりと、あぁもう生真面目に仕事をしちゃう人なんだろうな、それが得とか損とかじゃなくて、どんな仕事であれ仕事をきっちり出来ない自分を恥ずかしく感じてしまうのだろうな、ということが伝わってくるので、好感が持てます。
しかしこの高砂の店は、客筋が酷かったみたいですね。詳しくは是非読んでみて欲しいのだけど、深夜とは言え、コンビニっていうのはそこまで荒れ放題なのか?と思うほど劣悪なんですね(もちろん、今後書くことも同様だけど、すべては著者の主観なので、それが正確に事実を描写しているかは読者には分かりません。でも、もし多少の食い違いがあったとしても、ちょっとそれはないだろというレベルの話が多い)。
例えば僕がびっくりしたクレーマーの一人(本書にはとんでもないクレーマーの話は結構出てくる)に、さきいかか何かの空の袋を持ってきて、『間違えて買っちゃったから交換してくれ』と言ってきた客。いやいや、もうあった食べちゃったんでしょ?そんなもん、間違えたも何もないだろうが、ってなもんですよね。
自分も接客業でアルバイトをしているから、本書で描かれているスタッフ同士のやり取りというのは、わかるなぁ、というものが多かったです。朝勤や昼勤と夜勤の間の険悪っぷりとか、恐ろしく使えないスタッフの話とか、言葉を交わさなくても医師の疎通が出来るとか、わかるわかるって感じでした。
他にも、普段よく使ってるけど内情まではよく知らないコンビニの内部が分かって結構面白かったりしました。
というわけで、気になったエピソードをいろいろ抜書きしてみます。
いろんな事情でレジに通しても値段が出てこない商品があるらしく、基本的にそういうものは売るのを断るらしいんだけど、時々適当な値段で売ってしまうこともあったらしい。
月に一二度は110番するような店だったようです。いやだ、そんな店で働くのは…。
働いている間に店長が3回代わったらしいのだけど、その中のS山さんというのが凄い。言ってることが支離滅裂で、しかも女性にだけは甘いという、上に立ってはいけない人間である。このS山さんのエピソードを読むと、ウチはまだましか、と思えてくる。
弁当や飲料など販売期限の短い商品は古いものを必ず手前にやるけお、菓子類は期限が長い上に回転も早いから、どんどん手前に補充しちゃうみたいですよ。だから菓子類は手前の方が新しい可能性がある、らしいです(店によるらしいですけど)。
陳列の仕方について本部から見本の写真が来るらしいのだけど、これがどうも支離滅裂らしい。同じブランドのポテチの違う味を並べて置かないとか、なんて指示があるようだ。コンビニはそういうマーケティングを相当やってるだろうから、それが理想的な置き方なのかもしれないけど、理由を知りたいなぁ。
そもそも知らなかったんだけど、コンビニの発注って店長だけじゃなくてバイトも普通にやるんですね?で、発注ミスというのが必ずや起こる。「店長おすすめ」なんてポップがついて大量に陳列してある商品は発注ミスと思っていいみたいですよ。
著者が働いていた店で起こった話ではないらしいけど、コンビニのトイレにまつわるとんでもない話。トイレットペーパーが切れていたのでパンツで拭いた客が、このパンツ代を弁償しろとねじこんだらしい。しかもパンツはトイレに流して詰まらせるし、俺のパンツは高級ブランドだとごねたりしたらしい。すげーなー。
コンビニは基本両替お断りらしいけど、それでも来る。著者が経験したわけではないらしいけど、小銭をどさっと出して、全部一円玉にして欲しいなんてのもあったとか。どうするんだ、それ。「五十円玉二十枚の謎」みたいですね(笑)
これはコンビニの話ではなく、著者が若いときにしていたバイトの話らしいけど、昔工事現場で働いていた時、「これをつけてないと責任問題になるから」と言って命綱を渡されるんだけど、そのフックを引っ掛ける場所がない。ぶらさげているだけなのだそうだ。聞くと、「いいんだ、つけてさえいれば」と言われるのだという。とんでもないですね。
というようなコンビニの話が基本メインなのだけど、本書の巻末では、自分の来歴やどれほど苦しい状況にいるのかという吐露が少しだけある。
50代でそれまでほとんどフリーでやってきたという怪しげな履歴で仕事を探すのは大変だろうと思うし、その他友人が去っていったとか、理不尽なことに出くわすとか、孤独であることの辛さとか書かれているけど、やっぱりそういうのは今の時点の僕にはリアルには想像出来ない。僕も正直言って、この著者と似たような道をまっしぐらだなぁーと思うんだけど、まあなるようになれ、としか思っていない。きっとそうなった時に、あー昔こんな本読んだな、と思い返すのだろうな。
さて、それはともかくとして、個人的にどうかなと思うのが、著者が出版社から干されてしまった、という経緯である。
正直それについては、本書ではごく僅かしか触れられていない。というかほとんど記述がない。なので、本書に書かれている話だけから何らかの結論を導きだすのは危険だと思うし、これまた著者の主観の話であるので何が事実であるのかを判断することは難しいだろうと思うのだけど、それでも本書のほんの僅かな記述から判断するに、出版社の編集者というのはちょっといかがなものかと思わないではない。
もしかしたらそれは昔の風潮で、今はある程度改善されているのかもしれないけど、それでもちょっと前にメジャーな漫画家が出版社の編集者との揉め事を暴露していたりする。業界の体質は恐らく変わっていないのだろう、と思う。
本を作る、という経験をもちろんしたことはないので、それがどれだけ大変なことなのか分からないで書くのだけど、少なくとも作家より編集者の方が上、という状況はマズイのではないかと思う。作家の方が偉い、とは言えないけど、少なくとも対等の立場でいるべきではないか。でも、本書を読む限り、どうしても編集者の方が上と読めてしまう。
もちろん、ちらっとウィキペディアの記述を読んだところ、この森雅裕という人も相当トラブルメーカーではあるらしい。業界の暴露話なんかをじゃんじゃん言ってたりとかして、そういう小説とは関係ないところで揉め事を生み出して嫌われていったという部分もあるだろう。でも著者としては、そもそも編集者の方がおかしいのであって、だから自分は暴露をしたのだ、と主張するかもしれない。そうなるともはや泥仕合なのでどうにも決着はつかないだろうけど、もし今でも出版社の編集者というのが作家に対して強い立場を取っているのであれば、それがもし素晴らしい作品を生み出すための方策なのだとしても、是非止めてほしいものだな、と思いました。
しかし、江戸川乱歩賞全集が刊行された際、著者の「モーツァルトは子守唄を歌わない」が収録されなかったというのは、さすがに問題がありすぎではないか、と思います。こういう、読者の方を向かず、内輪の揉め事で読者の不利益を被るようなことをしてしまうのは、さすがに問題だろうな、と思いました。現在の出版業界では改善されているといいな、と思います。
最後のあとがきで、39歳の青年の孤独死から始まって、今の世の中の人間の繋がりについて書いている。テレビでは、その青年に対して「どうして助けを求めなかったのか」と論じるが、著者はその答えをこう書く。
その青年のSOSに気づくような感性の持ち主は、そもそも同じような境遇であることが多く、物理的な支援を期待するのは難しい。問題は気づこうとしない人たちで、そういう人たちは自分がSOSに気付いていないということにさえ気づかないのだ(文章的におかしいような気がするけど、そのまま残そう)。今もギリギリの生活をしている著者の、恵まれた人にはただの愚痴にしか聞こえないかもしれないと危惧しつつも発する、これがSOSです。自分のSOSでもあり、社会に対するSOSでもあります。そのSOSを受けて行動することはやっぱりなかなか難しいんですけどね。
というわけで、なかなか面白い作品でした。同じような境遇の人はたくさんいるのではないかな、と思います。是非読んでみてください。

森雅裕「高砂コンビニ奮闘記 悪衣悪食を恥じず」




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3位 浅野いにお「うみべの女の子
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5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

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感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

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7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
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9位 山本弘「詩羽のいる街
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