黒夜行

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ナニカアル(桐野夏生)

志保はそのテーブルに行って、じゃあどうして結婚したんですか、と問い詰めてやりたい気になった。バイト中、時々そういう気分になる。旦那の浮気を知りながら、飯だけ作っていればいいなんて気楽なもんよと言っていた主婦らしきおばさんにも、二股を掛けていることを自慢しているサラリーマンらしき若者にも、志保はかつて似たような感情を抱いたことがある。お酒が入って気が大きくなっているということもあるだろうし、普段は良識のある大人なのかもしれない。でも一方で、お酒の席での発言はその人の本音が凝縮されているようにも感じられて、男女の関係というのが理解出来なくなってくる。
 お母さんは、父親の浮気を知って泣いていた。その後離婚をし、志保の方をきちんと向いて生きてくれるようになった。志保にとってその流れはごく自然なもので、正しいものだと感じられた。しかし、居酒屋でのそういう話を耳にすると、何が正しいのか分からなくなってしまう。お母さんも浮気をしてやればよかったのだろうか。離婚をしたことは間違っていたのだろうか。そもそも結婚したことは正しかったのだろうか、と。

「失踪シャベル 10-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、なかなか面白い設定の作品です。まず本書の設定の説明をしましょう。
プロローグで、林芙美子の姪であり、かつて林芙美子の夫だった緑敏と結婚した房江という人物が出てきます。すでに芙美子は亡くなっており、夫だった緑敏も故人です。房江は緑敏の遺言で、緑敏が描いた絵はすべて焼却するように、と言われるのですが、房江はその絵の額の裏から、芙美子の原稿を発見したのでした。そこで、生前芙美子と親交のあった黒川某という人物に、この原稿についてどうしたらいいだろうかと問い合わせる、というのがプロローグの内容です。
で、本書は、その『林芙美子が遺したという原稿』が本編になっています。もちろん林芙美子の未発表原稿が発見された、というような事実はないでしょうから、林芙美子が遺した原稿という設定の小説を桐野夏生が書いた、ということですね。
舞台は戦時中の昭和17年。当時流行作家たちは、戦争の素晴らしさについて喧伝するために、陸軍などによって戦地へと送られ、陸軍の意向に沿った文章を書かされるようになっていました。林芙美子はかつて、女流作家ながら「漢口一番乗り」をやってのけたある意味で有名人であり、戦局が激しくなってまた戦地へと送られることになったわけです。
病院船に偽装しているとはいえ、いつ潜水艦に撃沈されるかも分からない命がけの渡航で南方へと向かった芙美子には、一つの希望がありました。それは、かねてより交際(芙美子にも相手にも結婚相手がいたので共に不倫ということになりますが)していた斉藤謙太郎という新聞記者と会えるのではないか、という期待です。
ある時から芙美子の担当になった謙太郎は、初めこそ女流作家を見下すような態度だったのだけど、すぐに二人は打ち解け体を合わせるようになります。英語の出来る謙太郎は外国へと行かされることが多く、なかなか会えない日々が続いたのだけど、電報をやり取りすることでなんとか繋がりを感じられたわけです。
南方では、どこで戦争が行われているのだろうと思うほど平和な日常を過ごすことになります。芙美子は他の作家と比べてあちこちに移動させられることになったのだけど、それでも物資の少ない内地よりも全然豊かな生活をすることが出来る。もちろん戦時中であり、嫌なことや不快なこともたくさんあるのだけど。
謙太郎との束の間の逢瀬に心躍るも、やがて疑心暗鬼に囚われるようになっていきます。戦争に翻弄された、林芙美子といういう一人の女を描いた作品です。
いやー、なかなか凄い話だなと思いました。僕は林芙美子の作品を読んだことがないし、林芙美子が戦時中南方に行ってたなんてことももちろん知らなかったわけなんで、桐野夏生が描く小説のどこまでが本当の話で(例えば斎藤謙太郎という新聞記者は実在するのか、林晋という子供は実在するのか、など)、どこまでが創作なのかまったく分からないんですけど、実在の作家を主人公に据えて、ここまで壮絶な物語を描くことが出来るものか、と思いました。桐野夏生らしい作品でありながら、一方でこれまで書いてきた作品とは一線を画しているような感じもする作品で、凄い作品を書いたものだなと思います。
やっぱり本書の肝は、実在した作家・林芙美子を主人公に据えた、というところでしょうか。もし本書の主人公が架空の人物だったら、ここまで面白いとは感じなかっただろうな、と思うんです。本書で描かれていることのどこまでが実際の事柄なのかは分からないにせよ、ある程度は実際のことを書いているでしょう。さらに、プロローグとエピローグで、本書の本編部分が未発表原稿として見つかったのだ、という演出もしています。これで、よりリアル感が高まるんですね。実際に存在した女流作家・林芙美子が、もしかしたら本当にこんな人生を生きていたのかもしれない、という部分が本書の肝であり、読者にそう思わせるだけの筆力が桐野夏生にはある、という点が素晴らしいなと思いました。
あと、これは一般の人には常識なのかもしれないけど、歴史の知識がほぼゼロな僕には、戦時中に作家をいろんなところに送って、国民を高揚させるような文章を書かせてたんですね。知りませんでした。時代というのは恐ろしいものですね。今は逆に、誰でもネットを通じてどんなことでも自由に書けてしまうという、本書で描かれていた時代とは真逆な感じの時代ですけど、こういう風に書けと言われてその通りに書くしかなかった時代というのは想像するのは難しいですね。しかもそれが、当時の流行作家たちなわけです。軍部の気に入らない文章を書くと裁判に掛けられて罰せられたりもするわけで、恐ろしい時代だな、と。また、これももちろんどこまで実際のことかは分かりませんけど、南方が意外にゆったりとしていて戦争の雰囲気を感じなかったとか、元々現地に住んでいた日本人の悲哀など、その当時の雰囲気が描かれているのも、戦争についてまるで知らない僕には新鮮な作品でした。
正直なところ、林芙美子と斎藤謙太郎の情事の部分は、僕としてはさほどどうということもありませんでした。恐らく作品としてはこの部分がメインになるんだと思うんだけど、僕の中では読んでて、そういう部分は別にいいやと思っていました。それよりは、戦争という雰囲気、女流作家として生きることの大変さ、いろんな思惑を持つ人々とのやり取りなど、そういうディテールの部分がかなりきちんと描かれていたので、そういう部分が面白いなと思いました。ただ、芙美子と謙太郎の情事の部分も、戦時中の悲哀や焦燥みたいなものをうまく引き立てる役割を担っていると感じたので、そういう意味では重要な要素だなと思っています。
正直桐野夏生はもういいかなと思っていた部分があったので、改めて桐野夏生の実力みたいなものを見せつけられたような感じがします。まあでも一つ文句をつければ、タイトルと装丁はもう少し別の感じにした方がよかったのではないか、と。この装丁にこのタイトルだと、どうしてもホラー作品っぽく見えてしまう気がします(僕は初めそんな風に思っていました)。桐野夏生とホラーだったら、そこまで遠いって感じもしないですしね。まあ、とにかくなかなか素晴らしい作品だと思います。戦争を舞台にした作品ですが、戦争についてほぼ知識ゼロの僕でも普通に読めるぐらい読みやすい作品でした。是非読んでみてください。

桐野夏生「ナニカアル」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)