黒夜行

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増大派に告ぐ(小田雅久仁)

講義が終わり、質問することなくノートをバッグに仕舞うと、志保は大教室の後ろの方に座っているはずのアカネちゃんを探した。アカネちゃんは大学に入ってから知り合った友達の一人で、時間が合う時は必ず、志保と高校が同じだったカナちゃんと三人でお昼ご飯を食べることにしている。カナちゃんは学部が違うから時々お昼ご飯を一緒に食べられないこともあるんだけど、アカネちゃんは学部が同じだし、一二年のうちは取っている講義も大体同じだから、大抵いつも同じ教室にいることになる。並んで講義を受けないのは、ノートを取るために最前席に近い位置に座る志保と違って、講義の時間は寝たり友達と喋ったりするためにあると言っているアカネちゃんは、大体後ろの方の席に座ることになるからだ。アカネちゃんにも、いつもノートを貸している。去年は、きちんと授業に出ているなら、ノートもちゃんと自分で取ればいいのに、と思っていたのだけど、今はなんとなくアカネちゃんのあり方も理解出来るようになってきた。志保自身も、後ろの席でダラダラ講義を受けたい、という欲求が湧いてくることはよくある。自分のその大きな変化が、今朝感じた変化と一瞬重なりあって、哀しみが増幅したように感じられた。後ろの方で座っているアカネちゃんを見つけ、そちらに向かって歩く間に、志保は気持ちを切り替えた。

「失踪シャベル 2-6」

内容に入ろうと思います。
本書は最新の日本ファンタジーノベル大賞受賞作です。誇大妄想にとりつかれたホームレス・大熊と、どうしようもなく狂気に惹かれる中学生・舜也の二人が主人公です。
大熊は、リアカーを引きながら、かつて住んでいたことのある団地の傍にある公園にやってきた。増大派の連中から姿を隠しつつ、団地に囚われているはずの母親を助けるためだ。ヒロシマという男が遺した赤いキャップを被り、アルバートと名付けた犬を連れて、大熊は公園での生活を始める。
大熊にとって世界は、増大派と減少派に分かれている。ほとんどの人間が増大派であり、しかもその数はどんどんと増えていっている。ありとあらゆる組織や集団の中にはびこり、取り返しのつかないことになっている。世界は増大派に乗っとられようとしている。大熊は数少ない減少派であり、増大派と減少派を見分ける特殊な能力を磨いてきたがゆえに、なんとかここまで生き延びることが出来たのだ。
大熊は、船長との思い出や自分の出自なんかを振り返りながら、自らの妄想の世界の中でもがいていく。
舜也は団地に住み、団地の中学校に通っている。今ではなりを潜めたものの、かつては理解できない理由で母親や自分たち兄弟を殴ってきた父親とは、もう二年ほど話をしていない。家の中の空気はギスギスしている。それは主に、舜也と父親が作り出している。それを取りなそうとする母親と弟のあれこれさえも、より空気を寒々しくするだけだ。
舜也の弟がある時、公園に男が家を作っていると言ってきた。赤いキャップを被った男だ。何をしているのか分からない。遠目で見る限りでも、ちょっと頭がおかしいように思える。しかし舜也はその男に何故か興味を惹かれてしまう。舜也は幾度となく男の姿を見に行き、やがて接触を持つようになる。
舜也も、行き詰まっている家族や、ままならない友人関係なんかを抱えながら、窮屈な世の中を生きていく。
というような話なんですけど、なんていうかこういう内容紹介じゃ伝わらないものが本書にはあるんですね。
いやはや、凄い作品でした。ちょっと前に、同じく日本ファンタジーノベル大賞受賞作である「ラス・マンチャス通信」という作品を読んでこれは凄いと思いましたけど、それを上回る作品だなと思いました。ホント、日本ファンタジーノベル大賞はレベルが高すぎますね。
本書は単行本で260ページぐらいの作品で、普段の僕なら3時間もあれば読める本なんですけど、本書はたぶん読むのに6時間は掛かったと思います。とにかく文章が濃密で、スラスラとは読み進められないんですね。これほど濃密な文章を読んだのは久しぶりではないかなと思います。
本書は、ストーリーはほんと特にこれと言ったところのない何でもない話ではあるんです。ごく狭い地域を舞台にして、ごく限られた登場人物を、ごく限られた会話で関わらせるという感じで、正直ストーリーだけみればほとんど何も起こっていないと言ってもいいかもしれません。ホームレスは公園に住み始めるだけだし、中学生はそのホームレスを見ているだけ、後半でその二人がちょっと関わる、ぐらいの展開でしかありません。
じゃあ本書は何が凄いのかというと、ホームレスと中学生の内面描写というか思考というか感情というか、そういう部分がもうとてつもないんです。
ホームレスの方は、とにかく妄想が凄い。どうしてそうなったのかはよく分からないけど、男はとにかくとんでもないレベルの妄想を抱えて生きています。どんな妄想なのかは是非呼んでみてほしいんだけど、よくこんなこと考えたもんだよなと思うくらいです。男はその妄想が現実であると捉えて生きていて、それこそが彼にとっての真実なわけです。その生き方は窮屈極まりないですけど、ある意味で男に生きがいを与えているのだろうし、公園に勝手に家を建てちゃう以外に誰かに迷惑を掛けたりするようなこともないんで、本人がよければいいんじゃないかなと思います。
徐々にわかっていくんですけど、男はどうやら秘密を抱えているようで、それに対して何かしなくては、という方向性の行動もします。妄想の世界や、ホームレスとしての現実、そして過去の秘密に対する行動なんかが男の行動原理みたいなものになっています。
また、船長と名付けている男との関わりについても面白いと思います。船長というのは、男が子どもの頃かかわり合いのあった男なんだけど、男が抱えている秘密というのも船長と絡んだものになっていきます。男がどんな過去を生きて来たのかという部分もなかなかに興味深いです。
一方の舜也も、中学生としてはかなり歪んでいます。学校にいる間はそういう部分をあまり表に出さないようにという感じにしているのだけど、一人でいる時には様々なことを頭の中で考えます。その大半が、父親に関することになります。
舜也はとにかく父親と折り合いが悪い。というか、父親が理不尽な理由で家族に当り散らすのが悪いんだけど、しかし母親と弟はそんな父親には表立って反抗は出来ない。舜也も、昔は出来なかったけど、今では冷戦状態みたいな感じを保ちながら、常に父親との関係に気を張っていきているんです。
そんな父親と過去に何があったのか、父親が舜也に散々話して聞かせたある妄想、父親の人間としての弱さ、そういったことを舜也は常に考えていきます。
一方で舜也は、公園に住み着いたホームレスにかなり興味を持つことになります。初め弟から話を聞いたときはさほど興味があったわけではないのだけど、徐々に興味が湧いてきます。そのホームレスが頭がおかしいのではないか、と感じるようになったためで、それは父親が幼い頃から舜也に吹き込み続けたとある妄想が関わってきます。ホームレスの男と何らかの関わりあいを持つことで、その妄想に何らかの結論を出せたりするのではないか、というような淡い期待を抱くわけです。
そんな狂った二人は、しばらくはほとんど接点のないままで話が進んでいきます。終り頃になってようやく関わりを持つことになります。
とにかくこの作品は、文章に力があります。本書は新人のデビュー作ですけど、とにかく新人とは思えないほど文章が手練ています。僕は、舞城王太郎や古川日出男なんかは、もはや文章によって自らの世界観を確立出きている作家だと思っているんですけど、この著者もそんな雰囲気を漂わせています。もう既に、文章によって自らの世界観を確立しているという感じがするんです。新人でそんなことが出来る作家というのはまずいないでしょう。文章自体は落ち着き払っているのに荒々しい感情表現になっていたり、どうやってこんなの思いつくんだというような比喩表現もたくさんあったりして、文章がうまいとかどうとかじゃなくて、もう自分の世界が確立しているんだなという感じでした。濃密な文章で、とにかくスラスラと読める作品ではありませんけど、この濃密さはなかなかベテランの作家でも醸し出すことは出来ないんじゃないかなと思えるレベルだと思いました。
一つだけ欠点を挙げるとすれば、ホームレスと中学生の性格とか生き方みたいなものが似すぎていて、時々文章を読んでて、これはどっちの話だっけ?となってしまうというところでしょうか。もう少しホームレスと中学生で対比出来る部分があればよかったのかな、とも思うけど、本書のレベルの高さを考えれば、重箱の隅をつつくような指摘でしかないかもしれません。
とにかく、この作品の魅力を文章で表現するのは実に難しいので、とにかく読んでくださいとしか言いようがありません。文章は濃密でスラスラと読めるわけではありませんけど、決して難しい作品というわけではありません。タイトルや装丁も秀逸だと思うし、とにかく全体として新人のデビュー作とは思えない作品です。また凄い才能が出てきたものだなと思います。この作家はホントこれからも大期待だと思います。ただずっとこういう感じの作風で行くとしたら、ちょっと飽きられちゃうかもしれない、と思ったりもします。こういう雰囲気を残しつつ、新しい世界観を生み出してほしいなと思いました。是非読んでみてください。

小田雅久仁「増大派に告ぐ」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)