黒夜行

>>2017年08月

鼻/外套/査察官(ゴーゴリ)

この本を読んだ理由は他でもない、乃木坂46の齋藤飛鳥にある。好きな本について聞かれる度に、ゴーゴリの「外套」を挙げていたのだ。

齋藤飛鳥は読書家で知られているし、遠藤周作や貫井徳郎など読んでいるという。人の悪意を描くような、気持ちが沈むような作品が好きだ、とも良く言っていたから、「外套」もそういう方向性の作品なのかと思っていた。

が、そうではなかった。

ある雑誌で「外套」について齋藤飛鳥は、『「真面目な人は損をする」とはこういうことかと思いました』と書いている。なるほど、そういう見方をしているとすれば、齋藤飛鳥らしい、という気もする。物事を真っ直ぐではなく斜めから見るような視点をよく取る齋藤飛鳥にとっては、ゴーゴリが描くこの不条理で滑稽な物語が、教訓めいた話に受け取れるのかもしれない。

しかし「外套」かぁ、と僕は思った。齋藤飛鳥がどの本で「外套」という作品に触れたのか、それは分からない。僕が読んだのは光文社古典新訳文庫版で、「鼻」「外套」「査察官」という3作品が載っている。で、この3作品の中で言えば、僕は「鼻」が好きだ。

冒頭から、何なんだこの話は、という展開が実に面白い。

何せ、焼きたてのパンを切ったら鼻が出てくる、というところから物語が始まるのだ。意味不明だ。その後、鼻を失った人物が右往左往しながら鼻を探す、という展開になるのだけど、その鼻が金の刺繍の入った制服を着て街を闊歩しているのだ。呼び止めた男は鼻に向かって、「あなたはぼくの鼻なんですよ!」と叫ぶ。シュール過ぎる…。何かを風刺したりするような背景的な当時の社会風潮などがあるのかもしれないけど、ただ読めばシュールで不条理で意味不明な物語だ。でも、なかなか面白い。

「外套」は、それまで慎ましやかな生活をしていた男が、擦り切れてボロボロになった外套を仕立て直してもらうのだが、それがきっかけで命を落とし、死後幽霊となって他人の外套を奪う、という、こちらも何だそりゃ、という話なのだが、「鼻」と比べれば全然現実よりだし、理解可能な範疇にある。

「外套」を読んでて感じた凄さは、要約すればさっき僕が書いたように2行程度で書けてしまうような、別に大した内容でもないのに、それを一つの短編にまで膨らませてしまうゴーゴリの想像力だろうか。本書の解説には「四次元的想像力」という言葉があり、『ゴーゴリの描く「現実」は現実を越えて「四次元」に突き抜けているのだ』と書かれている。それは「鼻」のような明らかに現実を超越したような作品に対しての表現なのかもしれないが、より現実に軸足を置いているように感じられる「外套」であっても、一人の男の慎ましやかな生活をここまで細かく描くのか、外套を盗まれた男がお役所などをたらい回しにされる様をこの短い話の中でここまで細かく描くのか、というような部分に現実を超越したような想像力を感じる。

とはいえ、これはある程度仕方ないことだが、「齋藤飛鳥が面白いと言っているから、僕も「外套」を面白く読みたい」という気持ちが僕の中にあることは確かだ。もし、齋藤飛鳥が「外套」を好きでいるという事実を知らずに本書を読んだとしたら、「外套」という作品に注目していたかは分からない。なので、ここで僕が書いたことが、「外套」に対する純粋な僕の評価なのかと言われると、なかなか難しいところはある。

何故齋藤飛鳥が「外套」を読もうと思ったのか。そこに一番関心がある。僕は、恐らく齋藤飛鳥が好きだと言っていなければ、一生読まなかっただろう。そのお陰で、本書のような読みやすい(解説で訳者が、本書を落語調に訳した、と書いている)古典作品もあるのだ、と知れたことは良かったことだ。齋藤飛鳥は一体いつどこで「外套」と出会い、それを読もうと思ったのだろうか。

聞く機会があれば、その辺りのことを聞いてみたいな、という感じもする。

内容紹介については、「鼻」と「外套」については、ここまでの文章の中で書いた要約以上に付け足す点はあまりない。少なくとも本書に収録されている3作品は、ストーリー展開がどうのというような話ではなく、読んでみてその不可思議さを感じるような作品なので、外形上の物語について触れてみても、あまり面白さは伝わらないのだ。

「査察官」についても、ざっと内容を書いておこう。こちらは、戯曲だ。ある町の市長が、ペテルブルクからお忍びで査察官がやってくる、という情報を耳にする。その内に町の地主である二人が、宿に金を払わない男がずっといる、あいつが査察官に違いない、と言って町は大わらわになる。しかし実はその男は、金遣いの荒いただの旅行者で…。というような話だ。こちらもスイスイ読めて、バカバカしい喜劇が展開されていく様がなかなかにシュールで面白い。

恐らく、齋藤飛鳥が「良い」と思っているほどには「外套」を良いと感じられなかったのが残念ではあるが、まあ読書というのはそういうものだ。読む本の趣味は、合わない方が当然だと思うので、なんということはない。読んでみて、「何故齋藤飛鳥は「外套」を読もうと思ったか」「「外套」のどこに齋藤飛鳥は惹かれたか」により関心が強まった、ということは確かである。
あと、これは昔からどうにもならない僕の性質だが、古典作品を読むと猛烈な睡魔に襲われるのをどうにかしたい。どうにもならないのだが。

ゴーゴリ「鼻/外套/査察官」

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八月十五日に吹く風(松岡圭祐)

戦争を扱った小説に対して、こんな感想を抱くのはあまり良くないのかもしれないが、率直にこう思った。
メチャクチャテンションが上がる!と。

『だがここには、日本人なら誰でも抱いたことがあるはずの素朴な疑問が存在する。アメリカは原爆を落とす無慈悲をしめしながら、なぜ直後に比較的平和な占領政策をとるに至ったのか。』

本書の内容を一言で説明すれば、「この問いに答える物語だ」となるだろう。

確かにその通りだ。僕は学校であまりきちんと歴史を学んでこなかったし、歴史について考える機会もあまりないので、僕個人はこういう疑問を抱いたことがないのだが、言われてみれば、確かにその通りだと思える。実際に、イラク戦争など、僕たちがリアルタイムで知っている戦争では、戦勝国が苛烈な占領政策で支配している姿を見ている。歴史上、多くの戦争でも、そのような経過を辿ってきているはずだ。

何故日本は、平穏な終戦を迎えることができたのか。

もちろん、色んな理由があるのだろう。でもそれは、なかなか両方を同時に説明するものではないのではないか、と思う。「平和な占領政策をとった理由」だけであれば、色んな可能性を考えうる。しかし、「直前に原爆を落としていたにも関わらず、平和な占領政策をとった理由」となると、なかなか難しい。

まず、何故原爆が落とされたのか、という理由からいこう。いや、正確に表現しよう。「何故原爆を落とすことに躊躇することがなかったのか」の理由だ。

当時ホワイトハウスは、シンクタンクに日本の分析をさせていた。その中で、日本人はこんな風に描かれている。

「日本人は自他の生命への執着が薄弱であり、だからこそ一億玉砕にも呼応する。であれば、本土決戦になれば婦女子を含めた非戦闘員が戦闘員になりうる」

この報告書に対して、本書の登場人物の一人はこう思考を巡らせる。

『恣意的な誘導だと筒井は思った。一億総特攻を拒否しないからには、民間人も非戦闘員ではなく、したがって原爆の標的にしても国際法違反にあたらない。そう暗に示すのが目的だろう』

そう、当時アメリカ人は、日本人を「生命を尊重するなどありえない民族」だと捉えていた。これは、相当根強く信じられていた考えだったようだ。特攻やバンザイアタック、玉砕と言ったアメリカ人には理解できない戦闘行動に対して、「日本人は生命を重んじないのだ」とする見方がいつの間にか広まっていたという。そういう背景があったからこそ、アメリカ人は原爆投下を躊躇せずに行ったのだ。

つまりこうも言える。原爆投下まではアメリカ人は、日本人を野蛮な民族だと思っていたのだ、と。であれば、やはり冒頭の疑問が蘇ってくることになる。
ならば何故、その直後に平穏な占領政策を取ることができたのだろうか、と。

実際、(物語ではあるが)本書では、1945年8月15日の米軍内の会議で、こんな発言がなされている。

『(占領に際して)今後も非戦闘員による個人単位での玉砕、あるいは村や隣組など小自治体単位での反乱が起こりうる、注意警戒事項にそうある。根拠は、日本人に根付いた国家主義が、人命の尊重に優先するという、彼ら固有の意識構造にある』

『本土決戦、一億玉砕、一億総特攻、神風。軍部の呼びかけに国民から強く反発する声もなく、むしろ積極的に応じているとの報告が多々ある。それらに基づいた分析だ。どの戦線でも、日本の軍司令部は玉砕を強いて、無慈悲に兵を見捨ててばかりだ。なのに遺族は、訃報をきいても感謝を捧げている。復讐心もより強まるかもしれん。われわれが日本の占領にあたり、警戒するのは当然だろう』

1945年8月15日時点でも、アメリカ人はこう考えていたのだ。そのままであれば、苛烈な占領政策が行われていてもおかしくはなかっただろう。

この流れは一体、何によって変わったのか。

それが、「1943年8月15日の出来事」と「一人のアメリカ人の進言」なのだ。
本書は、この二つを軸にしながら、日本の終戦、そして戦後のあり方を形作った大きな流れを描き出そうとする。

先に挙げた「一人のアメリカ人」は、本書の中では「ロナルド・リーン」の名前で登場する。若き頃、タイムズスクエアの一角にある古本屋で見つけた「源氏物語」の翻訳に魅せられ、極東の島国に憧れるようになった。後に日本に帰化し、ある新聞社の客員編集委員となった人物である。もちろん、分かる人には分かるだろう。あの人物だ。

あの人物がいなければ、日本は今とはまったく違った国になっていたかもしれない。そう考える時、大げさに言えば、僕たちは「源氏物語」という一冊の古典によって救われたと言えるのかもしれない。

内容に入ろうと思います。
ロシアとアラスカに挟まれたベーリング海に浮かぶアリューシャン列島。その中に、戦時中、日本軍がアメリカ軍の領土を占領した島が二つある。アッツ島(熱田島)とキスカ島(鳴神島)だ。
熱田島に着任した山崎保代大佐は、この島が現在置かれている状況を振り返った。極北の寒地荒原(ツンドラ)であり、動植物はほとんど存在しない。島外からの供給は長く途絶え、増援部隊を送るという連絡があってから9日が経つ。完全な孤立状態だ。アメリカ軍に対しては徹底抗戦を敷いているが、どこまで持つか分からない。そこへ、山崎を熱田島へと送った樋口司令官から打電が届く。全員、玉砕せよ、と。熱田島では2638名の日本人が死を迎えた。
同じ頃、隣の鳴神島にも、5000人を超える兵がいた。彼らも熱田島と同様、孤立状態にありながらアメリカ軍に対して凄まじい抵抗をし続けていた。そこに、玉砕を促すような平文と同時に、ガダルカナル島での撤退作戦の通称であるケ号作戦の内容が暗号文で送られてきた。彼らは考えた。これは、救出作戦の知らせなのではないか?
しかし、鳴神島の救出作戦は、現実的に不可能なものだった。アメリカ領の孤島に置き去りになった5000人を超える兵を、米艦隊がひしめきあう海域を突破して救助に向かわなければならない。艦隊を損失するわけにはいかない大本営も難色を示すが、しかし樋口司令官は諦めない。あらゆる手を尽くし、この任務を了承させ、艦長も探し出した。海軍少将、木村昌福だ。
木村は、気象専門士官である橋本恭一少尉と共に、誰もが不可能だと思っている救出作戦に乗り出していく…。
一方、20歳のロナルド・リーンは、日本軍ほぼ全員が玉砕したアッツ島に派遣された。残された日本語文書から、重要な機密を探し出すためだ。「源氏物語」から日本に関心を持ったリーンには、理解できなかった。何故あれだけ繊細な情愛の念が民族の根底にあって、バンザイアタックという発送に行き着くのか、と。彼は、『自殺の欲望に憑かれ、自他ともに生命を果てしなく軽んずる、いわば狂気といえる国民性の発露』と日本人を捉えている多くのアメリカ人とは違い、彼らの国民性や行動原理を可能な限り正しく理解しようと奮闘する…。
というような話です。

本当に、素晴らしい物語だった。

僕は正直なところ、本書で描かれていることがどの程度まで真実なのか、全然判断できない。どこまでが創作で(明らかに、米軍内での会議の様子などは、想像によって描かれているのではないか、と思うのだがどうだろう?)、どこまでが史実なのか、分からない。とはいえ、本書の冒頭に、

『この小説は史実に基づく
登場人物は全員実在する(一部仮名を含む)』

とあるので、僕はとりあえず、本書で描かれていることは基本的に事実なのだ、と捉えて感想を書いています。

キスカ島、という名前は聞いたことがあった。というか、見覚え、というべきか。キスカ島の名がタイトルに入る本を目にしたことがあるのだ。しかし、それがどんな本なのか知らなかったし、ましてやキスカ島で、ハリウッド映画なのか?と思いたくなるような壮絶な救出作戦が展開されていたなんて、まったく知らなかった。

そしてもちろん、このキスカ島での救出作戦が、ちょうど2年後の終戦に大きく関わっているなどということももちろん知らなかった。

冒頭でも書いたが、本当にこれが真実なのだとすれば、僕たちはある意味で「源氏物語」によって救われた国民だと言えるだろう。それぐらい、ロナルド・リーンの果たした役割は大きいし、ロナルド・リーンが日本人の国民性を見出したキスカ島での救出作戦に関わった者たちも素晴らしい。

本書では、アッツ島やキスカ島で壮絶な毎日を送らざるを得ない兵士たちや、司令官である樋口の奮闘、またアメリカ軍側の動きなど様々なことが描かれていくのだが、何よりもやはり、キスカ島での救出作戦の詳細が物語としてはスリリングであり、出来すぎているというぐらい奇跡的だと感じる。

キスカ島での救出作戦は、普通に考えて誰もが不可能だと感じるだろうと思う。本書のP86には、アリューシャン列島の地図が載っているのだが、日本列島から、日本列島の長さぐらい離れた場所にキスカ島はあり、しかもその周囲はアメリカ軍に囲まれているのだ。しかも残っている兵は5000人以上。その兵士たちを1時間以内に収容しキスカ島から撤退しなければならないのだ。

無理でしょ、と普通は思う。

しかし、艦長である木村は、誰も考えつかないようなアイデアを次々に繰り出し、計画を前に進めていく。時に木村の指示は、その意図がさっぱり分からない。例えば、三本ある内の真ん中の煙突を白く塗れ、と指示する。この指示は、その意図を誰も理解できなかった。しかしある場面でその理由がはっきりと分かる。これには本当に驚かされた。

他にも、常識では考えがたいアイデアと決断で、木村は不可能を可能にしていく。

木村は、5000人以上の兵を救った。しかし、間接的には、日本人全員を救ったと言っていいだろう。もちろんその背景には、キスカ島の救出作戦を実現させようと奮闘した樋口司令官など、様々な人間の想いが込められている。それらを、リーンが的確に汲み取り、適切な場面で進言をした。どれか一つでも欠けていれば、事態は全然違ったものとなっただろう。

『こう思ってほしい。救える者から救っていると。救うことが許される者から、あるいは容認される者から、そういうべきかもしれん。私にはいまのところ、それしかできんのだよ』

樋口がそう語る場面がある。樋口もまた信念の男であり、結果的に彼は、自らの信念を貫き続ける人生を突っ走ったお陰で救われた。もちろん、すべての人間がそんな風に振る舞えるわけでもないし、信念を貫き通せば何もかもうまく行くわけでもない。とはいえ、こういう生き方をした人がいた、ということを知れるのは、とても勇気づけられることだと思う。

『若い兵士たちは、天皇陛下のため命を捧げるべき、そう信じている。敗北はむろんのこと、敵の捕虜になるのも恥と考える。だが、こんな時代をつくりだしてしまった自分たちこそ、恥を知らねばならない』

これも樋口の考えだ。実際に樋口(あるは樋口のモデルとなった人物)がこんなことを考えていたかは分からないが、しかし、少なくとも本書で描かれる樋口の様々な言動は、こういう下地となる考えなしにはなかなか実現されないだろう。僕たちも、上の世代が作り上げた価値観をただ盲信していないかどうか、そして下の世代にこれが当たり前だという考えを押し付けていないか、常に振り返り続けなければならないだろう。

『戦争のなかにあっては、正しい答えは否定されます。でも正しいものは正しいんです』

本書の中で重要な役割を果たす、同盟通信社外信部の菊地雄介の言葉だ。戦争の影が様々な場面でちらつく現代。僕たちはこのことを改めて認識しなければならないし、その中にあっても正しさを貫ける人間でありたいと僕は思う。

松岡圭祐「八月十五日に吹く風」

成功者の告白 5年間の起業のノウハウを3時間で学べる物語(神田昌典)

正直に言おう。
胡散臭い本なのだと思っていた。

僕は本書を、とある理由から読むことにした。
その理由はここでは書かないが、別に起業しようとか成功者になろうと思って読んだわけではない。読む必要があったから読んだのだ。

だから、自分の中には、本書を読むためのそこまでの積極性はなかった。噛みくだいて言えば、しょーがねーから読むか、というぐらいのスタンスだったのだ。

けれど、冒頭から、本書は面白いかもしれないぞ、という予感を漂わせていたのだ。

『成功に向かう道には、いくつもの地雷が埋まっている。成功が現実のものとなるに応じて、それと等価の困難や障害が用意されていたのだ』

『大きな成功を実現していく過程では、確実に障害が降りかかる。成功だけを持ち逃げできない。私は単なる戒めとしていっているのではない。これは事実なのだ。私が確信できる理由は、短期間に急成長する会社経営者の多くの事例を見てきたからである。』

プロローグに、こんなことが書かれていた。なるほど、これはちょっとよくある自己啓発本とは違うような気がするぞ、と思ったのだ。

しかしとはいえ、まだまだ警戒心を解いたわけではなかった。というのも、「(ビジネス的に)成功すれば、等価の困難や障害がもたらされる」というのは、運不運やバイオリズムの話として説明されてしまうのではないか、という懸念があったからだ。そういう話であれば、面白くもなんともない。しかし、僕のその懸念は、良い意味で裏切られるのだ。

プロローグには、こんなことも書いてある。

『これからあなたに伝えたいことは、地雷を踏むことを回避する方法ではない。残念ながら困難や障害を避けることはできない。しかし上手に乗り越えることはできる』

『根底に流れるテーマは、ビジネスと家庭のバランスを撮りながら、いかに会社をスムーズに成長させるか、ということである』

ビジネス書をそこまで読んでいるわけではないが、ビジネス書という括られる本を読んで、「家庭」の話が出てきたことは、少なくとも僕の経験ではなかったと思う。非常に面白い切り口だと感じた。

そして、こう書かれている。

『物語ではあるが、作り話ではない。特定の人物や会社がモデルになっているわけではないが、この物語は、私に起こった出来事を含め、複数の実話を下敷きにしている。何人もの成功した経営者に出会ってみると、驚くほど似たようなパターンが生じているので、そのパターンから不純物を殺ぎ落としてきた結果、生まれた物語といっていいだろう』

本書は、青島タクという男が、会社を辞め起業し成功するも、その後様々な障害に襲われる、という展開の物語だ。ここで描かれる物語が、本当に色んな成功者が経験した「驚くほど似たようなパターン」であるのかどうか、それは著者の主張を信じるほかないが、これが事実をベースにしていようがいなかろうが、「起業」に関する様々なことを学べる物語だということは間違いないだろう。現代は、生涯同じ会社でサラリーマンとして働き続けることが困難になりつつある世の中と言っていいだろう。そういう世の中だからこそ、自分の人生を見つめ直すためにも、起業する予定などなくても、とりあえず読んでみるのはアリだと思う。

内容に入ろうと思います。
青島タクは、銀行員である父から「安定」を叩き込まれたために大手メーカーに就職したが、その安定から逃げ出したいと思うようになった。そこで、デジウィルというベンチャー企業へと転職した。デジウィルは数ヶ月前まで、その急成長ぶりがマスコミの話題となるほどの注目企業であり、転職したタクは周囲から羨ましがられた。
しかし半年後。タクは転籍(子会社に移り、本社に帰れる予定はなく、給料も減る)させられることになった。生まれてまだ三ヶ月の子どもがいる。どうしたらいいのか…。
転籍させられることを、妻のユキコに話をした。同時にタクは、独立して会社を作る計画を話す。ユキコは、そんなタクの決意を後押ししてくれた。そこからタクは独立へ向けて考え始める。
昼食を食べていると、かつて働いていた大手メーカーで上司だった神崎ヒロシに声を掛けられた。今は独立し、会計事務所とコンサルティング会社を経営している。やり手だ。タクは神埼に、独立する計画があることを話、相談に乗ってもらうことにした。神崎のアドバイスは的確で、タクが有望なビジネスのアイデアを思いついたこともあって、タクの会社は急成長を遂げることになる。
しかし、本題はここからだ。タクは、順調に成長しているはずの会社で、様々なトラブルがあることに気付く。ユキコとの関係もうまくいかない。それを神崎に相談しようとすると、まるで神崎はタクの会社や家庭の内情でも知っているかのように、きっとタクは今こうなっているんだろうね、と指摘する。一体神崎は、何故タクの会社や家庭のトラブルを予測することが出来るのか…。
というような話です。

なんとなくミステリっぽい内容紹介になっちゃいましたけど、別にそういうわけではありません。ただ、物語の展開のさせ方こそミステリ的ではありませんが、神崎が何故タクの会社や家庭のトラブルを予測出来たのか、という話は、まるでミステリの解決編を読んでいるかのような感覚になりました。

そう、タクが経験するトラブルは、きちんと原因や理由があるものであり、それは会社の成長と共に必然的に起こりうるものなのだ、ということを本書では指摘するわけです。

例えば、著者自身が経験したトラブルには、こんなものがある。

・長男が奇病に罹る
・長女が腸閉塞になる
・家に帰ったら妻がおらず、離婚届がポストにある
・社員が立て続けにメニエール病で倒れる
・同志のコンサルタントがうつ病になり、その後自殺

そしてこれらのいくつかは、青島タクが経験したこととして物語の中でも描かれる。

著者はこれらを、起業の成功による副作用のようなものとして原因追求する。もちろん、科学的に立証できるようなものではないが、本書の中で神崎の口を借りて語られるそれらの原因は、非常に納得感がある。なるほど、そういう説明であれば、100%ではないにせよ理解できる、というような説明をするのだ。

その過程で神崎は、「起業」というものをかなり詳細に分割して捉えてみせる。成長する過程で必要な役割、時期ごとの会社のあり得べき状態、起業家の精神状態などなど。そういったことを細かく捉えた上で、その過程のどんな要素がどんなトラブルに繋がっているのか、という説明をしていく。

先程も書いたが、もちろんこれは科学ではない。本書で描かれる説明が、必ずしも合っているとは限らない。しかしその点は、あまり問題にはならない、と僕は感じた。何故なら、起業家の状態や行動(=「行動」と呼ぶ)が「原因」となって「トラブル」が起こると推測しているわけだが、仮にその「行動」が「トラブル」の「原因」でなかったとしても、その「行動」は避けるべきだと感じられるように本書では描かれているからだ。

もう少し具体的に書こう。本書では、「長男が奇病に罹ったこと」(=「トラブル」)の「原因」が、青島タクの「行き過ぎたプラス思考」(=「行動」)にある、と捉えている。もしかしたら、この捉え方は不正解かもしれない。しかし、それは問題ではないのだ。本書を読めば、「行き過ぎたプラス思考」が「長男が奇病に罹ったこと」の「原因」でなかったとしても、「行き過ぎたプラス思考」を抑えるべきだ、と感じられるようになる、ということだ。仮にそれが直接の原因でなかったとしても、それは悪いものであると認識させられる。そこに本書の大きな意味があるのではないかと思う。

だから、「トラブル」の「原因」として指摘した「行動」が理屈に合わない、と仮に感じたとしても、そのことのみによって本書で書かれていることを単純に切り捨てるのはもったいないと思う。僕は理系の人間なので、やはり科学的に証明できないものに全力で寄りかかるのか怖いと思うし、本書で描かれる「原因」の指摘には、そこの関連性は弱い気がするなぁ、と感じるものもあった。それでも、その点をもって本書を非難する気にはならない。因果関係が仮に証明できなかったとしても、「原因」として指摘された「行動」を取るべきではない理由が伝わると思うからだ。

本書を読むと、「そういう視点から起業という行動や会社という存在を見るのか」と感心させられることが何度もある。今まで「起業」など考えたこともなかったし、「会社」というものも真剣に捉えたことがなかったのだけど、様々な形で「起業」や「会社」を単純化して捉えることで、その本質を捉えようとする視点が面白いと感じた。

本書は、「どうビジネスを軌道に乗せるか?」に対する直接的なヒントも様々に散りばめられている。それらのアドバイスも、実に面白い。「どうお客さんを集めるのか」「少数の大手のクライアントに頼るのは危険」「お客さんの声にこそヒントがある」など、ある意味では当たり前かもしれないのだけど、タクが軌道に乗せようとしている実際のビジネスのアイデアの実例と共にそれらが語られることもあって、非常に分かりやすい。

しかしそういう「どうビジネスを軌道に乗せるか?」という話は、恐らく本書でなくても学べるだろう。やはり本書は、「起業すること」や「会社という存在」の捉え方や、それらをどう活かしてトラブルを回避するのか、という点にこそ主眼がある。

『タク、仕事のために、家庭があるんじゃないんだぞ。家庭が幸せになるために、仕事があるんだ。履き違えるんじゃない』

恐らく多くの人が、「そんなこと分かってる」と思いながら起業するのだろう。しかし、分かっていないのだ。行く先にどんな落とし穴が待ち受けているのか、知らないから「分かってる」などと言えるのだ。

「分かっていないのだ」と思って、謙虚に学ぶことが大事なのだろう。本書は、そのスタートラインに立たせてくれる一冊だと思う。

神田昌典「成功者の告白 5年間の起業のノウハウを3時間で学べる物語」

History of 齋藤飛鳥

【―お笑いクラブって何をするんですか?
みんなでネタを考えて、披露するんです。私、小学校低学年の頃はすごく活発な子供だったんです。それが3年生ぐらいでちょっと変わって、「いや、でもまだ明るくいくんだ!」って思って4年生でお笑いクラブに入ったんです。でもやっぱりなんか違うなって思って1年で辞めました(笑)】「ENTAME 2016年10月号」



【―小学3年生までは「みんなと仲良くて、自分からひとりでいる子に声をかけたりする子」だったんですよね。
そうですね。
―その性格が変わっていった理由を、ぼんやりでいいので教えてもらうことはできますか?
いろいろあるんですよ(笑)。優等生ではなかったんだけど、弁論大会に出て賞をもらったことで全校生徒の前で発表した時があって。ブラスバンド部として全校生徒の前で披露する機会があった時は、木琴が一番難しくて一番憧れのパートになる曲だったんですけど、私がオーディションに受かって木琴を演奏したんです。慕われるような存在でもないのに、そうやって人前に立たされる機会があったことで、先輩にチクチクと言われることもあたし、同級生で取り立てて仲のいい子もいなかったし、いじめられてるわけじゃなかったけど、女子って面倒くさいので少しずつみんなとずれていったというか。】「EX大衆2016年5月号」



【中学デビューしたかったんですけど、まわりにビビってできなくて。でも、ついていくためにイケイケ風な女子を演じていました。途中から女の子特有の面倒くささを感じるようになりました。いまでは無理して自分を作っていたことを後悔しています。イケイケ風な女子も乃木坂初期のいちごみるくキャラも本当の自分じゃなかったんです】「OVERTURE Vol.009」



【中学生のときは、ハッピーエンドの恋愛小説も読んでいたんですよ。変わるものですよね(笑)】「Graduation 高校卒業2017」



【といっても、小さい頃はそんな子じゃなかったんですよ。いろんな本を読んで人間の心理を知ったことで、友達に対しても1つフィルターがかかってしまい、群れて行動するというのができなくなったんですよね】「アイドルspecial2016」



【知り合いに乃木坂のオーディションを勧められたんですけど、最初はイヤで。AKBさんがちょっと好きだったから、そういう存在に自分がなるのもどうだろうなと思ったし。
私はその頃暗かったのもあって、母親からも受けてみなよって言われて、最終的に応募したんです。で、オーディションで審査をするスタッフさんや大人の方と接していくうちに、“こういう芸能界の裏側を見てみたいな”と考えるようになって、この世界に入ってみたいなと思ったんです(笑)】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【―当時AKBやハロプロが好きだったこともあり、過去のインタビューでは「アイドルに助けられてきたので、『私もそんな存在になりたい』という気持ちになって乃木坂46のオーディションを受けました」と語っていた飛鳥。改めて質問すると、オーディションを受けた理由はそれだけではなかった。
それもあるんですけど、知り合いの方にオーディションを勧められたのもあって。私は乗り気じゃなかったけど、母親に「アンタは暗いんだから」と促されて受けることになったんです。
(中略)
私は人生を掛けるほどでななかったので、オーディションに合格したと知った時はかなり意外でしたね。】「ENTAME 2016年9月号」



【―その辺は冷めてたんですかね?
冷めてますね、結構。乃木坂に入ったのも別に、『アイドルをどうしてもやりたいから入ります』というわけでもなかったし。】「MARQUEE Vol.112」



【だいぶ話はさかのぼるんですけど、乃木坂46に入ってから2、3年くらいは『自分が乃木坂46にいる』という感覚があまりなかったんです。当時は中学生だったこともあり、物ごとを真剣に考えていなくて。活動に対して意欲がないとかそういうわけではなく、自分なりに一生懸命取り組んでいたつもりだったけど、いま振りかえってみると、自分のすべてが薄っぺらかったなと感じるんです。】「blt graph. Vol.14」



【それまでの私って、ただ流れに身を任せて生きていたので、別にやりたいこともなくて。昔はみんなと一緒にいるのが楽しいから、乃木坂にいるみたいな感じでした。】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【でも、乃木坂に入ってなかったら本当にどうなってたんだろう?きっとヤバいヤツになってたでしょうね】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【―アイドルとしての理想像はありますか?
最初の頃は「THEアイドル」になろうとしてたんですけど、王道じゃなくても受け入れてくれる人がいることを知って、その理想像はなくなりました。アイドルらしくない道もあると分かった途端、どうやっていたのかも忘れてしまって(笑)。最近は、「自分はアイドルなんだ」とはあまり意識してないというか】「EX大衆2016年5月号」



【アイドルの好きなものは苺だと思って、でも、苺だけだと狙いすぎかなと。「ああ、いちごみるくにしよう」と考えたんです。そして、今以上に自分の武器がなかったので「最年少」を武器にしてしまえと思っていました。
今は「いちごみるく」を後悔しているけど(笑)、当時はそれが正解だと思っていたんですよ。私の想像するアイドルをやらなきゃいけないんだって。ただ、無理をしていたというわけでもないんです。当時は今よりも無邪気さがあったので(笑)、そんなアピールが自然な行為だと思っていました。】「ENTAME 2016年9月号」



【理想のアイドルは自分と逆ですね。だって暗いアイドルとか意味分からないじゃないですか】「BRODY 2017年2月号」



【(理想のアイドルを演じることは)無理ですね…。あっ、でも頑張ったら出来るかもしれないです。ただ、それをする価値を見いだせてないっていうか。たぶん怖いんでしょうね。いろんなことを言い訳にして、自分を納得させてるだけだと思うんですけど】「BRODY 2017年2月号」



【「私、今思うと、本当に何も考えずに乃木坂に来た気がします」
今では、選抜常連になりつつある齋藤飛鳥。彼女は当初、「選抜に対して、思い入れはなかった」と語る。】「乃木坂46物語」



【―普通はセンターを目指すとか競争すると思うんです。飛鳥さんはそういうのに影響されずに?
最初の頃はありましたね。最初の“ぐるぐるカーテン”で選抜メンバーに選んでもらったので、その次から何枚かアンダーで活動したんですけど、その頃は結構『悔しい!』って思ってました。】「MARQUEE Vol.112」



【その後、全国握手会で、『走れ!Bicycle』をファンの皆さんの前で初披露するときも、ステージ上で、選抜メンバーがスタンバイするのを、アンダーメンバーが幕で隠すっていう演出があったんです。私たちは、乃木坂ジャージで、布の中にはキラキラの衣装を着た選抜メンバーたちがポーズをとってるんです。
リハのときもスタッフさんに『幕も笑顔でやりなさい!』って言われて。笑顔になんてなれないじゃないですか。…新曲の初披露なのに、もうボロボロ泣きました。】「乃木坂46×プレイボーイ2015」



【14年は自分探しからスタートしました。横浜アリーナのライブリハでだれてしまったとき演出家の方に「これだけ大人数だと、あなたがいなくても成り立つんだよ」と言われて。そのときはショックではあったんですけど、すぐに「あなたがいないと成り立たない」と言われる存在にならないといえないなと思ったんです】「日経エンタテインメント アイドルSpecial 2015」



【最初、アンダー曲(※「扇風機」)のセンターと聞いた時はプレッシャーもあまりなくて、ただただうれしかったんです。だけど、MVの撮影でV字型のフォーメーションの一番前で横にも誰もいない状態を経験した時に寂しさと難しさを感じて。「センターって、もしや楽しいだけじゃないのかな」と思うようになったんです。
この頃かな、今もそう思っていますけど、個性がないことに気付きはじめてすごく焦りだしたんです。「何かを極めたいけど、どうしたらいいのかわからない」という時期がしばらく続きました。】「ENTAME 2016年9月号」



【(アンダーの)センターに立ったのは、アンダーライブがない時期。6枚目のときだったので。でも私は、逆にその時期にできたことをすごく誇りに思ってて】「乃木坂46×プレイボーイ2016」



【―8thシングル「気づいたら片想い」で再びアンダーに戻った時期が、飛鳥にとって一番ツラかったという。
「気づいたら片想い」で乃木坂46が「ミュージックステーション」に初めて出演したじゃないですか。乃木坂46というグループが世の中に浸透しはじめていることを実感する一方で、自分は選抜に入っていない状況があって…。
シングルの特典としてアンダーライブが行われたこともあって、「まいやん(白石麻衣)をはじめとした選抜常連メンバーと自分は別のグループなんだ」と考えることで、無理やりにでも自分の気持ちを割り切ろうとしたんです。】「ENTAME 2016年9月号」



【それまではガムシャラな姿を見せることがカッコ悪いと思っていたんです。だけど、ガムシャラな姿を出すことでファンの方が喜んでもらえることがわかったので、全力でパフォーマンスできるようになって。とくに2014年10月のアンダーライブ2ndシーズンで意識が変わって、本気で乃木坂46に向き合うようになりました。】「ENTAME 2016年9月号」



【アンダーの時期がなかったら、きっと今、ライブが好きじゃないだろうし】「乃木坂46×プレイボーイ2016」



【なんか私の中でアンダーって特別で、割と私は選抜に行っても、センターをやっていても、アンダーメンバーと一緒にいるときのほうが安心するんですよね】「乃木坂46×プレイボーイ2016」



【―CUTiEの前後で、飛鳥さんの何が変わったと思いますか?
もう全部変わりましたね。前まではあんまり写真に撮られることは好きじゃなかったんですよ。自分の見た目とかがそんなに好きじゃないというか(笑)。コンプレックスが多いのであんまり写真に残されるのが好きじゃなくて。ちっちゃい頃もいつも横を向いていたり、目を隠していたりしてましたね】「MARQUEE Vol.112」



【洋服を買う時、今年の頭くらいまではお母さんと伊藤万理華の指示に従っていました。買い物中にいちいち写真を撮って、2人に送って確認をとっていたんです。万理華にはコートとか大きい買い物の時だけなんですけど】「OVERTURE Vol.009」



【私は自分の見た目にコンプレックスだらけですけど、CUTiEの専属モデルをやらせて頂いたことで、周囲の人から“どう見られているのか”の大切さがわかって来て、普段の生活からどう過ごすべきかを学べたことが、人生ですごく大きい】「乃木坂46 夢の先へ」



【それまではカメラを向けられること自体が苦手だったんです。ただ、最初の「CUTiE」の表紙が好評だったので「メイクが変われば私が写真に残っても大丈夫なんだ」という気持ちになって、そこからは楽しさが大きくなりました】「ENTAME 2016年9月号」



【その頃は、実力や人気ではなくて「CUTiE」のおかげで選抜に入ることができたと勝手に思っていたので、ファンの方に「アンダーのフロントのほうがよかったんじゃないの?」と言われても「いやいや、『CUTiE』さんが用意してくれた席なんだから」と心のなかで呟いていました。】「ENTAME 2016年9月号」



【生駒ちゃん本人は覚えているかわからないけど、「アンダーにいる若い子たちにとっては飛鳥ちゃんが希望なんだよ」と言われたのがうれしくて。アンダーにいた回数と選抜にいた回数が同じだったし、アンダーメンバーの気持ちも分かっているつもりなので、若いメンバーには「アイドル向きじゃない齋藤飛鳥でも前にいけるんだ」と思ってほしいです】「ENTAME 2016年9月号」



【今でも選抜、アンダーのどっちがいいのかと聞かれると考えてしまいます。誤解を恐れず、理想を言えば「選抜に選ばれて、うれしい私」でありたいです。でも、選抜やアンダーのどこにいても「齋藤飛鳥はここにいます」というのを見せられれば幸せですよね。】「日経エンタテインメント アイドルSpecial 2015」



【でも実際、今はセンターにいないわけだし。逆に“私がセンターになったら、本気で売れると思ってるんですか?”ってみんなに訊きたいです】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【―ではこれまで、センターに立ちたいと思ったことはないのだろうか。
ほぼないですね。もともとセンターを目指すようなタイプでもないし、むしろ私がなると万人受けしないと思うし。本当にダメだと思うんですよ…って、ネガティブ過ぎますかね?(笑)
―自分が万人受けしないと言い切ってしまう、その理由も訊いた。
もう、全て。顔も万人受けしないですし、考え方や発する言葉もアイドル向きじゃないし。少なくともこんな暗い話しか出てこないところがダメだなって(笑)多少は明るさもないと!】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【今もですけど、センターになりたいっていう気持ちは別になかったので。福神も自分には無縁だと思ってました
―その頃の飛鳥さんは何を目指してたんですか?
特に何も目指さずただ居ただけって感じです。ただ今やる事をやってるっていう感じだったので】「MARQUEE Vol.112」



【もともとアイドルになりたくて乃木坂46に入ったわけではないし、センターは予想外すぎました。しかも『裸足でSummer』は夏曲じゃないですか。初めて曲を聴いたとき、これ絶対笑顔で歌う曲だ、とさらにプレッシャーがかかりました。でも、センター発表直後の『乃木坂工事中』(テレ東系)の放映を見て、自分の発言はほかのメンバーの気持ちを考えていなかったなと反省しました】「アイドルspecial2017」



【責任感や覚悟は必要だったけど、センターだからって無理して自分を変えることはない。私なりのセンターをやっていこうって。
実際センターに立ってみると、いろいろな発見がありました。私は意外とアイドルスマイルができるんだとか(笑)、こんなに粘り強く物事に取り組めるんだなとか。】「アイドルspecial2017」



【―感情をあらわにすることに抵抗がありますか?
多少はありますね。どんなに身近な人や親しい間柄でも、べつに見えなくてもいい部分はあるじゃないですか。だから、感情をそのまま出す必要はないのかなと思います。『もっと本音を見せてほしい』と言われていたし、もちろんそういう気持ちも理解していたけど、でもやる必要性をあまり感じていなくて。単純に頑固っていうだけなのかもしれないけど】「blt graph. Vol.14」



【―今回、センターを務め上げたことで齋藤さんが得た最大の収穫はなんだと思いますか?
なんだろう…「人間になれたこと」がいちばんの収穫ですね】「BUBUKA 2016年11月号」



【去年の夏ぐらいから、またちょっと人間らしくなったんですよ。「裸足でSummer」で初めてセンターをやらせていただいたときに、びっくりするぐらい周りがやさしかったんです。もちろん、いつもやさしいんですけど、私に不安しかないのを感じとって、私の性格も理解した上でいつも以上にやさしくしてくれて。そのやさしさにびっくりしつつも“なんだ!”人間っていいじゃん!って思えたんです。そのあたりから、ちょっとずつ“今、楽しい!”とかっていう感情を表に出せるようになって、人間らしくなってきたと思います】「Graduation 高校卒業2017」



【自分がどうかよりも、周りのメンバーの気持ちに気づけるようになったのが成長かもしれない。つらかったけどセンターを経験してよかったです】「日経エンタテインメント!2017年2月号」



【―飛鳥さんは以前と比べると、後ろ向きな発言も減りましたし。
『裸足でSummer』のときにあまりマイナスなことを言わないようにしようという意識でやっていて、それがたぶん染み付いて、わりと当たり前になったのかな】「BUBKA 2017年6月号」



【―昨年、センターを経験しても自信がついてこないんですか?
センターになっても、自信につながることはありませんでした。あの時期の経験は、まわりに助けてもらうことによって自分の至らなさを知ることにつながりました。それを反省して次に生かすっていう方向に持っていきたいですね】「FLASHスペシャル グラビアBEST」



【―確かに、飛鳥さんには今求められている感じが強いですし。
いやいやいや、全然全然。
―まだそういう認識はないですか?
ないですないです!
―でも確実にグループを牽引してるメンバーのひとりというイメージがありますが。
全然ですよ(苦笑)。そこに対する自信はこれからかなぁ】「BUBKA 2017年6月号」



【―センター期間をやり終えて、飛鳥さんのなかに何が残りましたか?
残ったというか、乃木坂46に対する考え方がだいぶ変わりました。グループのことも、グループのなかにいる自分のことも。
―具体的にいうと?
グループ内における自分の認識の仕方ですかね。前までは、べつに自分の存在がグループにとってそこまで大きいものではないので、自分のことを『乃木坂46として認めてない』っていう見方だったんです。『私はまだ認めてないからな』って。
―自分を突き放しますね
自分はグループのために何もできていないという意識が強かったし、むしろ『乃木坂46』という名前を使って何やっているんだ、という気持ちだったので。でも、センターをやらせてもらって、自分がここにいる意味だったり、役回りが理解できるようになりました。こういうふうにがんばればいいのか、っていう道がちょっと見えてきたというか。
―自分を認められるようになった?
乃木坂46にいても害はないかな、っていうくらいですけどね(笑)】「blt graph. Vol.14」



【実は、すこし前までは“次世代”という言葉に抵抗があったんですよ。1期生として最初からみんなと一緒に頑張ってきたつもりなのに、この4年間は何だったんだろう…って。でも、最近は、期待していただけているんだと思って、ありがたく受け止めています。私がグループの未来を担う、なんて大それたことは思わないけど、以前よりは欲が出てきたし、もっとグループに貢献したいと思うようにもなってきましたね】「FLASHスペシャルグラビアBEST 2016年新春特大号」



【―周りからの見られ方も、その時期から変わり始めたのも事実。そんな彼女は今、グループ内での自分の役割をどう分析しているのか。
みんなといると実感するんですけど、私って薄いなって思うんです。特に選抜メンバーは個性が強い子ばかりですし、何をやっても恥ずかしいことにはならない。そういう何事もうまくやる子たちと一緒にいると、“私にはこれがあるから、ここにいられます”みたいな武器がないなって気付かされるんです。
だからといって、そういう武器がほしいかと言われると…必要な時もあるんですけど、でもそういうのって周りから付けていただくものだと思うので。自分からこれをやろう、あれをやろうみたいなことは考えてないです】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【「こんな大人になりたい」はないです(キッパリ)。流れに任せたいし、「こうなりたい」と思いながら生きていくのが嫌なので。「こんな大人になりたくない」というのはたくさんあるんです。それと、友達は少ないけど、同年代の子を遠くから観てうらやましいと思ったこともないので、いまのところは乃木坂46に専念できるかなって思います。この先はどうなるのか分からないですけどね】「EX大衆 2016年9月号」



【―最後に、未来に向けて今の気持ちを。
大人になると“高校生のことに戻りたい”って、みんな言うじゃないですか。私の周りにも多いし、私もいつかそう言うのかもしれないし、それは別に悪いことじゃないとは思います。でも、大人になっても高校時代に戻りたいと思わなくて済む生き方ができれば、本当はそれがいいんだろうなって思っています】「Graduation 高校卒業2017」



【私がすごい弱っちい人間なので、期待を裏切られてショックを受けるのが怖いんです】「BRODY 2017年2月号」



【たぶんね、何に対しても期待をしたくないんですよ。期待をしてここに来たはずなのに、その期待を裏切られることが多くて。でも“そんなもんだよな”と思ってる自分がいつつ」、まだどこかで期待したい自分もいつつ、みたいな。いろんなのが混ざり合って、今の私ができたんだと思います】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【―いまも「世の中そんなもん精神」はあるんですか?
はい。9枚目、10枚目くらいから思い始めたんですけど、その頃はまだスタッフさんに褒められたらそのまま鵜呑みにして、期待に胸をふくらませていたこともあったんです。でも、結果的に期待はずれになることも多いと分かったので、いまは「世の中そんなもん精神」がより強固になってます。
―「世の中そんなもん精神」は、ビートたけしさんの「人生に期待するな」という言葉にも通じるなと思うんです。その分、冒険ができるというか、モデルなりラジオなり新しいジャンルにも恐れず飛び込めるのかなかって。
そうですね。小さいことで「うれしい」と大きく感じることもできるようになりました。「世の中そんなもん精神」があるから何に対しても高望みしないので、うまくやれている部分もあるのかなと思ってます。】「EX大衆2016年5月号」



【うーん、でも私はどんな意見も受け入れるというか、あえて自分のことを調べたりはしないけど、批判的な意見にも「参考になります」と思えるタイプなんです】「OVERTURE Vol.009」



【でも結局、私自身そこまで納得しようと思ってないというか、納得する気がないので、誰かに相談してスッキリしたいとか、自分のなかでこれを解決したいとか考えたことがあまりないですね。だって“納得することってなくないですか、世の中って?”って考えになっちゃうんですよ。】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【私、なんに対しても“こだわりを持つ”ってことが好きじゃなくて。もちろんいい方向に進む努力はしますけど、なるようになってくれればいいし、私は絶対にこうなりたいって夢は持ちたくない。自分にも、周りにも、あんまり期待はしたくないんです。そのほうが、ワタシ的にはいい意味で楽なんですよね】「Graduation 高校卒業2017」



【私、「このジャンルに向いてるよね」って言われるのが好きじゃなくて。曲によっていろんな見え方ができたほうがいいかなと思っているので、それは意識していますね】「ENTAME 2017年5月号」



【私は個人的に“飛鳥はこういうイメージだよね”って決められるのがあんまり好きじゃなくて。
だからこそ、いろんな方面の仕事をさせてもらえるようになって、自分のいろんな面を見せなきゃいけないなっていう意識はより強くなってます】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【私はファンの皆さんが抱いている私のイメージをまるまる全部は認めてはいないんですけど、自分らしさは自分が決めるものだとも思っていないんです。だから、齋藤飛鳥として求められるものにきちんと応えていきたいと思っています】「アイドルspecial2017」



【でもなんか、昔に比べて人に流されることがなくなってきていて、それが自分的にはいいなって感じることが多いんです。だから、今後も流されずに自分の考えを持ってやっていけたらって思うんですけどね。例えば、今は若いから何を言っても中2病とかメンヘラとか言われるんですけど、大人になってもずっとそんな感じで言い続けたら、中2病でもメンヘラでもなくて、根本的に性格がひん曲がっているだけなんだなって(笑)、わかってもらえる!
―齋藤飛鳥は、決して中2病でもメンヘラでもないんだぞと。
違いますよ。ただ、今はそう思う人はそう思ってくれてもいいんですけどね。時間がかかってもいいから、いつか理解してくれたらいいなって思います。】「Graduation 高校卒業2017」



【最近握手会やブログのコメントでうれしいのが、以前は「見た目」で好きになってもらう方が多かったんですけど、「考え方が好き」という方が増えたこと。「見た目」を好きになってもらえるのもうれしいけど、「見た目」が変わったらどうなってしまうんだろうという不安もあるし、「若さ」は必ず失われますから。
でも、「考え方」は基本的には変わらないので、そこを好きになってもらえるのが嬉しいんです。自分を認めてもらったような感じがします。】「日経エンタテインメント アイドルSpecial2016」



【あ~。世間の方にみんなのよさがどこも捻じ曲がることなく伝わればいいなと思ってます。
―自分自身は?
自分のことが捻じ曲がって伝わるのは、「もうしょうがない」と思ってるので大丈夫です】「EX大衆2017年5月号」



【もとから真夏のことは大好きだったんですけど、たぶんどこかで胡散臭さを感じていたんですよ(笑)】「BUBUKA 2016年11月号」



【もともと私はネガティブだから不安やプレッシャーはずっと抱えた状態ではあったんですけど、でも誰かに言うほどではなかったし、言うのもダサいから自分のなかに留めていたんです。ただ、一度だけどうしても我慢できなくなっちゃったときがあって。(中略)
そこで話を聴いてもらったときに「あ、真夏には言えるな」と思って。それから真夏にだけ話したりとか、言わなくてもなにかあったら目が合ったり(笑)】「BUBUKA 2016年11月号」



【真夏とは似てるところも結構あるんですけど…でも、なんか私が持ってないものをすべて持ってる印象があって。真夏は頭がいいし、やってることに無駄がないし。なにをやらせても恥ずかしいことにならないのもかっこいいですよね。あとはもう人間力。真夏だからこそ、こういうキャラでいれるというのはあると思います。私は誰からも好かれたいとは思ってないんですけど、でも真夏みたいにこれだけ周りから愛されているひとを見ると、そういう人生もアリなのかなってすごい思います。】「BUBUKA 2016年11月号」



【(最年少で得したことについて)あ、私は橋本(奈々未)が好きなんですけど、中学生のことはどうやって愛を表現すればいいのかわからなくて。たぶん、ちょっと歪んでいたんでしょうね。あの、きのこのお菓子があるじゃないですか?あれの上のチョコの部分だけ自分で食べて、棒のクッキーの部分を橋本に渡すっていう。よくわからない愛情表現を14歳のことにしていたんですよ。もう意味がよくわからないじゃないですか。でも橋本は、中学生なのにこんなに考えて私に愛を伝えてくれたって、理解を示してくれたうえにブログにまで書いてくれて。そんなことされるの絶対イヤなはずなのに、きっとこれも若さや無邪気さということで受け入れてもらえたんですよね】「BUBUKA 2017年5月号」



【なんだろうな。私がけっこうネガティブで暗いことをよく言うんですけど、奈々未は「私もそう思うときがあるよ」と共感してくれる。それと、ずっと言い続けてくれてるのが「飛鳥にはもっと気楽に生きる方法を覚えてほしい」という言葉で】「EX大衆 2017年1月号」



【なんか、奈々未のふとしたときに出る言葉って、すごく重みがあるの。この人は嘘をつかないんだって、心の奥底で信頼してる部分があるから、本当に素でいられるんだと思う。末永くこの関係でいたいな】「乃木坂46×プレイボーイ2016」



【(橋本奈々未)憧れている部分が大きいから、奈々未に質問や相談をすることが多かったのかなって。奈々未は嘘をつかないし考え方も近いから、その答えに納得できて、奈々未が示した道なら間違いないと思えるんです。5年間、ご飯に行ったこともないし、互いの気持ちをそこまで話したかといえばそうじゃないかもしれないけど、信頼し合えていた不思議な関係です】「OVERTURE Vol.009」



【礼儀とかはちゃんとしたいなって思ってます。チヤホヤされがちじゃないですか、アイドル。もう5年間もチヤホヤされ続けてきて、でもそのチヤホヤを真に受けず、それを疑って生きてこれたってことは、逆に社会に出ても普通に生きていけるんじゃないかなって思うんです】「BRODY 2017年2月号」

「光」を観に行ってきました

喪失は、持っているからこそ感じる。
持っていないものを、失うことは出来ない。

『消えてなくなってしまうものにこそ美しさがある』

確かにその通りなのだろうとは思う。でもそれを「美しい」と感じられるのは、それが元々自分のものではない場合だけだろう。

自分のものであれば「消える」とはなかなか表現しない。「失う」となるだろう。「消える」と表現できるものは、元々自分のものではなかったのだ。だから「美しさ」を感じることが出来る。

あるいは、失ったものにも、「美しさ」を感じることは出来るものだろうか?

失いたくないから、何も持ちたくないと思ってしまう。
どうも昔からそう思うことが僕にとっては普通だった。
モノも人も概念も、あまり持ちたくない。
いずれそれらは、失われてしまうと思っているから。
その喪失に、自分が耐えられる気がしないから。

目が見えない人にも、色んな方がいる。
生まれた時から見えなかった人もいれば、途中から見えなくなった人もいる。
僕にはどちらの気持ちも分からない。
恐らく、両方の気持ちを同時に理解できる人はまずいないだろう。
その上で、こんなことを考えてしまう。
どっちの方が、よりダメージは少ないだろうか、と。

「喪失」という意味で言えば、生まれた時から見えなかった人は何も失っていないかもしれない。初めから持っていなかったのだから。
けれど、最初から見えない場合、「想像する」というのはどういう行為になるのか。
見えていた記憶がある人は、過去に見たものや見たものからの類推で「想像する」ことは出来るかもしれない。
しかし「見た」という記憶がない人は、一体何を想像しているのだろうか?

何に「美しさ」を感じるのだろうか?

内容に入ろうと思います。
視覚障害者向けに、映画の音声ガイドの文章を作る仕事をしている尾崎美佐子は、日々目に映るものを音声ガイドのように切り取っていく。モニター会で自分の考えたガイド文を映画に当てはめながら朗読する。そのモニターの中に、中森雅哉がいた。モニター会で、美佐子に厳しい意見を言った人だ。上司に見せてもらった写真集で、中森がかつて名の知られた写真家だったことを知る。
中森は、僅かに視野が残っている。公園で彼を見かけた時、美佐子は中森の手に二眼レフカメラを認めた。今もまだ、カメラを手放さないでいるらしい。
届け物をしたことをきっかけに中森の部屋に上がることになった美佐子。少しずつ、中森雅哉という人物の内側に触れていく。
美佐子には年老いた母がいる。認知症だ。面倒を見てくれる人がいて、すべてその人に任せきりにしてしまっている。時々顔を見せに行くが、母が何を見ているのか、美佐子には分からない。
中森は久々に、かつてのカメラマン仲間と飲みに出かける。「もう撮らないんですか―」そんな言葉にも、笑って返答する。その帰り道、吐瀉物に滑って転んだ中森は、地面に転がった二眼レフカメラが誰かに持ち去られたことに気付く…。
というような話です。

なかなか素敵な映画でした。たぶん色んな見方が出来る映画で、見る人によってどこに感じ入るかが変わってくるんだろう、という感じがしました。

僕はやはり、冒頭でも書いた「喪失」という部分に一番惹かれました。視力を失った写真家がどう生きるのか。

『一番大事なものを捨てなきゃいけないなんて辛すぎる』

という言葉は、想像するだけでも辛い現実を切り取るものだと思います。

また「喪失」は、記憶の喪失という形でも出てきます。美佐子の母もそうですが、美佐子が音声ガイドを付ける短編映画でも、認知症を患った妻とそれを介護する夫の物語となっている。この短編映画は、「光」本編のエンドロールの後に流れる。こちらの映画も、「光」以上に文学的という感じで、「喪失」とそれに抗うことを止めた者の緩やかな時間が描かれていると感じました。

『映画の音声ガイドは、彼ら(視覚障害者)の想像力を理解すること』

なるほど、と思うと同時に、それは激しく困難だ、とも感じました。目の見える人間が、目の見えない人間の想像力を想像する。そんなことが出来るのだろうか?

ただ、なるほどと思わされるセリフがあった。

『私たちは映画を観ている時、いつの間にか映画の中にいる』

僕たちにとって「映画を観る」というのは、「スクリーンを見る」というのと同じだろう。しかし視覚障害者にとっては、「映画の世界の中に入っている状態」なのだという。

『映画は私たちにとって、とても大きな世界なの。その大きな世界を言葉で小さくしてしまうこと程、残念なことはない』

なかなか厳しい言い方だが、非常に的確で分かりやすい表現だと感じた。

映画を観ていて感じたことは、登場人物たちが「セリフを喋っている」ような感じが全然しなかったことだ。主演の永瀬正敏と水崎綾女の二人はともかくとして、そうじゃない人たちは皆、映画の撮影などということとは関係なしに、普通に喋っているように見えた。特にそれを感じたのが、モニター会のシーンだ。本当に、実在するモニター会を見ているような感じがした。あのモニター会にいた人たちが本物の役者なのか、あるいはそうでないのか僕には分からなかったが、あの雰囲気を「演技」によって生み出しているとしたら、ちょっと凄まじいな、と感じた。

ちゃんと映画全体を捉えきれたか自信はないけど、なかなか素敵な映画だったと思います。

「光」を観に行ってきました

廃校先生(浜口倫太郎)

学校の先生とは、あんまり相性が良くなかったなぁ、と思う。今振り返ってみれば、その理由ははっきり分かる。

僕は今でも、決められたこととかルールみたいなものが嫌いだ。自分の中でしっくり来るような内容であっても、それが「ルール」として定められているということに対してイライラしてしまうことさえある。

そして、まさに学校というのはルールの宝庫だ。「しなければならないこと」も山ほどあるが、「してはならないこと」も山ほどある。

そういう環境が、僕には窮屈だったなぁ、と思う。

子供の頃は表向きとても優等生だったので、ルールに対してさほど抵抗するようなことはなかったような気がする。ただやはり内側では、おかしいと思っていたし、時々どうにも我慢が出来なくなって爆発することもあった。

ルール、というのとはちょっと違うのだが、未だに覚えていることがある。

確か中学の合唱コンクールだったと思う。その時の担任の教師は、僕の中で「先生がなんでも決めてしまう」という見え方をしていた。それに対する反発があったのだろう。教師が、合唱コンクールで歌う歌はこれです、と勝手に決めてきた時に、それはおかしい、と言って反発したことがある。

正直僕にとっては、合唱コンクールで歌う曲なんかなんでも良かったのだけど、やはり「勝手に決められている」ということが凄く嫌だった。それで、選曲を一からやり直すことにしたのだ(まあ、結局、クラス全員で決めた結果、教師が最初に提示した曲に決まったのだけど 笑)。

そういうルールに対する嫌悪感は、やはり教師に向いてしまう。今なら、教師だって「やらされている」のだということは分かる。教育現場のことは詳しく知らないが、恐らく「こうしなければならない」「こうしてはならない」という様々な規則でがんじがらめにされているのだろう。教師にもよるだろうが、必ずしも生徒に押し付けているルールに賛同しているとは限らない。

とはいえ、その辺りのことは子供の頃はよく理解できていなかったのだと思う。ルールを押し付けてくる人=教師、と図式ですべての物事を見ていたのだと思う。だからどうしても、教師という存在を受け入れることが難しかった。時々、この先生はいいな、と思える教師もいたのだけど、数は決して多くはない。

その後僕の人生には、教師の側から子供を見る、などという経験はなかったわけだけど、教師を主人公にした物語を読むことで、少なくとも子供の頃よりは教師のことが理解できるようになったと思う。そうなった今思うことは、やはり教師も迷いながら教えているのだろうなぁ、ということだ。

『やっぱり先生って情熱持った人しかなったらあかん仕事やと俺は思うぞ』

作中にそんなセリフが出て来る。

教師になる理由には様々なものがあるはずだ。全員が、教育に対する情熱を持ち合わせているわけでもないだろう。とはいえ、そういう見られ方をされる、というのもまた一面の事実ではある。特に、子どもを預けている親はそう願ってしまうだろう。自分の教師としてのあり方と、教師の見られ方のギャップに、多くの人は苦労するのではないかと思う。

とはいえ、教え導くことに喜びを見いだせるのなら、天職なのだろう。本書の「よし太」のように。

内容に入ろうと思います。
里田香澄は、面積の96%が山林という、奈良県の十津川村にある谷川小学校の新米教師だ。創立143年の歴史を持つこの学校は、しかし今年度で廃校が決定している。2年生2人、4年生2人、6年生3人に教師が4人という非常にこじんまりした学校だが、生徒への目が行き届き、地域で学校を中心に行事を盛り上げる、という形が悪くないと思っている。しかし一方で香澄は、自分が教師に向いているのかどうか分からないという悩みをずっと抱えている。
香澄は4年生を受け持つが、同僚の仲村よし太が受け持つ6年生の副担任もやっている。地域の代表者であり、よし太の同級生でもある古坂一護の息子で絵の上手い十夢。曾祖母、母の女三人で暮らしながら、アイドル(NMB)に入ることを夢見る美少女愛梨。災害で母を亡くし、家具職人である父と二人で暮らしながら、中学受験を目指している優作。廃校の決定した小学校において、彼らのスタンスはばらばらだ。十夢は、この素晴らしい校舎、そして学校が無くなってしまうなんてあり得ないと考えている。しかし愛梨と優作はそうでもない。どちらも、スカウトされて、受験に受かって、この村を出て行くことを第一の目標としている。
よし太は教師で、当然大人だが、大人とは思えないほどアホだ。子供たちだけで遊んでいるといつも仲間に入りたがるし、いつも鼻をほじっている。勉強だって特別出来るわけでもないから、中学受験を目指している優作には不満だ。香澄にとっても、なんでこんな人が教師をやっているんだろう?と思うような人だったが、しかし子供たちからは絶大な人気がある。
ある意味で地域の中核を成す存在である谷川小学校が無くなることが決定している中で、そこに住む者たちの想い、そこを出たいと思う気持ち、誰かを思って行動する勇気などが丁寧に描かれていく作品。

これは良い物語だったなぁ。スイスイ読めてしまうような結構軽いタッチで描かれている作品なのに、中身はそこまで軽々しくはない。重厚なわけではないけど、穏やかな日常の物語の中に、小学校を中心とした人々の人生が屹立し、どっしりと張られた根っこのたくましさみたいなものをじっと眺めるような、そんな力強さを感じさせる作品だなと思いました。

物語の中心になっていくのは、やはりよし太です。彼はこの物語のキーパーソンだと言っていいでしょう。よし太がいるのといないのとでは、本書はまったく別の物語になってしまうだろうと思います。それぐらい、物語の根幹に関わってくるキャラクターです。

とはいえ、アホであることには変わりありません(笑)。作中でほぼずっと、よし太はアホなことばっかりやっています。まったく教師らしくないですし、教師らしく見せようという気も本人にはないでしょう。

それでも、よし太がやっていることは、まさに「教育」なんだろう、という感じがしました。

本書では、対比の意味を込めてでしょう、香澄が東京の小学校に研修に行く、という場面が描かれる。全校生徒が7人しかいない学校から、生徒数1000人以上の小学校に研修に行くのだ。そのギャップたるや。しかし、その現場は疲弊していた。そこに「教育」と呼べるものがあるのかどうか、判断は難しい。何を持って「教育」とするのか、というのは人それぞれではあるのだろうが、多くの人が最終的に求めてしまう「教育」というのは、よし太が実践するようなものなのではないか、と僕は思うのだ。

よし太の教師としてのあり方を真似するのはかなり難しいだろう。鼻をほじればいいのか、子供にバカにされるような振る舞いをすればいいのか、というとそれは全然違う。形だけ真似してもダメなのだ。そこには、よし太なりの想いと情熱がある。よし太は、それがとても強いのだ。想いや情熱だけでは乗り越えられないものもたくさんある。実際によし太は、教員免許は持っているが教員試験には何度チャレンジしてもダメで、講師という立場で教師をやっている。それでも、想いや情熱で届けることが出来るものもあるのだ、とよし太を見ていると思わされるのだ。

メインで描かれる3人の6年生も実に良い。三者三様であり、村での生活や学校への思い入れなど様々な部分で違っている。関係性がうまく行かなくなってしまうこともあるし、お互いのことが理解できなくなってしまうこともある。それでも、たった3人しかいない同級生との関わり、そしてあらゆるものがない村での生活は、彼らに良くも悪くも様々な経験を与えることになるのだ。

彼らを取り巻く大人たちも良い。大人たちにも物語があり、その多くは「何故十津川村での生活を選択したのか」だ。子供たちには、村での生活に不満がある。しかも親たちは、村での生活から離れられる機会があった、ということさえ知ることもある。じゃあ何故ここでの生活を選んだのか―。それぞれの家族のそれぞれの物語は、「生きる」ということについて大事な何かを伝えてくれるように感じられるのだ。

不覚にも、随所で泣きそうになってしまった。物語の展開としては、かなりベタではある。何度も、先の展開を予測出来た。しかしそれでも、予測通りの展開であることが分かって泣けてくる、という状況さえあった。正直、優しい人間が出て来る優しい物語はそこまで好きではないのだけど、本書はそういう部分に対する抵抗をほとんど感じることなく読むことが出来たし、ベタな展開であっても読ませる力には感心させられた。

こんな学校も、こんな生き方もいいかもしれないな、と思わせてくれる作品だと思います。

浜口倫太郎「廃校先生」

君を一人にしないための歌(佐藤青南)

内容に入ろうと思います。
本書は、一風変わったバンド小説です。何せ、楽器を弾くことも歌を歌うこともなく物語が終わるからです!この小説のテーマは、「バンドメンバー探し」です。
まずは全体の設定から。
中学の頃、ブラスバンド部でドラムを担当していた森尊(通称:モリソン)は、三年間の集大成となるコンクールでドラムスティックを放り投げてしまい、すべてを台無しにしてしまった。そのことがトラウマとなってドラムから遠ざかっていたが、ある日いきなり状況が変わる。同じ学年の見知らぬ少女が、突然モリソンのクラスにやってきて、「おめでとう」と言うのだ。
「選ばれたから。あたしのバンドのメンバーに」
台風のようにやってきて唐突にモリソンをバンドメンバーに引き入れたのは、石塚七海。このバンドのボーカルでありリーダーだ。他に、ベースギターを担当する緒方凛がメンバーとして決まっている。凛のロックに関する知識はかなり深いが、何故かリーダーの七海は、ロックのロの字も知らないようなド素人。何故バンドをやろうと思ったのかもよく分からない。
しかし、とにかくバンド活動を始めるには、あとギタリストを探さなければならない。彼らは、あの手この手でギタリストを探そうとするが、その度に「人助け」のような状況に巻き込まれることになり…。

「Track.1」
インターネットのバンドメンバー募集掲示板で勝手に七海がギタリスト募集を掛けていた。それを見てやってきたのが「ショーン」、本名「宮前匠音(ショーン)」という高校一年生だ。彼は、前のバンドを追い出されそうになっていることに気づいて自分から辞めてやった、と話をした。聞くと、前のバンドのメンバーがこそこそと集まり、別のバンドのギタリストと接触しているのを目撃してしまったのだという。確かにそれは怪しい。とはいえ、彼が本当に辞めさせられるところだったのだとすれば、何か彼に問題があると言うことも出来る。その辺りの事情を彼らは探ろうとするが…。

「Track.2」
応募してきたのは、高校生の志度道康。シド・ヴィシャスのようなパンクロッカーの格好をして、見た目こそバンドマンっぽいが、ギターは最近始めたばかりだという。しかし七海は、技術よりも魂の叫びが大事なんだ、とか、ついさっき凛が講釈した言葉を使って志度を加入させようとする。しかし、志度の加入にはモリソンがまったを掛けた。実はモリソンは、志度のことを小学生の頃から知っている。昔はあんなパンクロッカーみたいな格好はしていなかったし、もっと大人しい奴だった。すると、志度から驚くようなことを聞かされる。もうギターは弾けない、というのだ!

「Track.3」
小林さんは、27歳。高校生バンドに応募してくるにはちょっと年齢が高すぎるが、60万円もしたというヴィンテージギターをいじる手つきは流石で、いっきにバンドのレベルが上がったような感じだ。顔合わせを済ませ、今日は初めて音合わせをする日。入念に音を作る小林さんのこだわりにじれながらも、彼らは待つ。しかし、驚いたことに、トイレに行ってくると言ったきり、小林さんは戻ってこなかったのだ!なんでそんなことをしたのか…。

「Track.4」
初めて女の子の応募だぞ―。七海がそう言った時、誰も予想していなかった。ユウコちゃん(栄村由布子さん)が、まさか42歳のオバサンだなどとは。栄村さんが奢ってくれるというスイーツに釣られている七海と凛を横目に、モリソンは一人栄村さんの話を聞く。なんでも、これまでも高校生バンドに応募しては、断られてきているのだという。探せば同年代のバンドなどいくらでも見つかるだろうに、何故高校生バンドにこだわるのか…。さらに話を聞いていくと、どうも別居することになってしまった娘との関係修復を願ってのことだったようだが…。

「Track.5」
応募してきたのは、一つ年上の倉戸絵理。絵理がやってくる前、七海とモリソンはバンド名で揉めていた。自分の名前から取った「セブンシーズ」で押し切ろうとする七海と、4人を目指しているのに3人しかいない状況を模した「メヌエット」という名前にこだわるモリソンが険悪な雰囲気になっていた。絵理のロックに対する知識が深いために、凛と話が合うのが助かった。七海はいつもとは違って、絵理に対して敵意を剥き出しにするかのような態度を取っていた。音合わせにクラプトンの「いとしのレイラ」を選んだ絵理。その真意は、絵理から一人連絡をもらったモリソンはすぐに知るところとなったが…。

というような話です。

これはなかなか面白い作品でした。大粒な小説なわけではないですが、小粒ながらキラリと光る部分があるという感じの小説で、全体的にとてもうまくまとまっているような印象を受けました。

まず、全体の設定が面白いですね。バンドに限らずですが、スポーツ小説なんかでも、仲間を集めるところから話が始まっていくものは結構あると思います。でも本書の場合は、最後の最後まで、仲間を集めるだけで終わってしまう、というところがなかなか斬新だなと思いました。

連作短編集であり、全編バンドメンバー探しを貫くためには、毎回バンドメンバー探しに失敗しなければなりません。その点をミステリにする、という発想は、非常に面白いと思いました。募集を見てやってくる面々は、何かしら抱えている。彼ら三人は、自分たちのバンドのメンバーを探したいという気持ちは常にあるものの、しかしその一方で、相手の懸念を払拭してあげたい、という思いにも駆られてしまいます。そこがミステリになっていく。

やってくる人たちは、その人なりの理由があって彼らのバンドに応募してくる。小林さんのように、「ギターを弾かずに帰ってしまう」というのであれば話にならないのだけど、そうでもなければ、とりあえずバンドメンバーが決まったということでバンド活動をどんどん進めちゃえばいい。しかし彼らはそうしない。彼らは、その人たちが何故自分たちのバンドに応募することになったのか、ということが何だか気になってしまう。だから、その人たちが抱えている懸念を掘り下げ、あまつさえ解決に乗り出してしまう。しかしそうすることで、その人たちが彼らのバンドに応募してきた理由までなくなってしまうのだから、結局バンドメンバーが決まっていない状態に後戻りしてしまう、ということになる。この物語の構造が、うまく出来てるなぁ、と思いました。

何故彼らは、その人たちの事情を気にしてしまうのか。その詳しい理由は是非本書を読んでほしいのだけど、大きく言えば、彼らもまた傷ついてきた者たちだからだ、と言えるでしょう。モリソンの傷は、冒頭ですぐに描かれる。しかし、七海や凛もまた、それぞれ傷を抱えている。しかもそれが、物語の中でうまいこと絡んでくるのだ。実によく出来ている。七海の傍若無人さも、七海の背景を知れば多少は理解できるようになる…かもしれません(笑)

個人的に好きなのは、やはり「Track.4」と「Track.5」。この二つで、凛や七海の過去の話が明らかにされ、それが物語全体の骨格となっていく。全体的にだが、それぞれの個別の物語が何か突出して良いということはない。登場人物たちのそれぞれの問題は、有り体に言えばよくある話ではある。しかし、その組み合わせ方がなかなか上手いなと思う。

傷ついてきた者たち同士だからこその物語はとても優しい。僕が一番好きなセリフはこれだ(一応誰の誰に対する発言可伏せておく方がまだネタバレにはならないかなと思うので、セリフ中に出てくる名前は伏せてみます)。

『◯◯は私たちにすべてを話すことこそが誠意と思っているのかもしれませんが、それは違います。すべてを告白して相手に判断を委ねることは、相手に負担を強いるということです。私たちは◯◯を好きでいたいのです。だから、そのために必要な情報を与えてくだされば、それでいいのです』

これは凄く好きだなぁ、と思いました。僕の中にも、これに近い感覚があります。
僕の中では、「謝る」というのは、相手に「許容」を強要する行為だな、という感覚があります。謝ってしまえば、状況や相手との関係性にもよりますが、相手は許すしかなくなってしまう。許したくない、と思っていても、表向き許したことにしないわけにはいかない状況に追い込むことになる。だから僕は、どうも「謝る」というのが苦手だ。たぶんこのセリフも、感覚的にはそれに近いことを言っているのではないかと感じる。

傷ついてきた者たちだからこそ他人に優しく出来る。他人に優しく出来るからこそ、自分たちの現状を脇に置いて相手のために行動できる。しかもその優しさは、決して善意の押し売りのようには見えない(七海が傍若無人に振る舞うからこそ、彼らの優しさが100%純粋な優しさに見えない)。そこが良いと思う。

音楽やバンドのことに詳しくなくても、必要な情報は凛が詳しく説明してくれるし、たぶん読者以上に何も知らない七海をベースに物語が展開していくので、誰でも安心して読めます。バンドメンバー探しとミステリをうまく組み合わせた、なかなか読ませる作品だと感じました。

佐藤青南「君を一人にしないための歌」

脳を鍛えるには運動しかない 最新科学でわかった脳細胞の増やし方(ジョン・J・レイティ)

僕はこの本で、変わった読書体験をすることになった。まずその話を書こう。

本書のタイトルは、「脳を鍛えるには運動しかない 最新科学でわかった脳細胞の増やし方」だ。このタイトルから僕は、この本は「運動」についての本なのだ、と思った。これは、突飛な発想ではないだろう。色々あって僕は本書を、自分の興味関心から手に取ったわけではない、という事情も絡んでいる。中身をちら見することもなく、「運動」についての本なんだろう、という思い込みだけで読み始めた。

読み始めると、やけに「脳」についての話が多い。まあ、確かに、「運動」によって「脳」を鍛える、という話なのだから、「脳」について触れないはずもないか。しかし…。などと思いながら読んでいた。そして途中で気付いたのだ。

なるほどこの本は、「脳」についての本なのか、と。

それに気付いたところから、「脳」についての本だと頭を切り替えて読めれば良かったのだけど、どうもそううまくは行かなかった。「運動」についての本だと思いながらかなりのページ数読んでいたこともあって、なんとなく自分の中でこの本を読むモチベーションの糸が切れちゃったように感じたのだ。「脳」についての本だと気づいてからは、読みながら、なんだかなぁ、という感覚をずっと拭えないままいた。

僕は理系の人間だったので、脳科学の話も当然大好きだ。これまでも、脳科学についての本は結構読んできたので、「脳」に関する記述が難しいとか、興味がないとか、そういう理由でモチベーションが切れてしまったわけではないはずだ。恐らくだが、脳科学の本だと思って読み始めていれば、また違った読み方が出来たはずだと思う。

少なくとも僕が見る限り、タイトルや帯には、本書が脳科学の本だとはっきり伝えるような表記はないと思う。タイトルなどからは、「どう運動すれば脳が鍛えられるのか」について書かれた本に見えるのに、中身は「運動することでどう脳が鍛えられるのか」についての本だったので、僕は結構戸惑ってしまった。

そういう意味で、タイトルや帯で何を伝えようとするのか、という点は本当に大事だなと思った。

内容に入ろうと思います。
本書は、先程書いたように、「運動することでどう脳が鍛えられるのか」についての本です。かなり硬派な脳科学の本だと思った方がいいでしょう。もちろん、脳科学の知見そのものを伝えることが本書の目的ではありません。あくまでも本書は、運動をすることの良さを伝えることが目的です。その点は間違いありません。本書を読むと、病気や障害や加齢など様々な問題に対して運動がとても有効であるということが伝わるでしょう。しかしそのために脳科学の知見を通らなければならない、というのがちょっとハードルになるようにも感じます。

本書では、運動がどういう事柄に影響を及ぼすとされているのか、ざっと列記してみようと思います。

◯ 学習
◯ ストレス・不安
◯ うつ・注意欠陥障害
◯ 依存症
◯ ホルモンバランス
◯ 加齢

本書ではこれらの事柄について、様々な研究結果、学校や病院での活動実績、著者自身が診た患者の経緯などを交えながら書いていきます。

著者は正直で、確実に立証されているわけではない研究については、そう付け加えた上で記述していきます(当たり前のことなんですが、こういうことが出来ていない本もあるので)。どういう運動をどのくらいやればいいのか、についても、定量的な研究がなされているわけではないからはっきりとしたことは言えないとしながらも、様々な研究結果から、少なくとも、運動をすることで良い風に脳が変化する、ということは間違いないと言えそうです。「良い風」というのが科学的ではありませんが、別にそういう表現が本書で使われているわけではなく、僕が勝手に書いているだけです。

運動によって脳がどう反応し変化するのか、という部分についてかなり詳細にその仕組みを説明していますが、「これから運動したい」「運動したいけどどんなことをすればいいのか分からない」という目的で本書を手に取った人には、求めていることが書かれていなくてなかなかイライラするかもしれません。正直なところ、興味がない人はそういう脳科学的な部分はすっ飛ばしていけばいいんじゃないかと思います。最低限、「どんな具体的な実例があったのか」と「運動の激しさや頻度が効果にどんな影響を及ぼすか」について書かれている部分を読めば、目的は達せられるのではないかと思います。

むしろ僕は、本書は、これまでずっと運動をしてきたけど、それによって色んなことがうまく行っているような気がする、という人が読むといいのかもしれない、という気もします。これから運動したい、という人にとっては本書は不必要な情報が多い本に思えるかもしれませんが、既に運動を習慣に出来ている人には、自分の身体に起こっている変化を知るという好奇心によって、脳科学的な記述も読めてしまうかもしれない、という風に思います。

思っていた以上に学術的な内容で、実用書だと思って手に取った人は面食らうでしょう。書かれていることは興味深いし、なるほどと思わせることも多かったのだけど、「学術書」を「実用書」だと思わせてしまうタイトルや表紙(意図したものかどうかはともかく)が、読者のミスマッチを引き起こしそうな本だなぁ、とも感じました。

ジョン・J・レイティ「脳を鍛えるには運動しかない 最新科学でわかった脳細胞の増やし方」

どこの家にも怖いものはいる(三津田信三)

内容に入ろうと思います。
本書は、著者の三津田信三が、作中の登場人物として出て来る作品です。
小説家の三津田信三は、河漢社の三間坂秋蔵と定期的に会っている。仕事の打ち合わせではない。河漢社は専門書の出版社であり、小説を書いている彼が知らなくても当然の出版社だった。
三間坂はかねてより三津田信三のファンだったと言い、是非お会いして話がしたい、と言われ、仕事の打ち合わせだろうかと思いながら出向いていった、というところから、彼ら二人の会合<頭三会>はスタートした。
三間坂は、無類の三津田信三フリークであった。会う度に、お互いの個人的な話はそっちのけで、三津田信三の作品について語りに語った。やがて取り上げるべき作品が尽きてきた頃、三間坂は彼に、怪談は好きですよね?と問うてきた。
作品の多くが実話怪談をベースにしたものであり、またかつて怪談の蒐集をしていた時期もある三津田信三は、もちろん怪談が好きだが、三間坂のそれもまた凄まじいものだった。特に、語りの技術が抜群だった。聞けば、三間坂自身はそういう経験をすることはないという。怪談が集まってきやすい体質、とでも言うしかないだろう。
怪談の話をこれでもかとした後で、三間坂が変なことを言い出した。
「まったく別の二つの話なのに、どこか妙に似ている気がして仕方がない…といううす君の悪い感覚に囚われた経験が、先生にはありませんか」
そう言って三間坂が出してきたのは、二つの話である。一つはとある女性の日記であり、書き手である主婦の家で起こった不可解な出来事について触れている。そして二つ目は、少年の語りを書き記したもの。隣村の外れにある大きな屋敷に期せずして入り込んでしまった少年の体験を綴ったものだ。
時代も経験もまったく違う二つの話に、どことなく奇妙なものを感じた三津田信三は、その違和感を辿ってみることにするが…。
というような話です。

作品としてはそこまで良いとは感じませんでしたけど、短編集の見せ方としてなかなか面白い構成の作品だなと感じました。

本書には、5つの短編に序章・終章がつく、というような構成です。序章は、三津田信三がその5つの物語を読むことになった経緯が、そして終章ではミステリ的に言えば「解答編」が書かれている、という感じの構成です。

5つの短編は、何らかの形で素人が書き記した文章、という体裁を取っています。日記・聞き書き・ネット上の文章・応募されてきた小説のある章・自費出版された本のある章、という形です。だから、文体も雰囲気もバラバラで、そういう雰囲気の設定はうまいと思いました。本当っぽさ、みたいなものをうまく醸し出しているな、と。

三間坂と三津田信三が見つけ出してきた、来歴のバラバラな文章を並べて、それらに共通する違和感を取り出し、何故そんな違和感を醸し出すのかを議論する、という構成はなかなか斬新で、物語全体の構成としてはなかなか良くできている、と感じました。

ただ、僕が怪談的なものにさほど関心がないからでしょう、5つの物語にはどれもそこまで関心を惹かれなかったな、という感じでした。それは、僕が文章を読んでて頭に映像が浮かばないこととも関係があるかもしれません。怖ろしい描写がなされているんでしょうけど、僕にはこの作品で描かれている「異形の者」のイメージが頭の中にさっぱり浮かばない、という部分もあるかもしれません。

あと、「5つの怪談の共通項を探す」という設定は非常に面白いと思いましたが、一応設定としてこの作品は「三津田信三が実際に経験したこと」という体裁を取っているので、であればちょっと作為的に過ぎるなぁ、と思ってしまいました。もちろん、実際には本書は小説なので、僕のこの評価は厳しいかもしれませんが、ただ本書と同じ構成は、「三津田信三が実際に経験したこと」という体裁を取らずとも書けたはずだ、と思います。著者自身を登場させず、あくまでフィクションだ、という体裁で書けば、僕が抱いたような違和感はなかったでしょう。しかし、実話だ、という体裁を取っている以上、ちょっと色んなことが物語に都合よく描かれすぎている、と感じてしまいました。

とはいえ、なかなか良くできた作品だとは思いました。

三津田信三「どこの家にも怖いものはいる」

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)