黒夜行

>>2015年06月

「きみはいい子」を観てきました

中脇初枝「きみはいい子(僕の感想はこちら)」を原作とした作品。

桜ヶ丘という町を舞台にした物語。新米教師の岡野(高良健吾)は、小学校の教師という仕事に苦労の連続だ。言うことを聞かない生徒、思い通りに意志の疎通が出来ない生徒、文句ばかり言ってくる親、どうにも納得出来ないことを言ってくる他の教師。岡野は、声を張り上げ、高圧的に言いくるめたりすることを時々やりながら、どうにか子どもたちと接していく。どうしていいのか分からないし、全員の要望を聞いていたらあちこちで矛盾が起こる、そんな毎日の中にいる。
岡野には一人、気になる生徒がいる。下校時間になってもいつも鉄棒の辺りにいて、家に帰らない生徒だ。
雅美(尾野真千子)は、娘を持つ母親だ。夫はタイに単身赴任中であり、子育ての負担はすべて雅美に掛かる。
雅美は、娘とどう接していいのか、うまく掴めないでいる。悪いことをすれば過剰に怒鳴り叩き、何か言ってきても優しく相手をすることが出来ない。他の家の子供には優しく出来るのに、自分の子供にだけはキツく当たってしまう。「恥かかせるんじゃないわよ」。雅美はそんな風に、娘に当たり散らしてしまう。
同じママ友達で、同じマンションに住んでいる母親は、子供たちとうまく距離を取れているような気がする。私はどうしてあんな風に自分の子供と関わることが出来ないんだろう。時々、そんな視線でその母親のことを見ている自分を自覚している。
発達障害を持つ子供、痴呆症気味のお婆さん、クラスでお漏らししてしまう子供、ママ友達を仕切ろうとする母親…。日常のそこここで生きている、ごくごく普通の人達が、同じ町の中で生きている。それぞれが、ほんの少しずつ関係を持ちながら、「町」という鉢植えの中で少しずつ育つ準備を始める「種」を描き出していく。その「種」の多くは、淀んだ環境の中にいる。しかし、いつか「桜」のような綺麗な花として咲き誇るようになるかもしれない。そんな希望を、ささやかな希望を、作品の様々な隙間に忍ばせた映画です。

非常に「物語らしくない映画」だと感じました。「物語的なお約束」みたいなものをすべて取っ払っているような感じがします。観ていて、「ノンフィクション」みたいな映画だなと思いました。実際に、どこかの町に取材班が情熱大陸のように密着を続けて、そうやって得られた素材を編集して作った、そんな映画に見えました。ノンフィクションだから、予期せぬ展開にもなるし、フィクションのように物語はうまく展開していかない。この映画は、フィクションでありながら、そんなノンフィクション性をまとっているように感じられて、僕はそこに強い「リアル」を感じました。
だから、と繋げるのはちょっとおかしいのだけど、この映画には「メインとなる物語」はない。高良健吾演じる新米教師も、尾野真千子演じる母親も、確かに物語の中で描かれる分量は多いのだけど、しかしメインかと言われると違う気がする。高良健吾や尾野真千子と言った主役級の役柄でさえ、この映画の中では「その他大勢」のような立ち位置になる。「その他大勢」は言い過ぎだが、印象としてはそうだ。
では、何がこの映画の「主人公」であると言えるだろうか?
これは、少し変な捉え方かもしれないけど、ある意味でそれは「観客」と言っていいかもしれない、とも思うのだ。
この映画は、物語性が非常に薄いと僕には感じられると先ほども書いた。それは、例えば岡野が付き合っている彼女との話であるとか、雅美が関わりを持っていたママ友との関係であるとか、場面としては登場するのだけど割とほったらかしにされる要素が結構あると感じるからだ。「物語性」を持たせるつもりであるなら、そういう要素に対しても後から何か回収するような要素を加えるなり、あるいは初めからそんな場面を入れないとか、そういう風になるような気がする。しかしこの映画の場合は、そういう、結果的に宙ぶらりんに見えるようなシーンも結構描かれていく。
それは何故だろうか?
僕はそれを、「僕ら観客が物語の中に自分自身を置くための余白」だと感じた。
勝手なイメージだが、物語性の強い作品の場合、「登場人物の誰かに共感する」という形で物語に自分自身を置くことが多くなるような気がする。しかし、物語性が低い場合は、「作品の中に、まるのままの自分自身を置く」という形で物語にコミット出来るようになるのではないかと思う。
この映画は、物語性が薄い。全体を貫く核となる物語を置かず、また、全体的にどことも繋がらないような余白のようなノイズがある。そうすることで、僕たちも、「名も無き参加者の一人」として、この作品の内側に自分自身を置くことが出来るのではないか、と僕は感じたのだ。
僕は元々、何かに対して共感力が強い方ではないのだけど、この映画を見ている間、たぶん誰かに対して共感している自分というのは存在しなかったと思う。そして、自分の意識をほぐしてみると、なんとなく、自分もその町の住人の一人として、なんとなくその町に住んでいる一人として、この映画を観ていたような気がする。
そういう意味で、主人公は観客自身である、とも言えなくはないと思う。高良健吾・尾野真千子は、存在感のある役者だと思うが、この作品の中では気配を消しているかのように町に馴染んでいたし(教室でたどたどしく生徒たちに話す高良健吾の演技は、本当に新米教師を傍から撮っているような感じで、その役者としての個性の殺し方みたいな部分は凄いと思った)(あと、文章を書いてる途中で思い出しましたけど、池脇千鶴も出てました。しかしこの池脇千鶴も凄くて、観ていて「池脇千鶴」であることは認識できるんですけど、しばらくすると「池脇千鶴」であることを忘れるんです。普通の、子育てをしてる陽気な母親にしか見えなくなるんです。この個性の消し方は、高良健吾・尾野真千子以上に凄いと思いました)、他の役者はそこまで名の知れた人ではなかったと思う(僕が知らないだけかもしれないけど)。後で書くつもりだけど、理由があって、生徒役の中には素人(本職の子役ではない人)も混じっていたという事実を知ってもいたので、そういうことも相まって、全体的に本当に「役者一人ひとりの個性が絶妙に隠されていた」と思う。だからこそ、「何でもない観客」が「名も無き住人」として映画の中に入り込む余地があったとも言える。
子供たちの演技も、実に印象的だった。巧い下手のことは僕には分からないけど、僕には、「子供たちが全然演技をしていない」ように見えた。特に、岡野がある宿題を出した翌日、その宿題に対してどう感じたのかと生徒に聞いて回るシーンでは、これは演技ではなくて、本当に、素の子供たちの本当の本音を引き出しているんじゃないかと思った。実際に生徒役の子たちにその宿題をやらせて、それでどう感じたのかを、子供たち自身の言葉で喋らせたのではないかと思った。台本に書かれていることを発しているのではない、なんというか、妙なリアリティを僕は感じた。あれがすべて台本通りで、子どもたちの演技で作られているんだとすれば、僕はちょっと驚く。
映画の中に、様々な枝葉があって、それらが時に繋がり、時に途中で止まりしつつ、作品全体を成していく。結論の出ない現実がそのままそっと置かれ、終着点のない展開が周囲を漂っていく。安易な解決はなく、器用な立ち回りもなく、うまくいかないものはうまくいかないまま、変わらないものは変わらないまま進んでいく。その中で、時々、未来への予感を感じさせるような繋がりや展開があり、そこに些かの救いを感じられるようになっている。
尾野真千子氏は、「脚本を読ませてもらった時、ラストシーンを読んで、この映画を引き受けたいと思った」と語った。「最後なのに、始まりなんです」と。まさにその通りのラストであると感じた。終わりなのに、始まり。どうにもならない現実を前に、右往左往するしかない、そんな身も蓋もない現実を無理くり否定するような、ある意味で力強いラスト。最後の最後で、様々な枝葉が一瞬で展開し、そして僕たちはその中からどれを選びとるのか問われる。そして、君にも同じことが出来るはずなのだという、押し付けがましくないメッセージも感じられる。
人間、一人で出来ることなど多くはない。僕の知らないところで、圧倒的な理不尽と、絶望的な現実に戦っている人はたくさんいて、そういう人達を前に、自分に何が出来るのかと悩んでしまうこともあるだろう。自分の無力さを突きつけられたようで、自分が見たものを見なかったことにしたくなることもあるだろう。差し伸べた手が、逆に事態を悪くしてしまうこともあるだろうし、自分の許容量を明らかに越えてしまうために普段できることさえ出来なくなってしまうこともあるだろう。
僕は観ながらずっと、「逃げろ」と思ってしまった。これは当然、圧倒的な現実と戦っている人達に向けてでもあるのだけど、同時に、彼らに手を差し伸べよううとする人達に対しても感じた。一人では、その圧倒的な現実とは戦えない。物語の中のヒーローのようなことは、普通の人には出来ない。現実は手強い。見ないフリをするのではなく、「自分にはお手上げだ」という意思表示をすることで距離を置くことは、許されることではないだろうかと僕は思った。
圧倒的な現実の中にいる人間に対しては、本当に、「逃げろ」と思った。どうにか逃げろ。逃げ場を確保しろ。逃げて逃げて逃げ続ければ、どこかに君の居場所はあると思う。あるはずだ。そう信じなければ、辛すぎるだろう。大人は、「戦い方」を教えるのも結構だけど、同時に「逃げ方」も教えてあげた方がいいのではないか。観ながら、本当にずっと、ずっと、そう感じ続けていた。

映画を観ながらいつも、セリフなんかをメモってるんだけど、今回は感想を書くのにそれらを全然使わなかったな。というわけで、メモったことを活かす話を少し。
今回僕は、人生で初めて「舞台挨拶」というものを見ました。自分が行こうと思ってた日の、自分が行こうと思ってた映画館でたまたま舞台挨拶が行われるようだったので、初体験となりました。高良健吾・尾野真千子・監督の呉美保の三氏が登壇したのだけど、彼らが語っていたことを少し書いてみようと思う。

まずこの映画は、公開の直前に開かれていた「第37回モスクワ映画祭」において、「最優秀アジア映画賞」を受賞したとのことです。まず司会者は、この受賞に関して三氏に聞きます。

呉美保氏:「昨日までロシアにいた。ロシア人はシャイな印象があるのだけど、そんなロシア人が顔を紅潮させて、目をキラキラさせながら、これは世界中の人に観てもらいたい作品だと言ってもらえたのが印象的でした」

高良健吾氏:「僕はその受賞の知らせを、何故か母から聞きました。すぐマネージャーに確認したけどマネージャーも知らなくて、母親は何者なんだろうと思いました(笑)。言葉も環境も違う人達にも伝わったことが本当に嬉しいと思います」

尾野真千子氏:「本当に色んな人に観てもらいたいと思っているので、今日来てくださった方は、観たあとで宣伝などお願いします。」

それから司会者は、それぞれに、この映画の見所を聞きます。

高良健吾氏:「この映画は、見て見ぬふり出来ない、自分にも突きつけられるような問題が描かれている。そしてこの映画の強さは、その問題に対する人々のあり方に、救いや希望や祈りのようなものがあることだと思います。また、子供たちの演技も見どころです。本職の子役の子たちだけでなく、借りている学校の生徒なんかもいるのだけど、子供だから『撮影早く終わって欲しい~』みたいなことを言うんですよね。で、それでいいと思いました。ちゃんとその場にいるというような、安心感や力強さを感じた。子どもたちの現場での有り様から学ぶことも非常に多かったです。子供たちがのびのびと動物のように芝居をしているところも見てみて下さい」

尾野真千子氏:「今日は横浜でも舞台挨拶をさせてもらったのですけど、そこでは見どころを『叩くところ・痛みを感じるところ』と答えたんですよね。実際に子役の子を叩いたわけではなくて、後ろからのショットの時は自分の手を叩いたり、近いショットの場合は助監督さんの脚を叩いていました。助監督さんの脚を、バシッと叩いてやりましたよ。
今日こちらでは、ラストシーンを見どころに挙げたいと思います。私は、この映画の脚本をいただいた時、このラストシーンを読んでこの役を引き受けたいと感じました。物語の最後であるのに、始まりでもある。物語の閉じ方にも、是非注目してみてください」

呉美保氏:「この本を映画にしませんかとプロデューサーの方からお話をいただいた時、すぐに読みました。普段は、映像化するならこうするかなみたいなことをあれこれ考えながら読むのですけど、この本の場合は映画化をするとか言う事を忘れてすっかりのめり込んで感動してしまいました。身近な社会問題を描いていて、実際にかなり厳しい描写もあるのだけど、一つひとつが大げさじゃない救いを与えてくれる。自分の幸せってなんだろうと考えさせてくれる。映画化のオファーがなかったとしても、一読者として読んでも映画化したいと思った作品だと思いますし、この作品を映画化するのであれば、私が読後感じた感覚を、是非映画を観た方にも感じて欲しいと思って、そういう風にこの映画を作りました。」

「きみはいい子」を観てきました
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ヒトリコ(額賀澪)

一人が似合う人を好きになることが多い。
大勢の中心にいても、友達がたくさんいても、あるいは部屋に閉じこもっていてもいい。ただ世の中には、「一人が似合う人」がいる。無理して一人を気取っているわけでも、本当は一人は嫌なのに一人でいなきゃいけないとかでもなく、ごく自然に一人である人。どこにでも一人で行けるし、誰かの存在を前提にしていないし、誰かのための場所を空けておいたりもしない。そんな人。
僕がそういう人を好きになるのはたぶん、自分がそういう人間になりたいからだと思う。
大人になった今は、大分、そういう人に近づけているかなと思っている。でも、昔の僕は、それが出来なかった。一人は、怖かった。どこかに属していたかった。自分が会話に参加していなくてもいいから、どこかの集団に混じっているフリをしたかった。
子供の頃は、一人であることを恐れていた。
今でも、その気持ちがまったくなくなったというわけではない。でも、一人であることを比較的受け入れられている今となっては、昔の自分がどうして一人を恐れていたのか、うまく掴みにくい。何を怖がっていたんだろう?と思う。
でも、「学校」というのはそういう場所だ。離れてみて、そんな風にも思う。
この作品の中で僕が一番嫌いなのは、「山野」という女の子だ。常に周囲の力関係を伺って、強いものになびこうとし、自分の安全を確保してから行動する。あぁ、こういう人は嫌だなぁ、と思う。
でも、同時に、山野のような振る舞いを理解できてしまう部分もある。それが、「学校」という空間の魔力なのだ。
学校という名の空間には、「ドア」が少ない。
大人になれば、この「ドア」はたくさん視界に入るようになる。そのドアは、開いていたり半開きだったり閉じていたりするが、視界には入る。開いているドアならその向こうの世界が見渡せるし、開いていなくてもそのドアの向こうに何か世界が広がっているはずだという予感を抱くことは出来る。大人になる、というのはつまり、たくさんのドアが見える場所で生きていくということであって、だから僕らは窮屈さをそこまで感じずにいられる。何かあっても、あのドアから飛び出せばいいんだ。そう思えるようなドアが、たくさん見えるから。
学校という名の空間には、「ドア」が少ない。ほとんどないと言ってもいい。「イマ」「ココ」にしか世界がないから、どうにかその世界の中でやっていくしかない。何か武器を持っていればともかく、ないならないなりに戦うしかない。
そういう中で、山野は山野なりの戦い方をするし、他の人は他の人の戦い方をする。きっとみんな、たくさんのドアが見える世界で生きていればしないであろうことを、「学校」という世界の中ではしなくてはいけない。
だから、そんな閉じられた世界の中で一人を貫けるヒトリコには惹かれてしまう。

きっかけは、金魚だった。
小学五年生の時、日都子はクラスメートの冬希と共に生き物係だった。金魚を飼うことになったのだが、日都子が世話をしたくないことを汲んだ冬希は一人で世話をすることに決める。日都子はクラスの中心にいて、いつも楽しそうに過ごしていた。
冬希は、学校に執拗にクレームをし続ける母親に悩まされており、それもあって引っ越しをすることになった。残された生き物係である日都子はやりたくもない金魚の世話をすることになったが、ある日金魚が死んでいるのが見つかった。
冬希に偏執的な好意を抱いていた担任の教師は、日都子が金魚を殺したのだと断定した。そしてその日から日都子は一人になった。誰とも喋らなくなった。そうして「ヒトリコ」は生まれた。ヒトリコは、ピアノを教えてくれる「キュー婆ちゃん」以外には、心を開かなくなった。
金魚の事件の日まで日都子と親友だった嘉穂。幼稚園の頃から仲の良い男子だった明仁。三人の関係性は、その日以来壊れてしまった。中学、高校と、彼らは「後戻り出来ない何か」を自分たちの内側でそれぞれに処理しながら、時間をやり過ごすように生きていく…。

この作品を読んだ人間は、ヒトリコのことをどう思うだろう?
もし、同じクラスにヒトリコがいたら、僕ならどうするだろう。学生時代の頃の僕なら、恐らく関わらなかっただろう。たぶん、ヒトリコに惹かれることも、なかったんじゃないかと思う。その当時の僕は、「一人でいないこと」に価値を置きすぎていて、「一人でいること」の価値をたぶん理解できていなかっただろうと思う。
今の僕は、ヒトリコが好きだなと思う。「関わらなくてもいい人とは関わらない」という信条を積極的に口にして人を遠ざけ、一人でいることへの悪感情を一切見せず、まさに「孤高」としか言いようのない佇まいで日々を過ごすヒトリコのことを、とても好ましく感じる。
ヒトリコが、こんなことを言う場面がある。

『もし金魚がしななかったら、私は多分、すごく嫌な奴になったと思う』

僕は、この言葉に強く共感するのだけど、同時に、これは日都子の本心ではないはずだと思ってもいる。
僕も日都子のように、「もし◯◯だったら」という場合の自分を考えてみることがある。僕は、たぶん外側から見ると、結構ダメダメな人生を歩んでいるんだけど、僕はその一つ一つの選択は最良のものだったと今でも思っている。たとえば僕は大学を中退しているのだけど、本当に僕は「大学を中退してなかったらたぶん死んでたな」と思っている。大げさかもしれないけど、そう思う。人生の色んな選択に対して、僕はそんな風に感じている。あそこでああしたから今こうなんだ、あそこでああしなかったから今こういられるんだ、と。
だから日都子が、金魚が死ななければ自分が嫌な奴になってたと言う気持ちは、凄くよく分かる。
同時に僕は、僕自身をまったく信用していないので、「自分に言い訳しているだけだろう」とも思っている。つまり、大学を辞めたことをマイナスと捉えたくないから、無理やり良いことを思い込んでいるだけなのではないか、と。僕自身の意識にはそんなつもりはないのだけど、僕の無意識がそんな風に判断している可能性はあると思っている。
だから、日都子のこの発言も、現実をねじ曲げているだけかもしれない。でも、それはいい。まったくいい。日都子は、現実をねじ曲げてでもしたくなかった生き方がある。一人ぼっちになってしまっても、山野や嘉穂のようにはなりたくなかったのだ。現実をねじ曲げることで、日都子はヒトリコを手に入れた。それがどれほどしんどい生き方であろうと、それがどれほど現実をねじ曲げていようと、日都子がその日常を肯定しているならいい。
金魚事件以降もずっと日都子を見続けている明仁。色んな面でイマイチ振り切れないキャラクターなのだけど、日都子と関わり続けるのだ、という意思は見事だと思う。明仁は日都子からまったく相手にされないが、明仁は日都子と関わろうとし続ける。もちろんその背景には、様々な感情があるのだけど、日都子と明仁という歪な関係を成り立たせているものは、明仁の強い意思だ。明仁のように振る舞えるかと言われれば、僕には無理だ。強すぎる「影」に強靭な意思で対峙し続ける明仁の有り様は、とても好感が持てる。たとえ、過去に明仁が何をしていたとしても。
後半で、冬希が再度登場する。冬希が登場してからの物語は、トーンが大分変わる。それまでの重苦しい、沈み込んでいくかのような世界に色がついたみたいな感じだ。
ある時冬希は日都子に、こんな風に言う。

『とりあえず、日都子ちゃんに関わってもいいかなって思ってもらえるように頑張るよ』

少し前、僕にもそんな風に思える人がいた。友達でなくてもいい。ただ、その人の世界の端っこに居させてくれたらいいなぁ、と思える人が。まあ、そううまくは行かなかったんだけど。
そんなことがあったから、なんとなく冬希の気持ちが分かる。無理に距離を縮めようとするでもなく、日都子が嫌だと思うことをするでもなく、ただ近くにいる。相手に出来るだけ負担を掛けないまま、相手の方からドアを開けてくれるように努力する。
そんな風に自分に接してれる冬希の存在は、日都子にとって救いだったはずだ。
日都子はきっと、ずっとずっと「助け」を待っていた。「助け」という言葉は日都子が嫌がるかもしれないから、「きっかけ」と言ってもいい。日都子がヒトリコであるという状況は、もはや、日都子の力だけではどうにもならない。日都子は、ヒトリコであり続けるために、あらゆる「救い」に手を伸ばすことが出来なくなっている。ヒトリコは、誰にも助けを求めないし、助けて欲しそうにもしない。だから、外部からの何かの「きっかけ」がなければ、何も変われない。
冬希は、日都子がヒトリコであり続けながら少しずつ変わっていく「きっかけ」を与えてくれる。冬希のあり方は、とてもいいなと思う。明仁や嘉穂には出来なかったことを、しばらく東京に出ていた冬希がやってのける。それは、しばらく離れていたという条件だけではなく、冬希にも「関わらなくていい人」がいたことが大きい。
冬希の辛さは、その「関わらなくて人」と「関わらなくていい」と思えなかったことにある。しかし、日都子は、冬希が葛藤し続けたその悩みを、あっさりと飛び越えているように見えた。冬希にとっては、「ヒトリコ」というのは、自分に出来ないことをやり遂げたヒーローみたいな存在でもあるのだ。そういう気持ちでヒトリコと接しようとした人間はこれまでいなかった。だから日都子も調子が狂って言ったのだろう。冬希と関わるとどうも、日都子はヒトリコではいられなくなる。
いずれ、ヒトリコは消えるかもしれない。一部だけ日都子の中に残るかもしれない。あるいは日都子はヒトリコを結局手放せないかもしれない。それでも、一つ確信が持てるのは、日都子は前に進める、ということだ。たとえ、ヒトリコを引きずったままであったとしても、日都子は前に進める。進んでいる。そういう予感を抱かせるラストが良かったと思う。
キャラクターや舞台設定などから、どうしても辻村深月を連想してしまうし、辻村深月と比べてしまうと、やはり「濃さ」では劣ると感じてしまうのだけど、派手さのない物語を丁寧に読ませる筆力のある作家だと感じました。あなたの中の「ヒトリコ」が刺激される物語だと思います。

額賀澪「ヒトリコ」


甲子園に置き去りにした宿題を息子が代わりに拾ってくれる

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:陽)太陽がなきゃ困るってホントなの?十円玉でかくれちゃうのに?



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


甲子園に置き去りにした宿題を息子が代わりに拾ってくれる
(8/31 宿題 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=153)



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:鏡)「鏡」ってみんな呼ぶけどあの重い銅の塊は何なのだろう



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


窓の外 吹き荒れる街 眠る風
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6199663
(上の句:、下の句:)

世界の果てのこどもたち(中脇初枝)

戦争に関する本を読む度に僕が思うことがある。それは、「この中で僕は、『生きたい』と思えるだろうか」ということだ。
当然のことだけど、ノンフィクションであろうと小説であろうと、戦争に関する本で主人公たる人物は、生き残った人物(あるいは、結果的には死んでしまうとしても、最後の最後まで生き残ろうとした人物)だ。そして、戦時中・戦後の世界は、ただ運だけでどうにか生き残れるような世界ではなかっただろう。生き残った人たちは皆、「生きよう」とか「死んでたまるか」とか、そういう思いを持ち続けていたはずだと思う。そうじゃなければたぶん、生き残れない世界だったはずだ。
そこまで考えて、僕はふと立ち止まる。僕は、その状況にあって、強く「生きたい」と願うことが出来るのだろうか、と。
僕はこの、平和で恵まれた現代日本に生きていてさえ、「生きているのがめんどくさい」と思ってしまうような人間だ。生きる気力がどこからも湧かない状態のまま、ただぼんやりと生きている。そういう状態でもどうにか生きていけるのは、そういう世の中だからだ。必至に「生きたい」と思わなくても、ただなんとなく適当に体を動かしていれば、少なくとも生きることぐらいは出来てしまう世の中に生きているからだ。

『(キャラメルをくれた)おばさんがいなくなるのを見送ってから、茉莉は学院の階段で食べようと歩き出した。そこへ別のおばさんが来て、茉莉の前に立ちふさがった。
おばさんは一言も話さず、茉莉が握らせてもらったばかりの小さな手の指を、その太い指で一本一本開かせ、キャラメルを奪った。そして、傍らにいた自分のこどもに、それをやった。』

善悪はともかく、人々は皆生きるために必至だ。それが犯罪であろうと、他人を不幸にする行為であろうと、生きていくためには仕方ないという覚悟を持った人がたくさんいる。僕はそれを、「凄い」と感じてしまう。それは、僕が正義だからとか、善だからとかではない。悪に手を染めたくないとか、キレイ事に収まっていたいとか、そういうことではまったくない。僕はただ、それほどまでに「生きたい」という感覚を、今の今まで理解できたことがない、というだけのことだ。
もちろん、外的な要因だけで見れば、多くの人が僕と同じだろう。恐らく大抵の人は、死を意識するような経験をしたことはないだろうし、他人を蹴落としてまで生きてやるという行動を取ったこともないと思う。
けど、僕はなんとなく、大抵の人は「生きたい」と思うに違いない、と思っている。理由は分からないけど、たぶんそうなのだろうと思う。悪に手を染めるか、他人を蹴落とすかどうか、そういうことはともかく、たぶんみんな「生きたい」と思うのだろう。そしてきっと、そこまで強く「生きたい」と思えないだろう僕は、多くの人の「生きたい」という思いの強さに負けて、早い内に死んでしまうのだろうな、という気がしている。
例えば満州で、例えば空襲に襲われた横浜で、例えば戦後の朝鮮人街で、それぞれ苦難を強いられた少女たちは、一体、その惨憺たる現状を前に、どこから「生きたい」という気持ちを搾り出せるのか。目の前で死体が散乱していたり、家族を失ったり、いつ他国民に襲われるか分からない緊張感だったり、病気が蔓延してるのに薬もないというような状況で、一体何を生の原動力にしているのか。もちろんそれは、本書に限らず、戦争に関する本の中で少しは語られる。けれども、僕のような人間から見ると、その描かれ方は、「みんな当然生きたいって思うよね、そうだよね」という前提で描かれているような気がしてしまうのだ。これは別に、批判したいわけではない。単純に、疑問なだけだ。

今僕は、少しずつ「戦争」の気配を感じている。
歴史には詳しくないのだけど、恐らく学校で習うような「歴史」では、「ここが転換点だった」というような、歴史上の大きな出来事をいくつも教わるのだろうと思う。そして同時に、色んな人が、「もしここで◯◯出来ていたら、××は起こらなかっただろう」というようなif論に花を咲かせる。
僕自身はそういう話には興味はなくて、僕が興味があるのは、その「転換点」に生きた人たちは、リアルタイムで「今」を「転換点」だと認識できていたのか、ということだ。
そして常に僕の結論は、「そんなことはありえないはずだ」となる。「転換点」を生きた人々には、その日々は、いつもの日常だったはずだ。何かが大きく変わったのかもしれないし、印象的な出来事が展開されたかもしれないけど、それでもそれらが「歴史の転換点」だとは認識できないのではないか。
僕が最近思うことは、僕らは今「歴史の転換点」に生きているのではないか、ということだ。もちろん、ここまでに書いてきたように、それが「歴史の転換点」であるかどうか、最終的には今を生きる僕らには分かりようがない。永遠に確証の得られない話ではあるのだけど、でも僕にはそう思えてしまう。例えば100年後には、「2015年にもし◯◯出来ていたら、××にはならなかっただろうにね」と言われているんだろうな、とそんなことを考える。
恐らく、第二次世界大戦に突入する時も、その当時を生きていた人には「転換点」は意識されなかっただろうし、だからこそ僕らもきっと、実感的には「いつの間にか戦争に突入していた」ということがあり得る。政治にも歴史にも詳しくないから、何がどうという説明は何も出来ないけど、それでも、世の中が「戦争」の方向に動いている気配を強く感じる。

『もう二度と、戦争はしないことになったのよ』

女性に参政権が与えられ、初めて選挙で投票したという女性教師が、誇らしげにそう語る場面がある。そう、「二度と戦争をしないこと」は、誇らしげに語るようなことであったのだ。しかし、既に僕らはそれを、「当たり前のこと」だと捉えてしまっている。いや、それは当然と言えば当然だ。なにせ、すべての前提である憲法に、そう書かれているのだから。しかし今、その憲法に手をつけようとしている。「当たり前のこと」が書き換えられてしまう。それは僕らを、一体どこへ連れ去っていくのだろうか。

内容に入ろうと思います。
三人の少女が、戦時下の満州で邂逅する。
珠子は、高知県から満州へと、開拓民の一団として入植した。高知県の千畑村の村長が、口減らしの目的もあって、国が推奨する開拓民の希望者を募っていた。一杯食べられるし、兵隊に取られることもないという話で、土地を持たない小作人は否応なしに応じるしかないような状況だった。珠子には、満州であろうとどうだろうと大差はなかった。いつも一緒にいた家族が一緒にいて、走り回れる環境があれば。
美子(ミジャ)は、朝鮮中部の平花面に住んでいたが、日本人に土地を収奪され、食うに困るような状況だった。そんな折、満州ではたらふく食べることが出来ると聞きつけ、家族で移り住むことになった。珠子と美子は、お互いが異国人だという認識もないまま友達になった。
茉莉は、横浜の三春台で何不自由なく育った女の子だ。裕福な家庭に育ち、誰からも愛されている女の子。そんな茉莉は、貿易関係の仕事をしている父親について満州にやってきた。「満人を見てみたかった」という理由で、その滞在の間同い年ぐらいである珠子と美子が茉莉の相手をすることになった。
この三人が満州で会っていたのは、ほんの僅かな期間。しかしそれでもこの時、この三人は、生涯忘れることのない体験をする。
短期の滞在の予定だった茉莉はともかく、美子も戦争の激化を理由に朝鮮に戻り、三人は離れ離れになる。三人はそれぞれの場所で終戦を迎え、それぞれ厳しい環境の中で、どうにか生き抜いていく。珠子は中国残留孤児として中国人として育てられる。美子は朝鮮を脱して日本で在日として生きていく。茉莉は肉親をすべて失い、空襲で惨状と化した横浜でどうにか生き延びる。
というような話です。
物語のエンジンが駆動し始めるまでにちょっと時間が掛かった印象がありましたが、エンジンが掛りだしてからは圧巻という感じの作品でした。冒頭、三人の少女の現状や有り様を描くのに全体の1/4ほどを使っている。つまらないわけでは決してないが、この部分はやはり物語の導入であるので、物語的に起伏があるわけではない。しかしそこを越え、各人が終戦を迎えて以降の物語に突入すると、彼女たちが背負わなければならなかったもの、克服しなければならなかったもののあまりの重さに、息が詰まるような気分になる。
この物語は、少女の視点で戦争が語られる、という点が非常に面白い。しかもその三少女は、満州で瞬間的な接点があるという関係で、出自も境遇もみなバラバラである。その三少女の生き様から、戦争を多方面から描き出していて、読み応えがある。
少女の目から戦争を描く、という特徴を感じるのは、例えばこんなシーンだ。

『空襲を受け、東京の空が真っ赤になったのを、茉莉は朝比奈の父の背中から見た。ぐっすり眠っていたところを起こされたので、うとうとしていた茉莉だったが、その光景にはっきりと目がさめた。
夜空には、何本も何本もの光の線が引かれては、消えていった。
無数の焼夷弾が無数の線を引きながら落ちていく。
あとからあとから。
際限もなく。
それは息をのむほどに美しかった。』

大人が描写する場合、「それは息をのむほどに美しかった」とはなかなか書けない。大人は、その光景が意味するものを考えてしまい、その光景を光景として受け取ることは出来ないからだ。しかし、茉莉はまだ少女で、その光景を純粋に「美しいもの」として捉えることが出来る。
このシーンも印象的だった。

『「かあさんは朝鮮人の格好はできんよ」
珠子はそのとき初めて、美子が朝鮮人だと知った。けれども、珠子はそもそも自分が日本人だということを知らなかった。
「ほしたら、たまこは何人?」
珠子の問いに、母親も父親も、手をうってわらいころげた。』

『そして、美子はそのとき初めて太極旗を見た。
「これなに?」
美子が聞くと、父親も母親も愕然とした。
「朝鮮の旗じゃないか」
父の言葉に美子は驚いた。
「朝鮮にも旗があったの?」
言葉を失う父と母に、美子はなおも訊いた。
「朝鮮って国だったの?」』

本書では、国とは何か、国籍とは何かという問いかけも常にされる。中国で残留孤児として育てられる珠子。日本で在日として生きていく美子。国と国を、人と人とを分断する目に見えぬ存在が底流する物語の中で、この珠子と美子の問いは非常に鮮明な輝きを放っている。大人が、それがために血を流しさえするほど重大に考えているものを、子供はあっさりとまたいで見せる。人は生きていく中で、いつの間にか様々な「前提」に囚われていくのだということを痛感させられた。
少女たちは、絶望的な環境の中で、どうにか生きていく。その中で彼女たちが大事に思うこと、捨てられないこと、捨ててしまったもの、そういう様々なものが描かれていく。
そして、その辛く厳しい日常の中で、満州での一瞬の邂逅を思い返す場面がある。それは少女たちの中に残った根のようなもので、その出会いの中で生み出されたものが、彼女たちの一部として溶け込んでいる。
強くなければ生きられなかった時代。少女たちは、たくましく生きていく。その強さは、僕には眩しい。彼女たちが、苦難をどう乗り越えていくのか。三者三様の人生を丁寧に描き出す物語は圧巻だ。
もう一つ。本筋と直接には関係ない部分で、印象に残ったシーンがある。幼い美子を、朝鮮人だとからかう日本人の男の子を、同じ朝鮮学校にかよっていた朋寿が石で殴って追い払ってくれたことがある。二人が大人になって後、この時のことを回想する場面がある。

『別のやり方はなかったかと思ってる。ずっと思ってる。殴るんじゃなくて、なにか別のやり方。やればやられる。憎まれる。考え方がちがう。やり方がちがう、それで共和国は侵攻した。韓国はやり返した。そして祖国は分断したままだ。そうじゃなくて、そういう連鎖を断ち切るやり方。だからぼくは美子に会うのが怖かった。あんなやり方しかできなかった自分は、嫌われて当然だと思ってたから』
『人を守るって怖いことだと思う。ぼくは今も別のやり方を探してる。今度同じことがあったとき、まだぼくはどうしたらいいのかわからない』

今日本に対して「戦争」の気配を感じるのも、こういうやり方の問題が背景にあるような気がしている。何かがあった時に対抗する手段として「戦争」というやり方を手にしようとしているのだろうけど、そうではないやり方はないのか。これは、政治の世界だけで考えていてもダメで、たぶんそれぞれ個人が、個人レベルで考える・実行出来ることから少しずつやっていくしかないのだろう。

「戦争の悲惨さ」を伝える物語ではある。しかしそれ以上に、少女たちの生き様が輝いている。与えられた環境の中で、どうやって精一杯生きるか。これは、どんな時代であっても通じるテーマだろう。以前と比べれば遥かに豊かになった国生きている僕たちも、個々で見ていけば、必ずしも皆豊かなわけではない。そもそも、豊かさの基準も人それぞれだ。他人から羨まれるような環境にいても、豊かさを感じられない人も多くいるはずだ。
この物語は、今いる環境でどうにかやっていくのだという覚悟みたいなものを与えてくれる。他人と比較しても仕方がないし、人生が好転するわけでもない。「戦争」とはまた違った形の、複雑に拡散してしまった困難さの中で、その辛さを共有しにくい時代に生きている僕たちに、指針を与えてくれる物語です。是非読んでみてください。

中脇初枝「世界の果てのこどもたち」


君の膵臓をたべたい(住野よる)





人が死んで、悲しいと思ったことが一度もない。
そんな自分を、薄情者だなと悩んだ時期もあった。祖父が亡くなった時だ。大人になってからほとんど関わることもなかったから、日常的に会う人ではなかったから、そんな風に思うんだろう。そんな風にして、自分を納得させようとしたような記憶がある。
少しずつ、僕は自分というものが分かって来て、あるいは分かったような気になって来て、どうして人の死を悲しいと思わないのか、自分なりに説明がつくようにはなっている。
たぶん、いつか必ず、人は死ぬからだ。

僕は、自分の弱さを知っているつもりだ。自分が思っている以上に弱い、という可能性はまだまだ十分にあるけど、自分が思っているより強い、ということは恐らくないだろう。そんな僕が常日頃から考えていることがある。それは、
「いずれ無くなるものに依存したくはない」
というものだ。
何かに寄りかかって生きていると、その何かが無くなって倒れることでたぶん凄く痛みを感じるだろうと思う。僕は、その痛みに耐えられないような気がするのだ。だから、出来るだけ、あまり何かに寄りかかり過ぎないようにしよう、と思っている。自分を支えてくれる何かがあるのは、素敵だと思う。でも、その存在が無くなった時、代わりが存在するかどうか。たぶん僕は、日常的にそういうことを考えている。
同じような発想で、
「良すぎる環境にはいたくない」
というのもある。
僕は、自分の身の丈に合わない、自分にとっては良すぎる環境が、長続きするわけはない、と思っている。確かにその環境にいれば、その時は楽しいだろうと思う。でも、その環境が維持できなくなったら?「楽しかった」という記憶だけが残って、結局自分は苦しむのではないか。
そんなことを考えてしまう。
だから僕は、「人間はいつか死ぬ」という理由で、あまり人間に深入りしないようにしているんだろうな、と思う。
楽しければ楽しいほど、「この楽しさが失われたら?」という恐怖が同じ速度で増す。何かに寄りかかれば寄りかかるほど、「この支えが失われたら?」という恐怖が膨れ上がる。そうやって僕は、何度も自滅してきた。
他人から離れている時には、「他人に深入りしたいな」という気持ちは出て来る。僕も、まったく寂しくないわけではない。人と深く関われることを羨ましいなと感じる機会もあるし、そうできればいいなとも思う。でも、少なくとも、これまでのままの僕には、そうすることはとても難しい。

だから、主人公の気持ちが、とても良くわかる。最初から、最後まで。彼の行動原理が、手に取るように理解できる。草舟のようだと自分を評する気持ちも、主体性がないところも、彼女と過ごす時間が「楽しい」と思えることも、
そして、『もうすぐ死ぬっていうクラスメイトと普通に話せる』ところも。

彼女にも、共感できる部分はとても多い。僕は、主人公寄りの人間なので、彼女とはまるで正反対と言っていい人間だ。それでも、『膵臓のこと隠さなくていいのって君だけだから、楽なんだよね』という気持ちは、とてもよく分かる。

『どうして彼らは多数派の考えが正しいと信じているのだろうか。きっと彼らは三十人も集まれば人も平気で殺してしまうのではないか。自分に正当性があると信じてさえいれば、どんなことでもしてしまうのではないか。それが人間性でなく機械的なシステムであることにも気づかずに』

主人公がこう思う場面がある。これは、彼女の死とは関係ない場面でのことなのだけど、凄く共感する。僕も、多数派が正しいと思うその考え方がとても苦手だ。「人が死んだら悲しまなくてはいけない」というのも、僕からすれば多数派の考えだ。別に、「悲しい」と思う人間を否定したいなんて気持ちはまったくない。でも、「人が死んでも悲しいと思わない人間もいる」というのも、また事実だ。彼女が、自らの病気を周りに言わなかったのも、ある意味では多数派に巻き込まれないようにするためだろう。彼女は、「病気の自分と哀れみと共に接してくれる」よりも、「そのままの日常」を欲した。そのために、病気のことを隠した。それは僕には、とても良い選択に思える。

僕は考える。目の前に、確実に死ぬと分かっている女の子がいたらどう振る舞うか。
僕自身の今の気持ちだけで言えば、僕は主人公のような振る舞いが出来るような気がする。内面はともかく、外面的には「キミが死ぬことなんか気にしていない」というような振る舞いが出来ると思う。相手がそれを望むなら。彼女は主人公のことを、それが出来る人間だと見込んだ。僕も、それが出来る人間だと思われるような人間になりたい。

内容に入ろうと思います。
高校生である主人公は、始終本を読むことだけで世界と関わっている人間だ。生身の人間とは積極的に関わろうとせず、だから友人もいない。クラスメートからは、目立たない男だと思われているだろうし、それでいい。何の問題もない。そう考えるような男だった。
そんな主人公はある日、クラスメートの秘密を知ってしまう。明るくて元気で、『全てのポジティブなことにいちいち反応する』山内桜良は、当然クラスの人気者であり、当然主人公とは関わりを持つはずのない関係だった。しかしある日主人公は、桜良が家族以外の誰にも打ち明けていない秘密を知ってしまう。
膵臓の病気で、そう遠くない未来に死んでしまうということを。
主人公はもちろん動揺したが、しかし彼にとっては関係ない世界の話だった。たまたま知った秘密を言いふらすつもりもないし、彼女とその後関わりを持つはずもないだろう。
しかし、主人公の予想を超えた展開が待っていた。なんと桜良は、主人公と積極的に仲良くするようになったのだ。それまで、人間というものと関わってきたことのない主人公にとっては、様々なことが初めての経験だった。桜良は主人公と同じ委員になり、放課後や休日を一緒に過ごし、あまつさえ旅行にさえ行く。
主人公には、彼女が何を考えているのか、まるで理解できない。自分のような、地味で面白くもない人間と、死期の迫っている今、一緒にいるだけの価値があるのだろうか…、と。

凄く好きな作品でした。
先に書いておくと、「物語そのもの」に『何か』があるわけではありません。たぶんこの物語、要約したら物凄く短く要約出来るし、その要約だけ読んだら「何が面白いの?」みたいな感じになりそうな気はします。はっきり言って物語は、「間もなく死ぬ女の子と、他人と関わって来なかった男の子が過ごした最後の数ヶ月」という要約でまとめられます。飛び道具的な展開があるわけでも、押し込めたような何かが最後に爆発するような、そういうタイプの作品ではありません。貶してるわけではまったくないのですが、物語そのものはとても平凡だと言っていいでしょう。
じゃあ何が良かったのか。
それはもう、主人公と桜良の関係が素晴らしかったとしか言いようがありません。
これも、マンガやアニメではベッタベタな設定だったりするのかもしれないけど、「もうすぐ死んじゃうけどすっげー元気に振る舞う女の子」と「他人に無関心だけど流されるようにして他人と関わる男の子」という二つのキャラクターを、実にうまく動かしていきます。
どちらの存在も、とても歪です。主人公にしても桜良にしても、現実にはちょっとなかなか存在しないだろうなというキャラクターです。主人公のように他者とあまり関わらない人編はたくさんいるかもだけど、内面まで主人公のように達観できている人間はそう多くないでしょう。桜良のように元気で明るい女の子は多いだろうけど、それでも、まだ高校生という若さで死ななければならない状況でああいう振る舞いが出来る人間もそうはいないでしょう。
そんな非現実的なキャラクターなのだけど、見事なぐらいこの二人の相性はぴったりなわけです。この物語には、二人以外の登場人物も出て来るわけですが、この二人が作る世界観と、それ以外の世界観は、まるで別物です。桜良はその両者を行き来するわけなんだけど、物語の軸足は二人が作る世界に置かれているので、読んでいると段々その違和感を忘れる。そして忘れた頃に、外の世界の人間が二人の世界に食い込んできて、読者にその違和感を思い出させる。そんな風に物語は進んでいきます。
二人で作る世界は、とてもとても歪んでいる。桜良は、冴えないクラスメートを振り回して凄く楽しそうな笑顔を作り、主人公はそんな彼女にブンブン振り回されながら、もうすぐ死ぬという女の子と平然と関わり続けている。
しかし、二人が作る世界は、「多数派の論理」では完全に異常なのだけど、二人にとっては完全だ。これほど、完全な世界はない。
彼らの関係には、名前が付かない。これが僕が、彼らの関係を「完全」だと考える理由の一つだ。友達でも親友でも恋人でも家族でもない。桜良もそう言っていた。キミとはそういう、名前が付くような関係じゃないからいいんだ、と。
僕も、それをとても羨ましいと懷う。どうしたって、人間同士の関係には、名前が付いてしまうものだ。何故なら人間は、不安定さに耐えられないから。だから皆、名前を付けて、他者との関係を安定させたがる。
しかしこの二人の場合、桜良はもう先が長くないし、主人公には人間と深く関わろうという意思がない。だからこそ、こんな、「名前のない関係」が生まれる余地が出来た。そしてその「名前のない関係」を、実に絶妙に描いている。この「名前のない関係」こそが、本書の最大の魅力なのだと僕は思う。これは、二人がお互いに、お互いなりの努力をした結果生まれた、瞬間的な奇跡の関係性なのだ。

『君は、きっとただ一人、私に真実と日常を与えてくれる人なんじゃないかな。お医者さんは、真実しか与えてくれない。家族は、私の発言一つ一つに過剰反応して、日常を取り繕うのに必至になってる。友達もきっと、知ったらそうなると思う。君だけは真実を知りながら、私と日常をやってくれるから、私は君と遊ぶのが楽しいよ』

桜良に主人公がいて、良かったと思う。主人公は、桜良と関わることで、それはそれは多大な迷惑を被ることになるのだけど、それでも主人公が桜良と関わり続けてくれて良かったと思う。二人の世界は、歪で異常で、完全で、だからこそ、なんだかとても美しい。いずれ割れてしまうシャボン玉のように、永遠に続くわけがないと分かっているからこそ存在しうる関係性。その瞬間性を、見事に切り取っていると思う。
僕が主人公と同じ立場だったら、どうするだろう、と考えてしまう。
僕が主人公のように、自分自身の内側に隠れているものをきちんと把握できていない頃だったら、僕は主人公と同じように出来る気がする。もちろん、内心では色んなことを考えちゃうだろうけど、外面的には同じように。主人公は、他者との関わりが薄かったからこそ、桜良ときちんと関われたのだと思う。もっと他者との関わりが深ければ、相手の中から、そして自分の中から、どんなものが失われていくのか、想像がついたはずだ。主人公には、その力はなかった。小説を読んで知ったことを、現実で活かす機会がなかった。だからこそ、主人公は桜良と関われた。『きっと、知ったらそうなると思う』と桜良が思っている友達とは、違う風に振る舞うことが出来た。
今の僕が、主人公と同じ立場に立たされたら、どうだろう?
途中で逃げるかもしれないなぁ、と僕は考えてしまう。たぶん、桜良と一緒にいるのは、とても楽しいだろう。主人公と桜良の断片的な関わりを読んでいてそう思ってしまうのだ。実際に自分が桜良と関わったら、もっと楽しいだろうと思う。
でも僕は同時に、この楽しさは遠くない将来に失われることを知っている。そのことに僕は、恐怖を感じるだろう。少しずつ、桜良のことが大事になればなるほど、その恐怖は増していく。
たぶん僕は、その恐怖に耐えられなくなってしまう。
だから、桜良の近くにいたのが主人公で良かった。僕じゃなくて良かったと思う。

主人公が号泣する場面がある。今まで知らなかったことを知ってしまった苦しみに。そして、今まで知らなかった楽しみが失われてしまった悲しみに。そう、主人公は、知ってしまった。知らされてしまった。これが中途半端なものだったら、主人公は恐らく恨んだだろう。中途半端に自分をそういう世界に引きずり込んだ人間を恨んだだろう。しかし、主人公は、桜良の本気を知る。桜良の考えていたことを知る。それは結果的に、主人公の世界を大きく変えていくことになる。
だからこそ、主人公の傍にいたのが、桜良で良かった。
二人の世界が「完全」で良かった。

『生きるっていうのはね、きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ』

生きている実感は、自分で掴みとっていくものなんだ。桜良はたぶん、そんな風なことを伝えたかったんだと思う。主人公に。自分とは真逆に君に。そんな風にして彼女は最後までに生きた。死ぬ直前まで、『生きた』。
素晴らしいじゃないか。

僕は、怖いと思った。この『完全』な関係性は、怖いと思った。でも、羨ましいとも思った。雪のように消えてしまうものであっても、羨ましいと思った。でもきっと僕は、主人公のようにも、桜良のようにもなれないんだろう。なんだか、そのことを、凄く悲しいと思わされた。

住野よる「君の膵臓をたべたい」


「出来たてを叩くとシャリンって鳴るからよ」みたいな嘘が好きだった母

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:布)財布だと知ってたでしょう?自覚して 喋らなくていい 愛さなくていい



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


「出来たてを叩くとシャリンって鳴るからよ」みたいな嘘が好きだった母
(8/30 車輪 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=152)



Ⅲ その他の自作短歌


体重の5分の1は我が子だと10年ぐらい言い聞かせてる



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


純白の気持ちになれると聞きまして縄文杉に懐(いだ)かれ五年
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6195010
(上の句:クニコさん、下の句:黒夜行)

ビオレタ(寺地はるな)

田中妙は、婚約していた慎一から見知らぬ街のファーストフード店に呼び出される。嫌な予感を抱えて向かうと、やっぱり、婚約を破棄しようという話だった。
雨降る中、帰る気力もなく道端で泣きはらしていると、「道端で泣くのはやめなさい」と声を掛けられる。長身の、知らない女性だ。その見知らぬ女性は、彼女を無理やり引っ張って自宅まで連れて行き、話を聞かせるように迫った。
北村菫というその女性の店で、妙は働くことになった。
「ビオレタ」という名のその店は、雑貨と、棺桶を売っている。お客さんは、あまり来ない。店番をするように言われた妙は、退屈の合間に、かつて学校の先生に言われた通り、自分の状況や一日の報告をノートに書き始める。
いつの間にか奇妙な人間関係の中に取り込まれてしまった妙は、婚約破棄の傷を引きずりつつも、その奇妙な関係性の中で新しい人間関係を手に入れる。妙には想像も及ばない、複雑過ぎる日常を普通に送っている人たちの中で、妙は次第に、自分がこれまでこだわってきた様々なものを手放したり大事にしなくてもいいかと思えるようになっていく…。
というような感じの作品です。
内容紹介がなかなか難しい作品です。ストーリーが複雑というのではなく寧ろ逆で、ストーリーがあってないような感じの作品だからです。何か書こうとすると、たんぽぽの綿毛を掴もうとするかのように掴みどころがない。
とはいえそれは面白くないという意味ではなくて、なかなか面白い作品でした。ストーリー的には正直、特に大したことは起こらないのだけど、それをここまで読ませる手腕はなかなかのものです。描写が巧いんですよね。それぞれのシーンが、絶妙の描写によって非常に「立っている」感じがする。だから、全体としてのストーリー性が薄くても、最後まで興味を持って読むことが出来る。この作品は新人のデビュー作なのですが、新人であればあるほどストーリーで引っ張ろうとする作家が多い印象があるんですけど、新人でこれだけ描写力があるというのはなかなか素晴らしいなと感じました。
内容紹介にはうまく組み込めなかったのだけど、この物語には、妙が付き合うことになる「千歳さん」という人と、「蓮太郎」という青年が出てくる。妙・菫を含めたこの4人がメインの登場人物になるのだけど、それぞれの関係については伏せておくことにします。物語を読みながら徐々にその関係性が分かっていくという感じは、これから読む人に残しておいた方がいいかなと思うので。
妙を除く3人は、それぞれ非常に個性的な人物として描かれていきます。妙は、その奇妙な3人に引っ張られるようにして、婚約破棄の傷を徐々に癒していくことになります。
菫さんは、孤高という感じがする日都。捨て猫を拾うみたいにして妙を拾って店員に仕立てあげたものの、菫さんは妙と干渉し合うことはあまりない。独特な行動基準によって動いているので、それが理解出来なかった当初、妙は菫さんのことを怖い人だと感じていたのだけど、徐々にそういうわけではないということが分かっていく。
社会の中では確実に浮いてしまうだろう存在なのだけど、自らが作り出した「ビオレタ」という空間の中では、菫さんの存在感はとても良い具合に成り立っている。棺桶を売るという奇妙な仕事を、一種使命のように果たしている菫さんの、商売というものを越えているように見える関わり方が時に人々の心を癒やすし、「ビオレタ」の中でピシっとした存在感を漂わせる菫さんのその存在感は、確実に様々な影響を妙に与えていく。
『わたしたちに出来ることは、引き受けることだけでしょう』と菫さんは言うが、妙は、菫さんが抱えているものは誰が引き受けてくれるのだろう?と考えている。悩みなんかないような強い生き方をしている菫さんにも、様々な背景があるのだと、妙は少しずつ知ることになる。
千歳さんは、菫さんとはまた違った意味で捉えどころのない人だ。菫さんは近づき難さを感じさせる人だけど、千歳さんは真逆で、誰でも受け入れてしまう。誰に対しても優しい。そして、そのあり方が、妙には不満の種でもある。妙の姉は、妙から千歳さんの話を聞いて、『みんなにやさしい、なんてのは結構、ろくでもないからね』と評すが、姉のその言及が時々頭を過ぎるくらい、千歳さんの態度は妙を不安にさせることがある。
しかし、妙と千歳さんの関係はそもそもが微妙だ。妙は、菫さんのところにそもそも長くいるつもりがない。だから千歳さんとの関係も一時的なものだと思っている。慎一との傷を癒やすための一時しのぎなんだ、と。だから寧ろ、誰にでも優しいような男の方が、まあ都合がいいんじゃないか、みたいな。
『でも、さびしいのは標準仕様でしょ。なんていうか、人間の』 千歳さんは妙にそんな風に言う。妙は、自分が抱えている「さびしさ」を「どうにかしなくちゃ」と思っているのだけど、それを千歳さんはあっさりと肯定する。少しずつ、妙は分かっていく。千歳さんは、見えているだけの、ただ優しいだけの、そういう男なんじゃないのだ、ということを。
千歳さんに対しては他にも悩ましい部分があって、妙を常々モヤモヤさせるのだけど、妙の場合は「モヤモヤする」のが標準仕様みたいなところがあるから、まあきっと大した問題じゃない。たぶん、目の前の問題が解決しても、またどこからか「モヤモヤ」を見つけてきてしまうだろう。菫さんに対しても、母親に対しても、姉・弟に対しても、妙は「モヤモヤ」を感じる。その「モヤモヤ」は、「言いたいことを言わずに飲み込んでしまう」という自分のあり方に起因することに、妙は気づいていないのだ。
『そのまま言えばいいと思うよ』 蓮太郎はある時妙にそんな風に言う。妙が、相手の気持ちを察しすぎて自分の気持ちを出さないことに業を煮やして。蓮太郎は、気持ちのいい青年だ。妙を馬鹿にしたような呼び方をするが、この二人のフラットな関係性はなんとなく羨ましい。
妙と蓮太郎の関係性は、なんというかなかなか複雑だ。しかしその複雑さを感じさせない関係性が良い。蓮太郎がその場にいると、4人それぞれの関係性が潤滑するようなイメージがある。アホっぽい青年に見えつつも芯はしっかりとあって、色々と考えている。なかなか侮れないキャラクターだ。
著者は、人間のちょっと変わった部分をスッと引き出すのがうまい。菫さんも千歳さんも蓮太郎も、特段の変人という感じではない。確かに変わっているのだけど、凄い変人かというとそこまでではない感じがする。きちんと日常もあるし、行動原理も割と一貫している。突出している変人ではないので、描くのはなかなか難しいような気がするのだけど、日常の瑣末な部分でうまくその奇妙さを演出する。だからこそ、本筋の物語でそれぞれの人間が「まっとうなこと」を言うのが響く。普段の奇妙さが、時々まとう「まともさ」を引き立てるのだ。
そこまできちんとテーマとして立っているわけではないけど、本書は「家族とは何か?」みたいな部分も突っ込んでいく。妙は、良心や姉弟、そして七回忌で会う親戚たちなど、親族と関わる場面もところどころである。一方で妙は、家族という形をなさない奇妙な人間関係の中に放り込まれもする。その不可思議な行ったり来たりの中で、妙は少しずつ「家族」というものについて考えていくんじゃないかと思う。
妙が、父・母それぞれと、初めて「きちんと向き合う」というような場面もある。それまでも、避けてきたわけではないけど、深く積極的に突っ込んでいこうとしなかった事(自分の名前の由来とか、母親が押し付ける価値感など)に、勢いで向き合ってみることにする。その経験は恐らく妙に、「家族」というものの幻想を解体し、そして「家族」というものの範囲を押し広げるきっかけにもなっただろう。もちろん、その解体と拡張を一気に押し広げるのは、菫さん・千歳さん・蓮太郎たちとのかかわり合いなのであるけど、自分の家族と向き合うというその経験も、妙にとっては大きな一歩になったはずだ。
『自分にとって、一番大事なものをちゃんと知ってるってこと。お母さんは、それが「一人前」ってことだと思ってる』 母の言葉は妙に新しい視界を開かせることになる。それまで、周りの意見や価値感ばかりを気にしていた妙が、自分の「一番大事なもの」を見つけ出す方へと意識を向けさせた。姉も弟も、誰からも教わらずに自然と出来ていたこと。妙は、恐ろしく遠回りして、「そうか、そんな風に生きていいんだ」という場所に辿りつく。
生き方は、誰と比べても仕方ないし、自分で決めるしかないのだな。当たり前のことなんだろうけど、本書を読んでそう感じた。僕自身も、どちらかと言えば妙のように優柔不断でウジウジしている人間なので、妙の遠回りは凄くよく分かるし、自分の生きるべき場所を見つけることが出来た妙のことを羨ましく思う。妙は、もちろんこれからも迷うだろうけど、これまでとは違った迷い方になるだろう。今までの、どこに道があるのかさえ分からないというような迷い方ではなく、道は見えるけどどこを選ぼうというような迷い方になるだろう。妙のそんな変化をゆっくりと思う物語です。読んでみてください。

寺地はるな「ビオレタ」


バック転の発音しない「ッ」みたいな私は声を上げて泣かない

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:七)身代金70万と聞かされてちょっと不満気な顔を見せた



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


ドーナツの穴を食べてるようでした…彼と結婚していた日々は
(8/29 憎い http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=151)



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:後)バック転の発音しない「ッ」みたいな私は声を上げて泣かない(うたらば採用)



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


美味しいと頬ばる子らの箸すすみ木陰の妖精にも一つ ほれ
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6194988
(上の句:知己凛さん、下の句:黒夜行)

「駆込み女と駆出し男」を観てきました

物語は、1841年の江戸に始まる。将軍の指令により贅沢が禁じられ、女義太夫が捉えられる。滝沢馬琴の八犬伝にも検閲が入る。財を蓄えている商人たちが世情を憂える。そんな時代である。
三人の女と一人の男が、東慶寺という寺にやってくる。
この東慶寺、結婚に悩む女性の、まさに駆け込み寺となっていた。婚姻に関しては圧倒的に男が優位であった時代。女性は、どれだけ酷い状況に置かれていても、女性の方から離縁を申し出ることは限りなく困難だった。そんな時代に東慶寺は、酷い婚姻生活から逃げてきた女性を匿い、勉学や修行をさせ、二年の後旦那に離縁状を出させる。そういう役回りをずっと続けている。
「お吟」は掘切屋という商人の妾であった。不自由のない生活をしていたはずだが、籠持ちを切っさばいてまで東慶寺へと駆け込む。
「じょご」は、鉄練りの技術を持つ女だが、主人が女と遊び呆けており、じょごの妻としての立場は恐ろしく辛い。身を投げる覚悟を決めるも、行きがかりもあって東慶寺へと駆け込むことになる。
「ゆう」は女剣士であり、道場破りで道場を乗っ取った荒くれ者から逃れるために東慶寺へと駆け込んできた。東慶寺で2年間修行し、その後復讐することを誓っている。
そしてもう一人。「中村信次郎」は、医者見習いだ。江戸でいろいろやらかしたため、親族のいる東慶寺まで逃げてきた。東慶寺の中では、医者としてだけではなく、様々な役回りを演じることになる。
世間と没交渉であるはずの東慶寺は、世k情と絡んだり、あるいは逃げこんできた女性が絡んだ様々なトラブルに巻き込まれていく。社会的に地位が確立されていなかった結婚した女性の側に立つという、気苦労とトラブルの多い東慶寺という役回りを見事に引き受ける人々と、その中で救いを見出し新たな道を歩んでいく女性を描き出す作品。

いやー、面白い作品でした。割と期待して観に行ったんですけど、期待以上に面白かったです。
物語全体として見ると、連作短編集のような感じがあります(原作である「東慶寺花だより」を読んでないので、原作がどういう構成なのかは知りません)。先ほど挙げた三人の女性に限らず、他にも何人かの女性の話が折々でメインとなって、全体の話が進行していく。もちろんそれらはぶつ切りなのではなく、東慶寺という舞台のものでうまく一つにまとまっている。
個々のエピソードもそれぞれいいのだけど、やっぱりまずこの作品は、「東慶寺」という舞台設定が素晴らしい。江戸時代の結婚事情についてぼんやり考えてみると、(女性の側に権利はなさそうだなぁ)ぐらいのことは浮かびますが、それ以上のことはもちろん知りませんでした。そういう世の中にあって、東慶寺という、女性の側に立って離婚調停を進める存在があったというのは結構な驚きでした。当然、完全男社会である世の中にあって東慶寺という存在がお上に好かれるはずもなく、そういう世情の中で東慶寺をどうにか成り立たせている、そういう雰囲気が作品から滲み出ていて良かったです。
その中でやはり要となるのは、離婚調停のご要所の女主人の存在でしょう。樹木希林演じるこの役の存在感は、作品に大きな重心を与えている感じがしました。この女主人がいるからこそ、東慶寺はどうにか成り立っている。それだけの存在感を樹木希林はうまく与えている感じがしました。
個々の女性のエピソードも良くて、それぞれ触れることも出来るのだけど、今こうして感想を書いている間に観た映画のシーンを思い返していると、どうも「なんでもないシーン」のことが蘇ってくる感じがします。ただみんなでワイワイ飯を食ってるだけのシーンとか、修行をしている女性たちの姿とか、そういう物語そのものに直接関係しないようなシーンの印象がどうも強い感じがしました。たぶん観ている僕が、「東慶寺の日常」に入り込んでいたんだろうなぁ、という感じがします。エピソードはエピソードとしてそれぞれ面白いのだけど、それ以上に、「東慶寺という異世界の日常」に惹かれたのだろうな、と。女ばかり、しかも離縁を望んでいる女ばかりがいる環境であるとか、何か目に見える報いがあるわけでもないのにしんどい役回りを引き受けている人たちとか、そういう人たちがどんな日常を過ごしているのか。いつの間にかそういう部分に目が行っていたのだろうな、と思います。
個々のエピソードで一番好きなのは、先に挙げた三人が関係しないものです。吉原が関係するエピソードで、このエピソードの結末も見事なのだけど、それには触れません。もう一つこのエピソードで好きなのは、吉原の人間が東慶寺に乗り込んでいた場面です。
このシーンは、大泉洋演じる中村信次郎の大見せ場の二つの内の一つだと僕は思っています。この場面についても詳しくは書きませんが、中村信次郎という役回りを実にうまく配置した痛快なシーンで、「生まれ変わったらあんたの弟子になる」というセリフには思わずクスっとしてしまいました。
僕が考える、中村信次郎のもう一つの大見せ場は、東慶寺の女性たちの前で公開で診療をした場面です。対処を間違えれば東慶寺の存亡も危ぶまれるかもしれないという状況下で、これまた中村信次郎というキャラクターを実に見事に活かした大立ち回りを繰り広げることになります。この場面では、中村信次郎の言葉ではないのだけど、「寺のために寺法があるのではない。苦しんでいる人間のために寺法があるのだ」というセリフにも痺れました。
この映画は、舞台が江戸ということもあって、ところどころ「何を喋ってるのかわからない場面」というのがありました。冒頭で掘切屋たちが豪勢な食事をしている場面とか、吉原の人間が殴りこんできた場面とか、言ってることがさっぱり聞き取れなかったりしました。とはいえ、それはぞれで江戸っぽい雰囲気になっていた気がするし、聞き取れなくても「大体こんなことを言ってるんだろう」と思えるような場面だったので大丈夫でした。メインとはならない場面で、そういう「江戸っぽさ」みたいなものを出そうとしていたのかな、と感じました。
あと、井上ひさし原作だからでしょう、ところどころ言葉遊びみたいなものが出てきて面白かったです。中村信次郎が「すぼらし」「すばらしい」「すてき」について語る場面なんかはまさにそうでした。また、中村信次郎が意識を取り戻した瞬間から立板に水のように展開された女将さんとのやり取りも、劇作家ならではというか、言葉の流れ方がなんか凄いなと感じました(ここも、ちゃんと聞き取れなかった部分だったりもするんですけど 笑)。「じょご」の夫である重蔵と中村信次郎が俳句(ではないと思うけど五七五の何か)で軽妙な掛け合いをするところとか、当時の庶民の知的レベルの高さが伺えたりして面白いなと思いました。
東慶寺という舞台設定、様々に盛り込まれたエピソード、そして一つ一つの場面の描写・場面としての面白さ。そういうものが非常にうまく融合されて、エンターテイメントでありながら社会性を帯び、喜劇でありながら喜劇を前面に配することで悲劇を描くような作品でした。非常に面白かったです。

「駆込み女と駆出し男」を観てきました

この本は、こんな人に読んで欲しい!!part1





自分が読んできた本の中から、これはオススメだというものを、なんとなくゆるーくジャンル分けしてみました。こんな人に読んでもらいたい、こんな作品です、というのがなんとなくわかるんじゃないかなと思います。参考になれば幸いです。

あまりにも量が多いので二つに分割しました。

こちらには以下のようなジャンルが存在します。

勇気・希望をもらえる作品
“あの頃”を懐かしみたいあなたへ
家族や親しい人たちとの関わりを描く物語
仲間たちとの信頼を描く物語
人生にちょっと疲れちゃったあなたへ
生きていく強さが欲しいあなたへ
日常の手触りを大事にしたいあなたへ
日常からちょっとはみ出した作品
日常から大きくはみ出した作品
雰囲気の良い小説を読みたいあなたへ
スリリングな展開の作品
ザ・エンタメという作品を求めているあなたへ
恋愛に憧れるあなたへ
夢を追いかけているあなたへ
謎解きの香りに惹かれるあなたへ
奇妙な話を読みたいあなたへ

もう一方のページには以下のようなジャンルがあります)
警察小説が読みたいあなたへ
壮大なスケールの物語を読みたいあなたへ
驚きの事実・斬新な物語
仕事への意欲が湧き出る作品
仕事がデキる人になりたいあなたへ
この社会で生きていくための武器・知識が欲しいあなたへ
凄すぎるヤツの人生に触れたいあなたへ
旅。冒険に憧れるあなたへ
“現実”を知りたいあなたへ
知的好奇心を満たしたいあなたへ
ちょっとだけ理系の香りを感じたいあなたへ
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注意)
1 このブログを書き始める以前に読んでいた本(つまり、ブログに感想が載っていない本)には当然、リンクは貼られていません
2 随時更新することにしましたが、めんどくさいので著者名順に並べるのはやめます
3 小説・ノンフィクション・エッセイ・コミックなどを区別せずに羅列しています
4 読み終わった後、「思ってたのと違う物語だった!」と思っても、苦情を言わないでいただけると幸いです。あくまでも、参考程度に
5 現在手に入るかどうかは考慮していません



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ガザ地区で少年がもぐ林檎には弾も未来も映りはしない

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:射)買ってきたよ射手座のキミの運勢をズバンと上げるパスタマシンを



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


ガザ地区で少年がもぐ林檎には弾も未来も映りはしない
(8/28 艶 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=150)



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:回)新人は回るらしいし社長なら「ルンバ!ルンバ!」と小躍りしそう



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


メニューには載らぬはずだと知りながら
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6199662
(上の句:黒夜行)

管理人自身が選ぶ良記事リスト





自分なりに、良い記事を書けたな、と思えるものを松竹梅で分類してみました。この分類は、自分の記事に対する自己評価なので、作品などに対する評価ではありません。
随時更新していくつもりでいます。
ちなみに、「アクセス数ランキングトップ50」という記事もありますので、こちらも良ければ御覧ください。


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アクセス数ランキングトップ50





このブログの記事を、アクセス数が多い順に並べてみました。トップ50です(2016年2月2日時点)。
アクセス数の多い記事が良い記事なのかどうか、それはよくわからないけど。
恐らくこの記事は、更新することはないと思います(めんどくさいので)。
ちなみに、「管理人自身が選ぶ良記事リスト」という記事もありますので、こちらも良ければ御覧ください。


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(「Nogizaka Journal」様に記事を掲載させていただいています)

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この本は、こんな人に読んで欲しい!!part1
この本は、こんな人に読んで欲しい!!part2

BL作品の感想をまとめました

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アクセス数ランキングトップ50

TOEICの勉強を一切せずに、7ヶ月で485点から710点に上げた勉強法

一年間の勉強で、宅建・簿記2級を含む8つの資格に合格する勉強法

国語の授業が嫌いで仕方なかった僕が考える、「本の読み方・本屋の使い方」

2014の短歌まとめ



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本をたくさん読みます。
映画もたまに見ます。
短歌をやってた時期もあります。
資格を取りまくったこともあります。
英語を勉強してます。













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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)