黒夜行

>>2014年12月

「毛皮のヴィーナス」を観に行ってきました

登場人物はたった二人しかいない映画だ。
トマノヴァチェクは、とある舞台の脚本家(本人は「脚色家」と言っている)。その舞台のためのオーディションを開催したのだけど、ロクな女が集まりゃしない。35人集まって、バカ女ばっかり。喋り方が、売女かレズにしか聞こえない。外は大嵐。トマノヴァチェクは、食事の予定があり、まさに帰るところだった。
そこにやってきたのが、ワンダ・ジェルダン。遅れてやってきた、オーディション希望者だ。パリの反対側にいて、電車では痴漢に遭って、外は土砂降り。散々な一日だった。その上、脚本家は帰ろうとしている。
ワンダは、喋り倒してトマノヴァチェクを引き留めようとする。折角来たんだから、ちょっと見てよ、と。ほら、1800年代の雰囲気に合った衣装もちゃんと持ってきたの。ね。
結局、相手役はトマノヴァチェク自身がやることにして、オーディションをすることになった。トマノヴァチェクの舞台は、マゾッホの「毛皮のヴィーナス」をモチーフにした作品だ。主人公は、ワンダとまったくの同姓同名、ワンダ・ジェルダン。
「マゾッホ」というのは、「SM」の「マゾ」の語源となった作家。そして、マゾッホの問題作が「毛皮のヴィーナス」だ。トマノヴァチェクはこれを、深い感情が描き出された世界的文学だと賞賛する。しかしワンダは、”ワンダ”を演じながら、時折「毛皮のヴィーナス」への不快感を示す。女性蔑視だ、と。
ワンダは完璧に”ワンダ”を演じ、その演技に飲み込まれるようにして、役者ではないトマノヴァチェクも、ワンダが巧みに生みだす世界観に取り込まれていく。
口にしているのは、トマノヴァチェク自身が考えた、舞台上でしか効力を発しないはずの「セリフ」だ。しかし、その「セリフ」が、現実を侵食していく。少しずつ、少しずつ…。
というような話です。
非常に興味深い作品でした。エンターテイメント作品として、観て楽しめたかと言われると、なんとも言いがたいですが、様々な点で惹きつける作品でした。
やはり、登場人物が二人しかいない、という点が非常に新鮮でした。本当に、二人しか出てきません。回想シーンがあるわけでもなく、ちょっとした通行人さえ出てきません(声は聞こえませんが、電話相手はいます)。舞台はオーディション会場に限定され、登場人物は二人。この非常に限られた制約の中で、「飽きさせない」という点ではかなり成功していると感じました。
二人は「オーディションをしている」という体裁をずっと取り続けるわけですが、しかしその体裁は少しずつ崩れていく。「あくまでもオーディションをしているだけだ」という言い訳をまといつつ、二人の関係性は、とても「オーディション」とは言えないような、ものに変質していく。たった二人しかいない作品でここまで見せる作品になっているのは、この二人の関係性の変質が非常に興味深いからだと僕は感じました。
心理学の有名な実験に、「囚人と看守」というものがあります。被験者を「囚人役」「看守役」に無作為に振り分け、それぞれの役割を一定期間演じさせると、元々の性格に関係なく、「囚人役」はおどおどとした、「看守役」は威圧的な振る舞いになっていく、という実験です。
同じことをこの映画を見ながら感じました。二人はそれぞれ、「毛皮のヴィーナス」という舞台の役柄を演じている。しかし、セリフを感情を込めて発したり、舞台上で役柄の行動をしていく中で、次第に、役柄そのものへと入り込んでいくことになる。
この点で、「一方が脚本家である(俳優ではない)」という設定も、よく利いているのだと感じます。ワンダの方は、女優をずっとやっているわけで、「役柄に囚われる」ということはないのでしょう。一方で、トマノヴァチェクの方は、脚本家であって俳優ではない。演技をしたことなど、たぶんないことでしょう。その中で、ワンダのようなゴリゴリの女優を相手に演技をする。そうすることで少しずつ、役柄になりきっていく。
もちろんそこには、別の要因も絡んでくる。これは、作中でははっきりとは明示されないが、恐らく、トマノヴァチェク自身の欲望や感情が、舞台「毛皮のヴィーナス」の中のセリフに織り込まれているのだろうと思う。元々、「毛皮のヴィーナス」の中の役柄と、トマノヴァチェク自身が、非常に近い存在だったのだろう。だからこそ、トマノヴァチェクは容易に、役柄に嵌り込んでいく。
しかし、そんなトマノヴァチェクを翻弄するかのように、ワンダは「演技の世界」から「現実の世界」へと自在にシーンを切り替える。トマノヴァチェクは決して演出家ではないが、自ら生み出した脚本を、オーディションにやってきた一女優に演出され続けるという、不可思議な状況に陥ることになる。
これは、現実と虚構の境界を曖昧にするための、ワンダ自身の策略だったのかもしれない。原作であるマゾッホの「毛皮のヴィーナス」を読んでいる観客なら違うかもしれないが、そうではない観客たちも、「このセリフは現実か?それとも虚構か?」と振り回されながら観ることになる。
この、「演劇の舞台上で、現実と虚構が入り交じる」という設定が、初野晴のとある短編を連想させた。どの作品なのかを書くと、少しネタバレになってしまうかもしれないので言わないが、演技のセリフが次第に現実に侵食していく過程から、そんな連想をした。
ワンダの目的が理解できない、という点も、この作品を不穏に感じさせるのだろうと思います。観客は当初、ワンダは、「オーディションにどうしても合格したいのだ」と考える。当然だろう。しかし次第に、ワンダは「オーディションを受ける女優」という枠からどんどんと外れていく。 時に演出家となり、時に批判者となり、時にアドバイザーとなる。彼女が一体何を目指しているのか。それがいつまで経っても「不定」であり続けることが、観客を不安定にさせる。物語がどう着地していくのか。この、たった二人だけの密室が、最終的にどうなっていくのか。その不安感に惹きつけられもする。
正直なところ、僕個人はこの映画の結末にはあまり良い印象を持っていないのだけど、恐らくこれは人それぞれの感じ方次第でしょう。
面白かったかと言われると、素直に返事はしにくいけど、非常に興味深かったと言うことは出来ます。物語の終わらせ方に個人的には不満を持ったことがこの映画をうまく評価しにくい大きな理由の一つだけど、限られた舞台の中で惹きつける部分を多く持つ映画だと思うし、原作である「毛皮のヴィーナス」をちょっと読んでみたくもなりました。

「毛皮のヴィーナス」を観に行ってきました
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「みんなのアムステルダム国立美術館」を観に行ってきました

2003年に建て替えの計画がスタートし、2008年に再オープンする予定だったアムステルダム国立美術館。しかしその再オープンは結局、2013年までズレ込んでしまう。
何故か。
アムステルダム市民の反発に遭ったからだ。
元々のアムステルダム国立美術館は、その中央に「自転車道」を持つユニークな構造を持っていた。その自転車道が、新たな計画では縮小・改変されるという。アムステルダム市民にとってこの自転車道は、街の文化の一つと捉えられている。レンブラントも素晴らしいが、しかし、この自転車道は市民の誇りなのだ、と。
「”道路を救え”委員会」が設置され、美術館側に計画の変更を要求する。市としても、住民の反対の中では計画に同調することは出来ない。美術館側はどうにか、市民に賛同を得られる計画を提示しようとするが、しかしそれは「美的感覚」から難しい。そもそも、コンペを勝ち抜いたプランは、その「自転車道」をすっきりとしたデザインにする案が評価されて採用されたのだ。当然、美術館の設計を担当する建築家は、こう考える。「コンペを勝ち抜いたデザインが市民から拒絶されたのに、俺たちは設計を続行するのに適任なのか?」
とはいえ、プランが固まるまで工事を中断するわけにもいかない。自転車道に関わるエントランスの設計をペンディングしたまま、工事は進んでいく。しかし、設計者と工事施工者の意志の疎通がうまく行かず、意に染まないやり方がまかり通っている。
やがて、この騒動に嫌気が差した館長は辞任。新館長が就任し、最終的に10年という長い時間を費やすことになった建て替え計画を推し進めていく。
という内容です。ドキュメンタリーというほどドキュメンタリーという感じの作りではないのだけど(幾分、フィクションの映画に寄せて作られている風に感じられた)、とはいえ、実際にあった出来事をモチーフにした作品だ。
僕がこの映画を見て感じたことは、「映画の隙間を埋めることが出来る素材を自分の内側に持っている人が見れば、面白く感じられるだろう」ということだ。
例えば、実際にこの騒動に何らかの形で関わった人であれば、面白く見ることが出来るだろう。当然個々の人たちは、騒動のすべてを経験しているわけではない。改めて、騒動の全体像を確認しつつ、自分が経験してきたことを当てはめながら見れば、回想録として面白く見ることができるだろう。
あるいは、騒動に直接関わりがなくても、国内で報道されることもあっただろう。とすれば、オランダ国民であれば面白く見ることはできるかもしれない。時々テレビや新聞で見かける情報を思い出しながら、なるほど裏側はこうなっていたのね、と思えるかもしれない。
あるいは、実際に美術館で働いている人が見れば、面白く感じられるかもしれない。アムステルダム国立美術館での事例は少し特殊かもしれないが、しかし「建て替えに伴う苦労」という意味では共通項はあるはずだ。自らの職歴の中で、美術館の建て替えという経験がない場合でも、「自分があの立場だったらどうするだろう」という想像に必要な知識や経験を内側に持っている。そういう人が見れば面白く感じられるだろうと思う。
他にも面白く感じられる人のパターンはあるかもしれないが、ともかく、、「映画の隙間を埋めることが出来る素材を自分の内側に持っていない人」には、ちょっと面白く感じられない映画ではないかと思う。その理由は、「焦点が絞りきれていないこと」「10年の騒動を描くのに尺が短いこと」にあるように思う。
「焦点が絞りきれていない」というのは、この映画が、「美術館vs市民」という構図で描かれていないことを指す。もちろん、その対立は一つの軸として存在するのだけど、「アムステルダム国立美術館の建て替えにかんする様々なこと」を盛り込もうとしているがために、「美術館vs市民」が対立軸の一つに収まっている。個人的には、この部分をもっと核に据えれば、「素材を持たない人」にも楽しめる映画に仕上がったのではないかと感じる。
もちろん、エンタテインメントではなくドキュメンタリーなのだという監督の意図もあるだろうし、エンタテインメントとして面白いかどうかだけが映画の評価ではないだろう。しかしこの映画には、「アムステルダム国立美術館の建て替え」に関係ないと思われる要素も描かれる。
例えばこの映画では、学芸員の一人が日本の寂れた山村に行き、アムステルダム国立美術館に所蔵されている二体の力士像が実際に鎮座していた場所を見に行く、という場面が出て来る。これは、「学芸員の美術品に対する思い入れ」を描くのにはもちろん良い描写だと感じるが、「アムステルダム国立美術館の建て替え」という物語の中にはあまり必要ではない要素ではないかと思う。学芸員の美術品に対する思い入れは、別の形でもきちんと描かれるし、それは「美術館の建て替え」と絡む形で描かれる。印象的なセリフは、こうだ。

『像は、もっと経緯を払われるべきだ。暗闇に見る人もなく、置かれているべきじゃない』

建て替え期間中、美術品たちは当然ひと目にさらされることはない。そのことを嘆く場面である。こういう場面がきちんとあるのだから、先の、日本の山村に赴く場面は不要ではないかと感じる。
全体的に構成が非常に散漫であるように感じられた。実際に、リアルタイムで進行している出来事を映像で撮っていたものを編集しているのだろうから、「こういう場面を入れたいのに素材がない」ということだって当然あるだろう。この映画のような構成になったことは、結末がどうなるか分からないドキュメンタリーにはある程度しかたないことなのかもしれない。けど、もう少しうまくやれたのではないかと思ってしまった。
「尺」については、97分という、映画にしては少し短いのも気になった。描いているのが、10年という長い期間の話なので、さすがに97分では描ききれないのではないかと思う。実は、97分の映画なのに、僕はこの映画を長く感じた。少し前に「インターステラ―」という3時間の映画を見たのだが、そちらの方が圧倒的に短かった印象がある。
恐らくこれは、「色んな要素を詰め込んで、一つ一つが中途半端になってしまったがために、全体として退屈になった」ということではないかと思う。もう少し要素を切り詰めて、かつ尺をもう少し長くとって深く描けば、長く感じることもなかったのではないかと思うのだ。
「美術館vs市民」で描かれていることは、非常に印象的で面白かった。特に、美術館側の意見が痛烈で面白かったのだけど、まずは市民側の意見を見てみよう。

『市民に親しまれている城門を、何故取り壊そうとするのですか?』
『人はシャレた入り口ではなく、絵を見に美術館へ行く』

市民はこうやって、美術館の計画に反対する。意図的にそう描かれているのかもしれないが、市民側の意見は、「日常を壊されたくない」という感覚に根ざしているように感じられる。美術館もいいが、でも、俺たちの日常を改悪してまで、美術館なんて要るか?と、まあこれはちょっと穿ち過ぎだが、そんな風に感じられる。
対して美術館側の人間の意見の痛烈なこと。

『すべての問題が自転車に矮小化されている』
『素晴らしい建物を造るという誇りはないのか』
『(市民側から)出されている案は、すべて通俗的、平凡だ』
『先入観のかたまりだ』
『民主主義の悪用だな』
『恥とは言わないまでも、これでルーブル美術館並みの美術館が造れるか?』
『サイクリストは館の周りを迂回しろよ』
『この街は民主主義のマッドハウスだ』
『アムステルダム万歳。何でもまかり通る』
『サイクリストと心中だ』

どうだろうか。美術館側の憤懣やるかたない感じが、どのことばからも滲み出ていることだろう。こんなのを本国で放映して大丈夫なのかと思わされる。
どちらの言い分が正しいか、それは観る人次第だ。美術館側の人間も、「傲慢かもしれないが」と、自らの意見の正当性を留保する言葉をつけて発言する人もいた。「真に素晴らしい芸術に対して理解ある市民であること」と、「これまで慣れ親しんだ形で日常を過ごしたい市民であること」は、少なくともアムステルダム国立美術館の建て替え計画においてはなかなか両立しなかった。どちらが悪いというわけではないだろうが、個人的にはこう感じた。同じような状況が日本で起これば、この映画で描かれたような市民が確実に出て来るだろうな、と。そして僕自身は、そういう市民にはなりたくないような、そんな気がした。もちろん、当事者になってみないと分からないことはたくさんあるのだろうけど。
個人的にはあまり面白いと感じられない映画だったけど、観る人が観ればその面白さが分かるのではないかと思います。

「みんなのアムステルダム国立美術館」を観に行ってきました

昼下がり煽ぎ見る空を震わせたゴジラの声の残響が刺す

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:煽)昼下がり煽ぎ見る空を震わせたゴジラの声の残響が刺す



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


「なぜ君は空気の民を叩くのだ」月が遣わし少年が問う
(6/28 拍手 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=89



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:ティッシュ)おもてなし掲げる宿にscottieの箱が裸で置かれているの



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


別解を認めるような恋でしか
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6195175
(上の句:黒夜行)



Ⅴ 自作の都々逸


カメレオンにも心はあるがそれはあなたにゃ見えはしない

「ガガーリン 世界を変えた108分」を観に行ってきました

1961年、ソ連は世界で初めて有人宇宙飛行を成功させた。
その時の宇宙飛行士が、言わずと知れたガガーリンである。
この映画は、宇宙飛行士がガガーリンに決まっていくまでの過程、ガガーリンをバックアップした技術者の奮闘、ガガーリンの家族の思いなどを描き出した作品だ。
先に書いておくと、この映画は、中心軸となる核を感じることが出来なかった。「その時あったこと」「あっただろうこと」の中から、重要そうなものを繋げましたという印象で、物語としての引力は弱いと感じた。もちろん、この映画がどんな意図で作られたかは、僕は知らない。記録映画やドキュメンタリー的な立ち位置で作られているとすれば、物語的な面白さを求めるのは酷かもしれない。
物語的に盛り上げるとすれば、ガガーリンとゲルマンのやりとりを主軸にした方がいいのかもしれない。
ガガーリンとゲルマンのやりとりは、映画の冒頭で描かれる。そのやりとりを見ていると、ゲルマンは「第二候補」なのだということがわかる。そういう風には描かれないが、恐らく、がガガーリンに何かあった時のスペアという立ち位置だったのだろう。
二人のやりとりは微妙だ。ゲルマンは恐らく、ガガーリンが適任であることを認めている。しかし、あと一歩のところで、「世界初」という栄誉を得られなかったことに対して憤りを感じていもする。
『何人飛ぼうが、名を残すのは一人だけだ』
ゲルマンのやるせなさは、そんなセリフからも透けて見える。
しかし、ゲルマンとのやりとりは冒頭で終わってしまう。それからは、ガガーリンが宇宙へと飛び立ち、その過程で、過去の様々の時点をフラッシュバックさせる、という構成になっていく。この部分が、決して退屈とは言わないが、盛り上がりにかけるきらいはある。盛り上げるだけが映画ではないだろうが、もう少しうまくやれたのではないかという気もする。
ガガーリンのフラッシュバックでは、ガガーリンの人柄が、様々な人間との関わりの中で描かれていく。家族、隣人、妻、仲間たち。ガガーリンは常に、冷静沈着で、感情に流されない結論を出す。仲間内の投票で、ガガーリンに票が集まったことも、当然だといえるだろう。
個人的に興味深かったのは、技術者の話である。というか、設計技師長の存在感がとても良かった。
恐らく、ロケットの設計全般を統括した人なのだろう。設計技師長は、技術者に対して、決定権を持つ上級将校に対して、そしてガガーリンに対して様々に関わっていく。

『君たちの手に、新たな時代の幕開けがかかっている』

技術者たちを、そう言って鼓舞する。設計技師長は、計画全体を成功させようと奮闘するが、同時に、絶対に誰も死なせたくないと考えている。そのための徹底ぶりが、よく表れている。

『あなたがブレていては、計画全体に支障を来す』

恐らく上級の将校なのだろう人物に対しても、そう臆せず意見する。徹底して、計画の成功のために突き進んでいく。

『空は君の失態を許さないぞ』

ガガーリンに対してそう告げる。設計技師長は、自らの夢を、ガガーリンに託している。そして、必ず生きて帰ってくることを望んでいる。
僕個人の好みで言えば、もっと設計技師長に焦点の当てて、技術者の側面から描いて欲しかった。そうなると、映画の趣旨とは大分外れるのだろうけど、僕の感じる限り、核となる映画の趣旨は見えにくい映画だったと思うから、もう少しどこかの軸に振った方が良かったと思う。
ラスト、ナレーションのような形で、「ガガーリンは帰還後、訓練中に死亡。また帰還後は、重圧に押しつぶされそうになっていた」という風に語られるのだけど、そこを描いても良かったと思う。宇宙まで行って帰還する過程、そしてその過程でフラッシュバックしたこれまでの来歴は、予想に忠実というか、そうであるべき形に収まっている感じもあって、やはり弱い。それならば、歴史に名を残す英雄が、帰還後いかにして重圧と戦ったのか。そういう、世間にあまり知られていないだろう側面を描く方が、映画としては面白くなったように感じる。
全体的に、少し不満の残る鑑賞であった。

「ガガーリン 世界を変えた108分」を観に行ってきました

ドログバはツノ持つ未知の生物と息子が妻に説明している

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:七)七癖は知れば知るほど八となり九・十・十一・十二と増える



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


ドログバはツノ持つ未知の生物と息子が妻に説明している
(6/27 つの http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=88



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:切)切っ先の触れ合う音だけiPhoneで録音したい巌流島で



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


背伸びしなくて良いぼくがしゃがむから草木はそっと耳をそばだて
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6195305
(上の句:なかやまななさん、下の句:黒夜行)



Ⅴ 自作の都々逸


クロコダイルの背中に乗って明日は一番星を見る

古池や古時計さえ見当たらぬそれでも歌はここにあります

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:故意)雨音に溶かしたような声は故意後ろ姿に届かぬように



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


古池や古時計さえ見当たらぬそれでも歌はここにあります
(6/26 古 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=87



Ⅲ その他の自作短歌


「ニューヨークへ行きたいか!」(無言) 副機長「(それは明日のフライト便です)」



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


会おうとは絶対きみは言わないねいいの 返事はわかってるから
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6195306
(上の句:みなま、下の句:黒夜行)



Ⅴ 自作の都々逸


一週間で5kg痩せたら一緒に歩いてくれますか?

慎重に桃を箱詰め同じ日に生った双子がバラけぬように

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:魅)ポンパドゥールそれがあなたの魅力だと言い聞かせてるもう五年ぐらい



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


慎重に桃を箱詰め同じ日に生った双子がバラけぬように
(6/25 双子 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=86



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:選)窓際は選べるくせにほんのりも匂わせないね結婚のこと



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


別解を認めぬような教師には
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6195157
(上の句:黒夜行)



Ⅴ 自作の都々逸


大仏・狸・オカリナ・コルク あなたが私にくれたもの

多眼思考(ちきりん)

ちきりん「多眼思考」 ブロガーとして著名なちきりん氏のツイートを集めた作品。冒頭に、「特定の人のツイートを長期間にわたって読んでいると、その人の固有の考え方や信念が浮かび上がる」と書かれていて、まさにその通りに設計されている本だと思う。140字以内という制限の中で抽出される思考

ちきりん「多眼思考」 P161に、『あたしはほとんどのことに「答え」なんて求めてない。ただただ考えることが好きなだけ。』とある。僕も考えることはとても好き(結論を出そうとしがちだけど)。ツイッターは、思考の欠片を排出するのに便利だし、ツイートするために思考するという流れも生まれる

ちきりん「多眼思考」 1ページに1ツイートという構成で、文字は非常に少ない本が、多くの人がそう語っているように(ちきりん氏のRTで目にする)、140字以内という短い文章とは思えない濃密さがある。考え続けた人は、ここまで、思考を凝縮することが出来る。

ちきりん「多眼思考」 しかし、「ふんふん」と言って頷いているわけにはいかない。本書は、あくまでも、「思考の始点」と捉えなくてはいけない。ここを起点にして、自らの思考を展開していくのだ。いずれ僕も、誰かの思考の「始点」になれるようなことを、考えてアウトプット出来るようになりたい

ちきりん「多眼思考」 『今、5分かけて話したことは、いったい何時間かけて考えたことなのか? ってのが話してておもしろい人とそうじゃない人の差だよね。』 来年は、強制的に思考力を深める訓練をする予定なのだけけど、「話してておもしろい人」側にいたいものだと思う。

ちきりん「多眼思考」 P35・P254で「自由」について書く。そこから、P43の「働く」話、P16・P31・P36の「お金」の話、P174・P277の「モノを買う」話へと繋がる。P18で「不自由さ」について書き、P256で「不自由から抜け出す方法」を書く

ちきりん「多眼思考」 P21で「諦めること」について、P180で「逃げること」について書く。特に「逃げること」については、僕自身がありとあらゆることから逃げ続けている(現在進行形)ために深く頷く。僕の場合、あらかじめ逃げることが織り込み済みなので同列にしてはいけないかもしれないが

ちきりん「多眼思考」 P148・P156・P162で「友人・交友関係」について書き、P252・P253で「孤独」について書く。繋がりすぎていると言われる現代において、こういう言葉を必要とする人は、多くいるのではないかと感じる。


ちきりん「多眼思考」

土星の輪を引退なさるそうですね余生はここで虹しませんか

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:遥)公園で子供とゴミを拾っても遥か彼方で爆弾は鳴



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


土星の輪を引退なさるそうですね余生はここで虹しませんか
(6/24 虹 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=85



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:旅)人生が一変したってテンションでツイートしてる知らない風景(うたらば採用)



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


いつの日かきっとそのうちまた今度そんな女に成り下がるもんか
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6195335
(上の句:白猫喫茶店、下の句:黒夜行)



Ⅴ 自作の都々逸


きっかけなんてそんなもんでしょ偉そうなこと言わないで

「インターステラ―」を観に行って来ました

『親は子供の未来を見守る幽霊だ』

圧倒的な絶望の中で、人間は何を考えるのか。

『この星で生まれたが、この星で死ぬことはない』

圧倒的な孤独の中で、人間は何を見るのか。

『人の気配がしたから』

深淵の闇の中で、人間はどう生きるのか。

『子供がいる。だからこそ、救うのだ』

僕たちに、その問いが突きつけられる。

とんでもない映画だった。圧倒的な「体験」だった。そう、それは「体験」だった。

『怖いのは、時間だ』

世界はここまで広いのか、と感じた。

『ここからの地球は、美しい』

人間はこれほどまでに小さく、そして大きのかと慄いた。

『選択の余地は、ない』

僕の中に、一生答えは生まれることはないだろう。この壮大な、壮大な映画から突きつけられた問いに対する答えは。

『守れない約束はするな』

この映画を見た後では、「絶望」という言葉の意味を、もっと広げなくてはならないだろう。時間的にも、空間的にも、果てしなく伸ばし続けた先に無限に広がる絶望。この絶望は、もしかしたらいずれ、僕たち自身に突きつけられるかもしれない。そんなことありえない、と断言する自信は、僕にはない。

『今地球にいる人間は、見捨てるのか?』

この映画を見た後では、「孤独」という言葉の意味を、もっと広げなくてはならないだろう。それは、終わりを想定できない孤独だ。終着点の見えない孤独だ。そんな孤独が存在することを、誰にも知られることがないような孤独だ。距離だけでも、時間だけでもない。人間が積み上げてきた、どんな歴史も感情も入り込むことが出来ないような、圧倒的な孤独だ。

『皆、人類との再会はないと覚悟して旅立った』

そして、その中で描かれる人間。この映画の中で描かれる「絶望」「孤独」に比べたら、人間という存在のなんと小さなことか。それでも、人間という存在がなければ、「絶望」も「孤独」も存在し得ないという矛盾。

『親は子供の記憶の中で生きてる。その意味が、やっと分かった』

絶望を前にした時、人間はどう変わるのか。

『悪は人間が生む?』

孤独に忍び寄られてた時、人間を支えるものは一体なんなのか。

『任務を遂行する。これは、人類のためなのだ』

答えの一つは、科学者から、科学者らしくない形で語られる。

『解けたわ。「STAY」よ!…信じないの?』

地球は、死にかけている。
砂埃が街を覆い、植物は枯れる。食糧の生産が至上命題であり、必然的に、技術は不要とされた。学校では、アポロ計画は捏造だと教えている。かつて人類は、あれほど空を見上げ、あの向こうに何があるのだろうと想像を膨らませていたというのに。今じゃ、どうやって腹を膨らませるかにしか関心がない。
クーパーは、この世界で珍しく生き残っている技術者だ。かつてはNASAのパイロットだったが、既にそんな需要はない。NASAは解体され、クーパーは農民になった。農業用機械の修理などで呼ばれることはあるが、クーパーの技術力が日常に活かされることはあまりない。しかしクーパーは積極的に、子供たちに技術を学ばせようとする。長男を大学に進学させようと詰め寄り、アポロ計画について学校で語ったために問題時扱いされる娘・マーフィーに、ラップトップのパソコンを触らせる。

『昔は、新しいモノが日々生まれた。当時の人口は60億人。人々は皆欲しいものを必死で争った』

マーフィーは、自分の部屋に幽霊が出ると父親に告げる。ポルターガイストが起こるのだ、と。父は、幼い娘の意見に耳を傾けようとしないが、科学的な見地からきちんと調べてみろとアドバイスをする。
その”幽霊”が、クーパーを宇宙に誘うことになる。

『俺の娘だ』

クーパーが知ることになったのは、驚くべき事実と計画だった。クーパーは、その重責に、そして家族、特にマーフィーとの離別に苦悩する。

『正しい行ないが、誤った動機ではいかん』

しかし彼は、娘の懇願を押し切って、宇宙へと飛び出す。
人類のために。

物語の構造は、ハリウッド映画の王道に収まるだろうと思う。地球の破滅、それを救う手段、家族との別離、度重なるピンチ、起死回生の一発。映画をそもそもあまり観ないので的確ではないかもしれないけど、そういうハリウッド的な王道の構造のなかにきっちりとハマる物語だと思う。
しかし、王道を描きつつ、その圧倒的な世界観が同時に、王道的な展開を破壊しもする。描かれる「極限」のスケールの大きさが、王道的世界観を飲み込む。
「人類のため」「家族のため」という王道の構造が吹き飛んでしまうほどの絶望と孤独。この中にあって、人間は、人間らしさを保つことは出来ない。正義は、その形を保つことが出来ない。愛は、その力を発揮することが出来ない。
クーパーたちは、そんな極限の中に放り込まれることになる。
「人類のため」「家族のため」というのは、彼らを、そして物語全体を支える背骨のようなものだ。ハリウッド的王道の物語は、どれほどの困難であろうともこの背骨が揺らぐはずがないという観客の信頼によって成り立っているのだと僕は思う。
しかしこの映画では、その背骨が揺らぐのだ。揺らがざるを得ないのだ。誰かの父親であることも、崇高な研究目的も、そもそも人類であるという自らの根本の帰属さえも捨て去って、「itself」である存在にまで自己が解体されていく。
そう、まさにそれは「特異点」なのだ。人間が、恐らく本来的に内部に抱えていた、しかし剥き出しになることがこれまでなかった特異点が、極限状況で露わになったのだ。
その、剥き出しの「人間」の描かれ方が、圧倒的だった。
この物語では、「時間の流れ」も、非常に大きな要素だ。時間の流れ方の違いが、すれ違いを生む。取り戻すことの出来ない溝を生みだす。誰かのウソが、ごまかしが、大きな亀裂に変化していく。

『相対性理論は、この際無視だ』

そして、この「時間の流れ」の違いが、物語に大いなる驚きを与えもする。まさか、それとあれとが繋がるとは思わなかったという展開が、終盤で待っている。

『彼らじゃない。俺たちだ』

終盤の展開は、観る人によっては賛否が出るかもしれない。それまでの映画の流れから道を踏み外したような、それほどの展開を見せる。好き嫌いは出るかもしれない。しかし、僕は見事だと感じた。「重力だけが、時空を越えることが出来る」という物理学の理論が、こんな形で映像化されるとは、本当に驚きだった。

『ユリイカ!』

僕たちは、まだ、平和な時代を生きている。しかし僕らにも、いつか彼らのような問いを突きつけられる日が来るだろう。その時のことは、正直、考えたくない。だからこそ僕らは、そうならないように努力しなくてはならない。

僕たちは、生きなくてはいけない。

「インターステラ―」を観に行って来ました

高校生が感動した「論語」(佐久協)

佐久協「高校生が感動した「論語」」 元慶応高校の教師であり、長年に渡って高校生に「論語」を教えてきた著者による、論語の現代語訳。他の論語本を読んだことがないので比較は出来ないのだけど、本書の訳はかなり現代っぽくアレンジされていて、読みやすさはとにかく抜群である。

佐久協「高校生が感動した「論語」」 例えばこんな訳がある。
『(略)それに引き換え、同じ弟子の子貢ときたらインサイダー取引すれすれの利殖をしているが、天罰をたまたま免れているのかどうか、しょっちゅう投機で大儲けをしているようだね。』

佐久協「高校生が感動した「論語」」 『弟子の子夏は今でも堅物だが、若い頃はウブでね、「にっこりルージュ、目もとぱっちりアイシャドー、ホワイトパウダーで総仕上げ」という詩はどういう意味でうすか?と大まじめに質問してきたことがあるんだよ(略)』

佐久協「高校生が感動した「論語」」 元の文には書かれていない要素もふんだんに盛り込まれているのだが、それは「背景」と「解釈」に大別できる。まず著者は、それを孔子が言った時、こういうことを想定していたのだろうという背景的な知識も現代語訳に一緒に混ぜてくれているので読みやすい

佐久協「高校生が感動した「論語」」 普通こういう本だと、現代語訳は厳密に訳し、注釈のような形で、「孔子は過去にこんな経験をして…」みたいな情報がプラスされるイメージがある。でも、現代語訳に一緒に紛れ込ませているので、一つの事柄を、背景まで含めたひとまとまりとして捉えやすい

佐久協「高校生が感動した「論語」」 また著者は、何度も、「通常の解釈ではこうだが、それでは○○なので、蛇足を加えて訳した」と表記している。孔子ならそんな言い方をするわけがない、孔子ならこんな調子で言ったに違いない、という著者なりの「解釈」が混ざっている。

佐久協「高校生が感動した「論語」」 他の論語本をいくつも読んでいる人なら、あるいは違和感を覚えることもあるのかもしれないけど、著者の、「孔子だったらこうだったはず」という部分まで含めた読解はたのもしい感じがするし、「従来訳ではこうだが」というその訳より意味が取りやすい気がする

佐久協「高校生が感動した「論語」」 孔子の言葉は、現代でも十分通用するものばかりで(あるいはそれは、著者の意訳によって、現代寄りになっているだけかもしれないが)、なるほどと思わされるものが多い。教育者としての孔子の在り様も非常に好感が持てる。気に入ったところを繰り返し読もうと思う

センバツと言えばかつては甲子園今じゃAKBの総選挙

Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:皇)繰り返す皇帝が咲く校庭に立ち小便をすることなかれ



Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


電話越しに久々に聞く弟の声がずいぶん父に似てきた
(6/23 兄 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=84



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:選)センバツと言えばかつては甲子園今じゃAKBの総選挙



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


ひさびさの青空、マフラー陽にかざし君の涙の跡を消す だから
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6195304
(上の句:はだしさん、下の句:黒夜行)



Ⅴ 自作の都々逸


一番でもいいじゃなくてもいい勝負から逃げたっていい

漱石とはずがたり 1巻(香日ゆら)

香日ゆら「漱石とはずがたり 1巻」 夏目漱石マニアである著者によるコミックエッセイ。「先生と僕」という、こちらも漱石の話満載のエッセイが先に出ているらしいが、そちらで収めきれなかったネタをコミックエッセイという形で描いているのが本作であるという。「先生と僕」も面白そうだ

香日ゆら「漱石とはずがたり 1巻」 僕はとにかく古典が苦手で、夏目漱石も「こころ」を読んだきり他の作品は読んだことがない。けど、本書は、夏目漱石に関わらず、文学作品を読んでいなくても十分楽しめる。何故なら本書で描かれるのは文学の話ではなく、「人間・夏目漱石」だからだ。

香日ゆら「漱石とはずがたり 1巻」 お札の肖像画になった他の人との関係、残っている写真の裏話、ヒゲの形で年代が分かる、弟子たちとの書簡集の話、蝉論争、寺田寅彦との関わりなどなど、夏目漱石がどんな人物で、どんなことをやらかしていて、それが現在どう伝わっているかなどが描かれている

香日ゆら「漱石とはずがたり 1巻」 本書を読んで、文学にこういう方向から入るのもアリなんだろうな、と感じました。恐らく本書は、今は、「夏目漱石のことが好きな人」が読んでいるんだと思いますが、本書を読んで、「夏目漱石ってよく知らなかったけど面白いじゃん」って感じるのも良いなと

香日ゆら「漱石とはずがたり 1巻」 そんなところから、じゃあ夏目漱石の作品でも読んでみようかな、なんて思えたら世界も広がるだろうし。「艦これ」ってゲームから、戦艦や戦争そのものへの知識に関心を抱く人が増えたみたいな感じで、こういう入り口があるのはいいなと思います。

香日ゆら「漱石とはずがたり 1巻」 個人的には、ここまでマニアックに一つの事柄を好きになって、深めていくことが出来るってところに憧れます。僕はもう、とにかく飽きっぽいので、すぐ色んなものに手を出して、割とすぐ止めちゃうんで、こういう狭く(狭くもないけど)深くっていうのにも憧れます

香日ゆら「漱石とはずがたり 1巻」


「紙の月」を観に行ってきた

物凄い、緊張感だった。
とてつもない、緊迫感だった。
アクションがあるわけではない。爆発が起こるわけではない。地球が滅亡するわけでもない。
それなのに、この張り詰めた雰囲気は、一体どこから生み出されるのか。

『自由って、そういうこと?』

取り除けない異物を、ずっと内側に感じ続けていた。
ずっとずっと、腹の底に、重たい石があるような感じだった。
石が、その重さでもって、僕をどんどん沈めようとしていくのが分かった。
締めつけられるのは、胸ではなく、腹だった。こんな感じ方をさせられる体験は、ここ最近記憶がない。

『行きます。行くべきところに』

冒頭で、少しずつ、主人公の置かれている状況が明らかになっていく。
ほとんどの情報が出揃った時、観客は、その後の物語の展開をほぼ予測することが出来るだろう。
この映画の中には、観ている者を裏切るような驚きの展開や、想像もつかないような状況が描かれることはない。
日常とは言いがたいが、僕たちの世界と地続きであると、力強く実感させるような舞台で、
どこにでもいるような、少し幸せで、少し不幸せな女性を描いていく。

『みじめなの?』

彼女の人生が破綻することは、明確だ。
そうならなければ物語は閉じないし、そうなる過程も、ほとんど予測がつく。
「しかし」と繋げるべきか、「だからこそ」と繋げるべきか、ずっと判断に迷っているが、
「しかし/だからこそ」、観客は、重苦しい緊迫感にさらされることになる。

『それでも、何も変わらない?』

主人公の女性がどんな心情でいるのか、それははっきりと捉えられる形で描かれる場面は少ない。
僅かな変化から、観客はそれを読み取ることになる。
しかし、主人公の心情とは別に、観客は観客で、主人公と恐らく似ているだろう感情を抱かせられる。
観ているこっちが、ヒヤヒヤする。
どうなるかわかっているからこそ、崩壊を恐れる。
もう引き返すことが出来ないことを知っているからこそ、主人公の笑顔が痛い。
観客は、映画を観ている間中ずっと、「落下直前のジェットコースター」に乗せられている気分になる。
いつしか、「早く落ちてくれ」と願っている自分に気づく。

『ニセモノだから』

物語は、淡々と進んでいく。誰も声を荒らげないし、感情の爆発は見られない。
物語的に、ここで大いに盛り上げるだろう、という場面でさえも、他の場面と同じようなテンションで描かれていく。
それは、主人公の「ニセモノの感情」にリンクしているようにも感じられる。
「私は、ずっと平常心よ」とでも言いたいかのように。

『一緒に、行きますか?』

梅澤梨花は、銀行に勤めている。
ずっと専業主婦だったが、パートから始めて4年目で契約社員になった。他の担当では口説き落とせなかった気難しいおじいさんから契約を取る。仕事は順調だ。やりがいを感じられるほどに。
子供のいない梅澤夫婦。梨花は、少しずつ、夫との「ズレ」を感じる。一つ一つは、大したものではない。しかし、それが積み重なっていく。夫に意見する自分は、内側からは出てこない。初めから存在しないとでもいうように。
そんな時梨花は、人生を一歩踏み外す決断をする。自分に好意を寄せているようにしか感じられない大学生と関係を持つのだ。
仕事は順調。顧客からも信頼されている。夫との関係は相変わらず。浮気相手との関係には、ずぶずぶとのめり込んでいってしまう。
そして梨花は、一線を越える。

物語の導入は、非常に繊細にスタートする。梨花という人物が、いかに仕事熱心で、悪意がなく、真面目に生きてきた人間であるかを描きつつ、その穏やかな日常に、少しずつヒビを入れていく。冒頭では、実に日常的な状況が細やかに描かれていく。銀行内部での人間関係、夫との関係、ちょっとした出来心、ちょっと奮発した買い物。浮気でさえも、この物語の中では「日常」に含めてしまっていいだろう。そういった細やかな「日常」から、印象的な場面をいくつも挟み込むことで、「始点」と「終点」の、その壮大な落差を埋める準備を進めていく。

この物語では、「お金」が人を変えてしまう。あっさりと、否応なしに。
しかし、この映画を、「お金は人を変えてしまう」というテーマの物語と捉えることに、僕は少しだけ抵抗がある。
何故なら、この物語で描かれる「お金」は「ニセモノ」だからだ。もっと言えば、「手触りのないお金」である。

もし梨花が手にしたのが、「両親の遺産」や「自身が作った芸術作品の対価」などの「手触りのあるお金」であれば、同じお金であっても、梨花は恐らく道を踏み外しはしなかっただろう。梨花は、自堕落な女ではない。堅実で、真面目で、どこにでもいるような、敢えて表現すれば「小市民」的存在である。目の前にあるのが「手触りのあるお金」なら、梨花は惑わされることはなかったと思う。
しかし、梨花の掌の上にあったのは、「手触りのないお金」だ。顧客から大金を受け取り、銀行内でその紙幣を数えているという意味では「手触り」は存在するのではない。そもそも、「紙幣」という形そのものに、お金の価値があるわけではない。そこに「手触り」は宿らない。梨花にとっては結果的に、掌の上にあったものは、ただの「数字」だ。数宇としての「お金」でしかない。
もちろん、「手触りのないお金」を前にしたら、すべての人間が惑わされるわけではない。ないのだが、しかしこの物語においては、「手触りのないお金」であったということは、非常に重要な要素だと思う。
この物語を、「お金は人を変えてしまう」物語と捉えると、「お金」が主役に思える。しかし、この物語において「お金」は主人公ではない。何故なら、それは「ニセモノ」だからだ。「ニセモノ」、つまり「何かの代替物」でしかないからだ。

『キレイですね。ニセモノなのに』

それは一体、なんの「代替物」なのか?
それが、冒頭で描かれる「スキマ」である。
この物語は、「スキマはお金では埋められない」という物語だ。「お金は不格好な代替物でしかない」という物語だ。
梨花には、「以前から積もり積もっていたスキマ」があった。そして、これは別の時間軸で描かれるが、梨花には「スキマはお金で埋められるはずだ」という原体験があった。そしてそのタイミングで、「数字でしかない手触りのないお金」が目の前にあった。
だからこそ梨花は、足を踏み外してしまう。
この物語の肝は、この三要素を、いかにしてリアリティ溢れる描き方をするか、という点に掛かっている。いやむしろ、可能な限りリアリティのある描き方をして欲しいと、観客の誰しもが切実に願っているという表現をしてもいいかもしれない。
何故か。
徹底的にリアリティを追求し、自分とは違う環境であることを知ることで、「自分はそうはならない」と思いたいからだ。

『受け取ったら、何か変わっちゃうよ』

しかし、観客のその期待は、良い形で裏切られることになる。映画の中で、先に挙げた三要素は、圧倒的なリアリティをもって描き出される。しかし、観客の期待をよそに、そのリアリティは、僕らの日常にも同じことが起こりうるのだということを、見事に突きつける形になる。
梨花は、まず「妻」であり、それから「女」になり、最後に「犯罪者」となる。「妻」から「犯罪者」への道のりは遠いはずだ。誰しもがそう思う。自分はそうならないはずだ。そう思いたい。しかし、物語は、観客をそんな地点に安住させない。遥かな落差があると思っていた「妻」から「犯罪者」への道筋が、思っていたよりずっと近いことを僕らは知ることになる。ちょっとしたきっかけが、僕らの背中を押すことがあるのだと、突きつけられることになる。

『お金なんて、みんな同じじゃない』

冒頭から淡々と描かれてきた様々な描写が、ここで力を持つことになる。「日常」の範囲内に収まっている要素を組み合わせるだけで、「非日常」へと引き寄せられることがあるのだと、僕たちは知ることになる。「誰しもが抱く感情」の有限な組み合わせが、無間の闇に繋がっていることを、僕らは知ることになる。
僕たちは、「青信号なら前に進むことが出来る」ということを、無意識の内に信じている。「青信号になったから渡ろう」なんて意識することはほとんどないくらいに、それは当たり前の行動になっている。
だから、「青信号」に変わっても前に進むことが出来ない自分を発見して、呆然とすることになる。そんな風に世界が崩壊するという現実に、唖然とすることになる。
だからこそ、この物語においては、冒頭の地味でなんでもないような、でも「日常」の内側に属している些細なズレの存在が、最後まで力強く響いてくるのだ。
その中でも、夫の関係の違和感の描き方が絶妙だった。

『どうして、時計にしようと思ったの?』

夫とのやり取りの描かれ方の絶妙な点は、「この映画の中で描かれる夫は世の中にたくさん存在しそうだ」と感じられること、そして「夫のやり取りに何故妻が違和感を抱くのか、本当に理解出来ない男も一定数存在しそうだ」と感じさせるところにある。
それぐらい、夫婦の間の違和感は、さりげなく、些細な形で描かれるのだ。
それは、『えっ、(送別会)楽しかったの?』 『おめでとうは?』という言葉に現れ、また妻の服装の変化に気づかない(気付いていても言わないだけという可能性もあるが)に現れる。一つ一つは、本当になんでもない、誰かに愚痴って相談するようなものではない、些細なことだ。しかし、表に現れるこれらの些細な描写から明らかなのは、梨花と夫はあまりにも価値観が違いすぎるということだ。梨花がおかしいわけでも、夫がおかしいわけでもたぶんない。どちらにしても、それぞれを受け入れてくれる異性は存在するだろう。ただ、二人の価値観は合わない、というだけだ。そして、梨花にとっては困ったことに、梨花だけがそれに気付いている。
梨花が「犯罪者」となり、その在り方がいつ崩壊するか、という形でハラハラさせられたのと似たような感じ方を、この夫婦に対して感じた。恐らく、梨花が「犯罪者」とならなくても、この夫婦の関係はいずれ破綻していただろう。そう僕には思わされる。先ほどと同じように、その内包された崩壊の予兆に、ハラハラさせられるのである。

梨花は明らかに「犯罪者」であり、言い訳が受け入れられるような状況にはない。しかしだからと言って、僕らは、梨花の有り様を責めることが出来るかと聞かれたら、それはNOと答えるしかないだろう。梨花とまったく同じ道を行くことはないかもしれない。しかし、誰の人生にも、梨花が落ちたような奈落は口を開いて待っている。運が悪かった、という表現では、梨花の主体性を無視する形になって適切ではないが、しかし、たまたま落ちてしまったと言ってもいいくらい、梨花と同じことは僕らの人生にも起こりうるのだ。その恐ろしさが、物語全体から、圧倒的な質量をもって飛び出してきていた。それが観客の腹の底に溜まり、僕たちは、重苦しい何かを抱えたまま、自分の分身であるかもしれない梨花の人生を「見させられる」ことになる。
その恐ろしさは、圧倒的だった。

「紙の月」を観に行ってきた。

「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける(石黒圭)

石黒圭「「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける」 タイトルの通り、「読む」という行為を「速読」「精読」「味読」の三つに分け、それぞれの「読む」に対して、認識上どのような捉え方をしているか、どうすればそれぞれの目的に沿った「読み」が出来るかを、実例を豊富に掲載しつつ説明する


石黒圭「「読む」技術」 僕はこれまで、とにかく大量の本を読んできたけど、子供の頃にそこまできちんと本を読んでいなかったのもあって、「読解力」に自信がない。ちょっとレベルが高い本になるとすぐ読めなくなってしまうし、未だに古典を読むのが苦手である。


石黒圭「「読む」技術」 僕が「読解力の足りない人間」と思われないのは、読後書いているブログの文章の存在によるのだけど、僕の認識では、「書く力」で「読む力」を誤魔化している。「読み取れた部分」だけをうまいこと膨らませて、「読めているように見せかけている」のだ


石黒圭「「読む」技術」 少しでも読解力、特に「精読」の力を身につけたいと思って読んだ。実際には、実践してみないとなんとも言えないが、「読む」という行為において無意識の内にしていることを説明してもらったことで、少しだけ、自分が苦手とする文章とどう立ち向かえばいいか分かったきもする


石黒圭「「読む」技術」 日本は識字率の高い国なので、「読む行為」「書く行為」に技術が必要だという認識が薄いかもしれない。誰でも、一定レベルまでは「読むこと」も「書くこと」もできるからだ。それでも、「書く」方はまだ、技術や能力が必要だと思われているかもしれない。


石黒圭「「読む」技術」 「読む技術」を知ることは、「自分がどう読むか」だけではなく、「相手がどう読むか」を知ることでもあり、これは「書く行為」にも関係してくる。実際本書でも、優れた文章は、意識的・無意識的にせよ、読者との相互のやり取りが巧く成り立つよう構成されていると指摘する

石黒圭「「読む」技術」 書かれていることが非常に具体的なので、意識さえすればすぐに実行可能な内容である、というのが良いなと思った。もちろん、本書を読むだけで読解力が上がるわけではなく、訓練が必要だが、必要な方向性を示してくれているという点で有益ではないかと感じる



Ⅰ 「題詠blog2014」(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2014)の100のお題から
  (結局エントリーはせず)


(お題:射)くちづけから射精に至るラストまで答えなき時進む道程


Ⅱ 「うたの日」(http://utanohi.exout.net/index.html)に投稿した作品


金持ちという名の荷物運ぶため倉庫を”ファーストクラス”って呼ぶ
(6/22 荷物 http://nono.php.xdomain.jp/page.php?id=83



Ⅲ その他の自作短歌


(お題:ティッシュ)約0.04mmのティッシュさえ重ね続ければ富士山超える



Ⅳ 「連歌の花道」(http://renga57577.bbs.fc2.com/)に投稿した作品


どんぶりに音符が浮かんだ玉子丼
http://renga57577.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6195171
(上の句:黒夜行)



Ⅴ 自作の都々逸


公務員にはなれないけど天使の羽根にはすぐなれる

池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇(池上彰)

「池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇」 東京工業大学でリベラルアーツを教える教授になった池上彰が、同センターに所属する様々な分野の研究者と共に、「教養を学ぶとは?」「教養を学ぶことは何故重要か?」「教養を学ぶことは何にとって大事か?」などを語っていく

「池上彰の教養のススメ」 これは非常に面白い。大学生は絶対読んだほうがいいし、これから大学に入るという高校生も読んだほうがいい。大学に入らないという高校生も読んだ方がいいし、現実的な問題解決に追われているサラリーマンも、現実逃避したいフリーターも、みんな読んだ方がいい。

「池上彰の教養のススメ」 本書には随所に、「教養とは何なのか?」「学ぶとどうなるのか?」「教養が、現実の社会にどう影響を与えるのか?」などについて、様々な人が自分なりの回答を示してる。それらがいちいち納得させられるものばかりで、「やっぱりこれからは教養やな!」と思わせるのに十分だ

「池上彰の教養のススメ」 もちろん僕は、「自分には教養が足りないし、これからは教養が必要とされるはずだ」という意識を持ち始めているから本書を読んだのだけど、その気持ちをより一層前倒しさせてくれるのに十分な一冊でした。とにかく、「生物学」「歴史」「宗教」「哲学」辺りを攻めたいものだな

「池上彰の教養のススメ」 本書では、「教養が現実の世界でどう役だっているか」という、実践的な話も出て来る。桑子氏の「哲学で社会的合意形成を行なう」という話は、どうして哲学の教授に旧建設省からお声が掛かったのかという話から、原発問題の深さまで、非常に興味深い話だった。

「池上彰の教養のススメ」 上田氏の「宗教」のパートでは、僕が大学時代に漠然と感じていた不安をなんだかうまく説明してくれている感じがあった。大学を辞めたり、就活をしなかった理由の根本には、ここに書かれている事柄が関係していたように、今振り返るとそんな気がする

「池上彰の教養のススメ」 本川氏の「生物学」の話も興味深い。そもそも「言葉」には二種類あり、文系は文系の、理系は理系の言葉だけしか使えないから相互理解がままならない。教養を学ぶということは、どちらの言葉も使いこなせるようになる、という目的があるのだという話。

「池上彰の教養のススメ」 池上彰が進行役となって、各教授の話を聞くのだが、さすがに上手い。どんな話題が出ても、すかさず聴衆(公開の場での対談がベース)に向けてその話題の概要や要点、さらにプラスの情報を付け加える。博識なだけではなく、「どんな要素が足りないか」が瞬時に分かるのだろう

「池上彰の教養のススメ」 最後に、アメリカの大学のリベラルアーツの教育の実態をリポートする部分があるのだけど、これは驚異的だった。MITやハーバードが、どんな理屈で「最先端」ではなく「リベラルアーツ」を学生に叩き込んでいるのかを知れた。非常に合理的だし、確かになと思わされる。

「池上彰の教養のススメ」 『私たちが学生に教えるべきは、知識そのものではなく、学び続ける姿勢です』というMITの教授の回答は、まさに至言である。アメリカの大学生は、大学時代に驚異的に学び、さらに大学を卒業してからも学び続ける。そりゃあ、アメリカに色んな場面で負けるわ、と思いました


池上彰「池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇」


「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」を観てきました

『詩のことは、あまり信用していないんです』

谷川俊太郎は、そう語る。

『いつも、嘘をついているような感覚があるのです』

谷川俊太郎は、そう語る。

『震災の後、色んな詩がYoutubeなんかで流れましたでしょう。それはとてもありがたいことです。詩は解釈の幅が広いです。そうやって、誰かの心に届く詩もきっとあるでしょう。
でも、「被災者のために」と言われれると、それは違うと思ってしまうんです』

谷川俊太郎は、そう語る。

『詩は、そんな大層なものじゃないです』

谷川俊太郎は、そう語る。

『詩は、何かを救うわけではないんです。ただ、視点を変えますよね。本当に、微小な力ですけれど』

谷川俊太郎は、そう語る。


失われた空白を、
言葉は埋めうるか。


詩集を手にしたこともないという監督は、谷川俊太郎に、「言葉についての詩」というテーマを託す。しかしそれは、決して、映画の「始点」ではない。

この映画は、「谷川俊太郎」についての映画ではない。この映画の中で、谷川俊太郎は「言葉」だ。「言葉」として、彼は登場する。

この映画で描かれているのは、「失った人々」だ。「失われた後の空白」だ。「失われそうな存在」だ。

「言葉が失われた場所」を切り取っていく。

「言葉が下りてくる瞬間を撮影できないか」 監督は当初そう考えていた。
しかし、谷川に、「外側を写していても変化はない」と断られる。
そこで監督は、「谷川俊太郎自身」ではなく、「谷川俊太郎の言葉が入り込む隙間」を撮ることに決める。


どこにでも詩は存在しうるし、
どこからでも詩は湧きうる。


その「どこ」を切り取っていく。


『ウチ、お風呂残ってたんだけど、なくなっちゃんだよね』

福島県相馬市の女子高生は、笑いながらそう語る。

『一人の方が、よかったよ』

青森でイタコを続けるおばあちゃんは、諦めたようにそう語る。

『眠れない夜は、この通りを歩いてくんだ。人間がいっぱいいるから。寂しくないから』

大阪の釜ヶ崎に暮らす日雇労働者は、楽しそうにそう語る。

『土が生きてるって感覚ですよね。モノだと思っている感覚はないんです』

東京で有機農業を続ける親子は、凛々しくそう語る。

『大当たりやったとですよ。母ちゃんに当たってから、宝くじにも当たらないけど、母ちゃんだけは大当たりやったとです』

長崎県の諫早湾で漁師を続ける夫婦は、嬉しそうにそう語る。


不思議な印象の映画だ。
素材を放り出したまま並べているような不安定ささえ感じさせる。


『詩はあなたの中にもある
けれど見つけるのは難しい
なぜならその詩はまだ生まれていないのだから』


「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」を観てきました

日本人の英語(マーク・ピーターセン)

マーク・ピーターセン「日本人の英語」 言わずと知れた超名著であるが、さすが名著なだけはある。非常に面白かった。英語力があるわけではないので、本文中に出てくる英文はあまりよまず、注目すべき箇所と日本語訳だけ見る感じで読み進めたが、それでも十分面白かった。英語の奥深さの一旦を知れた

マーク・ピーターセン「日本人の英語」 日本人は英語が苦手だと言われることがあるが、言語体験がまるで違い、語順や発音などで苦労するという面も当然あろう。しかしそれ以上に、「日本語」という言語そのものには内包されていない「論理」に馴染めないのではないかと思う。

マーク・ピーターセン「日本人の英語」 冒頭で冠詞の話が出てくるが、これが一番衝撃的だった。日本人は大抵、「名詞」が先にあり、その「名詞」に「a」を付けるか「the」を付けるかという発想になる。しかし英語の理屈では、先に「a」や「the」のカテゴリーが決まり、それから名詞が選択される

マーク・ピーターセン「日本人の英語」 冠詞の話で言えば、もう一点興味深かったことがある。例えば、ある名詞に「a」が付いている時、その名詞は、「aが付いている」という属性を当然持つが、同時に、「theが付いていない」という属性も持つ。日本語にもありそうだけど、パッとは思いつかないなぁ

マーク・ピーターセン「日本人の英語」 他にも、「何故これはこう訂正されるべきなのか」「この英文だとどんな印象が伝わるのか」ということを、驚異的な日本語力で以って語る。著者は本書を、日本語で思考しながら日本語で書いているという。驚異的である。

マーク・ピーターセン「日本人の英語」 凄いのは、「上野動物園のパンダ」の話。「the pandas of Ueno Zoo」「Ueno Zoo’s pandas」「Ueno Zoo pandas」の三つのニュアンスの違いを、日本語で説明しているのだ。「明治大学」は何故「Meiji University」ではダメかも面白い

マーク・ピーターセン「日本人の英語」 英語のネイティブは恐らく、本書で著者が見せたような説明を、英語ですることも難しいのではないか。ネイティブは、慣れているから迷わないだけで、「どうしてそうなのか」を他者に説明できるレベルで理解しているわけではないだろう


マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編(ゆうきゆう+ソウ)

ゆうきゆう+ソウ「マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編」 いくつものシリーズが出ている、心理学的なテーマをネタにおちゃらけた感じで展開するコミックシリーズ。僕はこのシリーズ初めて読んだけど、面白いなあ、これ。アドラー心理学に興味があって買ったけど、シリーズ全体に興味が湧いた

ゆうきゆう+ソウ「マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編」 扱っているテーマはちゃんとしたお固いものなんだけど、それをいかにしておちゃらけて、噛み砕いて、読みやすく提示するかに主眼を置いてて、するする読ませてくれる。真面目な部分は真面目に書いてるけど、おちゃらけ部分も結構な量

ゆうきゆう+ソウ「マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編」 アドラー心理学は、漠然と知ってたけど、ちゃんと本を読んだのはこれが初めて。『原因なんか関係ない』『トラウマなんてない』『劣等感は良いことだ』『すべての問題は人間関係にある』『誰に嫌われてもいい』など、主張が非常に面白い

ゆうきゆう+ソウ「マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編」 当然全てではないけど、アドラーが言ってることのいくつかは、僕自身自力でたどり着いたような感じもある。『良いことをして結果的に嫌われるならそれは仕方ない』ってのはいつもそう思うし、『他人の課題を背負いすぎるな』もそうだな

ゆうきゆう+ソウ「マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編」 『どんな人間であれ、人間とは誰もが目的に向かって進む強い存在だ』というのは、なるほどという感じ。「◯◯できない…」というのは、理由はどうあれ、「◯◯したくない」という目的に向かって進んでいるんだ!とアドラーさんは言う

ゆうきゆう+ソウ「マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編」 やっぱりアドラー心理学は面白そうだから、いずれ何かの本できちんと体系的に学んでみよう。本書は、「アドラー心理学に関心を持ってみる」という意味で、入門書的に非常にとっつきやすい面白い本だなと思いました


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プロフィール

通りすがり

Author:通りすがり
災害エバノ(災害時に役立ちそうな情報をまとめたサイト)

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著者名で記事を分けています

あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行~わ行

乃木坂46関係の記事をまとめました
(「Nogizaka Journal」様に記事を掲載させていただいています)

本の感想以外の文章の索引(映画の感想もここにあります)

この本は、こんな人に読んで欲しい!!part1
この本は、こんな人に読んで欲しい!!part2

BL作品の感想をまとめました

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2014の短歌まとめ



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本をたくさん読みます。
映画もたまに見ます。
短歌をやってた時期もあります。
資格を取りまくったこともあります。
英語を勉強してます。













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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)