黒夜行

>>2014年01月

その峰の彼方(笹本稜平)

内容に入ろうと思います。
津田悟は、日本の山岳界の狭さに嫌気が差し、日本を飛び出してアラスカへ向かった。
日本では無名だが、欧米では世界的クライマーと認められている津田悟は、ヒマヤラへの遠征という自らの目的を実現すべく、その当時既に衰退していた大学山岳部に所属した。大学の名前を借りて、OBを動かそうという腹だ。
その目論見は成功し、津田は世界の山に挑戦するチャンスを掴んだが、しかし同時にそれは、日本の山岳界という狭くて堅苦しい世界の洗礼を受けるということでもあった。
心を許せる山岳仲間である吉沢を含むチームで参加したあるミッションで、悟は批難を浴び、それをきっかけとして彼はアラスカへと向かった。
アラスカには、北米最高峰のマッキンリーがそびえ立つ。
植村直己や山田昇という世界的クライマーが命を断ったのもマッキンリーだ。標高こそヒマヤラには及ばないが、様々な地形的条件がクライマーを阻む、ある意味でヒマヤラ以上の山だ。悟はそんなマッキンリーに魅せられ、アラスカ在住の日本人女性・祥子と結婚、アメリカに帰化し、山岳ガイドとしても随一の評判を誇る、まさに順風満帆と言える人生を送っていた。
悟遭難の一報を受けた吉沢は、悟と共にマッキンリーの冬季登攀に挑んだ際の悟の言葉を思い出した。

『取り憑かれるんだよ。地獄の底まで付き合いたい気分になっちまう』
『一人で登ると、いつも帰るのにものすごい意志の力が必要になる。なんて言うのかな。要するに帰りたくなくなるんだよ』
『帰ってくることに意味なんかあるのか』
『そうじゃない。おれは生きているふりをしているのが嫌なだけなんだ』

正直吉沢にはその時、悟の言っていることが理解できなかった。それほどまでにマッキンリーという山に魅せられているのだ、というのを強調して表現しただけなのだ、という風に解釈したが、もしかして違ったのかもしれない。
悟。お前は知っていたはずだ。山岳ガイドとしての評判は随一で、アラスカを本拠地とするインディアンとの繋がりは非常に深い。インディアンの長老には目を掛けてもらっている。祥子さんは念願だった子供を授かった。それに、俺は知らなかったが、お前はとんでもない野心を抱えていたそうじゃないか。
それなのに、悟、お前はどうして、冬季単独登攀なんていう、世界の誰も成し遂げていない無謀な挑戦に駆り立てられてしまったんだ?

というような話です。
相変わらず笹本稜平の山岳小説は凄まじい。「天空への回廊」も素晴らしかったが、本書もまた違った意味でとてつもない山岳小説だと思う。
最大の違いは何か。それは、ストーリーの主軸にある。
天空への回廊」は、「山を舞台にした国際謀略小説」と言えると思います。単純化して言えば、あくまでも山は、「人が近づくことが恐ろしく困難な舞台装置」として登場し、物語の主軸はストーリーそのものにある、と言っていいでしょう。こちらの作品はそのストーリーの凄まじさに圧倒される作品と言えるでしょう。
本書はまるで違います。
本書のストーリーの主軸は、「遭難した津田悟を様々な人間が支援して救助する」というものです。もちろん、枝葉は様々に用意されている。けれども、ストーリーは、その「救助」という単純な一点だけに集約されていると思います。
これは凄いと僕は感じました。色々と小説を読んできて感じることは、「物語を展開させるのは難しい」ということだ。だから、ストーリーに様々な要素を付け加えて、読者を惹きつけようとする。それが悪いという話をしたいんじゃない。普通そうでなければ、なかなか読む者を引っ張り続けることは難しい、ということだ。
しかし本書は、「救助」という主軸を決して見失うことなく、最後の最後まで物語の核はそれ一本で通した。そこに凄まじさを感じる。もちろん、人を救うという要素は、物語になる。しかしそれだけで500ページ近い長編を保たせるのは相当に至難の業ではないだろうか。
そして本書では、山がただの舞台装置としてではなく、あたかも一人の登場人物であるかのように扱われている。人間なんかのレベルではその真意を探ることなどまるで出来ないような高次の存在として、山というものが描かれているように僕には感じられる。
様々な人間が様々な形で関わることになるマッキンリーという山の懐は、あたかも「神様の掌」みたいだと思う。その中に入ることを許された人間は、しかし慈悲深い神によってほんの僅かの間滞在を許されただけ。神様がほんの少し掌を返しただけで、その上に載っている人間はひとたまりもない。しかもその掌の上にいる限り、神様が何をどう考えているのか、知りようもない。
マッキンリーと関わりが深ければ深いほど、山にある種の人格を見る。山を一個の人格として扱い、自分たちがその懐をちょっとかき回しているだけのちっぽけな存在であるということを意識している。マッキンリーは天候の変化が急激で、冬ならなおさらだ。一旦吹雪けば、一週間も二週間もその場から動けないことさえある。悟はある場面で、こんな韜晦を抱く。

『クライマーの思い上がった行動に、マッキンリーが要求する対価は死でしかない。自分もけっきょく実力において並みのクライマーに過ぎなかったのだ。そもそも冬のマッキンリーのような困難な山では、実力の優劣などなんの意味もない。そこで生死を分かつのは偶然以外のなにものでもない。
もしそれがアルピニズムの本質だとしたら、人に威張れる行為でも賞賛される行為でもない。それならあらゆるギャンブルが崇高な行為と見なされるべきだろう』

世界屈指のクライマーがそう述懐してしまうほどの驚異を、マッキンリーはクライマーに与える。その存在感は圧倒的だ。ストーリー上の主人公は津田悟だが、本書の真の主役はマッキンリーだと言って言い過ぎではないだろう。

『あの山はおれの原点だ。山に登るということの本当の意味を教えてくれたのがマッキンリーだった。ヒマヤラにも南米にも、もっと高い山はいくらでもあるけど、登っていて魂が共振するような感覚を与えてくれたのはマッキンリーだけだった。こんなことを言うのは縁起が悪いけど、自分がいちばん安らかに死ねる場所があるとしたら、ここしかないとそのとき感じたんだ』

また、マッキンリーという山は、一個の人格であると同時に、「言葉を引き出す場」としても機能している。
本書に登場するありとあらゆる人物が、平時では恐らく口にしないだろう様々な発言をする。普段から自身の内側にあったかもしれないが、わざわざ口に出すほどでもないこと。アメリカ人であればもしかしたらそういうことは常々口から出てくるものなのかもしれないけど、少なくとも日本人はそうではないだろう。
そんな言葉が、本書ではありとあらゆる場面で引き出される。それはもちろん、「悟の遭難」という一大事が引き起こしたことだ。賞賛・不安・韜晦など、様々な感情が口からこぼれ落ちるが、それらはすべて、悟が遭難しなければ出てこなかった言葉だろうと思う。
しかし究極的にはそれは、マッキンリーという山が引き出した言葉なのだと僕は感じた。もっと言えば、悟が全身全霊を掛けて愛したマッキンリーが、だ。遭難したのが悟でなければ、ここまでの言葉は出てこなかっただろう。しかし同時に、悟がこれほどまでにマッキンリーに入れ込んでいなければ、やはりそれらの言葉は表に出てこなかっただろう。

『サトルはなんでも知っている。自分がなにをなすべきかをね。たとえ本人が気づいていなくても、人の行動にはすべて奥深い意味があるんだよ。いまこの時期にデナリへ向かったことにも、きっと我々には計り知れない意味がある。だから私はサトルを信じている。それは私にとって、神を信じることと同じ意味なんだよ』

『我々のヒーローを無事に下山させることは、おれたちにとっても誇るべき義務だ』

『彼は私たちに幸福をもたらそうと尽力してくれた。もしそれが夢に終わったとしても、我々はなにも失うわけじゃない。夢を与えてくれた彼に感謝こそすれ、恨む道理はなにもない』

『これじゃ軍人としてというよりは人間として、大きな借金をすることになりかねません』

『いまサトルは深い深い夢のなかをさまよっているのかもしれないけど、決して不幸だとは感じていないと思うの。じゃあ幸せかといえば単純にそうとも答えられないけど、彼があの山で生き抜いた時間そのものが、彼が求めたものであり、その答えでもあるような気がするわ。彼には言いたいことがいっぱいあるけど、もしそこに一点の悔いも感じていないとしたら、私は許すことができると思うの』

『私がしてやれることがなにもないなら、せめて信じてあげたいんです。彼はどんな運命にも負けない強い人だと』

『彼は希望を背負って生きるのが似合う人間だよ』

悟は結果的に、これほどの賛辞に包まれることになる。日本ではまったく評価されず、今もってまったく知られていない悟が、追い出されるようにして日本を出、新天地と定めたアラスカで、アラスカ人の誇りとして皆から信望を集める。なんとなく、誰かのことをあまりにも持ち上げすぎる風潮には嫌だなぁという感覚を持ってしまうことが多い僕だけど、本書の場合、悟が置かれた絶望的な環境と、残された面々の不安を払拭したいという気持ちが見事に相まり、悟への無上の手放しの賛辞がまったく嫌にならない。誰しもが悟について語り、その度に悟の新たな一面が垣間見え、それがさらに悟への賛辞に大きな意味を持たせる。日本での悟とはまる違った一面を、悟がそこまで慕われているとはそれまで知らずにいた吉沢目線で描くことで、吉沢の中での悟との対比が強調されるという構造もとても良いと思う。
だからこそ、だからこそ吉沢は、悟の決断を理解することが出来ない。何故悟は、吉沢が羨んでしまうほどの環境にありながら、そのすべてを放棄するかもしれない、多くの人にとって無謀と映る挑戦に、身を投じてしまったのか。
そしてそれは、吉沢にとっても、悟にとっても、「生きる」ということを考えさせる、クライマーとしての自分の存在を改めて問い直すものだった。

『自分にとって山とはなんなのかと顧みる。少なくともそれは苦行の場ではなかった。努力してなにかを勝ちとるというよりも、そこで戯れることそのものが山に向かう唯一の目的だった。
(中略)もしそれが努力目標だとしたら、果たして誰が挑んだだろうか。誰が成し遂げただろうか。
それは目的ではなく結果であって、当人にとっては全身全霊で山と戯れた副産物に過ぎないのではないか。逆説的な言い方をすれば、それは愉しめない限り耐えることもできないよな過酷で危険な行為だとも言えるだろう』

『得することはなにもない。たとえマッキンリーのいちばん厄介なバリエーションルートを厳冬期に単独で登ったとしても、世間はそんなことには注目してくれません。それがどんなに困難なことか、理解できるのは世界中でもほんの一握りの変人たちだけです。
やり遂げたからって世の中がよくなるわけじゃないし、誰かが幸せになるわけでもない。でも人間というのは、本当はそういうことのために生きているんだって気がしませんか』

マッキンリーに限らないだろうが、少なくとも悟にとっては、自分が愛したマッキンリーを登ることには、「ただ山に登る」こと以上の意味があった。それを悟自身も、うまく掴みきれない。そしてそれは、親友である吉沢にも、理解できるものではなかった。
本書で、悟の考え方について、実に印象的なエピソードが語られる。詳細には触れないけど、「雪崩が起きたのはおれたちのせいじゃない」という一言に、悟のクライマーとしてのあり方が集約されているだろう。この、かなり冒頭で出てくるエピソードだけを読めば、読者は悟のことを、冷たい非人道的な人間だと捉えるかもしれない。しかしそこから読み進めていくに連れて、次第に、悟という人間の懐の深さ、本質をつかみ出す判断力を知ることになるだろう。

『自分の記録のために山に登ることも、他人のために努力を惜しまないことも、サトルのなかではたぶんなんの区別もないんだよ。一見エゴイスティックな登攀活動と、兵器で事故を犠牲にするような行動のあいだを自由自在に行き来する。そういうところは、だれも真似できない、サトルならではの個性じゃないのか』

この作品は、読む人間にも「生きること」を強く問いかける。いや、そういう言い方は正確ではないかもしれない。悟は、マッキンリーと関わることで、「生きるとは何か?」という切実な問いを、自らの内に見出し、それを手放すことなく育て続けた。そして、その問いの答えを見出すために、行動した。この作品は読む者に、悟が見つけ出したような「切実な問い」を、あなたも内に抱えているか?と問うのだ。それがどんな問いでも構わない。自分にとって切実であれば、生きることでなくてもまったく構わない。その問いを見出し、手放すことなく育て、その答えを見出すために行動しているか?津田悟という強靭な男の生き様は、その背中で僕らにそう訴えかける。背中で語る男は、遭難してもなお、多くの人に語り続ける。その場にいないはずの悟は、しかし様々な人の内側に色んな断片として収まっていて、少しずつそれがつなぎ合わされることで、その場にいないはずの悟の姿がそこに現れ、その背中が周囲の人々に語りかける。それだけの存在感を、悟本人を登場させないまま描き出す著者の力量は、見事という他ない。
たった一人の人間を救助するだけという、普通に物語れば単調にしかならないだろうモチーフで500ページ近い長編を紡ぎ上げた点は素晴らしいし、その物語の主軸たる幹に連なる枝葉がまた読ませる。「生きること」という深遠な問いを発しながらも哲学的な問答に終始するわけでもなく、様々な人間が自らの内に抱える「悟の断片」が、悟本人を多面的に描き出していく。どう着地するのかまったく読めない救助の過程と、救助後の様々な人たちの決断が、物語をさらに深いものにしていると思います。素晴らしい作品でした。是非読んでみてください。

笹本稜平「その峰の彼方」



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風の向こうへ駆け抜けろ(古内一絵)

最近「居場所」について考えてしまう。
生きるために僕たちは、色んな「場」を行き来している。職場だったり学校だったり家族だったり趣味だったりという、様々な「場」を移動しながら、毎日過ごしている。
でもその全部が「居場所」になれるわけじゃない。
どこにいても、そこを「居場所」に変えてしまえる稀有な人もいるだろうし、そこにいてもそこを「居場所」だと感じられない不幸な人もいるだろう。そこには、どんな差があるんだろうなんてことを、最近考えてしまう。
「ここに自分がいると知ってほしい」という気持ちが、「居場所」を求める背景にあるのだと思う。「能力を認められたい」とか「凄いと思われたい」という気持ちは、「競争という場」を生み出して、なかなか「居場所」にはなりにくいだろう。「私はここにいる」という、そのシンプルな認識だけを求める。ただそれだけでいられる。そういう「場」が、「居場所」になるのだろうと思う。
「居場所」を見つけられない人は、「私はここにいる」以上のことを相手に求めてしまうのかもしれない。「もっと褒められたい」「もっと好きになってもらいたい」「もっと関心を向けてもらいたい」。そういう気持ちが強ければ強いほど、自分が今いる「場」を、「居場所」と感じることは難しくなっていくのかもしれない。
「私はここにいる」と知ってもらうというのは、「あなたもそこにいる」ということをまず自分が認めることなんだろうなとも思う。自分以外の他者の存在を、「そこにいる」ということ以上に求めない。もちろん、今書いたことはあまりにも理想的すぎるだろうけど。
馬は「経済動物」と呼ばれているそうだ。勝って賞金を稼ぐための存在。そのために馬はいる。競馬の世界では、そういうものなのかもしれない。勝つための道具。どれだけの犠牲を強いても、勝てればそれでよし。馬も騎手も厩務員も、お互いに「勝つ」という期待を押し付けあう関係。彼らにとってその場は、あくまでも「仕事場」であって「居場所」である必要はないのだろう。厳しい競争の世界で生き残ってくためには、それもまた仕方ないことなのかもしれない。
芦原瑞穂は、馬と共に育った。父親は北海道の生産牧場で、生まれたばかりの仔馬を人に馴れさせる馴致という仕事をしていた。馬と共に育った少女は、元々母親がいなく、ある日突然父親が亡くなってから、叔父と共に馬と関わらない生活を続けていたが、そこは瑞穂にとっては「居場所」ではなかった。やがて彼女は、女性でも騎手になれることを知り、叔父の反対を押し切り、男でも音を上げるような厳しい訓練を経て、晴れて騎手として独り立ちすることになった。
当初は、実習でお世話になった関東の厩舎に行く予定だった瑞穂は、その配属の一ヶ月前に、広島の鈴田競馬場から声が掛かった。どんなところなのか分からなかったが、わざわざ瑞穂を指名して呼んでくれたのだ、期待して向かってみると…
緑川厩舎は、とんでもないところだった。
アル中のゲンさん、耳が遠くなっているカニ爺、恐ろしく美少年だが一言も喋ろうとしない誠、そしてこの厩舎では唯一まともな厩務員だと主張するトクさん。厩舎全体をまとめる調教師である緑川光司は、まったく何もやる気がなさそうだ。中央とは違い、地方競馬の厳しさはセンターに入所して以来散々聞かされてきたことだったが、まさかこんなところに来ることになるとは思わなかった。
「藻屑の漂流先」
後々瑞穂は、緑川厩舎がそう呼ばれていることを知る。人も馬も、藻屑のようなものばっかりがたどり着くんだそうだ。
悔しい。
瑞穂は、女だからとナメられている現状にも、鈴田競馬場を牛耳っている男の存在にも、勝てない馬ばかり揃っていることにも、そして何よりも、自分の心が折れそうになっていることにも、全部全部嫌だった。こんなはずじゃなかった。
それでも、瑞穂は諦めなかった。

『あの頃は、実力さえあればすべてがうまくいくと本気で思いこんでいたし、事実、途中まではそうだった』

光司もまた、将来を嘱望された騎手だった。しかし、「実力」だけでは乗り越えられない現実の壁に打ちひしがれ、結局父の跡を継いで、「鈴田と共に沈むために」緑川厩舎を存続させ続けている。
瑞穂には、同じ思いを味わってほしくはない。しかし、絶望的な環境でも努力し続ける姿は、昔の自分を思い起こさせる。

『期待なんて、今更、持つものじゃない。
期待さえしなければ、これ以上絶望しなくてすむ』
そんな光司もまた、瑞穂の熱量に押し出されるようにして変わろうとしていた…。
というような話です。
古内一絵、ホントいい作品を書きますね。デビュー作からすべて読んでいますけど、弱く儚く希望に満ちていない環境や人物に光を当てながら、人間が少しずつ強くなっていく過程を丁寧に描いていく、そんな印象のある作家です。
この「強くなる」というのは、「尖っていく」というのとはちょっと違う。むしろ登場人物たちは、弱い時ほど尖っているような印象がある。それは、防衛本能に近いかもしれなくて、鎧を着ているようなもので、防御しなくちゃいけないぐらい弱い。でも、彼らは次第に強くなって、尖っていた部分が丸くなっていって、鎧を脱ぎ捨てて、ありのままの自分のまま世界と対峙出来る。彼らがその強さを身につけていく過程を実に丁寧に掬い取っていく作家で、とても巧いと思う。
緑川厩舎には、心に様々なものを抱えた人間たちが集っている。ベテランの厩務員たちにも、それぞれ様々な背景があるが、厩務員の中で一番焦点が当てられるのが、美少年である誠だ。
彼が何を背負っているのか。それは是非本書を読んで欲しいのだけど、誠のあり方は、「居場所」という言葉を強く思わせる。
彼こそ、「居場所」を持つことが出来ない人間だった。どこにも自分の身の置き場がなくて、それで彼は大切なものを失ってしまう。
しかし彼は、馬の世話をすることで、少しずつ少しずつ、失ったものを取り戻そうとしていく。誠は、馬と会話が出来るのかもしれない、と思わせるほど、馬の扱いに長けている。誠が、人生で初めて見つけることが出来た居場所だ。誠にとって、馬を叩いて走らせる騎手は、ある意味で敵だ。
また、ベテラン厩務員の中にも、女に何が出来る、という考えを持っている者はいる。瑞穂はあるジョッキーから、「女のジョッキーに本気で期待する客なんていない」と吐き捨てるように言われるが、競馬会全体を見渡してもごく少数しかいない女騎手は、ただ女だというだけで謂れのない誤解や嫉妬を受ける。
そもそも瑞穂が突き進んでいるのは、そういう世界だ。瑞穂も、それについては理解しているつもりだった。しかし、思っていた以上に瑞穂にとっては辛い環境だった。それは、鈴田という地方競馬場が抱える問題、過去の出来事に絶望している光司、一人の馬主の横暴など、様々な要因が重なっている。
瑞穂には、「居場所」がない。
「勝つ」という志を同じくする同志さえ、当初は見つけられないでいる。いくら地方競馬場が疲弊していようと、「勝つ」という目標さえ共有できないとは。瑞穂は次第に、何故自分がこの競馬場に呼ばれたのかを理解するようになり、一人の騎手として認めてもらえない状況に押しつぶされそうになる。
緑川厩舎には、良い要素はほとんどないように思える。中央のような整った設備もない、勝てそうな馬もいない、騎手は経験の浅い「女」騎手だけ。そんな中、瑞穂の熱に根負けするような形で、緑川厩舎は大きく変わっていく。
その再生の過程は、まさに奇跡と言っていいだろう。

『いいか、木崎。俺たちは勝たなきゃいけないんだ。本当の競馬っていうのはな、人と馬が、一緒に生きることだ。人のためにも、馬のためにも、勝たなきゃダメだ。そのために、お前の力を生かすんだ』

かつて光司は、「人と馬が一緒に生きる」競馬を体現していたことがある。普通馬を操りたければ、鞭をウチ、ハミを動かして馬に「命令」しなくてはいけない。しかし、そうじゃない戦い方もある。人と馬が一体となって、「命令」しなくとも意志の疎通が出来るようになる戦い方が。
瑞穂はセンターでは、教科書通りの優等生的な騎乗が得意だった。しかし、そうも言っていられない馬と出会ってしまう。瑞穂もまた、その馬と出会うことで、自分の殻を無理やりにでも破らなくてはいけなかった。勝つために。すべては、馬と共に勝つために。
ストーリーは、未来が拓けているはずの主人公が、絶望的な環境に放り込まれるも、そこで絶望に屈せず、自分たちが持っている力をフルに使い果たして一発逆転を狙うという、王道的な作品です。しかしそれを、なかなか小説の題材になることが少ない競馬、しかもその「ギャンブル」の部分ではなく「競争」の部分を絶妙に切り取って描き出していくというのは見事だと思います。僕は、競馬をしに競馬場に行ったことは一度もありませんが(競馬じゃない目的のために一度行ったことがある)、それでも本書は楽しめました。一点難しいなと思った点は、実際に馬が走るシーンが一瞬で終わってしまうということ。実際のレースも一瞬で終わってしまうものでしょうが、馬や騎手や厩務員たちの様々な努力を知った上でのレースなので、僕としてはそのレースが一瞬で終わってしまうことがちょっと残念だなという気にはなりました。どんな風に描けばそうなるのかはわかりませんが、レースのシーンがもっと濃密で、それまでの緑川厩舎の面々の苦労が報われたな!と実感できるような描写だったらもっと良かっただろうな、という感じはしました。まあでも、それはなかなか難しいのでしょうけども。
馬という、言葉を介してコミュニケーションを取ることが出来ない存在に対峙して、人間はどう振る舞うことが出来るのか。そこに激しく、人間性が出る。鞭を使って無理やり走らせるのも一つの方法。そして、信頼を媒介にお互いを一つにしていくのも一つの方法。それぞれが、どこにも「居場所」を見い出せないでいた「落ちこぼれた」面々が、「勝利」と共に、自信を身につけ、葛藤を乗り越えていく。人生は、負けっぱなしなままではないかもしれない。そんな思いを抱かせてくれる作品だと思います。是非読んでみてください。

古内一絵「風の向こうへ駆け抜けろ」


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2014の短歌まとめ



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)