黒夜行

>>2012年06月

ラバーソウル(井上夢人)

内容に入ろうと思います。
ぼくは、人を不愉快にする恐ろしい顔をしている。それはぼくの人生を大きく規定する、とんでもない要素だった。
ぼくの顔を見た人間は、皆凍り付く。こんな顔の人間などいるはずがないと、自分が今見たものを否定しようとさえする。両親でさえ、ぼくのぼくと距離をおいている。彼らも、僕を生んだことを後悔しているだろう。
人と会うことは、地獄の苦しみだった。学校など、地獄より酷い場所だった。人の悪意にさらされ続けて生きていた。何度も死のうとしたけれど、うまくいかなかった。
金山がいなければ、ぼくは社会生活を送ることはできなかっただろう。
両親が大金持ちであるために、ぼくは働きもせず、親の金を使い放題で生きることができる。金山は、元々は鈴木家の使用人で、もう長いことずっと僕の世話をしてくれる男だ。ぼくが唯一きちんと話をすることが出来る相手だ。基本的に家に引きこもって、ほぼ唯一の趣味である音楽を聴いて過ごしている。ビートルズに関しては詳しいなんてレベルではない。対外的なことはすべて金山に任せ、誰とも関わりを持たないまま生きてきた。
そんなぼくを変えたのが、一冊の雑誌だ。「ミュージック・ボックス」という音楽専門誌に読者投稿を続けたところ採用されることが多くなり、ついには〈すざきまこと〉名義で評論を依頼されるようになったのだ。
それまで社会との接点が一切なかったぼくは、これに狂喜した。自分が書いた文章を人に読んでもらえる、そしてその反応が返ってくる。今までのぼくには考えられなかったことだ。ビートルズの増刊を作る際には必ず寄稿し、〈すずきまこと〉の評判は少しずつ上がっていく。
しかしある時、恐れていた事態がやってくる。編集部に是非遊びに来てほしいと言われ、約束させられてしまったのだ。
思えばこれが、すべての始まりだったのかもしれない。勇気を振り絞っていった編集部では、ぼくの顔に恐怖を感じつつも歓待してくれ、また編集者の猪俣がコレクションを見たいからと自宅までやってきた。
そして、運命の連絡が猪俣からやってくる。撮影用にコルベットを貸して欲しいと言われたのだ。
その撮影現場でぼくは、モデルの美縞絵里と出会った。衝撃的な出来事があった後、なんとぼくは美縞絵里を自宅まで送ることになったのだ。
それが、すべての始まりでした。
というような話です。
なるほど、これはなかなか面白い作品でした。井上夢人は、なかなか仕掛けの多いミステリを出す作家だけど、この作品もやっぱり仕掛けに満ち溢れていました。さのせいもあって、書けないことが多いんだけど、まあ頑張ってみよう。
本作は、美縞絵里の生活を監視し続ける鈴木誠の人となりを、様々な人の語りによって浮き上がらせる作品です。鈴木誠と関わる人物、そして美縞絵里と関わる人物に様々に話を聞くことで、異形の顔を持って生まれ、これまで迫害され続けながら生きてきた鈴木誠という男の深さが描かれていく。
鈴木誠の行動原理は、なかなか凄い。
帯に、「空前の純愛小説」という言葉がある。本書を読んだ人は、鈴木誠の〈愛〉をどう捉えるだろう。もちろん、「空前の純愛小説」という捉え方は一つ正しい。でもきっと、そんな風に捉えない人もいるだろう。それを、〈愛〉なんて言葉で括っていいのか、と感じる人もきっといるだろう。
けれど結局、僕らには、鈴木誠の住む世界は、永遠に想像ができないだろう。
異形の顔を持って生まれたという事実は、鈴木誠の人生を大きく左右する。しないはずがない。ブサイク
、というだけではないのだ。見たものをに恐怖を与える顔なのだ。生まれてから36年間、人と関わることで絶望し続けてきた人生。そんなものを、僕らは軽々しく想像することはできない。
鈴木誠にとって、これは〈愛〉だった。それが、すべてにして唯一の答えなのだろうと思う。両親にさえ愛情を注がれず、金山というたった1人の理解者しかいない世界に住み続けてきた鈴木誠に、〈愛〉がごく普通の意味合いで作用しなければならない理由はない。人生で初めて知ることが出来た〈愛〉に、僕は鈴木誠の強さと深さを感じた。
この作品は基本的に、語りによって成り立っている。だから当然、語られない部分が出てくる。その、語られなかった部分が凄く気になる作品でもある。もちろん、嘘を語る人物も出てくる。作中では語られなかった部分をいかに想像で補うか。それもまた本作の読み方の面白い部分かもしれない。
本作を読んでとある作品を連想した。どちらも、愛のために犯罪を厭わない男が描かれる。自分だったらそこまで出来るだろうか、というような凄みがあって面白い。
僕は全然詳しくないんだけど、本書は章題がすべてビートルズの曲らしい。本のタイトルは、アルバムのタイトルなんだっけな。作中でも、ビートルズに詳しい鈴木誠による、ちょっとした遊び心やネタなんかが盛り込まれていて、恐らく僕が全然気づいてないようなところにも、ビートルズネタが隠されていたりするんでしょう。ビートルズファンなら、クスリとしてしまう場面が多い作品なのかもしれません。
なかなか書けることが少ない作品で魅力を伝えにくいんだけど、緻密に練り上げられたミステリだと思います。鈴木誠という、異形の顔を背負って生まれた男が初めて経験する〈愛〉を、是非体感してください。

井上夢人「ラバーソウル」



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釜ヶ崎のススメ(原口剛+稲田七海+白波瀬達也+平川隆啓編著)

内容に入ろうと思います。
本書は、釜ヶ崎に関わる研究者が編著となり、様々な人に釜ヶ崎に関する原稿を執筆してもらい一冊にまとめた作品です。内容はかなり多岐に渡り、釜ヶ崎の歴史や地図から釜ヶ崎を読むと言った研究的なものから、釜ヶ崎で実際に日雇い労働を体験した若者からのアドバイス、釜ヶ崎の子供たちを見る施設の人や釜ヶ崎で活動する神父によるコラムなど、硬軟取り揃えて様々な文章が並びます。冒頭で、どこから読んでもらっても構わない、と書かれているように、確かに冒頭から一貫するようなテーマ性とか連続性みたいなものは、特別ありません。唯一のテーマは「釜ヶ崎に関すること」というだけであって、後は何でもOKという感じの作品です。
内容については後で色々書きますけど、これは面白い作品でした。釜ヶ崎というものにどんなイメージを持っているのか、それは人それぞれでしょうけど、なんだか怖いところだとか、3年弱も逃亡を続けた市橋容疑者がいたところだっけ?とか、そういうマイナスのイメージが結構あるんじゃないかと思います。
本書は、そういうマイナスのイメージを結構払拭してくれる作品です。なるほど、釜ヶ崎ってこんな歴史背景を持っていて、今こんな街になっているんだ!という、新鮮な驚きがありました。釜ヶ崎が舞台の一部になってる、森絵都「この女」や西村賢太の「苦役列車」などの小説を読んで、漠然としたイメージはあったんですけど、それが覆される感じがして、すごく面白いなと思いました。
本書を読んでとにかく感じたことは、釜ヶ崎という土地は時代の最先端を行っている、ということです。そんなバカな、と思うでしょうか。でも、本当にそうなのです。一体何で最先端なのかというと、非正規雇用における労働問題と、生活保護をベースにした民間による福祉です。この二つだけでも、釜ヶ崎って凄い街だなという感じがします。
まず非正規雇用における労働問題の方から書きましょう。
釜ヶ崎では、いわゆる「日雇い」と呼ばれる仕事が斡旋されます。これは、その日の仕事分の給料をその日に手渡されるもの(現金)と、一定期間の仕事の契約を交わし給料はその期間終了後に渡されるもの(契約)とに分かれています。
こういう<現金>や<契約>という雇用形態は、いわゆるドヤ街と呼ばれるところ以外では一般的ではないにせよ、基本的に彼らは非正規雇用です。そして今日本は、「釜ヶ崎が全国化した」と呼ばれるほど、非正規雇用の問題が表面化しています。
釜ヶ崎では、もう何十年も前から非正規雇用者たちによる労働環境の改善が闘われており、その成果としていくつかのセーフティネットが釜ヶ崎独自の仕組みとして成立しました(現在ではなくなっているものもある)。
例えば、あいりん職安にいけば、労働者たちは白手帳(日雇雇用保険手帳)をもらうことが出来る。これはどういう仕組みかというと、仕事に行く毎に現場で業者の印紙を貼ってもらう。そして、二ヶ月で26日分の印紙が貯まったら、翌日には失業手当(アブレ手当)と呼ばれる、最高7500円のお金を、一定期間受取ることが出来る、という仕組みだ。
また、白手帳を持つ労働者には、<モチ代・ソーメン代>と呼ばれる、夏・冬におけるボーナスのようなお金を受け取ることも出来たという。
また釜ヶ崎には、NPOや教会による炊き出しが頻繁に行われる他、冬の寒さの厳しい時期を乗り切るための支援である「越冬闘争」も毎年行われている。
このように釜ヶ崎という土地は、非正規雇用で不安定な労働者たち、不況でまったく仕事がなくなってしまった労働者たちに、最低ラインの生活をどうにかまかなうためのセーフティネットが様々に用意されている街なのだ。
これはなかなか凄いことだと思う。非正規雇用というのはもちろん昔からあっただろうし、そこに問題ははびこっていただろうけど、フリーターが急増し(僕もそうだけど)非正規雇用の問題がこれほどまでに顕在化し始めた現在、ようやく非正規雇用の問題は『問題』として認知された、という感じがする。しかし釜ヶ崎では、国がそれを問題だと認知するはるか以前から、釜ヶ崎の労働者で団結し、非正規雇用者たちの労働環境改善を目指して闘いを続け、それによっていくつもの成果を勝ち取ってきた。その結果釜ヶ崎には、他の地区にはなかなか存在し得ないだろう、様々なセーフティネットが存在することになった。これはまさに、時代を先取りしているといえるのではないかと思う。
そしてもう一つの最先端は生活保護をベースとした民間による福祉です。
現在釜ヶ崎は、非正規雇用者の街というかつての面影をほとんど振り落とし、新しい街へと生まれ変わろうとしています。
その一つが、「サポーティブハウス」と呼ばれる、かつての簡易宿泊所を転換させた新しい形態の住居による、生活保護受給者の住む街、という変貌です。
リーマンショックに端を発する不況により、仕事が激減した釜ヶ崎は、仕事がないために若者の流入が止まり、仕事はないけど他に行き場もない高齢者の割合がどんどんと増えていきます。かつての簡易宿泊所も空き部屋が目立つようになり、経営者も立ちゆかなくなってきている。
そんな折、生活保護をベースに、簡易宿泊所を転用することで新しい福祉の形を実現できるのではないかと、まちづくりのグループと簡易宿泊所経営者が手を組んだ。彼らは、簡易宿泊所を共同住宅に登記変更し、ホームレスとオーナーが賃貸契約を結ぶ。それにより、住所を持たない人間には支給されない生活保護を、居宅保護を押し出すことで受給可能にし、ホームレスに支給される生活保護の一部で「サポーティブハウス」を運営していこう。そういう転換が進んだといいます。
釜ヶ崎では、悪徳な福祉ビジネス(生活保護受給者を食い物にするビジネス)もはびこっている一方で、志の高いかつての簡易宿泊所経営者による、金銭的には決して儲かるわけではないこの「サポーティブハウス」への転換も盛んに行われているそう。本来であれば行政が行うべき福祉を、既存のルールの中で民間業者がやってしまう、そしてそれを成り立たせてしまうというところが、釜ヶ崎という土地の一つの凄さではないか、という感じがしました。まったく同じことをそのまま移植することは出来ないかもしれないけど、この「サポーティブハウス」という考え方は、これからの福祉を考える上で、一つ重要な発想になっていくのではないかという感じがしました。
また釜ヶ崎は今、外国人バックパッカーの街としても生まれ変わろうとしているようです。釜ヶ崎は、旅行者にとって見ればなかなかアクセスのいい土地にあり、しかも他の都市の激安宿と比べても安い。現在では、平均で1日に200人ほどの外国人バックパッカーが釜ヶ崎に宿泊しているようで、繁忙期だとその三倍にもなるそう。
しかし、外国人バックパッカーを釜ヶ崎に呼ぶ試みも、苦労の連続だった。その最大の問題は、釜ヶ崎という土地が持つ負のイメージだ。それをいかに払拭しつつ、この街の良さをアピールすることが出来るか。それには、本書で一章文章を寄せている大学教授のゼミ生達が大きな貢献をしたとのこと。現在では、日本人の旅行者やサラリーマンなども釜ヶ崎を訪れるようになったということです。
このように、様々な変貌を遂げている釜ヶ崎。しかし、その『釜ヶ崎』という地名は、現在は実在しない。「カマ」とか「ニシナリ」とか、あるいは新聞やテレビでは「あいりん」と呼称されるこの地域。この地名に関わるゴタゴタも非常に面白い。そこに住む人が、自らが住む土地をなんと呼ぶかによって、様々な立場が存在するのだ。
また、釜ヶ崎の歴史も興味深い。元々は、長町と呼ばれる、釜ヶ崎から少し離れた土地に木賃宿(宿代ではなく、炊事をする際の電気代などを支払う、というところが語源らしい)が密集していたのだけど、様々な理由により(本書ではある項で、通説とされているある説に反論している)長町にあった木賃宿が鳶田(現在の飛田)や釜ヶ崎に移り、それが発展してった、という。大阪万博を始め、釜ヶ崎の労働力が貢献したものは数多い。僕達の豊かな生活の一部は、間違いなく彼ら釜ヶ崎の(あるいは全国の釜ヶ崎のような土地の)人たちのお陰だと言っていいだろう。僕達はそのことをなかなか意識することが出来ないけど、ダムもトンネルも、彼らがいなければ生み出されていなかったかもしれない。
他にも、実際に釜ヶ崎で日雇い労働を経験した若者による様々なアドバイス(前借りは目一杯した方がいい。何故かわかりますか?)とか、釜ヶ崎におけるキリスト教の二つの立場の違い(「運動型」と「布教型」)の説明など、面白い話が満載です。僕は大阪という土地に詳しくないからそこまで興味が持てなかったけど、様々な時代の地図を並べてあれこれ解説している章もあった。これは、大阪に住んでいる人ならなかなか面白いんじゃないかなと思う。
様々な立場の人が様々な視点から釜ヶ崎を描くことで、テレビの報道で瞬間的に映し出される、イメージとしての「釜ヶ崎」ではない、もっと血の通った温かみのある「釜ヶ崎」を連想することが出来た。現時点で「釜ヶ崎」という土地に特別な興味がなくても、楽しめる作品だと思う。今あなたが「釜ヶ崎」に対して何らかの悪いイメージを持っているのだとすれば、余計楽しめるかもしれない。冒頭でも書いたけど、二つの意味で釜ヶ崎は最先端を走っている土地だと思いました。釜ヶ崎での有り様が、日本全国にモデルとなる、そんな時代も来るかもしれません。是非読んでみてください。

原口剛+稲田七海+白波瀬達也+平川隆啓編著「釜ヶ崎のススメ」



ナガサキノート 若手記者が聞く被爆者の物語(朝日新聞長崎総局)

内容に入ろうと思います。
本書は、朝日新聞長崎県内版で2008年8月10日から2009年5月14日までに連載された31人計270回に加筆修正した、原爆の被害者たちの経験語りを収録した作品です。取材・執筆は、20~30代の、大半が「親も戦後生まれ」という若手記者たち。31人、それぞれの立場・経験から語られる長崎の原爆。原爆の本を読むといつも思うことなのだけど、これほどとんでもない状況の中で、よく生きている人がいたな、ということ。爆心地にもの凄く近いところにいた人でも、たまたま運良く生き残った、という人もいる。運命だとかって言葉は好きじゃないから使わないけど、生きていることが特別だという感覚を強く共有することになるような、とんでもない出来事だったのだろうと思う。
本書で描かれる31人は、かなり様々な立場の人だ。大半は、今も長崎県に住む、ごくごく普通の人だ。自身の体験を修学旅行生などに語り部として語る人もいれば、自身の体験を未だ消化することができず、出来ればあの時のことは話したくないということもいる。爆心地の近くにいた人もいれば、爆心地から遠かったけど原爆投下後に市内に入り被曝した人もいる。医学生として救助に走り回った人もいれば、機関車の運転手として怪我人を輸送した人もいる。
また、もっと特異な立場の人もいる。在日韓国人だった被爆者、サンパウロ在住の被爆者、日本の捕虜となったオランダ兵の被爆者などだ。
様々な立場から、それぞれの経験を語る。戦争そのものを知らない、被爆者に会ったこともないような僕には、どうしても「被爆者」という大きな括りの中で捉えたくなってしまう。でも、それは違う。一人一人違った経験をし、一人一人違ったことを考えている。そういうものの総合として、「被爆者」という大きなまとまりが存在するのだ。どうしても、原爆というものが身近ではない生活をしていると、そのことを忘れがちになってしまうから、時々こういう本を読むと背筋がしゃんとする。
なんというか、『伝えていかなければいけない』とか『忘れてはならない』みたいな表現を耳にすると、凄く複雑な気持ちになる。それは、自分の中に生まれる相反する思いをうまく消化できないからだ。
なんとなく、『~なければいけない』『~はならない』という表現にモヤモヤする自分がいる。そうじゃないだろう、と。そんな、義務感とか強制力によって伝わるべきものではないはずだ、と思ってしまう。それは、水が流れていくように、自然に世代を超えて伝わっていくべきものであるはずなのに、と思ってしまう。
しかし、そう思う一方で、じゃあお前はどうなんだ、という問いを自分に突きつけてしまう。お前だって、普段は原爆のことなんか意識してないじゃないか。時々本を読んで、知った気になってるだけじゃないか。広島にも長崎にも言ったことがなければ、被爆者に直接話を聞いたこともないくせに。それに、僕は反論できない。確かに、その通りだ。
既に、被爆者の方々は高齢だ。いずれ、そう遠くない将来に、原爆による直接の被害者というのはいなくなってしまうのだろう。それは、避けられないし、仕方ない。
僕には、なんだかもどかしく思える。彼らの経験・感情を、例えば写真に撮るようにして、正確に何かに焼き付けることが出来ればいいのに、と思ってしまう。彼らが語る言葉も、それは物凄い力を持っている。でも、やっぱり言葉は言葉であって、経験にはどうしても敵わない。僕が死ぬまでに恐らく、日本中から原爆の直接の被害者がいなくなる、そんな時代が来るのだろう。それは、なんだか、凄く恐ろしいことのような気がする。
福島第一原発の事故によって、主に福島県の人たちが重い被害を被っているだろうと思う。しかし、それがどれほどの影響を与えたのか、まだ分からない。時間が経たなければ分からない。これから、広島・長崎の被爆者たちの後は、福島の人たちが語るのだろうか。でも、それもなんだかおかしい。広島・長崎の経験を、全然活かしきれていない。なんだか、違うような気がしてしまう。
言葉や文字だけでは、経験には敵わないかもしれない。でも、何もないよりはずっといい。読んでも、彼らが経験したことのほんの僅かなことしかわからないだろうけど、それでも、何もないよりはずっといい。
いくつか印象に残った話を書いてみようと思います。
本書を通じて、繰り返し出てくることが、「被爆者に水を飲ませたら死ぬぞ」と言われた、という話だ。これは、本当に多くの人が同じことを言っている。初めは、何でそんなわけのわからんデマが流れたんだろう、と思っていた。
でも、読んでいくうちに、そうかこういうことなんだろうな、ということがわかった。
原爆投下直後、あと少しで死んでしまう命がたくさんあった。彼らは一様に水を求める。誰かが親切で水を与えると、その後死んでしまう。
恐らく、そういうことが何度か繰り返されたのだろう。水を飲ませたことと死んでしまうことは、関係がない。あと少しの命しかない人に、水を飲ませてあげた、ということでしかない。でも、当時原爆や原爆症に関する知識はまったくなかった。水を飲ませた被爆者が次々に死んでいくのを見て、「水を飲ませたら死ぬぞ」と多くの人が思ってしまったことは、無理がないのかもしれない。
被爆者たちの、差別との闘いも辛い。お裾分けしたレンコンが捨てられたり、興信所での仕事を通じて縁談が何度も破談になる女性の存在を知ったりする。孫の結婚式に出ようか迷っている時に、孫の旦那になる人が言った言葉が素敵だ。差別をする人ばっかりじゃない。目に見えないし、色んなことが分からないから怖い、という漠然とした恐怖を乗り越えていかないといけないのだろうなと思った。
本書で語っている人は、実際に語り部として自身の経験を学生などに話している人が結構多い。そんな人の中に、外国人への語りがなかなか通じないことに苛立ち、英語を猛特訓して、自身の経験を英語で直接外国人に語る、そんなことをしている人もいる。彼らの「伝えていかなければならない」という思いの強さには、頭が下がる思いがする。
在日韓国人だったりブラジル在住だったり返還前の沖縄在住だったりすることで、原爆医療法の恩恵を長い間受けられなかった人たちというのもいる。日本に住んでいても、被曝した状況を信じてもらえなかったり、当時長崎にいたことを証明できるモノや人の存在が必要だったりと、様々な苦労をした人がいる。読んでいて、難しい問題だなと思う。何もかも受け入れては国としても厳しいだろうけど、被爆者に何かを証明させるという仕組みもまた難しいものがある。福島では、この時の経験を活かすことが出来るだろうか。
ちょっと前に、「ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」」という本を読んだ。これは、広島の原爆ドームのように後世に原爆のことを伝えるために残すべきだった、浦上天主堂というキリスト教の教会が、戦後人知れず解体されていたという事実に関するノンフィクションで、原爆というものの別の側面を炙り出すとても興味深い作品だったんだけど、その作品の中に出てきた浦上天主堂や永井隆博士の話などがチラホラでてきた。浦上天主堂の写真が残っていたり、永井隆の著書にちょっとだけ登場した少年の話など、「ナガサキ~」の方では分からなかった話がいくつか出てきて、ちょっと興味深かった。
日本の捕虜となったオランダ兵の主張は、本書の中では異質だと思う。立場も国政も、色んな違いはある。このオランダ兵の主張は、読者に、特に同じ被爆者たちに、どんな感情を引き起こすのか。
本書の中に、マット・テイラー監督「GATE」というドキュメンタリーの話が出てくる。これは、ちょっと見てみたい。福岡県星野村で燃やし続けられている原爆の火を、核実験場だった米国トリニティ・サイトまで運ぶため、2500キロを行脚するナガサキの僧侶たちを追ったものだそうだ。
被爆者たちは、未来永劫語れるわけではない。生身の人間として、目の前の人に直接語りかけることができるのは、生きている間だけだ。僕達よりも、もっともっと下の世代にまで、原爆の経験は伝わって欲しい。こういう作品は、少しずつでもいいから、誰かの手に届いて欲しい。

朝日新聞長崎総局「ナガサキノート 若手記者が聞く被爆者の物語」



夏休みの拡大図(小島達矢)

内容に入ろうと思います。
百合香は、小学校時代からの友人であるちとせの部屋に来ている。今日まさに引っ越しをするちとせの部屋の片付けを手伝いに来たのだ。
しかし、ちとせの部屋は、ゴミ屋敷のようだ。怪獣が暴れまわったみたいな惨劇。この部屋の持ち主が、まさか今日引っ越しするとは思えないような、とんでもない状態になっている。東京ウィズリーランドが大好きで、キャラクターグッズなんかもあるのに、残念な感じ。
ちとせには昔から、ちょっとした才能があった。百合香には全然分からないような状況を、話を聞いただけで解き明かしてしまうのだ。百合香とちとせは、片付け中には必ずある脱線を繰り返しながら、かつてちとせが解き明かした謎を思い返していたり、掃除中に新たに持ち上がった謎を考えたりしながら、全然進まない片付けを頑張っている。中学時代に親友三人で遊びに行ったビーチで何故百合香は小さな男の子に胸を触られたのか。合唱コンクールの指揮者だった男の子は何故本番直前観客に向かって涙を見せていたのか。アメリカのオーディションから帰ってきた親友と空港で喧嘩になったのは何故なのか。
途中から、木嶋がやってきた。「奇人変人木嶋くん」と呼ばれていたトラブルメーカーで、木嶋が来ることを知らされた百合香は、ちょっと警戒した。昔のままだとしたら、ちょっと面倒臭い。でもちとせは、木嶋のことを悪いやつだと思っていないようだ。ホントに?
百合香には、大学ももう卒業というこの時期になってまだ、未だに胸の内側でしこりのように残っていることがあった。
高校時代の卒業式でのことだ。
当時百合香は、同じクラスの柳井くんという男の子が好きだった。ほとんど接点はなかったけど、僅かなチャンスも勇気が出ずに逃し続けてきた百合香にとって、卒業式だけが最後のチャンスだった。
でも、第2ボタンをもらおうと柳井くんのところへ行こうとしたら、そこにはちとせがいて、柳井くんと喋っていた。
百合香は、告白することも出来ないまま、撃沈した。
あの時ちとせは、柳井くんから第2ボタンをもらっていたのだろうか?だとすれば、小学校の頃の教科書さえもとっておいているちとせのこと、この乱雑な部屋のどこかから、その証拠を見つけ出せるんじゃないだろうか…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。巧く話を作るなぁ、という感じですね。読みながら思ったんだけど、これ舞台でやったら凄く面白いと思う。一応基本的には一幕もの(舞台が変わらないもの)で、ベースは三人で部屋の片付けをしている感じでいい。そしてところどころで、過去の回想シーンの一部だけ演じる、みたいな感じにしたら、なんか面白く舞台化出来そうな気がするんだよなぁ。過去の回想シーンはふんだんにあるとはいえ、基本的に引越しのための片づけだけで最初から最後まで話が繋がっていくんで、舞台に向いている感じがしました。
この作品で扱われる大小様々な謎は、一つ一つは正直そこまで大したものではない。さっき挙げたような謎の他にも、東京ウィズリーランドでのとあるアトラクションでの謎、木嶋が授業中に水をぶっかけた話、木嶋が何故ちとせの家が経営する中華料理屋で食い逃げをしたのか、というような謎が出てくる。どれもこれも、一つ一つを見れば、大したものではない。普段ミステリとか読んでても、謎がさっぱり解けない僕にも、あぁなるほどこれはこういうことか、と分かるような話も若干あったりして、そういう意味で、個別の謎自体が凄く魅力という作品ではないんですね。
じゃあ何がいいのかというと、その一つ一つの謎が、最終的に全部ひとつながりになっていく、という点なんですね。作中で提示されるほぼすべての謎が、なんらかの形で緩やかに繋がっていく。結構バラバラにしか思えないいくつかの謎が、時にはまた新たな謎を呼び起こし、時には百合香の行動に影響を与え、そうやって一つ一つの謎が有機的に結びついていって最後まで話が続いていく、という構成が巧いなと思いました。
そして何よりも、一つ一つの謎が解き明かされていく過程で、ちとせの良さがどんどん浮かび上がってくる感じが凄くいい。逆に百合香の場合は、謎が解き明かされている過程でどんどん悪くなっていく感じで(笑)、その対比も面白い。
百合香は、柳井くんに関する疑いを片づけの間中ずっと保持し続けていて、どうにかこの部屋の中からその証拠みたいなものを探り出せないかと思っている。そういう、基本的に疑心暗鬼な感じでずっといるから、物事を悪く捉える回路が出来上がってるんですね。だから、片付けの場で発生するちょっとした謎やトラブルなんかも、悪い方悪い方に考えてしまいがちになる。そんなわけで結果的に百合香は悪く見える。
さらに、子どもの頃の話も、『実は百合香が悪かった、あるいは誤解していた』という話が多い。まあそれも当然で、登場人物を無闇に増やすことなく、ちとせの洞察力を提示しかつ意外性を持たせる謎にしようとすると、どうしたって百合香を悪者にするのがベストだろう。まあそんなわけで、謎が解き明かされていく過程で、百合香は割と凹むし、勘違いし続けていたことを恥じる感じになる。
一方でちとせは、親友である百合香に対して、凄く些細なことなんだけど、いくつも隠し事をする。ちとせは百合香を本当に大事な親友だと思っていて、その百合香のためを思って隠し事をする。
そもそもちとせは、洞察力に優れているために、ほんの少しの情報でも真相にたどり着いてしまうし、それが百合香にはわからないもんだから、ちとせは常に、それを百合香に言うかどうかという選択を迫られることになる。これって、結構しんどいと思うんですよね。ちとせは、部屋は汚いしなんでも器用に出来る方ではない(ように見える)けど、凄く優しい女の子で、だからこそ悩む場面が多い。百合香に対して隠し事をしていることにも罪悪感を覚えるし、でもじゃあ言えばいいのかっていうとそういう話でもない。気づかなければ楽なんだけど、そういうわけにもいかない。そういう、百合香には想像もつかないだろう葛藤を抱えつつ、色々踏ん張ろうとするちとせの姿が凄くいいなと思います。
木嶋もなかなかいいキャラしてるんですよね。ほとんど喋んないし、喋ったところでぼそっというぐらいのもので、しかも百合香の木嶋に対するイメージは最悪。けどこの木嶋も、ストーリーの中でなかなか重要な立ち位置を占めるし、木嶋の「実はそういうことだったのか」話も面白いと思う。作中であまり強く描写されることがないこれだけの存在感を持つのだから、木嶋を舞台とか映像とかで登場させたら、凄く存在感のあるキャラになるだろうなぁ、という感じがしました。
凄く小さな謎をいくつも組み合わせることで、最終的に一つの大きな謎に収斂していく過程、そしてその中で百合香・ちとせ・木嶋それぞれへの見方が変化していく感じが凄く面白いと思います。是非読んでみてください。

小島達矢「夏休みの拡大図」


震災とフィクションの”距離”(早稲田文学 記録増刊)

本書は、2011年3月から9月の期間に15人の小説家が執筆し、期間限定で著作権を解除、転送自由のチャリティ作品として「早稲田文学」サイトで発表された16作品と、執筆者たちによる対談が収録された、英中韓三ヶ国語バージョンも収録された、限定1000部刊行の、早稲田文学記録増刊。名古屋のちくさ正文館で見つけ、そのラインナップのあまりの豪華さに買ってしまった一冊。
一作一作は非常に短い物語で、内容紹介をするとほとんど作品の内容を書き写すような感じになっちゃいそうだから、著者名とタイトルだけにします。

古川日出男「ブーラが戻る」

阿部和重「RIDE ON TIME」

円城塔「Silverpoint」

福永信「この世の、ほとんどすべてのことを」

芳川泰久「逝き暮れ」

青木淳悟「西池袋特集~亀が袋を背負って~」

松田青子「マーガレットは植える」

村田早耶香「かぜのこいびと」

中村文則「震災の時」

木下古栗「カンブリア宮殿爆破計画」

中森明夫「東京トンガリキッズ2011」

牧田真有子「合図」

川上未映子「三月の毛糸」

鹿島田真希「インタビュー」

重松清「また次の春へー盂蘭盆会」

古川日出男「家系図その他の会話」

あとは、篠山紀信の写真があったり、重松清と古川日出男の対談があったり、阿部和重や川上未映子らの対談があったり、という感じになります。
あの震災は、様々な人たちの人生を大なり小なり変えたことでしょうけど、作家にとっても、「あの震災以後、お前は何を書くのか」と突きつけられたのだな、と本書を読んで感じました。これまでも、現実における超越的な出来事が、小説家や文学というのを変化させてきたのだろうけど、この震災も、「ことば」によって何かを届けようとする人たち(それは必ずしも小説家だけではないけど)を揺さぶり、悩ませ、震わせながらことばや物語と向きあったのだろうな、ということが伝わって来ました。
それが一番伝わってきたのが、重松清と古川日出男の対談でした。この対談は基本的に、震災直後に被災地入りした福島出身の古川日出男が、恐るべきスピードで発表した「馬たちよ、それでも光は無垢で」という小説作品をベースに進む対談で、それを読んでいない僕には分からない部分もあったのだけど、古川日出男の「現実」と「物語」との対峙の仕方がもの凄く真剣で、この人はちょっと凄いなと思いました。震災直後から様々なルポタージュが発表されていったけど、古川日出男は、自分の役割はルポを書くことではなくやはり小説だと捉え、小説を発表するのは遅くても構わない、と思っていながらもどんな作家よりも早く小説としてあの震災を昇華する作品を生み出した。そのことについて、何故被災地入りしようと思ったか、二人称であるのは何故か、どうしてあのラストになったのかなどについて、重松清が的確な質問をすることで進んでいく。重松清自身も、ルポタージュのために被災地入りしたりチェルノブイリまで行ったりしていて、共に小説家でありながら、一方はルポタージュとしての視点で、そしてもう一方は物語としての視点で、ことばや想像力を駆使して震災を捉えることについて真剣に語り合う。本作中、一番好きなのがこの対談かもしれない。
古川日出男の言葉が凄くいい。昔から、よくわからないなと思いつつも古川日出男の作品は好きだったんだけど、この対談を読んで、その真摯な姿勢により好感を持った。

『では何をしたら、ナルシズムやヒロイズムから離れてものを見て、言葉を届けて作品にまでできるのか…どうしたら「小説を書いていい」と自分に対して認められるのかが難しかった。』

『周囲では、だんだん震災や被災の空気がなくなって、復旧に向かっていると思うんです。でも、自分のなかでは進行形のまま、小説家として小説に対して内部被曝している。これを認めていくしかないと思っています。』

それぞれの小説は、ストレートに震災を描いたものは実に少ない。重松清が実に重松清らしい感じで、盆に村祭りをやるために帰省した人たちを描く作品を書き、中村文則が震災が起こった当時に自分の雑感をそのまま書いたような作品を載せている。後は、なるほど深読みすればこういう部分が震災と絡んでくるのだろうか、とささやかに想像できるけど、震災を背景にと言われなければまったくそうとは分からないような作品が多かった。
その中で僕が結構好きだったのは、阿部和重の「RIDE ON TIME」と村田早耶香の「かぜのこいびと」だ。
「RIDE ON TIME」は、ある対談の中でも絶賛されるのだけど、10年前にやっていたきり一度もきていない伝説の波を待ち続けるサーファーの話で、もちろん津波を想起させるその内容は、凄い話を書くなと思った。津波というモチーフを、あらゆるライダーが挑みたいと欲している伝説の波というポジティブなものに変換するって発想が面白いと思った。
「かぜのこいびと」は、正直なところ、どの辺りが震災をベースにしているのか、特に分からない作品だった。でも、話としては好き。カーテンの一人称の話で、なんというか変な話なんだけど、なんとなく残る作品という感じ。
あと、円城塔の「Silverpoint」は、やっぱり意味が分からなかった(笑)。やっぱり好きだなぁ、円城塔。
本書を読んであらためて、作家というのは、「ことば」という武器を持って現実の「何か」と格闘する人たちなんだな、という感じがしました。もちろん、そういう土俵とは違うところに活躍の場がある作家というのも多くいるでしょう。それはそれでもちろんいい。けどやっぱり、とんでもない現実を経験した後、「この現実に「ことば」で対抗するにはどうするか」という問いを自らにつきつけることが出来る人、というのは、やはり凄いなと思いました。陳腐な感想で申し訳ないですけど。やっぱり、こんな風に括っちゃっていいのかわかんないけど、「文学」って僕には難しいんです。決して嫌いじゃないし、理解できたらいいなぁ、って思うんだけど。「ことば」とそこまで真剣に対峙出来るっていうのは、辛いし大変だろうけど、羨ましくもあります。

早稲田文学 記録増刊「震災とフィクションの”距離”」



人間仮免中(卯月妙子)






内容に入ろうと思います。
本書は、いわゆるコミックエッセイと呼ばれるジャンルの作品ではあると思うんですけど、ちょっとその破天荒っぷりは比類なし、という感じ。
まず、本書に掲載されている著者略歴をそのまま引用してみましょう。

『1971年、岩手県生まれ。20歳で結婚。しかし程なく夫の会社が倒産し、借金返済のためにホステス、ストリップ嬢、AV女優として働く。排泄物や嘔吐物、ミミズを食べるなどの過激なAVに出演。カルト的人気を得る。その後夫は自殺。幼少の頃から悩まされていた統合失調症が悪化し、自傷行為、殺人欲求等の症状のため入退院を繰り返しながらも、女優として舞台などで活動を続ける。さらに次電停漫画「実録企画モノ」「新家族計画」(いずれも太田出版)を出版し、漫画家としても活躍。2004年、新宿のストリップ劇場の舞台上で喉を切り自殺を図ったことでも話題に。』

さてどうでしょう。この時点で、既に読みたくなったという方もいるでしょうし、なんかすげぇ興味あるわ、って方もいるでしょう。
本書の内容は、大雑把に言うと二つに分けられます。
前半は、統合失調症と闘いながら舞台女優として生活する中で、25歳年上の「ボビー」(日本人です)と出会い交際を始める物語。
そして後半は、突発的に自殺を図った著者が、顔面ぐちゃぐちゃになって入院して以降の物語。
という感じになります。
前半は、著者とボビーの存在感がただただ半端ない。著者はボビーのことが大好きで、一緒にいたいと思っている。ボビーも著者のことを好きなのだけど、自分が25歳も年上であることや、美形な著者にはもっと相応しい人がいると言ってなかなかふんぎりをつけることが出来ない。
それでいて、二人とも突拍子もなく「発動」するので(著者は統合失調症ですが、ボビーの方も、精神的な障害というわけではなさそうだけど、性格的にちょっと難有りという感じの人)、突然喧嘩したり、わけのわからないやり取りが始まったりする。
そんな著者とボビーのやり取りがメインになりつつも、その周辺にいる人たちの話も描かれる。著者の母親との関わり、ボビーの会社での出来事、二人が行きつけにしている飲み屋での話などなど、周辺の人たちもなかなかに濃い。もちろん、著者とボビーの二人には到底かなわないけど。
ボビーは、乱交が好きだったり、時々ちょっとイライラしすぎたりと問題もあるけど、基本的にはメチャクチャ男気のある頼れる男という感じ。著者は、割とサラッと書いているような気がするけど(そんなこともないけど)、ボビーはちょっと凄いと思う。病気のせいで相当にぶっ飛んでしまっている著者とここまで正面から付き合っていける(恋愛という意味ではなくて、人間としてという意味。もちろん、恋愛もだけど)のは、凄すぎると思う。僕だったら無理だなと思うし、というか大抵の人には厳しいんじゃないだろうか。そんなことないのかもだけど。いや、でも、ボビーは凄い。
そして後半は、またぶっ飛んだ展開になる。えっ!?という謎めいた脈絡から、著者は唐突に歩道橋から飛び降り、顔面から着地。首の骨を折らなかったのは奇跡と言われるほどで、顔から下はほぼ無傷で生還するも、顔はぐちゃぐちゃ。9時間にも及ぶ大手術をし、様々な妄想に支配され、少しずつ回復して退院して社会復帰するまでを描く。
こっちも凄い。何が凄いって、著者が、自分が冒されている妄想を漫画にしているところ。そんなこと出来るもんなんだ!っていう驚きがまずあった。病院に搬送されてとんでもないことになって、意識が回復するまでの間の妄想っていうのが漫画になってるんだけど、これはホントに実際そういう感じだったのだろうか。統合失調症の人の妄想というのを体験したことはないからわからないけど、でも後々からでも明瞭に思い出せるぐらい強烈なものなんだろうか。こういう、統合失調症の人の妄想を知る機会っていうのはないので、それだけでも相当に強烈でした。
前半でも周囲の人たちの優しさは滲み出ていたけど、後半ではそれがもっと凄い。
特に、著者の母が凄いと思ったなぁ。
著者の母は、小学5年生の時に統合失調症を発症した著者ともうずっと付き合ってきたわけで、だから接し方も心得ているんだろうけど、それにしても凄い。基本的に著者目線からしかないから、著者の見えないところでどれぐらいの気苦労があって、どれぐらいのストレスをため込んでいるのか、そういう部分は想像するしかないんだけど、少なくとも著者の前ではもんの凄く明るく振る舞う。なんか凄い。母、凄い。母に関しては、ホントにサラッと、物凄く気になる描写がされていて、えーー!!って思ったんだけど、あれはどうなったんだろう。とにかく、母の頑張りには驚かされました。
後半では、前半ほどはボビーは出て来なくなっちゃったんだけど、やっぱりボビーも凄い。顔がぐちゃぐちゃになっちゃった著者を以前と変わらない形で愛する。やっぱすげぇなぁ、ボビー!ボビーの方にも色々あって、それはそれで大変で著者の方にも関わってくる話なんだけど、まあ何にしてもボビーはやっぱりすげぇなぁ。
ってかホント読んでると、すげぇしか出てこなくなるんですよね。著者とボビーだけじゃなくって、なんか出てくる人や状況が全部とんでもなくて凄い。普通なのって、病院の看護婦とか医者ぐらいじゃないかぁ(まあそこにも、ちょっと凄い人はいるけど)。あとは大抵凄い。
僕が一番好きなシーンは、退院した著者がボビーと一緒に久しぶりに飲み屋に行ったその店の大将がした告白です。あの場面は、物凄くよかった。かっこいい。
読んでて、真剣に生きてる人ってやっぱり凄いな、って思ってしまう。本書に出てくる人たちの生き方を真似したいなんてことはまったくありえないんだけど(遠慮願いたい…)、彼らの真剣さはなんか羨ましい。どこかを目指しているわけでもなく、何かをしようとしているわけでもなく、ただ毎日を必死で生きるという真剣さ。それがこれほどまでに豊かたものだとは想像もしませんでした。もちろん著者の場合は、なんだかんだ周りの人に恵まれたのだろうと思います。同じ症状を患い、同じような境遇にいる人で、著者と同じような環境にはいられる苦しんでいる人はたくさんいることでしょう。そういう意味で著者は運がいいのだろうと思います。
しかし同時に、この著者だからこそ周りに人が集まったのだ、と解釈することも出来るでしょう。何故か著者の周りには、凄く良い人や助けになる人、心強い人、面白い人なんかがたくさん集まる。何故か皆、この著者に惹かれている。確かに読んでいると、なんか分かる気がする。この著者には、人をひきつける魅力があると思う。でも、それが何なのかは、うまく説明できない。それが、この作品の良さにもつながっているのだろうな、と思う。
僕も飛び降り自殺をしようとしたことがあって、建物の屋上に登って、後少し体重を前に掛ければ落ちれる、というところまで行った。けど、やっぱ無理だったんだよなぁ。柵のない建物の際で目を瞑って片足立ちしたりしてみて、なんか偶然よろけてフラっと落ちないかな、とかもやってみたんだけど、やっぱりダメだった。怖いっていう感じじゃなくて、なんていうんだろうな、その一歩を踏み出せない感じ。
だから僕は著者が、何の躊躇もなく、深い葛藤もなく(本書を読んでいるだけだと、そう思える)、ほぼ脈絡もないままで歩道橋から飛び降りたシーンには、ちょっと驚愕した。病気のせいだとはいえ、人間にそんなことが出来るもんなんだ、っていう衝撃があった。
それでも、僕は昔はほんと色んなことでウダウダ悩んでいる人間で、その延長上で自殺を考えたんだけど、本書を読んでると、なんていうか、どんな状態でも生きられるものなんだな、っていう気がする。最悪の最悪なんてことにはなかなかならない。最悪、ぐらいまでの状況だったらいくらでも転がってるだろうけど、でもきっとそれは、絶望するほどのことでもないんだろうな、という感じがする。今の僕は、もう昔のように悩むことは少なくなったけど、でもやっぱり今も、どうでもいいようなことで落ち込んだり悩んだりすることは時々ある。人それぞれ悩みの質は違うし、どんな悩みが高級でどんな悩みが低級でなんてことは全然ないのだけど、でも、本書を読むと、自分が悩んでいるようなことなんか、ほんとどーでもいいことなんだなー、という感じがしてくる。
著者は、この漫画を描くのに、相当に無理をしたようです。そういうことは、あとがきにサラッと書いてあります。連載とかは無理だけど、また漫画を描いていけたらいいな、って書いてある。ちょっと読みたい。これまでに出ている漫画も読みたくなるなぁ。
破天荒すぎて、僕たちの日常と地続きで繋がっているとはとてもじゃないけど想像できないような日常を生きる女性の、それでも毎日必死で生きているその姿を描き出している作品です。強烈です。時にはしんどいかもしれません。でも、全体的には明るいです。ボビーも凄いです。著者の母も凄いです。なんか、みんな素敵です。生きてるってだけで奇跡的なんだよ、って言葉を耳にすることってたまにあって、嘘くせーなー、って思ってたけど、その言葉が初めて嘘くさくなく思える状況を知りました。是非読んでみてください。

卯月妙子「人間仮免中」



本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本(内沼晋太郎)

内容に入ろうと思います。
本書は、ブックコーディネーターとして活躍する内沼晋太郎氏による初の単著。
まず本書の、とても面白い構成から書きましょう。
本書は、両A面の本、という形でデザインされています。表と裏どちらからも読める本、というのは他にも存在しますけど、本書は表と裏で表紙のデザインもタイトルも揃え、実現はしなかったようだけどバーコードも両面につける計画で進んでいたようです。片面は『本』について、そしてもう片面は『仕事』についてで、それぞれの面を表にして平積みすることで、書店の現場で『本』と『仕事』それぞれのジャンルのコーナーで展開されうるだろうか、という実験も兼ねたデザインなんだそうです。親友のコピーライターに考えてもらったという対になるタイトルがかなり秀逸だなと思います。まず本書はそういう、本のデザインそのものという外側の部分でも楽しめる作品です。
内容は、『本』と『仕事』で分けて書きましょう。
『本』の方は、二部構成になっています。第一部では、著者が内沼晋太郎がこれまでに手がけてきた本に関わる仕事に関する記録、そして第二部は、広く本を取り巻く状況をベースにした思考、という感じです。
第一部の、内沼晋太郎がこれまで手がけてきた仕事の記録に関しては、圧倒されっぱなしでした。内沼晋太郎はデザインや芸術の方面でもいくつかユニットを持っているようで、そっちの方面のことは僕にはちょっとよくわからないのだけど、『いかに本と出会うか』を考え詰めた結果生まれるアイデアの数々は素晴らしいなと思いました。
とにかく内沼晋太郎は、『いかに本と出会うか』ということについて物凄く真剣に考えています。これは、やっていることのレベルはまったく違うけど、僕自身もそういう問題意識を常に持ちながら書店の売り場で仕事をしているつもりです。
以前往来堂という書店で、「文庫本葉書」というものを見かけて買ったことがあります。book pick orchestraが作る新しい本との出会い方を演出するもので、クラフト紙に古書を包み表紙や著者名を見えなくした上で、作中から印象的な一文を抜き出してクラフト紙に印刷する、というものです。クラフト紙に郵便番号を記入する欄が設けられており、切手を貼ればそのまま投函できるようになっています。
この「文庫本葉書」を生み出したbook pick orchestraを立ち上げしばらく代表を務めていたのが内沼晋太郎だったようです。全然知りませんでした。
僕はつい先日名古屋に行ってきて、色々と回ったのだけど、「ON READING」という書店で「omiai books」が、「リチル」というブックカフェで「door book」が、その「文庫本葉書」と同じような体裁で売られていました。本書を読む限り、クラフト紙で古書を隠して売るというのを一番初めにやり始めたのは内沼晋太郎のようなので、そのやり方は色んなところで真似され、市民権を得ているのだなぁと思います。
僕も実は、「文庫本葉書」に出会う前だったのか出会った後だったのかちょっと忘れたのだけど、自分の店で同じことをやろうと検討したことがありました。つまり、古書ではなく、新刊本で同じことをやってやろうと考えたのです。色々詳細を検討していくと、やっぱりなかなか新刊本でやるのは困難だなと思うようになって実行には映さなかったのだけど、この表紙を隠して売るというやり方の「出会いの演出」の見事さは凄く魅力的だなと今でも思っています。
本書には、このクラフト紙で表紙を隠すというアイデアのバリエーションがいくつも載っています。よくもここまでアイデアが出てくるものだと思いました。その本の初版年だけを記載する、なんていうのも、自分の生まれた年のものを選ぶなど、今までとは違った買い方が出来て面白いなと思いました。また、アイデアだけではなく、そのアイデアを実現するための膨大な労力を厭わないところも凄いなと思います。大学時代馬車を作った時の経験で、自分の頭の中では完成しているんだけど、実際に作らないと作れることが証明できない、なんていう感覚があって、だから思いついちゃったアイデアは実現が大変そうでもどうにか邁進しちゃうものだけど、それでも、顔写真から本を選ぶ企画は、ホントによくやりきったものだよなぁ、という感じがしました。
また、文庫本写真立てというアイデアもいいなと思いました。これは、「本を切る」行為があるので本好きには抵抗があるかもだけど(内沼晋太郎は他の場面でも、本好きの人には受け入れられないかも、というようなアイデアを実行しているし、そのことに自覚的であったりもします。僕は、本を読んでてもページを折っちゃうし、線もバンバン引く人間なんで、あまり抵抗はない)、文庫本というプロダクトの中に写真というものを組み込むことで、特に贈り物として新しい価値を生み出せているところなんか素晴らしいと思いました。
あと、そのサイトは今閉鎖中なのか辿りつけなかったのだけど、「honnnobutai」っていうサイトのアイデアも面白いと思いました。本を読んでいて、明らかにこの場所だなと特定できるような描写がある。それを気づいた人がそのサイトにアップして共有する、というサービスで、確かに継続的に情報を得続けるのが難しいかなという感じはするけど、データベースとしてきちっとしたものがもし出来上がるのであれば、すごく面白いんじゃないかなと思いました。
「いかに本と出会うか」という点に関して、書店員は恐らく様々な意見を持っているでしょう。内沼晋太郎のやっている「出会い方」だけが正解だなんてもちろん思いはしない。でも、内沼晋太郎は、現状のリアル書店にはなかなか届き得ない部分にまで手を伸ばす。新たな「出会い方」を創造する。その方向性は、リアル書店にも絶対に必要なはずだけど、現状はなかなかそうはなっていないと思う。「出会い方」を創造する、という方向性は、一つの視点として、リアル書店が持ち続けていなければいけない課題だろうなという風にも感じました。
第二部は、本を取り巻く様々な状況に関しての雑感という感じの文章。著者の思考が透ける感じで、この部分も面白い。なんというか、全体的にとてもフラッとな考え方を持っているようで、そのしなやかさがいいなぁと思う。気になることはなんでも行動してやり始めてしまうし、現状に対する疑問や未来に対する提言もある。身近な本の話もあれば、電子書籍やまだ見ぬ斬新なサービスのアイデアもある。そういう、内沼晋太郎が本を取り巻く様々なことがらについて思考したことが色々と詰め込まれている感じです。
いくつか好きな文章を抜き出そう。

『「子供を本好きにするにはどうしたらいいか」と聞かれることがある。(中略)以上のような理由によってとりあえず「まず自分自身が子供の目の前で面白そうに本ばっかり読んで、かつ子供にはまったく薦めない」ということを薦めている。子供の頃、親がお酒を飲んで楽しそうにしていたりするのに「子供はもう寝なさい」と寝床につかされる(しかも実際に眠い)のが悔しかったのと同じように、まず「親がなんだか面白そうなことをしているのに自分は参加させてもらえない」という悔しさを持たせるところからはじめる。』

『電子書籍なんてもう未来じゃない。もうとっくの昔から想像できていた未来が、やっとストレスなく実現できる段階に技術が追いついてきただけのことだ。これから先の想像力は、まだ追いつかない技術の中にこそある。』

そして僕が一番好きな文章が、次だ。

『そういった意味ではぼくも、まず「何かお薦めの本はありますか?」という質問に、できるだけきちんと答えられるようにならなければいけない。大変ではあるけれど、それは本を売る現場に立つ人の仕事だ。これはいまのところ、リアルの書店にしかできない。』

この最後の意見には、色んな異論があるだろう。実際に多くの書店員と関わるようになって、そこには様々なレベルでのグラデーションが存在することを知った。ただ、僕の考えは、これに近い。結局のところ、もうそこを突き詰める以外に、リアル書店が勝負できる部分はないと思う。これから、余計にそうなっていくはずだ。もちろん、それが自分に出来ているのかと聞かれると辛いけど、方向性としては常に意識をしている。難しいけれど。
さて、両面のもう片方の『仕事』の方の話をしましょう。こちらも非常に面白かった。本書で描かれているほど深く考えたことも言語化したこともないんだけど、『働く』ということに対する根本的な姿勢みたいなものはなんか近いものを感じた。
『仕事』の方では、サラリーマンとして働くことになんか違和感を覚えている人、こんな働き方でいいのかわからなくなっている人、お金が第一目的ではないのは分かってるんだけどじゃあ何をすればいいのかわからない、というような人向けに、どんな風に思考し、どんな行動を取れば、生活に必要なお金はもらえて、かつ楽しい仕事が出来る可能性が拓けるか、という話です。なので、お金をバリバリ稼ぎたいとか、稼げる仕事のネタを生み出したい、みたいな人には向かない作品です。そんな風に、まえがきに当たる部分でも断っています。そうではなくて、生活に必要なお金をどうにか得つつ、基本的には面白いことをやりたいという人向けに、著者自身の経験を交えつつアドバイスする内容です。
僕は、大学を中退して就活を一度もしたことがない人間です。就活をしなかったのは、『働く』ということがよくわからなかったからだろうなと思います。
その当時、やりたいことなんて何もなかったし、目指してるところもなかった。そんな状態で、志望動機を書けなんて言われても無理。無理矢理、自分でもうそ臭いなと思いながら志望動機を書いて、言いたくもないことを面接で言って、そうやってどうにか会社に潜り込んで働くということに、どうしても違和感があったというか、納得出来ないものを感じていたんだろうなという感じがします。もちろん、今となってみれば、とりあえず働いてみればその仕事を好きになるかもしれないし、やりたいこととお金をもらえる仕事が一致するわけないよななんてことも理解できるようになってきているわけなんですけど。
本書では、『お金をもらわない仕事』を積極的にやることによって『何者かになる』という話がなされます。何故そう考えたのかとか、具体的なステップとか、もちろん書いてあることはもっと色々あるんだけど、基本的にはそういう内容です。
『生活のためにお金をもらう仕事』をベースとして持ちつつ、『お金をもらわない仕事』を積極的にやり続ける。その結果、次第に自分の中でバランスが変化していって、その過程で面白い仕事が出来るようになってくる、という感じです。
これを読んで僕は、昔読んだ「月3万円ビジネス」のことを連想しました。この作品では、「月3万円儲かるビジネスを5個同時並行でやれば15万円稼げる」というような発想が書かれていて、面白くて社会の役にも立つような仕事をいくつか同時並行でやり続けることで楽しく生きよう、みたいな感じの内容でした。
ちょっと内容としては違うけど、でも、一つの仕事だけをやるのではなくていくつかの仕事を並行してやるというのは、これからの生き方の選択肢の一つとして重要になってくるのだろうな、と思います。終身雇用がうんたら、なんて話がよく言われるけど、いつ自分の会社が倒産したり、自分がリストラされるかわからないのだし、一つの仕事だけに軸足があるのは怖いなという感じもあります(というようなことは本書ではまったく書かれていませんけど)。
『金をもらわない仕事』をするというのは、なんとなくイメージが出来ます。僕も、お金がもらえなくても面白そうだなと思った依頼があれば受けるし、「これは出来たら凄い便利だぞ!」と唐突に思いついて膨大な時間を掛けて作った「災害エバノ(https://www.evernote.com/pub/tooorisugari/saigaievernote)」なんかも、『お金をもらわない仕事』に含めてもいいかもしれません。『お金をもらわない仕事』というのは、『クライアントがいないから自由になれる仕事』なわけで、それをいくつもやり続けていく中で、その『お金にならない仕事』が認知され評価されていけば、いずれ『お金をもらえる仕事』もやってくるという話は、もちろん様々な運や偶然の要素もあるだろうけど(と本書でも書かれている)、個人的には凄く理解できる生き方だなという風に思います。僕もそんな風に(この「そんな風に」というのが漠然としすぎてるのがまだダメなんですけどね)生きていけたらいいななんて思うけど、どうかなぁ。
『本』に関心がある人には、『いかに本と出会うか』を考え続けた様々なアイデアや、フラッとな視点で本業界を見ている思考は面白く映るだろうし、今の自分の『働き方』に疑問を抱いている人には、『仕事』の話が視野を広げてくれるかもしれません。ブックデザイン自体も斬新で、凄く面白いです。是非読んでみてください。

内沼晋太郎「本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本」



13日間で「名文」を書けるようになる方法(高橋源一郎)

内容に入ろうと思います。
本書は、作家である高橋源一郎が、明治学院大学の「言語表現法講義」という講義の内容を書籍化したものです。
本書は、タイトルだけ見ると、どうやったら「名文」を書けるようになるかについてのノウハウ本だという感じがするでしょうが、実際はまったくそういう内容ではありません。
高橋源一郎は、学生の文章を添削しないし、それどころか何も教えません。いい文章を書くためにはなるべく他の文章に触れない方がいい、と書きもするし、その一方で高橋源一郎は、自身が気に入っている色んな文章を講義の中で読ませます。
高橋源一郎はこの講義の中で何をしたか。
まず学生に、何らかの文章を書かせます。そしてそれを、書いた本人に朗読をさせます。そしてその感想を別の学生に聞きます。そしてその文章について、高橋源一郎が何事か話します。
あるいは高橋源一郎は、自らの周りで起こった出来事を講義の前に話します。それは、「文章」そのものとはまるで関係のないように思える話が多いです。でもそれが、広く「ことば」という括りとして、「文章」の話に繋がってくる。そういうこともする。
高橋源一郎が主張していることは、文章を書くというのは、テクニックでもないし、誰かに教わることでもない、ということだろうと思います。
とにかく、まず書いてみること。そこからしか始まらない。誤字があろうと、稚拙な表現があろうと、とりあえずそれはいい。まず書いてみること。
その一方で高橋源一郎は、「文章」というものの、あるいは「ことば」というものの枠を、少しずつ広げようとしている。そんな風にも思う。
高橋源一郎は様々な課題を出す。それは、ラブレターを書くとか、自己紹介文を書くと言ったような、割とありきたりのものもある。ただ講義を重ねる毎に、普通ではない課題が増えていく。一日しか記憶が持たない人物の日記、靖国神社の英霊に言葉を喋らせる、というような課題に、学生は苦しむことになります。
でもそうやって、普段絶対に書かないタイプの文章を書かせることで、高橋源一郎は学生に、「文章」というものの、「ことば」というものの広がりを示そうとしているのではないかと思う。「文章」はもっと自由だし、「ことば」はもっと広い。それは、口でそう説明されたところで、実感も出来なければ納得も出来ない。でも、結構無茶な課題を出され、それに真剣に取り組むことで、自然とそれが理解されていく。
恐らくこの講義に出た人は、そして本書を読んだ人は、「文章を書く」ということへの抵抗感が少しは減るのではないかと思う。そういう風に仕向けられている。それこそが、「名文」を書くための第一歩なのだ、と言わんばかりに。世の中には色んな文章があって、それも許容されている。「文章」はもっと自由だし、「ことば」はもっと広い。それを体得出来た人は誰であれ、文章を書くことに抵抗がなくなるだろうと思う。
講義の中で高橋源一郎は、こんなことを言う。

『あなたたちも、そうするべきなのです。それがどのようなものであっても、まず使い方を訊ねたりしてはなりません。まず、触ってみることです。それから、振り回すのです。
もしかしたら、その使い方は間違っているのかもしれません。しかし、それを知るのは、使うことによって、でなければなりません。』

これはまさに、「まず文章を書いてみる。その書き方は間違いかもしれないけど、でもそれは書いてみることによって知るべきだ」と言っているわけで、高橋源一郎の講義全体のスタンスを実によく表しているなという感じがしました。
そんな13回の講義内容を収録した作品です。
これは素晴らしい内容だったなぁ!なんとなく、いわゆる普通の「文章読本」みたいな本を想像して読み始めたんだけど、全然違いました。
高橋源一郎は、文章を書く際の最も重要な点を明確に絞ります。それは、「誰がそれを書くのか」「誰に対してそれを書くのか」と言ったようなごくごく基本的なことであって、それ以外は自由に書けばいい、というのが恐らく全体の主張なんだろうなぁ、と思います。
でも、この「自由に書く」というのが難しい。文章を書くということにおいて、この「自由に書く」というのが最大の障害、らしいです。らしいです、って書いたのは、僕は、少なくともただ文章を書くだけなら(「名文」ではないけど)サササッと書けてしまうので、特に難しいと感じることが今はありません。ただ、ブログを書き始めた当初は文章がまるで浮かばなかったというのも覚えているし、僕の周りにいる人でも、なかなか文章が書けないと言っている人がいるので、「自由に書く」ことの難しさは少しは分かるつもりです。
高橋源一郎はこの、「自由に書く」という文章を書く際の態度を定着させようという試みを講義の中で実践しようとしたのだろうな、と思うんです。細かなテクニックなんかは、さほど重要ではない。まず「書く」ことが重要なのであって、そのためにユニークな課題がいくつもあって、これは面白いなと思いました。
特に僕が素晴らしいと思った課題が三つ。「憲法前文を書く(日本国憲法でなくても可)」「いわゆる詩以外から、あなたが詩だと感じたものを探してくる」「詩人が書いた詩を、あなたが書いたという設定にしてその背景を説明する」というもの。この三つは、その奇妙で斬新な課題設定が非常に面白くて、学生たちの回答もユニークなものが多くて素敵でした。
「憲法前文を書く」では、日本国憲法の前文を書く人もいれば、架空の国を設定してその国の憲法前文を書いてきた人もいます。憲法の前文なんて、日本国憲法でさえもほとんど読んだことのない僕には、それを書けなんて言われたら困っちゃうけど、みんな面白いものを仕上げてくるんだよなぁ。「詩を探す」でも、みんな面白いものを見つけてくる。確かに「詩」って、何が詩で何が詩じゃないのか、よくわからない。書店で「詩」のコーナーに置かれている詩は、僕にはよく分からないものが多いけど、なんかよくわかんない文章だけど面白いなっていうものに触れることはある。それを「詩」だと捉えてみる。そういう発想は面白いと思いました。「詩人になりきって説明する」はなかなか圧巻でした。特に、茨木のり子の詩について、茨木のり子になりきって説明した学生は白眉です。凄いなぁ。実際詩を読む時に、作者がどんな風にこの詩を作ったんだろう、っていう思考になることは僕はないし、多くの人もそうじゃないかと思うんです(そもそも詩を読む人が少ないだろうけど)。だから、その詩人になりきってその詩について説明するっていうのは、なかなか普通に生きていたら思いつかない視点なわけで、それだけでも十分新鮮だなという感じがしました。
また、課題とは別に、高橋源一郎が経験した話から「文章」や「ことば」について話が広がるものもある。高橋源一郎が初めてストリップに行った話とか、自分が見た映画の話とか、そういう話から面白い話に広がっていく。
物凄く印象に残った話が二つある。「非現実の王国で」という映画の話と、高橋源一郎の息子についての話。
「非現実の王国で」というのは、渋谷のある映画館だけで公開されていたもので、ダーガーという一人のアメリカ人について描かれた映画。ダーガーは不遇の人生を送り、人生の後半40年を、シカゴの6畳しかないアパートで過ごす。仕事から帰ると部屋にこもり、ダーガーは誰とも交流をしないまま過ごし、ついに動けなくなり救貧院に送られるまでその生活を続けました。
ダーガーのいなくなった部屋を片づけようと家主が訪れた時、家主は仰天することになります。その部屋には、1万5000ページを超える小説と、その小説の挿絵として書かれたのであろう膨大な量の絵がありました。ダーガーは、本も読まず、絵や美術についても何も知らなかったけれども、現在ではダーガーは「20世紀アメリカの最も重要な美術作家の一人」と評価されています。そのダーガーが書いた小説についての話から、色んな広がりが生まれます。
もう一つは、高橋源一郎が講義を突如休講にした理由に関係する。息子が熱を出し、嘔吐し、色んなことがあった結果、最終的に「小脳性無言症」と診断されます。これは、ことばを認識する大脳は機能するのだけど、口を動かす運動機能を担う小脳にダメージがあるため、言葉を喋ることが出来なくなってしまった、というのです。
そんな状態になってしまった息子との対話の話には、グッと来ました。ことばというものの深さを、まじまじと実感させられる話だと思いました。
いくつかいいなと思った文章を抜き出します。

『逆説的かもしれませんが、「文章」を書けるようになるためには、できるだけ、他の「文章」に触れない方がいいのです。
というのも、わたしたちの周りにある「文章」は、たいてい、社会的な「サングラス」をかけて書かれているからです。
「文章」を書けば書くほど、人びとは、考えなくなります。というか、「見る」ことをしなくなるのです。』

『ル=グィンは、自分は「左きき」で、あなたたちも「左きき」だから、「右きき」と違う世界を作ろう、といっているのではありません。
「左きき」であるということは、「右きき」ではない、ということに気づくことだ、といっているのです。』

『わたしは、「演説」は、ひとりから複数へのことばであるといいました。しかし、それは、「わたし」から「あなたたち」へという意味ではありません。
ハーヴェイ・ミルクのことばを借りるなら、「わたし」から「あなたも、あなたも、あなたも」へです。「あなたたち」などという人間はいません。「あなた」と「あなた」と「あなた」だけが存在するのです。そして、そのことを、彼らはよく知っていたのです。』

高橋源一郎は、最後の講義の終わりの方で、こんな風に言います。

『わたしは、あなたたちに、おおいにとまどってほしかったのです。というか、「文章」をうまく書くようになるのとは正反対の方向へ、なにも書けなくなるとか、なにを書いたらいいのか、なんのために書いているのか、わからなくなるとか、そうなってほしかったのです。』

確かに、学生たちは大いに戸惑ったでしょう。そして、読者も同じように戸惑うでしょう。でも、本書のようなスタンスを知ることが、「自由に書く」ことのハードルを下げてくれるはずです。文章はテクニックではない、それもあってもいいけど、まずは書いてみることだ、というのは、なんだか気がラクになる意見ではないでしょうか?高橋源一郎は、どんな学生の文章も否定しません。どんな文章であれ、それが書かれたのであれば、そこに意味があると捉えているのです。「名文」とは何か。それを考えさせる講義とも言えるし、そんな講義ではないとも言えるでしょうか。あまり文章の書き方の本を読んだことがないので比較はできませんが、この作品は、書く側の書く際の意識に働きかけるという意味で、凄く面白いし有益な作品だと思いました。是非読んでみて下さい。

高橋源一郎「13日間で「名文」を書けるようになる方法」



光(道尾秀介)






内容に入ろうと思います。
本書は、小学四年生の利一とその友人たちの日常と成長を描く物語。形式としては連作短編集に近いのですけど、作品全体としてはやはり長編という感じの体裁。ですが、それぞれの話を紹介しようと思います。

「夏の光」
都会から少し離れた山間の町。利一と慎司は昔からの友人で、夏休みに入った瞬間の開放感に任せてはじけていたのだけど、ふとクラスメイトの宏樹の声を耳にした。何やら物騒なことを言っている。自慢話ばかりする金持ちの息子である宏樹は、取り巻きたちと一緒に、こちらもクラスメートで祖母と二人ぐらしというなかなか貧しい生活をしている清孝一人を取り囲んでいた。
聞けば、宏樹は清孝に問いただしているのだった。お前が、子どもたち皆で可愛がってた野良犬のワンダを殺したんだろう、と。父親が写したこの写真に、証拠は写ってるんだぞ、と。

「女恋湖の人魚」
ある時教頭先生から聞いた、女恋湖にまつわる鯉の伝説が、彼らは忘れられなかった。女恋湖は硫黄成分が強く、そのせいで生き物がまったく生息していないのだが、かつてはそこに生き物が澄んでいたのだ、という。しかしあるきっかけでいなくなってしまった。そういう伝説だ。
彼らは、その伝説の鯉を釣ろうと決めた。ワンダの一件で仲良くなった清孝と宏樹、そして慎司の姉である悦子の五人で、湖のほとりに集ったが、彼らは思いもかけないものを発見してしまう。

「ウィ・ワァ・アンモナイツ」
大雨で土砂が崩れたことが原因で、慎司と悦子が利一の家に泊りにやってくることになった。彼らは慎司に連れられ、土砂が崩れた現場を見に行ったが、そこで学校の用務員さんであるガニーさんが処理を手伝っていて、そのガニーさんから、土砂の中から見つかったと言ってアンモナイトの化石を受け取った。それを譲り受けることになったのは清孝だったが、ちょっと不満があったのか、宏樹は、家にはもっと凄い化石がある、と言った。
それを聞いた利一と慎司は、なんとなくむかっ腹が立って、ある計画を練って宏樹を驚かせてやろうと決める。

「冬の光」
清孝がしばらく学校に姿を見せなくなって気になっていたところに、清孝の祖母であるキュウリー夫人が通りかかった。彼女は何故か人気のない山奥に行きたがり、清孝を除く全員でキュウリー夫人と共にそこへと向かった。そこは、夏になると蛍が集まるという綺麗な小川で、彼女はそこで、蛍と花火はもう一度見たかったと言うのだった。
慌ててやってきた清孝に話を聞いて、彼らは、キュウリー夫人が重い病気だと知る。自分たちにも何か出来ることはないかと智慧を振り絞る彼ら。

「アンモナイツ・アゲイン」
清孝が町を離れることになり、彼らは清孝のためにプレゼントをしたいと考えた。ひょんなことから知り合いになった劉生という一つ下の学年の男の子の計画に乗って、彼らはちょっと街まで出かけていって、デパートから化石をとってこようと計画する。

「夢の入口と監禁」
「夢の途中と脱出」
劉生の行方がわからなくなることから始まる物語だけど、あまり詳細には触れないことにしよう。

というような話です。
やっぱり道尾秀介は巧いなとおもいます。ここ最近、中学生や小学生を主人公に、目の前の友人と、長く関わった家族と、手の届く範囲の事柄がすべてという、実に狭い世界の中で、子どもたちが『大人ではない』というだけの理由で抱く『無力感』にさいなまれつつも前に進んでいく、というようなテイストの作品が結構多くなってきていて(「月と蟹」とか「水の柩」とか)、僕は道尾秀介のそういうタイプの作品が結構好きだったりするんだけど、本書も結構そういう感じに近い作品です。小さい子どもだからと言って何も考えていないわけではなく、考えてしまうのだけど自分の力ではどうにもならないことに満ち溢れていて、それでもそういう現実にどうにか立ち向かいたくて、自分たちの持てる武器・出せる知恵を出しきって前進していく子どもたちの姿を描くのが本当に巧い。大人になると、子どもの頃のことって、『出来事』は結構覚えていても、その当時の『実感』みたいなものって結構忘れちゃうことが多いんじゃないかなって気がするんだけど、道尾秀介の作品は、当時の自分の『実感』を再生してくれるような印象があって、作中で描かれる子どもたちのことが他人事とは思えないような、そんな感じがしてしまいます。
「月と蟹」や「水の柩」と違う点を一点挙げるとするなら、本書は、『現在』から過去の自分を回想し、『現在』の視点で小学四年当時の自分の姿を描いている、という点です。「月と蟹」や「水の柩」では、小中学生当時の主人公による現在進行形の視点だったのだけど、本書の場合は、大人になった主人公が過去を思い出して書くという視点で、そういう点で大きな違いがある。個人的には、先がどうなっていくのかわからない、主人公による現在進行形の視点で道尾秀介が抉る内面描写の凄さを知っているので、どちらかと言えば現在進行形視点の方が好きなのだけど、本書の回想視点もまた違った雰囲気になっていてよかったと思う。特に、『未来を知っている』という点を実に効果的に使っていて、そういう部分は凄く巧いなと思いました。現在進行形視点よりは抑制された視点で進んでいく物語も、「月と蟹」や「水の棺」ほどは重くない本書の物語の雰囲気には合っているなという感じがしました。ただ一点、この視点の話に絡めて言いたいことは、最後の二編だけは現在進行形目線で読みたかったかもな、ということです。この作品でも、『未来を知っている』という点が効果的に使われていていいんだけど、それ以上に、この極限状況を現在進行形視点で描写すると、道尾秀介ならもっと突き刺さるような物語になるんじゃないかな、という期待が僕の中にあるんですね。全体としては、この回想視点による構成は成功だなと思うんですけど、そこだけ僕的には、もっと期待してしまう感じはありました。
本書は、あまり大人の存在が出てこない、という点でも、他の道尾作品とは違うのかもしれない、と思います。僕の中のイメージとして、道尾秀介は、大人が作り出す『絶対的な空間』の中で、『子供である』という理由で『無力感』にさいなまれ続ける子供たちの姿を描きだすのが凄く巧い、という印象でした。先程僕が言った「大人の存在が出てこない」と言った時の『大人』という意味は、『そういう無力感に子供をさらす大人』という意味で、本書の中にもチラホラと、年齢が上であるという意味での大人は出てくるんだけど、利一を始めとした五人を苦しめるという意味での大人はほとんど出て来ません。そういう大人が出て来たとしても、それは一時のことであって、彼らを継続的に無力感にさいなまさせるような大人の存在は出て来ません。
だから、本書で描かれる『無力感』は、大人との関係の中で生まれるものではなくて、子供同士の関係の中で生まれるものです。彼らは、友人たちと様々な経験をする中で、同じ年齢の友人同士であっても様々な境遇があることを知る。そしてその境は、『子供である』という理由で、なかなか飛び越えることが出来ない。もちろんそれらは、大人であっても簡単に飛び越えることは出来ない事柄であったりする。しかし、実際どうか、ということはあまり関係ない。子供たちが、『大人だったらきっと簡単に飛び越えられるはずなのに、自分たちは子供だからそうできない』と考えていること、そのこと自体が大事なのだ。そういう中で彼らは、時に勇気を出し、時に知恵を絞り、時に力を合わせて、その境をどうにかして飛び越えようと奮闘する。
その姿が、実に素敵です。
小学生だからこそ見えるものがあり、小学生だからこそ見えないものがある。子供たちの、実に小さな世界の中を描く中で、その差異を浮かび上がらせる道尾秀介の手腕は素晴らしいと思う。そしてそれを、大人になった視点で描く。自分たちがどれだけ小さな世界の中にいたのか、どれだけ真っ直ぐな目で未来を見つめていたのか、大人になった語り手はもうすべて知っている。そして、その恥じらいや照れを押し隠しつつ、物語っていく。それも、また素敵だ。道尾秀介の作品は大雑把に前期と後期で分けられると思っていて、トリックを重視し読者を驚かせることに主眼が置かれていた前期の作品に対して、最近の作品は人間の業みたいなものを炙り出すような作品が多い。小学生にもそんな業が存在数のだという、大人になった僕たちが日常の中ですっかり忘れかけているような事実を、道尾秀介は描き出していく。
どの話も、細部にこだわり、また伏線的なものが実に巧妙に張り巡らされている構成で好きなんだけど、やはり最後の話は圧巻だったと思う。相当に非日常的な、ある意味でかなり極限状況の中にあって彼らは、あらゆる悪あがきをしてその状況に立ち向かっていこうとする。その姿が素晴らしいし、最後の余韻も見事だと思う。あの要素が、なるほどこんな場面で使われるのか!という新鮮な驚きもあって、この最後の話は、色々違いはあるけど、「カラスの親指」を想起させるような見事な物語だったなと思います。
小学生の頃って、自分が考えていることや感じていることを、なかなか巧く文字に変換することが出来なかったと思う。そして、そういうことが出来るようになってくるにつれて、小学生の頃の自分が考えたり感じたりしたことを忘れてしまいがちだと思う。だからこそ、小学生のリアルな内面描写というのは凄く難しいんだと思う。それも、「月と蟹」のような、かなり追い詰められているような状況の描写であれば、まだ想像のしようもあるかもしれないけど、本書のような、特に何がというわけでもない、小さく狭い世界に生きる彼らの日常を舞台にして内面描写をするというのは、相当にハードルの高いことなんじゃないかな、と思います。その難しいことを、本書では実に巧みに物語として編み上げています。さすが道尾秀介だなと思いました。是非読んでみてください。

道尾秀介「光」



数学ガール ガロア理論(結城浩)





内容に入ろうと思います。
本書は、「数学ガール」シリーズの第五弾です。一応、これまでの4つの感想をここに列挙しておこうかな。

「数学ガール」 http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-848.html
「数学ガール フェルマーの最終定理」 http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-1282.html
「数学ガール ゲーデルの不完全性定理」 http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-1583.html
「数学ガール 乱択アルゴリズム」 http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-1962.html

第一弾を除いて、どのシリーズにも副題がつきますが、それは最終的な目標地点を明示しています。本書では「ガロア理論」。20歳で決闘によって命を落とした19世紀の天才数学者・ガウスによって生み出された、<方程式が代数的に解けるための必要十分条件>を初めて解き明かした理論に向けて、冒頭から様々な話が展開されていきます。
ガロアについては、こんな話を聞いたことがあります。

『たとえば、アインシュタインは「相対性理論」を生み出した。でも、「相対性理論」は、アインシュタインでなくても、恐らくきっと誰かが発見していただろう。しかし、ガロアが生み出した数学は、恐らくガロアがいなければ生み出されなかったのではないか。そういう意味で、ガロアは唯一無二の天才だ』

この評価がどの程度当たっているのかわかりませんが、確かにそんな風に言われてもなんとなく納得してしまうような感じはします。方程式というものを<体>と<群>の両面から眺め、その両者に橋渡しをしたガロア理論は、その後数学者たちに受け継がれ、今では数学の一つの重要な分野として、様々な場面で応用されています。
さて、まず先にこの「数学ガール」シリーズの全体的な設定の話をしましょう。
主人公は、高校3年生(受験生)の僕。僕の周りには、様々なタイプの<数学ガール>がいる。
僕と同学年の数学の天才・ミルカさん。彼ら数学愛好者にとっての講師的な存在で、その類まれな数学的才能で、数学愛好者たちを未知の世界へと引き込んでいく。ツンデレのデレがほとんどないバージョンで、僕はミルカさんのことが好き。
一学年下の後輩・テトラちゃん。テトラちゃんは当初、僕に数学を教わりに来た子。数学に興味があるけど、凄く理解できるというわけではなかった。けれど、ミルカさんや僕との数学談義でメキメキと力をつけていき、今でも僕に数学を教わるけれども、僕には思いつかないような発想や理解にたどり着くことも多い。言葉に対する感覚が鋭いのと、分からないことを分からないまま放置しないことが強み。
僕の従姉妹のユーリ。中学3年生(受験生)。ユーリはよく僕の部屋にやってきて数学を教わる。中学生だから、まだそこまで難しいことは理解できないのだけど、数学への興味は抜群。論理に関して強みを発揮する。
双倉図書館の主みたいな存在の赤髪のリサ。寡黙で単語でしか喋らないが、数学の才能は確か。ミルカさんとは従姉妹同士。常にラップトップのパソコンをいじっている。
こういった面々が、様々な場所で数学談義を繰り広げる。そして本書の最後では、学園祭での展示という形で、ガロアが残した第一論文を丁寧に追っていくことになる。
というわけで、本書の中身をざっと追っていこう。基本的に、ちゃんと分かって書いているわけではないから、間違っていることも多々あるでしょう。なんとなくざっくりとした流れ、みたいな感じで捉えてください。
第一章は、ユーリと僕による「あみだくじ」の話。あみだくじを数学的に扱うために色んな記号なんかを導入して、<ぐるりん>とか<すとん>と言った表記も導入して、あみだくじの構造を探っていく。
第二章では、ユーリと僕による二次方程式の話から、<体>の話になる。<体>というのは、加減乗除が定義されている数の集合。加減乗除によって閉じている、なんて表現もする。つまり、その体の中に含まれているどんな要素についても、加減乗除をすることでその体に含まれる数を生み出せる、ということだ。この体の概念は、本書の中で特に重要だ。最後の最後まで体の話は付きまとってくるから、体についてはきちんと理解しておこう。ここでは、二次方程式を解く中で、<体に冪根を添加する>とか、<体の拡大>なんていう話が出てくる。要するに、因数分解をどの範囲で行うのかというのを、体の概念を使って表現しているのだけど、なるほど面白い。
第三章では、ユーリが研究しているあみだくじを使って、<群>の話がされる。この<群>も、<体>と並んで非常に重要な概念だ。群はちょっと定義がサクッと書けないんで省略するけど、ここでは、単位群・巡回群・部分群・アーベル群など、群の基本となる話について詳しく解説される。
第四章では、村木先生のカードが登場する。村木先生というのは、僕やテトラちゃんに時々数学の問題をくれる先生。今回の村木先生のカードには、「x^12-1」という式しか書かれていなかった。この式について色々と考えてみなさい、という意味だ。テトラちゃんと僕はこの式についてあれこれ考える中で、正十二角形や三角関数にたどり着く。そしてそこからはミルカさんが引き取る。ミルカさんは、1の原始12乗根(12乗して初めて1になる数)を考え、そこから素数のように因数分解できる円分多項式の話や、方程式というくびきを持つ共役複素数についての話になる。
第五章では、角の三等分問題をユーリと一緒に考える。角の三等分問題は、古代ギリシャの時代からある非常に有名な問題だ。これは、<与えられた2点を通る直線が引ける>定規と、<与えられた2点の片方を中心とし、他方を通る円が描ける>コンパスだけを使って、与えられた角を三等分出来るかどうか、という問題だ。これは既に証明されていて、「三等分できない角度もある」ということが証明されている。定規とコンパスだけで、加減乗除と開平(二乗根の計算)は出来ることが分かっているから、角の三等分問題というのは、ある数が<加減乗除と開平によって生み出せる数=作図可能数>であるかどうかを考える問題と捉えることが出来る。
ここから僕は、60°が三等分出来るかどうか考える。それは、c0s60が作図可能数かどうかという問題に読み替えられ、さらに<x^3-3x-1=0は作図可能数の解を持つか>という問題に帰着出来る。これを、有理数の解を持つか、という問いから初めて、体に冪根を添加する有限のステップで解き明かせることを示す。
第六章では、ベクトルの話から線形空間の話になる。線形空間とは、ベクトルのスカラー倍と、ベクトルとベクトルの和の二つが定義された空間のことで、座標平面や複素平面を<◯上の線形空間(◯には、実数とか有理数とかが入る)>と捉えることで、線形空間の話から、空間の次元の話が取り出せることを示す。
第七章では、また村木先生のカードが登場する。今回は、7枚のカードが登場する。そしてこの7枚のカードを順に攻略していけば、三次方程式の解の公式が導き出せるという。ここで、後の話でも重要になる<ラグランジュ・リゾルベント>の話が出てくる。n次方程式のラグランジュ・リゾルベントを考えることで、方程式を代数的に解くとは、<方程式の係数体から最小分解体まで、冪根の添加でたどり着くこと>だとわかる。
第八章では、テトラちゃんが僕に講義するという珍しい一幕。体について包括的に知るために、参考書で勉強したことを、自らの理解のために僕に話す。ここでは、拡大次数、つまり、ある体に冪根を添加することでどれだけ次数が拡大するかを示すもので、そしてこのやりとりの中で、テトラちゃんは大きな発見をする。しかし…。またミルカさんから、対の拡大次数を使った角の三等分問題の解法に関する手紙が届く。
第九章では、学園祭の展示の準備も兼ねつつ、ユーリの研究しているあみだくじを元に、あみだくじの時に出て来た三次の対称群S3を分類する。S3の部分群による割り算の結果出て来たものを剰余類と呼び、それによって対称群を分類する。また、剰余類の集合が群になるものを正規部分群と呼び、これこそがガロア理論における核心の一つとなる。
第十章では、ガロアが遺した第一論文を、これまで学んできたことを元に追っていく。
という感じの内容です。
今回も面白かったなぁ!ホントこのシリーズは、どんどん難しくなっていく。「数学ガール」の第一巻目とか、今から考えるとかなり易しかったなって思いますね。
難しくなっていく原因の一つ(っていう言い方はきっとおかしいんだけど)は、テトラちゃんがメキメキと実力をつけてきたってのがあるんだと思います。シリーズの初めの方では、テトラちゃんはまだ結構初歩的な理解しか出来なくて、だから作品全体のトーンもテトラちゃんが理解できる範囲に落ち着いていたんだけど、今ではもうテトラちゃんはかなり理解力が増して来ていて、それもあって余計難しくなっていく。とはいえ、中学生のユーリがいるから、ユーリが出てくる部分の話は、まだちゃんと追いつける。そういう風に、キャラクターを成長させながら読者の理解についてもきちんと配慮があるこのシリーズは、やっぱり素敵です。
しかしやっぱり難しかった!特に、<体>と<群>がハンパなく難しい。僕は数学好きだけど、やっぱり概念的なものを理解するのは凄く大変。方程式を式変形でガリガリ解いていくみたいなのは別に普通に出来るんだけど、<体>とか<群>って形が目で見えるものじゃないんですよね。手触りもないし、匂いもない。そういうものについて、数学的な様々な道具を使って攻めて行く。それが数学の醍醐味なんだけど、でもホント難しいんだよなぁ。楽しいけど!
しかしガロアが凄いのは、数学的な概念がまだ生み出されていなかった時にガロア理論を生み出したことだ。ガロアの第一論文は、当時最高の数学者であったポアソンでも読みにくいと言っているほどだという。しかし、それは仕方がない。何故なら、当時はまだ<体>とか<群>とかって概念が存在しなかったからだ。ガロアは、<体>とか<群>とかってものがきっちりと発見され定式化される前に、概念だけを自らの内側で掴んでいた。そして、それを表現するだけの数学的な言葉や道具を持たないままで、自らが考えたことを記していったのだ。それは、1とか2とかっていう数字がない時に計算をやらなければいけないようなもので、メチャクチャ大変だっただろうと思う。ガロアは、決闘の前夜まで論文に手を加え、また親友に手紙を送っていた。だからこそ今僕らは、ガロアの思考を追うことが出来る。
最終的な到達点であるガロア理論は、やっぱりメチャクチャ難しかったんだけど、でも案外読めた。もちろんそれは、それまでの章でガロア理論の理解に必要となる様々な概念を分かりやすく提示してくれているからなのだけど、それにしても思ったよりは読めた。前のゲーデルの不完全性定理の方が圧倒的に難しかったなと思う。普通にガロア理論を理解しようとしたら、ここまでは理解できないだろう。それが、このシリーズの凄さなんだよなぁ。
<体>や<群>の話が滅法難しかった僕にとって、本書の中で凄く面白かった話というのは、角の三等分問題と、村木先生のカードによる三次方程式の解の公式の話。この二つは、どちらかというと式をガリガリ変形していくようなタイプの問題で、概念的に難しい話がそこまで出てこないから凄く好きです。
角の三等分問題は、なるほどそういう話だったのか、というのが凄くわかりました。作図可能数というのは聞いたことがあるような気がするし、定規とコンパスで加減乗除と開平は出来るって話も、ガウスが正十七角形の作図が可能であることを示した話も知ってたんだけど、なるほど全体としてはそういう話だったのか、と。角度を三等分するという問題が、普通に方程式をガリガリ変形して解いていく話に変換できてしまうってところが、凄く面白いなと思いました。
三次方程式の解の公式の話もいいですね。自力では絶対に思いつかないような式変形とか確かにあるけど、数式を追っていけば、なるほどそういうことかと理解できる。前に「数学ガール」のシリーズの中で、フィボナッチ数列の一般項を求める話があって、あれにも感動したけど、この三次方程式の解の公式を導く話も凄く面白かったです。
このシリーズは、人間関係もうまいこと描かれているというのがいい。しかもそれも、ただの付け足しとしてではなく、数学と絡みあっている。特に、第八章でのテトラちゃんによる講義の場面は素晴らしい。数学のやり取りの中でうまれた感情によって、関係性が変化していく。萌え的な要素をただ無闇に足しているのではなくて、数学的な展開と絡めて人間関係の変化も描かれるというのはやっぱり凄いなと思います。
あと、凄く印象的だったのは、第十章における、ミルカさんのガロアに対する感情ですね。普段感情を顕にしないミルカさんだからこそ、凄く映えるなぁ、と思いました。
だんだんシリーズが難しくなっていって、それは歯ごたえという部分では凄く素敵なんだけど(やっぱり、一般向けに書かれる数学の本って、どうしても「わかりやすい!」とか「数式はありません!」みたいなのが多くて、物足りなさを感じることが多いのです)、でもついていくのがホント大変になるなぁ。これを読むために、一週間ぐらいの休暇が欲しいよ(笑)。ホントに、後の数学者なんかに絶対、中学の頃から「数学ガール」を読んでました、なんて人が出てくるよなぁ。ホントに素晴らしいシリーズだと思います。本書はちょっと文系の人には難しすぎると思うけど、シリーズ第一弾なんかは、文系の人でも半分ぐらいは読めるんじゃないかなって気がします。是非読んでみてください。本書にも、こんなことが書かれています。

『もっと読もう。もっと学ぼう。本は私たちを待っている。』

結城浩「数学ガール ガロア理論」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)