黒夜行

>>2011年08月

ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体(適菜収)

内容に入ろうと思います。
本書は、現在の日本を動かす最大勢力である「B層」について分析しつつ、そこに、ほらゲーテも昔こんなこと言ってるよ、今の日本もそんな感じでしょう?と、ゲーテの言葉を引用している、と言う内容です。
内容に入る前に絶賛しておきましょう。これ、マジ面白い!!時々新書を読むけど、久々の超超超大ヒットです、僕の中で。
さて、まず「B層」とは何か。
この呼び方の起源は、2004年12月15日に、スリードという広告会社が作成した、「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」という資料に載っている呼び方をそのまま使っているものです。これは、いわゆる郵政選挙と呼ばれる、小泉純一郎が大勝した選挙において、内閣府が広告会社に依頼したものです。
そこには、郵政民営化に賛成かどうか、IQが高いかどうか、によって、国民を四つに分類し、それぞれにA層~D層という名前をつけています。
その中で、郵政民営化に賛成でかつIQが高くない人たち、を「B層」と名付けています。
本書では、それをそのまま流用する形で「B層」という呼び方を使っています。本書における「B層」の定義を抜き出してみます。

『B層、とは、知的程度がそれほど高くなく、A層(財界勝ち組奇業・大学教授・マスメディア)から投下されたメッセージをそのまま鵜呑みにしてしまう層です。企画書にあるように、「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」ですね。
B層は自分のたまで考えるのではなく、A層から結論を与えられるのを待っている。逆にA層にとって、B層は最大の顧客なので、B層向けコンテンツを中心につくるようになります。
その結果、A層とB層の間で増幅作用が発生し、巨大なB層エネルギーが誕生する。そしてこれが社会全体を飲み込んでしまった状態が我が国の現在です』

本書の冒頭には、こう書かれています。

『今、日本を動かしているのは誰だと思いますか?
内閣総理大臣ですか?
財務官僚ですか?
アメリカですか?
いいえ、ちがいます。
B層です。』

ここを読んだ瞬間にもう、この作品は間違いなく面白いだろうなぁ、と直感しました。

その後にこんな風に続きます。

『誰もがうっすらと気づいていたけれど、表立っては言えなかったこと。それは、今の日本の最大の謙抑者がB層であるということです。』

そう、確かに気づいていた。はっきりと、明確に、ズバッとした言葉で自分の中で表現できていたわけではないけど、確かに僕も気づいていた。いやーな雰囲気とともに、そういう最大勢力の存在には気づいていた。本書はそれを、明快な言葉でズバッと文章にしてくれたので、本当にすっきりしました。

本書の目的を著者はこんな風に書いています。

『本書の目的は、B層を批判したり、からかったりすることではありません。B層を「上から目線」で非難するのは、無意味であり見当違いです。
(中略)
B層が一定の割合で存在するのは必然ですし、B層をなくすことはできません。そうではなくて、わが国におけるB層の急拡大が、歴史上どのような土壌の上に発生したものであるのか、そして、それがわが国の将来にどのような影響を与えるのかについて考える必要があるのです。』

B層が存在することは仕方ない、というのは僕もその通りだなと思うのです。僕の周りにも、あぁこの人はまさにB層だな、というような人がいたりしますけど、そういう人たちの考え方が変わるとはとてもじゃないけど想像出来ないのです。確かに、B層の急拡大はちょっと恐ろしい。僕と同じような恐ろしさを日々実感する人もきっと少なくはないだろうと思います。それでも、結局僕らはB層と共に生きていかなくてはいけない、じゃあどうするのか、というような方向性で考えなくてはいけないんですよね。
と、ここまで色々書いてきましたけど、一つ僕の中で大きな前提があります。僕は本書を、メチャクチャ面白いと感じましたけど、恐らくそれは、『自分はB層ではない』という大きな前提を自分の中に設けている、ということのはずなんですね。でもそれは、過信しすぎるのは怖い。本書を読み続けてずっと感じていたことは、自分がB層だったらどうしよう、という恐怖です。
例えば本書にはこんな文章がある。

『B層の特徴は歴史を知らないことです。そして歴史は趣味の一種であり、それを知らなくても生きていけると、かたくなに信じています。』

僕はそういう人間なんですね。歴史を学ぶことにどれだけの価値があるのか、実感できない。だから、歴史をまったく知らないのです。もちろん、自分が歴史について無知だ、という自覚はあるので、歴史に関わる部分に関しては沈黙する、という程度の節度はあるつもりですが、歴史を学ぶ意志は結局ないわけです。
また僕は、前の民主党が政権をとった選挙の際、少なくともあの瞬間だけは、確実にB層でした。本書を読む限り、あの選挙における民主党のマニュフェストは、詐欺みたいなものだったんだそうです(もちろん、分かっている人には当然の話なんでしょうけど、僕は政治の話も無知でして)。あの時は本当になんとなく、周りの雰囲気に流されるようにして投票をしたのでした。普段はB層ではないかもしれないけど、B層として振舞ってしまう瞬間がある、という可能性はもちろんあります。本書を読んで本当に、B層的な行動だけはすまい、と思ったし、知らないウチにB層的な行動を取ってしまっているかもしれないことを物凄く恐ろしく感じました。
本書は、様々な話が出てくるわけですが、基本的には政治の話が多い。B層が力を持つことで政治がどう変わってしまったのか。
本書にはズバッとこう書かれている。

『B層社会では、政治の低レベル化が進みます。政治家としての能力より、B層に受ける能力のほうが重要になってくるからです。』

それを意識的にやっているのが、小沢一郎であり、小泉純一郎であるんだそうです。小沢一郎は、民主党のマニュフェストが実現不可能であると当然分かっていたし、識者にもそう指摘されていた。しかし、その識者による指摘がB層に届かないことも見抜いていた。そこに小沢一郎の天才性がある。また小泉純一郎は、民間調査会社に世論調査をさせ、政権の支持率が上がることを確認してから参拝を決定した、というような話も本書には出てきます。
B層は、自分に分からないものを徹底的に受け入れない。理解出来ないものを遠ざける。だから、安倍晋三が「戦後レジームからの脱却」と掲げた時、「レジーム」を理解できなかったB層は無視した(と書いてる僕も、レジームの意味は分からない)。一方で、自分の土俵の話には徹底的に食いつく。だからこそ、麻生太郎の漢字の読み間違いには恐ろしい勢いで食いついた。
B層に受けるパフォーマンスが出来るか否か。もはやそれだけが政治家としての評価の対象になってしまっているわけです。
そもそも著者は、『民主主義は最悪の政治形態』と書いています。というかこれは著者だけの意見ではなく、過去様々な知識人が同じ事を言っていたらしいのです。政治に直接民意を反省させてはいけない。これは、ナチス初め、様々な過去の教訓からも明らかなんだそうです。
僕は、『民意を尊重する医者がいたら嫌でしょう』という喩えで凄く納得しました。確かに。医療も政治も、プロがプロによる判断によって動かすべきなのかもしれない、と思いました。
本書には他にも、様々な話が出てくる。章立てとして括られているものとしては、「B層グルメ」と「B層カルチャー」がある。どちらも、B層の存在がいかにグルメやカルチャーに壊滅的な打撃を与えたのか、という話が書かれます。
書店員的に頷けるのは、ベストセラーの話。ここ最近のベストセラーはほとんど、B層が反応することで生み出されている。そしてテレビも本もそうだけど、何故これほどまでに低レベルなコンテンツが溢れているのかというと、頭のいい人間がB層を対象に商品をつくっているからだ、と本書では書かれています。書店の現場にいると、そうだよなぁ、と凄く実感できてしまう話でした。
ちょっと前の話だけど、バイト先のスタッフに話の流れで、『まあ、テレビで言ってることなんて半分以上嘘だからね』って言ったら、「へぇ~そうなんだ~、知らなかった。」という反応をされました。テレビで言ってるから正しい、と鵜呑みにしてしまう人が多いんだなぁ、と実感した出来事でした。もちろんテレビにしたって雑誌にしたって正しいことも書いてあるだろうけど、基本的には、A層の言うことを疑問なく受け入れるB層向けの、誰かが儲かったり都合が悪い部分を隠したり何かの流れを作ったり、そういう意図が隠された情報が垂れ流されている、というのが正しい認識だろうなぁ、と思うんですね。まあ、雑誌は元々読まないし、テレビは最近本当に見なくなったからあくまでもイメージですけどね。
僕は自分が一流にはなれないし、一流のものを理解できるわけでもないということはもう知っています。だからこそせめて僕は、三流のものを必要以上には認めない、という立ち位置をなんとか保とうと思っています。
本書は、なかなか過激なことも書かれているので、内容すべてに賛同しているわけではないけど、B層という最大勢力を定義し、B層がいかに危険な存在であるかを明確に文章にしてくれている、という点で、僕の中で本当にしっくりくる作品でした。メチャクチャ面白かったです!「ゲーテの警告」っていうタイトルは、本当に売れなさそうな匂いしかしませんが、本書を読む限り、これはきっと著者の意向なんだろうなぁ、と勝手に想像しました。この内容なら、いくらでもB層が手に取りそうなタイトルをつけて売り出すことは出来ただろうと思います。でも著者はそれを良しとしなかった。敢えて「ゲーテの警告」という、B層がまったく反応しなさそうなタイトルをつけたんだろう、と勝手に想像しました。だからこそ僕は、この作品をB層まで届くように売るのが目標です。
本書は、日本人必読ではないかと思う作品ですが、特に物を作ったり売ったりしたりしている人には読んで欲しいかもしれません。もちろん、そんなこたぁもう随分前から知っとるわ、という人もいるでしょうし、読んだところで明確な解決があるわけでもなく殺伐とするだけです。ですが、それでも、B層という層をきちんと意識し、それとどう向き合っていくのか、ということを考えることは非常に大事だろう、と思います。本書で描かれる桑田佳祐のように。
というわけで、本当に是非読んでみてください。久々に新書で僕の中で大大大ヒット作品です。メチャクチャ面白いです。

自分用のメモで、POPのフレーズを書いておこう。

『日本人必読の書!ゲーテとかマジ関係ねぇから安心して』

『B層が空気を作る。その空気は、日本を滅ぼす』

『自分がもしB層だったら…と思うと恐ろしい!いや、僕はB層じゃない!…たぶん…』

適菜収「ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体」



さざなみ(沢村凛)

内容に入ろうと思います。
本書は、まったく関係のなさそうな三つの話が同時進行していく構成になっています。
一つ目は、俺(秋庭智和)の話。借金まみれで自己破産寸前、しかし事情があって自己破産も出来ない、という俺は、そんな折、利根という男からある仕事を依頼される。それは、執事になれ、というものだった。
しかしその仕事内容は、実に奇妙なものだった。女主人である「絹子さん」(そう呼ぶように言われている)がベルを鳴らすと、飛んでいかなくてはいけない。そこで用事を言いつけられる。しかしその用事が、雑談の相手であったり、誰かを呼びに行くであったり、というものばかり。しかし、難問が一つある。
それは、絹子さんがなんとなく伝える『願望』を実現させることだ。
例えば、『あの月を取ってきてくれない?』と言われる。もちろん無理だ。俺に求められているのは、いかにその難題に素敵な回答を提示できるか、ということだ。これは実にしんどいが、やりがいがないとも言えなくて…。
二つ目は、サラリーマンの奥山史嗣の話。奥山は、何か厄介なものを抱えているらしい。しばらくの間、ずっとそれがなんなのかは明かされない。しかし奥山は、常にチャンスを伺っているようである。よくは分からないが、どうも何かをしなくてはいけないらしい。しかしそのチャンスがなかなか巡ってこないらしいのだ。別に強制、というわけではない。気にしないことに決めてしまえば、それで済んでしまうはずだ。でも奥山には、それをどうしても捨てることが出来ない…。
三つ目の章は、特定の誰かが主人公というわけではない。様々な人間が出てくる。日常のちょっとした出来事だ。水たまりを踏んで剥がれてしまったネイルを直したい女の子、倒れてしまった自転車を直そうとしたら誰かが手伝ってくれた話、ヒッチハイクで車に載せてくれた話…。
というような話です。
物語の構成は非常に面白いですね。昔読んだ、佐藤友哉の「水没ピアノ」って作品を思い出しました(構成だけの話をしているんで、内容的にはまったく違いますけどね)。三つの話が同時並行で進んでいく。それぞれの話は、どう読んでも、関連性があるようには見えない。しかし、最後にはそれぞれがきちんと絡み合っていく、という構成。この構成はなかなかよく出来ている。
ただ正直なところ、それだけの構成をやるほどのラストか、という気はする。確かに、巧くまとめてはいる。なるほど、そういうことだったのか、という感じもする。んだけど、ちょっと弱いような気がするんだよなぁ。特に僕は、奥山の話が浮いているように感じてしまう。俺(秋庭智和)と、色んな人のオムニバスの話は、構成的に巧くハマる。でも、奥山の話は、オムニバスの話とも若干被るし、何よりも、奥山の抱える苦悩が、どうもしっくりとこない。もちろん、奥山のような人間がいるだろうということは理解出来る。出来るけれども、それを長編の中の一つの章で描いて、果たして読者から共感を得られるような物語になるか、というのは疑問なんだよなぁ。この奥山の章は、もう少し違った形の方向から攻めた方が、全体的にももう少し面白くなったんじゃないかな、という気がします。構成がなかなか良かっただけに、ちょっと残念でしたね。
俺(秋庭智和)の話は、なかなか面白いですね。特に、絹子さんの存在感がなかなかいい。個人的には、最後の最後の付け足しは蛇足なんじゃないかな、という気はします。絹子さんは、まああのままの存在で良かったんじゃないかしらん。
文庫の裏面の内容紹介に書いてある、『波紋のチンギスハンのシマウマ作戦』って、もはやさっぱり意味不明だろうけど、読むと、なるほどこれのことかと。なかなか面白いと思います。
同じような構成の「水没ピアノ」が、ちょっと驚愕的なネタを持った作品だったんで、どうしてもそれと比べちゃうところがありますね。構成の巧さに内容が若干ついていっていない感じがしました。この構成で小説を書くなら、もうちょっと大きなネタを仕込んだ方が巧くいったんじゃないかな、というのが正直な感想です。とはいえ、まあさらっと読むには悪くない小説かもしれません。

沢村凛「さざなみ」



刑務所図書館の人びと(アヴィ・スタインバーグ)

内容に入ろうと思います。
本書は、ハーバードを卒業した後、刑務所内の司書になった男の、日常を描いたノンフィクションです。
著者はユダヤ人で、僕はちょっと詳しくないんですけど、ユダヤ人っていうのはどうも、医者とか弁護士とかにならないと肩身が狭いんだそうです(ホントかなぁ)。まあともかく、子供の頃はユダヤの経典について研究するほど熱心だったアヴィは、しかしやがて(何があったのかはっきりとはわからないけど)次第にユダヤ教から離れ、今ではユダヤ教の教えをまったく守らない生活をしている。そんなアヴィだからこそ、ユダヤ人のコミュニティからもはじかれているような状況で、アヴィは生活のために、新聞社で死亡記事を書き続けていた。
ある日見つけた求人が、刑務所の司書だった。司書の資格を持っているわけではなかったが、健康保険に入ることが出来るという点に強く惹かれて応募することにした。そしてアヴィは採用された。
刑務所内の図書館(本書では図書室と呼んでいるけれども)は、なかなか特殊な環境だ。それは、非常に危険だ、という風に言ってもいい。あらゆる囚人が自由に出入り出来る。しかも、本は頭の使いようによっては様々な道具や武器に作り変えることが出来る。鉛筆一本でさえも、管理を厳重にしなくてはいけない。
また、図書館で禁制品のやり取りが行われたりする。あるいは、本のあいだに手紙を挟んで文通のようなことをしたりもする。そういう部分に目を配り、時にはどうしようもなく目溢しすることもある。
受刑者との関わり方も難しい。必要以上に親しくなるわけにはいかないし、もちろん特定の受刑者だけに便宜を図るようになってもいけない。しかし、やはりそれぞれ個性のある受刑者たちと、個人的な関係というのが出来ていく。特に、受験者の中で図書館の運営を手伝ってくれるスタッフや、アヴィがやっている文章講座の生徒たちなんかは、他の受刑者たちよりも関わり合いが深くなっていく。
その中でも、特別深く関わることになる受刑者というのが出てくる。その一番の存在が、ジェシカだろう。
ジェシカは、アヴィの文章講座の生徒だった。だった、というのは、途中でアヴィがジェシカを文章講座から追い出したからだ。
文章講座を行う教室からは、グラウンドが見える。ジェシカは文章講座のあいだ、ほとんど外ばかりを見ている。それは、他の受講者たちにとっても良くない影響を与える。そういう理由で、アヴィはジェシカを辞めさせた。するとジェシカは、それまで結構頻繁にやってきていた図書館にも来なくなってしまった。
ジェシカが外を眺めていた理由を知るのは、大分後になってからだ。ジェシカは刑務所のグラウンドに、ある人物を見つけていた。刑務所内は、基本的に外が見える作りになっていない。彼女は、その人物を見るために、文章講座を取っていたのだ。
それはアヴィにとっては、胸の痛むような話だった。それで、どうにかジェシカと連絡を取り、条件付きで文章講座に戻ってくるように伝えた。
それからも、ジェシカとは深く関わることになる。時には、刑務所のスタッフとしてのモラルを逸脱することもあった。何が正解なのか、アヴィにもわかっているわけではない。でも、目の前にいるジェシカの力になってあげたい、という気持ちを抑えることが出来なくなってしまっているのは確かだ。
他にも、様々な受刑者がいる。図書館の仕事を手伝ってくれるスタッフで、法律関係のことに滅法詳しい者。自らの生い立ちを見つめ、ひたすらに小説を書き続けるもの。テレビに出られるようなシェフになることを目指す者。アヴィは彼らと向き合い、時に刑務所の司書として、時に刑務所の一スタッフとして、そして時に友達のような間柄で、彼らの現実の手助けをする。
時には刑務官とやりあうこともある。図書館の司書という立場は、どうしても刑務官より劣る。しかし司書にも、守るべき立場や環境がある。アヴィは、面倒なことになることを承知の上で、時折刑務官とやりあう。そうやって、少しずつ受刑者たちの信頼を得ていく。
また時折、アヴィ自身の生い立ちなんかが語られる。大学時代の話、祖母の話などなど。アヴィ自身も、割り切れない様々な思いを抱えながら、図書館の司書という仕事を続けている。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。こういう、よくよく考えてみればそういう立場の人間も存在するとは分かるんだけど、けど普段なかなか想像もしないような世界の話っていうのは、興味深いなと思いました。
受刑者にとって図書館というのは、決して本に触れる場所ではない。本を読まない人間の方が多いし、読んでも雑誌なんかが多い。受刑者にとっては、誰かと話す場所であったり、何かものをやり取りする場所であったり、本を盗む場所であったりする。
本書には、こういう文章が出てくる。

『刑務所の図書室は、99.9%の受刑者にとっては無用の長物だが、マルコム(X)のような人間を再び排出する可能性があるというだけで存在価値がある』

これは、そういう意見を持つ者もいる、という意見であって、著者自身の意見ではない(はずな)んだけど、そういうもんなんだろうなぁ、という感じはしました。著者自身は、文章講座を自ら開くぐらいだし、本も結構読んでいるのだけど、でもその知識が活用される場面はそう多くはない。それよりも、どんなものが武器に変わりうるのか、受刑者と接する上でどんな点に気をつけなくてはいけないのか、刑務官との関わり方はどうであるべきか。そういう部分が重要になってくる。図書館という環境とこれほどまでにかけ離れた世界はなかなかないだろう。普通の図書館の話も、読んだら面白いだろうけど、刑務所内の図書館というのも滅法面白い。
ただ個人的には、ちょっと余分な部分が多いような気がするんだけどなぁ、という感じはあった。著者の経歴みたいな話はまあいいとしても、途中で祖母の話が出てくるのは、ちょっと要らないんじゃないかなぁ、という感じがしました。個人的には、もっと色々と削って分量を減らした方がよかったんじゃないかな、という感じはしました。そうすれば、もう少し受け入れやすくなったのかなぁ、と。
正直に言えば、この作品、僕はまだ最後まで読み切れていなかったりします。あと五分の一ぐらいかな。ちょっと色々あって、次から次へとやってくる読まなくてはいけない本の洪水に押されて、ちょっとしばらく読めそうにないので、この段階で感想を書いてしまうことにしました。その内機会があれば、最後まで読もうと思います。なかなか知る機会のない世界の話なんで、面白いんじゃないかと思います。読んでみて下さい。

アヴィ・スタインバーグ「図書館刑務所の人びと」



水底フェスタ(辻村深月)





内容に入ろうと思います。
舞台は、睦ツ代村という、ロックと織物の村。
睦ツ代村では毎年、日本五大フェスの一つ、ムツシロ・ロック・フェスティバル、通称ムツシロックが開催される。広大な敷地のあちこちに会場が散らばり、元ゴルフ場だった場所にテントを張ってオールナイトのイベントにも参加できる。このムツシロックのお陰で睦ツ代村はかなり裕福で、平成の大合併の際にも、周辺の自治体からの合併要請をはねのけ、今でも村として存続している。
高校生の湧谷広海は、そんな睦シ代村の現村長・飛雄の息子だ。
広海は、睦ツ代村でほぼ唯一、ムツシロックの価値を知っている人間だ。ムツシロックを睦ツ代に誘致した全村長も、そして村の住人のほとんども、ムツシロックがいかに価値のあるイベントであるのか理解していない。それは、広海の幼なじみである門音と市村も同じだ。広海の後をついてムツシロックまで来るものの、その価値を理解しているわけではない。睦ツ代村でムツシロックの価値を理解できているのは、広海と、現村長で父である飛雄ぐらいのものだ。穏やかで村長らしからぬ飛雄とは、音楽の趣味を通じて繋がっている。
そしてもう一人、ムツシロックの価値を共有できる人物がいる。
ムツシロックの夜、広海はフェスの会場で、織場由貴美の姿を見かけた。
織場由貴美は、睦ツ代村出身の女優だ。知名度はそれほど高いわけではない。それでも、人目を惹く容姿は圧倒的だ。幸いその夜は、由貴美の存在に気づいたものはほとんどいなかったようだ。プライベートで来ているのだろうから、気づかれたくないだろう。
しかしフェスの夜から由貴美は、かつて自分が住んでいた、荒廃したボロ家に住み始めた。由貴美は既に両親を亡くしている。由貴美はただでさ、中学卒業と同時に村を出て、村の人間からよく思われていなかったが、母の葬式の際の態度で、また村中を敵に回すことになった。今村に居着いても、由貴美の味方はほとんどいないと言っていいだろう。
何故由貴美は、狭い社会特有の好奇心から自分が住む家の周囲を取り囲まれるようなことになっても、何故村にとどまり続けているのか。
それは、ちょっとした偶然だった。夏休みの最後を、小さな集落を水没させて作られた水根湖のほとりでゆったり過ごそうと思った広海は、そこで泣いている由貴美と出会ってしまった。
出会ってしまった。
広海は由貴美に言われた。
「村を売る手伝いをしてくれない?」

というような話です。
いやー、これは良かったです!こういう陳腐な表現は僕はあんまり好きじゃないんだけど、でもこれは、辻村深月の新境地と表現してもいいのではないかという感じがしました。これまでの辻村作品の良さを継承しつつ、新しいステージにたどり着いている。そういう印象を強く受けました。
まずはじめにどうしても書いておきたいことがある。あくまでこれから書くことはすべて僕の憶測で、まったくそういう意図はなかったりするのかもしれないけども。
僕は昔から、辻村作品に対してはこういう感想を常に抱いていた。
『子供の世界を書くのは巧いけど、大人の世界を書くのはそれほどでもない』
本作を読んだことで、この表現を訂正しなくてはいけないだろう、と思いました。
辻村深月は、子供を描くのが巧い、というのは正しいのだけど、それをもっと正確に捉えれば、『閉じ込められている感』を描くのが抜群に巧い、ということなんだと思います。子供の世界というのは本当に閉じている。主に学校で、もちろん学校以外の場所でもいいんだけど、基本的に狭い世界の中で生きている。それ以外の場所に逃げこむことは、自分一人の力ではなかなか難しい。また時には、閉じ込められているだけではなく、自らを閉じ込めることさえもある。辻村深月はそういう、絶望的な環境に閉じ込められた、その状況を描くのが抜群に巧いのだと思いました。
だからこそ、と繋げるのは少しおかしいのかもしれないけど、だからこそ辻村深月は、大人の世界を描くのが不得意、というか、子供を描く時のような強さを感じられないことが多いのかな、という感じがしています。大人って、どこか一つの世界にどうしようもなく閉じ込められてしまうことってなかなかないし、あったとしても、自分一人の力でそこから抜け出せる、それだけの環境は持ち合わせている。だから基本大人の世界というのは閉じない。もちろん閉じた世界もあるのだろうけど、子供の世界は閉じているのがデフォルトであるのとは対照的に、大人の世界はそこまでは閉じていない。
本書では、『閉じ込められている感』をすべて、『村』という環境が担っている。恐らくその点が、この作品が成功している大きな理由の一つではないかと思うのだ。
本書では、詳しい部分には触れないけど、かなり大人の世界が描かれている(その部分はネタバレ満載なので、ほとんど触れられない)。これが普通の環境での話であれば(もちろんそうであればこの作品は根本的に成り立たないのだけど、まあそれは置いておいて)、『閉じ込められている感』の含まれていない作品になって、辻村さんらしさの出し切れていない作品になっただろうと思います。でも本書では、大人の話を描きつつ、『閉じ込められている感』については、『睦ツ代村』という特集な村の環境がそれをすべて担っている。周囲の幼なじみなどと比較しても、そういう『閉じ込められている感』に敏感な広海を主人公に据えることで、子供の世界をほとんど描くことなく『閉じ込められている感』を滲み出させることに成功している。個人的に僕はずっと、先ほど書いたような、大人の世界は基本閉じていないという理由から、辻村さんは大人の世界を、子供の世界ほどには力強く描けないのではないか、と非常に失礼なことを考えていた。でも本書を読んで、なるほどこんなやり方があったのか!と驚きました。もちろん、じゃあいつでも村の話にすればいいかってそういうわけでもないから、まあ大変は大変だろうけど、本書で辻村深月は、『閉じ込められている感』と『大人の世界』を両立させることが出来る、という証明をした、と僕は感じました。
これを辻村さんが意図的にやったのか、あるいはただの偶然だったのかはわからないけど、どちらにしてもこの作品を書いたことで、辻村さんは作家としてちょっと何かが変わったんじゃないかな、と物凄く勝手に想像しています。
どうしても書きたかったことはとりあえずここまで。
正直本書は、なかなか内容に触れにくい。僕がさっきからそう表現している『大人の世界』の部分については、物語の大きな核になるので、基本的にはほとんど何も書けない感じです。物語がどう展開していくのか、読み進めながらしばらく予想がつかない物語でもあるんで、物語の大きな核の一つであるこの部分についてはほとんど触れないことにします。ただちょっとだけ感想を書くとすれば、怖い。怖すぎます。物語を追っていくと、東名高速道路を車で走っていたら、いつの間にかエアーズ・ロックに辿りついた、とでもいうような、そういう、日常から非日常への移行があります。いや、移行というのは違うか。日常と非日常が融け合って混じり合っていくような、そういう不安定感が本当に恐ろしいです。辻村深月の描く、刀を一閃するような鋭い文体と村の稠密な情報とが、日常の輪郭を否応なく際立たせた上で、その日常が非日常と融け合って行くので、恐ろしいなんてもんじゃありません。僕は昔から、こういう狭い共同体(村に限らず)って体質的にまったく受付ないんだけど、この物語は、僕みたいな拒絶感を普段抱かない人でも、ちょっとゾワッとするような、そんな物語なんじゃないかな、という気がします。
でも一応書いておきますけど、別に本書は、いわゆる『ホラー作品』ではありませんよ。怖さを感じるのは、ここで描かれていることが、現実と地続きなのだろうと容易に想像できてしまう部分なのです。
というわけで僕は、もう一つの物語の核である、広海と由貴美の恋愛の話を書くことにします。
本書の帯には、色んな文句が書かれています。例えば、『祝祭の夜には誰も死んではならない。』『復習するためこの村に帰ってきた。』とかですね。その中の一つに、
『辻村深月が描く一生に一度の恋』
というフレーズがあります。
正直こういう煽り文句は好きではないですが(まあ、売るためには仕方ない、という理由ももちろん分かるんですが)、確かに本書では、広海と由貴美の恋が物語の一つ大きな核になっていくことになります。
この恋は、ちょっとゾクゾクさせられる。
由貴美というのは、ひと言で表現してしまえるような人格ではないのだけど、敢えて無理矢理表現すると、『魔性の女』という陳腐な表現になります。容姿・体型・表情など、すべてが人目を惹く、芸能人だなというオーラをまとわせる由貴美は、何故か広海をゆるやかに絡めとっていく。何故広海なのか、という部分が、先ほどの『大人の世界』の云々と繋がっていくわけで、そっちとの関わりもなかなかスリリングなんだけど、広海と由貴美のやり取りだけ純粋に抜き出してみても、これは恋愛小説として凄く面白い。
これ、女性はどんな風に読むんだろうなぁ。
男的には、正直たまらん。作家名を知らずに、広海と由貴美の恋愛に関する部分だけ読んだとしたら、これ男の妄想バリバリじゃんか、と思っちゃうような感じはします。それぐらい、広海羨ましいぞテメェ!(とまあ、初めの内は思うわけですよ) 桜庭一樹の「私の男」を読んだ時も似たようなことを思ったけど、こういう、まさに男の願望丸出しみたいな展開って、女性はどんな風に読むのかちょっと気になります。もちろん、後々由貴美の目的(つまり、何故広海なのか、という部分)がきちんと語られるんで、ストーリー全体で考えれば別に問題ないんだろうけど、そこだけ抜き出した場合、もしかしたら一部女性からはあんまり支持を得られなかったりするのかなぁ、という感じがしたりもしました。
広海と由貴美の関係は、ここでも閉じている。広海も由貴美も、まず『村』という大きな存在に閉じ込められていて、そしてさらに自らを、二人の関係の中に閉じ込めようとする。元々孤独な身である由貴美はともかくとして、広海の方は大変だ。『睦ツ代村』に生まれた時から住んでいる広海にしてみれば、『村』から閉じ込められているという感覚は一度外に出た由貴美よりは大幅に薄いだろうけど(それでも、幼なじみである同級生たちよりは、そういう部分に敏感である)、由貴美の魔力に絡め取られていく広海は、自らを二人の関係の中に閉じ込めようとする過程で、どんどんと孤立していくことになる。そこにもまた、『村』という存在が立ちはだかる。二人が例えば東京で出会って東京で付き合いを重ねれば、何の問題もなかっただろう。しかし、村の中では、二人の自由は大幅に限られている。しかも、『大人の世界』との絡みで、広海の知らない部分でさらに大きなしがらみがついて回るのだ。
そんなかなり制約のある環境の中で、広海は由貴美に溺れていく。溺れていく、という表現がぴったり過ぎるほどに、広海はズブズブと由貴美の魅力に魅了されていく。その過程は、本当にゾクゾクさせてくれる。確かに広海は高校生だから、8歳も年上である由貴美にすれば、手懐けるのはさほど難しいことではないのかもしれないけど、それでも、由貴美が広海に対峙する際のあり方はカッコイイ。痺れるほどだ。これは高校生じゃなくたってやられるだろう、って感じするよなぁ。もちろん由貴美は、自らの容姿の良さを最大限に知った上でやっているわけで、誰にでも出来ることじゃないわけだけど、っていうか真似できる人はほとんどいないでしょうけどね。
広海と由貴美の関係は、中盤以降恐ろしく変遷していく。初めはたった二人だけで完結していた、そしてこれからもそうであることを広海は願っていた二人の関係に、徐々に『村』が侵食していく。海岸が波に削られて形を変えるように、『村』の存在が二人の関係の形をどんどんと変えていく。最後は、本当に怖い。何が本当なのか、わからなくなる。
これが、広海と由貴美の恋愛だけがメインの物語だったら、さほどどうということもなかっただろう。やはり二人の関係が、『村』という大きな存在に侵食され飲み込まれていく過程が凄まじいと思う。広海の運命を翻弄するその波は、村がとんでもない事態に陥った時でさえ、広海の目には見えない。それほど、日常によってその波は隠されてしまっているのだ。その、『村』の存在の大きさ、そして恐ろしさが、本当に凄まじい、という感じがしました。
『閉じ込められている感』を『村』に託しつつ描かれる『大人の世界』と、二人だけで完結するはずだった広海と由貴美の関係が『村』に侵食され飲み込まれる過程。この二つが、この物語の大きな核であり、そして大きな魅力であると思いました。
正直に言うと、物語の序盤は、それほどの物語にはならないのではないか、と思ってしまいました。フェスが行われ潤っているということを除けば、どこにでもあるような古い価値観を引きずった村と、そこに住む、村の違和感に嫌気が差しつつも村から離れる勇気があるわけでもない少年による、小さな物語なのだろう、と高を括っていました。とんでもありませんでした。中盤以降、日常がどんどんと非日常に侵食されていく過程は、まさに圧巻だと思います。また陳腐な表現を使いますが、この作品は辻村深月のターニングポイントとなる作品なのではないか、とそんな予感がしました。
辻村作品は割とどれもそうだと思いますが、読む人によって違う姿を見せる万華鏡のような物語ではないか、と思っています。本書も、どういう生い立ちの人が読むかによって、また感じ方が大きく変わるような気がします。僕は、本書で描かれるような強烈なムラ社会の経験はないのですが、そういう経験のある人が読んだらどう感じるのか、非常に気になります。もちろん、誰が読んでも楽しめる作品だと思います。是非読んでみてください。

辻村深月「水底フェスタ」


タイニータイニーハッピー

内容に入ろうと思います。
本書は、「タイニー・タイニー・ハッピー」(通称タニハピ)という大型ショッピングセンターを舞台にした、8編の短編が収録された連作短編集です。

「ドッグイヤー」
たまたまタニハピの名付け親になった北川は、タニハピの本社勤めだったのだけど、急な転勤で、妻の美咲もメガネ屋で働いているこのタニハピに配属になった。同期の川野は新しく入ってきた小山さんを気に入ったようだが、多少言動にハラハラさせられるところもある。妻の美咲は料理が巧く、また同じくタニハピ内で働くゆうとジュンジュンという二人と仲がいい。結婚生活は、巧くいっていると思う。妻が雑誌をドッグイヤーしてしまうことにちょっとイラッとしたりというような、些細なすれ違いはあるけれども。

「ガトーショコラ」
結城(ゆう)は、みぃちゃん(北川)とジュンジュン(森崎)と仲がいい。よく三人でいるのだけど、ジュンジュンが既婚者であるみぃちゃんのことを好きだってことにはもちろん気づいている。結城は、カズ君という彼氏がいるのだけど、もう長いこと疎遠になっている。昔は同じ都心で働いていたのだけど、自分の異動によって物理的な距離が精神的な距離になってきてしまっている。

「ウォータープルーフ」
川野は、しばらく部屋に妹の智佳を泊めることになった。彼氏と喧嘩か何かしたらしい。そのきっかけが、智佳の彼氏の弟の彼女の妊娠だというからよくわからない話で、川野はなんだかんだでそっちのトラブルに多少巻き込まれていく。気まずいやり取りのあった小山とはなんだかまだしこりが残っている感じもあるし。

「ウェッジソール」
笑子の職場は地下でもないのに圏外だ。メールチェックするのにちょっと出なければならない。でも、したところで、純一君(森崎)からメールが来ているわけでもない。
ちょっとしたきっかけで、純一君と付き合うことになった。自分から積極的に動いたのは初めてだ。でも、純一君は、笑子が純一君を好きなほどには笑子のことを好きではない。それははっきりと分かる。でも、仕方ない。
親友の加奈子とはよく会う。高校時代はファンクラブもあったほどなのに、本人はクールな感じで凄くいい。

「プッシーキャット」
相原(カズ)は、向かいにある自分の店と同じブランドの別レーベルの店の女の子から声を掛けられて一緒にランチをする。名前が思い出せない。下の名前は若菜なんだけど。婚約者の人と同棲してるのは残念ですと、凄く分かりやすく誘惑される。店内では、男を惚れさせることが趣味の女として有名なんだそうだ。
しばらく疎遠になってしまった香織(結城)とこうしてまた距離を縮められたのはよかった。香織が働いているタニハピに異動希望を出したのだ。自分にしてはなかなかの行動力だったと思っている。

「フェードアウト」
小山は、物事をはっきり言ってしまう質だ。曖昧なままにしたり、なあなあな感じというのは好きではない。そういう性格のせいで、前の部署から追い出される羽目になったのだけど、でも自分は間違ったことをしているわけではない、と思っている。
女子会があるという話を聞いて、行ってみることにした。なんだか違和感ばかりが目に付く飲み会で、しばらくしてようやく、そういうことかと分かった。
姉から連絡がある。彼氏の寛人君とはどうなってるのか、というような話だ。正直、鬱陶しい。

「チャコールグレイ」
森崎は、笑ちゃん(笑子)と付き合っていて、罪悪感を覚える瞬間は結構多い。人妻の北ちゃん(北川)のことが好きだという自分は変わっていない。不毛だとは分かっているし、それをどうにかしようと笑ちゃんを利用させてもらっているという意識があるから、余計に。
笑ちゃんはいい子だと思う。ちょっと、親友の加奈子ちゃんに影響されすぎている部分はあるのだけど。加奈子ちゃんと笑ちゃんは、お互いにお互いのことを羨ましいと思っているようで、面白い。
ずっと使っていたメガネを壊してしまった。同じ色の在庫がなかなかなくて、でも森崎はどうしても自分にフィットしていた前と同じものにこだわりたかった。

「ワイルドフラワー」
北川は、旦那の出張に合わせて、冷蔵庫の中のものを処分してもらおうと、ゆうとカズ君を家に呼んだ。どうもぼーっとしているらしく、旦那さんがいなくて寂しいんですね、と言われてしまう。
翌日、一人で出かけてみるも、どうも体調が優れない。たまたま店で大学時代の同級生とばったり出会う。安藤さんは、結婚しているのにまだ働いているなんで凄いね、というような話をして、北川をモヤモヤさせる。
出張から早く戻ってきた旦那は、フラワーガーデンの担当をすることになったと言う。ワイルドフラワーっていうのは、種を植えればひとりでに育ってくれる植物のことだそうだ。

というような話です。
読み始めは、ちょっと地味な作品かなと思ったのですけど、全然そんなことありませんでした。凄く良い作品でした。いや、地味かどうかと聞かれれば、地味は地味なんですけど、なんていうか、あっさりしている作品という感じではなくて、読みはじめの印象以上になかなか骨太な作品でした。
とにかく、この作品の内容紹介はなかなか難しかったのです。一見さらっと内容紹介が出来そうに見えて、実はそうではない。自分で書いた内容紹介の文章を読んでも、作品の雰囲気をまったく表現できていませんからね。
それはどうしてそうなるのかと考えてみると、作中でズバッと描かれていない部分こそがこの作品の肝だからだろうなぁ、という風に僕は解釈しました。
僕は以前、生け花というのは花や葉を見せるものではなくて、花と花の間の隙間、葉と葉の間の空間、そういったものを見せるものなのだ、という話を聞いたことがあります(うろ覚えなんで、間違ってたらすいません)。
この作品も、まさにそういう隙間とか空間こそを描き出しているな、と強く感じました。人と人との間の空間を、ですね。
人間って複雑だし、凄く凸凹しているから、人と人との関係ってどうしてもぴったり合わなくて間に隙間が生まれる。いくら寄り添っていても、その間には必ず空間がある。どうしても届かない部分、どうしても分かり合えない部分、どうしても踏み込ませたくない部分。そういうものがどうしても人と人との間には残ってしまう。
そういう隙間を本書は凄く丁寧にすくっていく。すくっていくというか、そっと撫でていく、という感じに近いかなぁ。隙間って、ドーナツの穴のように、物質として存在しているわけじゃないから、直接触れることも出来ないし、ただそれだけを描くことって出来ない。だから、それをしっかり描くのってホント難しいと思うんだけど、本書ではそういう隙間を、パントマイマーが何もない空間に何かの存在を感じさせるかのように、そっと撫でるようにして顕にしていく。それが本当に巧いなと思いました。
そういう、はっきりと明確に捉えられるわけではない隙間こそがこの作品の要であると僕は感じるからこそ、内容紹介をすんなりするのは難しかったんだろうなぁ、と僕は思います。
さっき、地味な物語だ、というようなことを書いたけど、本当にそうで、主人公たちは、ほんの少しだけ変わる。決して劇的に変わるわけじゃない。誰かとの間の隙間がほんのちょっとだけ縮まる、それぐらいの変化しかない。でもその『ほんの少し加減』が、本当にリアルっぽくていいなと思います。
日常生きていると、そこまでガツンと大きく変化を促すような出来事って、そうそうはない。ごくごく普通に平凡な生き方をしていれば、昨日と今日と明日に特別な差を感じられない毎日を過ごすことなんて、ごく当たり前のことなんだろうと思う。むしろそれが、僕達にとっては『日常』の意味なのかもしれない、とも思う。
だから、劇的な変化が訪れるわけではないこの物語は、僕達の物語だ、という風に感じることが出来るのではないかと思う。
凄いなと思うのは、本書でも昨日と今日と明日が大差のない日常が描かれているのに、そこに『ほんの僅かな変化』を描き出せていることだ。劇的な変化を描く方が、たぶんやりやすいだろうと思う。本書のように、ほんのちょっとだけ変わった、というような描写をするのは凄く難しいだろうなぁ、と思います。ちょっとした出来事、ちょっとした会話、ちょっとした揺らぎ。そういうものを丁寧にすくいとって物語に定着させるのが巧いと思いました。
僕が特に好きな話は、「ウォータープルーフ」と「フェードアウト」です。
「ウォータープルーフ」の方は、女性ってみな演出家だよなぁ、とつくづく感じさせる作品でした。全員が全員こういう発想をしているわけではないのでしょうけども。自分をどう見せるか、という点に関しては、そりゃあ男だってそれなりに考えてるのかもだけど、やっぱり女性には敵わないんじゃないかな。男は言われなければ気づかない、女性の戦いみたいなものを垣間見せてくれる作品で、おー怖っ!
「フェードアウト」は、小山さんの話で、「ドッグイヤー」とセットになる話だと思うんだけど、外から見た小山さんと内から見た小山さんの違いが非常に面白い。「ドッグイヤー」での小山さんは、ただ空気が読めないだけの女性だと思ってたんだけど、「フェードアウト」を読むと印象が一変する。その印象がまったく違う感じが、凄くいい。
しかし小山さんってどう評価したらいいのか難しいなぁ。僕は小説に出てくる女性って、この人は嫌い、この人は好き、この人には興味ない、っていうのが割と判断できるんだけど、小山さんはその判断が出来ない。実際近くにいてしばらく一緒にいてみないと、ちょっと判断できないかもしれない。そういう印象を残す女性ってかなり珍しいから、凄く気になる存在ではある。
でも小山さんの、女性の世界の中からは浮いてしまう感というのは凄く好き。潔いし、意思が強いし、論理的で真面目なところも凄くいいなぁと思う。絶対に女性の世界では受け入れがたい存在だろうけど、僕はそういう人の方が気になってしまうのだなぁ。
市井に生きる、どこにでもいるような普通の人達の些細な成長を切り取った作品です。是非読んでみてください。

飛鳥井千砂「タイニー・タイニー・ハッピー」



<非婚>のすすめ(森永卓郎)

内容に入ろうと思います。
本書は、結婚するっていうのはある種のマインドコントロールされた結果の欲望なのだ、結婚しないでシングルを選択した方が、少なくとも今の日本では生きていくのにいいかもよ、というような内容の本です。
内容は4つの章に分かれていて、
第一章「第二の家族革命」 ここでは、大家族から核家族という家族形態の変化には、国策が絡んでいたんですよ、というような話が書かれる。

第二章「日本型恋愛と結婚の謎」 ここでは、日本における、結婚と恋愛とセックスの関係を分析しつつ、それがどう崩れていったことでシングル化が推し進んでいるのかが書かれる。

第三章「シングルライフの経済学」 ここでは、専業主婦のいる過程、共働きの過程、シングルの場合とについて、具体的なサンプルを用意して、税制的に、あるいは子育ての環境的に、どれが最も優遇されているのか、という話が書かれます。

第四章「非婚社会で何が変わるか」 ここでは、非婚化が進むことで社会がどんな風に変わる可能性があるのか、ということが描かれます

というような内容です。
僕は、第一章はかなり面白く読みました。戦時中と戦後の二回、家族革命と呼ぶ家族形態の大きな変化があった。戦時中は、とにかく産めよ増やせよで子供を5人生むようにと国が考えていて、それによって大家族という家族形態が生まれた(これが第一の家族革命)。しかしその後、日本の会社は、『家族手当』という、働いていない奥さんや子供にもお金を払うという世界でも珍しい給与体系を作り出した。そのため、家庭における子供の数は少ない方が望ましい。そこで、会社が助産婦さんを雇って、従業員に産児調節の指導をしていた、なんていう時期があったそうです。こうして、会社の都合によって子供の数が減らされたという経緯が第二の家族革命。
これらの二つの家族革命が、日本の家族のあり方、あるいは結婚観や少子化にどのような影響を与えていったのか、ということを分析している章で、なるほどこんなことがあったのか、とびっくりしました。特に、会社側の都合で核家族化が推し進められた、っていうのはなかなかビックリです。
でも、それ以降の章は、うーん、という感じでした。
第二章は正直、机上の空論というか、もし万が一それが正しいとしても、だからどうした、というような話が展開されているような気がしました。女性が読んだら、ちょっと不愉快かもしれない、というような内容です。
第三章は、具体例を出して細かく税制の話をしているんだけど、正直そこまで興味持てないなぁ、という感じでした。日本は一見すると専業主婦が優遇されているみたいに見えるかもだけど、でも実はそうでもなくて、色んな要素を総合して考えてみると、シングルや共働きの方が税制的にも優遇されている、というような話だったと思います。
第四章も、まあ、ふーんという感じの内容で、そこまで興味が持てませんでした。
本書の中で僕が一番面白いと思ったのが、結婚に関わるお金の話です。
三和銀行の調査によれば、95年に結婚したカップルが、婚約・挙式・披露宴・新婚旅行・新生活の準備のために使った費用は794万円。95年に日本で結婚したカップルは792000組だから、単純計算で年間の国民の結婚費用は6兆2900億円。これは、防衛費の1.3倍、政府開発援助予算の6.2倍、人口7000万人のベトナムのGDPの5倍なんだそうです。
まあ95年のデータなんで、さすがに今はそれよりは結婚にかかる費用も下がってるだろうけど、それにしても凄い金額だなと思いました。
まあそんなわけで、個人的にはあんまり惹かれる内容ではありませんでした。とはいえ、元々まったく結婚する気のない僕としては、内容に共感できる部分もありました。未だに僕には、なんでみんなわざわざ結婚するのか、理解出来ないのですよね。どう考えても、結婚する方がめんどくさいと思うんだけど。謎だ。

森永卓郎「<非婚>のすすめ」


なぜAiが必要なのか 死因不明社会2(海堂尊他)

内容に入ろうと思います。
本書は、Ai(オートプシーイメージング 死亡時画像診断)を推し進めようと活動している小説家でもある海堂尊が、Aiのトップランナーたちと共著で、現在のAi周辺事情やAiに至る歴史などについて書かれている作品です。版元もレーベルも「死因不明社会」と同じなので、副題として「死因不明社会2」とついているわけですが、基本的に「死因不明社会」を読んでいなくても内容の理解の妨げにはならないと思います。前著「死因不明社会」では、海堂尊の小説内キャラクターなんかも出てきてかなり読みやすい形に編集されていましたけど、本書はどちらかというと報告書と呼ぶに相応しい内容で、全体的にちょっと堅苦しいところはあります。個人的には、Aiについて、かなり深いところまで知りたい、という人には本書が向いていると思いますが、Aiについてざっくりしたところを知りたいという人には前著「死因不明社会」が向いているのではないかと思います。
本書は6つの章に分かれており、それぞれ別々の著者によって書かれています。

海堂尊「Aiの概念」
この章は、前著「死因不明社会」の大まかな要約、と言ってもいい章で、Aiについて、何故それが必要なのか、どんな利点があるのか、解剖とどう違うのか、現在どれだけの広がりをみせているのか、Ai有線主義者が目指すべきところ着地点はどこなのか、というようなことについて分かりやすく概要が書かれています。

簡単にAiについて書いておきましょう。現在日本では、死因を判定するための正式な方法は解剖しかありません。しかし日本における解剖の実施率は3%以下、ほとんどは検案(死体表面の観察)によって死因が決められている。だからこそ、死因が判明しないケースも多く、また犯罪などの見逃しも多い。
解剖がほとんど行われない理由は、時間とお金とマンパワーが必要なことだ。解剖には半日掛かり、結果が分かるまでに10ヶ月ほど掛かる。国は解剖に対する費用を拠出しないので、解剖はすべて病院の持ちだしで行われることになる。また、解剖が行える法医学者は少ない。
これらの状況を改善するのがAiだ。Aiとは、死体をCTスキャンやMRIで撮影することだ。これによって、解剖しなくても死因が判明するケースがあり、また解剖が必要かどうかの判断も可能になる。時間もさほど掛からず、また日本は世界にある画像診断機の三分の一を保有する画像診断機大国であり、Ai推進派による活動のお陰で、放射線技師たちの協力も徐々に得られつつある。既にインフラは確立していると言っていいし、実際Aiは多くの病院で既に行われている。
では一体なのが問題なのか。
Aiの問題点は、『検査費用が拠出されていない』の一点に集約される。これ以外の問題はほぼない、と言っていいようだ。インフラも整っているし、人員も確保されている。既にAiに関する様々な新技術も開発され、日本のAiの現状が海外の学会で報告され注目を浴びたりもしている。
しかし、国は予算をつけない。予算がつかないままなし崩し的にAiが導入されてしまうと、放射線科医がただ働きさせられることに医療崩壊してしまう。
Aiが、きちんとした最も有効な社会導入をされるように、Ai推進派は活動しているのである。

塩谷清司「Aiの歴史」
ここでは、X線の発見から始まり、大規模災害におけるX線利用やミイラのCTなど、Aiに至るまでの様々な画像診断に関わるエピソードを集めている。
僕が一番興味を惹かれたのは、ビートルズの話だ。EMIに所属していたビートルズの記録的なレコードの売上を、同社の電機部門はCT開発に投入し、1972年に最初の商業的CTを発表したらしいです。ビートルズと画像診断の歴史が重なるというのは面白いと思いました。

山本正二「Aiと医療」
この章では、実際のAiの運用に関わる、結構専門的な話が展開されます。Aiを実行する上での注意点や、実際に撮影されたAiの画像を載せて読影についてのあれこれが書かれていたりします。全国のAiセンターに関する記述もあります。

飯野守男「Aiと捜査」
法医学者である著者による章で、ここも、実際に撮影された画像を載せながら、Aiの実際的な運用についての話が多くなっています。また、日本の解剖の複雑な現状と、オーストラリアで行われている「コロナー」という仕組みの比較についてはなかなか面白かったです。オーストラリアには「コロナー」と呼ばれる死因究明官がいて、そのコロナーが警察に捜査を指示したり、医師に解剖実施を命令したり、検死審問を専用法廷で開いたりする、なかなか広い権限を持った役職の人がいるようです。

高野英行「Aiと司法」
この章では、主に医療事故とAiとの関わり合いについて触れられています。ちょっと前に、医師が業務上過失致死で逮捕されるケースが相次ぎました。医療関係者を戦々恐々とさせたこれらの流れは、医療者と患者双方にとって結果的によくない状況をもたらすことになる。Aiが日常的に行われるようになれば、医療事故であるのかどうかの確定もしやすくなり、また患者や遺族との対話もしやすくなるはずだ、というような話。

長谷川剛「Aiと倫理」
ちょっとこの章は飛ばし読みしてしまったなぁ。なんというか、『死』に関しての哲学的な話が展開されます。

というような話です。
さっきも書いたけど、個人的な印象で言えば、Aiについて基本的なことを知りたい、という人には、前著「死因不明社会」をオススメします。本書は全体的に、かなり専門的な部分に踏み込んだ内容が多くて、どちらかというと、多少なりとも医療に関わっている人向けなのかな、と感じました。冒頭で海堂尊が、『本書の目標は、国がAiの費用を拠出するよう、市民の理解を得ることだ』と書いているのだけど、恐らく海堂尊としては、本書を出版することで、前著「死因不明社会」がまた注目されることを狙っているのだろう、と思います。僕は、内容的には絶対前著「死因不明社会」の方が『市民の理解を得る』という目的には相応しいと思うんで、本書は本書である程度以上の知識のある医療関係者向けにアピールしつつ、「死因不明社会2」と銘打つことで、前著「死因不明社会」に注目が集まれば、というような目論見なのではないかと思います。
ただ、全部が全部ではないにせよ、僕みたいな医療的な知識がない人間でももちろん興味を持てる部分はあります。色んな人に執筆をお願いしていることもあって、その辺りのバランスの調整をすべての章についてやるのはきっと難しかったんだろうなという気はします。ただ、例えば実際のAiの画像と共に読影の仕方について触れているような部分は、少なくとも今の僕には無関係だけど、例えば身内の誰かが死んだり、あるいは裁判員に選ばれたりしたら、そういう画像を見るような機会はあるかもしれないわけです。そういう意味では、今必要な知識ではないけれども、読んでおいて損はない、という情報が多い、というだけのことなのかもしれません。
しかし、前著「死因不明社会」を読んだ時も不思議で仕方ありませんでしたけど、一体どうして国は、Aiに予算をつけないんでしょうね。不思議で仕方ありません。もちろん本書は、Ai推進派による作品なわけで、もしかしたらAiの良い部分が誇張して描かれている可能性も考えなくてはいけないかもしれません。でも、普通に考えて、Aiに予算が下りない理由がさっぱり理解できないほど、Aiは優れていると思います。まあきっと、解剖至上主義者たちの既得権益とか、放射線科医に主導権を握られたくないとか、官僚たちの何か裏の思惑があるとか、そういう理由だったりするんだろうけど、当たり前の意見が当たり前に通る世の中であって欲しいなぁ、と思ってしまいますね、ホント。
本書は、やっぱりちょっと一般人向けというには内容が専門的すぎるきらいがあると思うんで、強くオススメするのは難しいですが、僕自身はAiは速やかに実施されるべきだと思うし、前著「死因不明社会」はAiについて何も知らない人でも楽しみながらAiについて理解できる良著だと僕は思います。個人的には、まず「死因不明社会」を読んで、さらにその上でAiの現状について知りたい、という方は本書を読むのがいいと思います。

海堂尊「なぜAiが必要なのか 死因不明社会2」




教養としてのゲーム史(多根清史)

内容に入ろうと思います。
本書は、『思い出語り』が先行しがちな『ゲーム史』を、ソフトとハードの織りなす進化の過程という視点で描いた作品です。
まえがきには、こんな風に書かれています。

『ゲームを語ることは楽しい。(中略)しかし、その楽しさは実際にプレイした人々の間の共犯めいた「仲間がたり」と深く結びついている。(中略)では、誰もが共有できる「ゲームの教養」はありえないのか。ハードや体験の壁を超えて、フラットな「ゲーム語り」を可能とする知識の体系は構築できないのか、という問題意識が、本書の出発点にある。』

本書には、「テトリス」などの落ちゲーや、「ストリートファイターⅡ」と言った対戦格闘ゲームについての記述はない。それについて、著者はこんな風に書いている。

『「落ちゲー」や格闘ゲームは一世を風靡しているが、細かなシステムの追加を短期間に重ねる濃密な時間が流れているため、他のジャンルとくらべて独立性が高く、むしろフレーム内での独自の進化を語るべきだろう。非常に興味深いテーマではあるが、「ゲーム全体の進化を俯瞰した見取り図」を最優先とする本書では割愛させてもらった。』

『筆者が一冊を費やして見出そうとしているのは、あくまで「ゲームの文脈における発想の進化」の道のりである』

内容についてあれこれ書く前に、僕の話をしようと思います。
僕は、ゲームを本当にほとんどやったことがありません。子供の頃家にあったゲーム機は、ゲームボーイとファミコンぐらいなもので、スーパーファミコン以降のゲーム機には、友達の家に行った時に触れる、ぐらいのものです。やったゲームの記憶もほとんどなく、家になんのソフトがあったのかもほとんど覚えていません。たぶん、マリオ(ちゃんとした名前はわからない)はあったんだろうけど、他には何があったかなぁ。友達の家で、パワプロとかストツーとかをやった記憶はあるし、ゲーセンでギターマニアなんかをやってた時期もあるし、どこかから拾ってきたパソコンゲームの、街を作る的なゲームもやった記憶はあるんだけど、ホントそれぐらいです。
そういう僕からすると、本書の著者が指摘している、『ゲームを語ることは楽しい。(中略)しかし、その楽しさは実際にプレイした人々の間の共犯めいた「仲間がたり」と深く結びついている。』というのは凄くよく分かります。基本的に僕には、ゲームをプレイした記憶がないんで、出た当時これだけハマった、どこにどんなトラップが、あんな裏技あったよね、みたいな話は、基本的についていけないんだよなぁ。
そんな僕でも、本書は非常に興味深い作品でした。著者が書いているように、ゲームの想い出がたりにならない形でのゲーム史という内容になっていて、類似本があるかどうか、僕は知らないんだけど、本書は僕のようなゲームをほぼやってこなかった人間でも興味深く読める作品だと思います。
本書で一番初めに取り上げられているのは、アタリ社が世に送り出した「ポン」というテニスゲームです。これが本書の最初に取り上げられている理由は、『シンプルなゲームだから非常に真似された』という点にあります。本書でも、以後なんどか触れられることになるんだけど、ゲームの作りがシンプルであればあるほど類似ゲームがたくさん出てきて市場は広がる、その一方で、はじめから完成度の高いゲームが出てしまうと参入障壁が高くて市場が広がらない。著作権侵害と市場の拡大という両面を持つ『真似される』というゲームの側面の最も初期のゲームだ、ということでこのゲームから話が始まっていきます。
それから、『スペースインベーダー』や『ギャラクシアン』や『パックマン』など、固定画面の中でどうゲームが進化していったか、という系譜が語られます。ゲーム画面をどのように見立てるか、つまり、上から見た平面なのか横から見た高さのある階層なのか。一世を風靡した『スペースインベーダー』、ゲーム作りの教科書と言われる『ギャラクシアン』、史上もっとも成功した業務用ゲーム機としてギネスブックにも登録されている『パックマン』など、それぞれに独自のアイデアによって、それまでのゲームを少しずつ進化させてきた結果です。
そして、『ドンキーコング』が出てくる。これは、『ジャンプする』というシンプルでありながら革命的なアイデアによって、一気にゲームの幅を広げることになった。今ではゲームでは当たり前になったジャンプだけど、『ドンキーコング』が出た当初は革命的だったのだ。現実の枠を超えたゲームという世界の中に、現実の制約を組み込むこと、その不自由さによってゲームの面白さの幅が広がったわけです。
ゲームはやがて、固定画面からスクロールという技術を組み込むことになります。『スクランブル』というシューティングゲームから広大なマップを生み出した大ヒットゲーム『ゼビウス』、同時期に発売されたアスレチックアクションゲームである『パックランド』と『スーパーマリオブラザーズ』の明暗など、スクロールという技術によって無限の広さを手に入れたゲームは、それぞれ固有の特色を備えながら進化していく。
広さを獲得していったゲームは、その頃流行り始めていたTRPGと結びつき、RPGと呼ばれる一大ジャンルを築きあげることになる。ドラクエ以前に生まれた元祖的な存在である『ZORK』と『ウィザードリィ』、ユーザーに優しくなかったRPGを、『見えるマップ』によってその壁を薄くした『ウルティマ』、ユーザーに優しくはなかったけど、経験値獲得をアイテム獲得に読み変え成功した『ドルアーガの塔』などが生まれていった。
そしてやがて、『ゼルダの伝説』と『ドラゴンクエスト』が生まれる。『ゼルダ』は、広大な空間を『箱庭』として扱うことで、そして『ドラクエ』は冒険を『観光ツアー』にしたことで、それぞれ大ヒットへと繋がった。
そして最後に、シミュレーションゲームの話になる。RPGによる広大なマップや物語は、人の欲望を叶えるという方向に向かうようになる。『信長の野望』や『ダビスタ』といった、現実には叶えることの出来ない願望を、ゲームで緻密にシミュレーションすることで欲求を満たす、というゲームが出てくるようになる。
やがてそれは、恋愛シミュレーションゲームとして一大ジャンルを築き上げ、またゲーム内の時間の『同期』『非同期』によって、人々のゲームとの関わり方まで変えていった。
というような感じです。
『思い出がたり』によらないゲーム史、というコンセプトが明確なので、僕のようなゲームに無知な人間でも、純粋に進化の過程を追うという楽しみ方が出来る作品です。出てくるゲームのほとんどを知りませんが、どんな製作意図がゲームをどういう風に進化させていったのか、どういうエポックメイキングなゲームがその後のゲームを生み出していったのか、というようなことが、ゲームそのものをほとんど知らない人間にもわかりやすく書かれているので、かなり面白かったです。
特に、技術的な進化の部分ではなく、いかに発想を転換したのか、という部分は凄く面白かったです。『ドンキーコング』でのジャンプや、『パックマン』における『パワーエサ』、『マリオブラザーズ』における2ステップ方式、『ドラクエ』のウィンドウズ処理など、その後のゲームに大きな影響を与えた発想が、どういう流れの系譜の中で生み出されてきたのか、というのが凄くわかりやすかったので、面白かったです。
本書を読むと、『ドラクエ』も『ときメモ』も『マリオ』も、突然生まれたわけじゃないんだな、ということが凄くよく分かります。先行するゲームに搭載されていた様々なアイデアを真似し、洗練し、淘汰していく中で、そういう爆発的な大ヒットとなったゲームが生み出されてきたんだなぁ、と思いました。
まさにタイトル通り、『教養としてのゲーム史』という感じの作品だと思いました。僕のようなゲームに無知な人間でも面白く読めますが、もちろんのことながら、ゲームについて詳しい人が読んだらきっともっと面白く読めるのでしょう。どういう流れによってアイデアが生まれ継承されていったのか、あのゲームはどんな背景があって生まれたのか、そういう部分が非常に面白いと思いました。是非読んでみてください。

多根清史「教養としてのゲーム史」




六本木少女地獄(原くくる)

内容に入ろうと思います。
本書は、5つの戯曲が収録された戯曲集です。戯曲ってのは要するに会話だけで構成されているようなもので、本書は演劇用の戯曲を本にしています。
著者は女子高生です。
演劇部なんか全然強くない、原くくるが入部した時部員が3人しかいなかった、学校内でもほとんど存在を認知されていなかったような都立六本木高校の演劇部に入部した原くくるは、自らが脚本・演出・出演を務めた「六本木少女地獄」という演劇で東京都高等学校演劇コンクールでして教育委員会賞・審査員特別賞・中央委員会章・アマチュア演劇創作脚本賞を受賞しまう。のみならずこの「六本木少女地獄」は、関東高等学校演劇研究会で優秀賞を受賞。今演劇界が最も注目する若き才能、なんだそうです。

「うわさのタカシ」
シズカとエミリとサトコという三人の少女が、タカシという男の部屋にワラワラと集まる。タカシは今オーストラリアに言っていていない。その三人の少女たちはみな、タカシの彼女であると主張するのだ。薄々分かってはいたけれど、タカシが浮気をしていた事実を知り混乱する三人。皆、自分こそがもっともタカシに愛されていると主張して止まない…

本書に収録されている戯曲の中で、最も分かりやすい作品だと思いました。筋書きが時系列が直線的で、凄くシンプルです。ラストの方はなんだか不穏な展開になっていくんですけど、基本的には三人の少女が一人の男を取り合うというシンプルな話で、なかなか面白かったです。

「家庭教師のドライ」
タカシ(「うわさのタカシ」のタカシと同一人物)の部屋に、友人が集まってダラダラしている。そこに、家庭教師ドライが現れる。すべての事柄をドライに判断する、タカシが鬱陶しいと感じている家庭教師で、タカシが望んでいないのに部屋にやってくる。ウザい。と何故か、家庭教師ウエットとか言うのまでやってきて、どっちが家庭教師に相応しいか勝負することに…。

これも話としては分かりやすいんですけど、既に結構ハチャメチャな感じですね。初めはただのアホみたいなやり取りの応酬だったのが、次第に色々新事実が出てきて、みんなが(っていうかタカシが)どんどん混乱していく、という話。ラスト付近のオチが「うわさのタカシ」と絡んでくるんで、なかなか巧いですね。

「スズキくんの宇宙」
「銀河鉄道の夜」を下敷きに、学校でいじめられている鈴木が時空をあちこち飛び回る中で、大事なことに気づく、という話。

というような内容紹介しか出来ないなぁ。これは文字じゃなくて、実際の演劇として見てみたかったな、という感じがします。色んな時代を行き来したり、なかなか幻想的(なんじゃないかなぁ)なシーンが散りばめられていたりと、実際の演劇として見たらどうなるのか非常に気になる作品でした。しかし、少なくとも文字で読んでいる分には、話はよく理解できなかったなぁ。

「月の爆撃機」
父と母が姉妹に重大な告白をしようとしているのだけど、妹の早とちりや予期せぬ闖入者の存在によって、両親の告白は一向に進まない。不良三兄弟たちとの不毛なやり取りに時間を取られている間に巨大地震が起き、ななんと、月が地球にぶつかることになるらしい。そこでようやく、両親が◯◯だったと知る姉妹だったが…。

なんというか、中二病色満載の作品で素敵ですね。話をちゃんと理解できているわけではないんだけど、この作品は凄く雰囲気が好きです。世界の滅亡とホームドラマをくっつけた作品で、それだけでもう中二病って感じだけど、なんか面白く読めるんだよなぁ。

「六本木少女地獄」
六本木にやってきた少女。想像妊娠する少女。ボクケットミントンという謎のスポーツをやる羽目になった弟…

みたいなことしか書けないっす。少なくともこの話、文字で読んでる分には僕には全然理解できなかったなぁ。演劇としてまた別の感想になるのかもしれないけど。この脚本で数多の賞を獲得してるなら、ちょっとこれの演劇は見てみたい気がします。ちょっと僕には高度すぎる物語だったかな、という気がしました。


話が理解出来ないものも多かったんだけど、なんとなく、原くくるって人はもの凄く才能に溢れているんだろうなぁ、という雰囲気を感じることは出来ます。どうしても、僕は文字で読んでいるだけでここに収録されている戯曲の演劇を見たことがあるわけじゃないんで、原くくるという人の才能については全然理解できていないんでしょうけど、それでも、なんか凄いパワーを秘めた人だぞ、という雰囲気は伝わってきます。まあ、この作品自体は、僕にはちょっと巧く評価できないんだけども。
最後に。僕のバイト先に昔演劇をやっている子がいて、その子の繋がりである演劇を見に行ったことがありました。劇団名も芝居のタイトルもまったく覚えていなくて、劇中に必ずピンクパンサーが出てくる、ということしか覚えていないんだけど、その劇団のやってた演劇を見て衝撃を受けたことがあります。もちろんその時点で僕は演劇なんかほぼ見たことない初心者だったんで、玄人の人から見たらどうなのかよく分かりませんが、演劇ってこんなに面白いんだ!と初めて思えた経験でした。
だから、ちょっとだけ演劇ってものに興味があったりします。「六本木少女地獄」は、本書で読んだ限りではさっぱり意味不明な感じだったんですけど、演劇で見てみたい気がします。
何にしても、こういう才能に満ち溢れているような雰囲気を漂わせる人はいいですね。
原くくるのインタビューはここから読めます(僕はこれを読んで、本書を買おうと思ったのでした)。
http://sai-zen-sen.jp/sessions/hrkkr/

原くくる「六本木少女地獄」




気になる部分(岸本佐知子)

内容に入ろうと思います。
本書は、翻訳家である著者が、様々な媒体に書いていたエッセイを一冊の本にまとめたものです。
内容は、まあ日常的な話とか、子供の頃の話とか、会社員時代の話とか、妄想の話とか、とにかく色々だったりするんですが、いやはやこれがメチャクチャ面白い!この著者のエッセイって初めて読んだけど、これは他のも読みたくなるなぁ。
しかし、エッセイの感想って、いつもどうやって書いてるんだろうなぁ。どうも何を書いたらいいかわからんぞ。こんなに面白いのに!
僕はとにかく、変な人が大好きで大好きで仕方ないんです。というか、普通な人、というのにあまり興味が持てないんですね。それに、変な人と言っても、あぁなるほどこの人は変だよね、という感じの人はそこまで興味なかったりするんです。見た目とか、雰囲気とか、あるいは第一声とか、そういう部分から異様な人、っていうのはまたちょっと興味の対象外だったりするんです。
僕にとって凄く気になる変な人っていうのは、一見すると普通だし、もちろん社会的な規範とかモラルみたいなものを破ったりもしないんだけど、時折、そうではない部分で変さを垣間見せる人、という感じなんですね。
この著者は、まさにそういうドンピシャな人でした。別にこの著者に会ったことがないんで、一見普通かどうか、なんて判断しようがないけど、ネットで著者の画像とか検索してみて、こんな普通そうな人がこんなわけわからんこと考えてるのかー!というのはもう感動的です。
変な人って、うわぁーこの人とは近くにいたくないなぁ、っていう人と、近くにいても楽しそうだなぁ、って人がいますよね。僕は割とどっちでも好きで、もちろん前者の場合は、決してお近づきにはなりたくないわけなんですけど、でもどっちも好きです。で、この著者は、僕は後者かなぁ、と思うんですね。多少その言動に振り回される部分はあるかもだけど、基本的には近くにいても楽しそうな雰囲気を感じます。ただ、一緒に働きたくはないですけどね…。
本書には、著者の会社員時代の話がところどころ出てくるんだけど、その中に、自分がいかに会社の中で失敗してきたか、ということを羅列している箇所があります。

『電話で社長に向かって「失礼ですがどちら様ですか」と訊いた。寿司桶を次長の机の上に落とし、次長が書こうとしていた書類の上にトロが転がった。大阪行きの新幹線の切符を日を間違えて取り、課長を東京駅で途方にくれさせた。受付で(受付は女子社員が当番制で座ることになっていた)居眠りして、目が覚めたら困り果てた顔の来客たちが二十人ぐらい並んでいた。一千万円の伝票をなくした。写真が逆版だった。文字が間違っていた。電話番号が間違っていた。金額も違っていた。何もかも間違っていた。』

……いやはや、一緒に仕事をしたくないなぁ、と思わせるには充分なエピソードですなぁ。
他にも、寝付きが悪くなって、試行錯誤の末に始めた「ひとり尻取り」で、ちょっとしたことが気になって脳内で様々な派閥が議論を繰り広げるようになってしまった話。歯医者に行く途中にある「薄井」さん宅の表札が実は「薄丼」であったことに三年も気づかなかった話。満員電車でいかにして立ちまわるかという都市の兵法の話。かつて勤めていた会社絡みで会ったヨコスカさんという破天荒な人の話。子供の頃に色々と発明した一人遊びの話、などなど、とにかくどれも面白い。
他の人が目をつけない(それは、どうでもいいからこそ目をつけない、というだけなのだけど)瑣末な部分にどうしても目が行ってしまう、というのは、個人的に凄く分かるような気がするし、人と違ったことをしたくて(本人がしたがってそうしているのかどうか、はどうなのかわからないんだけど)周りから浮いてしまう感じも凄く分かる。僕は、妄想癖っていうのはそこまでないんで、この著者の妄想っぷりには恐れいったっていう感じだけど、とにかく、自分一人の思考だけで、ここまで面白い話を展開できるというのは凄いなと思いました。人と視点が違う、っていうのはいいですね。僕もそういう人間になりたいものなのです。
エッセイって、面白い面白くないの差が本当にはっきりするんですね。それって、小説の良し悪しとか、そういうのともまったく関係がなくて、エッセイを面白く書ける人って凄いと思うんですね。僕はそう多くのエッセイを読んできた人間じゃないけど、やっぱりなかなか、面白いエッセイを書く人には出会えないなぁ、という印象があります。岸本佐知子さんは僕の中で相当気になる存在になりました。マジでこの人のエッセイ面白すぎます。なんかどこかに常に置いておいて、一編ずつパラパラめくるなんて読み方も面白いんじゃないかな、と思います。「ねにもつタイプ」もそのウチ買っちゃうだろうなぁ。オススメです。是非読んでみてください!

岸本佐知子「気になる部分」




御書物同心日記(出久根達郎)

内容に入ろうと思います。
本書は、7編の短編が収録された連作短編集です。
まず全体の設定から。
幼い頃から本の知識に長けていた丈太郎は、それを買われてとある御書物方同心の養子となり、世襲によって御書物方同心を引き継いだ。御書物方同心は、将軍家の御文庫に務める役職であり、本の修繕から虫干しまで、とにかく本を丁寧に保管することを使命とした人たちである。本好きの丈太郎には願ってもない職場である。そんな御書物方同心における日常を描いた時代小説です。

「ぬし」
丈太郎は就任早々、蔵に入り廃棄本の取り扱いを命じられる。かなり厳重な仕組みによって管理された蔵に入る。そこで丈太郎は、本の隙間から這いでた紙魚を捕まえた。殺さずに生かしたままその紙魚を持ち帰る許可をとった丈太郎だったが…。

「香料」
風邪を引きやすい丈太郎に、養父が与えてくれた襦袢。赤色が恥ずかしくて着ずにいたら、やはり風邪を引いてしまう。復帰すると、白瀬という御書物方同心の古参が亡くなったという。その香料の額でゴタゴタしているらしいが…。

「花縁」
養父に連れられて花見に行くと、養父の知り合いだという男の娘とお山を歩くことに。鈍感な丈太郎は気づかなかったが、たきというそのお嬢さんが、これはお見合いなのですよ、と言ってそれと悟る。しかしたきは、この話は断ってくださいと丈太郎に言い…

「足音」
御書物方同心の同室の同僚である角一郎が、夫婦公孫樹で有名な寺に行こう、と誘う。よくわからないままについていくと、とある茶屋でどうも見合いのようなことをさせられたらしく…。

「黒鼠」
昔から付き合いのある古本屋・喜助に呼ばれて行ってみると、御文庫と朱印が押してある古本を喜助が持っている。普通出まわるはずのないこのようなものがどうして出回っているのだろうか…。

「落鳥」
御書物方同心最大の仕事である虫干し。その虫干しの最中、雀が落ちてきたことで角一郎はどうも気に病み、休んでしまう。心配になって丈太郎が見舞いに行ってみると、どうやら仮病らしく、角一郎はとある屋敷で本の暗唱をしているというのだ…。

「宿直」
虫干し中のある日、昼食を食べたあと、同じ弁当を食べた御書物方同心八名がみな体調不良を訴えた。宿直の部屋で皆が横になって休む。いびきや寝言の混じる五月蝿い午睡…。

というような話です。ちょっと時間がないのと、一つの話の中で明確に芯があるわけでもないそれぞれの短編の性格的に、ちょっとあっさりとした内容紹介になりました。
時代小説が基本的に得意ではない(というかほとんど読まない)僕でも、これはなかなか面白く読めました。本のことを扱っている内容だから、という部分もあるんだと思いますけど、文章とか設定とか、そういう部分でも読みやすい作品だったように感じました(他の時代小説とかを読んでないんでちゃんと比較は出来ないですけど)。
三度の飯より本が好き(というような表現は作中にはなかったと思いますけど)な丈太郎のキャラクターが非常によかったですね。とにかく本に触れられていればいい、という丈太郎は、それ以外のことには非常に疎い。葬儀の香料の額を決めることであったり、あるいはそうとはわからないようにお見合いをさせられていたり、というような状況の中で、丈太郎の、本以外には関心が恐ろしく低いんだろうなぁ、という部分が凄く伝わってきます。
御書物方同心では、みんな結構陰気に仕事をしているんです。というのも、火が使えないから(もちろん火事を警戒している)白湯一つ満足に飲めないし、ほんの些細なミスで腹を切らされたり(まあこれは、御書物方同心に限らず他の役職でもそうだったのかもしれないけど)と、地味で緻密な辛い作業ばかりで割に合わない、と感じている人が多いんですね。
そんな中にあって、とにかく本に触れられていれば満足、という丈太郎は、世話役の人間が奇妙に思うくらい、楽しんで仕事をしています。丈太郎にしても天職だったでしょう。しかもみんなが嫌がる本の修繕なんかを好んでやりたがる、というんだから、御書物方同心としてもなかなか重宝する人材だったんじゃないかな、という気がします。
丈太郎の同室の同僚である角一郎もなかなか面白い存在です。一度読んだ本はすぐに暗唱出来る、という特異な才能を持っていて、丈太郎を驚かされます。御書物方同心の仕事はさほど好きになれず、嫌々やっている感じがかなりあるんだけど、なんとなく丈太郎とは相性がいい、という感じがします。
個人的には、丈太郎の妹がいいなぁ、って感じですね。変人好きの僕にはたまりません(笑)。この妹がもっと活躍してくれたりするとより面白かったかもしれないなぁ、と個人的には思ったりしました。
物語全体としては、特別何が起こる、というわけでもありません。もちろん話によっては、ちょっと謎めいたことが起こったりするようなこともあるんだけど、基本的には御書物方同心の日常が描かれている、という感じです。個人的には、御書物方同心って言うから、本が好きな人が集まっているのかな、というイメージがあったんですけど、もちろん仕事としてそこに配属される、というわけだし、みんながみんなそうなわけないよなぁ、と思ってちょっと面白かったです。本好きな丈太郎の方がちょっと浮いている感じがしてしまうのは、なんか本屋もそんな感じだよなぁ、とか思ってしまいました。
時代小説として読んだらどうなのか、というのは僕にはイマイチ判断できないですけど、でも時代小説をほぼ読まない僕でも楽しく読めました。将軍家の本を扱う職業の人達の話として読むと、本好きの人には結構面白いんじゃないかなぁ、と思います。読んでみてください。

出久根達郎「御書物同心日記」




裸者と裸者(打海文三)

内容に入ろうと思います。
金融システムの破壊、経済恐慌、財政破綻などが相次ぎ、各国とも悲惨な状況へと陥り、日本も治安はどんどんと悪化していった。
そして応化二年、<救国>を掲げるグループが連帯を率い、首都を制圧した。
以降、日本は内戦による混乱状態に陥った。国軍も、政府軍と反乱軍に分裂した。
海人は、妹の恵と弟の隆とともにこの戦火を生き抜いていた。両親を失った彼らは、海人の収入でどうにか日々を凌いでいた。
そんな彼らの生活がある日一変する。大黒柱である海人が政府軍に拉致されてしまった。孤児部隊としてこの戦争の前線に身をなげうたなくてはいけない日々。海人は、きっと兄弟の元に帰れる日が来ると踏ん張るが…。
というような話です…と書くのは、やっぱりちょっといかんかなぁ。全然内容紹介になってないからなぁ。
僕にとっては、皮を剥くことが出来ない果物、のような小説でした。皮を剥いて身の部分を食べることが出来ればたぶん美味しいんだろうなぁ、という予感はあるんだけど、どうしても皮が剥けないんです。
ってまあそんな説明じゃきっとわかりませんよね。
本書には、戦闘状態にある様々な軍隊が存在するんです。上巻の巻頭に表記されているものだけでも抜き出してみましょうか。

常陸軍・水戸軍・仙台軍・宇都宮軍・土浦軍・ンガルンガニ・常陸TC・加賀美舞台・イヴァンイリイリの外国人傭兵部隊

僕にはこれらの軍隊の、どれとどれが仲良しで、どれとどれが敵対していて、どれがどれを裏切って、みたいな関係性を、かなり早い段階で見失ったのでした。基本的にそういうことを、まったく理解出来ないのです。
例えば僕は歴史がまったく苦手なんだけど、戦国時代はたぶんいろんな軍が群雄割拠してたわけですよね。織田信長とか豊臣秀吉とか(僕は正直、この二人が同時代の人なのかどうかもちゃんと知りません)。武田軍とかあったわけじゃないですか。そういう軍の、どれが仲良しでどれが敵対していたどれがどこに吸収されたのか、みたいなことって、たぶん本気で勉強しても僕の頭にはまったく入らないと思うんです。
もうこれは、脳の作りというか仕組みというか、そういうのが絶望的にダメなんでしょうね。別に歴史の話じゃなくても、例えば会社のどことどこが合併して、どこが敵対していて、なんて関係性も、たぶん僕、ちゃんと勉強しても理解出来ないと思うんですね。
もう僕なんかそもそも、本書の主人公である海人が、結局どこの軍隊で孤児部隊として活躍していたのかもよくわかってないんです。というのも、さっき挙げた軍隊の名前は、実際こんな風に表記されているんです。

常陸軍(政府軍第51歩兵連隊)
水戸軍(政府軍52歩兵連隊)
仙台軍(反政府軍の東北における最強部隊)
宇都宮軍(反政府軍の北関東における最強部隊)

例えば作中で、常陸軍のことを『政府軍』って表記されてたり、あるいは仙台軍のことを『反政府軍』って表記されてたりしたはずなんですけど、それがどっちなのか僕には分からなくて。たぶん普通の人なら、文脈からどっちの軍隊のことを指しているのかきっと理解できるんだろうと思うんですけど、僕はホントダメだったんです。海人は結局、どの軍隊で戦ってたんだろうか。
また作中には、例えばこんな文章が出てきます。

『まず、常陸軍が東京UFに代わって、甲府軍や信州軍に通行料を払う。つぎに、これまでより安い値段で通行許可証を発行する。同時に封鎖を解除する。中央自動車道の輸送量の四十パーセントを、東京UF系列の運送会社が扱っtル。リストを渡すから、常陸軍がそいつらを排除してくれればいい。あたしたちが新しい会社をつくって、代わりのトラックを用意する』

とある計画の具体案として語られるものなんだけど、僕はこの文章とか全然理解できなかったりするんですね。どの軍隊が対立していて、みたいなこともそうなんだけど、それだけではなくて、何故これまでより安い値段で通行許可証を発行し、同時に封鎖を解除すると、その計画がうまく行くのか、それが全然理解できないわけなんです。ホント自分の頭の悪さを痛感するなぁ、という感じです。
もしそういう様々な部分がちゃんと理解できて、内容をちゃんと追うことが出来れば、結構好きなタイプの物語な気はするんです。イメージ的には古川日出男っぽい気がするんで(全然違うかもだけど)、古川日出男好きな僕には合うんじゃないかな、と。でも、身を食べたいんだけど、そもそも皮を剥くことが出来ずに、結局作品の内容自体の善し悪しを判断できるところまでいけませんでした。
僕は本を読む力が結構ないと思っている人間で、時々こうして読めない作品があるんだけど、その度に、もうちょっと読解力があればいいんだけどなぁ、と思います。
というわけで、申し訳ないんですけど、内容が良いかどうかは、僕には判断できませんです。でも、凄く良さ気な気はします。

打海文三「裸者と裸者」







箱庭図書館(乙一)

内容に入ろうと思います。
本書は、6編の短編が収録された短篇集です。
なんですが、本書がどんな風に生まれたのかがちょっと変わっているので、まずその話を書こうと思います。
本書は、乙一がWEB上で連載していたものなんですが、一般の人からボツ原稿を募集して、それをリメイクする、というかなり変わったやり方で生まれた作品です。乙一は、小説のアイデアがなかなか出てこないらしく、ボツ原稿を集めてもらえれば仕事できます小説書きます、という話を編集者にしたところ、こういう企画が出来上がったんだそうです。

「小説家のつくり方」
小説家の山里秀太は、発売した小説にはじめてあとがきを書いてみた。それは、秀太が作家になるきっかけとなる出来事だった。小学校時代の担任の先生とのささやかなやり取りが描かれている。
秀太には、潮音という姉がいる。この姉がまたとんでもないのだ。
本を読むのを止められない人なのだ。
歩きながら本を読んでいて惹かれそうになった、本を読んでいる時に転んでもどこまで読んだか分かるようにページに指を挟んでいる。キリの良い所まで読まないと、雪の降りしきるバス停のベンチに永遠座り込んで本を読んでしまう。そんな、時に命に関わるような本の読み方をしている姉だ。
秀太はそんな姉に、あとがきの感想を求めた…

「コンビニ日和!」
酒屋をコンビニっぽく変えてみました、というような店のレジで閉店を待っていた僕。しかし閉店間際に、一人の男が入ってくる。手ぶらで、時折レジにいる僕を確認するような目付き。何か聞きたいことでもあるのだろうか?
同じ学校に通っている島中さんに急かされ、その男に閉店時間を過ぎていることを知らせるべくレジを出た僕だったが…。

「青春絶縁体」
文芸部に入った僕は、たった一人の先輩である小山雨季子とだけは気軽に、というか、お互いに罵詈雑言で、と言った方が正しいけど、とにかくそういう感じで喋ることが出来る。二人しかいない部室の中で、いかにお互いを罵り合うか。結局のところそれしかしていない二人の時間は、僕にとっては実に貴重な時間なのだった。
クラスでは、僕は浮いている。というか、そもそも存在を認識されているのだろうか?青春、という言葉からイメージされるようなことはまるでない。ひっそりと、誰とも喋ることはない。僕は、文芸部の部室でだけは饒舌になれるのだ…。

「ワンダーランド」
僕は小学校へ向かう途中、鍵を拾った。本当は、警察とか先生に届けるべきなのかもしれない。優等生を演じている僕は、なおさらそうするべきだっただろうと思う。しかし、結局そうはしなかった。僕はそれを自分で持つことにした。
その鍵に合う鍵穴を探す。
いつしかそれが、僕の日課となった。
様々なところに鍵を差してみる。普段歩いたことのない道を歩いてみる。行ったことがないくらい遠くまで行ってみる。そうやって僕は、その鍵に合う鍵穴を探し続けた。見つけたい、という思いと同時に、見つからなければいい、という思いも持っていた。
ある日、町の北側の大きな川の傍の調査をしている時だった。僕は、一軒の空き家を見つけた…。

「王国の旗」
小野早苗は、授業が退屈で学校を抜けだした。目の前に鍵の差さった車があり、そのトランクに隠れることにした。すると車が動き出してしまい、結局何時間も身動きの取れなかった早苗は、見知らぬ町に辿りついた。
そこで、ミツと名乗る少年と出会う。ミツ君は早苗を、ある場所へと案内してくれた。
それは営業していないボーリング場だった。
ミツ君はそこを、僕達の王国だ、と表現した。そこには、子供たちがたくさんいた。夜の間だけこのボーリング場に『帰って』くるのだ、という。そして朝になると、みな両親の子供だというフリをしてひっそりと時間をやり過ごす。
そういう子供たちを集めたのが、この王国だったのだ。

「ホワイト・ステップ」
珍しく大雪となった文善寺町で、僕は非常に奇妙な足跡を見つけた。あるはずのない、どうやってそんな足跡がついてのかまるで理解出来ないような足跡を。まるで透明人間が自分の前を歩いているのではないか、そう錯覚してしまうような謎めいた足跡だった。
僕はその足跡の謎を解くべく、その足跡を追うことにした。
しばらくするとその足跡が僕のことを認識し始めたらしい。向こうには、僕の声も動きも感知できないようだけど、雪面の変化だけは捉えることが出来るようだ。そこで僕は、雪の上にその謎の足跡の持ち主へのメッセージを書いてみたところ…。

というような話です。
どの話も、乙一っぽい作品だなぁ、という感じで、かなり好きな作品です。乙一らしい作品、という感じがしました。
本書は連作短編というほど作品間の繋がりはないのだけど、どの話もすべて文善寺町を舞台にしていて、かつ、作品のどこかにチラリとでも、必ず潮音という女性が登場する、ということだけは統一されています。送られてきたボツ原稿同士はもちろんなんの関係もない話ばっかりなわけで、それを舞台を統一して、共通する登場人物を登場させる、という趣向だけでも、なかなか巧いことやったなぁ、という感じがします。
僕が一番好きなのは「王国の旗」です。僕の中では、本書の作品でずば抜けて好きな作品です。見知らぬ町に辿りついた早苗が案内された、子供たちだけの王国。そこは、王国の舞台となっている営業していないボーリング場にいる時だけが本来の自分であり、両親と共に家にいる時は偽りの自分なのだ、と思うようにしている子供たちが描かれます。
なんかどうしてもそういうの、凄く理解できてしまうんですね。僕も実家にいた頃は、実家にいることが嫌で嫌で仕方がなくて、両親に対しては本当に偽りの自分を作り出して、それで接していた、という感じです。その王国には、そう望んでいる子供たちが何故か集う、らしいのだけど、きっと僕も近くにそんな王国があれば、行ってしまってただろうなぁ、という感じがしました。
お伽話のような設定から始まるけど、話が進んでいくにつれて『キレイゴト』だけでは成り立たない現実が垣間見えてくるようになる、というのも、乙一らしい感じがしてよかったです。物語の終わらせ方も凄く雰囲気があって、その後の広がりを想像してしまう余韻の残るいい終わり方だと思いました。
「小説家のつくり方」は、シリーズで重要な役目を担うことになる潮音について最も描かれている話で、まあ結構好きですね、こういうアホなキャラクターは。
「コンビニ日和!」は、コメディタッチで話が進んでいくも、オチもなかなか綺麗に決まっている作品です。コメディタッチなんだけど緊迫感もあったり、それでいて話がどんな風に進んでいくんやら読めない作品で、なるほどなぁ、という作品でした。
「青春絶縁体」は、乙一らしさ全開の物語でした。他の誰とも喋れないけど、文芸部の美人な先輩の小山さんとは、漫才のような掛け合いが出来る。でも、教室にいる自分には、そういう部分はまったくない。青春というものと自分は繋がれていない、絶縁体のような存在だ、と嘆く主人公の気持ちは、凄く理解できてしまいます。オチがどうこうというよりは、全体の雰囲気が好きな作品。
「ワンダーランド」は、個人的には最も微妙だなあぁ、という感じの作品でした。全体の構成や物語の落とし方など、どうも、乙一はまだまだやれるんじゃないかなぁ、という感じでした。鍵を拾ったから、その鍵に合う鍵穴を探しに出かける、という発想は面白いと思うんだけど、全体的にはちょっとあんまりだったかなぁ、という感じです。
「ホワイト・ステップ」は、本作唯一の中編と言っていい長さ。雪上だけでやり取りが出来る二人、という描写の展開のさせ方はちょっと巧くなかったような気がするんだけど、雪上でのやり取りから始まった二人が、たったそれだけの邂逅でしかない状況の中で、何を相手に伝えようとし、何を知ろうとするのか。お互いに触れられるわけではない、言葉を交わすことが出来るわけでもない相手に対して親しみを感じてしまう、そういう一瞬の関係性みたいなものが描かれていて良かったなと思います。
リメイクする前の元のボツ原稿を読んでいないんでなんとも言えないんだけど、巻末にある、乙一がどんな風にリメイクしましたよ、的な文章を読んでいると、かなり手を加えたんだろうなぁ、という作品が多いようで、やっぱり乙一の発想力とか構成力みたいなものは高いんだろうなぁ、とか思います。乙一名義での久々の作品なんで、乙一再始動、って感じですね。実は『箱庭図書館』ってタイトルは、ツイッター上で一般の人から公募していました。僕も応募してみたんだけど(どんなタイトルを送ったのかすっかり忘れましたけど)、もちろん採用されるはずもなく。しかし、乙一手抜きすぎじゃあるまいか、って感じするなぁ。いや、『箱庭図書館』ってタイトルは凄くいいなと思うんですけどね。
全体的に乙一らしい作品が多いなと思いました。乙一のこれまでの著作が好きな人は楽しめるんじゃないかな、と思います。僕は時間がないから出来ないけど、リメイク前の作品も一緒に読んでみる、というのもたぶん面白い楽しみ方なんだろうと思います。是非読んでみてください。

乙一「箱庭図書館」




灘中 奇跡の国語教室 橋本武の超スロー・リーディング(黒岩祐治)

内容に入ろうと思います。
本書は、21歳から71歳までの50年間、東大進学率トップの灘校で国語を教え続けた伝説の教師・橋本武について、その教え子であり現神奈川県知事である著者が綴った作品です。元々リヨン社から出ていた「恩師の条件」という作品を新書版化したもののようです。その「恩師の条件」は、橋本武という国語教師に世間の注目を集めるきっかけになった一冊でもあるようです。
「銀の匙」という中勘助の小説を3年間掛けて読む、というのが、橋本武のスタイルです。
と、橋本武の国語の授業の話をする前に、灘校についてざっと書いておきましょうか。
灘中学校は、昭和三年に白鶴・菊正宗・桜正宗の三つの酒造会社が出資してできた私立高で、創立当時は、効率の神戸一中のスベリ止めというような位置づけの新設私立高に過ぎなかった。しかし、日本一の学校を目指そう、という大号令の元一丸となり、ついに昭和四三年卒業組で、灘校が初めて東大合格者数日本一になった。
灘校は、中高一貫教育で、六年間同じ教師が受け持つ。だから、橋本武の授業が受けられるのも、六年に一回だけである。そして初めて東大合格者数日本一になった卒業生に国語を教えていたのが、橋本武だったのだ。
東大合格者数日本一の私立高と聞くと、そのイメージだけで、詰め込み教育ばかりやっている学校、という印象を持たれがちだったらしいのだが、実際はまったく違う。校則みたいなものはほとんどなく自由な校風で、また橋本武に限らずほぼすべての教科の教師が、教科書を無視した授業をしていたという。受験対策のような授業はほとんど行われていない、というのが実際のところらしい。解説で、別の灘校卒業生が、英語教師・俵倫一先生の授業についても少し触れているのだkど、『英文法・英文解釈・英作文といった受験用の訓練はほとんどなされず、英語の小説を原書で読破していくという授業だった』と書いています。
そしてその、教科書無視の授業の最たるものが、橋本武の国語の授業だったわけです。
中勘助の「銀の匙」は、明治の日本情緒溢れる東京下町の子供の世界であり、子供目線で話が進んでいくので中学生でも親しみやすい。その他にもいくつかの理由があってこれを国語の教科書にすることに決めるのだけど、これを教科書にするって言っても何も指針はなく、教材からして自分で作っていかなくてはいけない。橋本武の国語の授業は、まさにこの教材作りの軌跡との歩みでもあるのだ。
当時まだガリ版印刷しかなかった時代に、橋本武は常人では信じがたい量のガリ版刷りのプリントを毎回用意してくる。また、一番初めに『銀の匙研究ノート』という、お手製の冊子が配られる。それらを駆使して授業を進めていくのだ。
しかしその授業のやり方は、常識的にはちょっと考えられないものなのです。橋本武曰く、『横道に外れることこそ私の狙い』ということらしいんだけど、横道に逸れすぎだろ!っていうか、そこに道はないぞ!みたいな方向にもどんどん進んで行っちゃうんで、ちょっと衝撃的でした。
例えば、百人一首が出てくる場面になると、国語の授業中に百人一首大会をやる。駄菓子の描写が出てくれば国語の授業中にみんなで駄菓子を食べる、凧揚げのシーンが出てくれば、美術の先生とコラボして、美術の時間に凧を作る、というような感じで、これが一体国語の授業なのか!という感じなんだけど、でもこういう授業だったら受けてみたいよなぁ。
とはいえ、やはりそればかりではなかったようで、とにかく宿題として文章を大量に書かされまくったようです。家で古典を含む様々な本を読み、その感想を書いたりというような課題は常に出されていたようです。百人一首を作る、というような課題もあったとか。
とはいえやっぱり橋本武の授業の基本は、『銀の匙』の超スローリーディングなんでしょう。僕は書店の文庫担当で、中勘助の『銀の匙』が最近売れてるらしいぜ、どうも灘校の先生が三年間掛けてこれを読むとかいう授業をやってたらしいぜ、というような話を聞いて、三年掛けてたった一冊の本を読むなんて、俺には退屈で死んじゃうなぁ、とか思ってたんだけど、でも本書を読んでそのイメージは覆りました。ただ読むだけじゃなくて、こういう形で生徒を巻き込んでいく、そして、とにかく作品の世界に興味を持たせる。そうすれば、後は自ずから自分で学んでいく、そういうことなんだろうと思います。
僕は本当に学生の頃、国語の授業が嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。とにかく、国語の授業に試験がある意味がわからないぞ、と。いや、例えば、漢字を書かせるとか、この指示語が何を指しているのか、みたいな設問ならいいですよ。でも、この時の主人公の心情を答えなさい、って質問に対して、『不正解』が存在する、ということの意味が僕は未だに理解出来ないんです。別にその作品をどう読んだって(それがあまりに間違った解釈であろうとも)、別に読んだ人の自由じゃん、とか思っちゃって、どうしても国語という教科に対しては腹立たしさしかありませんでした。ま、ずっと内職してましたけど(笑)。だから、国語の教科書に載ってた作品とかほぼ覚えてないし、楽しかったなんて記憶もまったくなかったのですよね。
だから本書を読んで、こういう教師に出会えたというのは、本当に奇跡的に素晴らしいことだな、と思います。僕もきっと橋本武の授業を受けていたら、国語は好きになっていたと思います。本書でもちょっと触れられている箇所があるけど、結局のところ教育って、何を教えるかが重要なんじゃなくて、生徒に学びたいという気持ちを起こさせること、あるいはそういう気持ちを起こさせることが難しかったとしても、そういう気持ちになった生徒へのバックアップを完璧にする、というような部分が最も重要なんだろうなぁ、と思いました。
橋本武の超スローリーディングの効果みたいなものは色んなことが考えられるだろうけど、僕が一番重要な効果だと思うのが、他人の本の読み方を知れる、という点ではないかと思うのです。
僕は国語の授業を真面目に受けた記憶がないんで覚えてないだけかもしれないけど、普通国語の授業を受けていても、他の誰かがこの作品をこういう風に解釈して読んだんだ、というようなことってなかなか知りえないですよね。それは授業に限らなくても、知る機会はなかなか少ないだろうと思うんです。僕は一応、小中高と本を読んでいましたけど、周りに本の感想を話せるような相手は皆無だったと思います。だから結局、自分の解釈しか知りようがなかった。
本なんて別に読み方の正解なんてなくて、自由に読んだらいいんだろうけど、でも他の人がどう読んでいるのか知ることが出来るというのは、凄く大事なことなんじゃないかなと思うんですね。
で、そのために、大量の文章を書かせたのではないか、と。たとえある人がある解釈で本を読んだとしても、それを他人に伝える文章が書けなければそれは共有できないですよね。そういう、超スローリーディングをする精読と、とにかく大量の文章を書かせるという両輪で成り立っていたのかな、という感じがしました。
だからホント、学生という時間は凄く貴重だったんだな、と今余計に思います。今僕は、自分の仕事柄という部分ももちろんあるんだけど、本をゆっくり読んでいる余裕というのはまったくありません。とにかく、一冊でも多く早く読まないと、色んなものが回って行かない環境にいたりします。別に書店員じゃなくたって、時間に追われてゆっくり本を読む時間が取れない、なんていう人もたくさんいることでしょう。
だからこそ、学生の、あのアホみたいにありあまる時間があった頃(とはいえ、僕は常人から驚かれるぐらいずっと勉強をしてたんで、全然ヒマじゃなかったんですけど)に、もっともっとゆったりと本を読めたりすればよかったのになぁ、とか思ってしまいました。もうそういう読書が出来る可能性があるとしたら、もう老後ぐらいしかないよ。老後なんて僕にはこないと信じてるけど!
橋本武の授業は、サラリーマン教師から見れば「無駄!」としか思えないようなことばっかりやっている。でも橋本武は、その無駄こそを追い求めて授業を続けてきた。
僕はその部分を読んで、よく思い出すあるエピソードを思い浮かべた。宇宙飛行士がスペースシャトル内で手を切る恐れなく開けられる缶詰を開発しようと、日米の大学や企業が超多額の金額を費やして研究を重ねるも、ついに開発することが出来なかった。しかしそれを、日本の町工場の職人の一人が創り上げてしまったのだ(その職人の制作過程は、アメリカのどこかの有名な大学のテキストにも載った、と聞いたことがある)。
詳しいことは説明できないけど、その手法はこうだ。その缶詰は、一枚の金属板をあーだこーだ加工して作るんだけど、もちろん一枚の金属板すべてが最終的に缶詰になるわけではなくて、捨てられてしまう余分な部分というのが出てくる。その職人は、最終的には捨てられてしまう部分に加工の途中で何か手を加えることで、その手を切らない缶詰を創り上げたのだ。
これは、無駄な部分を切り捨てる、効率だけを追求する、というような思考からはなかなか出てこない発想なのではないかと思う。ちょっと関係ない話をしたけど、この話僕大好きなんで、ちょっと書いてしもーた。
さて後は、橋本武の名言をいくつか抜き出して終わりにしようと思います。

『偏見を打破するだけの実質さえ備えておくなら、どんなことを言われても笑ってすませられよう』

『すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる』

『答えは後回しでもいい。疑問をもつことが第一歩』

橋本武の授業そのものも面白いんだけど、教育ってなんだろうな、と考えさせられる作品でもあります。やっぱり子供の頃、教師を含め、どんな大人に出会ったかで、色んなことが変わっていくんだろうなぁ。その出会いこそを『教育』と呼ぶ、なんてのはまあ無理やりすぎるだろうけど、大きくは外していないのかもしれないな、という感じもします。是非読んでみてください。

黒岩祐治「灘中 奇跡の国語教室 橋本武の超スローリーディング」




夏の王国で目覚めない(彩坂美月)

内容に入ろうと思います。
物語のきっかけは、『月の裏側』というとあるサイト。
三島加深という、決して知名度が高いわけではないけど熱狂的なファンのついている小説家がいる。これまで4作の小説を発表したが、それから沈黙したままであり、略歴や近影などもすべて謎、という、カルト的な人気を獲得するのに十分な背景を持つ作家だった。
天野美咲はある時、妙な噂を耳にした。三島加深のファンサイトのどこかに隠しサイトがあって、課されるゲームをクリアすると、三島加深に関する重要な秘密を知ることが出来る、と。
そうしてたどり着いたのが、『月の裏側』というサイトだった。
そこには既に、美咲と同じように難関をクリアしたと思しき人達が掲示板を通じて会話をしていた。特別変わったところもないサイトで、三島加深のコアなファンだけを集めて交流させようという意図のサイトなのだろう。美咲はそう判断した。
状況が変わったのは、一通のメールが届いたからだった。
それには、『架空遊戯』と題された大掛かりなゲームに参加しないか、という案内メールだった。
三日間、与えられた役柄を演じる。そして、コマンドと呼ばれる指示に従い、途中で起こる殺人事件の謎を解く、というミステリイベントのようだ。見事謎を解き明かしたものには、ジョーカーと名乗るメールの差出人が持っているという、三島加深の未発表原稿を与える、という内容だった。
高校生である美咲は悩んだ。イベント中は家族を含む外部とは一切連絡を取ってはいけないという。高校生の身分で、それは許されるだろうか?
しかし美咲は、三島加深の未発表原稿の誘惑に負け、イベントに応募することにした。
当日。これまで掲示板を通じてやり取りしていたのであろう、一度も会ったことがない人達(与えられた役名ではない本名などの個人情報をやり取りするのは禁じられている)と、しかしゲームの設定上は全員知り合い、という奇妙な状況の中、みな恐る恐る、自らに与えられたセリフを言い、イベントはスタートする…。
というような話です。
これは面白かったなぁ。正直まったく期待しないで読んだんだけど、思った以上に良く出来ていて感心した。まだデビュー間もない新人の作品としたら、結構レベル高いんじゃないかなと思います。
本書は、ジャンル分けするとすれば、本格ミステリ、ということになるでしょう。特に、ラストの解決編に当たる部分は、まさに本格ミステリ的です。ただ、物語の構造としては本格ミステリ的なんだけど、物語全体の雰囲気は本格ミステリ的な感じが薄いのです。これをどう捉えるかは人それぞれだろうけど(つまり、本格ミステリがそこまで得意ではない、という人には触れやすい物語だろうけど、本格ミステリがバリバリ好きという人にはもしかしたら物足りなかったりするんだろうか、というようなこと)、どうして構造的には本格ミステリなのに雰囲気は本格ミステリっぽくないのか、という分析については、ちょっと書きたいことがあるんで、後でまた触れます。
読んでいる間はそう感じないけど、人に説明しようとするとなかなか複雑な構造をした物語で、かつ、やっぱり本格ミステリなんで内容には深く触れられないのが辛いところだけど、舞台設定や物語の展開のさせ方、ゲームのシナリオ上の事件と、巻き込まれてしまったゲームそのものの謎を同時並行で解決するラストの流れなど、決して僕は熱心な本格ミステリ読みではないのだけど、本格ミステリ作品としてかなり水準が高いのではという印象を受けました。
ゲームの参加者は、ただゲームのシナリオに沿って動いていればいいというわけではない、というところが、本書の最大の特徴であり面白い部分だと思うんですね。
参加者はみな、初めの内は、『自分が参加しているこのゲームは、三島加深の未発表原稿を手に入れるための余興的なものでしかなく、そのためにはシナリオに沿ってちゃんとゲームを進めて行った方が楽しいよね』というような共通認識を持っている(もちろん、色んな参加者がいるから、全員が全員そういう感じでもないんだろうけど)。ただゲームが進行していき、そのゲームが徐々に『現実』に侵食してくる過程で、参加者はようやく、『これはただのゲームなんかじゃないんだ』ということに気づくわけです。
ただその一方で参加者たちは否応なしに、『ゲームのシナリオには忠実に従う』ように強要される。ゲームの進行を阻害したり流れを改変したりすることは許されないのだ。そのキツい条件の中で、参加者たちはもう一つの謎、つまり『誰がこのゲームを仕掛け、自分たちをどうしようとしているのか』という謎にも立ち向かっていかなくてはならなくなる。
作中の登場人物のセリフとして、こんなのがある。

『その上、オレたちはコマンドに従って行動している。それが本当にその人自身の言葉なのか、或いは推理劇の登場人物として意図的に指示されたセリフなのか、判断する術がないんだ。』

それぞれの参加者には、個別にコマンドが与えられる。誰にどんなセリフが割り当てられているのか、他の参加者は知りようがないのだ。それが疑心暗鬼を生む。他にも色んな絶妙な仕掛けに彩られていて、この推理ゲームはある人物の思惑通りに進行していく。
この物語の面白さは、そういうゲームと現実が侵食しあっていく過程もそうなのだけど、最終的に物語がどこに着地するのか全然読めない、という物語の展開にもある。
普通の本格ミステリであれば、割と初めの方に殺人(でないにしてもなんらかの事件)が起こり、探偵役を中心に推理が進み、そして最後には事件が解決する、という流れだ。多少の違いはあれど、多くの本格ミステリはそういう構造の物語だと思う。
しかし、本書は違う。
もちろん、そういう部分もある。『架空遊戯』で進行していくシナリオは、まさにそういう感じだ。何か事件が起こる。そしてその謎を解いたものが三島加深の未発表原稿を手に入れられる。
しかし物語は次第に、そのゲームのシナリオの解決がメインではないということがはっきりしていく。結局のところ、そのゲームがどういう風に進行していき、どこにどんな風に着地し、そしてそれを仕掛けているのが誰なのか、という部分に焦点が当たっていく。
しかしこうなってくると、物語の展開がさっぱり読めない。それは、最後の解決編にたどり着くまで、誰が探偵役なのかなかなか想像しがたい、という部分を挙げてもそう判断できるのではないかと思う。本当に、解決編でその人物が滔々と真相を語るまで、犯人はもちろんのことながら、誰が探偵役なのかも読めない。そして、物語がどういう方向に進んでいき、どこに着地するのかも読めない。
構造的には非常に本格ミステリ的でありながら、ここまで本格ミステリの定石(と、本格ミステリの熱心な読者でもない僕がそんな表現を使っていいのかわからないけど)を踏襲していないで物語を展開させられるというのは凄いものだなぁ、と思ったのでした。
さて、先程書くと言っていた、構造は本格ミステリなのに雰囲気が本格ミステリ的ではない、という話をしましょう。
本書では、本格ミステリの最大の弱点(と僕が勝手に思っている部分)を絶妙な設定で乗り越えている、という感じがしたのです。その弱点を乗り越えている部分が、本格ミステリ的ではない、という印象を与えるのではないか、というのが僕の勝手な分析です。
本格ミステリの熱心な読者でもない僕がこんなことを言うのは本格ミステリのコアなファンの方に怒られてしまうかもだけど、それでも昔それなりに本格ミステリを読んだ者として、本格ミステリの最大の弱点は、『リアリティ』という部分にあると思うのです(一応書いておきますけど、僕は本格ミステリ結構好きなのですよ。最近はあんまり読まなくなりましたけど、決して、本格ミステリというジャンルを貶めようと思って書いているわけではない、ということだけ了解していただければ嬉しいです)。殺人が起きる、そしてそれを警察に知らせずに自分たちで解く、という状況、あるいは、殺人が起きたのに冷静に調査やら聞き取りやらをしているという状況。本格ミステリは作品の構造上、どうしたってそういう場面を描かなくてはいけないわけなんだけど、どうしたってそういう描写はリアリティに欠けがちだと思うのです。しかも、読者に大してフェアな情報を与えるために、普通ならしないような会話・行動を登場人物にさせなくてはいけなかったりします。本格ミステリというジャンルにつきまとう、そういう『リアリティ』に関する部分はまあ仕方ないと僕は思っているし、それを許容できる人間が本格ミステリというジャンルを楽しめばいい、というスタンスです。
でも本書はそういう『リアリティ』に関する弱点を、ゲームの中で演技をする、という設定で見事に払拭している、と僕は感じました。
ゲームの参加者たちは、与えられたセリフを必ず喋らなくてはならない。それがどれだけ不自然な会話だろうが、ぎこちない会話だろうが、そう参加者たちはそれを役を演じる上で発しなくてはいけないセリフとして喋っている、という設定なわけです。物語の展開にどうしても必要な情報を、ゲーム内で喋らなくてはならないセリフ、という形で処理することで、つまり、『リアリティのない状況の中にリアリティのなさを隠している』という技巧によって、『リアリティ』の問題を非常にスマートに解消していると思うんですね。
それは、コマンドと呼ばれる指示についても同様のことが言えます。本格ミステリにおいて、物語の展開上登場人物にさせなくてはいけない不自然な行動や会話も、ジョーカーから送られてくるコマンドという指示に従っている、という状況を作り出すことで、その違和感を『違和感のないもの』としてではなく、『違和感があっても不自然ではないもの』として提示することに成功しているなぁ、と思いました。
これは結構凄いことだと思うんですね。僕がまだまだ本格ミステリの世界に深く分け入っていないだけかもしれないんだけど、こういう形で、本格ミステリに構造的につきまとう弱点を克服している作品ってなかなかないと思うんです。いわゆる『嵐の山荘もの』のように、警察が来られない状況を生み出して、というような手法はさかんに使われてきたし、『リアリティの欠如を状況設定によって補う』というようなやり方はこれまでも多く編み出されてきたんだろうけど(詳しくはないけど)、登場人物たちの行動まで含めて、それを『自然に』(という表現は若干語弊があるかもだから、『違和感があって当然のものとして』という表現でもいいんだけど)見せることが出来ている設定って、少なくとも僕は触れたことなかったんじゃないかなぁ、という気がしています。
ただ一点、ちょっともったいないかなぁ、と思う部分が。それは、冒頭。本書の冒頭は、『月の裏側』というサイトの掲示板でのやり取りから始まるんだけど、そういう始まり方って、人によってはそれだけでダメっていう人がいると思うんだよなぁ。これ、物語の始まりの部分をもう少し入りやすい感じにして、掲示板でのやり取りはもう少し後で描写するっていう構成には出来なかったのかなぁ。この小説を手にとって初めのページをペラペラめくった人が、あぁこういう感じね、じゃあいいや、って思っちゃうような気がするんだけど。それがホントもったいないよなぁ、という感じがしました。
というわけで、僕は結構オススメな作品です。本格ミステリ好きの人がどんな風に反応するのかちょっと読めないけど、僕のようにそこまで熱心な本格ミステリ読みではないという人でも普通に楽しめる作品だと思います。イメージ的には、講談社ノベルスとか講談社BOXとかで出てるとしっくり来るようなタイプだけど、でもそこまで尖ってるわけでもないんで、読みやすいんじゃないかなと思います。是非読んでみてください。あと、三島加深の小説は読みたくなるなぁ。たぶん俺好きそうなんだよなぁ、三島加深(笑)

彩坂美月「夏の王国で目覚めない」




てふてふ荘へようこそ(乾ルカ)

内容に入ろうと思います。
本書は、6編+アルファの短編が収録された、連作短編集です。
全体の設定を説明しておきましょう。
舞台は「てふてふ荘」という、かなり古いアパート。敷金礼金なし、家賃は1万3千円で、初めのひと月は家賃は要らない、という物件で、その安さに惹かれてやってくる人は多い。
しかしもちろん、安いのには安いなりの理由がある。
入居の際、入居者は大家さんに写真を見せられる。それは、部屋の内部の写真ではなく、子どもからオジサンまで取り揃えられた人の写真なのだ。
何故そんな写真を見せられるのか。それは、6室ある部屋に、その写真の通りの『幽霊』が住み着いているからなのだ…。

「1号室」
就職活動にことごとく失敗している高橋は、実家に戻れという良心の声を無視して、日雇いやアルバイトなどで生活をしている。お金が苦しくなったのもあって、てふてふ荘に移ってきた。
一晩寝て起きてみると、驚いたことに、部屋には女性がいた。女性の存在を避けて避けて避け続けてきた高橋は、さやかが幽霊だと知ってからも、とにかく部屋を替えて欲しい、と大家に訴え続けた。しかし、その時空いていた部屋に住む幽霊は、高橋を歓迎しなかった。
自分好みの女性(幽霊だけど)と一緒に過ごす日々。それは今の高橋にとっては、苦痛以外の何者でもなかった…。

「2号室」
スーパーの鮮魚コーナーで働いている美月は、早くに両親を失い、生まれてこのかたずっと貧乏のままできた。てふてふ荘に住んでいるのも、お金がないからだ。美月の部屋にいるのは、お酒が好きで好きで仕方ないオジサンだ。美月は、初めこそ驚いたものの、今では時折お酒を買って帰ってあげるし、仲良くやっている。
職場のスーパーに、将来的に店長候補だろうと噂される新人候補が入ってくる。ささやかな褒め言葉に有頂天になった美月は、すぐさま化粧品売場へと向かい、これまでしたこともなかった化粧をすることにするのだが…。

「3号室」
元詐欺師で、ムショ帰りの長久保の部屋にいるのは、石黒というキツめの女だ。入居者たちとの話から、石黒が、かつて少しだけテレビに出ていたタレントだと知る。出るCM出る番組軒並み大コケしていったという、業界では有名だった女性らしい。
ムショ帰りの前科者を雇ってくれる会社はもちろん少ない。長久保は、もう2年も就職活動を続けてきているのだが、一向にどうにもならない。そんな折、かつてのムショ仲間にばったりと再会してしまうのだが…。

「4号室」
平原は、かつててふてふ荘に住んでいた。航空大学校を目指していたが、入院が必要な病気に罹ってしまい、てふてふ荘を出ざるをえなくなったのだ。
入居当時平原の部屋にいたのは、薫という、異様に容姿の整った陰気な少年であった。薫とは、きちんとした意思の疎通が出来ていたとは言えなかった。しかも別れ際、薫を怒らせるようなことをしてしまった。
それが気になっていた、ということはもちろんある。平原はつい、かつて住んでいたてふてふ荘に立ち寄ってしまったのだった…。

「5号室」
真由美は、色んな出来事が重なった結果、それで両親の気が済むならと、兄の死亡事故現場に100日足を運ぶことになった。その拠点として、格安の家賃で住めるてふてふ荘を選んだのだった。
朝起きたらびっくりするから、そうてふてふ荘の住人に言われていた真由美だったが、皆が何を言っているのか全然理解できなかった。どうも住人は何かを隠しているらしいけど、まあいい。

「6号室」
米倉は、てふてふ荘住人全員の気持ちもあって、6号室に住む幽霊を成仏させてあげなくてはならなくなった。しかしそれは、米倉にはどうしても不可能なことにしか思えなかった。
イラストの仕事でどうにか糊口をしのいでいる米倉と一緒に住むのは、11歳の少年だ。てふてふ荘内の水を自在に操れる能力を持つ彼は、隙あらば米倉を殺そうと仕掛けてくるのだ。しかし米倉には、どうして自分が恨まれているのか、さっぱり理解できないのだ…。

あと、「集会室」と「エピローグ」がありますが、この二つはちょっと省略します。
これは凄く良い作品でした!乾ルカは、凄い新人が出てきたものだなぁ、と思って何作か読みましたけど、本書も非常に良く出来ています。
ます設定が抜群。6部屋すべてに地縛霊がいて、入居者はその幽霊と一緒に生活をしなくてはいけない、という、どうしたってありえない設定ですが、これが物語を本当に面白くしています。幽霊とのハートウォーミングな関わり、なんていうとちょっとなかなか想像しがたいかもしれませんけど、本当にそういう感じで(一部例外もあるけど)、それぞれの主人公(部屋の住人)が、それぞれの部屋の幽霊と関わり合うことによって、少しずつ前に進めるようになったり、新しい発見が出来たりというような感じになっていくわけです。
それが本当に自然なんです。自然な流れで、幽霊と住人が関わり、そして幽霊の存在が住人を何らかの形で後押しするんです。この、物語の核になる部分が本当に良いと思う。住人が抱えている問題はそれぞれだけど、みんな何かつまづいたりうまくいかなかったり色んなことが嫌になっていたりする。そういう状況の中で、触れられるわけでもない、ただ話し相手でしかない幽霊との交流が、どれだけ住人に影響を与えるのか。その描写が本当に巧い。短編ごとに様々な趣向を凝らして似たような話の連続になっていないし、その少しずつ違う趣向の凝らされ方が、最後にうまくまとまって、なるほど全体ではそういう流れになるのか!という感じになって、本当に、個々の短編ももちろんだけど、全体としてのまとまり感も本当に凄いと思いました。てふてふ荘にまつわる謎や、その謎の解明に結果的に一役買うことになるとあるテレビ番組など、細かな設定も本当に巧いんです。
幽霊たちとの交流によって、住人の方にだけ変化があるわけではありません。幽霊の側も変わっていきます。自分が死に至った過程や、幽霊になってからの生き方(?)なんかが描かれ、住人たちとはまた別に、幽霊各自が抱えている問題というのも凄くいいなぁ、と思います。
僕が特に好きなのは、3号室長久保と、5号室の真由美の話です。
長久保は、元詐欺師で、今はどうにか社会復帰をしようと真面目に就職活動をしているのにまったくうまくいかない男で、その理由を、生前からあらゆる場面で疫病神だった石黒におっかぶせようとしているわけです。決して、幽霊との関係が良いわけではない。それでも、石黒という強い女性と共に、現実に立ち向かっていく過程が凄くいいです。ここで描かれるとあるテレビ番組が、物語全体に少なくない影響を与えるわけで、その使い方も本当に巧いです。
真由美は、まったく信じていない『兄の幽霊』を鎮魂するべく、短い期間の間てふてふ荘に住んでいる。この章は、他の章とはかなり異質な話で(どう違うのかは、まあ読んでください)、てふてふ荘の『真実』を知ってしまっている読者からすると、非常に滑稽な感じが演出されています。それと同時にこの真由美の章で、物語の根幹を揺るがす(なんて書くと大げさかもだけど)大きな事実が分かるような構成になっているんだけど、それが本当に巧く出来ていて素敵です。ここで明かされる事実が、最終的に「集会室」や「エピローグ」の核であったり重要なポイントであったりするようになるわけで、何度も書いてますが、本当に全体の構成が非常に巧いと思うのです。
なんだかもっと色々書きたいことがあるような気がするんだけど、珍しく、深夜にかなり睡魔に襲われつつ文章を書いているんで、そろそろ限界です。
『幽霊が住むボロアパートでのハートフルな物語』という感じの話ではあるんですが、そのまとめではどうにも収まり切らない魅力に溢れています。登場人物たちの描かれ方や、物語の展開のさせ方、そして善太の構成の見事さなど、本当にどこをとっても見事としか言いようがない作品だと思います。読んでいると次第に、自分もてふてふ荘に住んでいて、彼らが右往左往している問題は実は自分にも関わってくるんじゃないか、と思えるような感覚に陥ってきます。これは本当にオススメです。是非読んでみてください。

乾ルカ「てふてふ荘へようこそ」




切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話(佐々木中)

内容に入ろうと思います。
思いますが、この作品については、内容紹介が出来るほど僕はちゃんと読めてはいないのであります。
難しかったなぁ。
本書は、まさに副題の通り、<本>と<革命>の話です。作中から、まさに本書の結論だろうと思われる部分だけ抜き出してみましょうか。

『よろしいですか。テクストを、本を、読み、読み変え、書き、書き変え―そしておそらくは語り、歌い、踊ること。これが革命の根源であるとすれば、どういうことになるか。どうしてもこうなります。―文学こそが革命の根源である、と。』

大雑把に言って、こういう流れになります。まず、本を読むとはどういうことなのか、について論じる。そしてその後、歴史上起こった革命の内二つ、16世紀のルターに端を発する「大革命」と、12世紀のすべての革命の包含するほどの、しかし多くの人にそう重大な革命だとは認識されていない「中世解釈者革命」の二つについて論じている、という流れです。
内容について僕が書けるのは、ホントこれぐらいなもんです。ここまで書いたことだけでも、何か間違いがあるかもしれませんが。
この本は、ずっと気になってたんです。でも、絶対僕には読めないと思っていた。本書は、ジャンルで言えば思想の本なんだと思うんだけど(たぶん)、難しい本は読めない僕には、きっとハードルが高い本だろうなぁ、って思ってたわけです。
でも、やっぱりみんなが絶賛するんで、よっしゃそれなら読んでみっか、と思ったのでした。やはり予想通り、僕には手強い作品だったんですけど。
でも、予想よりは読めました。予想では、もっと絶望的に読めないかな、と思ってたんですけど、文章が理解出来る部分もあってよかったなぁ、と。著者へのインタビューを原稿に起こした、というような、話し言葉で綴られている作品なんですが、それがまだ読みやすさを醸し出しているのかな、という感じがしました。
人にあれこれ説明できるほど内容を理解できたわけではないんですけど、扱われている話のところどころ(理解できた部分、ということですが)はホント面白いと思いました。特に、<革命>というと暴力が連想されるけど、<革命>の本質はテクストの書き変え、つまり文学にこそあるのだ、という話は、色んな例を出して言及していて、なるほどなぁ、と思わされました。
本書で特にページを割いて扱われている「大革命」と「中世解釈者革命」の二つの革命の話は、理解出来ない部分が多かったとはいえ、本当に面白かったです。そもそも僕は歴史や文学の知識がほぼゼロに近いんで、本書で描かれる出来事や人のことをほぼ知らないし、それぞれの出来事や人が一般的にどれだけ知名度があるのかもよくわからないから、そういう知識のある人から比べると新鮮な驚きみたいなものは薄いのかもしれないけど、それでも面白いなと思いました。
「大革命」の方は、ルターさんが色々頑張る革命なんだけど(そうやってまとめていいのか 笑)、ルターさんすげーなー、と思いましたよ。どう凄いのかは僕の理解度では説明できないんだけど、ルターさんはんぱねぇっす。
「中世解釈者革命」の方は、本書での扱われ方的に、一般的には知名度が低い革命なんだろうなぁ、と思うんだけど、それ以後のありとあらゆることを決定づけたすげー革命なんじゃん!とか思いました。地味ですけどね。革命、と呼ぶにはあまりにも地味。でもその「中世解釈者革命」について語ることが、革命の本質を、そして何よりも文学の本質を語ることになるわけで、この著者すげーとか思いました(あー、すげー頭悪そうな感想だなぁ)。
最後の章で、『「文学は終わった」とか言っちゃってる人間ってなんなわけ?』みたいな話が出てくるんだけど、識字率をベースにした話はなかなか刺激的でした。ドストエフスキーが「罪と罰」を書いてた時代のロシアは、9割の人が全文盲だったんだそう。全文盲ってのは、自分の名前さえ書けない、ってレベルだから、残りの1割の人だって本が読める人たちってわけじゃない。そういう中で、「罪と罰」を書く。識字率が9割を余裕で超える今の日本とは比べ物にならないほどの絶望的な状況です。その中で、ドストエフスキーは賭けに勝った。生き残った。それなのに今、「文学は終わった」とか言ってる人はなんなの?って議論は面白かったなぁ。
一番初めの章は、本を読むということや文学とは何かというような話なんだけど、ここには僕の琴線に触れる文章がたくさん出てきて素敵だったので(後の方の章は、僕には難しい文章が多くて、ついていくのもおぼつかない状態だったんで、琴線に触れるもなにもという感じ)、色々抜き出してみます。

『こうした環境で何が鍛えられるか。「すべて」のものについてちょっとは気の利いた一言を差し挟むことができる技術、です。上目遣いの目配りの良さだけをひたすらに磨いている。少なくとも私にはそういうふうに見えた。これは縮小再生産の場所であるとしか思えなかった。何かとてもみな嬉々として衰弱しているように見えた。燥ぎながら深く何か不安に濡れているように見えた。とても心から世界を愉しんでいるようには見えなかった。』

『それによってメタレヴェルに立ち、自らの優位性を示そうとすること。これが思想や批評と呼ばれていたし、今でも呼ばれている。そこでは誰もが「すべて」について「すべて」を語れるようになりたいと思っているかのようである。』

『情報を集めるということは、命令を集めるということです。いつもいつも気を張り詰めて、命令に耳を澄ましているということです。具体的な誰かの手下に、あるいはメディアの匿名性の下に隠れた誰でもない誰かの手下に嬉々として成り下がることです。素晴らしいですね。命令に従ってさえいれば、自分が正しいと思い込める訳ですから、自分は間違っていないと思い込める訳ですから。』

『古井さんは続けてもうひとつ、こちらとしてはもう恐れ入ってしまう様な事を仰っていて、要するに読んでいてちっとも頭に入らなくて「なんとなく嫌な感じ」がするということこそが「読書の醍醐味」であって、読んでいて感銘を受けてもすぐ忘れてしまうのは、「自然な自己防衛」だと言うんです。だから読み終えると忘れてしまうし、ゆえに繰り返し読むのだ、とね。』

『読んでいて全然わからない、頭に入らない、退屈でなんだか嫌な感じがする、というと、みんな何か自分の能力が劣っていると言われているような気がして怒り出したりするんですね。(中略)他人が書いたものなんか読めるわけがない。読めっちゃったら気が狂ってしまうよ。』

『自分の無意識にふっと触れてくる、そのさやかな兆しのみを縁にして選んだ本を繰り返し読むしかない。往々にして大量に本を読んで、その読書量を誇っているような人は、実は同じことが書いてある本をたくさん読まされていることに気づいていない。つまり自分は知を搾取しているつもりで、実は搾取されている側にいることに気づけない。読んだ本の数を数えている時点でもうお終いです。情報として読むなら良いのでしょうが、それが果たして「読む」という名に値する行為か。そうして情報に還元されたものしか相手にしていないから、それを正面切って受けとることもしないで済むのです。』

僕は難しい本が全然読めない残念な人なんですが、国語の授業とか好きだった人は読めるんじゃないかなぁ、とか思ったり。こういうのって、知識がないから論理が追えないのか、論理が追えないから知識を必要とするのかよく分かりませんけど、なんというか、こういう本をちゃんと読める人になりたいものです(まあ本書では、ちゃんと読めてしまったら気が狂ってしまう、って書いてあるんですけどね)。評判は凄くいいですし、僕もそれなりに理解できた部分については凄く楽しめた作品です。

佐々木中「切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話」




嫁の遺言(加藤元)

内容に入ろうと思います。
本書は、7編の短編が収録された短篇集です。

「嫁の遺言」
最初にそれが起きたんは、朝の満員電車の中でした。
それから時々僕は、死んだ嫁の気配を感じるようになった。大抵、真昼間の、人が多い時に限って。
付き合ってる頃から、変わった女だった。普通女が好みそうなことをなんだか全力で拒否するような、そんな変わったところがあった。それで、結婚してからすぐに、癌で死んでしまった。
癌であることは知らせなかったけど、入院中、私が死んだらどうする気や、なんて言っていた。そういう女だった。

「いちばんめ」
高校時代の友人の結婚式の二次会で、当時付き合っていた新藤大輝と久々に再開した。
わたしが初めて付き合った男の人だった。
マンモスという渾名で、この結婚式の新婦である長年の親友である理美は、わたしによく言っていた。あの頃山ちゃんはいつも言ってたもんね。将来は絶対に新藤と結婚するんだって。
お互い、どうしていいのかわからなかった。わたしは新藤のことが好きすぎて、余計なことを心配するようになって、どうしようもなくなっていった。わたしの方が新藤を好き、その状況が哀しかった。
そんな新藤も、結婚するらしい。

「あの人への年賀状」
僕は母親が経営している丸山理容室に足を運んだ。久しぶりだ。近所の小学生と、もう髪を切る必要もないようなお年寄りばかりが相手の、決して繁盛しているとは言えない店だ。
がたついている店を改築して二世帯住宅にしようと話をした時、母親に、店だけは残して欲しい、と言われた。今日は、それを諦めてもらおうと話に来たのだ。
僕には、どうして母親がこの店にこだわるのか理解出来ない。結婚して嫁いで行った先の、夫の両親が経営していた理容室で、その夫は結婚後すぐに家を出ていった、そんな場所でしかないのに。

「不覚悟な父より」
今日もまたいきなり怒鳴りだしてしまうかもしれない。
娘の絵里が結婚すると聞いて、お父ちゃんは落ち着いてはいられんのだ。
お母ちゃんとはもう大分前に離婚した。いつも正しかったお母ちゃんの唯一の失敗は、お父ちゃんと結婚したことだ。結婚後も女の尻を追いかけるのを止められなかったアホなお父ちゃんと結婚したお母ちゃんは、今は、絵里を待つこの喫茶店のマスターと再婚して、いい家庭を築いている。
そんなお父ちゃんが、絵里が年の離れたオッサンと結婚するって聞いて怒るのは間違ってるのかもしれないけどなぁ。
絵里とはずっと気が合った。それでお母ちゃんには怒られてばっかりだったけど、それでも良かった。
士道不覚悟やな、ほんと。

「あんた」
あんたが倒れて病院にいるって連絡が来たよ。しかも名古屋の競馬場で。店を手伝ってくれているパートの佐代ちゃんの痛い視線を感じながら、健康保険を払ってないあんたの治療費を払うために、東京からあんたのところに行くよ。
あんたは、お姉ちゃんのヒモだった。お姉ちゃんはどうもろくでもない男に引っかかる。まあ、不倫していたわたしも人のこと言えたもんじゃなかったけど。
一度あんたに大きなお金を借りたことがある。それは結局色々あって、まだ全部返せてはいない。それはきちんと返さないとね。そう言い聞かせながら、名古屋へ向かう。

「窓の中の日曜日」
ユカに会えるのは毎週日曜日だけだ。しかも、毎週必ず会えるわけではない。それでも、ちゃんと会える時のことを考えて、お酒の量は感がないと。また飲み過ぎたんだね、いくら仕事でも限度というものがあるんだから。またそんな風に言われてしまう。
離婚して、ユカは夫の方に取られた。わたしの浮気が原因だから仕方ない。仕方ないけど、どうにも納得出来ないものがある。私は本当に、ダメな母親だったのだろうか?
体調の悪いママの代わりに、店を切り盛りする。常連さんが集う土曜の夜。

「おかえり、ボギー」
繁盛してるわけでもないけど、経営が成り立たないほどでもないラーメン屋。その店じまいの曲は、ここ最近決まっている。
マユミちゃんという店の常連さんがいる。その息子の良と、ウチの娘の有子は仲が良かった。優等生のまま大人になってしまった有子と、男気だけはあるけれど立ち回りがうまくなくて色々損ばかりしている良。二人はまるで兄弟のように喧嘩したりして大きくなって行った。
良の男気が結果的に悪い方向に作用してしまったとある件をきっかけに、良と有子の関係は色々こんがらがっちまって、まあそれで店じまいの曲があれになってるんだよなぁ。

というような話です。
これはなかなかいい作品でした。雰囲気が凄くいい作品ですね。読んでいる最中も、そして実際に書いてみても思ったけど、内容紹介が難しいんです。それは、決して大きくはない変化を、日常の描写と共に描いているという作品が多いので、内容紹介をする際に特別抜き出して書くようなことが多くなかったりするのですよね。
だから、物語としては非常に地味なものばかりです。それでも、じんわりと読ませる。お腹の上に暖かい石を載せたみたいにして、じわじわと暖かくなっていく。
人物への眼差しが優しいのだろうと思います。この作品に出てくる人たちは、言葉にして誰かに訴えたいほど辛い状況にいるわけでは決してないんだけど、酒場の片隅でちょっと愚痴りたくなるような、そういうちょっとした状況の中にいる。抜け出せないほどもでない。許容できないわけでもない。でも、どうしてもそっちに流れて行ってしまう。その弱さにおかしみを感じる。それと同時に、譲れないとか負けられないとか、そういう揺るがなさみたいなものも描かれる。その強さにたくましさを感じる。
見えているものだけがすべてじゃない。そんなあたり前のことをひっそりと実感させてもくれる作品です。人には色んな面があって、どの方向から見るかで変わる。長く関わった人であっても、自分が知らなかった一面というのは必ず残されている。
長く関わった人だと、逆にそういう面ってなかなか見る機会が少なくなったりする。自分が見てきた通りの人だろう、という先入観だけで完結してしまうのですね。そういう中で、違った一面という新鮮さをスッと描き出してみる。その提示の仕方もさりげなくて良かったなぁ、と思います。
僕が好きなのは、「あの人への年賀状」と「あんた」です。
「あの人への年賀状」はまさに、見えているものがすべてじゃない、という感じの作品です。何故母親は店を残すことにこだわるのか。それについて、ただ不思議だとしか思ってこなかった主人公の、新しい母親の一面を知った驚きのようなものが鮮やかに描かれていると思いました。
母親が背負って来た歴史とか、行きどころをなくした名前のついていない感情とか、そういうものを描いているという全体の雰囲気が凄く良かったなと思いました。
「あんた」は一変して、人間の弱さを描いている作品です。どうしようもなくその方向に流されてしまう主人公の、わたしはこれからその方向へと引き寄せられていくのだ、という、ただ流されて行くだけではないのだというささやかな決意みたいなものが描かれていてよかったです。その決意は、傍から見れば馬鹿げているようにしか見えないかもしれないけど、その一歩を踏み出すまでの長い長い時間の蓄積を思うと、その方向に幸せがあるかどうか分からないけど、なんだか後押ししたくなるような、そんな作品でした。
あと、どの作品も共通して、その作品の世界にスッと入っていけるな、という感じがしました。小説によっては、物語の世界に入り込むのに多少時間が掛かるものもあるんだけど、この短編はどれも、冒頭からスッと入っていけた気がします。誰かに語りかける口調で、かつ、方言を含ませた文章というのが、いいスパイスになっているのかもしれないなぁ、とか思いました。
あと、『嫁の遺言』はちょっと分量が短かったかなぁ、と思ってしまいました。あれも、他の6編と同じぐらいの分量で読みたかったかもな、という気がします。設定とか雰囲気は凄く良かったんで、あっさり終わっちゃってちょっと残念だったのでした。
初めて読んだ作家さんですけど、なかなか読ませる、これからに期待を持たせる作家さんだなと思いました。ハートフルな話ばっかりではないのに、じんわりと暖かくなるような物語でした。是非読んでみてください。

加藤元「嫁の遺言」




食う寝る坐る永平寺修行記(野々村馨)

内容に入ろうと思います。
本書は、ずっとサラリーマンだった著者が、ある時ふと思い立ち、福井県にある曹洞宗の大本山である永平寺で一年間修行することにした、その経験を書き綴った作品です。
著者は、言葉に言い表せない衝動に突き動かされるようにして、修行が厳しいと言われる永平寺へ出家することに決めた。山門をくぐり抜けた瞬間から襲いかかる、まったく未知の世界。お寺の跡継ぎとなる人達が主に修行に来る場に、寺の跡継ぎでも何でもない自分が修行を続けることの困難さ、罵倒や暴力によって徹底的に作法を仕込まれる厳しいあり方、睡眠不足と空腹に常にさいなまれる日々、何かを考えるということがことごとく否定される日常。そういう、それまでの生活とはまったくかけ離れた環境の中で、著者は何を経験し、何を感じたのか。
というようなことが綴られています。
本書を読みながら、僕がまっさきに思い出したのが、早見和真の「スリーピングブッダ」という小説です。これは、寺を継ぐ気がなかった主人公が気持ちを変え寺の跡継ぎになるために、修行が厳しいとされる寺で修行をする、というような流れの小説で、その小説の中で描かれる修行の場面は、本書で描かれる世界と本当に近いものを感じました。確認はしていないけど、もしかしたらこの作品を元に「スリーピングブッダ」という小説が描かれているのかもしれないな、という感じはしました。
たぶん「スリーピングブッダ」という小説を先に読んでしまっていた、という部分は大きく関係しているのだろうと思います。僕としては、若干面白みに欠ける作品でした。やはり、小説とは言え、「スリーピングブッダ」という作品を読んで、大本山での修行がどういうものであるか、というのがなんとなく知識を持ってしまっているので、新鮮味が薄れていたのかもしれないと思いました。分からないけど、もし読む順番が逆であれば、もっと楽しく読めたのかもしれないな、という気はしています。
個人的には、もっと内面の描写がメインだったらよかった、という感じはしました。
本書では、修行中こういう仕事がある、こういうものはこういう名前である、というような、事実関係に多くのページが割かれています。それは、資料という意味では非常に面白いと思います。何がどんな風に呼ばれているのか、どういう役職が存在するのか、建物の内部はどういう風になっているのか、そういう描写に面白さを見いだせる人はいるだろうと思います。
でも僕としてはもっと、その時著者自身がどう感じたのか、という部分を強く押し出して欲しかったな、という感じがします。
もちろんそういう描写は本書の中にもあります。事実関係の描写の間に時折挟み込まれる、著者の鋭い刃のような感覚は好きで、僕の価値観や感覚と近いものを感じられるのだけど、それが本当に全体の中でそこまで多くなく、その挟みこまれた鋭い感覚の描写の後は、またすぐに事実の描写になってしまうので、ちょっと残念だなという感じはしました。
ただ、それは書けなかったのかもしれない、という感じはします。僕がそう思う理由は二つあります。
一つは、著者のあとがきのところでちらりと書かれているのだけど、著者は本書を忘れたくない想い出として書き綴ったので、それが永平寺に迷惑を掛けるようなことになったら申し訳ない、というようなことを書いています。恐らく修行の最中、激しい怒りや呪詛のようなものが浮かんだことは多々あったのではないかと想像します。そういうことが想像出来るくらいには、相当壮絶な環境に置かれます。でも、それは敢えて書かなかった。そういう怒りや呪詛は、確かにその時実際に自分が感じた感覚なのだけど、同時にそれは、永平寺で修行した人間にしか共感し得ない類のものだろうという感覚もあったのだと思います。自分が感じた怒りや呪詛をそのまま文字にしても、永平寺での修行が誤解されてしまうだけだ、という判断はきっとあったのではないかな、と思います。
そしてもう一つは、そのそも禅の修行が、考えないという方向を目指しているということにあるのではないか、という想像です。座禅にしても作務(掃除などの仕事全般をこう呼ぶ)にしても、あるいはありとあらゆる作法にしても、そこに自分の思考が入り込む余地はない。考えることを止め、決められた通りに身体を動かし、集中する。その積み重ねの連続の中で、今考えていること、というのがどんどんとそぎ落とされていったのかもしれないな、と思うのです。そうであれば、それは一つ禅の修行として、正しい方向性なのかなぁ、という感じはしました。
とはいえやはり読む側としては、細々とした事実関係よりはもっと、その時感じたことが書かれているといいなと思ってしまいました。せっかく、普通の人が体験し得ない、かなり非日常的な経験をしたのだから。
しかし永平寺で定められている作法というのは驚くべきものがあります。本書には、実際に道元が書いた様々な作法に関する文章が引用されているのだけど、その中から東司(トイレのこと)について書かれた文章の冒頭だけ抜き出してみます。

『まず東司に行くには、必ず手巾を持つ。手巾は二重にして、左肘の衣の上に掛けるがよい。そして東司に着くと、手巾を笠に掛けよ。その掛け方は、肘に掛けた時と同じようにする。もし袈裟をつけていたならば、袈裟は手巾と並べて掛けるがよい。落ちないように、ちゃんと並べて掛けるべきである乱暴に投げかけたりしてはいけない。
衣は脱いで手巾の傍らに掛けよ。そして手巾で衣を結わい、衣に向かって合掌する。次に襷を取って両肘に掛けよ…』

みたいな文章が、文庫本のページ数で3ページ弱ぐらい永遠と続くのである。下痢ピーで一刻も早く出したい時とか、こんな悠長なことしてたら漏らしてしまうよ、と思うような内容なんです。こういう作法が、トイレに限らず、生活や行事などありとあらゆるものに定められていて、それらについて少しでも間違えると殴られたり罰を受けなくてはいけなかったりするのだ。壮絶な世界であるよ。
ちょっと時間がないので引用をするのは控えるけど、僕がいいなと思った部分は、P141の著者がハッとする場面と、P184で描かれる長く修行を続けてきたことによる実感です。
というわけで、僕としては上記で挙げたような理由によりそこまで惹かれなかったのだけど、本書を読んでから「スリーピングブッダ」を読んだりしたらまた違った面白さがあるのかもしれない、とか思いました。あと、京極夏彦の「鉄鼠の檻」を読み返したくなったなぁ。京極堂シリーズの中で、あれが一番好きなんだよなぁ。まああの分量を読み返す気力はちょっとないけど。

野々村馨「食う寝る坐る永平寺修行記」




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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)