黒夜行

>>2011年06月

黄金坂ハーフウェイズ(加藤実秋)

内容に入ろうと思います。
本書は、神楽坂をモデルにしたらしい、黄金坂という架空の町を舞台にした、五編の短編が収録された連作短編集です。
大まかに全体的な設定を書いておきます。
九州の大学に進学したものの、就職がうまくいかず黄金坂に戻ってきた隼人と、黄金坂の老舗香保「春薫堂」の跡取りで、現在は黄金坂の広報誌のようなものの記者を名乗ってはいるものの、基本ニートという楓太の二人は、高校時代の同級生。高校時代に事故死した朝美という女性のことで、二人ともまだもやもやを抱えている。
黄金坂に、HOLLOWSという、隼人に言わせれば「ボッタクリ」な会員制昼酒バーがある。雪乃とぼたんという芸者コンビが、バーのマスターであるイズミにキャーキャー言っている店だが、そこで隼人と楓太は、なんだかんだ丸め込まれて素人探偵のような真似事を始めることになるのだが…。

「春・月夜小路に猫たまる」
近所の猫の体にスプレーでイタズラ描きされる、犯人を捕まえてくれという依頼を受けた二人。慣れない張り込みなんぞしてみるものの…。

「夏・黄金坂まつり奔走」
フランス料理のシェフに、黄金坂まつりのギャルソンレースでどうしても優勝したから手を貸してくれないか、と頼まれる。そんなに難しくないだろ、と依頼を受けた二人だったが、どうもそのレースの裏にはある目論見があったようで…。

「秋・学校ジャージで鹿鳴館」
雪乃とぼたんから、この町の一大事だ、と協力を依頼される。しかし、どう考えても話が大きすぎて二人の手に終えそうにない。とりあえず正面突破してみる二人だったが…。

「冬・すずしろ町ゲッタウェイ」
隼人が何者かに嫌がらせをされるようになった。自転車のサドルを盗まれるとか、そういうレベルの話だが、恨みを買った記憶のない隼人は、唯一思い当たる、母親が探し出してきた隼人の就職先にどうかというNGOの事務所に行ってみるが…。

「ふたたび春・黄金坂ハーフウェイズ」
イズミが何者かにストーカーされている、隼人と楓太に監視してもらいたい、という依頼を受ける。イズミの知り合いであるヨーコという女性が失踪し、その件でほとんど見知らぬ男からあらぬ勘違いを受けているのでは、という。イズミを監視してても埒があかないので、そのヨーコという女性について調べることにしたのだが…。

というような話です。
なかなか面白い作品だったと思います。キャラクターで読ませるタイプの作品、という感じがします。一応軽目のミステリっぽいタッチになってるけど、ストーリー自体はまあよくある感じかな、という気がします。ギャルソンレースの話なんかは、なかなか設定が奇抜で面白かったですけどね。
キャラクターはなかなか魅力的だと思います。仲がいいんだか悪いんだかなんとも言えない隼人と楓太(この二人のやり取りは、女性が読んだら結構ハマったりするんだろうなぁ)、謎めいた男・イズミ、その場の雰囲気に合わせて七変化という感じの雪乃&ぼたんを始め、なかなかに個性的なキャラクターが出てきます。特にやっぱり、隼人と楓太のやり取りは読みどころの一つなんだろうと思います。色々紆余曲折ある二人で、本当に、仲がいいんだか悪いんだか、という感じ。腐れ縁、という表現がぴったり来ると思いました。素人探偵稼業を通じて、ぶつかり合ったり知らない一面を知ったりという過程を経て、二人の関係も若干変化を見せていくことになります。
ただ個人的にちょっとなぁと思ったのが、イズミについて。イズミは、なんだか色々突込みどころのあるキャラクターで、僕はそのイズミの謎めいた設定は、最後まで読めば説明がつくんだろうなぁ、と思いながら読んでたんです。でもイズミは結局、最後まで謎めいたよくわからない、どうしてそういう生活をしてるんだかさっぱりな人物のままでした。そこを放置しちゃうのはどうなのかなぁ、という感じがしました。まあ、シリーズ化を狙ってたりするのかもだから、だとするとそっちの方で謎が明かされる、という展開になるのかなぁ。でもやっぱり、イズミのキャラクターの謎は、本作中で明かされて欲しかったなぁ。
あと個人的に感じたのは、朝美に関する部分がうまくまとまってないような気がする、ということ。なんか結構いろんな描写とかつなげ方みたいなのが、無理あるような気がするなぁ、と感じちゃうようなそんな感じがしました。これも、続編を考えてて、そっちでしっかり繋げていく、みたいな感じなのかなぁ。朝美の話を書くなら、もう少しちゃんと突っ込んでしっかり書いた方がよかったんじゃないかな、と思いました。
キャラクターを楽しむ、という風に読めば割と楽しく読める作品な気がします。興味があれば読んでみてください。

加藤実秋「黄金坂ハーフウェイズ」




加藤実秋「黄金坂ハーフウェイズ」
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言い寄る(田辺聖子)

内容に入ろうと思います。
デザイナーやら絵描きやら、そういう方面で結構活躍している乃里子は、自由気ままな一人暮らし。仕事もきちんとするし、男と楽しく過ごすのにも熱心。
親友の美々ちゃんが、彼氏に捨てられたから慰謝料をふんだくりたいと言って、乃里子に同席を求めてきた。そこで、美々ちゃんの元彼の友人である剛と出会う。剛は押しの強い男で、しかもどうやら金持ちのようだ。肌の相性が良い。
剛の別荘に行ったことがきっかけで、隣人の水野さんと出会う。趣味人の渋い中年男で、女転がしが実に巧い。大人の男という感じだ。
乃里子はそういう男たちに言い寄られる。悪い気はしないし、もちろん楽しく遊ぶ。
でも乃里子には、幼なじみというか昔からの友人である五郎が気になって仕方ない。他の男といる時には感じ無い何かを五郎からは感じる。どうにかして五郎に言い寄りたい乃里子なのだけど、五郎にだけはどうしても言い寄ることが出来ないのだ…。
というような話です。
うーん、僕にはちょっと合わなかったかなぁ。
僕は結構女性向けの作品って読める方だと自分では思ってるんだけど、恋愛がメインになっちゃうと合う合わないがかなりはっきり分かれちゃう気がします。女性の生きづらさとか窮屈さみたいなのがメインになっている物語だとかなり合うんですけど、恋愛がメインになってしまうとなかなか。
本書は、とにかく恋愛がメインになっている話で、どうにも僕にはイマイチよく分からないような感じでした。たぶん女性にはグッと来る話なんだろうなぁ、と思いつつ。
乃里子みたいな女性は、本書が書かれた時代(僕が読んだのは、新装版の文庫化という、まあ最近出た版ですが、一番初めに単行本が出たのは昭和49年だそうです)にはかなり新鮮な存在だったんだろうと思います。たぶん、乃里子のような自由な女性になりたい、という当時の女性の憧れみたいなものが、この作品への吸引力になったという部分も大きいだろうなぁ、と思います。現代だと、乃里子のような女性は割と普通っぽい感じになっているから、新鮮さという意味では以前ほどではないのかもしれないな、と思ったりはします。
あとやっぱり、関西弁がネックかなぁ。解説でも書かれているんだけど、本書はやっぱり、関西弁の使い方が絶妙らしいんだけど、関西弁のニュアンスが分かるわけではない僕には、そういう部分まではイマイチわからないですね。これも、関西出身の人とか関西弁が普通に分かる人なんかにはかなり合うんだろうなぁ、という感じがします。
個人的に好きな文章があったんで、抜き出してみます。

「お金よりも好きなものを持ってる人って、現代では最高のロマンチストだもの」

というわけで、ちょっと僕の好みには合わない作品だったんですけど、恋愛の機微を細かいところまで丁寧に追った作品だと思うし、たぶん女性が読んだら結構いいんだろうと思います。

田辺聖子「言い寄る」




ラス・マンチャス通信<再読>(平山瑞穂)

内容に入ろうと思います。
本書は、日本ファンタジーノベル大賞を受賞した、著者のデビュー作です。
内容紹介は…、一体どんな風にすればいいか。
本書は5つの章に分かれている。長編作品ではあるけども、5つの章すべてが独立した短編としても読める作品で、しかもどれも奇妙奇天烈な話である。どんな風に内容紹介をするか悩むけど、とりあえず連作短編集の要領でそれぞれの章の話をざっくりと書いてみようと思います。

「畳の兄」
アレは、異臭を放つ陸魚が大のお気に入りで、全裸で自身も異臭を放ちながら、アレは陸魚と戯れている。人語を介さないアレの存在を、僕と姉は存在しないものとして捉えることにしていた。もう長いこと、そうするようにしか生きられなかったのだ。もちろん、どんなにその存在を無視しようとしても限度があるが。
最近ではアレは、姉の身体に執着するようになってきた。素っ裸のアレのあの部分が、異常に反応していることからもそれが窺える。両親から、アレに反抗することを禁じられている僕らだが、しかしそろそろ限界だ。

「混血劇場」
施設で一時期過ごさざるを得なかった僕は、その後「リトル・ホープ」という名の、学校の教室を再利用したレストランで働くことになった。そこは、店長が夜間女の子を連れ込んでセックスをしていたり、厨房のあちこちにゴキブリがいたりと、それはぞれは酷い環境だったが、僕はそこで働く以外になかった。最低の環境だ。
施設での生活も、奇妙なものだった。それがどんな施設なのかはっきりとは理解出来ないまま過ごした日々。ミス矢萩やミスター森口らとのあれこれ。
そして、家族でみんなで映画を見ることにした、最後の夜。

「次の奴が棲む町」
僕は、灰が降る町で、まさにその町でしか需要がない特殊な仕事に就いた。夜露によって硬化してしまう灰(ゴッチャリと呼ばれている)を除去する仕事だ。社長ともう一人の三人という小さな会社で、人が良さそうでおしゃべり好きな社長と、寡黙で何を考えているのかまったく分からない箕浦さんという対照的な二人だった。
社長は時折、本当なのか嘘なのか分からない話をしたが、「次の奴」に関する話も、まさにそういった類のものだった。

「鬼たちの黄昏」
僕は、稲河と由紀子の三人で、町を点々としながら暮らすようになった。僕はでっちあげの投資を持ちかけて金を集めて回る営業マンの仕事をやらされるようになり、稲河は稲河で何かやっているようだった。もはやそこから逃げ出すことなど不可能だと思えるほど閉塞的な三人での生活。

「無毛の覇者」
小嶋先生の屋敷に行くように言われた僕は、そこで謎めいていてなんなのかわからない簡単な作業だけをやらされ、あとは放置された。その屋敷には、何をしているのかわからない人が幾人か住んでいた。
しばらく屋敷に住んでいるのに、未だに小嶋先生に邂逅することはかなわない。とある手紙を盗み見た僕は、とんでもない場所にいるのではという不安さを増大させる。

というような話です。
世界観が凄過ぎる作品です。読んでると、頭がクラクラしてくるような感覚に陥ります。
一つ一つの章が独立した短編として読める作品で、一つ一つの章が非常に奇妙な物語に仕上がっている。主人公の僕が、脈絡のない環境の変化に戸惑い、馴染み、しかしやはり馴染めずに翻弄される様が描かれていく。
しかし凄いと思うのが、それぞれの章で描かれる世界が相当に違ったタイプであるのに、作品全体の世界観が見事に統一されている、という点です。まったくバラバラにしか思えないそれぞれの環境なのだけど、核となる世界観は統一されていて、違和感がない。
それはなんとなく、地球のどこかで見知らぬ部族が叩いている太鼓の、音ではなく振動のような重低音、という感じだ。普通にしていたら聞こえるのか聞こえないのか分からないその謎めいた太鼓の音だけど、身体がその振動を感じている。耳が感知していなくても、身体のどこかの部分がその振動をしっかりと捉えている。その重低音こそが、この作品全体の世界観を統一している何かではないか、という感じがしました。
ここで描かれているのは、『キレイな世界』だ。『清潔な世界』と言った方が正確かもしれない。そしてそれは、不自然な清潔さなのだ。
例えて言うならばその清潔さは、赤・青・黄の三色を均等に混ぜて出来た「白」以外の何か、という感じだ。赤・青・黄の三色を混ぜて出来た白であれば、それは健全な清潔さという感じがする。しかし、ここで描かれているのはそういう白さではない。適当な色を適当な配合で混ぜて偶然たどり着いた白という感じだ。
だからこそ、その清潔さは胡散臭い。キレイさを装ってはいるが、それは決してキレイではない。でもそれは、きちんと見ようとしなければ見えてこない。表向き、それはやはり白なのだ。背景が白いからこそ、その上の汚れは際立つ。そういう部分も、本書では強く描かれる。しかしその一方で、そもそも背景の白が『白』ではない、という部分こそが、読む者をざわつかせるように思う。
それが分かりやすく描かれているのが、父親の笑み、ではないかと思う。父親は主人公の僕に対して、常に微笑みをもって接している。しかしそれは、厳密には微笑みではないはずだ。それが何であるかは描かれない。しかしそれはきっと、きちんと配合されたのではない白が奥底に隠されているのではないかと思う。
本作では、幾多もの狂った世界が描かれる。それは、狭い世界であることもあれば、広い世界であることもある。「畳の兄」「鬼たちの黄昏」「無毛の覇者」なんかはかなり狭い世界の狂気だと思うけど、「混血劇場」「次の奴が棲む町」なんかは割と広い世界の狂気だと思う。
それらの狂った世界の中で、『正常とは何か』と考えさせられる。僕には、主人公の僕は正常に思える。作中で描かれる人物の中で、唯一まともな理性を持った人間なのではないかと思う。もちろん主人公の僕もまともではない部分はそれなりにはあるのだけど、それでも相対的には最も理性的なのではないだろうか。
主人公の僕を取り巻く様々な環境は、なかなかに異常だ。しかしその異常さは、なかなか感知されない。主人公の僕はその異常さを感知するが、長いことその環境にいる人達には、その異常さはもはや理解出来ない。そもそも主人公の僕にしたところで、その異常さを正確に言葉で表現することは出来ないでいるのだ。
それは、『何かの隙間に身体がすっぽりハマってしまったみたいに身動きの取れない価値観』とでも表現したらいいだろうか。主人公の僕は、常にその隙間に落ち込んでいる。理性的でなければ、つまり狂ってしまえれば、恐らくその隙間から抜け出せるのだろうと思う。しかし、主人公の僕にはそれが出来ない。その理由の一つは、その異常な価値観を言葉に変換して定着することがなかなか出来ないからだ。はっきりと、絶対的な自信を持って、その違和感を言葉にすることは困難だ。自分以外の全員が目の前のカラスを見て「白い」と言っているのに、自分だけ「いや、黒だ」ということは難しい。そういう環境の中では、そもそも「黒」という単語さえ自信を持って使えなくなるのではないだろうか。
主人公の僕は基本的に、考えないことでその環境をやり過ごそうとする。狂うことが出来ない僕には、それ以外に取れる戦略はない。「畳の兄」で、アレが存在しないという風に思い込もうとしたそのやり方を、どの環境でも実践している。
しかし、それは長続きはしない。きっと主人公の僕の中でゴッチャリに似た何かが出来るのだろう。誰しもの元に『灰』は降る。しかし理性を持つ人間だけが『夜露』も抱えてしまう。結果、ゴッチャリが出来て心が固着してしまう。それに耐えられなくなった僕は爆発してしまうのだ。
これは、著者の意図通りかどうかは分からないけど、僕らの現実を痛烈に皮肉っているように僕には読める。僕には、日本という国は現在、かなり狂っていると感じられる。ジワジワと少しずつ狂っていったので、場合によってはそれに気づかない人もいるかもしれない。あるいは、国が狂うのと一緒に、国民もみな狂っていっているのだろう。もしかしたら、そういう現実を大幅に誇張して物語に仕立て上げたのかもしれない。
本書には、理由のわからない、具体的に説明されない展開が結構出てくる。何故そういう流れになったのか、何故そういう判断をしたのか、何故そういう行動になったのか、それが明確に説明されない場面が結構あるのだ。そしてそれは、決して不快ではない。これが平山瑞穂という作家の凄さの一端ではないかと僕は感じるのだけど、それは決して不快ではないのだ。
僕はこう感じた。その説明されない部分に読む者が何を当てはめるかで、作品全体がまったく違ったものになるのだろう、と。僕は、読書というのは作品という鍵穴に自身という鍵を差し込む行為だと思っている。作品と自分の相性が良ければ鍵はすんなり鍵穴に入るだろうし、相性が悪ければ鍵は入らない。でも、鍵が入らないからと行って鍵穴に問題があるわけではなく、その鍵穴に合う別の鍵がどこかに存在している、というだけのことだと思う。
この作品は、ただ鍵穴に鍵を差すだけでは不十分なのだ。鍵穴に鍵は差し込めるが、そのままでは錠は回らない。鍵の方にいくつか突起が足りない部分があるのだ。それを自分が補うという部分が必要になる。
理由の与えられない展開に、自分なりの理由を当てはめることで、物語が変化する。恐らく読む人によって、かなり違った印象を与える作品なのではないかと思う。
これがデビュー作だということが驚異的だ。これだけの世界観を破綻なく紡げる作家というのは決して多くはないのではないかと思う。その後書き続けている作品も、やはり凄い世界観を持つ作品ばかりだ。是非平山瑞穂という作家を体感して欲しいと思う。


平山瑞穂「ラス・マンチャス通信」




なぜ韓国はパチンコを全廃できたのか(若宮健)

内容に入ろうと思います。
本書は、日本のメディアが一切報道しない、韓国でパチンコが全廃された件について、日本で初めてレポートした著者による作品です。
韓国ではここ10年くらいの間にパチンコが大ブームになり、それに伴って犯罪や自殺者が増加するというような状況になっていた。
ノ・ムヒョン大統領の甥や側近が絡んでいたのではないか、という疑惑の持ち上がった「海物語」という機種についてマスコミが大きく報道をし、そこからパチンコ反対の機運が一気に高まり、その後警察が一斉取締り。最盛期は日本と同数のパチンコ店があったという韓国だが、今は細々と裏で行っているもの(それも適宜警察に摘発される)を除けば、韓国にパチンコは存在しないという。
翻って日本は何故パチンコ全廃出来ないか。マスコミはパチンコ業界からの広告料に目がくらみ、パチンコ業界を悪く言う報道は一切しない。政治家には「パチンコ議員」と呼ばれる、パチンコ業界にぶらさがって擁護している人たちがいて、国会でパチンコ業界が衰退してしまうことについてどう責任を取るのかと詰め寄るような光景も見られる。そして何よりも、パチンコ業界の関連団体へ警察OBが相当数天下りしているので、パチンコ業界は完全に守られているという状況がある。
凶悪犯罪を引き起こし、家族を崩壊させる温床となるパチンコを未だに放置し、あまつさえ業界を養護さえしている日本という国は危険なのではないか、と警鐘を鳴らす作品です。
さて、非常に評価の難しい作品だな、と思います。
題材は非常に面白いんです。僕はこの新書が発売されるまで、韓国がパチンコを全廃したことをまったく知りませんでした。そういう人は恐らく多いだろうと思います。日本のマスコミは一切そういうニュースを流していないのですね。それだけでも恐ろしいなぁ、という感じがします。
韓国がどういう状況になり、パチンコがどういう扱いをされていて、どういう判断の末全廃にまでもっていけたのか、という部分は興味深いんですね。もっと深く突っ込める題材だよなぁ、と思いました。
題材は非常にいいんですけど、評価が難しい点というのは、一言で言ってしまえば、全体的にちょっと雑なんですね。
非常にまとまっていない感じがします。色んな断片を寄せ集めてとりあえず並べてみました、というような感じがします。データもそこまで多くなくて、「◯◯なのではないだろうか」というような、憶測による論旨展開も結構あります。事実よりも感想、という感じですね。さらには、一箇所「ウィキペディアによると」というような、出典がウィキペディアであることを明かしている部分があるんだけど、それはジャーナリストとしてどうなのかなぁ、という感じはしました。それぐらい、自分の足で調べた方がいいんじゃないかなぁ、と思っちゃいました。「ウィキペディアによると」なんて自著に書けてしまうジャーナリストというのは、うーん、なかなか承認しがたいものがありますなぁ。
さらに、知り合いや近所の話、というのが非常に多い。いや、これはそれ自体は別に悪くない。でも、取り入れ方がダメだと思うんですね。
例えばこういう風な取り入れ方ならいいと思うんです。まず取材によりあることが明らかになる。その例として、例えばウチの近所では(あるいは自分の知り合いには)これこれこういうことがありますよ、というような感じですね。これはいいと思うんです。でも本書の場合、まず著者の憶測がある(取材によって確定したものではなくて、著者の感想という感じ)。そしてその後で、ウチの近所では(あるいは自分の知り合いには)実際これこれこういう状況がある。だからやっぱり◯◯なんではないだろうか、というような使われ方をしてるんですね。近所や知り合いの話から敷衍して結論を導き出すのはちょっとやっぱり違うんじゃないかなぁ、という感じがしてしまいました。
あと、『韓国はパチンコを全廃した。だから韓国は偉い』というような論旨展開が結構出てきて、それはちょっとどうなのかな、という気がしました。本書には、韓国では若者が決してシルバーシートには座らない、というような話が出てくるんだけど、それも結局本書の大きな流れの中では、『韓国はパチンコを全廃した国だ。偉い。ほら若者だってシルバーシートには絶対に座らない国なんだぜ』というような文脈で書いている感じがして、それはちょっと違うんじゃないか、という気はしました。確かに、パチンコを全廃した韓国は素晴らしいと思うけど、それを色んな部分に当てはめて韓国礼賛をするのはまたちょっと違うような気がしました。
しかし、日本のパチンコの現状を読んでいると、なかなか酷いなと感じます。今までそんなにパチンコという存在に対してどうこう思ったことはないんですが、本書を読んで、パチンコは廃止した方がいいな、と感じました。まあ著者の書き方が我田引水的な部分はたぶんにあるにせよ、それを差っ引いても日本のパチンコを巡る状況はかなり酷いだろうと思います。パチンコがなくなれば、今までパチンコに回っていたお金が一般消費に流れるから景気もよくなるのではないか、という話は、実際どうなるかわからないにせよ、なるほどと思わされました。
韓国がパチンコを全廃したという事実を伝えた、という一点は評価したいです。ただ、ノンフィクションとして評価するのはちょっと厳しいなぁ、という感じの作品です。取材というよりは、韓国に何度か行ってその辺の人に話を聞き、日本の状況は近所や知り合いの話とかニュースで流れる事件なんかからざっくり敷衍して書いてみました、というような感じです。個人的には、韓国がパチンコを全廃したというこの出来事について、別のジャーナリストによるノンフィクションを読みたいなぁ、という気がしました。ちょっとそういう意味では残念な作品だったかなという感じはします。ただ題材は非常に面白いです。

若宮健「なぜ韓国はパチンコを全廃できたのか」




ジェノサイド(高野和明)

内容に入ろうと思います。
本書は、今現在文芸書で相当注目を浴びている作品で、徐々にジワジワとその評判が広がりつつある作品です。『本年度ナンバーワン』の呼び声も高い、大注目作です。
さて、どうやって内容紹介をすればいいか…。
イラク戦争に突き進んだアメリカは、イラク戦争絡みでも様々な問題・課題を抱えていたが、それらとはまったく異なる謎めいた報告が、大統領であるバーンズの元へと届いた。見出しには、こう書かれている。
『人類絶滅の可能性
アフリカに新種の生物出現』
イラク戦争に突き進んだバーンズにとっては、この報告はさほど重大なものとは思われなかった。それよりは、『特別移送』に関する情報がNGOにリークされた問題の方が遥かに重要に思われた。新種の生物出現云々の話は、20世紀後半に『ハイズマン・レポート』によって指摘もされていたようだが、結局バーンズにはその重要性は理解できなかった。「こんなくだらない話は、シュナイダー研究所に任せておけ」
治療薬の存在しない難病に冒された息子を持つイエーガーは、息子の治療費を稼ぐために軍を辞め、民間軍事会社で傭兵として働いている。仕事が一段落つき、息子が入院しているリスボンへと行こうという矢先、雇用先の取締役に、大金を弾むからもう少し仕事をしてもらえないか、と持ちかけられる。それは、現段階ではミッションの内容を明かせない類のものであり、恐らく汚れ仕事だろうと思われたが、金はいくらあっても足りないイエーガーは、妻と相談しその任務を引き受けることにした。
南アフリカに飛び、同じ任務につく他の3人と顔を合わせ、訓練に入ったイエーガーだが、作戦の概要を知らされると、自分が何かとんでもないことに巻き込まれているのではないかと思えてくるのだった…。
創薬化学の研究室に所属する、大学院生の古賀研人は、つい最近父を亡くした。胸部大動脈瘤の破裂、というのが死因のようだ。父はウイルス学の研究者だったが、研究者として大した成果を上げられたわけではなかった。父親としても、さほど優秀だったと思えない。研人には、大人としての失敗例に見えた。しかしそれでも父の死は、研人の心を揺さぶった。
しばらくドタバタとした日々を過ごした後、研人は死んだ父親からメールを受け取った。亡き父からのメールであることが分かった時は、鳥肌が経った。自動送信されるように設定していただけだろうが、それにしても。
そしてそこには、実に奇妙なことが書かれていた。父は、しばらく帰れなくなることを想定してこのメールを用意しておいたようだ。そして謎めいた指示。さらに父の指示を辿っていくと、こんな警告にも出くわすことに。
『これらすべてのことは、絶対に他人に言ってはいけない。すべてをお前一人で、内密に行なえ。母さんにも話すな。今後、お前が使用する電話、携帯電話、電子メール、ファクシミリなどのあらゆる通信手段は、盗聴されているものと思え。』
ただの冴えない研究者だったはずの父親は、一体何をしていたというのだろうか?そして、自分は一体何に巻き込まれてしまったのだろうか…。
というような話です。
この作品は本当に凄い!ここまで圧倒的な物語はなかなか紡げないのではないかと思う!超ド級のエンターテイメントという作品で、とにかく『圧倒的な物語だ』というしかない。
先に書いておくと、本書は本当に、内容のどの部分に触れてOKなのかの判断が非常に難しいくらい、内容について書くにはネタバレに注意しないといけない作品で、だからここでの感想も、全体的にモゴモゴした感じになっちゃうかもだけど、それは許してください。ちょっと書けないことが多すぎるのです。なるべくネタバレぎりぎりのラインぐらいを狙いたいところなのだけど。
本書は、想像力の物語だ、と書くと、多少誤解されるかもしれない。想像力、と言っても、ファンタジーやSFのような想像力ではない。ファンタジーやSFのような想像力を、『実際には起こりえない、あるいはほとんど起こり得るはずのない領域まで含めた想像力』だと表現するとすれば、本書の想像力は、『現実という枠組みの中で最大限に翼を広げた想像力』と表現できるのではないかと思います。
本書で描かれていることは、『実際には起こっていない』。カッコ付きにしたのは、もし本書で描かれていることが実際に起ったとすれば、確実に情報が制限されるだろうから、僕達のところにそういう情報が届いていないこと=それが起こっていないことだ、ということにはならないのだけど、まあそれでも、たぶん実際には起こっていないだろうなぁ、と思われることが描かれます。
しかし一方で本書で描かれていることは、『もしかしたら僕達が経験したかもしれないもう一つの現実』と表現してしまってもいいだろうと思うのです。本書の核の部分だけ抜き出して判断すれば、いやいやそんなこと起こりえないでしょ、としか思えないのだけど、膨大な取材や広範な知識、さらには緻密な論理によって組み立てられた物語は、まさに『もう一つの現実』の顔をしています。高野和明は、現実の枠組みの中で、限界ギリギリまで想像力の翼を広げている。その、可能なかぎり最大限に飛躍した物語に、『現実の顔』を与えることが出来ているその手腕がとんでもなくて、それだけで奇跡的な作品ではないか、という感じがします。世の中に、『ありえない領域まで含めた想像力』を駆使して描かれたファンタジーやSFと言った作品は数多くあるだろうけど、『現実の枠組みの中で最大限に翼を広げた想像力』を駆使して描かれた作品というのはなかなかお目にかかれないのではないかと思います。少なくとも僕には、そういうタイプの作品をパッと思い浮かべることは難しいし(梅原克文とかそんなタイプの作家だったなぁ、と思いつつ)、そういうタイプの作品はもちろんそれなりには存在するだろうけど、その中でもトップクラスに優れた作品であるという確信があります。
とはいえ(だからこそ、と言うべきか)、本書では難しい理系的知識についての記述が結構出てきます。そういうことを書くと敬遠したくなる人は出てくるだろうけど、あらかじめそれを知らないで読むと、途中で諦めてしまう人も出てきそうなので書きます。研人が薬を作り出す過程で出てくる知識はなかなかハードなものがあるし、研人が周囲の人達と交わす理系的な会話も、非理系の人たちには馴染めないものが多いかもしれません。また、研人に関わる場面に関わらず、本書では理系的知識をかなり深く突っ込んだ形で書いているので、そういう部分を辛く感じてしまう人も中にはいるかもしれません。
というわけでアドバイスです。まず、『ある理系的知識(や会話)の記述がそこまで長くなければ、それは内容全体には大きく影響しないので読み飛ばしましょう』ということ。要するに、理系的な人たちが出てくるんだから日常会話だってそういう感じになるよね、というような雰囲気作りのために描写される理系的知識や会話というものがあって、そういうものは大体記述としては短いので、そういう記述の短いものについては、後々物語全体に関わって来ることは少ないので、理解できなければ読み飛ばしてください。
そしてもう一つ。『結構長めに書かれていて、結構深く突っ込んである理系的知識は、途中の経過が理解できなくてもいいから、最後の結論のところだけなんとか頑張って理解しよう』。作品全体に関わる部分についてはやっぱり記述が長めになるのだけど、そういう部分でも難しいところが結構あったりする。そういう部分は、途中の説明がよく理解できなくても、結論の部分、要するに『つまり』とか『結局~ということだ』みたいな感じでまとめられている部分だけきちんと理解しておけば(そしてその結論の部分だけであればさほど難しくはない)ストーリーを追うことはできると思います。
僕自身は理系の人間なんでそういう部分についてはさほど苦労しないんだけど、どちらかというと、アメリカの政治家の論理とかパワーバランスとかそういう方が苦労する。政治とか経済とか、そういう方面への知識はほとんどないのだ。そういう部分には、さっき自分が書いたようなやり方を当てはめて読むようにしています。なので、難しい知識が出てくるからと言って、どうか諦めないでください!
さて話を戻すと、本書は想像力の限りを尽くして壮大な謎解きをする。とんでもないスケールのミステリ、と捉えることもできる作品です。そういう知的な謎解きの部分と、物語のもう一方の主軸である『緊迫の脱出劇』が見事に絡み合い相乗効果を生み出し、濁流のような物語を生み出しています。緊迫の脱出劇というと、僕の中では伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」がすぐ浮かぶんだけど、それに壮大な謎解きを組み合わせた、みたいな作品です(とか書いちゃうのは語弊があるかな)。
この脱出劇もとにかく凄い。正直、どう考えても逃げ道はないはずだった。将棋に詳しいわけじゃないけど、イメージとしては、王将と歩一枚で相手に挑む、みたいなそんな戦いなのだ。王将と歩一枚なんて、将棋においてはほとんど何も出来ないに等しいけど、そんな超絶的な劣勢の中から、針の穴にラクダを通すような幾重にも重なった困難をどうにか突破し、なんとか脱出行を続けていく。それがまたスリリングで、しかもこっちの脱出劇の方でも知的好奇心を刺激されるような仕掛けが随所にあって、凄過ぎると思う。この脱出劇の方でも、ネタバレになりそうな要素がふんだんにあって、細かいことが書けないんだけど、とにかく凄過ぎる。この脱出劇は、メインの謎解きの部分と密接に関わっているわけでそれだけ取り出すことは出来ないのだけど、でもこの脱出劇だけでも十分読者を満足させるエンターテイメントに仕上がるのではないかなという感じがします。
中盤ぐらいで、それまで伏線として出てきた様々な事柄が組み合わさって、物語の大枠が見えてくるのだけど、それでも、終盤ギリギリまでどんな風に物語が展開されていくのか予想がつかない。最後の最後まで驚きを詰め込み続けるし、予想できない要素がいくつも絡み合ったまま残されている。科学の世界に、複雑系という分野があって、これは初期条件がほんの僅か変わるだけで出力される結果がとんでもなく変わってしまう、というようなもので、本書でもちらちと複雑系についての話が出てくる。僕にはまさに、この作品自体が複雑系という感じがする。予測不能な要素が複雑に絡み合うことで、最後の最後まで出力が予想出来ないような、そんな作品ではないかという感じがします。
というわけで、内容大枠について書くのはここまで。やっぱりネタバレが怖いんで、大枠についてはあんまり色々と書けないですね。
なのでここからは、作中からちょっと気になった文章を抜き出してみて、それについてあれこれ書いてみる、という感じにします。
まず、『たった一人のジェノサイド』という表現が出てくる箇所があるんだけど、これがとにかくグサッと来た。本書を読んでない人間にアピールできるフレーズではないと思うから、POPなんかに使うのはちょっと辛いかもだけど、本書を読んだ人間であれば、まず間違いなくこの表現には食いつくだろうと思う。『たった一人のジェノサイド』。まさにその通り。この言葉の重さは、ずしりときました。
『それがヒトという生き物の定義だよ』というセリフも、なるほどと感じました。作中でどんな定義がなされているのか、それはここでは書かないけど、まさにそうかもしれない、と思いました。その定義が正しいかどうかについては僕は何も書けないけど、もしそれが正しいとするなら、ヒトという生き物の業は深いな、と思います。
『正しい負け方を選ばねばならん』というのも好きな場面です。これは、使う文脈を間違えると、ただの言い訳にしか聞こえないかもしれないセリフだけど、本書では、まさにこの言葉がぴったりくる。ずっと問いの立て方を間違っていたのだ。『いかにして勝つか』ではなく、『いかにして負けるか』が本来の命題だったのだ。それに気づいている人間がほとんどいないということが不幸の連鎖を引き起こすし、それこそが、戦争のなくならない一つの理由だったりするのだろうなぁ、とも思いました。
『最良の場合は?』って聞く人物が出てくるんだけど、この場面も凄く好き。っていうかカッコイイんだよなぁ。自分が足を踏み込もうとしている領域がとんでもない世界であることを認識しつつ、その中で『最良の可能性』に目を向けることが出来るというのは本当に素晴らしいと思う。
この人物は僕的にかなりお気に入りの人物で、他にも色々と僕の心に届くセリフを口にする。他に挙げるとすればこれかな。
『無理だ、と言わない人たちが、科学の歴史を作ってきたんだよ』
グレートですね!
というわけで、ホント超絶的な物語だと思います。凄過ぎる!5点満点で10点上げたい作品です。ノンストップのエンターテイメントだけど、ただ面白い・楽しいっていうだけの作品ではなくて、様々なことを考えさせられる作品だと思います。特に、普段生きていたらまず考えないだろうことにまで想いを馳せることが出来ると思います。若干難しい部分も出てきますが、僕のアドバイスを参考に是非チャレンジしてほしい作品です。是非是非読んでみてください!

高野和明「ジェノサイド」




七秒しか記憶がもたない男(デボラ・ウェアリング)

内容に入ろうと思います。
本書は、様々な要因が重なった(と推測されている)ために、脳がウイルスに冒されてしまったイギリスのとある著名な指揮者の妻が描く、夫との壮絶な人生を描いた作品です。
デパートで働いていたデボラは、そこの合唱団に所属していた。そしてその合唱団の指揮をしていたのが、後にデボラの夫となるクライヴだ。
クライヴはとにかく、音楽の、そして仕事の鬼だった。一週間の内7日間仕事をし、休む暇はまったくなかった。指揮者として生きていくことにこだわり、また音楽にこだわり、常に動き回っていた。デボラとゆっくり休暇を過ごすような時間も取れず、それでもデボラはクライヴについていった。
常に疲労と闘っていたクライヴの様子が、ある日一層おかしくなった。熱が出る、頭痛が激しい、デボラのことを思い出せないなど、クライヴの状況はどんどん悪化していった。家庭医は、過労を疑い、寝れば治ると診断するも、まったくそんな気配も見せない。病院で検査してもらっても、何が悪いのかさっぱりわからない。そうこうしている内に、クライヴの脳の中ではウイルスが大暴れし、記憶において最も重要な働きをする海馬を含む、脳の大半の機能を奪ってしまったのだ。
そこからのクライヴの人生は、すべての瞬間が目覚めだった。
記憶を一切溜め込むことが出来なくなったクライヴは、自分が常に、ほんの一瞬前に目覚めたと認識した。それ以前は、何も見ず何も聞かず何も感じず、まるで死人のようだった、と常に言った。クライヴは常に日記を書き続けたが、そこには、自分が目覚めたと感じた時刻と、『自分はたった今目覚めた』という記述が永遠と書かれていた。ちょっと前に書いた時刻は、次の瞬間にはクライヴにとっては嘘になるので、前に書かれていた時刻を消し、新たに自分が目覚めたと感じる時刻を書き、そしてまた、『自分はたった今目覚めた』と記述するのだった。それは、世界最悪と言っていいほどの壮絶な記憶障害だった。
デボラは当初、そんなクライヴを治療する手立てを見つけるべく奔走した。学術的な文献に当たり、専門家を回っていくうちに、クライヴの記憶障害がとんでもないものであることを知り、それからデボラは方向転換する。
当時イギリスには、記憶障害を患った人向けのリハビリテーション施設はほぼ存在しないと言ってよかった。何らかの形で記憶障害を抱えている人びとは多いのに、そういう人たちへのケアはまったく存在していなかった。デボラはマスコミを動かし、また自ら率先して組織を立ち上げ、記憶障害を持つ人びとへのケアを実現すべく奔走することになる…。
というような話です。
題材としては非常に興味深いんだけど、ノンフィクションとしてみた時どうなのかなぁ、というのが正直な感想です。
個人的には、タイトルと内容が若干ズレているところに問題があるような気がしています。
本書のタイトルは、『七秒しか記憶がもたない男 脳損傷から奇跡の回復を遂げるまで』というものです。このタイトルからすると、記憶障害を患ったクライヴに焦点が当たった割と専門的なノンフィクション、っていう感じがしませんか?
でも実際内容は、クライヴの妻であるデボラの個人史、という印象が強いです。もちろんデボラの人生にとって、クライヴの記憶障害は非常に重要な位置を占めるので、作品としてはそれが中心になるんだけど、そうではない部分も結構多い。冒頭の方の、クライヴが記憶障害を発症するまでのデボラとの馴れ初めなんかの話は正直退屈だなと感じたし、色々あってクライヴから離れたデボラが、ニューヨークやギリシャでどんな生活をしていたのかなんてことは、正直興味がなかったりします。そういう部分が結構多いんですね。
クライヴの治療とかリハビリとかそういう部分についても、前半の方では結構詳しく触れられる。というか、クライヴの記憶障害が世界最悪だと確認するまでのデボラの奔走、という感じだけど、まあでも大体どういうことが起こってたのかは分かる。でも中盤から後半になると、クライヴがこんなことを言ったとか、こんな反応をした、という話はそれまでと変わらず描かれるんだけど、継続的に行われた治療がどんなもので、試されたリハビリがどんなもので、というような、病院側(施設側)とクライヴのやり取りみたいなものがまったく出てこなくなったんで、ちょっともう少しその辺りのことは補完してほしいなぁ、と思いました。
例えばこの作品が、『七秒しか記憶がもたない男との生活』みたいな感じのタイトルだったら、なるほどノンフィクションっていうより個人史に近いのかな、というイメージが持てるんで、内容とそんなに大きなズレはなかったと思うんですね。あるいは、こっちの方がよりいいと思うんだけど、やっぱり妻が書くんじゃなくて、ちゃんとしたノンフィクションライターがクライヴの記憶障害に焦点を当ててノンフィクションに仕立てあげたらよかったんじゃないかなぁ、と感じました。
でも、題材としては本当に興味深いと思いました。
解説で少し触れられているように、本書では、『時間』という概念を失った人間が、どんな存在意義を見出すことができるか、という深遠な哲学的テーマに、実際上の回答を与えている。クライヴは、毎瞬間『目覚め』を経験する、時間の流れというものを失った存在だ。彼にとっては、すべての人が初めて会った人間であり、すべてのものが初めて見たものになる。地面に到達しては一瞬で消えてしまう都会の雪のように、クライヴの記憶というものは一切蓄積されることがない。クライヴにとって世界がどう見えているのか、傍から見ている限りでは想像にも及ばないけど、しかしクライヴの一貫した発言や行動が素晴らしい。蓄積される記憶がなくても、時間の概念を完全に失っても、人間というのは存在理由を探し出すことができるのだなぁと、そこは素晴らしいと思いました。
妻視点ではない、このクライヴの記憶障害にばっちり焦点を当てたノンフィクションを読んでみたいなぁ。ちょっと個人的には、タイトルから想像していたタイプの作品ではなくて、ちょっと残念でした。クライヴという男への興味は尽きないけど、デボラの個人史にはそこまで興味が持てないなぁ、という感じ。デボラの個人史だ、ということを前提にして読めば、割と面白く読めるのかもしれません。

デボラ・ウェアリング「七秒しか記憶がもたない男」




幸福な生活(百田尚樹)

内容に入ろうと思います。
本書は、18編の短編が収録された短篇集です。すべて、『最後の一行』にこだわった作品で、最後の一行で物語をひっくり返すというような形の作品になっています。本の構成も凝っていて、最後の一行はすべて、ページをめくった一行目に配置されているので、最後の一行が読んでいる途中で視界に入っちゃうことはありません。
18編すべての内容紹介をするのはなかなか大変なので、僕が好きな作品だけいくつか抜き出してみようと思います。

「残りもの」
わたしは、三十代最後の年で、本当に理想の夫を見つけた。祖母がよく言っていたように、まさに残り物には福がある、だと思った。「ミス総務」と呼ばれていたから言い寄ってくる男性は少なくなかったけど、結婚までという相手にはなかなか出会えなかった。そうこうしている内に、新たな恋の回数がぐっと減るような年齢になってしまった。
この年齢になると、同年代か年上の男には、基本ろくなのが残っていない。まともな男は既に結婚しているからだ。だからこそ、雅彦のような素晴らしい夫と出会えたわたしは、本当に幸せだ…。

「豹変」
島田俊夫は病院に行き、憂鬱な思いを抱えていた。このことを妻に言わなくてはならないのが残念でならない。同じ課の先輩たちが、奥さんやおふくろの恐ろしい一面の話をしている。コンプレックスを持った女は怖い、ということらしい。島田はいいよな、だってコンプレックスを持つのはお前の方だからな、と言われて、そうだなと思う。妻の方が何かにつけて優秀なのだ…。

「再会」
会社に、離婚した元夫がやってきた。プロレスラーのような体型だったはずの元夫は、すっかりやつれていた。かつてあれほどに暴力を振るわれ、酒を飲むと手がつけられなかった男とは思えなかった。元夫は、ずっと謝りたかったと言った。深雪は、心の底から深く反省しているような元夫の姿に、元夫への恨みが消えるような思いだったのだけど…。

「深夜の乗客」
もう今日は上がろうかと思っていた時、一人の女性客を乗せることになってしまった。しかも行き先はかなり遠い。参ったなと思いつつ、仕方無しに向かうことにする。車中、女性はなんだか気味が悪い感じだった。意味もなく席を移動したり、ニヤリと笑ったり。そのまま目的地にたどり着いたが…。

という感じです。
なかなか面白い作品だったと思います。馬鹿馬鹿しい作品もありましたけど(「償い」っていう話の馬鹿馬鹿しさは結構好きだったりします)、基本的にどの話も、人間の卑しさとか醜さみたいなものを、最後の一行で巧いこと炙り出しているような作品でした。
一番好きなのは、「豹変」かな。ラスト近くになると、なるほどこういう風に終わるんだろうな、というのはなんとなく見えちゃうは見えちゃうんだけど、これはなかなか見事なラストではないかと思います。お互いの『報告』のタイミングが絶妙だったばっかりに、というような話で、この話の後が知りたいですね。どうなったんだろうなぁ。
この話に限らず、ラスト近くになると、『きっとこんな風に終わるんだろうなぁ』というのがなんとなくみえてしまう作品というのは割とありました。それは、作品自体の問題というのではたぶんなくて、『最後の一行の衝撃』という部分が全面に押されている小説であること、かつ、そういう小説がたくさんまとまってしまっている小説であることが原因だろうと思います。
最後の一行で衝撃を与えるなら、この展開ならきっとこんな風に終わるんだろうなぁ、という風な予想が出来てしまうのは、作品の構成上どうにもしようがないポイントですけど、やっぱりちょっともったいないですよね。例えば、本書は某所で連載されていた小説ですが、一編一編独立して読めば、最後の一行の衝撃ということを意識しないで読めるはずなので、先の展開を予測できないまま読めるのではないかと思うんです。ただ、そういう作品が一冊の本にまとまってしまうと、どうしても『最後の一行』という部分が強調されてしまうんで、展開がなんとなく読めてしまうことになっちゃうんですね。そこがやっぱりもったいない感じはしました。
あと、「再会」はなかなか素敵だと思いました。これは展開が予想できない方の作品だったなぁ。この展開で、何をどうしたら最後の一行の衝撃を与えられるのか、全然予想できませんでした。それでいて、ちょっと無理あるんじゃないか、というようなオチにもならず、最後はなるほどー、と思いました。
上で挙げたもの以外だと、「そっくりさん」「ビデオレター」「淑女協定」なんかが好きです。
作品の性格上、どうしても内容に突っ込んであれこれ書けないので、どうしても感想が短くなってしまいますが、なかなか挑戦的な面白い趣向の作品だと思います。読んでみてください。

百田尚樹「幸福な生活」





10歳の放浪記(上條さなえ)

内容に入ろうと思います。
本書は、児童文学作家である上條さなえさんの、子供の頃の話を書いた自伝的作品です。タイトルの通り、10歳の頃ホームレスだったという壮絶な経験を書いています。
なこちゃん(著者のこと。本名は早苗)は、両親と姉の4人で暮らしていた。でも、姉は前夫との間の子供だった。父は学歴がなく、母は学歴があったために、父は母に対して常に劣等感を持っていた。それで父は、酔うと母を殴るのだった。また、前夫への屈折した感情から、姉は同じテーブルで食事をすることを許されなかった。
姉が他所へ預けられていたり、両親の関係が難しかったりと色々あったけど、それでも4人で生活することが出来ていた日々は、なこちゃんにとっては幸せだった。
少しずつ、その生活が崩れていってしまう。
なこちゃんは、母に騙されて、千葉の親類の家へと一人で預けられることになる。1日泊まるだけで帰れる、明日には迎えにくるから、という母の言葉を信じて毎日バス停に向かうなこちゃんは、その度に落胆させられた。
学校にも行けなくなってしまった。仲のよかった同級生とも、もう会うことはないのだろうと思った。
それからもなこちゃんは、色んな場所を点々とした。良い人もいたし、辛い状況もあった。学校には行けなかったけど、母と一緒に暮らせるようになったのは嬉しかった。父とは別に暮らすことになった。
でもなこちゃんは、また母に騙されて、父と二人で生活することになった。父はドヤ街に住んでいて、お金は全然なかった。食べ物を食べられない日もあった。
そんな日々を、克明に描きだした作品です。
本書を読んで真っ先に思いついたPOPのフレーズが、

『貧しさは、あらゆる感情を経験させる』

です。
ホント、まさにこれに尽きるな、という感じがしました。僕は、当時の日本の状況については詳しく知りませんが、いくら戦後とは言え、なこちゃんの環境はその当時にしてもかなりのレベルの貧しさだっただろう、と思うんです。もちろん当時、なこちゃんより厳しい状況に置かれていた人はいたでしょうし、本書でもチラリチラリそういう人たちのことも描かれるんですが、一般的な水準から見てもかなり厳しかったでしょう。
そういうなかで、たった10歳の少女は、たくましくならざるを得ない。なにせ、仕事に行く気のない父親の代わりに、パチンコでお金を稼ぐ場面も出てくるのだ。
辛いことも山ほど経験した。色んな人との別れが一番辛かっただろうと思う。なこちゃんによくしてくれた人はたくさんいた。そういう人たちと、短い間でお別れしなくてはならなかった。
母親に嘘をつかれたことも何度もあった。母親の気持ちも分かる。嘘をつきたくなる気持ちも分かる。それでも、嘘をつかれたなこちゃんの落胆は想像以上だ。父母にしても、どうにもしようがなかっただろう。父母だけを一方的に責めるのは酷かもしれない。それでもやっぱり、10歳の少女にそういう辛い生き方を強いなくてはいけなかったそのこと自体の悲しさは大きい。
学校に行けなかった、というのも大きいと思う。なこちゃんは学校に行きたかったし、勉強がしたかった。でも、ある時期それが出来なくなった。色んなことを諦めるしかなかったなこちゃんは、自らのそういう境遇をどんな風に受け入れただろう。
なこちゃんが仲良くしていた女の子に、かおりちゃんという子がいた。かおりちゃんも、母親が月に一回しか来ないというようななかなか特殊な家庭で、二人して自分たちの不幸を話すような仲だった。
そんなかおりちゃんが言った言葉は、本当にその通りだと思う。

『あたい、早く大人になりたいな。子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、どんなにいやなことだって、がまんしなくちゃならないんだもん』

僕もこれは子供の頃、ずっとそんな風に思っていた。子供であることが嫌だった。僕は別に、自分の人生を大人の都合でかき回されたような経験があるわけでもないんだけど、それでもやっぱり嫌だった。頭を抑えつけられているという感覚だけで、息苦しかった。
なこちゃんは、実際に頭を抑えつけられていたし、抑えつける力はかなり強かった。そんな中で、なこちゃんの中で、どれだけの感情が渦巻き、どれだけの感情を踏み越えていなかくてはならなかっただろう。貧しくなければ経験する必要もなかったそういう様々な感情が、大人になってから経験値として何かの役に立っているなら幸いだと思う。
きっと、今の世の中にも、こういう生活を強いられている人はいるだろう。
著者が経験したのは、戦後という時代の爪あとのようなものだった。今は、ネグレクトや虐待など、そういう形で同じような経験をせざるを得ない子供たちがたくさんいるだろうと想像する。いつの時代も、子供は弱い。時代のしわ寄せは、結局弱者である子供たちが背負わされることが多いだろう。子供に、こんな経験をさせてはいけないし、こんな感情を抱かせてはいけない。きっと誰もがそうだと分かっていながら、そういう世の中にはならない。おかしなものだな。
両親が亡くなり、ようやく誰かに話せるという気持ちになったという著者。40年以上も胸に秘めたままだった感情は、風化することなく著者の中に息づいていたのだろう。細部まで、まるで昨日のことを書くようにして当時のことを描いています。なかなか壮絶な話ではありますが、不思議と重苦しさはありません。貧しさがもたらした辛く、でも時に暖かい人生を、是非読んでみてください。

上條さなえ「10歳の放浪記」




想い出あずかります(吉野万理子)

内容に入ろうと思います。
鯨崎町の岬の崖下に、子供たちが頻繁に足を運ぶ場所がある。大人は近づかない。というか、大人には、その存在を知ることは出来ない場所。
想い出質屋。
そこには魔法使いが一人住んでいて、来た子供たちの想い出に値段をつけて預かる。20歳までにお金を持ってくればその想い出は取り戻せるけど、そうしなければその想い出は永遠に記憶から失われたままになってしまう。そして、20歳を過ぎれば、そもそもその想い出質屋のことをすべて忘れてしまう。そういうルールだ。
小学生の遥斗は、想い出質屋のことをきちんと理解しているのかいないのか、お母さんとの良い想い出も悪い想い出も、とにかくなんでも質に入れている。想い出なんかなくたって、まあ大丈夫だろう、と思っている。
中学生の里華は、新聞部部長として想い出質屋にやってきた。想い出を預けたことは、一度もない。みんなから色んな質問を集めてぶつけるという企画を考えたのだ。そこで、魔法使いと仲良くなり、想い出を預けることはないまま。想い出質屋に入り浸るようになる。
高校生になった里華はとあるきっかけから、芽依という女の子と仲良くなる。芽依も、想い出質屋に通っている一人だった。里華は、想い出質屋に想い出を預けないままで、想い出を預ける人、魔法使いに頼みごとをした人たちと関わっていくが…。
というような話です。
ほどほどによかった、という感じです。何でも出来る魔法使いが、どうして想い出質屋なんていう回りくどいことをしてるのか、っていう部分は若干疑問だったけど、でもなんとかそれは作中で説明を施そうとしてるんでいいかな。設定は、なかなか面白いと思います。
想い出を決して預けることがない里華の存在がなかなかいいですね。里華は、明確に言葉にすることは出来ないまでも、想い出を預けてしまうことに反対の立場。軽々しく想い出を預ける人、切実に想い出を預ける人、魔法使いにイレギュラーな頼みをする人。そういう人たちを間近で見てきた里華は、何が正解なのか悩みつつも、やっぱり想い出を預けることには否定的だ。その揺れが、なかなか面白い。
想い出を預ける面々もなかなかいい。遥斗は、初めこそただ無邪気に想い出を預けてお金をもらって喜んでるだけの子供だったけど、後半なるほどそうなりますか、という展開になる。まあちょっとあざといかなぁ、って感じもするんだけど。
芽依はなかなか切実で、個人的には想い出質屋のある意味正しい使い方なのかも、という気はする。確かに、もし想い出質屋が存在したら、こんな風な使い方をしてしまうかもしれないな、と思った。しかしホント、これはいつも書くことだけど、女子の人間関係って、ホント大変ですわね。
本書の中で、一番僕の心をざわつかせるキャラクターは、雪成だな。雪成は、ドライ過ぎるだろ、っていうぐらいの考え方の持ち主なんだけど、割と僕もそういう感じがあるんだよなぁ。雪成の言ってることはなかなかむちゃくちゃで酷いんだけど、納得してしまう部分もあって恐ろしや。それを口に出して言えちゃう雪成は凄いぜ。
しかし、本書の帯に、モデルの杏のコメントが載ってるんだけど、この人は、どの本のコメントを見てもなかなか絶妙だよなぁ、と思う。文章にキレがある、という感じ。「哄う合戦屋」のコメントも、巧いなぁって思ったし、他の作品についてたコメントでもそう思ったのはあったはず。こういうコメントを書きたいものだなと思います。
ほどほどに良い作品だったと思います。僕だったら、想い出預かって欲しいかも、とか思ったり(何故なら、自分の記憶力が貧弱すぎるから、どこかに保管されてる方が安心)。

吉野万理子「想い出あずかります」




オーダーメイド殺人クラブ(辻村深月)

内容に入ろうと思います。
中学二年生の小林アン。クラスの中心人物である芹香と同じグループで、倖と三人でいることが多い。一応クラスの中では中心的な存在だ。クラスの女子の人間関係を牛耳る芹香の機嫌次第で色々面倒なことになることも多いけど、どうにかなっている。
母親は美人で、お菓子づくりがうまい。赤毛のアンに憧れ、それに沿って生活を彩っているけど、アンとは決定的に価値観が合わない。それでも、自分の部屋に篭ればなんとでもなる。
どうにかやっていけている、はずだった。
アンは、周りの人間のセンスのなさにイライラしながら生きていた。学校では、誰もかれもが、誰が好きだの、誰が嫌いだの、そんなことばかりでしか会話をしない。母親の、フィクションの世界に憧れて、でも完璧さを追求することが出来ない中途半端さにもイライラしてしまう。
それでも、どうにかやっていけている、はずだった。
芹香の気まぐれで、アンが無視される空気になっている。その内終わることは分かっているけど、それでも、無視されている間の心の痛さが薄れるわけじゃない。
隣の席に座っているのは、アンが「昆虫系」と名付けた男子の一人、徳川勝利だ。何を考えているんだかわからない男子の一人。喋ったことなんて、ほとんどないし、昆虫系の男子と喋っているのを見られたらマイナスでしかないから喋るわけがない。
ある日。その徳川のふとした呟きに助けられて、アンは芹香からの無視状態を終わらせることが出来た。ホッとした。と同時に、徳川のことが気になりだしてもいた。
ある日徳川を見かけた時、徳川は何かを蹴っていた。徳川が去った後見てみると、それは、血に塗れたビニール袋だった。
徳川には分かってもらえるかもしれない。アンは、意を決して徳川に頼んだ。
「私を、殺してくれない?」

やっぱり、辻村深月は凄いですね。最新作である本書も、やっぱり凄い作品でした。
アンのイタさは、僕には懐かしいし、まばゆいし、なんだか嬉しくなってくる。
中二病という言葉を、普通に耳にするようになった。中学二年生が発想しそうなことを考えてしまう大人を揶揄するような場面で使われる言葉。まさに中学二年生であるアンは、まさに中二病と表現するのに相応しい思考・発想をしている。
だから、周りの人間と話が合わないし、言葉が通じることもない。
アンは、少年少女たちが起こした事件の記事をスクラップしている。そういう記事を眺めながら、彼ら彼女らを羨ましく想う。平凡に生きていくことよりも、たった一つしかない命を有効に使って注目されることに惹かれてしまうアン。その感覚は、やっぱりイタい。そして、自分の価値観を理解出来ない周囲の人間を「センスがない」と言い切ってしまう辺りも、実にイタい。
でも、そのアンの感覚が、凄くよく分かる。僕は中学生の頃、少年少女が起こした事件のスクラップなんかを作らなかったし、自分の命を有効に利用して、なんていう発想もしなかったと思うけど、でも、死に惹かれる感覚はあったし、周りの人間と話が通じないというモヤモヤした感覚もずっとあった。
そういう人間が、「普通の社会」の中で生きていくのは、なかなか大変だ。僕は、今でも多少そういう傾向はあるけど、学生時代なんかたぶんずっと、こんな風に思っていたはずだ。
「どうしてそんなことで笑えるんだろう?」
「どうしてそんなことで喜べるんだろう?」
「どうしてそんなことで泣けるんだろう?」
僕には本当に分からなかった。こういう書き方がイタいということが分かってて書くけど、「普通の人たち」の感覚がよく理解できなかった。みんなが面白がってやってることについていけなかったり、みんなが笑ってる場面のどこが笑えるポイントなのか分からなかったり。
本書に、こんな文章が出てくる。

『この教室の中で、無難な借り物ではない言葉を話せるのは、私の他には、多分あいつだけだ。』

これは多分、言葉の話だけじゃないと思う。感覚すべてに言えるんじゃないか。僕には周りの人が、無難な借り物でしかない感覚の中で生きてるんじゃないか、って思ってたようなところがあると思う。こんなことはあんまり書きたくないけど、自分は周りの人間とは違うって思ってた。でも、別に表向き違う部分なんて全然なくて、何か抜きん出ているようなものもあるわけじゃなくて、「普通の」社会の中で埋没するしかない。
そういう生き方は、なんだか凄く苦しくなるんだ。
先日とある件で、実際の中学二年生三人と会って話をする機会があった。その内の一人は、学校にも行っていないひきこもりだって自分で言ってたんだけど、その子の言葉には凄く頷いてしまった。

『みんなと同じことをしようとすると、息が苦しくなってくるんです』

僕には、実際に身体反応が出ることはなかったけど、感覚としては凄く理解できる。そう、みんなと同じ方向に泳いでくことが、はっきりと苦痛だった。嫌で嫌で仕方がなかった。自分の世界をがっちりと閉ざしてしまわないと、周りと同じ色になってしまいそうで怖かった。こういう感覚は、今の僕の人格形成に多大な影響を与えたことだろう。
アンの世界との向き合い方は、滑稽だ。彼女の内面を、「何アホなこと考えてるの?」って一笑に付す人間は世の中にはいるんだろうし、もしかしたらそういう人間の方が大多数だったりするのかもしれない。少年Aに惹かれたり、クラスメートに自分を殺すように依頼したり、一つ一つが滑稽でイタい。
でも僕は、アンのことを笑えないし、アンのその滑稽な向き合い方に真剣さを感じ取ってしまう。アンは必死だ。自分には、美しい世界が見える。アンにとってそれは、生きていくのにどうしても必要なものだ。その美しさを知ってしまったら、もう後戻りは出来ない。自分の審美眼に従って、その美しい世界を追い続けるしかない。
でも、アンは気づく。その美しい世界を見ることが出来るのは、ごく僅かな人間なのだ、と。もちろん、それは勘違いであることは多いだろうけど、少なくとも今のアンにとっては、それは紛れもない真実だ。アンが美しいと感じる世界を、他の人間はそう見ない。
また引用をしよう。

『私の周りのセンスのない人たちは、私がいいと思うものをそろって同じ言葉で「怖い」と形容する。』

そしてやがてアンは気づくことになる。その美しさに気付けない人たちは、アンが美しいと感じる世界を積極的に打ち壊しにくるのだ、と。それが美しいと感じられないのなら、放っておいてくれればいい。でも、そうはならない。特に学校という閉鎖的な空間、あるいは家族という閉鎖的な空間の中では、「わからない」ものは排除されていく。「普通」から外れた人間が何を見てどう感じているのか、「普通」の人は不安で仕方がない。だから、壊す。アンの世界も、そうやってズタズタにされていくことになる。
アンは、なんとか周りと体裁を取り繕いつつも、自分が美しいと感じる世界を必死でまもろうと努力する。その美しい世界を守り続けることが出来るのなら、多少のことは我慢するだけの気持ちはある。それでも、アンのその世界は、少しずつ壊されていく。それが、アンには我慢ならないし、赦せない。
そんな世界でなら生きている必要はないよな、って思ってしまうアンの気持ちは、恐ろしく理解できてしまう。
アンにとって切実に必要なものは、僕にとっても同じくらい切実な存在だ。別に僕が、アンが見ているような美しい世界が見えるのだ、というつもりはない。でも僕にも、他の人には見えていないんじゃないかと思いたい何かがある。その何かを手放したら、生きている意味が丸ごと失われてしまうんじゃないか、というような何かがある。うまく言葉では表現できないその何かは、きっと、アンが抱えているものと似た形をしているはずだ、と思う。
アンの生き方は、僕が経験したこととは違う。僕はそもそも男だから女子同士の複雑な人間関係は経験したことがないし、クラスの中で中心だったことも底辺だったこともない。自分を殺して欲しいと誰かに頼んだことももちろんない。それでも、アンの経験の細部が細部まで想像できてしまう感じがする。その時の呼吸の仕方だとか、その時の足の踏み出し方だとか、あるいは、その時流した涙の色とか。アンの歩いたその後を、まったく同じように歩くことさえ出来そうな気がする。アンの中身を、そっくりそのまま今の僕と入れ替えても、この作品はまったく問題なく成立するのではないか、と思わされてしまう。
アンが徳川に殺人を依頼する件は、自分の家出のことを連想させた。
たぶん小学校の頃だったと思う。その頃から既に、家族に対して「理解出来ない感」「分かり合えない感」を抱いていた僕は、ある日学校の友達に(確か家庭科の授業の時間だったはずなんだけど)、「明日俺は家出する」って言ったはずなんだ。ちゃんとは覚えてないんだけど、たぶん。
アンのように、誰かを巻き込んだりはしなかったし、殺人なんていう重い話でもないんだけど、なんかそれを思い出した。結局、家出はしなかった。次の日学校に行くのが嫌で嫌で仕方がなかったことを覚えている。
本書は、中二病であるアンの内面を中心に進んでいく物語だけど、アンが仲の良い(というか、学校ではそういう風に振舞っている)芹香と倖との関係は切っても切り離せない。
僕は、芹香と倖の描き方が凄いと感じた。この凄さは、どう説明したらいいだろう。芹香や倖のような人間が実際に世の中に存在していて、自分たちのあり方に疑問を持つことなく、それが正しいと信じて普通に生きていられることに対する驚き、という感じなんだけど、伝わるかなぁ。
芹香と倖とアンは、基本的にいつも三人一緒にいる関係なんだけど、その関係性は微妙だ。男である僕には、女子同士の人間関係って本当に理解に苦しむことが多いんだけど、芹香と倖は本当に、僕には理解不能としか言いようがない。そんな風にして生活していけることが信じられないくらいのレベルで、僕は芹香と倖のことが理解出来ない。
芹香は、自分が中心でなくては気が済まない人間で、気まぐれで誰かを無視したり、それを周囲に強いたりする。皆が芹香の動向を窺わざるを得ないような、そんな存在。こういう存在は、女子の世界では常にどこにでもいるんだろうと思う。ウチのバイト先にも、一人いる。正直言ってそういう人とは、ひと欠片も関わり合いになりたくないと思う。
倖は反対に、八方美人。誰からも嫌われたくない。そういう部分は僕の中にもあるから、倖のことは一概に悪くは言えないのだけど、でも本書で描かれる倖はちょっと僕は理解したくない。どうしてそんな風なことが出来てしまうんだろう、って思う。一貫性がなくてブレまくっているところは、凄く嫌いだなぁ。
タイプは違うけど、芹香も倖も、女子の特殊な人間関係の中でうまく渡っていくのに適した性質を持っている。その部分を特化してきた、といえるかもしれない。女子の人間関係はなかなか大変だろうから、芹香と倖を単純に責めることは酷かもしれない。その二人にしたって、そうしなければやっていけなかったのかもしれないから。
それでも僕は、女子の世界の中でちゃんと泳ぐことが出来ないアンに惹かれる。どうしたってアンのような女子は、女子の世界の中では浮く。それまで、それでもうまくやってきたアンだったけど、やっぱりベースの部分では女子的な人間関係の中で泳ぎきるだけの力がない。それは、能力とか努力の問題ではなくて、美意識の問題に近い、と僕は思う。自分の中の美意識と照らし合わせて、そうすることが出来ないでいるアンの姿は、僕には好ましく映る。
本書でも辻村深月は、人と人との関係の脆さを、少しずつ皮を剥ぐようにして少しずつ見せつけていく。それはやはり、圧巻だと思う。バタフライ効果みたいに、ほんのちょっとした些細なことがきっかけで、人間関係がどんどんと複雑に変化していく。辻村深月はその流れを、熟練の航海士のようにして読み、物語に落としていく。さすがだと思う。こんな風に僕の肌を粟立たせる人間関係を描く辻村深月は、やっぱり凄いと思う。
最後に一つ書く。この物語は、終わらせ方が本当に難しかっただろうと思う。正直に言えば、これが正解だったのか、僕には分からない。ちょっとモヤモヤするのは事実だ。この終わらせ方で、果たしてこの世界はうまく落ち着くことが出来るのだろうか、と。辻村深月への期待が大きすぎるからだと思うんだけど、辻村深月なら、もっと美しい世界を描ききることが出来たのではないか、とそんな風に思った。いや、もちろん、終わらせ方が悪い、なんて言いたいわけでは全然ありません。
あの頃の自分が、ここにいました。自分は人とは違っている、周りはセンスがない人間ばかりだというイタい価値観の中で、自分にとって美しいものを大切にする生き方を望みながら、周りにいるそのセンスのない人間たちが自分の美しい世界を易々と壊して行ってしまう、そんな理不尽な世界の中で、ギリギリまで真剣に世界を向きあって戦って走り抜けた一人の少女の物語です。是非読んでみてください。

辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ」




二泊三日遺言ツアー(黒野伸一)

内容に入ろうと思います。
本書は、実在するらしい「遺言ツアー」をモチーフにした作品です。その名の通り、ツアーで遺言を書こう、というものです。
川内美月は旅行会社の新入社員。週に五つ企画を出さなくてはいけなくて、しかし一度も採用されたことがない。自棄っぱちで考えた「遺言ツアー」に何故か社長が好反応を示し、やってみろ、ということになった。先輩社員の梶原とともに、初の遺言ツアーを手がけることになる。
しかし、初めっからトラブル続きだった。
ツアーの心理カウンセラーをお願いしていた溝口先生は、不慮の事故に遭い参加できなくなった。ツアー参加者の一人は、昼間から酒を飲んで吐くような男で、また別の参加者は19歳という若さだ。旅館についてからも、先輩社員の梶原が別件で離れなくてはならなくなって、美月一人でツアーを回すことになってしまった。
独身で子供はおらず、姉妹はいるのだけど財産を残したくないようで、寄付でもしようかと思っている上品な女性、前田久恵、76歳。有名企業の役員まで上り詰め、今はリタイアし悠々自適の生活をしている、娘に無理矢理ツアーに連れてこられた斎藤幸助、78歳。昼間から酒を飲み、美月にセクハラ的な発言をする挙動不審な、横沢篤弘。そして、現在フリーターで、どうしてこのツアーに参加しようと思ったのかまったく不明な草食系男子、小泉太陽、19歳。
遺言を書かせるなんて縁起でもないとか、参加理由を聞いてもはぐらかされるとか、どうも皆素直に遺言を書いてくれる感じではなかったのだけど、参加者同士のやり取りや美月との会話、あるいは突発的なトラブルの積み重ねによって、個々の参加者の人生が徐々に分かってきて…。
というような話です。
なかなか面白く読ませる作品だと思います。手軽に読める感じの作品だと思います。
実在するツアーのようですが、「遺言ツアー」というのはなかなか面白い発想ですね。確かに最近、遺言キットみたいなのが売られてたりして、そういう関心は高いんだろうけど、じゃあいざ遺言を書くかって思っても、なかなか書けないでしょうからね。本書で描かれている遺言ツアーでは、司法書士の竹上という人物がツアーに参加していて、書き上げた遺言状をチェックしてくれる、という体制になっています。本当であれば、心理カウンセラーである溝口先生もいて、遺言を書くという気持ちに向かわせる、そんな体制も用意されているわけです。自宅で遺言を書こうなんてなったら、結局ダラダラしてしまうような気がするけど、二泊三日で、温泉とか入って美味しい物を食べてなんていうことをしながら、時間制限の中で遺言というものと向きあってみるというのは、確かに面白いのかもしれない、と思いました。
ストーリーの展開は、まあそういう感じだよなあと予想できる感じのもので、特別新鮮さみたいなものはなかったのだけど、個々のツアー参加者の人生やそれぞれのやり取り、あるいは美月の葛藤みたいなものがなかなか面白く読ませると思います。
中でも、小泉太陽の話はちょっと驚きでしたね。19歳にしてこのツアーに参加した理由は、なかなか予想できないだろうなぁ、という感じがします。
斎藤幸助の話も、なかなかに面白かったです。幸助は当初遺言を書きたがらなかったのだけど、その後気持ちが二転三転する。最後の最後まで読むと、その逡巡が理解できる。そしてその後の展開は、実際にああいう選択が出来るものなのか、僕にはちょっと想像がつかないのだけど、素晴らしいと思います。
前田久恵は、参加者の中で最も真っ当だったといえるでしょうか。年配者らしく落ち着きがあって、周りの人を落ち着かせるような役割を率先して担う。遺言と向き合う姿勢も真剣だし、そして素晴らしい遺言を書き上げるわけです。本書は、ある意味で実用的な小説だと思うんだけど(昔、平山瑞穂の「シュガーな俺」っていう小説を読んだ時も、実用的な小説だと思った。「シュガーな俺」は、若くして糖尿病になってしまった著者の経験を活かした糖尿病小説なんだけど、実際に糖尿病になってしまったらどうするか、という話がかなり詳しく載っている)、この前田久恵に関わる部分の話が一番参考になるような気がします。まあでも全体的に、もう少し遺言に関する法的な知識とかがあったりしてもよかったのかなぁ、とかは思いました。
横沢篤弘は、まあ詳しくは書きませんが、やっぱりなかなか大変な参加者でした。一番分かりにくい参加者でもあったかなぁ。若干唐突だったような気もしなくはなかったりします。斎藤幸助の場合、前フリに結構描写が使われているからこそ、ラストが良い場面になったような気がするんだけど、横沢篤弘の場合はちょっとその溜めが薄かったかなぁ、という気がしなくもありません。
個人的には、美月と太陽のやり取りが結構好きだったりしました。年齢的にかなり近い、という部分ももちろん理由としてあるだろうけど、なかなか息の合ったコンビだなぁ、という感じがします。太陽の素直じゃないキャラ(でも気遣いが出来る)と、やる気はある(けど空回り)という組み合わせは、なかなか微笑ましかったです。
さらっと読める作品だと思います。ある程度以上の年齢の人が読んだりしたら、自分もちょっと真剣に遺言について考えてみようか、という感じになるのかもだけど、太陽とは境遇の違う僕には、さすがにそこまでの感じにはなれませんでしたが。でも、先のことだから、と言って先延ばしにしっぱなしっていうのも良くないことなんだろうなぁ、という感覚は得ることが出来ました。遺言を書くというのは、ただ文章を書くということではなくて、自分の人生に思いを馳せるっていうことなんだろうなぁ、とも。読んでみてください。

黒野伸一「二泊三日遺言ツアー」



真夜中のパン屋さん(大沼紀子)

内容に入ろうと思います。
本書は、真夜中のパン屋を舞台にした、6編の短編が収録された連作短編集(のような長編のような作品)です。

「Frasage―材料を混ぜ合わせる」
篠崎希美は、カッコウの託卵のような育てられ方をした、フラフラと家を出ていってしまう母親は、その度毎に希美をあっちこっち色んな人に預けていった。基本祖父母に預けられたが、まったく見知らぬ人ということもよくあった。
そんな母親が、またどこかへ行った。今度は部屋も解約しているらしく、希美の行き先は、希美の姉に当たるらしい20歳も年上の女性の元ということになった。
しかし、何故かパン屋であるその住所に行き着くと、その女性は亡くなっているのだと知らされた。しかし、そこで真夜中に開いているパン屋「ブランジェリークレバヤシ」をやっている暮林と弘基の二人は、特に考えることもなくあっさり希美を受け入れることに決めた。
希美は日々、戦っている。学校での嫌がらせには、もうあらかた慣れてしまった。

「Petrissage&Pointage―生地捏ね 第一次発酵」
水野こだまは「ブランジェリークレバヤシ」で万引きをした。店のパンを勝手に持っていったのだ。親に訴えてやろうと家まで行った希美だったが、しばらくしてこだまが、母親不在のままほぼ一人で暮らしている現状を知ってしまう。
ブランジェリークレバヤシに来るようにこだまに伝え、二人は仲良くなる。弘基からパンの作り方も教わり、みるみる上達していく。
暗い家に帰ってくるのは可哀想だからと、夜でも電気を点けたままでいる、健気な男の子なのだ。

「Division&Détente―分割&ベンチタイム」
斑目裕也は、脚本家であり、そして、声を大にしては言えない趣向を持っている。ほとんど部屋から出ない生活をしている斑目は、ブランジェリークレバヤシというパン屋のデリバリーを活用していた。女子高生と子どもがパンを運んでやってくる。しかしある日ひょんなことから、斑目のその奇特な趣向を知られてしまう。
希美は斑目に大して、言い知れぬ嫌悪感を覚えていた。どうにも、気持ち悪い。悪い人ではないのかもしれないが、それでも。店に来るようになり、何故か弘基と意気投合した斑目。ある日希美は、斑目からの緊急の電話を受け取る。

「Faconnage&Appret―成形&第二次発酵」
ソフィアの人生は、他のオカマとそう大差なく、やはり色々と厳しいものだった。しかし、そうは言っても恵まれていた方だっただろう。たとえ今、丸の内ホームレスだとしても。
希美がチラシを渡したことがきっかけで、ソフィアはブランジェリークレバヤシにやってくるようになった。暮林に色目を使い、店の常連とも仲良くなっていった。
そんなタイミングで、のぞみにちょっとした問題が持ち上がる。担任の先生が、今年こそはこだまの家庭訪問をするからと言ってきたのだ。

「Coupe―クープ」
柳弘基の判断基準は、藤崎美和子、ようは暮林美和子に誉めてもらえるかどうか、だけだった。とあるきっかけで知り合うことになった後、美和子の後をついて回った。なんだかんだで結局、今は美和子の旦那とパン屋をやっている。
こだまの母親を目撃したと斑目からの報告が入る。斑目はこだまの母親の過去も調べたようで、しかし何を考えて育児放棄をしているのかは分からない。ようやくこだまの母親を補足することが出来、苦渋の思いを聞くことになるのだが…。

「Cuisson avec buee―焼成」
暮林陽介は、美和子のことを考える。学生時代の、あらゆるものに敵意を向けていた美和子。紛争地帯の貧困問題に関わっていた時の経験と、美和子の死の状況。ずっと美和子を一人にしてしまったこと。
突然こだまがいなくなった。大慌てで探すブランジェリークレバヤシの面々。やがてこだまの居場所は知れるのだけど、それはそれでまた新たな問題の始まりとなる。

というような話です。
いやー、これはかなり素敵な作品でした!読み始めは、まあまあ普通ぐらいかな、って正直思ってたんですけど、中盤から後半に掛けてどんどんよくなっていく。ゲームをやらない僕がこういう表現をするのはおかしいけど、RPGのゲームで敵を戦ったりした後で自分の味方になったり、みたいなのってありますよね?そういう感じで、ブランジェリークレバヤシにどんどん人が集まってきて、人が関わっていけば関わっていくほど話が面白くなっていくという感じがしました。
ストーリーの中心にいるのは、なんだかんだでこだまでした。物語の二話目から関わりの出来たこだまが、なんだかんだで話の中心になってしまう。誰の話が描かれていても、最終的にこだまの問題がメインになっていく。それぐらい、こだまにはほっとけなさみたいなものがあるし、複雑な問題を抱えているし、非常に気になる存在ですね。
で、そのこだまの話に色々関わっていく中で、ブランジェリークレバヤシに関わる人たちのそれぞれの生き方や問題みたいなものが、ちょっとだけ何か変わっていく。人生は戦場みたいなもので、ありとあらゆることに腹を立てていた希美は、自分と近い境遇のこだまとの関わりの中で自分の本当の気持ちに気づき、最後には、自分が認めたくなかったあることを認めることになる。斑目は、ほとんど家にひきこもり状態だったのが、積極的に人と関わるようになっていった。ソフィアは、自分の生き方を肯定してみようと思えるようになった。暮林と弘基は、日々のドタバタの中で、自分の内側で凍っていた何かを少しずつ溶かして行っているように、僕には思えた。
家族ってなんだろう、って凄く思わされる。
僕は正直、家族って苦手でしかなくて、自分の家族とも今でも結局うまいことやれてないけど、だからこそ余計に、家族って何なんだろうなぁ、って思う。
希美とこだまは、血の繋がった家族から良い扱いを受けてこなかった。特にこだまの場合、それが物語の中心になっていく。でも二人は、ひょんなきっかけからブランジェリークレバヤシと関わるようになって、ほとんど家族同然みたいな感じで暮林と弘基と関わるようになっていく。
しかしその暮林と弘基にしたって、元々は恋敵なわけだ。
だから、ブランジェリークレバヤシに集った暮林・弘基・希美・こだまは、血の繋がりがないだけではない、本当に正真正銘他人も他人という関係でしかない。
でも、この四人の関係は、家族に見える。家族そのものではないかと思う。
読んでてふと思いついたPOPのフレーズがある。

『家族って、
元からちゃんと形が決まってるものじゃなくて、
パンをこねるみたいにして形作っていくものなんだね、きっと。
こねる手に愛さえ込めれば、
血の繋がりなんか、関係ないんだ。』

パン屋の話なんで、パンの作り方の話も出てくる。その中で弘基は何度も、パンに愛情を込めろ、という話をする。
すごく印象的なシーンがある。
希美にパン作りを教えているシーン。弘基は愛を込めろだのもっと優しくだの曖昧なことしか言わず、そんなんじゃわかんない、と希美が言った時のこと。弘基は、パンに愛情を持って接すればいいんだ、触れる瞬間も、触れている瞬間も、と言った後でこう言うのだ。

「手を放すその瞬間も、愛することだよ」

ここで弘基はそれを実演してみせて希美を驚愕させるのだけど、これが凄く印象深かった。もちろん弘基はパンの話をしているだけなんだけど、これは家族にだって言えるだろうし、もちろんそれに限らないもっと多くのことにだって言えると思う。
正直僕には、手を放すその瞬間も愛する、ということがどういうことなのか、よくわからなかったりする。そんなこと出来るのかなぁ、という気もする。でも、触れる瞬間も、触れている瞬間も、そして放す瞬間さえも愛することが出来れば、まあそりゃあ最強だろうなぁと思うのだ。
暮林と弘基の手には、それぞれ違った形ではあるけど、愛が込められている。それは決してパンだけに向けられるわけじゃない。特に暮林の手は、パンより人に向けられることが多い。その度量の広さには、何度も驚かされる。四次元ポケットみたいなものだ。幻想だろうけど、暮林に抱えられないものなどない、と思えてしまう。
その手に守られながら、特に希美とこだまは日々を過ごす。家族がどういうものなのか、未だはっきりとは認識出来ていないこだまにとっては、特にブランジェリークレバヤシの存在は大きいだろうと思う。優しいだけでは生きていけない、でも、優しくなければ生きていけない。暮林はまさにそれを体現しているような人だなぁ、と思いました。
本書には、非常に印象的なセリフがたくさん出てきます。ネタバレにならない範囲でざっと抜き出してみようかな。

『人間が出来上がっていく過程は、パンが作られる工程に似ているね』
『(前略)パンよりずっと、人は愚かだ。』

『言葉っていうのは、あんがい嘘をつくもんなんだよ。真実は、何らかの決断を下した時のみ、見えてくる』

『バカ言えと、弘基は思った。あんたみたいに、俺はなるよ。』

『あなたはこだまに、好きって気持ちを教えてるんだよ?それが出来る母親が、どうしようもないわけないじゃない』

僕がいいなぁと感じた言葉からは、その人の背景みたいなものが立ち上ってくる感じがします。色んなものを積み重ねてきて、色んな経験をして、色んな感情が通りすぎていった、だからこそその言葉が気負うことなくするりと出てくる、そんな感じがしました。気負うことなく、っていうところがみんないいなぁ、と思いました。意識してそれを言ってるとかじゃなくて、さらりと言ってる。さも、当然のことであるかのように。っていうか、当人にとっては当然過ぎることなんだろうけど。そういうところが凄くいいなぁ、と思いました。
ただ一点、個人的に思うのは、設定が何故『真夜中に開くパン屋』でなくてはいけないのか、というのがよく分からなかったかな、と思いました。まあ物語が面白いんで、別にどうでもいいと言えばどうでもいいんですけどね。どこかにその設定に関わる描写、あったかなぁ。
凄く良い作品だと思います。初めはただの小麦粉でしかなかった暮林たちが、色んな経験を経て徐々にパンの形になっていく、そんな物語だと思います。特に、こだまが可愛くていいですよ。健気で泣けてきます。是非是非読んでみてください。

大沼紀子「真夜中のパン屋さん」




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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)