黒夜行

>>2011年02月

前夜の航跡(紫野貴李)

内容に入ろうと思います。
本書は、日本ファンタジーノベル大賞を受賞した、新人のデビュー作です。短編の賞というわけでもないのに、受賞作は連作短編集というなかなか珍しい作品。
大枠の設定だけ先に書いておきます。
どの話も主人公は違うんですが、『主人公が海軍に所属していること』そして『その主人公が何らかの形で、仏像彫刻に精進している笠置亮佑という若者と関わる』という点が共通点です。
笠置亮佑は、その道では有名な仏師であり、亮佑は幼い頃から父親から手ほどきを受けた。今は、全国を行脚しながら修行の身で、父親の仕事も手伝っている。
そんな亮佑には変わった質があり、それは、霊的なものの類を感じることが出来るのだ。そして亮佑が彫る仏像は、その霊的な者たちに働きかける力がある。

「左手の霊示」
芹川達人は、支倉大佐が直訴して創設された秘密裏の特殊任務機関に所属している。任務中のとある事故で左手を奪われた芹川は、支倉の伝手で、仏像彫刻師である亮佑に左手の義手を作ってもらった。その義手をつけたことで、芹川は霊的な存在を感知することが出来るようになったのだ。芹川が所属する特殊任務機関は、海軍内で起こる霊的なトラブルを解決する部署だった。
芹川はとある海軍所属の建物に泊まり込んでいた。そこには、軍艦同士のある事故の責任を感じ自殺した軍人の霊が現れるらしいのだが…。

「霊猫」
榎田利秀は、経理局会計監査課所属の海軍人。不正な支出がないかチェックする部署だが、最近食料がネズミにやられる艦が多いという話を聞き、それで故郷でのとある噂を思い出した。
それは、とある木彫家が彫った猫を置いておくと、ネズミが寄ってこない、というものだった。半信半疑ながらも、極秘でその木彫家に木彫りの猫を依頼することになったのだが…。

「冬薔薇」
塩崎寿実生は、駆逐艦の機関長として、古参の機関員たちの扱いに苦労しつつ、なんとか対面を保とうと、訓練中気を張っていたのだけど、結局倒れ軍病院で入院することになった。
そこに、同期の韮沢がやってきた。雨の降る中ずぶ濡れでやってきた韮沢は、どうしてもこれを受け取って欲しいと、本物と見間違うばかりの出来栄えの木彫りの薔薇を置いていった。
後日病室に、韮沢から依頼を受けたのだという若者がやってくるが…。

「海の女天」
小田川繁雄は運用長として、荷物運搬の順番などを公平に捌く役割を担っていた。演習を目前に上陸となったが、繁雄を訪ねてきた若者がいるという。彼が当宿しているという宿を訪ねると、一心に彫り物をする若者がいた。
笠置亮佑と名乗ったその男は、ある女性から頼まれたのだ、と言って、一体の木彫りの女天像を渡した。その女天像の顔は、かつて自分を助けるために命を落とした姉の顔に似ているような気がした…。

「哭く戦艦」
霊的トラブルに対処する特殊任務機関に所属する芹川は、支倉から頼まれ、支倉と関わりが深かったという人物の依頼を個人的に受けることにした。松尾という名の予備少佐は、日本海海戦の英雄であり、現在は沖合に係留され記念碑として残した。
その戦艦から、夜中奇妙な音が聞こえるのだという。芹川は、左手が笠置亮佑を呼べと言っているといい、現地に亮佑を呼び寄せる…。

というような話です。
新人とは思えない、安定感抜群の作品でした。
正直、話そのものは、僕の好みとは若干外れている感じでした。全話海軍を舞台にしていて、訓練シーンなんかで戦艦の動きの描写なんかが出てきたりするんだけど、僕にはどうも具体的にイメージ出来なかったりして、そういう点でちょっと難しい部分はありました。
しかし、この作家は相当『書ける作家』だと思いました。この作品は、海軍という正直僕がそこまで興味の持てないところを舞台にした作品だったので、そこまで強く訴えかける作品ではないのですけど、これだけの作品を書ける作家なら、たぶんどんなシチュエーションを舞台にしても作品を書けるだろうし、そのシチュエーションが僕の好みに合えば、かなり傑作だと言い切れる作品に仕上がるのではないか、という気がします。本当に、中堅以上の作家が雑誌連載していた作品を書籍化しました、と言われても信じてしまうぐらい、新人作家とは思えない安定さが際立っていました。
とにかく、筆運びが巧い。特別巧い表現をしているとかというわけでもないんだけど、落ち着きのある洗練された文章で、無駄がない感じです。グッと引き締まっている感じで、その筆運びの巧い文章が、全体の雰囲気をうまく牽引している感じがしました。登場人物をそこまで多く配することなく、それぞれ短い話ながら、限られた登場人物の輪郭みたいなものを鋭敏に描こうとしているのが窺えるし、特別なところがあるわけではない人々の微妙な差異を描き出すのが巧いと思います。とにかく本書の白眉は文章で、これだけ安定感のある文章を書ける新人作家というのはそうはいないと感じました。
ストーリーは、好みはちょっと分かれるかもしれません。恒川光太郎や朱川湊人的な若干ファンタジックな要素をうまく取り込みつつ、軸足はきちんと現実側に残しているという感じです。僕にはそれが若干アンバランスには感じられたんですけど(海軍という、かなり真剣な世界の中に、ある意味で唐突にファンタジックな世界が割り込んでくるというのが、個人的にはちょっと違うかなぁ、という気がしたんですが)、ただこういう作品を好きだと感じる人はいるだろうなとも思えるタイプの作品です。霊的なものの出現がちょっと唐突に感じられてしまうのは、僕は若干の弱点かな、という感じはするんですけど(もう少し巧いやりようがあったような気がする)、でもその指摘はもはや新人作家に対する指摘じゃないわけで、十分うまくまとめていると感じました。
とにかく、笠置亮佑という木彫家の存在感がいいですね。海軍相手であっても飄々とし、動じることなく霊的なものと向き合い、その声に真摯に耳を傾ける。彫り始めると周囲の音が聞こえなくなるくらいの集中力を発揮して、そして掘り出したものは霊的な力を持つ。この作品のリアリティ(って表現はちょっとおかしいかもだけど)は、ほぼすべてこの笠置亮佑というキャラクターが鍵を握っているという感じで、この笠置亮佑というキャラクターをどう感じるかで、作品の感じ方も結構変わってくるような気がします。
個人的に好きな話は「霊猫」と「冬薔薇」。「霊猫」は、結構多くの人が好きになるんじゃないかなぁ、と僕は思います。健気さが全開に現れていて、いいなぁと思いました。「冬薔薇」は、木彫りの冬薔薇に込められた思いや、二人の間の関係性みたいなものがいいなぁと思いました。
個人的には、ちょっと凄い新人が出てきたな、という印象です。ストーリーだけ評価すれば、正直そこまで僕の好みの作品ではないんですけど、洗練された文章は新人離れしているし、これからどんな作品を書くのか実に楽しみな作家だな、という感じです。ちょっとこれは読んでみて欲しいです。たぶん、絶賛する人もいるんじゃないかなぁ。ちょっとこれからに期待したい作家です。

紫野貴李「前夜の航跡」




日本辺境論(内田樹)

内容に入ろうと思います。
本書は、内田樹版日本論です。
とは言え内田樹は冒頭で、本書には新しい知見は特にない、と書いています。先人たちがこれまで素晴らしい日本論を書いてくれている、自分はそれを焼き直しているだけだ、と。
自国論がこれほど好きな国民、というのも珍しいようです。日本人は、「日本人とはどういう者なのか?」とキョロキョロせずにはいられない。だから常に新しいものに飛びつく。かつて書かれた日本論は今の日本では忘れられてしまっているので、こうやってまた書くんだ、というようなことが前書きで書いてあります。
さて、内容に触れたいんですけど、僕にはちょっと難しい感じで(国語の苦手だった僕には、国語の評論文を読んでいるような感じでした)、なかなかうまく内容の説明が出来そうにありません。言っていることはところどころ分かる、面白いなと感じる、というぐらいで、人に説明できるほど理解出来はしませんでした。とにかく、『辺境』をキーワードに、卑弥呼からマンガまで、日本のあらゆるものを論じてみよう、という壮大な大風呂敷を広げた作品です。
個人的に面白いなと思ったのは三点。
まず、「学び」に関して。内田樹は、『私たち日本人は学ぶことについて世界でもっとも効率のいい装置を開発した国民です』と書いています。それは、それを学んだらどんなメリットが得られるのか、あるいは、この師は本当に良き師なのか、という点について、『辺境人』であるが故に思い悩まずに済むからだ、と書いています。
これもまた僕の理解度では人にうまく説明できないんですけど、かなり面白い発想だなと思いました。師につくことは、師から何かを得るのではなくて、師の言動から『学び方そのものを学ぶ』のだ、という発想は、なるほどなぁ、と思いました。内田樹は、最近の日本の教育が、この日本古来の学びの良さを失う方向に進んでいることを危惧しています。
次は、『機の時間論』についてです。これもまたやっかいで、正直人に説明できるだけ理解できているとは言えないんですけど、理解出来ないなりに面白かったです。
日本人は、世界のどこかに中心があって、それに対して常に『遅れている』という発想を持っている(辺境人であるが故に、です)。それは学びや、あるいは道という点で効果を発揮したけど、一方でそれによる弊害もあった(僕の理解力では、この弊害についてはうまく言葉に出来ませんが)。古来の武道家や宗教家は、その弊害を乗り越えるためにトリッキーな『機の時間論』を生み出した、というような話で、僕なんか読んでて、物理の量子論の話なんじゃないかなぁ、という気がしてくるぐらい、なんだか奇妙な話で面白かったです。これはもう少し理解したいなぁ。
そして最後は『マンガ』の話。というか、マンガと日本語の話で、日本発のマンガがこれほど世界に広まっていったのは、日本語特有の特徴ゆえではないか、という話で、これもなるほどなぁ、という感じがしました。日本人でいると、絵の部分を表意的に理解しつつ、ふきだしの部分を表音的に処理するというのはごく普通なんだけど(日本語は、漢字という表意文字と、かなという表音文字のハイブリッドだから)、こういう言語はもう世界でもほとんど残ってないとかで、マンガが日本でこれほど爆発的に広まっていったのはある種当然だし、もうしばらくは日本のマンガが世界を席巻し続ける状況が続くだろう、と書いています。他にも、日本語についての話はなかなか面白かったです。
僕に国語力がないんで、この作品はちょっと難しかったですけど、内田樹の方程式を解くみたいな文章(と僕には感じられるんですよね)は相変わらず好きです。僕は本当に国語力がない人間なんで、僕が難しいと言っても気にしないでもらえると助かります。大風呂敷を広げた壮大な話ではありますけど、全体に賛同できるかどうかは別として、個々の話には結構気になるもの・気に入るものがあるんじゃないかと思います。個人的には強く薦める作品ではありませんが、日本というのがどういう国なのか、面白い視点から書いているので(とはいえ、内田樹曰く、それはすべて先人の焼き直しらしいですが)、読んでみてください。

内田樹「日本辺境論」




天空への回廊(笹本稜平)

内容に入ろうと思います。
真木郷司は世界でも有数のクライマーで、エベレストへの登攀に挑んでいる。しかしその最中、大規模な雪崩に巻き込まれてしまう。
なんとか生還した郷司だったが、親友のフランス人クライマーが行方不明になってしまっていた。雪崩の原因は、エベレストに隕石が落ちたからだというが、どうも違うようだ。
エベレストはすぐ入山禁止となり、アメリカ軍がやってきた。説明によれば、エベレストに落ちたのは隕石ではなく衛星で、そこには原爆の材料にもなるプルトニウムが含まれている、という。アメリカの威信をかけて回収作戦を行うので協力してはもらえないか、と打診された。
正直付き合う義理はないと思った郷司だが、未だ行方不明だった親友の捜索についでということで了承した。
しかし事態は、どんとんと不穏な方向へと進んでいく。エベレストに落ちたのはただの衛星ではないし、エベレストでもカトマンズ市街でも、そして世界のあちこちで不穏な動きが続発していく。
一体何が起こっているというのか。何を信じたらいいのかまるでわからない中で、エベレストという超極限状況で繰り広げられる国際謀略小説!
いやはや、これはちょっととんでもないなんてもんじゃない作品でした。凄すぎます!
正直読み始めは、ちょっと厳しいかなぁ、という部分はあったんです。というのも、登山(なんかもっと適切な表現があった気もしますが)に関する描写がちょっと辛かったんです。よく意味の分からない専門用語が多々出てきて、結局最後まで、登山中の描写はどんな状況なのかよく分からないまま読みました。本作で唯一難点があるとすれば、この部分だと思います。アドバイスとしては、僕と同じく、登山に関する描写は、あまりイメージできなければ流し読みしちゃえばいいと思います。
しかしストーリー全体はちょっと凄すぎました!『エベレストの山頂付近に衛星が墜落した』という設定から、まさかこんなとんでもない物語が展開されるとは思ってもみませんでした!圧巻と表現する以外にはないくらいで、僕の中で著者の評価が一気に急上昇しました。
状況がとにかく、二転三転どころの騒ぎじゃないんです。色んな人間がそれぞれの思惑を隠したままで行動して、それが徐々に明かされていくんですけど、一枚一枚ベールを剥がされていく度に状況のとんでもなさは加速されていって、最後には、まさかこんな物語になるとは!としかいいようのない展開なんです。
いやだってですね、僕がとりあえず考えてみたPOPのフレーズが、こんな感じなんです。

『今世界を救えるのは、エベレストにいる真木郷司ただ一人!
とんでもないスケールの、圧倒的な物語!』

世界を救う、とか書いてるけど、セカイ系の作品じゃないんですよ。ホントに最後の最後、大変なことになるんです。
しかもですね、それが超極限状況のエベレスト山頂付近で展開されるわけです。そこでの真木郷司の人間ドラマは、壮絶という言葉を遙かに超えます。郷司は本当に、人間の限界の限界の限界を優に超えるような状況に挑まざるおえなくなるんです。次から次へと状況が変転する中で、一番関係ないのに(基本的にアメリカが悪い)、一番壮絶な役割をこなさざるおえなくなっているんです。世界を救う役目を果たさなくてはいけない人間が、本書でほぼ唯一と言っていい日本人の郷司である、というのも、日本人の僕らが読む場合は、かなり大きな影響を与えると思います。
ホント、最後の最後は泣きました。郷司のあまりにも無謀な、あまりにも孤独な、あまりにも悲惨な状況の数々に、しかしそうしなければとんでもない事態が引き起こされてしまうという使命感のみで立ち向かっていく郷司の姿は本当に素晴らしくて、思わず感動させられてしまいました。
ネタバレをなるべく回避したいんで、ストーリーにはほとんど触れられないんですけど、ストーリーと人間ドラマが両輪となって、どちらかが欠けてもここまでの物語は生み出し得なかっただろうという感じがしました。練りに練られたストーリーや設定が、郷司の周囲の人間ドラマを生み出し、またその人間ドラマがストーリーの方で新たな展開を生み出していく。それぞれが信じる理想や使命や、あるいは大切に想う誰かのために必死になって立ち向かおうとする姿は、エベレストという超極限状況と相まって、読む人を惹きつけずにはいられません!
久々に、ちょっと『凄過ぎる』物語を読んだな、という感じがします。本当に練られた物語で、物語の一部だけに触れるということが出来ないんで、内容についてはほとんど触れられなくて残念なんですが、このスケールのデカさは、並の日本人作家の作品にはない圧倒的なものだと思います。初めの方でも書きましたが、正直登山に関する描写は、専門用語が多すぎてなかなかイメージしにくい部分もあって、そこがじゃっかん読みにくさを与える部分はあるだろうけど、僕のアドバイスとしては、そういう部分は流し読みしてしまえばいいと思います。厚い作品ですが、イッキ読み間違いなしです!これは是非読んで欲しい作品です。

笹本稜平「天空への回廊」




自分探しと楽しさについて(森博嗣)

内容に入ろうと思います。
本書は、森博嗣の最新作で、集英社新書から出ている三部作(森博嗣は「自由」「工作」「小説」と呼んでいる)を出版した後、読者から多数相談があり、まあそれにちょっとは反応しないとかな、という感じで書いたもの、らしいです。
内容はまさにタイトルの通りで、各章のタイトルを書きだせば(これは森博嗣がつけたわけではなく、出版社の人間がつけたようですが)、

「自分はどこにあるのか」
「楽しさはどこにあるのか」
「他者はどこにあるのか」
「自分は社会のどこにあるのか」
「ぶらりとどこかへ行こう」

となります。
森博嗣のこういうエッセイを読むと、少なくとも僕には、『物凄く当たり前のことが書かれているな』と感じます。これは人によって捉え方が違うでしょうけど、でもそう感じる人は決して少なくはないだろう、と思います。
でも、それを読んで「目から鱗が落ちた」とか「物事の本質が掴めたような気がする」という気分になれるのは、たぶんだけど、『その当たり前のことが、どうして正しいのか』という理屈を説明してくれるから、だと思います。
僕らは普段、『当たり前だ』と思うことについて深く思考しないですよね。というか、深く思考しないで済むために、『当たり前だ』という箱の中に入れて考えないようにするわけです。それが効率がいいからですけど、でもそうなると、『何故その当たり前のことは正しいのか』といことについて、自分でも説明できなかったりぴったりくる言葉を見つけられなかったりするんですね。
でも森博嗣はそれを、的確な言葉や論理で説明してくれるんです。自分が『当たり前だ』と思ってきたことを、ちゃんと論理で補強してくれる。そんな気がします。だから読んでて、うんうん頷いてしまうことが多いんだろうなと思います。
どんな感じで話が展開されていくのか、部分部分を若干かいつまみながら書いてみようと思います。
まず森博嗣は、若者が自分探しをする傾向は昔からあったことで最近に特化したことではないと書きます(ただ、自分探しを容易にしやすくなったというような環境上の変化はある、と書いています)。結局若者が(あるいは最近は年配者もらしいけど)悩んでいるのは、『他者に見られたい「自分」と本来の「自分」とのギャップだ』と言います。
まあそうですよね。僕も昔はこれで大分悩みました。自分が他者からどう見られているのか、ということがとても重要だと感じられたし(今は別にそこまででもない)、自分をどう見せるのが最適なのかということばかり考えていました(これは今でもそうだけど、でも昔より強迫的な感覚ではない)。
ある時僕は、『自分が他者からどう見られているのか』ということを考えるのが限界で、『自分は世界中の人間から嫌われているのだ』という思考に切り替えることで生きやすさを手に入れました。どっちつかずの状態だからこそ悩むのであって、他者から嫌われているのだ、と信じることさえ出来れば、そういう悩みは軽減される、と今では冷静に分析できますが、まあ当時そこまでは考えてなかったでしょうね。
結果的に僕は、『周囲からどう見られるか』ということに鈍感になることは出来なかったです。それは今でもそうですが、それでは生きづらいんで、僕はどうしたかといえば、『なるべく期待されない人間になる』という戦略を取りました。周囲から期待されるからこそ、周囲に対してそういう自分を見せようとして辛くなるわけで、自分がなるべく期待されない存在になりさえすれば、『周囲からどう見られるか』という点について鈍感になれなくても、辛さは軽減されるだろう、とこれもその当時はそんな風に考えていたわけではないでしょうけど、今振り返って冷静に分析してみると、そうだったんだろうなぁ、と思います。
さて森博嗣は、ちょっと前の若者と今の若者の悩みがどう違うのか、という分析に入ります。昔の若者は、自分を高める手法として、『知識をたくさんインプットする』ということを重視しました。本を読んだり、知見を広めたり、ということですね。
しかし現代は、情報をインプットすることにさほど重点は置かれない世の中です。少し調べればどんな有益な情報も手に入るようになってしまったためです。そういう世の中では若者は、『用意されているシステムの中へ自分をインプットする』というやり方で自分をアピールするようになりました(この話は説明しにくいので詳しく書かないとして、具体例として森博嗣はコスプレを挙げていました)。
するとこうなる。『用意されているシステムの中へ自分をインプットする』ことで(例えばコスプレをすることで)、他者から見た自分を劇的に変化させることが出来る。しかし実際には中身の自分は何も変わっていない。変わっていたとしても本の僅かだ。情報を自分にインプットするタイプなら自分の成長を実感できるけど、用意されているシステムの中へ自分をインプットする場合は自身の成長が掴みにくい。そこが、今の若者たちが悩む大きなポイントになっている、と言います。
なるほどなぁ、と思いました。この議論は、「自分」というものが対象だとなかなか理解しづらいかもだけど、その次の「楽しさ」について書いた章では、もう少し理解しやすいと思う。
森博嗣はこの本の中で、「自分を探す」ことと「楽しさを探す」ことはほぼ同義だ、と書いています。そして、先程の話を「楽しさ」の議論で捉えれば、もう少し分かりやすくなると思います。
今世の中には、簡単にラジオを作れるキットと言ったような、用意されている「楽しさ」に溢れている。楽に、一番楽しい部分だけをいいとこ取り出来るように、多くの人がそういうものを提供してくれているのだ。もちろん、そういう用意された「楽しさ」でも十分楽しさを感じられる人はいるし、森博嗣はそれを否定していない。でも中には、そういう「楽しさ」には楽しさを感じられない人もいる。そういう人が結局自分探しをする傾向が大きい。
結局楽しさというのは自分で見つけ出すしかないし、そして時間を掛けなければ得られない楽しさもたくさんある、ということだ。
この章で、本書の中で僕が一番お気に入りのフレーズが出てくる。それが、
『道ばかり歩いていると、ついつい、道しか歩けないと思い込んでしまう。道以外も歩けることを、すっかり忘れてしまうのだ。』
というもの。これはそのままPOPのフレーズに使おうと思ってるんだけど、まさにそういうことだ。
また楽しさについては、犠牲がつきものである、とも書いている。現代人は、既に様々なものを生活の中に取り入れている。新しいことをやろうとすれば、必ず今ある何か(お金や時間など)を犠牲にしなくてはいけない。待っていても幸せはやってこない、ということを自覚しておかなくてはいけない。
僕は、みんなが「幸せだ」「楽しい」と感じることを、そう感じられないことが多い、ということにある時気づいた(別に天啓があったわけでもなくて、今振り返ってみればそういう風に考えたんだろうなぁ、というぐらいなんだけど)。ここで僕がいう「みんな」というのは、大体「マスコミ」という言葉と置き換えられるんだけど、マスコミが良いよ良いよと言ってくることの大半は、僕にはどうにも楽しいと思えないものばかりだった。特に子供の頃は、テレビもそうだけど、周囲の人間が「楽しい」と言うことに乗らざるおえない状況はよくあった。僕には楽しいと思えないことばかりだったけど、当時は楽しいと思えない自分の方が間違っているんだろう、と思っていたはずなので周りに合わせていたけど、大人になって、自分の判断で色々出来るようになると、わざわざ自分が楽しいと思えないことを周りに合わせてやることはないよな、と徐々に思えてきました。森博嗣も、「楽しさ」(自分の趣味など)になるべく他者を関わらせない方がいい、と書いています。僕もそう思います。他者と張り合ったり、認められたいと思ったり、勝ち負けにこだわったりすると、結局楽しめなくなることの方が多い気がする。まあ、まだ僕には邪念があって、「他者から認められたい」っていう部分についてはそう思ってしまうことがあるのだけども。
次に「他者」についての話になる。ここでの結論は実にはっきりしている。それは、
『君と僕の意見は違う。しかし、僕は君を認める』
ということだ。他者を認めるスタンスこそが、自分を確立することに繋がっていくのだ、と言います。なるほどな、という感じです。
この章で、マスコミが何かを伝えることに関して、こんな比喩が書かれていた。
ある人は5時間の睡眠で十分だった。しかし「睡眠時間は7時間以上必要だ」と教えられれば、「もっと寝なくては」という発想に囚われる。そう考えることで体調を崩すことにもなりかねない。
なるほど確かにその通り、という感じですね。他者を意識する度合いを減らした方がいいですよ、とアドバイスしている。
次の章では「自分」について書かれているけど、ここで僕が一番興味深かった話は「自殺」についてだ。森博嗣は、
『生きていても「楽しくない」から死ぬ、という理屈は、非常に正しい。これを論破することはかなり難しいだろう。』
と書いています。
僕は今こんな風に考えています。生きてても死んでても、まあどっちでもいいんだけど、でも死ぬのは「痛い」から嫌だな、と。死にたくない理由は、突き詰めて考えてみると(他の雑多な要因がちょっとずつ含まれるにせよ)、「死ぬと痛いから」だけに収斂しています。だからもし、手間もまったく掛からない(お金も時間も他者の手も掛からない)、そしてまったく無痛のやり方で死ぬことができる(僕が妄想しているのは、悪魔かなんかがやってきて、何かと引き換えに今すぐ無痛で死なせてやる、というような取引なんだけど)なら、それですぐ死んでしまってもいいかなぁ、という想いは漠然とあります。もちろん、実際そういう場面になっても「死にたくない」と思うかもしれないし、どうかわかりませんけど、少なくとも自分が頭で思考する範囲では、今の僕はそう考えています。
そして最後の章は全体のまとめ、という感じでしょうか。
冒頭でも書いたように、全体的にはやっぱり「すごく当たり前のこと」が書かれているという印象ではないかと思います。でも、それが何故正しいのかという理屈をつけてくれるのはやっぱり爽快で、読んでて頷いてしまいます。
僕自身は今、自分の生き方や自分自身に対しては、ほとんど悩んではいません。長い時間を掛けて、自分をこういうところに持ってくることに成功しました。森博嗣は、『他者に見られたい「自分」と本来の「自分」とのギャップ』を解消する方法は、他者に見られたい「自分」を低くするか、本来の「自分」を引き上げる努力をするしかない、と書いています。
僕はどちらかと言えば、他者に見られたい「自分」を大幅に引き下げた、という感じでしょうか。その過程で、さっきも書いたけど、自分がなるべく期待されない存在になるように努力をして、その結果ようやく他者に見られたい「自分」を引き下げることが出来たわけです。
人によっては、僕の生き方は『不幸』に映るかもしれません。でも僕は、少なくとも今は大いに満足しています。自分がやりたいと感じることはなるべくやれ、かつ、自分がやりたくないと感じることはなるべくやらずに済んでいるからです。
森博嗣はこんなことを書いています。
『金がかかる楽しみを目指す人は、金を得るだろう。金のかからない楽しみを目指す人は、金がなくても楽しめるだろう。金を目指す人や、金がないから楽しめないと諦める人は、楽しみは得られない。』
なるほど確かにそうかもしれない、という気がします。僕は金がなくても楽しめる人間で、わざわざ苦労してお金を稼ごうとは思いません。今の僕自身の生活で十分満足出来るし、もっとお金があったらこうしたいなぁ、と思うことはゼロではないけど、結局お金を手に入れたとしてもそんなことはやらないような気もします。今の僕の生き方は、将来的にはかなり酷いものになるかもしれないけど、将来のことを心配して今我慢する、なんていう生き方はしたくないんで、まあこれでいいや、と思っています。
本書を読んで顕著に感じることは、森博嗣のある種の『諦念』です。森博嗣は、自分の言葉が自分の望んだ通り受け取られることをかなり諦めている感じで(もちろん森博嗣は昔からそう思っていただろうけど、さらにその期待を下方修正した、という意味です)、そう思わせる【注意書き】のような文章が時々出てきます。まあ確かに森博嗣ほどの知能だと、自分が考えていることを相手に受け取ってもらうことはなかなか難しいだろうなぁ、という感じはします。僕は森博嗣ほどの知能はまるでありませんが、『言葉が通じない』ということについてなんとなく分かる部分もあります。
相変わらず森博嗣らしさに溢れた作品です。もちろん、森博嗣の文章を受け付けない人もいるだろうし、その考え方に憤慨する人も中にはいるのかもだけど、僕は凄く近いものを感じるし、物事の本質を衝いているなと思います。『もしかしたら役に立つかもしれないアドバイス』ぐらいの感じで読んでみるのがいいと思います。漠然とした悩みを持っている人(というのはかなり該当する人がいるでしょうけど)は是非読んでみてください。

森博嗣「自分探しと楽しさについて」




消された一家 北九州・連続監禁殺人事件(豊田正義)





内容に入ろうと思います。
本書は、北九州で実際に起こった凶悪な事件を扱ったノンフィクションです。
事件が発覚したのは、一人の少女が祖父母の元に逃げ出してきたことがきっかけだった。恭子というその少女は、一度主犯の男に連れ戻されるも、もう一度隙を見て逃げ出し、恐怖に縛られていた恭子を祖父母がなだめ、ようやく「父親は殺された」という証言を引き出したのだ。
それは、松永太と緒方純子(共に恭子や世間に対して別の名前を名乗っていた)による、信じがたい連続殺人事件発覚の幕開けだった。
恭子の証言は驚くべきものだった。まず恭子の父親である清志は監禁され衰弱死させられた。その後、緒方純子の一家6名をマンション内に監禁し、家族内でお互いを殺させ合い、その死体をバラバラにして棄てた、というのだ。
当初は恭子の証言を信じられずにいた捜査員たちも、松永と純子のアジトを発見し、その異様さから、とんでもないことが起こっていることを感じ取る。
松永と純子は逮捕され、前代未聞の「死体なき殺人事件」の裁判が始まる。
著者はその一審の裁判をすべて膨張し、独自の取材を重ねた上で、この異様な事件がどのように起こり、何故彼らはそうせざるおえなかったのかという内心に肉薄しようと試みる、という作品です。
これはちょっと、読むのが辛すぎました。僕は割とこういう事件もののノンフィクションでも結構平気で読める人間なんですけど、この作品はちょっときつかったです。
というのも、あまりにも悲惨だからです。大勢の人間が松永という人間に監禁され、奴隷のように扱われ、衰弱死させられたり家族内で殺しあわせたりし、さらに死体をバラバラにし棄てるところまでやらされるというのは、本当にやりきれないし、そういう生活をさせられてた彼らが本当に可哀想でなりません。
なにせ純子は著者に対し、拘置所での生活は天国のよう、と語っているほどです(この発言だけ抜き出してしまうと、純子という人間はまるで反省していないように思えてしまうかもですが、本書を読んでもらえば分かるとおり、そんなはずはありません。もっと誤解を招きそうな発言もありますが、それは書かないでおくことにします)。松永による支配があまりにも異常で、その生活と比べると拘置所内での生活はまるで天国なんだそうです。
監禁されていた彼らの生活は、酷いの一言では表現できない凄惨なものです。
部屋にいる時は玄関に入ったすぐのところで直立不動で立たされているか、浴室に監禁されている。寝るのは台所で、冬でも布団などは与えられない。トイレを使用できるのは一日一回で、それも大便の時のみ。小便はペットボトルにさせられていた。食事も、マヨネーズを塗っただけの食パンなど粗末なものばかりで、しかもそれを制限時間以内で食べなくてはならない。
それだけでも酷いが、さらに酷いのは、松永が「通電」と呼ぶものだ。これは身体に電気を通すというもので、懲罰的に行われることが多かった。しかもその理由は些細なものばかり。食事を制限時間以内に出来なかったとか、蹲踞の姿勢(通電の際は蹲踞の姿勢を取らされていた)が崩れたという理由でさらに通電したり、と言った具合だ。家族間に勝手にランクをつけ、そのランクが最下位の者に理由もなく通電することもあるため、家族内で皆が相手に対して不信になり、松永の歓心を買うために家族を平然と裏切ったり、松永の異様な指示に疑問を感じなくなっていったりするのだ。
松永は、「天才殺人鬼」だと本書で書かれている。まさにその通りだと思う。とにかく、『人を支配すること』にかけて天才的だったのだ。
通電もその手段の一つだが、松永の天才性はそれだけではない。普段松永は口が異常に巧く、巧みな話術で人をあっさりと信用させてしまう。人の懐に入るのが滅法うまく、誠実そうに見えるその外見と話術に、多くの人が騙されてしまうのだ。
そうやって、初めは実に誠実な感じを見せる。金づるになりそうな人間を見つけると、そうやって相手に取り入る。そして、相手の信用をある程度勝ち取ったとみるや、そこから暴力が始まるのだ。
有無をいわせぬ暴力、携帯電話による報告義務、思考能力を奪い去る通電など、様々なテクニックを駆使して相手の人格を支配し、松永に反対しようという意志を持つことはおろか、逆にいかに松永に迷惑を掛けずに行動することが出来るか、という思考を植えつけていく手腕は、まさに天才としか言いようがない。
正直僕は本書を読んで、松永という男に野心がなくてよかった、と感じた。こう書くと、被害者となった方々を冒涜しているようで申し訳ないのだけど、本心である。決して被害者となった方の死を軽んじているわけではないのだけど、その一方で、松永という男がその程度の男でよかった、とも思ってしまうのだ。例えば松永が政治家になろうと思ったら、恐らくなれてしまうだろうと思う。巧みな話術に加え、恐らく松永であれば、暴力を駆使しなくても相手を支配する方法などすぐ思いつくだろう。そういった才能を遺憾なく発揮すれば、恐らく政治家として駆け上がっていくことは容易だったのではないかと思う。
しかしそれは恐ろしい想像だ。他人に対する共感など持つことのない松永は、その人間支配のテクニックを使って、国民を恐ろしい方向へと導くことなど容易なのではないか。それこそヒットラーのように、恐ろしい独裁者になれるだけの可能性を持っているのではないか、と思う。そうなれば、日本という国が壊滅するのではないか、と本気で思う。
本書を読んですぐに連想したのが、貴志祐介の小説「悪の教典」だ。「悪の教典」の主人公である高校教師・蓮実聖司は、本書の松永とかなりダブる。蓮実聖司は暴力を使うことなく学校中を支配したという点で松永とは違うように見えるけども、松永が蓮実聖司と同じような企みを持って高校教師になったとすれば、恐らく同じような感じになっただろうと思わされた。「悪の教典」を読んだ時は、こんな人間が実際にいたら恐ろしい、と感じつつも、まさかここまでの人間が実在するわけがないだろう、と感じたのだけど、本書を読んでその考えが大きく変わった。僕の中で蓮実聖司と松永太は同列で扱うことが出来る。松永太という天才殺人鬼が実在したのなら、蓮実聖司も実在する可能性がある。「悪の教典」を読んでいたからこそ、松永の恐ろしさをより強く感じることになったのではないか、という感じもします。
被告の一人である純子は逮捕後、長い時間は掛かったものの、ようやく松永の支配から逃れ、自分のしてきた罪の深さを実感できるようになり、松永を含め、自分がしてきたことすべてを告白しました。純子の告白があったからこそ、死体なき殺人事件である本件はその全容が明らかになったわけです。純子は一貫して自らの罪を認め、松永による支配はあったものの、全面的に自分の非を認め、反省もしています。
しかし一方で松永の方はまるで違います。松永は、すべては純子が勝手にやったことであり、自分は殺人事件には一切関与していないと主張し、純子の主張とは相反する『作話』を裁判中もずっとし続けたとのことです。
松永は取調べ中、うっかりなのかどうか、「自分は責任を回避するために、自分が直接指示をすることはなく、相手にすべて決断をさせる」というようなことを言っています。純子の証言からも、松永のそうした言動は窺えます。家族を殺すのも、松永自身は指示を出さず、お前たちで決断しろと話し合いをさせ(もちろん松永は、自身が望んでいる答えに誘導するわけですが)、殺人や死体の切断などの実行行為には自分は手を出していません。そうした事実を逆手に取り、すべては純子や純子の家族が勝手に決断して勝手にやっただけだ、という荒唐無稽な主張を続け、最後まで反省の色を出すことはありませんでした。最高裁での判決は本書では触れられていませんが、二審でも松永は死刑判決を下されました。なんというか、そのことに、凄くホッとしています。
一方の純子は、一審では死刑判決が下されたものの、二審では無期懲役となりました。一審の際も、純子には死刑判決は下りないのではないか、情状酌量が認められるべきだ、という意見が結構多かったようです。控訴するかどうか最後まで悩んだ純子は、DVなどの部分をもっと法廷で明らかにしてほしい、と望み控訴します。
しかし、著者は控訴審には行けませんでした。色々と事情があったようですが、本書にとってはその点が画竜点睛を欠くという感じは否めません。控訴審では、純子のDVによる責任能力が取り上げられ、恐らく裁判史上初めて、事件当時関わっていたわけではないDVの専門家が法廷に呼ばれ、DVとは何かという説明を一からするという裁判になったようです。そういったDVに関する様々な判断が認められ、純子は無期懲役という判決になりました。控訴審こそこの事件の最も核心となる部分だと思ったので、それを傍聴できなかったというのはちょっとマイナスだなと思います。
読み通すのは、ちょっと辛い作品かもしれません。でも、松永の人間が存在しうるということ、そしてDVとは『そこから逃れることが出来ない』という点そのものが重要なのだということなど、本当に大切なことを知ることが出来る一冊だと思います。なかなか手に取るのに躊躇する作品だとは思いますが、なんとか機会を見つけて読んでみてください。

豊田正義「消された一家 北九州・連続監禁殺人事件」




プシュケの涙(柴村仁)

内容に入ろうと思います。
夏休み、数学の補習のためにまばらに教室にいた生徒の一部が、とある女子生徒が窓の外を落下していくのを目撃する。吉野彼方という名のその女子生徒は、登校拒否気味で援助交際をしているという噂もあった。
吉野の落下を目撃した一人である榎戸川は、学内でも有名な『変人』である由良に付きまとわれることになる。何故か由良は吉野の死に執着し、探りを入れているようだ。
『変人』由良に無茶苦茶に振り回されているようで、実は由良は真相解明への道筋を着実に歩いていた。由良が辿り着いたのは、やるせない哀しい真実だった…。
というような話です。
ちょっとある部分について一切触れないようにして感想を書こうと思うので、何だか安っぽいミステリみたいな内容紹介になってしまいましたけど、そんな感じの作品でもありません。裏表紙に『切なく哀しい不恰好な恋の物語』って書いてあるんだけど、確かにそんな感じの作品です。
なかなかよかったですけど、なかなか以上にはちょっと行かないかなぁ、という感じの作品でした。決して悪くはないです。ただ今ひとつパンチが足りないような気がするなぁ、という感じでした。
特に前半は弱いですね。由良という変人の存在が原動力となって物語は動いて行くんですけど、それでもやっぱり何か足りない感じがしてしまう。もうちょっと何かあれば、結構いい作品になる気がしました。
後半はなかなかいいと思います。この後半については基本触れないことに決めたので、内容に踏み込んであれこれ書けないですけど、前半の由良の印象がかなり大きく変わる辺りがいいと思うし、切なさに溢れている辺りも結構好きです。前半だけだとなかなか魅力が伝わりにくいけど、後半も合わせて読めばなかなかという感じです。
個人的には、吉野彼方が死に至る過程はもう少しやりようはあったんじゃないかなぁ、と思ってしまいますね。ちょっと残念なところです。
僕は変人が大好きなんで、由良はかなり好きです。とはいえ、実際こんな人間が近くにいたら困りますけど(笑)、遠目に見る分には凄く楽しいと思うし、意外と(なんて言ったら失礼かもだけど)いい奴だし、この由良というキャラクターに出会えたことはなかなかよかったなという気がします。
決して悪くはないけど、凄くいいかというとそうでもない、という感じでした。人に勧めるかと言われれば、そんなに小説を読まない人にだったら勧めてもいいかなぁ、という感じでしょうか。ただ、全体的な雰囲気はいいですし、こういう作品が凄く好きだ、という人もきっといるでしょうから、気になった方は読んでみてください。

柴村仁「プシュケの涙」




言葉の常備薬(呉智英)

内容に入ろうと思います。
本書は、日本語の色々な「へぇ」と思えるような話をたくさん載せている作品です。
なんていう書き方をすると、ただの雑学本かよ、って感じがしちゃうかもですけど、そんなことはまったくありません。僕はこの著者のことは知らなかったんですけど、人に聞くところによると、日本最強の評論家、なんだそうです。なんかとにかく凄い人みたいです。
この著者はまえがきとかで、自分は言葉の専門家ではない、と書いている。要するに、言葉を泉門に扱う大学の教授とかそういう立場の人間ではない、ということだ。でも言論人として明快な文章を書くために、少しは本も読んだし頭も使った。その経験を書いているわけです。
一つの話題について4ページでまとめていて、細切れの時間でも読める作品だと思うんですね。トイレに常備しておくとか、通勤時間の短い人でも二駅ぐらい電車に乗ってる間に一つの話を読めるような感じで、バッグにいつも入れておくなんていうのもいいかもしれません。
たぶんタイプは違うんだと思うんですけど、読んでると、内田樹の作品を読んでるみたいな爽快感がありますね。内田樹の場合は常識とか先入観を打ち破る感じですけど、呉智英の場合は知識とか教養を打ち破る、という違いかなという感じはします。
内容については、個別の事例に触れずに書くのは難しいんで、僕が面白いなぁと思ったもののウチ、あまりネタを割らずに面白さだけ伝えられそうなものを選んでちょっと抜き出してみようと思います。

・釈由美子というのは本名だそうだけど、この『釈』という珍しい姓の由来は?

・「舌鼓を打つ」は、「した・つづみ」なのか「した・づつみ」なのか

・「トヨタ」の創業者である豊田家は「とよだ」と読むのに、なぜ「とよた」 なのか

・「はやし」と「もり」では木の数は違うか?

・桃太郎の「おじいさんは山へ芝刈に、おばあさんは川へ洗濯に」の「山」は山ではない、という説があるそうな

・「餃子」は支那語では「チャオズ」と発音するのに、なぜ「ギョーザ」という発音になったのか

・「垂乳根」というのは母親の代名詞のように使われる。一般的には、何人も子育てをすると乳房が垂れてくるから、と説明されているが、本当にそうなのか?

・イタコなどで孔子を呼び出したりする時、孔子自らが「孔子じゃ」と言うのはおかしい(孔子が日本語を喋ってるから、とかではなく)

・「堂に入る」というのは短縮形の言葉らしい。元々は「堂に◯◯り、☓☓に入る」って言葉だったらしいです

・「お前の母ちゃん、デベソ」というのは何故罵る言葉として定着しているのか。母ちゃんがデベソであることがそんなに大きなダメージとは思えないではないか。

ネタを割らずに書けないものは省いてるんで、もっと「へぇ」というようなものはたくさんあったんだけど、どうですか、ちょっと面白そうじゃないですか?個人的には、「はやし」と「もり」の違いとか、「垂乳根」の本当に意味、「お前の母ちゃん、デベソ」はどうして罵倒語になったのか、辺りが凄く面白かったです。
また、まえがきのところで、産経新聞の校閲部長が紙上で珍妙なコラムを展開しているのを徹底的にぶった切るところがあったりして、これも凄く面白かった。確かに著者の説明を読むと、言葉で飯を食ってる人間にはあるまじきミスというか誤解というか無知なんではないか、という気がしてしまいますね。
とはいえ、きっと僕の日本語もなかなかに崩壊してるでしょうから、人のことは言えないでしょうけど、本書を読んで改めて、日本語の難しさと面白さを実感できました。
著者は日本語には厳しいけど、若者言葉にはさほど目くじらを立てることはあるまい、というスタンスのようです。もちろんメチャクチャな日本語を使っているのは不愉快だけども、あくまでもそれは一過性のもので定着することはほとんどない。それよりもむしろ、有識者やなんかが無知から間違った日本語を使っている方が大きな問題だよ、と言っています。確かに若者言葉なんて、自分が若者じゃなくなれば使わなくなりますしね。いや、最近は聞くところによると、会社に入ってからもとんでもない日本語を使う若者が増えてる、みたいな話を聞きますけど、どうでしょうかね。
この本は「正しい日本語」シリーズの一冊らしいんですけど(第一弾ではない途中の巻)、別にどこから読んでも大丈夫だと思います。なんか凄くスッキリした気持ちになれる話が多いんで、オススメです。難しい話も多少はありますけど、基本的には上で挙げたように、結構身近で使う日本語の話題が多いんで、結構楽しめるんじゃないかな、と思います。ぜひ読んでみてください。

呉智英「言葉の常備薬」




あぽやん(新野剛志)

内容に入ろうと思います。
本書は、空港で働く「あぽやん」を描いた6編の短編が収録された連作短編集です。
まず全体の設定を書いておきます。
大日本航空という航空会社のグループ会社である大航ツーリストで働く遠藤慶太は、29歳にして本社から成田空港所へと「飛ばされて」しまった(と本人は考えている)。通常空港勤務は、30代以上の人で本流から外れた人がやることが多い。29歳で空港に飛ばされた慶太は、上司に疎まれているからこんな人事になっているんだろう、と考えている。それでも、次の辞令が出るまでは、ここで精一杯仕事をしてやろうじゃないか、と思っている。
「あぽやん」というのは、空港のトラブルをなんでも引き受け、お客様のために全力を尽くす空港勤務の者を指す。昔はそういう人間に対する賞賛の言葉だったはずなのだけど、今では蔑称としてのニュアンスが含まれてしまっている…。

「笑って笑って」
成田空港所には、成田空港所へ何度も戻ってきている今泉というベテランがいる。「笑って」というのが口癖で、いつも誰かれとなく話しかけてはうっとうしがられている。なんとも掴みどころのない、言ってしまえば適当な人なのだ。
ある日、空港でトラブル。日系ブラジル人のお客さんが連れと一緒に出国しようとしているのだけど、その娘は再入国許可を申請していないため、一度出国すると日本に戻って来られないかもしれない、というのだ…。

「ファミリー・ビジネス」
堀之内という上司は、営業からの依頼をなるべく断るようにしている。空港では何が起こるか分からないから、なるべく身体を空けておかなきゃいけない、ということだ。
しかし空港に勤務し始めて、急速にかつての上司や同僚などから忘れられていることに気づいた遠藤は、営業からの依頼を積極的に受けることにしたのだ。そんな遠藤を堀之内はたしなめる。
ある日のこと。遠藤を空港勤務に決めた元上司から依頼。しかも今泉からも同じ日に別の依頼。なんとでもしてやるさ、と意気込む遠藤だったが…。

「オンタイム」
ついこの間別れた彼女が、新しい男(だと思う)を連れて慶太の勤務する成田空港にやってきた。やっぱり彼女がいないのは寂しい。
今慶太には気になっている女性がいる。古賀恵という別フロアで働く女性で、慶太は彼女の誕生日の日飲みに行きましょうと誘った。オンタイムで上がれば、彼女が誕生日である時間帯にギリギリ間に合う。
その日。何故か慶太の班のメンバーは、オンタイムで上がった後デートだということを知っていた。しかしそんな日に限ってトラブルが続き…

「ねずみと探偵」
業務内容の削減により、成田空港所はスタッフの削減をしなくてはならなくなった。慶太も自分の班からリストラする人間を決定しなくてはいけない。女性ばかりの職場は疑心暗鬼になり、ギスギスしている。
そんな中、今泉と堀之内が「ねずみの仕業」と呼ぶ、とんでもないトラブルが発覚し…。

「金の豚」
成田空港所には、住田という定年間近の所長がいる。普段はパーティションの奥の<砦>にいて全然存在感がないのだけど、見た目の貫禄もあるのだろう、今泉や堀之内でも手こずるトラブルを5分で解決したりする。
そんな所長の元に、テレビカメラが密着することに。20年前ある番組の密着を受けたことがあり、定年間際でどうなっているのかという取材になるらしい。
それが一つのきっかけになったのか。住田所長は、眠れる獅子を起こしてしまったかのようなウルトラCを決める…。

「不完全旅行」
NO-RECという、かなり起こる可能性の低いトラブルが一日に立て続けに発見された。調べてみると、少し前に失踪したある社員の仕業なのではないか、と疑われることになった。もしかしたら他にもNO-RECが仕込まれているのではと調べると、出るわ出るわ。
そんな慶太は、大学時代の友人から、自分が起業した会社に来ないか、と誘われる。自身が成長しているのかまるで分からないでいた慶太は悩んでしまう…。

というような話です。
これはなかなか面白い作品でした。ジャンル分けすれば「お仕事小説」と呼ばれるタイプの作品ですね。僕はこの作家は、1作読んだことがあるかないか、という感じですけど、ハードボイルドタッチのミステリを書く作家、だというイメージがあったんで、こういう作品も書くんだなぁ、と驚きました。同じようなことは解説で北上次郎も書いています。
空港での仕事って、その中身についてほとんど知らなくても、トラブルだらけなんだろうなぁ、という気がしますよね、なんとなく。で、そのイメージはやっぱりその通りで、空港ではトラブルだらけなんです。飛行機に乗ったことがある人って割といると思うけど、空港って通り過ぎるだけで、特に注目して見てたりしませんよね。そういうまるで知らない世界についてのエピソードが知れる、というだけでも十分この作品は面白いと思います。
でもやっぱり、キャラクターがなかなか見事だと思うんですね。主人公の慶太だけじゃなくて、頻繁に名前の出てくる主要なキャラクターは、かなりきっちりと肉付けされています。分かりやすい一面的な人間なんじゃなくて、こういう風に見えるけど実はこういう面もある、的な描写が、メインのストーリーとうまく絡みあった形で描かれるんで、巧いなという感じがします。
特に、今泉とか結構好きです。ちゃらんぽらんに見えるけど、実は熱い。お客さんのためということならかなり無茶も出来る。それは堀之内もまあ割と似たようなところはあるんだけど、今泉の場合は普段がちゃらんぽらんだから、余計にギャップがいいなぁ、という感じがします。
慶太は一生懸命なんだけど、まだ一年目で余裕がない感じです。気負うばっかりに、いらんミスをしたり、余計なトラブルを引っ張り込んできたりする。でも一生懸命さは伝わるから周りはフォローしちゃう、みたいな感じですね。慶太にはまだ、今泉や堀之内みたいな、お客様=家族とかそういう実感は持てないでいるんだけど、それでも、お客様を笑顔で空港から飛び立たせたいという想いは強く持っていて、そういう想いをベースに行動してるんで、読んでいて爽快感があったり応援したくなったりするんだろうと思います。
トラブルばっかりじゃなくて、空港所内のちょっとした人間関係だったり、トラブルとは関係ない形でのお客さんとの交流とか、そういうのも楽しくて、読んでて楽しい小説だなぁと思いました。
気軽に読めて、結構ストーリーも面白くて、感動したり共感できたりもして、あー楽しかったなぁ、と思える小説だと思います。ぜひ読んでみてください。

新野剛志「あぽやん」




ヴィーナスの命題(真木武志)

内容に入ろうと思います。
夏休みに入って間もない月曜日、学校のグラウンドで生徒の死体が発見された。校舎の窓から転落したように思える。自殺なのか、それとも他殺なのか。学内に存在する、数々の『天才』や『奇人』や『異才』が、続発する不可思議な出来事を咀嚼し、解釈していく物語。
としか僕には内容の説明が出来ないなぁ。いやぁ、物凄く読解力を必要とする物語で、僕にはちょっと太刀打ちが出来ませんでした。
一言で表現すれば、『難解な西尾維新』という感じ。
読み始めは、よくある学園ミステリかと思ったんですけど、これがまったく違う。徐々に、混沌としていくのだ。衒学的な話題が出てきたかと思うと、オカルティックな設定が出てきたり、思想のやり取りがあったりと、とにかく普通のミステリじゃない。っていうか、普通の高校生じゃないし。
文体も、一人称と三人称が入り交じり、しかも視点人物が大量に存在して、短い断章毎に目まぐるしく入れ替わっていく。時系列もかなり入れ替わっていて、主語が誰なのかはっきりわかりにくい文章もたくさんあって、とにかく物語の筋を追うのが実に難しい。
巻末の推薦文で綾辻行人氏が、
『この作品は、誰もが気軽に読めて文句なしに「楽しむ」ことのできる類の小説では、必ずしもないかもしれない。決して、「難解」なものではないけれど、十二分にこの作品を「楽しむ」ためには、「読み解いていく」ことに対する読者側の相応の積極性と、おそらくはあるレベルの知性・感性が要求される。隅々まで考え抜いて書かれた良質の本格ミステリであることは保証できるが、最後まで読み通しても事件の犯人や真相がよく分からないという人がいない保証はできない。』
と書いていて、まさに僕には、事件の犯人や真相がよく分からない作品でした。自分の読解力のなさを改めて突きつけられる作品だな、と思います。
たぶん、一度読んだだけできちんと理解できる作品ではないんだと思います。何度か読んで、隅々まできっちりと読解すれば、きっとこの作品の真価を理解することが出来るんだろうと思います。でも、僕にはちょっとその気力はないなぁ。何度読み返しても理解できなさそうな気がします。表紙の感じからはまるで想像の出来ないタイプの作品で、ちょっとびっくりしました。
僕個人は正直あんまりオススメは出来ないんだけど、たぶん凄い作品なんだろうと思います。僕は小説の読解力に欠けた人間なので、この作品を読み解くことは困難ですが、ある程度読解力があるという自覚があって、かつ何度か繰り返して読むだけの覚悟がある人は、読んでみたら素晴らしい出会いになるのかもしれません。

真木武志「ヴィーナスの命題」




パラドックス大全 世にも不思議な逆説パズル(ウィリアム・パウンドストーン)

内容に入ろうと思います。
本書は、『逆説』というものをキーワードとして、哲学・論理学・物理学・数学・情報処理・ゲーム理論など、様々な分野における知識をまとめあげた作品です。
本書で扱われる『逆説』は、俗に「嘘つきパラドックス」と呼ばれるようなものが代表的だ。クレタ人が、「クレタ人はみな嘘つきだ」と言った、というような、誤謬や常識の誤りなどにはよらない、そのものに内包された矛盾によって導きだされる『逆説』である。
『全知の逆説』『トムソンのランプ』『囚人のジレンマ』『ゼノンの逆説』『オルバースの逆説』『ニューカムの逆説』などなど、ありとあらゆるジャンルにおける『逆説』を取り上げ、そこでどんな議論がなされてきたのか、『逆説』を解消する手段は存在するのか、その『逆説』からどんな知見が得られたのか、などが描かれていく作品です。
とにかく僕にはちょっと難しい作品でした。確かに作品としては、かなり知的好奇心に満ちあふれた良書だとは思うんですが、ちょっと難しいなと。
それは、「理性の限界」や「翔太と猫のインサイトの夏休み」と言った、本書と同ジャンルを扱った、それでいてもっと平易に書かれた作品を読んでしまっているから、という部分もあるんだろうなぁ、と思うんです。
本書では様々な分野の話が取り上げられますが、本書で扱われている内容は、「理性の限界」「知性の限界」「翔太と猫のインサイトの夏休み」の三冊を読めばかなりカバー出来てしまう気がします。もちろん、その三冊では取り上げられていないこともありますが、その三冊の内容のわかりやすさを考慮すると、多少扱われている分野が少なかろうが、その三冊を読む方が圧倒的に知的好奇心を満足させることが出来るような気がします。
実際、知らない話ももちろんありましたが、本書で描かれていることのほとんどはその三冊を読んだ経験から知っている知識でした。僕としては、本書一冊を勧めるより、先に挙げた三冊を読む方を勧めたくなります。
原書の文章が難しいのか、あるいは訳になんらかの問題があるのか分かりませんが、文章がどうも難解だという印象を受けました。正確さを失うことなく、もう少し平易な文章にすることは出来るだろうなぁ、と思ってしまいました。文章を読んでいても、どうも論理を追いにくい部分があって(僕の理解力の問題ももちろんあるでしょうけど)、難しいなぁという印象が強かったです。面白いテーマを多々扱っているだけに、文章の難解さはちょっともったいないな、という気がしました。文章をもう少し平易にした超訳版みたいなのを出せば、かなり良い作品になるんじゃないかなぁ、と思うんですけども。
とはいえやっぱり、扱われている内容は非常に面白かったです。『逆説』をテーマに、あらゆる分野からこれだけのトピックを集めてくることが出来て、そしてそれらについて詳細に解説を加えることが出来るというのは、かなり大変なことだろう、という気がしました。個人的には、本書で描かれていることについて、「理性の限界」「知性の限界」の著者である高橋昌一郎さんによる「超訳版」を読みたいなあ、という感じです。
面白いは面白いんだけど、難しい内容を難しいまま解説しているという点で、正直そこまでオススメ出来る作品ではありません。本書を読むなら、「理性の限界」「知性の限界」「翔太と猫のインサイトの夏休み」の三冊を是非読んでみてください。

ウィリアム・パウンドストーン「パラドックス大全 世にも不思議な逆説パズル」




海に沈んだ町(三崎亜記)

内容に入ろうと思います。
本書は9編の短編が収録された短篇集です。

「遊園地の幽霊」
遊具がまったく動かない遊園地にいる夢を頻繁に見る女性。不安に感じて医者に行くと、それは「遊園地の幽霊」のせいだ、と言われる。あなたが住んでいる辺りは昔遊園地で、その周辺に住んでいる人は一様に同じ症状を訴えるのだ、と。

「海に沈んだ町」
大昔に飛び出して以来帰ったことのない故郷が、海に沈んだらしい。妻に、一緒に見に行きましょうと言われてしばらくぶりに帰ることに。

「団地船」
団地がそのまま船になった団地船。かつては一世を風靡し、時代の最先端としてもてはやされた団地船ももう今となっては廃れてしまった。かつて団地船に引っ越していった同級生のことを思い出す。

「四時八分」
午前四時八分で時間が止まってしまった町。旅人はその町を通り抜けるのに、その町のガイドを必要とする。

「彼の影」
影が反乱を起こし、自然の法則に従わなくなってしばらくしてからも、私の影はそれまで通りだった。でもある日私の足元に、別の男の人の影がきてしまった。

「ペア」
ペアはお互いに何か素晴らしいものを生み出す、その可能性を秘めた関係性なのに、私はパートナーのためになっていないどころか、邪魔ばかりしているのではないかと思う。恐る恐る、パートナーにペア解消の手紙を出してみる。

「橋」
丘陵を切り開いてできた住宅街の前にある橋を付け替えるので賛同して欲しい、という女性がやってくる。しかしその女性、あの橋は交通量が少ないから、今よりももっと粗雑な橋に付け替えるのだ、と言ってきかない。

「巣箱」
この町でだけ、何故か巣箱の大量発生に見舞われている。見つけ次第すぐにたたき壊さないと、取り返しのつかないことになってしまう。噂では、わざとたたき壊さずにいる人がいて、その人のせいで大量発生が起こっているのではないか、とまで言われているのだが。

「ニュータウン」
ニュータウンがどんどんと減少していって、ついに最後の一つになった時、政府はそのニュータウンの『保護』を決断した。周囲に鉄条網を張り、中の住人を外に出さず監視し続ける。『ニュータウンの文化を汚さないため』という名目で軟禁生活を余儀なくされた人々と、その監視を任務とする人々。

というような話です。
まあまあ、という感じの作品でしょうか。
これは恐らく、作品自体がどうこうと言うよりも、僕の『慣れ』が原因だろうなぁ、という気はします。
三崎亜記という作家は、僕の表現で言えば『日常の延長上にある奇想』をメインに物語を作る作家だと思います。『遊園地が夢を見せる』とか『午前四時八分で時計が止まっている』とか『影が反乱を起こす』とか、『粗末な橋に付け替える』とか、そういう、現実には起こりえないけど、現実とある程度陸続きだなと感じられるような、そういう設定を巧みに作り出して物語を生み出しているなぁ、と思うんです。
三崎亜記という作家が出始めた頃は、その『奇想』が物凄く新鮮だったんですね。「となり町戦争」はびっくりしたし、「バスジャック」もかなり好きです。でも、段々その『奇想』に僕自身が慣れていってしまったんだと思うんですね。あまり新鮮さを感じられないようになってしまった。それで、あまり物語を楽しめなくなっているんだろうなぁ、という気がします。
あと、本書に特徴的な点としては、一編一編がちょっと短いんですね。最後の「ニュータウン」だけはある程度まとまった長さがあるけど、他はかなり短いです。ほとんど、設定だけ提示して終わってしまうような作品が多くて、ちょっともったいない気もしました。もう少し長さがあれば、それぞれの話の魅力がもう少し引き出せるような気がするんですけども。
でも、三崎亜記の作品に通底する、『人間以外の「何か」としか表現しようがない存在による意志』みたいなものはさすがだなと思います。無機物や自然や、あるいは名前をつけるとしたら『神』とでも呼ぶしかないようなものたちが意志を持つ(持っているように見える)という雰囲気は大抵どの話にもあって、これはさすがだなと思います。特に、無機物が意志を持っている風に思えるような話は結構面白いと思いあmす。
僕がこれはよかったなと思う話は、「彼の影」と「橋」と「ニュータウン」。「彼の影」は、ありそうでなかった感じの話で、ラストは正直もうちょっと別の形がよかったけど、設定が凄く面白いです。「橋」は、みすぼらしい橋に付け替えることは当然だという女性の意見に、真っ当な切り返しがなかなか出来ないでいる姿というのが面白いです。こういう事例って意識してないだけで、結構日常の中にもあると思うんですよね。凄くおかしなことを言ってる人間の意見が何故か通っちゃう、みたいな。
それの最たるものがラストの「ニュータウン」で、これはある程度長さもちゃんとあったからだと思うんだけど、面白い作品だと思いました。ニュータウンを保護しなくてはならなくなったいきさつ、そこからの惰性、そして事態の急変と、物語としても実にうまくまとまっているという感じがしました。なんとなう読んでて、マンガを規制する都条例に繋がる違和感を覚えたりもしました。
まあそんなわけで、三崎亜記の作品に触れたことがない、という人に勧めるのはアリだけど、三崎亜記の作品に結構触れている人にはそうオススメも出来ないかな、という感じの作品。やっぱり、一編一編の長さがちょっと短すぎるというのは、この著者の作風にはちょっと致命的かな、という感じもします。

追記)amazonのレビューでは、かなり評価の高い作品でした

三崎亜記「海に沈んだ町」




地獄番鬼蜘蛛日誌(斎樹真琴)

内容に入ろうと思います。
女郎だった女は、死後閻魔に啖呵を切って鬼蜘蛛にしてもらった。鬼蜘蛛の役目は、地獄の鬼の御用聞きと地獄の見回り。亡者をいたぶるのに忙しい鬼の手伝いをしたり、地獄の様子を閻魔に伝えるのだ。
地獄の様子を閻魔に伝えるその一つが、閻魔に頼まれて書くことになった日誌だ。物語は、鬼蜘蛛が書いた日誌、という形式で最後まで続いていく。
地獄は、亡者に恨みを持つ者が鬼となり、亡者をいたぶる場だ。鬼たちは、生前の自分の生き方を後悔し、その悔いを八つ当たりするようにして、亡者を苦しめる。鬼蜘蛛はそんな鬼たちの手伝いをしながら、一方で、いつか閻魔をぶっ飛ばしてやりたいと思っているのだ。
『貴方は、生きて苦しんでいる者が過ちを犯すその前に、生きてゆけると思えるような何かを与えていますか。』
鬼蜘蛛のその問いは、鬼蜘蛛の頭に残り続ける。地獄の天上に空いた穴から見える青い空は、希望なのか、それとも…。
というような話です。
小説現代長編新人賞を受賞した、新人のデビュー作です。解説によれば、選考会でも当初は物議を醸しだした作品だったようなんですが、荒削りな部分はともかく、その圧倒的な熱量みたいなものが評価されて受賞に至ったようです。
正直僕には、ちょっと合わない作品でした。amazonなんかでも結構評価は高いんですけど、僕はダメでした。
凄さは伝わってくるんです。新人のデビュー作とは思えないほどの力強さはなかなかのものだなと思いました。地獄という、完全に想像の世界の描写を、これほどまでに圧倒的に描き出せるというのも凄いと思うし、鬼蜘蛛の、地獄番としての役割への葛藤や、閻魔への恨み、それから自分の人生の来し方なんかを描いている様は、なかなかのものだと思うんです。
そうは思うんですけど、でもどうにも僕には合わなかったんですね。選考委員の一人だった杉本章子氏は、この物語とは寄り添えなかった、と言っていたそうですが(ただ、他を圧倒する妖しさと情熱と暴走には感嘆した、とも書いていますが)、僕もまったくそうで、この物語にはどうしても寄り添えなかったんです。読みながら、どうしてダメなのか考えてみたんですけど、どうもうまく思い浮かばないんですね。僕には合わない物語だった、としか言いようがないんです。
天上に空いた穴から青い空、という設定は巧いと思いました。もしこの作品に、この要素がなければ、ちょっと読むのを諦めていたかもしれません。地獄の天上に穴が空いている、という設定は、その意味するところはよく分からないまでも、作品全体にいい刺激を与えていた設定だなと思いました。
僕的にはちょっと合わない作品なんですが、合う人が読めば凄く良い小説なのかもしれない、と思わせる作品ではありました。新人とは思えない力強さは凄いです。

斎樹真琴「地獄番鬼蜘蛛日誌」




しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術(泡坂妻夫)

内容に入ろうと思います。
舞台は、惟霊講会という、戦後巨大化した宗教団体。華聖という教祖が立ち上げたもので、日本でも五本の指に入るほどの団体となっている。
その惟霊講会には、「しあわせの書」と呼ばれる文庫本サイズのパンフレットみたいなものがある。惟霊講会の来歴や教えが書かれているもので、中身は大したことが書かれているわけではないのだけど、信者は大抵持っている。
恐山でイタコだと間違われて適当な口寄せをしてしまったガンジー先生は、二人の弟子と共に、ひょんなことからこの惟霊講会と関わることになってしまった。死んだはずの惟霊講会の信者たちの姿が、死後も目撃されているという話を相次いで耳にした彼らは、惟霊講会内部に潜入。後継者問題に揺れているらしい惟霊講会内部で、後継者を決めるためのある試練が行われようとしているらしいのだが…。
というような話です。
本書は正直なところ、ストーリー自体はさほど大したことはありません。新興宗教の後継者問題に絡んで、ガンジー先生が変なことに巻き込まれるのだけど、最後の最後でギリギリある人物の企みを阻止する、というような感じです。ミステリとして多少面白い仕掛けもあるけども、ストーリー自体はさほどどうこうというものでもないなぁ、という感じでした。
まあ決して悪くもないと思いますけどね。それなりには読めます。ただ、ストーリーの核となる部分がなんなのかいまいち分かりづらくて、そこが読んでいてもどかしかった部分もあります。一応ガンジー先生らが、惟霊講会って宗教はなんか怪しいぞ、ということで色々首をつっこむんだけど、でもなんとなく怪しいということが伝わってくるだけで、何が問題なのかいまいちわからない。最後の最後で『解決』するんだけど、そもそも問題が明確に提示されていなかったような気がするんで、あんまりスッキリという感じではなかったなぁ、という感じなんですね。
ただ、ストーリーとは別に、この文庫本に仕掛けられたあるトリックは驚愕すべきものがあります。いや、ホント驚きました!これは人に話したくなるなぁ。もちろん裏表紙の内容紹介に「未読の方には明かさないでください」って書いてあるし、やっぱりこの驚きを実感してもらうために言っちゃいけないんだけど、言いたくなる。よくこんなことやったもんだよ、という感じです。こっちの『トリック』の方には完全にしてやられました。こんな無謀なことをやりきった著者に拍手をしたい感じがします。
何度も書くけど、正直ストーリーはそこまで大したことはありません。でも、本自体に仕掛けられた『トリック』に驚愕するためだけにこの本を読む価値はあると思います。ホントにびっくりしました。是非読んで、このビックリを体験して欲しい、と思います。

泡坂妻夫「しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術」




ピエタ(大島真寿美)

内容に入ろうと思います。
舞台は、18世紀のヴェネチア。そこには、ピエタと呼ばれる慈善院がある。スカフェータと呼ばれる、子供を育てられる環境にいない母親が子供を捨てるスポットがあり、ピエタではそうした捨て子を育てていた。
エミーリアとアンナ・マリーアも、ピエタに捨てられた孤児だった。エミーリアは、ピエタを支える裏方としてピエタに長いこと奉仕しているし、アンナ・マリーアは、<合奏・合唱の娘たち>の副長として、ピエタを引っ張っていく立場だった。
<合奏・合唱の娘たち>というのは、ピエタ内に設けられた音楽院である。ピエタでは孤児たちに、それぞれの才能や適正に見合った教育を施すのだけど、特に音楽的な才能を持つ人間は優遇される。その中でもアンナ・マリーアは圧倒的な実力の持ち主で、内外に多くのファンを獲得していた。
ヴィヴァルディ先生は、<合奏・合唱の娘たち>指導者としてピエタと深く関わっていた。アンナ・マリーアと親しかったというだけの理由で、音楽的な才能がそこまでなかったエミーリアも、ヴィヴァルディ先生の直接の指導を受けることが出来た。アンナ・マリーアはヴィヴァルディ先生の音楽に惚れ込んでいた。
そのヴィヴァルディ先生がウィーンで亡くなったという知らせが届く。
ピエタは、寄付で成り立っている施設だ。だからエミーリアは、寄付の申し出をしてくれる貴族の元には足を運ぶ。
ヴェロニカも、そんな貴族の一人だ。ピエタの娘ではないのに、ピエタの有力な後援者の娘だという理由で<合奏・合唱の娘たち>の練習に顔を出していたヴェロニカ。そのヴェロニカから、エミーリアはある依頼を受ける。ヴィヴァルディ先生の楽譜を探して欲しいのだ、と。ただの楽譜ではなく、裏にヴェロニカが詩を落書きしてしまった楽譜がどこかにあるはずなのだ、と。その楽譜を見つけてくれたら、大口の寄付をしましょう。ヴェロニカはそう言った。
エミーリアはあてもないまま、一応楽譜を探す努力はしてみることにした。そうやってエミーリアは、それまで関わりのなかった人たちと会うことになるのだが…。
というような話です。
これはかなり素敵な作品だと思いました。僕はヴィヴァルディという作曲家が実在の人物だと思わずに読んでましたが(帯にちゃんと、史実を基に、って書いてあるんですけどね)、こういう陳腐な表現は避けたいところだけど、『古き良き時代』の質感というか手触りみたいなものが滲みでてくるような作品で、素敵です。
物語自体は正直、特にこれというようなものがあるわけではありません。物語の冒頭こそ、楽譜を探すというところから始まるし、一応最後の最後までそれが大きな目的の一つではあり続けるんだけど、それがメインかというとそうでもない。じゃあ何がメインなのかというと、これも実に答えにくいんだけど、『ヴィヴァルディ先生の死と楽譜探しによって関わり合いを持つようになった人々との交流の日々』という感じの作品だと思います。
何よりも、生活の描写が素晴らしいと思う。僕は歴史とかホント全然知らないんで、18世紀のヨーロッパがどういう状況なのか知らないで(どうも遠くの方で戦争が始まりそうとかなんとかっていう状況らしいけど)、ここで描かれていることがどれだけ当時のことを活写しえているのかは判断できません。でも、自分を取り巻く様々な制約の中で、決して望んだ人生を送れるわけではない彼女たちの、静かな日常の描写が本当に見事だなと思います。
ピエタの人間は基本的に、気軽にピエタの外には出ていけないのだけども、エミーリアは楽譜を探すという名目上外に出ていき、様々な立場の人と会うことになる。ヴィヴァルディ先生の姉妹や、ヴィヴァルディ先生と共に公演をしていた歌手のジロー嬢、またコルティジャーナ(これが何なのかはここでは書かないことにするけど)など、ヴィヴァルディ先生と関わりのあった異なる立場にいる人達と出会うことになる。
この時代、身分の違いは、人生が交差しないも同然だった。貴族に生まれた者とそうでない者とは、基本的に関わりあうことがない。しかしエミーリアはそういった中で、様々な立場の人と結果的に関わる立ち位置にいた。エミーリアは、自分の寄って立つ場所を、自分の生き方を、他者との対比で実感していくことになる。それは、決して悲観的なものではない。『ピエタで生まれ育った』という自らの寄って立つ場所に、どうしようもない憤りを感じたこともあったのだけど、基本的にエミーリアは、自分はいい人生を送ってきた、と思っている(はず)だ。そういうことがジワジワと伝わってくる。エミーリア自身は、感情をあまり表に出すような人間ではないし、全体に抑制の利いた文章なのでその変化は大きく見えないのだけど、楽譜探しから始まった数々の出会いはエミーリアに、自分の生き方を肯定するだけの何かを与えたのだろうな、と思いました。
エミーリアを始め、この作品に出てくる多くの人々は、本当に慎ましやかに生活を営んでいる。僕らが生きている時代と比べると、豊かさの質が全然違うのだろうな、と思う。もっとささやかなことに大きな喜びを感じることが出来た、そんな時代なのだと思う。そういう部分も、本当に丁寧に描き出していると思いました。
登場人物たち、特に女性の生き方がカッコイイなと感じることが多かったです。特にクラウディアとヴェロニカはかなり好きです。
クラウディアがどんな人物なのかはちょっと書かないけど、その存在感とか、度量の広さとか、人生に対する考え方とか、そういうものは素敵だなと思うことが多かったです。まさに、カッコイイ女性、という感じ。この当時煙草があったのかよく知らないし、あったとしても女性が吸ったら大変とかそんな時代だったりするのかもだけど、クラウディアは凄く煙草が似合いそうだなぁ、と思いました。
ヴェロニカは、ピエタに寄付をする貴族。当時は貴族が政治をすべて担っていた時代だったのだけど、ヴェネチアの貴族はダメになってしまった、と言われていた。そんな中にあってヴェロニカは、クラウディアからこういう貴族こそ必要なのだ、と言われたりする。エミーリア相手だと、昔のよしみがあるからかくだけた感じになるものの、ラストでのとある決断はお見事という感じだし、最後の最後のシーンは本当に素晴らしいと思う。でも一番僕が好きなのは、カーニバルの夜、エミーリア相手に弱気になっていたヴェロニカの姿。誇りを失わないで弱音を吐くという難しいことをやってのけるヴェロニカは、ちょっとカッコイイなと思いました。
正直、読み始めてからしばらくは、あんまり自分には合わない作品なのかな、と思っていました。でも、中盤から後半に掛けて、どんどん好きになっていきました。少しずつジワジワと侵食されていくように物語に没入していく、という感じでした。ベタな表現ですが、作品全体が『美しい旋律で奏でられる音楽そのもの』という感じがします。静かさをたたえつつ力強くもあるその音色は、ゆっくりと読む人の内側に届くのではないかと思います。是非読んでみてください。

大島真寿美「ピエタ」




盛岡さわや書店奮戦記(伊藤清彦)





内容に入ろうと思います。
本書は、今や伝説となったある一人の書店員(現在は退職されている)へのインタビュー形式の作品です。
その伝説の書店員というのが、伊藤清彦さんです。僕も正直、しばらくは知らなかったんですけど、ツイッターで盛岡のさわや書店さんと関わりが出来て、それから伊藤さんのことを知るようになりました。
伊藤氏は20代半ばまで本を買っては読みまくるという生活を続けた後、さすがにちゃんと働かないとマズイということで、山下書店というところでアルバイトを始めます。山下書店というのは、ファッションビルの5Fにあった、50坪ほどの店だそうです。しばらくして文庫の担当になった伊藤氏は、そこでとんでもない結果を次々と生み出すことになります。
手描きPOPを独自に考え出し(当時もう既に手描きPOPという発想はあったかもしれないけど、伊藤氏はそれを知らず、自分で考えたと思う、と言っています)、新刊や話題作ではない作品を大きく展開することで、4桁の売上を達成する作品を次々と生み出していきます。「Dr.ヘリオットのおかしな体験」という本は5年掛けて5桁売ったそうです。凄すぎます。
当時の書店というのは出版社や取次主導という側面が大きかったようで角川文庫と新潮文庫が棚のほとんどを占め、あとは申し訳程度に他の文庫がある、というような感じだったようです。伊藤氏はその棚構成を変え、また角川文庫のような放っておいても売れるようなものは奥にやり、手を掛けないと売れないような作品を全面に押し出すことで、信じられないような売上をたたき出すことになります。
その後同じく山下書店の20坪ほどの店の店長となり、そこでも驚くべき成果を出します。20坪の店に、「別冊マーガレット」という雑誌が300冊も配本されるようになるとか、ちょっと異常です。また、実績をどんどん積み上げていったために出版社とも繋がりが出来、文庫の新刊を初回で1000冊確保するとか(何度も書きますが、20坪の店に初回で1000冊というのは異常な冊数です)いう暴挙も出来るようになりました。
その後家の都合で地元岩手に戻らなくてはならなくなった伊藤氏は、山下書店の紹介で、地元のさわや書店に入社することになります。当時さわや書店は、全国ではもちろん、岩手県内でも無名という書店でした。
地方書店というのは当時東京以上に壊滅的だったようで、古参の女性スタッフが伊藤氏の仕事に嫌がらせをしてくるなどしょっちゅうで、こうすれば売れるのに、ということをやらせてもらえないという状況が続きます。一度は社長に、ここではやれない、と辞める意志を見せますが、なんとか踏ん張って自分なりの店作りをし、『岩手に伊藤清彦あり』と言われるまでの書店員になったのです。
本との関わりからさわや書店のスタイルを築きあげるまでを語った作品です。
僕も書店員なので、本当に素敵な本だと思うし、役に立つ作品だと思いました。本書を読んで、僕が理想とする書店というのは、まさに伊藤氏が言うような書店なんだよなぁ、と思いました。
今、割と多くの書店は、昔よく言われた「金太郎飴」のような書店になっている感じがします。つまり、新刊や話題作ばかりが置かれていて、その書店の独自性のないところが多い、ということです。
もちろん、僕も書店で働いているんで、色々難しいというのは分かっています。売れるものを売って売上を確保しないといけないし、日々大量に入ってくる新刊に疲弊しているという部分ももちろんあります。それでも、このままじゃマズイだろうなぁ、と思うんですね。
僕は、伊藤氏と発想が似ている、なんていうのはおこがましいほど伊藤氏ほど結果は出せていない人間なんですが、読んでいて僕も似たようなことを考えていると思うことがたくさんありました。
例えば伊藤氏は、自分で読んで良かったものを仕掛ける、というスタンスをずっとしていて、それで、何もしなくたって売れるような本は別に読む必要はない、と書いているんですけど、それは僕も同じです。僕は自分の読書は、趣味半分仕事半分だと思っているんで、趣味の部分では自分の好きな作家の新刊とか読みますけど、基本的に世間で売れていない本を読んで良かった本を仕掛ける、ということをずっとやっています。ほっといても売れる本は、読んでPOPを描いたって、それによる伸びは微々たるものでしょうし。
また、版元が組む文庫フェアは、全国で同じことをやらなくちゃいけないのは嫌だけど、自分で決して積まない本が売り切れたりするから、それをロングセラーにするという発想は、僕もそうだなと思いました。それで一番うまくいったのは、朝日文庫の「スヌーピー こんな生き方探してみよう」です。数年前の文庫フェアに入ってて、すぐなくなったんで仕掛けてみたところ、未だに売れ続けています。
また、売れているものは奥にやって、まだ知られていないけど自分が読んで良かった本を全面に推すというのも、僕はずっとやってきたなぁ、と思うんですね。
まあそんな感じで似たような発想を持ってたなぁ、という部分もあるんだけど、やっぱり基本的には圧倒されるような話ばっかりでした。中公文庫を3週間で6000冊売ったとか、さわや書店に入って二週間で売上が20%、一年後には倍になってたとか、年間に十本は4桁売ってる本があったとか、初版の3%はさわや書店で売るからといって初回で600冊仕入れるとか、それまで5冊ぐらいしか売れていなかった雑誌を、パブリシティの影響を考えて初回で2000冊発注して売り切ったとか、ちょっともう凄すぎでした。
それを実現するための工夫や努力も凄いものがあります。移動可能な台を作って、時間帯によって雑誌の平台の構成を変えるとか、前日の売上スリップを見てそれを一冊一冊ノートに書き写すとか(そうすると覚えるんだそう)、日記手帳の搬入時期がどんどん前倒しんなったことに憤りを感じ、いつ売れているのかを調査し搬入を遅らせてもらうとか、凄いなと思います。
書店というのは本当に、まだまだいくらでもやれることがあるんだな、と実感できる作品です。売り上げ的に厳しい厳しいと言っているけど、まだまだやらなくちゃいけないことはたくさんある。これからの書店は、それが出来たところだけが生き残れるんだろうなぁ、という気がします。
僕が本当に残念なことは、古典作品の読書経験&知識がほとんどないこと。基本的にエンタメ作品ばっかりしか読んでこなかったし、子供時代や学生時代に古典とかにほとんど触れてこなかったんで、正直言って全然分からない。本書に、『そのジャンルの効き目の本があって、それを中心にして他の本が派生し、その著者にまつわる本なども並んでいくようになる。これが棚づくりのセオリーであるのに、その基本が出来ていないんです』という文章があって、グサっと来ました。自分の底の浅さが残念で仕方ないんですけど、でもさすがに今から古典を頑張って読む気力もないわけで、その辺りが僕の限界になっちゃうだろうなぁ、と思いました。
とにかく、盛岡のさわや書店に行ってみたくなりました。伊藤氏は既に書店員を退職していますが、伊藤氏の薫陶を受けた人が今もさわや書店をもり立てているので、伊藤イズムは健在だろうと思います。ホントに、盛岡で伊藤氏に講演を開いてもらって、全国各地の書店員はそこに集い、帰りにさわや書店を見学して帰る、なんていうツアーを誰か企画してくれないだろうか、と思ったりしました。
書店に限らず、物を売る立場の人、あるいは物を作る立場の人にも役に立つ作品かもしれません。本好きの人なら、書店員じゃなくても読み物としても楽しめるんじゃないかなと思います。書店員はこの作品を読んで革命を起こしましょう!

伊藤清彦「盛岡さわや書店奮戦記」




錨を上げよ(百田尚樹)

内容に入ろうと思います。
本書は、「永遠の0」で大きくブレイクし、その後も話題作を次々と発表している著者の最新刊です。上下で1200ページを超える超大作です。
主人公は、大阪の貧しい家庭に生まれた作田又三。昭和三十年生まれの彼は、子供ながらに、常に自らの内側に『熱い何か』を持ち続けている男で、常にそれに突き動かされるように行動するような男だった。
学校にいても、社会に出て働くようになっても、『自分がどこに属しているのか/属すべきなのか』がまったく分からなかった。周りと群れることをよしとせず、おかしいと思った意見・常識には常に刃を向く一方で、女性には振り回されっぱなしの人生だった。衝動に突き動かされるようにして、周囲の予想も出来ないような『航路』をひたすらに進み続けた結果、又三は、若くして様々な世界を垣間見ることになる。
内側に大量の『熱』を抱きながら、その噴射口が常に間違った場所に開き続ける男・又三の、三十年間に及ぶ人生を濃密に描ききった作品。
凄い作品でした。これだけの長さを読ませてしまうだけの力に溢れた作品だと思います。
とにかく、ストーリーがどうとか、キャラクターがどうとかっていう以前に、『又三がこれからどうなっていくのか』という興味に突き動かされて、ページを捲る手をなかなか止められない作品でした。とにかく又三は、信じられないような生き方を続けていきます。破天荒と表現して、まったく言い過ぎではないくらいの人生です。又三の人生を年表にして箇条書きにして見れば、とても整合性のあるとは思えない、デタラメな生き方としか思えないでしょう。確かに、年表ではなく小説を読んでいても、デタラメな人生だなと強く実感します。でも一方で、年表にしたらデタラメとしか思えない又三の人生は、小説の流れで読んでいくと、そこに『必然』を感じることも出来るんです。正直僕は又三ではないので、又三が実際のところ何をどう考えそこに突き進んだのか、正確に理解することは不可能ですけど、又三の選択は、一見メチャクチャに見えて、その実又三にしたら、『そうする以外にはありえなかった』という切実さがあるんですね。その切実さを、又三の心情を丁寧に描きとることで浮かび上がらせているところは凄いなと思いました。
又三はとにかく、初めに就職した職場をあっさり辞めたり、大学に入ったり、密漁をしたりと、とにかくメチャクチャな生き方なんだけど、でもその個々のエピソード自体は『取り替え可能なんだろうな』と思いました。これは全然悪い意味で言ってるんじゃなくて、つまり、『もし又三がそれをしなかったとしても、同じくらいあるいはもっと凄い何かをしでかしただろうな』という風に思わせるんですね。そういう意味で、取り替え可能だ、という表現をしてみました。
もちろん、本書で描かれている様々なエピソードの積み重ね、そこで得た感動や失望の数々によって、徐々に又三という人間が出来上がっていくわけですけど、小説として読む場合、あくまでそこには主眼はない。本書の主眼は、そういうとんでもないエピソードの数々の中で、又三が何をどう感じ、どういう理由でどういう行動をしたのか、ということなんですね。
又三の中には、溢れんばかりの『熱さ』がある。これを又三は、常に持て余してしまうわけです。これは例えれば、熱耐性のないコップにお湯を注ぎこむみたいなものではないかな、という気がします。又三が所属する様々な環境は、又三にとっては『熱耐性のないコップ』でしかないんです。そこに、又三という『熱湯』が注ぎ込まれることで、コップは壊れ、熱湯は溢れ出る。あるいは、又三自身が『熱耐性のないコップ』でもある、と言えるかもしれません。自分の内側で暴れ狂っている『熱』によって、自分の身を滅ぼしてしまうということを何度も繰り返していくことになる。
誰にも制御しきれない『熱』を持つ又三は、周囲からすれば厄介者でしかありません。周りとの温度があまりにも違うために、近くにいるだけで周囲に迷惑を与えてしまう。しかし又三にしても、生き方や考え方を変えて、周囲の温度に合わせようなんていう発想はない。その『熱さ』を維持したまま、周囲との衝突を繰り返し、ここには自分の居場所はない、と確認していく。
そういう意味で本書は、又三が自らの『熱さ』を受け止めてくれるコップを求め続ける物語、ということが出来るかもしれません。
そして又三にとってそのコップになりうる唯一の可能性が『恋』なのです。又三は、奇跡的に仕事に熱中できることもあったし、驚異的な集中力で勉強をすることもあったけど、残念ながら又三にとってそれらは、真に又三の存在を受け入れるだけの器にはなりえないのでした。又三は、どんな場所でもほぼ常に熱烈な恋をします。それは、『この恋以外のどんなものも要らないし、この恋のためならどんなことでも我慢してやる』と又三に思わせるほどの、強烈で圧倒的なものばかりでした。又三にとって、『恋』こそが唯一、自分の『熱さ』を全力で放出出来、かつそれを相手が受け止めてくれる可能性のあるものだったわけです。
しかし又三は、その『恋』でも大敗を喫することばかりでした。不幸な偶然が重なったこともあれば、又三の短慮もあるけれども、恋が終わりを迎える度に、又三はとんでもないダメージを受けることになります。恋の終焉の度に又三は大きなハンマーで殴られたようになり、その度毎に人生をリセットしてしまう、と言ってもいいくらいです。
正直又三の女性観・恋愛観は、もしかしたら女性が読んだら不愉快に感じるのではないか、と思わせる描写もありました。僕は男なんで、又三と意見が合わないな、と感じる部分は多々あれど、不快感を抱くなんてことはないんですけど、女性によっては、又三の考え方はまったく受け付けられない、という人もいるかもしれません。ただ、そういう時代だったということもあるだろうし、逆に見れば又三の純粋さを表しているのだ、と見ることも出来るわけで、これは読む人次第だろうな、という感じがします。
読んでいて僕は、結構又三に通じる部分があるな、と思いました。正直、僕には又三が持つ『熱さ』みたいなものは全然ないです。そういう方面では、又三の真逆の人間だと言っていいと思います。ただ端々の考え方でかなり近いものを感じました。
例えば、『常識』というものの捉え方みたいなものは結構近い気がします。又三は小学生の頃、水族館の鰯がみな同じ方向に泳いでいるのを印象的に覚えているわけですけど、周囲が同じ価値観によって同じ方向に進んでいってしまう違和感みたいなものは、僕も子供の頃からずっと抱えていました。
『普通』ということに僕は強烈な違和感を覚えていたんですね。『これが当たり前だ』という価値観を押し付けられることに、異常に拒絶反応があった。これは今でもそうだし、小学生の頃からそうだった。学校でも、理不尽だと感じることが多くて、それで先生とやりあったことは何度もあった。周囲の人間が、『それは当たり前のことだ』と考えて、自分の頭で何も考えずにただボーっと周りに流されていくのを見るのが、どうにも不愉快だったわけです。又三にもそういう部分があって、周囲にどんどん噛み付いていってしまうわけです。そういう部分での生きづらさみたいなものは、本当に共感できました。
『自分が背広を着てネクタイを締め、ラッシュにもまれて通勤しているとはまったく思えなかった』というような描写があるんだけど、これもまったく同じです。又三は、サラリーマン生活を一瞬で終了させてしまうわけですが、僕は正直、中学生の頃に、サラリーマンにだけは絶対になれないな、という確信がありました。その確信は、今でもあります。もちろん今は、昔ほどそういう思いは強くなくて、生活のために仕方なくサラリーマンになるという選択肢も仕方ないか、とは思っていますけど、学生時代はとにかく、サラリーマンなんて考えられない、とずっと思ってきました。僕も又三のように『熱い』ものが内側にあれば、今何か大きなことが出来ていたりするのかもしれないけど、残念ながら凡人でしかない僕は、サラリーマンになることへの強烈な違和感だけがあり、ただフラフラと生きているだけの人間ではあるんですが。
サラリーマンとして働くようになった又三は、『嫌いな人間とは表面上でも親しく出来ない』という理由で職場で孤立することになるんですけど、これも凄くよく分かります。僕も、嫌いな人間とは表面上でも親しく出来ないですね。それで、バイト先では割と浮いた存在になっています。まあ別にいいんですけどね。
本書は又三の生き方が凄過ぎる作品ですが、作品のリアリティという面でも凄いなと感じます。これだけ破天荒な人間の人生を描いているのに、リアリティが圧倒的なんですね。それは、昭和という時代を色濃く描き出している描写にもよっているんだろうと思います。
例えば僕は、銭湯のコインロッカーのシーンなんかがうまいなと思うんです。コインロッカーには番号が振られているんだけど、当時人気だった王とか長嶋の背番号は常に埋まっていて、人気のない選手の背番号は常に空いていた、なんていう描写があって、そういう時代背景を伝える細かな描写が本当に秀逸だなと感じました。
でもその一方で、本書に圧倒的なリアリティを感じるのは、本書が著者自身の自伝的な作品である、という先入観があらかじめあったからかもしれない、とも思います。僕は読み始めから、又三=著者だと思って読んでいました。どこまで実際の話なのかはまったく知りませんが、割と大部分は実際にあったことなのではないか、と思っています。そういう先入観があればこそ、本書に一層のリアリティを感じ取ったのかもしれない、という感覚はあります。もしそういう先入観なしで読んだ場合、もしかしたら読み方が大分変わっていたかもしれない、と思いますけど、ちょっとどうなのかは分かりませんね。
いずれにしても、作品から受けるリアリティは凄いものがありました。僕はこの当時のことをリアルタイムで知っている世代ではないんでアレですけど、又三と同じ時間を生きてきた人たちには、より匂いが立ち上ってくるような作品なのではないか、という感じがします。
というわけで、うまく感想が書けない作品ですけど(もっと色々書きたいんだけど、何をどう書いたらいいか分からないんだよなぁ)、とんでもない作品だな、と思いました。読む人によって、向き不向きはあるだろうと思います。又三という人間に興味の持てない人間はいるだろうし、そういう人が読んでも面白くないとは思いますが、僕らが生きている世界観をそのまま使ったストレートな小説で、ここまで破壊的な、それでいて愛に満ちあふれた物語を生み出せる作家はなかなかいないと思います。これは傑作だなと思いました。是非読んでみてください。

百田尚樹「錨を上げよ」







ロートレック荘事件(筒井康隆)

内容に入ろうと思います。
郊外の瀟洒な洋館に、夏の一時を過ごそうという男女が集まった。ロートレックの絵画が飾られるその洋館には三人の若い女性がいて、そしてその三人は、若くして名を上げた画家の婚約者候補でもあるのだ。いくつかの事情を抱え、そうすんなりと婚約者の決まらない状況が長いこと続いている。
予期せぬ闖入者の相手をさせられたりと、穏やかではない時間を過ごすこともあるものの、概ね楽しく進んでいた集まりは、銃声によってその楽しい雰囲気を失ってしまう。女性が一人、また一人と殺されていき…。
というような話です。
読後の感想は、『なるほどなー』という感じでした。あんまりテンションが高くないのは、『爽快なカタルシス』という感じではなかったなぁ、と思うからです。
別に僕は、本書のメインの『ネタ』がアンフェアだとは思わないんです(そういう意見もあるそうです)。こういうのは、決して嫌いじゃないんですね。
ただ、あまりにもわけがわからなすぎて、「???」となってしまったんですね。それが分かった瞬間、「ああなるほど!そういうことか!」と思えるタイプの作品もあるけど(作品名は挙げられないけど、あの作品はまさにそうだ、というのがある)、本書は、しばらくの「???」を経て、徐々に、あーなるほど、ん?、ふむふむ、え?、あーそういうことか、みたいな流れを経たので(少なくとも僕は)、なかなか爽快感を得ることが難しかったなぁ、と思いました。
でも、凄いことをやらかしたなぁ、とは思いますね。よくもまあ最後までやり遂げたな、と。僕はちょっと前に、本書と同じようなこと(まったく同じではないけど)をやろうと頑張った、若いミステリ作家のある作品を読んだことがあるんだけど、そっちは技術的にあんまりうまくないなぁ(というか無理があるなぁ)と感じてしまったんで、本書の自然さは驚異的だなと思いました。
なかなか内容に踏み込んであれこれ書けないんで、どうしてもボカした話にならざるを得ないんだけど、最後に一つだけ。本書は、裏表紙の内容紹介のところに、「メタ・ミステリ」って書いてあるんだけど、これってメタなのかなぁ。僕の中の『メタ』のイメージとはどうも違うんだけども。まあ別にいいんですけどね。
解説を書いている作家が、とある編集者と交わした会話、というのがなかなか面白いです。解説を読むとより一層、この作品で著者がやろうとしていること(メインのネタ以外の部分で)が明確に浮かび上がってくるような気がします。これだけ技巧的に相当大変な作品の中に、『筒井康隆らしさ』みたいなものを、メインのネタと分かち難く盛り込む手腕というのはさすがだな、という気がします。なかなか人を選ぶ作品だとは思うけど、興味がある人は読んでみてください。

筒井康隆「ロートレック荘事件」




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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)