黒夜行

>>2011年01月

キケン(有川浩)

内容に入ろうと思います。
本書は、成南電気工科大学の機械制御研究部、通称【機研】の面々の破天荒な日々を描いた作品です。
物語のメインとなる代では、機研は三回生はほぼ幽霊部員で、2人しかいない二回生だけで部活を回している状態だった。
しかしその二人がとんでもなかった。
一人は、【成南のユナ・ボマー】と呼ばれているクレイジーな上野。一応、部長である。誰とでもするりと会話に引き込める軽いキャラの男であるが、その実、小学生の頃から爆弾を作り、実家の自室を半壊させたため、実家から出禁を食らい、現在は実家の敷地内の建つプレハブに住んでいるという男だ。常識がないわけではないが、『全力で遊ぶ』ということに掛けては手を抜くことはなく、その破天荒っぷりは学内でも有名だ。
一方、副部長の大神は上野とは対称的、実に堅実な男である。目付きが恐ろしいから、新入生勧誘の際は目を閉じていろと上野に指示されるが、上野のストッパーとしてなくてはならない存在だ。しかし、【苗字を一文字隠した大神宏明】という二つ名を持つ大神。上野のストッパーであることは確かだが、そのラインは常識から遙かに逸脱しているという点で、侮ることは出来ない。
それまでも機研は他の部活から危険視されていた存在だったけど、上野・大神体制になってからさらにそれは加速された。二人に刃向かうととんでもないことになる、という認識は学内で共通だ。
そんな機研に、一回生である元山と池谷は引っ張り込まれることになった。無理矢理というわけではないが、上野の強引な引きがあったのは事実だ。それから、上野のとんでもないパフォーマンスを経て、耐性のある一回生が9人入部してきた。
大神の恋・学祭の出店・ロボットコンテストと、派手で破天荒なことが大好きな上野を筆頭に、上野の奇行に麻痺してきた一回生とともに、とんでもなく【危険】な青春時代を過ごす物語。
というような話です。
さすが有川浩、ザ・エンタメ!という感じの作品でした。ワクワクしながら面白く読めるエンタメ作品を書くという意味では、有川浩は天才的だなと思います。少し前に「ストーリーセラー」を読みましたけど、こっちの方が断然好きです。
僕も大学時代、別に工学系だったわけでもないし、部活の種類はまるで違うけど、機研のようにちょっとトチ狂った部活にいたもので、なんか当時のことを思い出してしまいました。正直、決してあの頃に戻りたい、とは思わないんです(だって、メチャクチャ大変だったもんなぁ)。でも、今振り返ってみると、あー楽しかったなぁ、という感じが強いんですね。本書も、既にOBとなり結婚もしているある登場人物が、機研時代のことを奥さんに話して聞かせている、という体裁で話が進んでいくわけなんですけど、そこに挟み込まれる感傷みたいなものになんだか共感してしまいました。
しかし楽しいですね、機研。僕は理系だったけど、工学系にはさほど興味を持てない人間なんで(ものを作るのは嫌いじゃないけど、メカとかプログラミングとかそういうのは苦手)、実際大学時代機研みたいな部活があっても入らなかっただろうけど、こんなムチャクチャな日々は、大学時代だったら過ごしてもよかったなぁ、という気はします。
とにかくみんな、上野に振り回されっぱなしなんですね。上野が突出して『全力で遊ぶ』ことに長けていて、周りのメンバー(というか一回生)はそんな上野の奇行にさして抵抗できず無条件降伏。徐々に一回生も力をつけていくけど、奇人である上野を上回れる輩はもちろん出てこない。それでも、上野もただ酷いだけの暴君というわけでもなく、これはこれで結構気遣いも見せるんですね。その気遣いが斜め上を向いて発射されることもしばしばで、逆にありがた迷惑ということもなくはないんだけど、でもまあ何だかんだみんな楽しそう。
特に学祭の話なんか素晴らしいですね。機研はラーメン屋をやるんだけど、これがマジで学祭レベルじゃない。学祭の章のタイトルが「三倍にしろ!」なんだけど、これだけのことやったらそりゃあ三倍にもなるわなぁ、と感心です。壮絶に忙しすぎる殺人的なスケジュールっていうのも、後から振り返ってみれば楽しいものですしね。
で、機研は楽しいだけじゃないんですね。大神がいるわけです。この大神が、『機研の良心』と言っていい人間で、正直アウトのラインは一般常識から大幅に逸脱はしているんだけど、上野を頭から抑えこむのに一般常識的なラインではどうにもならない。明確な判断基準があり、常に冷静で物事を広い視野で見ていて、かつ誰であっても黙らせることの出来る威圧感を持つ大神は、上司として最高過ぎます。僕は、どんな環境にいても、上にいる人間に怒りを感じ反発してしまうような人間なんですけど、大神だったら素直に従えそうな気がします。それぐらい、大神はブレない。素敵です。
ラストのあの一枚絵のシーン(小説なのに、見開きの絵のシーンがあるのだ!)はちょっと予想外過ぎて泣きそうになりましたよ。いいなぁ、こういうの。何かに全力で打ち込んできた人間だけが辿りつける絆みたいなものに溢れていて、素敵でした。
巻末の著者あとがきで、
『男子というイキモノは独特の世界を持っていると思います。男子しか共有できないその世界は、女子から見るととてもキラキラしていて、自分もあの中に混ざりたいなぁ、といつも思います。
でもその世界は女子が一人でも居合わせると「本来の姿」ではなくなるのです。(中略)しかし、仲間の奥さんであっても女子が一人でも混じると、礼儀正しい彼らは「よそいき」の顔になってしまいます。』
と書いています。確かにそうかもしれませんね。僕はどちらかというと、そういう『男子の独特の世界』は苦手な方なのだけど、それでも言ってることはよくわかります。大人の男が、プラモデルとかフィギュアとかに入れ込む気持ちを、女性がまったく理解出来ない、というのと話はきっと同じなんだろう、と思います。男って、いつまで経っても馬鹿で、そういうところは好きです、僕も。
しかしまあ、その『直接観測できないはず』の男子の独特の世界を、女性の著者がここまで面白く描いてしまうというのはさすがだな、と思います。有川浩の小説を散々読んできましたけど、本当にこの著者は、どんな環境・どんな設定でも面白い小説を仕上げてしまう天才だな、と思います。
基本的に男子の方が共感できる話だとは思いますけど、有川浩も書いているように、女子にとってはキラキラして見える(らしい)世界なので、女性も楽しく読めると思います。なんか学生時代に戻りたくなる楽しさです。是非読んでみてください。

有川浩「キケン」




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ピースメーカー(小路幸也)

内容に入ろうと思います。
本書は、中学校の放送部を舞台にした、6編の短編を収録した連作短編集です。
まず全体の設定から。
主人公の良平は、<二代目ピースメーカー>として、中学入学と同時に放送部に入った。初代は、良平の姉、みさき(みーちゃん)だ。
良平の通う学校は伝統的に、文化部と運動部の仲が凄く悪い。それは、文化部総合顧問の菅野先生と、運動部総合顧問の玉置先生という、二人の古株の先生の争いでもあった。他の先生達もどちらかの派閥にいなくては学内で居辛いようなそんな状況だったけど、でもそんな状況をよく思っていない先生もたくさんいた。
そんな一人である、放送部顧問のコウモリこと中山先生は、小さい頃から知っていたみーちゃんに、放送部に入って文化部と運動部の橋渡しをする<ピースメーカー>になって欲しい、と頼む。
みーちゃんの存在はもはや学校内では伝説になっていて、未だに語り継がれている。けどみーちゃんがいなくなって、放送部は廃れ、文化部と運動部もまた険悪になってしまった。
だから良平は、放送部に入って<二代目ピースメーカー>として、学校をより良い方向にもっていくために頑張るのだ。

「一九七四年の<ロミオとジュリエット>」
文化部総合顧問の菅野の息子で元バスケ部の生徒と、運動部総合顧問の玉置の娘で吹奏楽部の生徒が、なんと付き合っているという。彼らも、親にバレたら大変なことになると隠していたのだけど、ついにバレてしまった。<ピースメーカー>としてはなんとかしなくちゃいけない。

「一九七四の<サウンド・オブ・ミュージック>」
剣道部の折原と河内という、剣道部の二大エースのあまり良くない話を耳にする。近いうちに個人戦の代表選抜があるのだけど、八百長をするのではないか、という噂があるというのだ。

「一九七四の<スモーク・オン・ザ・ウォーター>」
文化祭でフォークソングのグループが演奏するというのはしばらくの伝統なのだけど、そこにロックバンドの演奏も入れられないか、という話がある。難しいのは、ロックバンドの一つのリーダーが、元サッカー部の不良だということ。文化部総合顧問の菅野先生がOKするはずがないのだ。

「一九七四の<ブートレグ>」
三浦という転校生が放送部に入ってきた直後、職員会議で、お昼の曲を流すコーナーで、ロックを流してはいけない、と決まってしまった。放送部はなんとかこれを覆そうと必死になる。

「一九七四の<愛の休日>」
部長だけど幽霊部員である沢田さんから、放送部が廃部になるかもしれない、というとんでもない話を聞かされる。良平も知らなかったとんでもない事実を知らされ、放送部最大の危機!

「一九七四の<マイ・ファニー・バレンタイン>」
沢田さんの家でパーティをしていると、書道部の部長から電話。<ピースメーカー>に折り入って話がある、という。正月に、書道部好例のイベントがあって体育館を使うのだけど、色々あって使えなくなりそうだ、という。<ピースメーカー>として頼ってきてくれた第一号として、なんとかしてやりたい。

というような話です。
なかなか楽しく読める作品でした。中学生達が、毎日楽しく放送部を運営しながら、時折舞い込んでくるトラブルに首を突っ込んで、放送部らしく解決する、という展開はなかなか面白かったです。
この、放送部らしく解決する、という部分がミソですね。なかなか巧いです。放送部だからこそ(まあ、時々、さすがにそれは反則技だろ、みたいなのもありますけど 笑)解決出来た、というような展開はうまく出来ているな、という感じがしました。
僕でも、どう解決するのか朧気に思いつく話もあった感じで、ミステリ的な要素は薄味だけど、登場人物たちがなかなか面白く立ちまわるので、スイスイと読んでしまいます。
ロックを流すのを禁止されてしまう話は、なかなか面白かったです。これも正直、ラストの展開はなんとなく読めた部分はあったんですけど、『ロックが流せないことが問題なんじゃない、禁止されたことそれ自体が問題なんだ』という問題認識の仕方はなかなかやるじゃん、という感じですね。しかも、なかなかうまいやり方でひっくり返すんですね。なんとなく、宗田理の<ぼくらの>シリーズを思い出しました(まあ、<ぼくらの>シリーズの方が遙かに過激ですけどね)。
個人的には、良平の姉のみーちゃんの話を読んでみたい感じですね。綺麗なのに性格的には天邪鬼というのは僕は本当に大好きなキャラで、みーちゃんが<ピースメーカー>だった頃の話はかなり気になります。
楽しく読める小説だと思います。中学生らしい初初しさもあるし、中学生らしくない行動力もあって、放送部ってなかなか楽しいんだなぁ、とか思えます。読んでみてください。

小路幸也「ピースメーカー」





ストーリー・セラー(有川浩)

内容に入ろうと思います。
本書は、Side-Aとside-Bの二編が収録された作品です。

「side-A」
主人公は、デザイン会社で働いている男。社内に、言葉遣いがちょっと変わってるな、と気になっている女性がいる。なんとなく引っかかる、という程度だったのだけど、とあるきっかけから、彼女が個人的に小説を書いていることを知ってしまった。
ずっと『読む側』だった彼は、初めて『書く側』の人間に出会えて興奮した。そして、ほとんど奪い取るようにして読んだ彼女の小説は、本当に自分の好みにぴったりだった。
それから、様々な困難をかいくぐり、彼女を全力で羽ばたかせることに人生を捧げることにした彼だったが、運命はより残酷だった…。

「side-B」
社内で、独特の立ち位置を保っている人がいた。誰とでも話すくせに、特別親しい人がいるわけでもない。相手のガードの内側に入るのが本当に難しいその彼には、百戦錬磨の女性陣も難航しているらしい。
ある日屋上でちょっとした出来事があった。そこで、私が小説を書いていることがバレてしまった。しかも彼は、私の小説の、筋金入りの大ファンだったようなのだ。
一緒に暮らすようになって、何もかもが順調だった。その、はずだったのだけど…。

というような話です。
いや、さすが有川浩、という作品ではあるんだけど、有川浩の作品だったらもっともっと良い作品はたくさんあるなぁ、と思ってしまうような感じでした。
僕の中で、有川浩に求めるレベルがちょっと高すぎるのかもしれませんね。もちろん、凄く面白いんだけど、有川浩ならもっと面白く出来るんじゃないか、と思ってしまうんです。なので、有川浩の作品の中で比べると、ちょっと評価は低い方かなという気はします。
でもやっぱりさすがだなと思います、有川浩。恋愛小説ってそう読むことはないし、基本凄く得意というわけでもないジャンルなんだけど、有川浩の恋愛小説はいくらでも読める。何が違うのか、ちょっと今考えてみたんだけど、思いつきませんでした。なんだろう。『面白く読ませるエンタメ』ということに特化しているからかなぁ、という気もするけど、それだけでもないような気もする。
有川浩の恋愛小説(まあ恋愛小説に限ったことではないけど)で一番凄いなと思う点は、『会話で距離を詰める』ところです。特に本書みたいに短い作品の場合、出会ってから色々あって最後まで話を持ってくのに、出会ってから仲良くなるまでをダラダラ描くわけにはいかないですよね。でも、何かしら説得力のあることを書かないと、読んでる方も白けてしまう。
有川浩は、そんなに長くないシーンなのに、ギュッと凝縮されたような会話で、お互いの距離を一気に詰めてしまうんですね。そこが凄いと思う。しかもそれが、読んでいる側もギクッとさせるような感じで、読者を引き込むのがうまいな、という感じがします。
また、距離を詰めた後、今度は距離を保つって方に移行すると思うんだけど、こっちも巧いんだなぁ。っていうか、本書で描かれる男側の描写、どうもスペック高すぎると思う。会話も巧いし、料理も気遣いも出来るし、文句も言わないし、みたいな。ある意味では、女性の妄想小説と言ってもいいでしょうな、これは。まあそれはいいとして、お互いの距離感を保つという点でも、絶妙なバランスが取られているという印象が強くて、さすがです。
まあ、ストーリー展開とかは、ちょっと都合良すぎるようなところもありますけどね。そんな風にはならんだろとか、そんなうまくはいかんだろ、とか。有川作品は割と、リアリティの面から見てもなかなかレベルが高いという印象があるんで、もしかしたらそういう点で、若干僕の中の評価が低くなったのかもしれない、という気はします。
とはいえ、さすが有川浩、安定的に良い作品を書くな、という感じ。気軽に楽しむという点ではさすがの安定感です。個人的に、有川浩の作品のオススメを聞かれたら別の作品を挙げますが、これはこれでなかなか面白いです。読んでみてください。

有川浩「ストーリー・セラー」




白銀ジャック(東野圭吾)

内容に入ろうと思います。
新月高原スキー場は、ホテルの目の前にゲレンデがある、という絶好の環境を売りにしたスキー場だ。雪不足の予報にやきもきさせられたものの、降雪量は十分で、スキー場の実質的な責任者である倉田もホッとしているところだった。
一つ気がかりがあるとすれば、新月コースだけだ。去年死亡事故が起こって以来、ずっと閉鎖されている。安全管理上の都合で、とお客さんには説明しているものの、実はそうではない。あそこをどうにかオープン出来ないものかと思っている。
去年その事故で母親を亡くした入江親子が、スキー場にやってくるという。入江さんはスキー場を恨んではいないと言ってくれてはいるけれど、やはりこちらとしては出来る限りのことはしてあげたい。
そんな折、とんでもない事態に陥る。なんととある脅迫者から連絡が来たのだ。雪の下に爆弾を埋めた。爆破してほしくなかったら金を払え、と。ゲレンデにいるお客さんすべてを人質に取られたスキー場は、仕方なく犯人の要求を呑むことにするが…。
というような話です。
さすが東野圭吾、という感じでしょうか。読みやすく楽しいエンタメ作品を書かせたら、本当に良質な作品を書くという感じです。堅苦しくなく、手軽に読めて、なおかつストーリーも巧く出来ているので、バリバリ本を読むわけではないけど、時々本を読みたくなる、という人には安心して手に取りやすい作家だな、ということがよく分かります。
僕にしては珍しく、読みながら真相の半分ぐらい(というのはやっぱり言い過ぎか。3~4割ぐらいかな)は分かったんだけど、でもすべての真相はなかなか凄いと思いました。こう、物語の序盤から出てきた色んな要素が、最後の最後で本当にうまく絡まり合うという感じで、ストーリー構成の緻密さを感じさせます。東野圭吾のミステリ作品は大体そういう傾向があるんで、だからこそ逆に、序盤からこういう要素が出てくるってことは…、なんていう深読みが可能な作品でもあるんですけど、僕はそんな深読みは出来ない人間なんで純粋に楽しめました。
しかしこの、ゲレンデを『人質』に取るというアイデアは凄いですね。正直読んでて、現実にやる上での障壁はないんじゃないか、と感じてしまいました。模倣犯が現れてもおかしくはないような気がしてしまいます。もちろん本書では、色んな要素が絡まりあって『身代金の受け渡しの成功』が成り立っているので、実際に同じことをやろうとしたら難しいのかもだけども。しかし、よくもまあそんなこと思いついたもんだな、という感じがしました。
なんか、何を書いてもネタバレに繋がりそうな気がしてなかなか内容にうまく踏み込めませんが、東野圭吾の凄いところは、『物語の展開に必要な要素』をいくつも出しつつ、『最終的にそれらの要素一つ一つにもきっちりとした解決を与えている』ところだなと思いました。ミステリ作品の場合特にだと思うんだけど、ストーリーの展開に必要だから、という理由で出てくる要素というのもなくはないと思うんだけど、東野圭吾の場合はそれらを放置はせず、きちんとそれぞれにピリオドを打っている。これはなかなか出来ることじゃないと思うんですね。もちろん、そういう要素一つ一つに見事にピリオドが打たれてしまうと、『世の中そんなうまくいかないよ』という、リアリティの点で若干問題が出てきてしまうけど、それも気にならない程度にはちゃんと抑えている気がするんで、さすがだなという気がします。
なんか色々書きたい気もするけど、書くと『ネタバレ』か『アンフェア』のどっちかになってしまう気がするんであまり書かないようにします。
とにかく、気軽に手にとれて、あー楽しかったー、と終われる作品という意味では、本当に見事だなと思います。こういう安定感はさすがだと思います。読んでつまらなかったということにはならないと思うので、読んでみてください。

東野圭吾「白銀ジャック」




報道が教えてくれないアメリカ弱者革命(堤未果)

内容に入ろうと思います。
本書は、野村證券に勤めていた当時、9.11のテロで崩壊したビルの隣のビルで働いていて、9.11のテロを間近で目撃した著者による、『今のアメリカ』を描いた作品です。
9.11のテロをきっかけにジャーナリストに転向した著者は、アメリカの現状を多くの人に伝えようと、アメリカで酷い扱いを受けている『弱者』たちの取材を続けています。
アメリカって凄いな、と思いました。日本もかなり酷い国になりつつあると思うけど、日本の方が大分マシだなと思えてきます。
大きく分けて、本書では『大統領選挙』と『イラク戦争』に関する『弱者迫害』について書かれています。
大統領選挙では、選挙がいかに正当に行われていないか、ということについて書かれています。
本書で書かれているのは、ケリーとブッシュの大統領選(僕はどっちが共和党で、どっちが何党なのかみたいなことさえ知らないんですけど)。どうやらブッシュを勝たせたいという思惑があるようで、そのために国があらゆる手立てをしてきます。
その一つが『電子式投票機械』による投票。以前からあった仕組みだけど、これを全投票所の3割ほどに導入するというようなことが決まったとか。
その新聞記事を読んで、ハンガーストライキをしてそれに反対する男の話が描かれるんだけど、どうしてそこまでして反対するかというと、電子式だとデータの改ざんが容易だから、だそうです。実際に、出口調査と選挙の結果が明らかにおかしいということもあるようです。何かおかしい点が見つかった時、数え直しが出来ない仕組みはおかしい、と主張する人はいるんですけど、その声は多くの人には届かないし、電子式の投票の方が便利だと言って導入を歓迎している人もいるようです。
次に書くイラク戦争に関することでもそうなんだけど、アメリカの国民というのはとにかく、テレビからの情報を鵜呑みにしてしまうんだそうです。アメリカのテレビは、国の情報操作が物凄いようで、テレビは国に都合のいいことばっかり報じていて、そして国民はそれを信じているんだそうです。だから、何かおかしいということに気づいた人がいても、なかなかそういう意見は市民に聞き入れてもらえない。テレビで言っていることが正しいと頭から信じているからです。
また、選挙においては、黒人などの弱者がかなり酷い扱いを受けています。ある調査によれば、オハイオ州の黒人居住区での投票待ち時間は5~6時間で、通常184人に一台あるはずの投票機械が、貧困地区では1000人以上に一台、というとんでもない割合になっているんだそうです。またある投票所では、電子式投票機械でケリーに投票をしても、「ブッシュ候補でよろしいですか?」という表示が出る不具合が続出したにも関わらず、その不具合はずっと放置された、なんていう話もありました。
『ちゃんとした投票が行われては困る』人たちが、かなり色んな暗躍をして弱者の声を封じ込め、自分たち(というのが誰なのか僕にはよく分からないんですけど)に有利な選挙結果を得ようとする、というのは凄いな、という感じがします。日本で同じようなことをやったら、どうなるんですかね。
もう一つはイラク戦争。こっちがより悲惨なんです。
アメリカというのは本当に凄い国みたいで、例えば、公的な保険がなく、民間の保険があまりにも高いために、一部の富裕層しかきちんとした医療を受けることが出来ない。アメリカでの自己破産の原因のトップは、医療費と離婚費なんだそうです。中流クラスの過程でも、家族の誰かが大病を患うとそれだけで家族が破滅してしまうらしいし、シンガーが休憩時間の度に歯を磨いているのを不思議に思って聞くと、保険に入ってない状態で歯医者に掛かったらもうそれだけでアウトなんだ、と答えが返ってきたとか。
また、1998年にFAOが行った調査によると、アメリカ国内の飢餓人口(次にいつ食べ物を口に出来るかわからない状態の国民をさす)は、中東と北アフリカの数字を合わせたよりも多かったらしいです。貧困児童数は先進国でもっとも多い1300万人。
アメリカではそれぐらい格差がハンパなくて、貧困から抜け出すには大学に行くしか道はないんだけど、大学に行くだけの金を捻出することが出来ない、という負のスパイラルに苦しんでいる若者が本当に多いらしいんです。
そんな状況に漬け込んで(というか、そういう状況さえ政府が意図的に誘導しているようなんですが)、軍のリクルーターが幅を利かせ、貧困層の若者をどんどん兵士にリクルートしている、という現状があります。
高校で、成績も悪く授業にも出ていない若者(アメリカには最近出来た法律で、学校側は国が求めれば生徒の個人情報を提出しなければならない義務があって、従わないと助成金をカットされるそうです)に電話を掛け、『生活のすべての費用は軍が負担、大学進学のお金も出すし、軍専用の病院で生涯治療を受けることが出来る。なに、最前線に送られる可能性は3%以下だ』という夢のような条件を提示され、自分の酷い生活環境を脱しようと、最前線に行く可能性が低いなら、と軍に入る若者が物凄く多いようです。そういう若者が、三週間の訓練の後、バグダッドとかに派遣され、人を殺さなくてはいけなくなる。
戦地から戻ってきた若者はPTSDに苦しめられることになるけど、軍の病院はどこもいっぱいらしく(しかも軍からの予算が減らされている)空きはなく、まともな医療は受けられない。大学の授業料を払ってくれるという話も、『初めに前金として1200ドル(当時のレートで14万円)払わなくちゃいけない』と後から説明され、それを払えず断念する人が多い。また、授業料は出してくれるけど、大学に通う間の生活費までは出してくれないから、働きながら学業を続けることが出来なくてドロップアウトする若者が多い。戦地では1週間にペットボトル1本の水しか与えられず、自分の身を守る防弾チョッキさえ、自身の兵士としての給料から月賦で払うような、そんな悲惨な状況だ。
また、TROTCというプログラムが高校に導入されるようになっていった。これは、授業に出ないような素行の悪い若者を中心に、高校の授業の一環として軍の教えを叩き込むというもので、アメリカという国はどんどん、国全体を『軍国主義』に染め上げようとしているらしい。
凄いなと思うのが、軍は独自にオンライゲームを開発し、ユーザー登録時のデータを軍が保管している、ということ。またそのゲームの内容が、アメリカ軍が様々なミッションをこなす、というもので、物凄いリアリティなんだそう。そのゲームをすることで、アメリカ軍は素晴らしい、と思えてしまうような、そんな内容になっているんだそうです。ゲームさえ、軍への入り口にしてしまうアメリカ。
そういう、アメリカで暮らす弱者たちの悲痛な叫びを、彼らと同じ目線に立ってレポートしている作品です。
これは凄い作品でした。本当に、全然知らない話が満載で、かなり驚きました。
アメリカの話です。正直僕は、自分の身の周りのことにさえ強い関心のない人間なんで、遠いアメリカのことは正直言ってほとんど関心がありません。本書を読んだからと言って、何か行動を起こそうとは思わない人間です。
それでも僕は、『知る』人間が増えてくれることを望みます。手を差し伸べることも、こういう現実を周りに広めることもしなくてもいいんですけど、ただこういう現状を『知る』ということだけでも重要な気がします。こういうことを知っている人が増えることだけでも、現実の何かを変える力が大きくなっていくのではないか、という気がします。
日本もまあ色々ありますけど、正直ここまでではないだろう、と思いました。日本にも、生活保護に頼らなければどうにもならない貧困はあるだろうし、その生活保護の制度自体が色々あったり、働きたくても働けない人だってたくさんいるんでしょうけど、それでも、アメリカよりは大分マシだな、と思いました。
正直、アメリカで生きていける気がしません。社会の仕組みが、どう考えてもおかしい。社会保障費をどんどん減らす一方で、軍の予算はどんどん増えている。一度貧困に身を落としてしまえば、奇跡を待つか、あるいは軍に入るしかない、というとんでもない状況です。前に何かで、『日本にはアメリカのように、キャリアアップの仕組みがないから、一度脱落した人間はなかなか這い上がれないのだ』というような意見を見たことがあるけど、アメリカのキャリアアップというのもある程度以上の人たちにしか向いていなくて、貧困層や弱者たちにはそもそもキャリアアップなんて用意されていないんだな、と思いました。
ちょっと酷い国だなと思います。タイトルに、『報道が教えてくれない』とありますけど、まさにそうで、僕はネットのニュースぐらいしか見ない人間ですけど、ちゃんと新聞やニュースに目を通している人でも、そうは知らないんじゃないか、という話だと思いました。
僕が本書を読んで一番強く感じたことは、『戦争の悲惨さ』です。正直に言うと僕は、これまでも第二次世界大戦に関わる小説とかちょくちょく読んできましたけど、戦争というものが遠くにしか感じられないでいました。確かに人は死ぬし、辛いこともたくさんあるんだけど、どうしてもそれらが遠い出来事にしか思えなかった。実感が湧かなかったんです。
でも本書を読んで、外国の話だけど、今まさに起こっていることを知って、これはダメだ、と思いました。戦争は、ダメだ。祖父母とかから戦争の話を直接聞いていたらまた違ったかもだけど、そういう経験のない僕には、ここで描かれていることは、『戦争の悲惨さ』を物凄くリアルに感じられる話でした。そういう意味で、アメリカの話だ、と言って耳を塞ぐのではなく、『知る』ことを始めてみて欲しいな、と思います。
これは、読むべき作品だと思いました。アメリカという国の見方が変わりました。こういう国が世界を牛耳っているんだなと思うと恐ろしい気持ちになります。アメリカのことなんて興味ないと思っている方。いや、僕も正直興味はないです。でもこの作品は、是非読んで欲しいと思います。

堤未果「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命」




夏の魔法(本岡類)

内容に入ろうと思います。
那須高原で、日本ではなかなか実現の難しい『牛の放牧』による畜産を小規模ながら営んでいる高峰俊彦は、離婚して以来一度も会っていない息子を迎え入れることになった。
自身の浮気が発端で離婚に至って以来、別れた妻と息子とはほとんど連絡を取っていなかったのだけど、息子が突然牧場に行くと言い出した、というのだ。
息子は、いわゆる引きこもりだった。
進学率以外取り柄のない高校を甲子園に導くかも知れないエースとして、息子の悠平は期待されていたらしい。しかしある試合で相手チームのエースにデッドボールを与えてしまい、完治できない致命傷を負わせてしまった。それが発端となんて、引きこもるようになった、という。
初めは、どう扱ったらいいのか、まるでわからなかった。
昼夜逆転の生活をしていたらしく、朝の作業にそもそも起きてこない。食べたものも片付けないし、やる気がまるでない。自分からここで働きたいと言ったんじゃなかったのか、と高峰には理解出来ない思いだ。
次第に作業を手伝うようになり、高峰とのコミュニケーションも増えた。けれど、どこか幼い。まるで中学生ぐらいではないか。
仕事に関して教えを請うている、近くにある牧場の主、森敏明にも手伝ってもらって、息子を立てなおそうとするのだけど…。
自然環境の中で多くを学ぶ若者たちと、そこに生きる人々を描いた作品です。
なかなか悪くない作品ではありましたけど、今ひとつ物足りないなぁと思わせる感じでした。
読ませる作品ではあるな、という感じです。牧場主として、その土地で長いこと暮らしてきた人々をどっしりと描いているし、高峰や森の風格はなかなかのものだなと思います。牧場の仕事を通じて若者が再生していくという過程もうまく描けているし、ラストの方の展開は結構良いと思いました。
生きている牛を育てて乳を絞り、しかしそれを最終的に肉牛として出荷するという過程で、考えさせるエピソードもなかなかに出てきます。牧場を経営する人間には『当たり前』のことでも、それが傷つきやすい悠平には『当たり前のことだとは思えない』という対立は、成長過程のぶつかり合いとしてなかなかうまく設定されているなと思うし、引きこもりだった悠平が立ち直っていく過程はなかなかにリアリティに溢れている感じがします。
あと、細かなところにかなり気を配っているという印象はありました。些細な部分がうまいと思います。『ストライク』の理由とか、『部屋から出てこない』理由とか、そういうちょっとした描写に細やかに神経を配っているところはなかなかいいなと思いました。
でも、どうしても物足りなさを感じてしまうんですね。どうしてなのかというのを全部言葉にするのはちょっと難しいんですけど、大きく二つあるのかな、という感じがします。
まず一つは、物語の立ち上がりがスローだということ。本書は、特別大きな展開があるような物語ではないけど、それでも後半ではいくつかの出来事が起こります。ただ前半は、これと言って特別な部分がないんですね。高峰や悠平の過去の描写だったり、あるいは牧場での仕事の描写だったりと、どうも退屈なシーンが続くことになります。もちろんそこで描かれていたことが後々生きていくわけなんですけど、ちょっと物語の立ち上がりが遅い印象があったことが、あまりいいイメージになっていないのかもしれません。
もう一つが、悠平の存在です。僕は正直自分でも、悠平のような弱さ・甘さのある人間だと認識しているんですけど、でもどうも悠平にあんまり共感できないんですね。自分と近い人間だと、何だかあんまり思えない。
で、理由を考えたんだけど、やっぱり『こういう若者』を『大人の枠から』見ているからなんだろうなぁ、と思うんです。
僕はたぶん、悠平視点の物語だったら、かなり共感できる人間だと思うんですね。僕も弱いし、甘いし、どうしようもない生きづらさを抱えているんだけど、そういう部分は本当に悠平と似通っている。少し間違ってれば、僕も悠平と似たような生き方をしていたかもしれないんです。
でも、それを『大人の枠』から見てしまうと、なんか全然変わってくるんですね。僕は、自分を正当化するのはあんまり好きじゃないけど、僕らみたいな人間を『ただ弱いだけ』って見られるのは、なんとなく悲しいんです。まあ確かに弱いし、どうしようもないけど、でも僕らにとっては切実だし、大人からは努力してないようにしかみえないだろうけど、僕なんかホント、努力しないことで自分が壊れないように精一杯やってるという感じだったりするんで、ただ『弱いだけ』とかって言われてしまうと、なんとなく悲しいものはあるんです。
だから、大人の視点から描かれた悠平のあり方に、どうも違和感を抱く結果になってしまったんですね。たぶんそこが、イマイチ物語に乗り切れなかった理由ではないか、という気がします。
そんなわけで、僕としてはちょとと物足りない作品ではありました。たぶん、若い世代が読むと、僕と似たような感じになるかもです。ある程度の年齢以上の人が読んだら、面白く読める作品なのかもしれません。

本岡類「夏の魔法」




遺言状のオイシイ罠(山田健)

内容に入ろうと思います。
時代は1989年、バブル最盛期の初秋。東京の『家賃3万円』という冗談みたいなアパートに住む4人の住人は、弁護士から冗談みたいな話を聞かされることになる。
そのアパートは広大な敷地内にポツンと建っていて、身寄りのない老人・土肥氏が所有している。土肥氏は昔から豚を飼い、その糞で下肥を作り農業をしていたのだけど、後からやってきた周辺住民から「臭い」などと文句を言われ続けていた。
そこで老人は考えた。アパートを建てて人を住まわせ、そいつらの糞で下肥を作ればいいじゃないか、と。
そんなわけで、格安アパートの誕生となったのだ。
そこに住んでいた、ホステス・ヤクザ・学生・コピーライターの四人は、弁護士から、死んだ土肥老人の遺言で、条件付きで4000坪の土地を相続する権利を与える、というとんでもない話をもらったのだった。
その条件というのが、下肥を作り続け、最低5年間は農業を続けるというもので、5年間経てば後はどうしてくれても構わない、という条件であった。
その条件を飲んだ四人は、『いかにして手抜きをして、相続条件を満たす農業をするか』ということばかり考えるようになるのだけど、次第に、自分たちの相続した土地の凄さに気づかされていき…。
というような話です。
これはなかなか面白かったですね。東京にまだ広大な農地があった(らしい)時代をうまいこと舞台にして、東京を舞台に、農業なんかまるでやる気のない四人が適当に農業をしていく内に、次第にその面白さを理解していく、という話は、妙にリアリティがあってよかったです。
著者の略歴を見ると、サントリー宣伝部にコピーライターとして入社した後、森林整備をする社内プロジェクト「天然水の森」計画を立案し、その活動を担当している人らしく、まさしく自然とか農業とかはお手の物、という感じなんだろうと思います。
リアリティを生み出している点は、『彼ら4人が、いかに手抜きをするか、ということをメインで考えている』という点にあるんだろうなぁ、と思います。はっきり言って誰だって、初めっから農業が楽しいなんて思える人はいないと思うんです。彼らは、5年経てば土地を売って大金を手に出来る、という一心で、そのために、最低限の条件だけはクリアしようと、ない知恵を絞って『手抜き』をしようとします。
でもその過程で、色々と発見があるんですね。実は老人が残してくれた土地というのは、『宝の山』だったわけです。農業について一切合切知識のない彼らには、初めの内はそのことが全然分からなかったのだけど、最低限ではあるけどある程度知識を蓄えたことと、弁護士経由で伝えられる、土肥老人が遺したアドバイスに導かれて、彼らは様々な発見をするわけです。それでももちろん彼らには、『農業が楽しい』という感じにはならないわけですけど(まあやっぱり、短期間ではそうはならないだろうなぁ)、『これだけの宝の山なんだから利用しよう』という感じになって、徐々に愛着が湧いてくる、という感じなんですね。この過程が実にうまいと思いました。
まさにこれは、土肥老人の策略に乗せられた、というところでしょうけど、土肥老人もなかなかうまかったと思いますね。土地を与えられて、いきなり「この土地は素晴らしい農地だから維持しろよ」なんて言われても、知らねーよんなこと、って感じだろうけど、ある程度縛りはつけつつ、適当でもいいから農業に触れさせることで、自分たちで良さを見つけていくというのは、感じ方が全然違うでしょうからね。
土地を相続した四人は、まあ結構バラバラな個性を持ってるんだけど、全員がなんだかんだでその個性を活かして、農園を良くすることに貢献している。ヤクザである仁の切れ者っぷりはなかなかだし、その仁に『ヤクザでもこんなこと思いつかん』と言わせる奇抜な発想力を持つホステスのマサミもなかなかのもの。料理の巧い健は、土地で取れた野菜なんかを美味しい料理にして提供できるし、ダメ学生でしかない直也は、キノコやら山菜やらの知識が豊富で、また勉強熱心で本を読んで知識を仕入れるのは基本直也の担当だ。こういうジャストフィットする特性を持った四人が集まるというのはまずないだろうけど、こういう四人の共同生活もそれなりに羨ましかったりするなぁ、という感じはします。
初めは周辺住民の批判の的になっていた彼らも…、というような展開を初め、まあ全体的にうまく行き過ぎだなという部分はあるんだけど、まあそれは小説だしいいじゃないか、という気もします。なんか農業って楽しそうだなぁ(大変そうだけど)という感じになれるんで、面白いと思います。読んでみてください。

山田健「遺言状のオイシイ罠」






ほんたにちゃん(本谷有希子)

内容に入ろうと思います。
本書は、作家であり劇団の主催者でもある著者の、執筆当時19歳の自伝的小説、だそうです。
高校卒業後、親に必死で頼んで、東京の写真の専門学校に通う私。とにかく、『人からどう見られるか』ということばかりに心血を注ぐ、自意識過剰女だ。
小学校の頃、適当に答えた掛け算の仕組みがたまたま正解。それがすべての始まりだった。自分は凄い人間なんだと思い込み、自意識が異常に肥大。凄い人間だと、ちょっと変わった人間だと、何か才能を持っている人間だと思われるために、つまりかっこつけるために、生活のすべてを注ぎ込んでいる。
だから、両親とも健在なのに、生い立ちが色々複雑な印象を持たせようとするし、周囲のことに関心がないフリを装ったり、基本的に人と喋らなかったりと、常に自分を演出するので忙しい。
私は、何者かになれるだろうか。
自分の才能に見切りをつけ、田舎に帰って農業をやるのが、一番ありえる未来だ。でも、そんな自分を認められない。痛々しいまでに自意識が肥大した自分には、負けを認めて東京を去るなんていう選択肢はないのだ。
ある日、大きなチャンスが到来した。専門学校の講師である、現在のフォトグラフシーンのカリスマ、泊真市郎がやってくるという。『全然興味ないけど』という雰囲気を存分に醸し出しつつ、虎視眈々とチャンスを狙うも、やはり玉砕。そもそも、あまり喋らないキャラという設定では、どうにもしようがない。
けど、泊真がその飲み会に呼んだ、カリスマイラストレーター・野次マサムネのモデルになることになり…。
というような話です。
いいですね、これ。普通の人が読んで面白いかどうかは分からないけど、僕も本書の主人公に似ている部分がかなりあるんで、『わかるわかるー』と思いながら読んでいました。
本書はとにかく、主人公の『過剰に自意識が肥大した日常生活』に共感できるか否かで、作品の評価が大きく分かれるだろうな、と思います。
僕は、凄く分かるんですね。僕は、『何者かになれることを夢見ている人間』というわけではないけど、『周りからどんな風に見られるか』という演出は常に意識しています。
もちろん、周りの人間が、自分が思っているほど自分のことを見ているわけではない、ということはちゃんと知ってるんです。でも、もしかしたら僕の方を見ているかもしれない人に対して、自分はこう見られたいんだ、という演出を施さずにはいられないんですね。
別に、モテたいとかかっこ良く見られたいとか、そんなんじゃないんです。僕はとにかく、これは口に出して言いもしますけど、とにかく『変な人』だと思われたくて仕方ないんです。
とにかく、『普通だな』って思われるのが嫌なんです。でも、これは自分でも矛盾してるな、と思うんですけど、『普通から大きく外れたくもない』んです。ここがわけわからんと思うんですけど、僕もわけわかりません。『変な人』だと思われたい癖に、『普通でないこと』にビクビクするという、明らかに矛盾した感覚を持っているんで、なんだか自分でもよく分からないんです。
とにかく、周りの人を見てて、『こういうのが普通なんだなぁ』というようなことは、なるべくしたくないんです。それは、自分の中に間違いなくある。でもその一方で、『間違っていること』はしたくないんですね。そう、この表現がぴったりかな。『変な人』だとは思われたいけど、『間違ったことはしたくない』んです。これがまあ色々と厄介なもので、生きづらくって仕方ありません。
本書でも主人公が、この生きづらさどうにかしてよー、みたいな感じのことを思うんですけど、ホント生きづらいです。でも、自意識が肥大してるんで、本当は「生きづらいよー」って叫び歩きたいぐらいなんですけど、それは出来ず、ちょっとずつ小出しにするぐらいのことしか出来ないんですね。まったく厄介な性格です。
僕自身がそういうわけわからん性格で、しかもそれが本書の主人公とかなり近いんで、凄く共感できる作品でした。日常的に変な人間だと思われるように自分を演出して周りから浮きまくってるし(僕は小心者なんで、周りからなるべく浮かないように努力していますけども)、自分の憧れる超有名人に会っても、『有名な人なんか、擦り寄ってきたり聞こえの良いことを言う人間は山ほど寄ってくるだろうから、私は出来るだけ、あんたなんかには興味ないんですよ、という雰囲気を醸し出す作戦』なんか、僕もきっと似たようなもんだろうなぁ、とか思いますし。
表紙のイラストは、本書を読むと何のシーンが描かれてるのか分かるけど、もうはっきり言ってムチャクチャ。僕はあそこまでははっちゃけられないけど、でもそれがちょっと羨ましいなぁ、と思ったりもするし。
というわけで、僕には物凄くよく分かる作品でした。そこかしこにほとばしる自意識が、まるで自分のことが書かれているかのようで、痛々しくて素敵です。結構マイナス思考バリバリの作品だけど、全体のテンションが物凄く高いんで、全然暗い感じじゃなく、面白く読めると思います。好き嫌いはかなりはっきり分かれそうですけど、気になった方、是非読んでみてください。

本谷有希子「ほんたにちゃん」




チーム(堂場瞬一)

内容に入ろうと思います。
本書は、駅伝における異色のチーム、「学連選抜」を扱った作品です。
学連選抜というのは、予選会で10位以内に入れなかったチームの選手の中から、タイムが上位の選手で構成された、「寄せ集め」のチームです。
城南大の主将である浦大地は、ギリギリで予選会で落選した。城南大は連続出場記録を毎年更新していたのだが、浦の代でその記録が止まってしまった。
東京体育大の山城悟も、予選で落ちた。山城は、過去3年連続で、毎年別の区間を走りながらそのすべてで区間新をたたき出してきた怪物で、日本陸上界でも注目の選手であった。山城の走りは完璧だったが、チームの面々に足を引っ張られ、箱根に行くことが出来なくなった。
浦は、美浜大陸上部監督・吉池幸三に声を掛けられた。吉池は大学陸上界の名伯楽と呼ばれる存在で、これまでも世界的なランナーを幾人も輩出してきた。しかしそんな吉池も、長いことチャレンジしてきたものの、一度も自身のチームで箱根駅伝に参加することはついに出来なかった。吉池にとって今年は最後の年だったが、美浜大は結局箱根駅伝への切符を逃した。
しかし規定により、吉池は学連選抜の監督に決まる。そこで、浦に、「終わりじゃないぞ」と、学連選抜で走ることに気持ちを向けさせようとした。
学連選抜というのは、モチベーションを持続させるのが難しいチームだ。普通は、皆で一丸となって箱根駅伝を目指し、仲間のために襷をつなぐ、というのが大きなモチベーションになる。しかし学連選抜は寄せ集めのチームで、たった2ヶ月前に出会い、しかも箱根駅伝が終わってしまえば散り散りになってしまうチームで襷をつながなくてはいけないのだ。
浦も迷ったし、最終的に学連選抜で走ることを決めた人間も迷っただろう。それでも、16人が学連選抜のメンバーとして集った。
浦は吉池に、チームのリーダーとして指名された。浦には、「チームがどうとか関係ない。自分の走りをするだけだ」と公言してはばからない山城を、チームにうまくまとめ上げることが出来るのか、まるで自信はなかった…。
というような話です。
これはなかなか面白かったですね。スポーツ物の小説って、本当に良し悪しがはっきり分かれるなぁ、と思うんだけど、これは良かったですね。
駅伝小説といえば、真っ先に思い浮かぶのは、三浦しをんの「風が強く吹いている」だけど、両者はかなり違う。「風が強く吹いている」は、ほとんど廃部状態だった陸上部を再建し、箱根駅伝を目指す作品だけど、本書は、学連選抜という急ごしらえのチームで箱根駅伝を戦う。どちらも『寄せ集めに近いメンバーで走る』という点は共通してるんだけど、「風が強く吹いている」ではチームの団結力とかそういうものをメインで押すのに対して、本書では、学連選抜というチームでどうやって走ればいいのか、という戸惑いを中心に描いています。
本書の巻末の対談で若干触れられているけど、確かに駅伝以外のスポーツでは、こういう学連選抜みたいな仕組みってないだろうなぁ、と思う。僕は、駅伝についてまるで知りませんでしたけど、「風が強く吹いている」を読んで若干興味を持ったんで、その年は(というか翌年だけど)駅伝を初めてちゃんと見てみました。けど、学連選抜という名前こそ聞いたことあったけど、全然注目していませんでした。
確かに、そもそもスポーツで「寄せ集め」のチームでうまくやる、というのは難しいでしょう。しかも駅伝というのは、走っているのは一人という意味では個人競技だけど誰か一人が途中でギブアップしてしまえば、その時点ですべて終了してしまうというという意味では、普通のチームスポーツ以上に団結力みたいなものが大事になってくるスポーツだと思います。その中で、たった2ヶ月前に出会った選手たちと苦しい距離を走るというのは、確かに小説の題材としては面白いだろうなぁ、と思いました。
駅伝自体のレース展開や実際走っている時の感覚なんかは、正直僕はスポーツをちゃんとやっていた人間というわけでもないし、駅伝に特別詳しいというわけでもないんで、的確な評価は出来ないかもだけど、面白かったと思います。何故自分は箱根駅伝で走っているのか、という問い掛けに常に悩まされる部分は全編通じて凄く伝わってくるし、わざとらしくないけど小説としても盛り上がりをきっちりと意識しているレース展開は見事だと思います。
でも何よりも本書は、やっぱり選手の個性みたいなものが凄くよく描かれている作品だな、と感じました。
作中で大きく目立つのは、やっぱり浦と山城です。浦は、チームリーダーに選ばれたということもあるけど、元々責任感が強い。学連選抜だからと言ってチームとしてまとまってなくても仕方ないなんて考えてなくて、どうにかしてチームをまとめあげていこうと苦労する。もう少し自分のことを考えてもいいんじゃないかなぁ、とか思っちゃいますけどね。その浦にもやっぱりドラマがあって、なるほどこうなりますか、という感じです。
山城は強烈ですね。こういう人間は、僕は決して嫌いではないけど、近くにはいたくないです(笑)。自信に満ち溢れていて、自身の所属する大学のチームで箱根駅伝に出場した時も、チームのためではなく自分のために走っている。まして学連選抜なんか、チームのために走るとか意味が分からない、と考えている。
そんな山城も、これがなかなかいいんですね。ちょっと一気に変わりすぎじゃないかな、と思ったりするけど、山城のツンデレっぷりは大好きです(笑)。
他にも誰とは書かないけど、まさかこいつが活躍するとは!という選手がいたり、なるほどこいつはこんな風になるのね、というような展開があって、実に面白いです。
読んでいると、もう少しこいつのエピソードとか知りたいなぁ、と思う人間が出てきます。僕の中でその最たる人が、浦と同じ大学で、裏方として参加している青木。この青木にフューチャーした話もちょっと読んでみたいなぁ。
驚いたのは、巻末で著者が書いているんだけど、作品を書くのに選手へのインタビューなんかはしていない、とのこと。スポーツ小説を書く時は、大体そういうやり方だそうです。『大半の競技は真髄の部分では似ていると私は考えているんです。つまり、何かひとつの競技にとことん打ち込んだ経験があれば、ある程度は他の競技についても想像が及ぶというか。』だそうです。著者はラグビーに打ち込んでいたようですが、それにしてもインタビューとかしないでここまでリアルな駅伝小説を書けるものなんだなぁ、と感心しました。
というわけで、なかなか面白い作品だと思います。僕の中で最強のスポーツ小説というのは、佐藤多佳子「一瞬の風になれ」、森絵都「DIVE!!」、三浦しをん「風が強く吹いている」の三作で、どうしてもこの三作の牙城は崩せませんが、それでもかなり読み応えのある素晴らしい作品だと思います。是非読んでみてください。

堂場瞬一「チーム」




街場のメディア論(内田樹)

内容に入ろうと思います。
本書は内田樹による街場シリーズ最新作です。街場シリーズは、出版社をまたいでいくつか出版されていますが、そのどれにも「街場」とつくのは、制作スタイルが同じだから、だそうです。街場シリーズはどれも、元になっているものは著者自身による大学での講義。それを録音し、編集者がある程度まとめ、それに加筆する形で本が出来上がっているそうです。
本書は、著者が大学で行った「メディアと知」という講義が元になっています。
内容についてあーだこーだ書く前に。これはもう素晴らしいなんてもんじゃない作品でした!話の主軸はもちろんメディアについてだし、テレビ・新聞・出版などのメディアが現在陥っている状況、何故そうなったのか、問題の本質はどこにあるのか、ということを平易に解説しているわけなんですが、その過程で、メディア以外の話にもかなり触れることになります。特に、教育や医療については、メディアと市場原理導入に煽られる形で崩壊していった、という流れを示すために、かなりページを割いています。
まず内田氏は、メディアの存在そのものについて語ります。テレビやラジオと言った様々なメディアを、内田氏は「危機耐性」(革命や内戦といった状況でも使えるか否か)と「手作り可能性」(自らの手で作り出せるか否か)の二点によって評価します。メディアをビジネスとしてではなく、こういう視点から論じている人の存在を知らない、と著者は言います。
その中で内田氏は、テレビというメディアについて話を進めていきます。著者はもう長いことテレビをほとんど見ない生活をしているようですし、自身も出演しないように決めているそうなんです(出演しない理由は、本書に書いてありました。それを読むと、確かにそうだよなぁ、という気がします)。著者の「危機耐性」と「手作り可能性」という観点からすると、テレビというメディアは実に評価が低くなってしまう。電力がなければどうにもならないし、個人が手作り出来るような規模ではない。
テレビというメディアにとっては、毎日遅滞なく放送を進行する、ということだけが第一の主目的になってしまっている。テレビについて語る人々は、制作コストや視聴率についてばかり話すけど、そもそも『テレビがなくてはいけない理由』というのを突き詰めて考えなくてはいけないのではないか、と言います。テレビが生き延びるためには、『テレビが生き延びねばならない』という点について、テレビの作り手側たちが身銭を切って挙証しなくてはいけない、と著者は言います。
その後、クレイマーについての話に移行します。メディアとクレイマーとの繋がりが唐突かもしれませんが、著者曰く、メディアがそれを助長させたのだ、と言います。
テレビはいつの頃からか(そして最近は新聞もそうらしいんですが)、『まさかそんなことが起こるなんて』という、『自分は知らなかった』という立ち位置で報道をする姿勢になっているようです。ただ、情報を発信しようとしている側が、『知らなかった』と言ってしまうのはおかしい。メディアは、それについて知っていたにも関わらず、さも知らなかったという『被害者』の立場を取るような姿勢になっていったようです。そしてその姿勢、つまり『自力でトラブルを回避できるだけの充分な市民的権利や能力を備えていながら、「資源分配の時に有利になるかもしれないから」とりあえず被害者のような顔をしてみせるというマナー』が市民にまで蔓延していった、と内田氏は言います(すいません、ここの部分はうまく説明できませんでした)。それが、クレイマーの出現です。
ここで著者は、医療と教育の現場がいかに崩壊してしまったかという具体例をいくつか挙げていきます。自分たちが受けた『利益』についてはカウントせず、自分たちが受けた『損失』のみをカウントして物言いをする人が増えたと。
メディアというのは、『批判すればするほど物事は良くなる』と無意識の内に考えています。で、メディアというのは、『定型』によってこれを行うわけです。誰が言っても変わらないこと、最終的な責任を誰か個人が負うわけではないこと、そういった『定型』によってメディアの報道は成り立っています。
これこそが、メディア自身を劣化させた張本人なのだ、と主張します。
また、医療と教育の荒廃の原因を、もう一つ『市場原理』に焦点を当てて捉えています。『変わらない方がいいもの』というのが存在すること、そしてそれは『市場原理』に委ねてはいけないことなどを説き、そこから著者は出版業界の話へと進めます。
内田氏は、出版という行為も『市場原理』に委ねてはいけない(つまりビジネスではないのだ)という話をします。電子書籍や自宅の本棚などの話を経て、最終的に著者はかなりのページを割いて、『著作権』とは何なのか、という話をします。
出版業界において議論されている『著作権』というのは、どうもおかしい。『著作権』というのがそもそもどういうものであるのかということを、マウリ族の「ハウ」という概念や小津安二郎の映画などのエピソードを引いて説明をします。
内田氏の提案する『著作権』の概念を認識した上で、出版業界で現在なされている議論を追うと、やはりどうしても的外れとしか考えられない、という議論を展開します。
かなりざっとですが、大体こんな感じの作品です。
いやはや、これは本当に名著です。素晴らしいと何度繰り返してもいいですね。内田樹の作品、読むのこれで二作目なんですけど、やっぱ凄すぎます、この人。
上記で本書の内容をざっと説明したつもりなんですけど、正直うまく説明できない自覚があります。本書を読むと、凄く分かった気になれるんですけど、やっぱりまだまだ人に説明できるレベルでの理解は出来ていないようです。と同時に、これだけの話を講義という対面でのプレゼンで出来てしまう著者というのは、やっぱり凄いものだなぁ、という感じがします。
メディア論、と銘打っているので、もちろんメディアに関する話は興味深いことばかりでした。
本書では大きく分けて、『テレビ・新聞』と『出版』という二つのメディアについて、客観的な現状認識やメディアを担う側の認識、本質的に一体何が問題で、どうして間違った議論がなされているのか、という点について、本当に分かりやすく書かれています。
『テレビが生き延びなくてはならない理由を、テレビ側が示さなくてはいけない』という話は、「危機耐性」や「手作り可能性」なんかの議論の後で言われると、なるほど確かにそうだなぁ、という感じがしますし、『世論とビジネスがメディアを滅ぼした』という言説についても、『定型』や『変えないほうがよいもの』などという軸を用意して、分かりやすく説明してくれます。例えばテレビは、多くの人がインターネットで時間を使っているからテレビを見なくなったのだ、というような議論があるけど、それは相関関係はあるかもしれないけど、因果関係はないんだろうな、と思いました。『インターネットに行ってしまったからテレビを見なくなった』のではなく、『メディアが劣化したがために、多くの人がインターネットに行った』が正解なんだろうな、と本書を読んで思いました。
テレビ・新聞の話では、やっぱり『定型』の話が面白かったです。僕が説明するとまたよく分からないことになるんで詳しいことは書かないけど、要するに、『最終的な責任を引き受ける生身の人間がいない』ということです。テレビや新聞といったメディアではもはや、『どうしても言っておきたいこと』を伝えることが出来ていません。メディアが伝えるのは、『誰が言っても変わりのないこと』でしかありません。それが『定型』であり、これがまさにメディア自身を殺しているのだ、という話は、なるほどなるほど、という感じでした。
『出版』の方のメディアは、電子書籍と本棚を絡めた話も実に魅力的でしたけど、なんと言っても僕的には、『著作権』の話が面白すぎました。かなりのページを割いてこれを説明してるんだけど、この考え方には異論が出てきそうな感じはあります。それでも、根本的な部分を否定することは難しいだろうし、それ以上に、なんだかより深いところで、なるほどこれは正しいような予感がするなぁ、と思わせるような話でした。
これも僕がここで書いてもイマイチ伝わらないだろうからあんまり書かないけど、『著作権』というのは、本自体に付与されているものではないし、本が出来た時点でも存在していない。それを受け取って読んだ誰かが『反対給付義務』にかられて初めて『著作権』という概念が立ち上るのだ、という展開は、今僕が短い文章で書いたものを読んでもさっぱりわけわからないだろうと思いますけど、本当に納得できます。一番分かりやすかった比喩が、小津安二郎の、おならでコミュニケーションする家族を描いた映画のエピソードです。まさに著者が言わんとしていることを的確に映像にしたようなシーンでした。
メディア論から若干外れる部分の話も面白いです。結婚の話もチラッと出てくるし、テレビや新聞の話と絡めて教育・医療の崩壊の話が出てきた時も凄く面白いと思いました。教育・医療の崩壊は、『生徒』や『患者』を『お客様』とみなす『市場原理』を導入したことで起こったのだという話は、確かにその通りだな、という感じがします。内田樹は嫌がるだけど、本当にこういう人が政治家になって、国のあれこれを変えてくれればいいのになぁ、と思いました。
しかし何よりも読んで欲しいのが、冒頭で書かれているキャリア論です。何故メディア論の講義の冒頭でキャリア論が出てくるかというと、文科省が今大学に、ちゃんとキャリア教育をやりなさいよ、とせっついているそうで、内田樹のこの講義もその一環として組まれている授業なんだそうです。
そこで語られるキャリア論は、本当に短い話ですが、既に働いている人もこれから働く人もみんな読むべきではないか、と思えるくらい素晴らしいと思いました。『働く』ということがどういうことなのかについて、スパッと簡潔に分かりやすくまとめています。立ち読みでいいから、この冒頭の話だけでも読んでみて欲しいし、親御さんは是非子供に語ってあげて欲しいなという感じがしました。
とにかくですね、これは読みましょう。『メディア論』なんかに興味はない、とか言ってる場合じゃないです。確かに中心軸は『メディア論』ですが、自分の生活と密接に関わる色んな事柄に関する新鮮な話を知ることが出来ます。それに、冒頭のキャリア論は素晴らしいなんてもんじゃないですからね。これはもう是非、あらゆる人に読んで欲しい作品です。また、全力で売りたい新書に出会えたなぁ。頑張って売るぞー。

内田樹「街場のメディア論」




誰も教えてくれない地デジTVの裏側(保岡裕之)

内容に入ろうと思います。
が、特に書くことがありません。
タイトルだけ見ると「地デジ」の話のようですが、地デジの話は全体の5%(多く見積もっても10%ぐらい)ぐらい、残りの95%については、地デジとは特に関係のない、テレビ全体の話です。
テレビは胡散臭いから新聞とか本とかインターネットとか、他のメディアからもちゃんと情報を得たほうがいいよ、みたいな話です。地デジ化が視聴者のためにならない、とかなんとか地デジの話も書かれていますけど、あまりまとまりがあるようには思えません。
2008年出版の本なんで、今読むと内容的に古いところもかなりあって(まあそれはこの本の責任ではないけども)、オススメできませんです。

保岡裕之「誰も教えてくれない地デジTVの裏側」




特異家出人(笹本稜平)

内容に入ろうと思います。
物語は、一人の少女が警察に、おじいちゃんがいない、と相談に来るところから始まります。
母子家庭で育った奈々美は、近所に住む老人・有村礼次郎と親しくなり、頻繁に行き来するような間柄だった。そのおじいちゃんの姿をもうずっと見てない。私のお土産を楽しみにしてくれてたはずなのに、と。
通常であれば、普通の家出人として処理され終わってしまいかねない事案だった。しかし、その少女の熱意にほだされた所轄署の人間が、個人的な関係を通じて警視庁の特殊犯捜査係に話が来た。
特殊犯捜査係は、誘拐や立てこもりなどの特殊な事案で動く部署だ。刑事課が基本的に、『死体が出てから捜査が始まる』のに対し、特殊犯捜査係は、まさに現在進行形の事件から人の命を救うのが主眼と言っていい。
このケースは、特異家出人(事故や事件に巻き込まれている恐れのある家出人のこと)と通常の家出人との境界のような事案だったが、特殊犯捜査係に所属する堂園や堂園の上司の高平は、積極的に捜査すべき事案として動き始める。
有村氏は、倹しい生活をしている一方で、資産家であると近所でも有名だったらしい。自宅金庫を開けてみると、有価証券など、なかにあったはずの資産が根こそぎなくなっていた。堂園らは、細い繋がりから鹿児島に目をつけ、途切れそうな線を必死で追っていった。
同時期、鹿児島で焼酎の醸造会社を経営していた堂園の叔父が自殺した。そして堂園は、奇妙な繋がりに翻弄されていくことになるが…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。
本書の凄いところは、事件自体が物凄く地味だ、という点です。発端は、資産家であるらしい一人の老人が事件に巻き込まれたかもしれない、というもので、現実にはよくあることだろうけど(ただ、それを警察が捜査してくれることは稀かもですが)、なかなか小説の題材にするには勇気が要るんじゃないかと思いました。事件自体の奇抜さで読者を引っ張ることが出来ないわけで、そういう意味では著者のハードルはかなり高いと言えると思います。
事件自体も、事件の捜査自体も、起伏があるとは言えません。本当に、地味な事件を地道に捜査している、という物語です。正直、起伏に富んだ物語に慣れている人には、退屈に感じられる作品という可能性もあります。
ただ、作品全体のリアリティが重厚なので、読ませてくれます。作品の隅々まで、ありとあらゆる点について、『本当らしさ』みたいなものをかなり追求している作品で、それがこの作品の柱だなという感じがします。
リアリティを積み上げていくようにして物語が徐々に進んでいき、有村氏や奈々美ちゃんが本当に実在するんじゃないか、という感じになってきます。特殊犯捜査係という、現在進行形の事件を専門に扱う部署をメインにした警察小説というのもなかなか珍しい気がするし、そもそも僕はその特殊犯捜査係というのを知りませんでした。人の命を救うというのが眼目である部署なのに、刑事課からは一段下に見られているなんていう事情があったり、警察内部の『官僚的』なあり方に現場がいらついたりと、警察が抱える問題みたいなものもうまく浮き彫りにしている作品だと思います。
それにしても、登場人物たちが本当にいいです。個人的に一番気に入ってるのは、主人公の堂園の直接の上司である高平ですね。まさに上司というのはこういう人間であって欲しい、という理想像のような人で、こいういう人の下で働けたら素敵だろうな、と思います。有能で冷静で、さらに部下を絶対的に信頼することが出来る。部下も皆高平の薫陶を受け、高平に絶対的な信頼をおいている。いいなぁ、と思いました。
奈々美ちゃんも凄くよかったですね。奈々美ちゃんがいなければすべては遅きに失していただろうし、捜査が始まってからも、捜査する人間たちは、時折奈々美ちゃんの顔を思い浮かべては、絶対に有村氏を生きて救出しなければ、という思いを新たにするわけです。作品全体としてはそこまで出番はないのだけど、素晴らしい存在感を見せつけている、という感じがします。
物語自体は本当に地味で、展開も派手なところはありません。起伏の激しい物語を求める人には向かないですが、リアリティを徹底的に追求したなかなかに重厚な警察小説で、人間模様をきっちりと描いているという点でも素晴らしいと思います。是非読んでみてください。

笹本稜平「特異家出人」




純平、考え直せ(奥田英朗)

内容に入ろうと思います。
主人公は、歌舞伎町のちんぴらである坂本純平。埼玉生まれで、ずっと暴走族で、東京に来てからはずっと、組の兄貴である北島を慕って、下っ端で雑用ばっかりの生活に耐えている。ちょっと古いタイプの男で、昔の任侠映画の登場人物のような喋り方に憧れ、でも童顔なのもあって歌舞伎町では怖がられずオモチャにされ、でも男気が溢れているので、困った人を見かけると助けずにはいられない、という、なかなか憎めない男です。
そんな純平は、親分から指令を受ける。対立する組の幹部を殺せ、というのだ。要するにヒットマン。
名を上げるチャンスと意気込む純平。娑婆と別れるため、3日の猶予と数十万の大金が与えられた。これで残された時間を有意義に過ごせ、ということだ。
東京に出てきてから、親しく関わる人間もほとんどいなかった純平。しかしその3日間、何故か純平は様々な人と関わることになり…。
というような話です。
ほどほど、という感じでしょうか。悪くはないけど、という感じです。
設定は凄く面白いと思うんですね。ヤクザを扱った作品っていうのは多種多様出てると思うんだけど、ヒットマンになるための3日間の猶予、を描いた作品というのはなかなかないんじゃないかな、と思います。その設定は充分に面白いし、素敵だなと思いました。
純平のキャラクターもなかなか面白いです。ヤクザなんだけど、歌舞伎町にいる女性にはからかわれる。まだ新米で、啖呵の切り方ぐらいは堂に入ってるけど、あとは力で押し切るぐらいしか能がない。歌舞伎町を歩けばみんなに声を掛けられるけど、親しい人がいるわけではない。そういう、何だか応援したくなるようなキャラクターの設定で、強いんだか弱いんだかよく分からない純平が、色んな出来事に右往左往する感じは結構楽しいです。
純平以外に出てくるキャラクターもなかなか素敵。一番好きなのは、元大学教授のジイサン。いい味だしてるんだよなぁ、この人。映像化したら、名脇役っていう感じの立ち位置になりそうな感じ。他にも、なるほどこれが歌舞伎町なのか、と思わせるような癖のあるキャラクターがたくさん出てきて、結構楽しいです。
ただ、そういう面白い要素は色々とあるんだけど、どうも全体的にはあまりはじけていない感じがする。どこが悪い、というのでもないと思うんだけど、どことなく盛り上がりに欠ける感じ。なんなんだろうなぁ。この作品は、軽さを楽しむ感じだと思うから、作品が軽いということがマイナスなわけでもないと思うし、ちょっと考えてもあまりうまく説明できない感じがします。なんとなくの表現で言えば、凄く高級な食材をたくさん使ってるのに、完成した料理はほどほどの味、という感じでしょうか。一つ一つの要素は割といいと思うんだけど、全体的にはほどほど、という感じがしてしまう。
あと、純平がヒットマンをやるというのを、行きずりの女がネット掲示板に書いてしまって、ネット上で盛り上がる(掲示板の書き込みが小説内に出てくる)というのがあるんだけど、これは必要だったのかなぁ、と思ってしまいました。正直、ネット掲示板で盛り上がっている、というのが、作品全体にさほど大きな影響を与えてない感じがします。僕は小説内にネット掲示板の書き込み的な描写が出てくるのがそんなに好きではないんだけど、でもそれが作品と密接に関わっている、というのならまあいいかと思うような人間です。ただ本書の場合、ネット掲示板での盛り上がりが、どうしても作品全体に大きな影響を与えていない感じがするんで、そうなるとそのくだり全般は要らないのではないか、という感じがしてしまうんですね。
まあそんなわけで、ほどほどという感じの作品でした。悪くはないんだけど、イマイチ突き抜けていない感じです。

奥田英朗「純平、考え直せ」





創るセンス 工作の思考(森博嗣)

内容に入ろうと思います。
本書は、趣味でずっと工作を続けてきた作家・森博嗣の、森博嗣なりの『工作論』というべき作品です。
本書で森博嗣が伝えたいと思っていることは、二つあるのではないか、と感じました。
一つは、『どんな物体でも、計算通りにものが出来上がることは奇跡だと言っていい。』ということ。これは実際、前半部分で本書のテーマであるとして太字で書かれています。
そしてもう一つが、『みんな工作をした方がいい。工作のセンスは、実際に手を動かして工作をすることでしか身につかないし、工作のセンスは、工作以外のことにも応用できるから』ということです。
前者の、『どんな物体でも、計算通りにものが出来上がることは奇跡だと言っていい。』については、現在の『失われつつある工作のセンス』をメインに書かれている。
森博嗣の少年時代は、最後の工作世代だった。そのすぐ後にコンピュータが出てきて、子供たちはみんなゲームで遊ぶようになった。
森博嗣の世代では、ラジオを自作するのなんか当たり前だったし、子供向けの雑誌に基盤の設計図なんかが普通に載っていた。周りの子供達は何かを作っていることが多かった。それが普通だったのだ。
今の時代は、自分で何かを工作するという機会はない。ありとあらゆるジャンルで、選択肢が膨大になった。僕たちは、その中から欲しいものを『選ぶ』だけだ。森博嗣はそれを嘆いているわけではない。便利なのは、いいことだ。
しかし、そういう世の中になることで、失われてしまったことがある。それが、『工作のセンス』だ。
森博嗣は大学で工学を教えていた。そもそも工学というジャンルが既に、『工作の技術』を『数値などのデジタルデータにして万人に共有することが出来るようにする』という学問だ。その過程で、既に失われてしまっているセンスというものがある。
今の人達は、自分で何かモノを作ることがない。モノを実際に作ったことのある人間は、『設計図ではうまく行くはずだけど、ちょっと厳しいかもな』とか、『これがこうなったってことは、こういう風にすればどうにかなるかな』というような発想が出来る。しかし、自分でモノを作ったことがない人間は、『設計図さえ完璧ならば、理論的に可能ならば、それは作れるはずだ』と考えてしまう。
この差は、工学の世界では致命的である。
森博嗣自身も書いているように、『工作のセンス』と呼ばれるものを言葉で表現することは実に難しい。それは、工作をたくさん経験した人間でなければ実感できないものなのだ。そしてそれは、今の日本からは失われつつある。技術者でさえそうなのだ。
さらに、その技術者を監督する人間は、文系の人であったりする。そもそも発注をする人間は、文系の人間であることが多い。文系の人こそ、『設計図が完璧なら完璧なものが作れるだろう』と考えがちである。管理する人間、あるいは発注する人間にも、『物を完璧に作ることは奇跡に近い』という発想がなくてはならないのだけど、なかなかそうはならない。
工作のセンスが失われることの影響は案外大きい。そして工作のセンスは、実際に自分の手を動かしてモノを作ることでしか身につけることが出来ない。だから、何でもいいから自分でモノを作った方がいい、という話。
二つ目の、『みんな工作をした方がいい。工作のセンスは、実際に手を動かして工作をすることでしか身につかないし、工作のセンスは、工作以外のことにも応用できるから』は、子育てへの提案や、若者へのアドバイスに近い話になっています。
例えば、子供に工作のセンスを身につけさせるにはどうすればいいのか、教育というのは何が出来るのか、というような工作に関わる話から、小説を書くことも自分の中では工作に近いものだったという話や、工作のセンスが生きていく上でどういった役に立つだろうか、という話が書かれています。
相変わらずですが、森博嗣の言葉というのは明快で、なるほどなと思わせるものが多いと思いました。本書のメインテーマは『工作』で、興味のない人も多いとは思いますが(僕自身も、すごく興味があるというほどではない)、モノを作るという話だけに留まらない広がりがあるので、工作に興味のない人でも、新しい視点を獲得できるかもしれません。
時代が時代だからある程度は仕方ないとはいえ、僕もどちらかといえば、工作をすることが普通だった時代に生まれたかったなぁ、という感じがします。僕は大学時代馬車を作ったことがあるんだけど(演劇の小道具として。人が二人乗れて、人が乗った状態では動かなかったけど、人が乗った状態でなければきちんと動くもの)、一枚の写真から設計を全部自分で考えてというなかなか面白い経験でした。あの当時は、何か面白いものを目にすると、これを木で作るにはどうしたらいいか、と考えたものです。
なかなかそういう機会ってないんですよね。いや、もちろん言い訳ですけど、場所や環境がそれを許さないという部分もあるし(ただダンボールと接着剤みたいな工作なら部屋でも出来る)、やりたいことが他にあるんで時間が取れなかったりする。大学時代のその経験から、工作することは決して嫌いではないけど、優先順位は高くはならないよなぁ、と思ってしまいます。
それでも、本書を読んで、なるほど工作のセンスは多少なりともあった方がいいのかもな、という気はします。作るための『技術』は重要ではなくて、モノを作る過程において、『どうすればそれを作ることが出来るのか』という思考をする、ということが大事なんですね。その思考の積み重ねによって、工作のセンスが身についていく。そうやって、『設計図通りにうまく行くことが奇跡でしかない』工作を通じて、たくさん失敗し、経験を積み、思考を重ねることで、工作以外のことにも応用が効いてくるようになる。
ただ、工作のセンスだけがそれを実現するのだろうか、という疑問は少しありました。いや、もちろん森博嗣は、『工作をして工作のセンスを身につけないとダメだ』なんて書いてるわけじゃないんですけど、なんとなく印象として、『工作によって得られることを過度に評価している』ような気もしました。いや、もちろん森博嗣はかなり客観的な視点を持った人なんで、色んなことを相対的に考えて書いていると思うんですけど、人によっては、『工作をし、時間を掛けて工作のセンスを身につけていく』よりももっと進むべき道があるような気がしました。
とはいえ、子供の頃に工作を経験させる、というのはいいと思いました。そしてそれを実現するためには、大人がそれをして楽しんでいる姿を見せるしかない、というのもそうだよなぁ、と思いました。森博嗣は、教育というものを信じていない。子供の好奇心を育てないなら、教育をやめるべきだ、とまで書いています。本書を読むと、なるほど確かにそうかもなぁ、という気がします。
相変わらず森博嗣の文章には、思わず線を引きたくなる文章が多いです(というか線を引いてます、実際)。短い文章で、すっと本質を掴みとる点はさすがだなと思います。本書は、集英社新書から立て続けにでた三作のウチの一冊で、個人的には「自由をつくる 自在に生きる」の方がもっとオススメなんですけど、本書も素敵だと思います。工作のみならず、生き方や教育論なんかも出てきます。是非読んでみてください。

森博嗣「創るセンス 工作の思考」




リセット(垣谷美雨)

内容に入ろうと思います。
兵庫の高校で同級生だった三人が、東京のデパートで偶然再会した。
香山知子は、平凡な専業主婦。外見は綺麗だけど、日々家事をして終わる人生。子育てはもうほとんど終わっているけど、日々惰性のまま過ぎていく。結局このまま家の中のことだけして人生終わるんだろうなぁ、という漠然とした不満がある。夫への不満も募っているし、人生全然うまくいかない。
黒川薫は、コンピューター関連の会社で、女性ながら副部長になったやり手である。しかし、結婚もしていないし子供もいないということが、何故か社会で大きな足かせになってしまうことにやりきれない怒りを感じている。下の妹二人は、特に努力をしたわけでもないのに、結婚して子供を産んだというだけで母親に誉めてもらえる。自分は結局、何を頑張っても誉めてもらえはしなかった。
赤坂晴美は、昼はコンビニで、夜はスーパー銭湯でアルバイトをして生活している。自分の人生が狂ったのは、高校時代のことだ。妊娠させられ、挙句暴力を受けて流産、そのまま捨てられたのだ。本当に、切実に、人生をやり直したいと思っている。高校時代に戻って…。
再会した三人は飲みに行くことにしたのだけど、<遠来の客>というその居酒屋は、なんだか奇妙なところだった。地下の部屋に通され飲んでいると…。
三人は、記憶をそのまま保ったまま、30年前、高校三年生の時代にタイムスリップしてしまったのだ…。
というような話です。
これはなかなか面白い作品だなと思います。タイムスリップしてしまうという話は結構あるけど、3人同時にタイムスリップするという設定はなかなか珍しい気もします。
三人はそれぞれ元々の世界で、大なり小なり不満を抱えて生きている。人生やり直せたらなぁ、というどうにもならない希望を抱いていたのだ。それが現実になってしまった彼女たちが、生まれ変わった人生をどう生きていくのか。なかなか読みどころのある作品です。
時代設定と主人公の性別が非常にうまく物語に絡んできます。三人の主人公はすべて女性で、しかも彼女たちが高校時代から大人になっていく間、相も変わらず『男女の壁』みたいなものが大きい、そんな世の中なわけです。
知子は、女性だから家事や子育てをするのは当然だし、さらに夫の両親の世話をするのだって当たり前だ、というような周囲の圧力の中で不満を抱えていくのだし、薫も、自身は結婚しなくても子どもがいなくても満足した生活を送れているのに、社会は未だに未婚女性をなんだか変わった生き物であるかのように扱う風潮に心底嫌気がさします。晴美だけは他の二人と違って、男尊女卑の思想なんて当たり前じゃん、女は男を立てて巧く生きていけばいいんだし、私が会社の社長だったら、結婚したらすぐ辞めるような女に仕事なんて教えたくないわ、というような考えなんだけど、その晴美の考え方にしても、そういう時代に生まれたからそういう発想になったのだ、という感じもちょっとはあって、そういう、何だかんだでうまく生きていけない女性というものの姿を描いています。
今現在でも、何だかんだ言って男が社会的に上に立つような風潮はあるんだろうけど、それでもさすがに昔よりは落ち着いているんだろうとは思います。だから現在の女性は恵まれているなんていうことは言いませんが、この作品を読んでいると、やっぱり昔の女性は、特に向上心があったり男尊女卑の思想にまるで馴染めなかったりするような女性には、本当に生きていくのが大変な世の中だったんだろうなぁ、と思います。
今の生き方が嫌だから、高校時代に戻ってやり直したいと思った三人。とはいえ、そううまく行くわけがありませんね。結局人生なんて、「隣の芝生は青く見える」っていうやつで、どんな生き方をしてたって不満はあるし、不満のまったくない人生なんて、相当運が良い人が、相当色んなことを諦めている人か、たぶんどっちかしかありえないだろうと思います。
僕は正直、人生をやり直したいなんて思ったことは一度もありません。まして高校時代なんかに絶対戻りたくないですね。あんなに人間関係が大変でめんどくさかった時代はないと思います、ホント。今後もしかしたら、『人生をやり直したい』と思う日は来るかもしれないけど、それでも僕はきっと、『過去に遡ってもう一度人生を生き直したい』とは思わないでしょうね、きっと。
本書の三人も、今度こそはこんな風に生きてやる!と決意して、人によっては綿密に計算して、そしてそういう人生をある程度手に入れることになります。それでもやっぱり、不満が出てくるんですね。
たぶん大方の人にとって、人生で手にすることが出来るモノの総量っていうのは決まっているんだと思うんです。スーパーで、『袋詰め◯◯円』みたいに、ビニール袋に詰められるだけ詰めていくらみたいな売り方とかあったりするけど、あんな感じだと思うんです。
でも、人生にあるものって、僕らが持ってるビニール袋には到底入らないぐらい多いんだと思うんですね。中には、もんの凄いデカいビニール袋を持ってて、人よりは多くのものを持つことが出来る人もいるかもしれないけど、それでも全部じゃない。僕らが抱える不満ってのは結局、自分のビニール袋に入れることが出来なかったものを見て、『あーあれが手に入らなかった』と言ってるようなもので、それを手に入れるには、今自分が手にしている何かを手放さなくてはいけないのだ、というところまで思考が進まないんだと思うんですね。
だから当然、どんな人生を歩んだって不満はあるし、手に入らないものばかりだ。それをとやかく言ってたって仕方ない。本書の三人も、最後の最後では結局そういう部分を受け入れることとが出来た(んだと思う)わけで、そういう意味ではタイムスリップした意味はあったのかもしれないな、という気はします。
三人三様のかなりタイプの違う女性が描かれているので、多くの女性が、誰かに自分を投影して読めるんじゃないかなと思います。あと、是非これは男にも読んで欲しいですね。本書で描かれているのが、『女性の総意としての意見』ではないだろうと重々承知の上で、でもやっぱり、女性はこんな風に感じているのだ、ということを知るいい機会ではないかなと思います。僕は男ですけども、本書で描かれる男はダメだなぁと思う人が多いですよ、ホント。
あと、作品全体としては大した部分じゃないんだけど、僕的には、最後にチラッとだけ出てくる池田っていう男の意見に賛同でした。「結婚なんて男にメリットがない」とか、「子供なんてわけのわからない生き物がいたら楽しい生活台なしだよ」というような意見は、聞く人が聞けば怒るかもですけど、僕はその通りだよなぁ、と思ってしまいました。
そんなわけで、タイムスリップという設定はなかなか非日常的ですが、作品全体としてはかなり身近に感じられるのではないかな、と思います。息苦しさを感じている女性だけでなく、女性を気持ちを蔑ろにしがちな男(もちろん僕も含めてですが)にも是非読んで欲しい作品です。

垣谷美雨「リセット」




いちばんここに似合う人(ミランダ・ジュライ)

内容に入ろうと思います。
本書は、16編の短編が収録された短篇集です。本当はそれぞれの短編の内容を紹介したいんですけど、僕にうまく消化できる物語ではなかったので、タイトルだけ羅列しようと思います。

「共同パティオ」
「水泳チーム」
「マジェスティ」
「階段の男」
「妹」
「その人」
「ロマンスだった」
「何も必要としない何か」
「わたしはドアにキスをする」
「ラム・キエンの男の子」
「2003年のメイク・ラブ」
「十の本当のこと」
「動き」
「モン・プレジール」
「あざ」
「子供に話を聞かせる方法」

本書は、世間的にかなり評価の高い作品です。僕は基本外国人作家の作品をあまり読まないんですけど、あまりにも評価が高いんで気になって読んでみました。
僕的には、雰囲気は凄く好きな作品です。文章の雰囲気とか、登場人物の雰囲気とか、そういうのは結構好きな感じでした。
でも、僕は基本的に、文学チックな作品や古典作品はまったく読めない人間なんです。読解力があまりにもなさすぎるんで(国語の授業も大嫌いでした)、ダメなんです。本書もたぶん、文学チックな作品なんで、僕のあまりの読解力のなさでは、ちょっとうまく読みこなせないんですね。
とはいえ、別に難しい話ってことはないです。どの話も、もちろん外国が舞台だけど、身近なことを舞台にしています。海も湖も川もない州で、洗面器を使って水泳を教える女性の話とか、妹を紹介してやると言われたのに一向にその妹に出会うことが出来ない男の話とか、そういう、日常的というほど身近ではないけど、遠さを感じるほど非日常的というわけでもない、どちらかと言えば親しみやすい設定だったりストーリーだったりすると思います。
本書に付された推薦文や訳者のあとがきに、本書では孤独を抱えた人たちが描かれている、的なことが書いてあるんだけど、それはまさにその通りだな、と思いました。孤独を抱えた人たちが、日常に抵抗しようとふんばるのだけど、どうにもうまくいかない、みたいな無力感みたいなものが描かれているような気がします。難しいことはちょっと分からないんですけども。
そんなわけで、世間的にものすごく評価が高い作品なんで、読解力のない僕の感想なんか無視して読んでみた方がよかろうかと思います。本当に、こういう作品を読んで「これは素晴らしい!」って言えるような人間になりたいものですよ。

ミランダ・ジュライ「いちばんここに似合う人」




「買いたい!」のスイッチを押す方法 消費者の心と行動を読み解く(小阪裕司)

内容に入ろうと思います。
本書は、脳の仕組みや、「感性」や「行動」と言った側面から消費者の行動を分析する専門家である著者の、じゃあ実際どういう風にしたらモノを売ることが出来るのか、という話が書かれている本です。
どんな内容なのか書く前にこれだけは書いておくけど、これはとにかく素晴らしいなんてもんじゃない本でした。何らかのモノを売る立場の人だけでなく、作る人、それらを管理する人、お金は絡まないけど『誰かを惹きつけなくてはいけない』人、そういうすべての人が読むべき本だと思います。
本書は、主に三つの柱を軸に話が進んでいく。
一つ目は、「人が買い物をする心と行動のメカニズム」について。
二つ目は、「実際にお客さんの購買活動を創りだすための、マーケティングフレームと実践メソッド」について。
三つ目は、より成果を出していくために必要な、「顧客の感性をいかに磨いていくか」について。
一つ目のトピックでは、著者は最終的に「感性情報×購買行動モデル」という、消費者がどういう考え・行動の末に「買う」という行為に至るのかということを、脳科学的な知見を織りまぜながら書いていきます。
僕らは普段、「買う」という行動について詳しく考えてみることはないけど、これは高度な情報処理の結果引き起こされる行動だと言います。そしてその中心には、二つの大きなハードルがある、と。
一つが、「買いたい」か「買いたくない」か、というハードル。これを著者は、著者の自宅にいくつもあるらしい、『鉄の塊』を例にとって説明しています。
この鉄の塊は、ルーカスフィルムが正式に認可したライトセーバーのレプリカだ。そういう説明を聞いても、スターウォーズとかライトセーバーとかに興味のない人には、「買いたい」という欲求は起こらない。例えそのライトセーバーのレプリカが3000円で売っていても、「買いたい」とは思わないだろう。これが一つ目のハードル。
そしてもう一つのハードルが、「買える」か「買えない」かのハードル。今それを買ってしまうと後で困ることになるかもしれないとか、妻が反対するかもしれないとか、そういうことである。
「買う」という行動を分解すると、細かく挙げていけば色々とあるのだけど(この、「消費者の行動を細かく分解する」というのは、消費者の行動を把握する上で重要だからやるべきだ、という話が本書の中盤で出てくる)、とにかく売る側はこの二つのハードルを越えなくてはならない。そして前者のハードルの方が圧倒的に高いのだ。
じゃあそのハードルを乗り越えるのに必要なものは何か。それが、著者が「感性情報」と呼ぶものです。
ここで脳科学の話がちらっと出てくる。脳にはドーパミンシステムと呼ばれる報酬系がある。「買う」という行動が起こるためには、まず「動機」が必要なのだけど、恐らくその「動機」は、脳のドーパミンシステムが担っているだろう、と考えられている。
そしてそのドーパミンシステムは、『新しい情報』に反応し、それが『満足感の核』となって『動機のシステムをスタートさせる』んだそうです。
つまり、ドーパミンシステムを刺激するような『新しい情報』(これを著者は「感性情報」と呼ぶ)をいかに提供できるのか。それが重要だと本書では書いています。
さて二つ目のトピックでは、「実際にお客さんの購買活動を創りだすための、マーケティングフレームと実践メソッド」が語られる。実際に著者が関わってきた具体例がいくつも載っていて、それら一つ一つは、なるほどなぁ、という感じで非常に役に立つ。しかし、それらの具体例を読むのにまず、大事な前提条件が書かれるのだ。
それが、『消費者は一体何を買っているのか』ということである。
ブランド物の高い服を友人に勧めた、という著者自身の体験を例に、著者は、消費者がただ単にモノを買っているのではない、と言う。
それはここ最近より顕著になってきた感じがする、と著者はいう。モノやサービスはもう溢れきっていて、消費者は単なるモノやサービスを求めていない。では何を求めているのか。
ここで著者は、「being」というキーワードを出します。そして消費者は、このbeingこそを求めているのだ、と。
beingというのは、「自分とは何者か、ということへの問い」、もう少し分かりやすく言うと、「自分で大好きだと思える『私』にどうやったらなることが出来るのか」ということだ。
つまり消費者は、モノを買うことを通じて、『未来の自分』あるいは『未来へのチケット』を買っているのである。
これをきちんと踏まえた上で、それをお客さんに「感性情報」として有効に届くような実践をすれば、売上を上げることが出来る、という話が書かれます。
三つ目のトピックは、消費者や売り手側である自分自身をより高めるにはどうしたらいいのか、という話になります。
まず消費者について。お客さんの感性はずっと同じなわけではなく、常に変わっていく。だからこそ、売り手側が積極的に、そのお客さんの感性を育成する、ということを実践していかなくてはいけないんだ、という話。ここでも具体例を出しつつ、お客さんの感性を育成するためにはどうすればいいのか書かれています。
さらに、本書で提唱するような「感性情報×購買行動モデル」への実践を、売り手側がトレーニングするためにはどうすればいいのか、という話も出てきます。どういうことを日々心がけて行動&思考をすれば、お客さんの感性に働きかけるような情報提供、あるいはお客さんの感性を育成するような行動を取ることが出来る人になれるのか、ということが語られます。
というのが本書の全体的な流れです。
いやはや、素晴らしい作品でした。僕自身が書店で働いていて、日々自分がオススメしたい本をどうやったら売ることが出来るか考えている、ということもあるんですが、本書は本当に僕みたいな現場の人間以外の人にも参考になる知見に溢れた作品だと思いました。
僕が一番感動したのは、『消費者はモノを買っているわけではない』という話。これは、確かに考えて見ればその通りなんですけど、そういう発想はしたことがなかったです。本書に書かれている色んなことが、自分にはちょっと難しいなぁ、と思う人でも、『自分はモノを売っているわけではないのだ』という発想を持つだけでもかなり変わってくるんじゃないかな、と思います。
僕も、自分はずっと『本』っていうモノを売ってると思ってたんですけど、そうじゃないんだな、と。『僕は本を売っているわけではない』ということを常に肝に銘じて仕事をしようと思いました。
モノを買うことを通じて『未来の自分』を買っている、という発想は、かなりPOPに反映できる考え方です。つまり僕らは『お客さんは小説を読んだ後の自分がどうなっていて欲しいと願っているのか』『お客さんは実用書を読んでどんな未来を夢みたいのか』ということを想像しながら、そこを刺激できるような「感性情報」をPOPに埋めこまなくてはいけないんだな、と思います。
例えば、深く考えていない例で申し訳ないけど、例えばダイエット本のPOPなんかを書く時、その本がどんな本なのかという情報よりも、
『クローゼットの奥にあるサイズの合わない服、捨てるのもったいないよなぁ』とか、
『ダイエットに成功したら行きたいってずっと思ってたの、同窓会』とか、
そういう、その本を読むことで、どんな未来へのチケットを手に出来るのか、ということを訴えかける方が重要なんだろうな、と思いました。
これは、小説を売る時にはちょっと難しいかなぁ、という気はするんだけど(小説って、もの凄く好みが分かれるものだから、万人に届くような具体的な感性情報の提供はかなり難しいと思う)、実用書やビジネス書、あるいは絵本とか写真集とか、そういうものを売る時なんかはいいんだろうなぁ、という感じがします。
今ふと思ったけど、この感性情報を刺激するようなPOPって、まさにヴィレッジヴァンガードだよなぁ、と思いました。短いフレーズで、理屈ではなくなんとなく感性に引っかかるようなフレーズを生み出すのがうまいですよね、ヴィレッジヴァンガードの店員さんって。そう考えると、小説を売る時も応用できるか。
「消費者の買うという行動を分解する」というのも、なるほどという気がしました。細かく細かく分解すると、買うという行動もかなり多くのステップに分かれていることが分かります。そのどのステップでお客さんが立ち止まってしまっても、買うという行動は導かれない。だからこそ、その各ステップでいかにお客さんを惹きつけるのか、ということを考えるのが重要だ、という話なんですね。
まあこれも、言われてみれば当たり前の話なんですけど、考えたことがなかったです。例えば本屋でも、「店に入る」「棚の前で足をとめる」「本に手を伸ばす」と色々ステップはあるけど、それらの行動はお客さんが自発的にしてくれるとは限らない。だから、それらの各ステップで、いかにお客さんにその行動をしてもらうのかを考えなくてはいけない、ということなんですね。なるほどなぁ、という感じがしました。
また本書では、あるスーパーでひと月に1000個も売れるようになったプリンの話が出てくるんだけど、その具体的な話が色々書かれた後で、著者はこれをこんな風にまとめている。

『私はこの一連の出来事をこう解釈している。彼女たちは単にプリンをたbたくなっただけでなく、この町で起こったワクワクする「プリン事件」に参加したくなったのだ。「ねぇねぇ、あれ食べた?」「まだ。そんなにおいしいの?」「うん。だって実はプリン王が…」という会話や、誰かの家を訪ねたときにお土産に持って行って、「ねぇねぇ、これ知ってる?実はね…」とひとしきり語った後、みんなでワイワイ言いながら食べる、そんなひとときを味わいたかったのだ。
彼女たちはプリンを買いにきたわけではない。ワクワクする未来を買いに来ていたのである。』

この発想は、『ワクワクする未来を買いに来ていた』というような言葉に変換できてはいなかったけど、僕も結構前から持ってた。僕の中では、「ウチの店周辺の狭い範囲でクチコミをもたらす」という発想だ。結局本でもなんでもそうだけど、一番強い購買動機は、「誰か知ってる人に勧められたから」ではないかと思う(これが「感性情報」になるというのもおかしくはないだろうし)。だからこそ、周辺でクチコミが熟成するように、長い時間を掛けて売るというスタイルを取っている。たぶんこのやり方のお陰で、僕はある特定の本をかなり(というか、全国の書店で1位の売上というのもある)売ることが出来ているんだと思うんだけど、まさにそれは、本書で著者が言う、『ワクワクする未来を買いに来ていた』ということではないかと思うのだ。周りの人が勧めるそんなに面白いらしい本がここにあるらしいよ、というクチコミが実際にウチの店の周辺で広がってくれているかは確認のしようがないけど、そういうクチコミが発生してくれるのを期待できる売場作りというのを常に心がけてはいます。
あともう一つ。『お客さんの感性を育成する』という発想も、僕は結構昔から持ってました。僕が持ってた発想は、『感性を育成』という感じでまとめていいのかどうかよくわからないのだけど、とにかく僕は昔から、
『お客さんが自分で本を選ぶ力を書店の売り場が育てなくてはいけない』
と思ってきました。最近の書店は、もちろん売るための努力なんですけど、新刊・話題作中心の売り場だったり、目立つように多面展開が全面に押し出されていたり、今売れているランキングが掲示されていたりするんだけど、僕はそういう傾向は、『お客さんの本を選ぶ力をどんどん奪い取っているだけなのではないか』という気がずっとしていました。だから僕は、今挙げた三つは基本してないし、POPなんかで本を推す時にも、『売る側が押し付けたのではなく、POPに書かれている文章を読んでお客さんが自分で買うことを決めたと感じられるように』と意識しています。「新刊・話題作だから」「多面展開されているから」「ランキングで上位だから」というだけの判断基準で本を選ぶお客さんばかりになってしまえば、書店というのは売場面積だけでしか勝負の出来ない業界になってしまうと思っています。僕は、おこがましいと思いつつ、これからも『お客さんの本を選ぶ力を育てる』ことが出来るような売り場作りをしていこうと思います。
あと、本書のメインの話とは全然関係のない、どうでもいい話を書いて感想を終わろうと思います。
本書では、ミラーニューロンと呼ばれるものが紹介されます。これは、『自分が行動していないことでも、他者が行動しているのを見ることで、自分が行動したのと同じように感じる』脳の働きのことです。例えばある実験で、「バナナを掴む」や「モモをかじる」という文章を読ませた場合と、実際その行動を取らせた時とで、脳の同じ場所(それがミラーニューロンなんですが)が反応していた、とのことです。それを読んで僕は、なるほど官能小説が売れるわけだよな、と思いました。
そんなわけで本書は、現場でモノを売る人間だけではなく、モノを作る人や、あるいはお金が絡まないものでも『誰かを惹きつけなくてはいけない』ことに携わっている人など、ビジネスパーソンなら必読の内容ではないか、と思いました。これは分量的には短いけど、相当ぎっしり詰まっている素晴らしい本だと思います。是非是非是非是非読んでみてください!

小阪裕司「「買いたい!」のスイッチを押す方法 消費者の心と行動を読み解く」




ある日、アヒルバス(山本幸久)

内容に入ろうと思います。
本書は、東京近郊をバスで観光する旅行を企画し運営する小さな旅行会社・アヒルバスを舞台にした作品です。
主人公は、アヒルバスでバスガイドをしている高松秀子(通称・デコ)。デコは、高校時代特になりたい職業もなかったのだけど、先生に、「朗読がうまいからバスガイドがいいよ」と勧められ、その気になって今にいたるのだ。
入社して五年目。ガイドはお手の物だけど、彼氏もいないし、世間の人と休みが合わないから昔からの友人とも疎遠になっている。アヒルバスの面々も、友達という感じではない。そういう意味では、実に寂しい毎日だ。
寂しいと言えば、三原先輩がいなくなってしまったことが本当に悲しい。三原先輩はデコの先輩バスガイドで、鋼鉄母さん(と呼ばれている古参のバスガイドがいるのだ)と一緒にバスガイドの新人教育をずっとやっていた。デコもよく三原先輩に愚痴を聞いてもらったり、ガイドに役立つ情報を教えてもらっていたりしたのだ。
久々の定期観光(企画物ではなくて、通年でいつもやっているもの)のガイドの担当。偽伯爵が来たり(アヒルバスのツアーに頻繁に顔を出す常連さん)、英語でノートにメモを取る謎の女子高生がいたり、うるさいオバサン三人組のパワーに負けそうになったり、事あるごとにデコを賭けの対象にしようとする集団がいたりと、まあいつものことのようないつものことのようじゃないようなガイドを終えると、デコは鋼鉄母さんに呼ばれる。
何かしただろうか。
なんとデコに、新人教育の担当になれと、つまり三原先輩の後釜に収まれ、という話だった。いやはや、そんな無茶な…。
というような話です。
いやはや、さすがに山本幸久は面白い小説書くなぁ。これだけ長い話なのにすいすい読ませる力はさすがだし、マンガっぽいタッチでキャラクターを描くのが凄くうまいなと思いました。山本幸久の作品はどれも、安心して手に取れて、リラックスした感じで読める、本当に娯楽小説という感じがします。普段小説を読まない人が、こういう作品から小説を読む面白さを知ってくれたらいいなぁ、と思うんだけど。
デコの視点からアヒルバスの世界を描いているんだけど、なんかちょっとふわふわしているデコのなんとも言えない軽妙さが読んでて楽しいです。ガツガツ行くでもなく、かといって引っ込むでもない、中庸という感じのデコの生き方に、なんか自分の人生もこんな感じだよなぁ、と思えてしまう人は多いんじゃないかなぁ、と思います。
デコは、仕事はそれなりに楽しいけど、彼氏もいないし、親しい友人もいないし、なんかなぁ、と思ってる。別に悲観してるわけでもないけど、もう少し人生面白くってもいいんじゃないか、って思ってる。この作品は、いわゆる<お仕事小説>だけども、そういうデコの、なんだかままならない人生への逡巡みたいなものも時折透けてくるんで、共感できる人は多いんじゃないかなと思います。
アヒルバスの日常はかなり面白いです。デコがバスガイドとして添乗しているツアーの様子ももちろん面白いんだけど、アヒルバスの女子寮での生活とか、新人教育の現場とか、鋼鉄母さんとの朝のチャリの競争とか、そういう部分も本当に楽しく描くんですね。わいわいやっているところを描くのもうまいけど、デコみたいなぽわわんとしたキャラクターを主人公にして、ちゃんとキリっと引き締るような場面も書くんですね。そういう緩急の付け方もうまいなぁ、と思いました。
前にバイト先にいた人で、旅行会社に就職して、今添乗員として全国津々浦々飛び回っている(はず。時々店に顔出す時にしか話さないからよくは知らないんだけど)人がいるんだけど、その人に是非読ませてあげたいなぁ、と思いますね(自分の仕事と近い設定の話をわざわざ小説で読みたくない、って言われるかもですけど)。本書では、まあもちろん困ったことも、凄く困ったことも描かれるんだけど、実際にはもっと大変だろうし困ったこともあるんだろうなぁ、と思うと、読ませた上で実際どうなのか聞いてみたい気もします。
僕が一番好きなキャラは、鋼鉄母さんの息子のカオルです。このカオルがいいんですよ。喋り方もおかしいし、どう考えてもその年令じゃ知ってるはずない言葉を知ってるだろ、みたいに突っ込みたいところは山ほどあるんだけど、僕のツボにはまりました。癒されますね、カオルに。
山本幸久は本当に、誰でも安心して楽しめる、肩の凝らない、軽妙で楽しい作品を書く作家です。ちょっと厚いように見えると思いますけど、すいすい読めてしまうと思います。是非読んでみてください。

山本幸久「ある日、アヒルバス」




メロディ・フェア(宮下奈都)

内容に入ろうと思います。
主人公の小宮山結乃は、『無人島に何かひとつ好きなものを持っていっていいと言われたら、迷わず口紅を選ぶだろう』というぐらい、子供の頃から口紅に、そして化粧に興味があった。
結乃は大学を出て、田舎に戻って就職することに決めた。もちろん、目指すは化粧品のカウンターである。田舎に戻りさえすれば…、という甘い考えがあったことは否定しない。望んでいた会社には入れなかった。結乃は、望んでいたわけではない会社で、しかし望んでいた仕事であるビューティーパートナーとして働き始めた。デパートではなく、モールであるというのも残念だった。何もかも、うまくいかない。
あの売り場のもうひとりのビューティーパートナーは、凄腕だよ。
そう言われていたので、期待していたのだけど、馬場さんは、凄腕なのかどうか分からなかった。もちろん、馬場さん目当てのお客さんはたくさんいる。でも、凄腕、という感じは、ちょっとしない。
結乃の方はと言えば、売上はさっぱりだ。相手を綺麗にしてあげたい、という気負いが大きすぎるのか、結乃についてくれるお客さんはほとんどいない。いるのは、何故か唐揚げをくれる、でも化粧品はまったく買わない、息子の嫁の悪口を言う浜崎さんぐらいだ。
夕方、中途半端な時間に、「メロディ・フェア」が流れる。ちょうどその頃、『鉄仮面』とあだ名を勝手につけた女性がやってくる。恐ろしいくらい、分厚いメイクをした女性だ。結乃も馬場さんも、なるべく関わるまいと、視線を合わせない。
結乃は実家で、母と妹と暮らしている。家では、化粧の仕事をしている結乃は異端だ。口紅の話は、家族の間ではある種のタブーになっている。妹は大学の数学科に通い、化粧を毛嫌いしている。妹との関係は、良くも悪くもない…。
というような話です。
『化粧というものに対して、女性がどんな風に感じているのか』ということをもう少しきちんと知っていればよかったなぁ、と感じました。というかこの作品を読んで、やっぱり僕は化粧というものに興味も関心もないのだなぁ、と思いました。
こういう意見の男というのは多いと思うんだけど、僕はなるべく化粧をしすぎていない感じがいいなぁ、と思うんですね。まあとはいえ僕には、『薄く化粧をしている』のと『すっぴん』の違いがまったくわからないんですけど、『化粧が濃い』というのは分かるんで、それはあんまり好きじゃないなぁ、と思うんですね。
まあ世の中には色んな女性がいると思うんです。化粧に対する感じ方も人それぞれなんだと思います。一昔前に女子高生とかに流行ったガングロメイクなんてのもあれば、普段はすっぴんという人もいるでしょう。それでも、やっぱり女性であれば、何らかの形で化粧というものと関わらなくてはいけないんだと思うんです。するにしてもしないにしても、女性であるというだけの理由で、化粧というものに囚われてしまう、という部分はかなりあると思うんですね。
そういう、否応なしに化粧というものに巻き込まれてしまう女性が読んだらまた感じ方は違うんでしょうけど、化粧をするということが女性にとってどういう意味合いを持つのか、深いところまで理解するのは難しい僕には、ちょっと重ね合わせるのが難しい作品だったな、という感じがします。
女性の場合やっぱり、例えば、初めて口紅をつけた記憶とか、化粧で失敗した記憶とか、化粧をしないと決めた記憶とか、そういう色々な記憶があるんだと思うんですね。そうすると、せめてこういう時だけは綺麗でいたい、という女性ごころとか、あるいは化粧なんかに左右されたくないという感覚なんかは、それが自分の価値観と同じかどうかは別として、理解できるんだろうな、と思います。僕にしたら、ほんの一刷けチークを入れるだけで顔の印象がまるで変わる、という描写があるんですけど、そういうのはなかなか実感できないんですね。そこでどうしても、物語との距離感を感じてしまったなぁ、という感じはありました。
僕が好きなのは、結乃の家族の話ですね。これはいいな、と思います。同じ体験を共有している姉妹が、一方は化粧に魅入られ、もう一方は化粧を毛嫌いするようになっているのだけど、その姉妹の物語が凄くいい。どうしても口紅に魅入ってしまう結乃は、化粧を毛嫌いする妹と、どこか決定的に距離を感じてしまう。妹が化粧を毛嫌いしている理由は知っているけど、それはただ意固地になっているだけだ、と結乃は感じている。妹は、ほんの少し化粧をするだけで見違えるほど綺麗になるはずだ、と結乃は信じている。けど、他生のわだかまりが横たわっている姉妹にとって、相手への理解は残念ながら遠いんですね。
そんな中で、妹との関係性が変わっていく流れはいいと思うし、ラストの展開はなかなかいいな、と思いました。個人的には、もっと結乃の家族の話を読んでいたいなぁ、と思ってしまいました。
逆に、ミズキとの話はよくわからない感じがあったなぁ、と思うんです。ミズキというのが誰なのかはここでは書かないけど、ミズキもまた、結乃の妹とは違った形で化粧に囚われてしまっている人だったりするわけです。そのミズキの頑なな感じは、何なんだろう、と感じてしまいました。結乃と妹の話では、感じ方はまったく違ったにせよ、姉妹が経験したある出来事が決定的だったのに対して、ミズキの頑なな感じというのがどこから湧いてくるのか、まあ確かに作中で書かれてはいるんだけど、うまく実感できない、という感じがありました。確かにミズキは突拍子もないような発想過ぎるのかもしれないけど、ちょっとなかなか共感出来るというところまでいかないなぁ、と感じてしまいました。
しかし、宮下さんの、弾むような文章、とでも表現すればいいのかな、そういうのはやっぱり好きだな、と思います。うまく表現できないんだけど、弾力がある感じがするんですね、文章に。指で触ったら弾力で跳ね返されるんじゃないか、っていうような躍動感がある。別に登場人物たちの動きの表現が凄いとかそういう意味の躍動感じゃなくて、文章が躍っている感じがするんです。作風は全然違うけど、「田舎の紳士服店のモデルの妻」でも似たような躍動感を感じて、こういう文章を書ける人ってそうはいないよな、と思いました。文章の緩急みたいなのも好きで、引き締める時はぴしっと引き締める一方で、ゆるゆると緩めるところはきちんと緩んでいる。そういうバランスの良さみたいなものはさすがだなと思いました。
化粧になかなか馴染みのない男にはちょっと馴染めない物語の可能性はあるけど、化粧というものと否応なしに関わらなくてはいけない(化粧をするにしてもしないにしても、という意味です)女性にはまた別の感じ方があるんだろうな、と思いました。化粧について、何か感じ入るところのある人は、読んでみたらいいかもしれません。

宮下奈都「メロディ・フェア」




デフレの正体 経済は「人口の波」で動く(藻谷浩介)

内容に入ろうと思います。
本書は、「100年に1度の不況」と言われる現代日本で、実は一体何が起きているのかを、一般にも公表されているデータから事実を広い集めることで示し、さらにそれにどう対処していくべきなのか、という提言が載っている作品です。
とにかく内容についてあれこれ書く前に。これはもうとんでもなく面白い作品でした!新書として考えれば多少分量は多い方ですが、これだけ短い内容で、これだけ分かりやすく日本の現状を説明しているというのは凄いなと思います。これはマジで、日本人必読、だと思います。
僕はこれから、本書の内容についてあれこれ書きますけど、僕は基本的に経済の知識はほとんど持っていません。だからこれから、間違ったこと(本書ではそんな風には言ってないのに、僕が勝手に解釈を間違えてしまっていること)を書くかもしれませんが、それはホントすいません。
著者は、日本の経済を語る人たちが、『事実を見ないで空気だけで物事を語っている』ことを指摘しています。『景気が良くなれば◯◯』とか、『GDPが上がりさえすれば◯◯』とか、『出生率が低いから◯◯』とか、そういう議論の前にすることがあるだろう、と言います。
それが、絶対数を知る、ということ。著者は、『◯◯率』というような数字(出生率や有効求人倍率やGDPなんかもそう)は基本的に重視しません。現在の日本の慣行では、この『◯◯率』という数字で色んなことを判断するというのがまかり通っているらしいんですけど、それは違うと言います。『◯◯率』という数字は、何を何で割っているのかをきちんと把握しないと意味が取れないし、その意味をきちんと取らないままで議論をしている人が多いらしいです。
で、著者は、国勢調査など、HPなどで一般的に公開されているデータの中から、基本的に『全数調査』されている(国勢調査は回答しない人もいたりするから厳密には全数調査ではないんだけど、例えば税務署のデータなど、否応なしに全数調査になるデータが多い)『絶対数』が扱われているデータから現状を分析しています。
日本は今『100年に1度の不況』だと言われているけど、実際はどうなのか。
例えば貿易のデータを見ると、不況だ不況だと言われているけど、貿易黒字は相変わらず。よく日本は、国際競争力がどうのと言われることが多いですが、貿易では相変わらず黒字を出し続けています。
では何が問題か。それは『内需縮小』です。とにかく、国内でモノが売れない。
この『内需縮小』の犯人を『地域間格差』だとする考える人が多いようなんですけど、著者はこれを絶対数のデータを見て否定します。著者は、小売販売額という絶対数(専門家はこのデータをあまり使わないとのこと。「水準」ばかり見ていて、絶対数に興味がないらしいです)を使って、青森と東京の、小売販売額を比較します。
すると、青森より東京の方が、小売販売額の落ち込みが一層激しい、ということがわかります。東京の独り勝ちで地方が割を喰っているというのは、あくまで「空気」でしかなく、データはそれを否定するんです。
また、絶対数を見るとこんなこともわかります。1990年からの10年間は、「失われた10年」と呼ばれているそうなんですけど(何が失われたのか、僕はよく知りませんが)、その間青森の個人所得(課税対象所得額)は4割も増えているんだとか。それが98年をピークに下がっていく。また90年代半ばは「就職氷河期」と呼ばれていて、実際90年から95年の5年間で、完全失業者は191万人から288万人に増えている。国内のどの議論でもこれは、「バブル崩壊」によるものだ、とされているらしいんですけど、でも実際同じ時期に、就業者数が246万人も増えているんだそうです。確かに、完全失業者も増えたけど、就業者も増えている。これは本当に「就職氷河期」なのか。こういうデータも、著者の言う日本経済を崩壊させつつある本当の原因で起こっているわけです。
じゃあ一体何が原因で『内需縮小』が起こっているのか。その最たる理由を著者は二つ挙げます。
『生産年齢人口の激減と高齢者の激増』と『高齢者による将来の医療費の先行投資的な意味での貯蓄』です。そして本書のメインは前者の、『生産年齢人口の激減と高齢者の激増』です。
生産年齢人口というのは、経済学的に定義された現役世代、というような感じらしくて、公的なデータでは15歳から64歳までのことだそうです。著者も同じくそのデータを使います。この生産年齢人口が激減していて、一方で高齢者が激増していることが、ありとあらゆる原因なわけです。『内需縮小』は、生産年齢人口の数が減ったことでそもそもの消費者が減っているわけだし、就職氷河期は実は、これから就職しようという世代の人口がとんでもなく多かったせいで起こっているわけです。
日本は、いわゆる『団塊の世代』と『団塊ジュニア世代』の人たちが牽引してきたと言っていいです。彼らが現役世代、つまり生産年齢人口であった時は、生産年齢人口=消費者と考えていいので国内でもものはバリバリ売れたし、企業がモノをどんどん作っても消費してくれていたわけです。ただ今、その団塊の世代の人たちが高齢者になろうとしている。さらに、子供がどんどん減っているので(著者は、『出生率』という数字についても重視しません。少子化は出生率が下がっていることが原因だ、と考えている人が多いけど、出生率の減少は少子化の原因の一つでしかないのです。もう一つは、親世代の減少です。だから、出生率が上がりさえすれば少子化が解消する、というのは間違った意見なんだそうです)、生産年齢人口が劇的に減少している。
データを見ると、どんどん人口が流入しているはずの首都圏(実際に人口は増えている)でも、生産年齢人口は激減しているんだそうです。つまり、人口増加は、高齢者ということになります。
とにかく今、「100年に1度の不況」どころの騒ぎではなく(本書では、バブルさえも人口問題として説明されているので、景気が良いとか悪いとか、そういう議論は著者にとってはナンセンスなんですが)、「2000年に1度の生産年齢人口の減少」というとんでもない事態なわけです。著者は色んなデータを挙げて、高齢者がこれからどのぐらい増えるか、また生産年齢人口がこれからどのぐらい減っていくかという推計をするんだけど、これがちょっととんでもない感じです。高齢者が増えすぎる一方で生産年齢人口は減り続け、たとえ今年から出生率が2になっても生産年齢人口が減り続けるという推計なんだそうです。
生産年齢人口が減るから国内の消費が落ち込む、国内の消費が落ち込むから企業は値下げをする。値下げをすると特に若い世代がより給料をもらえなくなる。さらに国内の消費が減るという負のスパイラルが、現在の日本で起きているんです。
じゃあどうすればいいのか、という話も本書に書かれていますけど、それは是非読んでみてください。
とにかく本書は、物凄く分かりやすいんです。もちろん、僕は経済の知識がまるでなく(経済学の知識、ではなく、現実の経済の知識が、ということ)、データを読み解くのも苦手なんで、そういう意味で難しいなと感じる部分はあったんですけど、著者の言っていることは明快です。
とにかく、『経済学ではこう言っている』なんてことは一言も言いません(想定される反論に対抗するため、という意味では出てきますが)。著者はとにかく、実データ(しかも、率ではなく絶対数)を見て、そこから分析して出てきたことを事実として受け止め物事を考える、というやり方をしています。この話の持って行き方は素晴らしいと感じました。
というか、僕は新聞やらテレビやらあんまり見ないんで、経済の専門家と呼ばれる人たちがどんな議論を展開しているのか知らないんですけど、本書を読んで、『◯◯率』という数字を基にあれこれ言うのは危険なんだな、というのがわかりました。著者は一貫して絶対数にこだわっていましたけど、確かに絶対数を見ると、『◯◯率』という数字から得られる感覚と現実の状況が乖離しているな、と感じることが多かったです。というか、どうして専門家たちは絶対数のデータを使わないんだろうなぁ。
僕には、著者が言っていることが正しいのかどうか、というのは正直判断出来ません。人口の増減によって日本経済が上下してきたという説明はものすごく分かりやすいし説得力がありましたが、著者が講演なんかをすると反論する人もいるようだし、amazonのレビューを見ても納得できない点を挙げている人がいたんで、どうなのかはわかりません。ただ、『経済学の前提ではこうなるはずだから』とか、『(データ碌に見ずに)現状はこうなっているはずだ』というような話の進め方をする人たちよりは、断然話に説得力が感じられました。実データを基に現状を把握し、それに見合った仮説を当てはめ検証するというのは、まるで理系の研究のようなステップだったので、理系の僕には分かりやすかったんだろうと思います。逆に、なまじ経済学の知識があったりする人には、受け入れにくいと感じる部分が多かったりするのかもしれません。でもそれは、例えば物理の世界で量子論なんてのが出てきた時の物理学者の反応と同じで、古典力学の常識では到底受け入れられないようないくつもの事実や仮説が生まれてきたけど、最終的には多くの物理学者がその、古典力学に反する現実を受け入れ、量子論という分野が誕生したわけです。著者の意見も量子論のようなもので、古典力学の常識から抜け出せない人からは猛反発が来るけど、最終的には正しいと判断されるのではないか、という感じがします。
感想で色々書こうと思ってドッグイヤーをしまくったんですけど、いざ書こうと思うとどう整理したらいいのか難しくてあんまり書けませんでした。本当に、読み進める度にドッグイヤーしたくなる箇所があって、『なるほど!』と思う場面が本当に多い本でした。とにかく、テレビや新聞なんかで『不景気だ』とか『失業率がどうたら』とかそういう話が出てくるんだろうけど、そういうのに惑わされないような視点を身につけることが出来る本なんじゃないかな、と思います。本書で書かれていることが正しいかどうか分かりませんが、『現実を把握するためのデータの分析の仕方』とか『相手の意見に反論するやり方』とかを学べるという、そういう副次的な効果もあるんじゃないかなと思いました。大げさではなく、本書は日本を救う作品なんじゃないかな、という感じがしました。
とにかく、日本人必読の作品です。経済に興味ないとか、日本に興味ないとか、色々あるとは思いますけど、読んでおいて損はない作品だと思います。新書でこれほど濃密な作品もなかなかないと思います。是非是非是非是非読んでみてください。というか、必読です!

藻谷浩介「デフレの正体 経済は「人口の波」で動く」




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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)