黒夜行

>>2010年09月

となりのクレーマー(関根眞一)

内容に入ろうと思います。
本書は、かつて百貨店の「お客様相談室」に勤めていて、現在は歯科医の業界で患者からのクレーム対応をしている著者の、百貨店時代のクレーム対応の具体例を中心に書かれている本です。なんとなく僕がイメージしていた内容とはちょっと違ったんですね。本書は、内容の9割が、過去に百貨店で起こったクレームに実際どう対応したのか、という具体例です。
本書で扱われる「クレーマー」というのは、もちろん通常のクレームのお客さん(店側のミスだったり、常識の範囲内のクレームのようなもの)は含まれません。そうではなく、これは金銭を要求しているとか、あるいは愉快犯だなとかいうような、クレームをつけること自体に目的があるような、そういう悪質なクレームをつけてくる人への対処法です。
しかし読んでると、世の中にはとんでもない人がいるな、と思います。『コンロを使ったらテーブルが傷付いたから、74万円もするこのテーブルを弁償しろ』とか、『婚約指輪をお二人で取りにいらしてください、と連絡したら、言葉尻を捉えられてキレられた』とか、『店内の宝石を無料洗浄するやつで指輪が壊れたから弁償しろ』とか、『5回しか履いてない靴下に穴が空いたから新品を安く売れ』とか、まあとにかくいろんなことを言ってくるんですね。大雑把に言って、『お客さんの性格の問題(神経質すぎるとか躁鬱とか)』『お金目当て』『クレームをつけて楽しむ愉快犯』の3パターンだと思いますけど、どれも本当に対応が難しいだろうなと思いました。
実際関根眞一さんが対応したやり方を読んでみると、僕にはこれは出来そうにないよなぁ、という感じがします。観察力・判断力・行動力・演技力が相当要求されるんですね、クレーム処理って。一瞬の判断力で結果が相当変わっただろうなという事例もあったし、観察力のお陰でなんとかなった事例もあるし、一歩踏み込んだ行動力を示した事例もあるし、演技で乗り切った事例もある。
まあ、本書で書かれるようなとんでもないクレームというのは、そう頻繁にあるもんじゃないんだろうけど、それでも、時々こういうクレームがやってきてはどうにか対応しなきゃいけない、っていうのは相当ハードだなと思います。
僕も本屋で働いていて、クレーム的なものをたまに受けますけど、なかなかうまく出来ないんです、これが。本当に難しい。特に、店側の常識とお客さんが持ってる常識がかけ離れている時はホント大変。店側は、ここで妥協したらこれからもそういうお客さんに対応しなくちゃいけなくなる(前例を作りたくない)と思うから慎重になるし、お客さんとしては、自分の常識が正しいと思ってるから引かない。もうこの場合、どっちの常識が正しいのか、という議論をしても仕方ないんですよね。どうにか話をして、お互いの常識は平行線でも仕方ないから落しどころを見つける、というのがいいんだろうけど、それが出来ないんだよなぁ、なかなか。ウチのスタッフでクレームの処理が実にうまいスタッフがいるけど(社員ではない)、僕にはあんな風には出来ないなぁ、といつも思います。
僕自身クレーム処理は苦手ですけど、その理由はたぶん三つあるだろうなと思います。それは、『法律の知識がない』『僕自身の持ってる常識が、世間一般の常識と合っているのかあんまり自信がない』『ウチのスタッフならこれぐらいのミスはありえるよなぁ…と、スタッフをそこまで信頼できない』という感じでしょうか。せめて法律の知識ぐらいは身につけたいけど、ただのバイトだしなぁーとか思うとやる気が出ない。
しかしまあ、本書を読んでると、小売業ってのは大変だなと思います。ウチは、そこまで悪質なクレーマーって経験ないんですけど、本書で書かれているようなクレーマーと対峙しないといけなくなったら、逃げ出したくなるような気がしますね。たぶん、それが解決するまでの間ずっと憂鬱だろうなぁ、と。神経が弱いんですね。もう少し図太い感じで生きていけたらなぁと思いますけど、ま、これはもう性格ですからね。
しかし、本書が実践的に役に立つ本かというと、また難しいところだなと思います。こういう具体的な事案の時に具体的にこういう対応をした、という話はたくさん載ってますけど、これを読んで、じゃあ実践的にクレーム対応が出来るかというと、それはちょっとまた違うなと言う気もします。基本的なためになるアドバイスはいくつかありますけど(メモは必ず取るとか、預り証のないものを預からないとか)、やっぱりクレーム対応はいくつもの実践を経て自分の体で覚えていくしかないんだろうな、という感じもします。難しいですね。
まあそんなわけで、ノウハウ本としてそこまで有用というわけでもないと思うので、百貨店がこんなクレームを受けたらしい、という読み物的な興味で読む方がいいんじゃないかな、と思います。なんか別のクレーム対応の本が読みたいなという気がする。

関根眞一「となりのクレーマー」




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ロスト・トレイン(中村弦)

内容に入ろうと思います。
牧村は、廃線跡に多少興味を持っているという程度の、鉄道オタク(テツ)とは呼べないくらいの鉄道好き。そんな牧村はある時、かなり年の離れた、平間さんというテツと出会う。穏やかな雰囲気を持つ平間さんとの交流は新鮮で、また鉄道に造詣の深い平間さんにいろいろ話を聞き、鉄道の様々な魅力にも触れることが出来るようになった。
しかし、その平間さんがある時失踪した。部屋に行くと、電気やガスなどは止められていたので、自分の意志で失踪したのだろうが、牧村は平間さんがどうなったのか気になって仕方ない。
そういえば、と思い出したのが、以前平間さんにもらった名刺。鉄道関係の旅行に行くならこの人に相談するといい、と言われた、旅行代理店の倉本菜月さんのものだ。平間さんのことを何か知ってるかもしれないと思い会いにいくのだが…。
というような話です。
装丁がキレイなのと、日本ファンタジーノベル大賞受賞作家(本書は受賞作ではないけど)だというので買ってみましたけど、ちょっとうーん、という感じでした。
なんというのか、物語が直線的すぎるよなぁ、という感じです。本書のモチーフと絡めれば、まさに左折やバックなどのない線路の上を走るしかない電車のような感じです。
メインのストーリーが人探しになるんですけど、正直ちょっと退屈なんですね。まあいろいろやってはいるんですけど、ストーリー的にそこまで惹かれない。一応、謎の廃線跡がどこにあるのかということが分かってからは、まあそれなりに物語が進展するんでしょうけど、そこからもそこまででもないよなぁ、という感じがしてしまいました。
なんだろうなぁ、うまく説明できないですけど、まあそうなるよね、というようなことの連続だった気がします。平間さんと出会った場面も、そこからの交流も、失踪して以降の調査も、幻の廃線跡の所在が分かっても、どれも特にインパクトのない話の連続に感じられてしまって、なんともいえないなぁ、という感じでした。
それでも、テツが読んだらそれなりに面白く感じられるのかもしれないけど、正直僕はテツではないし、鉄道的な雑学はほどほどには面白かったものの、もちろん物語を牽引するほどの力はなく、なんだかなぁという感じでした。
僕の中では、本当に特にひっかかりもなく進んでいき終わってしまった物語だったな、という感じです。うーん、あんまりオススメは出来無いですね。

追記)amazonの評価はそれなりに高かったりします。そうなのかぁ。

中村弦「ロスト・トレイン」




死刑(森達也)

内容に入ろうと思います。
本書は、映像作家でありジャーナリストでもある著者が、真正面から「死刑」というものを扱い、悩みながら深く考える、という本です。
ノンフィクションと言えばノンフィクションですが、普通ノンフィクションというと、作家自身の陰はあまり濃くなくて、対象となるものを客観的に描いていくものが多いと思いますが、本書はそうではありません。作家・森達也が、あらゆる取材や思考を通じて、悩み・迷い・揺らぐ・その過程を描いている作品です。なので、「死刑」をテーマにしたノンフィクションでもあり、また作家・森達也の内面を描いてもいます。私小説ならぬ、私ノンフィクション、というところでしょうか。
森達也はとりあえず出版社の人に、「死刑をテーマにした作品を書く」とだけ言います。そこから実際本の形になるには相当の時間が掛かるわけですが、何故スタートが「死刑」だったのかというと、そこにはオウム真理教との関わりが関係してきます。
森達也は自主制作ドキュメンタリー映画として、オウム真理教を扱った「A」「A2」という二つの作品を撮りました。その過程で、多くの元幹部たちと会ったわけですが、それはすなわち、死刑確定囚との付き合いでもあったわけです。そんな中で森達也は、死刑制度というものに対して考えるようになっていきます。
初めに書いておくと、森達也は死刑制度廃止派です。つまり、死刑制度はなくした方がいい、という立場。死刑制度にはもう一つ、死刑制度は存続させるべきだという存置派があります。
あるアンケートによれば、現時点で日本では、約8割の人間が死刑制度存置派なんだそうです。つまり、死刑制度はあるべき、という人が大多数、ということですね。国会議員内には、死刑制度廃止派という人達の集まりがあったりするらしいんですが(その人にも森達也はインタビューに行っています)、しかしその人達は声高に主張しません。何故なら、それが選挙に影響を与えるからです。現在の日本では、圧倒的に死刑制度存置派が多いため、死刑制度を廃止しようという声を上げることは、国会議員としての首を締めることになりかねない、というような状況なんだそうです。
森達也は、元刑務官・犯罪被害者の遺族を多く取材するジャーナリスト・冤罪だと判明し独房から戻ってきた元死刑確定囚・刑務所所長・死刑廃止を訴える団体・死刑確定囚に教誨する牧師・死刑に立ち会ったことのある元検事・死刑になりそうな事例ばかりが舞い込んでくる刑事弁護士・犯罪被害者の遺族・死刑をテーマに描く漫画家などなど、とにかく死刑に関係する様々な人々に話を聞きに行きます。森達也自身は、廃止派だと言いながら、実は迷っている。迷っているというか、分からない。何をどう考えればいいか、何が正しくて何が間違っているのか。考えれば考えるほど、思考は揺れる。廃止派という立ち位置はあまり揺らがなくても、思考はどんどんと揺らぐ。一つところに落ち着かない。色んな人に話を聞く度に揺れる。その揺れている軌跡を、本書では捉えて文章にしている、という感じがあります。
僕は正直、死刑制度については、本書を読んだ今でも、特別意見を持てません。それは本書でも繰り返し触れられているように、あまりにも死刑というものが隠されているからです。そもそも死刑というのは、犯罪者や犯罪被害者の遺族にでもならないとなかなか実感できるものでもないのでしょうけど、さらに国の方針として、死刑に関するあらゆる情報が非公開のような扱いになっているので、そのために僕らは、きちんとした議論が出来るだけの情報を得ることが出来ない、という状態なんです。
じゃあ、死刑制度存置派が8割という状況はどうしてそうなったかというと、やはりオウム真理教の事件がきっかけだったようです。あの事件以降、罪を犯した者への厳罰化を求める声がかなり高まったようです。死刑制度も、そんなに悪いやつなら殺しちゃえよ、という程度の意見によって8割という数字になってるんだろうな(←とこの部分はあくまで僕の予想ですけど)と思います。
僕は、本書を読み終えて、死刑に関する様々な知識を得て、様々な立場の人の話を聞いたけれども、それでも、やっぱりどうしても、死刑制度というものについて考えるという入口に立てないな、という感じがしました。世の中のどこかに、『廃止派』『存置派』と書かれたドアがあるとして、僕はそのドアのある場所まで辿りつけていない、という感じ。だから、どちらにするかなんて選べない。
やっぱりどうしても、死刑制度というのは、僕らの日常からかけ離れすぎている。不謹慎な言い方をすれば、どこか外国の戦争みたいな感じに思える。間違いなくこの国の出来事であるのに、まったく身近なものに感じられない。外国の戦争に第三者として適当な意見を言うのと同じくらいの程度でしか、死刑制度に意見を持つことが出来無いな、と思いました。
もしこれが、自分が死刑確定囚になる・自分の身近な人が死刑確定囚か犯罪被害者になるというようなことになれば、ようやくそこで身近な問題として捉えられるんだろうと思います。僕にはどうしても、少なくとも今の段階では、死刑制度について明確な意見をもつことは出来無いな、と感じました。
それでも、議論することに意味がないとはもちろん思いません。でもこれは正直、結論の出ない議論なんだろうな、と思います。本書でも書かれていたけど、既に死刑制度に関わる議論は、論理の応酬ではなくなっている。著者は、論理的には死刑という制度はおかしいし矛盾しているという。しかしその矛盾を抱えていても、死刑制度存置派は揺るがないのだ。ならば、死刑制度の議論はもはや論理の問題ではないということになる。
情緒の問題なのだ。
しかし、情緒というのは明確な基準ではない。人それぞれ感じ方の違うものだ。死刑制度は、論理的な議論が出来ない(少なくとも今現在はそういう状況になってしまった)、そして情緒は明確に割り切るだけの快活さを持たない。だから議論は硬直してしまうのだ。
というわけで、森達也がどう悩みどう揺れたのか、あらゆる立場の人は死刑制度に対してどんな考えを持っているのか、ということについては是非本書を読んでもらうとして、以下では、本書を読んで知った雑学的なことを書こうと思います。
まず驚いたのは、現在では状況は変わっているらしいのだけど、ほんの少し前までは、死刑が執行されても、法務省は死刑囚の氏名や罪状などは伏せていたらしい。ニュースに流れる情報は、法務省や拘置所の職員らからのリーク情報だったんだそうです。最近では改善され、法務省が死刑が執行された死刑囚についての情報を公開するようになったらしいですけど、これはちょっと驚きました。そこまで情報が秘匿されてたら、さすがに何も考えられなくなるよな、と。
あと、小説なんかを読んでると、無期懲役って宣告されても10年ぐらい経てば仮釈放されるみたいなのが出てきますけど、本書によれば、実際はそうでもないようです。2006年度のデータですが、無期刑受刑者の仮釈放数は3人で、平均在所期間は25年だそう。さらに、仮釈放されない囚人も多数いるらしいです。無期刑受刑者全体が何人いるのかというのがよくわからないですが、それにしても、僕も小説やドラマなんかで、無期刑なら早ければ10年ぐらいで出てこれると思ってたんで驚きました。実際はそうでもないみたいです。
EUに加盟するには死刑制度を撤廃しなくてはいけないという条件があるとか。それも凄いですよね。先進国ではもはや、日本とアメリカぐらいにしか死刑制度はないそうです。だからと言って、じゃあ死刑制度はやっぱりおかしいよね、というのもまた違うと思いますけど。でも、EUに加盟するのに、死刑制度がどうこうとか、あんまり関係ないと思うんですけどね。
あと、戦後日本において、冤罪元死刑囚、つまり一旦死刑確定囚となったものの、再審制度によって冤罪が判明し釈放された人は、現在までに4人いるそうです。しかもそのすべてが、1980年代に無罪が確定したわけで、それ以降は一人もそういう人はいないんだそうです。その事実だけから判断すると、なんとなく、冤罪なのに死刑になった人っていそうだよな、と思います。
まあそんなわけで、死刑制度が身近に感じられないという点が難しいですが、内容は著者自身の心の動きを追っている感じの本なのでとっつきやすいと思います。本書を読んで、死刑制度について自身の立ち位置を決められるかどうかは別として、死刑に関する様々な知識は間違いなく得られると思います。なかなか興味深い作品だと思います。是非読んでみてください。

森達也「死刑」




シアター!(有川浩)

内容に入ろうと思います。
舞台はとある食えない劇団。そこの主宰であり脚本家である春川巧は、劇団最大のピンチに、まあいつものことではあるけど、兄・司に助けを求めた。
巧と司は母子家庭で育った。父親が売れない劇団員で、生活のために父親を切り離すしかないと判断した男勝りな母親は離婚した。しかしその後も元父親とは交流があり、いじめられっ子だった巧がなんとか普通の生き方が出来るようになったのも、父親が手伝っていた演劇教室に通うようになってからのことだ。
そういう意味で司は、巧が演劇と出会えたことはよかったと思っている。しかし司は、現在の巧の状況を良いとは考えていない。大学時代<シアターフラッグ>を立ち上げたのはいいものの、大学を卒業しても一向に就職もせず、大学時代のままのノリで演劇を続けている巧に、苦々しいものを感じてもいるのだ。
だからこそ、困った時にいつも頼ってくる巧にイライラしつつ、甘え上手な弟に負けてしまうのだ。
しかし今回はなかなかとんでもないトラブルだった。会計を担当していた女の子が辞めることになったのだけど、なんとその女の子が劇団の借金300万円を肩代わりしていた、というのだ。事務能力全般に疎い巧は、会計はその女の子にまかせっきりだったのだけど、とにかくその300万円を返さないと劇団を潰すしかない、という。
そこで司は考えた。300万円貸してやってもいい。ただし条件がある。劇団の黒字だけで、2年で300万円返済すること…。
というような話です。
相変わらず有川浩の小説は面白すぎますね。僕のイメージでは、有川浩はどんな題材であっても面白いエンターテイメントに変えられる、という感じがします。しかも、かなりいろんな題材を扱った作品を書いているけど、それらがすべて<有川浩節>とでもいうべき雰囲気を醸し出していて、さすがだなと思います。
有川浩の小説は、とにかくキャラクターの描き方が見事だと思います。キャラクター単体の描写もいいんだけど、その関係性を描くのがうまいんですね。特に、繊細な人間関係を描く手腕は一級だと思います。
本書にも、様々な人間関係が描かれます。恋愛があったり、昔からの友情があったり、ちょっとしたいざこざがあったりといろいろあって、そのそれぞれが実に見事に描かれていくわけなんですけど、関係性の中でメインに据えられているのが羽田千歳かなと思います。
羽田千歳は、プロとして活躍している声優です。声優の仕事に役立てたいと、以前見て感動した<シアターフラッグ>で芝居をしたいとやってきました。
この千歳が、劇団内の人間関係を結構変えていくんです。この過程が実にいい。千歳と関わらない部分の繊細な人間関係もいいんだけど、やっぱり本書では千歳が中心になって物語が回っていく。
中でも僕が一番いいなと思うのは、千歳がシアターフラッグの仲間との間に一線引いているという描写。
千歳は子どもの頃から声優として仕事をしていたので、いつもどこにいても<お客さん>という扱いだった。それはもう仕方ないことだったから、自分であまり人間関係踏み込まないように、というクセがついてしまっている。シアターフラッグの面々に対しても、打ち解けているという感じにはまだ遠い。それがどれぐらい解けていくのか。そういう描写はよかったなと思います。
司という会計の鬼をトップに据えた新しい劇団運営、というのがメインのストーリーだけど、こちらも面白いですね。有川浩は、本書を書き終わる三ヶ月前に初めてきちんと演劇と出会ったらしく、それ以前は演劇についてはまるで知らなかったそうなんだけど、それでもたった三ヶ月でここまで演劇とか劇団の内側について書けちゃうんだなぁと感心します。別に僕自身劇団の内側とか知ってるわけでもないんですけど、バイト先に昔演劇やってる人間がいたり、僕も大学時代ちょっと変わった形でではあるけど演劇と関わっていたりしたので、なるほどなーという感じはしました。
会計の鬼である司が、劇団を黒字にするために余分な出費を抑える、というスタンスで臨むので、その過程で、劇団にかんするあれやこれやが説明されます。へーっと思ったのが、舞台監督っていう存在。この舞台監督は外部の人を雇うんだけど、金が高いから司はおかしいだろ、という。でも劇団には舞台監督って必要なんですね。演出までは巧がやるんだけど、舞台に上がったら演出家よりも舞台監督の方が権限が強いらしくて、舞台監督の指示に従わなきゃいかんらしい。そういう、舞台全体について知識のない司が舞台についてあれこれ疑問を呈してくれるんで、自然に舞台全体についての知識も深まっていくことになります。
300万円を返済するために劇団を大幅な黒字に乗せられるのか、というメインストーリーの合間に、劇団というなかなか特殊な世界に身を置く人々の繊細な人間関係が描かれていきます。恋愛がメインの話ではないけど、有川浩らしく恋愛もちらっと絡んできます。やっぱエンタメ作品を書かせたら有川浩は一級の作家だなと思います。是非読んでみてください。

有川浩「シアター!」




現職警官「裏金」内部告発(仙波敏郎)

というわけで今回から、これまで載せていた小説はなし。なんとなくいきなり内容紹介に入るっていうのは寂しい感じもします。
というわけで内容に入ろうと思います。
本書は、今はもう定年退職している、元愛媛県警巡査部長だった著者が、現職警官としては前代未聞の「裏金の内部告発」を行った、その人生を綴った作品です。それまでも、警察OBやあるいは匿名での内部告発はあったものの、現職警官が実名で裏金を内部告発するというのは前代未聞で、そんなことをしたのは後にも先にもこの人だけだそうです。
この内部告発があって以降、もしかしたら警察組織は多少は変わっているのかもしれませんが(あんまりそれは期待出来ないんですけど)、以下の記述はとりあえずすべて、本書で書かれていること、つまりバリバリ裏金作りが行われていた時代のことを書くつもりです。
基本的に、すべての警察官は、裏金作りに協力させられています。というか、警察組織の中で、裏金作りに協力しないものは昇進も出来ず、問題児だという扱いをされるんだそうです。
最も分かりやすい裏金作りは、捜査協力費をネコババするというやり方です。捜査協力費というのは、捜査に協力してくれた一般市民に謝礼として払う、という名目で国から支給されている予算ですが、これは99%裏金に化けているそうです。実際、捜査に協力して警察から謝礼金をもらったなんて話、ほとんど聞いたことないですからね。
で、どうするかというと、警察官や警察職員などに、とにかく大量にニセ領収書を書かせます。電話帳から抜き出してきた一般市民の名前を勝手に書き、まるで市民に捜査費を渡したという風に装って、丸々ネコババしてしまうんだそうです。これが警察では、もう日常茶飯事で行われているんだそうです。
本書では、他にも裏金の手段は書かれていますけど、全部書くのはめんどくさいので、とりあえずここではニセ領収書を書くこのやり方だけを紹介しておきます。
著者は警察に入り、所轄署で当たり前のようにニセ領収書を書くように上司に言われるわけですが、著者はこれをきっぱり断るわけです。著者はまだその時点では、「ニセ領収書を書かないこと」がどれほどのことを引き起こすのかちゃんとは分かっていません。とにかく正義感から、正義を追い求める警察がニセ領収書なんていう犯罪に手を貸してはいけない、という一心から、ニセ領収書を書くことを拒むんですね。
しかしここからがまあ大変なわけです。まずニセ領収書を書かないことで上司から疎まれ、ありとあらゆる警察署・駐在所を点々とさせられます。さらにニセ領収書を書かないことで、昇進試験に通らないということも判明します(ちなみに裏金とは関係ない話ですが、警察の昇進試験は不正だらけだそうで、めぼしい部下には上司が試験問題を試験前に流出させるんだそうです)。著者は、24歳という若さで巡査部長の昇進試験に合格するという、かなり優秀な人だったのだけど、ニセ領収書を書かないというただそれだけの理由で、試験の成績がよくても昇進出来なかったそうです。結局著者は、定年退職するまで巡査部長という肩書きでしたが、そんな警察官は恐らく著者ぐらいではないか、と書いています。
しかしこの著者、警察官としては本当に優秀だったようで、公安や捜査二課から、ウチに来ないか、と誘われることがあったそうです。でも、「自分はニセ領収書を書かないですが、それでもいいですか?」と返すと、それから誘いはこなくなったとか。
その後本当に色んなことがあって(ちょっとびっくりするような波乱万丈の人生なんですけど、それはここには書かないので、本書を是非読んでみてください)、著者は本当に辛い人生を歩むことになるのだけど、その後色々と出会いがあって、現職警官として初の裏金告発に踏み切ることになるわけです。しかもその後も、あらゆる嫌がらせを受けつつ定年までまっとう。自分が定年を迎えるまで警察が自分を辞めさせることが出来なかったことが、自分の主張が間違っていないことの証明であると、著者は胸を張っています。結局最後の最後までニセ領収書は書かかず、警察内部の他の不正にも手を染めず、人一倍仕事を熱心にやり(職務質問から指名手配犯を捕まえたことも。ニュースで、指名手配犯を捕まえたというようなのがよく流れるけど、あれはヤラセなんだそう。指名手配犯を捕まえるという名目でお金が入ってくるので、被疑者の居場所を掴んでから指名手配にする、というのが常套手段なんだそうです)、最後まで清廉潔白な警察官として定年まで勤め上げたわけです。凄い人だなと思いました。
本書では他にも、いかに警察という組織が腐っているか、ということがいろいろと書かれます。警察は、捜査に協力してくれた市民にあげるという建前の捜査協力費だけでなく、刑事たちが捜査に掛かった費用を捻出する捜査費用さえ裏金にしてしまうので、刑事たちは捜査を自腹でやっているそうです。で、自腹を切って捜査をするくらいならパチンコでもするさ、と言って、事件が起こるとパチンコをやる刑事が増えるんだそうです。そりゃあ犯罪検挙率が減りますよね。
犯罪検挙率も操作された数字だそうです。検挙率の分母は「犯罪認知件数」なわけですが、警察がある処理(現場臨場簿というらしいですが)をすると、それは警察が「認知した」というカウントにはならないそうです。だから事件が起こった時、重大事件以外でこれは犯人が捕まりそうにないなと判断すると、この現場臨場簿という処理にしてしまうんだそうです。しかも、事件発生時は現場臨場簿で処理した案件でも、もし犯人が見つかれば、元々の処理を被害届に変えてしまうそうで、それで検挙率の数字はアップするそうです。
警察のミスで事件の捜査が遅れたり間違った方向に進んだ場合、マスコミをうまく操作して、あたかもそれが警察のミスではない、という風に見せかけるというのも、警察の常套手段だそうです。「桶川ストーカー事件」でも、僕は覚えていませんが、被害者女性がもの凄く悪い女性であるように報道されたらしいですが、それは警察のミスを隠すための情報操作なんだそうです。
犯人が見つからない事案に対して、周辺に住む元犯罪者の中からアリバイのないものを適当に引っ張ってきて罪を着せるなんてこともやってたらしいし、報奨金が出るから飲酒運転の取り締まりを強化した時は、運転手に膨らませてもらう風船を後ですり替えるなんてことまでやるそうです。正直別にこれまでも、警察のことを信頼していたなんていうことはまるでないですけど、やっぱり酷いんだなと思います。もちろん使命を持った素晴らしい人もいるんだろうけど、でもやっぱり、とにかくあらゆる意味で警察とは関わり合いにならないこと、これが一番いいんだろうな、と思います。
著者の生き様は、ここでは具体的には書かないけど、まあ壮絶です。普通なら途中で自分の信念を諦めてしまってもいいような、それぐらいの辛い人生を歩んでいます。それでも著者は、ニセ領収書を書くことを拒絶したこと、そしてそれを貫き通し最後には告発をしたことを後悔していません。もちろん、もし自分がそうしなかったら…、という想像は常に頭を過ぎったことでしょう。それでも、自分の人生に誇りを持っている。何よりも凄いのは、これだけの人生を歩んできたのに、著者は警察を愛し、生まれ変わっても警察官になりたい、と言っていること。どこまで強い人間なんだ!と思います。僕は本書を読むまで、この仙波敏郎という方の名前さえ聞いたことなかったのですけど(すいません)、同じ人間として、こういう人がいるんだということに驚愕するし、同じレベルまでとは決して言えないけど、僕も出来うる限り不正には手を染めない人間でいたいなと思いました。でも、こういう人生は、ちょっと僕には耐えられないだろうなぁ…。
最近また、警察や検察に対する批判みたいなのが出ているような気がしますけど、もっともっと批判を浴びせて、警察を僕らが変えて行かなくちゃいけないんだろうな、と思いました。たぶん今のままだと、日本は犯罪者が野放しになる危険な国に成り果ててしまうと思います。もっと色んな人がこの問題に関心を持つように、とにかく皆さんこの本を読んでみてください。

追記)amazonのレビューで、本書に星一つの評価をしている人の意見が、僕にはまるで理解出来ない。もちろん、本に書かれていることがどこまで事実なのか、ということは常に意識して読まなくてはいけないと思う。それでも、そのレビュアーの書いている意見は意味が分からない。
制限速度で車を運転していて流れに乗れていないドライバーの例を出しているけど、勘違いしてはいけないのは、この事例は『制限速度の設定そのもの』が間違っているわけで、『制限速度を守って運転しているドライバー』が間違っているわけではない。あるいは、『制限速度の設定はおかしくないか?と声をあげない僕たち』が間違っているのだ。そこのところを間違えてはいけない。

仙波敏郎「現職警官「裏金」内部告発」




原稿零枚日記(小川洋子)

『会田さん、ありがとうございます!会田さんのお陰で、うまく彼女と別れることが出来ました。友達から噂を聞いて、初めは半信半疑でしたけど、ホント会田さんに頼んでよかったと思っています!ホントに助かりました!
 そういえば、近藤さんの噂、聞きましたよ。あれって会田さんのことですよね?すぐ分かりましたよ。近藤さんの噂とは別に、凄腕の別れさせ屋がいるっていう噂も結構流れ始めてるみたいなんで、そろそろ止めないとマズイかもです。でしゃばってすいませんけど、一応忠告でした!』

END

「失踪シャベル 21-8 END」

というわけで、1月からちょびちょび載せ続けてきた小説が、これで終わりです。ずっと読んでくれたという方、長いことお付き合いいただきありがとうございました。
というわけで、明日以降は、このブログを始めた初期の初期の頃を除けば初めて、本の感想以外何も書かない、という体裁になるだろうと思います。そろそろ何を書いたらいいかネタはなくなってるし、あんまり感想を書くのに時間を費やせなくなってしまったので。また気が向いたら何かやろうと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、またこれが実に内容紹介のしにくい作品です。
体裁としては、ある小説家が書いている日記、という形で進んでいきます。しかも本当の日記らしく、凄くたくさん書いてある時もあれば、2ページぐらいで終わってしまうこともあったりで、それぞれ内容を紹介するのが難しいですね。なので、割とページ数が割かれていて、気になったいくつかの話だけ内容紹介をする、という感じにしようと思います。

「十月のある日(日)」
私は、近所の運動会という運動会を周る綿密なスケジュールを立てたにも関わらず、ある一校はIDカードなどを導入し、部外者が入れないようになってしまった。
今日は隣町の小学校の運動会。関係者ではないという気配を消し、まるで誰かの母親なのだという雰囲気をうまく醸し出しつつ、私は関わりのない学校の運動会を見学する。

「十一月のある日(木)」
私は、新聞などで盗作騒ぎがあるとドキドキする。それは、作家として自分が盗作をしてしまうかもしれない、ということではない。既に私は、盗作をしてしまっているのだ。
あれは、マルセイユの空港から乗ったバスの車中でのことだった。私の隣に、『有名な作家』が座ったのだが、なんと私はその作家の名前をど忘れしてしまい、どうしても思い出せない…。

「一月のある日(火)」
私は、公民館の市民講座『あらすじ教室』を不定期で受け持っている。表向き、古今東西の文学作品のあらすじをたどることで内容を分析批評する、ということになっているが、私はただあらすじを朗読するだけで分析も批評もしない。
私があらすじに関わるようになったのは、かつて新人賞の下読みをしていた頃に遡る…。

「五月のある日(日)」
神社でたまたま見つけた「子泣き相撲」の案内。当日足を運んでみると、そこにはたくさんの赤ん坊がいた。私は想像する。近隣の高校相撲部の人らしい力士に赤ん坊が手渡される。力士が赤ん坊を親に返そうとするも、親がやってこない。そういうことはないのだろうか。そういう時に、まるで自分の子であるように、その赤ん坊を受け取りに行ったらどうなるのだろう…。

というような感じですね。
小川洋子といえば、「博士の愛した数式」が最も有名でしょうけど、あれは小川洋子の作品としては結構異質だと僕は思っています。小川洋子は、かなり奇妙な世界を描く作家で、本書もそういう、小川洋子らしさを体現している作品だなと思います。人によって好き嫌いが分かれるでしょうけど、僕は結構好きですね、こういう作品は。
なんというか、小川洋子は、日常から気負いもせずにすっと非日常に足を踏み入れてしまう、みたいな印象があります。描かれていることが、明らかにおかしな非日常的なことなのに、何故かそれが日常と地続きになっているような感じがするんですね。凄く不思議です。荒唐無稽とさえ言ってもいいくらいの話もたくさんあるんですけど、落ち着いた筆致と、それを何でもないことのように描く冷静な視点によって、なんだか不思議と、そういうこともあるんだろうなぁ、と思わされてしまうんです。面白いです。
個人的に、後半に行くほどちょっと面白くなくなっていくなぁ、という感じはあったんですけど、初めの方はかなり素晴らしいと思いました。
特に僕が一番好きなのは、盗作の話ですね。これは見事だなと思います。盗作をしたはずなのに、盗作をしていない。何言ってるかわからないでしょうけど、まさにそういう話なんです。何かがおかしいんだけど、それを特別はっきりさせなくちゃいけない、という風に思わせないところもうまいですね。よくわからない、という状態のまま、うまく終わらせている。こういうのは、かなり作家の力量が必要とされるだろうな、と思います。
他にも、苔を食べる話とか、市役所の生活改善課の若者とか、健康スパランドでの話とか、金閣寺と母乳、母親の靴を買いに行く、出版社のパーティーなどなど、日常と地続きに思えるちょっと奇妙な話がたくさん描かれます。たぶん読む人によって好きな話・嫌いな話は結構分かれるような気がします。目次が巻末にあるというのも、本書のような作品の場合はアリだなと思います。冒頭にあったら、日記っぽくないですからね。
あと、装丁が凄くいいと思います。小川洋子の名前を万が一知らなかったとしても、装丁が気に入って買ってしまう可能性はあるだろうなと思います。
というわけで、うまく内容を紹介できない作品ではありますけど、小川洋子らしい作品で、その一風変わった奇妙な話が好きな人はかなり楽しめると思います。ただたぶんですが、人によって好き嫌いが分かれる作品でもあるだろうなぁ、とも想像します。僕としてはオススメです。是非読んでみてください。

小川洋子「原稿零枚日記」




光待つ場所へ(辻村深月)

「志保ちゃんには隠すことは出来ないだろうから言うんだけれど」
 敬叔父さんは一旦そこで言葉を切った。決意を固め直すような沈黙の後、敬叔父さんの声が続く。
「お母さんは、左目が抉り取られていたよ」
 志保はお母さんの顔を思い出した。左目が抉り取られた後の顔を見て、それでも綺麗だと志保は思った。あるいはその美しさは、左目を失ったことによるものだったのかもしれないのだけど。
「今警察の死体安置室にお母さんはいる。もし来られるようなら、今からここにおいで。それとも、私が迎えに行こうか。」
 一人で行けるから大丈夫と答えて、志保は電話を切った。今夜中に会田君の死体を車のトランクに入れておこうと思っていたのだけれど、今から警察署に行かなくてはいけないのなら、それは後にした方がいいだろう。志保は、とりあえず会田君の死体をお母さんの部屋に隠しておこうと思い、会田君の死体を引きずりはじめた。
 するとその途中で、会田君のジーンズのポケットから携帯電話の着信音が聞こえてきた。ポケットから携帯電話を取り出してみると、メールが届いたらしい。そのメールを読んだ志保は、会田君が言っていた誤解の意味が、ようやく分かったような気がした。

「失踪シャベル 21-8」

内容に入ろうと思います。
本書は3編の中編が収録された中編集です。

「しあわせのこみち」
T大文学部に通う清水あやめは、絵には自信を持っていた。美術系の大学にこそ進まなかったものの、確かな技術を持ち、感性に裏打ちされた絵を描けると自負していた。コンクールに出した絵ではうまい結果を出すことは出来ていなかったものの、これまでの学校生活で、負けた、と感じたことはなかった。少なくとも、絵や勉強においては。
一般教養のある授業。講師が有名で、受講資格を得るための課題を提出することになった。どんな表現形態でもいいから、自分を表現しなさい、と。
受講資格を得たあやめは、第一回の講義の際、今年は凄い人がいると言われて、絶対に自分だと思った。
しかし、そこで披露されたのは、3分間の映像だった。そしてあやめは、生まれて初めて、圧倒的な敗北を味わう…。

「チハラトーコの物語」
千原冬子は、離婚する前まではステージママだった母親に連れられ、幼い頃よくオーディションなんかに行った。時々雑誌なんかにも載ったりした。母親が離婚して、ステージママであることを辞めてしまった後も、冬子は自分が芸能界で頑張っているという嘘をつき続けた。それは、すぐバレるような嘘でも、誰かを傷つけるような嘘でもない。誰かを楽しませるためのプロの嘘だ。冬子はそう思い、ずっとそれを疑わずにいた。
今は、アングラ系のアイドルをやっている。その中でも冬子は、自分だけは本物だ、と思っている。私だけは、周りの女の子とは違う、と…。

「樹氷の街」
中学の合唱コンクール。クラスのピアノ伴奏に立候補した倉田は、お世辞にもピアノがうまいとは言えなかった。指揮である天木は倉田の練習に付き合ってはいるものの、伴奏でミスを連発する倉田に向けられるクラスの女子の視線を考えると、このままでは厳しい、と考えてもいる。倉田はプライドが高そうで、なんとかやりきろうと思ってはいるようだが、課題曲の伴奏だけで精一杯で、とてもじゃないけど自由曲の方が間に合うとは思えない。
そんな中天木は、どうしてウチのクラスには倉田くらしかピアノが弾けるやつがいないんだ、クラス編成おかしくないか、と言うと、小学校時代からのどう同級生に思いも掛けないことを言われる…。

というような話です。
内容紹介の難しい作品だな、と思います。辻村深月の作品が全般的にそうだけど、ストーリーがメインというよりは、複層的に描かれる人間関係の微細な積み重ねみたいな作品が多いので難しい。そういう物語は、ストーリーの部分だけ抜き出しても本質的なものはまったく伝えられないので、内容紹介が難しくなりますね。
辻村深月の作品の凄いなと思うところは、僕自身が隠したいな、触れて欲しくないな、と思っていることを抉り出される、というところですね。たぶん意識してそう書いているんでしょうし、それが意識的に出来るというのはとにかく凄いと思います。辻村深月の作品を読むのは、本当にそうやって自分の奥底にしまいこんだものを抉り出される感覚があるので、時には読んでいて辛かったり苦しくなったりすることもある。それでも辻村深月の作品を読んでしまうのは、たぶん自分が確認したいんだと思う。自分がもの凄く弱い人間だっていうことを。自分に嘘をついていることを。自分が卑怯者だということを。そういう、普段必死で隠しているからこそ表には滅多に出てこない部分を、時々思い出したいんでしょうね。そういうきっかけって、日常の中にそこまで多く転がってるわけでもないから、辻村深月の作品を読みたくなるのかもしれません。
本作で描かれる話はどれも、『虚飾』という言葉がよく似合うなと思います。
主人公は皆、自分の本質的な部分をうまく隠して生きている。そしてそれが、そうせざるおえなかった、という設定が実にうまい。それまでの人生を生きていく中で、素のままの自分ではあまりにも生きにくいと感じている人々。もちろん、素のままの自分で生きていける人なんてほとんどいないと思う。でも、本作で描かれる人々は、生きていく中で、捻れに捻れて、歪みに歪んでしまった、そういう何かを身にまとってしまっている。そうしなければ乗り越えられなかった、そうしなければボロボロになってしまった、そういう切実さを内包した生き方で、まずその描写が実に苦しい。
さらに主人公たちは、その大事に大事に隠してきた本質的な部分を、むき出しにしなくてはいけない状況に追い込まれるわけです。もちろんそれは、いつかやってくることが分かっていたはずのことです。本質的な部分を隠し続けたまま、今歩いている道を進むことは出来ない、それは主人公たちにもずっと分かていたことです。でも、それを見て見ぬふりして、なんとか時間稼ぎをして、そうやって生きてきたわけです。そういう彼らが、まるで無理矢理かさぶたを剥がすようにして、今まで自分を覆っていたものを剥がさなくてはいけない状況に追い込まれていく。それは、本当に苦痛を伴う。しかし、それでもそうしなくてはいけない。そういう切実さみたいなものが凄く前面に押し出されていて、これは凄いなと思いました。
正直僕も、結構そういう生き方をしてきたかな、という感じの人間です。素のままの自分ではうまく生きていけなくって、慎重に色んなもので自分の本質を覆って、でもそれがただの時間稼ぎだってことぐらい充分分かっていて、そしてやっぱりそれが破綻する時が来る、というような。だからやっぱり、読んでて結構グサッと来る場面は多いですね。本当に、言葉のナイフってあるんだな、っていう感じがします。何度も切りつけられたような気がしました。そういう鋭さが、この作品にはあります。
でも、僕の人生と決定的に違うのが、本書では『才能のある人間を描いている』という点です。どの話でも、才能のある人間というのが出てきます。彼らは、その才能の中途半端さに憤ったり、その才能を持て余していたりするけど、物語の中心にその『才能』というやつがデンと居座っている。才能を持っている人間の奢り、才能を持たない人間の悲哀。そういう分かりやすい対比だけではないけど、とにかく何らかの才能を持つ人間の描き方がうまい。特に、中途半端に才能を持ってしまった人間の持つ葛藤みたいなものは、何の才能を持つわけでもない僕にもグッと来るものがある。
それぞれの中編の話も書こう。
「しあわせのこみち」は、まさに『才能』というものを強く感じさせる物語。ある作品との出会いが、あやめの絵に対する考え方を変えていく。それは、簡単なみちのりではないし、すんなりと進んだわけでもない。
あやめは、恋愛や結婚やそういう類のことに、あまり興味が持てない。それは、才能を持つ自分が、そんな一段低い『普通』のことなんかにかかずらわっている場合ではない、という強い自惚れからのものだ。だからこそあやめは、ずっと浮いていたし、本音で話せる友人もいなかった。
しかしその目の前に突然、虚飾も何もない、ストレートに本音をぶつける人間が現れる。その存在に激しく心を揺さぶられながら、あやめは絵との向き合い方を変えていく。その過程が素晴らしい。
また、田辺が抱える葛藤や苛立ちみたいなものも、すべて分かるとは決していえないけど、少しは分かる。才能というのは、ここまで不自由なものなのだな、と強く感じた。
「チハラトーコの物語」は、嘘をつくことで自らに虚飾をまとっているという自覚のない千原冬子の痛々しさみたいなものが凄くいい。嘘をつくことは、周りの人間を楽しませるささやかな余興だ、と信じて疑わない冬子は、その考え方をほとんど壊されることなく大人になっていった。そうやって、『プロの嘘つき』を自認する冬子の、それを自覚していないが故の悲惨さみたいなものが、冬子視点の物語なのにビンビン伝わってきていい。
自分が、ただ好きだからというまっとうな理由でオタクであるということも、倒錯した形で冬子の自尊心を高めている。これほど綺麗なのに、自分は芯の芯からオタクのことが分かる。ファンに受け入れられるために付け焼刃でオタク的な知識を身につける周囲のにわかアイドルとは違う。そんな自分が、こんなにも可愛いんだ。そういう意識が、冬子を傲慢にしていく。自分は本物だ。本物であるということがどういうことなのか深く考えて見ることもせず、そこに寄りかかっている。そういう微妙なバランスで成り立っている冬子の生き方みたいなものが凄くよく描かれていていい。
「樹氷の街」は、他の物語とは違って、何人かの人間による多視点の物語で、しかも他の作品と比べると若干短いので、他の2編と比べて、微細な人間関係を重ねることで複層的な物語を浮かび上がらせるという他の2編とは若干違う。それでも、倉田の空気の読めなさや、天木の冷徹さ、椿や秀人の優しさなんかに入り交じって、神童と呼ばれた松永の人間性みたいなものがスーっと真っ直ぐ描かれていて気持ちがいい。ほんの些細なことから人間関係がクルッと変わってしまう中高時代のように、合唱コンクールという目標が、微妙なバランスで成り立っているクラスの人間関係を少しずつ変えていく。その過程が、他の2作品にはない爽やかさを運んでいるようで、何だか救われたような気持ちにもなります。
あと、「しあわせのこみち」はちょっと分からなかったけど、「チハラトーコの物語」には「スロウハイツの神様」が、「樹氷の街」には「凍りのくじら」が若干関わってきます。辻村作品には、この作品をあらかじめ読んでいないとある作品をきちんと理解出来ない、というようなものもあるんだけど、本書はまったくそういうことはなくて、伊坂幸太郎作品にちょっとした発見があるように、本書でも、あっあのキャラクターが出てきた、という以上の意味はないので、それらの作品を読んでいなくても普通に楽しめます。こういう、それまでの作品を読んでいる読者向けのちょっとしたサービスも、辻村深月はうまいなと思います。
そんなわけで、ちょっと前に読んだ「太陽の坐る場所」は個人的にはそこそこでしたけど、本作は素晴らしいと思います。ここ最近の辻村作品の中でもかなりトップクラスにいいんじゃないかな、と思います。是非読んでみてください。

辻村深月「光待つ場所へ」

追記)一応書いておかないとアンフェアだと思うんで書きますが、amazonのレビューには、本作と関わりのある作品をあらかじめ読んでおかないと面白さが半減、というようなコメントがあります。僕は全然そうは思いませんけども。





青天の霹靂(劇団ひとり)

「失踪届は出さないと志保ちゃんに約束した。確かに私はそうしようと思っていた。だが、脇坂さんに説得された。失踪届を出したのは、志保ちゃんの家に行く前だ。脇坂さんは、財布の件で志保ちゃんの返事がどうであろうと、失踪届は出すべきだと言った。もし志保ちゃんの返事を聞いてから出すと、志保ちゃんのことを疑ったままになりかねないと思った。今考えれば、どっちでも大差はないのかもしれないと思うのだが。申し訳なかった」
 そう言って敬叔父さんは言葉を切った。その沈黙が志保には辛くて、考える間もなく、志保は返事を返した。
「敬叔父さん、気にしないでください。敬叔父さんは正しいことをしたと思います。私が、わがままだっただけのことです」
「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ」
 きっとそれは本心からの言葉ではないのだろう。真面目な敬叔父さんは、きっとこのことをずっと気に病むはずだ。敬叔父さんに重い荷物を背負わせてしまったことが、志保には哀しかった。

「失踪シャベル 21-7」

内容に入ろうと思います。
本書は、「陰日向に咲く」で作家デビューした劇団ひとりの、小説第二弾です。
主人公は、場末のマジシャンバーで働く三流マジシャン・晴夫。子どもの頃はずっと、自分は特別な人間なんだと、無根拠に思い続けてきた。でも、一流マジシャンを目指して17年間、もう自分は特別な人間なんかじゃないってことぐらい分かってる。
ホント、なんで生まれて来たんだろう。
同じマジシャンバーで働いていた後輩が最近テレビで売れ始めて、態度がガラリを変わった。テレビの何がいいんだ、ただ消費されるだけじゃないか、と思い続けてきた晴夫も、このままじゃダメだなと一念発起。テレビ番組のオーディションに出てみることにした。オーディション後、合否発表を待つ晴夫の携帯電話に電話が来た。合格した場合のみ連絡があると言われていた晴夫は期待して電話に出るが、しかしそれは警察からのものだった…。
というような話です。
正直、前作「陰日向に咲く」の方が遥かにレベルが高かったと思いますけど、本作も充分読ませる秀作だと思いました。
「陰日向に咲く」でもそうでしたけど、伏線の張り方がうまいな、と思いますね。後々割と重要な場面で出てくる小道具とかを先に見せておく、というだけの話なんですけど、どうってことないと思ってた描写が実は後々関わってくるなんていうところが結構あって、伏線の絡め方はうまいと感じます。
ストーリーも、警察から電話が掛かって来て以降の展開は、完全にネタバレになってしまうんでここでは明かせないんですけど、なかなかうまいこと持ってくなぁという感じです。結局のところ、何で生まれて来たんだろうと思っていた主人公が、いろいろあって、生まれてきたことに感謝するっていう、まあありがちな展開ではあるんですけど、そこに到るまでの過程が結構うまいこと描かれているな、という感じがしました。
でもやっぱり、「陰日向に咲く」ほどじゃないなと思うのは、ある程度ではあるけど展開が予想できちゃうところでしょうかね。いや、正直僕は読んでて先の展開が予想できた部分なんてあんまりないんですけど、本書の物語であれば、あぁなるほど先はこうなるのね、と予想できる人は結構いるんじゃないかな、と思いました。デビュー作が強烈だったから仕方ないんですけど、やっぱり「陰日向に咲く」のイメージがあると、本書はちょっとストーリーの展開が単純すぎるかな、という印象があります。作品単体で見れば、やっぱり結構うまいなと感じるんですけどね。
しかしこの作品、肝心な部分については本当に触れようがないから、感想書きようがないな。
「陰日向に咲く」と比べると単純なストーリーで、そこに物足りなさを感じる人はきっといるだろうと思います。ただ、単純なだからこそ、伝えたいことが真っ直ぐ届く、という部分もあります。なかなかいい作品だと思います。読んでみてください。

劇団ひとり「青天の霹靂」




生命保険の「罠」(後藤亨)

一通り片付けを終えた時、リビングの電話が鳴った。出てみると、敬叔父さんからだった。
「もしもし敬叔父さん」
「志保ちゃんか。落ち着いて来いて欲しいんだが」
 敬叔父さんは、自分自身が落ち着いていないような声でそう言った。少し声が震えているようにも感じられた。もしかしたら少し前まで泣いていたのかもしれない、と志保は思った。
「お母さんが見つかったよ」
 敬叔父さんの声はあまりにも疲れきっていて、志保にもそれがいい知らせではないということが充分に分かった。
「山で見つかった」
 敬叔父さんは、死体で、とは言わなかった。言わなくても通じると思ったのだろう。
「志保ちゃんには、謝らなくちゃいけないことがある」
 志保はずっと返事をせず、ただ敬叔父さんの話を聞いているだけだった。敬叔父さんも、志保が返事を返せないのは当然だと思っているのだろう、志保の返事を待つことなく、先を進めた。

「失踪シャベル 21-6」

内容に入ろうと思います。
本書は、アパレルメーカーを経て日本生命に営業として転職し、現在は十数社の保険を取り扱う保険のセレクトショップを立ち上げ独立している著者の、保険や保険業界に関する「真実」を暴露した本です。
本書は2007年に出たものなんですけど、ここ1年くらい、新書で同様の本が結構一杯出たなという印象があります。ただ本書は、少なくとも僕の認識では、新書で保険に関する暴露本が出るきっかけになった本ではないか、と思っています。もしかしたらまったく勘違いかもしれませんけども。
とにかく本書では、現在の保険業界がいかに間違ったことをしているか、そして保険に入ろうとする人はもっと保険を知ろうとしなくてはいけないのだ、ということが分かりやすく書かれています。著者自身の営業マンとしての経験と知識を踏まえ、これまでどうだったのか、業界はこれからどうなるべきか、そして何よりもお客さんが一体どういう風に行動するべきなのか、という点が詳しく書かれています。
これは実に面白い本でした!僕は現在、国民健康保険以外には一切保険に関するものには入ってないんですけど、本書を読んで、そもそも僕にはあんまり保険に入る必要はなさそうだな、と思えたし、もし入るとした場合、どんな点を一番考えなくてはいけないか、という点が明確になったな、という感じがします。
とにかく僕に理解出来たことは、『保険にしか出来ないことはあるけども、それはそう多くはない』ということです。
例えば本書では、「学資保険」や「子供保険」は不要だ、と書いています。理由を聞けば当然ですが、保険というのはあくまでも、『将来的に何か不測の事態が起こった時、その時点での預貯金で賄えない状況』に対して掛けるべきものです。しかしそもそも、『進学』は『不測の事態』ではありません。わざわざそれに対して保険など掛ける必要はないのです。
また、死亡保険や入院保険などもありますが、これらについても『確率』を考えなくてはいけない、と著者はいいます。テレビのCMなんかでは万が一に備えてという言い方をされますが、そもそも60歳までに死ぬ確率というのは10%程度だそうです。しかもこれは、『ありとあらゆる条件の人』を対象としたデータなわけです。『保険に入ることが許されているほど健康な人』を対象に同様の調査を行ったら、結果はもっと低くなるでしょう。
つまり、60歳までにたった数%しか死ぬ確率がないのに、そこに多額のお金を掛けることは果たして正解なのか、ということです。これは、人によって答えが違います。それが必要だ、と評価する人もいるでしょうし、それは要らないかな、と評価する人もいるでしょう。だから、死亡保険が不要だと言ってるわけではないんです。ただ、そういう確率を考慮し、自分の収入や将来設計なんかもきっちりと考慮した上で、それでも死亡保険に入るというのなら問題は、ないということです。問題なのは、保険の勧誘員に万が一のことばかり聞かされて、あー保険に入っておかないとマズイかな、という曖昧な理由で入ることです。
入院保険についても同じです。そもそも最近は、入院する期間はかなり短くなってきています。入院費用が一日1万円だとして、一週間入院しても7万円です。それは果たして、預貯金で賄えないほど不測の事態なのでしょうか?
またガンになった場合、これだけ治療費が掛かる、とパンフレットなどで宣伝されますけど、そこには小さく、「医療費の還付は考慮されていません」と書かれているんだそうです。これは、月の医療費が8万100円を超えた分については自己負担分が還付されるという制度で、こういう制度をきちんと利用すれば、がんの治療費もそこまで高くはならないわけです。著者曰く、50歳くらいまでに100万円程度の貯金があれば、ガンも医療費の面ではそこまで恐れることはないと考えているそうです。
もちろん、交通事故に遭って下半身不随になるとか、そういう不幸なことは起こりうるでしょう。実際にそうなったとしたら、保険に入っていないとなかなか厳しいでしょう。でも、そうなる確率は相当低いわけです。もちろん、お金が余っている裕福な家庭なら、そういう部分にお金を回しても問題ありません。でも、普通の一般家庭が、そういう確率の低いことについて大金を掛けるのは、果たして正しいのか、ということをもっと保険に入ろうとしている人は考えなくてはいけない、ということなんですね。
他にも、保険商品や保険業界について、何故こうなっているのか、どういう部分を隠しているのか、これはどういうことなのか、ということを凄く分かりやすく書いているので、保険については基本ちんぷんかんぷんの僕でも普通に理解できましたし、なるほどと思える部分がたくさんありました。凄く有用な本だなと思いました。
というわけで、保険の部分について書いてるとキリがないので、他の雑学的な部分についていくつか書いてみようと思います。
まず僕が凄くびっくりしたことが、保険会社というのは「相互会社」という業態で、その場合、「社員」というのは「保険の契約者」つまりお客さんのことなんだそうです。これは知らなかったなぁ。そうなのか。保険に加入したら、その会社の社員になるんだって。へーって感じですね。
ハンバーガーの値段には、家賃やスタッフの給料などの経費が含まれているのと同じように、保険商品の値段にも経費が含まれているんだけど、これを一般的な保険会社は公表しないんだそうです。でもいろんなデータから考えると、20%~40%ぐらいだそうで、中には50%ぐらい取ってるところもあるとか。ちょっと異常な経費率だそうですよ。
あと本書が凄く良心的だなと感じるのは、著者自身が自身の『過ち』をきちんと書いていることです。日本生命にいた頃に良くない営業をしていたことを書いているのもそうですけど、もっと驚いたのが、今やっている保険のセレクトショップでも、完全にお客さんのためにというわけにはいかない、と告白しているところ。詳しくはめんどくさいから書かないけど、そういう自らの悪いところも隠さず書いているので、逆に書かれていること全体に信頼が持てるな、という感じがしました。
もちろん、僕は保険に無知なので、著者が明らかにおかしなことを書いていてもわからないだろうと思います。それでも、本書に書かれていることはかなり有用だし信頼できるんじゃないかなぁ、と思ったりします。
そんなわけで、これはメチャクチャ面白いと思いました。物凄く実用的な本だと思います。ぜひぜひ読んでみてください!

後藤亨「生命保険の「罠」」




大阪は踊る!(高遠響)

それで会田君も理解したようだった。ここは一旦謝っておいて、事情は落ち着いたらまた説明すればいい。きっとそんな風に考えたのだろう。勢い余って立ち上がっていた会田君は冷静になったようで、立ったままで頭を下げた。
「ごめん。もうしません」
「うん、分かったから」
 それでも会田君は頭を上げないから、もういいからと言って会田君を座らせた。
「ちょっとごめん。少しだけ部屋に戻るね」
 会田君は、志保が部屋で泣いてくるのだと思ったのかもしれない。志保の顔を直視せず、俯いたままで少し頷いた。志保は立ち上がって、食器をキッチンの流しに下げてから自分の部屋へと戻った。
 部屋には、供養を終えて元通りになったマルイさんと、志保が愛用しているシャベルが、いつものところに並んで置かれていた。志保はシャベルを掴むと、静かにリビングへと戻っていった。

「失踪シャベル 21-5」

内容に入ろうと思います。
物語は、大阪・道頓堀に石油が湧くというとんでもないところから始まります。
市役所の「どないしよう課」にいる前田拓郎は、石油の湧き出す道頓堀を一目見ようと集まった人々を整理すべく道端で立っていた。どう見ても冴えない青年である。
この「どないしよう課」は、市役所のお荷物が集められた課である。広瀬という食えない課長、華子というちゃらんぽらんに見える女性、そして拓郎の三人しかいない。皆、何らかの事情で島流しにされた面々だ。
大阪市はこれから、市を挙げて石油事業に取り組んでいくと発表し、国内だけでなく海外からも注目を集めることになります。一方で、市役所のお荷物である「どないしよう課」は、市役所を飛び出し、「たこつぼ」という道頓堀のたこ焼き屋さんの二階を事務所に据えて、そこで道頓堀商店街をバックアップするという形で協力していくことになった。
大阪市は、初めのウチは順調だった。市長の館山は、大阪府の介入を最小限に抑えつつ、すべてを大阪市でなんとかやってやろうという気概に溢れていた。
しかし、徐々に事態はとんでもない方向に進んでいく。やがて、国が大阪市に介入を始めるようになっていくのだが…。
というような話です。
いやー、これは予想外に面白い作品でした!正直、全然期待してなかったんです。こういっちゃなんだけど、アルファポリスってそこまで大手版元じゃないからそこまではいい原稿が集まるわけじゃないだろうって印象もあったし、装丁がちょっとちゃちい感じだったりという理由で、まあそんな大した作品じゃないんだろうなぁ、という先入観で読み始めました。
いやー、しかしですね、これがまあ面白い。話自体は、荒唐無稽を三乗したような話で、正直言ってまあありえないでしょう。道頓堀に石油が、という件ももちろんだけど、あの人物が実はああだったとか、最後の方でこんなとんでもない展開になるとか、とにかくありえないんだけど、でも妙に読ませるんですね。もしかしたら、小説の細かなところが目につく人はあんまり楽しめなかったりするのかもしれないけど、僕は面白ければ細部にはそこまでこだわりがある人間ではないので、これはアリだなと思いました。
まあよくこんな話を考えたものです。作家としてずっとやっている実力のある作家なら、『道頓堀から石油』という設定から、この話のような面白い展開を書けたりするのかもですけど、これを書いているのがデビューして間もない新人作家ですからね。別に、デビューしたての作家がここまで書けたから凄いっていうんじゃなくて、作品単体として見て充分レベルの高い作品だと思うんだけど、さらにそれに、新人がこれを書いたのだなぁ、と思うと余計に驚きが増すという感じです。
まず何よりも、「どないしよう課」の面々が実に素晴らしい。広瀬の破格の存在感や、華子の鬱陶しいまでの押出しみたいなものも読んでて楽しいんだけど、何よりも拓郎の成長目覚しいところがいいですね。本書は、「大阪再生物語」としてもちろん読めるんだけど、一方で「拓郎成長物語」としても読めるんですね。それぐらい、拓郎の存在感&成長っぷりは素晴らしい。
それに、「どないしよう課」と初めの初めっから関わっていた道頓堀商店街の面々も素敵です。とにかくこの、市役所内で疎まれているだけの存在だった「どないしよう課」と、近くに石油が湧いたというぐらいの関わりしかない道頓堀商店街が、最終的にとんでもない力を発揮してとんでもないことをやり遂げてしまう、という展開が圧巻ですね。
また、そんな彼らとは真逆の位置にいる、キナ臭い方の動きも面白いわけです。とにかく国は、大阪市が威張って石油で儲けようとしてるのが気に食わなくて、無茶苦茶なやり口でそれを奪い取ろうとする計画を立てるわけで、それがホントに無茶苦茶なんですね。そこまでするかいな!っていうような策謀を巡らせて、なんとしてでも大阪市から油田を奪おうとする。その中心にある人物がいるわけなんですけど、これがまたまあクセモノで、この冷徹なクセモノのドSっぷりも読んでてなかなか面白かったです。
あと本書では、まさに「大阪愛」としか言いようのない部分が描かれます。もちろんそれぞれの地域で、そうした地元への愛着みたいなものは皆さん持っているでしょうけど、僕の勝手な印象では、大阪と京都ほど地元への愛が強い地域ってなかなかないんじゃないか、と思っています。まさに一丸となって、という表現がぴったり来るような団結っぷりで、もしこの物語の舞台が大阪以外だったら、ここまでの物語はなかなか成立し得なかっただろうな、と思います。
その中でも最も活躍しているのは、世界最強と言っていいだろう、「大阪のオバチャン軍団」です。たぶん世界中回っても、大阪のオバチャンに勝てる民族はいないんじゃないかっていうぐらい、とんでもなく強い。その強さが、本書では遺憾なく発揮されていく。これがまた痛快で素晴らしいです。
前半は、おちゃらけた部分もあり、また政治的な真面目な部分もありという感じですが、後半から怒涛の展開で、息つく暇もないというぐらいの超スピードの展開になります。おいおい、これをどうやって収めるわけよ大阪人!というようなハラハラドキドキが素晴らしいですね。全然関係ないんですけど、金城一紀の「レヴォリューションNo.3」で出てきた「ええじゃないか踊り」のことを思い出しました。これは、高校生たちが街中を混乱させるために、突然「ええじゃないか踊り」を踊り始め、次第にそれが周りの人に伝染し、最後は街中の人が踊りまくって大変なことになる、という感じだったと思うんだけど、本書もなんだかそんな感じ。どちらにしても、その場にいたかったなぁー、と思わせるような雰囲気で、その場にいられたら物凄く興奮しただろうなと思います。
本書で惜しむらくは、装丁でちょっと失敗しているな、というところ。実にもったいない。装丁だけみると、B級感溢れる、ただおちゃらけているだけの軽い小説みたいな風に見えるんだけど、全然そんなことはないのです。メチャクチャ熱い話で、装丁からだとなかなかそれが伝わらないだろうな、というのが凄くもったいない気がしました。
というわけで、これはエンタメとしてかなり面白い作品だと思います。大阪人じゃなくても熱くなれる物語です。表紙の印象とは違ってかなり骨太のしっかりした物語で、読後感は爽快だと思います。是非読んでみてください!

高遠響「大阪は踊る!」




北村薫の創作表現講座 あなたを読む、わたしを書く(北村薫)

何かのアニメが始まったテレビの音と、スプーンが食器に当たるかつかつという音しかしなくなった部屋で、志保はようやく会田君に切り出した。
「K駅で、友達が見たって」
「え?何を?」
 会田君は本当に何を言われているのか分からないという顔をした。その瞬間、志保の中ではすべてが終わった。ぎりぎりまで切れずにいた糸が、ぷつりと切れた瞬間だった。もう言葉を継ぐ必要はないのだけれど、理由を分からせた方が正しいように思えて、志保は続けてこう言った。
「女の子と、歩いてたって」
 その瞬間、会田君の表情がさっと変わった。
「違うんだよ。誤解だ」
 会田君は叫びだしそうな顔で何か続けようとしたみたいだけれど、志保はそれを遮った。
「言い訳は聞きたくない」
「でも、あれは…」
 つまらない言い訳を聞きたくなかったので、志保は少しだけ表情を緩めて会田君に言った。
「怒ってるとかじゃないの。ただ哀しいだけ。もうしないって約束してくれるなら、それでいいから」

「失踪シャベル 21-4」

内容に入ろうと思います。
本書は、作家の北村薫が、母校である早稲田大学の表現の講座を2年受け持った時の講義内容を抜粋して書籍化したものです。講義全体の4分の1ほどを収録している、とのことです。
内容はかなり多岐に渡ります。書くこと、創造することについて作家である北村薫自身が語る講義もあれば、若い歌人を呼び、その歌人にグループごとにインタビューをしてもらった上で600字のコラムを書くとか、新潮社と講談社の編集者に来てもらって語ってもらうとか、小説だけではなく落語や映画の話なんかも出てきたり、という感じですね。
読み終えた僕の感想としては、これは本というパッケージにはちょっと向いてない内容かな、ということです。
大学の講義でやる場合、週に1回、月に4回、半期なら年に15回ぐらいとかかな?そういう長いスパンでやるので、毎回の内容が異なっていて新鮮さを出すとか、あるいは二週連続で前後半である一つのことをするとか、そういう組み立て方っていうのは大事だと思います。特にこの北村薫の講義の場合、ただ聞くだけではなく、積極的に参加するという形のものが多いので、余計に毎回の演出や企画の違いみたいなものはかなり意識していたんじゃないかなと思います。
ただそれが一冊の本になると、途端にまとまりが悪くなってしまう感じがするんですね。大学の講義というまとまりで見れば、そのバラバラの内容の繋がりみたいなものを見いだせるのだろうけど、一冊の本というまとまりで見た場合、ちょっとこれはまとまりに欠けるよなぁ、という感じがしました。まあでもこれは著者の責任というわけでもないでしょう。あくまで予想だけど、北村薫が大学で講義をするということが分かった時点で、本書出版の版元である新潮社の編集者の人が、書籍化することを前提にしませんか?と提案したんじゃないかな、と(というのも本書は、講義を録音したテープから起こした、と書かれているので。書籍化することが前提じゃなければ、講義を録音なんてしないんじゃないかと思ったもので)。もし北村薫が自分の企画で「表現に関する本を書く」となれば、本書とはまるで違った内容になったことでしょう。でも本書はそういう風に生み出されたのではなく、元々講義をそのまま書籍化するという編集者の前提があったのだろうと思うので、北村薫の責任というよりは、編集者の責任と言ったところでしょうか。
全体の流れが一冊の本としてはまとまりに欠ける、という点を除けば、一つ一つの内容は結構面白いです。でもこれも、読んでるよりその場で講義を受けていた方が100倍ぐらい面白かっただろうな、と思わされる内容で、ちょっと悔しい感じはしますね(まあそもそも早稲田大学にいたわけではないんで悔しいも何も受けられなかったわけですけどね)。
個人的に好きなのは、歌人にインタビューして600字のコラムを書く、というところですね。インタビューした内容から、各人が書くコラムの違いがかなり際立っていて面白いですね。僕も同じ場にいて、自分がどんな文章を書くことが出来たのか、ちょっとやってみたかったですね。
新潮社と講談社の編集者の話も面白い。びっくりしたのが、雑誌の儲けについて。雑誌は儲からないという話はそもそも知ってたけど、ある文芸誌(この話は新潮・講談両編集者がしたわけではなく、北村薫が話していたことなので雑誌の名前は出てない)は出すと年間で1億赤字だそうだ。出さなければ1億円浮くのに、でも出す。それだけ見ても、やっぱり出版というのはかなり特殊な存在なんだろうなという感じがしました。
編集者の二人が、編集者の適正として答えていたのが、「良い本を人に広めたいと思えるかどうか」というもの。これは書店員にも当てはまるよなぁ、と思ったりしました。実用書や工学書の担当なんかだとまた別でしょうけど、やっぱり読んで、これは素晴らしいいろんな人に読んで欲しい!と思える書店員じゃないとなかなか難しいだろうなと思ったりしました。
まあそんなわけで、どうでしょうね。講義そのものはたぶん相当面白かったんだと思いますけど、それをそのまま本というパッケージに移植するのはちょっと無理があったのかもしれないな、と思いました。難しいものです。個別の話はそれぞれ面白いですが、ちょっと全体的にまとまりのない本だったかな、という印象でした。

北村薫「北村薫の創作表現講座 あなたを読む、わたしを書く」




プラチナデータ(東野圭吾)

会田君はそう言って、すぐにビーフシチューを口に運んだ。向かい合わせに座った志保との沈黙を嫌ったかのような素早さだった。会田君は、美味しい、美味しいと言ってばくばく食べてくれているのだけれど、やっぱりそれが志保との会話を避けるためにしか思えなくて、当て付けのように志保には映った。会田君を見る目がこんなにも変わってしまったことが哀しくて仕方なかった。会田君が遠い異国でギターを弾いている姿を思い浮かべた。もし、志保が初めに出会ったままの会田君がどこか遠くの異国にいるのなら、志保はその会田君に会いに行きたい、と思った。
「お代わりしてもいい?」
 会田君が一皿食べ終わる間に、志保は二口ぐらいしか口に運ばなかった。会田君は、志保のビーフシチューを食べれば誰でも疑問に思うだろうことを聞かなかった。いつもの会田君なら、ビーフシチューなのに肉入ってないんだね、と聞いてくるはずだった。志保の怒りの導線に火をつけたくなくて黙っているのだろうけれど、そういう態度の一つひとつが気に障った。

「失踪シャベル 21-3」

内容に入ろうと思います。
舞台は、たぶんちょっと未来の日本。基本的に今と社会システムなんかは変わらないけど、科学技術のレベルは多少進んでいる、というような設定のようです。
その日本では、DNA捜査システムという、新しい捜査方法がまさに始まろうとしており、その実証実験をしている途上だった。一介の刑事である浅間は、DNA捜査システムを使った殺人事件の捜査に関わることになったが、このシステムに対しては実にキナ臭いものを感じた。
DNAさえわかれば、身長や体重などあらゆる特徴がわかり、それらの特徴から考えられる予想される外見もCGで合成されるのだけど、何よりも恐るべきは、データベースに登録してある個人のDNAデータと照合し、ある人物の三等親以内であれば係累であることが分かる、ということだ。浅間の関わった事件も、DNA捜査システムにより、ある人物の三等親以内の男性が容疑者であることが判明し、すぐに逮捕されたが、しかし浅間はこのシステムにはどうにも納得出来ないものを感じていた。
やがてDNA法案が国会で通り、国民にDNAの登録を呼びかけるも、DNAを登録に難色を示す人は多い。そんな中、ある事件の被疑者と思われる人物のDNAをシステムに掛けたところ、「NOT FOUND」と表示される。システムの開発側は、これは登録されているDNAデータの不足から起こるものだと説明する。
時を同じくして、システムの開発者である天才数学者が殺害されるという事件が起こった。システムの責任者である神楽が、殺害現場で採取された毛髪をシステムに入れると、なんと犯人が神楽であるという検索結果が表示される…。
というような話です。
さすが東野圭吾です。読みやすくて展開が面白いエンタメを書かせたら、やっぱり東野圭吾は一級の作家だなぁ、と思います。東野圭吾にはみんな期待が大きすぎるのか、どうも新作が出る度に評価が厳しいイメージがありますけど、僕はやっぱ面白い作品を書くな、と思いますね。
本書は、設定として、ちょっとそれは無理あるんじゃない?とか、そういう偶然が一挙に集まっちゃうのはやりすぎじゃない?と思うところは多々あります。それでも、多少ご都合主義な設定だったとしても、それらをいくつか組み合わせてこれだけ面白い展開を生み出すんだから、なかなかのものだと思います。DNA捜査システムっていうアイデアは、結構誰でも思いつけるんじゃないかなと思うんですけど、それをいかにストーリーとして面白く読ませるかというアイデアが素晴らしいと思います。メインの発想はそこまで奇抜ではなくても、それをいかに調理するかっていう部分は、東野圭吾はなかなか巧いなぁと思います。
多視点の構成で、視点が結構いろいろ変わりますけど、その処理もうまいので読みやすいし、スイスイ読めます。東野圭吾は細かな描写で手を抜かないという印象があって、隅々まで気を遣って書いてるなと感じます。
ストーリーは、「NOT FOUND」と表示されるのはどうしてなのか、そしてDNA捜査システムの根本的な問題とは何なのかという謎をメインに、連続殺人犯の正体は誰なのか、逃亡犯となった神楽は逃げ切れるのかなどいくつもの展開があります。その一つ一つはそこまで派手なものではないんですけど、組み合わせ方がうまいので読まされてしまいます。どういう展開になるのか気になるように計算して書かれているというのがよくわかります。
というわけで、エンタメとしてやっぱり東野圭吾の作品はなかなか優れているよなぁと思うわけなんですけど、一つだけ個人的に残念だったのが、DNA捜査システムの欠陥の真相です。もの凄く現実的な解ではあるんだけど、僕としては、もっと数学的・物理的な欠陥なのかなと予想していたんで、なんとなく肩透かしを喰らったような感じがありました。まあ、僕が勝手にそんな予想をしていたから悪いし、本書で提示される解は、あまりにも現実的であるが故に説得力も凄くあるんですけど、でもなぁ、という感じがしていまいました。
実際DNA捜査システムなんてのが開発されたら、どうでしょうね。僕だったら、DNAの登録はしないだろうな、と思います。めんどくさいし、登録するメリットが感じられないし。そうやって、なんでもかんでも管理されちゃうっていうのは、やっぱり嫌だしなぁ。まあたぶん、本書で出てくる天才数学者の存在でも無い限り、きっとそんなシステムは完成しないでしょうけどね。DNAのデータなんてホント超膨大なはずだから、それをデータベースにして検索できるようにするなんて、やっぱ現実的には無理だろうな、と。
まあいろいろ突っ込みどころはあるだろうけど、そういう細かなところを除けば、エンタメとしてはやっぱり凄く面白い作品だと思います。まあ、誰かに東野圭吾の作品を勧めるとしたら別の作品を勧める、という意味ではそこまで強く推す作品ではありませんけど、面白いと思います。是非読んでみてください。

東野圭吾「プラチナデータ」




イレギュラー(三羽省吾)

志保の家の最寄り駅の前で待ち合わせて、そのまま会田君を家に連れてきた。久々に会田君に会った志保は、懐かしさと同時に哀しさを覚えた。会田君が志保にとって特別な存在だということは、今でも確信がある。ただ、会田君にとって志保は特別な存在ではなかった、というだけのことなのだ。言葉にすればそれだけのことが、志保にとっては絶望的なほど哀しく、笑顔で志保に近づいてくる会田君の顔をちゃんと見ることが出来なかった。
「もうご飯にしちゃってもいい?」
「うん、大丈夫」
 まだ五時を過ぎたばかりだったけれど、会田君は志保のビーフシチューを食べるためにお昼ご飯を抜いたと言っていたから、充分食べられるだろう。ご飯とビーフシチューをリビングのテーブルに運んだ。
「いただきます」

「失踪シャベル 21-2」

内容に入ろうと思います。
コーキとモウが『町』に来てから半年。元小学校だったグラウンドでの避難生活を続けている。町の雰囲気に馴染めず、どこにいたらいいのかもわからず、持て余し気味のパワーを無駄なことに使っている。
コーキとモウは蜷谷高校野球部のバッテリーだった。しかし半年前、蜷谷村は水害に合い水没。非難を余儀なくされた。もちろん野球が続けられるわけもなく、毎日だらだらしているだけの日々だった。蜷谷高校野球部の監督だった大木は、練習場所を貸してくれるところを様々に探していたのだけど、そう都合よく見つかるわけもなく、もう半分諦めているところだった。
そんな折、K高野球部の監督である結城は、かつての恩師が蜷高野球部監督であることを知る。K高野球部は結城が監督に就任してからもの凄い勢いで成長したが、全国大会の試合で、K高野球部の限界を見てしまった。そこで、同情からではなく、合同で練習することでK高野球部の面々に良い影響が与えられるだろうと判断、蜷高との合同練習に踏み切った。
まともに野球を教わったこともなく、力任せに野球をしていたコーキは、態度もデカく、自分の球が打たれるわけがないと高を括っていた。しかし、あっさりとその球をホームランにされてしまった。コーキは初めて大木に、誰にも打たれない球を投げる方法を教えてくれと頼み込み、文句も言わず練習に明け暮れるが…。
というような話です。
正直あんまり期待してなかったんですけど、かなりよかったです。
エンジンの掛かるのが結構遅い物語なんですね。だから、読み始めはイマイチ掴みきれないなぁという感じの作品でした。あらすじとかから、スポーツ物の小説なんだろうということは分かるんだけど、前半は割とスポーツしてない。だからつまらないなんていうわけではなくて、いつ彼らは野球をちゃんとやり始めるんだろうか、もしかしたらちゃんと野球はやらない小説なのか、みたいなモヤモヤみたいなのがあって、それが前半部分の『エンジンがかかるのが遅い』っていう感想になったんだろうなと思います。
そんなわけで前半は、コーキたちが全然真面目に野球をやってなかったり、そもそも練習場所を確保するのに時間が掛かったり、蜷谷村の避難民の人々がどんな感じなのかの描写が多かったりと、野球以外の部分が多いんですけど、コーキが自分の球をホームランにされて、心を入れ替えるようにして練習に熱心になる辺りから物語は加速度的に面白くなっていきます。
もちろんこういうスポーツ物の小説には多少はしょうがない部分として、いやーさすがにそれはちょっと無理があるでしょう、という部分はあります。本書は、ユーモア的な要素も結構盛り込まれているんで、なおさらそういう部分は目に付くかもしれません。そういうところが結構気になるという人には粗の目立つ作品に思えるのかもですけど、僕は基本的にそういう部分は気にならないので凄く面白く読めました。
野球をちゃんとやり始めてからは、基本的には野球がメインになっていくんだけど、でもそれだけじゃないんですね。とんでもない大事件があって、それがありとあらゆることの屋台骨を揺るがすかもしれないとんでもない事態になっていくわけです。その話も、またいい。感動させようとしてるよなぁ、というあざとさは感じるけど、まあ別に僕はそういうのもそこまで気にならないし、うまく話をまとめてるなとも思うし。
野球の部分はなかなか圧巻です。基本野球のことを知らない僕でも楽しめました。真剣な場面なのに笑いを紛れ込ませたりとかして、緩急の付け方がうまいなと思いました。ずっと真剣な試合シーンとかだと疲れちゃいますしね。普通ならこの辺りで終わってもおかしくないよなぁ、というところでは終わらず、まだまだ続き、前半部分でいろいろと出てきたエピソードと絡めつつ野球の話が続いていくというのはうまいなぁと思いました。特に、『お前達には何も出来ない』っていう言葉に関わる話はいいなぁと思いました。なるほど、あの場面で出た言葉が、こんな風になって返ってきますか、という感じ。
あといいなと思うのは、コーキの変化ですね。初めは、町の人間だと見れば噛み付いてどうにも手がつけられない男で、特にK高野球部のエースである狭間とは犬猿の仲だったんだけど、それが次第に変わっていく過程がなかなか好きです。
しかし狭い範囲の中に、『超弩級の高校球児』がいすぎだよ、とか思ったり(笑)。コーキや狭間など蜷高やK高野球部だけじゃなくて、他にもまだとんでもないのがいたりするわけで。レベル高すぎでしょう。
そんなわけで、ちょっとエンジンの掛かりが遅い物語ではあると思うんだけど、後半相当よくなります。おふざけの部分と真剣な部分の緩急の付け方もいいし、キャラクターも物語の展開もなかなか面白いです。野球をモチーフにした小説なんか、それこそ山のようにあるだろうけど、まだまだこんな切り口で物語が書けるんだなと思いました。是非読んでみてください。

三羽省吾「イレギュラー」




グラデーション(永井するみ)

21

 志保は、昼間作っておいたビーフシチューを鍋で温め直していた。会田君はリビングにいて、テレビを見ている。ここに来るまで会田君は、これまでと同じ調子で話しかけてきたのだけれど、志保はどうしてもこれまでのようには受け答えが出来なかった。会田君も志保の様子がおかしいことに徐々に気づいたようで、少しずつ会話が少なくなっていった。会田君は、どうして志保の機嫌が悪いのか分からず、あちこち視線をさまよわせたり、頻繁に志保の顔を見ては逸らしたりということを繰り返していたのだけれど、やがて諦めたのか居心地悪そうに志保の隣を歩いていた。
 夕方から会おうという志保に、会田君は初め訝しがっていたのだけれど、ビーフシチューの準備をしたいのだというと納得したみたいだった。ここでお母さんの得意料理であるビーフシチューを会田君に食べさせるのは何だか皮肉な感じがして、志保はその思いつきが気に入ってしまったのだ。

「失踪シャベル 21-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、桂真紀という一人の少女が大人になっていくまでを、それぞれの年代ごとに描いた作品です。14歳から23歳までの成長を描いています。
真紀は、女の子で群れるのはなんとなく好きになれないし、男子も女子もみんな恋愛がどうしたっていう話ばっかりするのについていけない。そんな女の子。自分が周りにうまく溶け込めていないことも、ちょっと浮いてるってことも分かってるんだけど、でもなんだかうまくやることは出来ない。
学校中で人気の先輩に、一緒に帰ろうと声を掛けられた時も、真紀はどうしたらいいのかよくわからなかった。周りは羨ましがるけど、自分の気持ちはよくわからない。親友の睦美と一緒に帰る方が楽だし楽しい。なんだか、よくわからない。
家族とも、微妙な距離感を覚える。姉は社交的で明るく、誰とでも仲が良い。そして母親も、そんな姉と一緒にいることが楽しいようだ。真紀は、そんな姉と母親の話の聞き役で、それに不満はないけども、昔姉がいなくて母親と二人きりの時、母親が「珠ちゃんがいないと、しんねりむっつりね」と言われたことが、まだ心に刺さっている。なんだかうまく、姉や母親と付き合っていくことが出来ない。
中学、高校、大学と成長していく中で、たくさんの人と仲良くなるというのは相変わらず難しいけど、それぞれの時代で、この人となら、と思える親友と出会うことが出来る。でも、なんだか真紀は取り残されているような気がするのだ。
ぐるぐると答えの出ない問いに振り回されるような、決して生きやすいとはいえない真紀のささやかな人生を、丁寧に丁寧に描いた作品。
永井するみは基本ミステリ作家だという認識があって、ミステリ方面での作風はそこまで好きっていうほどでもないんだけど、こういうタイプの作品も書けるんだなぁ、とちょっと新鮮でした。本書と似たような感じで「スコーレNo.4」という作品があって、「スコーレNo.4」は僕の中ではとんでもなく傑作なので、それと比較してしまうと難しいですけど、でも本書もなかなかいいじゃんという感じでした。予想してたよりも結構よかったなという感じです。
ストーリー的には、劇的なことは特に何も起こらないんですね。中学時代のキャンプとか、同級生の恋愛とか、姉の結婚とか、親友とのふらり旅とか、ちょっと寄ってみた写真展とか、そういう本当になんということもない日常がメインで描かれてきます。そしてもちろんその中に、真紀の恋愛も描かれていくわけです。
真紀は、どこのクラスにも何人かはいそうな、大人しくて女子同士であまり群れなくて、というタイプなんだけど、真紀はそういう自分を、大丈夫かな私?と思っている。姉みたいにもっと社交的だったらなとか、こういう場面だったらこうするんだろうなとか、なんで私こんなことが出来ないんだろうとか、そういう風にすぐ悩んでしまう。結構自分と似てるところもあって、親しみを感じる部分もありました。些細なことで悩んだり、人間関係を深く考えすぎたりっていうのは僕もよくあって、あーもっと楽に考えられないものかなぁ、という感じはするんだけど、これがなかなか難しいんですね。この作品は、真紀がそういう悩んだり考えさせられたりするような印象的なエピソードをいくつも重ねていって、真紀の成長を描いていきます。
作中に、<自分だけが取り残されていくようだ>っていう文章があって、まさにそれが真紀の人生をうまく表しているなという感じがします。もともと社交的というわけではない真紀は、限られた人(かなり仲のいい親友や凄く好きになった人)とばかり人間関係を築こうとしてしまうところがある。どうも、真紀の感覚に合う人っていうのは多くないんですね。そういう、ちょっと違うなっていう人の間にいると、疲れてしまう。だから真紀にとって、この人と一緒にいるのは楽だなと思えるような存在というのは凄く大事なんですね。
でも、そういう相手はどんどんと真紀から離れていってしまう。決断力もあって相談事に自信を持って答えてくれるような人を真紀が気に入ってしまうからか、真紀の親友はいろんな決断をスパッとしてしまうんですね。もちろん真紀も、親友のそういう決断は尊重するし、嬉しいとも思うんだけど、でもその一方で、自分ではちゃんと決断も出来ないし、何がしたいかもわからないし、なんだかいつも中途半端な感じのする自分が、周りからどんどん置いて行かれてしまっているんじゃないか、って思うんですね。
そういう気持ちはよくわかるなぁ、という気がします。僕も学生時代は、何だかずっと取り残されている気がしていました。僕も、将来やりたいことなんてなかったし、決断力なんかもなかったから(今もないけど)、周りがいろんなことを決めたり、いろんな方向に進んだりするのを、あーなんかヤバイなぁとか思ったりしながら見てました。別に周りとしたら、僕を置き去りにしているような感覚はまるでないだろうし、ってかそんな風に思われても困るだろうけど、でもそう思ってました。ずっとこのままではいられないんだよなぁ、というのがなんか悲しかった感じがします。
そういう、取り残されていく感みたいなのがひしひしと伝わってきて、あー自分もこんな感じだったのかな、と思いました。
誰しも、いろんな人と出会って成長するものだし、何が人生の転機になるかも分からないけど、そういう中でいろいろぶつかって、悩んで、苦労して、そうやって自分なりの道を歩んでいくんだよな、って、まあ当たり前のことなんだけど、そんなことを感じました。
ちょっと物足りないかもなぁ、というような部分もあるにはあるんだけど、全体的にはなかなか楽しく読めました。派手さのない物語だけど、何か心に響くものがあるんじゃないかな、と思います。是非読んでみてください。

永井するみ「グラデーション」




民王(池井戸潤)

年一回だからと、掃除は念入りに行う。ただでさえ壊れやすくなっているのだから、あまり力は入れずに、優しく歯ブラシを動かすのがコツだ。掃除をしたからといって黒さが薄れるわけでもないけれど、お酒で濡れて光っているマルイさんの眼は、何だか綺麗になっているような気がしてくる。自分の気が済むまで掃除を終えると、もう一冊雑誌を持ってきてその上に大きめに切ったガーゼを置き、その上にまだ濡れているマルイさんの眼を置いて乾燥させる。しばらく乾かしてから、ガーゼで巻き、机の上に置いておく。
 洗濯機に入れたぬいぐるみは、部屋に干しておく。翌朝まで乾かないから、乾いたらほつれている糸を縫い直し、綿を詰め、ガーゼに包まれたマルイさんの眼を中に入れ、背中を閉じるのだ。
 今日出来るところまで作業を終わらせ、志保は供養を終えた。
「これから一年間、またよろしくお願いします」
 志保はマルイさんの眼にそう語りかけると、ホッと一息ついた。志保は忘れないうちに携帯電話を取り出し、会田君にメールを送った。
「次の日曜日、うちに来ませんか?」
 返事は見ずに寝ようと思って、携帯電話の電源を切ってベッドに潜り込んだ。

「失踪シャベル 20-12」

内容に入ろうと思います。
就任してからたった一年。首相の田辺が「辞めたい」と武藤泰山に相談してきた。腹は決まっているらしいが、二人続けて就任後すぐの辞任では、民政党への支持も大きく下がることだろう。慰留を諦めた武藤だったが、今後の民政党の苦しさを思うと同時に、これは自分が総理大臣になる最後のチャンスだとも考えていた。
一方、武藤泰山の息子・翔は、適当に親の威光を借りつつ適当に遊び歩いている大学生だ。大学の講義にはほとんど出ず、女をひっかけたり飲みに出たりとそんなことばかりしている。
大方の予想通り首相になった泰山だったが、国会での審議中、妙な幻聴のようなものが聞こえてきた。そうかと思うと、泰山は大勢の人が参加している飲み会の場にいた。一方、飲み会の席で好みの女を口説き落としていた翔も謎の幻聴を耳にした直後、国会審議の真っ只中に放り出されていた。
二人は、体はそのままで、意識だけが入れ替わってしまったのだ!
この緊急事態をなんとか乗り切ろうとする二人だったが、次から次へと予想もつかない出来事が起こり…。
というような話です。
面白いといえば面白いけど、ちょっとなぁという感じの作品でした。池井戸潤は、銀行をメインにした経済小説に定評のある作家だけど、こうやって色んなジャンルに手を出すこと自体は僕はいいと思うんです。でも、どうも本書の題材をうまく活かしきれていないような気がしました。ちょっともったいない感じがします。
意識だけ入れ替わる、という設定はまあよくあるけど、総理大臣とバカ息子の入れ替えというのはなかなか斬新だなと思いました。斬新すぎて、やっぱりいろいろと無理が出てくる部分はあるんだけど、まあそういう部分には目を瞑ろうと思います。
凄いのは、その設定の中に、現実に起こった政治家の様々な不祥事を組み込んでいるということですね。酒のんで国際会議に出ちゃった人とか、漢字が読めない総理とか(まあこれぐらいは別にいいんだけど)、そういういろんな不祥事が、実は陰で陰謀が進行していた結果なんだ、という設定は、なかなかうまく組み込んだなぁ、という感じがします。
ただ、物語にいろんなものを詰め込んだせいで、ちょっと焦点が多すぎるかな、という気がしました。具体的には書かないけど、まとまりのないものがたくさん詰め込まれている感じがして、何を一番の焦点にしたいのかがイマイチよくわからなくなっている感じがします。政治の問題を一番に描きたかったのだとしたら、ストーリーがあっちこっちに行き過ぎていて、もったいない気がしました。
あと、僕はあんまりリアリティ云々に口うるさい人間ではないんだけど、CIAの極秘技術の部分はもう少しリアリティを持たせて欲しかったなぁ、という感じもします。さすがに、本書に書かれている描写だけでは、リアリティを感じることは困難じゃないかなぁ、と思うので。
まあそんなわけで、ちょっといろいろ中途半端かなぁと感じさせる作品で、もったいないなという気がしました。もう少しうまくやれば、結構面白い作品に仕上がったんじゃないかなと思うので。自分の得意なジャンルではない作品に挑戦するという姿勢は素晴らしいと思いますけどね。

池井戸潤「民王」



小さいおうち(中島京子)

小さい頃、近くで家を建てているところがあって、その上棟式を家族で見たことがあった。作りかけの建物の四方にお酒をまいていて、それを見た志保は父親に、あれは何をしているのと聞いたのだ。父親は、お酒にはお清めをする力があって、良い家が建つようにお祈りをしているんだ、と言った。それでマルイさんの供養をする時は、お酒で清めるようにした。子どもの頃はなかなかそれが大変で、父親のビールをくすねたり、料理に使うお酒があると知ってからはキッチンから料理酒をちょっともらってきたりして、なんとかやってきた。高校三年ぐらいの時、勇気を出してコンビニで日本酒をレジに持っていったらあっさりと買えてしまったので、それからはカップの日本酒を買ってきている。
 お清めのつもりだから、少し掛けたりすればいいはずなのだけれど、どうせ毎年取り出すのならと、ついでに掃除もすることにした。お清めに使っているお酒で洗ったりしたらバチが当たるかもしれないけれど、その辺りは深く考えないできたからこそ、毎年こうやって続けられたのだろうとも思う。

「失踪シャベル 20-11」

内容に入ろうと思います。
本書は、ついこの間直木賞を受賞した作品です。
物語は、タキという女性が過去の思い出をノートに綴っている、という形式で進んでいきます。
タキは、戦前から戦後にかけて、女中一筋で生きてきた女性で、とある小説家先生のお屋敷を皮切りに、いくつかの奉公先を経て、やがて、タキが<終の棲家と思い定めていた>平井家にやってきます。
物語は、その平井家での出来事が中心となって進んでいくことになります。
浅野家に奉公に出ていた時に仕えていた時子奥様が未亡人になり、そして再婚する際、女中であるタキも時子奥様と一緒についていくという形で平井家に行きつくことになります。
浅野家にいた頃から時子奥様とは仲が良くいい関係で、また平井の旦那様も良い方で、恭一おぼっちゃんは赤ちゃんの頃からお世話をしているために、非常な愛着を感じていて、平井家にずっといさせてもらいたいと思うほど居心地のいい家だったのです。
時局は決していいとは言えず、歴史の教科書に載るような大きな事件がいくつもあった時代だったのだけど、ささやかに暮らす人々の生活にはそこまで暗い影が射すこともなく、恭一おぼっちゃんの育児、玩具会社で働く旦那様の仕事のあれこれ、時子奥様の日常の暮らしなど、そういう小さな世界の中では日常は穏やかに進んでいく。そしてその穏やかな日常は、タキの手腕によって維持されているということが、タキの大きな幸せとなっている。
次第に戦争に突入し、状況が変化していくも、女中として平井家に貢献したいというタキの思いはずっと変わることはない。しかし、この手記を綴っている年老いたタキは、ある一点だけ、後悔を抱えていた…。
というような話です。
これは素晴らしい!直木賞って、書店員として売るための箔ぐらいにしか思ってなくて、直木賞に選ばれる作品だから素晴らしい、なんて風にはもはや思ってないのだけど、この作品はとにかく素晴らしいと思った。こういう作品が直木賞に選ばれ、多くの人に読まれるのなら、まあ直木賞もまだまだ捨てたもんじゃないか、と思ったり(偉そうですね 笑)
物語のほとんどは、本当にただの、ちょっと裕福だった当時の庶民のありきたりの日常を女中の視点から描いた、という感じなんですね。一つ、物語の核となるような重要な要素はあるけど、それ以外は基本的に、本当にどこにでもいそうな普通の人の生活が描かれているだけ、なんですね。
しかしこれが面白いのなんの。正直、帯に書いてあるような<ひそやかな恋愛事件>の話とかなくたって別にいいから、女中タキから見たその当時の生活をもっと読んでいたかったな、という感じがしてしまうほどです。
本書には、タキの手記を盗み読み(しばらくしてからタキが自ら読ませるようになったらしいけど)している、甥の健史という人物が出てくる。この健史がタキの手記を読みながら、「この時期は2.26事件とかあったんでしょ?世間がそんなのんびりしてるわけないじゃん」「南方で日本兵が歓迎されてるなんてことあるわけないじゃん。」みたいなことをズバズバとタキに突っ込む、というような場面が時折挟み込まれるのだけど、これは僕には凄く効果的だと感じられた。
僕は基本的に歴史に関しては本当に無知で、誰もが知ってるような超常識的なこと(1600年、関ヶ原の戦いとか)ぐらいしか知らないような、本当に歴史に関してはダメ人間なんだけど、そんな僕でもやっぱり、戦争前後は日本は大変だったんだろうなぁ、と思うのだ。世間全体が暗くなってるだろうし、食べるものもどんどんなくなって、空襲なんかもバンバン来て、というようなイメージ。頭の中では、「火垂るの墓」的な感じのイメージがずっと続いてたんだろうなぁ、って思ってたんです。
でも本書を読んで、まそんなわけないか、と思ったりもしました。
もちろん、一応押さえておかなくてはいけないのは、平井家は多少裕福だった、ということでしょう。普通の庶民というわけではなくて、一軒家を持てるくらいの裕福さのあった家だった、という違いはある。だからこそ、貧しい暮らしを強いられていた人々とはまた違っているだろうし、見ているもの感じていることなんかも違っただろう。
それでも、生活力に差こそあれ、全体の雰囲気みたいなものはやっぱりそうは変わらないだろうと思います。
本書では、戦争が始まっても、日常生活はそこまで変化がなかったというような雰囲気で物語が進んでいて、健史はそれに突っ込んだりしてるんだけど、でもそれもそうか、という気がしないでもない。
日本が勝ってようが負けてようが情報は操作されて勝ってることになってただろうし、本土での決戦になっていなければ、急激な変化というのも起こらないだろう。本書では、<アメリカと戦争が始まって、なにがよかったって、世の中がぱっと明るくなったことだ。>なんて文章もあるのだ。これは、物がどうとかそういうことではなく、人々の気持ちが前向きになったということなんだろう。
そういう、歴史とやらを勉強しているだけ、知識を詰め込んでいるだけでは決して理解出来ないその当時の生活というものを、本当に細かなところまで、当時の空気を感じさせるように描いているのだ。本当に、タキという女中が存在して、その女中が手記を書いているのではないか、と思いたくなるくらい、当時の生活についての描写が素晴らしい。もちろん、歴史に無知な僕は、当然その当時の生活がどうだったかなんていう知識はないわけで、だからここに書かれていることがまるで間違っている(なんてことはないにせよ、細かなところで間違っている)なんてことはあるかもしれないけど、少なくとも僕にとってはそんなことがあったとしても大した問題じゃない。変な表現だけど、その当時の生活の手触りを感じられるほどの描写は良き時代の日本を忍ばせるし、映像では絶対に到達することの出来ない質感は驚愕と表現してもいいレベルだと思う。
そしてその、愛着すら感じさせる日常生活の中に、タキがわざわざ手記を書いてまで記憶を整理したい、確かめたい、と思わせる、一つの印象的なエピソードが組み込まれるのだ。
これは、冒頭の方で奉公先だった小説家先生から何度も聞かされた、ある女中の話が伏線として張られている。タキが思い悩んでいるのは、女中としてどう行動すべきだったのか、自分のした行動は正しいものだったのか、ということだ。これが、タキが手記を書くメインの動機になっていて、それでいてなかなかうまく書くことが難しく、結局その当時の思い出を書くことに逃げこんでしまっているという雰囲気がよく出ている。
そしてこのエピソードが、ラストとも実にうまく繋がっていくんですね。具体的には書かないけど、なるほどそういう終わらせ方をしますか、という感じでした。もっと平井家の話を、タキの話を読みたいぞ、という気分になるのは仕方ないとして、うまい終わらせ方だなと感じました。
というわけで、僕なんかが書いた文章を読んだところでまるで本書の良さを伝えられないというのがもどかしいところですが、これは是非多くの人に読んでもらいたい傑作だなと思いました。僕は普段、一度読んだ本を読み返すということはしないんですけど、これはいつか読み返すような気がします。平井家の面々に、そして何よりもタキにまた会いたい、という気持ちはかなり大きなものになっています。これは素晴らしい傑作だと思います。是非読んでみてください!

中島京子「小さいおうち」






悪貨(島田雅彦)

部屋に戻り、ガーゼに包まれた物を手に取る。ボタン電池ぐらいの大きさだろうか。少しずつガーゼを剥いでいく。あまり力を入れすぎると、中に入れたものが壊れてしまうかもしれないから慎重になった。中から出てきたのは、真っ黒い干しぶどうのようにも見える、見る人によっては不気味にも感じられるだろうものだった。
 それは、干からびて水分を失った、マルイさんの眼だった。
「今から綺麗にするからね」
 そう声を掛けて、志保はまず床にもう読まない雑誌を二冊ほど置いた。その上にマルイさんの眼とカップの日本酒と歯ブラシを置く。カップの日本酒の蓋を開け、その中に歯ブラシを入れ、日本酒のついたブラシの先で、マルイさんの眼を丁寧に洗っていった。
 マルイさんの眼は、ぬいぐるみの中に入れてから年々変化を遂げてきた。入れた当初は、まだゼラチンのようなぷるぷるとした部分も残っていたのだけれど、徐々に水分が失われていって、同時に黒く変色していった。水分が失われていくにつれて大きさも変化していき、今では初めの半分ぐらいの大きさしかないのではないかと思った。さすがに乾燥がかなり進んできたのか、ここ最近は大きな変化はないのだけれど、乾燥するにつれて壊れやすくなっていって、少しずつではあるけれど、あちこち欠けたりして小さくなってきているような感じもする。

「失踪シャベル 20-10」

内容に入ろうと思います。
物語は、あるホームレスが大金を拾ったところから始まる。ホームレスはこの金で人生を変えられると考えるが、しかしそれはまるでうまくいかない。そのホームレスが持っていたお金は、巡り巡って銀行まで辿り着き、そしてそこでたまたま偶然、偽札だと判明した。
そう、たまたま偶然。
つまり、その偽札は、機械のチェックは通ったのだ。偽札であることを見抜いたのはほんの偶然からだった。
精巧な偽札。機械ですら見抜けない偽札。そんな偽札の登場に、警察は<フクロウ>と呼ばれる、偽札鑑定のプロを召喚することになる。
一方、経済犯罪を追う警視庁捜査二課は、ある宝石店オーナーがマネーロンダリングに関わっているのではないかという疑惑を追っていた。美人過ぎる刑事である宮園エリカは、刑事らしく見えないということで、その宝石店に潜入することになった。その捜査によってたどり着いたのが、野々宮という謎めいた大富豪の存在だった。
池尻はかつて、少年だった野々宮を拾った。学費を出してやり大学にいかせ、池尻が進めていた「彼岸コミューン」というあらたな経済組織の中核を担う存在にすべく、海外で経験を積ませている時に失踪した。そこからどのように大富豪になっていったのか謎だ。
あらゆるベクトルが、野々宮を向いていく。野々宮は一体何を企んでいるのだろうか…。
というような話です。
かなり面白い話だと思います。島田雅彦ってなんとなく文学寄りの作家だと思ってましたけど(たぶんそうなんだと思いますけど)、こういうエンタメ寄りの作品も書くんだなぁ、とか思ったりしました。
とにかく、お金というものについて考えさせますね。僕は経済的なことは基本的にお手上げで、どうしてハイパーインフレが起こるのかとか、そもそもハイパーインフレって何ですか?みたいなレベルの知識しかないんだけど、それでも本書を読むと、現行の貨幣制度は危険な側面もあるのだな、ということがわかります。
あくまでも、本書のように、機械でも見分けられないような精巧な偽札が作れる、という前提の上でですけど(たぶん相当のお金と時間を費やせば、それは不可能ではないんだろうと思いますけど)、現行の貨幣制度っていうのはあっさり崩壊しちゃうんだな、と思いました。もちろん、本書のような状況にはなかなかならないでしょうけど、でもまったく起こりえないとも言えないでしょう。昔は、貨幣というのは金と交換できることを保証するものだったはずだけど、今では金の量なんかあっさり上回るくらいの貨幣が出回っているはずですよね。現在では貨幣というのは、信用の上に成り立っているはず。その信用が何らかのきっかけで崩れてしまえば、貨幣制度は根本から崩れ去る。そのことを、かなり大胆だけどまったく起こりえないというわけでもないだろうシミュレーションを通じて強く訴えかける作品だなと思いました。
「彼岸コミューン」という、これまた誰かが始めていてもおかしくないような共同体をうまく物語に組み合わせているのもうまいと思いました。「彼岸コミューン」の存在がなければ、野々宮はただの狂った犯罪者ですけど、「彼岸コミューン」が存在するからこそ、野々宮にもいくらか同情の余地があるな、と感じられます。ラストの方では、一体誰が売国奴なのか、というような話になるわけですけど、ホント見方によって、誰が売国奴なのかまるでわからなくなってしまうという状況は、ちょっと怖いなと思いました。
そういう、物語の骨組みになる部分以外も面白いです。もの凄い観察力を持つ偽札鑑定のプロ<フクロウ>や、美人過ぎる刑事である宮園エリカなんかはキャラクターが面白いし、物語がどう転ぶのかわからない展開もなかなか読み応えがあります。何より僕が一番好きなのは、ホームレスが大金を拾うところから物語が始まること。読んでても、何がどうなるのか全然予想も出来ないストーリーの幕開けは、かなり興味をそそられます。最後の方で少し、冒頭と絡むストーリーが出てきて、おーって感じでした。
というわけで、いろいろ考えさせられる作品である一方で、なかなか緊迫感のあるエンタメ小説としても楽しめる作品だと思います。今世間的にもかなり評価の高い作品です。是非読んでみてください。

島田雅彦「悪貨」






伝える力(池上彰)

コンビニに行ってカップの日本酒を買ってきた志保は、洗面台からはストックしてある未使用の歯ブラシを、リビングにある救急箱からはガーゼを取り出して、自分の部屋に戻った。裁縫道具を取り出し、鋏と針と糸を出す。机の上のマルイさんを手に取り、床に置いた。
 今日はマルイさんの供養の日だった。マルイさんが失踪した日に合わせて、毎年やってきた儀式だ。今年はいろいろとばたばたしていたし、正直なところ精神的に不安定な部分もあるのだけれど、それでもマルイさんの供養だけは怠りたくなかった。
 マルイさんの背中の部分にある縫い目を鋏で丁寧に切り取る。今なら縫い目の見えないようなぬいぐるみを作ることは出来るけれど、あの当時はこれが精一杯だった。でもそのお陰で供養がしやすいのだから、怪我の功名というところだろうか。
 中に詰まった綿をより分けていき、白いガーゼに包まれた物を取り出す。中の綿を一旦すべて出し、ぺちゃんこになったぬいぐるみ本体を持って洗濯機のところに行き、中に入れて洗濯機を回した。昔は全部手洗いでやっていたのだけれど、面倒になったのとお母さんにあまり気を使わなくてよくなったのとで、少し前から洗濯機で洗うようになった。

「失踪シャベル 20-9」

内容に入ろうと思います。
本書は、ニュースを分かりやすく伝える人、としてテレビなどで大人気の著者が書いた、「話す」「書く」「聞く」というコミュニケーションの能力をいかに高めるかについて自身の経験を元にして書かれている本です。
僕の感想としては、確かに実用的と言えば実用的な内容だと思うけど、でも正直僕からすると当たり前のことばっかり書いてあるなぁ、という感じでした。
実用的、という部分はなかなか有用な本だと思うんです。説明する、プレゼンする、報告書を書く、スピーチするなど、それぞれの場面において、具体的にどうしたらいいのかということを書いています。それぞれの場面について日々直面する人であれば(僕はビジネスパーソンではないので基本的にそのどれにも直面しないんですけど)、読んだその次の瞬間から使えるようなことが書いてあるので、実用的ではあると思うんですね。
でも、書かれている内容が、うーん今更これを言わないといけないか、というようなものばっかりだなとも思ったんですね。なるほどそういう手があったか、というようなものもいくつかはあったけど、基本的には当たり前のことばっかり書いてあるなという感じがしました。
もちろん、「知っていること」と「実行すること」はまったく別のことです。僕も、ここで書かれていることは「知っている」けど「実行する」ことは出来ていないなと感じることが多いです。そういう、「知っているけど実行出来ていないこと」を、本書を読むことで再確認し、実行に移す、という意味では有用なのかもしれないけど、やっぱり、本で得る知識としてはどうにも深みが足りないかなぁ、という感じがしてしまいました。
面白いなと思ったのが、新聞のコラムを要約する&分量を増やす、という訓練。コラムの要約は思いつくけど、なるほど分量を増やすなんていう訓練も出来るのか、と思いました。これは、まあ自分ではやらないだろうけど、やったら面白いだろうなと思いました。
あと、本書でとにかくもっとも重要な点は、割と初めの方に書いてある、『自分がきちんと知らないことは、人に伝えることも出来ない』ということだろうと思います。
著者は、「週刊こどもニュース」っていう番組をずっとやっていました。これは、子供にニュースを分かりやすく伝える、というものですけど、ここで著者はかなり鍛えられたといいます。
例えば、「日銀」の説明をするとして、教科書に載ってるような説明をしても子供には理解できません。素朴な疑問を返されて、それで、あぁ自分は日銀について全然理解していなかったのだな、ということを理解することになるでしょう。
本書で書かれているように、僕も、誰かに説明できるようになるまではそのことについてきちんと理解出来ていないのだ、と思うようにしています。僕は、人に何かを説明することが結構好きなんだけど、そこで自分が考えてもいなかったような疑問を出されると、あーまだまだ理解が足りないのだな、と思いますね。
例えば昔友人に、相対性理論から導きだされた結論で、速度が早くなるとその内部の時間はゆっくり進むのだという話を、光度計という架空の時計のモデルを使って説明したことがあります(もちろん、本に載ってたことの受け売りですけど)。でその後でその友人に、「でもそれは光度計だからそうなるんでしょ?普通の時計ならそうはならないんじゃない?」と聞かれて、その場では答えられませんでした。それから自分なりに考えて、今では普通の時計でも時間が遅れることを説明できると思うんだけど、そうやって知ってるつもりになっているのが怖いなと思いますね。
あと僕は、特に高校時代、同級生に勉強を教えるなんてことをずっとやってました。友達を作る能力のなかった僕には、勉強を教えることで友達を作るみたいなところがあったんで、割と教える能力は磨いたつもりだし結構うまく教えられたと思うんだけど、でもやっぱり人に教えてると、あーなるほどここの理解が足りないな、と思わされることがよくありますね。僕は、テストの前日とかは既に自分の勉強は終わってるので人に勉強を教える日にしてたんだけど、そこで人に勉強を教えていると、自分がきちんと理解できていなかった部分が分かるので、逆に自分にとっても有益だったなぁ、と思いますね。
まあそんなわけで話はズレましたけど、『自分が知らないことは人にも伝えられない』というのは、本書で一番重要な結論のような気がしました。
全体的には当たり前のことばかり書かれている感じがするのでそこまでオススメというわけでもないですけど、「知っている」ことを「実行する」きっかけに読んでみるのもいいかもしれません。

池上彰「伝える力」




彼女がその名を知らない鳥たち(沼田まほかる)

この間あの男に言った言葉を思い出した。あんたが浮気なんかしなかったら、こんなことにはならなかったよと、血まみれになった会田君に言っている自分を想像して寒気がした。これまで掘ってきた穴のことを思い返した。今まさに自分が穴の中に閉じ込められているような気分になって、思わずマルイさんを抱きしめた。ごめんね、怖かったよね、ごめんね、と繰り返しながら、マルイさんをぎゅっと抱きしめ続けた。
 どうにか落ち着きを取り戻した頃にはすっかり雨は止んでいた。結論めいたものは、もともと自分の中にあった。あとは、最良の選択肢を選びとる覚悟を決められるかどうかだけだった。 
 あの男の、後悔してるんだ、という声が頭に蘇った。自分は後悔なんかしない。その決意が、志保を立ち直らせた。自分は後悔なんかしない。後悔する人間は、覚悟が足りないだけだ。

「失踪シャベル 20-8」

内容に入ろうと思います。
十和子は、、15歳年上の陣治と生活をしている。8年前に別れた黒崎のことが今でも忘れられない十和子は、日がな一日DVDを見ては、どうやって黒崎のことを思い出さないようにするかだけを考えて生きている。陣治のことも好きではない。むしろ嫌いだと言っていいかもしれない。止めてと言ったことを何度もするし、食べ方や身なりやいろいろと汚い、始終イライラさせることばっかりやってくる陣治との生活にも嫌気が差している。それでも、寂しさから陣治から離れることが出来ないでいる。
すべてが手詰まりのような、すべてが腐りかけているような毎日の中で、十和子は水島と出会う。イチャモンをつけたデパートの店員を、色々あって家に呼び寄せたことで、二人は付き合い始めることになる。水島に惹かれる十和子。何故か水島の中に黒崎の影を見てしまう十和子。妻とは離婚するという水島を信じたいと思っている十和子。
しかし、変化した日常の中にさらなる変化が飛び込んでくる。十和子はとあるきっかけから、黒崎が5年も前に失踪していることを知る。まさか陣治が殺したのだろうか…。
というような話です。
ちょっと今日は時間がないので手短に。
全体的には、僕の好みではない作品でした。どうも読んでてスイスイ物語が入ってこないんですね。まあ確かに、そういうスイスイ頭に入ってこない物語ではないんだけど、それにしてもページをめくる手が重いなぁという感じでした。
一番の原因は、十和子と陣治、そして十和子と水島の関係・やり取りにほぼ興味が持てなかった、ということだと思います。本書は、作品のほぼすべてがそれで埋まっているので、その両方あるいはどちらかに興味が持てないと、たぶん読んでても面白くないような気はします。逆に、そのどちらかにだけでも強い関心を持てれば、かなり面白く読めるんじゃないかな、と思います。
でも、文章はうまいと思いましたね。この作家のデビュー作である「九月が永遠に続けば」を読んだことがあるんだけど、ストーリーの地味さを文章で補っているなと思えるほど、新人とは思えないほど文章がうまい作家だなと思った記憶があるんだけど、本書も、文章はすごくうまいと思いました。ヒリヒリさせるような、ムカムカさせるような文章をうまく書くなぁという感じでした。本書はちょっと僕には合わなかったけど、作家としては割と興味があるので、もしかしたら機会があれば別の作品を読んでみるかもしれません。
まあそんなわけで、僕としてはあんまりオススメは出来ないんですけど、中年の男女の恋愛や不倫やらそういう話が結構好きという人には合うかもです。ラストはなかなかうまいと思いました。

追記)amazonの評価はメチャクチャ高いです。

沼田まほかる「彼女がその名を知らない鳥たち」




日本のセックス(樋口毅宏)

それからカナちゃんは、誘拐犯の噂の続きをしていた。近藤さんのことだ。どうやらあの噂は、別れさせ屋の話が広まったらしい、とカナちゃんは言っていた。凄腕の別れさせ屋がカップルをすぐに別れさせる話が、誘拐という風に誤って伝わったのだろう、と。その別れさせ屋は実際にコンドームを置いていくという話もあるみたいだし、実際に別れさせ屋に頼んだという知り合いもいるとか言う話だった。志保はカナちゃんの話に適当に返事を返すことしか出来なかった。いつの間にか会話は終わっていたようで、それじゃあまた、と言ってカナちゃんは電話を切った。志保はしばらく、携帯電話を耳に当てたままぼーっと立っていることしか出来なかった。
 考えなければならないことはたくさんあるはずなのに、何から考えたらいいのかまるで思い浮かばなかった。混乱しきった頭の中では、子どもの頃電話で聞いた、父親の浮気相手の声が響いていた。可愛い声ね、と言っている女性の顔がぼんやりと浮かび、次第にその顔が会田君の顔に変わっていった。会田君に言われた言葉がすべて嘘だったのではないかと思い始め、そもそも何から疑ったらいいのかも分からなくなってきた。

「失踪シャベル 20-7」

内容に入ろうと思います。
容子と佐藤は夫婦だが、特殊な性癖を持っている。佐藤は、自分の妻を他の男に抱かせるのが大好きであり、そして容子は他の男とセックスするのが大好きなのだ。
そんな二人はこれまで、インターネット上で知り合った男に妻を抱かせたり、野外プレイでギリギリのところまで挑んでみたりと様々なことをやってきたのだけど、時々危険な目に遭ったりもしていたために自粛するなんていうことを繰り返してきた。
個人で相手を見つけることに危険を感じ始めた二人は、「リアルマニア」という特集な性癖をもつ人を扱った雑誌の特集に出たり、その世界では有名な夫婦が主催するスワッピングの会に参加したりと、安全性を確保することに気を使うようにもなってきた。
しかし、そのスワッピングの会で、容子と佐藤はとんでもない事態に巻き込まれていくことになる。最終的には裁判までもつれこむことになる大きな流れに至る地雷を踏みぬいてしまう二人。
特殊なセックスという形でしか他者と関わりをもつことが出来ない人々を、真剣にしかし一方では滑稽に描きつつ、社会の宿痾とでもいうべき現代の歪みを描く作品です。
これはなかなか評価の難しい作品ですね。正直、ストーリー自体はそこまで好きにはなれないなぁ、という感じはあります。でも、これは著者の二作目の作品なんですけど、新人とは思えないほど描写やキャラクター造形がうまい。僕はたまたま、ストーリーがそこまで好きにはなれなかったけど、ストーリーも好みに合うという人には相当傑作なんじゃないかな、と思ったりします。
ストーリーは、全体的にはやっぱりマニア嗜好を持つセックスやらの話が凄く多いんですね。それが、佐藤と容子の話だったり、そうじゃない人の話だったりするんですけど、やっぱりこういう部分が、僕的にはさほど興味が持てないなぁ、という感じはありました。いや、もちろん僕だって、ここで描かれていることにまるで興味がないなんて聖人君子ぶるつもりはまったくないんですけど、やっぱこういうのって、文章で読んでてもなぁ、という感じがないではないんですね。しかも、本書はそういうセックス的な部分がメインの話ではあるんですけど、一応官能小説とかそういうものではなくて文芸作品なんで、そういう描写もある程度は抑えられて描かれてると思うんです。文芸作品ではこれ以上はちょっとマズイ、みたいな(あくまで予想ですけど)。それでなんとなくあんまり興味が持てなかったのかもしれないな、と思います。スワッピングだとかセックスだとか、そういう部分については、共感できるとか出来ないとかではなくて(小説は、共感できないと面白くないという人もいるだろうけど、僕は別にそんな風に思ったことはなくて、共感できなくてもいい作品はいいと思うんだけど)なんとなく読んでても楽しくないよなぁ、という感じがありました。
でも、小説としてはうまいと思いました。新人とは思えない手練だと思いました。
なんていえばいいんでしょうね、すごく落ち着いてるんですね。淡々としてる、っていうわけではないんですけど、もの凄く変わった世界を描いているはずなんですけど、えっ!別に普通の世界じゃないのこれ?、みたいな雰囲気を醸し出してる気がするんですよね。変わった世界なんじゃなくて、どこにでもある世界の一つをただ描いているだけなんだよ、的な視点。全編をそんな感じのトーンでまとめていて、この雰囲気作りみたいなものは凄くうまいなと思いました。
それに、容子のキャラが実にいいですね。著者は男なんだろうけど、なかなか女性を描くのがうまいんじゃないかな、とか思いました(まあもちろん、女性が読んだ場合、容子のあまりの淫乱っぷりにはなかなか賛同できないだろうけど、そうじゃない部分の考え方なんかは結構女性が共感できる感じなんじゃないかなと思います)。超エリートだけど、物事を正面からでもなく逆からでもなく、ちょっと斜めから見るみたいな視点は凄く面白いと思ったし、なんだか矛盾しているような生き方に人間らしさを感じたりと、結構興味深いキャラクターだと思いました。多くの人に愛されるキャラではないけど、生き方も考え方も自立しているその姿に共感を持つ人はいたりするだろうなと思います。
他の登場人物も、倒錯した趣味を持っている人が中心的に描かれていくけど、それぞれに色々と個性があって面白いし、後半で容子が厳しい現実と対峙しなくてはならなくなってからは、逆にそれまで容子の閉じた世界にはいなかったタイプの人々がわらわら出てきたりして、そのギャップが面白かったりします。
何が凄いって、倒錯したセックスから今の日本の歪みみたいなものをきっちり描き出そうとしているということなんですね。女として生きることとか、社会で生きることとか、日本人の国民性とか、そういうものまで物語の中に結構組み込まれていく。だから、セックスとかそういうのがメインだった前半はあんまり面白くなかったんだけど、そういうのがメインではなくなってきた後半の展開はなかなか僕は好きです。
こういう作品を読むと、本当に世の中には色んな人がいるし、だから絶対理解出来ない価値観を持つ人もいるし、どんなにコミュニケーションを取ってもそこは断絶しているし、そりゃあ争いごとは絶えないよなぁ、とか思います。こういう、自分とはかけ離れた世界の話を読んだり聞いたりすると、そんな風に思うことがありますね。世界はやっぱり、『常識』なんていう狭い価値観では括れないほど多様な価値観があるんだな、と。本書を読んで、そういうことを強く感じました。
まあそんなわけで、なんというかまとまりのない感想になったし、そもそもセックスがどうのという部分の物語や展開にさほど興味の持てなかった僕としては全体的な評価をするのはなかなか難しいんだけど、でもセックスがどうのという部分はともかくとして、後半の展開はなかなか秀逸だと感じたし、新人とは思えないような描写力があると思いました。倒錯したセックスとかスワッピングの部分は、興味ない人にはなかなか読むのが辛いかもですけど、全体的には完成度の高い小説だと思いました。興味があれば読んでみてください。

樋口毅宏「日本のセックス」





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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)