黒夜行

>>2010年06月

東スポ黄金伝説。(赤神信)

「ああ、それは近藤さんの噂を知っててそう聞いたんだろうな」
 なるほど、確かに近藤さんの噂は広まっているようだ。
「でもそうか、シホのとこにコンドームがなかったっていうなら、近藤さんとは関係ないことなんだろうね」
 それで近藤さんの話はお終いになった。志保としては、近藤さんの噂がどうこうということよりも、何故志保のお母さんがいなくなっていることが見知らぬ男の子に知られているのかということの方が気になった。この話は、カナちゃんとアカネちゃんと会田君にしかしていないはずだ。敬叔父さんやスナックのオーナーも知っているけれど、そこから大学生にまで噂が下りてくるというのは考えにくかった。まあ、近所の噂で少しずつ広まっているということはあるかもしれないしと、志保は深く考えることを止めた。

「失踪シャベル 15-7」

内容に入ろうと思います。
本書は、東スポに記者として長くいた著者により自伝的ノンフィクションです、たぶん。たぶん、と書いたのは、著者は「赤神信」なんですけど、経歴なんかを見てると、本書の主人公(ノンフィクションなんでそういう表現は適切ではないかもですけど)である島田と赤神信は恐らく同一人物ではないかと思うので。自身を主人公に、東スポという一風変わった新聞社の来歴みたいなものを描いた作品です。
島田は、就職しようと考えていたアルバイト先が突然消滅し、なんとなくなりゆきで東スポに入社した。プロレスを中心に、ブラックジャーナリズムなんど揶揄されながらも着実に部数を伸ばしているところだった。
しかし社内はかなり破天荒と言える実態であった。仕事してるんだかなんだか分からない人、とんでもなく才能のある人、むちゃくちゃな取材・販売のやり方、そしてぶっとんだ社長。
古きよき時代の、アバウトな雰囲気のまま進んでいった、東スポを黄金時代に導いた人々の話です。
正直、なんとなく予想していた内容とは違ったんですね。勝手に予想してそれが外れたから文句を言うというのはおかしいけど、でも僕なりには理由があるんです。
帯に、『「ネッシー出産」「マドンナ痔」「クリントン宇宙人と握手」…与太記事よ、永遠なれ。』って書いてあるんです。だから僕は、どうして東スポが、そういう与太記事を書くような新聞になっていったのか、みたいな話がメインなのかななんて漠然と思ってたんです。でもそういう話はほとんどなくて、真面目だったり真面目じゃなかったりするけど、東スポ内の有象無象がとんでもないことをいろいろやってきたのだ、というような感じの話でした。面白くないわけでもないんだけど、そこまででもなかったかなぁ、という感じでした。
僕が読んでて一番面白いと思った点は、社長の井上です。この井上は、まあ経営者としてはぶっ飛んでるけど、凄い。無茶苦茶なことも言うけど、正論だったりすることもある。というわけで、井上の数々の無茶苦茶っぷりをいろいろ書いてみようと思います。

内外タイムスというライバル新聞社が、社内でストを始めた。そこで社長の井上が出した指示が、内外タイムスのストを支援しろ、金に糸目はつけない、だった。そこで社員は、食料やら酒やらを持って行き、またシュプレヒコールなんかも一緒にやってきたりする。もちろん、同業他社のストを応援するなんて言語道断である。しかし社長は、ここで内外タイムスのストが長引けば弱体化し勝手に潰れてくれるから東スポは安泰だと考えたらしい。そして事実内外タイムスは弱体化し、井上の思惑通りになる。

三島由紀夫が自衛隊駐屯地で切腹した日、翌日の新聞に向けて東スポも1面を三島に差し替える決断をする。しかしそこへやってきた社長の井上が、『馬鹿者』と一喝。
『軽挙妄動するな。天ぷら屋がうな重売って何とする。三島は三島、ちの読者は馬場、猪木を知りたがっているのだ。三島はいらん。馬場の流血でいけ』
さらにその後こう付け足すのだ。
『ただし、発行部数は増部だ。刷れるだけ刷れ。三島が載ってると思う奴が、うちの新聞を買う。載ってないと知っても、新聞は一応読む。読んでプロレスが好きになり、明日からうちの新聞を買うようになるかも知らん。新聞は絶対売れる』
これもまさにその通りになり、その日の新聞は売れまくり、東スポ快進撃の先駆けになる。

夕刊フジという夕刊紙が徐々に売上を伸ばしているという状況で、社長の井上はとんでもない作戦を思いつき実行させる。なんと販売の人間にボンカレーを持たせ、レトルトパックの端っこを少しだけ切り、キオスクの売り場にある夕刊フジにそのカレーをつけてこい、と言ったのだ。3日限定だというが、実際それをやったバイトの人間がキオスクのおばちゃんにつかまったりしてしまう。しかし社長は、そのバイトに金一封を出すのだ。無茶苦茶である。

なんて具合である。無茶苦茶にもほどがある。しかしこの社長の井上みたいな人はいいなぁと思う。破天荒でメチャクチャだけど、これぐらいの人の下で働きたいなぁという気もする。大変だろうけど。
あと、ツービートがまだまるで売れていない頃に東スポと関わった話なんてのもチラッと出てくる。
まあそんなわけで、全体としてはさほど面白いわけでもないんだけど、ところどころ面白いなと思えるエピソードがあります。まあそれは、僕が東スポも読まないし、東スポの変遷みたいなものを読者の立場で知らないからかもしれませんけど。もしかしたら、東スポ一筋みたいな人には面白いと思えるのかもしれません。

赤神信「東スポ黄金伝説。」




肩胛骨は翼のなごり(デイヴィッド・アーモンド)

それは本当に曖昧な噂だった。どこからこんな話が生まれたのか分からないけれど、都市伝説というのはそういうものなのだろう。誘拐犯という以外にほとんど共通点がないじゃないか、と思うと、まさにそれが疑問に感じられた。噂が噂として広まるには、今の話はあまりにも曖昧すぎる。
「こんな曖昧な噂がどうしてそんなに広まってるの?」
「それが、近藤さんというニックネームと関係がある」
 名前がつけば噂が広まるというわけでもないだろうから、その名前のついた由来が何かインパクトのあるものなのだろう。
「その誘拐犯は、誘拐に成功すると、未使用のコンドームを残していくと言われているんだ」
「ああ」
「え?ベル、ホントにコンドームあったわけ?」
「ううん、そういうことじゃなくって」
 志保は、この前見知らぬ男の子に、コンドームは残ってたか、と聞かれた話をした。

「失踪シャベル 15-6」

内容に入ろうと思います。
主人公のぼくは、引越してきたばかり。学校は代わりたくなかったから、バス通学になって遠くなってしまった。家も何だかボロボロで、前に住んでいたところの方が気に入っている。
引越し先には、今にも崩れそうなガレージがあった。恐る恐る中に入ってみたぼくは彼を見つけた。ほこりまみれで顔は蒼白く、やせ衰えて身体がほとんど動かないようだった。虫の死骸や、ぼくが時々持ってくる中華料理なんかを食べている。何者なのか聞いても答えてくれない。
隣に住むミナと一緒に、この不可思議な存在をどうにかしてあげよう、と思うのだが…。
というような感じです。
読む前からなんとなーくなんとなーく分かってはいたんですけど、本書は結構児童書寄りの作品です。っていうか著者は児童書として書いたみたいです。で僕は、正直児童文学系ってあんまりよく分からないんですね。児童文学と言われる作品をそこまで読んだことがあるわけでもないんだけど、あんまり得意なジャンルではありません。
というわけで、本書もイマイチ僕にはなんとも言えない感じの作品でした。外国人作家の作品が苦手な僕にも、文章がとにかく読みやすかったんですいすい読めるんですけど、すいすい読めるだけという感じでした。
これは激しく偏見で、異論反論ある方もいるでしょうけど、僕の中で児童文学っていうのは、小説(物語)を読み始める入り口辺りで出会うと面白く読めるんじゃないかって思ってるんです。あんまり小説を読んだことがない人が、何か読んでみようかなと思って児童文学を手に取ると、なんかこれいいかもって思えるのではないかな、と。逆に、結構小説を読み慣れている人には、児童文学というのはちょっと物足りないんじゃないかなぁ、という感じがしてます。まあもちろん、小説を読み慣れている人だって児童文学が好きという人はいるだろうからあてにならない意見ですけどね。
物語は、ぼくの日常を中心に描かれているんだけど、僕としては、もう少しガレージの奥にいる彼とのやり取りみたいなものがたくさんあるといいかなと思ったんですけどどうでしょう。
まあそんなわけで、僕としてはちょっと合わない感じの作品だったなぁという感じです。児童文学が好きという人にはいいんじゃないかなと思います。

デイヴィッド・アーモンド「肩胛骨は翼のなごり」




セーラが町にやってきた(清野由美)

誘拐犯の話が自分と結びつくというのがよく理解出来なくて、志保はとりあえずパスタを口に入れたまま頷いた。
「お母さんがいなくなったんだろ。もしかしたらさ、その噂の誘拐犯に連れ去られたってことだってあるかもしれないと思って」
「ニュースとかでそんな誘拐犯の話聞いたことないけれど」
「ニュースとかにはなってないみたいね。あくまでも都市伝説みたいなもの。この辺りで少しずつ話が広まっている感じがするの」
 そんな風に言われても、お母さんが誘拐犯に連れ去られたと考えるのはあまりにも現実味がなさすぎて、どう反応していいのか分からなかった。
「どんな誘拐犯なの?」
「その辺の具体的な話はどうも曖昧で、よく分からないの。可愛い女の子ばかりを狙うという話もあれば、女性全般を狙うという話もあるし、ペットを連れ去るというパターンを聞いたこともある。誘拐犯は男だっていうことで確定みたいだけど、そういうのも色々みたい」
「その誘拐犯の被害に遭ったっていう人は?」
「よくある、友達の友達が、とかそういう話はいくつか。でも実際、確認出来るような形で被害者を特定出来たことはたぶんないと思う」

「失踪シャベル 15-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、セーラというアメリカ娘が、長野県小布施という小さな町の老舗造り酒屋を拠点とし、小布施という町をどんどんと改革していった、その記録です。
セーラはアメリカにいる頃からとにかく行動力があり、誰にも止められないような貪欲な少女でした。そのセーラが日本に来ることになったのは、長野オリンピックがきっかけです。組織に入って人に使われるのは絶対に無理だと分かっていたセーラは、オリンピックを通じて日米両国にクリエイティブな貢献をしたいと思いたち、すぐさま日本へやってきてオリンピック関連の団体に入ります。
しかしそこでセーラに与えられたのは、あなたは通訳だけやってればいい、という立場でした。1年間、大した仕事もさせてもらえず燻っていたセーラに、当時セーラと関わっていたある人が、小布施堂の市村さんが面白いことをしているから行ってみるといい、と声を掛けます。
これがすべての始まりでした。市村は昔から続く小布施の造り酒屋の老舗を経営しているのですが、それ以上に市村は、小布施という町の『景観修復』にかなりの力を入れた人物です。それによって、外からの観光客が増えてきている。そんな時にセーラと出会ったわけです。
市村は、セーラをどう扱っていいかわからないものの、とりあえずしばらくは自由にやらせることにしました。すると、アイデアは出るわ出るわ、しかもその行動力足るやとんでもないもので、すぐに「台風娘」と呼ばれるようになったセーラは、小布施堂や造り酒屋の桝一、そして小布施という町自体をもどんどんと変えていってしまったのです。国際北斎会議を小布施で開いたり、廃れていた蔵をレストランに蘇らせたり、果ては戦後廃れてしまった「木桶仕込み」の酒を復活させるなんていうとんでもないプロジェクトにも手を出し、しかもそのすべてを成功させてしまいます。
そんなセーラのとんでもない改革の記録です。
いやー、凄いですね、ホント。小布施という町はなんとなく聞いたことはあったんですけど、正直全然知りませんでした。今では、年間の観光客が100万人を超えるらしく、人口の100倍を優に超える数なんだそうです。もちろん、そのすべてがセーラの功績というわけではありません。そもそも小布施堂の市村が『景観修復』なんてことをやっていなければその後の流れはなかっただろうし、セーラと出会うこともなかったでしょう。しかし、小布施という町を改革する原動力になったのは間違いなくセーラだと言い切ってもいいでしょう。
セーラの素晴らしさはとにかくいろいろあります。思い立ったらその瞬間から行動するという異常な行動力、どんな相手との交渉でもやり遂げるタフな交渉力、常にお客さんのことを考える気配り、日本人以上に日本の文化・伝統を学び精通している点などなどです。
でもセーラの一番凄いなと思う点は、『本物がわかるということ』そして『その本物を絶対に妥協しない』というところだなと思います。
例えばこの話は、セーラが発注したプラチナの看板のエピソードでも分かります。デザイナーのデザインは素晴らしく、それで看板を発注するのだけど、どうもセーラのイメージに合わない。デザイン上では筆が走っていて文字の力強さが出ている部分が、木彫りの看板にした途端失われてしまっていると感じたのだ。しかしどこの工房でも、現在使われているやり方は三種類であり、それだとどうしてもこうなると言われてしまう。しかしそれで諦めるセーラではない。あらゆる工房に行き、自分の情熱を訴え、大変な苦労かけて理想の看板を作ってもらうのだ。しかも、工房側も苦労したにも関わらず、これを作っている間は幸せだった、というようなことを言うのです。
また、蔵を改装しレストランにする際もとにかく大変だったわけです。モーフォードという超一流のデザイナーに依頼したのだが、その指示がまたとんでもない。色一つ、材質一つにもこだわり抜き、現場で作業している職人を日々苦しめる。しかしそれでも、モーフォードとセーラの『本物への探求』は止むことがない。
しかしセーラにとってもラッキーだったのは、日本の職人のレベルの高さでしょう。恐らくですが、外国では同じ設計での施工は無理だったのではないかなと思います。現場で作業していた職人さえ、「よくあんなことが出来たものだ」というくらいとんでもない現場だったのだけど、それでも日本の職人はやり遂げてしまう。素晴らしいなと思いました。
凄いと言えば、小布施堂の市村も凄いと思います。普通、どこの馬の骨とも分からない外国娘に、重要な案件を一任するなんてことはまずないでしょう。セーラは、新たなアイデアを思いつくと、市村に「次はこれをやります」というのだけど、ほぼ常に市村の答えは「それは無理だと思う」というものだった。しかし、市村がノーと言ってからセーラの仕事は始まるのだ。それぐらいセーラは自由に何でも勝手にやっていた。先程書いた蔵の改装にしたって、最終的にセーラは予算の10倍の金を使って改装を行うのだ。しかしそれを容認してしまう市村の懐の深さも、セーラが活躍できた理由の一つだと思う。
市村はセーラのことをこんな風に評している。
『事務能力でいえば、日本の中堅の人材よりもドーンと下に下がる。でも独創性や交渉力は、一般的な経営者より数段突出している。そんな一流と超ヘタな部分の落差が、セーラ・マリ・カミングスという人間の特徴で、社員としては最低、役員としては最高』
まさにその通りで、セーラは組織の中ではまるで役に立たないだろう。上司に決済を取ったり、組織からあてがわれた部下を使うなんていうのはセーラには無理だ。だからこそ、小布施堂の市村との出会いは、セーラに取っても素晴らしいものだったと思う。それこそ、セーラには物凄い能力があるが、それが活かされる場というのは日本に限らなくてもそう多くはないと思う。これほど両者を高める出会いというのはなかなかないだろうなぁと思いました。
しかし同時に、もしセーラがいなくなったらどうなるんだろう、と思ったりもします。セーラもまだまだ若いし、まだまだやる気もあるだろうから大丈夫だろうけど、数百年先を見越したプロジェクトを常に意識している中では、後継者を育てることは必至です。しかしセーラの跡を継げるような人材が、日本に限らずどこかにいるのだろうか、とも思います。
しかし、こういう町おこしみたいなプロジェクト、面白そうだなぁ、と思いますね。僕は、大金を動かしたり、社会全体に影響を与えるような仕事よりも、規模は小さくてもいいから自分の努力が目に見える形で現れるような仕事の方がいいなって思うんです。そういう意味で、この小布施の町おこしは、ちょっと関わってみたいな、と思ったりします。まあ何事にも甘ちゃんの僕なんかは、セーラからすれば使えない人間の筆頭でしょうけどね(笑)
最後に、なかなか面白いなと思ったところを抜き出して終わろうと思います。

『「日本人は繊細な美意識を持つ民族と言われていますが、”町並みの美しさ”という点に関して言えばアメリカ人のほうがずっと敏感だと思いました。私が日本にきてちょっと失望したのは、日本人が自分の家の中は大事するけど、外にはあまり関心を持たないこと。アメリカ人の私は道路にゴミが落ちていたり、雑草が生えていたりすると、気になって取らずにはいられないんです。それで、ひとりでせっせとゴミ拾いや草取りなんかをしていると、通りがかりの人に、『そんなことはお役所に言えばいいのに』なんていわれるんです。会社の敷地にしても『雑草が増えたら植木屋さんにきてもらいましょう』という考え方だったのですが、私はそれは違うと思いました。自分たちでできることは自分たちでする。そこから町や会社を大切にする気持ちは生まれてくるのではないか、って」』

『「アイデアがひらめいた時や、これはちょっと違うと思った時、社長に話をしに行くと、『セーラの言っていることはよくわかるが、タイミングが悪い』と、いつも言われました。でも、いいタイミングってなんですか。そんなものは、本当はないんですよ。相手のタイミングをうかがっていたら、それこそ自分が行動に移すタイミングを逃してしまいますよ」』

『だが、当のセーラは数字に関しては、今も昔も天才的ともいえる無頓着さかげんで終始一貫している。丹精込めた「スクエア・ワン」の初出荷時の量を聞いた時も「えーと…、それは社長に聞いていただいたほうが正確だと思います」ち、屈託なく笑うのだった。彼女が内に守るただひとつの黄金率は「効率の悪いことに、未来のビジネスチャンスは眠っている」という、骨太といえば骨太、単純といえば単純な原則だ。つまり彼女は、計算がからきしダメだという、一見戦略家にあるまじき、稀代の戦略家なのである。』

本書を読んで、小布施に行ってみたくなりました。未だに宿泊施設がほとんどないらしいんでいろいろ難しいだろうけど、いつか行ってみたいですね。町並みにも興味があるし、どこかで忙しく働いているセーラを見れたらラッキー、という感じで。ビジネスっぽいレーベルから出ている本ですけど、読み物として凄く面白いと思います。是非読んでみてください。

追記)amazonのレビューを見てたら、セーラのコメントが(笑)。面白いなぁ、セーラ。

清野由美「セーラが町にやってきた」




僕たちは絶望の中にいる(村岡清子)

「ああ、いいよそれぐらい。どうせ暇だしね。ベアも一緒に来る?」
「ううん、私はいい」
「アカネちゃん、ごめんね。変なお願いしちゃって」
「いいよ、それぐらい。こっちもノート借りっ放しで悪いと思ってたんだしさ」
 志保はホッとした。アカネちゃんに断られなかったこともそうだけれど、これで一人で再婚相手に会わなくて済むという安堵感が、志保の気持ちを楽にした。昨日の夜からずっと憂鬱だった気分が、ほんの少し晴れたみたいで、なかなか進まなかったパスタの残りをぱくぱくと口に運んでいった。
「そういえばさ、近藤さんの噂、知ってる?」
「ちょい、ベア。その話」
「シホだって、ちゃんと知ってた方がいい話かもしれないよ」
 カナちゃんがそう言うと、アカネちゃんは何も言わなくなった。何の話か分からないけれど、何だかあんまりいい話じゃないみたいで、少し身構えた。
「近藤さんって?」
「まあベルは知らないか」
「最近噂になってる誘拐犯のニックネームなんだけどね」

「失踪シャベル 15-4」

内容に入ろうと思います。
本書は、若者を対象とする調査機関「NEXT」を立ち上げ、20年間に4000人以上の若者にインタビューした著者が、そのインタビューした内容を出来る限りそのまま載せつつ、少しだけ自身の考察を載せている作品です。
何故不登校になるのか、何故フリーターになるのか、何故死にたいのか、何故ひきこもるのか、という四つの大きな枠組みの中で、いろんな若者に話を聞き、それをそのまま載せています。
まず初めに書いておかないといけないのは、本書が2003年に出版された本だ、ということです。なので、まさに今現在の若者像とはさすがに少し違うことでしょう。でも、この本によって立ち上がってくる「現在の若者像」というのは、今の若者とそう大きく乖離するものではないんじゃないか、と思ったりします。
あと、先程「インタビューをそのまま載せている」とあるけど、もちろん当然ながらインタビューすべてを載せるわけにはいかないから、ある程度切り取っていることでしょう。どのように切り取られているのか読者には分からないわけで、それでも本書は、かなり現実を切り取っているのではないか、と思いました。
というのも、2003年当時20歳前後だった若者が本書ではたくさん出てくるんですけど、それって僕ドンピシャなんです。僕は現在27歳なんで、7年前の2003年はまさに20歳。本書に出てくる若者と同世代です。で、僕は本書を読んでて、「これは僕のことを書いているのか?」と思うぐらい、自分に当てはまる記述がたくさんあって驚きました。もちろん、僕の考えと合っているから、イコール現実を切り取っているというのは暴論に過ぎるだろうけど、少なくとも僕は、本書はかなり現実を切り取っている、という感覚で読みました。
本書の素晴らしい点は、その構成です。本書は、著者自身の意見が極力抑えられた構成になっています。著者がどう考えているかより、若者がどう語っているのか、を重視した構成になっている、と感じました。よくこういう本では、自分の考え方に当てはまるインタビューだけを切り取って収録しているような本とかあるだろうけど、本書にはそういう印象がありません。
というのも、とにかくあらゆる考え方を持つ若者が出てくるからです。本書は、「今時の若者はこんな風に考えている」なんていう、一つの分かりやすい答えを提示する本ではありません。むしろ、「こんなに違った考え方をする若者がたくさんいるのだ」という提示の仕方をしています。主流派の考え方をする人、その主流派の考え方に異を唱える人、どちらの考え方も出てくるし、出てくる若者の数だけ価値観がある、という感じです。
一番驚くことは、インタビューに答える若者が、自分の考えをきっちりと持っている、という点です。もちろん、これは書いておかなくてはいけないでしょう。本書は、いろんな考え方を持っている若者に話を聞いているとはいえ、さすがに「えー、アタシ難しいことわかんなーい」みたいな、自分の考えがない、あるいは自分の考えを言葉に出来ないような人ってのは出てこないだろうから、自分の考えを言葉に出来る人ばっかりが出てくるのはある意味で当然だけど、それにしてもみんな結構明快に答えるものだな、と感心しました。自分を客観的に見れているし、自分の考えがおかしいと分かっている人もいるし、時々なるほどその考え方は新鮮だな、という意見も出てくる。結構自分の言葉で自分のことを表現出来ている人が多いなと思いました。
内容にも少しだけ触れようかな。
学級崩壊の話は、映画の「告白」の映像を頭に浮かべながら読んだ。最近の学生は、授業をサボったりしない代わりに、教室内で麻雀をしたり水鉄砲で遊んだりするらしい。しかしそういう学校がある一方で、学級崩壊なんかまるでなく、授業をきちんと聞いているというところもある。しかしそういうところの生徒も、また別のことで窮屈さを感じていたりする。
今の若者は、江戸時代のようなスローライフに憧れている、という話もなるほどと思った。僕は衣食住に興味がなく、とにかくお金があんまりなくても生きていけるけど、そういう若者は増えているらしい。お金を稼いでじゃんじゃん使うより、お金はあんまりなくてもいいから働く時間を極限まで減らしたい、という。僕も、本屋という天職に出会えなければ、同じような発想になっていただろうし、今後もそういう発想にならないとは云いきれない。
若者の中でも、感受性が鋭く物事を深く考える子ほど社会に深く絶望しているというのもなるほど、と思った。本書には、将来への積極的な展望があり、きちんと行動にも移しているのに、時々ひきこもりになってしまう若者や、将来の明るい見通しもないし出来れば早く死にたいなんていう若者が出てくる。後者の、出来れば早く死にたいという発想は、僕も普段から言っていることなので凄く共感できる。
まあこうやって内容についてあーだこーだ書いてても、ダメなんだよなぁ、と思う。これは一部を切り取って紹介するような本じゃないんだな。出来れば全体を読んで欲しいと思います。
というわけで本書とは関係ない、僕自身の話をいろいろ書こうかな。
本書を読んで僕はいろいろと考えることがあった。
まず、僕はホントに運の良い人生を歩んできたんだな、ということ。学生時代、学級崩壊やらいじめやらなんていうのはほぼなかったし(小学校時代にチラリといじめっぽいのが遭ったかもだけど、あんまり覚えてない)、大学時代に出会った人たちも凄くよかった。大学時代に今の友人たちと出会ってなかったら、僕の人生はもっと変わっていただろうな、と思う。大学時代に熱中した演劇もいい経験だった。今の若者は、心の底から熱中できるものがないらしいけど、僕も心底熱中したかどうかはなんともいえないけど、恐らくこれまでの人生で最ものめり込み、最も力を費やした経験だったと思う。そもそも大学時代に入っていたサークルがいろいろ異常で、そこで鍛えられた。あの時の経験は今でも役に立っている。適当に決めた書店バイトも、今ではなかなかいい感じになってるし、ホントラッキーだった。僕を取り巻く環境のウチ、ほんのわずかでも違っていたら、僕の人生はかなり変わっていただろうと思う。
また、本書を読んで考えた別のことは、僕の周りに僕のような人間がいなくてよかった、ということだ。本書を読むと、周りにも自分と似たような若者がたくさんいて、それで安心したり逆に不安になったりしてる。僕は、自分の周りで僕みたいに生き抜くそうにしている人がそんなにいなかった。もちろん、隠していただけで、僕の周りにもそういう人はいたかもしれない。それでも、表面上そういう人はいなかったから、僕は自分で悩むことが出来た。今の若者は、周りもそうだし、という理由で、あるいは周りもそうなんだという情報に踊らされて、自分で深く悩むことが難しいのかもしれない、と思った。ちゃんと悩むことが難しい、というのかな。僕はそういう意味でもよかったと思う。僕みたいな考え方をする人間が、僕の周りの世界で普通だったとしたら、今僕はこんな風には生きていないと思う。死んでるとかそういうことじゃなくて、ひきこもりになるとかそういうもっと悪い状況だっただろうな、と思う。
僕は親との関係がいろいろとアレなんですけど、本書を親に送ったりしたら、少しは僕のことを理解してもらえるんじゃないだろうか、と思った。僕は、自分自身何に悩んでいるのかうまく言葉に出来ない時期があって、今でもその当時のことはどんな風な言葉で表現したらいいのかイマイチよくわからないのだけど、本書を読んで、なるほどたぶん僕が陥っていたのはこういうことだったんだろうな、と思えました。
本書に出てくる若者には是非、「非属の才能」という本を読んでみて欲しいと思う。たぶん少しは、自分の中で何かを打ち破るきっかけになるのではないかなと思う。
これは是非読んでみて欲しい一冊だと思います。大分前の本で、しかも文庫になってないので入手するのはたぶん難しいと思うけど、手に入るようなら是非読んでみてください。若者が抱える閉塞感みたいなものが、少しは分かるんじゃないかな、と思います。

村岡清子「僕たちは絶望の中にいる」




監査難民(種村大基)

「結構自分で頑張ってノート取ってたつもりだけどさ、やっぱ限界あるのな。何を書いたらいいかわかんないし、やっぱりうまくまとまらないからさ、ベルのノート貸して欲しいんだよ」
 そう言われて志保は思いついたことがあった。交換条件を出すみたいで嫌だったけれど、これまでもずっとノートを貸してきてるんだし、これぐらいの頼みだったら聞いてくれるんじゃないかと思ったのだ。
「今日ね、お母さんの再婚相手だったっていう人が家に来るんだけれど」
 突然話が変わったことに、カナちゃんもアカネちゃんも驚いたみたいだったけれど、何も言わなかった。
「アカネちゃん、今日家に来てくれたりしないかな?叔父さんも一緒に来てくれるみたいだけれど、一人じゃ不安で。再婚相手だった人に会わせるつもりはないからさ、部屋のどこかにいてくれればいいんだけれど」
 アカネちゃんはカナちゃんの方をちらっと見て、すぐ志保に向き直った。

「失踪シャベル 15-3」

内容に入ろうと思います。
本書は、中央青山監査法人(解散時はみすず監査法人)がいかに解散に追い込まれ、また日本の『監査』に対する目がどのように厳しくなっていったのかを追ったノンフィクションです。
これから内容をざっと紹介するつもりではありますが、僕は経済やら会計やらということにはまるで疎いので、単語やら事実関係やらの記述に間違いがあるかもです。もしあったら指摘してくださいまし。
日本はかつて、企業における監査をあまり重視していなかった。法律上仕方ないからやる、という程度の認識だった。それは、融資の大半を銀行から借り受けており、その銀行も大蔵省をトップとする護送船団方式によってがっちりと守られていたという特殊な上京だったからこそ成立しえたのだ。
しかし、大蔵省がなくなり、護送船団方式が潰え、企業が個人投資家から金を集める仕組みに変化していくと、自ずと監査の重要性が叫ばれるようになった。しかしその一方で監査業界は、それまでの馴れ合い的な慣習を払拭することが出来ず、旧態依然的な監査の仕組みのままであった。
そんな時に起こったのが、カネボウの粉飾決算の問題だ。監査法人というのは、いくつもの独立性の高い会計士たちによる寄合集団という性格が強く、長きにわたりカネボウを担当していたのは、中央青山内でも評判の良い代表社員が中心のグループだった。なので中央青山のトップは当初、会計士はカネボウの経営者に騙されたのだ、と信じていた。しかし次第に、会計士が共犯的な立場としてカネボウの粉飾決算に携わっていたことが明らかになり、中央青山は激震に見舞われる。
それ以前にも、足利銀行や日興などの会計処理を巡ってマスコミに叩かれてきた中央青山監査法人は、トップを新たに替え、根本的な改革へと乗り出していくことになる。しかし、社会を取り巻く状況は厳しくなる一方だった。立て直しを掛けて奮闘する中央青山に対し、厳しい状況が噴出していく…。
という感じです。
カネボウの粉飾事件についてはなんとなく記憶にあります。中央青山、という名前も耳にしたことがあります。でも、あのカネボウの事件の裏側で、こんなことが行われていたんだなぁと初めて知りました。もともと経済的な知識には疎いので、僕の中では、まあ知らなくても仕方ないかという感じの話題ではあるのですけど、読んでいると、難しい部分は多々あるものの、中央青山が解体されていく過程は一つの物語としてなかなか面白いと思いました。
ただ本書は、そういう経緯を追っただけのノンフィクション、というわけでもありません。「監査難民」というタイトル通り、中央青山監査法人が解散したことをきっかけに、監査難民が増えるのではないか、と危惧しているわけです。本書は2007年の作品なので、現状ではまたいろいろと変わっているんでしょう。結局どうなってるんだろう、今。
監査難民というのは、監査を引き受けてくれる監査法人を見つけられない企業のことを指します。企業は、監査を受け、有価証券報告書を金融庁に提出する義務があります(この説明で合ってますよね?)。しかし、監査を引き受けてくれるところがなければ、この有価証券報告書を提出できないことになり、最終的には上場廃止に追い込まれてしまうことになります。
中央青山が解体したことにより、それまで中央青山に監査をしてもらっていた企業は、別の監査先を見つけなくてはならなくなりました。それによって発生した監査難民もあるわけですが、それ以上に厳しくなったのが、監査の厳密化によって、怪しい企業への監査を監査法人が引き受けたがらなくなってきた、ということです。
結局はそういう議論は逃れたものの、一時は、不正を行った会計士に刑事罰も、という話もあったようです。また、現に中央青山というこれまで四大監査法人の一角を成していた監査法人が解体するのを見て、監査法人は慎重を喫するようになってきています。そもそも粉飾決算は企業が悪いのに、最終的にそれを見抜けなかった会計士まで批判されるという現状に苦言を呈する意見もあるようですが(実際相当の会計の知識を持っていても、企業側が組織ぐるみで隠蔽工作をすれば、容易には見抜けないんだそうです)、カネボウの粉飾決算の事件以来高まってしまった監査の厳格化の流れは止めようもなく、監査法人側も、自衛手段の一つとして怪しい企業の監査はそもそも引き受けない、という流れが出来つつあるんだそうです。
実際そういう中で、監査難民が発生したのかどうか、僕は普段なかなか経済ニュースをちゃんと見てるわけではないんで覚えていませんけど、でもきっとあるんでしょうね。あと、上場していない会社は監査を受けなくていいのかなぁ、とちょっと思ったりしました。
しかし、内容は結構面白いんですけど、やっぱり経済的な話はすごく難しい。例えばJALの会計の話が冒頭にあって、そこで『繰り延べ税金資産』という単語が出てくるのだけど、これの説明が僕にはまるで理解出来ない。
『繰り延べ税金資産とは、ゆくゆくは発生すると見込まれる課税所得に対する税金を前払いしたとみなすことで、将来の減税額を「資産」として計上する会計上の処理を指す。』
うーん、全然理解できません。本書の中には、ところどころこういう会計処理上の話が出てきて、しかも僕には理解できなかったりする。それが理解できなかったからと言って作品全体が理解出来ないということもないんだけど、やっぱり僕には経済的な話は無理だなと実感した次第。難しすぎます。
まあそんなわけで、強くオススメするほどでもないけど、自分がまったく知らない世界の話で面白かったです。ライブドアやカネボウなど、ニュースを騒がせた話題もいろいろと出てくるので面白いんじゃないかな、と思います。

種村大基「監査難民」




でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相(福田ますみ)

「はあ?」アカネちゃんは何を言われているのか分からないみたいだった。
「いや、字が見にくかったり、書いてあることがわかりづらかったりしたのかなって」
「いや、全然そんなことないよ。ホントたまたまなんだって」
「うん、それならいいんだけれど。アカネちゃんが私のノートを必要としなくなったら、ちょっと頑張れないなって思って」
 言うつもりじゃなかったことまで口にしてしまった。後悔したけれど、一度言ってしまった言葉を取り返すことは出来ない。
「いやいや、ベル何言ってんだよ。ベルのノートが一番最高だって」
 アカネちゃんはちょっと慌てたみたいにそう言った。何だか悪いことをしてしまったみたいに思えて、アカネちゃんに申し訳なく思った。
「そうだ。そんなこと言われたからっていうんじゃないんだけれど、借りたいノートがあったんだよ。園芸学概論なんだけど」
 アカネちゃんもガーデニングサークルに入るぐらいだから、園芸学については多少興味があるみたいで、普段から割と授業を聞いてノートを取っているみたいだった。だからこの講義だけはノートを貸していないのだ。

「失踪シャベル 15-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、2003年に福岡で起こったとある事件を追ったノンフィクションです。
2003年のある日、朝日新聞の西部本社版に、「小4の母『曾祖父は米国人』 教諭、直後からいじめ」という大きな見出しが載る。そのショッキングなニュースに地元のメディアは湧くも、あくまでもそれはローカルニュースの一つだった。
しかし、週刊文春が、「『死に方教えたろうか』と教え子を恫喝した史上最悪の『殺人教師』」という記事を載せたために一気に全国区のニュースになった。
メディアが取り上げるところによれば、この『殺人教師』はこんなことをしていたらしい。
家庭訪問の際、男児の曾祖父にアメリカ人がいると知ると、血が混じっているんですねなどといいアメリカ批判をし、差別意識をむき出しにした。それをたまたま聞いていた男児は、自分の血が穢れているということがどういうことなのか分からず、図書室で調べて衝撃を受け、それについて母親にしきりに聞いてくるようになったらしい。
また教師は、男児が10数える間に帰り支度が出来なければ、アンパンマン(=両頬を指でつかんで強く引っ張る)、ミッキーマウス(=両耳をつかみ、強く引っ張り、体を持ち上げるようにする)などの五つの罰から一つを選ばせ、それを実行したという。しかも笑いながら。
また、アメリカ人の血が混じっているから頭が悪いと決めつけたり、挙句には死ぬように迫った、というのだ。
両親からの指摘を受け、学校は教師による暴行の事実を認め、福岡市教育委員会もいじめと虐待を認定、全国初の「教師によるいじめ」と認定された。
いじめを受けた男児はPTSDが酷く、両親は教師に対して民事裁判を起こすことになる。
というのが、日本中のマスコミが報じた事件の概略です。
さて、今度は同じ事件を、『殺人教師』と名指しされたその教師の側から見てみましょう。
家庭訪問の予定を組んで、その男児の家には翌日の予定だったはずなのに、夜電話が来て、兄を病院に連れていかなくてはいけないので今日の家庭訪問は少し遅らせて欲しい、という。おかしい、明日だったはずなのにと思いつつ、遅い時間でもいいからと言うので家庭訪問に向かう。一通り社交辞令も混ぜながら(お世辞にも男児は評価の良い生徒ではなかった)会話をして、教師は帰ろうと思うのだけど、何故か母親がアメリカでの生活の話やらを初め会話がダラダラ続いてしまう。母親が、祖父だかがアメリカ人なのでという話を切り出すので、なるほどだから○○君はハーフのような顔立ちなのですね、というようなことを返したりする。そんな感じで家庭訪問は終わる。
それから数週間経ったある日、校長から呼び出される。心当たりのまるでない教師に校長は、虐待をしたのか、と唐突に聞く。教師にはまるで心当たりはない。ないが、一度だけ、男児が他の生徒を殴ったので、頬を少しだけ叩いて、これがあの子の痛みだ、というようなことを言ったことを思い出して、一度こういうことをやりましたと言ってしまう。
それからこの教師は、あれよあれよというまに、『史上最悪の殺人教師』に仕立てあげられてしまうのだ…。
という感じの話です。
いやー、これはメチャクチャ面白かった!面白かった、なんていうのはちょっと不謹慎なのかもしれないけど、それでも言おう。メチャクチャ面白かった。これほど先が気になるノンフィクションを読んだのは久しぶりだなぁ。ちょっと前に読んだ、「凶悪 ある死刑囚の告発」も面白かったけど、これもすこぶる面白い。
何が凄いって、いじめや虐待の事実はほぼゼロなのに、それが全国区を賑わす大ニュースになり、しかも裁判まで行われている、というところだ。メディアは、碌に取材もしないくせに、大雑把な情報だけで『殺人教師』と書きたてる。何せ、この教師のクラスメートやその保護者に話を聞けば、そんな虐待の事実はないということはすぐ分かったはずなのに(事実この教諭のクラスメートはニュースを見て、嘘ばっかり言ってると母親らに言っていたらしい)、男児の母親の話ばっかり鵜呑みにして記事を書いてしまうのだ。確かに、福岡市が既に「全国初の教師によるいじめ」を認定していた、という事実も大きかっただろう。それによって、虐待は既成事実だった、という色眼鏡で事件を見てしまったのも仕方なかったのかもしれない。しかしだからと言って、何もしていない一般市民を勝手に陥れていいことにはならない。
学校も学校だ。確かに学校というところは最近、保護者との関わりが難しくなっている。だから及び腰になってしまう部分もあるとは思う。しかし、教師に碌に話も聞かないままで、いじめの事実を認定してしまった罪は重いのではないか?教師は、学校内で騒ぎを収めるために、自分はまるで非がないのに、下げたくもない頭を下げたのだ。それなのに、結局学校という組織は教師を守ってはくれなかった。いくら教師の側に優柔不断な点があったとはいえ、やっぱりこの対応は酷いなと思いました。
しかし何よりも凄いのは、この男児の母親です。典型的な(と言ってもちゃんと知ってるわけでもないですが)モンスターペアレントだと思います。自分の子供の言っていることを全面的に信じ、それを根拠に相手を責め立てる。でも、まあそれだけならいいんです。この母親の最悪なところは、とにかく嘘三昧だ、というところです。初めは、自分の子供を信じたい、という気持ちだったかもしれません(僕はそんな風には信じてませんが)。でも、とにかく嘘ばっかりなんです。具体的にどんな嘘なのかはまあ読んでもらうとして、よくこんな大嘘で裁判まで始めようと思ったものだ、というくらいとにかく杜撰すぎる嘘なんですね。驚きます、ホント。言い過ぎかもしれないけど、同じ人間とはちょっと思いたくないなぁ、という感じがしました。
凄いのが、この男児の母親を原告とした裁判には、原告側に550人もの弁護士がついた、ということです。もしかしたら嘘つきの天才で、この人の傍にいると嘘でもホントのように聞こえてしまうようなそんな人なのかもしれないけど(まあそんなわけないんですけどね。実際男児と同じクラスの保護者たちは、この母親への悪い評判をたくさん聞き知っているわけで)、それにしても騙されすぎじゃないか、と思います。
でも本書を読んで、自分も気をつけないと、と思いました。僕も、今ではニュースなんかは、ネット上でざっと読むぐらいなんですけど、やっぱりそうすると、目立つ部分にしか目が行かなかったりします。見出しとか、気になる単語とか。そうなると、漠然とした印象のままそのニュースを解釈する感じになってしまいます。ざっくりした取材で『殺人教師』の記事を書いた記者と同じように、ざっくりした読解によってまるで違った風にニュースを捉えることになってしまいそうな気もします。それに、こういう適当な取材をして記事を書く記者もいるわけで、メディアをより一層信じすぎないという姿勢も重要だなと感じました。
これは、僕は売りますよ。読み物としてメチャクチャ面白いっていうのもあるけど、とにかく読んでていろいろためになる。『メディアの情報との付き合い方』とか『組織は個人を守ってくれない』とか『モンスターペアレントの実態』とか『教育現場の矛盾』とか、とにかくいろいろ考えさせられます。しかも、小説よりも続きが気になるという、素晴らしいノンフィクションです。僕も頑張って売りますけど、福岡の書店員さんには是非頑張って売って欲しい。さてPOPの文章を考えよう。
『酷い…。これは酷過ぎる!』
『こんなに先が気になるノンフィクションはなかなかない!』
『あなたの周りにもいるかもしれない、こんな人。怖すぎる!』
とりあえず覚書。
是非是非読んでみてください。メチャクチャ面白いです。たぶん誰が読んでも、それぞれの立場でいろんなことを感じられる作品だと思う。

福田ますみ「でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相」




カリブ諸島の手がかり(T・S・ストリブリング)

15

「そういえばアカネちゃん、植物病理学概論のノート、この前借りに来なかったけれど、大丈夫なの?」
 月曜日の昼休み。いつものように、カナちゃんとアカネちゃんの三人でお昼ご飯を食べていた。今日は三人ともパスタで、アカネちゃんだけデザートもつけている。ダイエットをしているというカナちゃんは、甘いものが視界に入ると身体に悪い、とかなんとかぶーぶー言っていたけれど、アカネちゃんは気にする風もなくて、美味しそうに食べていた。
「ああ、あれ。たまたま別の子から借りる機会があってさ」
「えっ?私のノート、何かダメだった?」
 アカネちゃんとは学部が同じで、二年目も大体同じ講義を取ることになるから、今志保は、アカネちゃんのためにノートを取っているようなものなのだ。もちろん、アカネちゃん以外の人にも貸しているのだけれど、アカネちゃんが志保のノートを必要としなくなるなら、やる気のない授業に出てノートを取るなんていうことを続けられなくなるような気がした。

「失踪シャベル 15-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、エラリィ・クイーンが熱愛した、という触れ込みの本格ミステリです。アメリカ人心理学者であるポジオリ教授が難事件に挑む、という短編集です。

「亡命者たち」
国を追われた独裁者が殺人事件に巻き込まれ容疑者として扱われる。

「カパイシアンの長官」
呪術を使って人心を左右し、一国の長になろうとしている男のペテンを暴いて欲しい、という依頼を受けるポジオリ教授。

「アントゥンの指紋」
事件をネタにある賭けをした直後起こった銀行強盗騒ぎ。

「クリケット」
無実の罪を着せられた息子を救って欲しいという母親の頼みで、殺人事件の捜査を行う。

「ベナレスへの道」
ヒンドゥー寺院で一晩明かした際にポジオリ教授は殺人事件に巻き込まれる。

というような感じです。
読む前からなんとなく分かってたことですが、やっぱり本書は僕には合わない感じの作品でした。結構昔の作品で、しかも外国人作家、さらに昔ほどは興味が持てなくなってきている本格ミステリというジャンルだという点でたぶん僕向けの作品ではないだろうなぁ、と。だったら最初から読むなよ、って感じですけど、なんとなく気になってはいた本なんです。まあ気まぐれでしょうか。
たぶん世間的には評価の高い作品で、帯にあるように「衝撃的名作」なんだと思うんだけど、僕には今ひとつ何が衝撃的なのかよく分かりませんでした。どの事件も、何が謎で、どういう経緯を経てどんな解決に至ったのかというのがイマイチよくわからないんですね。でもたぶんこれは僕の読解力の問題だと思います。ある程度昔の作品って、どうしても僕は読むのが苦手なんですね。日本の文豪と呼ばれる人たちの作品もほとんど読んだことないですし。アガサ・クリスティとか読んだことないけど、たぶんダメなんじゃないかって思うし、チャンドラーとか1冊ぐらい読んだことありますけど、やっぱりダメだったしなぁ。古典的名作、と呼ばれる類の作品とは基本的に相性の悪い人間です。
作品自体の質については、正直僕にはよく分かりません。ちょっと僕には判断できないです。ただ、予想通りではありますが、僕には合わない作品でした。本格ミステリが好きな人には合うのかもですけど、どうなのかわかりません。まあでも、最後の短編のラストはなかなか衝撃的だなと思います。

T・S・ストリブリング「カリブ諸島の手がかり」




シュガーダーク 埋められた闇と少女(新井円侍)

家に向かいながら、徐々に気持ちが落ち込んでいった。家に着く頃には気分がささくれだっていた。部屋に入ってマルイさんの隣に置かれたシャベルを掴むと、何度か実際に振り回してみた。頭の中には血まみれの脇坂さんがいて、志保は無心で空想の脇坂さんにシャベルを突き立てた。
「どうしてこんなに嫌な気分になるんだろうね」
 シャワーを浴びて少しは気分が落ち着いた志保は、手芸雑誌を見ながらマルイさんに話しかけていた。
「やっぱり会田君に来てもらえばよかったかな?」
 手芸雑誌を見ながら、会田君とペアで作る携帯電話のストラップのイメージを固めていった。ビーズじゃちょっと男の子には可愛すぎると思って、フェルトの生地で犬の人形を作ろうと思ったんだけれど、ストラップにするように小さく作るのは結構難しそうで、志保はどうしようかと思案した。会田君が喜んでくれる顔を必死で想像しながら、血まみれの脇坂さんのイメージを頭から追いやろうと躍起になっていた。

「失踪シャベル 14-15」

内容に入ろうと思います。
本書はスニーカー大賞を受賞した作品です。
冤罪によって終身刑が言い渡されたムオルは、人里離れた共同墓地に送り込まれることになった。戦時中、塹壕掘りのエキスパートだったムオルは、その腕を買われたのか、その共同墓地で穴を掘る事になった。しかしそこで掘らされる穴は、時として異常にデカいものがあった。戦車数台分を丸ごと埋めるのか、というくらいの大きな穴。一体ここには、何が埋まっているというのだろう。
何も分からないまま、言われるがままに穴を掘り続けるだけの毎日だが、ある夜メリアと名乗る少女に出会う。彼女は墓守なのだという。しかし人付き合いがうまくないのか、いろいろと聞いてみても要領を得ない。
やがてムオルは、自分とその少女の役割を知ることになるのだが…。
というような話です。
読み始めは何故か文章が全然入ってこなくてしばらく辛かったんだけど、物語が動き始めてからはすいすい読めるようになりました。全体的には、まあまあという感じでしょうか。
僕はラノベを読む時、『その作品がラノベ的にどうなのか』という評価は出来ないんですね。そもそもラノベをほとんど読んだことがないので、ラノベ全体の中で王道なのか異端なのか、ストーリーの展開やキャラクターがどれぐらい新鮮なのか、というのはなかなか判断出来ない。だからいつもラノベの感想を書く時は、ラノベとしてではなく一小説として評価するようにしています。
そうした時、この作品はまあほどほどに面白いかな、という感じです。ストーリーは結構単純で、ストーリーの展開で読ませるというよりは、やはりラノベらしく、ボーイ・ミーツ・ガール的な部分で読ませる作品なんだろうと思います。
ただそちらの方も、登場人物があまりにも少なすぎて、まあ設定上仕方ないのかもしれないけど、ちょっとなぁ、という感じもします。ボーイ・ミーツ・ガールって、もっといろいろ人が出てきて、そういう人たちが障害になったりして、でも最後は、みたいな展開っていうイメージがあるんだけど。別にそうじゃなくてもいいんだろうけど、何にしても登場人物が少なくて『意外な展開』みたいな感じにならなかったのがちょっと残念という感じはありました。
あとはちょっと書くことがないかなぁ。僕の中では良くも悪くもあんまり琴線に触れる作品ではなかったかな、という感じです。悪くはないと思うけど、別にそこまでいいというわけでもないかなぁという感じ。ライトノベルっぽくない感じがしたから読んでみたのだけど、なんとなく僕のイメージしてた感じ(どんな感じかと聞かれると困りますが)とは違ってたかなという気がします。
というわけで、僕としてはそんなにオススメ出来る作品ではありません。決して悪くはないと思いますけどね。ラノベ的な評価はどうなるのか分かりませんけど。

新井円侍「シュガーダーク 埋められた闇と少女」




Think 夜に猫が身をひそめるところ(吉田音)

志保は、再婚相手のことを話すときの顔が怖かった、という会田君の言葉を気にしていた。本当は、明日再婚相手が家に来ることを話そうと思っていた。もし会田君さえよければ、再婚相手が来ている間家にいて欲しいと頼むつもりだった。でも、なんとなくタイミングを逃したし、付き合ったばかりの男の子を家に呼ぶのもちょっと軽率かなと思い直しもした。明日再婚相手が来ることを考えると憂鬱だったけれど、せめて会田君と一緒にいる間くらいは楽しく過ごしたくて、なるべく明日のことを考えないようにした。
 話は尽きなかったけれど、二人は適度な時間に切り上げて居酒屋を出た。会田君は送ってくれると言ってくれたけれど、志保は断った。今家まで送ってもらったら、明日一緒にいて欲しいという話をしたくなってしまうと思った。会田君に怖いと言われる顔を見せたくなかった志保は、大丈夫だからと繰り返して会田君を止めた。そのうちね、なんて言っている自分が、まるで男の子を焦らしているみたいで、会田君にもそんな風に思われたかもしれないけれど、まあそれでもいいかと思ったりもした。

「失踪シャベル 14-14」

内容に入ろうと思います。
本書は、クラフト・エヴィング商會という名前で活動している夫妻の一人娘・吉田音が書いたという設定の小説です。吉田音というのは架空の作家で、クラフトエヴィング商會の別名義だそうです。
吉田音は13歳で、クラフトエヴィング商會とかいう変な名前で活動している両親を持つごく普通の女の子だ。彼女は、近くに住んでいる円田さんの家によく行くのだけど、そこで「シンク」という名前の猫の存在を知る。
なんでもシンクは時々、よく分からないものを「おみやげ」をして持って帰ってくるというのだ。その、何だかよく分からない「おみやげ」を見ている内に吉田音は、ミルリトン探偵局を作ることを思いつく。
ミルリトンというのはお菓子の名前だ。しかし吉田音も家族も、まだ誰も食べたことがない。食べたことがないけど、世界一だと言われるそのお菓子の味を想像して楽しんでいるのだ。ミルリトン探偵局は、シンクが持って帰ってくるいろんな「おみやげ」を見て、「夜に猫が身をひそめている」ところを推理してやろう、という活動をする。しかし、答えがきっちりと分かるわけではない。それは物語を生み出すようなものだ。シンクが持って帰ってくる様々な「おみやげ」から、きっとシンクはこういうところにいるんだよ、という話をする。
本書はそんな小説です。
クラフトエヴィング商會らしい、なんとも言えないふわふわした作品で、結構好きですね。
本書は、2つの短編が1組になって、それが3組ある、というような構成になっています。シンクが持って帰ってきたものを見てあーだこーだとやり取りする部分と、シンクが持ち帰ってきた「おみやげ」は実はこういう人の持ち物でしたという解答編のような話が一組になっているのだけど、僕としてはどちらかというと、吉田音と円田さんがあーだこーだとやり取りしている話の方が好きでした。シンクが持ち帰ってくる謎の「おみやげ」から、無理矢理でもいいから物語を生み出して行くというところがいいですね。実際に写真もあったりして、これは本当の話なんだろうかとずっと思ってました。まさか吉田音も架空の人物だとは思ってませんでしたからね。13歳でホントにこんな文章が書けるの?とかずっと思いながら読んでました。
吉田音と円田さんがあーだこーだとやり取りしている方は、吉田音の家族を中心として、周囲に住んでいるいろいろな人が出てきて、そういう人たちとの関わり方みたいなものもかなり面白かったんですね。変わった家族小説みたいな雰囲気も楽しめる感じでした。
解答編に当たる部分も、良い話ではあるんですけど、そちらの方はどうしても、クラフトエヴィング商會の片方である吉田篤弘の作品の方が好きだな、と思いました。雰囲気は似てるし、まあ書いてる人も同じなんだろうけど、どうしてだろう、本書に書かれている話より、吉田篤弘名義の作品の方がいいな、と思います。二つ目の「奏者」という、ホルン奏者の話は結構よかったと思いますけどね。
この作品には、「ミルリトン探偵局シリーズ1」と書かれているのだけど、シリーズの続きってもう出てるのかなぁ。ちょっと気になりますね。シンクという猫が持ち帰ってきた「おみやげ」から、あーでもないこーでもないとただ想像するだけ、という話は凄くいいなと思いました。あと僕は違いますけど、猫好きの人には結構気に入ってもらえる作品なんではないかな、と思います。日常をしっかりと生きる人々と、その中に紛れ込むほんの少しの非日常がバランスよくていいと思いました。是非読んでみてください。

吉田音「Think 夜に猫が身をひそめるところ」




シティ・オブ・グラス(ポール・オースター)

「私も、たぶんそういうのに近いのかもしれない。私、昔のお母さんのことが好きで、そのお母さんには戻ってきて欲しいんだけれど、今のお母さんはあんまり好きじゃないの。今のお母さんは好きになれないけどれ、そのどこかに昔のお母さんがまだ残っているんじゃないかって思うと、それはちょっと哀しい」
 志保は、ずっと誰かに言いたかったことを話すことが出来て、ちょっとすっきりした。心の内側でわだかまっているものはまだまだたくさんあって、言葉に出来ない気持ちもたくさんあるんだけれど、少しずつでも誰かに気持ちをぶつけることが出来たお陰で、もやもやしていたものがちょっとははっきりしてきたような気がした。
「ありがとね」
「全然」
「最近少しだけ余裕が出てきてね、お母さんがどこか遠くの国でパンを売ってたりするのを想像したりするんだ」
「なにそれ?」
 そこで志保は、マルイさんの話をしてあげた。なるほど、だから駅長になるとか言ってたのか、と会田君は納得したみたいで、それからはまた普段の会話に戻った。

「失踪シャベル 14-13」

内容に入ろうと思います。
本書は、ポール・オースターのデビュー作だそうです。
主人公の作家・クィンは、一本の間違い電話によって探偵として仕事を引き受けることにする。クィンはマックス・ワークという私立探偵を主人公にした小説を書いているが、もちろん探偵などやったことはない。
依頼人の元へ行くと、そこには依頼人の夫であり、父親の幼少児の育て方のせいで知的障害を負っている男がいた。近いうちにその父親が刑務所を出て、夫の命を狙うのだ、と依頼人は言う。夫を守ることがクィンの仕事になった。
そこでクィンがしたことは、刑務所から出てきたというスティルマンを毎日尾行し続けることだった。スティルマンを尾行し続ければ、危害を加えそうになっても止めることが出来る。
しかし、何日尾行しても、事件は何も起こらない…。
という感じの話です。
うーん、という感じでした。僕は結構ポール・オースターって好きな作家なんですけど、これはちょっと微妙でした。ニューヨーク三部作と言われる「幽霊たち」「鍵の掛かった部屋」そして「シティ・オブ・グラス」では、「鍵の掛かった部屋」ぐらいかなぁ、面白かったのは。「ムーン・パレス」とか「ミスター・ヴァーティゴ」とか「リヴァイアサン」とか結構好きなんだけど。
本書は何がダメだったのかなぁ。うまく説明出来ないし、説明出来る部分についても的外れかもしれないけど、ちょっと思いつくままに書いてみます。
まず、主人公の行動や独白なんかを追うばかりの作品で、主人公がいかに他者と関わるかという部分があまり描かれないという展がちょっと退屈だったかな、と。もちろん最後まで読めば、まあ作品の構造上仕方ないのかな、と思わなくもないんですけど、基本的に一人で行動し、一人で悩み、一人で窮地に陥る、みたいな感じの展開なんで、どうにも話の展開に新鮮さが失われて行くな、という感じがしました。
あと、登場人物にそこまで魅力を感じられなかったな、という感じがします。主人公は鬱々としてるし、行動原理がイマイチよく分からないし、行動原理がよく分からないというのは他の登場人物についても大抵同じです。そういう部分を、自分の想像なんかで補って読んでいくというのが本書の楽しみ方だったりするのかもしれないけど、僕にとっては、何だかよくわからないなぁ、という感じでずっと進んでいきました。
ストーリー上謎めいた部分がいろいろ出てくるんですけど、それらについても大抵イマイチ解決しないままで物語が終わります。特に、備考した結果から浮かび上がるある単語については、結局なんだったのかさっぱり理解できませんでした。まあこれも、そういう部分を想像で補うのが面白いのかもしれないけど、僕にはちょっと余白の方が多すぎるような感じがしました。
まあそんなわけで、ちょっと微妙な作品だなという感じがしました。ポール・オースターは面白い作品を書く作家だなと思いますけど、本書はあんまり推せません。個人的には、先程面白い作品だと言って挙げた作品の方をオススメします。

ポール・オースター「シティ・オブ・グラス」




小説家という職業(森博嗣)

「じゃあ今じゃ全然?」
「そうだね。そんなこと、池上さんの話を聞くまで忘れてたみたいなもんだし」
 これが、男と女の違いなのか、あるいは世間と自分との差なのかが分からなかった。
「じゃあ池上さんは、お母さんのこと憎んでたんだ」
「うん、たぶんね。だからかもしれない。お母さんがいなくなったこと、どんな風に捉えたらいいのか、まだよく分からない」
「お母さんがいなくなったのに、あんまり哀しくないとか?」
 こういう鋭さが、会田君の魅力だと志保は思う。
「そう。別にいなくなってせいせいしたなんて思ったわけじゃないけれど、哀しいっていうのとも違う気がする」
「なんとなくそういうの、分かる気もする」
 会田君は何か決意でもするみたいにしてお酒を一気に飲み干した。
「友達に時々、付き合ってる彼女と別れたい、って相談されることがあってさ。で、何回か話を聞いてやってさ、結局別れるんだけれど、そうすると中にはさ、別れなきゃよかったって相談してくるやつが時々いるんだ」

「失踪シャベル 14-12」

本日二度目の更新。
内容に入ろうと思います。
本書は、森博嗣が立て続けに集英社新書から出した作品のラストであり、恐らく出版業界初だろう、超ベストセラー作家が描く「小説論」です。
ただ本書は、「どうやったら小説を書けるか」という書き方の話ではありません。巻末に、森博嗣が子供の頃「漫画の描き方」という本を読んだ、という話が出てきます。そこには、どんなペンを使ったらいいか、スクリーントーンはどう使うか、コマ割りのやり方など、漫画を描くのに必要な『技術』がたくさん書かれていたけど、森博嗣曰く、小説にはそういう『技術』のようなものはない。文体がどうの、キャラクターがどうのなんてことも特にない。小説家になるには、とにかく書くしかないのだ。ある意味では本書の結論でもあるその点については、まえがきで既に書かれている。

『もし本気で小説家になりたいのなら、この本さえ読んでいる暇はない。すぐにキーボードの前に座って文字を打つべきである。毎日、時間があったら作品を書こう。本当にこれに尽きる。ブログなんか書いている場合ではない。上手く書けないというなら、20作ほど書いたあとで悩んでもらいたい。』

では本書はどんな本なのか。それは『小説家になるということはどういうことなのか?』という感じの作品です。『小説家になるための心構え』とでも言えばいいでしょうか。
第一章では、小説家になった経緯と戦略が書かれる。そもそもほとんど小説を読まなかった森博嗣は、「原稿は縦書きでなくてはならない」というルールがないようである講談社の賞に原稿を送る。そうしてあれよあれよという間にデビューすることになるのだけど、最初から戦略が素晴らしい。
本読みなら大体感覚としてあると思うけど、作家の処女作はやはり一番面白いことが多い。そうではない場合も多々あるけど、印象としてはやはり強い。デビュー前に、処女作にありとあらゆるものを詰め込むからだろう。だから森博嗣はこんな風な戦略を立てた。

『だから、最初はセーブwして、だんだん面白くしていこう、と僕は計画した。まず5作ぐらいは書くつもりだったので、最初はオーソドックスに大人しく始めて、2作目で少しだけ個性を出し、3作目で技巧的な別の面を見せる。そして4作目でようやく全力を出し、5作目では、それをさらに凌ぐようなものを書こう。このような抽象的な計画を立てたのである。』

この計画はデビュー前からもろくも崩れるわけだが(森博嗣のせいではなく、出版社側の都合により)、森博嗣はそれにもきちんと対応して行く。
さて、これは第二章の内容になるのだけど、森博嗣はこんな風に書いている。

『何故ならば、作家を将来にわたってプロモートするようなビジネス戦略を、出版社ではまったく、誰一人考えていないのだ(せいぜい、目の前の一冊だけについて、オビやポップのキャッチ文など、効果の極めて小さなものに優秀な頭脳を使っている程度である)。小説家にはマネージャーがいない。出版社はしてくれない。だから自分で自分の作品のマネージメントをしなければならない。』

デビュー前から既に森博嗣は、自分をどんな風にプロデュースしていくのか考えていたのだ。これは、森博嗣にとっては当然のことのようだったけど、他の多くの作家からすれば驚愕するような事実だろうと思う。
第二章では、作家になってからの心構えについて書かれている。
例えばまず、「作家になること」が目標で作家デビューした人は、その後続かないだろう、と書いている。人間は、望んだもの以上の存在にはなれないのだ。デビューした後の展望みたいなものをある程度自分の中で持っておく、数年の間にどのような作品をどれぐらい書いて、というビジョンを明確に設定し、それを出来うる限り守る。とにかくまずそれをしない限り作家としては続かないだろう、というようなことを書いています。
森博嗣の作家活動で特筆すべきなのは、ネットを駆使しているという点だろう。森博嗣がデビューした当時、ちょうどインターネットが普及し始めた頃だったらしい。森博嗣はネットを実にうまく活用した。その一つが、メール全リプライである。森博嗣は、手紙などのファンレターには一切返信しないと宣言する代わりに、メールで届いたものにはすべて返信するということを12年ぐらい続けたらしい。これも、ビジネス的な戦略からだが、それにしても一日200通以上来るというメールにすべて返信するなんていうことはなかなか出来るものではないだろう。
またネットを通じて、読者が書いた書評を読む、というのもかなり重視していたらしい。しかしそれは、「読者の望んだものを書く」という方向性ではなく、むしろ「読者を裏切るものを書く」という方向性のためだ。
また最も驚いたのは、ミステリの謎とネットをうまく関連付けた点だ。森博嗣は、ミステリというジャンルは、ネットによってネタバレが広まることで驚きが薄れてしまう、と考えた。だからこそ、作中に「よくわからない謎」を散りばめることで読者をネットに向かわせ、他の人がどう読んだのか見させよう、と考えたらしい。そうすることで、他の読者の存在も意識することが出来、大勢の仲間になれたという嬉しさを共有する。それを意識的にやっていたらしいのだ。ネットでネタバレが広まることについても、一言では説明出来ないようなネタにすることでそれを防ぐということをやっていたようで、いかに森博嗣の作品が考えられたものだったかということがわかる。この点は本当に凄いと思った。
第三章は、出版業界の問題点と将来についてだ。ここではとにかく、電子書籍について触れられる。電子書籍によって、出版社や書店は大きなダメージを受けるだろうが、コンテンツの生産者はそうでもない。2000人程度の読者がいれば最低限の生活は出来るくらいの規模で小説を書けるようになるのではないか、というざっとした試算をしている。本書では書かれていないことだけど、僕は昔森博嗣がどこかで、時代が時代だったら出版社を通さず自分で電子書籍を販売していた、と書いていたはずなのだけど、恐らく森博嗣だったら成功しただろう。もし森博嗣のデビューがもう少し遅ければ、もしかしたらもしかしたら電子書籍が広がるのはもっと早かったかもしれない、とも思う。分からないけど。その他、基本的に本好きの人間が集まった「出版業界」という奇妙な集団を、本好きではない森博嗣という異端児の視点で見た時のおかしな点がたくさん書かれていて、この部分は出版・書店関係者が読んだら結構面白いだろうと思います。
第四章は、小説家の今後の展望についてのもので、今後どうなっていくのか、何を考えるべきか、というようなことについて触れています。
第五章は、森博嗣なりにもう少し踏み込んで、自身がどのように小説を書いているのか、ということを書いています。多少具体的ではありますが、やはりそのまま流用出来るほどでもありません。まあ森博嗣自身も、具体的には書けないし、抽象的であることに価値を感じていると書いているのでこれでいいんだと思いますけど。
というわけで、相変わらず森博嗣らしいシャープな意見が盛りだくさんの作品だと思います。本当に森博嗣は、回り道せず本質的なことをズバッと書きます。森博嗣の意見には、本当に反論しにくい。考えられているし、何よりも本人の主張がずっとブレていないので、隙がないんですね。僕も、「小説家になれたらいいなぁ」なんてことは思ってるわけですけど、それが本気ではないことを自分で知っているので、別に本書を読んでも何ともないですけど、本当に「小説家になりたい!」と思っている人が読んだら結構ダメージでかいのではないかなと思います。ただ、深手を負うかもしれないけど、本書で語られていることはすこぶる有益です。珠玉、と言ってもいいでしょう。作家になろうとする人だけでなく、何かビジネスをしようとしている人、何かを生み出そうとしている人すべてに有益ではないかなと思います。
とまあ僕があれこれ書いたところで、森博嗣の文章を読む方が遥かに有益なわけで、うだうだ書くのはこれぐらいにしておきましょう。とにかく、何らかの形で本に関わっている人は読んだ方がいいと思うし、優れたビジネス書としても読むことが出来るでしょう。本質を突く鋭い意見が盛りだくさんで、いろいろと考えさせられます。是非是非読んでみてください。
最後に、気になった文章をいくつか書いてみます。

『作家は、愛されるために作品を書くのではない。もし、愛されることが目的ならば、今すぐ作品を無料で配布すればいい。しかし、それでは仕事にならない。』

『読者から、僕の作品に対して「感動した」というメールが届くと、僕はいつも「感動したのは、あなたの能力によるものです」と答えている。』

『現に、僕は大学のクラス100人に質問をして手を挙げさせたことがある。「村上春樹を読んだことがある人は?」と。すると、5人くらいの手が挙がった。5%といえば、かなりの数字である。なにしろ、国立大学なのだから普通よりは割合が多いだろう。しかも、これを試したのは、文学部のクラスだった。工学部ではない。工学部の場合は、残念ながら50人のクラスで1人も手を挙げなかった。その名前を知っている人間が3人いただけである。当然ながら、宮部みゆきもしらない。筒井康隆ならば、名前を知っている人がいた。みんなが一番知っている日本の小説家をアンケートで調査すれば、この現代になっても、夏目漱石や森鴎外がランクインする。』

『商売というのは、少なくとも、できるだけ広くそれを売ろうとする方向性を持つことが基本だ。新しいニーズを探し、そこに商品を投入する、という行為の繰り返しである。お得意さんの期限を取っているだけでは、いずれ必ずじり貧になる。違うだろうか?否、既に今じり貧になっているのだ。まずはそれを認め、そして、新しいニーズに応えるには何が欠けているのかを見極める。そういったビジネスの基本的な態勢を立て直す必要が、現在の出版界にはあるだろう。』

『ところで、出版社は自分たちが作った書籍という商品に対して、そのユーザの意見を集める努力を熱心しはしていない。出版社(特に営業)が「お客」だと認識しているのは「書店」であって、「読者」ではない。そこの意識がまるで間違っている。』

『このように、僕は印刷に入った段階で本の発行を止めたことが数回ある。印刷が終わり製本された何万冊もの本をすべて廃棄させたこともある。また、あるときは、発行して書店に並んだ本をすべて回収させ、不具合を直して再発行させたことだってある。軽いミス程度ならば、こんな事態にはならない。たとえば、作者に連絡もなしに作品を使って本を出すような犯罪に近いものである。無神経では済まされないレベルなのだ。』

『ところで、これは一般的ではないかもしれないが、僕が一番時間をかけて考えるのは、タイトルだ。作品のタイトルを考え始めてから決定するまでには、3ヶ月から半年くらいかかる。タイトルさえ決まれば、もう半分以上は書いたも同然と思えるほどだ。』

森博嗣「小説家という職業」




Another(綾辻行人)

会田君はすまなそうな顔をして志保を見ていた。別に怒ってなんかいなかったから、なんだそうだったんだ、この前の合コンの時みたいだったから信じちゃった、と明るく言った。
「僕もさ、よくある話だけれど、妹が出来た時は嫌だったよ」
「妹さんがいるの?」
「そう、四つ下かな。妹が生まれるまではさ、僕が家族の興味を独り占めしていたのにさ、妹が出来た途端、みんな妹の方を可愛がるんだもんな。両親としちゃあさ、公平に接しているつもりだったかもしれないけれど、やっぱそういうの分かるもんだし」
 志保には兄弟はいなかったけれど、会田君の気持ちはよく分かった。
「会田君は、それで両親を憎んだりとかってした?」
「どうかなぁ。学校とか行くようになってさ、友達と話をするようになると、そういうのって別に普通なんだなって思ったし、それならあんまりこだわっても仕方ないよなって考えたんじゃないかな。実際しばらくすればさ、こっちの方が親を疎ましく感じるようになってくるわけで、まあお互い様みたいなところはあるんじゃないかな」

「失踪シャベル 14-11」

内容に入ろうと思います。
本書は、このミスやその他いろいろなところで結構高い評価を受けている、綾辻行人の最新作です。
主人公の榊原恒一は中学生で、とある事情によって母方の祖父母の家がある土地の中学に通うことになった。母親は恒一を出産した時亡くなり、研究者である父親はインドへ行っていて、恒一は祖父母の元で生活を始める。
その矢先、肺に穴が空く気胸によって入院を余儀なくされ、ひと月ほど遅れての登校となったのだ。
しかし、三年三組にやってきた恒一は違和感を覚える。クラスメートであるミサキが、まるで存在しない人であるかのように扱われているのだ。誰も話しかけないし、視線を向けることもない。いじめなのかとも思ったけど、担任の先生の態度も同じなわけで、どうもそうでもないようだ。
徐々に、この三年三組が抱える問題が明らかになっていき、恒一もそれに取り込まれて行くことになるのだが…。
というような話です。
正直僕には合わない作品だな、と思いました。結構期待していただけに、ちょっと期待はずれだったな、と。
僕が一番難アリだなと思った点は、ちょっとそれはないだろとか、それは都合良すぎるだろという展開が多いな、というところ。
僕は個人的には、作品にリアリティがなかったところでアリだと思っています。だから、リアリティがない、という点を問題にしているわけではないんです。そうではなくて、いろんな設定が物語の都合だけによって組み上がっているなという印象が問題ありだなと感じました。
例えば、本書ではちょっと特殊な記憶喪失みたいな現象が起こったりするのだけど、その設定によってストーリーが膨らんだり面白くなったりということが特にないと思うんです。じゃあどうしてそんな設定があるかと言えば、物語上そういう設定がないと困るから、です。もちろんどんな小説にだってそういう部分はあるでしょう。なので、そういう点がある、ということを問題にしてるつもりもないんです。ただ、そういう部分が多すぎるな、と思うんです。
ストーリーの都合上必要な、でも物語を面白くしたり盛り上げたりするわけでもない設定が結構多くて、何だか無理矢理だなー、という雰囲気を感じました。具体的な内容については、ちょっといろいろネタバレになると思うんで書きませんけど、この作品の主軸そのものにちょっと無理があるというか、脆弱な基礎の上に建物を立てているような気がするような、そんな感じの作品でした。
その一方で、これだけいろいろあちこちに無理が生じる物語を、とりあえず無理矢理にでも一つの作品にまとめたものだな、という感じもします。普通の作家が同じモチーフで作品を書いたら、たぶん途中のどこかで破綻して終わるんじゃないか、と。本書はそれを、まあなんとか無理矢理形にしているわけで、そういう点で作者の力量を評価出来なくもないな、という感じはします。
しかし無理矢理と言えば、綾辻行人が中学生を描くというのもちょっと無理があるかなぁ、と。読んでて、中学生っぽいという雰囲気が全然出てこないんですね。著者がもうおっさんもおっさんなんだろうから仕方ないんだろうけど、同じおっさんでも石田衣良はたぶん今でも中学生書けるだろうから、間尺に合った年齢設定も必要ではないか、という気がしました。
しかし何にしても、本書の装丁は素晴らしい。ここ最近読んだ本の中でも結構段違いに素晴らしいと思います。これは、綾辻行人の名前を知らなくてもジャケ買いしてしまうだろうな、という感じです。表紙の女の子が、またいい顔してるんだな、これが。
まあそんなわけで、内容に関してはかなり厳しいことを書きました。世間的に結構評価されている作品のようなので、僕に合わなかっただけだろうと思います。でもやっぱり、ある程度本格ミステリ好き(本書は本格ミステリじゃないけど、やっぱり全体の雰囲気はそういう感じがする)じゃないと厳しいんじゃないかな、という感じがします。僕としてはあんまりオススメは出来ません。

綾辻行人「Another」






ガラスの巨塔(今井彰)

「どうして?」
「いや、普通さ、お母さんがいなくなったらさ、事故とか事件とか、まあそこまでいかなくたって、何かトラブルに巻き込まれているとか、そんな風に思っちゃうかなって。でも池上さんはそういう可能性はあんまり考えていないみたいだった。初めっから、その再婚相手とどうにかなった、っていう発想に固執してるみたいに見えた。それって、もしそうだったら嫌だなっていう感情の裏返しなのかと思って」
 志保は会田君の顔をまじまじと見てしまった。志保は今会田君に言われたことについて考えてみることにした。どうなんだろう。何が普通なのか志保には分からなかった。
「いや、ごめん」
 会田君はいきなりそう言って志保を驚かせた。
「今のは嘘。適当っていうほど適当でもないけれど、池上さんがお母さんの再婚を嫌がっているっていうのを当てた理由は全然違う。だって顔見てれば分かるよ。再婚相手の話をする時の池上さんの顔、怖かったもん」

「失踪シャベル 14-10」

内容に入ろうと思います。
本書は、NHKで「プロジェクトX」のプロデューサーをしていた著者が、NHKを辞めて書いた小説です。小説とは言え、舞台は間違いなくNHKで、主人公も自身をモデルにしていると思われます。
全日本テレビ協会は、1万人を超える社員を抱え、国内外に82の支局を構える世界最大のテレビ放送網だ。黙ってても受信料が入ってくる体質により、いい番組を作るという意識がさほどない、西悟にはそんな風に感じられる場所でもあった。湾岸戦争でも、真っ先に最前線に行き着いた記者たちは、現地で金をばらまいたために後から来た民放各社から不評を買い、しかも高級ホテルに長っ尻で取材にも行かず、他局が食料を分けてもらえるように打診しても応じないなど、その傲慢な態度が避難されてもいた。
そんな中、視聴率0%の番組ばかり作らされていた三流ディレクターだった西悟は、湾岸戦争に関してNHK独自の映像がないことに焦れた上層部が、何でもいいから映像を撮ろうというやつはいないか、と問われて手を挙げた。そして西悟は、しばらく音信不通になった後、「撮れるはずのない映像」をひっさげて戻ってきた。
その番組は、10年に一度の傑作と言われる評価を得て、その年の文化庁作品賞も受賞する。飛ぶ鳥を落とす勢いで次々と話題作を撮り続ける西悟の名は上がり、ついには「天皇」と呼ばれるNHK会長の寵愛も受け、周囲のやっかみや反感を買いながらもアンタッチャブルな存在になっていく。
西悟が満を持して始めた「チャレンジX」という番組は、初めこそ視聴率一桁台だったものの、真摯な番組作りが次第に認められ、やがてゴールデンタイムに20%を超すお化け番組になる。講演やらなんやらでさらに殺人的な忙しさとなる西悟だが、とあるきっかけで窮地に追い込まれ…。
というような作品です。
まあ本書は、かなり事実を基にした小説でしょうね。実際に違う点があったとしても、少なくとも本書で書かれていることは、「著者の主観から見たNHK」というものをかなり反映している作品だろうと思います。なので、本書で書かれていることがどこまで事実に基づいているのか、一読者としては判断出来ないのだけど、以下の感想では、ほぼ事実に基づいているものと扱って感想を書こうと思います。
まず、これはきっと割と多くの人が抱く感想ではないかと思うけど、小説としての出来はさほどではありません。本書は、「著者が実際に経験したとんでもない出来事をモチーフにしている」と読者が感じられるからこそリアリティを持ちうる作品なわけで、そうでない純粋なフィクションとして読んだ場合、ちょっと稚拙な部分が目立つかな、という感じがします。まあ、小説を書くのは初めてだろうから、ある程度は仕方ないと思いますけどね。別に、これは酷いな、と思うほどの稚拙さではないので、普通には読める程度だと思います。
なんでしょうね、こう起こった出来事をただ羅列しているだけで、その背景みたいなものがきっちり描かれてない印象があるんですね。確かに著者にとって、ここに書いたことは実際に起こったことなのだろうし、どうしてそんなことが起こったのだと言われてもそうだったからだ、としか言いようがないのかもだけど、小説の場合はそういうわけにはいかない。本書がもしノンフィクションとして出されているのでれば、そういう「実際こういうことが起こったのだ」という書き方でいいと思うんだけど、あくまで小説だとすればもう少し背景やら人物描写やらをきっちりする必要があったのではないかなという感じはします。
とはいえ、作品全体からもの凄く気迫みたいなものが伝わってきます。小説として捉えるとなかなか難しいですが、西悟=今井彰だとして読めば、この著者凄いんだな、と改めて思えます。
というか、改めてもなにも、僕は「プロジェクトX」さえ一回も見たことない人間なんで、今井彰って名前も全然知らなかったわけなんですけど(非国民ですねぇ)、この人はとにかく凄いな、と。
まず三流プロデューサーだった頃の話が凄い。湾岸戦争で撮ってきた二つの映像が、実際僕はその映像を見てないけど、文章を読むだけど、あーこれは凄いわ、と思わせるものでした。どちらの映像も、良い映像を撮りたいという気迫、相手への思いやり、最後まで諦めないという執念。そうしたものが素晴らしい形で結実しないと不可能な、そんな素晴らしい成果だなと思います。
それからまたいくつも賞を撮るような映像を作り上げ、しばらくして「チャレンジX(プロジェクトX)」を始めるんだけど、これがやり始めの頃は鳴かず飛ばずなんですね。視聴率も振るわないし、社内的にも西悟が無理矢理通した企画ということで反感が大きい。しかも当初、一つ仕上げるのに膨大な時間が掛かる番組をたった7人で回していて、上司に要員の追加を願い出ても常に却下されるような、そんなところから始まったわけです。しかし最終的には、NHKに最も利益をもたらすことになる番組に進化するわけで、それもこれもすべて、著者の妥協しない真摯な映像作りあってこそという感じです。
しかしそんな著者の周りには有象無象の輩が。とにかく嫉妬心に駆られた器の小さい男ばっかりで、「天皇」にまで気に入られている西悟に何かと妨害したり、番組を潰そうとしたり、そんな動きがたくさん起こります。著者はそれらの心ない人たちのやり口に激しく心を痛めるわけですけど、でも国民的な番組になり、多くの人が見てくれているこの番組を諦めるわけにはいかないと、気力を振り絞って番組作りに専念するわけです。
そういう、著者の激しい生き様みたいなものは読んでて凄いなと思うし、こんな風な生き方が出来たら、辛いだろうけどカッコイイだろうなと思わせる作品でした。
というわけで、本書は小説として読んでしまうとちょっと稚拙に感じられてしまうかもしれませんが、今井彰という男のノンフィクションだと思って読めばかなり楽しめるのではないかな、と思います。僕は結構面白いと思いました。読んでみてください。しかしNHKが今でもこんな体質の組織なんだとしたら、ちょっと終わってるなぁという感じがします。

今井彰「ガラスの巨塔」



V.T.R.(辻村深月)

「じゃあ今はお父さんと二人?」
「ううん。両親は私が高校に入ったと同時くらいに離婚してるから」
「じゃあ」
「そう。今は一人。でも、別に寂しいとかそういうことじゃないんだ。ううん、寂しいは寂しいんだけど、それはいいの。ただ最近ね、どうしてお母さんいなくなっちゃったんだろうなって思うことが多くって」
「心当たりとかってないの?」
「一つなくもなかったんだけれど、それは違ったみたい」
 そう言いながら志保は、血まみれになった脇坂さんを脳裏に呼び起こした。
「お母さん、再婚しようとしてたみたいでね。その相手と駆け落ち、っていうとちょっと違うのかもだけど、なんかあったのかなって思ってたんだけど」
「違ったんだ?」
「たぶん。わかんないけど、たぶん」
「お母さんが再婚するの、嫌だったんだ」
 えっ、と声を上げてしまった。

「失踪シャベル 14-9」

本日二度目の更新。
内容に入ろうと思います。
本書はなかなか変わった出自の作品です。
本書は、辻村深月「スロウハイツの神様」に出てくる、チヨダ・コーキという作家のデビュー作、という形で書かれた作品です。
この国には、きっかり1000人、マーダーと呼ばれる人たちがいる。彼らは特別な免許を持っており、その名の通り、殺人を生業とする。人を殺してもお咎めを受けない、そんな存在である。
主人公のティーもそんなマーダーの一人であったが、今ではヒモとしていろんな女性ととっかえひっかえ付き合ったりしながら怠惰な生活を送っている。
そんなティーの元に、3年前に別れたかつての女から電話がかかってくる。アール。彼女もマーダーであり、とにかく素晴らしい女だった。
アールはティーに、私の悪い噂がどんどん流れてくると思うけど、私は変わってないから、とだけ伝える。
ティーはそんなアールからの連絡を受けて、自分の友人達の元を周り、アールについて尋ねるのだが…。
というような話です。
なかなか評価に困る作品です。辻村深月の作品としては物足りないけど、新人作家のデビュー作として見るならそう悪くはないか、という感じ。恐らく辻村深月としても、自分自身の作品と言うよりは、チヨダ・コーキの作品にするという気持ちで書いただろうから、その辺りのことを考慮して評価しないとフェアではない。だから、ちょっと難しいな、と。
正直、ストーリーにはちょっと納得出来ないですね。若干ネタバレになるかもですけど、結局最後まで、アールがどんな事情を抱えていたのか明かされません。もちろんこれも解釈次第だろうけど、僕はちょっとこれはさすがに不親切かなと思いました。やはりそこは描くべきではなかったかなと思います。
ティーが様々な人間と関わっていく部分は実によかったですね。この辺りの、人間の機微というか優しさというか、そういう微妙なバランスみたいなものは、ホントこの作家はうまく書くな、という感じがしました。いつもの辻村深月らしさを消そうとしたのか、語り口が軽い感じで、それが作品全体の雰囲気をちょっと変な方向にズラしてしまっている感じもしないではないけど、次々に出てくるキャラクターとの触れ合いはなかなかよかったと思います。
物語の設定がなかなか魅力的だっただけに、この分量はちょっともったいないなという感じがします。本書がどういう経緯で出版されることになったのか定かではないけど、もしかしたら辻村深月としては書きたくなかったかもですね。わかりませんけど。魅力的な設定の割に分量が短いことや、アールの状況が描かれていないことなんかを考えると、書きたくなかったけど書かされた、みたいなイメージが湧いてくるんですけど、どうなんだろうなぁ。あくまで、想像ですよ、これは。
辻村深月のことをまるで知らない人が、ちょっと読んでみようかなと思って読んでみると割と楽しめるかと思います。辻村深月のファンが読んだら、やっぱりちょっと物足りなく感じるでしょうね。なかなか評価の難しい作品だなと思いました。悪くはないですけど、積極的に人に勧める本ではない、という感じです。

辻村深月「V.T.R」






天帝のはしたなき果実(古野まほろ)

そんな風に、二人はまた何でもない会話を続けていたのだけれど、次第に志保は、お母さんの話をしなくてはいけないような気持ちになってきた。普段自分が働いているのと似たような居酒屋にいるからかもしれない。どこかでまた、浮気だの二股だのという話が行われているような気がしてきて、そう考えると何だか落ち着かない気持ちになってきた。それで会田君にも話を聞いてもらいたくなったのかもしれない。
「唐突であれなんだけど」
「ん?」
「いや、こんな話会田君にしなくてもいいのかもしれないんだけれど」
 会田君は少しだけ真剣な顔になって、でも、話したいことがあればなんでも話せばいいじゃん、と軽さを残した風に返した。
「ちょっと前に、お母さんがいなくなっちゃって」
 そう言ったすぐ後で、これじゃあ会田君を家に誘ってるみたいに聞こえちゃうかも、と思って焦った。でも会田君の返事で、そんなわけないか、と思った。

「失踪シャベル 14-8」

内容に入ろうと思います。
本書は、「虚無への供物」に人生を狂わされた(らしい)名編集者・宇山日出臣氏が最後に放ったミステリの傑作、というような触れ込みです。確か、新四大ミステリとかいう奴の1作にも挙げられていたような気もします。
舞台はとある高校の吹奏楽部。そこでホルンを吹いている古野まほろが主人公。フランス語を織り交ぜた、とても高校生とは思えないような会話を交わす吹奏楽部員たちに衝撃が走る。吹奏楽部にもよく顔を出し、古野まほろの親友でもあった、生徒会長の奥平が、首を切断されて殺されているのが見つかったのだ。
高校に隠されているらしい謎を追いつつ、間近に迫ったコンクールに向けて練習に励む部員。しかしそのコンクール当日にも、また悲劇が…。
というような感じです。
いやー、これはちょっと僕にはダメでしたね。正直言ってわけわからん!って感じでした。
いや、たぶん作品としてはかなりレベル高いと思うんです。好き嫌いはきっとはっきり分かれる作品でしょうが、作品としてのレベルはたぶんかなり高いと思います。キャラクターの造形、大風呂敷の広げ方、ストーリーの展開、ごちゃごちゃとした様々な装飾などなど、結構どれをとってもレベル高いと思います。ただ残念ながら、僕にはどうしてもまったく受け付けない作品でした。
何がダメなのか考えてみて、うまく説明出来るか分からないのだけど、結局「どういう方向に話が進んで行くのかまったく想像出来ない」という点が僕には無理だったのだろうな、と思うんです。これは、物語全体という部分でも、あるいはちょっとした場面の登場人物同士の会話とかそんなことでもいいんだけど、とにかくそれがどう展開して行くのかまるで読めない。
例えば本書の中で僕がここは結構面白いなと思った部分は、コンクール当日死体を見つけて、それについて吹奏楽部全員で推理をする場面。ここは、探偵小説ではお約束の展開、という感じで先を読みやすかったし、難しい流れもなかったので、純粋に物語を楽しめたな、という感じです。
でもそれ以外の場面では大抵、例えば登場人物同士が会話をしていても、その会話がどこに着地するのか全然分からないんです。物語全体に関わる話をしてるのか、あるいはただの雑談なのか。小説読んでたら、そういうのってなんとなく分かると思うんです。あー、なるほどこの会話はこういう方向に進んで、こういう風になるんだろうな、とか。もちろん外れることもありますけど、本読んでる時ってそういうことを考えてるんじゃないかって思うんです。でもこの小説は、それを拒絶するんですね。先が読めない。真っ暗の中を歩かされているみたいな感じで、読んでて凄く疲れるのだ。それが、どうも読んでて楽しくなかったんだろうな、という感じがします。
というわけで、内容についてはほぼ触れていませんが、僕にはちょっと合わな過ぎた物語だったということでお許しを。僕個人はオススメしませんが、作品自体の質は高いと思います。長いですが、興味のある方はどうぞ。

追記)amazonでも評価は真っ二つ。まあ当然だろうけど、新人のデビュー作だと考えれば、そこまで酷評されるべきだろうか、とも思う。好き嫌いが分かれることは間違いないけど、作品自体の質は高いと思っているので。

古野まほろ「天帝のはしたなき果実」




さよならペンギン(大西科学)

夜はどこにでもあるようなチェーン店の居酒屋に入った。この前お洒落なバーに行った反動だろうか、二人ともチェーンの居酒屋の雑然とした感じが少しだけ恋しくなっていた。ボタンを押せばスタッフがやってくるシステムとか、名前と味が一致するお酒とか、そういうありきたりの安心感みたいなものに自分たちの日常生活が支配されてしまっていることに気づいて、あの映画の監督は、こういうあまりにも日常的すぎて気づかなくなってしまっている檻を、犬という具体的なものに置き換えることで破壊しようとしていたのかもしれない、と柄にもなく難しいことを思ったりもした。
 二人とも飲み慣れたお酒と、新メニューと書いてある料理をいくつか選んで注文した。
「こうやって居酒屋に来るとさ、今度はあっちのバーが懐かしくなるね」
「じゃあこれからは交互に行こっか」
「マスターが横にいても驚かない訓練をしないと」

「失踪シャベル 14-7」

内容に入ろうと思います。
本書は、ライトノベルの領域で活動していた著者が初めてラノベ以外のレーベルから出した作品です。
主人公は、塾講師の南部観一郎、年齢1500歳以上。ペンダンという名の、ペンギンやら小さな女の子やらの姿になる存在と一緒に生活をしています。
南部観一郎は、自らを『観測者』であると考えています。世界は常に分岐し、並行世界を生み出している。その数は膨大で、確率的にはどんなにありえないことが起こる世界でも、存在しうる。
さてその中では、『南部観一郎という男が常に生き続ける世界』というものも、確率はものすごく低いが存在しうる。南部観一郎は、その確率の低い分岐を『観測する』ことによって選びとっている、それによって死なずに長生きしている、という存在です。
塾講師をしている南部観一郎は、春休みである一週間を使って、自分と同じ観測者を探そうと、あてどもない探索に乗り出すことにします。しかしその探索の途中、ペンダンが何者かに襲われる。それはきっと、彼らがこれまで探し続けてきた同類に違いないのだが…。
というような話です。
全体としては、ちょっとうーん、という感じでした。設定の部分にはSFっぽい部分はちょっとありますが、展開にSFっぽさは特にありません。ストーリー自体は、中年のオッサンとペンギン(あるいは女の子)との日常が中心になってきます。まあ後半、ちょっと激しい展開になりますけどね。
物理学の量子論の話が出てくるんですけど、これが結構ハードル高いだろうな、と思います。僕はこれまでにも、量子論に関する本を結構読んできてるんで、量子論の持つイメージみたいなものを思い描けるんですけど、量子論についてまるで知らない人がこの本を読んでも、どうして南部観一郎が1500年以上も生きているのか、全然理解できないのではないかなと思います。
本書ではそれを、くじびきに例えてこんな風な説明をしていました。
当たりくじと外れくじの入った箱からくじを引く、ということを考えてみる。何回か引けば、その中の当たりと外れの分布みたいなものをある程度予測することは出来るかもしれないけど、一度だけ引いただけではそれを推測することなどは出来ません。
さてここで、そのくじを引いて外れだった場合、横にいる拳銃を持ったヤクザに殺されてしまう、としましょう。そのくじをものすごくたくさんの人がやったとして、最後まで残った人というのがどういう人かといえば、引いたくじが全部当たりだった人、なんですね。
観測者というのは、この引いたくじが全部当たりだった人、みたいな存在です。南部観一郎も、他の並行世界では死んでいたりするわけです。でも、南部観一郎が死んでしまった世界は、南部観一郎の意識によって観測されることはない。当たりくじを引き続けるようにして、南部観一郎は南部観一郎が生きている世界を『観測する』ことによって長生きしているわけです。
そういう意味で、ほとんどの人間が観測者である、ということが出来ます。ただ、その観測者同士の世界が重なりあうことは稀です。さきほどのくじびきの例に戻れば、ある時点までで生き残っている人は、それなりにはいるかもしれないけど、でも数は少ない。南部観一郎と同じ世界を観測している観測者の数は、限りなく少ないわけです。
南部観一郎はその観測者を探す、という話なわけなんですけど、でも何でその観測者を探したいのかという動機がイマイチよく分からないんですね。ただなんとなく、1500年も生きてるし、他の観測者だってきっといるだろうし、だから探そうか、ぐらいのノリにしか感じられないんだよなぁ。なんか切羽詰っているものがないから、どうしても乗り切れない。
あと、南部観一郎らが見つけることになる『他の観測者』とのやり取りが正直よくわからなくて、なんでいきなりこんな展開になってるんだ?とハテナマークが炸裂することになる。観測者探しの動機も分からないし、見つけた後の対応もよく分からないしで、何だか全体的によく分からないなぁ、という感じでした。
どうせなら、塾の生徒だった長谷川さんとかとの関わりをもっとメインに描く方が面白かったような気もします。正直、ストーリーがあんまり魅力的ではないなという感じでした。
量子論に関する部分は、物理が好きな僕としては結構面白いと思うし、観測することによって世界を選びとり、結果的に長生きするという設定も面白いと思うんだけど、これも一般的に受け入れられる設定ではないよなぁ、という感じもします。
南部観一郎とペンダンのやり取りはそこそこ悪くないものの、特筆していいというわけでもなく、キャラクターも今ひとつ乗り切れていないという感じでした。
まあよかった点は、全体的に漂う哀愁でしょうか。帯にも、「哀愁の量子ペンギンSF」なんて書いてありますしね。まあ作品全体の雰囲気みたいなものはそんなに嫌いじゃないんだけどなぁ。
というわけで、そんなに面白くない作品だったなぁ、という感じです。あんまりオススメは出来ません。SF好きな人だったら、どうなんだろうなぁ。SF自体そこまで得意ではない僕としては、その辺りのことはよく分からないです。

大西科学「さよならペンギン」




AV黄金時代 5000人を抱いた伝説男優の告白(太賀麻郎)





携帯電話で誰かと喋りながら歩いている女子高生を見て、ふと手芸屋に行きたくなった。女子高生が持っていた携帯電話にストラップがたくさんついているのを見て、会田君に作ってあげたくなったのだ。そういえば昔、カナちゃんとアカネちゃんに、三人お揃いのストラップを作ってあげたことがある。志保は自分の携帯電話につけたけれど、カナちゃんとアカネちゃんはいつまで経ってもつけてくれなかった。そのうち、自分だけつけているのも嫌になって外してしまった。
 時々行く手芸屋に会田君を連れて行って、材料を見定めた。
「携帯のストラップとか作ったらつけてくれる?」
「もちろん。どうせなら記念に、犬のストラップなんかがいいな」
 手芸屋に長くいても会田君は退屈だろうと思って、家にある材料を思い浮かべながら手早く足りないものを探し出した。ここ最近ばたばたしていて、なかなか手芸をする時間がなかったのだけれど、こうやって目的がはっきりすればどうにか時間を作れるだろう。一つ楽しみが増えて志保はうきうきする気持ちを抑えるのが難しかった。

「失踪シャベル 14-6」

内容に入ろうと思います。
本書は、80年代に伝説のAV男優として活躍した著者が、その時代のことを語った作品になっています。
著者は、超がつくほどファッション業界では有名な父親を持つお坊ちゃんだったのだけど、高校時代ぐらいから生き方が変わっていく。高校時代に、周りの人間に貸すためにビニ本を手に入れていた頃から、その世界になんとなく惹かれていたのだろう。大学時代に、まだ「アダルトビデオ」という言葉さえも生まれていない頃に、「エロビデオの男モデル」という広告を見かけて、どんな仕事なのかも分からず飛び込んだ。そして一仕事終えた後で、父親を超えるにはこの世界でトップになるしかないと思い、そのまま「アダルトビデオ」の創生期から業界に関わることになったのだ。
だから本書は、太賀麻郎という男優の視点から見たAV史でもある。最近ちょくちょく、主に新書なんかでAV史的な本が出てきているけど(まあ読んではいませんが)、当時のトップ男優視点のAV史というのはそうあるもんじゃないだろうから、そういう意味でも貴重ではないかと思います。
太賀麻郎は90年代に入る頃にはもうAV男優を辞めてしまうんだけど、その間のエロビデオというのは、きっと今のようなアダルトビデオなんかとは全然違うんだろう、と思わされました。その当時のビデオとかまるで見たことないんで分からないんですけど、アダルトビデオ創生期の人たちは、ピンク映画を撮っていた人たちが作ったのではなくて、元々はビニ本なんかを出しているエロ本の出版社が出していたらしい。ピンク映画というのは、高いフィルムを使っているという事情のため、セリフも演出もすべて決まっていて、しかも本番もなしという代物だったわけで、それはエロなのか?という反発からエロビデオが生まれていったのだとか。著者が出演したエロビデオの内容についても結構いろいろと書かれるのだけど、今の基準からすればありえないような演出、展開、設定、そして映像美なんかを追求している作品も結構あったみたいです。しかしそう言われても、そんな映像なのかまるで想像出来ないわけで、本書を読んで、その80年代のエロビデオを凄くみてみたくなりました。たぶん、本書を読まずにその時代のエロビデオを見ても、なんだこりゃ?という感じになったかもしれないけど、本書を読んだ今では、ちょっと違った視点から当時のエロビデオを見ることが出来そうな気がします。
また太賀麻郎は、プライベートもかなりいろいろありました。同時並行で100人以上の女性と付き合っていたこともあるとかで、自宅には常に誰なのか分からないような人たちがつねにたむろしていたとか。男優や女優が太賀麻郎の家に集まるので、一種のプロダクションみたいな形で機能し、後にある男が本当にそこをプロダクションにしてしまうなんてこともありました。
また、結構本気で付き合っていた印象に残っているAV女優の話も結構書かれています。もちろん、現代のAV女優だってこういう背景を持っていたりするのかもしれないけど、でもそういう時代だったんだなと思わせるような、なかなか軽く流せないような話も結構出てきたりします。後でも書くつもりだけど、AV男優なんて仕事をしていながら、太賀麻郎という人間は基本的に硬派で、そういういろんな状況にもきっちりと対応する凄い人間、という印象が残りました。
ヤクザ的な人間と関わることがあったり、業界内部のイザコザに巻き込まれたりといろいろあって大変だし、そもそも現在は結核の治療中で、元妻に去られて二人の娘を男手ひとつで養育中というなかなか大変な状況なんだけど、それでも芯はブレないというか、いやはや凄いなという感じでした。
まあそんなわけで、全体をまとめるとすると、太賀麻郎というトップAV男優視点による80年代のAV史という感じの内容です。
これはなかなか面白い作品でした。僕は別にAVとかを死ぬほど見てるなんて人間でもないし、AV男優になりたい人間でもない、まあどこにでもいるような普通の男で、本書に出てくるAV女優の名前なんかほぼ一人も知らないんだけど、それでも充分楽しめる作品でした。理由を考えてみると、やっぱり太賀麻郎という男自体に大きな魅力があるんですね。それで読まされてしまう。
父親への反発からAV男優になった、というのも何だか突拍子もないけど、子供の頃からモテまくってたけど、とにかく来るのもは拒まなかったというのも凄い。その理由が、『女の子の方から「抱いてください」「セックスしてください」というのはすごくハードルの高いことだと思っていたから、そんな娘に「君は好みじゃないからゴメンネ」なんて言えなかった』とのこと。まあ偉いんだかなんなんだかよく分からないんですけど、本人も書いてるけど、そういう変なところが硬派な人間なんですね。
しかも、モテモテだったくせに、『セックスは大人になってからじゃなきゃいかん』とか考えていて童貞喪失は18歳。その後も、自分は遊びと割り切っているけど相手が本気であるような時はセックスをしなかった、みたいなことも書いているわけで、まあそもそも結構変わった男だったみたいですね。
その太賀麻郎が、父親と仕事についてやりあう話も面白かった。脱線するけど、この父親というのはまさに天才だったらしくて、太賀麻郎自身も、勉強にしてもスポーツにしても、ほとんど何もしなくたってかなり出来ちゃうという嫌味な人間なのだけど(と自分でも書いている)、父親はさらにそれに輪を掛けたような男だったようです。子供とは基本的にコミュニケーションを取らなかった父親が、太賀麻郎と唯一した遊びが、太賀麻郎に広辞苑に載っている言葉を読ませ、それを父親が書くというもの。太賀麻郎の記憶する限り書けない漢字はなかったとのことで、「自鳴琴(オルゴール)」なんていうのも普通に書けたんだとか。
そんな父親は太賀麻郎の仕事を知るや、当然のことながら烈火のごとく怒り、「誇りを持って仕事をしてる」という太賀麻郎に対し父親は、『僕は今、アダルトと呼ばれているビデオに出て、セックスをしてお金を稼いでいます。でも、これは僕個人の問題で、親戚の皆さまには決してご迷惑をおかけしませんので、どうかお許しください』という文字を書き、「親戚一軒一軒を回ってこれが言えるか」と言われ、太賀麻郎は「お安い御用で」と答え、実行してしまったりするんですね。こりゃあ凄い。
しかも母親に対してはこんなことも言っている。
『どっちが正しいかと言えばきっと親父の言ってることの方が正しいよ。でもね、母さん。俺はあやまらないから。俺は思うところがあってことの仕事をしてるんだ。上っ面でやってるわけじゃない。だから、出て行けって言うんなら出ていくよ』
これと似たような考え方は、僕も普段からしてるんです。僕も、自分が正しいと思って考えていることややっていることって、世間の常識に合わないことが多いんです。だから僕も、『確かに世間の常識の方が正しいんだろうとは思う。でも、僕自身が世間の常識に合わせなくちゃいけない理由が分からないし、だから僕は自分の思う通りにやる』と思っています。そういう意味でちょっとシンパシーを感じます。
またこんな風な描写もありました。
『俺は男優という仕事に誇りはもっていたが、別に褒められるようなことはしてないと思っていた。別にヤクザより偉いわけじゃない』
これは、俺の女に手を出して!みたいにヤクザに言われた的な描写のところなんだけど、なんていうかこういう風に考えられるというのはちゃんとしてるなと思ったわけです。
また、AVにおける本番についての著者の考え方も面白いなと思いました。この当時、まだモザイクの技術がさほどでもなかったこともあって、AVの現場では挿入をしない擬似セックスの場合もかなり多かったとか。本番をしなくていい、ということで何も知らない素人を大量にこの世界に送り込んだりしたようです。
著者は、そもそもエロビデオの創生期には、本番であるかどうかなんていうことは大した問題ではなかった、と書いています。監督たちは、それまでのピンク映画が出来なかった表現をやろう、というところに主軸があったわけで、本当に挿入しているかどうかなんてのは二の次だったようです。
そもそもこの当時、今の僕らにはなかなか想像し難いんだけど、日本の大抵の男達は、『女というのは自分が心から好きな男以外とはセックスしない』とか『女はオナニーをしない』とか『ソープのお姉さんもキスだけは恋人のためにとってある』とか思っていて、ビデオでセックスをするなんていうのは異常に性欲が強い女か貞操観念がぶっ壊れているかどちらかだ、なんて思っていたようなんですね。
著者自身は、AV男優という仕事を通じて、セックスとは何かということを考え、挿れているかどうかは関係ない、という考えになります。太賀麻郎というAV男優は、体よりもまず心を開かせるタイプの男優だったようで、そのために、AV女優のデビュー時にはかなり声を掛けられたとか。抱き合っているだけでもエクスタシーに達することもあるし、挿れていてもただお互いがオナニーしているだけのセックスもある。本番をしているから売れるわけでもないし、擬似セックスの絡みがうまい女優は全員間違いなくスターになったとか。なんと当時は、立原友香というAV女優が、AV女優にも関わらず処女なんだと公言していたとか。面白い時代だと思うし、そういう話を聞くと、やっぱり当時のエロビデオを見てみたくなるな、という感じがします。
というわけでかなり面白い作品だったんですけど、一点だけ残念な点が。それは、結構誤字脱字が多いんですね。普段本読んでてそこまで気づかないんだけど、本書は結構ある。というわけで気づいた分だけここに書いて感想を終わろうと思います。

P142「それを生身の人間で再見するのはとても難しい」→「それを生身の人間で再現するのはとても難しい」

P151「いや、身体すら見えていないもりばかりだった」→「いや、身体すら見えていないものばかりだった」

P271「連絡先なった。」→「連絡先になった」

P332「相手の求めるものを探して与えるたわけだ。」→「相手の求めるものを探して与えたわけだ。」

というわけで残念ながら誤字脱字の多い本でしたが、内容はかなり面白い作品だと思いました。別にグロい話が出てくるわけでもないんで、女性でも普通に面白く読める作品ではないかなと思います。是非読んでみてください。

太賀麻郎「AV黄金時代 5000人を抱いた伝説男優の告白」




あられもない祈り(島本理生)

喫茶店を出た二人は、町をぶらぶらと歩いた。どちらともなく手を繋いでいた。志保は映画のワンシーンを思い出していた。女は最後犬に戻った男を飼うことになるのだけれど、お手をした時に、かつて人間だった時に男と手を繋いだことを思い出して泣くシーンだ。会田君がもし犬だったらと想像しておかしくて、志保は繋いだ手をぶんぶん振り回してはしゃいだ。会田君は突然はしゃぎだした志保を楽しそうに見ていた。
 狭い路地に入ったり、外観からでは何を売っているのかわらないような店に入ってみたりした。ちょうど野良犬を見つけて、映画を見た後だったからいつも以上に可愛がってあげたりした。もし犬にされちゃったらどうする、と会田君が聞いてきた時、ふとマルイさんのことを思い出して、駅長として人気者になると答えたら、なにそれと言って笑われた。

「失踪シャベル 14-5」

内容に入ろうと思います。
私は、かつて好意を寄せられていたあなたと久しぶりに再開する。あなたは結婚するらしいけど、それでも私のことが好きだという。私は、時々殴ってくるような男と同棲してるけど、それでもずっと一緒にいてくれる男の方がいい…。
という感じです。
内容紹介があまりにも適当ですけど、もうしょうがないんです、これは。いやー、久しぶりにつまらない作品を読んだなぁ。結構良い評判を聞いていたんで、それなりに期待して読んだんですけど、これはちょっとなぁ…。いや、もしかしたらこういう作品が好きな人もいるのかもしれないし、もしかしたら僕に合わないだけなのかもしれないけど、それでもちょっとこの作品は、作品としてのレベルが低いような気がしてしまいます。どうなんだろうなぁ。女性が読んだらまた違うのかなぁ。
基本的に女性向けの作品はかなり読める方だと思うんですけど、物語の主軸が恋愛側に倒れすぎている作品はちょっとダメだったりするかもしれません。だからこの作品のことをうまく捉えきれていないという可能性もありますが、ちょっとこれは駄作のレベルに入るのではないかな、と思ったりもします。感想を書く前にamazonの感想を見ましたけど、やっぱり酷評でした。それを読んで、ちょっとほっとしましたよ、僕は。もしこの作品が絶賛されてたら、うーんと唸ってしまうところでした。
まあそんなわけで、僕の中では久々にとんでもない駄作を読んだな、という印象です。いや、もしかしたら人によってはこういう作品が好きなのかもしれないけど、ちょっとオススメ出来る作品ではありませんね。島本理生の作品はこれが3作目ですけど、やっぱり基本的に僕には合わない作家みたいです。

島本理生「あられもない祈り」





密室殺人ゲーム2.0(歌野晶午)

志保はカナちゃんのことを思い出した。世間の流行に乗って、それをいかに知っているかで人間の価値が計られると思っているような女の子。カナちゃんの生き方を否定する気はないけれど、志保は会田君が自分と似たような感じの男の子でよかったと思った。
 あの映画における犬は流行の象徴で、男はそんな資本主義の持つ原罪みたいなものを否定しているんだという説を会田君が持ち出し、でもそれだと最後女が犬に戻った男を飼うことになるシーンがよく分からないねと志保は答えた。女優の演技がうまかったとか、あの場面で流れた音楽は気に入ったとか映画の話を続けた。あんなよく分からない映画でも、こうやって二人の間に話題を提供してくれているのだから、どんなものでも存在価値があるものだなと思った。その連想から父親のことを思い出した志保は、あの父親も誰かにとって価値のある人なのだろうかと思った。

「失踪シャベル 14-4」

内容に入ろうと思います。
本書は、「密室殺人ゲーム王手飛車取り」の続編です。今日はちょっとあまりにも時間がないので、どんな設定の物語なのかは、「密室殺人ゲーム王手飛車取り」の感想
http://blogs.dion.ne.jp/white_night/archives/9183617.html
の方を見てみてください。

「次は誰が殺しますか?」
警察に、ゲームで人を殺した、という男が捕まった。メンバーたちは、自分たち以外にも殺人ゲームをやっている人間がいると知り憤りつつ、ほんの僅かな手がかりから、彼らが一体どんなルールで殺人ゲームを行っていたのか推理する。

「密室などない」
<伴道全教授>による、お遊びのような問題。

「切り裂きジャック三十分の孤独」
<ザンギャ君>による出題。地下室でバラバラ死体が見つかる。問題は密室。内開きのドアの内側に、被害者の切断された足が置かれていて、第一発見者である被害者の娘は、なんとか力任せにドアを押し開いてなんとか部屋に入ることが出来た。さてどうやって密室を創り上げたか…。

「相当な悪魔」
<頭狂人>による、予告殺人。夕方に綱島にいた<頭狂人>が、夜に大阪にいたはずの被害者を殺すというアリバイトリック。どうやったらそれが可能だったのか…。

「三つの閂」
<aXe>による、雪密室殺人事件。屋外のゴミ捨て場に置かれた透明な箱らしきものに死体があった。問題なのは、その死体があった箱の周囲に降り積もった雪の上に足跡がなかったこと。しかもその透明の箱には、閂まで掛けられている。一体どうやったのか…。

「密室よ、さらば」
<044APD>による出題。マンションの一室で男女の死体が見つかる。被害者の男はマンションの住人ではなかったのだが、その男の出入りをマンションの管理人は見なかった。被害者である男と犯人は、一体どうやってそのマンションに侵入したのか…。

「そして扉が開かれた」
そして次巻に続く、か?

というような感じです。すいません、ちょっとホント時間がないんで、内容紹介大分適当です。
まあ僕の印象としては、「密室殺人ゲーム王手飛車取り」とさほど変わらないかな、という感じでした。まあ内容も構成も大体同じなんで当然と言えば当然なんですけど。基本的に、誰かが問題を出し、誰かがそれを解く、という感じですね。一番初めの「次は誰が殺しますか?」だけが趣向が変わっていて、ちょっと面白いなと思いましたけど。他人がやっている殺人ゲームを推理するというのは、発想としてはなかなかではないか、と思いました。さらにこの話は、全体を通じてゆるく伏線としても機能してるんじゃないかと思いました。
しかしまあ、誰もが驚いたでしょうが、まさか続編が出るとは、という感じでしたね。前作を読んだ人間は、続編を期待できる終わり方ではなかったと口を揃えていうことでしょう。本書はその続編の作り方としてなかなか秀逸だと思うし、続編を成り立たせている部分がさらにミスリードになっていたりと、なかなかうまい構成になっているなと思いました。タイトルの「2.0」という部分も、なるほどなと思わせる感じはありますし。そういう、よくぞこのシリーズで続編を生み出したものだ!という部分は賞賛に値するな、と思いました。
それぞれの話としては、とりあえず「三つの閂」は全然理解できませんでした。トリックの肝になっている部分の説明があんまりよく理解できなくて、消化不良という感じがしました。いや、たぶん僕の理解力の問題なんだろうとは思いますけどね。
「相当の悪魔」は、トリック自体というよりも、プラスされていたサプライズがなかなか読みどころかなという感じです。こういうのは嫌いじゃないです。
「切り裂きジャック三十分の孤独」は、ちょっとさすがにそれはー、という感じでした。確かに実行出来なくはないのかもしれないけど、うーん、という感じでした。
「密室よ、さらば」は、これもトリックが云々というより、別の意味での真相がなかなか衝撃的で面白いと思いました。
まあでも、このシリーズ、本格読みには結構評価が高いみたいなんだけど、僕としてはちょっとなー、という感じ。やっぱり昔ほど本格っぽいものに興味を持てなくなってきてるんだろうな、という感じがします。嫌いじゃないけど、そこまで高い評価が与えられるような作品か?という感じがしてしまうんですね。まあこれは好みの問題なんで、僕としてはそこまで素晴らしいと言える作品ではないんですけど、本格読みにはウケるんだろうなと思います。まあやっぱり設定は秀逸ですよね。普通の本格ものでは無視されてしまうような現実感やディテール(それは本当に実行可能なのか?思い通りの天気にはなかなかならないぞ…というような部分)を結構適当に流さないで書いているんで、そこがそれまでの本格モノとはかなり一線を画す形で面白いと思います。
まあそんなわけで、本格読みの方にはオススメ出来るんだろうと思います。そうでない方は、そこまで読まなくてもいいかと思います。結構面白いんですけどね。

歌野晶午「密室殺人ゲーム2.0」




光媒の花(道尾秀介)

二人が見た映画は、犬を殺し続ける男と、その男を愛してしまう女の話だった。男は、自分にはどうにもならない衝動に駆られて犬を殺してしまう。犬が好きな女は、そんな男に怒りを覚えるのだけれど、次第に好きになっていってしまう。そのうち、自分も犬を殺す手伝いをするようになってしまい、女は苦悩する。実は男は元々犬で、魔法で人間にされてしまっていたらしい。それに気づいた女は、なんとか男の魔法を解こうと奮闘する。犬に戻ることが出来た男は、女の元で飼われることになった、というストーリーだった。
「よくわからなかったね」
 近くにあった小奇麗な喫茶店に入った二人は、そこで軽くお昼ご飯を食べることにして、ランチメニューを注文した。店の外に風鈴が吊るされていて、時々聞こえてくるその音が、夏の予感を運んで来ていた。
「確かにね。まあでも、大衆向けの映画を見て失敗するよりは全然有意義だよね」
「それはそうだね。ハリウッド映画とかあんまり好きになれないし」

「失踪シャベル 14-3」

内容に入ろうと思います。
本書は、6編の短編が収録された連作短編集です。

「隠れ鬼」
印章店を営む主人公は、認知症を患った老いた母親と二人で暮らしている。どうにかこうにか母親の介護と仕事を両立させられるようになったある日、母親が画用紙に何やら絵を描いている。
竹の花の絵に思えた。30年に一度花を咲かせるという竹の花だ。
まだ父親が生きていた頃、年に数度祖父が遺した別荘に行っていた。そこで出会った一人の女性。むせ返るような緑の中で出会ったその女性と少年だった主人公は、別荘に行く時だけやり取りのある、そんな関係だった。
まさか母親が描いているのは、あの光景なのだろうか…。

「虫送り」
いじめという程でもないが、同級生とうまくやっていけていない少年は、妹と一緒に川辺で虫を取る習慣があった。虫を取らないこともあったが、とにかく妹と一緒に川辺で過ごすことが日常だった。
二人が川辺にいると、いつも川向こうで懐中電灯の光を見かけた。二人はその川向こうの光を、自分たちと同じ兄妹だと勝手に思うことにしていた。今日も懐中電灯の光は見えたのだけど、すぐ消えてしまった。
しばらくすると、一人のおじさんが声を掛けてきた。臭いのキツイ人だった。虫取りをしていると言うと、良い方法を教えてくれるというのだが…。

「冬の蝶」
かつて昆虫学者になろうと夢見ていた男は、少年時代のことを回想していた。ある日川辺で、それまで話したことのなかったサチというクラスメートと話すことになった。そしてそれから彼は毎日、サチに会いに川辺に向かった。
サチは物静かではあったが、彼の昆虫の話を興味深そうに聞き入ってくれた。クラスメートに彼女の評判を聞くと、「汚い」「貧乏」という印象がまっさきに上がるのだが、彼はそんなことは気にならなかった。
ある時彼女は、いつもの場所にいなかった。少し離れた橋脚の下にいた。それ以後もサチとはいつものように会っていたのだけど、あの時サチが彼とこれからもう会わないことを選択しかけていたのは間違いない。
ある日、ふとした偶然が重なってサチの家に行くことになったのだが…

「春の蝶」
出勤前、隣の部屋に警察がやってきていた。急いでいたのでその時は、何か物音を聞きませんでしたか?と警官に聞かれただけだったが、後で聞くとどうやら大金を盗まれたとのことだった。
川辺で、隣に住んでいる女の子を見かけて声を掛けたのだけど、反応がなかった。すぐに祖父がやってきて事情を聞くと、どうやら女の子は耳が聞こえないようだった。何でも昔、自分が聞いた会話を母親に告げたせいで両親が離婚してしまったのだ、と思い込んでいるらしく、心理的な理由で耳が聞こえなくなってしまっているらしい…

「風媒花」
トラックの運転手をしている主人公は、急遽入院することになった姉を見舞うべく病院へ向かった。そこで母親の姿を見かけ、咄嗟に姿を隠してしまう。
父親が癌で死んでから、母親との関係がどんどん悪くなっていった。父親の病状に回復の見込みがないと知るや、性格まで一変したかのような母親の態度が許せなかったのだ。
姉は、食道にポリープが出来ただけだというが、日に日に痩せていく姿は父親のことを思い出させるが…

「遠い光」
小学四年生のクラス担任である主人公は、再婚によって名字が変わるクラスメートを気にかけていた。名字が変わるからというわけではなく、普段からおとなしくほとんど喋らず、周りと打ち解けていないように見えたからだ。テストは全教科ほぼ満点であり、成績は問題ないのだけど、教師なりたての彼女からしたらどうしたものかと悩む存在だ。
そんな女の子が問題を起こしたから現場に向かってくれと教頭から連絡がある。どうやら、テレビで紹介された猫に石を投げて殺そうとしたというのだ。女の子は家主に謝らず黙りこくったままで、結局家主を怒らせてしまう…。

というような話です。
つい先日本作品で山本周五郎賞を受賞しています。賞をとったからどうということはないんだけど、やっぱり素晴らしいですね、道尾秀介は。デビュー作の頃と比べると、もはや雲泥の差、という感じがします。同じ作家の作品なんだろうか、と。
本書はまず構成が見事ですね。もちろんこういうタイプの作品は他にもあるでしょうけど、うまいと思います。連作短編集なんですけど、作品同士の繋がりというのはそこまではないんですね。でも、前の短編にチラリと出てきた人物が、次の短編では主人公になっている、という構成になっています。なので上記の内容紹介では、登場人物の名前や関係性なんかをなるべく書かずにおきました。これから読む人の興を削いではいけませんからね。
人間の描き方が素晴らしいんです、ホント。道尾秀介と言えばトリックで驚かせる、みたいなイメージを持っている人ってまだ結構いると思うんですけど、それは初期の作品だけなんですね。最近の作品になればなるほど、冷たいような硬質な文章で、人間を鋭く描いていくような作品になっていくんだけど、本書もまさにそんなタイプの作品で、しかもそのレベルがもの凄く高い。
一つ一つのストーリーは、さほどインパクトのあるものではないんですね。物語の骨子だけ抜き出してしまえば、正直そこまで小説になるような題材ではないような話が多い気がします。実際下手な作家が同じモチーフで小説を書いてもなかなかうまくいかないんじゃないかなと思います。
それを見事な小説に仕立て上げているのが、人間の描写力とでも言えばいいでしょうか、一瞬一瞬の感情の変化さえも捉えようとするような緻密な描き方が凄いです。主人公たちは、それぞれの狭い世界の中で、大小はあれど絶望しています。あまりにも深い絶望を主人公と一緒になって潜りながら描いていく話もあれば、さほどの絶望ではないけれどもきっちり寄り添って支え合うようにして描いている話もあります。
主人公視点で描かれるそれぞれの「狭い世界」。しかしそれが主人公にとっては世界のすべてです。外の世界の価値判断からすれば明らかに異常な物事を、「主人公視点の狭い世界」を濃密に描くことで、その異常な物事をその短編の内部だけでは「正しい」という価値観に転化させているような、そんな印象がありました。主人公たちはそれぞれ悩み、苦しみ、覚悟し、諦め、哀しみ、そうやって人生を生きていきます。そういう、「絶望」と寄り添っている人々を丁寧に描いた傑作だと思います。
あと、そこだけ取り上げて褒めるのも変かもしれませんけど、ちょっとエロいシーンをもの凄く上品に描くんで驚きました。いくつかの短編で、ちょっとエロいシーンが出てくるんだけど、まったくいやらしくないんですね。それでいて、その場面だけはするっと頭の中で思い浮かぶ。言葉の選択や表現の仕方がうまいんだろうけど、ちょっと感心しました。なるほど、ああいうことをこんな風な日本語で表現できるものなんだな、と。初期の作品はトリックで驚かすことがメインだった著者ですが、最近は本当に文章の巧さが際立っているなと思います。まだ若い作家なのに(まだ35歳とかですよ)、これだけの文章が書けるんだから、ホント大したものだなと思います。凄い作家が出てきたものです。
しかし相変わらず文句を言いたいのは帯。「山本周五郎賞受賞作」はもちろんいいんですけど、下の方にこんなことが書いてある。

『「月の恋人 Moon Lovers」(フジテレビ月9ドラマ原作)
「向日葵の咲かない夏」(2009年で最も売れた文庫)の著者が
そのおそるべき才能を結集させた、渾身の連作群像劇』

もうこういうのは止めた方がいいんじゃないかって思うんですけど、どうなんでしょうね。
まあそんなわけで、作品は素晴らしい、もう傑作だと思います。初期の道尾秀介の作品しか知らない人には、是非「ソロモンの犬」以降の作品を読んで欲しいと思います。これほどまでに、デビュー当時から進化した作家はなかなかいないのではないかと思います。是非是非読んでみてください。

追記)amazonのレビューで星1つをつけている人の感想が、ちょっと僕には的外れというか、うーんというか、よく分からない。昔の文豪だって、もっと酷い話、書いてるんじゃないんですか?知りませんけど。

道尾秀介「光媒の花」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)