黒夜行

>>2010年05月

これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル)

「お母さんが再婚するはずだった人が来るんだってさ」
 マルイさんはやっぱり黙ったままで、志保は少しだけ哀しくなった。
「嫌だよね、そんな人に会うのなんて。やんなっちゃう」
 返事を返してくれないマルイさんを持ち上げて床に投げつける。間違ったことをしているのは分かっているけれ、むしゃくしゃした気分がどうにも収まらなかった。志保は何もかも忘れてしまいたくて、寝ることにした。さっきの電話が夢だったらよかったのに、と思ったけれど、そう考えた瞬間、会田君とのデートがまるで幻みたいに思えてきて、さっきメールを返さなかったことがとてつもない失敗なのではないかと不安になった。楽しかった一日を台無しにされた感じがして、寝入る前志保は、会ったこともない脇坂さんを思い浮かべて、いつも使っているあのシャベルでめった刺しにした。

「失踪シャベル 13-9」

内容に入ろうと思います。本日二度目の更新。
さて、先に書いておくと、僕はこの作品の内容をきちんと紹介出来る自信がまるでありません。なので、全体については実にふんわりと、そして気になった細部だけちょびっと詳しく、という感じになるかと思います。
本書は、元々はハーバード大学史上最多の履修者数を誇る講義なんです。書店に行く機会があれば、是非本書を探してみて欲しいんだけど、帯の写真を見てみてください(amazonとかで画像を検索してくれてもいいですよ)。この写真が、講義の様子を写したものなんだけど、オペラ座ですか?ってぐらい(まあオペラ座がどんな風になってるか知らないけど)、二階席まであるようなとんでもなく広いところで、信じられないぐらい多い学生を相手に講義をしてるんですね。
著者が、その講義をしているハーバード大学の教授であり、本書はその「Justice」という講義を元に、哲学や倫理などの問題から、「正義」について考えるという内容になっています。
しかしこの内容がまあ難しい。僕は、9章と10章を除けば、一応書いてあることはなんとなく理解したつもりになれました。恐らくどのテーマも、実際はものすごく難しいと思うんで、これだけ噛み砕いて説明出来るというのは著者の力量なんだろうと思います(9章と10章については、僕の頭ではまるでついていけなくて、それでもなんとか理解しようとそれなりに丁寧に読んだつもりではありますが、歯が立ちませんでした)。僕の中で、「理解した」というのは「人に説明出来る」というのと同じ意味なんだけど、たぶんきちんとは理解出来ていないんで、うまく説明出来ないだろうと思います。
本書では、大きくわけて三つの考え方が出てきます。その三つをまずざっと説明しましょう。
まず一つ目が、功利主義。これは、僕が理解した限りでは、『社会全体の幸福度が最大になるようにすべきだ』というような考え方です。例えば税金を例に取ると、お金持ちからたくさんの税金を取って、それを貧しい人に再分配することを考えます。この場合、お金持ちがたくさん税金を取られたとしても幸福度の減少はさほどでもないだろうし、一方で貧しい人々の幸福度はすごく上がる。即ち、結果として全体の幸福度が上がるので、功利主義的観点から見ればお金持ちからたくさん税金を取ることは良いことだ、という風になります。こういう考え方が功利主義。
さて二つ目は、リバタリアンを主軸とする自由を尊重する考え方。これは中絶の問題例に取って説明しましょう。リバタリアンは、他人に迷惑を掛けない限り人はすべて自由に行動していい、と主張します。中絶の場合、本人が自分の意志でそれを決めたのであれば、国がそれを禁止するのはおかしい、というのがリバタリアンの主張です。
さて三つ目。この三つ目がなぁ、僕がほとんど理解できなかった9章と10章で書かれていることなんだけど、ちょっと僕自身の言葉では説明不可能なんで、本書に書いてある言葉をそのまま引っ張ってきます。『道徳的な観点から見て、人びとにふさわしいものを与えること―美徳に報い、美徳を促すために財を与えることを正義と見なす』だそうです。
本書は大雑把に言って、この三つの考え方についてあらゆる方向から議論をしていく、という形式だと思います。著者自身の意見は最後の最後に出てくるんですけど、基本的に著者は、どの主張に対しても出来うる限り中立な立場から議論を進めていきます。例えば功利主義について、どう言った点ではいいのか、どう言った批判にさらされるのか、しかしその批判に対して功利主義はどう反論しているのかなど、とにかく客観的な視点から議論を進めていきます。とにかく、世の中にはどんな立場があるのか、という点をはっきりと明確にさせていくというのが議論の主軸になっているような感じです。
また、9章と10章については理解できなかった僕ですが、それ以外の章では、かなり難しい話だろうにも関わらず、理解した気になれた(あくまでも、気になれた、というだけだけど)。それは、豊富に具体例が載せられているからです。
それぞれの概念は、抽象的な部分だけ書かれたらたぶんあんまり理解できなかったでしょう。でも本書では、じゃあこういう場合について考えてみよう、と言って具体的な話がたくさん出てくるので、抽象的な話を理解しにくくても内容を理解することが出来る。例えば功利主義の話で、こんな具体例が出てくる。あなたが電車の運転手だとして、どういう選択をするか、という問だ。
初めの状況は、進んでいる線路上に5人の作業員がいる。右側の待機線には、1人だが作業員がいる。まっすぐ進めば5人を殺すことになるけど、待機線に入れば1人だけで済む。さぁ、どうする。
さて別の状況。あなたは今橋の上にいる。その真下には線路があって、電車が走ってくる。線路上には5人の作業員がいて、そのままにすれば5人とも死んでしまう。さてここで、自分がいる橋の上にもう一人の人物がいるとしよう。その人物は体格がよくて、その人物を橋から落として電車にぶつければ電車を停められるとしよう。さて、あなたはその男を突き落とすだろうか?
結局問われていることは、5人を救うために1人を魏税にするかどうか、ということだ。でも、初めの状況と後の状況では感じ方が違うのではないだろうか。初めの状況では、待機線に入って1人を殺すのは仕方ないと思う人が多いんじゃないか。でも後の状況では、5人を助けるためにその1人を突き落とすという選択は取れないのではないか。
というような具体例なんですけど、こういう話がたくさん出てくるんですね。
僕の好きな具体例があるんでもう一つ書いてみます。本書には、カントの哲学についての話も出てきて、これが予想に反して結構わかりやすかったんです。カントって、メチャクチャ難しいっていうイメージがあって、実際難しいんだろうけど、本書では具体例を一杯出しているからか、結構スイスイと理解出来た気になりました。
さてそんなカントは、「義務から行動すること(道徳法則に則って行動すること)こそ自由である」というようなことを言ったそうです(合ってるかなぁ)。カントにとって道徳的という概念は、何かのための行動ではなくて、人格を尊敬に値する存在だと思って行動すること、なんだそうです。難しいですね。例えば、困っている人が目の前にいるとしましょう。もしその人を助けるという行為が、「感謝されたい」「良い人だと思われたい」という思いからのもだとすれば、カントにとってそれは道徳的な行為とは言えません。一方で、その困っている人のことがものすごく嫌いな相手だとしましょう。それでも、相手のことを尊重し、「本当は助けたくないんだけど、義務感から助ける」行為は、カントにとって道徳的な行為であり、自由だということのようです。
さてそんなカントは、嘘をつくことに対して実に厳しかったんだそうです。さてここで、「殺人犯に嘘をつくのは誤りか」という具体例が出てきます。
自分の友人が家に隠れていて、その友人を追って殺人犯がやってきたとします。さてここであなたは、友人を庇って「ここにはいない」と嘘をつくか、あるいは嘘をつかず友人の居所を教えるか、どちらでしょうか?
普通に考えれば、殺人犯に本当のことを教えるのはバカげています。しかしカントは、それでも殺人犯に嘘をつくべきではない、という立場を取ります。
カントは、殺人犯に真実を聞く資格があると思っているわけでもないし、嘘をつくことで殺人犯に害を与えると思っているわけでもありません。ただカントは、それが嘘だからという理由で、嘘をつくことは相手の人格に経緯を払っていないという理由で、殺人犯には嘘をついてはいけない、という理屈を展開します。
確かにこの話、一般的にはなかなか受け入れがたいし、この具体例が殺人犯なんで余計に受け入れがたいんだろうと思うんですけど、僕は結構理解できるなと思いました。僕も個人的に、なるべく嘘をつかずに生きていきたいと思っている人間です。カントは、「真っ赤な嘘」と「真実だと誤認させる嘘」とを区別し、後者を多用したようですけど、まさに僕もその通り。状況的に嘘をつかなくてはいけないような場面でも、出来る限り「真っ赤な嘘」はつかないように心がけています。どうしてもそれが不可能な時、先程の具体例のような結構切羽詰った状況であれば、僕も「真っ赤な嘘」をつくことを躊躇することはないと思いますけど、出来る限り嘘はつきたくないですね。
というわけで、やっぱり全体についての話はふわっとで、細かな部分にばっかり注目する感想になっていますけど、まあこれは仕方ない。僕にはこの作品の内容をきっちりと紹介するのは無理だと諦めていますので。
読んでいくと、対立する概念のどっちも正しく思える時もあれば、どっちも正しくないように思えることもあって、あらゆる場面で本当にいろいろと考えさせてくれます。著者が出来る限り中立な立ち位置から論じようとしていることが分かるので、どう考えるのが正しいのか自分の頭でちゃんと考えながら議論を追うことが出来るのではないかなと思います。具体例の記述になると、確かにそうだよなとか、確かにそれはおかしいよなとか、それまで議論されてきたことがさらにすっと分かりやすくなるんで面白いと思います。
今まで考えたこともなかったいろんな概念に触れて、結構クラクラしてきますけど、哲学とかまるで無理!という人でも読める作品だと思います。どうしてそんなことが言えるのかというと、僕がそういう人間だからです。哲学とか絶対面白くないし、理解できないし、日常生活に必要ないし、と思っていたんですけど、本書を読んで結構考えが変わりました。哲学というのは曖昧なものだという印象もあったんですけど、結構厳密な議論が出来るんだなとも思えたりして、そういう点でも僕は好きなタイプの議論だなと思いました。何よりも、著者の力量なんでしょう、文章にしても全体の構成にしても具体例の選び方にしても見事だなと思います。特に具体例については、僕らの身近な出来事からかなり引っ張ってきているんで、なるほど哲学というのも日常的な感覚に落とし込めば結構有効に使えるものなのだな、と思ったりしました。
まあそんなわけで、確かに結構難しい本だとは思いますが、それは本自体の難しさというよりは、哲学の概念自体の難しさによるのだと思います。著者はその難しい概念を、実に接しやすい形に噛み砕いて本書で提示してくれています。たぶん今まで考えたこともなかった概念がいくつも出てくることでしょうし、しかもそれらが対立している場面では、どちらが正しいのか分からなくなってくるでしょう。また、頑張って読んでても理解できない箇所もあるかもしれません(僕は9章と10章が全然理解できませんでした)。それでも、本書は読んでみるべき本だと思います。副題にあるように、「いまを生き延びるため」に必要な哲学かどうかは僕には分かりませんけど、知識としてだけでも充分読む価値はあると思います。時間さえあれば、何度でも再読したい本だなぁ。いつか9章と10章の内容を理解してやる!是非読んでみてください!

マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学」




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コンビニたそがれ堂(村山早紀)

「ちょっと待ってください。手帳を見てきます」
 そう言って志保は保留ボタンを押す。手帳を見るというのは口実だ。とりあえず一度気持ちを落ち着かせたかった。敬叔父さんの声を聞いていてこんなに辛い気持ちになったのは初めてだった。お母さんがいなくなるという出来事は、自分でも予期しなかった様々な影響を振りまくものなのだなと志保は思った。ふと思い出して鍋の火を消して、それから部屋に戻ってマルイさんを抱きしめた。電話機に戻って保留音を解除する。
「月曜日と木曜日ならバイトがないので大丈夫だと思います」
「分かった。じゃあ月曜日ということにしよう。志保ちゃんに負担を掛けることになって申し訳ないけれど、脇坂さんもお母さんのことを心配している。私も一緒に行くから、協力出来ることがあれば協力してあげてほしい」
 いつも迷惑ばかり掛けている敬叔父さんにそんな風に言われたら、嫌だとは言えなかった。嫌だという雰囲気をなるべく出さないように努力をしながら、志保は敬叔父さんに返事を返した。それから少しだけ、志保の生活を気遣ってくれるような会話をして電話を切った。志保は、なんだかどっと疲れてしまっていた。部屋に戻ると、会田君からメールが着ていたけれど、返信する気分になれなくて放っておいた。

「失踪シャベル 13-8」

内容に入ろうと思います。
本書は、「たそがれ堂」という一風変わったコンビニを舞台にした連作短編集です。それぞれの短編を紹介する前に、「たそがれ堂」というコンビニについて書こうと思います。
その店は、銀髪で目が黄色のお兄さんがレジにいる、内装が古風な感じのコンビニです。赤い鳥居のある道沿いにあるのだけど、普段人目には触れません。そのコンビニは、何か探している人だけがたどり着けるコンビニで、そしてそのコンビニには、世の中にあるありとあらゆるものが、そして世の中にないはずのものまですべてあるコンビニです。
それぞれの短編は、そんな「たそがれ堂」に惹きよせられた人たちの話です。

「コンビニたそがれ堂」
雄太は、見たことのないコンビニに立ち寄る。雄太は、猫繋がりで同じクラスの女の子と仲良くなったのだけど、アメリカに行ってしまったその子と、微妙な感じのままお別れしてしまったのだった。それを後悔していた時にそのコンビニで見つけたのは…

「手をつないで」
えりかのママは、ちょっと難しい人でした。理由も分からず不機嫌になったり、よく分からないことでえりかを怒ったりするのです。えりかはどうしていいのか分からず、外国に行ってしまったパパが早く帰ってくればいいのにと思いながら、ママと一緒に生活をしていました。
そんなある日えりかは「たそがれ堂」にたどり着きます。その日家に帰るとママが、えりかが大切にしていたリカちゃんを捨てたというのです。リカちゃんを探しに家を飛び出したえりかがそのコンビニで見つけたのは…

「桜の声」
あるラジオ番組のアナウンサーをしている桜子は、見覚えのないコンビニに立ち寄り、そこで桜の花びらの入った携帯ストラップのようなものを買いました。
するとその日、放送をしているスタジオの前にある桜の木の下で、変わった女の子に遭遇することに。しかもその後さらに、謎めいたメールまで届くのだけど…。

「あんず」
一匹の猫が「たそがれ堂」にやってきます。店員のお兄さんはその猫の探しているものを見つけてやり、首輪と交換で渡してあげました。それは、人間になれるキャンディです。
あんずという名のその猫は、自分がもう長くないことを知っていました。せめて自分が死ぬ前に、人間として自分を大切にしてくれた家族に会いたい…

「あるテレビの話」
一人の女の子が「たそがれ堂」にやってきます。女の子はテレビさんを探しているのでした。
女の子が生まれた記念ということで家にやってきたテレビは、女の子の成長をずっと間近で見つめることになりました。しかし、女の子が小学校に入学するという頃、テレビは写りが悪くなってしまうのです…。

というような話です。
元々児童書として出版されていたものを、漢字を増やしたり文章を足したりして大人にも読めるように手を加えたものだそうです。そういう作品なんで、正直なところ物足りなさはありますが、なかなか面白い作品だと思いました。
一番初めの「コンビニたそがれ堂」を読んだ時、これはちょっと微妙かな、と思ったんですね。正直、一番初めの話は、それほど大したことはないんです。特にひねりがあるわけでもなくて、失ったと思ったものが「たそがれ堂」で再び手に入った、というような話です。これはこれでいいんですけど、こういう話がずっと続くんだとしたら厳しいな、と思ったんですね。
でもそれ以降、どの話も結構趣向を変えてきていて、うまいなと思いました。5編ともすべて違った形の展開で描かれていて、「たそがれ堂」という設定をうまく使っているものだなと思いました。
一番ひねりが利いていて面白い展開だなと思ったのは、「桜の声」です。この話は正直、主人公がどうして「たそがれ堂」にたどり着いたのかよく分からないんだけど(まあわからなくもないけど、他の話よりはわかりにくいと思う)、ラジオのアナウンサーという設定を実にうまく活かしているし、結構予想もしなかった方向に話が進んで行ったんで面白いなと思いました。
また「あんず」も趣向の面白い作品だと思います。猫が人間になるためのキャンディが「たそがれ堂」にあるという設定は、それがアリなら何でもアリじゃん、と思わなくもないんだけど、でも結構いい話でした。
「あるテレビの物語」も、展開自体はさほど目新しいところはなかったんだけど、テレビ視点で物語を描くというのがなかなか面白くてよかったです。「手をつないで」も、えりかが「たそがれ堂」で見つけたものが、自分が探していたリカちゃんではない、という趣向が、うまいことやるなという感じでした。
「たそがれ堂」という設定を実にうまく活かして、それぞれの短編で違った味を生み出しているので、なかなか面白かったです。これはシリーズ作品になっていて、既に3巻まで出ているんだけど、他の話もそれぞれ違った趣向で描かれているんだろうか、と考えるとちょっと興味が湧いてきます。
ものすごく単純平易な文章で、さらりと描いているような物語に見えるのだけど、けっこうじわりと来る作品だと思います。やっぱり、元々児童向けの本だったものに加筆しているという経緯の作品なんで、児童向けの本をそこまで読んでいるわけでもない僕には、ちょっと物足りなさを感じる部分もありますけども、全体的に良い話だと思います。人によっては、何度も読み返したくなるような作品なんではないかなと思います。薄いし読みやすいし、手に取りやすい作品ではないかなと思います。是非読んでみてください。

村山早紀「コンビニたそがれ堂」




激走(鳥飼否宇)

「それで、脇坂さんが志保ちゃんに会いたいというんだけれど、日曜日とかどうだろうか?」
 やっぱり、と思った。そういう展開を予想しなかったわけではないけれど、実際思っていた以上に憂鬱な気分になった。
 志保は少しの間何も喋らなかった。その雰囲気から敬叔父さんも、志保が嫌がっていることに気づいただろう。それでも何も言わないのは、敬叔父さんの方にも引くに引けない事情があるのだろうと思った。あるいは、脇坂という男に同情しているだけなのかもしれないけれど。
「日曜日はちょっと予定があって難しいです」
「そうか。でも脇坂さんも、志保ちゃんの予定に合わせると言っている。来週のどこか、都合のつく日はないだろうか?」
 いつでも志保に優しくしてくれた敬叔父さんを困らせるつもりはなかった。それでも、お母さんの再婚相手に会うというのは気が重かった。しかもお母さんがいない状態で会わなくてはいけないのだ。自分が冷静でいられる自信がなくて、途端に不安になった。

「失踪シャベル 13-7」

内容に入ろうと思います。
本書の舞台は、国内のマラソン大会として歴史も権威もある、福岡国際マラソンです。
ロンドン五輪の予選も兼ねた福岡国際マラソンには、それぞれに思惑を秘めた様々な人々が集まっていた。
ハーフマラソンで記録を出したことがあったのだけど、フルマラソンでは体力が保たず、この大会では日本人ペースメーカーとして参加している市川尚久。
日本マラソン界の期待のエースであり、自己中心的な性格の小笠原寛明。
化粧品メーカーの広告塔としても活躍している、実力も兼ね備えた二枚目アイドルランナー、二階堂公治。
福岡が地元であり、地元の応援を後押しに五輪への切符を掴みとろうとする谷口鉄男。
市川尚久と最後までペースメーカーを争った、とにかく目立ちたがり屋の一般ランナー、岡村雪則。
市川尚久と同じ会社の陸上部に所属する在日韓国人ランナー、洪康彦。
そして彼らを先導する白バイには、小笠原の高校時代の同級生である長田雅彦が乗っている。
彼らは、大半はロンドン五輪の切符を手にすることを目標に争うのだけど、その中で秘めた目的を持っている者もいる。小笠原や二階堂の高校時代の出来事が関わってきたり、途中で予期せぬ出来事が発生したりと、レース展開以外でも大会は混乱に陥っていくのだが…。
というような話です。
なかなか評価の難しい作品だなぁ。スポーツ小説としてはほどほどに面白かったです。ただ、ミステリとしては、ちょっとどうかな、という感じです。
スポーツ小説としては、なかなかいいと思いました。特に、ペースメーカーを描いているという点が面白いと思いました。正直そこまでスポーツへの知識は深くないので、マラソンにペースメーカーなる存在がいるなんていうのは初めて知りました。ペースメーカーというのは、20キロ地点ぐらいまで、同じペースで走りながらレースを引っ張るという役回りで、なるほどそんな存在がいるんだな、と思いました。解説で、元マラソンランナーの瀬古利彦は、ペースメーカーという存在が出てきたためにマラソンはつまらないスポーツになった、と書いていますけど(若干趣旨が違うかもしれませんが、大体そんな意見だと思います)、本書ではこのペースメーカーの存在が作品を面白くしているなと思いました。
ペースメーカーである市川の存在がある意味で作品の肝と言っていいでしょう。市川が一体何を考えて、何を目的に走っているのか。その背景にあるものはなかなか見事だと思います。正直、んなこと出来るのか?というような部分は多少ありますけど、僕はそういう部分にはそこまで厳しくないんで、特に問題ありませんでした。
市川だけではなく、市川と張り合っている岡村、小笠原と二階堂のライバル関係、地元出身のランナーである谷口への応援など、マラソン部分の描写は結構しっかりしていて、テレビの実況や監督へのインタビューなど、とにかく場面を頻繁に切り替えながらレースの臨場感を出しているところはなかなかいいと思いました。
さてその一方で、作中まあミステリ的な部分が出てくるんですけど、これはちょっとお粗末としか言いようがない気がします。正直、この部分は丸々なかったとしても別段作品としては問題なかったのではないかな、と思います。そのミステリ的な部分を全部カットして、もう少し各選手の描写や過去のわだかまりみたいなものを丁寧に描いていたら、もう少しいい作品になったのではないかな、と思います。なんでこの部分をこの作品に加えたんだろうなぁ。明らかに全体から浮いている気がするんだけど。不思議です。
文章なんかは、まあこの著者の他の作品でもそうだけど、やっぱりそれほどうまいとは言えないんで、同じ作品の構造で別の作家(ベタなところで言えば、佐藤多佳子や三浦しをん辺りか)が書いたらもっと面白くなったかもしれない、とも思います。
まあいずれにしても、スポーツの部分は結構楽しめる作品ではないかな、と思いますが、ミステリ部分は正直微妙です。市川というペースメーカーが何を目的に走っているのか、という部分はなかなかいいと思うんで、興味があれば読んでみてください。

鳥飼否宇「激走」




均ちゃんの失踪(中島京子)

焦げ付かないようにビーフシチューの鍋をかき混ぜていると、リビングの電話が鳴った。受話器を取ると、敬叔父さんの声が聞こえてきた。
「もしもし。志保ちゃんかい?ちょっと今大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。どうかしたんですか?」
 去年の誕生日の回想で少しだけ沈んでいた気持ちが、敬叔父さんの声を聞くことで持ち直した。深海から浮かび上がってくるようなその穏やかな声は、いつでも志保を優しく包み込んでくれる。
「実はね、この前言っていた話、ほらお母さんの再婚相手の人に連絡を取るっていう」
「ああ」
「その人に連絡を取ることが出来た。脇坂さんというんだけれど」
「はい」
「お母さんがいなくなったという話をしたら、実に驚いていたよ。連絡が取れなくなって心配していたそうなんだけれど、どうにも手が出せなかったらしい」
「そうなんですか」
 敬叔父さんの話が、志保が望んでいない方向に進んで行きそうな予感がして、少しだけ受話器を強く握った。

「失踪シャベル 13-6」

内容に入ろうと思います。
物語は、内田均という男の家に泥棒が入った、というところから始まります。内田均はイラストレーターなのだけど、ちょくちょく失踪する癖があり、泥棒に入られた時も家にはいなかったのだけど、捕まえた泥棒に対する証拠固めとして内田均の証言が必要になったのだ。しかし本人が不在なので、ということでなんだかんだと集められた女三人。
一人は、内田均が住んでいる家のオーナーであり、内田均の元妻という高校教師・梨和景子、もう一人は、外資系の製薬会社で重役秘書をしている、内田均を「セカンドの恋人」と扱っている木村空穂。そして最後に、内田均と普通に付き合っているつもりだったのに実はあちこちに女がいたことを知ってしまった、雑誌編集者・片桐薫だ。
この三人は、内田均との微妙な関係性だけで成り立っているわけなのだけど、何故か三人揃って温泉旅行に行ったり、その後も連絡を取り合ったりと、関係を続けていくことになる。
そんな、内田均というどうしようもない男を通じて繋がった三人の女性の「それから」の生き方を描いた連作短編集です。
僕は女性向けだと思われる作品でもかなり読める方だと自分では思っているんだけど、でも作品によってガツンと来るものと来ないものがある。未だにその違いは自分でもまったくわからないのだけど、どうも本書はガツンとは来ない方の作品でした。
なんて言えばいいんでしょうかね、もしかしたらそこが魅力なのかもしれないんだけど、どうもダラダラしてるなぁ、という感じがするんです。感覚的な話で申し訳ないんだけど、僕はもっと鋭いというかシャープというか(まあ同じ意味か)、そういう感じの方が好きなんですね。尖ってるみたいな感じ。ふんわりしてるとか、ゆるゆるしてるみたいな感じの作品の場合、あんまり好きになれないというケースが多いような気がします。この作品も、三人の女性の人生が、結構ダラダラ描かれるんですね。もう一度書くと、たぶんそこが魅力の一つなんだと思うし、こういうダラダラしている感じの方が現実をよく描き出しているような感じもあるんだけど、どうも僕の感覚としては受け入れにくいなぁ、という感じの作品だったんですね。
個人的には、もう少し内田均についての描写がたくさんあるといいんだけど、と思いました。本書は大体5つの短編で出来ているみたいな構成なんだけど、その4つ目の短編が内田均視点の作品です。それまでは、3人の女性の視点から内田均が描かれるんだけど、これが正直そこまで内田均についての描写がない印象なんですね。片桐薫は、田舎から出てきたという内田均の知り合いと懇ろになってしまうし、梨和景子は取調べの後家まで送ってくれた刑事と懇ろになってしまうし、木村空穂は「ファーストの彼氏」といろいろあって内田均どころじゃないし。もちろん、高野秀行の解説がなかなか良くて、そこにはこう書いてある。
『一見、均ちゃんが失踪し、他の女たちがおいてきぼりを食っているようにみえるが、立場を変えれば、女たちが均ちゃんを踏み台にして、人生の新たなステージに旅立っていくのである。均ちゃんは実はおいてきぼりを食っているほうなのだ。』
これは確かになるほどと思いましたけど、でもやっぱり僕としては、全体的にもっと内田均に焦点が当たるような作品であれば、僕ももう少し楽しめる作品だったかもしれないなぁ、という感じがしました。
というわけで、僕にはあんまりガツンと来る作品ではなくて、うまく評価は出来ません。ただ、巻末にある高野秀行による解説はなかなか秀逸だと思うんで(文庫の巻末の解説というのは、書く人の力量によって大分変わるものだけど、本書の高野秀行の解説はかなり良いと思う)、それを読んで読むかどうかの参考にするというのもアリだと思います(ただ展開についてもほどほどに書いてあるんで、内容を知らないまま読みたいという方はあんまり先に解説を読まない方がいいかもですけど)。




僕と『彼女』の首なし死体(白石かおる)

志保の気持ちは一気に冷めた。志保は、確かにビーフシチューは好きだけれど、それはお母さんが作るビーフシチューのことだ。他の誰かが作ったビーフシチューになんか、それがどれだけ高級だろうと興味はない。志保は泣き出しそうな気分になったけれど、テーブルの上にぽつんと残された外箱を睨みながら我慢した。
 お母さんと向きあって食べたビーフシチューは、味がしなかった。お母さんのビーフシチューには入っていないお肉が、なんだか気持ち悪かった。それでも志保は、黙々とビーフシチューを口に運んだ。お母さんも、志保の様子がおかしいことには気づいていたことだろう。でもどうしてなのかは分からなかったはずだ。お母さんもただ黙ってビーフシチューを口に運んでいた。
 あの時、二人の関係は決定的に終わってしまったのだと思う。志保は悟った。長い時間を過ごしたからといって、お互いを理解し合えるというのは幻想なのだと。お母さんはこれほどまでに遠い存在なのだとようやく気づいた。部屋に戻った志保は、マルイさんを抱きしめて泣いた。自分の中から何かが永遠に失われてしまったように感じたけれど、きっとそれは初めから持っていなかったのだろうとも思った。どうしてこんなことになってしまうのか、志保にはさっぱり分からなかった。

「失踪シャベル 13-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、横溝正史賞の優秀賞を受賞した新人のデビュー作です。とはいえ、元々ラノベを何作か出していた人らしく、そういう意味では作家デビュー作というわけではないようです。
物語の冒頭。主人公の白石かおるは、切断した首をコンビニのビニール袋に入れて渋谷までやってきた。辺りに注意を払いつつ、衆人環視の中、ハチ公前にその生首を置いて立ち去った。
僕は四菱商事という総合商社に務める一介のサラリーマンだ。覇気があるわけでもなく、特別やる気があるわけでもない、どこにでもいるようなサラリーマン、のはずだ。少なくとも、自分の気持ちとしては。
ただ白石は、仕事上でいくつか注目を浴びることになる。本人としては大したことをしたつもりはないのだけど、周囲や上層部で賛否両論を巻き起こすようなことをさらっとやってのけてしまうのだ。
そんな白石の部屋の業務用冷蔵庫の中には、『彼女』の首なし死体が収まっている。理由があって『彼女』の首を切り落とした白石は、その動向を伺っている。
やがて不穏なことがいくつか起こる。冷蔵庫の中の死体から指が切り取られる、謎の男からの電話、そして襲撃…。そしてさらに、都心は大災害に見舞われるのだ…。
というような話です。
恐らくこの作品は、評価が真っ二つに割れる作品でしょう。選評を読んでいても、積極的に支持をしたのは北村薫のみで(でもまあ、他の選考委員の顔ぶれを見ると、北村薫にのみ絶賛されるというのはそれはそれで嬉しいことなのではないかと思うけど)、他の選考委員はよくてほどほどの評価、人によっては嫌悪感を抱くとまで言っている人もいました。
さて僕の評価はどうか。僕は結構面白い作品だと思いました。
本書の最も特異な点は、主人公である白石かおるの行動原理でしょう。考え方というか哲学というか、そういうものが一般常識からかなり隔たっているんですね。僕もある程度一般常識から外れた行動原理を持っていると思うけど、その僕なんか比較にならないぐらい奇妙なんです。
あまり知識のない状態でこういうことを言うのはよくないかもしれないけど、この白石かおるの行動原理は、自閉症の人のそれと近いような気がしました(一応書いておくけど、僕は別に特に自閉症に対してマイナスのイメージを持っているわけではありません)。相手の言葉を言葉通りに受け取ったり、嘘をつくのが嫌いだったり、一貫性のない行動を嫌ったりという感じが、なんとなく自閉症の人の行動原理に似ている気がするんですね。
自閉症の人がどうこうとか書いた後でこういうことを書くのもどうかと思うけど、この白石かおるの行動原理が実に面白いんですね。僕も結構普通の人とは変わった行動原理を持っているつもりなんで、共感出来るような部分も結構ありました。
この行動原理が変わっているというのは、殺人とかそういうことに関わる部分だけじゃないんですね。本書では、なんだかいろんな場面で特異な状況というのが現れるんだけど、そのどの場面であっても、白石かおるの行動原理というのはかなり異質です。ただ、論理的に考えれば、恐らくそれがベストではないか、という行動を取るんですね。どうしてその行動が奇妙に見えるかといえば、そういう特異な状況下において、それだけ冷静に論理的に正しい行動というのは取れるものではないからです。
この、白石かおるが何を考えて行動しているのか分からない、というのが、作品全体をミステリアスにしているわけなんです。正直冒頭で、首をハチ公前に置いたのが主人公だっていうのはわかっちゃうわけなんです。じゃあそこからどんな風にストーリーが展開して行くのか、という興味で読むわけなんですけど、それをさらに増幅させてくれるのが白石かおるの存在なんですね。普通の人とは違った行動原理を持っている主人公が、一体何だってハチ公前に首を置くようなことをしたのか、そしてどういう方向に事態を展開させようとしているのか。そういう部分がミステリアスで、かなり面白いと思います。
ただ一般的には、白石かおるのようなキャラクターは受け入れられにくいでしょうね。特に、年齢が高くなればなるほどそういう傾向が強くなるのではないかと思います。たぶん、白石かおるが何故そうしたのか、何故そう考えるのか、何故そんな風に言うのか、ということすべてがまるで理解できず、何なんだろうこの小説は、ということになるでしょう。逆に、若い世代であれば、こういうキャラクターは結構あっさり受け入れられるんじゃないかな、と思います。これぐらいのキャラクターは、若い世代の中ではそれほど違和感はないだろうと思います。たぶんこの作品は、年齢高めの世代にはきっと受け入れられないだろうと思います。
ストーリーとしてはミステリはミステリなんだけど、でもミステリ的な展開が特別なかったとしても面白い作品だっただろうと思います。白石かおるという特異なキャラクターにストーリー全体が引っ張られる(というか引きずりこまれる もちろん白石かおる自身は自分がそんなキャラクターだなんてまるで思わないだろうけど)という感じで、この白石かおるというキャラクターを物語の中心に据えたことがとにかくこの作品の肝であり、成功の要因だっただろうと思います。
それ以外にも魅力的なキャラクターはたくさん出てきます。大学時代からの友人である野田、秘書室長である冴草、主人公がよく行くコンビニの店員などなど、なかなか一癖も二癖もあるキャラクターばっかりで、こういうところはかつてラノベを書いていた時に培ったのではないかと思わせてくれました。何にせよ、キャラクターを描くというのは実に難しいし、それが出来れば小説なんて半分ぐらい成功しているようなものだと僕なんかは思っているんで。
横溝正史賞というなかなか固めのミステリ新人賞をとっているにも関わらず、表紙がラノベっぽい絵というのは、僕は本を売る戦略として間違っているのではないかなと思いますけど(この表紙はこの表紙でいいんだけど、この表紙と相まって、著者略歴に昔ラノベを出していたという風に書いてあると、それだけで手に取らない人がいると思う。ちなみに、表紙の装画は夢花李っていう人なんですけど、この人佐原ミズっていう漫画家みたいです)、内容はかなり面白い作品ではないかなと思います。正直、年齢高めの人にはあんまりオススメできない作品ですけど、ある程度の年齢までであれば充分楽しめる作品ではないかなと思います。一風変わったミステリなんで、ミステリとして読むのではなく、特にジャンルの先入観なんかはないままで読む方がいいかもしれません。読んでみてください。

追記)amazonのレビューを見ても、やっぱり賛否両論という感じですね。まあ気持ちは分かりますけど。
あと全然関係ないんですけど、選評で馳星周が、『残りの二作については、わたしは語る言葉を持たない』とばっさりやっているのがなかなか面白いと思いました。まあ新人賞の選評をやっている作家が、本当に本読みとして目利きなのか、という話は別として…。ってそれじゃあ東野圭吾の短編みたいですけど(笑)

白石かおる「僕と『彼女』の首なし死体」




世界は感情で動く(マッテオ・モッテルリーニ)

でも去年の誕生日のことは、嫌な記憶としてきっとこれからも残り続けることになるのだろう。
 そもそもお母さんは、志保の誕生日当日は予定があると言って、お祝いをするのが二日前になった。仕事の都合でと言っていたけれど、たぶんまたいつもの外泊だったのだろうと思う。まあそれでも、お祝いをしてくれる気持ちがあるのは嬉しいと思って、お母さんとは話さなくなっていた時期だったけれど、それで自分の気持ちが少しでもいい方向に変わるならと、少しだけ期待していたのだ。
 志保ちゃんはビーフシチューが好きだったでしょう、と言われて、志保は少しだけ嬉しくなった。それまでも何度かチャンレンジしていたものの、まったくお母さんの味には届いていなかったから、久しぶりにその味を確かめることが出来るのだと思うと期待は高まった。
 しかしお母さんは、お客さんに教えてもらったのよ、といいながら、紙袋から高級そうな箱を取り出した。中を開けると、プラスティックの容器にビーフシチューらしきものが入っていた。並ばないと買えないのよ、と言いながらお母さんはキッチンにある電子レンジの方へと向かっていった。

「失踪シャベル 13-4」

内容に入ろうと思います。
本書は、ベストセラーになった「経済は感情で動く」の第二弾です。本書も、行動経済学について書かれた本です。
行動経済学というのをとりあえず、僕の拙い知識で説明しましょう。昔は経済学というのは、完全に合理的な判断をする人間、というのをモデルに組み立てられていた。しかし実際僕らは、様々な判断において、決して合理的な判断をする存在ではない。どう考えても不合理な判断をしてしまうような場合も多々ある。そこで、人間がどういう風に判断をするのか、どういう風に認知するのかという点まで含めて経済学を考えるようになったのが、この行動経済学です(さて、僕の説明は合ってるかな?)
本書は、人間が陥る様々な認知的バイアス(つまり、意識しなくては引っかかってしまうようなトラップみたいなもの)について説明しています。まあ具体的な話をいろいろ書く方が面白いと思うんで、僕が面白いと思った話をいろいろ書いてみようと思います。

でもその前に、僕自身は結構そういう認知的バイアスから逃れられているものもあるのではないか、という話を書きます。もちろん本書で扱われている様々な認知的バイアスの中には、あーこれは俺も逃れられないなぁというものも多数あったわけですけど、逆にこれは俺は引っかからないわというものもありました。
その内の一つが、『フォールス・コンセンサス効果』と呼ばれるものです。これは、人間はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であると考えるというものです。
さて、つい本書を読むちょっと前の話ですが、バイト先のあるスタッフとこんな会話をしました。その人は、最近の若者はウィキペディアの記述が正しいと信じていて、それで論文を書いたりしているらしい、どう考えたってネットに書いてあることなんて玉石混交で、常に正しいわけじゃないじゃん、と主張しました。さてここで僕はこんな風に考えたわけです。確かに最近の若者がウィキペディアの記述とかを使って論文を書いているらしいというのは知っていた。それに、僕自身の感覚からすれば、ネットの情報というのは信頼性が乏しいというのは当然なわけで、そう考えると若者の考え方はおかしいという風になるだろう。
でも本当にそうだろうか?例えば今の若い世代というのは、物心ついた時から周囲にネット環境がきっちりと存在していたのだ。僕なんか、インターネットなるものを始めてみたのは高校生ぐらいだったと思う。そんな僕と、物心ついた時からネット環境が潤沢に存在していた若い世代とを同じ土俵で比べていいのだろうか?だから僕はその人に、僕も今の若い世代と同じような環境で育っていたらどうなっていたかわからなかった、と返答しました。
僕はこういう、相手の立場からみたらどう見えるのか、という思考が一般的な人よりは出来る、と自分では思っています。もちろん、こう思っていること自体が既にバイアスなのかもしれないけど、このフォールス・コンセンサス効果というのは、僕は割と逃れられている気がします。
また多くの人が、ダイエットは明日から、嫌な仕事はギリギリまでやらない、なんていう思考をしているんじゃないかと思うんだけど、僕はそれについてもそういう思考はない。これを証明するために一番良いのは、僕は学生時代を通じて、長期休暇中の宿題は、長期休暇に入る前にほとんど終わらせていた、という事実があります。これを言うと、結構多くの人に驚かれます。
しかし、逃れられないバイアスもあります。その一つが、人間は現状維持という状態に固執しがちだ、というバイアスです。これはまさにその通りで、とにかく僕は変化があまり好きではなくて、今の状態のまま変わることなくいたい、と思っています。まさに現状維持バンザイ、という感じです。

『予言の自己成就』という認知的バイアスがある。これは、個人が自己の予測や願望が成就して欲しいと願った時、社会全体でそれが成し遂げられてしまう、というものです。銀行が倒産する、というデマによってお金が多量に引き落とされ、結果本当に銀行が倒産してしまうようなことです。
これの実験で面白いのが、自分の思い込みだけではなく、他人の思い込みでも間接的に影響を与えるという実験です。
ある小学校で、心理学者二人が子どもたちに偽のテストをして、教師たちにはそのテストで子どもたちの潜在的知能が測れると説明した。心理学者たちはその結果を丹念に調べるフリをして、テストを受けた子供の中から適当に四人を選び出し、この四人の知能がなんか月かのうちに飛躍的に伸びるだろう、と言った。するとその通りになったのである!

『ピーク・エンドの法則』というのは、あらゆる経験の快苦は、ほぼ完全に、ピーク時と終了時のかいく度合いで決まる、というもの。初めの5分雑音だらけで残りの15分素晴らしい演奏が収録されているCDを聞いたときと、最初の15分は素晴らしい演奏だったのに最後の5分が雑音だらけの場合だと、後者の方が不快感が増すのだ。
また別の実験ではこういうものもある。結腸鏡検査をする際、以下の二つのどちらが苦痛が大きいか患者に聞いた実験。
① 通常の結腸検査を受ける
②通常の結腸検査を受けた後に、結腸鏡の先端を何分かだけ直腸の中に残して置く。
もちろん重要な点は、結腸鏡の先端を残しておくというのは医学的には意味のない措置なのだけど、結腸検査そのものの苦痛よりも遥かに痛みが小さい、ということです。
この場合、②の方が患者の苦痛が遥かに軽減されるんだそうです。「快適である」というのは、「よりよい記憶が残っている」という部分を元に判断されるようです

『フレーミング効果』の章の最後の逸話が面白いので載せてみる。
まだ世間慣れしていない若い神父が、ある時司教に「お祈りをしながらタバコを吸ってもいいでしょうか」とたずねると、司教は厳しく「ノー」と言った。しばらくたってその若い神父は、タバコを深々と吸いながら一心に祈りを捧げている老司祭に出会った。若い神父は、お祈り中にタバコを吸ってはいけないと司教に言われました、というと、老司祭は「それはおかしいな」という。「タバコを吸いながらお祈りしてもいいかと司教に伺った折には、いついかなるときにも祈ってよろしいときっぱり言われたのだ」と。
意味が分かったでしょうか?つまり、「お祈りをしながら→タバコを吸う」という聞き方だとノーと言われるけど、「タバコを吸いながら→お祈りをする」という聞き方だとオーケーされる、という話でした。

確率についての話で、別の本でも読んだことがある有名だろう問題が載っていたので書いてみます。
『ある病気についての検査では、5%の確率で間違いのイエスが出る(間違いのノーはゼロ)。この病気は1000人に一人の割合で発生するのだけど、病気の疑いがあるかどうかとは関係なく検査を受けた人たちがいた。ある人の結果が「陽性」と出た。この人が実際にその病気を持つ確率はいかほどか?』
これを医者に聞くと、大多数が95%だ、と答えるんだそうです。そうじゃない。
1000人が検査を受けるとすると、その内1人は実際その病気にかかっている(つまり検査をすれば「陽性」と出る)。一方残りの999人の内5%には間違いのイエスという結果が出る。つまり約50人が、病気ではないのに「陽性」という結果が出るのだ。さてこの場合、「陽性」という結果が出た51人の内、実際にその病気にかかっているのは1人なのだから、確率は1/51で約2%となります。

『利用可能性』といのは、ある事象が起きる確率や頻度を考える時、思い浮かびやすいものほどよく起こりがちだと思ってしまうこと。
アメリカの例だけど、これについての凄く分かりやすい質問がある。
『その子の友達の父親が家にピストルを一丁持っていrことを知った時と、その子の友達の家の庭にプールがあることを知った時では、どちらのほうが安心していられますか?』
アメリカでは、6000万の家庭がプールを持ち、銃は2億丁あるけど、10歳以下の子供の内、毎年約550人が溺死している。一方で銃弾で死ぬのは約175人だ。銃の危険性がすぐに思い浮かぶために、銃の方が危険だと思ってしまうんですね。

『アンカリング効果』というのは、最初に印象に残った、後の事象とは無関係な数字や言葉が、後の事象に影響を与えてしまうというもの。
次の二つの問題を別々の二人に出す。
A「紙もペンも計算機も使わずに、1×2×3×4×5×6×7×8の答えを5秒で出してもらう」
B「紙もペンも計算機も使わずに、8×7×6×5×4×3×2×1の答えを5秒で出してもらう」

どちらも同じ計算で、正しい答えは40320。Aを聞かれた人の答えの平均は512で、Bを聞かれた人の答えの平均は2250だそうです。それぞれ「1」と「8」というアンカーになる数字を初めに目にしてしまったがために、それ以降の計算の結果に影響を及ぼしてしまったわけです。

注意力の欠如に関する面白い実験。被験者はバスケのビデオを見せられ、白チームがパスをした回数を覚えておくように言われます。そうしてビデオを見た後で被験者は、「ゴリラは見えましたか?」と聞かれるのだ。そう、実際にビデオにはゴリラが写っているのだけど、白チームのパスの回数に意識が集中してしまっているために、ゴリラの存在に気付けない人が多いんだそうです。

幸福度についての話が出てきて、具体的に書くのはめんどくさいんで省くけど、とにかく幸福度の要素として金持ちかどうかというのは関係ないんだそうです。

『自己奉仕的バイアス』というのは、ある行動や事象を説明する際に、成功しても失敗しても自分の都合の良いように判断をゆがめてしまうこと。たとえば喫煙と肺癌について自分のライフスタイルを変えざる終えないような医者からのアドバイスは聞かなかったことにする。一方で「食事の時に赤ワインをグラスに一杯飲むと健康によい」というような、医学的根拠はないけど自分にとっては都合のいい意見はすぐに受け入れてしまう。だからアホみたいなダイエット本や自己啓発本が売れるわけだ。

ある長さの線が、隣にある三つの選択肢の内どれと長さが同じか、という問いをされる際、自分以外のすべての人が明らかに間違った答えを言うと、自分の答えへの自信が揺らぎ、自分も明らかに間違った答えを口にしてしまう、というようなことがあるみたいです。でもたぶんこれは、僕は回避できそうな気がするなぁ。時と場合によるけど。

人間の記憶は簡単に嘘をつく。ある自動車事故のビデオを見せられた一週間後、「ガラスが割れていたのをあなたは見ましたか?」と聞くと、多くの人がガラスが割れるのを見たと答えました。実際そのビデオの中では、ガラスなんて割れてなかったのに!

というような感じでとにかくいろんなことについて書いてあって面白いですね。この行動経済学の話は、経済の分野に限らず、僕らの生活全般に関わってくる話なんで、とにかく人生で一度でいいから、どんな本でもいいから、行動経済学の本を読んだ方がいいだろうな、と僕は思います。
しかし本書を読んで感じたことは、人工知能ってのは作れないんじゃないかな、ということです。人間には、無意識の内に絡め取られている数々の認知的バイアスがあるわけで、それは自分では制御出来ない。その制御できないものを、人間の手で制御して形にするのが人工知能だとすれば、まあ人工知能は無理なんじゃないかなと思います。人間らしい判断、人間らしい思考というのは、いかに不合理なもので成り立っているのかを知ってしまうと、その不合理さを人工のもので作り出すというのは無理な気がしてきました。
まあそんなわけで、ものすごく面白い本でした。とにかく本書は、人間はいかに思考しいかに決断しいかに行動するのか、ということについて書かれている本です。経済というよりは心理学に近い作品ではないかなと思います。
本書のような行動経済学の理屈を使って、お客さんをうまく誘導するような売り場やPOPを作れないものかしら。まあその辺はおいおい考えていこうと思います。是非是非読んでみてください。

マッテオ・モッテルリーニ「世界は感情で動く」




のはなし(伊集院光)

家に着いてからしばらくすると、今日は楽しかったよ、と会田君からメールが来た。それから何度かメールのやり取りをしている。携帯電話でのやり取りは、直接会って話すよりも、なんだか繋がっているという感じが強くなる。元々マルイさん以外に話し相手のいない家だったけれど、こうして一人ぼっちになってみると、誰かと繋がっているという事実がこれほど心強いものなんだなと志保は思った。
「いいな!いつか僕にも食べさせてよ。一人暮らしの男の食生活って、ホント酷いからさ」
「私の作る貧乏ビーフシチューじゃ、栄養なんか取れないよ」
 そうメールで返した時、志保は去年の誕生日のことを思い出した。
 毎年お母さんは、志保の誕生日を祝ってくれた。手作りのケーキを作ってくれることもあれば、時間もお金もなくてと言って、志保がそれまで何度トライしても失敗していたタティングの作り方を徹底的に教えてくれただけのこともあるけれど、どんな形であれお母さんが志保のために何かしてくれるというのは大切な思い出だった。

「失踪シャベル 13-3」

内容に入ろうと思います。
本書は、タレントの伊集院光のエッセイ集です。tu-kaの携帯を契約した人向けのメールマガジンとして5年間書き続けた750本のエッセイの中から、80本を選んで(選んだのは著者ではないらしいけど)収録した作品です。
内容については、ケータイから公募したみたいですね。その当時、7文字入力出来る画面と送信ボタンだけがある投稿フォームのみがあったために、7文字以内でテーマ募集となった。しかも、誰が送信したのか分からない仕組みだったため景品などもなかったのだけど、それでもかなりのテーマが集まったようで、その中から選んだテーマで毎回書いていたようです。
なので話題はかなり多岐に渡ります。芸能人としての生活や子供時代の思い出、なんとなく気になることムカツクこと気づいたこと、趣味思考価値観などなど、7文字以内のテーマから思い浮かんだことについて自由に書いています。
しかし、さすがに話がうまいなと思います。元々落語家だったわけだし、僕は別に聞いてないけどラジオのパーソナリティもやってる、喋りのプロなんでしょうけど、文章だとまた勝手が違うんだと思うんです。喋りの場合、声の調子やテンポ、大きさなんかでいろいろ変えられますけど、文章の場合はまた別のテクニックが必要になるはず。でも、これがうまく書くんですね。話のもって行き方、緩急、オチ、共感をさそうような展開などなど、さすがだなと思うようなエッセイでした。
しかも、ただ面白いだけのエッセイじゃないんですね。なんというか、確かにそうだよねとか、なるほどー納得、というような気にさせられるものが多いんです。些細なことばかりをテーマに扱っているのだけど(つまり、政治だの経済だの歴史だの、そういう真面目な話はないということ)、だけどそういう些細なテーマから、役に立ちそうな結論とか一段上の価値観とか、そういうのを引き出してくるんですね。うまいなと思いました。
まあそんなことをダラダラ書いていても伝わらないでしょうから、僕が面白いと思った話をいくつか書こうと思います。

「お金持ち」の話
本物の金持ちと偽物の金持ちの話。伊集院光曰く、偽物の金持ちは、「わたしシャネルが大好きで、シャネルの新作が出ていたら、すぐに買っちゃうんです」という人。本物の金持ちは、「なんか可愛いんで買ったら、またシャネルでした」「まず丈夫な車が欲しくて、座り心地がいいほうがいい、疲れないし。スピードも出るに越したことはない、そうしたらベンツがいいって」という人。なるほど、これは納得、という感じでした。僕も、ブランド物にわーきゃー言う人間は好きではないのだけど、後者のタイプであれば逆に好き。

「お小遣い」の話
小学生時代のお小遣いの話。伊集院光は月のお小遣いは1000円だったのだけど、「本や文具を買うお金」はお小遣いに含まれないとされていた。大人になってから考えると、お小遣いの額がいくらかということよりも、何がお小遣いに含まれないのかということを明確にしてくれた親のやり方は慧眼だと思うし素晴らしかった、とのこと。確かに、これも実にいい話だと思う。

「坂」の話
これもいい話なんだけど、いい話の部分を書いてしまうとネタバレ(面白さが半減)してしまうので、内容は書かない。

「好きな理由」の話。
ラジオに立川談志を呼んだ時の話。そこで伊集院光は、談志のある落語を聞いて僕は落語家を辞める決心をしたのだ、という話をするのだけど、談志は「うまい理屈が見つかったじゃねぇか」と返される。ヨイショをするつもりもうまいことを言うつもりもなかった伊集院光は、本当なんです!と言い返すのだけど、その後の談志の返答が素晴らしい。

「ニート」の話
これはどこがいいのかうまく説明出来ないのだけど、芸能人がこういう風な発想を持ってくれている、それをきちんと言葉にしてくれている、というのがなんだか嬉しかった

「ペットショップ」の話
これも短くまとめるのは不可能なんで内容については触れないけど、犬を買ったある友人とペットショップとのやり取りは素晴らしい。というか、友人が凄く良い奴。とはいえ、僕がペットショップの店員だったら凄く困ると思うけど…(笑)

この辺りが、良い話だなぁと思ったやつ。
あと面白い話だなと思ったものをざっと書いておしまいにしよう。
「アメ横」の話、で、中学生時代に年末のアメ横の売り子をやっていた伊集院光は、あまりにも出来る売り子だったためにスカウトの話がたくさん、ついには正社員にならないかという話もあったとか。
「エロ本隠し場所」の話、では、伊集院光が友人から聞き及んだ数々の名エピソードが書かれています。
「ゴキブリ」の話、では、父親がゴキブリホイホイ的なものの開発に携わっていた経験を踏まえての話らしいが、ゴキブリが進化したのはここ30年ほどらしい。その原因が、なんとゴキブリ捕獲器の登場だとか。ゴキブリはそれまで特に進化も何もしなかったようなのだけど、ゴキブリ捕獲器が登場してゴキブリはピンチになる。しかし脚力の強い一部のゴキブリが生き延び、それらが交配することで、子孫は皆脚力が強いものだけになっていく。そうやって、ゴキブリ捕獲器が登場したお陰で、ゴキブリはどんどん進化していったらしいです。
まあそんなわけで、実に面白いエッセイだと思います。普段本を読まないという人にも、トイレに置いておいて、うんこする度に一つずつ読むみたいな感じで楽しめるんじゃないかなと思います。是非読んでみてください。

伊集院光「のはなし」








茗荷谷の猫(木内昇)

大学生になって少し余裕が出てきてから、志保は何度もお母さんの味を再現しようと、ビーフシチューを作ってみた。お母さんが作っている時の様子を頭の中で思い返して、まったく同じ手順で作ってみた。それでも、お母さんの味には程遠かった。志保の記憶の中にある味とはかけ離れていて、全然近づく気配がなかった。もしかしたら、真心みたいな、舌では感じることの出来ないものがたくさん溶け込んでいたからなのかもしれない。だとすれば、志保に同じ味を再現することは無理なのだろう。それでも志保は、時々ビーフシチューを作ってしまう。
 今日は、会田君とのデートに気分が高揚して、何かしないではいられなかった。明日以降食べればいいやと思って、夜も遅いというのに作り始めたのだった。
「ビーフシチューを作っていますよ。お母さんの懐かしい味を再現しようとしてるんだけど難しい!」

「失踪シャベル 13-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、幕末の江戸から昭和の東京までの長い時間を舞台にして、そこに住む人々のささやかな人生を描いた作品です。長い話もあれば短い話もあり、またそれぞれの話が微妙に関わってくるという連作短編集と言った感じの体裁です。
本来ならそれぞれの短編の内容を紹介するんですけど、ちょっと時間がないので、それぞれざっと紹介しようと思います。

「染井の桜」
新種の桜を生み出そうとする男の話。

「黒焼道話」
黒焼という、薬のようなものの開発に人生を捧げる男の話。

「茗荷谷の猫」
夫を失った、趣味で絵を描いている女性の話。

「仲之町の大入道」
大家に言われて借金取りの真似事をする男の話。

「隠れる」
人に嫌われようとしてやったことが全部裏目に出る男の話。

「庄助さん」
いずれ映画監督になることを夢見ている青年の話。

「ぽけっとの、深く」
「てのひら」
「スペインタイルの家」
すいません、最後の三つはざっと読んだんで(三つともかなり短い話)、なんとも書けません。
えーと、これはちょっと僕には早すぎたかなぁ、という感じの作品でした。もう少し年を重ねてから読むべき本だったのかもしれないな、という感じがします。
なんというか、渋いという雰囲気の作品なんですね。物語の起伏が薄くって、最近の起伏の激しいどったんばったんとした小説に慣れてしまっている僕には、ちょっと物足りないという感じがしました。たぶんだから本当に、もう少し年を取って、周りの物事の見方とか自分の人生観とかが少しずつ変わっていって、読書の趣味も徐々に変わっていって、そうなった頃に読んだりすればまた違ったのかもしれないなぁ、という感じがしました。
文章や描写が丁寧で、また僕自身経験がないんで憶測ですけど、幕末とか昭和とか言った時代の空気をうまく切り取れているんじゃないかな、と思います。その時代その時代に翻弄されつつも、不恰好でも生きていかなくてはいけない様々な男女の悲哀みたいなものを、うまく浮き彫りに出来ていると思います。ただやっぱりいかんせん、僕にはまだそういう渋い作品を楽しめるだけの素養がないようなので、ちょっとこの作品は合いませんでした。
面白いなと思った短編は「隠れる」です。これは、大金を相続して自由の身になり、東京で日々ダラダラと遊んで暮らしている男が、出来うる限り他人と関わらずに生きていたいと思い、なるべく他人を遠ざけようという行動をするにも関わらず、そのすべてが裏目に出て良い人であると誤解されてしまう、という話です。この話は、何だか出来のいい落語を聞いているようで(とはいえ、僕は落語を聞いた経験は一度しかないんですけど 笑)、面白いなと思いました。僕もこの話の主人公に似ている部分があるんで、主人公の隣人の「親切の押し売り」には辟易するだろうな、と思ったりします。大金を相続して悠々自適に自由に生きて行こうとしても、なかなかままならないという様子が面白いな、と思いました。
まあそんなわけで、やぱりある程度年齢の高い方にオススメの作品ではないかなと思います。若い世代では、こういう渋い作品はちょっと難しいのではないかなと。淡々とした、それでいて味わい深い作品をお探しの方にはオススメです。

木内昇「茗荷谷の猫」




風の中のマリア(百田尚樹)

13

「今日はね、会田君って人とデートしてきたんだよ」
 マルイさんに話しかけながら、志保は手芸雑誌をぱらぱらとめくっているた。
「男の子ってそこまで好きになれないなって思ってたけれど、会田君はちょっと違うんだよ」
 キッチンではビーフシチューが弱火で煮込まれている。今日はもう食べられないけれど、衝動的に作ってしまったのだ。
 ビーフシチューは、お母さんの手料理の中で一番好きなものだった。
 お金がなくて貧しかった時、それでもちょっと豪勢なものを食べさせてあげようっていう時に出てくる料理だった。ビーフシチューなのにお肉は入っていなくて、具は野菜一種類だけだったし、ルーも市販のものだったけれど、キッチンにある調味料をいろいろと足しているみたいで、それがお母さん独自の味を生み出していた。お母さんはいつも、こんなものしか出せなくてごめんねとでもいうみたいにビーフシチューを出すんだけれど、志保はこの味が大好きだった。

「失踪シャベル 13-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、「永遠のゼロ」「BOX!」などの意欲作を次々と発表する著者の作品です。本書の主人公はなんとスズメバチです。
オオスズメバチと呼ばれるヴェスパ最大最強のスズメバチのワーカーとして生まれたマリア。ハチというのは、女王バチのみが出産をし(生まれてくるのは基本的にすべてメス)、生まれたメスたちが、幼虫の世話をしたり食料を調達したりといったワーカーとしての役割を果すことになる。マリアは「疾風のマリア」とも称される勇敢な戦士であり、成虫になってまだ間もないのだけれども、期待されているのだった。
そんなマリアの視点から、オオスズメバチの一生が描かれていく。他の昆虫は交尾をすることが最大の目的であるのに対し、ハチは妹たちを育てるために命を掛けて働くという変わった昆虫だ。そんな独特な生態を持つオオスズメバチの一生を通して生きるということを問いかける作品です。
正直なところ、そこまで面白くないなぁという感じでした。一般的にはどうなんだろう。たぶんそこそこ評価高いんだろうなという感じはするけど。
この作家、まだデビューしてそこまで日が経っていないと思うんだけど、作家としての力量は滅茶苦茶高いですね。描写もキャラクターも展開も構成も、新人とは思えないほどの力があって、作家としての潜在的な力は素晴らしいと思うんです。
だから本書も、小説としての基本的なレベルはものすごく高くて、普通に読まされてしまう。
ただ一方で、やっぱり僕がどうしてもダメだなぁと思ったのが、主人公がスズメバチだった、というところですね。主人公に共感出来るかどうか、というのは小説を読む上で僕の中では重要なポイントではないんですけど、どうしてもこの作品はスッとは入っていけませんでした。
どうしても違和感を感じてしまうのは、スズメバチなのに、人間が使っている「道」や「家」なんていうのを認識したり、ゲノムがどうのと言った話をし始めることです。いやもちろん、ストーリー上仕方がないのは分かるんです。登場人物がすべてスズメバチなわけだから、スズメバチが知っているはずのない知識もスズメバチに語らせるしかないというのは当然分かるんだけど、読んでいるとものすごく違和感を感じるんですね。
また、スズメバチの生態に忠実に描いているからでしょうけど、スズメバチの行動原理でよく分からないものがあったりするんですね。もちろん本書としては、「自然がそうなっているからだ」と主張するしかないんでしょうけど、読んでいる側としては、どうしてそんなことするわけ?という疑問が出てくるんですね。これが、人間が主人公でスズメバチを描いている作品であれば、なるほど自然はそうなってるからね、と納得出来るんですけど、本書の場合、スズメバチはゲノムがどうのと言った話は理解しているのに、自分たちの行動原理についてはうまく説明出来なかったりするんですね。もちろんこれが、重箱の隅を突付くようないやらしい突っ込みだというのは分かっているんですけど、どうしてもそういう部分が気になって、作品に入り込めなかったな、という感じがありました。
どうせなら、主人公を人間にしちゃって、スズメバチのような生き方をする人間の種族が現れた!的なSFっぽい作品でも面白かったりするかもしれないなぁ、なんて勝手なことを考えました。
しかし、さっきも買いたけど、作家としての力量の高さは本書からでも充分に感じられますね。とにかく読みやすい文章やキャラクターの描写なんかはさすがだし、それに本書では、実際のスズメバチの生態をうまく小説にして伝えるために、かなり構成を頑張っている感じがしました。そういう作家としての基本的な力はさすがだと思うので、本書はたまたまスズメバチが主人公だったために僕には合わなかったのだろうな、という感じでした。
まあそんなわけで、僕としては「BOX!」や「永遠のゼロ」の方がオススメです。悪くない作品だとは思いますが、百田尚樹の作品なら他の作品の方が圧倒的にレベルが高いかなという感じです。強くはオススメはしません。

追記)やっぱりamazonのレビューでの評価はかなり高いなぁ。

百田尚樹「風の中のマリア」




背中の記憶(長島有里枝)

「そういえば思い出した」
 硬い殻を破るようにして突き出た声は、それまでの会田君の調子を取り戻していて、その調子に引きずられるようにして、志保も気持ちが緩んだ。
「何を?」
「三億円事件」
「は?」
「同じハンチング帽を持ってたんだって」
「ふーん」
「三億円事件の遺留品のハンチング帽と同じ帽子を被ってるんだって誰かが言ってた」
 何だか必死に志保に信じさせようとしている口調がおかしくって、志保は笑い出してしまった。話の内容を笑われたと思ったのか、会田君は少し憮然とした表情をしているようだったけれど、志保はその表情さえもおかしくて、笑い続けた。
「今度の日曜日に、映画でも見に行こうか」
「うん」
そういえば会田君のお酒がなくなってるな、と思った時には、もうテーブルの傍にマスターが立っていた。二人はまたうわっと声をあげてしまい、それがおかしくてまた笑い転げた。マスターは、やっぱり一言も喋らなかった。

「失踪シャベル 12-10」

内容に入ろうと思います。
本書は、ある一人の女性が、アンドリュー・ワイエスの絵を見て、亡くなった祖母のことを思い返し、そこからさらに自分が辿ってきた人生、家族のこと、子供の頃の狭かった世界、など昔を振り返る作品です。
13編の短編からなる連作短編集ではありますけど、長編として扱ってざっと内容を書こうと思います。
主人公は子供の頃、いろんな形で窮屈さを感じていた。興味もないのに服を買ってくれる祖母に要らないとは言えなかったり、よく分からない理由でキレる叔父に恐怖を感じたり、慣れない保育園で泣明したりと、人生ままならなかった。母親・父親・弟との関係もなんだか不安定で、学校の友達とも微妙な関係になったりした。そういう、ささやかだけど主人公に影響を与えたであろう様々な出来事を振り返り、噛みしめ、そうやって自分自身の存在について思い起こしていく。
というような話です。
本書は、雰囲気的には僕のストライクゾーンの作品のはずなんです。イメージとしては、「スコーレNo.4」の系統の作品で、特にこれと言ったストーリーはないのだけど、一人の女性の生き方みたいなものを描いていく感じで、たぶん女性向けの作品だと思うんだけど、そういう作品を僕は結構受け入れられるんで、これは僕好みの作品だと思ったわけなんですよ。
でも、読んでてどうもしっくりこないんですよね。自分の中にスーっと入っていかない。読んでも読んでも、素晴らしい作品を読んだ時のような突き抜けた感が全然なくて、絶対ストライクゾーンの作品のはずなのにどうしてあんまり面白くないんだろうな、とずっと考えながら読んでいました。
どうしても、本書が僕にあんまり合わない理由をうまく説明出来ないんですよね。主人公の、どうしても世界に馴染めないみたいな人物像も好きだし、主人公の周りを取り囲む様々な人々も、一癖も二癖もあるような人たちで僕好みだと思うんです。ストーリーの起伏が特にないというのも僕にはマイナス要素になるわけがないし、他にも本書を受け入れられそうにない理由というのがあんまり思い浮かばないんですよねぇ。
もしかしたらと思うのは、文章の雰囲気なんだけど、じゃあそれにしたってどういう感じがいいのかと言われると凄く困るんですよね。なんかホントに、どうしてストライクゾーンにあるはずの作品なのにあんまり受け入れられなかったのか凄くモヤモヤするんですけど、何にしてもどうも面白くなかったなぁとしか言いようがない。
話としては、「マーニー」と「おとうと」の話が面白かったかな。マーニーというのは、ちょっと子どもっぽい突然キレてしまう叔父で、その叔父との関わりが描かれる。「おとうと」では、兄弟に対する嫉妬や意地悪な感情、そして兄弟の関係性が変わってしまったある瞬間の話など、なかなか面白いなぁという感じでした。
たぶんこの作品って、結構傑作だと思うんですよ。著者は写真家のようで、小説は本書がデビューみたいなんですけど、小説デビューとは思えないほど文章も構成も描写もしっかりしています。やはり何かを表現するということに秀でている人というのは、別の表現媒体でも才能を持っているものなのかもしれません。ただ、理由はまったく自分でもわからないんですけど、どうしても僕には合わない作品でした。タイプとしては僕のストライクゾーンにはまってもおかしくないような作品のはずなんですけど、何ででしょうね。というわけで、強くおすすめ出来るわけではないですけど、恐らくこの作品を傑作だと感じる人の方が多いような気がします。僕の評価など気にしないで是非読んでみてください。

追記)そういえば書き忘れましたけど、この作品は表紙のデザインがインパクトがあって良いと思うだけど、でも作品の雰囲気には合ってないような気がするんですよねぇ。本書のような、バーン!みたいな感じのデザインじゃなくて、もっと落ち着いた雰囲気のある表紙デザインの方がよかったのではないか、と勝手なことを書いてみます。

長島有里枝「背中の記憶」





スーパーコンピューターを20万円で創る(伊藤智義)

志保はバーにいる間、何度か化粧室に向かった。自分の顔を鏡でチェックするためだ。合コンの時、化粧室にばかり行く女の子たちを不思議に思っていたのだけれど、今なら分かる。志保は、自分が男の子からどんな風に見られているのかをきちんと意識するようになったのだ。
 会田君に、その辺りの変化がきっちり分かるはずはないと思う。出会ったのは昨日の合コンの時で、確かにその時志保が合コンにあまり興味を持っていないことを見抜いたけれども、ただそれだけの話と言えばそれまでだった。二人で出掛けるのはこれが初めてだし、今の自分のしぐさ全般が普段の自分といかにかけ離れているのかを知る術はないはずだ。それでも会田君は、そんな志保の変化をすべて見抜いているとでも言うように、ふっと会話が途切れた瞬間にいきなり真面目な顔になって言った。
「僕と付き合ってくれませんか?」
 志保はこみ上げてくる不安を飲み込んだ。会田君と一緒にいて感じる安心感は、本物の匂いがする。妙な確信が志保の全身を貫き、志保は思わず頷いていた。お互いに気持ちは通じていたと思うけれど、それでも告白した会田君は緊張していたみたいで、どことなく落ち着かない雰囲気になったテーブルは、少しの間だけ沈黙が支配した。気まずさは感じなかった。沈黙を二人で共有するという経験は、志保には初めてだった。

「失踪シャベル 12-9」

内容に入ろうと思います。
本書は、東大の天文学系の研究室に所属していた大学院生だった著者が、自作でスーパーコンピューターを創り上げてしまい、世界をアッと驚かせた出来事について書かれている本です。
スーパーコンピューターというのは、とにかく計算がものすごく早く出来るコンピュータのことで、確か事業仕分けか何かの時、「二番ではいけないのか」的な発言があったのもこのスーパーコンピューターではなかったかなと思います。まあ蓮舫さんの発言はそういう意図ではなかったみたいですけどね。
とはいえ、本書で描かれているのは汎用性の高い、つまりどんな計算でもこなせるというようなスーパーコンピューターではありません。天文学のある状態を計算するのに特化した、特殊なスーパーコンピューターです。それを、著者らのグループは、コンピュータの専門家が一人としていないたった4人のチームで(ただ、実質的にコンピュータを組み上げたのは著者だそうです)、たった20万円で創り上げたわけです。
東大に、天文学の世界的な研究者である杉本という教授がいて、著者は杉本についてよく知らないまま、たまたま杉本の研究室に入ることになりました。杉本は、天文学の世界で激論を巻き起こすことになるある理論を提唱したわけですが、それをきちんと正確に実証するには超高性能なスーパーコンピューターが必要だったわけですが、当時はまだ日本にも限られた台数しかなく、しかも1秒いくらという単位の使用料が掛かるという非常に高価なものだったので、杉本は天文学の計算に特化したスーパーコンピューターを自分で自作しようかという発想を持ちます。
そんなタイミングで入ってきたのが著者で、著者は研究室に入る前の学部時代からこのプロジェクトに関わっていきます。最終的に「GRAPE」と名付けられたこのスーパーコンピューターは大きくわけて三つの種類に分かれるわけなんですけど、その三つのすべての一番初めの開発を著者が行うことになりました。
また、当初は天文学の計算しか出来ないと思われていたGRAPEですが、思わぬきっかけで分子生物学の世界でも使えることが分かり、GRAPEの三つの種類のウチ一つはその分子生物学ようの仕様になっています。スーパーコンピューターの世界には、ゴードン・ベル賞という権威ある賞があるらしいんだけど、GRAPEは最終的に10年間で8回受賞するという快挙を成し遂げたようです。
そんなGRAPE開発の裏側について書かれている本です。
GRAPEというスーパーコンピューターについてはまるで知りませんでしたけど、こういうアカデミックな世界の裏側というのは結構興味があるんで読んでみました。
でも、ちょっと思っていた感じとは違ったなと思います。僕の感想としては、もうちょっとうまい人が書けばもっと面白いノンフィクションになったんじゃないかなぁ、という感じがしました。
なんというか、スーパーコンピューター開発の部分には、特にドラマというドラマはないんですね。結構あっさり出来ちゃうわけなんです。まあ現実がそうだったのだから、それに文句をつけたって仕方ないというのはわかってるけど、どうせ読むなら、もっと山ほどの困難があったとか、途中で挫折しそうになったとか、そういう波乱万丈の話の方がいいですよね。本書では、特に苦労することなく、さらっとスーパーコンピューターが完成するんで、うーむ、っていう感じです。
スーパーコンピューター開発に至る流れとか、なんとなくそこに集まってきた人々の来歴や性格なんかはそれなりに面白いなと思いました。杉本という研究者は天文学の世界では本当に凄い人のようで、そんな杉本が自らが提唱した理論が正しいのかどうか検証するツールとしてスーパーコンピューターを望んだというのが大元のきっかけ。でもそれから、いろんなことがあって、いろんな人との出会いがあって、実際に作り始めてしまうという過程はそれなりに面白い。また、杉本や著者を始め、かなり個性的なメンツが揃ったチームで、そんな描写もなかなか面白かったなと思います。
ちょっと要らないなぁと思った話が、著者が集英社ヤングジャンプの「青年漫画対象原作部門」に準入選した、というようなくだり。いや、著者自身の人生の方向性を決定づけた、というような扱いで書いてるのは分かるんだけど、どう読んでも浮いてると思う。たぶんこれは書きたかったんだろうなぁ。恐らく著者以外の人がこのテーマで書けば確実に切り落とされているだろう部分。ちょっと不必要だなと思いました。
まあ、さらっと読む新書ならこれぐらいでいいのかな、という感じの作品でした。強く推すほどではないけど、読んだらそれなりに面白いかも、という感じ。興味があれば読んでみてください。

追記)amazonの評価は結構高い。僕の感想に惑わされず、買って読んでみるといいのかも。

伊藤智義「スーパーコンピューターを20万円で創る」




fの魔弾(柄刀一)

会田君の場合は、志保の見える範囲内にはそのラインが無いように思える。もちろん、ラインがないなんてことはありえないから、巧妙に隠しているのだろうと思う。志保は、隠されているということに不快感を覚えることはまったくなく、むしろ気づかぬうちに相手の内側に入り込んでいるのではないかという想像に心が躍った。ラインを意識せずに誰かと話すのはこれほどまでに自由なのか、と思った。ラインを意識したやり取りも決して嫌いではないけれど、自分がこんなに自由になれるのだということを知ると、それまでの自分がいかに窮屈な人間関係を築いていたのかに気付かされるのだった。
「ねえ、会田君」
「ん?」
「なんでもない」
 たったこれだけのやり取りを、これまでの自分はすることが出来なかった。いつも誰かが投げたボールを打ち返すことに楽しみを見出していた志保は、自分が投げたボールが打ち返される快感を会田君との会話から知ったのだ。

「失踪シャベル 12-8」

内容に入ろうと思います。
本書は二つのパートが同時進行で描かれる作品です。
一つは、本書の探偵役である南美希風の高校時代の旧友である浜坂憲也がとある殺人事件の犯人として捕まってしまい、それを救うべく南美希風が調査に乗り出す、というパートです。
完全なる密室の中で、二つの死体に囲まれて目が覚めた浜坂は、密室という揺ぎ無い絶対条件によって、二人を殺した殺人犯として逮捕され、裁判に掛けられている。ドアも窓も完全に施錠されていて、どうにも打ち崩せそうにない密室だった。既に裁判は始まっていて、弁護士も奮闘してはいるのだけど、やはり密室の謎が難関として立ちはだかる。南美希風もかなり苦戦している。
さてもう一方は、南美希風がアメリカのチャップマンという男を訪ね、そこで命の危機にさらされる、というものです。目覚めた南美希風は、隣にチャップマンの死体があるという状況で、浜坂の事件との類似点を感じ取る。薬によってうまく動かない体を懸命に動かしながら、どうにかこの危機的状況を乗り切ろうと頭をフル回転させるのだが…。
というような話です。
なかなか面白い作品だったと思います。「密室キングダム」と比べればさすがに落ちますが、それでも全体的には良い作品だと思いました。
ただ先に書いておくと、やっぱり最近こういう本格ミステリはちょっと読むのが厳しくなってきていますね。
理由は、やっぱり作品の要であるトリックを、どうしても最後の最後まで明かすことが出来ない、という点にあります。そうなると、結局最後どういう風に終わるんだ、という興味に強く惹かれて、読んでいると少しイライラしてくるんですね。早くトリックを教えろー、という気分になってきます。昔はこういう本格ミステリ系の作品も全然大丈夫だったんですけど、最近ちょっと厳しいですね。トリックへの興味だけでは、作品を読み進めるのが難しくなってきています。
そういう点では、「密室キングダム」は素晴らしい作品だったと思います。なにせ、5つぐらい密室が出てくるんだけど、それぞれの謎は結構すぐ明かされるわけなんですよ。あれが、5つの密室すべての謎が最後の最後まで明かされない、みたいな構成だったら、恐らく読みきれなかっただろうな、と思います。
まあそういう点で、本書が作品としてどうこうというのではなくて、僕個人的な趣味趣向として本格ミステリ系の作品はちょっと受け付けなくなりつつある、という話でした。
さて本書の話に戻すと、本書の肝となるトリックは、なるほどこれはお見事、という感じでした。本書の犯人は、実に慎重に巧妙に細部に渡ってトリックを詰めているわけなんだけど、その精緻さと相まって、トリックの凄さが浮き彫りになっているな、という感じがしました。派手なトリックではないし、というかどちらかと言えば僕らでも現実的に可能なのではないか、という身近な部類のトリックだと思うんだけど、それを作品全体で非常にうまく組み合わせてまとめています。あらゆる細部にわたって慎重に計画が練られていて、犯人の慎重さには驚かされるばかりです。
また、裁判が同時進行している、という現実も面白いですね。逮捕されてすぐ南美希風が出てきたわけではなくて、既に裁判が始まってしまってから南美希風は駆り出されているわけです。だから、一方で裁判が進んでいきながらも、そのプレッシャーの中で真相解明に取り組まなくてはいけない。その緊張感も結構よかったと思います。
南美希風がアメリカで巻き込まれる事件の方は、正直そんなに面白くはないなぁ、と思ったんだけど、浜坂の事件との対比でトリックを見破るんだ、という思考だけは面白いなと思いました。
ただ、やっぱり最後にもう一回書いておくけど、どうしても最後の最後トリックが明かされるまでは、早くトリックを教えてくれ、という感情に支配されて、登場人物たちがあーだこーだ検討していたりする場面にイライラしてしまったりします。たぶんもう、こういうガチガチの本格ミステリは、よほどの作品じゃないと性に合わなくなってきているんだろうな、と思います。やっぱり、メインのトリック以外で読者を引っ張る何か、というのが必要だよなぁ。本書にはそういうものがちょっと足りなかったかな、という感じはしました。
まあそんなわけで、結構面白いと思います。最近の僕の傾向として本格ミステリがそこまで嵌らないらしいんで、ちょっと厳しいことを書いている部分もありますけど、全体的にはうまくまとまってるしトリックも素晴らしいと思いました。普通に本格ミステリを楽しめるという人にはオススメ出います。読んでみてください

柄刀一「fの魔弾」




蒼空時雨(綾崎隼)

会田君と話していて気楽なのは、どんな話題を出しても大丈夫だと思えるところにあるのだ、と思った。志保はどんな人間関係であっても、踏み込んではいけないラインを見定めようとしている。人それぞれ、話すのが得意なジャンル不得意なジャンルがあるし、話したくないことだってある。うまく話せないことや、知識がないことだってたくさんあるだろう。志保は、相手のそういうラインを見極めて、その範囲内で人間関係を築いていくというやり方でこれまで生きてきた。それがたとえお母さんであっても、いや、近しい存在であるからこそかもしれないけれど、そのラインの見極めには慎重になった。そういうことを心がけているからだろう、志保は誰とでもそれなりに人付き合いが出来る代わりに、踏み込んだ人間関係というものにどうしても苦手意識を感じてしまうのだ。相手のラインを踏み越えてまで、相手の内側に入っていかなくてはいけない理由を、志保は見いだせないでいたのだ。

「失踪シャベル 12-7」

内容に入ろうと思います。
作品の構成上、ちょっと内容の紹介をしにくいんですけど、まあ頑張ってみます。
譲原紗矢はほとんど所持品を持たないまま、とある男の家で居候を始めた。土砂降りの雨の夜、舞原零央のアパートでびしょ濡れで倒れていた紗矢は、そのまま居候を始めたのだった。
二人の生活は、初めこそ突然居候をし始めるという紗矢の謎めいた行動に猜疑心を抱かせるも、次第に穏やかに日常となっていく。
しかし紗矢は、実はある秘密を抱えていた。ひと月が経った頃、ようやく紗矢は秘密を明かすことになるのだが…。
譲原紗矢と浅からぬ縁があり、舞原零央の高校時代の先輩である楠木風夏や、風夏の双子の姉である朽月夏音などの恋愛模様も描かれ、舞原零央もいた高校時代の演劇部のことなども描かれていき、幾重にもすれ違った人々の恋愛模様が描かれて行く…。
というような話です。
いやー、これはいい話でしたね。正直、どうしてか分からないけど、結構期待していた作品ではあるんです。表紙がよかったからかな(しかし、こういう表紙とかで面白そうとかって判断をよくするけど、冷静に考えれば作品自体の内容とはまるで関係ないんだよなぁ。でも、関係ないと分かっていながら、やっぱり表紙がいいと期待してしまうなぁ)。期待通りの作品、という感じでした。
読み始めは正直、あーよくある感じのラブロマンスっつーわけですか、みたいな感じでしたよ、正直。でも、一番初めの雨宿りから始まるくだりが、割と早めに終わって、今度は双子の姉妹とかが出てくるんですね。ここまで読んだ時点で、なるほどただのラブロマンスってわけでもなさそうだな、と思い直せました。さらに読み進めて行くと、展開がどんどん面白くなっていくんですね。いや、確かにメインのストーリーはどの話も恋愛なんだけど、でもそれだけに終始しているわけでもない。恋愛以外のストーリーもちゃんとあるし、しかも伏線めいたものを結構うまいこと組み込んでいるんで、そういうことだったのかーとか、なるほどー、というような驚きも結構あったりするんですよ。
個人的に好きなのは、双子の姉である朽月夏音のパートですね。夏音のパートが出てくる前に、双子の妹の風夏がメインの話が出てくるんだけど、そこで風夏が姉である夏音について語る部分が結構あるんですね。でも、夏音のパートを読み始めると、風夏が夏音について語った印象がすっかり変わっていくんですね。それこそ、オセロで一気に黒が白にひっくり返るみたいな感じがあって、いいなと思いました。しかも、夏音の恋愛っていうのがなかなか切ないものがあって、しかも美しいなーと思わせるような恋愛でもあるんですね。この閉じられた世界観は、僕は結構好きだなと思いました。
また、舞原零央の話もなかなかいいですね。まあこれについては書きすぎるとネタバレになりかねないんで抑えめでいくけど、こういうカッコいいんだけどなんだかうまく生きていけない男みたいなのって実際にいそうで、中高時代の話なんかもかなり楽しめました。
文章は、巧いというようなタイプの文章ではないけど、リズムがあって読みやすいし、また何より会話文でキャラクターをきちんと描き分けられているのがデビュー作とは思えないほどだなと思いました。ラノベ系の新人賞だから当然と言えば当然なのかもしれないけど、キャラクターの描き方は実に見事ですね。一人ひとりの個性が作品にしっかり絡み付いているし、ストーリーがさほど展開しないような場面でも、キャラクターの魅力で充分読ませてくれます。
何よりも、譲原紗矢のキャラクターが実に素晴らしいですね。これは惚れるわー。正直、女性の目から見たらこのキャラクターが受け入れられるか分からないんだけど(もしかしたら譲原紗矢みたいな女性は嫌いなんていう女性もいそうな気はする。そこまで女性に嫌われるってキャラでもないとは思うんだけど。女性ウケしそうなのは、双子の妹である楠木風夏かなぁ)、男からすりゃあ、まあこんな女性が近くにいたらアウトでしょうね。まあしょうがないですよね、それは。
個人的には、朽月夏音もかなり好きです。僕は変わった人間が好きなんで、夏音くらい変わってる女性は大好きです。しかも、その変わっている性格に理由があった、という描写には、うわー哀しいなぁ、とか思ってしまいました。
個々人のどうしようもない生い立ちや境遇なんかを実にうまいこと重ねて、微妙な微妙なすれ違いを描く辺り、相当うまいです。そういう作品だと、現実味が薄れてしまうようなものもあると思うんだけど、本書はきっちりと現実味のあるしっかりしたストーリーとして描かれています。その辺りのバランスもうまいなと思いました。
しかしですね、小説以外の部分で一点ちょっと文句があるんですね。とはいえ、それを具体的に書いてしまうとネタバレになるんで書きませんが、ちょっとそれはフェアじゃないだろ、と僕は感じました。そこはなんとか頑張って欲しかったな、とは思います。いや、まあ確かに相当難しいとは思いますけど。
いやまあそんなわけで、これは傑作ですね。表紙もいいし、ちょっと頑張って売ってみようと思っています。これは売れそうな気がするなぁ。メディアワークス文庫ってなんとなく敬遠してたけど、ちょっと読んでみようかな。割と質の高い新人がいそうな気がする。というわけで、本書は傑作なんで、是非読んでみうてください!しかし今年はホントに新人の作品にいいのが当たる。

綾崎隼「蒼空時雨」




少年検閲官(北山猛邦)

「二人組の男の子でね。片方がそんな風に言ってきたわけ。なんだかにやにやしていたけれど、私にはその表情の意味が全然わかんなくて困ったのよ。もう一人の男の子が、止めなよとか言って止めようとしてくれてるんだけれど、こっちをちらちら窺ってるのね。一応止めてはみせたけど、なんだかんだで私の反応が気になるって感じだったかな」
「まあ気にすることなんかないんじゃないかな。どうせ大したことじゃないだろうし、聞いて気持ちのいいことでもないだろうしさ」
 元々別にさほど気に病んでいたというわけでもないので、その話はそこでお終いになった。
 二人は相変わらず何でもない会話を続けた。注文したお酒が、名前のキュートさとはかけ離れた色をしていて笑ったり、あの威厳に満ちたマスターがこの餃子を作っているのかと思ってその違和感を楽しんだり、壁に掛かっているカレンダーがどうして一九八六年十二月のものなのか不思議がったりした。志保が大学に入ってやる気を失っていくまでの話を面白おかしく話したり、会田君が野球場でホームランボールを捕り損ねた話を聞いたりした。

「失踪シャベル 12-6」

内容に入ろうと思います。
舞台は日本。しかし僕らが生きている世界とは大分違う日本です。
世界で大規模な洪水が起こり、イギリスや日本などの島国では、国土の大半が水没してしまっている。その一方で、この世界では書物というものが根絶やしにされ始めている。書物を持つことも書くことも禁じられ、持っていることがわかれば所有場所ごと燃やされてしまう。中でも最も忌み嫌われたのが「ミステリ」で、人が死んだり殺されたりと言った危険な話は徹底的に排除されていくことになった。
あらゆる書物は失われ、人々は知識をラジオから得ることになった。しかしラジオは国の検閲が行われていて、「綺麗な」情報しか民衆には届かない。
そんな終末的な世界の中の、森に囲まれた小さな町が舞台です。
そこでは4年ほど前から「探偵」と呼ばれる謎の存在が町の住人を脅かしていた。町の住人は、「探偵」というのがどんな存在なのか知らない。ただその町に現れる「探偵」は、人の家のドアに赤いペンキで謎めいたマークを書き、また森に入った人間を殺し首を切り落とすといわれていた。しかし町の住人は、首無し死体を見つけたとしても、それを「自然死」として処理した。「ミステリ」についての知識のない人々は、殺人という概念を理解できず、どんな死に方であれ、それを「自然死」として処理する他なかったのである。
水没したロンドンを離れ日本にやってきたクリスは、そんな奇妙な町にやってきた。クリスは書物を見たことはないけど、「ミステリ」については父親から教えてもらったことがあった。だから、この町に現れるという「探偵」がもの凄く悪い印象であることが信じられなかった。「探偵」とはクリスにとって、正義の象徴なのである。
「ミステリ」の基本的知識がまったくない、それどころか殺人という概念さえうまく理解できないという世界の中で、特に「ミステリ」の書物を見つけ出して焚書にする役割を担う少年検閲官と呼ばれる存在が、この町の謎を解き明かす…。
というような話です。
設定や展開はもの凄く面白かったんですけど、最後のオチがちょっとなぁ、という感じの作品でした。
書物の存在が許容されず、ありとあらゆる書物が焚書されてしまう、という世界はなかなか面白いと思いました。特にその中で、「ミステリ」が最も毛嫌いされ、人々はミステリの基本的なトリックだけではなく、そもそも殺人をどう扱ったらいいのかわからなくなってしまっている、という設定が、これはどういう方向にストーリーが展開するんだろうなぁ、とかなり期待を持たせる感じだったんですね。
ストーリーの展開も、この謎めいた世界観を背景に、少しずつ分からないところが増えて行くという感じで、ホントこれで最後どうなるんだろうなぁ、と期待していたんです。
でも、最後のオチは、正直僕にとってはそこまで好きになれないなぁ、という感じでした。確かにそれで全体としては成り立っているけど、僕はもっとメタっぽい感じの終わり方になるんじゃないか、って思ってたんです。もちろんそれは僕が勝手に期待しただけだと言えばその通りなんだけど、「ミステリ」という概念が失われた世界を舞台に描くミステリなんて、メタ的な展開になりそうじゃないですか?いや正直、この作品のオチだと、「ミステリ」が強く忌避されているという設定がそこまで要らないんじゃないかって思うんですよ。もちろん、『人々には基本的なミステリの知識がない』という部分がそれなりにストーリーに重要な役割を与えてはいるんだけど、でもこのオチであれば、敢えて「ミステリ」だけに焦点を絞った書き方をしない方が良かったのかもしれないな、と思いました。どうも、なるほどーすっきりカタルシス!なんていう感じにはなれなかったんですよね。
本書のようなオチであれば、もう少し別の設定の作品でも良かった気がします。何せ、まあこれは著者の趣味なんでしょうけど、本書のオチであれば、世界が終末的な世界観である必要も特にないなぁと思いますしね。もう少しうまい調理の仕方があったような気がします。
というわけで今日はちょっと異常に時間がないので駆け足ですけど、全体的にちょっと残念だったなという感じでした。設定とトリックがイマイチ噛みあっていない、という印象です。設定だけ、あるいはトリックだけならなかなか面白いと思うんだけど、それがあまりうまく噛みあっていないために、ちょっともったいないなぁ、という感じがしました。僕としてはそこまでオススメは出来ません。

北山猛邦「少年検閲官」





動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか(福岡伸一)

「よくわかんないといえば、今日意味わかんないことがあったよ」
 そう言って志保は、今日大学で遭遇した出来事を話し始めた。
「お昼ごはんを食べた後で、三限の授業に行こうとしていた途中なんだけれど、全然知らない人から変なことを聞かれたの」
「どんな?」
「コンドームは残ってたか、って」
「コンドームは残ってたか?」
「そう」
 志保は、今思い返してもなんとも説明がつかない出来事を、どのように処理をすればいいのか分からないでいた。そのまま無視してしまえばいいのだろうけれど、何故自分なのかという疑問が解消されないのが気持ちが悪かった。自分の知らないところで妙な噂が流れているような悲観的な想像が追いついてきて、志保は対処に困ってしまうのだ。

「失踪シャベル 12-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、「生物と無生物のあいだ」など生命科学分野の著作が多数ある研究者の著作です。ソトコトという雑誌に連載されていたものをまとめたもので、「動的平衡」をキーワードにして、広く生命現象について触れている作品です。
さてでは、「動的平衡」とは何か。
これまで生命の定義についてはいろいろと生み出されてきましたが、現在では「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」と考えられている。これは、生命現象というものは、動的平衡状態が生み出す「効果」に過ぎない、ということでもあります。
説明が難しいのだけど(僕がきちんと理解出来ていないということもあるのだけど)、生命というのは部分の総和ではない、ということなんですね。ロボットなんかだと、いろんな部品を組み合わせて、その結果として部分の総和としてロボットが組み上がる。でも、生命はそうではない。生命というのは「流れ」そのものであり、常に環境が通り抜けている容れ物でしかないわけです。
うーん、説明が難しいですねぇ。
例えばこんな話を聞いたことがあると思います。人間の体の細胞というのは常に入れ替わっていて、数年も経てば元あった細胞は一つ残らず入れ替わってしまう、と。これがまあ動的な平衡状態ですね。この細胞の入れ替わりというのは、古くなったから新しく替わる、というわけではないんです(たぶん)。それは、生命というものがそういう「流れそのもの」の中に存在するということであり、細胞を入れ替えるという流れが生命というものを立ち上げているといえるわけです(説明間違ってるかもですが)。
この動的な平衡状態って説明するの難しいですね。僕が分かったつもりになっているだけできちんと理解してないというのもあるでしょうけどね。なんとなくは分かるんだけど、人には説明出来無いなぁ。
本書では、生命を遺伝子レベルにまで切り刻んで理解しようとしていた時代から、少しずつシステム全体としての生命という方向に科学者の目が向いてきた流れや、生命を動的な平衡状態にあるシステムだと捉えた時、過去の知見がどのように変わっていくのか、というようなことが描かれます。
なんて書くと難しそうな話に聞こえるでしょうが、全然そんなことはありません。というわけで以下、面白いなと思った話題を挙げてみます。
日本とアメリカの大学の違いにびっくりしました(って僕もともと理系なのに、そんなことも知らんかったのか、って感じだけど)。日本だと教授は大学から給料をもらうけど、アメリカの大学では、大学と教授の関係は大家と店子の関係らしい。つまり大学は、設備や大学のブランド名を貸す。一方で教授は、研究費をどこからか引っ張ってきて、そこから大学にショバ代を払い、さらに自分や研究員の給料も払う、んだそうです。アメリカの大学教授って、大変ですね、ホント。
そんなアメリカでは、バイオベンチャーを立ち上げる研究者が増えている。前述した通り、大学にいても教授は研究費をどこからか引っ張ってこなくてはいけない。だったら起業して市場から金を集め、そこから得た利益を基礎研究に回した方がいいじゃん、という発想が増えているみたいです。
年を取ると何故時間の流れが早く感じられるのか、という説明(あくまで著者の仮説ですが)が書かれていました。外界からの影響がまったくない部屋で被験者に生活をさせた時、3歳の子供と30歳の大人の体内時計が「1年」を感じるのは、30歳の大人の方が長い(これは体内時計の性質上どうしてもそうなるそうです)。仮に、外界の時間でA時間経った時に3歳の子供が「1年」経ったと感じる時、30歳の大人は2A時間で「1年」を感じるとしましょう。さて実際僕らは外界からの影響のある中で生きている。つまり、3歳の子供は、体内時計がA時間進むと1年だと感じるのに対して、30歳の大人は体内時計が2A時間進まないと1年だと感じられない。だから、外界の時間で1年経った頃には、まだ1年が過ぎたようには感じられないし、昔より時間が早く過ぎて行くように思えるのだ。なんかうまく説明出来なかったなぁ。
◯◯配合、みたいな化粧品や食品がある。コラーゲンとかですね。でもそういうものは体内に入った時、一旦分子レベルにまでバラバラにされてしまう。そして体内でいろんなアミノ酸に変換されるのだ。だから、例えばコラーゲンのたくさん入った化粧品や食品をいくら摂取しても、コラーゲンがそのまま体内で吸収されるわけではない。特定のタンパク質を補うために、外部の特定のタンパク質を摂取するというのはまるで無意味な行為らしいですよ。さらに、コラーゲンは皮膚からは吸収されないらしいんで、コラーゲン配合の化粧品とか無意味らしいですよ。
理由は短い文章で説明出来ないんで省くけど、太らないようにするにはとにかくゆっくり食べるのがいいらしいです。ドカッと一気に食べるよりは、少量を何回かに分けて食べる方が断然太りにくいんだそうです。また食品それぞれに与えられているGI値という数字があるらしいんだけど、その数値が小さいほど太りにくいらしいです。
今の日本人であれば、普通の食生活をしていれば不足する栄養素は一つとしてないし、逆に日本人の栄養所要量を数年後とに定める研究会は、ビタミンやミネラルの摂取上限を策定する作業を進めているなんてこともあるようです。また、もしかしたらとりすぎると逆に危険かもしれないサプリメントもあるとか。睡眠障害に効くというトリプトファンは、キノリン酸という物質を経てNADという有用な物質に変化するらしいんだけど、でもそのキノリン酸が強力な毒物らしいです。もちろん体はそれに対抗するシステムを持っているけど、過剰に摂取したらもしかしたらヤバイかも、とのこと。普通に生きていれば、トリプトファンが不足するなんてことはまずありえないそうです。
生命の細胞の中にはミトコンドリアというものがあるんだけど、これはもともと別の生物だったというのが現在の定説なんだそうです。瀬名秀明の「パラサイトイブ」はその発想をモチーフにしてるらしい。なるほどー。植物の中の葉緑体なんかも同じらしく、この話はなるほどーと思いました。
まあその他、生物の世界の研究の話もあれば、僕らの身近な生活の話もあり、生命という実に単純化出来ないものに対する様々な知識が詰め込まれていて面白いなと思いました。
時間がないので駆け足になりますが、福岡伸一の作品というのは、科学書にしては結構珍しく品格みたいなものがあるんですね。芸術や文学などの方面にも教養があるからでしょうか。また、作品としての構成も素晴らしいなといつも思います。読者の興味を惹く話題からちょっと専門的な話に持っていくとか、科学とはまるで関係のなさそうな話題から始めるとか、さすがだなと思います。
というわけで、他の福岡伸一の著作同様、非常に読みやすい生物についての本だと思います。ダイエットやサプリメントの話なんかはかなり興味を持って読めるだろうし、そうじゃない部分も別に難しいことが書いてあるわけではないんで面白く読めると思います。是非読んでみてください。

福岡伸一「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」




螺旋(サンティアーゴ・パハーレス)

「なんでまた」
「あのマスターさ、誰も喋ってるのをみたことないらしいんだよ。うっかり秘密を喋っちゃったりしないように、喋れないフリをしてるんじゃないか、って」
「三億円事件ってのはどっから来たの?」
「さあ。そこまでは知らないけど」
「なにそれ。よくわかんないね」
「まあたぶん、顔が似てたとかそういうことなんじゃないかな」
 自分で切り出した話題のくせに、そんな風に適当な感じで流してしまった。
「まあでも確かにさ、あの顔で白バイに乗ってたらさ、案外警官に見えるかもね」
「威厳あるしね。って、実際そうだったとしても、大分昔の話だって」
「まあそうなんだけどさ」
 二人とも、今のマスターが白バイ隊員の格好をしているところを想像して、ひとしきり笑った。バーの雰囲気に合わせて、実にささやかな笑い声だったけれど、そんな風に笑い声を抑えなければいけない雰囲気なんていうのも初めてで、新鮮だった。

「失踪シャベル 12-4」

そろそろ内容に入ろうと思います。
とある出版社の編集者としていろいろなところに飛び回っているダビッドは、ある日社長からある特命を命じられる。それは、トマス・マウドという作家を探しだせ、というものだった。
ダビッドのいる出版社は、トマス・マウドの「螺旋」という作品が大当たりして成功した。「螺旋」は今や「指輪物語」と並ぶと言われるほどの、後世に残る傑作と言われており、世界中で信じられないほど売れている作品であった。しかし、社長でさえトマス・マウド本人に会ったことはおろか、声さえ聞いたことがないのだった。
社長は、シリーズの続編の原稿が手元にないにも関わらず、周囲からの圧力に負けて発売すると言ってしまう。だから、どうしても作家本人を見つけ出して、シリーズの続編の原稿を書かせなくてはいけない。その特命を帯びたのがデビッドだったのだ。
しかし一方でデビッドは、家庭で問題を抱えていた。いつも世界中をあちこち飛び回っている仕事をしているせいで、奥さんに愛想を尽かされ始めているのだ。そこでデビッドは、仕事のことは一切何も言わず、ただ休暇で旅行に行こうと妻を誘って、トマス・マウドが原稿を発送しているらしい村へと赴くことになるのだが…。
というような話です。
正直、うーん、という感じでした。
本書は帯に「二転三転のストーリー 驚愕と感動のラスト!」って書いてあるんですよ。だから僕は、そういう物語を期待して読んでたんですね。でも、正直そういう感じではなかったんですよ。確かに最後の方で、あーなるほどこれがトマス・マウドの正体なのか、とは思いますけど、でも二転三転というほどの展開はないし、驚愕!というような話でもないんです。
さらに問題だなと思うのは、本書にはダビッドがトマス・マウドを探すというメインのストーリー以外に、麻薬中毒者であるフランが主人公となるパートが並行して語られていくんだけど、これがなんとも言えないんですね。これも帯に書いてあることだけど、「2つのストーリーが交錯する時、衝撃の事実が明らかになる!」って書いてあるんだけど、正直なところ二つのストーリーが交錯して明らかになる事実なんてないんです。正直フランの話は必要ないぐらいで、もちろん麻薬中毒者の実態みたいなそういう意味で読んでいけばまた面白さを見つけることが出来るかとは思うんだけど、正直メインのストーリーとはほぼ関係ない話なんで、不必要なパートなんですね。
だから正直これは、作品の問題というよりは、帯の問題ですね。
本書を、ガチガチのミステリーだという先入観なしで読むことが出来れば、案外もう少し楽しめたかもしれません。僕の意識の中では、『最後にどんな凄いオチが待ってるんだ』という気持ちで読んでいたのに、最後に大したことがなかったばっかりにガックリ来てるんですね。でもそういう先入観さえなければ、割と面白い話だったかもしれません。ダビッドと妻の微妙な攻防、トマス・マウドがいると言われる村の様々な住人達の生活、トマス・マウドを見つけるためにダビッドが被った様々な被害、麻薬中毒者のリアルな現実などなど、そういう一つ一つの描写というのは結構面白かったと思います。僕は本書を読んでて、中盤がかなり中だるみしてるな、という感じがしたんですけど、それも恐らくガチガチのミステリだという先入観で読んでたからでしょう。トマス・マウドの正体がどうなるのか、という期待で読んでいたから中盤がだれているように感じただけで、そうでなければきっと、一つ一つの話をもっと楽しめたのではないかな、と思います。
そんなわけで、本書は完全に帯が悪いと思う。作者は結構実力のある作家ではないかな、と思うし、キャラクターや文章なんかもきっちりしてると思う。これがデビュー作だというから、それを加味すれば上出来ではないかと思う。でも、何にしても帯があまりにも誇大広告(というか、アピールの方向性が間違えている)なので、読者に誤った先入観を植えつけて、読後感を台無しにしてしまっている。古川日出男の推薦文はいいと思うんで、ホントこれだけにして出版社の人が書いたと思われる文章は全部削除した方がいいと思うなぁ。
というわけで、出版社の売り出し方があまりに間違っていたために、作品自体悪くないにも関わらず読後感が悪くなるという実に最悪な結果になってしまったな、と思います。本書をミステリだと思わずに読めば、結構楽しめるんじゃないかな、と思います。ミステリだという先入観を持たずに読んでみてください。

追記)amazonの評価は相当高いです

サンティアーゴ・パハーレス「螺旋」



高砂コンビニ奮闘記 悪衣悪食を恥じず(森雅裕)

適当にお酒を選んだ二人だったけれど、そもそもどうやって注文するのかが分からない。居酒屋のように、スタッフを呼び出すボタンがあるわけでもない。すると、マスターが既にテーブルの横に立っていて、それに同時に気づいた二人は、うわっと小さな声をあげた。そんな反応には慣れていますよとでも言うように、マスターは注文伝票らしい紙と鉛筆を持ちながら静かに佇んでいた。二人がどうやって注文を決めたことを察知したのかは分からないけれど、とにかく注文する時はマスターが来てくれるらしい。二人は、聞いたこともない名前のお酒と聞き慣れた料理をいくつか注文した。
「あのマスターはさ、三億円事件の犯人だって噂があるんだ」
 会田君はカウンターに戻るマスターに聞こえないようにだろう、それまでよりもさらに声を潜めてそう言った。

「失踪シャベル 12-3」

内容に入ろうと思います。
本書は、かつて江戸川乱歩賞を受賞した作家で、現在無職で生きていくのもギリギリの生活をしている著者の、50代半ばにしての初のコンビニアルバイトの顛末を描いたものです。
高砂にあるMニップ(と本書では略している。まあどこのコンビニかはわかるでしょう)は、著者が働き始めてから13ヶ月で閉店してしまったようなんですが、そこでの仕事、出会った人々、奇妙なお客さんなどなど、コンビニバイトの裏側を描いています。
というだけでは特に面白くもなんともないエッセイという感じがするでしょうが、本書は『芸大を優秀な卒業し、作家として辛口の書評家に評価された、これまでずっとフリーでやってきた中高年が、突如生きるためにコンビニバイトをする』という視点の新鮮さがなかなか面白いんですね。
著者としては、何件も面接に出向いてようやく採用されたアルバイト先なので、そもそも文句を言わず真面目に仕事をするつもりなのであるけど、さらにその時代の人らしく、そもそも仕事に対する生真面目さみたいなものを持っているんですね(とわざわざ書くのは、僕も接客業でアルバイトをしていて、仕事に対する生真面目さのない人が増えてきたなぁと感じるため)。コンビニの仕事は相当な激務で、しかも夜勤だった著者はそれはもうとんでもない仕事量だったとか。しかも日々変わらぬルーチンワークの繰り返し。それでも、少しでも効率を上げるやり方を見つけ出したり、クレームに対処する有効な(とは言い難いかも。なにせ悪質なクレーマーには結構喧嘩腰で挑んでいて、そのやり方には個人的に賛成だけど、店長たちからは疎まれていたよう)対処を編み出したり、一回りもふた回りも年齢の違う仲間との関わり方に気を遣ったりと、あぁもう生真面目に仕事をしちゃう人なんだろうな、それが得とか損とかじゃなくて、どんな仕事であれ仕事をきっちり出来ない自分を恥ずかしく感じてしまうのだろうな、ということが伝わってくるので、好感が持てます。
しかしこの高砂の店は、客筋が酷かったみたいですね。詳しくは是非読んでみて欲しいのだけど、深夜とは言え、コンビニっていうのはそこまで荒れ放題なのか?と思うほど劣悪なんですね(もちろん、今後書くことも同様だけど、すべては著者の主観なので、それが正確に事実を描写しているかは読者には分かりません。でも、もし多少の食い違いがあったとしても、ちょっとそれはないだろというレベルの話が多い)。
例えば僕がびっくりしたクレーマーの一人(本書にはとんでもないクレーマーの話は結構出てくる)に、さきいかか何かの空の袋を持ってきて、『間違えて買っちゃったから交換してくれ』と言ってきた客。いやいや、もうあった食べちゃったんでしょ?そんなもん、間違えたも何もないだろうが、ってなもんですよね。
自分も接客業でアルバイトをしているから、本書で描かれているスタッフ同士のやり取りというのは、わかるなぁ、というものが多かったです。朝勤や昼勤と夜勤の間の険悪っぷりとか、恐ろしく使えないスタッフの話とか、言葉を交わさなくても医師の疎通が出来るとか、わかるわかるって感じでした。
他にも、普段よく使ってるけど内情まではよく知らないコンビニの内部が分かって結構面白かったりしました。
というわけで、気になったエピソードをいろいろ抜書きしてみます。
いろんな事情でレジに通しても値段が出てこない商品があるらしく、基本的にそういうものは売るのを断るらしいんだけど、時々適当な値段で売ってしまうこともあったらしい。
月に一二度は110番するような店だったようです。いやだ、そんな店で働くのは…。
働いている間に店長が3回代わったらしいのだけど、その中のS山さんというのが凄い。言ってることが支離滅裂で、しかも女性にだけは甘いという、上に立ってはいけない人間である。このS山さんのエピソードを読むと、ウチはまだましか、と思えてくる。
弁当や飲料など販売期限の短い商品は古いものを必ず手前にやるけお、菓子類は期限が長い上に回転も早いから、どんどん手前に補充しちゃうみたいですよ。だから菓子類は手前の方が新しい可能性がある、らしいです(店によるらしいですけど)。
陳列の仕方について本部から見本の写真が来るらしいのだけど、これがどうも支離滅裂らしい。同じブランドのポテチの違う味を並べて置かないとか、なんて指示があるようだ。コンビニはそういうマーケティングを相当やってるだろうから、それが理想的な置き方なのかもしれないけど、理由を知りたいなぁ。
そもそも知らなかったんだけど、コンビニの発注って店長だけじゃなくてバイトも普通にやるんですね?で、発注ミスというのが必ずや起こる。「店長おすすめ」なんてポップがついて大量に陳列してある商品は発注ミスと思っていいみたいですよ。
著者が働いていた店で起こった話ではないらしいけど、コンビニのトイレにまつわるとんでもない話。トイレットペーパーが切れていたのでパンツで拭いた客が、このパンツ代を弁償しろとねじこんだらしい。しかもパンツはトイレに流して詰まらせるし、俺のパンツは高級ブランドだとごねたりしたらしい。すげーなー。
コンビニは基本両替お断りらしいけど、それでも来る。著者が経験したわけではないらしいけど、小銭をどさっと出して、全部一円玉にして欲しいなんてのもあったとか。どうするんだ、それ。「五十円玉二十枚の謎」みたいですね(笑)
これはコンビニの話ではなく、著者が若いときにしていたバイトの話らしいけど、昔工事現場で働いていた時、「これをつけてないと責任問題になるから」と言って命綱を渡されるんだけど、そのフックを引っ掛ける場所がない。ぶらさげているだけなのだそうだ。聞くと、「いいんだ、つけてさえいれば」と言われるのだという。とんでもないですね。
というようなコンビニの話が基本メインなのだけど、本書の巻末では、自分の来歴やどれほど苦しい状況にいるのかという吐露が少しだけある。
50代でそれまでほとんどフリーでやってきたという怪しげな履歴で仕事を探すのは大変だろうと思うし、その他友人が去っていったとか、理不尽なことに出くわすとか、孤独であることの辛さとか書かれているけど、やっぱりそういうのは今の時点の僕にはリアルには想像出来ない。僕も正直言って、この著者と似たような道をまっしぐらだなぁーと思うんだけど、まあなるようになれ、としか思っていない。きっとそうなった時に、あー昔こんな本読んだな、と思い返すのだろうな。
さて、それはともかくとして、個人的にどうかなと思うのが、著者が出版社から干されてしまった、という経緯である。
正直それについては、本書ではごく僅かしか触れられていない。というかほとんど記述がない。なので、本書に書かれている話だけから何らかの結論を導きだすのは危険だと思うし、これまた著者の主観の話であるので何が事実であるのかを判断することは難しいだろうと思うのだけど、それでも本書のほんの僅かな記述から判断するに、出版社の編集者というのはちょっといかがなものかと思わないではない。
もしかしたらそれは昔の風潮で、今はある程度改善されているのかもしれないけど、それでもちょっと前にメジャーな漫画家が出版社の編集者との揉め事を暴露していたりする。業界の体質は恐らく変わっていないのだろう、と思う。
本を作る、という経験をもちろんしたことはないので、それがどれだけ大変なことなのか分からないで書くのだけど、少なくとも作家より編集者の方が上、という状況はマズイのではないかと思う。作家の方が偉い、とは言えないけど、少なくとも対等の立場でいるべきではないか。でも、本書を読む限り、どうしても編集者の方が上と読めてしまう。
もちろん、ちらっとウィキペディアの記述を読んだところ、この森雅裕という人も相当トラブルメーカーではあるらしい。業界の暴露話なんかをじゃんじゃん言ってたりとかして、そういう小説とは関係ないところで揉め事を生み出して嫌われていったという部分もあるだろう。でも著者としては、そもそも編集者の方がおかしいのであって、だから自分は暴露をしたのだ、と主張するかもしれない。そうなるともはや泥仕合なのでどうにも決着はつかないだろうけど、もし今でも出版社の編集者というのが作家に対して強い立場を取っているのであれば、それがもし素晴らしい作品を生み出すための方策なのだとしても、是非止めてほしいものだな、と思いました。
しかし、江戸川乱歩賞全集が刊行された際、著者の「モーツァルトは子守唄を歌わない」が収録されなかったというのは、さすがに問題がありすぎではないか、と思います。こういう、読者の方を向かず、内輪の揉め事で読者の不利益を被るようなことをしてしまうのは、さすがに問題だろうな、と思いました。現在の出版業界では改善されているといいな、と思います。
最後のあとがきで、39歳の青年の孤独死から始まって、今の世の中の人間の繋がりについて書いている。テレビでは、その青年に対して「どうして助けを求めなかったのか」と論じるが、著者はその答えをこう書く。
その青年のSOSに気づくような感性の持ち主は、そもそも同じような境遇であることが多く、物理的な支援を期待するのは難しい。問題は気づこうとしない人たちで、そういう人たちは自分がSOSに気付いていないということにさえ気づかないのだ(文章的におかしいような気がするけど、そのまま残そう)。今もギリギリの生活をしている著者の、恵まれた人にはただの愚痴にしか聞こえないかもしれないと危惧しつつも発する、これがSOSです。自分のSOSでもあり、社会に対するSOSでもあります。そのSOSを受けて行動することはやっぱりなかなか難しいんですけどね。
というわけで、なかなか面白い作品でした。同じような境遇の人はたくさんいるのではないかな、と思います。是非読んでみてください。

森雅裕「高砂コンビニ奮闘記 悪衣悪食を恥じず」




ピストルズ(阿部和重)

そんなところに、こんなに洒落たバーを構えて、どんな客がやってくるのか分からないけれど、内装や調度品を見るとほどほどに年月を経た店だと分かるので、それなりに需要があるということだろう。現に志保も今、会田君に連れられてこのバーにやって来ている。ちょっとかっこつけたい大学生には穴場のようなところなのかもしれない。その割には店全体の雰囲気が崩れていないのは、マスターに威厳があるからだろうか。マスター然りとした服を着こなし、オーダーのない時は常にグラスを磨いているマスターは、その存在感だけで酔客の背筋を伸ばすことが出来るのではないかと思わせるほどで、店とマスターの存在が渾然一体となっている印象だった。このマスターのいないバーというのが想像出来なくて、きっと撮影現場のセットのように安っぽく見えてしまうだろう、と志保は想像した。
 カウンターに座ってマスターと向き合うだけの勇気は会田君にもなかったみたいで、二人は奥の二人がけのテーブルに座った。メニューを開くと、聞いたことのない名前のお酒がたくさん並んでいて、困った志保は会田君に注文を任せることにした。しかしその会田君も何を頼んだらわからないようで、僕も初めて来るからさと気負いなく言った。自分を必要以上に大きく見せようとしないところが、いいなと思った。

「失踪シャベル 12-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、<神町クロニクル>というシリーズ(?)の一冊らしいんですけど、阿部和重の著作を初めて読む僕としてはどれがそれに当たるのかよく知りません。
舞台は東北のとある町・神町であり、ここに住む菖蒲家というのが直接の主役になります。
本書は、菖蒲家に疑問を持った書店店主・石川満が、菖蒲家の次女で小説家である菖蒲あおばから、菖蒲家の秘密について語られる、という体裁を取っています。
石川はある時出版社の担当者から、神町に住む作家がいると言われ、そのフェアを展開することになったのだが、その菖蒲家というのが何だか奇妙であると思い、好奇心に駆られ調べてみることにしたのだった。
何故なら、菖蒲家は神町に長く住み続けているにも関わらず、地域の住民からあまりにも認知されていないのです。神町の子供たちが時折菖蒲家の敷地内で遊ぶくらいで、それ以外接点がないばかりか、誰も何らかの形でさえ菖蒲家に関心を払っていないように見える、というのです。
そこで石川は菖蒲家に日参し、菖蒲家の秘密に迫らんとするのだけど、そこで菖蒲あおばから、最後に記憶を消してしまうという条件で良ければ、菖蒲家の来歴などお話しましょう、と提案されます。
そしてあおばが語るのは、驚くべき菖蒲家の歴史です。一子相伝の秘術継承の伝統から、祖父と父の対立、四人姉妹すべての母親が違う事情…。そしてその話はやがて、秘術を身につけた四女・みずきの果ない暴走へと繋がっていき…。
というような話です。
いやー、これは凄い話でした!読後感は古川日出男作品を読んだ時に近い、と言えばなんとなくイメージして…もらえるかなぁ?すいすい読めないところも古川日出男作品に近いものがありますし、そもそもこれだけの年代記を書ける作家なんて、日本にはそうはいないんじゃないかなと思います。阿部和重の作品は初めて読みましたけど、正直もっと読みにくいという印象があったんですけど、僕が想像していたよりはとっつきやすい作品でした(それでも、読むのに相当時間掛かりましたけど)。
とにかく本書のほとんどを占めるのが、菖蒲あおばの独白です。他にも、石川満が何故菖蒲家の秘密を知りたがったのかとか、神町の縁起みたいな話もあったりとかするんですけど、正直言ってそういう部分は瑣末なもので、とにかくあおばの独白がメインです。
このあおばの独白がまあ凄いのなんの。まああおばは、いろんな人から話を総合して語っているだけなので、真に凄いのは菖蒲家の歴史というわけなんですけど、よくもまあこれだけいろんなことが書けるものだよ、と感心してしまいます。
菖蒲家の根幹を成すのは、一子相伝が決められているとある秘術です。アヤメメソッドとも呼ばれるこの力は、人心を自在に操ることが出来る、というような認識でいいと思います。それが1200年も前から脈々と受け継がれている、というのが菖蒲家の伝統として伝わっているわけです。
しかしここが捻れているところなんだけど、あおばら四人姉妹の父である水樹は、この伝統を嘘っぱちだと決めつけているんですね。すべては、水樹の父(あおばの祖父)である瑞木がでっちあげた妄想なのだ、という立場を貫きます。
ここで祖父と父の対立が明らかになるわけですが、話は簡単には進みません。水樹としては、自分の代で秘術の継承は終わらせ、下の世代には受け継がないと固く誓うわけですが、しかし祖父はそんな考えは見抜いていて、自分の死後に発動するような後催眠のようなものを掛け、じわじわと水樹を支配していく、というとんでもない呪いを掛けるんですね。これが晩年まで水樹を苦しめることになります。
さてそんな水樹は、秘術は秘密にされるべきであるという祖父の考えに反対し、秘術の一部をオープンにし、自邸に緩やかなコミューンを作ることになります。結果的に自堕落なコミューンが形成されるわけですが、そのコミューンで知り合った四人の女性それぞれと子を成し、四人姉妹をもうけることになるわけです。四人の母はそれぞれになかなかトリッキーな性格で、菖蒲家をいろいろと引っ掻き回す出来事を多々引き起こすことになります。
この辺りまでが大体、作品の半分という感じでしょうか。
どの場面も、まあ読み応えがありますね。一つ一つのエピソードの細かさ、奇妙な因習に囚われた人々の行動原理、一つの結果が次の結果を誘発していく展開など、描写の凄さが凄まじいです。こういう部分についていくら言葉を費やしてもあまり伝わらないと思うので早々に諦めますが、どうやって、どこからこういう話を考えるのだろうか、と思ってしまいます。
さて後半の説明をざっとすると、大雑把に言ってみずきの修行と神町で起こった様々な出来事に菖蒲家はいかに関わっているのか、という話になります。過酷な修行により秘術を身につけた四女・みずきは、その力を過信し(しかしみずきの力は、師匠である水樹の力をも上回るものだったので、過信するのも致し方ない部分もある)、自分には何でも出来ると思いあらゆるトラブルを引き起こすことになります。
こちらの描写もまあ凄い。たぶんこの、神町で起こった出来事のもろもろの中には、過去出版された<神町クロニクル>と関わってくる部分もあるんだろうけど、読んでない僕にはなんとも言えません。
しかしこうやって内容を書いてみても、この作品の凄さは全然伝えられないんだよなぁ。例えばこの本のPOPを書かなくてはいけないってなったら、どんな文章にすればいいんだか全然分からない。とにかく、読んでみてもらわないとその凄さがなかなかわかりにくい作品だというのは間違いないと思います。
古川日出男の作品を読んでいてもそうだけど、こういう年代記みたいな作品を読むと、麻薬的な陶酔感(うまく説明出来ないなぁ)みたいな感じになります。ぼーっとする、という表現だとちょっと違うんだけど、うーん、やっぱりうまく説明出来ないなぁ。たぶんそれは、あおばによる語り口調という文章ということもあるんだと思うんだけど、まさに近くで誰かが語りかけているのを聞いているような感じで、なんかそういう場合って、内容は頭に入ってるんだけどぼーっとしてる、みたいな感じになりそうじゃないですか?なんかそんな感じになるんですよね。不思議な読書体験です。ストーリーやキャラクターやそういったものは申し分ないんだけど(まあそれらについては言葉を費やしても魅力を伝えるのは困難なんで諦めました)、そういうズボズボと深く入り込んでしまうみたいな読書体験を与えてくれる作品ってそうないと思うんで、是非読んでみて欲しいなと思います。
しかしホント、今回の感想はダメだなぁ。いつも本を読みながら、どういう感じで感想を書けばいいのかなんとなく漠然と考えるんだけど(実際何を書くかは書きながら考えるんだけど)、今回は読んでても、どうう風に何を書けばこの作品の凄さが伝わるのか全然分からなかったんですよね。たぶんストーリーとかキャラクターとか文章とか、そういう小説を定量的に評価する要素の単純な足し算ではない、特殊な化学変化みたいなものが起こっている作品のような気がします。読んでると、なんだかクラクラしてくるんですよね。それはなんとなく円城塔っぽい感じです(円城塔よりストーリーは格段に分かりやすいですけどね)。
というわけで、今回の感想はほとんど何も伝えていないという点でまるでダメですが、ほんの少しでも凄さが伝わっていればいいなと思います。本書は<神町クロニクル>というシリーズ(なのかどうかは分からない)の一冊なので、本書を読む前にそれらも読んだ方がいいのかもしれないけど、他の<神町クロニクル>の作品を読まずに本書を読んだ僕にはなんとも判断出来ません。ただ、恐らくこれは他の<神町クロニクル>で出てきた話なんだろうなぁ、と思わせる事件なんかは結構あったので、余裕があれば読んでおいた方がいいのかもしれません。ただ本書を単独で読んだ僕としては、本書だけでも充分楽しめるのではないかな、と思います。というか、本書を読んだお陰で、他の<神町クロニクル>の作品を読みたくなって来ました。
もの凄く長い作品なのでなかなか手を出しづらいかと思うけど、間違いなく傑作です。なかなか未知の読書体験になるのではないかな、と思います。是非読んでみてください。

追記)どうもamazonの評価は厳しめです。これは、僕が他の阿部和重作品を読んでないからかな?うーん、どうも最近世間の評価と僕の評価があんまり合わないなぁという感じが…。

阿部和重「ピストルズ」







主よ、永遠の休息を(誉田哲也)

12

 この町にも、こんなお洒落な場所があるもんなんだな、と志保は感心していた。
 志保が今住んでいるのは、両親の離婚と共に引越してきた土地だ。元々住んでいたところからさほど離れているわけではないけれど、少しでも家賃を抑えるために寂れた町に越すことになった。生まれた土地ではないとはいえ、もう長いこと生活をしてきたところだから、ある程度の雰囲気は知っているつもりだった。シャッターの閉まった店舗の多い商店街があり、地域に一つしかない総合病院には産婦人科がないというような、なかなか年季の入った寂れ方をした町だ。大学が近くにあるからそれなりに若い人が住んではいるものの、そのために町自体が発展するということはなく、学生も大学のある駅から三十分ほど離れた栄えた地域に一人暮らしをするようなところだ。

「失踪シャベル 12-1」

内容に入ろうと思います。
主人公の一人である鶴田吉郎は、共有通信の東京支社社会部に勤務する新聞記者であり、普段は池袋警察署の記者クラブに詰めている。かつて大手五紙が抜けなかった特ダネを一人で抜いたことがあり、未だにそういう特ダネを期待されるのだけど、実際の鶴田はそこまでやる気のある記者ではなく、とりあえず特オチ(他の新聞が抜いているのに自分のところだけが取り上げていないこと)さえ避けられればいいや、という緩い仕事ぶりに終始している。
そんな鶴田はある時、本当に偶然、コンビニ強盗に鉢あわせてしまった。その時、犯人逮捕に協力したある人物がいるのだが、そのコンビニ強盗の後、その人物から連絡が来る。それは、とある暴力団事務所が襲撃されたかもしれない、という情報だった。調べを進めるウチに鶴田は、14年前に起きた女児誘拐殺人事件の「犯行現場と思しき実録映像」がネット上で配信されていることを知るのだが…。
もう一方の主人公である芳賀桐江は、コンビニでアルバイトしているフリーター。正直、いろいろとダメなものがあるんで、普通の就職は諦めた。テレビなどの画面のあるものはダメだし、本屋さんやCDショップみたいな同じものがたくさん並んでいるところもダメ。どうしても気持ち悪くなってしまうのだ。
そんな桐江はある日コンビニ強盗に出くわしてしまう。そこで、新聞記者である鶴田と知り合うことになるのだが…。
というような話です。
かなり面白い作品だったなと思います。
正直に言えば、ストーリーにはさほどひねりがあるような作品ではないんですね。まあ他の誉田作品もそういうところあるけど、本書のメインの話になっていく「実録映像の流出」とか「女児誘拐」とかそういう部分については、特に目新しさはありません。謎めいた点が一点あるけど、それで物語全体を引っ張れるというほどでもないし、そういう点ではストーリー自体のインパクトはそこまで強くはないんです。
でも、これが面白いんですね。やっぱりそれは、登場人物の描き方がより洗練されてきているからではないかな、と思います。つい最近、デビュー直後ぐらいの作品である「春を嫌いになった理由」という作品を読んだんだけど、この作品は正直登場人物を魅力的に描くという点ではまだ弱かったような気がします。でも本書では、キャラクターというほどマンガっぽい感じではないのだけど、登場人物の一人一人の輪郭がしっかりしている。しかも、登場人物たちの頭の中の思考がそのまま滲み出してきたような文体で描かれているので、結構重いし辛い話が出てくるような話ではあるんだけど、あんまりそういう風に感じさせない。登場人物たちの独り言めいた描写が実に親近感を湧かせるような描き方がされていて、それがストーリーの地味さを補ってあまりあるほどの魅力を生み出しているのではないかな、と思います。
特に、誉田哲也は女性の描き方がうまいと思うんだけど(まあいつも書いているけど、女性が読んだらどう感じるか分かりませんけどね)、本書の主人公の一人である芳賀桐江の描き方も凄くいい。しかも、桐江の独り言めいた描写が、やっぱり女性らしい視点で描かれるんですね。服のブランドの名前を出したり、男とは違った視点で周囲を観察したり。こういうのって、男の作家が書くのは結構難しいと思うんだけど、どの作品でも誉田哲也はうまく描写するんですね。さすがだと思います。
というか考えてみれば、誉田哲也の作品で男が主人公だった作品て、僕が読んだ中ではこれが初めてかも。鶴田の方の描写もなかなか軽快で、よかったなと思います。基本的にやる気ないフリをしつつ(本当にやる気がないのかどうかはよくわからないんだけど)、特ダネの気配を感じるとやはり記者の血が騒ぐ、みたいな部分をうまく描いてるな、という感じがしました。
しかしなぁ、一点不満を挙げるなら、タイトルかなぁ。正直よくわからないし、あんまり読みたいという気にさせる感じでもないような気がする。まあ今だったら、誉田哲也というネームバリューである程度売れるだろうから、そこまで問題ではないかもしれないですけどね。
まあそんなわけで、ストーリーで読ませる作品というよりも、登場人物の魅力で読ませる作品ではないかなと思います。誉田哲也は安定感のあるいい作家になってきたなと思います。帯の文章とか読むとなかなか物騒な話がメインのストーリーになってるけど、描き方が軽快なんで重苦しい感じにはなっていません。結構面白い作品ではないかなと思います。是非読んでみてください。

誉田哲也「主よ、永遠の休息を」




代替医療のトリック(サイモン・シン+エツァート・エルンスト)

「一度行ってみたかったバーがあるんだ。大学の先輩に教えてもらったんだけれど、まだ行ったことがなくってさ。今度一緒に行かない?」
 次に会う約束が出来てホッとする反面、他の女性にも同じように言っているんじゃないかと疑心暗鬼になったりして落ち着かなかった。男性と恋愛関係になったことがなかった志保は、まだ恋愛関係にもなっていない相手にこれほど嫉妬しているという事実に驚いていた。自分の新たな一面をこの年になって知ることはそれほど楽なことではなくて、出来ることなら捨ててしまいたい自分の一面だった。会田君の誘いを素直に受け入れ、早速明日そのバーに行くという話にまとまった。気づけば自分の中に、会田君の居場所がすっかり出来上がっていて、ずっと前からそのスペースが存在していたかのように違和感なく収まっていた。
 合コンが終わってカナちゃん達と一緒に帰る時、自分の変化があからさまにバレてしまっているのではないかと不安になって、カナちゃん達の視線や仕草が気になって仕方がなかった。

「失踪シャベル 11-11」

内容に入ろうと思います。
本書は、「フェルマーの最終定理」「暗号解読」など、超一流の理系ノンフィクションの書き手であるサイモン・シンが、代替医療分野で初の大学教授となり、代替医療の有効性について研究しているエツァート・エルンストと共著で、世の中にある代替医療について科学的な視点から効果があるのかどうかについて書いたノンフィクションです。原題がなかなか洒落てますよ。『Trick or Treatment?』ですからね。
代替医療というのは、日本では民間療法みたいな言い方もされるでしょうか。本書ではこれを、『主流派の医師の大半が受け入れていない治療法』と定義しています。
本書ではまず、『科学的根拠に基づく医療』について触れられます。本書では代替医療が科学的根拠のある治療法なのかということを検証するほんなんですけど、そもそもまず、じゃあ科学的に根拠があるとはどういうことなのか、ということに触れるわけです。
医療の歴史を見ると、科学的根拠のある治療がなされるようになったのはここ100年ほどのことで、それより以前は医師の治療を受ける方が、何も治療を受けないより死亡率が高い、というようなとんでもない状況だったようです。
過去の治療で最も長く行われ、かつ最も広範囲に効くと信じられていたものに、瀉血があります。これは、体の中の悪い血を抜くことで病気を治すという考え方で、100年前ほどは普通に治療として行われていました。もちろん現代では瀉血が有効だと考える医者は皆無でしょうが、かつてはそうではなかったのです。それは、科学的根拠のある治療という発想がなく、どの治療法も医者がほんの僅かな成功例を元に体系化されたものを患者に施していたわけです。何せ『科学的根拠に基づく医療』という言葉が生まれたのは、つい最近のこと、1992年だったようですからね。もちろんそれまでにも科学的な手法によって治療法を評価しようという個々の動きはありましたけど、医学界全体がそういう風潮になったのはつい最近だということです。
瀉血を駆逐した科学的手法が、ランダム化二重盲検法、と呼ばれるものです。これについてはざっと説明します。そうしないと、プラセボ効果(プラシーボ効果という表記も見たことがありますが、本書ではプラセボ効果で統一されています)の話が出来ないので。
ランダム化二重盲検法というのは、ある治療が有効かどうかを調べる科学的に最もシンプルで強力な手法です。まず、たくさんの患者をランダムに(ここが重要。つまりどちらのグループも平均的に同じような条件になるようにする)二つのグループに分けます。一方には確かめたい治療法を施し、そしてもう一方にはその治療法と外面的には同じように見える、しかしまったく効果のない治療を施します。例えば、一方にはきちんとした薬を、そしてもう一方には見た目も味もまったく同じだけど小麦粉から出来ている錠剤を与える、と言った感じです。
さて、最も重要な点は以下の点です。それは、治療を受ける患者にしても、その治療を施す医者にしても、自分がどちらの治療を受けているのか/施しているのかについて知識が与えられない、という条件で行われます。これが、二重盲検、という意味ですね。
どうしてそういうやり方をするのかと言えば、それが先程少し話に出したプラセボ効果の問題なんですね。プラセボ効果というのを聞いたことがある人はいると思いますが、これは「医者が信頼できる」「治療法が目新しい」「患者の側に治りたいという強い気持ちがある」などの理由によって、治療そのものにはまったく効果がないことがはっきりしているにも関わらず、何らかの良い変化が現れる現象です。
このプラセボ効果は元々戦場で発見されたようです(それ以前から医者の一部は知っていただろう、と著者は書いていますが、プラセボ効果について大規模な実験を行った医師が関心をもつきっかけになったのが戦場での出来事だったということです)。戦場で治療を行っていたある医師は、モルヒネが足りなくなった際、苦肉の策として生理食塩水を与え、鎮痛剤を与えたかのように思い込ませたところ、まさに鎮痛剤を与えた時のような状態になったんだそうです。
さらに物凄い話が載っています。内胸結紮という手術があるみたいなんだけど、これは狭心症の痛みを軽減させるために昔行われていた手術だそうです。しかし、この手術の有効性に疑問を持っていた医師は、とんでもない実験をします。片方のグループには実際に内胸結紮の手術を行い、もう一方のグループには皮膚を切開し動脈を露出させるところまでやるけど、実際には何もしないでまた元に戻したわけです。するとどちらのグループでも、四分の三の人が痛みが軽減された、と言ったようです。手術をしたもらった、と患者が思うことでプラセボ効果が現れたんだそうです。
治療法を科学的治験にかける場合、このプラセボ効果が実に厄介な問題になります。患者がどちらの治療法を施されたのかを知ることが、結果に大きな影響を与えるというわけです。もちろん、医者がどちらの治療法を施すのか知っている場合も、それが言葉や態度に出てしまう恐れがあるために、二重盲検というやり方で、どちらにも治療法をわからせないようにして行う、という手法を取っているわけです。
このランダム化二重盲検法によって、画期的な治療法を見つけたかもしれないと思った医者が、その後調べ直し効果がなかったと判定されたケースがあります。それは、まだ科学的根拠に基づく治療という概念がそこまで浸透していなかった50年ほど前になされたもので、すべての医者がそういう自制心があれば医療の歴史も大きく変わったのでしょうが、事実はそううまくいきません。とはいえ、ここ最近は医者は科学的根拠に基づく医療という概念を受け入れ、科学的に最も効果のある治療法を患者に提供すべきという意見が浸透しているのでいいんです。
しかし問題は代替医療です。本書では、「鍼治療」「ホメオパシー」「カイロプラクティック」「ハーブ療法」の四つのメジャーな代替医療についてそれぞれ一つずつ章を割き、科学的にそれぞれの治療法が根拠のあるものなのか検証します。著者の二人は、代替医療に対してそれなりに先入観を持っていたかもしれませんが、しかし彼らは基本的に、『科学的に裏付けられたものであれば信じる』という立場を取っています。つまり、代替医療には確かに怪しげなものはたくさんあるだろうけど(と、別に著者二人が書いているわけではないですが)、実際にそれが科学的に根拠がある治療法だという結果が出れば、それを受け入れるという中立な立場を取っています。
さてここで『科学的』と言っているのは、その治療法の仕組みが理解されている、という意味ではありません。どういう仕組みで効くのか、科学的に立証出来るかどうか、という意味ではないんです。本書で繰り返し強調しているのは、『その治療法は効くのか効かないのか』ということです。例えばこれは、レモン療法の例をあげています。かつて船乗りには壊血病という恐ろしい病気がありました。原因不明で、治療法も分からないのだけど、船乗りの多くがこれで命を落とす。ある時、いくつかの治療法を実験した医者がいて、その結果壊血病にはレモンを与えるのが効果的だ、という結論を出しましたが、何故レモンを与えることが壊血病の治療に有効なのか示すことが出来なかったためその意見はすぐには受け入れられませんでした。その後ビタミンが発見され、壊血病にはビタミンを摂取することが有効だということが分かるんですが、何にせよともかく重要なのは、『理屈は分からないけど壊血病にはレモンが有効だ』ということが実験から分かったということです。本書でもこのスタンスは有効です。つまり、代替医療が提唱する怪しげな理論についてはとりあえず置いておいて(つまり批判も肯定もなるべくせず)、その治療法が効くかどうか、という点に絞って検証しているわけです。
さてその結果、上記で挙げた四つの代替医療は、一部の場合を除いてほぼ科学的に根拠がない、ということが明らかになりました。それ以外の代替医療についても(日本の指圧なんかも載ってます)、巻末にそれぞれ2ページずつを使って、それぞれの有効性について触れています(しかしこの巻末で、「レイキ(霊気)」という治療法が日本で人気だ、と書いてあるんですけど、そんな治療人気ありますかね?)。
さて、本書はここでは終わらないんですね。本書では、代替医療はプラセボ効果以上の効果は見いだせないという結論がほとんどなわけなんですけど、ここで代替医療について重要な問いが発せられます。すなわち、『プラセボ効果であっても効果があるのだから、それなら代替医療を使ってもいいのではないか?』という疑問です。
確かに、それがプラセボ効果だろうがなんだろうが、効果があるというなら代替医療だって一概に悪いとは言えないのではないか、という反論はそれなりに正しいように聞こえますが、本書ではそれについても明確に反論します。その最も分かりやすい反論はこうです。実はプラセボ効果というのは、効果の証明された薬でも同様に起こるわけですね。だから、わざわざ高いお金を払って、プラセボ効果しかない治療法に手を出す意味がどこにあるでしょうか?
そして最後に、何故人々は、科学的に根拠のない代替医療にこれほどまでに傾倒してしまうのか、という分析もされます。そこには実にいろんな要因があります。これはダイエットなんかを例に考えれば分かりやすいかもしれませんね。次から次へと新しいダイエット法が提唱されては消えていくけど、まさにそれらは代替医療と同じようなものだと見てもいいでしょう。どう考えても普遍的なダイエット法は、食事を健康的に制限し、運動をすることでしょう。これが主流の医学に相当します。でも、食事を健康的にして運動するというのは時間も掛かるし、目新しさがないからなんとなく効かないような気がする。それにテレビでは、有名人がこのダイエットで痩せたとか、あるいはテレビの情報番組がこのダイエット法が一番だとか言う。あるいは、医者が科学的に考えただのと言った権威付けをするようなものも多い。そういう色んな要因によって、新しく現れるダイエット法が人気を博すんだと思うんだけど、代替医療もそういう感じで、根拠がほぼないにも関わらず、未だに多くの人々が系統しているという現実があるわけです。
そういう、代替医療にめぐる様々なことについて書いてある作品ですが、まあさすがサイモン・シンだなと思います。やっぱりサイモン・シンを超える科学ライターはなかなかいないのではないかな、と思います。とにかく、科学的な素養のない一般の人に分かりやすく説明するテクニックが素晴らしい。一冊の本の構成としてもまったく見事だし、文章も読みやすい(それは訳者の手腕もあるかもだけど)。サイモン・シンの著作はすべて読んでいるけど、科学や数学と言った実に難しい世界を、これほどまでに分かりやすく書けるサイエンスライターは他にはいないのではないかなと思います。
本書はとにかく、病気になる可能性のあるすべての人が読んだほうがいい作品だと思います。本書では、メインで扱われているのが「鍼治療」「ホメオパシー」「カイロプラクティック」「ハーブ治療」と、そこまで日本人に馴染みがあるわけではない治療法ばかりではないかと思います(「鍼治療」はある程度広まってるかもだけど、欧米なんかでは「ホメオパシー」の薬が普通に薬局に置いてあるみたいだし、「カイロプラクティック」や「ホメオパシー」によって大学の学位が取れるなんていう状況になっているようなんで、日本と比べて相当浸透していると言っていいでしょう)。それでも、本書で描かれていることは代替医療全般に言えることであるはずです。日本でどんな民間医療が主流なのかよく知りませんが(本書では是非メインで漢方も扱って欲しかったな、と思います。それとも漢方はもう主流の医療に取り込まれてるのかな?)、民間医療に頼りたくなってしまう気持ちはわからないではありませんが、本書を読めば、民間医療より主流の医療の方が遥かに効果がある、ということが分かってもらえるのではないかな、と思います。別に、健康に害のなさそうな代替医療(磁気によって体を治癒する、みたいなもの)であれば、お金を失うだけで深刻な被害はないでしょうが、本書では信頼性に欠ける代替医療は、時として命を落とすような深刻な状態に陥ることも示唆されています。最も重要な点は、代替医療に手を出すことで、主流の治療を止めてしまう、ということです。また、主流の医療で処方された薬と合わせると弊害を起こす代替医療の薬というものも多数あるようです。それにより、深刻な事態に陥ったり、あるいは死に至ったりという事例は殊の外多いようなので、とにかく代替医療に手を出す際には、本書で書かれている注意点を良く守ってからにした方が良さそうです。
さて、個人的には、サイモン・シンにはもっと物理や数学寄りの本を出して欲しいな、と思ったりします。個人的に読みたいのは、リーマン予想についての本ですね。あるいはポアンカレ予想。この二つであれば、サイモン・シンらしい重厚な作品が書けるのではないかなと思います。あるいは量子コンピュータがもう少し実用的になれば、それについての本も読みたいところです。あとはやっぱり量子論の分野にも手を出して欲しいですね。数学・物理のあらゆるメジャーどころの領域について、サイモン・シンの素晴らしい手腕を発揮して欲しいものだ、と思います。
あともう一つ。やっぱり訳者の青木薫さんはいいですね。とにかく理系ノンフィクションを選ぶ際に、何を読んだらいいか困ったら、青木薫さんが訳している本を選ぶと外れはないと保証しましょう。
これまでのサイモン・シンの著作はどれも、知的好奇心を大いに満足させてくれる作品でしたが、本書は知的好奇心の要素をほんの少し下げる代わりに、実に実用的な本になっています。医療に対する偏見や誤解など、普段から無意識の内に感じてしまっているバイアスを一旦無効にするためにも、是非是非読んで欲しい作品です。もちろん、理系ノンフィクションとしても素晴らしい作品です。さすが、サイモン・シン!

追記)アマゾンのレビューを見たんだけど、低い評価をつけている人の意見がどうもおかしいような気がしたんで僕なりに反論。レビュー全部読んだわけではないんで、一部に反論、という感じですが。
まず、代替医療は個々の事例に柔軟に対応するから、大人数の被験者を対象にした検証にはそぐわないのだ、というような意見があるけど、それについての反論はちゃんと本書に載ってる。
また、現代の科学では解明出来ないという謙虚さが欲しい、という意見があるけど、これもさっき書いたように、代替医療がどういう理屈で効くと主張しているのかはとりあえず置いておいて、効果があるかどうかだけを議論の対象にしているわけで、的外れではないかな、と思います。
また、元々否定的な視点に立っている、という批判があるけど、本書では最も重視しているのは科学的な手法であり、著者が元々否定的な視点に立っていたとしても、科学的に出た結論は信じるという立場を取っているのでそこまで問題はないでしょう(というか、著者は別に否定的な視点に立っているとはそう感じられるわけではないし)。もちろん、否定的な視点に立っていれば、代替医療に肯定的な結果を無意識の内にはじいてしまうというような見方は出来るかもしれないけど、そもそも研究をしているのは著者の二人ではないし、著者の二人は他人の研究結果と分析結果を世に広める、という立ち位置なわけで、そういう見方もあまりどうかなと思います。
あと、代替医療効果の判定の仕方に問題がある、という批判があるけど、先程も書いたように、そもそも著者二人が研究しているわけではないのだからこの批判も的外れではないかな、と思います。著者二人が行った研究について書かれた本ならその批判は正しいでしょうが、本書は著者の二人が他人が行った研究結果を載せているわけで、代替医療効果の判定の仕方にもし問題があるのだとしても、それは本書への批判としては的確ではないのではないかな、と思いました。

サイモン・シン+エツァート・エルンスト「代替医療のトリック」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)