黒夜行

>>2010年04月

月読(太田忠司)

志保は思わず、カナちゃんの方を見てしまった。前半の印象では、カナちゃんはこの会田なんとか君が気に入っているんじゃないかと志保は思っていた。でも今は、別の誰かと楽しそうに喋っていた。あの感じなら、たぶんカナちゃんは今喋っている男の子にターゲットを絞ったのだと思う。志保はホッとした。男の子と話すことが出来るということにホッとしている自分が何だか不思議な感じがして、少しだけ戸惑った。会田なんとか君の言う通り、志保は誰のライバルにもならないという理由で合コンに呼ばれているのだとすれば、今日を境にもう自分は合コンに呼ばれなくなるのではないかと思った。それでも別にいいんじゃないかと思っている自分が、やっぱり不思議だった。
 会田なんとか君はきっと頭がいいから、志保に答えを求めているわけではないのだろう。志保が合コンが好きではないというのはもう分かっているはずだし、幹事であるカナちゃんがどういう理由で志保を呼んでいるのかはさすがに志保自身知っているとは思っていないだろう。

「失踪シャベル 11-7」

内容に入ろうと思います。
本書は、僕らのいる世界とはほんの少し違う、パラレルワールドみたいな世界での話です。
違いは、月導が現れるかどうか、という点。
本書の世界では、誰か人が死ぬと月導と呼ばれるものが出現する。規則性はなく、あらゆる物理法則を無視するその月導は、盆栽の形だったり虹の形だったりあるいは冷気などという形のないものまで多種多様です。そして本書の世界には、その月導を読み解くことが出来る月読と呼ばれる存在がいます。
月読は先天的な才能のみによって決まり、月導に触れるとそれが語っていることについて嘘をつくことが出来ないようです。月読の才能のある人間は月読として生きていかなくてはならないのですが、月導を読み解くことが出来るという能力は実際まったく不必要なもので、月読として生きるほとんどの人々は、自分が月読であるという運命を嘆くことになります。
物語は、大きく二つの主軸から成り立っています。
一つは、河井という刑事が、従姉妹が殺された事件について調べる話。河井は、親族が殺されたということで捜査から外されるのですが、捜査本部は連続強姦魔の仕業だと考えているのに対し、河井には違うという直感があり、独自に調べることにしたわけです。
その過程で河井は、朔夜という月読に出会います。捜査についてちょっとした助けを借りて行くうちに親しくなるのだけど…。
もう一方は克己という高校生の話。地方都市に住む彼は自らの進路について悩む時期にいるのだけど、それとは別に、同じ学校の生徒だけどほとんど話したことのない香坂炯子という女の子と関わり合いを持つことになる。自分の出生と似たところのある炯子に、しかし特に共感を抱くでもなかった克己だったが、香坂邸で何やら事件が起こったらしく…。
というような話です。
うーん、という感じの作品でした。この著者の作品を読むのは初めてだったんですけど、本書にはなんとなく期待してたんですね。どうしてだかよく分かりませんけど。でも、あんまり僕の好みに合う作品ではありませんでした。
正直なところ、本書では月読という設定がそこまでうまく活かされていないように感じられるんですね。確かに、ところどころ月読という設定のお陰で物語が転がる場面がありますけど、じゃあそれがなければどうにもならなかったかというと別にそうでもないかな、という気がします。それに、裏表紙の内容紹介に、『人は死の瞬間、何を思うのか。それを知ることに意味はあるのか。』とか書いてあるんだけど、別にそういう部分を掘り下げていくような作品でもないんですね。
本書の世界は、月読の研究に世界中が多額の研究費を費やしたために科学技術の進歩は異常に遅く、人類は月に行っていないし、一家に一台パソコンがあるなんて状況もないらしいんだけど、そういう設定が作品に活かされているというわけでもないんですね。はっきり言って、この月読という設定は、タイトルにもなるぐらいだから本書のメインの部分であるはずなんだけど、でも蛇足というか余分というか、別になくてもいい話だなと正直思いました。
いろんな事件が絡みあっているストーリーはなかなか読み応えがあるけど、だからと言って普通の域を出ていないし、キャラクターもそこまで魅力的に描かれていないと思うんで、どうもなぁという感じでした。
まあ長い作品の割に案外読みやすい作品だったかなというところはまあよかったかなという感じはします。
まあそんなわけで、僕にはあんまり合わない作品でした。でもこういう作品が好きという人はいるような気がします。気が向いたら読んでみてください。

太田忠司「月読」



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春を嫌いになった理由(誉田哲也)

「僕が女の子側の幹事だったらさ、君みたいに可愛くって盛り上げられる人はあんまり呼びたくないかもって思うよ。だって、太刀打ち出来ないでしょ、そんな人に」
 お世辞なんだとしても気分がよかったし、吹けば飛んでしまうような軽い言葉じゃなく『可愛い』なんて言われたのがちょっと恥ずかしくもあって、志保はグラスを盛大に傾けてぐびりと飲んだ。
「でも君はこうして呼ばれてる。だとしたら、初めっからライバルにはならないってみんなが安心してるってことかなって。そうだとすれば、僕に考えられるのは、君が合コンにそもそも興味がないってぐらいしかないんだけれど」
 そういうと会田なんとか君は、ニッと笑った。さっきまで滔々と理屈っぽいことを話していたのが嘘のように、まるで少年のような笑顔を見せていた。志保は何だか楽しくなってきた。これまでカナちゃんに呼ばれて何度か合コンに参加したことがあるけれど、二人きりで喋っていてこんなにも楽しいと思えることなんか初めてじゃないかと思った。

「失踪シャベル 11-6」

内容に入ろうと思います。
本書は警察小説で一躍ベストセラー作家になった著者の、デビュー初期の頃のホラー系ミステリ作品です。
本書は大きく分けて二つの話が交互に展開されていきます。
まず一つは、秋川瑞希がテレビ番組のプロデューサーをしている叔母に頼まれて霊能力者の通訳をする、という話。
就職浪人中の無職・秋川瑞希は、意識が飛ぶと時々ポルトガル語が出てきてしまうという霊能力者の通訳をさせられることになった。望んでやったわけではない。ただ叔母に弱いところを突かれ、やらざるおえなかっただけだ。本当はやりたくなかった。何よりも、超能力だの霊媒師だのと言った類のことは大嫌いだからだ。
叔母がやっている番組は、超能力によって失踪人を探すという類の番組で、エステラという霊能力者には、渋谷でよく証言が得られるとある幽霊について霊視してもらうことになった。しかしその霊視で、なんとエステラの霊視通りとあるビルかた死体が発見されてしまう!まさかこれはヤラセなのか…と訝る瑞希をよそに、叔母の生放送の番組の収録がやってくる。その日はその死体が見つかった件以外にも、失踪人探しなどいくつかの事案が扱われるのだけど、生放送中にエステラが、収録現場に殺人犯がやってくると霊視して…。
さてもう一方は、中国から密入国で日本にやってきた林守敬の話。守敬は妹と共に、貧しい故郷を抜け出して、壮絶な経験を経てようやく日本へとたどり着いた。日本で密入国仲間と働いていたのだけど、少しずつマズイ状況に陥っていくことになる。密入国者という、日本では肩身の狭い立場であるという鬱屈感が募り、少しずつ悪いことに手を出していくことになる。とある不幸が起こり、逃げなくてはならない状況に追い込まれた守敬だが…。
というような話です。
相変わらずエンタメ作品としてなかなか面白い作品を書くな、と思います。
まずやっぱり、この作家はキャラクターをうまく書きますね。本書も主人公は女性で、誉田哲也は女性キャラクターを結構魅力的に書くな、と思います。本書も、別にコレといって一言で括れるような特徴がある女性ではないんだけど、それでもきっちりとキャラクターが立っています。他にも、叔母でありプロデューサーでもある織江なんかは素晴らしいですね。林守敬の方はちょっとまた雰囲気が違ったりするんで、親しみやすいキャラクターっていうのはあんまり出てこないんだけど、秋川瑞希のパートの方は、キャラクターの描き方によって楽しい雰囲気になっているな、という感じがします。
ストーリーは、他の著作と比べるとちょっと入り組んでいるかな、という感じはします。「ストロベリーナイト」や「ソウルケイジ」なんかと同じく、二つの視点が同時に進んで行くという形式ですが、超能力番組をみている視聴者の視点があったり、また秋川瑞希のパートなのに織江の視点に切り替わっている部分があったりと、ちょっとあんまりスマートさはないですね。ストーリーも、現在進行形の話だけでもビルから死体が見つかった話や失踪人を探す話があるのに、さらに瑞希の過去の話だのエステラの能力が本物なのかどうかなど、焦点が定まっていないような雰囲気を感じますが、それでも作品全体としてはなかなか面白いストーリー展開ではないかなと思います。相変わらずスピード感はあるし、どうなるんだろうかと気になる展開を用意してくれています。ラストで面白い仕掛けがあったりするし、メインのストーリーの落とし所も、まあ読む人によっては割と早い段階で分かってしまうかもしれないけど、面白いんじゃないかなと思います。
とは言え、それ以上書くことがない、というのも事実は事実なんだよなぁ。「武士道シックスティーン」みたいな、それまでの作風とはガラリと変えてくるような作品ならともかく、本書は「ストロベリーナイト」とか「ソウルケイジ」なんかと雰囲気や構成やキャラクター造形なんかもかなり近いわけで、そうなると僕の中ではそろそろこういう感じはいいかな、と思ったりもしてきます。作品全体としてうまくまとまってるし、読めば普通に面白いし、うまいなぁと思うんだけど、じゃあこの作家の似たような雰囲気の作品が次に出たらとなると、ちょっとやっぱり手に取らないかなぁという感じがします。同じ作家には出来るだけ同じ雰囲気の作品を書いて欲しいと思っている人は多いと思いますけど(だから西村京太郎とか梓林太郎みたいな作家の作品が未だに売れ続けるのだ)、僕は失敗してもいいから新しい感じにチャレンジして欲しいなと思います。特にこの作家は、ストーリーもキャラクターも並以上の作家の力量を持っているわけで、たぶんどんなタイプの作品でも器用に掛けてしまうんではないかなと思います。
「ストロベリーナイト」や「武士道シックスティーン」なんかと比べると若干落ちますけど、やっぱりエンタメ作品として非常に出来の良い面白い作品だと思います。ホラー系の作品とは言え、想像するような怖いシーンは特に出てきません(題材が心霊というだけのことです)。普通にミステリとして楽しめる作品だと思います。読んでみてください。

誉田哲也「春を嫌いになった理由」



その数学が戦略を決める(イアン・エアーズ)

志保はその会話だけで、相手の頭の良さを感じることが出来た。知識や学歴をひけらかす男の子はたくさんいたけれど、本物の知性というのはそこにはない。特別頭の良い人が好きというわけでもないけれど、喋っていて気分が昂揚するのは、やっぱり本当の意味で知性を持っている人だけだなと思う。
「そうかな。そんな大したことしてるつもりはないんだけれど」
「そんなことないでしょ。僕だってこれでもそこそこ合コンには出てるけどさ、あんな風に全体を仕切れる人って初めて見たかも」
 自分がどれだけ面白いかをアピールし、相手の表面的なところだけを拙い言葉で褒めちぎっているような男の子とはまったく違っていた。志保が力を入れている部分をしっかりと見抜いていて、そこを的確に褒めてくれているのだ。

「失踪シャベル 11-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、「テラマイニング」や「定量分析」や「絶対計算」と呼ばれる。現在ありとあらゆるところで行われている統計的な分析について扱っている本です。これは、大量の情報をあるやり方で分析し、それによって様々な相関関係を見出したりする、と言うような感じです。本書では様々な具体例が扱われていますが、その年の気温や降水量からその年に生産されたブドウから出来たワインがどんな味になるのか予測したり、プロ野球のスカウトがどの選手が将来有望になりそうかを予測したりするのにさえ使われているようです。
絶対計算は、大きくわけて二つの手法があります。
一つは、過去のデータを分析するもの。こちらを回帰分析と呼びます。先程書いたワインや野球選手の例はこの回帰分析の話です。つまり、過去のワインや野球選手のデータを大量に分析し、そこから未来を予測する式を生み出すわけなんですね。例えばワインの質だとこんな式があるようです。

ワインの質=12.145+0.00117×冬の降雨+0.0614×育成期平均気温-0.00386×収穫期降雨

また野球選手を評価するこんな式もあるようです。

貢献出走塁=(ヒット数+四球数)×総塁数/(死球以外の打数席+四球数)

どうしてこんな式になるのかは、まあコンピュータがはじき出すわけでよく分からないんですけど(まあでもちゃんと勉強すれば分かるんでしょうけど)、とにかくこういう式を元になされた予測は、経験や勘を重視する専門家の予測よりも遥かにいい結果を残すんだそうです。
さて、絶対計算のもう一つの手法は、無作為実験と呼ばれるものです。これは過去のデータを分析するのではなくて、現在進行形のデータを得てそれを分析するという手法です。
例えば本書のタイトル(日本語版のタイトルではなくて英語版のタイトル)はこの無作為実験によって決められたんだそうです。
どうしたのかと言えば、グーグルアドワーズという広告を使ったのだ。「データマイニング」や「数値計算」といった言葉で検索する人の検索結果の脇に広告が出るわけですけど、そのタイトルを無作為に以下の二つに変えるわけです。
「The End of Intuition(直感の終わり)」
「Super Crunchers(絶対計算者たち)」
その結果、後者の方が多くクリックされたという結果になったわけで、それでタイトルが決められたそうです。
無作為実験というのは、ほとんどどんな場合でも出来ます。現在はインターネットが発達したお陰で無作為実験をものすごく簡単にやりやすくなったわけですけど、現実の世界でも無作為実験は行われています。
例えばある航空会社が行った実験。フライトの大幅の遅延やキャンセルなど、航空会社が「輸送上の事象」と呼ぶトラブルに巻き込まれたお客さんを無作為に三つのグループに分けて、その後八ヶ月に渡り、一つのグループは正式なお詫びの手紙を受け取る。二つ目のグループはお詫び状に加えてその航空会社のプレジデントクラブへのお試し入会期間が与えられた。そして第三のグループは比較の基準として、何も受け取らない。
こういう実験をして、ただのお詫び状だけでも効果があるばかりか、翌年その航空会社に使うお金が増えるという結果が出た。こんな風にして、ありとあらゆる会社が無作為実験を行っている。
無作為実験を行っているのは企業だけではない。むしろ政府の方が積極的なのだという。これは、MITの経済学部院生だった学生が、負の所得税(NIT)について政府からの研究費を受けて無作為抽出テストをやったことがきっかけだったようだ。NITというのは、所得が一定額以下になったら政府がお金をくれる制度だ。学生はこのNITが働く意欲を下げるかどうかの実験をしたのだが、結果は必ずしもそうではない、という結果になった。しかし全く予想外のこととして、NITを与えられた家庭は離婚率が以上に高かったのだという。無作為実験にしても回帰分析にしてもそうだけど、まるで関係ないと思われていた事柄に相関を見つけ出すというのに実に役に立つ。以後、制作や選挙など、あらゆる場面でこの無作為実験が行われるようになっているという。
無作為実験の肝は、その実験の母体数だ。無作為に分けられたいくつかのグループは、厳密には同じではない。いろんな人がいるだろうし、価値観も人種も性別もいろいろと様々な人がいる。でも、母体数が大きくなれば大きくなるほど、その個々人の差は平均化されていく。母体数が多ければ多いほど、いくつかのグループ間に現れた差は、そのグループに対して行ったこと(あるいは行わなかったこと)が原因であると言うことが出来る、ということだ。
本書では、この回帰分析と無作為実験について、これまで具体的にどんなことが行われてきたのか、そしてそれらはどれぐらい成功を収めているのか、ということが語られる一方で、絶対計算に駆逐されまいとして経験や勘にしがみつく専門家集団との軋轢や(これは特に、医者との対立という形で一章丸々描かれる)、絶対計算も決して万能ではないという事例なども含め、絶対計算を取り巻く現在を描いている作品です。
なかなか面白い作品でした。雰囲気としては、ちょっと前に読んだ「たまたま」という作品に近いものがありますけど、「たまたま」がどちらかと言えば学問よりだったのに対して、本書はどちらかと言えば僕らの日常的な具体例がたくさん書かれている作品で、より身近な話題だなと思いました。
しかし本書を読むと、『専門家』と呼ばれる人々をあまり信用してはいけないな、という気分になることでしょう。まあ僕は別に元々信頼してはいないんですけどね。医者の言ってることには間違いがあるだろうと思ってるし(とは言え、医者以上の知識を僕が持っているわけもなく、だから間違っている可能性があると感じつつ医者の言うことを聞くしかないんですけどね)、最近はテレビはほとんど見ませんがテレビで政治がどうたら経済がどうたらみたいなことを言っている人もあんまり信じてないし(例えば選挙とかがあるとテレビでいろいろ予想したりするけど、そういう人たちは外れたとしても別に弁明したりするわけではないんですよね)、さらにスピリチュアルがどうの前世がどうのなんていう超がつく胡散臭い『専門家』なんかについてはアホじゃないかと思っています。
しかし本書の素晴らしいのは、そういう『専門家』の経験や勘が間違っているのだということが多くの事例で示されてきた、ということです。
例えば本書では結構長い紙幅を割いて医療について書いているんですけど、その中で、これまで信じられていた以下のような事柄は、実際は絶対計算によって間違っていることが証明されているんだそうです。

・ビタミン B12障害では錠剤は効かないから注射で治療しなくてはならない
・眼帯を使うと角膜に炎症を起こした患者の快適さと治癒は改善する
・急激な腹痛を起こしている患者にアヘン系の鎮痛剤を与えると、腹膜炎の兆候や症状が隠れてしまうので望ましくない

しかし今でも医者は、上記のような事柄を信じて実行しているのだそうです。絶対計算によってまちがっているということが証明されているにも関わらず(まあそれを医者自身が知っているかどうかは分かりませんけど)、医者はそう教わったからそれまでそうやってきたからというだけの理由で、自分のやり方を変えないんですね。
かつてはもっと深刻なことがありました。1840年、オーストリアの医者が、検死解剖室を出てきたばかりの医師見習いが診察した女性は死亡率が高いということに気がついた。そこで診療所の医師や看護負が患者を診る前に塩素入り石灰水で手を洗えば、死亡率は12パーセントから2パーセントに下がることを発見したわけです。この結果はやがて、病気に原因が細菌によるものだという理論になるわけなんですけど、でも当初多くの医者は、何故手を洗うと死亡率が下がるのか分からないと言ってバカにして猛反発し、結局それを主張した医者はクビになってしまったようです。現在では手を洗う事の重要さは医者は理解しているでしょうけど、でもそれと同じような状況が現在でも多々あるということです。
またこんな実験もあったようです。法律の専門家と絶対計算者がそれぞれ、ある年の最高裁判所の裁判結果を予測したんだそうです。法律の専門家の方は専門家83人を集めて総合的に結果を予測した。一方で絶対計算者たちは、次のような6つの要素だけを考慮してモデルを作ったようです。
「その判事の出身巡回法廷」「その裁判の争点領域」「原告の種類」「被告の種類」「下級法廷判決のイデオロギー的な方向性」「被告がその法律や判決を違憲だと主張しているかどうか」
結果、絶対計算者たちの方が専門家集団よりも正しい予測をしたんだそうです。
この絶対計算は、ありとあらゆる場面に浸透していて、今では映画産業にまで介入しているらしんです。
エパゴギクス社という会社は、映画の脚本に対して絶対計算を施して、その脚本がどれぐらいの収益を生み出しそうか判断出来るシステムを作ったんだそうです。そのシステムは、監督や俳優などの要素は一切なく、脚本のみによって興行収入を予測するんだそうです。エパゴギクス社は映画産業全体では実に嫌われている存在ですが、でもエパゴギクス社のやり方が成功していけば(そして実際映画産業への口出しが出来るほどの影響力を持ち始めているようなんですけど)、映画の脚本さえも絶対計算によって生み出されたり修正されたりされてしまうということになります。なんというか、それはちょっとなぁとか思ってしまいますよね。でも、その方がより収益を上げることが出来るというのなら、映画産業も無視出来なくなることでしょう。
絶対計算はプライバシーという概念さえも変えてしまうんですね。プライバシーというのは基本的に、現在と過去の情報についてのものでした。しかし現在では、絶対計算によって未来の情報さえ知ることが出来る。現在と過去の情報さえあれば、未来の情報さえ知られてしまうのだ。実際に、クレジットカードの使用履歴から、その人が離婚しやすいかどうか、なんていう情報が分かったりするみたいです。これからもっと絶対計算の影響力が大きくなるだろうけど、そうなると一方で、「データマイニングなし」をうたう製品が出てきたりと、いろいろな状況がやってくるだろうと書いています。
さて最後に。この絶対計算の話は、確率や認知なんかにも関わってくる話で、本書でそういう部分に触れているもので面白い話をいくつか抜き出して終わろうと思います。
まず集合的な予測は、その集団の中の個人による最高の予測を上回る精度を発揮するという話。例えば、びんに一円玉を詰めて、中にいくら入っているか一番近い予測をした人に100ドルの賞金を出すという実験をしたとする。この場合、集団の知恵は全員の予測値の平均を計算すれば出る。そしてこの平均値は、個々の予測値のどれよりも実際の値に近いことが多いんだそうです。集団の予測こそが真実に近い可能性がもっとも高い、というのは面白い話だなと。
人間は予測が苦手な生き物ですけど、それは認知的な欠陥や偏りがあるからです。例えば、家に銃があると子供に危険だと思っている人は多いだろうけど、でも統計的には以下のようなことが言えるんだそうです。
「平均的に見ると、銃を持っていて裏庭にプールがある家では、子供はプールで死ぬ確率のほうが100倍近く高い」
なるほど、確かにそうかもしれないな、と思います。そういう、本当に重要なポイントを無視して細部に騒ぐ(麻生総理が漢字が読めないと言って騒いだりする)のは、どこの国も同じなのかもしれません。
最後に確率の問題。これは「たまたま」の方でもまったく同じ問題が出てきたんですけど、やっぱり難しいです。

40歳の女性のうち、定期的な検査を受ける人の1%は乳がんに掛かっている。乳がん女性の80%は、マンモグラフィで陽性を示します。乳がんなしの女性10%も、マンモグラフィで陽性を示します。さて、この年齢グループに属するある女性が、定期検診のマンモグラフィで陽性となりました。この人が本当に乳がんである確率はいくつ?

これを医者に出すと、ほとんどの医者が75%ぐらいと答えるんだそうです。まあ感覚的にはやっぱりそんな感じがしますよね。
正解はこうです。
具体的に数字で考えてみましょう。乳がん検査を受ける女性が1000人いるとして、そのうち10人が乳がん女性です(確率が1%ですからね)。その10人のウチ、マンモグラフィで陽性になるのが8人です。一方乳がんではない女性990人のうち、マンモグラフィで偽陽性を示す女性が99人います。
つまり、マンモグラフィで陽性と出た女性107人のうち、実際に乳がんであるのは8人だから、確率は7.5パーセントぐらいだそうです。医師の予想の10分の1ですね。確率の問題は実に難しいですけど、こういうことを知っておくというのは大事かもしれませんね。
というわけで、いろいろと日常的な事柄がたくさん書かれていて面白いです。自分も知らないウチに無作為実験に巻き込まれているんだろうな、と思うとなんか嫌な感じがしますね。特に最近インターネットで無料のサービスがたくさんありますけど、ああいうのはこちらの情報をそういう形で得て、それを絶対計算に使ってるんだろうな、と思います。消費者として賢く振舞うためにも、本書に書かれているような知識はどこか頭の片隅にでも持っておいた方がいいのかもしれません。是非読んでみてください。

イアン・エアーズ「その数字が戦略を決める」




ハイブリッド(木野龍逸)

そんな風に聞いてきたのは、さっきまでアカネちゃんと、なんとかっていう有名らしいサッカー選手のフリーキックの凄さについて語っていた男の子だった。確か会田なんとかみたいな名前だった。アイダショウコとは字が違うんだ、とか言っていたから苗字は覚えているんだけれど、そもそもアイダショウコが誰なのか志保には分からなくてちょっとだけ困ってしまったのだ。
 志保は、その会田なんとかっていう男の子に少しだけ興味を持った。合コンが終わる頃ならともかく、まだ個別で話すようになってそこまで時間が経っていないのだ。前半で盛り上げている女子というイメージが強いこのタイミングで、合コンが好きじゃないのではと聞いてくる男の子はこれまで誰もいなかった。何かそう悟られるようなことでもしただろうかと聞いてみたい気になった。
「どうして?」
「だって普通さ、君みたいに自然に気配りの出来る女の子って、あんまり合コンに呼ばれないんじゃないか、ってさ」

「失踪シャベル 11-4」

内容に入ろうと思います。本日二度目の更新です。
本書は、世界初のハイブリッド車であるプリウスを開発したエンジニアたちの開発の物語です。
プリウスは、関わったエンジニア全員が、99%不可能だと思っていたプロジェクトだったようです。なにせ、開発にたったの2年しか猶予がなかった。まったく新しい車を開発するにはありえない期間です。元々予定していた計画年数(それさえ多少ギリギリで組んでいたのに)を、当時の社長の一声でいきなり2年も縮められたのだ。しかも、2年後に発売というのは元々社内的な期限であり対外的にはまだ発表していなかったにも関わらず、ある時社長が発売する時期を明言してしまったために、その時点ではまだまともに車が走っていなかったにも関わらず(!)、そこから無理矢理なスケジュールで、結局期日までになんとか間に合ったわけです。
誰もがクレイジーだと言ったそのプロジェクトは、もともと実に大雑把な形で始まりました。
そもそもは、当時の会長が「今のままのクルマづくりでいいのか」と度々疑問を呈していたのを受け、じゃあとりあえず次世代の車を作ろうというG21というプロジェクトを立ち上げるわけですけど、この時点ではハイブリッドに挑戦する予定もなかったし、そもそも近いうちに生産ラインに乗るようなそんな予定もなかったわけです。
しかし、ある人事異動が状況を一変させます。トヨタ内で「技術の天皇」と言われる和田が副社長になり、その和田がG21に「ハイブリッドで燃費を二倍にしろ」と言ってきたわけです。和田にも二倍という根拠はなかったわけですけど、いずれにしても技術の天皇の一言。もうこれはやるしかありません。
実は社内に、誰にも内緒で勝手にハイブリッドの研究をしていたという塩見という男がいました。プロジェクトのトップに畑違いの人間を据えるなど、新しいやり方で進んで行く。そうこうしていく内に、このプロジェクトが全社プロジェクトの様相を呈して行くことになる。そもそも近いうちに生産ラインに載せるなんてつもりはまったくなかったG21のメンバーは、まず量産化が決まり、その期日が決まり、しかもその期日がどんどん短縮されて行くに連れて、これは本気だと感じるようになっていった。
そうやって全員がひっちゃかめっちゃかムチャクチャなことをやって、それでもなんとか結果オーライ、なんとか2年という超驚異的な短期間で開発されたのがプリウスなわけです。
しかしプリウスというのは凄い車みたいですね。プリウスが出た時ある自動車関係の技術者は、システム解析のために分解して調べたらしいのだけど、「なぜこのシステムが成立するんだ?」と思ったらしい。機構は理解できるのだけど、細かな部分の組み合わせがとんでもなくて、特許以前の問題として、同じものを作ることがそもそも難しいと思ったらしい。「あれを考えた人は天才だよ」とも言ったとか。未だに欧米では、プリウスを2年で開発したと言っても信じてもらえないのだそうだ。そんなわけがない、と。
しかしプリウスの開発メンバーには変な人間がたくさん出てくる。一番変なのは、やっぱさっきも書いた塩見でしょうか。塩見が勝手に立ち上げた第三開発センターは、何をしているんだか外からではさっぱり分からないところだったらしく、「あそこには近寄るな」とか「塩見サティアン」とか呼ばれていたらしい。大分以前から環境対策の重要性を感じていたにも関わらず、声高に主張するでもなく黙々と研究を続け、ハイブリッドの開発が始まってからも深慮遠謀で周りを動かすという策士っぷりも凄いです。
藤井というのもなかなか凄いです。元々振動や騒音対策の部署にいたのだけど、塩見に呼ばれてハイブリッドの先行開発を担当することになった。でも、ハイブリッドということは電気ももちろん使うのだけど、藤井は電気についてはまるで無知。一次電池と二次電池の違いすら知らなかったというのだから凄い。そんな藤井が、最終的にプリウスには必要不可欠だった電池を何とか開発したわけです(直前にいろいろバタバタあったのだけど)。プリウスの肝である電池の開発についてはトヨタも相当苦戦したようで、初めは松下電器と組んでやっていたものの、やがて自社で開発を決断することになります。そうやって一から、しかも短期間で開発しちゃうんだから凄いものです。今では、新しくプリウスのリーダーになった若手に、『必ず失敗は起こると思って取り組んでください。決してあわてないで、ゆっくりゆっくりやって、失敗してもなんとかなると思ってやってください』と言っているのだという。
無知と言えば、G21のリーダーになった内山田もそう。元々実験出身の人で、G21のリーダーになったものの、車一台をまとめた経験がない。こういう、知識も経験もない人間にとりあえずやらせてみる、というのが結果としてうまく行ったわけで、そういう度胸みたいなものも大事だったんだろうなと思います。
「技術の天皇」である和田は、要所要所で重大なことを言います。特に重要だったのは燃料タンク。この逸話は僕もどこかで聞いたことがあるんですけど、こういう感じです。
技術者たちは、燃費が半分になるのだから、燃料タンクも半分にしちゃえば室内も広く取れるしいいと考えていた。しかしそれを聞いた和田は即座にダメだという。お客さんがどうやって燃費の良さを実感するかっていうと、ガソリンスタンドに行く頻度が短くなるからだ。だから燃料タンクは小さくしたらいかん、と。これはプリウス発売後のお客さんの反応としてまさにそうだったようで、和田の慧眼だと言えるでしょう。
八重樫というのも素晴らしいですね。開発現場の実質的なリーダーで、これまでにも経験豊富なベテランなんだけど、やっぱり仕事の進め方が丁寧で、一方で大胆にムチャクチャでスゴクいい。
八重樫が言っていることで凄く面白いなと思ったのは、結果的にTHSと呼ばれるようになったハイブリッドシステムについて。元々先行開発は藤井がやっていたのだけど、そこでの検証を仕切れない内に実際の開発が始まってしまった。藤井は最終的にいくつかあったハイブリッドシステムを4つにまで絞り、その中からまあとりあえず良さそうだなという一つを選んでいろいろ実験をしていた。結局時間がないからその藤井が選んだシステムで開発が進むことになったのだけど、結果的にそれが良かった。シンプルな仕組みだし、発想の仕方によっていろんなことが出来る。
でも八重樫は、もし時間が潤沢にあったらこのシステムを選んでいなかっただろう、と言ったそうです。結果的に素晴らしいハイブリッドシステムだったTHSをもし採用していなかったら、もしかしたらハイブリッドカーはここまで普及しなかったかもしれない、と著者は書いています。これも、結果的にいい方向に進んだ出来事の一つでしょう。
驚いたのは、プリウスを発売すると発表した時のお客さんの反応。なんと、現物を見ることなく予約をした人が2000人もいたのだとか。元々1000台売ることが目標だったトヨタにしたら、発売前から品切れという嬉しい悲鳴状態で、こういうお客さんの反応があったからこそ、生産し続けることが出来たと書いています。
またトヨタがやったサービス体制です。なんと、開発に当たった技術者が自らプリウスに乗ってお客さんの元に行って修理するんだとか。もちろんそうやってトラブルを回収することで、次のプリウスに活かそう、という目論見なんですけど。あと、何故プリウスに乗って修理に行くのか。それは、もし行った先で原因が分からなかった場合、とりあえず自分たちが乗ってきたプリウスの中身とそっくり取り替えてしまえば動くはずだから、という理由なんだそうです。確かに合理的な発想だなと思いました。
まあそんなわけで、新書という分量の少ない媒体にしては結構内容も充実していて面白かったなと思います。とはいえ、やっぱり新書ではなく500ページぐらいの単行本で読みたいですね。もっと具体的にどうだったのかという部分を突っ込んで書いた本が読みたくなりました。そういう本は出てないかな?
細かな部分については分かりませんが、開発の大雑把な流れ、そして各人がどんな風に無茶をし、どんな風に感じていたのかという部分については大雑把ながら分かる作品になっています。結構面白い作品です。興味があったら読んでみてください。

木野龍逸「ハイブリッド」



よろこびの歌(宮下奈都)

だからこそ、個別で話すような流れになると、志保は途端に困ってしまう。確かに、知らない人と話すことは楽しいけれど、じゃあ誰かと一対一で話すほど相手に興味があるかというとそうでもない。誰か一人に捕まってしまえば、全体に対する気配りが出来なくなってしまうわけで、いろいろとやってあげたい性格の志保には面白くない。そもそも男の子との出会いを求めてこの場にいるわけでもないので、積極的になりようがないのだ。
 それでも、合コンにくればこういう時間は必ずあるし、男女の人数は大体揃っているから、志保も誰かと話さないわけにはいかなくなる。喋ったら喋ったでそれなりに面白いんだけれど、それ以上どうすればいいのか分からなくなってしまう。どの男の子とも、どうも付き合うという発想にはならなくて、相手にも徐々にそういう雰囲気が伝わるみたいで、気詰まりな感じで会話が途切れてしまう。相手にしても、序盤で場を盛り上げていた女子のイメージからの落差が、余計に印象を悪くするようで、合コンが終わる頃には志保は一人ぼっちでいることが多い。この時間さえなければ合コンってもっと楽しいんだけどなぁと思いながら、志保はサワーをちびちびと飲んでいた。
「合コンはあんまり好きじゃない?」

「失踪シャベル 11-3」

内容に入ろうと思います。
とその前に、実に個人的な報告。僕は大学時代から読んできた本の記録をずっとつけてきてるんだけど、それによれば、なんと本書がちょうど2000冊目の本です。初めは2000冊目だからと言って記念になるような本を読む予定ではなかったんだけど、そういえばこの本を読んでなかったなということを思い出して、ならばとこれを2000冊目にすることにしました。
というわけで今度こそ。
本書は、新設されたばかりのとある女子高を舞台にした連作短編集です。
それぞれの短編の内容を紹介しようと思います。ちなみに各短編のタイトルは、ハイロウズの曲から取ったとか。

「よろこびの歌」
御木本玲は、プロバイオリニストの母を持ち、幼い頃から音楽に自然に触れてきた。当然音大の付属高校に入り、大学・大学院と進むつもりだったのに、まさかのまさか受験に落ちた。滑り止めを考えていなかった玲は慌てて高校を探し、出来たばかりの、音楽科のない普通の女子高に行くことに決めた。
そこで玲は、周囲の人間と関わらず、孤高を保って過ごした。隙間なく詰まっているように思えるイベントを適当にやり過ごしていけば時間は勝手に過ぎて行き、いつの間にか高校二年の秋の合唱コンクールの時期がやってきた。
そこで玲はなんと指揮者に指名されたのだ。バイオリニストの娘だと知っていた人間がいたらしい。やる気はなかった玲だが、それでも少しでもまともなものにしようとあれこれアドバイスをするが…。

「カレーうどん」
うどん屋の娘である原千夏は、高校になってもうどん屋の娘として過ごすのを嫌って、少しでも遠くの学校に行こうと、今の女子高に決めた。千夏は音楽が好きだったが、バイオリニストの娘である御木本玲とうまく接することが出来ないでいた。一方で、なに不自由なく何もかも手にいれて来たのだろう人生を、自分の何の才能もない何も手に出来ていない人生と比べて羨んでもいた。自分と周囲の人間とを隔てる厚い壁のようなものを常に意識していた。
二年の合唱コンクールで御木本玲を指揮者に推薦したら、逆に玲からピアノを指名された。合唱コンクールは散々だった。しかしその後で、玲は千夏の歌を褒めてくれた…。

「No.1」
中溝早希は中学時代、ソフトボールのエースで4番だった。しかし肩を壊し、もうソフトボールは出来なくなってしまった。決まっていた推薦を辞退し、縁もゆかりもないこの女子高に来た。それからの早希の人生は、余生だ。
早希はどうしても御木本玲と反りが合わなかった。自分が何にイライラしているのかもよく分からない。確かに御木本玲の指揮者としての指導は厳しかった。でもそれにイラついていたのではないと思う。
ある時御木本玲と原千夏が音楽室で個人レッスンをしているところに出くわした。なんだかそこで、しこりみたいなものが溶けていったような気がした…。

「サンダーロード」
牧野史香は、死んだ人の姿が見えてしまう。小さい頃は、視界に映る誰が生きている人で、誰が死んでいる人なのか、もっと言えば、誰が話題に出していい人で、誰が話題に出してはいけない人なのか区別がつかなくて、だから自然と無口な子どもに育った。
高校を決める時は、伝統のある古い高校は除外した。絶対に見えすぎてしまうから。だから出来たばかりのこの高校に来た。
水曜日だけ電車で一緒になる男の人がいる。その人とも、幽霊が見えることがきっかけで出会ったのだった。なんとなくすぐに壊れてしまいそうな微妙な関係なのだけど、その人と一緒にいる時間は大切にしたいと思っている。
音楽室でよく見るおじいさんがいる。初めは音楽教師を見ているのかと思ったのだけど…。

「バームクーヘン」
里中佳子は五日前、嫌なことがあった。そこから、どうしても立ち直れないでいる。ふと気づくと、核シェルターのことばかり考えてしまう。
クラスでは合唱の練習をしているけど、もちろん乗り気になれるわけがない。御木本玲が練習場所として、自宅の地下室がどうとか言っているのも気に障る。地下室が悪いわけではないと思う。ただ核シェルターを連想してしまうのだ。
古文の教師であるボーズが呟く。
「あーあ、漢字辞典はいいかげんだなあ」

「夏なんだな」
佐々木ひかりは春の背中を見るのが怖かった。年中春の真っ只中にいるような、容姿の整った美しい姉を持ったせいもあるのだろうか。皆が春の時代を違和感なく享受出来ていることが不思議で仕方がない。だからひかりは、勉強して勉強して勉強して、そうやって自分の立ち位置を作り上げてきた。
なのに、志望校に落ちた。それでこの新設の女子高にやってきた。
御木本玲のように、孤高の存在としていられるのは凄いと思った。バイオリニストの娘だと聞いて、だからこそなのか、とも思った。
それが、合唱の練習を始めるようになって、何か変わった。私もみんなも、そして御木本さんも。みんな、なんだか少しずつ変わっていっている…。

「千年メダル」
御木本玲は、このクラスのメンバーでの最後の合唱の日が近づいてきた中で、どうも歌がバラバラになってきたと感じていた。どうすればまとまるのか、そもそもどんな歌を歌い上げたいのか。クラスメートみんなも考えるし、御木本玲も考えた。
この高校に来てよかった。このクラスメートと一緒に歌を歌うことが出来てよかった。もし音大の付属高校の受験に失敗していなかったら、自分はこんな風に音楽と接することなど出来なかっただろう。
さて、もうすぐ本番だ。歌おう。誰かの中によろこびを生み出すことが出来ると信じて…。

というような話です。
いい作品でした。読み終わりたくない、とずっと思っていました。200ページほどしかない短い小説で、すぐ読み終えてしまうのだけど、読み終えるのがもったいないとずっと思っていました。もっと彼女たちの人生を追っていたいなぁと思っていました。
やっぱり少女という不安定な存在を描くのが実にうまいなと思いました。少女を描くのがうまい作家と言えばもう一人桜庭一樹が思い浮かびますけど、桜庭一樹の場合とんがっているイメージなんですけど、宮下奈都の場合はとがっていない優しいイメージですね。
宮下奈都は、高校生という実に不安定な生き物を、まさに不安定なままに描くのがうまいなと思うんです。みんなそれぞれの事情で、この特に何があるわけでもない新設の女子高にやってきて、別に何を目指すわけでも、何を楽しむわけでもなく、ただ時間が過ぎるままにそこにいるという感じ。ほとんどの人がこの高校が第一志望ではなかったという、そもそものスタートからしてマイナスのオーラが染み出ている上に、主人公たちは自分の境遇を他人の境遇と比較することで悩んだり嘆いたりするわけなんですね。
それは、誰しもが覚えがあるように、実に狭い世界の中で、実に狭い価値観の中で煮詰まっていってしまったもので、新しい世界に行って新しい視点を持つことが出来ればまた変わっていくのだろうけど、高校という狭い世界の中からなかなか抜け出すことの出来ない人々が、みんなはこうなのに自分はこうだ、と言って嘆くわけです。
その比較の対象の一人が、バイオリニストの娘である御木本玲なんですね。御木本玲自身もあれこれと逡巡を抱えているわけなんですけど、周囲からは、才能があるから周囲と関わる必要を感じない孤高の存在だ、という風に見られます。
そんな御木本玲と自分自身とを比較することで、多くの主人公たちが悩んだりイライラしたりといった感じになります。
御木本玲自身もいろいろと抱えているわけなんですけど、外からはなかなかそれが見えてこないし、そもそも周囲と関わっていかないので、周りからすれば御木本玲がどんな人間なのか分からないわけなんですね。
そんな状態で合唱コンクールを迎えることになるわけです。当然ボロボロの結果に終ります。
でも、とあるきっかけがあって、御木本玲はクラスメートの歌の力を垣間見ることになります。それから担任の教師からとある機会を得て、彼女たちはまた合唱の練習をすることになるわけです。それによってクラスが徐々にまとまり、個人個人が抱えていた鬱屈とした逡巡も溶けて行く、なんて書くとありきたりの小説みたいですけど、でも説明するとしたらそう書くしかないですね。
ストーリーのメインとなるのは合唱の練習だけど、そればっかりの描写というわけではありません。むしろ合唱の練習のシーンの方が少ないだろうと思います。それよりも、個々人が御木本玲といかに関わり、そして合唱の練習や御木本玲とのやりとりによってどのように変わっていったのかが描かれていきます。
もちろん主人公の御木本玲はなかなか魅力的なキャラクターとして描かれていますけど、個人的にいいなと思うのは、原千夏ですね。うどん屋の娘です。千夏は、仕方ないとは分かっているのだけど、一方で自分の境遇(両親の仕事が中心になるけど)に対してやりきれない思いを抱えています。音楽が好き、だけど…、という逡巡を、しかし表にはあまり出さないし、仕方ないんだとい方向になんとか考えようとするんですね。
それが御木本玲と関わることで、表面的な変化はほとんどないんだけど、千夏の内面は大きく変わることになるわけです。その変化は、傍目には実に些細なものかもしれないけど、千夏にとっては値千金という感じで、それ以後描かれる千夏のはつらつとしている雰囲気も含めて、いいキャラクターだなと思います。
他の登場人物たちも、抱えている悩みも様々なら生き方も様々という感じで多種多様で面白いです。それぞれの主人公がどうしてそういう生き方を選択したのか、というようなことが丁寧に描かれていて、いい小説だなと思います。
前に「遠くの声に耳を澄ませて」の感想で、宮下奈都は長編の方がいい、というようなことを書きました。僕は、村上春樹や江國香織でも同じことを思うんですけど、宮下奈都の場合、短編だとどうしても広がりが浅くなってしまう、という印象があるんですね。細かな描写を積み重ねて行くことで少しずつじわじわと人間を描いていくというスタイルだと思うんで、短編だと世界観の広がりが浅くてちょっと物足りなさを感じてしまうんです。その点本書は、長編に近い連作短編集だったのでよかったなと思います。ただやっぱり個人的には、「スコーレNo.4」のような、一人の登場人物の成長をずっと追っていくような作品が一番いいな、と思いますけどね。
というわけで実に素晴らしい作品だったわけなんですけど、一点だけ、どうしても書かなくてはいけないことがあります。
それは、ちょっと読むタイミングを間違たなぁ、ということ。
どういうことかというと、ほんの少し前に「桐島、部活やめるってよ」を読んだというのがマズイ点だったんですね。
ホント僕の中で、「桐島、部活やめるってよ」はもの凄く評価が高いんです。しかもどういう点でかというと、高校生の描写についてですね。僕ははっきり言って、これまで読んできたどの高校生が主人公の小説よりも、「桐島、部活やめるってよ」で描かれた高校生の描写が素晴らしいと思っているんです。あの作品で描かれた瑞々しさは、なかなか超えることの出来る作品はないんじゃないかな、と思うんです。
本書も、高校生の描写は見事だと思うんです。高校生の不安定さ、取り繕った人間関係、瞬間的な感情、そうしたものすべてかなりうまく描かれています。でも、やっぱりどうしても僕の中では「桐島、部活やめるってよ」と比較してしまうし、そうするとどうしても「桐島、部活やめるってよ」に軍配が上がる。「桐島、部活やめるってよ」の描写の見事さは、内側と外側の大いなるギャップだと思う。その落差は、やっぱりある程度若い作家でないと書けないのかもしれないとも思う。
だから、「桐島、部活やめるってよ」を読む前か、あるいは「桐島、部活やめるってよ」を読んでその印象が多少は薄れたかなというタイミングで読みたかったですね。そこだけが本当に残念でなりません。ホント、「桐島、部活やめるってよ」を読んですぐ本書を読んじゃったからなぁ。悔やまれるわ、ホント。
恐らくこれからも、高校生が主人公のどんな小説を読んでも「桐島、部活やめるってよ」と比較してしまうだろうし、高校生の描写について「桐島、部活やめるってよ」を超えられる作品というのはなかなか出てこないのではないかなと思います。
まあ、そんなわけで、最後にこの作品とは関係のない、僕個人が勝手に感じてしまった本を読む順番の話を書いたわけなんですけど、その点を考慮したとしても本書は素晴らしい作品でした。2000冊目に相応しい作品だったと思います。悩み、畏れ、孤独を感じ、涙を流す高校生たちの、合唱を通じた青春の一コマ。是非読んでみてください!

宮下奈都「よろこびの歌」





理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性(高橋昌一郎)

しかも、さりげなく全体を盛り上げるのにも長けている。志保はただ普通にしているつもりなのだけれど、どんな会話であっても、その会話を次に繋げる返しや相槌をすることが出来る。他の女子が受けきれないボールが飛んできても、志保はそのボールを打ち返すことが出来る。会話に入れていない人がいればさりげなく話を振り、下ネタが行き過ぎないようにブレーキを掛ける。特別なことをしている自覚はないのだけれど、志保はそうやって全体の会話をリードしサポートすることが出来るのだ。
 志保も、全体でわいわい話している時は、合コンを楽しむことが出来る。知らない世界を知ることが出来るし、話す機会のあまりないタイプの人とも話すことが出来る。しぐさや事前に取り決めた合図から友人が誰を気に入っているのかを知って、うまくくっつけてあげられるように会話をコントロールしたりするのも楽しいし、お酒のなくなった人に注文を振ったり、料理を全員で取り分けられるように配慮したりと、誰かにいろいろ構ってあげるのも元々好きだ。志保にとって合コンというのは、知らない人と話す場であり、自分の力で全体をスムーズに進行させたいと思う場なのだ

「失踪シャベル 11-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、『理性』というキーワードで、政治・経済・数学・物理・哲学・宗教などありとあらゆる分野について書かれた作品です。メインで描かれるのが、「アロウの不可能性定理」「ハイゼンベルグの不確定性定理」「ゲーデルの不完全性定理」の三つで、それが副題の三つの言葉にそれぞれ対応しています。
本書は、『論理学者』『科学主義者』『数理経済学者』『会社員』『学生A』と言ったような様々な人々が集う『理性』をテーマにした架空のシンポジウムで、いろんな人が議論のやりとりをしている、という形式で描かれる作品です。専門的な話が会話調で書かれていて読みやすいし、『会社員』や『学生A』と言った素人が素朴な疑問を出してくれるし、しかも『司会者』の議論の采配が見事なので、難しい話を読んでいるはずなのに、すいすい読めてしまう作品でした。
本書は本当にありとあらゆる分野にまたがって議論が展開されるので(ゲーム理論・量子論・科学史・民主主義などとにかく本当に話題が多岐に渡る)、内容を紹介し尽くすというのはちょっと難しいので、先に挙げた本書のメインとなる三つの話についてざっと書いてみようと思います。
「アロウの不可能性定理」というのは、『完全に民主的な社会的決定方式は存在しない』ということを証明した理論なんだそうです。二人以上の故人が三つ以上の有限個の選択肢に選好順序をもつ場合のすべての社会的決定方式について当てはまるようです。
要するにこれは、どんな投票のやり方をしたとしてもおかしな点が出てくるよ、ということなんです。それぞれ一票ずつ投票するとか、過半数に達しなかったら上位二名で決選投票とか、1位には5点、2位には4点という感じで重みをつけて投票するとか、まあいろんな投票のやり方がありますけど、そのどれを取っても不完全であって、投票した人間の思惑とは違う結果が出てきてしまう可能性がある、ということがすでに証明されているようなんです。この「アロウの不可能性定理」の話は初めて知りましたけど、びっくりしました。この「アロウの不可能性定理」は非常に難解だそうで、自力で証明できる経済学者もほとんどいないそうなんですけど、それを本書は、なんとなく分かったような気分にさせてくれます。
二つ目の「ハイゼンベルグの不確定性定理」は、僕は物理の本を結構読んだことがあるんで割と知っている話です。これは、『位置と速度を両方共正確に測定することは出来ない』というような感じです。まあ位置と速度に限らず、対応する関係にある物理的な情報についてはこれが当てはまるようなんですけど、説明しやすいのは位置と速度についてですね。
ちょっと不正確な部分のある説明をすると、例えば電子の位置を測定したいとしましょう。測定には光を当ててその反射光を観測するしかないんだけど、光というのは波であると同時に光子と呼ばれる粒でもあるんですね。だから、電子に光を当てるというのは、二つのビリヤードのボールが衝突するようなものです。すると、光を当てることによって、電子の位置に影響を与えてしまいますよね?だからこそ、位置を正確に測定できない、ということなんです(まあホントは光の波長がどうとか、みたいなことを言わないといけないんだけど省略)。これも、現代物理学で最も成功したと言っていい量子論から得られた知見であって、僕の拙い知識ではその驚きを表現出来ないんだけど、物理学にとんでもない衝撃を与えたものでした。
さて最後は、「ゲーデルの不完全性定理」です。これもいろんな本を読んで元々知っていた話ではありますが、ナイトとネイブのいる島、という喩えがもの凄く分かりやすくて、ゲーデルの不完全性定理を厳密に理解したいということであれば他の本の方がいいのかもしれませんが、大体のイメージを知りたいということであれば本書に優る本はないのではないかな、と思いました。ゲーデルの不完全性定理も基本的にものすごく難しいですけど、本書はなんとなく分かったような気分にさせてくれるんですね。
ゲーデルの不完全性定理は、『あるシステムの中に、真であるのにそのシステム内では証明出来ない命題が存在する』というような感じですね。本書ではそれを司法システムと犯罪者で形容しているんですけど、ゲーデルが成し遂げたことは、『真犯人だと分かっていながら、いかなる司法システムSでも立証出来ない犯罪Gを生み出したようなイメージ』だそうです。司法システムは当然その犯罪Gに対処する新たな法を組み込んで新しい司法システムにバージョンアップするでしょうが、それでもその新システムの内部に、その新システムでは立証出来ない新たな犯罪を構成出来る、ということを示したわけなんですね。
これは、数学の世界には、真であるのに証明不可能な命題が存在する、ということです。実際、本書には書かれていませんが、ヒルベルトの23の問題の中の一つが、確か証明不可能だということが証明されたような気がします。これも、僕の拙い知識ではその驚きを伝えるのは難しいですけど、数学や哲学の世界に大きな波紋を投げかけた理論でした。
この三つの話を主軸として、さらにあらゆる方面に話が進んでいきます。凄いなと思うのは、この三つの話はそれぞれ一つずつでも1冊の本が書けるほどの内容なのに、その難しい三つの話をなんとなく分かったような気にさせつつ、さらに非常な広範囲に渡ったあらゆる話題が展開されているという点です。著者の博識っぷりにも驚きますけど、何よりも分かりやすく人に伝えるという技術が抜きん出て素晴らしいなと思います。
さて時間の許す限り、気になった話をいろいろと書いていこうと思います。
詳しくは書きませんが、第一章の「アロウの不可能性定理」に関わる部分で実際にあった選挙の話がたくさん出てきます。ブッシュとゴアが争った時は、結果的にはブッシュが勝ったけど、得票数で言えばゴアの法が33万票も上回ってたとか、フランスの選挙(上位二名による決選投票あり)で、最有力と言われた候補の内一人が決選投票に進めなかったりと、実際の選挙制度で起きたいろんな問題が面白いと思いました。
また投票のやり方には、どの投票のやり方を選ぶかによって当選者のタイプが決まってしまうんだそうです。「単記投票方式」や「上位二者決選投票形式」は強いリーダーシップを持つ者が当選し、「順位評点方式」は様々な分野の専門家集団で代表者を選出するような場合に、「勝ち抜き決選投票方式」は企業の商品開発などで使われるなど、どの投票方式を採用するかによって様々な違いが出てくるんだそうです。知りませんでした。
囚人のジレンマをゲーム化したものをコンピュータプログラムに戦わせた際、結局勝つのは「TFT」あるいは「しっぺ返し戦略」と呼ばれる、相手のやり方をそのまま返すような戦略だというのは面白いなと思いました。
ハイゼンベルグの不確定性定理のアナロジーとして面白い表現があったので書いてみます。不確定性定理というのは、位置と速度を同時に正確には測れない、というやつです。
『いつか友人と一緒にバードウォッチングに行った時に、似たような経験をしました。バードウォッチングの醍醐味は、まったく自然のままの鳥の姿を見て、その鳴き声を楽しむことにあります。遠くから双眼鏡を使えば、いきいきとした鳥の姿を観察することはできますが、あまり鳴き声が聞こえません。ところが、鳴き声が聞こえるまで鳥に近づこうとすると、今度は鳥が人の気配を察して逃げてしまうのです。つまり、自然なままの「鳥の姿」と「鳴き声」を同時に味わうのは非常に難しいわけでして…』
電子を一つずつ発射する二重スリット実験については知っていましたけど、本書にはもっと驚くべき二重スリット実験について書かれています。それは、世界各地で同じ時刻に同じ実験を行い、それぞれのフィルムに電子を一個だけ発射するというものです。その後このフィルムを集めて重ね合わせると干渉パターンが現れたんだそうです!
本書では、科学とはなんなのか?という議論が出てくるんだけど、議論の帰結の一つとして、「科学は物語なんだ」という話が出てくるのが面白いと思いました。なるほど、確かに本書の議論を読んでいると、科学にも合理的な根拠があるわけでもないのだな、と思えてきます。まあ僕はそれでも、科学を『信じて』いますけどね。
さて、ちょっと今日は起きるのが遅かったのでいろいろ駆け足になってしまいましたけど、とにかく素晴らしい本でした!もう一度言います。とにかく素晴らしい本でした!もう何にしても面白すぎます。タイトルだけみて難しいそうだなと思った方は、是非ちらっと中を見てください。いろんな人が会話をしている形式なんでホント読みやすいんです。しかも、本書の登場人物である『会社員』や『学生A』と言った素人にも分かりやすく議論が展開されるんで、とんでもなく難しいはずの話が、なんとなく分かったような気になれます。いやー、これは素晴らしいですね。POPを作って頑張って売ろうと思います!是非読んでみてください。特に「ゲーデルの不完全性定理」については、本書より分かりやすいイメージを伝えてくれる本はなかなかないのではないかなと思いますよ!

高橋昌一郎「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」



桐島、部活やめるってよ(朝井リョウ)

11

 全体で盛り上がる雰囲気も徐々に落ち着いてきて、個別で話すような流れになっていった。カナちゃんもアカネちゃんも相手を見定めながら、相手のアプローチを受け流したり応じたりと、合コンに参加する者のお手本であるかのような振る舞いだった。志保はと言えば、全体で盛り上がっている時はそれなりに楽しめるものの、いざ個別に関わるようになっていくと途端に冷めていった。大体いつも同じような展開になっていく。だから合コンというのは、苦手というわけでもなければ、得意というわけでもない、実にふやけた印象を残すことになるのだ。
 合コン開始直後の志保は、よく『戦力になる』と評価される。幹事でもないのに、注文をまとめたり、サラダを取り分けたりと、全体の気配りを怠らない一方で、そうした気配りが男の子側に媚びているという風には決して感じさせない。黒子のように、まるでそれが自然であるかのように振る舞うことが出来るのだ。確かに志保は男には媚びていないのだけれど、さりげない気配りを媚びていると受け取る女子は少なくないだろう。細々とした気配りが出来る一方で、ライバルに一歩先を越されたと思わせない志保の振る舞いは、合コンをスムーズに進行させるのにうってつけの人材だというわけだ。

「失踪シャベル 11-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、すばる文学新人賞を受賞したデビュー作です。現在20歳。大学在学中のデビュー新人です。
舞台はとある高校。5人の高校生の群像劇が描かれる。
冒頭で、バレー部の頼れるキャプテンである桐島が部活を辞めた、という話が出てくる。桐島自体は作中にはほとんど出てこないし、桐島が何故部活を辞めたのかということも詳しくは触れられることはない。ただ、桐島が部活を辞めたことによって影響を受けた、バレー部・ブラスバンド部・女子ソフトボール部・映画部・野球部の五人の生活が描かれていく。
バレー部の小泉風助は、桐島と同じリベロというポジション。だから桐島がいなくなって、やっと試合に出られるようになった。本書の中で、桐島が部活を辞めたことで一番大きな影響を受けた登場人物だろう。しかし、試合中桐島を後ろから見ていた時は、自分の頭の中では完璧にボールを処理出来ていたのに、いざ試合に出るとなかなかうまくいかない。
ブラスバンド部の沢島亜矢には、気になる男子がいた。その男子は、いつもブラスバンド部が練習する教室から見えるところでバスケをして遊んでいたのだけど、最近みなくなってしまった。どうもそのバスケ集団は、部活を終える桐島を待っていたようで、桐島が部活を辞めたせいでなくなってしまったのだ。
ソフトボール部の宮部実果は、部活仲間でバレー部の男子と付き合っている絵理香とよく帰っていたのだけど、普段はバレー部の練習が終わるまで待っていた。でも絵理香が彼氏と喧嘩したとかでその習慣が変わったりする。
映画部の前田涼也と桐島の関係は書かないでおこうかな。
野球部の菊池宏樹と桐島の関係もちょっとなんとも書きにくいから省略。
まあそんな五人が、まさに高校生だなぁという感性や生き方の中で、いろいろ悩んだり苛立ったりどうしていいか分からなかったりするような話です。
いやー、これは素晴らしい作品でした!ここ最近すばる文学新人賞受賞作を読んでなかったんですけど、やっぱレベル高い新人賞ですね。すばる文革新人賞と日本ファンタジーノベル大賞はかなり高確率で当たりがあります。昔はメフィスト賞もよかったんだけど、最近ちょっとダメな気がする(最近のメフィスト賞受賞作を読んでないからなんともいえないんだけど…)。
本書は、実に内容の紹介がしにくいんですね。上記であーだこーだ適当に書いてみたけど、本書の本質的な部分にはまるで切り込めていないわけです。
本書は、正直言ってストーリーはほとんどないと言っていいです。桐島が部活を辞めたという、まあある意味で些細な出来事によって、これまた些細な影響を受けた人々のちょっとした変化を描いた話で、ほとんどがよくある高校生活の描写だったり内面描写だったりという感じで、特別ストーリーらしいストーリーがあるわけではないんです。
しかし、高校生の描き方がもう絶妙ですね。著者は20歳だそうで、自身のほんの少し前の高校時代の経験をうまく参考にしてるんだろうけど、ただ若ければ本書のような作品を書けるかというとそんなことはないでしょう。
昔「赤い糸」というケータイ小説を読んだことがあるんですけど、まあとにかく酷かったですね。あの著者は当時高校生?中学生?まあとにかく分かりませんけど、それぐらいの年代だったでしょう。しかし、会話こそリアルな雰囲気を出せているのかもしれないけど、地の分の酷さが恐ろしいぐらいで、リアリティの欠片もないような作品でした。
本書は、会話はもの凄く軽いんですね。それこそケータイ小説並に軽い。現役の高校生が読んでも、あーうちらこういう会話してるわ、みたいな感じに思えるような、そういう会話なんです(一応補足しておくと、別にこれは今の高校生が軽い、と言いたいわけではないんです。そうじゃなくて、別に高校生じゃなくても、普段の会話って別にどーってことないこと喋ったりしてるじゃないですか?それこそ小説の登場人物が喋ってたら面白くもなんともないような、中身のない会話。だから、そういう中身のない会話って、普通小説ではあんまり描かれないんだけど、本書では日常っぽさをうまく醸し出すためにそういう中身のない会話を書いている。そういう中身のない会話をうまく挟み込みながら読ませる技術はなかなかスゴイ)。
でも、会話以外の部分は実に繊細なわけです。会話だけ読んだらケータイ小説みたいなのに、内面描写の部分が実にうまいので、なるほどこの会話はそういう演出のために書いているんだな、ということが素直に伝わってくる。ケータイ小説の場合、書いている人間の文章力に問題があるから会話も地の分も貧弱なんだろうと思うだけだけど、本書の場合、地の文や内面描写が実に巧みなので、会話文の稚拙さが演出だということが分かるんですね。
これ、結構怖いと思うんですね。何が怖いって、こういう中身のない会話を登場人物に喋らせるのが、小説家には結構怖いと思うんです。まだ著者は新人だからそこまでの気負いはなかったかもしれないけど、こういう稚拙な会話を書いたら作品全体が軽く見られるかも、みたいな風に思う人がいてもおかしくないと思うんですね。しかも、こういう中身のない会話の場合、本当に本物っぽく書かないとサムいじゃないですか。だから二重に危険な道だと思うんですね。その薄氷を踏むような細い道に挑んで成功させた著者はなかなか素晴らしいと思うわけです。
とにかく、会話文の幼さと内面描写の巧さのギャップが魅力の一つではないかなと思います。
で、内面描写は凄いの一言ですよ。高校時代っていうのは、中学時代ほど何も考えずに過ごすことは出来ないし(まあ女子の場合中学時代からもういろいろあるのかもだけど、男子は中学時代はまだアホの子みたいなもんでしょう)、大学時代ほど自由に自分で何でも決められるわけでもないという実に中途半端な時で、しかも受験やら将来やらいろいろ考えなきゃいけないことがあってストレスもある。学校っていう実に狭い世界の中で様々な価値観が決まっていく窮屈な世界観の中で、それぞれの人々が自分なりの処世術でなんとか日常をやり過ごしていく。
っていう、誰しもが経験したような高校時代のあのなんとも表現しがたい時期を、本当にうまく表現してるんですね。
何よりも素晴らしいのが、この著者が、あらゆる階層の高校生を描いているということ。
高校時代というのは、「上」か「下」かという階層が厳密に決まっているという世界でしたよね。著者は、「上」の人のことも書けば「下」の人のことも書き、また一応形としては「上」にいるけどそこまで「上」でもなくでももちろん「下」でもない、みたいな微妙な階層の人まできちんと描くんですね。
その描き分けがまあ見事です。巻末に著者の写真が載ってるんですけど、恐らくそれを見る限り、大学デビューとかしたのでなければ、恐らく高校時代どちらかと言えば「上」側にいた人だろうな、と思います。だから「上」側をうまく描くのはまだ分かります。でも、微妙に中間とか、あるいは「下」みたいな人間のこともきっちりと描いていく。それぞれの階層における不文律とか暗黙の了解とか、あるいは言葉にしないメッセージとかちょっとした不満とか、そういうその階層にいた人間でないとなかなかわかりにくいような微妙な感情までうまく掬っていて、よくもまあこれほどいろんな階層の人々をここまで瑞々しく描けるものだなと思いました。
内面描写もそうだけど、外側の観察というか描写というのもさすがです。高校時代なんていうのは、まず外見で様々なことが判断されるわけで、だからこそ外側の描写もかなりきっちりとやるんですね。
凄いなと思ったのは、女子の視点もかなり見事に描いているということ。女子の視点っていうのは当然ながら男子の視点とは全然違っていて、それは小説を読んでてもよく思うんだけど、本書で女子視点で描かれているパートに全然無理がないなと思うんですね。女性が読んだらどう感じるのか分からないんだけど、あー女子ってそういうとこ見てるよねとか、そうそう女子ってそういうこと考えてるよねとか、男の発想ではなかなか出てこないような描写を結構さらりとやるんですね。それも、本書では、ブラスバンド部で割と大人しめな沢島亜矢と、ソフトボール部で結構「上」側の女子で目立ってる宮部実果っていう結構タイプの違う女子が出てくるんだけど、この二人も絶妙に描き分けるんです。やるなー、ホントに。
しかも、部活も5つ見事に描き分けるんですね。初め小泉風助のパートの時、こりゃあ著者は元バレー部だったな、と思ったんです。だからこれだけ書けるんだろう。とすれば、自分の得意ではないことを書かなくてはいけなくなったらどうなるかな、なんて意地悪なことを考えてたんだけど、その後ブラスバンド部・映画部・ソフトボール部・野球部とどんどん出てきて、しかもそれぞれを結構ちゃんと描くんです。イメージだけじゃ書けないような、ちゃんとやってたり人に話を聞いてたりしないとなかなか出てこないような細かな描写もきっちりと出てきたりして、初めの印象を改めました。部活自体の描写じゃなくても、その部活独特の雰囲気とか、人間関係とか、そういう部分もうまく書いていて、こりゃあすげーなと思いました。
なんてことをたらたら書き連ねていても、本書の良さはなかなか伝わらないだろうなぁ。ホント、まさに高校生!というようなふわふわしたチャラチャラしたような外側を描きつつ、実際はその中でもがいたり苦しんだり真面目だったり苦労していたりする内側をちゃんと描くんです。天気とかみたいな何気ない描写であっても、これまで読んだことないような新鮮な比喩とか表現が使われてたりして、この作家の感性はホントに豊かなんだな、と思ったりします。個人的には、高校生が主人公じゃない作品が書けるだろうか、っていう部分がこれからの注目ですけど、でもしばらくは本書のような、若い鋭い感性で磨き上げたような作品を書いて欲しいなと思いますね。たぶん、今この作家にしか書けない作品、ってあると思うんですよ。大げさに聞こえるかもしれないけど、いやホントに。これだけ若い作家で、これだけ文章が書けて、これだけ感性が豊かな作家ってそうはいないと思うんです。乙一とかぐらい?しかもストーリーに頼らないでも小説が書けるわけで、これから書く作品次第だけど、乙一だって超える可能性はゼロではないなと思いますよ。
僕は本書で、小説技術として巧いなと思った点があって、それは、小泉風助のパートのバレーの試合の描写です。うまく説明出来ないんだけど、読点(、)で文章を終えてそのまま改行する、というスタイルなんだけど、これが試合中の選手の思考と外側の現象のスイッチとしてうまく働いていて、この処理の仕方はうまいと思いました。初めは誤植なのかなとか思ったんだけど(変なところで改行されてるから)、読んでく内に、これはうまいやり方だなと思うようになりました。
というわけで、僕の中では相当大絶賛の傑作です。素晴らしい作品だなと思います。もう一回書くけど、これからどういう作品を書くかにもよるけど、乙一を超えるかもしれない可能性を秘めた作家だと思います。是非是非読んでみてください!

朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」


算数宇宙の冒険 アリスメトリック!(川端裕人)

志保は、離婚をしてからの数年間の生活だけは、正しいものだと信じたかった。休みの日に一緒に買い物に出かけて、買う予定のなかった土鍋を衝動買いしたこと。二人でテレビを見ながら、あまりにも笑いすぎてお母さんの顎が外れて大騒動になったこと。つい出来心で志保が万引きをしてしまった時に、お母さんがそれまで見たことのなかった剣幕で泣きながら怒ってくれたこと。そうした一つ一つの思い出が、志保にとってはかけがえのないものだった。
 志保は最近、今お母さんがどうしているのかという空想が出来るようになってきた。沖縄でゴーヤを食べているお母さんとか、東京ドームで野球の応援をしているお母さんとかが、時折ふっと思い浮かぶ。どこかで幸せに暮らしているならいいんだけれど、と志保は思った。
 お食事の注文承りましたー、という声に、ありがとうございまーす、という声を返しながら、少し慌ただしくなってきたらしい店内を動きまわった。

「失踪シャベル 10-6」

内容に入ろうと思います。
本書は、数学史上の難問である「リーマン予想」をモチーフにした小説です。
小学生の空良は、同級生の友達であるユーキとアランとよくつるんでいた。ユーキは数学の天才で、算数オリンピックで優勝したりしている。アランはバイオリンがうまく、また暗算がものすごく得意。寿司屋の祖父ちゃんを持つ空良は特にこれといった取り柄もなく、ちょっと歌がうまいくらい。その三人で退屈を持て余していたところ、桃山町には不可思議なことがおこるという話を空良がしたために、不思議探しをすることになった。
その過程で彼らは、実に不思議な経験をすることになる。近くの神社で三つ目のうさぎを目撃し、さらに謎の人物から携帯電話に着信があったのだ。また近くの神社に、算額奉納と言って数学の問題を書いた絵馬が奉納されているのを知って、ユーキなどが嬉々として取り組んでいた。
それから彼らは、一ノ瀬那由という転校生がやってきてから事態は大きく変転する。彼らは、桃山町が主催するという算数宇宙杯に出場することになったのだけど、宇宙船がどうたら、スパイがどうたら、算数小部屋や宇宙戦争がどうたらと、空良にはわけのわからない話をたくさん聞かされることになり、さらに、意味も分からないのに、ゼータ関数とかいう数学の勉強をさせられることになる…。
というような感じの作品です。
僕としては、「数学ガール」みたいな感じの作品だと思って読み始めたんですけど、ちょっと違いました。「数学ガール」は、小説2割数学8割という感じの作品ですが、本書は小説8割数学2割という感じの作品です。個人的にはもっと数学の話がたくさん出てくるとよかったんだけど、と思いました。
僕自身はちゃんと読んだことはないんだけど、たぶん「不思議の国のアリス」みたいな感じの雰囲気なんじゃないかな、と思います。特に後半は。本書では度々、複素平面(が桃山町と重なったような空間)が出てくるんだけど、そこではわけわからんことがたくさん起こるんですね。素数が何者かによって食べられてしまったり、闇丸とか極楽鳥みたいな謎めいた存在がたくさん出てきます。そういう奇っ怪な空間での出来事が、リーマン予想に関わる様々な数学的イメージを表現してるんだろうと思います。
だから本書は、リーマン予想の細かな部分を知るというよりは、リーマン予想のイメージをなんとなく知る、という感じの作品なんですね。正直なところ、本書を一冊読んでも、リーマン予想については何となくさえ分からないのではないかな、と思います。数学的な記述がさほどあるわけでもないのに、突然難しい数式がポンと出てきたりして戸惑し、数学がよくわからない空良が主人公とは言え、周りの人間もあんまり空良に詳しく数学を教えてあげないんですね。だから読者もよく分からない、ということになる。でも一方で、リーマン予想やゼータ関数が何なのかまるで分からなくても、複素平面空間(なんて表現はアリかな?)でのわけわからん出来事を読んでいると、なんとなくのイメージみたいなものが漠然と分かったりするかもしれません。
何にせよ、ゼータ関数ってのは難しすぎるんですよね。たとえばゼータ関数だと、
1+2+3+4+5+6+7+…=-1/12
になったりするんです。意味不明ですよね。
でも、まだまだ意味不明ではあるんですけど、本書を読んで(もちろん本書だけではなく、これまでにもリーマン予想の本はいろいろ読んできているからなんだけど)、ゼータ関数がどういう感じのものなのかというのが漠然と分かった気がします。つまりゼータ関数というのは、定義域が実数のまま考えると奇妙な感じがするんだけど、その定義域を複素数にまで拡張して解析接続をすればそういう答えになるのだ、ということはなんとなく分かりました。ただ、『定義域を複素数にまで拡張』するのをどうしたらいいのかよく分からないし、『解析接続』に至っては何なのかまるで分かりませんけど、まあとにかく定義域が重要なんだろうな、ということだけはなんとなくわかりました。
本書は、数学の部分についてはかなり難しいし、複素平面空間におけるあれこれはイメージしにくいだろうと思うから、数学に関係する本という点ではちょっと難しい本ではあるんだけど、純粋に小説として見た場合、結構悪くないんですね。特にキャラクターが実にいいんです。ユーキは涼宮ハルヒみたいだし、アランは小泉っぽい。空良はキョンだし、一ノ瀬那由に至っては完全に長門有希だし。ってみんなハルヒですけど(まあ別に僕はハルヒ詳しいわけではないんですけど)。空良の祖父ちゃんは江戸っ子みたいなチャキチャキした感じがいいし、何より握ってる寿司がうまそう。有栖家の双子の姉妹はちょっとぶっとんでて電波だし、黒端先生はそんなにたくさんは出てこないけど存在感がある。その他、うさよしっていううさぎの人形とか、比多互良先生とかいう数学の異星人みたいなキャラも面白いし、キャラクター小説としてなかなか楽しめる。ストーリーにしても、数学が関わらない部分もきっちり描かれている印象があって、やっぱりこの作品は数学本というよりは小説だなと思いました。
リーマン予想を扱った数学本だと思って読むと少しがっかりするかもしれません。数学に多少でも興味のある人が、普通に小説として読む分にはそれなりに楽しめるのではないかなと思います。興味があったら読んでみてください。

川端裕人「算数宇宙の冒険 アリスメトリック!」





ナニカアル(桐野夏生)

志保はそのテーブルに行って、じゃあどうして結婚したんですか、と問い詰めてやりたい気になった。バイト中、時々そういう気分になる。旦那の浮気を知りながら、飯だけ作っていればいいなんて気楽なもんよと言っていた主婦らしきおばさんにも、二股を掛けていることを自慢しているサラリーマンらしき若者にも、志保はかつて似たような感情を抱いたことがある。お酒が入って気が大きくなっているということもあるだろうし、普段は良識のある大人なのかもしれない。でも一方で、お酒の席での発言はその人の本音が凝縮されているようにも感じられて、男女の関係というのが理解出来なくなってくる。
 お母さんは、父親の浮気を知って泣いていた。その後離婚をし、志保の方をきちんと向いて生きてくれるようになった。志保にとってその流れはごく自然なもので、正しいものだと感じられた。しかし、居酒屋でのそういう話を耳にすると、何が正しいのか分からなくなってしまう。お母さんも浮気をしてやればよかったのだろうか。離婚をしたことは間違っていたのだろうか。そもそも結婚したことは正しかったのだろうか、と。

「失踪シャベル 10-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、なかなか面白い設定の作品です。まず本書の設定の説明をしましょう。
プロローグで、林芙美子の姪であり、かつて林芙美子の夫だった緑敏と結婚した房江という人物が出てきます。すでに芙美子は亡くなっており、夫だった緑敏も故人です。房江は緑敏の遺言で、緑敏が描いた絵はすべて焼却するように、と言われるのですが、房江はその絵の額の裏から、芙美子の原稿を発見したのでした。そこで、生前芙美子と親交のあった黒川某という人物に、この原稿についてどうしたらいいだろうかと問い合わせる、というのがプロローグの内容です。
で、本書は、その『林芙美子が遺したという原稿』が本編になっています。もちろん林芙美子の未発表原稿が発見された、というような事実はないでしょうから、林芙美子が遺した原稿という設定の小説を桐野夏生が書いた、ということですね。
舞台は戦時中の昭和17年。当時流行作家たちは、戦争の素晴らしさについて喧伝するために、陸軍などによって戦地へと送られ、陸軍の意向に沿った文章を書かされるようになっていました。林芙美子はかつて、女流作家ながら「漢口一番乗り」をやってのけたある意味で有名人であり、戦局が激しくなってまた戦地へと送られることになったわけです。
病院船に偽装しているとはいえ、いつ潜水艦に撃沈されるかも分からない命がけの渡航で南方へと向かった芙美子には、一つの希望がありました。それは、かねてより交際(芙美子にも相手にも結婚相手がいたので共に不倫ということになりますが)していた斉藤謙太郎という新聞記者と会えるのではないか、という期待です。
ある時から芙美子の担当になった謙太郎は、初めこそ女流作家を見下すような態度だったのだけど、すぐに二人は打ち解け体を合わせるようになります。英語の出来る謙太郎は外国へと行かされることが多く、なかなか会えない日々が続いたのだけど、電報をやり取りすることでなんとか繋がりを感じられたわけです。
南方では、どこで戦争が行われているのだろうと思うほど平和な日常を過ごすことになります。芙美子は他の作家と比べてあちこちに移動させられることになったのだけど、それでも物資の少ない内地よりも全然豊かな生活をすることが出来る。もちろん戦時中であり、嫌なことや不快なこともたくさんあるのだけど。
謙太郎との束の間の逢瀬に心躍るも、やがて疑心暗鬼に囚われるようになっていきます。戦争に翻弄された、林芙美子といういう一人の女を描いた作品です。
いやー、なかなか凄い話だなと思いました。僕は林芙美子の作品を読んだことがないし、林芙美子が戦時中南方に行ってたなんてことももちろん知らなかったわけなんで、桐野夏生が描く小説のどこまでが本当の話で(例えば斎藤謙太郎という新聞記者は実在するのか、林晋という子供は実在するのか、など)、どこまでが創作なのかまったく分からないんですけど、実在の作家を主人公に据えて、ここまで壮絶な物語を描くことが出来るものか、と思いました。桐野夏生らしい作品でありながら、一方でこれまで書いてきた作品とは一線を画しているような感じもする作品で、凄い作品を書いたものだなと思います。
やっぱり本書の肝は、実在した作家・林芙美子を主人公に据えた、というところでしょうか。もし本書の主人公が架空の人物だったら、ここまで面白いとは感じなかっただろうな、と思うんです。本書で描かれていることのどこまでが実際の事柄なのかは分からないにせよ、ある程度は実際のことを書いているでしょう。さらに、プロローグとエピローグで、本書の本編部分が未発表原稿として見つかったのだ、という演出もしています。これで、よりリアル感が高まるんですね。実際に存在した女流作家・林芙美子が、もしかしたら本当にこんな人生を生きていたのかもしれない、という部分が本書の肝であり、読者にそう思わせるだけの筆力が桐野夏生にはある、という点が素晴らしいなと思いました。
あと、これは一般の人には常識なのかもしれないけど、歴史の知識がほぼゼロな僕には、戦時中に作家をいろんなところに送って、国民を高揚させるような文章を書かせてたんですね。知りませんでした。時代というのは恐ろしいものですね。今は逆に、誰でもネットを通じてどんなことでも自由に書けてしまうという、本書で描かれていた時代とは真逆な感じの時代ですけど、こういう風に書けと言われてその通りに書くしかなかった時代というのは想像するのは難しいですね。しかもそれが、当時の流行作家たちなわけです。軍部の気に入らない文章を書くと裁判に掛けられて罰せられたりもするわけで、恐ろしい時代だな、と。また、これももちろんどこまで実際のことかは分かりませんけど、南方が意外にゆったりとしていて戦争の雰囲気を感じなかったとか、元々現地に住んでいた日本人の悲哀など、その当時の雰囲気が描かれているのも、戦争についてまるで知らない僕には新鮮な作品でした。
正直なところ、林芙美子と斎藤謙太郎の情事の部分は、僕としてはさほどどうということもありませんでした。恐らく作品としてはこの部分がメインになるんだと思うんだけど、僕の中では読んでて、そういう部分は別にいいやと思っていました。それよりは、戦争という雰囲気、女流作家として生きることの大変さ、いろんな思惑を持つ人々とのやり取りなど、そういうディテールの部分がかなりきちんと描かれていたので、そういう部分が面白いなと思いました。ただ、芙美子と謙太郎の情事の部分も、戦時中の悲哀や焦燥みたいなものをうまく引き立てる役割を担っていると感じたので、そういう意味では重要な要素だなと思っています。
正直桐野夏生はもういいかなと思っていた部分があったので、改めて桐野夏生の実力みたいなものを見せつけられたような感じがします。まあでも一つ文句をつければ、タイトルと装丁はもう少し別の感じにした方がよかったのではないか、と。この装丁にこのタイトルだと、どうしてもホラー作品っぽく見えてしまう気がします(僕は初めそんな風に思っていました)。桐野夏生とホラーだったら、そこまで遠いって感じもしないですしね。まあ、とにかくなかなか素晴らしい作品だと思います。戦争を舞台にした作品ですが、戦争についてほぼ知識ゼロの僕でも普通に読めるぐらい読みやすい作品でした。是非読んでみてください。

桐野夏生「ナニカアル」



かのこちゃんとマドレーヌ夫人(万城目学)

お母さんの変化を分かるようになることと、それに納得出来ることはまったく別で、逆に居酒屋で酔客を相手にすればするほど、どうしてお母さんがスナックなんかで働き始めたのか理解出来なくなっていったのだけれど、志保が大好きだったお母さんがどんどんと薄れていってしまった理由はなんとなく分かるような気がした。志保は、学生の間だけの仕事だと割り切っているけれど、酔客を相手にすることを一生の仕事に選ぶことは、きっと自分には出来ないだろうと思った。
 耳を澄ませていたわけではないけれど、近くのテーブルの会話が時折聞こえてくる。サラリーマンの集団のようで、二人ほど声の大きな人がいるのだ。その集団は独身者と既婚者が混ざっているようで、結婚なんかするもんじゃない、人生の墓場だぞと、まるで説教でもするかのように繰り返していた。

「失踪シャベル 10-4」

内容に入ろうと思います。
本書は万城目学の最新作です。
物語の主人公になるのは、小学一年生のかのこちゃんと、かのこちゃんの飼猫であるマドレーヌ夫人です。
かのこちゃんは、小学校に上がるんだから親指をくわえるのはやめなさい、とお母さんに何度も言われたのにやめられなかったのに、ある時ふと「知恵が啓かれ」、親指をくわえるのを止めるようになったばかりか、ありとあらゆること(特に語感のいい言葉)に興味を持ち好奇心を発揮するようになる。
小学校に入学してすぐ、すずちゃんという同級生のことが気になる。朝の教室で、両手の親指を端につっこんで、残りの指をひらひらさせていたからだ。ただものではない、と思ったかのこちゃんは、すずちゃんと仲良くなろうと頑張るのだけど、どうもすずちゃんに避けられているような気がしてならない。
一方のマドレーヌ夫人は、「外国語」を解する猫として周辺では有名な猫であった。猫も人間に飼われれば、大抵どんな猫であっても人間の言葉を理解するようになるし、猫によっては書かれている文字を読めるようにもなるらしい。しかし、犬の言葉はまったく無理だ。猫にとって犬が喋っている言葉はまったく理解不能で、まさにそれは「外国語」のようなものであるはずなのだ。しかしマドレーヌ夫人は、かのこちゃんの飼い犬である玄三郎の言葉だけは理解することが出来るのだ。
そんなマドレーヌ夫人はある時、夫である玄三郎から「猫股」という尻尾が二股に分かれているという妖怪の話を聞かされる。人間が作った作り話だと分かっても少し不愉快な話であったのだけど、その直後マドレーヌ夫人は不可解な出来事に巻き込まれることになるのだった…。
というような話です。
正直なところ万城目学らしさはほとんどない作品で、物足りないと言えば物足りないんですけど、この作品はこの作品でほどほどには面白いな、という感じの作品です。
僕は、上記のようには書きましたけど、ある作家がその作家のカラーから外れた作品を出すことは全然歓迎です。世の中の多くの人は、ある作家にはその作家らしさ前回のまさにその作家の作品であるということが分かるような作品を望んでいるんだろうけど(特に伊坂幸太郎や舞城王太郎のような特徴ある作家の場合なんかは)、僕は別に作家が書きたい作品を書けばいいと思っています。もちろん僕だって他の人と同じように、まさにその作家らしい作品を読みたい、と感じる部分はあるけど、だからと言ってそれによって作品自体の評価を下げるつもりはまったくありません。
そういう前提の上での評価ですが、本書はほどほどに面白い、という感じの作品かなという感じです。
かのこちゃんのキャラクターが実に豊かに描かれている点は凄く面白いと思います。語感の面白い言葉に興味を惹かれたり、鼻に親指を突っ込んでいるような同級生が気になったり、と言った変な部分はかなり面白いし、変な人好きの僕としては読んでて楽しいです。それに、短い間だけどいろんな経験をすることで、かのこちゃんは少しずつ成長するんですね。その過程も何だかほんわかしていていい感じです。自由で天真爛漫で、それでいて少しずつ大人に近づいていく。そういう感じは面白いと思いました。
でも一方で、マドレーヌ夫人の方のパートはそれほど面白くないかなと思いました。決して悪くはないんだけど、集会にやってくる猫のキャラクターもそこまできっちり描かれるわけでもないし、マドレーヌ夫人が一風変わった出来事に巻き込まれている時の描写もさほど面白くないんですね。玄三郎との会話や交流なんかは多少面白い部分もあると思うんだけど、基本的にマドレーヌ夫人のパートはあんまり、という感じがしました。
かのこちゃんに限らず、小学生の発想の豊かさとか、行動や思考の単純さみたいなのを描くのは面白いと思いました。でもこちらにしても、最近読んだ山本幸久の「幸福ロケット」の方が上かな、という感じがします。同じく女の子が主人公ですけど、「幸福ロケット」で描かれた香な子(だったかな?名前も似てますね)の描かれ方の方がよりリアルな小学生っていう感じだった気がします。まあ本書の場合、全体の半分はマドレーヌ夫人の描写なわけで、分量的に小学生の描写をきっちりするのは難しかったのかもしれないけど。
全体的に残念だなと思うのは、これと言って特徴がないということ。万城目学らしさがどうこうということではなくて、まあ特別なんていうこともさほどない、あんまりひっかかりの少ない小説だな、という感じがするんですね。小説としてはきちんとまとまっているし、すんなり読めてしまうし、それぞれに面白い部分はあるんだけど、それでもこれという部分が特にないんでひっかかりのないまま読み終えてしまうような感じがします。
まあやっぱり万城目学には、これまでの作品のような奇想天外な話を望んでしまう部分はあるけど、そうじゃない作品でもいいから、もっと存在感のある作品がいいなと思いました。たぶん、普段あんまり小説を読み慣れていない人の方が楽しめる作品かもしれません。結構本を読んでいる人にはちょっと物足りない話かもしれません。

追記)amazonの評価はメチャクチャ高いですね。さっきも書いたけど、個人的には「幸福ロケット」の方が上かなぁって感じがするんだけど…。

万城目学「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」



ハーモニー(伊藤計劃)

でも正直なところ、あまり選択肢が多くなかったというのも事実だった。授業にはきちんと出ていたから夜のバイトしかないのだけれど、それ以上に志保には制約があった。意地になっている部分も多少はあったけれど、家事を全般的に引き受けていたから、大学の講義が終わってそのままバイトに行けるわけじゃなかった。一旦家に帰り、ご飯の支度をしてからでないとバイトには行けなかった。大学の近くであれば学生がバイト出来るようなところはたくさんあるのだろうけれど、家の近くとなるとそう多くはない。その中で、いくつか面接を受けて取ってもらえたのがこの居酒屋だけだったのだ。
 今では居酒屋の仕事も楽しいと思えるようになったし、お母さんの仕事との繋がりみたいなものもほとんど感じなくなったのだけれど、その一方で、酔客を相手にする仕事を続けていると、なるほどお母さんがどんどんと壊れていってしまうのも分からなくはないな、と思うようになってきた。

「失踪シャベル 10-3」

内容に入ろうと思います。
本書は星雲賞と日本SF大賞を受賞した作品です。
舞台は未来(2060年ぐらい)。その世界は、健康であるということが最優先され、WatchMeという特殊な機械を体内にインストールすることでありとあらゆる病気を駆逐することに成功し、人間の身体は社会のものであって公共性が高いものだから大事にしなくてはいけない、という『空気』に支配されている世界です。人の痛みに過剰に反応し、人に異常に優しくすることが当たり前になってしまっている世界。
それは、<大災禍>と呼ばれる全世界的な大混乱を経てたどり着いた、人類の新しい選択です。多くの人々がその社会に疑問を抱くことなく、むしろ積極的に賛同するようにして、世界は過去の世界とは様変わりしてしまいました。
そんな世の中にあって、『優しさと倫理が真綿で首を絞めるようなセキアに抵抗するため』に、三人の少女が餓死することを試みます。主犯格は、御冷ミァハ。彼女は優しさと倫理に充ち溢れた世界を嫌悪していて、またありとあらゆる知識に精通していたために、WatchMeをごまかすような薬を作り出して、食事をしていないのにあたかも食事をしているかのように見せかけることに成功します。それに賛同した霧慧トァンと零下堂キアンの二人も、餓死してこの世界に抵抗しようと試みます。
その十三年後。大人になり、煙草と酒を嗜むために、螺旋監察官として戦場で仕事をしている霧慧トァンは、子供の頃に嫌悪していた世界にほどほどに慣れてしまった自分を嘆きつつ、13年前に死んだ御冷ミァハのことを考えていた。いろいろあって戦場から日本へ強制的に戻されることになったトァンは、しかしそこで恐るべき事態に直面することになる。トァンは復讐のために事態を理解しようと努め、結局人類の最終局面に立会うことになってしまうのだが…。
というような話です。
さて、どうも僕はですね、伊藤計劃の作品とは相性が悪いみたいなんです。「虐殺器官」を読んだ時、確かその当時でも既にそれなりに話題になっていたはずだけど、僕はあんまりよくわからない作品だなと思ったし、一般ウケはしないだろう、と思ったんですね。しかしそれから伊藤計劃はあれよあれよという間にもの凄い評価を受けるようになってきて、じゃあ僕とは相性が悪いだけなのか、と思うようになりました。
本書もそういう感じで、凄い作品だとは思うんです。でも、どうも相性がよくないようで、読んでて興奮するとか面白いと思うとか、そういう感覚はあんまりないんです。すげーなー、よくこんなこと思いつくなぁ、設定が見事だなぁ、とかそういう風には思うんですけど、今ひとつ僕の中ではしっくりこないというか、なんとも言えない感じの作品だったりします。
とは言え、本書で描かれる未来の設定は素晴らしいものがありますね。全然違うんですけど、伊坂幸太郎の「魔王」を思い出しました。どっちの作品も、『空気』みたいなものに支配されてしまうんですね。本書では、健康を保つことは最も重要だ、自分の身体は社会のもので公共性が高いのだから大事にしなくてはいけない、個人のプライバシーはどんどん晒さなくてはいけない、人に優しくしなくてはいけない、というような『空気』に支配されている世界が、実に精密に描かれていきます。僕は、今の日本人の感じを見ていると、ここまで極端にとはいかないかもしれないけど、近い雰囲気の未来ってありえるんじゃないかな、と思うんです。周りがそう言っている、というだけの理由で、それが正しいのかどうかも分からず(ただそういう意見は、正しそうに見えることが多い。本書でも、健康は大事だという意見は確かに正しいのだけど、その程度が問題だったりする)、シュプレヒコールのようにお題目を唱えるような感じって結構あると思うんです。自分の意見を持っていないというのが怖いというか、『空気』に流されていることに自覚出来ないままで流されている人がたくさんいるな、という点が怖いですね。もっとスケールの小さな話をすれば、書店で働いていても、話題になっている本しか売れなくなってきてしまっている。自分の価値観で本を選ぶのではなくて、みんながいいって言ってるから、みんなが読んでるから、みんなが持ってるから、というだけの理由で、本自体の価値に関わらず売れたりする。ちょっと異常だなと思うんです。僕は、今の日本人は、本書のような未来を担うようになるだけの素養がある、と思っています。だから、<大災禍>と呼ばれるような、世界が大混乱に陥るような経験をもししてしまったら、もしかしたらこんな未来がやってきてしまうかもしれませんね。
ネタバレになるから詳しくは書けないけど、その『空気』に支配されているという状態がある臨界点を迎えるというのが本書のメインストーリーです。その臨界点こそが人類の最終局面そのものであって、霧慧トァンと御冷ミァハはそこに向かって物語を失踪していくわけなんだけど、その臨界点で扱われる事柄がなかなか面白いんですね。もしそうなったら、という思考実験をしたりしたら面白いなと思います。まあ書けないことをダラダラ書いても仕方ないんでこの話はこれぐらいで。
『空気』という話にちょっと戻ると、僕はどうしても今の日本の全体的な雰囲気(みんなが言ってるから、というような主体性のない感じの雰囲気)には馴染めないんですね。世間で常識だとされていることに違和感を感じることがとても多い。まさに、本書で描かれているような福祉厚生社会に違和感を感じ続けた御冷ミァハのような感じです。だからミァハが社会への違和感を語る部分は、もちろんミァハは小説の中の福祉厚生社会の話をしているわけで僕らがいる世界についての話をしているわけではないんだけど、それでも共感出来る部分が実に多かったです。周りのみんなが『常識』だと思っていることに異を唱え、いかにして反抗するかという生き方しか出来なかったミァハの生き方には、どうしても共感出来てしまいます。僕も、世間一般の『常識』っていうものにどうしても違和感を感じてしまうので、周りからすればドロップアウトにしか見えないような生き方をしてここまでやってきました。僕としては、僕なりの自然さを獲得する闘いであり、ある程度自分なりに意味のある成果を得ることが出来ているから、今の生き方は気に入っているんだけど。
例えばだけど、世間の人は、『会社で働いて出世する』とか、『結婚して子供を育てる』とか、『金持ちになる』みたいなことが幸せだと思っているような気がするんですね。でも、僕にはそういう価値観ってまるでないんですね。どれも僕にとっては幸せには通じない道です。もちろんそういう人は僕以外にもたくさんいることでしょう。でも割と多くの人は、それでも仕方ないかという感じでその世間の『常識』って奴にうまく溶け込んで生きていくもんなんだと思うんです。僕にはどうしてもそれが出来なかったんで、今では世間の『常識』なんてものは端から無視してやろうと思って生きていますけどね。
ただ一方で、客観的にこんな風に思ったりすることがあります。僕はただマイノリティの側が好きなだけなんじゃないか、と。確かに僕はマイノリティの側が好きな天邪鬼な人間なんです。だから、主張の内容に関わらず、それがマジョリティであれば反抗し、マイノリティであれば親和性を感じる、というだけなのではないか、と。まあ自分では判断のしようがないですけどね。
と、どうも本の内容についてじゃなくて自分の話ばっかり書いているんですけど、正直なところ本の内容についてはあんまり書くことがなかったりします。御冷ミァハの生き方にはものすごく共感できるし、本書で描かれる世界の設定の見事さには圧倒されるばかりなんですけど、それでもどうしてか僕には本書がしっくりこないんですね。たぶんホントに相性の問題で、僕は伊藤計劃の作品とはどうにも相性が悪いということなんだろうと思います。作品を読んでその凄さを感じることは出来るんで、「虐殺器官」を読んで素晴らしいと思えた人なら本書ももちろん楽しめることでしょう。
伊藤計劃の作品とは相性が悪いようなので、本書を積極的に評価するのは難しいんですが、ただ世間一般的には恐らくものすごく評価の高い傑作なんだと思います。確かに、凄い作品であるということは保証しましょう。まず最近文庫になった「虐殺器官」を読んで、もしそれがよければ本書も読んでみるといいかと思います。

伊藤計劃「ハーモニー」


世界は分けてもわからない(福岡伸一)

教授が事故で亡くなって、志保が大学へのやる気を失うと、それと反比例するようにしてバイトの時間は増えていった。今では、週に三四回程度はバイトをしている。事情を説明して、もう少し増やしてもらった方がいいだろうか。
 お客さんの姿はまばらだった。週末でなければ大体こんなものだ。トラブルに発展しそうなお客さんもそんなには来ない。時折呼ばれて注文を取りに行く以外はやることもほとんどなくて、志保はスタッフとの話に相槌を打ちながら、お母さんのことを考えていた。
 初めは、居酒屋でバイトなんかしたくない、と思っていた。その少し前に、突然お母さんがスナックで働くようになった。スナックというのがどういうところなのかよく知らないけれど、お酒を出す店だというのは間違いないだろう。業種はまったく違うとは言え、自分がお母さんと同じくお酒を扱う仕事に就くことには抵抗があったのだ。

「失踪シャベル 10-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、「生物と無生物のあいだ」がヒットした生物学者による作品です。
ただ本書の内容を紹介するのは実に難しいんです。後で書きますが、本書の作品全体としての構成は実に素晴らしいと思います。ただ、前半から中盤に掛けては、話題があちこちに散逸する。タンパク質を構成しているアミノ酸で一番頻度が低く使われているトリプトファンの話題、健康食品で使われる防腐剤の話、膵臓にあるというランゲルハンス島のこと、またロサンジェルスとヴェネチアそれぞれに収蔵されているとある二つの絵の話、あることを実証しなくてはいけない時にどんな実験をすればいいのかという話、渡辺剛という写真家の話などなど、とにかく生物学の本とは思えないほど、とにかくあらゆる方向に触手を伸ばし、話題が展開されていきます。
そして最後の方で、ようやく本書のメインだろうと思われる話が続きます。それが、世界で最も有名な生化学研究室とそのボスであるエフレイム・ラッカー、そして神業的な実験テクニックを持つスペクターという若者による、ある実験の物語が描かれることになります。
最後まで読むと、なるほどそれまでバラバラに思えてきた様々な話題の多くが、この最後の話に繋がるのだな、と思えます。その構成は実に素晴らしいと思いました。まったく関係のなさそうな事柄をいくつもあらかじめ提示しておいて、最後にそれをつなぎ合わせるという点では、伊坂幸太郎の小説のような構成の見事さを感じます。最後のその実験についてはとりあえず何も説明しないでおきますが、科学というものは一筋縄ではいかないということを実感させてくれる話です。
というわけで、本書の構成の見事さについては評価出来るんですが、本書には難点が二つあると僕は思います。
まず、前半から中盤に掛けての話題のとりとめのなさ。確かにこれらは、最後の話を読めば、なるほどだからこの話を書いたのかとなんとなくわかるような構成になっています。それは素晴らしくていいんですが、でも前半から中盤部分を読んでいる時にはなかなかそんな風には思えないわけです。小説なら「伏線」と捉えることが出来るでしょうけど、本書の場合前半から中盤に掛けての話題が最後につながってくると予見出来る人はそう多くはないでしょう。それぞれの話題は確かに興味深いので読み進めることは出来るんですけど、あまりにも話題が飛び飛び過ぎていてそのまとまりのなさが一方では読みにくさに繋がっているな、と僕は感じました。
もう一点は、後半に行くに従ってかなり内容が専門的になっていく、ということです。僕は学生時代生物はほとんどやっていないので(物理と化学しかやってません)、生物学の基本的な素養もない人間です。もちろん本書に書かれている内容は、高校レベルの生物の知識があっても難しい内容なのかもしれないけど(僕にはそれは判断出来ません)、とにかく僕にはちょっと難しいな、と思えました。これまで読んだ「生物と無生物のあいだ」とか「できそこないの男たち」なんかは、確かに専門的な部分もあったと思うけど、それでも生物初心者の僕にも普通に読めるような作品だったはずです。でも本書は、前半から中盤に掛けては特に問題ありませんが、最後に向かうに連れてかなり難しくなっていくので、話を追うのが僕にはちょっと辛かったです。実験手順の細かな部分とかは読み飛ばしてしまいましたし。
この二点は、致命的とは言わないけど、これまで読んだ二作品がよかっただけに、ちょっと僕の中ではマイナス評価だな、という感じです。
しかし相変わらずですが、福岡伸一の文章には格調がありますね。理系作品を読んで、格調高い文章に出会うのは、福岡伸一ぐらいでしょうか(森博嗣も理系で作品を出してるけど、理系作品を出してるわけじゃないしな)。美術や文学なんかにも造形が深いようで、科学一辺倒の人ではないという点が教養としてにじみ出ているんでしょうね。格調高いという点では、福岡伸一の作品は理系作品の中ではかなり異質と言っていいでしょう。
先程書いたようなわけで、本書は他の福岡伸一作品と比べるとどうしてもちょっと劣った評価になってしまいます。決して悪いわけではないんですけど、あまり気軽に人に勧めるのは難しい作品かなと思います。とにかく本書ではなくて、「生物と無生物のあいだ」を読んでください。マジ傑作ですから。

福岡伸一「世界は分けてもわからない」



コロヨシ!!(三崎亜記)

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「生一丁入りましたー」
 志保は、誰にというわけでもなく大きな声でそう言った。ありがとうございまーす、というスタッフの声が店内に響く。バイトを始めた当初は、受けた注)をキッチンに届くような声で復唱するというのが恥ずかしくて、あまり大きな声を出すことは出来なかった。今ではもう慣れたもので、奥の座敷にいても志保の声が聞こえた、なんて言われたこともあった。
 居酒屋でバイトを始めたのは去年の夏休みからだった。初めの内は、夏休みや春休みのような長い休みの時だけバイトをしようと思っていた。普段は勉其が忙しいし、家事もこなさなくてはならないことを考えると、長期休暇以外でバイトをするのは難しいと思っていた。それでも、夏休みの間の志保の仕事を気に入ってくれた店長は、週に一回ぐらい入ってくれれば、そのまま在籍してくれて構わないから、と言ってくれた。長期休暇の$に新しくバイトを探すのは正直厳しいと思っていたし、週に一回#$ならどうにかやりくり出来るだろうと思って、それ以来ずっと同じところで働いている。

「失踪シャベル 10-1」

内容に入ろうと思います。
本書の舞台は、僕らの生きている日本とはちょっと違う「日本」。そこでは、「掃除」と呼ばれるスポーツが存在している。
日本は40年ほどまで戦争に破れ、戦勝国によってあらゆる面で管理された。その際日本は「国技」を失い、その一方で「掃除」は国家の管理の元で行われる特殊なスポーツという地位を与えられてしまうことになる。
「掃除」とは、いくつか競技に種-はあるが、長物と呼ばれる棒で塵芥と呼ばれる羽根のついたもの(バドミントンの羽根のようなものだと思う)を操る競技だ。乱雑した会他をいかに元通りにするかというチーム戦や、塵芥を華麗に操る技を競う個人競技などがある。
主人公の藤!樹は高校二年生で、「掃除(」に所属している。幼い頃から「掃除」と関わっていて、州大会で準優勝した実力もあるのだが、(活動としての「掃除」にはさほど多が入らなかったり、「掃除」にまつわるいろいろな歴史にさほど興味がなかったりと、「掃除」との関わりについては自分の中でいろいろと模索している最中だった。何よりも、「掃除」を激しく忌避しているらしい両親に隠れて「掃除」を続けているという点が気苦労の絶えない点だった。
国家の管理局からの監視のせいで新入(員が集まりにくかったり、メジャーなスポーツではないが故に活動費に制限があったり、「掃除」に関して言えば直轄高と呼ばれる政府直轄の高校が優遇されているなどさまざまに難点はあるのだけど、それでも樹たち「掃除(」の面々は日々技術の向上と試合での成績にために、練習や活動費の確保などあれこれと努力している。
樹は、どのように「掃除」と関わっていけばいいのかひたすらに悩み続けながら練習や試合を続ける内に、より大きな流れの中に組み込まれていくようで…。
というような話です。
いやー、これはなかなか面白い作品でした!三崎亜記の作品は、「となり町戦争」と「バスジャック」以外あんまりいい印象がなくて、最近では新刊が出てもあんまり興味は湧かなかったんですけど、この作品は何だかこれまでの方向とちょっと違う感じの作品のような感じがしたので読んでみました。
一言で言えば、異端スポーツ春小説、というところでしょうか。
本書には、スポーツ春小説的な(分が多分にあります。三崎亜記の描く世界観というのは、作品によっても差はありますけど、なかなか入りにくかったりするものもあると思います。でも本書は、ベースにスポーツ春小説の要素が組み込まれているんで、他の作品よりはすんなりと三崎亜記ワールドに入り込めるのではないかなと思います。「掃除」という、何が何だか分からないスポーツを扱っているわけなんですけど、そこで悩み努力し切磋琢*し挫折し奮起していく若者の姿はまさにスポーツ春小説であり、本書の読みやすさの一端を担っているのだと思います。
一方で「異端」と書いたのは、まさにその「掃除」というスポーツそのものの設定にあります。まさに一級世界構築士と評されるだけのことはあります。正直なところ「掃除」というスポーツがどんなスポーツなのかうまくイメージ出来ない(分もありましたが(そういう意味では本書はちょっと映像で見てみたい気もする。「掃除」の(分は全(CGにするしかないから厳しいかもだけど)、設定の緻+さには驚かされるばかりです。使われる用語やルールは当然のこと、そこで用いられる戦略や技術、多体感続やスランプの要因など、とにかくありとあらゆる面をきっちりと作り上げているんですね。例えば僕はセパタクローっていうスポーツについてはほぼ何も"りませんが、それでもそれをやっている選手に話を聞けば、上記のようなことを"ることはできるし、それを使って小説を書くことも出来るかもしれません。でも、「掃除」というのは三崎亜記が勝手に作り上げた架空のスポーツなわけです。その架空のスポーツについて、ここまで綿+に細かくいろいろと考えられるものなんだなと感心しました。
また、本書の謎めいた(分の一つに、「掃除」の歴史というものがあります。「掃除」は何故か国家によって管理されるスポーツにされているんだけど(そんなスポーツは「掃除」しかない)、それが何故なのか誰も"らない。「掃除」の歴史についての)献や情報も隠されているし、インターネットで「掃除」を検索すると管理者によってマークされてしまうと言われるほどです。何故「掃除」はそんな扱いを受けているのか。うまく設定を作り上げるよなぁと思います。
また「掃除」についてだけではなくて、樹たちが住んでいる「日本」という国についてもなかなか面白く描かれています。SF的な設定と言える(分もあるけど、なんか三崎亜記の小説の他合SFという感じがしないんですね。音楽に合わせて「掃除」を舞うPURE/TRADという社交他みたいな他所があったり、管理社会のようで「掃除(」を監視する管理官がよく顔を見せたり、あるいは居留地と呼ばれる西域の地域の伝統や)化など、とにかくあらゆる(分において独特の設定が作られていて、それがストーリーに活かされています。こういう、非日常的な世界を日常感続に組み込んだ作品というのが三崎亜記の真骨頂だというのは十分理解しているつもりだけど、それにしてもこれだけ非日常と日常を融合させられるのは凄いなと思います。SF作品の他合、日常感続からは遊離している作品が多いと思うんだけど、三崎亜記の他合、日常的な感続は残しつつそこに非日常を組み込んでいるという感じで、なかなかこういうことの出来る作家はいないなという感じがしました。
登他人物も個性的な面々が揃っていて、正直三崎亜記にこういうキャラクター造形が出来るんだと新たな一面を見た感じがしました。僕がこれまで読んできた三崎亜記の作品に出てくる登他人物は、みんなクールで落ち着いていて、感情の変化があんまり表に出ない、というような印象があったんですけど、本書では愉快なキャラクターがたくさん出てきます。特にいいなと思うのは、「掃除(」の顧問である寺西先生と、樹の幼馴染で超大金持ちのお嬢様である梨奈と、樹の周辺によく出没する謎の一年生高倉偲ですね。特に寺西先生は凄いです。どう凄いのかは是非読んで欲しいけど、とにかく凄いです。あと、梨奈みたいな幼馴染がいたら厄介だろうなと思ったりします。高倉偲はクールビューティーという感じでかっこいいです。
この三人は特に魅力的に描かれているキャラクターで面白いですね。他にも、いつも意味不明な西域の格言を口にする訪先輩とか、「召喚(」という謎の(活を一人でやっている大介など変わったキャラクターが結構出てきて面白いと思います。もう一$書きますけど、三崎亜記もこういうキャラクター小説みたいな小説を書けるんだなと、新たな一面を見た感じです。
「掃除」というスポーツについてはなかなかイメージしにくい(分があるかもしれないけど、作品の設定も物語の展開も出てくる登他人物もどれも面白いですね。これまで僕が読んできた三崎亜記の作品とはちょっと違ったタイプの作品で、それまで三崎亜記を苦手としていた人にももしかしたら楽しんでもらえる作品かもしれない、と思ったりします。スポーツ春小説として読んでもいいし、SFファンタジーとして読んでもいいと思います。一級世界構築士の実力をいかんなく発揮した作品だと思います。是非読んでみてください。

三崎亜記「コロヨシ!!」





オー!ファーザー(伊坂幸太郎)

合コンは、苦手というほどではないけれど、積極的に行きたいというほどでもなかった。その場の雰囲気にノリを合わせることはそんなに難しいことではないけど、特別男の子と知り合いになりたいという欲がないのだ。それに、サークルの飲み会なんかではなんとも思わないのだけれど、それが合コンという名前になると、その場にいる自分がお母さんと同じくらい汚れた存在になっているのではないか、と思ってしまうこともあった。
「うん、分かった。明日ね」
 自分がカナちゃんの誘いを断らないということは分かっていた。誰かの誘いを断るのはあまり得意じゃない。合宿の誘いを断ったカナちゃんみたいにはなれない、と思った。
 それじゃあまた連絡するから。そう言ってカナちゃんは立ち上がった。もう三限の授業が始まる頃だ。三限の講義がなくても、三人で会うのはお昼ご飯の時間だけ。ちょっと寂しく感じることもあるけれど、こういうライトな付き合い方は嫌いじゃない。志保も次の時間空いている。図書館にでも行こうか、と立ち上がった。

「失踪シャベル 9-7」

内容に入ろうと思います。
本書は伊坂幸太郎の最新刊です。ただ最新刊とは言っても、書かれているのは結構前の作品です。2006年から2007年に掛けて新聞連載していた作品のようです。あとがきで伊坂幸太郎は、本書が伊坂幸太郎第一期の最後の作品で、「ゴールデンスランバー」以降が第二期だ、というようなことが書かれています。
主人公は高校生の由紀夫。由紀夫は、勉強もできてスポーツもできて女の子からも人気があってという、周りから何でもできる奴と思われている人間だけど、本人は実に厄介な事情を抱えて生きている。それは、父親が四人もいる、ということだ。
由紀夫の母親は結婚前四股を掛けていて、子供を妊娠したことを機に四人と暮らすことに決めたのだという。籍こそ入れていないけど、由紀夫にとっては生まれた時から父親が四人いるということには変りないわけで、めんどくさいし鬱陶しいわで実に困っている。
四人の父親はこんな感じ。鷹はギャンブル好きで、嘘を自信満々に言うと何故かホントっぽく聞こえる。葵はプレイボーイであり、とにかく女性とあらば声を掛け瞬時に仲良くなってしまう。悟は大学の教授で、最も理性的で頼りになる。勲は中学教師で身体を鍛えている。
知事選に盛り上がっている町内で、由紀夫は様々なトラブルに巻き込まれる。同級生の一人が登校拒否になって自宅へ向かったり、ドッグレースの会場でちょっとした犯罪行為を見かけたり、小学校時代の友人である鱒二が不良に絡まれているのに巻き込まれたりするのだ。試験期間を控えている由紀夫としては、そのどれにも積極的に関わりたくはないのだが、四人の父親や、鱒二や同級生の多恵子らに振り回される形で、由紀夫はめんどうなことに巻き込まれていき…。
というような話です。
面白かったですね。「重力ピエロ」や「アヒルと鴨のコインロッカー」のような、まさにこれこそ伊坂幸太郎だというような作品を第一期と呼ぶのであれば、まさに本書はその第一期最後の作品なのでしょう。「ゴールデンスランバー」も第一期よりの作品ではないかなと思いますけど、「SOSの猿」や「あるキング」など、やっぱりそれまでの作品とは違った趣向(賛否両論ありますが)を打ち出している最近の伊坂幸太郎の感じとは違って、初期の頃の雰囲気を存分に醸し出しています。
読者が、そういう初期の頃のような作品をこれからも読みたい、と感じるのはまあある意味で当然でしょう。前もどこかの感想で書きましたけど、読む側は別のタイプの作品を読みたければ別の作家の作品を読めばいいわけで、一人の作家に多様性を求める必要がないからです。しかし、作家としてはそれではなかなか満足出来ないでしょう。本書のあとがきでも、『物語があまりに自分の得意な要素やパターンで作り上げられているため、挑戦が足りなかったのではないか、と感じずにはいられませんでした。』と書いてあり、読者がそれを求めていることは作家自身も分かってはいるだろうけど、それでも新しいことへの挑戦もしたいという気持ちが出てくるのは当然だろうなと思うんです。だから読者としては、もちろん伊坂幸太郎の初期の頃のような作品を読みたいと思うのは当然だけど、だからと言って新しいことに挑戦する作家に対して、面白くなくなったとか、前のような作品を書いて欲しい、みたいなことを言ったりするのはなるべく控えた方がいいんじゃないかな、とよく思うわけです。
こんなことを書いてないで、内容について触れることにします。
『自分の得意な要素やパターンで作り上げられている』というように、まさに伊坂幸太郎的な展開・設定で物語は進んでいきます。由紀夫があれこれ巻き込まれる形で関わっていくいくつもの事件がそれぞれに関わり合って、いくつもの伏線がねじれあって、なるほどそれがそう繋がりますかというような感じに進んでいきます。やっぱりこういう手法での伊坂幸太郎の完成度の高さは凄まじいものがあるな、と思います。もちろん本書は、「重力ピエロ」や「アヒルと鴨のコインロッカー」のような作品には及ばないですけど、凡百の作家にはまず書けないレベルの作品でしょう。さりげない伏線の配置、魅力的な登場人物、謎めいた設定、小気味良い会話。こう言った、まさに伊坂幸太郎的な要素を持つ作品は、まさに伊坂幸太郎が作り上げ一人で完成させたな、というような感じがします。
父親が四人いる、という馬鹿馬鹿しい設定も、伊坂幸太郎が書くとありえるような気がしてくるから不思議なものです。四人それぞれが個性的なキャラクターで、しかも息子である由紀夫のことをとにかく考えている。四人いるというだけではなく、それぞれの個性も大分変わっているんで、父親という雰囲気はしないんだけど、それでも由紀夫の父親はこの四人じゃなきゃダメだよなぁとなんとなく思わせるんですね。
四人の父親だけではなくて他のキャラクターも実に魅力的なんだけど、やっぱり凄いなと思うのは会話の面白さですね。変わった登場人物たちが繰り広げるどこか抜けたようなおかしな会話は、やっぱり読んでて楽しくなります。こういうやり取りが日常的に出来たら結構面白いだろうなとも思ったりします。
あと、時々出てくる教訓めいたセリフも凄くいいんですね。ちょっといくつか抜き出してみます。

『人が生活をしていて、努力で答えが見つかるなんてことはそうそうない。答えや正解が分からず、煩悶しながら生きていくのが人間だ。そういう意味では、解法と解答の必ずある試験問題は貴重な存在なんだ。答えを教えてもらえるなんて、滅多にないことだ。だから、試験にはせいぜい、楽しく取り組むべきなんだ』

『あのな、大人の役割は、生意気なガキの前に立ちふさがることなんだよ。煩わしいくらいに、進路を邪魔することなんだよ』

『だから、今の政治家もどちらかにこだわるんだ。戦をはじめるか、もしくは、法律を作るか。歴史に残るのはそのどちらかだと知ってるんだ。地味な人助けはよっぽどのことでないと、歴史に残らない』

『うまくは言えないんだがな、たとえば、ある時、世界中の誰もが、自分の子供に対して、「他人をいじめるくらいなら、苛められる側に立ちなさい」と教えることができたなら、今の世の中の陰鬱な問題はずいぶん解決できる気がするんだ。そういう考え方の人間だらけになったら、な。ところがどうだ、現実的には誰もそんなことはしない。「苛めっ子になれ」と全員が願うほかない。被害者よりは加害者に、だ。ようするに結局は、自分たちが悲劇に遭わなければ良い、と全員が思っている状態なわけだ。』

こういうセリフってよく思いつくよなって思います。もちろん前提として、普段から伊坂幸太郎はいろんなことについて考えているんだろうと思います。作品を読む限り政治とかにも興味があるようだし、きっと勉強とかも嫌いじゃないでしょう。子供がいるかどうかは知らないけど、結婚してるはずだから子供のことだって考えるのかもしれない。そういう、自分の身の回りのこと、そして身の回りのもう一回り外のことぐらいまで、きっと普段からよく考えているんだろうなと思います。そういうことを常々自分の頭の中で言葉にしていて、いざ小説を書くという時それを引き出しているということなんだと思うんだけど、ここに書いたこと以外でも、そうだよなその通りだよなと思うことから、よくそんなに単純な言葉で真理をズバッとつけるなぁということまで、うまく表現するものだなと思うんですね。こういう教訓めいたことに限らずですけど、伊坂幸太郎の作品の良さの一つは、こういうストーリー全体にはあんまり関係のない細部でも遊んだり主張したり出来ることだなと思います。
小説を読んでそれがつまらない作品だったりとかすると、これよりは面白い小説は書けるよなぁ、と思ったりすることがあるんですけど(まあ実際は無理でしょうけど)、でも本書のような作品を読むと、作家になるなんてまず100%無理だよなぁとか思ってしまいますね。
他の伊坂幸太郎の作品と比べると劣る(というか他の作品のレベルが高すぎるだけだと思うけど)作品だと思うけど、普通に一つの小説として捉えればやっぱりメチャクチャ面白いなと思います。伊坂幸太郎曰く、本書が第一期最後の作品だということなので、まさに伊坂幸太郎的な作品というのがこれからあんまり読めなくなるのだろうなと思うと少し残念ではありますけど、これからもどんどん新しいことにチャレンジしていって、良い作品を生み出していってくれればいいなと思います。是非読んでみてください。

伊坂幸太郎「オー!ファーザー」



魔界探偵冥王星O ヴァイオリンのV(越前魔太郎)

カナちゃんは、ずっと応援してきた歌手が昨日初めて全国放送のテレビに出たと言って喜んでいたし、アカネちゃんはバッティングセンターでかっこいい人を見かけたと言って盛り上がっていた。
「あ、そうだ、忘れてた」
カナちゃんがそんな風に声を上げた。
「シホ、明日の夜って空いてる?」
 確か明日バイトはなかったはずだ。
「うん、大丈夫だけれど」
「こんな時に何なんだけどさ」別に悪いと思っていないような口調でそう言うと、カナちゃんは、明日合コンがあるんだけれど行かない、と続けた。
「合コンかあ」
 これまでも何度か、カナちゃんに誘われて合コンに行くことがあった。大体、この三人とあと一人誰か女の子、という四人で行くことが多かった。四人目の女の子はその時々で入れ替わりがあったけれど、みんなカナちゃんと似た、今風の女の子だった。

「失踪シャベル 9-6」

内容に入ろうと思います。
その前に、本書が出た経緯みたいなものを先に書きましょう。
本書は『越前魔太郎』という作家名義の作品ですが、これは舞城王太郎という作家が書いた小説(舞台にもなるみたいですけど)に出てくる登場人物の名前でもあります。で、越前魔太郎という作家をデビューさせようと講談社が企画をして、講談社ノベルスと電撃文庫でコラボをして、複数の作家に『越前魔太郎』名義で作品を書いてもらって出版する、というようなことを考えたんだそうです。本書はその第一弾、というわけです。
主人公は少年の頃、人体楽器というものに出会う。寂れた遊園地の片隅に突如現れた黒いテントの中で、人間の少女を使って作られたヴァイオリンが演奏されていたのだ。主人公はその音色に魅せられた。以後、ありとあらゆるヴァイオリンの音楽を集めに集めたが、その時の感動を呼び覚ますものには出会うことが出来なかった。あのヴァイオリンには二度と会うことは出来ないのだろうとわかっていたのだけど、それでもいつでも主人公はそのヴァイオリンの存在を追いかけているのだった。
フリーライターという立場で、いろんな雑誌に雑文を書き散らすようになった主人公は、ある時雑誌の片隅を適当な話題で埋めてくれと依頼され、変わった話を知っている友人に話を聞くことにした。そこでその友人から聞いたのが、つい先日起こったある殺人事件の話だった。表向きは浮浪者によって少年が殺された、という事件のようだったが、解剖を担当した人間から話を聞いたというその友人は、殺された少年の胃の内部から爪痕が見つかったのだ、と言う。つまり何者かが口から手を入れ、内臓をメチャクチャにひっかいて殺したのだと。そしてさらに友人は付け加えるようにしてこう言った。その時少年と一緒にいた少女は、人間の形をしたヴァイオリンを見かけたようだ、と。
主人公はその話を元に、少年の頃から追いかけ続けてきたヴァイオリンの行方を探すことになるのだが…。
というような話です。
この作品への評価はなかなか難しいですね。本書を、『越前魔太郎』という新人のデビュー作だと捉えるならそんなに悪くはない作品だと思いますけど、たぶんこの作品、明らかに舞城王太郎が書いてるんだと思うんですよね。舞城王太郎の作品だと考えると、ちょっと物足りないよなぁ、という感じがしてしまいます。
人体楽器や<窓をつくる男>みたいな突飛な設定はなかなか面白し、しかもそういう突飛な設定をかなり深く突っ込んで描写してるんでいいんだけど、全体のストーリーの展開が常識的というか理屈っぽいというか、そういう感じがなんだかなぁという感じですね。もちろんこれは、舞城王太郎の作品にしては、っていうことですけど。まあ、本書を舞城王太郎の作品だと捉えて評価をすることはフェアではないだろうし、もしかしたら万が一にでも本書を書いているのが舞城王太郎ではないという可能性だって充分あるだろうけど、なかなか本書を『舞城王太郎の作品ではない』という立場で評価するのは難しいですね。どうしても、舞城王太郎だったらもうちょっと非論理的な展開が欲しいよなぁとか、もう少しぶっ飛んだキャラクターがいてもいいよなぁ、とか考えてしまいます。舞城王太郎という作家があまりにもインパクトが強いんでこういう評価になってしまうんですけど。
越前魔太郎という新人のデビュー作だ、と捉えれば、まあ結構面白く読める作品ではないかなと思います。私立探偵のようにして細い糸を辿りながらヴァイオリンの行方を追って行く部分はちょっと退屈ですけど、後半の敵との戦いの部分は知恵比べみたいな感じがあってなかなか面白いと思います(僕は読んだことないんだけど、たぶんこの戦いの感じは「ジョジョ」っぽいんじゃないかなと思います)。<顔のない女>とか<醜悪な臓物>みたいな変なキャラクターたちもなかなか存在感があるし、もちろん<冥王星O>もなかなかいいキャラクターだし、新人のデビュー作だと捉えればそこそこ面白く読めるんじゃないかなと思います。
個人的には、<醜悪な臓物>を最終的に打ち破るその方法がうまいなと思いました。なるほど、そんな手があったか、という感じですね。
舞城王太郎の作品だと捉えるとちょっと微妙ですけど、舞城王太郎を知らない人であればそこそこ面白く読めるんじゃないかなと思います。しかし、この明快探偵冥王星Oのシリーズは、これからどうしようかなぁ。一応電撃文庫で出てるのもあるけど、読まない可能性の方が高いかなぁ。試みとしては面白いと思うんだけど…。

越前魔太郎「魔界探偵冥王星O ヴァイオリンのV」



セカンドウィンドⅡ(川西蘭)

「まあでも、あたしなんか一人暮らしだから、いきなりお母さんがいなくなったりしても実感湧かないだろうな。今も一緒に住んでたら、どうかわかんないけど。ベアはどう?」
「どうなかあ。一緒に暮らしてると、鬱陶しいなって思うこと結構あるから、いなくなってせいせいしたなんて思うかもしれないけれど」
 カナちゃんの場合それはないだろう、と思った。なんだかんだと言って、誰かが傍にいないとダメな性格のはずだ。でもカナちゃんが自分をそういう風に見せたいと思っているのだから、何も言わないでおいた。
「まあうちのお母さん、最近酷かったし、案外なんとも思ってないかな。家で顔を合わせることも最近じゃあんまりなかったしね」
「ベル鬼畜」
 アカネちゃんがおどけるようにしてそう言って、この話は終わった。
 三人はいつものようにとりとめのない雑談をした。サークルの話題が多かった。サークルでは、日常的に何らかの活動があるけれど、志保はバイトがあるからいつも顔を出せるわけじゃない。今日も夜バイトがあって、サークルには出られない。

「失踪シャベル 9-5」

内容に入ろうと思います。
まずざっと1巻の内容から。
中学3年生の主人公・溝口洋は、小さい頃に買った元郵便配達用の自転車に乗って走り回るのが大好きな少年だったのだけど、ある時自転車レースのクラブチームの練習を目にし、いろいろあってその自転車クラブに練習生として参加することになる。自転車との関わり方に悩みながらも、日々練習を続けていくが…。
という感じ。
2巻では、主人公の溝口洋はいきなり高校二年生になっている。念願だった南雲学院に入学し、自転車部の主力選手として、学費等を免除された特待生というような扱いである。
しかし洋は、とある理由から思い切りペダルを踏み込むことが出来なくなっていた。練習にもなかなか身が入らず、悩む日々が続く。そんな洋の様子に、監督からはチームの主力になれないのなら自転車に乗れなくなるかもしれないと言われ、主将である南雲真一からはガッカリだと言われ、洋自身もどうしたらいいのかわからなくなっていく。チームメイトとの関係もいろいろと悪化していき、チーム内での洋の居場所がどんどんとなくなっていく。
一度主力選手という立ち位置を離れ、サポート的な仕事をこなしたり、海外からの留学生の相手をしたりといったことをしながら、自分は結局どうしたいのかと自問していく…。
というような感じです。
しかし1巻を読んだ時も思ったけど、この作品はスポーツ小説としてはちょっと異質な作品だなと思います。1巻では、そもそも自転車に乗っているシーンがそんなに多くなくて、自分は自転車に乗りたいのか乗りたくないのか、という逡巡をずっとしているような作品だったんだけど、本書も似たような感じがあります。本書で主人公は主力選手としてチームに入ったのだけど、イマイチ主力選手として頑張れていません。練習にも身が入らないし、試合なんかにも出てないんで、全然スポーツ小説らしくないんですね。普通は、才能のある仲間を見てメチャクチャ努力するとか、試合でライバルと切磋琢磨するとかそういうような描写が出てくるはずなんだけど、そういうのはほとんどない。とにかく本書で主人公は、自分は楽しく自転車で勝ちたいのかどうか、ということをずっと悩むわけなんです。
主人公はどうしても、相手を蹴落としてまで勝とう勝ち残ろうという発想が乏しいんです。洋としては、とにかく楽しく自転車に乗れて、その結果として勝ちがやってくるならいい、ぐらいの感覚なんだけど、チームメイトにはそれは遊びと変わらない、というようなことを言われたりするわけです。そんな中で洋は、いろいろな経験をする中で、自分は結局どうしたいのかということを問いかけ続けることになるわけです。それが本書の読みどころであり、他のスポーツ小説と一線を画す部分で、なかなか面白いんですね。
しかし本書で一番よかったのは、後藤という男の存在ですね。主人公は寮に住んでて、その寮が相部屋なんだけど、その相部屋相手が後藤なんです。この後藤という男、とにかくめんどくさい男で、たぶん一緒にいたらイライラしてくると思うんです。実際洋も多くの場面で後藤に対してイライラしてますからね。それでもこの後藤、作中でなかなか味のあるいいキャラクターになっていくんですね。登場した当初は、なんだコイツというような男なんだけど、次第に興味深い男になっていくんです。病弱のために二年高校を休学していて、成績はトップクラスで、もう大学院だって狙えるくらいの学力はある。病弱なくせに洋と一緒に自転車に乗りたがって、最終的には自転車部に入ってしまうのだ。しかもそこで存在感を発揮するようになっていくという、まあわけわからん男なんだけど、後藤のキャラはホントに面白いですよ。
しかもこの後藤という男、表面上は全然だけど、ベースとなっている部分が僕とそっくりだなと思うんです。とにかく理屈っぽいんですね。理屈さえ通れば、どれほど非常識なことだって受け入れるけど、理屈が通らなければどれだけ常識的なことでも受け入れない、というようなタイプですね。めんどくさい性格だけど、ある意味では扱いやすいとも言えるんじゃないかなと思います。
あと、今泉との関係が大分変わっているのも面白いですね。1巻では、確か最後の方までいがみ合っていたようなイメージがあったんだけど、2巻では良きライバルみたいな感じになっていきます。あとなんだか新キャラが結構たくさん出てきて、お蝶夫人みたいな感じの人が出てきたり、偏屈な男が出てきたりと、キャラクター的にもなかなか充実している作品です。
結構長い作品なんですけど、すいすい読めてしまうと思います。しかも、スポーツ小説でありながら普通のスポーツ小説のような展開にはならないという、なかなか変わった作品です。まだシリーズはきっと続くでしょうけど、どうなるでしょうか。続きが気になる作品です。是非読んでみてください。

川西蘭「セカンドウィンドⅡ」




セカンドウィンドⅠ(川西蘭)

カナちゃんとアカネちゃんが合宿の計画を立てている間、志保はパスタをもぐもぐと食べた。食べながら喋るというのがあまり得意ではないので、こういう雰囲気は嫌いじゃない。カナちゃんは、なんで合宿ってど田舎ばっかりなわけ、とブツブツ言っていた。確かに、都会とは言えない地域が多いかもしれない。え、いいじゃん、ど田舎、あたしは好きだよ、とアカネちゃん。まあアカネちゃんだったらどこだって生きていけそうな気はするけれど。
「そういえば、お母さんのことはどうなったわけ?」
 免許の合宿の話が一段落したのか、アカネちゃんがそんな風に聞いてくる。
「うん。今日叔父さん、ってお母さんの弟なんだけど、連絡してみた。仕事にも行ってないみたいだったからさすがに。とりあえず積極的に出来ることはないし、お母さんは自分の意志で出て行ったっぽい感じがするから、ちょっと様子を見ようってことになったけれど」
「まあそんなもんか。まあお母さんだっていい大人だろうしな。こっちがあれこれ騒ぎ立てたりしたら、余計帰りにくいかもしれないか」
 なるほど、そういう風にも考えられるのかと思って、志保は頷いておいた。

「失踪シャベル 9-4」

内容に入ろうと思います。
主人公の溝口洋は中学三年生。元郵便配達用の無骨な自転車に乗ってあちこち走り回るのが大好きな少年だ。とにかく自転車に乗っていられることが楽しくて仕方がない、という感じ。
ある日洋は峠道を走っている時、揃いのウェアに身を包み、自分の乗ったことのないロードバイクに乗って颯爽と走る少年たちと出会う。そこでの出会いがきっかけで洋は、近くで行われる自転車レースに参加することになった。優勝商品であるロードバイクに惹かれたのだ。
そうして洋は、南雲デンキ自転車部の練習生として練習に参加するようになる。生き残りを賭けた厳しい争いの中に身を置く洋は、初めてきちんとした自転車の乗り方を学び、そして初めて人と競い合うという経験をすることになった。しかしその一方で、楽しく自転車に乗るということがなかなか難しくなりもした。さらに、自転車レースや練習への参加を、自転車にいい感情を抱いていない祖父に内緒でやっているというのも気持ちとして重荷になっていた。
自転車をきっかけに洋の日常は大きく変わっていくことになるのだが…。
というような話です。
本書は現時点で2巻まで出ているシリーズ物で、本書の解説によれば、かなり長いシリーズになりそうな気がするとのことです。その言葉通り、本書はまさにプロローグと言った感じで、正直何も始まっていません。本書を一言で表現すれば、洋が本格的に自転車乗りとして目覚めるまでを描いた作品、という感じです。洋は、たった一人で自転車に乗っていただけの少年から、本格的に自転車と関わっていきたい、と思うようになるのだけど、本書ではその過程がかなり緻密に描かれていくことになります。恐らくこれから、チームとか部活とかそういうところに入って、それで本格的な練習をするような展開になるんでしょう。まさに一巻まるまるでプロローグを書いたみたいな作品です。
そんなわけで、本書ではまだ自転車の専門的な描写なんかはそこまで出てきません。南雲デンキ自転車部の練習に参加している時は専門的な描写も多少はあったけど、それよりも洋の心の動きを丁寧に追って行くという方が主眼のようで、確かに自転車を扱ったスポーツ小説ではあるんですけど、本書単体で見ればまだスポーツ小説という感じはそこまで強くはないですね。
しかし、洋が本格的に自転車と関わっていきたいと思うようになる過程は、まどろっこしいけどなかなか読み応えがある物語だと思いました。洋にとって、自転車を続けていくことはそもそもいくつかの障害がありました。洋は南雲デンキ自転車部のある町からはかなり離れた村に住んでいるので、毎日練習に参加することが難しい。祖父との二人暮らしなので、何かと不自由。自転車に楽しく乗れることが第一で、勝つために人を蹴落とすというような発想にはなれない、などなど。
しかし最大の障害はなんと言っても祖父の存在でしょう。祖父はとにかく、自転車というものを忌み嫌っているんですね。その理由は、洋の父親(つまり祖父の息子)に関わりがあるようなんだけど、本書ではまだ明らかになっていません。洋の父親はすでに亡くなっていて、何故か母親も失踪中という状態。恐らくそれが、自転車と関わりのあることなんだろうと思います。それで祖父は自転車を嫌っている。祖父が自転車を嫌っているということは洋も充分承知していて、レースや練習に参加したりするのは祖父に隠れてやっていたわけです。祖父をいかにして攻略するのか。洋にとって大きく立ちはだかった最大の問題がこれだっただろうと思います。
そういう、必ずしも恵まれた環境にいるわけではない洋ですが、自転車の才能には恵まれているようです。初めて参加した大会では、ロードバイク以外で上位入賞したのは洋だけです。南雲デンキ自転車部にも、ロードバイク他必要なものはすべて支給するという破格の条件で練習に参加出来ることになります。そのせいで他の練習生からやっかみがあったりとまたそれはそれで大変なんですけど。
あと本書では、登場人物の描写が実にいいですね。キャラクターというほど漫画的なわけではないのに、一人一人が実に個性があって魅力的です。地に足がついたキャラクター造形がうまいと思います。
南雲デンキ自転車部の南雲真一・今泉昇・清水元というトップ三人。南雲はクールだし、今泉は激情型だし、清水はのらりくらりとしていて三者三様だし、掛け合いが面白い。そこに、実直で融通の利かなそうな黒岩というコーチが関わってくるんだからまた大変です。江口修っていう練習生とのやり取りも凄まじかったです。
洋の幼馴染の佐久間多恵。たぶん今後、洋と多恵の恋愛関係もいろいろ描かれていくんではないか、と思わせるような関係です。お互いに気になる存在なんだけど、表向きはそんな風には見せず、減らず口ばっかり叩いているような関係。この二人の空気感もなかなかいいですね。
洋の祖父。頑固で融通が利かない男で、僕だったらこんな人とは一緒には暮らせないだろうな、と思う。お前の正しさは本当に正しいのかよ、とかつっかかりたくなるでしょうね。ただいいところもあるから憎めないキャラクターなんだけど。
村の芸術家・井崎照吾と、担任である女性数学教師・山田の二人は、洋を一人の大人として扱っているところが実に好感が持てる。子供だからって適当なことは言わないし、厳しいこともきちんと言う。特に山田の方は、初めは嫌なやつなのかと思ったけど、結構いい先生みたいですね。
清姫峠で出会ったヒルクライマーであり洋のライバルでもある田村岳。後半でのメインキャラの一人のなるんだけど、面白いキャラをしてる。洋を自転車の世界に引き戻すのに重要な役割を担う。岳の父親である親方や祖母なんかも面白い。
こういう人たちに囲まれながら、洋は自転車との関わりを深めていく。無邪気にペダルを漕いでいれば楽しかった時代から、自分が何をしたいのかを祖父に談判出来るほどの男に成長していく。その歩みはゆっくりだけど、洋は着実に自分の気持ちを掴みとっていく。本書はまだプロローグに過ぎないわけで、これから洋がどうなっていくのか実に楽しみです。
本書では正直まだ何も起こっていないんで、物語の立ち上がりはちょっと遅いきらいはあるけど、充分読ませる作品だと思います。スポーツ小説というより、洋がいかに自転車と向き合うようになっていくのかという葛藤を描いている作品だと思います。今後も期待です。是非読んでみてください。

川西蘭「セカンドウィンド」




追想五断章(米澤穂信)

「そうそう。免許あるのにまた免許の合宿なんか行ってもしょうがないわ」
「でも、三人で旅行に行ったりしたら楽しそうじゃない?」
 志保は口に入れたパスタを飲み込んでからそう言った。
「まあそうだろうけどなあ。まあそういうのはほら、またどっか旅行考えればいいじゃん」
「まあそうだね」
 そう言いながら志保は、この三人だと誰もそんな企画はしないだろうな、と思った。カナちゃんにはリーダー気質はないし、アカネちゃんはリーダーに向いてるように見えるかもしれないけれど、実際はバランスを取るのに長けた人というだけで引っ張る力があるわけじゃない。志保はというと、サークルなんかでは周りに指示を出したりすることは出来るけれど、それもやるべきことが決まっている時だけだ。何をしたらいいのか分からない時は、そういうことを考えられる人の指示を待ってしまうタイプの人間だから、やっぱり旅行の計画には向かないだろうと思う。そもそも志保にはあまりお金に余裕があるわけでもないし、やっぱり旅行は難しいかもしれないな、と思った。

「失踪シャベル 9-3」

内容に入ろうと思います。
とある事情で古本屋を経営する叔父の元へと居候している主人公・菅生芳光は、ある日古本屋のアルバイトをしている時、松本からやってきたという女性からある依頼を受けた。北里可南子は、父が生前書き残したらしい五つの短編を探しているというのだ。可南子の父はごく普通のサラリーマンであり、創作などしそうにない父だったというが、小説の結末らしき一文が五つ家で見つかった。父親が書いたと思われるのは、結末の伏せられた小説であるリドルストーリーだろうと思われた。
一編探すごとに10万円という報酬に惹かれた芳光は、店主に内緒でこの依頼を受けることにする。小説探しはそれなりに順調に進むのだが、一方で可南子の父の過去を暴くことにもなっていく。22年前、ベルギーで起こった「アントワープの銃声」と呼ばれる事件…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。帯裏の文句によれば、本書は米澤穂信が初めて書いた「青春去りし後の人間」の物語なんだそうです。でもそうだったかなぁ。「犬はどこだ」とか大人が主人公じゃなかったかなぁ。
本書は構成が見事な作品です。本書では、五つのリドルストーリーを探すというのが表向きのメインの話になっていくんですけど、可南子の父が書いたというその五つのリドルストーリー自体も作中作として載っていて、それが重要な役割を果たすんですね。
小説を探している芳光は、その過程で「アントワープの銃声」という事件について知ることになります。そして五つの小説が、その「アントワープの銃声」に影響される形で書かれたのだ、ということが判明していくわけなんですけど、結末でのこのリドルストーリーの役割の見事さには驚きました。なるほど、だからこそのリドルストーリーだったわけだなと思いました。そう考えると、一つ一つのリドルストーリーも実によく考えられていて、それぞれが「アントワープの銃声」と呼応していることもそうだけど、さらにリドルストーリーであるという点を活かした造りになっているわけで、うまいなぁと思いました。
リドルストーリー自体もなかなか面白い話が多くて好きでした。中国を舞台にした「小碑伝来」という話は正直よくわからなかったんですけど、それ以外の話は、作品の設定も面白いし、ラストの結末を読者に委ねる辺りもうまく出来ていると思いました。
ただその一方で、米澤穂信の作品の良さの一つであるキャラクターの魅力という点では、本書はちょっと劣るかなぁと感じてしまいました。やっぱり高校生とかを書く方がキャラクターを書きやすいんでしょうか?本書は、米澤穂信の作品にしては平板なキャラクターが多くて、もちろん米澤穂信の作品すべてがそういう方向を目指すべきだとは思わないけど、ちょっと残念だなという感じもしました。まあでも確かに、キャラクターを全面に押し出すような内容の話でもなかったと思うので仕方ないのかもしれないですけどね。
まあそんなわけで、そんなに長くない話しながら、見事な構成で五つのリドルストーリーと作中の現実とを結びつけています。なかなか面白い作品だと思います。読んでみてください。

米澤穂信「追想五断章」




密室キングダム(柄刀一)

結局カナちゃんには断られてしまった。お金がないとか、バイトが忙しいとか、理由がなんだったかはちゃんと憶えてないんだけど、それじゃあ仕方ないと思って志保は一人で合宿に行ったのだ。その頃はまだ大学の勉強に対するやる気に満ち満ちていたから、進級すると徐々に講義や研究で忙しくなっていくだろうと思っていた。だから免許の合宿を先送りにするのがちょっと不安で、一人でもいいから行こうと思ったのだった。
 そういえば、三人でどこか旅行に行ったりというようなことはこれまでなかったな、と思う。三人で免許の合宿に行けたら楽しかっただろうな、と少しだけ想像してみた。
「いいなぁ。私も一緒に行きたいな」
「シホはもう免許持ってるんでしょ?」カナちゃんがすかさずそう言う。カナちゃんは、去年志保が合宿に誘ったことを忘れてしまっているんだろうか。

「失踪シャベル 9-2」

お久しぶりでございます。内容に入ろうと思います。
本書は、文庫本で1200ページを超えるという、密室をメインテーマに扱った本格ミステリの大傑作です。
かつて隆盛を誇ったマジシャンである吝一郎は、11年前に子供の頃に克服したはずの腕の麻痺が再発し、マジシャン稼業から足を洗っていた。しかし11年後の今、腕の麻痺を克服し、マジシャンとして復活公演を成功させたのだ。しかもその後、復活公演の中から50名を選び、自宅での第二部公演へと招待したのだ。
復活公演の会場から、後ろ手に縛られた状態で厳重に鍵を掛けられた棺桶に入れられ霊柩車に乗せられた一郎は、棺桶に仕込んだマイクで実況中継をしながら、吝邸の<舞台部屋>と呼ばれる部屋まで運ばれて行く。しかし脱出マジックが始まるはずが、何故か一郎のうめき声がマイクから伝わってくる。演出ではないこの事態を重く見た関係者は<舞台部屋>へと向かうが、ドアにはすべて鍵が掛けられていた。なんとか打ち破って中に入ると、鍵の掛かった棺桶の中で吝一郎は杭に貫かれて死んでいた…。
という事件から始まる、吝邸で起こる五つの密室事件を描いた作品です。
素晴らしい作品でした。僕は、最近でこそほとんど読んでいませんが、かつては本格ミステリも結構読んでたんです。これまで読んできた本格ミステリの中でもトップクラスに素晴らしい作品だと思います。
文庫本で1200ページという相当の分量の作品ですが、それに見合うだけのストーリーだなと思います。もちろん、本格ミステリが宿命的に抱えることになる冗長的な部分というのは本書にもあります。本格ミステリの場合、最終的に一つのトリックに収束させなくてはならないんですけど、その場合それ以外にも考えられる他の可能性を排除するための描写、というのがちょっと冗長的になってしまうんですね。密室の場合で説明すれば、窓やドアにはすべて鍵が掛かっているし、室内に隠れている人はいなかったし云々、というような描写ですね。こういう、他の仮説を排除するための描写というのがちょっと退屈ではあるんですけど、まあそれは本格ミステリ作品には宿命的な部分だと思うので仕方ないだろうなと思います。
本書の何より素晴らしい点は、密室それぞれにすべて意味がある、というところです。もちろん本格ミステリの作品の場合、『何故そのトリックを使ったのか?』という部分をきちんと説明するべき、という不文律があります。本格ミステリ小説の中の犯人は、『いいトリックを思いついちゃったから使おう!』なんて理由でトリックを使うことは許されていないんですね。そのトリックを使わなければならない必然性というものが必ず求められているんです。
もちろん本書でも、そのトリックを使わなくてはならない必然性、という部分は余裕でクリアしています。さらにそれ以上に、それぞれの密室に意味があるんです。『どうしてそのトリックを使ったのか』という必然性の話とはまた別に、『どうしてその部屋を密室にしたのか?』という密室の意味という部分もかなり考えられています。もちろん、トリックの必然性と密室の意味というのは結びついているんですけど、他の本格ミステリの作品で、ここまで密室の意味にこだわった作品というのはなかなかないんじゃないかなと思います。しかも、五つそれぞれの密室について、何故密室にしたのかという意味が違ってくるんですね。見事だなと思いました。確かにこれは、「密室キングダム」というタイトルにふさわしい作品だと思います。
しかし、ネタバレになるからトリックについて触れられないのが残念で仕方ないですね。五つの密室は、密室の意味もそれぞれ違いますが、使われているトリックもかなり多種多様で、機械トリックもあれば心理トリックもあり、さらに密室トリックだと思われてたけど実は…なんて話もあります。あー、言いたいけど言えないですねぇ。
本書は、密室以外の部分でもかなり謎を振りまくんです。例えば一番始めの三重密室では、室内のほぼすべてのガラスが壊されるか持ち去られるかしている、という奇妙な状態になっています。この三重密室については他にも謎めいた部分はいくつもありますし、他の密室についても、密室のトリックは解明されてもまだ別の謎が残る、という感じなんですね。
そう、今も書きましたけど、本書では密室の謎だけで読者を引っ張るということはしないんです。これがまた凄いです。本書には、南美希風という探偵役が出てくるんだけど、この美希風が、それぞれの密室が発生してから割と早い段階で、密室のトリックだけは見破るんですね。その謎解きだけでも凄まじいものがあるんだけど、密室の謎が解けてもまだ謎は残るし、何よりも真犯人が誰なのかということに関してはまったく掴めないでいる。この、密室トリックだけは先に解明されるという部分が、この長大な作品をストレスなく楽しく読める一つの要素だろうなと思います。だって、五つすべての密室の謎が、最後の最後まで明かされないという展開だったら、ちょっとあまりにも長すぎて嫌になってしまうことでしょう。本書はそうではなく、密室トリック以外の謎もふんだんに盛り込んで、それらを謎のままにしておくことで、密室トリックが暴かれても読者の興味が持続するような構成になっている。素晴らしいなと思います。
この美希風という探偵役が、素晴らしい推理力と観察力を持っているんです。美希風は心臓に病があり病弱だという設定で、かつまだ高校生という設定なんですけど(僕は読んだことはないんですけど、柄刀一の作品には南美希風が探偵役となっているシリーズがあるそうですけど、それらはすべて美希風が心臓移植をした後の話、という設定だそうです。つまり本書は、南美希風最初の事件、という位置づけです)、実に些細な点から真相を看破していくんですね。密室の謎の解明も素晴らしいけど、この事件は密室のトリックが分かったからと言って犯人が分かるという性質のものでもないんです。美希風は、警察さえも注目していないようなごく些細な事実を積み重ねていき、その上で超絶的な推理力を発揮して真相に迫っていきます。美希風がいかにこの強大な犯人と対峙していくのかという過程も見所です。
本書は密室だけではなくて、双子やら旧時代的な一家やらと言った本格ミステリでよく扱われる様々な要素をあれこれ詰め込んだという作品だと思うんですけど、僕がとにかく本書の中で最も素晴らしいと思ったのは、やっぱり一番初めの三重密室のトリックですね。具体的には何も書けないんですけど、この密室トリックの素晴らしさは奇跡的だなと思いました。もしかしたらネタバレになりかねない表現かもしれませんが、ここまで映像美として優れているトリックもないでしょう。このトリックだけでも誰か映像にしてみて欲しいよなぁと思ったりしました。
まあそんなわけで、内容に具体的に踏み込むことが出来ないんで曖昧な感じになってしまいますけど、とにかく本書は本格ミステリとして素晴らしい大傑作だと思います。本格ミステリをあんまり読まない人や、本格ミステリはどうも好きじゃないという人にはこの分量はなかなかハードルが高いでしょうけど、是非読んでみてほしい傑作だと思います。本格ミステリの、何よりも密室作品の金字塔と言ってもいいかもしれません。それぐらい、全体の構成、一つ一つのトリック、密室に込められた意味、美希風の推理、衝撃的な結末、どれを取っても一級品だと思います。長い作品でなかなか手が出ないかと思いますけど、是非是非読んでみてください。

追記)しかしいつも思うんだけど、amazonのコメントっていうのはネタバレ感が酷いと思うんですけどどうでしょうか?まあどこまでがネタバレなのかというのは人それぞれだろうし、森博嗣なんかは、『作家や編集者以外が作品の内容について書いたものはすべてネタバレ』と考えているというようなことを色んなところで読んだ気がするんで、そうなると僕がブログで書いていることだって充分ネタバレだと思うんですけど、もう少しこれから読むかもしれない人への配慮というのは必要なんじゃないかなと思うんですよね。まあ別にこの「密室キングダム」のamazonのコメントももの凄く酷いレベルというわけではないと思うんだけど、それは書いたらダメじゃないかなという表現がちらちらあると思う。

柄刀一「密室キングダム」



「透明人間」の作り方 ナノテクノロジーが実現する「透明化装置」のいま(竹内薫+荒野健彦)



 講義が終わり、大教室の後ろの方を一通り見てみたのだけれど、アカネちゃんの姿は見つけられなかった。いつもの食堂に行くと、カナちゃんとアカネちゃんが席に座っているのが見えた。志保は列に並んで料理を受け取ると、二人が座っている席に向かった。
「おはよう」
「おお、ベル」
 カナちゃんとアカネちゃんは、お昼ご飯を食べながら、何かパンフレットを見てるみたいだった。なんだろうと思って見てみると、免許の合宿の案内のようだ。
「そろそろ免許でも取りに行こうかと思ってな。夏休みにでもベアと一緒に行こうかと思って」
 志保は、去年のことを思い出す。夏休み前、まだアカネちゃんと知り合ったばかりでさほど仲良くなかった頃、志保はカナちゃんに、一緒に免許の合宿に行かない、と誘ったのだった。合宿で取りたいと思っていたのだけれど、一人で行くのもちょっと不安だし、一緒に行ってくれそうな友達がカナちゃんぐらいしか思いつかなかったから、自分から何かに誘うのは苦手だけれど、カナちゃんに声をかけたのだった。

「失踪シャベル 9-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、サイエンスライターである竹内薫が書いた、透明人間を実現化するための物理学についての本です。
僕はもう前から知っていましたけど、もう既に透明化技術というのは実用段階に入っているんです。ちょっと前に、理論上可能だという論文が出て、そしてその後、実際にそういう素材を作ることが出来たという論文が出ました。既に理論上の話はクリアしているので、後はいかにして実用化するかという部分だけになっているんです。まあそう簡単には実用化はされないでしょうけど、少なくとも僕らが生きている間に、何らかの形で透明人間を実現するような装置が完成するんじゃないかなと思います。透明人間なんていうとSFの世界の話のようですけど、タイムマシンなんかよりもよっぽど現実的な話だったというわけです。
本書は5つの章に分かれていますが、大体こんな感じで話が進んでいきます。

第一章:アニメやSFの中で語られる透明化技術について
第二章:生物の世界の擬態など
第三章:メタマテリアルについて
第四章:タイムマシンとテレポーテーションについて
第五章:透明化技術を如何に活かすか

正直なところ、第三章以外本書で読むべき部分はないんですけど、それでも透明化技術について具体的なことを特に知らなかった僕としてはちょっとは面白い作品でした。少なくとも、透明化技術やメタマテリアルについてちょっとでも知識がある人は読む必要がない本だと思います。
透明化技術についての本質的な部分は、そう難しくはないみたいです。というか、単純、と言い換えればいいでしょうか。あくまでも、原理的にはそこまで難しいことがあるわけではない、ということです。
透明化技術を実現するためには、メタマテリアルと呼ばれる素材を開発するのが重要になってきます。メタマテリアルというのがどんなものなのかはまた後で書くとして、このメタマテリアルで物体を覆えば、光を迂回させることが出来、物体を見えなくすることが出来る、という感じです。川の流れの途中に岩があると、川の流れはその岩を迂回して進みますよね?そういう感じで光を迂回させることの出来る素材がメタマテリアルです。
普通物質というのは、原子や分子の性質によってその全体の性質が決まるのですけど、メタマテリアルの場合そうではありません。メタマテリアルの場合、人工的なナノレベルの構造によって全体の性質が決まる物質です。
わかりにくいですね。例えばレゴブロックを例にしてみましょう。普通の物質は、レゴブロック一個一個の性質によって全体が決まります。でもメタマテリアルの場合、レゴブロックをいくつかくっつけたものが最小単位になり、その性質によって全体の性質が決まる、という感じです。うまく説明出来ないなぁ。
普通の物質の場合、その物質のどこをとっても屈折率(光がその表面でどのように曲がるかという数字)が均一なんですけど、メタマテリアルの場合それぞれの場所によって誘電率や透磁率をいじくることでそれぞれの場所によって屈折率を変えてしまうんです。しかもメタマテリアルの持つ屈折率というのはマイナスの屈折率なんだそうです。まあなんとも理解しにくい話なんですけど、これがもう既に理論上の話ではなく、現実に素材として作られているというのだから驚きです。
一番初めに実験に成功したのは、マイクロ波に対して透明化を実現する装置だったようですが、既に可視光での透明化を実現するメタマテリアルも生み出されているようです。本当に、SFの世界の話でしかなかったはずの透明人間が、もはや技術的には不可能ではなくなった、ということなんですね。
でも、透明人間になれても、僕らにとってはあんまりいいものにはならないかもしれません。というのも、メタマテリアルによる透明化装置は、周囲の光を迂回させることで見えなくするわけなんですけど、するとその透明化装置の中に人間が入っていたとしたら、中から外は見えない、ということになってしまうんですね。
一応解決方法はあります。つまり、可視光では見えないというメタマテリアル素材で透明化装置を作り、その中にいる人間は赤外線カメラを装着する、というものです。こうすれば、可視光は迂回させられるので中からも外からも見えなくなりますが、赤外線は迂回させられるわけではないので大丈夫、ということになります。でもそうなると、やっぱり女子風呂を覗くみたいなことが出来るようになる、というわけではないんだなと思うとちょっと残念ですね(笑)。
第三章以外は、まあどうということもないというか、さほど読むような記述もないので、読まなくても別に支障はないでしょう。第三章は、割と最近の論文なんかをきちんと引っ張ってきて、物理学的に透明化装置について書かれているので、透明化装置やメタマテリアルについてまるで知識がないという僕みたいな人間には悪くない作品だと思います。そもそも今、透明化装置とかメタマテリアルについて書かれた本ってそう多くないはずですからね(物理の本とか結構好きなんでそれなりに注目してるんだけど、メタマテリアルを単独で扱っている本というのはあんまり見たことがない)。そういう意味では、最先端の研究に触れられる良い本なのかもしれません。
メタマテリアルについて多少でも知識のある人は読む必要はないでしょうけど、透明化装置が実現しそうだということは知っていても原理は知らないとか、えっそもそも透明人間って実現するわけ?みたいな人は読んでみてもいいかもしれません。

竹内薫+荒野健彦「「透明人間」の作り方 ナノテクノロジーが実現する「透明化装置」のいま」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)