黒夜行

>>2010年03月

ひとりぼっちの王様とサイドスローのお姫様(柏葉空十郎)

しかし、それだけではないはずだ、と志保は思っている。きっと敬叔父さんから金銭的な援助を受けていることを内心では悔しく感じていたのだろうと思う。敬叔父さんがお母さんの弟だということも関係していたことだろう。変なところで、プライドの高い人だった。敬叔父さんからの援助なしに生活していけるだけの基盤を作ろうとしていたのではないか、と思っている。ただそう思いたいだけかもしれない。志保のことをずっと見てくれていたお母さんが、あんなにあっさりと志保のことを忘れて一人の女性として生きようとしたという事実を、まだすんなりと受け入れることが出来ないでいるのだ。
 どんな理由であるにせよ、お母さんは夜の仕事を始め、志保とは生活の時間帯が逆転してしまった。それまでの優しかったお母さんを失ってしまったように感じていた志保は、徐々にお母さんに対する接し方が変わっていった。

「失踪シャベル 8-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、先ごろ創刊されたメディアワークス文庫の内の一冊です。
小学校時代、同じクラブチームで野球をしていた本田綾音と川崎巧也。綾音はピッチャー、巧也はキャッチャーとしてバッテリーを組んでいた。背は綾音の方が遥かに大きく、巧也はちびっこかった。
中学に入る前、綾音は父親の仕事の都合で海外に行くことになった。そこで巧也と、高校に入ったら一緒の高校で野球をし、甲子園を目指そう、と約束して綾音は旅立った。その後外国の地で綾音は、巧也がシニアの世界で活躍し、全国区の有名選手に成長していることを知り、日本にいる友人に頼んで巧也の入学する高校を調べてもらい、同じ高校に入学した。
しかしその高校は公立の進学校であり、野球部は9人に満たない弱小部だった。巧也に聞くと、野球は辞めたんだ、という。三年前の約束はどうしたの!と詰め寄っても、一向に態度を軟化させない。
綾音は、もう一度巧也と一緒に野球をするために、あらゆる手を使って巧也にアタックを掛けるのだが…。
というような話です。
いやー、面白かったですね。実に面白かったです。スポーツものの小説って時々読みますけど、本書はその中でも結構上位にランクインするなぁと思います。
一番凄いなと思う点は、文章の読みやすさです。メディアワークス文庫っていうのは、元々電撃文庫からの亜流で、ライトノベル出身の作家を一般文芸に繋げるみたいなタイプのレーベルとして生まれているので、ベースとしてライトノベルの血を引いているわけなんですけど、だからでしょうね、文章が異常に読みやすい。本書は530ページぐらいある文庫本で、僕のいつもの読書スタイルなら今日感想を書くことは難しかったはずなんです。たぶん読み切れなくて、明日感想を書くことになるだろうな、と当初は思っていました。でも文章があまりに読みやすいのですいすい読めてしまいました。イメージとしては350ページぐらいの文庫本を読んだぐらいの感覚なんですね。僕は、売る立場からすればメディアワークス文庫というのはちょっとなぁという感じなんですけど(本書はいいんですけど、全体的に表紙の感じがライトノベルっぽさから脱却出来ていなくて、わざわざ別のレーベルを立ち上げた意味があんまりないんじゃないか、と思っていたんですけど)、読む側としてはかなりいいのかもしれない、と思いました。まだ本書しか読んでないんで、メディアワークス文庫全体でどうなのかという判断は早計でしょうが、本当に、これまであんまり本を読んでいなくて何か読んでみたい、でもライトノベルはちょっとなぁ、というような人にはぴったりかもしれません。
で、ストーリーも面白いわけなんです。本書は大雑把に前後半で分けられるんですけど、前半は綾音が巧也を説得する部分、そして後半は実際に野球をする部分です。
まず前半を本当にうまく書くんですね。綾音は外国にいる三年間、とにかくいろいろ辛いこともあったんだけど、それでも巧也とまた一緒に野球をするという目標だけを支えに頑張って来た。一方の巧也は、いろいろな事情があって野球を諦め、医学部に進学するために公立の進学校に入った。二人の温度差がもの凄くあるのに、最終的に綾音は巧也を野球の世界にもう一度引っ張り込むことに成功するんですね。
しかもその過程がなかなか説得力ある形で描かれるわけなんです。巧也の方としては、野球をやれない、やりたくないという明確な理由があるんですね。もちろん綾音に対しては当初その理由を隠すわけなんだけど、それはかなり重いもので、そう簡単には動かないだろうと思うほどなんです。でもそれを、本当に全身全霊を込めた綾音のあらゆる計略によって少しずつ解きほぐされていって、最終的に野球の世界に戻ってくることになるわけです。この過程は結構うまく描かれていると思います。
とは言え、一点だけやっぱりちょっとなぁと思う点はあります。それは、綾音の強引さです。綾音はとにかくなんとしてでも巧也を野球の世界に引っ張り込もうとします。その強引さは尋常ではなくて、読んでてびっくりするくらいです。
もちろん、ただ嫌だと言っているだけの相手ならともかく、巧也は初めの内は医学部に進学するために野球はできないといい(これは実際本心を隠すための嘘なんだけど、でもだとしても医学部に行くって言ってるやつに無理矢理野球をやらせようってのは凄いと思う)、しかもその後本当の理由を言った後でさえも巧也を野球に引っ張り込むことをまるで諦めないんですね。その姿はワガママにさえ見えます。
もちろんこれは小説だし、話の流れ的に最後はどんな形であれハッピーエンドになるだろうと分かっているから読者も基本的には受け入れられるだろうけど、これは巧也が野球の世界に復帰することが100%の可能性で正しい、という確信が綾音の方になければかなり難しいと思うんですよ。もちろん本書では結果的にそうなるわけだけど、現実の世界だったらどうなるかもちろん分かるわけがない。だから実際綾音みたいな幼馴染がいて、綾音のようにグイグイこられたら、僕だったら相当キツいなぁと思っちゃいますね。
まあでも、ビジネスの世界なんかではよくあったりするんでしょうね。確信はなくても『絶対やれる』『絶対成功する』と言って引っ張り込んで実際に成功させるみたいな話をいくつか読んだことがある気がします。もちろんそれは、引っ張り込んだ側の人間が自分の言ったことを実現させるために死に物狂いで頑張ることで成り立つんだろうし、綾音も巧也を引っ張り込んだ後も死に物狂いでサポートしようと考えていたのだろうから、まあいいのかもしれないですけどね。
後半は、超がつく弱小野球部が、とにかく練習を初めて試合をする、という話になるんだけど、こっちもまあうまい。たった10人しかいないチームがまずまとまっていなくて、チームのまとまりを生み出すというところから始めないといけないし、顧問の先生は野球のど素人で、経験豊かなコーチもいないし、チームメイトだって野球に対する意識がそれほど高くない。そんな状態から、巧也の影からのじわじわしたリーダーシップと、いくつかの予想外の出来事によって、チームはまとまり、環境は整い、甲子園を目指すという目標が共有され、練習にもより一層精を出すという風になっていくわけです。
その過程が、これまたうまいんですね。普通に考えれば、ついこの間までメンバーが揃わなかった公立の弱小野球部が、甲子園の予選で、去年の夏の県大会予選優勝校と互角に戦えるレベルまで成長するのはたぶん無理だと思うんだけど、読んでいるとそれがおかしくないんじゃないか、このチームならありえるんじゃないか、と思わせるような感じに進んで行くんですね。本当にうまいと思います。
最後、その去年の夏の優勝校と戦うんですけど、この試合展開もかなり面白い。僕は野球に関する知識は、そんなにはないけど書かれていることを読めば大体なんとなくは理解できる(でも、間違った記述がもしあってもたぶん気づかない)程度のレベルしかないんですけど、そんな僕にも分かりやすい形で、かなり深く試合展開についての描写があります。打者のタイプや試合の流れからキャッチャーがどんな風に考えて配球を決めるのかとか、敵側が綾音のピッチングにどんな風に混乱しているのかとか、他にも守備や打撃なんかについても、野球初心者にも結構分かりやすい感じで具体的に書かれています。試合全体の流れも、かなりハラハラさせるようになっているし、しかも強豪校と弱小校が互角に戦っているというのが不自然に感じさせないようにうまく試合の流れを作っています。もちろん野球について結構詳しい、みたいな人が読めば粗はいろいろとあるのかもしれないけど、僕程度の野球の知識の人であれば、野球についてもそれなりに詳しくなれるし、しかも試合展開も面白いしで、かなり楽しめるのではないかなと思います。
ストーリーだけではなくてキャラクターも素晴らしいですね。これもライトノベルの流れを汲んでいるからだと思うんだけど、でもライトノベルっぽい(イメージとしては漫画っぽい)キャラクターというわけではないんですね。結構どこにでもいそうな、地に足のついたキャラクターがほとんどです(まあ二人ほど、ちょっとぶっとんだキャラクターはいるけど、それはご愛嬌)。
僕が一番好きなのは、野球部唯一の二年生にして部長の岩崎ですね。岩崎が関わるシーンでどれだけ泣きそうになったか。岩崎なくしてこの野球部は語れないし、そもそもこの野球部は成り立たなかったというほどの人物です。本書には魅力的なキャラクターは結構出てくるんだけど、その中でも僕の中では岩崎がトップですね。素晴らしいです。
ライトノベルの流れを組んだレーベルの作品だという点で食わず嫌いをしてしまう人もいるかもしれないけど(正直僕もそうでした)、本書はかなり当たりです。スポーツ青春小説としてかなりレベルが高い作品ではないかなと思います。まだ野球部の面々はほとんどが1年生なんで、2年生、3年生の話も読んでみたいと思わされます。まあ続編が出そうな終わり方ではないような気がするんで、シリーズ化するとは思えませんけどね。かなりオススメ出来る作品です!是非読んでみてください!

柏葉空十郎「ひとりぼっちの王様とサイドスローのお姫様」



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粘膜人間(飴村行)

そんな生活が一変したのは、志保が大学に入学してからのことだった。お母さんは敬叔父さんの会社で働くのを辞め、スナックの雇われママという夜の仕事を始めたのだった。
 敬叔父さんに言わせれば、お母さんは一人の女性として生きたいという気持ちが強かったんだろう、となることだろう。実際さっきそれに近いことを言っていた。志保も、ある程度はそういう理由もあっただろうと思う。実際、徐々にお母さんは化粧が濃くなり、それまであまり興味なさそうだったブランド物のバッグに手を出すようになっていった。大学生の娘がいるとは思えないほど、娘の目から見ても綺麗な人だった。恐らく、貢いだりしてくれるような人がいたのだろう。とてもじゃないけれど、スナックのママ程度の給料では手に入らないだろうブランド物を持っていることもあって驚いたことがある。

「失踪シャベル 8-4」

内容に入ろうと思います。
本書は、ホラー小説大賞を受賞した作品です。この著者の二作目の作品「粘膜蜥蜴」がこのミスなんかでもランクインしていたりする作家です。
本書は大きく三つの章に分かれる作品ですけど、全部書くのはちょっと微妙なので、一番初めの章の内容だけ書こうと思います。
利一と祐二は、父親の再婚相手の連れ子である弟の雷太にほとほと手を焼いていた。小学五年生ながら、身長195センチ、体重105キロという化け物であり、彼ら二人は雷太の暴力に怯え、パシリに成り下がっていた。父親も雷太にボコボコにされ瀕死の重傷を負うほどで、彼ら二人は雷太を殺すことに決める。
しかし自分たちの力で殺すのはまず不可能なので、山の奥に住む河童に頼むことにした。ベカやんという河童と唯一仲の良い村人に話を聞いて、いかにして河童に頼みごとをするかというアドバイスをもらうと、雷太殺しを頼むために河童に会いにいった。
頼みごとには必ず見返りを要求するという河童の話は聞いていたけど、まさか人間の娘とセックスをしたいと言われるとは思ってもみなかった二人は、咄嗟に、兄が徴兵を忌避したために家族全員が非国民になった一家の清美という女をあてがうことに決めるのだが…。
というような話です。
評価が高いのは「粘膜蜥蜴」だということは知ってたけど、それでも本書の方にも多少は期待していました。でも、この作品はどうでしょうね。正直言ってあんまり面白くないなぁと思いました。僕はホラー小説大賞受賞作品との相性がとにかく悪いんですけど、本書もやっぱりちょっと微妙だなと思いました。
異常な巨漢の弟とか、山奥に住む河童とか、そういう変わった設定で奇妙な世界観を作り出しているところはいいんだけど、ストーリーの展開も特に面白くないし、文章も上手くない。なんというか、平板な作品だなと思いました。
ストーリーについては、なるほどもしかしたらこういう風に展開するのかもしれない、というアイデアが読んでいる途中で浮かびました。それは、山奥にいる河童というのが実は元人間で、人間側の何らかの都合によって生み出されてしまった哀しい存在だ、というような展開です。なんでそう思ったかというと、文庫の裏表紙の内容紹介のところに、『村はずれに棲むある男たちに依頼することにした』って書いてあったからです。本書では『河童』と書かれているのに、裏表紙では『ある男たち』になってるってことは、これはつまり河童が元人間だったからではないか、と思ったんですけど、別にそういう話ではありませんでした。別に僕が予想した通りの展開にならなかったから、というわけではありませんけど、ストーリーの展開はちょっと退屈だったかなと思いました。
まあ、第二章の拷問のシーンぐらいは評価してもいいかもしれません。正直なところ、全体のストーリーにはその拷問のシーンはまるで関係ないんですけど、そこだけ妙に力が入っています。気持ち悪いぐらい残虐な拷問が続く描写は、ちょっと凄いかもしれないな、と思いました。
まあ、しばらくしたら「粘膜蜥蜴」の方も読むつもりで、そっちを読んだらまた評価は変わるのかもしれないけど、とりあえず現時点で本書は面白くないし、この作家にはあんまり期待はできないな、と思います。ホラー小説大賞って、ほんとなんとも言えない作品を出してくるんだよなぁ。一番期待はずれの大きい新人賞だなと思います。あんまりオススメは出来ません。

追記)amazonのレビューを読むと、平山夢明みたいなグチャグチャのホラーとかスプラッターとかが好きな人には合うみたいです。

飴村行「粘膜人間」



黒百合(多島斗志之)

離婚してからの生活は、まさに志保の望んだ通りになった。お母さんは、志保のことで笑い、志保のことで喜び、志保のことで努力をしてくれるようになった。そこには、父親の影が入り込む余地はなかった。もちろん、志保のことで泣かせてしまうことも、志保のことでため息をつかせてしまうこともあった。それでも志保自身は、そんな状況さえも嬉しく感じられた。
 後で知ったことだけれども、離婚してしばらくすると養育費の入金が途絶えるようになった。お母さんは敬叔父さんの会社で働くようになっていたし、それとは別に敬叔父さんから金銭的な援助を受けていたけれども、それでもお金に余裕のある生活とは決していえなかった。欲しいものを我慢しなくてはいけないこともよくあったし、料理や服、それに学校で使う様々なもので不自由を感じることがあって、嫌な思いをすることも度々あった。
 それでも、離婚する前の生活に戻りたいと思ったことは一度もなかった。お母さんと二人きりのつましい生活だったけれど、志保にとっては何にも代えがたい大切な時間だった。

「失踪シャベル 8-3」

内容に入ろうと思います。
本書は、いくつかの時代の話が並行して語られるという構成の作品ですが、基本的には中学生の進と一彦の二人が、六甲山で出会った香という同年代の少女と触れ合う話が中心となります。
東京に住む進は、父親同士が仲のいい浅木家が六甲山に持っている別荘(息子の一彦は山小屋と呼んでるけど)に泊まることになった。そこで一彦と一緒に六甲山で遊んでいる時、近くの別荘に住んでいるらしい少女、香と出会う。三人は一緒に遊ぶようになるが、進も一彦も共に香のことがどんどんと好きになっていく。
次第に、香の家の複雑な事情や、香の家に関わる人の後ろ暗いところなんかを目にしてしまうことになる二人は、香を守ろうとあれこれ手を打つのだけど…。
一方で、進と一彦のそれぞれの父親が、宝急電鉄を作り上げた小柴一造と共にドイツに出張に行き、そこで相田真千子という女性に会う話や、香の叔母さんである倉沢日登美の学生時代の淡い恋の話なんかが並行して描かれます。
というような感じです。
うーん、という感じでした。何かで本書の評価を読んで、面白そうだなと思ったんでちょっと期待して読んだんですけど、ちょっと僕には合わない作品でした。
まず、最後に明かされる謎が、ちょっとわかりにくいんですね。しかも、そこまで驚くような感じでもないんです。衝撃的な結末!みたいな感じではちょっとないんで、インパクトの弱さを感じました。
しかも、そこにたどり着くまでのストーリーが全然面白くないんですね。進と一彦と香の話は、別に何が起こるというわけでもなく、少年少女小説として優れているわけでもなく、特に光る部分があるわけではないし、それ以外の話も別に特段面白いわけではありません。小柴一造と<六甲の女王>の人物造形がちょっと面白いかなと思う程度で、他は別にこれといって惹かれる人間がいたわけでもなく、全体的に実にテンポがゆったりしているんで、もたもたしてるなぁという感じがしてしまいました。
というわけで、これ以上特別書くようなこともないんですね。特にひっかかるような部分もなく、結構退屈な作品でした。あんまりオススメは出来ません。静かでゆったりしたテンポの小説がいいという人は、もしかしたら合うかもしれません。

多島斗志之「黒百合」



丸太町ルヴォワール(円居挽)

ある時お母さんに離婚をするつもりだと打ち明けられた時、志保は嬉しくて仕方がなかった。もちろん、父親と離れることが出来るというのも嬉しかった。二度と関わりたくないし、今でも連絡先は知らない。
 しかしそれ以上に嬉しかったのは、お母さんを独り占めすることが出来る、ということだっただろうと思う。
 志保は、お母さんが父親のことで泣いているのを見るのも、父親のことでため息をついているのを見るもの嫌だった。お母さんの世界の中に、いつまでも父親の存在がこびりついて離れていかないことが厭で仕方がなかった。お母さんが、志保のために泣き、志保のためにため息をついてくれるのならどれだけいいだろう、とずっと思っていた。

「失踪シャベル 8-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、僕と同い年の著者のデビュー作です。
城坂論語は3年前、祖父の屋敷でくつろいでいる時、一人の女性と邂逅した。それはまさに邂逅というべき出会いであり、丁々発止のやり取りを楽しんだ後、忽然と姿を消してしまった。
そしてその同じ日、祖父は亡くなった。自然死として処理されたが、ペースメーカーの誤作動を誘発したのでは、という疑念は払拭されることはなかった。
そして三年後。論語は祖父殺しの嫌疑を掛けられて、京都に古くから伝わるという私的裁判「双龍会」にかけられることになった。弁護士・検事・裁判官に相当する立ち回りを用意し、明確な証拠や証言ではなく、いかに群衆を納得させることが出来るかによって勝敗を決する双龍会に、論語側の弁護士役という立場で初参戦することになった者二人…。
というような話です。
いやはや!もう今年何度このセリフを書いたことかわかりませんけど、今年僕が読んだ新人(しかもデビュー作!)のレベルの高いこと高いこと!本書も、新人のデビュー作にはあるまじき完成度の高さで、傑作と言ってしまっていいでしょう。僕も結構ミステリを読んできている方だと思いますけど、これほど論理の応酬が見事な作品はそうは思いつきません。
本書の内容については、上記に書いた以上はちょっと触れられないんです。もうあらゆるところに罠が仕掛けてあって、何を書いてもネタバレになりそうだし、しかも内容紹介的にアンフェアになりそうなので。それぐらい、伏線が緻密に、しかもありとあらゆる場所に仕掛けられています。
本書は、大きく前後半に分かれていて、前半は論語がルージュと名乗る女に出会った話、そして後半が私的裁判「双龍会」の話です。
前半のルージュとの出会いの場面はとにかく素晴らしいです。この前半だけを短編として見たとしても、そのレベルの高さは異常だなと思います。一幕物の舞台のようで、登場人物はたった二人、その二人が丁々発止のやり取りを繰り広げながら、お互いにアドバンテージを得ようとしている、というだけの話なんですけど、論理の応酬が凄すぎる。この前半の話だけでも、状況が二転三転するんですね。
しかも後半では、そのルージュとの出会いと祖父の死について裁判が行われるわけなんですけど、ここでももうどんだけひっくり返るんだよ!というくらいあらゆる事実がひっくり返ります。もうどんでん返しの連続で、よくもあれだけ地味な事件にここまでの展開を用意できるなと思うんです。
そう、祖父の死自体は特別なことはまるでないんです。ペースメーカーの誤作動を誘発するために携帯電話を使ったのではないか、というだけの話で、密室が出てくるわけでもなし、暗号やら死体消失やらそういう本格ミステリっぽい状況が出てくるわけでもないんです。確かに、容疑者と目されている論語が、存在したかどうか他人に証明することが出来ないルージュという女性と一緒にいたのだと主張することで、アリバイ崩しみたいな話にはなりますけど、ただそれにしたって普通の本格ミステリで出てくるようなアリバイの扱われ方ではありません。
そんな、特別目を惹くような点のまるでない、そもそも殺人なのかどうかも明確ではない事件をベースにして、あれだけのやり取りを生み出せるんですから、これはもう驚愕としか言いようがないでしょう。双龍会はまさにディベートという感じで、いかに聴衆を(もちろん本来は裁判官をだけど)納得させられるかが重要で、バレなければ証拠の捏造も悪どい手もなんでもあり(しかし不正がバレた時点で即退場)。そんな普通の裁判とはまるで違う論理で行われるやり取りは、次第に奇襲の応酬という感じになっていって、とにかくハラハラさせます。論語側はとにかく端っから不利で、しかしなんとかなりそうだという手応えを持って双龍会に臨むんですね。しかしそれが完全に玉砕して、もうこの状況からでは回復は不可能だろう、という窮地に陥るんだけど、もの凄い粘りを見せるんですね。双龍会も最後の方になると、双龍会のこれまでの歴史にはありえなかった自体がどんどんと繰り広げられていって、とにかく異常事態に陥ります。それでも、最終的にとんでもなく広がった大風呂敷をなんとか(というか読んでる側からすれば華麗にですけど)畳み込んで、事態を収集します。そのほとんどが、論理により応酬によって行われるわけで、素晴らしいなんてもんじゃありません。
ホント何を書いてもネタバレになりそうなんで内容については具体的に触れられないのが残念で、とにかくアホみたいにすげー!とか言ってるしかないんですけど、ホントこれは凄いです。会話のやり取りが西尾維新的ですけど、西尾維新以上に論理性があって、ハラハラさせます。キャラクターも素晴らしくて、特に龍樹落花なんか最高ですね。ストーリー・構成・キャラクター、すべて申し分ないです。これがまさか新人のデビュー作だとは。一級の本格ミステリ作家と一級のライトノベル作家が共作したかのような絶妙な作品です。この作家、次の作品も是非読みたいです。こんな凄まじいデビュー作を引っさげてデビューしたんだから、これからもバリバリ超絶的な作品を出して行って欲しいと思います。是非読んでみてください!本格ミステリとかあんまり好きじゃなくても全然楽しめる作品だと思います。期待していいですよ!期待以上の作品になると思います!

追記)amazonの評価で星1つって人がいる…。うーむ、ダメな人にはダメなのか…。

円居挽「丸太町ルヴォワール」



天使と悪魔(ダン・ブラウン)



 敬叔父さんと話をしたからだろうか、二限の講義の間中、志保はお母さんとのこれまでの生活のことを思い返していた。頭の中では回想を繰り広げながら、一方できちんと板書を目で追ってノートを取っている。特殊能力と呼んでもいいんじゃないだろうか、と志保は思った。
 離婚をしてからしばらくの生活は、実に素晴らしいものだった。
 志保が高校に入学するまで、離婚の気配を感じさせないように、と両親は考えていたのだろうけれど、そううまくいくはずもなかった。表向き両親は仲良く振舞っていたけれど、志保が父親と喋らなくなってからは、少しずつではあるけれども関係が微妙になっているように感じられた。休みの日に両親が一緒に買い物に行くことはなくなったし、父親が出張に行っても、お土産を買ってくることは滅多になくなっていった。お母さんと二人きりの夕ご飯の時も、なんとなく気詰まりなものを感じていた。父親という存在が、たとえその場にいなくても、家族という形に暗い影を落としていたのは明白だった。

「失踪シャベル 8-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、「ダ・ヴィンチ・コード」が世界的にヒットし、最近「ロスト・シンボル」の日本語訳が発売された著者の、アメリカでの刊行順で言えば「ダ・ヴィンチ・コード」より先、ラングドンシリーズの第一弾です。
アメリカの宗教象徴学を専門とする教授であるラングドンは、ある朝、セルンという物理学の研究所の署長であるコーラーから電話をもらう。至急来て欲しいと言われたが用件がわからず乗り気になれないラングドンは、送られてきたFAXを見て驚いた。それは死体が写った写真だが、そこには『イルミナティ』と読めるアンビグラム(180度回転させても同じように読める図表)の焼印が押されていた。イルミナティというのは、はるかむかしに消滅したと考えられている秘密結社である。
現地に飛んだラングドンはそこで、殺された科学者が反物質を製造したことを知る。反物質とは、普通の物質である正物質を構成する原子とは逆の電荷を帯びていること以外すべて同じ性質を持つ物質だ。反物質は正物質と接触すると対消滅という現象を起こし、核物質を遥かに凌ぐエネルギーを放出するのだ。
調べた結果、殺された科学者が作った反物質が盗み出されていることを知ったラングドンは、その後その反物質がヴァチカンにあることを知る。まさにその日ヴァチカンでは、コンクラーベ(新しい教皇を選出する儀式)が行われていた。新教皇の最有力候補と呼ばれていた4人の行方が分からなくなっており、その後ラングドンはらは、イルミナティの手先がその4人を殺そうとしていることを知る。
ラングドンは、ローマ市内の建造物に隠された古代の暗号を解き明かしながら、殺人が行われるはずの場所を推理するのだが…。
というような話です。
いやー!これはもうめちゃくちゃに面白い話でした!まさかこんなに面白い話だとは思わなかったんでびっくりしました。
「ダ・ヴィンチ・コード」も読んだんですけど、正直もいうほとんど内容については覚えていないんですけど、あんまり面白くなかったなということは覚えています。本作でも宗教がらみの話は出てきますけど、「ダ・ヴィンチ・コード」はその宗教の話がよくわからなくて難しいなぁと思った記憶があります。たぶん、キリスト教というものにかなり深く迫った作品だったんじゃないかと思います。
本書でも宗教の話はたくさん出てきますし、キリスト教がそもそものメインの舞台になるんですけど、宗教について興味も知識もない僕でも全然問題ない感じでした。本書では、キリスト教というものの本質に深く迫るという感じではなくて、宗教というのもの存在そのものを扱っているという感じです。しかもそれが、科学との対比で描かれる部分が結構あるので、科学が好きな僕としてはなかなか興味深く読みました。もちろん、一応科学的な記述もあるにはありますけど、理解できなくてもストーリー上まるで問題はないので、科学が苦手だという人でも充分楽しめると思います。
いやーしかし、本書で描かれていることのどこまでが正しいのか分かりませんが、少なくとも『本当かもしれない』と積極的に信じてもいいかな、と思えるぐらいのリアリティがありました。もちろんそれは、僕がキリスト教の人間でもなく、またローマやヴァチカンにも行ったことがないから、という可能性はゼロではないですけどね。
イルミナティに関わる記述にはかなりいろいろ創作があるんでしょうけど(イルミナティ・ダイヤモンドは素晴らしかった!)、冒頭で著者が書いているように、ローマにある建造物の詳細や位置関係なんかは本書で描かれている通りなんだろうと思います。だとすれば、もちろんストーリーの展開上、背景に関しては創作した部分はあるかもしれないけど、でも今でも、イルミナティが残した(のかどうかは知らないけど、本書ではそういう風に扱われている)『神の道』への手がかりは残されてるってことですよね。実際に誰の目にも触れることが出来るものを使って暗号ミステリーを書くというのは相当凄いな、と思います。日本の感覚で言えば、京都にある寺や神社に残された古来からあるものを使って暗号小説を書くようなものでしょう。実際そういう作品も日本にあったりするのかもしれないけど、なかなか出来ることじゃないと思います。しかもそれが、相当説得力がある(ように僕には思える。知識がないだけかもしれないけど)。すごいなと思いました。
そして暗号だけじゃなくて、ストーリーの展開もお見事です。すべてが完璧なタイミングで展開するので、後から考えれば、それちょっと都合良すぎるだろ!と突っ込みたくなるような部分もあるんだけど、でも小説として考えればこのリーダビリティは凄まじいなと思います。とにかく、息をつく暇もない。次から次へと新しい展開が襲ってきて、次はどうなるんだ!と思わずにはいられません。ラングドンはありとあらゆる危機的状況をかいくぐるんだけど、ちょっと超人的杉だろ!と突っ込みたくなるところももちろんあるけど、それにしてもよく出来てる。
畳み掛けるようにしてストーリーを展開させ、これでもかと事実と虚構を散りばめ、さらに最後の最後でびっくりするような真相を用意し、さらにそれが宗教と科学という全体のテーマと密接に関わっている。ハリウッド映画的なトップスピードの展開とアクションシーンなんかもありつつ、虚構を事実の中にうまく忍ばせて(そもそも反物質を本書で描かれているほど大量に製造し、しかも安全に保管するなんて不可能!)、圧倒的なリアリティを生み出すその力量は素晴らしいと思いました。
時間がちょっとないので駆け足でいきますけど、僕はとにかく特定の宗教は何も信じていません。本書を読んで、信仰を持つ人のひたむきさや熱心さみたいなものは理解出来たし、宗教を至上なものであると捉えることも悪くはないのかもしれない、と思ったりもするけど、それでもやっぱり僕は、どんなものであれ宗教を信じることはないだろうな、と思います。やっぱり科学の方がいいですね。
僕がとにかく思うのは、こういうことです。宗教を信じるのは一向に構わないと思います。それがどれだけ怪しげなものでも(一応書いておくけど、キリスト教が怪しげだと書いているんじゃないですよ)、その本人が心の底から信じているのならば、他人がとやかく言うべきではないと思います。
でも、それと同時に思うのは、自分が信じている宗教を他人に押しつけるのは絶対にダメだ、ということです。いくら自分が信じている宗教が素晴らしくて、それを信じない人間がいるなんて人生を損しているのだと心の底から強く強く信じているのだとしても、誰かを巻き込んではいけない、と思うんです。宗教は、多くの人々がそれを必要とすれば残るし、そうでなければ消える。ただそれだけの存在だと思うんです。もちろんそれは科学にしても同じだと思いますけど。多くの人が、テレビなんて見れなくてもいい、薬なんてなくてもいい、と考えれば、科学は消えるでしょう(それでも数学だけは残りそうな気はするけど)。宗教は(というか宗教を運営するものは)、それを肝に命じなくてはいけない、と僕は個人的に勝手に思います。本書を読んでて、実にいいなと思った宗教に関する二つの描写があるので、それを抜き出して終りにしようと思います。
まずある人が、聖職者に会うときは必ずこれを聞いている、と前置きして、神は全能かつ慈悲深いのに、どうしてこの世の中はこんなに苦痛に満ちているのか、と聞きます。それに対するとある聖職者とのやり取りがこれです。

「八歳の息子がいると想像してごらんなさい…息子さんを慈しみますか?」
「もちろんです」
「自分の持てる力をすべて傾けて、息子さんが人生で感じるであろう苦痛を防ぐ意志がありますか?」
「もちろんです」
「スケートボードに乗るのを許しますか?」
(中略)
「すると、あなたはその子の父親として、役立ちそうな大まかな助言を与えたあとは、子供の自由にさせてみずから失敗をさせるわけですね」
(後略)

なるほど、そういう発想をするのか、と思いました。
今度は、とある女性科学者(殺された科学者の娘)とラングドンの会話。科学者が宗教について語ります。

「それはちがう。信仰は普遍的なものよ。理解するための手段が異なるだけ。ある者はイエスに祈りを捧げ、ある者はメッカへ趣き、ある者は原子を構成する粒子を研究する。結局は誰もが真実を、自分より偉大な存在を探しているだけなのよ」
(中略)「で、神は?きみは神を信じるのかい?」
(中略)「神は間違いなく存在する、と科学は語っている。自分が神を理解することは永遠にない、とわたしの頭は語っている。理解できなくていい、と心は語っている」

最後のセリフがいいですね。
そんなわけで素晴らしい作品です。あと素晴らしいのがアンビグラムですね。巻末の謝辞を見ると、画家だという奥さんが作ったものなんでしょうね、きっと。凄いですよ。180度回転させてもまったく同じに読めるものが本作中6個も出てくる。しかもその中でも、イルミナティ・ダイヤモンドは素晴らしいですね。よくこんなもの作ったもんだと思います。とにかく、『ザ・エンタメ』として素晴らしい作品です。是非是非読んでみてください!

ダン・ブラウン「天使と悪魔」







マイナークラブハウスへようこそ!(木地雅映子)

「本当はダメなんだろうけど、私も失踪届は出さなくてもいいんじゃないかと思っている。結局あれは、死体で見つかった人間を照合するためのものでしかないしね。まあ親戚連中はそれじゃあ納得しないだろうから、失踪届は出したと言っておくよ。家内もきっと、失踪届を出してないなんて知ったら怒るだろうしね」
「迷惑なことを言ってすいません」
「いいんだ。私は、なるべく志保ちゃんにとって良いと思えることをしたい人間なんだ」
 その言葉は志保の耳にくすぐったく響いた。
「さあ、着いたよ」
 敬叔父さんはそう言って、車を停めた。そこは、大学の敷地からは多少距離のある場所だった。敬叔父さんは、娘に言われたという言葉を気にしているのだろう。自分は全然気にしないから、もっと大学の近くに下ろして欲しい、と言おうかと思ったけど、敬叔父さんの気遣いを無下にするのはもったいなくて、何も言わなかった。
「じゃあまた。何か分かったら連絡して。こっちもいろいろと連絡を取ってみるから。あと、何か困ったことがあったらちゃんと相談するんだよ」
 去っていくバンを見ながら志保は、どうして自分は敬叔父さんの娘に生まれなかったのだろう、と思った。

「失踪シャベル 7-13」

内容に入ろうと思います。
本書は、「氷の海のガレオン」という伝説的な作品を残して以降長い間沈黙していた著者が書いた一風変わった学園小説です。
舞台は、桃李学園という、文武両道の有名私立大学に付属する中高一貫校。その中で、マイナークラブハウスと称される奇妙な建物が舞台になっています。
桃李学園では、全員が何らかの部活に入ることが推奨されていますけど、中には人数の少ない部活もある。部員が5人以上いれば部費も出るけど、そうでなければ部としては存続は出来ても部費は降りない。
さて、マイナークラブハウスとは、幽霊部員も含めて部員ギリギリというような部活が集まる建物なわけです。
本書は連作短編集のような構成で話が進んでいくので、それぞれ紹介しようと思います。

「内田紗鳥、桃園会館に足を踏み入れたる縁」
内田紗鳥はバレーボールの特待生として入学したが、バレー部でいじめに遭っていた。そんな時、ふと迷い込んだ学園の敷地内の林に奇妙な建物があることに気づく。入ってみると、魑魅魍魎がうごめいていて、恐ろしくなった紗鳥は逃げた。
しかし翌日、クラスメートの八雲業平から声を掛けられる。よく思い出してみれば、昨日の魑魅魍魎の一人は八雲君だったようだ。よくわからないままにマイナークラブハウスに連れていかれたのだが…。

「福岡滝、珍妙なる友を得る縁」
中等部で手芸部に所属していた福岡滝は、いっぱしのデザイナーと言っていいほどの才能を持っていた。三年で部長になった時には、一人で山ほどのデザインを生み出し、展示即売会で即完売するというようなこともあった。
そんな滝だったが、高等部の手芸部に門前払いを食らわされることになる。理由は分かっているけど、低俗な連中と一緒になるのも癪で、手芸部は諦めた。
クラスにやってきた畠山ぴりかという転校生と仲良くなった滝は、ひょんなことからマイナークラブハウスに足を踏み入れることになり…。

「高杢海斗、探求への一歩を踏み出したる縁」
マイナークラブハウスに所属する歴史研究会に入った高杢は、マイナークラブハウスの雰囲気に馴染む一方で、奇人変人ばかりの環境にやはり戸惑いを感じていた。中でも変人ツートップである、演劇部の畠山ぴりかと、園芸部でありかつ寮のルームメイトでもある天野晴一朗の二人はなかなかぶっとんでいる。
天野が世話している畑に猫がやってくる、というところから一騒動持ち上がるのだけど…。

「八雲業平、岐路にて痛みを知る縁」
中等部の軽音部部長だった八雲は、とあるライブで出会ったミツアキと共に活動をしているんだけど、自分たちのレベルに合った他のメンバーがどうもいない。今も、高等部の軽音部のメンバーに歯向かって喧嘩別れしたばかりだ。
中等部への近道なんじゃないかと思って通り抜けようとした林の途中で、彼らは音楽を聞いた。なんだか凄かった。聞けば演劇部のメンバーで、時々お遊びでふざけてああやってる、ってことだったけど、もったいない。
というわけで、中等部の学園祭に出てもらうことにした…。

「畠山かおり、目覚めて夢を見る縁」
かおりは、娘のぴりかのことがよくわからなかった。今日もぴりかのことで学校の先生と話をしに行くのだけど、話してどうにかなるものでもないだろう。
話が終わって帰ろうと言う時、声が聞こえてきた。ぴりかの声に似た声もあった。なんだかよく分からないけど、鬼ごっこのような遊びをしているみたいだ。ぴりかは家にいる時とは雰囲気がまるで違っていた…。

「おまけ・マイナークラブハウスの大掃除」
マイナークラブハウスの大掃除を描いた話。

という感じです。
これはなかなか面白い作品です。雰囲気的にはライトノベルに近いような感じだけど、いろんな物事の背景とかキャラクターの描写とか、そういうものはかなりしっかりしています。ピュアフル文庫っていう文庫レーベルが、ライトノベルと普通の小説の中間ぐらいのラインをうまく保っているなという印象があるんだけど、本書もそういうライン上に載っている作品だなと思います。
ストーリーは、はっきり言ってこれと言ってないんです。このシリーズ、現時点で三巻まで出てるから、もしかしたらこの一巻目は全体の登場人物の紹介的な内容で、二巻以降長編っぽくなってくのかもだけど、とにかく本書はこれと言って明確なストーリーはないんです。マイナークラブハウスで繰り広げられている日常をちょっと切り取ってみました、という感じ。
それでも読まされてしまうのは、とにかくキャラクターが面白すぎるからでしょうね。
まず最強キャラが、畠山ぴりか。このキャラは説明不要というか、とにかくぶっ飛んでいて破天荒、何やってるかわかんないし、何もかも意味不明なんだけど、でも全然憎めないし、むしろ愛らしい。ちびっこくて、それでいてダイナミックで、いつも周りにいる人を驚かせる。でも、読んでくとだんだん分かるんだけど、実はそれは演技らしい。辛いことを隠すための演技みたいなんですね。でも何があったのかという具体的な描写はあんまりない。恐らく二巻目以降で明かされるのかな。とにかく本書は、ぴりかが暴れまくる本、と言ってもいいかもしれません。
対照的なのが福岡滝。物静かで、好きなデザインの服を作っていられれば幸せで、馴れ合っているような女子のグループには絶対に混じれない。周りから浮いているという点ではぴりかと同じだけど、滝の場合はとにかく常に冷静。だけど存在感がないかっていうとむしろ逆で、お局様っていうようなピリリとした存在感があります。
八雲業平は、イマドキのチャラチャラした雰囲気の男の子、っていう雰囲気を敢えて醸し出しながら、実際はきっちりしている男。普段は学年でも人気者で、八雲と話したというだけで福岡滝は羨ましがられるほどの存在なんだけど、実はマイナークラブハウスでアホなことをやっている。でもやっぱりそれは一面でしかなくて、特に親友であり相棒でもあるミツアキと一緒にいる時はいろいろと考えてしまう。ただ、メインのキャラ(本書の表紙に絵で描かれている4人)の中では一番地味かな。八雲レベルで地味って、相当変人集団だってことだけど。
表紙に描かれている4人目は、園芸部にしてぴりかと勝負出来るほどの変人、天野晴一朗。長身でいつもジャージを着ているというだけで目立つけど、基本無口で喋らない。とにかくマイナークラブハウス横の畑をいつもいじっているというような奴。じゃあ何がおかしいのかというと、とにかく喋り方が奇妙。セリフを棒読みしているかのような平板な口調は、何を考えてるんだかさっぱり分からない。自分なりのルールがあるようで、時折それが世間の常識から大きく逸脱していたりする。
まあこんな四人がメインで描かれるけど、他にも濃いキャラは山ほどいる。時間がなくてあんまり書けないけど、新入生歓迎の時にやった葬列ってイベントのインパクトは凄かったし、八雲のバンドと一緒にやっているぴりかと土井陽子は相当はっちゃけてるし、他にもあんまり登場しないけど印象を残すキャラがたくさんいて、とにかくキャラクター祭りという感じがしますね。マイナークラブハウスという入れ物と、玉石混交という感じの奇人変人の組み合わせが最強で、ここを舞台にいくらでも物語を紡げてしまうような、そんな気がします。っていうか、僕も入りたいですね、マイナークラブハウスの中のどこかに。どちらかと言えばマイナーな方に惹かれてしまう僕には、かなり居心地のいい場所ではないかなと思います。アホみたいなことを真剣にやったりなんていうのは、自分の大学時代をちょっとだけ思い起こさせてくれるし、懐かしい感じがしました。いいですね、こういう関係。
しかも、ただ面白いっていだけの話ではないんですね。やっぱり今っぽく、人間関係はそう単純じゃない。一番はっちゃけているように見えるぴりかさえ何か隠しているし、他にもいろんな事情を持っている人間がいる。だからこそ、表向きだけでもいいからはしゃごうよ、というような雰囲気が、時々物悲しく感じられる時もあるけど、そういう部分も含めて本書の魅力なんだろうな、と思ったりします。
続きが読みたくなる作品です。機会があったらまた読んでみようと思います。本書は、普段あんまり小説を読まないという人にも勧められる、とにかく読みやすい作品です。是非是非読んでみてください。

木地雅映子「マイナークラブハウスへようこそ!」



さよならドビュッシー(中山七里)

「たぶんだけど、お母さん、自分の意志でいなくなったんだって思うんです。うまく説明出来るわけじゃないんだけど、そうかなって。一旦家に戻ってからどこかに行っているみたいだし、再婚の話とかも聞いてたから。私が大学生になって、子育てとかからも解放されて、自由になりたいなんて思ったのかもしれないし。本当の理由は分からないけれど。事故だとしたら近くでそういう話が出るだろうし、事件に巻き込まれてるっていうのはどうも想像が出来なくて。お母さんが自分の意志で家を出ていったんだとしたら、その意志を尊重してあげたいかなって」
 敬叔父さんは、一つ頷くと、こう返した。
「実は私も、そんな風に考えているんだ。志保ちゃんにこんなことを言うのはまずいのかもしれないけれど、お母さんには結婚はちょっと向かなかったように私には見えた。妻とか母親っていう立場で満足出来るような人じゃなかったんだと思う。いつまでも一人の女性として生きていたいっていう風に思っていたと思う。まあそういう風に強く思うようになったのは結婚したからなのかもしれないけれどね」
 敬叔父さんは一度言葉を切り、志保の反応を確かめるかのようにこちらを見た。

「失踪シャベル 7-12」

内容に入ろうと思います。
本書は、今年度のこのミステリーがすごい大賞を受賞した新人のデビュー作です。
大富豪である祖父を持つ香月遥は、インドネシアから来た、大地震で両親を失った従姉妹・ルシアと共に年末年始を過ごしていた。共にピアノを習い、性格こそ真逆だけど似たもの同士の二人は、これまでは一年に数日しか会えなかったけれど、本当の姉妹のようだった。両親を亡くした従姉妹は、香月家に養子縁組することになり、生活を共にすることになった。
ある日、自宅の敷地内に祖父が建てた離れに、遙とルシアは泊まることになった。その夜大火事が起こり、離れは全焼した。
全身火傷を負い、顔面を初め全身の皮膚移植の末になんとか一命を取り留めた遥は、祖父が遺産の大半を自分に残してくれたことを知る。しかしそれは、ピアニストを目指すためにしか引き出されない、条件付きの遺産相続だった。遥は、指先まで皮膚移植をし、とてもではないけれどピアノなど弾けそうにない状態であるにも関わらず、音楽学校への進学を決め、リハビリを兼ねてレッスンに励むことになる。岬洋介という、まさに魔術師としか言いようのないピアニストに出会えたことも幸運だった。
しかし、ピアニストを目指す遥を狙う存在に気づく。どうやら命を狙われているらしいが、やはりそれは遺産相続に関わるものなのだろうか…。
というような話です。
いやはやホントに、ここ最近僕が読んだ新人のデビュー作はレベルの高い作品ばっかりですね。本書も、新人のデビュー作にしては相当レベルの高い作品だなと思います。
本書は、ストーリーのベースになっているのはミステリーです。最後にきちんと謎解きがあるようなタイプの話です。ただ正直に言って、ミステリ的な要素はそこまで強くはありません。ラストの謎解きで、なるほどやっぱりこれはミステリだったな、と改めて感じさせますが、終盤に至るまではかなりミステリ的な描写は少ないと言えるでしょう。それでも、ミステリの部分の話はきっちりまとまっていると思うし、伏線もきっちり配置され回収されているし、及第点には充分達しているなと感じました。
さて本書の素晴らしいのは、やはりピアノに関わる描写でしょうね。恐らく著者の得意分野なんでしょう。実際にピアノを習っていたり、音楽学校に通っていたというような経歴があるんじゃないかなと思います。じゃないと、さすがにここまで豊かな描写は出来ないだろうなと思います。
僕はクラシックやらなんやら、そういう方面はまったく知識はないし、そもそも音楽としても聞いたことはないんだけど、それでも充分面白いですね。音楽の演奏の場面の描写がイマイチよく分からなかったり、鍵盤の叩き方やら指の動かし方の描写がイメージ出来なかったりということはあるけど、それでも知識のない読者を置いてけぼりにするような描写ではないし、クラシックに興味のない人間も充分に惹きつけるような文章になっているなと思います。
何よりいいのが、岬洋介という遥のピアノ教師を引き受ける存在ですね。この男はなかなか一筋縄ではいかない経歴を持った男なんですけど、まあ具体的なことは読んでもらうとして、まさに魔術師としか言いようのない教え方をするんですね。ピアノを習ったことのない人間にもなるほどと思わせるような教え方をするし、何よりも人を鼓舞するような言葉も操ることが出来る。正直、全身火傷を負った人間がここまで短期間で驚異的に成長出来るとは思えないのだけど、それでも岬洋介という存在が何故かそれを不自然に感じさせないんですね。この男がいれば、こういう奇跡も起こすことが出来るのかもしれない、と思わせるような説得力を持っているんです。
本書は、ベースとなっているのはミステリでありながら、演出のほとんどはピアノが担っています。全身火傷を負ってからコンクールに出るまでの軌跡はなかなかに感動的で、もう少し追加のエピソードを入れれば、ミステリの要素がなくても作品として成立しそうな気がします。
さらに僕がいいと思った点は、知識のバランスがいいんですね。新人によくありがちなのは、自分の得意分野については詳しく描写をするけど、そうではない分野については貧弱な描写になってしまう、ということだけど、本書に関してはそういうことはありません。ピアノの部分の描写に劣らず、法律や経済、警察に関する描写もかなりきっちりしていると思います。
例えば本書には、捜査関係書類照会書、なんていう単語が出てきます。僕はこれまでも結構警察が出てくる小説を読んできましたけど、こんな単語たぶん見たことないと思うんです。恐らく捜査に関わる書類を提出してくれ、みたいな書類なんだろうけど、それがどんなものかはともかくとして、こういう普通知らないような知識だけをピンポイントで調べるのはなかなか難しいということです。
僕も拙いながら小説を書いたことがあるから分かるけど、自分が存在さえ知らないことについて調べることは無理です。今の例では、捜査関係書類照会書というものの存在を知っていれば、それがどういうものなのか調べることは出来るけど、捜査関係書類照会書の存在を知らなければ、刑事がそういうものを提出するという事実そのものを知ることはなかなか難しいものです。
ということは恐らくだけど、著者は警察の仕事に関して一通り調べたんだろうな、と思うんです。それは、経済とか法律とか、そういう本書に出てくるいろんな知識についても同様だろうな、と思いました。自分の知っている知識だけ異常に詳しく描写するという、初心者が陥りやすい状態を無難に回避しているので、それだけでも結構実力があるなと思いました。
ストーリーだけでなく、キャラクターもかなりいいです。特に僕が好きなのは、先程も書いた岬洋介と、遥の祖父である玄太郎と、遥の皮膚移植をした形成外科医の新条先生、この三人は素晴らしいなと思いました。
岬洋介については、これ以上書くとネタバレになってしまうので控えるけど、とにかくその生き方が素晴らしい。ありえない経歴を持ちながらも、この男ならありえるかもしれない、と思わせる雰囲気を持っています。正直僕は、岬洋介ほど熱心に生きることは出来ないので近くにいたら窮屈な感じかもしれないけど、羨ましいなとは思うだろうと思います。
玄太郎は、頑固一徹という爺ちゃんだけど、考え方がはっきりしているし、何より清々しくていい。実際こんな人間が自分の祖父だったら鬱陶しくて仕方ないだろうけど、でも反面親しみも覚えるだろうなと思うような人間です。夢や目標を持たない人間には徹底的に厳しいけど、食い扶持を自分で稼ぐならとりあえずの文句は言わないし、夢や目標を持っているのならば全力で支援するという考えはまっとうだし、頑固で偏屈でありながら、人を思いやる気持ちもきちんと持っている。序盤で死んでしまうのが残念でなりません。
新条先生も岬洋介とかなり似た人間で、とにかく甘えている人間に厳しいのだけど、新条先生の場合それが患者に向けられるので患者としてはキツイだろうなと思います。全身火傷を負ってようやく音が聞こえるようになったばかりだというのに、甘えるなみたいな厳しいことを言うし、リハビリの期間もとにかく厳しい。自分の腕には絶対の自信を持ち、見た感じ冷酷そうに思えるのだけど、しかしその冷酷そうに見せているのは何よりも患者自身のことを考えてのことだということが徐々に伝わってくる。こういう医師というのはそう多くはないような気がするけど、こういう医師に当たったらラッキーだろうなと思えますね。
こういう素晴らしい大人が周りにいたからこそ、遥はなんとか立ち直ることが出来た、なんてことも言えるかもしれません。他のキャラクターも、それほど特徴がない人物でもみな結構存在感はあったりして、キャラクター描写でもなかなか力のある作家だなと思ったりしました。
ただちょっとだけ不安な点は、この著者は別の作品を書けるだろうか、という点。選評を読む限り、前の年も別の作品で同じ賞に応募しているみたいなんで書ける作家なんでしょうけど、得意分野だろうクラシックやピアノという武器はそう何度も使えるものではないだろうと思います。その中で、丸腰で新しい小説を書けるだろうか、と思ったりはします。文章やストーリーや描写やキャラクター造形なんかはかなり手練という印象なので、あとは書くテーマをきちんと選べるかという点でしょうか。その辺りは編集者とうまいことやって欲しいなと思います。
まあそんなわけで、新人のデビュー作とは思えない、かなりレベルの高い作品だと思います。ミステリ的にはもしかしたら弱い点はあるのかもしれないけど(僕はそこまでそうは思わなかったけど、そう感じる人がいてもおかしくはないなと思います)、それだけが魅力の作品ではありません。ストーリーの展開やキャラクターの描き方なんかもかなり熟達という感じです。是非読んでみてください。

追記)amazonの評価はかなりバラつきがあります。まあ気持ちは分かりますけど、でも僕はかなり良い作品だと思います。

中山七里「さよならドビュッシー」





残される者たちへ(小路幸也)

敬叔父さんが、自分の意見を引っ込めない人だということは分かっていたから、敬叔父さんの提案を素直に受け入れることにした。でも、これだけはきちんと言った。いつか必ず返します、と。敬叔父さんから受けている援助は、すべて借りているだけなんだ、とでも思わないと、とてもじゃないけど自分の中の申し訳なさを打ち消すことが出来なかった。そう言うと敬叔父さんは、じゃあ将来何倍にでもして返してもらおうかな、と笑いながら言った。未だに子ども扱いされているのが悔しくて、志保は少し拗ねてやった。
 気づけば大学までもう少しだった。たぶんそんなタイミングを見計らっていたのだろう、敬叔父さんは、それまで話していた軽い口調ではなく、少しだけ真剣味を足した声でこう言った。
「警察に届けたくないっていうのはどうして?」
 敬叔父さんにこのことを聞かれるのは分かっていたから、志保は用意していた答えを口にした。

「失踪シャベル 7-11」

内容に入ろうと思います。
本書は、「東京バンドワゴン」シリーズで有名な著者の作品です。
川方準一は、ふと気が向いて、小学校時代の同窓会に出てみることにした。子供の頃父親が失踪して、そのまま生まれ育った団地を引越してしまったけど、小学校の頃は同じ団地の子供ばっかりが通う小学校に通っていた。今は、高校時代からの友人と独立して会社を興したのだけど、久しぶりに同窓会に出てみるのもいいかもしれない。
懐かしい顔と再会し、忘れていたような思い出も次々に蘇ってくる同窓会だったのだけど、その同窓会の幹事である押田という男の存在をどうしても思い出すことが出来なかった。しかも同じクラスだったという。準一には押田についてまったく記憶がなく、忘れているという感覚さえなかった。さらに、押田に近づくと、背中に何か突っ込まれるような激しい嫌悪感を覚えるのだ。
同窓会を一次会で切り上げることにした準一は、幼馴染で久しぶりにあった藤間未香とお茶をすることにした。未香は精神科医になっていたようで、準一は助けを求めるようにして未香に今の状況を話して聞かせる。
二人は、すべての原因が団地にあると判断し、何が起こっているのか調べることに決めるのだが…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。この著者の作品は「東京バンドワゴン」シリーズしか読んだことがないんだけど、もともとメフィスト賞という割とミステリー系の新人賞を受賞してデビューしてるし(デビュー作がミステリかどうか分からないけど)、ミステリタッチの作品もなかなか面白いなと思います。ただやっぱり、「東京バンドワゴン」シリーズの方が面白いと思うけど。
何故押田という旧友のことをまるで覚えていないのか、というのがストーリーのメインになっていくんですけど、今年の頭に僕も初めて高校時代の同窓会に出た時のことを思いだしました。僕はもう記憶力が虫並でして、大学時代のことすらおぼろげになりつつあるような貧弱な記憶しかないんだけど、それでもまあなんとなく覚えているものですね。名前を忘れていた人はたくさんいたし(っていうかほとんど忘れてたかな)、顔があまりにも変わったりして思い出せなかったりといろいろあったけど、こんな奴いたっけ?みたいなのはさすがになかったですね。
だから、同じクラスだったのにまるで覚えていない奴っていうのがいたら、それはちょっと驚くなんてもんじゃないだろうな、と思います。
まあそこから、割と都合よく、幼馴染でかつ精神科医っていう人間と一緒になって謎に当たって行くんだけど、どんどんと不思議なことが積み重なっていく過程は興味をそそりますね。団地にすべての謎があると分かっていながら、まったくどういう方向に進んでいくのかわからない感じは面白いなと思います。
ただ、後半ちょっとなという感じはしました。もっとちゃんと言葉にすると、ちょっと足りないな、という感じなんですね。
謎を追いかけて行く過程はあれぐらいの分量でいいと思うんだけど、謎が分かってから最後までがちょっと駆け足すぎるような印象がありました。具体的に書くとちょっとネタバレになるんで触れられませんが、本書の肝である部分は、もう少し深く描いて欲しかった、という感じがしました。正直、全体的にふわふわして曖昧な感じで、なんとなくわかるけど、ちょっと読み手に投げている感じがあるな、という気がしました。設定としては面白いと思うし、着地点としてはいいと思うんだけど、あんまり掘り下げないままで終わってしまった印象があるので、そこがちょっと残念だなという感じです。
個人的によかったなと思うのは、芳野みつきっていう女の子の存在ですね。たぶんこの子の存在がなかったら、この作品はちょっとつまらない感じになってしまっただろうな、と思います。芳野みつきっていうキャラクターが全体のバランスをうまく保っていて、ちょうどよかったな、と思います。大人びているようで、でもやっぱり女の子で、ちょっと不思議な味わいのあるキャラクターです。みつきのお父さんも、そんなには出てきませんが、好感の持てるキャラクターだなと思いました。
しかし、最近読んだ本では、「増大派に告ぐ」って本もそうだったし、前に読んだ本では、「みなさん、さようなら」って本があったけど、団地を舞台にした作品って結構ありますね。僕は団地に住んだ経験はないし、今では団地という形式はあっても昔ながらの近所づきあいみたいなものはもう廃れているのかもだけど、でも子供の時ぐらいだったら、団地って結構面白かったかもな、とか思います。でもあれか。学校でいじめられてたりとかすると、団地でも同じヒエラルキーが維持されて余計大変、みたいなこともあるかも。まあ分からないけど、古き良き時代の団地っていうのをちょっと経験してみたかったかな、という気が少しだけします。
まあそんなわけで、まあまあ面白い作品でした。個人的には「東京バンドワゴン」シリーズをオススメしますけど、この作品も悪くないと思います。

追記)amazonの評価は、なかなか辛いですね。気持ちは分かりますけど。

小路幸也「残される者たちへ」




たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する(レナード・ムロディナウ)

それからは、今後の生活の話がメインになった。叔父さんとしてはむしろ、こちらの方が本題だったのではないかという印象を受けた。
 敬叔父さんには今、学費の負担をしてもらっている。決して安くはない額だ。大学での勉強にやる気を失いつつある志保は、ただでさえ申し訳ない気持ちを抱えているのに、さらに叔父さんは、生活費と家賃全般を負担してくれるという。志保は、今やっているアルバイトをもう少し増やせば、少しは生活費の足しに出来るし、どうせ一人暮らしをしなくてはいけないのなら、今住んでいる2LDKのマンションではなくて、もっと家賃の安いところに移ると言ったのだけれど、敬叔父さんはそんなことは考えなくていいんだと、相変わらずの穏やかな声で言ってくれた。アルバイトを増やすことで勉強に支障を来たしては本末転倒だし、もしかしたらお母さんがひょっこり帰ってくることだってあるかもしれないんだから、その内引っ越さなくてはいけなくなるにしても、しばらくは今の家に住んでいて構わない、というのだ。だったら、今やっているアルバイトを辞めて敬叔父さんの会社で働かせて欲しいと言うと、志保ちゃんを従業員の一人として見るのはちょっと難しいなぁと言ってやんわり断られてしまった。でもその言葉に、何か甘い響きを感じ取ることが出来たので、悪い気持ちはしなかった。

「失踪シャベル 7-10」

内容に入ろうと思います。
本書は、「偶然」という、科学ではなかなか扱えそうにない分野を、確率や統計学、大数の法則や標準偏差など様々な知識をふんだんに盛り込みながら扱った作品です。
本書では、様々な具体例を挙げながら、いかに人間の直感が確率や統計と言った科学的な知見からズレているのか、という話を扱うわけなんですけど、その中でもかなり印象的な二つの例をまず挙げましょう。
一つ目は、ロジャー・マリスという野球選手が、当時のホームランの記録であるベーブ・ルースの記録を打ち破った時の話です。
マリスという打者は、通常であれば年間40本ほどしかホームランを打たないんですが、その年61本のホームランを打ってベーブ・ルースの記録を抜きました。しかしその後、やはりまた40本代の記録に戻ったようで、アメリカ人にとって神聖な存在であるベーブ・ルースの記録をそんな選手に追い抜かれたということで、マリスは非難を浴びるようになったようです。
著者は、何故マリスはホームラン王になることが出来たのか、を考えます。ここで重要なのが、確率の考え方です。
例えば、1961年にマリスという普段はそこそこのホームランしか打てない選手がベーブ・ルースの記録を打ち破る確率を考えた場合、それはとんでもなく低い数字になるでしょう。しかし著者は次のようなことを考えます。
ベーブ・ルースが記録を打ち立てて以降の70年間(何故70年かというと、ステロイド使用によりホームランが量産されるまで、ということらしいです)に、マリスと同程度の実力を持つある野球選手が、偶然だけでベーブ・ルースの記録を超える確率はどのくらいだろうか、と。実際の野球のいろいろなデータを参考にしながら確率を出すと、そういう確率はなんと50%を少し上回るんだそうです。
つまり、1961年にマリスがベーブ・ルースの記録を打ち破ったことだけを見ればそれは奇跡的な偉業のように見えるかもしれないけど、70年という年月の間にマリスのような技量の選手がたまたまベーブ・ルースの記録を破る確率は50%以上と、かなりありえる数字になるわけです。この話は実に興味深いなと思いました。
さてもう一つ。これは、「モンティ・ホール問題」として、確率の世界ではとにかくやたら有名な問題です。これは、世界最高のIQの持ち主としてギネスにも載っているマリリン・ヴォス・サヴァントという女性が、ニュース雑誌「パレード」の中で様々な質問に答えるというコーナーを担当していたのだけど、そこで投じられた問題の一つでした。
問題自体はこうです。
『テレビのゲーム番組で、競技者が三つのドアの選択権を与えられるとします。一つのドアの後ろには車が、残りのドアの後ろにはヤギがいます。競技者が一つのドアを選択したあと、すべてのドアの後ろに何があるかを知っている司会者が、選ばれなかった二つのドアのうちの一つを開けます。そして競技者にこう言います。「開いていないもう一つのドアに選択を買えますか?」選択を変更することは競技者にとって得策でしょうか?』
何故この問題がそれほどまでに有名になったかと言えば、マリリンの答えが世界中の数学者の答えと違っていたからです。
ごく普通に考えれば、ドアが一つ開こうがなんだろうが、既に残っているドアは2つしかない。だからこそどちらのドアを選んでも確率は1/2のはずだ。世界中の数学者も同じように考えました。
しかしマリリンは、選択を変えるべきだ、という答えを示したのです。実際にマリリンは正解で、選択を変えた場合の当たる確率は2/3なのですけど、マリリンがその答えを示すと、世界中の数学者から、あなたは間違っている訂正しなさい、という意見が出てきたわけです。
20世紀の重要な数学者の一人であるエルディシュ(僕はこの人について書かれた本を読んだことがありますけど、確かに相当重要で天才的な数学者です)は、マリリンの答えを聞いて「ありえない」と言ったそうです。その後、正解に対する厳密的な証明を見せられても納得せず、その後、ある同僚が用意したコンピュータ・シミュレーションを見て、ようやく納得した、と伝えられているようです。
この問題はこう考えるべきだそうです。まず二つに場合わけします。一つは、初めの選択が正解だった場合、つまりドアの向こうに車がある場合。この確率は1/3です。その場合、残りの二つのドアの後ろにはどちらにもヤギがいるわけで、選択を変える価値はありません。
さてもう一方は、初めの選択が不正解、つまり自分が選んだドアの向こうにヤギがいる場合です。この確率は2/3です。その場合、残りの二つのドアのどちらかに車が、どちらかにヤギがいます。ここで司会者は後ろに何があるのか知っているわけで、間違いなくヤギがいる方のドアを開けます。この場合、自分が選んでいない方のドアの向こうには間違いなく車があるわけで、選択を変えるのが正解です。
前者の場合より、後者の場合の方が2倍も確率が高い。すなわち、ドアを変える方が正しい、という結論になるわけです。問題自体も面白いですけど、世界中の数学者が間違えた、というエピソードが実に楽しいですね。
いや、しかし本書はなかなか難しい。物理の分野に量子論というのがあって、それも理解するのがなかなか難しいけど、それは理論が直感に反するからです。本書でも、直感に反する具体例がとにかく沢山出てきます。学生時代、確率はとにかく苦手だった僕には、すごく興味深い内容ですけど、どうしても直感に反するので受け入れるのが難しいですね。
たとえばこんな話もあります。条件付き確率についての話で、こんな確率について考えます。
『子供が二人いる家族の問題において、<二人の子供のうちの一人が女児である場合>、二人とも女児である確率はいくらか』
具体的な解き方は書くのがめんどくさいから省略するけど、これは1/3になります。
さて、ここでこういう問題を考えます。
『子供が二人いる家族で、<子供の一人がフロリダという名の女児である場合>、子供が二人とも女児である確率はどれだけか』
先程の問題とほぼ同じで、条件に女児の一人の名前が出てきたに過ぎません。でもこちらの場合、確率は1/2になっちゃうんですね。これもまあ不思議な話ですけど、読んでいればなるほどという感じです。
本書では、前半から中盤に掛けては、確率や統計と言った科学的手法が生まれた背景なんかも描きながら、標準偏差やベイズ推定など結構専門的なことも交えながら進んでいきます。確かに難しいけど、それは理論自体の難しさというよりは、僕らの思い込みというか日常からの隔たりみたいなものが邪魔をして、なかなか理解しづらいというだけですね。条件付き確率なんてホント難しいです。Aが起こる時にBが起こる確率と、Bが起こる時にAが起こる確率はまったく別物なのに、世の中ではそれを取り違えているケースが多すぎるなんていう具体例では、なるほどと思いながらも、やっぱり自分の直感の方を信じたくなってしまうのには困るなと思いました。五番目にnがくる六文字の英単語と、ingで終わる六文字の英単語だったら、なんとなくingで終わる六文字の英単語の方が多そうな気がしますよね。でも冷静に考えれば、ingで終わる六文字の英単語はすべて五番目にnが来る英単語でもあるので、前者の方が多いのは明らかです。可用性バイアスというそうです。他にも、戦闘機パイロットの教官の『見事な操縦は褒めるけど、すると次回は決まって悪くなる。一方で、下手な操縦の時には怒鳴るけど、その次はおしなべて改善される』という経験則は、怒鳴ったり褒めたりということとは無関係に、平均回帰という現象で説明がつくと言った話も、なるほどなと思いました。「アンネの日記」や「ハリー・ポッター」が出版前多くの出版社に拒否されたなんていう話から、何がベストセラーになるかわからないという話は、書店員として確かにそうだよなぁと思いました。
後半はどんな感じの話かというと、確率的な知識のなさがどのような不合理な判断を生んでいるかというような話になります。この部分はかなり面白くて、後半だけでもいいから人類は全員読んだ方がいいんじゃないかなと思いました。
例えばiPodの話。iPodにはランダム再生機能というのがあるけど、本当のランダムネスというのは同じ曲の繰り返しを生み出す。でも同じ曲が繰り返されるのを聞いたユーザーが、シャッフルはランダムではないと感じたために、スティーブ・ジョブズは、「ランダムな感じにするために少しランダムではなくした」と言ったそうです。ランダムであることとランダムに見えることは違うということですね。
また人間というのはパターンを見つける生き物で、何らかのパターンを見つけるとそこには何らかの意味があると感じてしまうけど、実際それはランダムな結果であっても同じなんだそうです。人間はランダムな結果に何らかの意味を与え、それを必然だと感じてしまう生き物だそうです。成功者の金持ちは能力があるように見えるし、優秀な成績を上げているファンドマネージャーは今後も優秀な成績を上げるように感じてしまう。でもそういったことも、ランダムな結果であるとしてもほとんど変わらない現象ばかりであることが分かっているんだそうです。
確証バイアスの話も面白いなと思いました。人間は、何か新しい考えを抱いたときは、それが間違いであることを証明する方法を探るのではなくて、それが正しいことを証明しようとしてしまう心の動きのことを指すようです。死刑について様々な考えを持つ人を集め、その人たちに、死刑について様々な立場を取るいくつかの論文を読ませた。その後論文を読んだことでどう変わったかを聞くと、どの被験者にも同じ論文を読ませたにも関わらず、自分が元々持っていた考え方に近い研究に対して高い評価を与えるという傾向があったそうです。
またこんな実験もあったようです。様々な種類の人が別々の病院に行き、そこで奇妙な声が聞こえると訴えた。彼らは、変な声が聞こえるという症状と嘘の名前と嘘の職業を言った以外は、自分の生活について包み隠さず話した。彼らの普段の生活は特に異常な点はないわけで、被験者たちは自分たちが精神障害を装っているとすぐに気づかれてしまう、と思っていたようです。しかし、一人を除いて全員が統合失調症の診断で入院することになりました。しかも、入院した直後、元々の指示通り、全員が異常の症状を装うのを止め、病院スタッフが彼らが狂ってなどいないことに気づくのをまったが、まったく気づかれなかったという。逆に医者たちは、彼らのどんな行動でも、精神障害と結びつけて見たという。
まあそんなわけで、僕たちは、実際は「偶然」の出来事であるのに、それに何らかの意味を与えてしまう生き物のようで、結果そういうことに振り回されることになるんですけど、本書を読めば、少なくともそういう自分を自覚する一歩手前までこれるのではないかと思います。書店でメディアで紹介されたからという理由で本を買う人は、そういうバイアスに捕まっているんだな、と思います。そういう自分も、きっと何らかのバイアスに捕まっていることでしょう。
確率というのは本当に難しいですけど、本書はそんな難しい確率について、多少踏み込んだところまで描きながらも、具体例を山ほど盛り込むことで非常に読みやすく面白く仕上げています。科学的な本だし、ビジネスやその他いろんなことに活かせる本だろうけど、何よりも自分の生き方を見直すことが出来る本ではないかなと思います。科学的でありながら、非常に実用的な本なので、自分がどんなバイアスに囚われながら生きているのか見直すいい機会になるのではないかなと思います。科学書にしてはかなり読みやすい本なので、是非読んでみてください。

レナード・ムロディナウ「たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する」



チューイングボーン(大山尚利)

敬叔父さんは、先程までとは違った、ちょっと固い声でそう言った。なるほど、さっきの眉間の皺は、これを切り出すかどうか考えていたのだろう。
「知ってますよ」
「最近?」
「うん。ここ一週間ぐらいだったと思う」
 敬叔父さんは、明らかにほっとしたような表情を見せた。いなくなってしまって本人に了解が取れないとは言え、再婚するつもりだったという話を娘にしてもいいのかどうか逡巡があったのだろう。敬叔父さんは周囲に気遣いをしすぎるところがあって、もう少し楽に生きていたらいいのにと思うことはよくあるのだけれど、今は単純に嬉しかった。敬叔父さんが自分のことを真剣に考えてくれているということがしっかりと伝わってきた。
「こっちの方でも、その再婚相手の方に連絡を取ろうと思う。何か心当たりを知っているかもしれない。今その人の連絡先を知っているわけではないんだけど、たぶん調べれば分かると思う」
 そう言って、お母さんがいなくなった話はお終いになった。そもそも志保の方にも差し出せる情報はほとんどないのだ。敬叔父さんにしても、出来ることはそう多くはないだろうと思う。

「失踪シャベル 7-9」

内容に入ろうと思います。
本書は、日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した作品です。
原戸登は、かつて同じゼミでありながら2年間一度も話したことのない嶋田里美から突然連絡をもらう。話したいことがあると言われて会いに行くと、実に奇妙な依頼を受けることになってしまった。
新宿行きのロマンスカーの先頭車両に乗って、そこでビデオカメラを回し続けて欲しい、というのだ。他人名義の通帳を渡されたり、どうして撮影するのかを話さなかったりととにかく不審な点だらけだったのだけど、成り行きで登はその依頼を引き受けることになる。
そして当日。ロマンスカーに乗って撮影を始めた登はとんでもない出来事に出くわす。なんと人身事故の瞬間を撮影することになったのだ。しかも、一度目だけでなく二度目三度目とそれが続いていく。一体これは何なんだろう…。
というような話です。
いやー、つまらない作品でした。ホントに思うんですけど、日本ホラー小説大賞ほど、知名度の割にレベルの低い新人賞はないな、と思います。僕はこれまでも何度も日本ホラー小説大賞の大賞受賞作や長編賞受賞作を読んできましたけど、ほぼ外れでした。酷い賞だなぁと思います。選考委員に問題があるんじゃないかなぁ。それとも応募作にレベルが低いだけか?
ただ、何故僕が本書を読もうと思ったかと言えば、本書の著者である大山尚利の「1gの巨人」という作品が実によかったからです。その作家のデビュー作がこれかと思うと、とんでもなく成長したんだな、と思います。このデビュー作と「1gの巨人」は、正直言って同じ作家の作品とは思えないほどの隔たりがあります。まさかあの素晴らしい「1gの巨人」を書いた作家のデビュー作がこれほどつまらないとは、びっくりしました。
とにかくですね、まずストーリーがつまらないにもほどがある。僕は、あらゆる点でレベルが低いこの作品ですけど、最後の最後で驚くべき事実が明らかになるんじゃないかと期待して読んでいたんです。でも、まったくですね。誰でも考えつくようなどうでもいい真相が語られるだけで、だからどうした、って感じでした。
しかも、文章が下手なんですよね。「1gの巨人」では描写がうまいと感じたので、まさに格段の進歩です。本書で一番下手だなと思うのは、比喩の使い方です。そもそも別にそこ比喩を使わなくてもいいじゃんというところでも無駄に比喩を多用し、しかも別にそれがはまってない。まるで~のようとか、~みたいな、と書いてある描写の半分以上がイケてないですね。
しかも、全体のストーリーの中でほぼ不必要としか思えない部分が多い。歯医者に掛かる描写なんか、まったくもって要らないと思うんですけどどうでしょうか。
まあそんなわけで、とにかく本書については特に書くことはないですね。つまらない作品だったな、という感想しかありません。ただ、この著者の「1gの巨人」という作品は素晴らしいです。「1gの巨人」の方は是非読んでみてください。本書は読まなくていいと思います。

追記)amazonで五つ星をつけてる人が三人もいるんだけど、これはホントかなぁ。宣伝のために誰かが書いたりしたコメントかも。正直この作品を傑作と感じる人はそう多くはないと思うんだけどなぁ…。

大山尚利「チューイングボーン」



ベンハムの独楽(小島達矢)

「スナックのオーナーはどんな風に?」
「心当たりを当たってみるって。何か分かったらまた連絡が欲しいとも」
「どこかに行ったんだとして、志保ちゃんには心当たりとかはない?」
「分からないんです。スナックで働き始めてからのお母さんの知り合いとか一人も知らないし。すれ違いの生活だから、最近お母さんと顔を合わせることも少なくなってたし」
「そうか」
 敬叔父さんの声は、深刻な話をしているのだということを忘れさせてしまうかのようだった。いつもの世間話をしているように、志保の心は落ち着いていた。
 敬叔父さんの方を向き直ると、眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。何を言ったらいいのか考えているのだろうか。あるいはどう対処したらいいのかということを。
 通勤時間帯を過ぎているからだろう、道路は混雑していなかった。口調と同じく穏やかな運転に身を任せていると、そうか、ここは昨日自分で運転して通った道なんだ、と唐突に思いついた。昼と夜ではやはり印象がまるで違うのだということをはっきりと見せつけられた格好になった。
「お母さんが再婚しようとしていた、ということは知っているかい?」

「失踪シャベル 7-8」

内容に入ろうと思います。
本書は、新潮エンターテインメント大賞という、毎回作家が一人で選考委員を務めるという珍しい賞の最新受賞作です。本書を選んだ選考委員は荻原浩だそうです。
本書は、デビュー作では珍しい短編集です。ある短編でデビューして、それから短編を書きためて、短編集でデビューする、という形はよくありますけど、いきなり短編集を賞に応募してそれでデビューという形は、僕が記憶している限りないですね。たぶん結構珍しいケースだと思います。

「アニュージュアル・ジェミニ」
私は、子供の頃から何かおかしかった。さっきまでミルクを飲んでいたはずなのに、次の瞬間にはベッドに寝かされていたり、さっき食べたはずのエビフライが元通りになったりした。
やがて私はあることに気づく。私は双子として生まれたのだけど、どうやら二つの肉体に、精神は一つしか宿っていないらしいのだ。だから私は、二つの身体を行ったり来たりしておかしなことになっているのだ、と…。

「スモール・プレシェンス」
カウンセラーである兵藤に、昔からの友人である長谷川はある相談を持ちかける。それは、自分はどうも五分後の未来が見えてしまうようだ、というものだ。初めはまるきり信じなかった兵藤は、次第に長谷川の言うことを信じるようになっていくが…。

「チョコレートチップ・シースター」
傘を無くした美央は、友人の律子と一緒にその傘を探すことにする。傘なんて何でもいいじゃん、という律子に、美央はそれでも傘を探そうとする。美央は、かつて水族館で出会った一人の少年のことを思い出していた…。

「ストロベリー・ドリームズ」
わたしはようちえんのおともだちのみいちゃんがポッケにアメをかくしていることをしっています。いつもりょうてをポッケのなかにかくしているからです。おえかきのじかんも、手をポッケからだしません。それでときどきアメをくれます。
そんなみいちゃんがにゅういんすることになりました。わたしはおみまいにいくことにしたんだけど…。

「ザ・マリッジ・オブ・ピエレット」
鳩羽と久保は、コンビニの立てこもり強盗の現場にいた。犯人は銃を持っており、しかも人質をあっさりと殺しているらしい。すぐさま特殊部隊を突入させ、コンビニ立てこもり事件は解決したかに見えたのだが…。

「スペース・アクアリウム」
宇宙の果てまで行ける宇宙船を開発した博士。助手と共にその宇宙船に乗って宇宙の果てまで向かうことにしたのだが、窓の外が奇妙に揺らめいていたり、星がすべて消えてしまったりと謎めいたことが次々起こり…。

「ピーチ・フレーバー」
絵実は、司法試験に失敗して落ち込んでいる琢磨を元気づけようと丹精込めて料理を作るのだけど、最近どうも食べてくれない。聞くと、琢磨ははとんでもないことを言い出した。実は俺は、文字を食べて生きることが出来るようになったんだ…。

「コットン・キャンディー」
とあるきっかけで出会った同じ大学の三人。共通項などほとんどない三人は、それでも友情を育みながら、良き関係を続けていた。青春とは無縁だと思っていた主人公も、この二人と出会えたことが大学に入って得た最高のものだと思っているが…。

「クレイジー・タクシー」
東京から新潟までタクシーで向かう途中、男が相乗りを頼んできた。一緒に乗ることになったが、しかし次第におかしなことになっていく。その男は銃を持って私を脅しながら、運転手にあれこれと命令をし始めたのだ…。

というような話です。
さて、この作品はなかなか評価が難しいです。
まず、この作家がデビューしたことは正解だと思います。本書についてはこれからいろいろ書くけど、とにかく本書を読む限り、将来性を強く感じられます。それまでまったく本を読まなかったのだけど、大学時代に突然本を読み始め、ハマリにハマリ、卒業後就職するも二ヶ月で辞め、作家になるために執筆に専念したという、若干22歳というなかなか変わった人ですけど、22歳でしかも大学時代までまるで本を読んでいなかった人間がここまで書けるのであれば、伸び代(漢字はこれで合ってるかなぁ)は計り知れないものがあると思います。また後でも書くけど、「コットン・キャンディー」という作品が実に傑作だったので、その短編一つ取ってみても、今後の可能性をひしひしと感じます。
しかしですね、まだ作家として未熟な部分もやっぱり目につきます。
一番作品としてダメかなと思ったのは、「ザ・マリッジ・オブ・ピエレット」です。警察視点で犯罪者を描いているんだけど、このリアリティのなさは凄い。警察同士の会話の中で、コンビニに立てこもっている犯人のことを「容疑者」って呼んでるんだけど、そんなわけないと思うんですよね。そんなニュースキャスターじゃないんだから、もっと刑事らしい呼び方(ホシとも違うんだろうけど、なんでしょうね)があると思うんです。ここで描かれる刑事の人間としてのキャラクターは面白いと思いますけど、刑事としてのリアリティにはちょっと頷けないものがあります。
また全体的にミステリタッチの作品が多いんですけど、ただオチが早々に分かってしまうものも結構あります。僕は見ミステリとか読んでてもオチとかが全然分からない人間なんですけど、その僕でさえオチが分かる話がちらほらありました。
文章の技術的にもちょっとなぁと感じる部分はありました。表現力はあるんだけど、日本語力は作家のレベルに達していないというか、ちょっと惜しいんだよなぁというようなところが目につきました。
と悪いところをいろいろと書きましたけど、ただ僕にとって「コットン・キャンディー」があまりにも素晴らしい作品だと感じたので、こういう作品が書けるのであれば今後大成する可能性はあるなと思いました。
「コットン・キャンディー」は、はっきり言ってこれと言って明確なストーリーがあるわけではない話です。雰囲気としては、ミステリ的な仕掛けがない道尾秀介の青春小説(「ソロモンの犬」とか)っていう感じの雰囲気ですね。
しかしそれでも読ませるんです。キャラクターが実によく描けているし、細かなエピソードの積み重ねによってさらにキャラクターの輪郭を濃くするような感じで、うまいなと思いました。靴ひもを結ぶ話とか、三人が出会った時の出来事とか、そういう一つ一つがなんかいいなぁって感じさせるんですね。なんとなく、伊坂幸太郎の「砂漠」も思い起こさせるような作品ですね。西島みたいな突飛なキャラクターは出てこないけど、こっちでは松村っていう変な男が出てきたりして笑わせてくれます。
本書ではかなりいろんなタイプの作品を書いていますけど、この作家はミステリ的な仕掛けで読ませるとか、突飛なアイデアでストーリーを展開させて行くというのではなくて、文章の表現力とリアルなキャラクター作りで勝負出来る作家だと思うんで、「コットン・キャンディー」みたいな作品を書いて行けばかなりいい作品を書けるんじゃないかなと思ったりします。
本書は本書で良い作品だと思いますけど、正直次の作品に期待したいですね。まだ22歳だから、本書以上にさらに突飛な方向に行ってくれてもいいし、僕の望み通り「コットン・キャンディー」みたいな路線に進んでくれてもいいんだけど、とにかく次の作品に期待したいです。たぶんこの作家、かなり書ける作家だと思います。22歳らしい若い感性を持ちながら、それをしっかりと文章にする力を持っていると思うので、若い人によりアピールする作品を書けるような気がします。是非これからもバリバリ書いていって欲しいものだなと思います。
タイトルもいいなと思います。ベンハムの独楽っていうのは、白黒の独楽なんだけど回すといろんな色が見えてくる、という実際にある独楽らしくて、確かに本書はそんなベンハムの独楽のような雰囲気だなと思います。あと装丁がなかなか奇抜です。なんと帯が取れません!理由は手にとって見てみてください。表紙のイラストもかなりセンスがいいと思います。なんというか、タイトル・装丁共にセンスが光る作品だなと思います。
恐らく本書を読めば、この作家の可能性を感じることが出来るのではないかなと思います。本書は本書で読んでみて欲しいですけど、僕としてはとにかく次の作品を読みたいなという気持ちでいっぱいです。

小島達矢「ベンハムの独楽」



最低で最高の本屋(松浦弥太郎)

「詳しくって言われても、話せることってあんまりないんです。さっきも話したこととおんなじだけど、昨日スナックのオーナーさんから連絡があって、お母さんが仕事に行っていないということを知りました。朝お母さんがいたのかどうかわからないんですけど、洗濯機に昨日着ていたっぽい服が放り込まれていたんで、たぶん一旦は帰ってきたんだと思います。普通に考えれば、そこからまた出て行ったということなんだと思うんだけど」
「スナックのオーナーから電話があるまで、お母さんがいなくなったことには気付かなかった?」
 志保は、胸にチクリという痛みを感じながら、敬叔父さんからの問いにきっぱりと答えた。
「うん。気付かなかった。朝お母さんが部屋にいるかどうかなんて、いつも確かめないし。もう少し注意してたらよかったのかもしれないけれど」
「いや、志保ちゃんが悪いなんてことはないんだよ」
 卑怯な自分が厭になって、敬叔父さんから目を逸らした。

「失踪シャベル 7-7」

内容に入ろうと思います。
本書は、「エムアンドカンパニーズブックセラーズ」を立ち上げたことで有名になり、その後小林節正と共同で「カウブックス」を設立、現在「暮らしの手帖」の編集長でもある著者の、人生について書いた本です。
本書は大雑把に二つに分かれます。先に後半の内容だけ書くと、恐らくこれは「コヨーテ」という雑誌に連載されていたエッセイだと思います。著者が、パリや台湾やロサンゼルスなどいくつかの場所を旅した時のことを書いたものです。
前半は、著者がどんな風に生き、なにを考え、そしてどういうやり方で今の場所まで来たのかということを描きながら、著者自身の仕事や生き方の哲学めいたいものについて語っている作品です。
高校時代に、言いようのない違和感を感じて高校を中退します。みんなと同じことをしなくてはいけなかったり、理不尽なことを許容しなくてはいけない環境に馴染めず、その後土木のアルバイトなどをしながらお金を貯め、唐突にアメリカに行ったりします。自分が本を選ぶことが得意らしいということに気づき、この人はこういう本を欲しがっているだろうと想像しながら個人的に本をやりとりするようなことを始めました。それから、店舗を持つ本屋を作ったり、移動本屋を作ったり、文章を書く仕事を始めたりと、自分の立ち位置を少しずつ変えながら、自分なりに「正しい」と思えるやり方でいろんなことに取り組んで行く著者のこれまでの来歴が語られていきます。
タイトルに惹かれて買ってみたんですけど、前半は面白かったです。周りに馴染めないとか、正しいことをしたいというような生き方に共感出来る部分が多くて、面白い人だなと思いました。世間的な価値観に流されるような人ではなくて、自分自身の足できちんと立っているということがひしひしと伝わってきて、特に最近そういう人がどんどん少なくなってきているように思える中で、かっこいい人だなと思いました。
しかし、内容とは関係ないんですけど、僕はこの著者をまったくの別人と勘違いしていたんですよね。昔ニュースかなんかで、松浦なんとかって人が覚せい剤で云々、みたいなニュースを見た記憶があったんです。で、松浦弥太郎がその人だってずっと思ってたんです。でも本書を読んで、どうも違うようだと分かりました。ちょっと調べてみたけど、たぶんその覚せい剤がなんとかっていう人は、エイベックスの社長の松浦なんとかさんでしょうね。ホントずっと勘違いしていました。
本書を読むと、ちょっと前に読んだ森博嗣の「自由をつくる 自在に生きる」と被るようなところが結構あります。松浦弥太郎は自由な生き方を選択しているのだけど、それは楽な生き方というわけではない。自分で目標を持ってそれに向かって進んでいるので、たとえどんな結果でも改善点や反省点が見つかるというのも、森博嗣が書いていることと同じでした。「就職しないで生きるには」という有名な本があるらしいんだけど、著者はそれを読んで感銘を受けたらしい。でも結局それは、仕事をしないで生きること、ではないんだということに気づくわけです。自分が正しいと思う基準に真っ直ぐで、いつもブレない。そういう生き方の強さみたいなものが、文章の端々から感じられます。
本書に、神様についての記述があって、それが僕が考えていることと結構似てました。僕もそうだけど、特に宗教は信じてないんだけど、でも神様の存在は信じてる。信じてるというか、別に誰かが見てるとかいうような具体的なことでもないんだけど、きっと誰かが見てるだろうという存在がいて、それを神様と名付けたような感じです。だから、何か悪いことをしてやろうと思う時でも、見てるかもしれないよなぁと思って止めたりすることはあったりします。これが僕の良心ですね。もちろん、僕は全然聖人君子ではないので、神様が見てるかもなぁとか思ってもダメなことをすることは結構あるんですけどね(笑)。
あと、著者が書いている本屋のあるべき役割については、なるほどと思いました。著者は本屋というのは、本が並んでいるだけではなく、常に情報が集まって、そこからまた生まれた新しい情報が発信されていて、街のキーステーションとなっている場所であるべきだ、と書いています。なるほど、確かにそれが実現出来れば面白いと思いますね。あそこに行けば、常に何か新しい情報がある、というような店作りは、ネット書店に押されているリアル書店のこれからのあり方に必要な部分かもしれません。本屋にどんな情報が集まり、本屋がどんな情報を発信できるのか、具体的なイメージは僕には出来ませんけどね。
後半の旅行エッセイについては、つまらなかったので飛ばし読みしました。そもそもそういう文章にあんまり興味がないんですね。旅行記で僕が好きなのは、村上春樹の「遠い太鼓」なんだけど、あれは凄く面白い。違いは何かと考えると、見ることと視点の違いかなと思うんです。松浦弥太郎のエッセイは、見ることだなと思うんです。目に見えるものを物理的に見たままに書く。村上春樹は、目に見えるものを村上春樹独特の視点から普通の人には見えていないような形で書く。僕は、目に見えるものを物理的に見たまま書いている文章というのはあんまり楽しめないんです。やっぱり、それを文章を書いている人がどう見たのか、という自分とは違う視点を持っている人の文章がいいなと思います。
そんなわけで、前半の著者自身の人生について書かれた部分は面白いなと思います。後半の旅行エッセイは僕はあんまり好きではありません。こんな生き方も出来るんだと思える作品ではないかなと思います。読んでみてください。

松浦弥太郎「最低で最高の本屋」



極楽カンパニー(原宏一)

三十分ほどで敬叔父さんは来てくれた。灰色の作業着が相変わらず似合っているのだけれど、少し痩せたのかもしれない。作業着がちょっと大きすぎるような気もした。髪の毛には白いものが混じり始めていた。その風貌から、敬叔父さんが経験してきた苦労が僅かながらにじみ出ているような気がした。
 ひとしきり挨拶を交わし、敬叔父さんの車へと向かった。車に向かうまでの間は、お母さんとは関係のない話をした。
 敬叔父さんの車は、社名の入ったバンだった。娘がこの車に乗るのを嫌がるようになったんだよ、と叔父さんは哀しそうな表情を浮かべていたのだけれど、志保は嫌だなんて全然思わなかった。助手席に座ると、敬叔父さんとの距離がいっそう近くなったような気がして、少しだけ明るい気持ちになれた。
「お母さんのこと、もう少し詳しく話してくれないか?」
 アクセルを踏んで車を発進させると、敬叔父さんはそれまでの話題を切り替えた。

「失踪シャベル 7-6」

内容に入ろうと思います。
本書は、かつて書店員の仕掛けで「床下仙人」が大ブレイクした著者の作品です。
主人公の須賀内賢三は、定年退職した元サラリーマン。今は悠々自適な定年後の生活を満喫している、というとまったくそうではなく、毎日図書館に言っては本とにらめっこという退屈な毎日。妻はやれ旅行だ習い事だと言って飛び回っているのに、賢三はこれまで特に趣味もなくただひたすらに会社に人生を捧げてきた男なので、定年後もやることがまるでないのだ。
そんなある日図書館で、桐峰という男に声を掛けられる。桐峰も賢三と同じく定年退職をしてやることがなく、図書館で時間を無駄に過ごしている人種らしく、賢三は桐峰と、サラリーマンだった時代のことを回想する。確かにあの時代は嫌なこともたくさんあったし、法律すれすれのこともたくさんやった。でも、結局今退屈なのは、会社がないからではないか。
そこで桐峰が、だったら会社を作っちゃいましょうよ、と提案する。今更起業はちょっと…という賢三に、そうではなくて、サラリーマンの様式美だけを再現するためのお遊びのような会社を作るのだという。会議や出張や仕事後の一杯というような、まさにサラリーマンをサラリーマンたらしめている要素だけをごっこ遊びしちゃいましょう、というのだ。
男二人でお遊びのように始めた「株式会社ごっこ」だったが、あれよあれよという間に賛同者が激増。全国を巻き込んで一大ムーブメントが巻き起こるのだが…。
というような話です。
本書を読んだ理由は、集英社文庫の仕掛け本を何か選ばないといけないというだけなんだけど、そこまで期待していなかったのに、かなり面白い作品でした。これはホントに売れるかもしれないなぁ。
まず、サラリーマンの様式美だけを再現する会社ごっこを行う、という発想が素晴らしいですね。会社モーレツ人間が、定年後に一気に老け込むという話は確かに聞いたことがあります。じゃあそれを、会社として別に利益を追求するわけじゃないけど、会議やら上司との飲みやら、そういう自分たちがずっと属してきた世界の形だけ真似するような遊びをやろう、というわけですね。まさにままごとみたいなものです。
僕なんか正直会社組織みたいなところに入ったこともないし、サラリーマンとして生きていくのは不可能だと思っているんで共感出来る度合いは少ないのかもしれないけど、それでも会社モーレツ人間だった人たちが「株式会社ごっこ」を通じていかに生き生きしていくかを読んでいくと、これは実際に成功するのかもしれない、と思ったりします。僕らの世代のような、仕事は仕事でちゃんとやるけど、自分の時間は時間でちゃんと欲しい、という人たちにはあんまり共感は出来ないのかもしれないけど、まさに本書で描かれているような、会社こそ人生のすべてだったというような人にとっては、それがごっこ遊びであったとしても、サラリーマンだった頃の自分を思い出させてくれるような環境というのは得難いものがあるんじゃないかなと思ったりします。とにかくこの会社ごっこという発想が秀逸だったなと思います。
しかし本書は、そのアイデア一発勝負というわけでもないんですね。もちろん、会社ごっこの話がメインになっていくんだけど、その会社ごっこの展開もなかなか波乱万丈です。最後には、まさかそんなことになるとは!というような状況になったりします。
また、前半は賢三と桐峰がやっている会社ごっこの話がメインになるんだけど、後半では、賢三の息子である慎平の話がメインになっていきます。この慎平は、今はとある会社で働いているのだけど、独立しようとずっと考えている男なんだけど、その慎平が父親がやっている会社ごっこと絡んで行くことになるんですね。その展開もうまいと思うし、結果的にそれが大騒動を巻き起こす結果になってしまうんだけど、そういう展開が小説として面白いなと思います。
キャラクターとかはちょっと平板だなという感じがしないでもないけど、賢三の奥さんや慎平の婚約者みたいな、それなりに出てくるけどメインではないキャラクターが面白く描かれていたりして、悪くはないですね。二谷という、慎平が関わることになるある社長もよく描かれています。
慎平の婚約者である真弓が言っていた言葉が、へぇそうなのかという感じがしました。真弓は広告系とかマーケティング系の会社にいるらしいんだけど、定年後の人たちを狙っていろんな会社がいろんなプロモーションをしているんだけど、全然食いついてくれない。でも「株式会社ごっこ」は、喫茶店の前に一枚張り紙をしただけで、同じ境遇の人たちがわんさかと集まってきた。これは本当に需要があるのかもしれない、というような感じのセリフなんだろうけど、なるほどなぁという気がしました。そう確かに、一番お金を持ってるのは定年後の人たちで、そういう人たち向けにいろんな企業がものを買わせようとアプローチするんだけど、真弓の言葉を信じるならそれはあんまり成功してないみたいですね(著者は元々コピーライターだそうで、広告業界にいたのでそれなりに信ぴょう性があるかと)。きっと、定年後の生活なんていうものを想像することも出来ずに定年を迎えてしまった人が山ほどいるんでしょうね。これからますます高齢化社会が進んで行くはずなので、福祉的な観点からも、この株式会社ごっこの発想は面白いのかもしれません。
本書を読むと、バイト先にいるとある女性スタッフのことを思い浮かべます。そのスタッフはもう孫がいるような年齢なんだけど、未だにインディーズバンドのライブに行ったり、スポーツを始めたり、夜遅くまで飲み会に付き合ったりと、ものすごくアクティブな人なんですね。服装なんかも、とてもその年代には見えないような若さでびっくりします。みんなああいう感じの年の取り方が出来ればいいのかもしれないな、と思ったりしますね。
まあそんなわけで、誰が読んでも楽しめるかなり面白いエンタメ作品です。ある程度以上の年齢のサラリーマンだとさらに共感出来る部分が多かったりするかもしれません。本書で描かれるような、毎日図書館に通うような退屈な定年を迎えないためにも、お金以外の準備もしておいた方がいいでしょうね、きっと。是非読んでみてください。

原宏一「極楽カンパニー」



製鉄天使(桜庭一樹)

敬叔父さんは考えをまとめているらしかった。電話の向こうで奥さんが、どうしたのと言っている声が小さく聞こえてくる。
「警察にはまだ?」
「連絡してません。というか私としてはあんまり連絡したくないんだけど」
「わかった。とにかく今からそっちに向かうよ。大学の講義は大丈夫かい?」
「二限にありますけど、今日は休みます。それより、敬叔父さんは大丈夫なんですか?」
「いや、そういうのは良くない」
 敬叔父さんはそう言って、一旦言葉を切った。
「大学まで送ってあげるから、そこで少し話そう。すぐ出られるように準備をしておいてくれないか」
「分かりました」
「私がいなくたって、会社はどうにでもなるさ」
 それはきっと嘘だろうと思ったけれど、敬叔父さんは自分の言ったことを取り消すような人ではないし、その優しさに甘えることにした。

「失踪シャベル 7-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、「赤朽葉家の伝説」と対を成す作品のはずなんですけど、「赤朽葉家の伝説」の内容をあんまりちゃんと覚えていないんで、どんな風に関連があるのか僕にはよくわかりません。
1980年代。丙午生まれの女たちが、中国地方を制覇するまでの、とあるレディース集団の物語です。
製鉄会社の長女として生まれた赤緑豆小豆は、鉄に愛された女だった。小豆の周りの鉄は、まるで小豆の周りにいられるのを喜ぶかのように自在に変化し、小豆の意のままになった。その才能が、小豆を中国地方を初めて統一したレディースの総長に仕立て上げる。
男子の総長を決めるチキンレースを見た小豆はまだ小学生。その後不運なことから、鳥取を縄張りにするエドワード族に目をつけられ、因縁をつけられることになるが、持ち前の能力でそのピンチを乗り切ることになる。
そうして小豆は、走り屋として目覚めることになる。バイクを相棒に、ただ走りたいから走る、えいえんの国を目指して走る小豆に賛同するものが次第に増え、いつしか小豆の集団は大所帯になっていく。しかし名前はまだない。
製鉄天使、という名前を授けられた小豆の集団は、そこから中国地方制覇へと向けて爆進していくことになるのだが…。
というような話です。
それなりに面白い作品でしたけど、そもそも「赤朽葉家の伝説」がそれほど好きではないし、それと対を成す作品だからというわけでもないんだろうけど、本書もそこまで良いと言える作品でもなかったかなという感じでした。まあ桜庭一樹の他の作品と比べるとちょっと落ちる、という感じでしょうか。
語り口調がなかなか独特なんですね。僕は古川日出男っぽいテイストを少し感じたりしましたけど、軽快なリズムに乗るような、勢いに任せていると思わせるような、そんな感じの語りでした。これまでの桜庭作品にはないタイプの語りだと思います。僕は古川日出男とか好きだし、こういうノリの文章も好きなんですけど、一般の桜庭ファンの中には、こういう語り口調は好きじゃない、という人もいるかもしれないな、と思ったりします。
また、現実世界にはありえないような描写が普通に描かれるのも、読んでいる人間を困惑させるかもしれません。もともとファンタジーだという前提で読んでいれば違うのかもしれませんけど、本書は別にファンタジーとかではなく普通の現実をベースにした作品です。なのに、鉄を自在に操るとかはまあいいとしても、バイクで空を飛ぶとか、鋼鉄の羽根で舞うみたいな話が普通に出てきたりすると、なんだか違和感を感じます。この点も、それまでの桜庭作品とはイメージが違うので、ダメと感じる人もいるかもしれません。
しかし、物語のスピード感については凄まじいと思いました。とにかく、一瞬足りとも立ち止まらないんですね。普通の小説だったら、そこでもう少しためるでしょとか、そこはもう少し引き伸ばして盛り上げるでしょみたいなところでも、とにかくさらっとあっさり語られていきます。まあその理由は、最後の方でちょっと分かったりはするんだけど、とにかくその立ち止まらないっぷりは凄いです。しかも、物語のスピード感を邪魔しない、というかむしろさらにそれを手助けするかのような軽快なテンポの文章がまた作品にピッタリで、そういう部分は実にうまいなと思いました。
キャラクターとしてはスミレと通りすがりのレディがよかったです。スミレは、とにかく女らしさを武器にうまいこと世渡りしていくのを最上の趣味にしているような女で、実際近くにこんな女がいたら嫌いになると思うけど、小説のキャラクターとして読んでる分には面白いなと思えました。スミレが後半で起こすとある事件は、そういえば「赤朽葉家の伝説」でも描かれてたな、と思い出しました。
通りすがりのレディは、本名がどこかに書いてあったのか覚えてないんだけど、転校生で途中から製鉄天使の参謀になった女です。後半から描かれるキャラで、実際ほとんど出てこないんですけど、なんとなく存在感があります。とにかく爆走するしか脳がない製鉄天使の唯一の頭脳としても活躍していきます。
ストーリーのリアリティがどうのという部分にこだわってしまう人にはあんまり向かない作品かもしれません。本書はたぶんですけど、ストーリーと文章のスピード感みたいなものを味わう作品なんだろうと思います。トップスピード全開で繰り広げられる少女たちの爆走、興味がある人は読んでみてください。「赤朽葉家の伝説」の内容を忘れている僕が言えることではありませんけど、「赤朽葉家の伝説」を読んでいなくても特に問題はないかと思います。

桜庭一樹「製鉄天使」



自由をつくる 自在に生きる(森博嗣)

「実は大事な話があって電話したんです」
「うん」
「お母さんがいなくなっちゃったみたいなんです」
 叔父さんは一瞬だけ沈黙した後で、こう返した。
「それは、昨日というか今朝なのか分からないけれど、帰って来なかったということ?」
「いえ、はっきりしたことは分からないんです。基本的にすれ違いの生活なんで、お母さんの姿を見ないのは日常的なことです。洗濯機に、昨日着ていたらしい服が入っていたんで、きっと一度帰ってきたんだとは思うんですけど」
「じゃあつまり、スナックから連絡があったということだね」敬叔父さんは経営者だけあって、頭の回転が早い。
「そう。昨日の夜、スナックのオーナーさんから電話がありました。お母さんが出勤していないらしくて、連絡もなかったそうなんです。一度家には帰ってきている感じはするんで、いなくなっちゃったんだと思ったんだけど」

「失踪シャベル 7-4」

内容に入ろうと思います。
本書は、森博嗣が『自由』について書いた本です。人は自分が支配されていることに気づかないからまず気づくことが大事だ、支配されている状況に甘んじているのはそれを許容しているからだ、自由とはある意味で大変なものだ、というような、これまでの森博嗣の著作からも感じられたような森博嗣独自の哲学(というほど高尚ではないかもしれないけど)を、『自由』をいうキーワードでまとめたものです。
具体的な内容については、あとで文章をいろいろ引用しながら書きますけど、ホントに素晴らしい本だと思います。僕は、『全人類必読!』とかいうPOPでもつけてたくさん売ってやろうかなとか思っています。
僕は本書を読んで、系統としてはかなり森博嗣の考え方に近いと思いました。同じ数直線上にいる、というイメージです。もちろん、それ自体が錯覚かもしれないし、あるいは同じ数直線上にいても、僕が10ぐらいで森博嗣が100万ぐらいかもしれないけど、でも確かに僕は同じ直線上にいると感じました。
読んでいると、自分が森博嗣と同じような考え方をしているという箇所がたくさんありすぎて、ページの端を何度追ったか分かりません。ただ森博嗣と僕の最大の違いは、それを明確な言葉で表現出来るかどうか、という点かなと思います。僕は自分では、自分の価値観や哲学みたいなものをかなり言葉にして表現出来ると認識しているんですけど、本書を読んで、まだまだ全然足りないなと思いました。これまで自分ではうまく言葉に出来なかった概念なんかも、すごく単純な言葉で説明していて、あぁそういうことなんですよ、と言いたくなる場面がたくさんありました。
僕は個人的には、周りの人間にどう思われようが関係ない、というのがメインのスタンスになっています(もちろんすべてのあらゆる状況でそういう自分でいられるというわけではありませんけど。まだまだ修行が足りません)。僕は自分が世間の人と比べて『変だ』という自覚があるんだけど、でも僕はもっと周りの人から変だって思われたいんですね。とにかく、『普通』っていうのがあんまり好きじゃないんです。これ、特に最近の若い人はよく言いますけど、『普通が嫌だ』とか言っておきながら、みんな似たようなことしてますよね。似たような服とか、似たような趣味とか、似たような考え方。僕はホントそういうのが全然好きじゃない、というか受け入れられないですね。もちろん、『普通』のことであっても自分の価値観的に許容出来ることであれば別にします。だから、『普通』だからという理由で何かを拒絶するつもりもありません。本書を読むと、『普通』だからという理由で何かを拒絶するということも、ある意味支配(自分が自分にしている支配)だということなので、僕自身ある程度はそういう支配から逃れることが出来ているんだなと少しだけ嬉しくなりました。
しかし本当に最近周りの人を見ていると、『みんなと同じ』ということがいかに大事なのか、というか普通の人が周りの人のやっていることに合わせることが大事だと思っているということがよくわかります。特に僕は書店員なんですけど、テレビとかで紹介された本が爆発的に売れたりするのを見ると泣きたくなりますね。もちろん、売上は伸ばさなくてはいけないので、人々のそういう習性は利用させてもらっていますけど、しかしそんな理由で本が売れていくのは哀しくなりますね。テレビで紹介されたら良い本か?と聞きたいですね。自分で選べ!自分で!
というわけで以下、本書を読んでよかったと思えるフレーズを抜書きしながら、自分の意見をダラダラ書いていこうと思います。

『自由というのは、「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、この結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由なのだ」』
「自由になりたい」と思っている人はたくさんいるだろうけど、じゃあ具体的にどうなりたいのかを「思う」人はなかなかいないような気がします。

『人間でいえば、社会の一員として、平和的な家庭を作り、毎日通勤電車に揺られて出勤し、夜はときどき仲間と酒を飲んでみたり、流行を気にしてファッションに気を遣ってみたり、仲間から遅れることを極度に恐れ、逆に自分だけ突出することも避ける、大過なく役目を全うし、つつがなく人生を送る、というような、よくある「光景」である。
僕は、そういった光景を「支配された不自由だ」と感じる。』
僕もまさにその通りです。結婚して子供を育てて、満員電車に揺られ会社では上司に怒られなんていう人生は、僕には「ありえなかった未来」です。僕はそれを「選択しない」ことで、自分なりの(他人には理解されないかもしれないけど)自由を手に入れた、と考えています。

『何度も書いているが、僕は、この「支配されていることの安心」を悪いというつもりは毛頭ない。(中略)この「自覚」こそが重要だと考える。支配だと気づくことで、その傘の下にいる自分を初めて客観的に捉えることが出来る。それが見えれば、自分にとっての自由をもっと積極的に考えることができ、自分の可能性は大きく広がるだろう。』
僕にも不思議に思えるのだけど、世の中のあらゆることに流されている人は、自分が支配されているのに気づかないようです。例えば、テレビで紹介されていたからと言ってその本を買ってしまうような人は、僕からすればもの凄く支配されている人にしか見えないのだけど。

『そもそも農業というものが既に自然の営みではない。極めて人工的な行為だ。田畑で穫れる作物とは、ようするに「養殖」された植物である。自然とはほど遠い人工的な環境にとって大量生産され、また品種改良された製品なのだ。
これを成し遂げたのは科学である。(中略)
「人工」や「科学技術」を捨てて、過去へ戻ることはできないし、まして現在の人口を支えることはまったく不可能なのだ。』
自由というのは人工的なものなのだよ、という話での例示。僕はマスコミとか新聞とかで取り上げられる問題について違和感を感じることが多いんだけど、それは森博嗣がここで明らかにしているような『前提の認識の間違い』(この表現が正しいかどうかは分からないけど)が問題なんだろうなと思う。

『流行というものがあって、大勢の人たちがそれを気にして、できるかぎり従おうとしている。自分の着るものくらい自由に選びたくないのだろうか?どうして流行に左右されるのだろう?
(中略)
しかしそれでも、もう少し個性的な選択があるように思える。流行を取り入れることは、つまりは考えなくて良い、「手軽な安心」の選択なのだ。それに従っていれば、誰かに文句を言われないで済む、という緩やかな「支配」に甘んじているといえる。』
僕は服には興味がないんですけど、この文章の「服」を「本」に変えると、まさにその通りだよな、と実感します。自分が読む本ぐらい、自分で自由に選びたくないのだろうか?

『(ブログを書いていると、ブログに書きやすい日常を過ごしてしまう、だから試しに一ヶ月ぐらいブログを休んでみたらという話の後、)
誰にも見せない、誰にも話さない、としたら、貴方は何を選ぶ?自分のために選べるだろうか。自分が本当に欲しいもの、自分が本当に好きなものは何か、と考えることになるはずだ。ものを買うとき、選ぶとき、他者からどう思われるかを判断基準にしている、少なくとも、その基準が大半を占めていることに気づくはずだ。』
僕もブログは書いているし、ブログを書くことで読書のスタイルに多少の制限はあるのだけど(なるべく長い本は読みたくない、など)、それでもブログに書きやすい本を選ぶことはしないし、読みたくない本を読んでいるわけではない。支配に自覚的になればいいという話で、ブログが悪いという話ではないのです。

『僕は、だいたいにおいて、他人の目を気にしない人間だと思う。自分が基準なので、自分が普通だと思うわけで、結局、「何故、みんなはあんなに人の目を気にするのか」と考えるはめになる。ものごとを客観的に観察しようとすると、人の目といった想像上の(思い込みの)自分の目こそ疑いたくなる。
もう少し説明すると、「人の目を気にする」人間の大半は、「自分の周囲の少数の人の目を気にしている」だけである。そして、「人の目を気にしない」というのは、自分一人だけの判断をしているのではなく、逆に、「もっと確かな目(あるときは、もっと大勢の目)」による評価を想定している、という意味だ。それは、「今の目」だけではなく、「未来の目」にも範囲が及ぶ。それが「客観」であり、「信念」になる。』
これはまさに僕が普段考えていることとまったく同じです。

『周囲から見ると、「自由な仕事」なんて、天国のような理想郷に思えるかもしれない。しかし、まったくその反対である。
そういった職場にいると、大きなプレッシャがかかるのだ。その証拠に、ときどき、教授から「ちょっと、これを手伝ってくれないか」などと仕事を頼まれると、もの凄く嬉しい。やらなければならないことがある、という状況が非常に清々しいのである。』
国立大学の研究者という立場だった森博嗣だからこその実感でしょう。確かに、「やらなければならないことがある」という状況は楽だなと僕も思います。

『僕がいいたいのは、「自由」が、思っているほど「楽なものではない」ということである。自分で考え、自分の力で進まなければならない。その覚悟というか、決意のようなものが必要だ。』
これは僕も分かる。僕は生きてるのがめんどくさいんだけど、それは自分の価値観に沿って生きていくのがハードだからだ。もちろん、世間一般の価値観に流されるようにして生きていくことが楽だということは充分に分かっているけど、同時に僕は、自分の価値観を抑えて世間一般の価値観に流されるようにして生きていくのは不可能だと分かっているので、まあ仕方ないですね。

『(小学生がテレビ番組の企画でドミノ倒しをやり達成感を得ている話を書いた後で、)
自分の発想でやり始め、自分が自分に課した目標であれば、たとえ見かけ上それを達成したとしても、新たな目標が必ず出てくるし、途中できっと不満な部分に出会い、あそこを直したい、もう一度ちゃんとやり直したい、という気持ちになるはずだ。自分の自由でやると、絶対にそうなる。経験がある人にはわかるだろう。
コンテストや競技、あるいは競争というイベントのときだけに「やった!」という達成感がある。とりもなおさず、それは自由を獲得したというよりは、不自由から解放されただけのことで、単に自由の出発点に立ったにすぎない。』
なるほど、これは僕の発想にはなかったので、うっかりしていたな、と思いました。確かにそうですね。これからは少しは気をつけようと思いました。

『僕は、「友達を作るな」といっているのではない。「そんなに無理に作らなくても良い」という意味だ。「友達が作れなければ、もう生きていく資格がない」と考えているとしたら、それは間違いである。静かなところで一人でいた方が安心出来る、一人の方がのびのびした気持ちになる、という人はいる。いても良いのである。大勢がそうだとはいわないが、必ずいるはずだ。そういう人たちが、大勢が押しつける「常識的」な価値観に悩まされているのも事実である。みんなでがやがや賑やかなことが必ずしも善ではない。「常識的な大勢」は、そのことをもう少し理解した方が良い。』
これはまさに親が理解すべきことだなと思います。

『もちろん、お祭り、宴会、イベントが無性に好きだ、という人はそれで良い。(中略)どうしても「やらなければならないもの」と考えることは、実に不自由である。少なくとも、やるかやらないかを選択出来るものでなければならない。「式」がつくものは、ほとんどやってもやらなくても、どちらでも良いものだ。個人の好きにすれば良い。本当はやりたくないけれど、人から何を言われるかわからない、後ろ指をさされたくない、だからまあ、やっておくにこしたことはない、という考えの人も多いことと思う。その支配に甘んじているわけである。』
僕も、万が一結婚するようなことがあっても結婚式なんてしたくないし、自分が死んでも葬式なんてしてほしくない。最近「葬式は、要らない」って本が売れてますよ。

『(封建社会や軍国主義のもとでは)こういった不自由さは非常にわかりやすいから、そんな社会では自由が渇望され、本当の自由を多くの人たちが夢見たことだろう。不自由な社会では、みんなが思い描く自由はほとんど一致している。遠くにあるからこそ、ほぼ同じ方向に見える。』
この、「遠くにあるからこそ、ほぼ同じ方向に見える」という発想は素晴らしいなと思います。

『(住宅ローンについての話)そして、35年間も、健康で、給料が下がらず、そもそも住宅が価値を保ち続けるという奇跡を信じる楽観主義者以外は、手を出さない方が賢明である。少なくとも、リスキィな選択だと認識すべきだ。』
僕もそう思います。わざわざ借金してまで家を買うのはアホだと思います。

『(嫌なことがあれば嫌だと伝えるべきだという話の後で、)ただ、意見を伝えるだけで、仕事の進行に抵抗してはいけない。仕事をきちんとこなさなければ、通る意見も通らない。』
これを自覚出来ていない人は結構多いような気がします。仕事自体や仕事の環境自体にウダウダいうのはいいけど、まずきちんと仕事しろよ、と僕もよく思います。

『もう20年以上もまえに僕が見出した法則の一つに、「悩んでいる人は、解決方法を知らないのではなく、それを知っていてもやりたくないだけだ」というものがある。』
だから僕は人にあんまり相談とかしません。僕は解決方法を知っているけどそれをしたくないだけだ、ということを自覚しているからです。大抵人に相談している時点で、自分の中では結論が出ていると思って間違いないでしょう。

『(自由を手に入れるための秘訣の一つとして)最初に思い浮かぶのは、「みんなと同じことをしない方が得だ」ということである。これは、かなりの確率で成功する秘訣のように思う。』
僕もそう思います。

『非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である。』
いい言葉ですねぇ。

『だが、そもそも常識の9割は、個人の思い込みが、社会的にぼんやり映し出されて集積したものだ。』
僕は明確な判断基準がある場合(法律や、あるいは店の売上を伸ばすなど)は『常識的』というフレーズを使ってもいいと思っているんだけど、そうでない場合、『常識的』という言葉はほとんど何も意味をなさない言葉だと思っています。

『たしかに、「森博嗣の初期の作品が面白い」と評されることは多い。それは、そういう面白さを、初期には狙って書いていたからだ。悪い言葉でいえば、それに乗せられた人が多かったのだろう。騙された、と表現しても間違いではない。手品だって騙されるのだし、エンタテインメントとは、乗せられてなんぼ、のものである。』
僕も、「森博嗣の初期の作品が面白い」と評している人間の一人です。でもそれは、僕個人の感覚で言えば正しいのだから、別にそれでいいと思っています。それを誰かに押し付けたり、あるいは森博嗣という作家はだんだんダメになっていったなんていう表現と結びつけてはいけないと思うけど。

『たいていの場合、夢の実現が困難になって、いわゆる「挫折」を味わうのは、「もう駄目だ」と本人が諦めた瞬間である。本人が諦めなければ、限りなく不可能に近い夢であっても、挫折は訪れない。細いながらも道はまだつながっている状態と言える。』
とはいうけど、これはなかなか難しいでしょうね。僕には特に夢とか目標はないんで、別にどうとも思いませんけど。

『(自分を騙す、あるいは思い込むという話の具体例として)たとえば、「毎日一万文字書く」というノルマを決めたとする。一万文字という制限は、それをクリアしなければならない「下限」の意味だ。しかし、これを僕は「上限」だと思い込むのである。「一万文字以上書いてはいけない」という意味だと無理に捉えるのだ。』
このやり方は素晴らしいですね。みなさん、実践してみたらいいと思います。

というわけで、久々に相当長々と書きましたけど、良い作品でした。全人類に読んで欲しいなと思います。新書で読みやすいですよ。是非是非是非読んでみてください!

森博嗣「自由をつくる 自在に生きる」



「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート(コリン・ジョイス)

敬叔父さんは、お母さんの弟で、地元で弁当工場を経営している。離婚した後、お母さんはしばらく敬叔父さんの会社で事務の仕事をさせてもらっていたし、離婚して一年も経たない内に養育費の入金が滞り、経済的に苦しかった志保たちの生活を支えてくれたのも敬叔父さんだった。最近顔を合わせることは少なくなってきたけれど、以前は敬叔父さんの家族と一緒に旅行に連れて行ってもらったり、クリスマスや誕生日にプレゼントをくれたりと、何かと気にかけてくれていた。志保は叔父さんのことが大好きだったし、叔父さんも志保に構ってやれるのが嬉しいのではないかと思えるのだった。
「もしもし、志保ちゃん」
敬叔父さんの穏やかな声は相変わらずだった。
「敬叔父さんお久しぶりです」
「最近なかなか顔を見れなくってね」
「すいません」
「いや、志保ちゃんが謝るようなことじゃないんだよ。どうにも最近忙しくなってしまってね、どうも時間が取れない」
 この不況で経営が厳しいのだろう。それでも敬叔父さんの声には悲壮感みたいなものはまったくなくて、疲れているようでもなかった。敬叔父さんのそういうところを、志保は尊敬していた。

「失踪シャベル 7-3」

内容に入ろうと思います。本日二作目の感想です。
本書は、イギリスの高級紙「デイリー・テレグラフ」の記者・東京特派員として日本に住んでいる英国人記者による、『外国人から見た日本』的な本です。つい最近売り場から外しましたけど、1年以上ずっと置いていて、確か100冊以上は売ったと思います。読んでみて面白かったんで、また置いてみようかと思っていますけど。
あとで僕が気に入った部分については細々と書きますけど、全体の内容について把握するには目次をそのまま写した方が早いと思うので、目次だけ羅列します。

「基礎編 プールに日本社会を見た」
「日本語の難易度 日本語、恐るるに足らず」
「おもしろい日本語 イライラ、しくしく、ずんぐりむっくり」
「日本の第一印象 サムライ・サラリーマンなんていなかった」
「日本の日常 日本以外では「決して」見られない光景」
「行儀作法 英国紳士とジャパニーズ・ジェントルマン」
「独創性 日本人はすぐれた発明家だ」
「ビールとサッカー 日本の「失われなかった」十年」
「行動様式 日本人になりそうだ」
「ジョーク イギリス人をからかおう」
「東京の魅力 わが町、東京を弁護する」
「東京案内 トーキョー「裏」観光ガイド」
「ふたつの「島国」 イギリスと日本は似ている!?」
「メイド・イン・ジャパン イギリスに持ち帰るべきお土産」
「特派員の仕事 イギリス人が読みたがる日本のニュース」
「ガイジンとして 日本社会の「和」を乱せますか?」
「日英食文化 鰻の漬物、アリマス」
「おさらい ぼくの架空の後任者への手紙」

大体こんな感じです。
では面白いと思った部分をとにかく羅列して行きましょう。
まず、日本という国は地球上で最もエキゾチックな国だそうですよ。著者のイギリス人の友人がまさにそういう表現をしていたそうだし、オーストラリア人の作家は日本を「不可知の国」と呼んだとか。日本は理解されるのを拒んでいるかのように見られているみたいだけど、著者はそうではなく、理解するのに他の国より時間がかかるだけ、そして探していた答えが予期していたものとは違うことが多いだけだ、と書いています。
日本のプールは、まさに日本の縮図だそうで、日本人の礼儀正しさと忍耐強さが溢れているようですよ。イギリス人は、5分休憩なんて我慢できないらしいです。
日本語についての話では面白い話が多いです。「全米が泣いた」という表現にユーモアを感じるらしいし、ずんぐりむっくりという言葉はその音感が素晴らしいとか。しくしくやイライラと言った擬音語や擬態語はまさに国宝級だけど、でも外国人には説明しないと通じないということ。
また著者のお気に入りの日本語表現ベストスリーが、3位「勝負パンツ」(この言い回しを聞いて感心しなかったイギリス人はいなかったとのこと)、2位「上目遣い」(哀れっぽい目つきで訴えかけるように見てくることを表現する言葉があるとは!という驚きだそうです)、そして1位は「おニュー」(短い英単語にたった一字を付け加えるだけで、初めて何かを使う時に感じる束の間の幸福感を見事に捉えているから、だそうです。って外国人にも、「おニュー」のそういうニュアンスって伝わるんだなぁ)だそうです。
日本以外では見られない光景。電車の中でサラリーマンが寝ている、電車の中でサラリーマンが読んでいる新聞の折り方、ハチ公前の人ごみ、などなど。他にもいろいろ書いてあるけど、なかなか短い言葉では表せない。
イギリス人は紳士の国だと日本人は思っているけど、著者曰くまったく違うらしい。口は悪いし手は出るしで酷いものらしい。日本人の礼儀正しさは素晴らしいし、著者は日本の自転車屋で本物の紳士に会ったようです。
日本人が発明したものの中で著者が一番気に入っているものは銭湯だそうです。僕も部屋風呂は好きじゃなくて(って今住んでるところには元々ないんだけど)、いつも銭湯に行っているから、なんとなく嬉しいですね。僕も、もっと若い人は銭湯に行くといいのにな、と思ってるんだけど。いつ行ってもじいちゃんばっかりだから、その内どんどんなくなっちゃうと思うんだよなぁ。
あと、文庫・新書サイズの本というのも、日本人の発明で素晴らしいみたいですよ。イギリスでは無駄に本に装飾をしたりして高くして、本を所有するということがとてもお金の掛かることなんだそうです。
著者が日本人らしくなってきているという話で面白いと思ったのが、マナーというのは絶対的な価値観ではなくて相対的なものではないか、という話。イギリスでは電車でマナーの悪い客と言えばケンカを始めたり落書きをしたりする客だが、日本でずっと生活していると、ウォークマンから音漏れさせている程度のことで不快に感じるようになってきているとか。あと、イギリスで電話をしている時、「Good-bye」や「Thanks」と言うときお辞儀をしていると姉から指摘され恥ずかしい思いをしたというのも面白かったです。
レジ打ちの速さや技量についての世界ランキングがあるとしたら、間違いなく日本が第一位だそうですよ。
著者はイギリスに帰る時、枝豆をお土産に持って帰りたいのだけど腐りやすいからいつも除外しているという。枝豆を食べた外国人はたいてい枝豆のファンになるとか。しかし、今ではイギリスで枝豆が手に入るらしく、なんと「エダマメ」と呼ばれているとか。キオスクみたいですね。
まあそんな感じの本です。普段日本に暮らしていると疑問にすら思わないようなこともたくさん書いてあって、やっぱり違う価値観の人の視点というのは面白いし新鮮だなと思いました。外国人に会っても、「納豆は大丈夫ですか?」とはなるべく言わないようにしよう、と思いました。新書で軽く読める作品だし、内容も結構面白いので、是非読んでみてください。

コリン・ジョイス「「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート」



完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者(マーシャ・ガッセン)

それから志保は、今日やろうと思っていたことに取り掛かることにした。リビングの電話機の横に置いてある住所録をめくり、敬叔父さんの電話番号を探す。まだこの時間なら自宅にいるだろうか。志保は、誰が出たらどんな話をするか、そして敬叔父さんにどうやって事情を説明しようかと漠然と考えをまとめてから、受話器を取った。
 電話には、奥さんが出た。奥さんは、志保ちゃんから連絡くれるなんて珍しいわねぇ、といいながら、いろいろ聞いてきた。志保は、「私が」という部分に力を込めて、近況を話した。「私は元気です」「私はきちんと大学に通っています」「私はお金には困っていません」
 敬叔父さんに代わってもらうように言う。保留音はしなかった。奥さんが受話器に手を当てて、敬叔父さんを呼んでいる声が小さく聞こえた。

「失踪シャベル 7-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、とある数学の難問を解決したある天才数学者の話です。その難問とは、クレイ数学研究所というところがミレニアム問題という名で、解ければ100万ドルを与えるという懸賞金付きの問題の一つで、ポアンカレ予想と呼ばれるものでした。そしてそれを解決したのは、ロシアが生んだ天才数学者、グリゴーリー・ペレルマンです。
こういう風に書くと、『ペレルマンという数学者がどのようにしてポアンカレ予想を解決したのか』という作品だと思うでしょうが、本書はそう言った作品ではありません。ポアンカレ予想事態に触れている部分は全体の20ページ程度ですし、そもそも数学に関する話がほとんど出てきません。
じゃあどういう話なのかと言えば、数学者・ペレルマンについての本なんです。
ペレルマンという数学者は、僕が知っている数学者の中でもトップクラスの奇人です。他には、定住地を持たず世界中を放浪しながら世界中の数学者と共著論文を書いたエルディシュや、夢に数学の公式が出てくると言って、証明なしで山ほどの定理やら公式やらを残したインドのラマヌジャンとかが奇人だと思うけど、ペレルマンも凄いです。本書はなんと、ペレルマン本人へのインタビューはなしで執筆されています。何故なら現在、ペレルマンは誰とも接触を絶っているからです。自分の恩師とさえも会っていないようです。4年に一度与えられる、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を拒否し(数学者にとって、フィールズ賞は最大の栄誉である)、現在は元いた研究所さえ辞め、噂ではキノコ採りをしながら生活をしていると言われる男です。そんな男がいかにして生まれ、そしてどうして今のような状況に至ったのか。それをつぶさに追って行きます。
本書の冒頭で著者は、本書の執筆に執りかかる動機として、三つの答えを追い求めていた、という話を書いている。
一つは、なぜペレルマンはポアンカレ予想を証明することが出来たのか、ということ。
二つ目は、なぜペレルマンは数学を捨て、自分がそれまで住んでいた世界までも捨ててしまったのか。
そして三つ目は、なぜペレルマンは賞金の受け取りを拒むのか、という点です。
そういう動機で本書を書き始めた著者ですが、作品の内容としては大きく二つに分けられると思います。
一つは、ペレルマンが子供時代を過ごしたロシア(ソ連)の数学教育の環境はいかなるもので、そしてその中でペレルマンはいかにして育って行ったのか。
そしてもう一つは、どういう経緯でペレルマンは数学に失望して行ったのか、です。
本書を、他の数学系の作品と大きく隔てているのは、前者であるソ連の教育環境についての記述でしょう。著者は、ペレルマンと同時代に生まれた、ペレルマンと同じくユダヤ人だという人で、いかに当時のソ連の教育環境が悪かったか、しかもユダヤ人には厳しかったか、と言ったようなことを実際に経験した人なわけです。だからこそ、普通の人では書けないような切り口で本書を書くことが出来たのだろうと思います。
しかしホントに、当時のソ連の教育環境というのは凄まじいなと思いました。社会主義だからかどうなのか僕にはよく分からないけど、平等な教育が行われなくてはならないという建前の元、能力のある人間が不利益を被るようなことが多かったようです。そんな中で、学校教育とは別のアプローチで、数学の才能を持つ人間を集めて教育しようという人間がいて、その人間のお陰でペレルマンは数学を学ぶ環境を得られるわけです。
しかしペレルマンは、人に恵まれていたと思います。本書にはこんな風に書かれている部分があります。

『かくして、ペレルマンの守護天使たちの系譜は続いていった。ルクシンが彼の手を引いて数学コンペティションまで連れて行き、リジクが大切に世話をして高校を卒業させ、大学ではザルガラーが問題を解く彼の能力を育てて、鑑賞も邪魔もされずに数学を続けられるようにとアレクサンドロフとブラゴに託した。ブラゴは彼をグラモフに託し、グロも不は彼を世界へと連れ出したのである』

ここに出てくる誰一人でも欠けるようなことがあれば、ペレルマンはポアンカレ予想を解くことはなかったばかりか、そもそも数学者になることもなかったかもしれません。ペレルマンというのは、とにかく数学の才能には溢れていたけど、それ以外の部分に関してはかなり難がありました。風呂に入らない服を着替えない爪を切らないと言った部分から、自分にも他人にも厳しいルールを押し付けてしまうという面まで、とにかくペレルマンは周りに面倒を掛ける男でした。しかも、ペレルマンがいたのは融通の利かないことでは右に出るものはないのではないかと思うほどのソ連という国。ペレルマンはユダヤ人だという理由で、数学オリンピックに出られなくなりそうだったり、大学院に進めそうになかったりととにかくあらゆる場面でピンチに陥るわけですけど(本人がその危機を感じていたかどうかは知らないけど)、そういった場面で常に周りにいる人々が最大限の手助けをするんですね。ペレルマンを大学院に入れるために、レニングラードの数学者コミュニティやアカデミーの会員たちが総出で彼のために戦おうとしたというのだから凄いものですね。それぐらい、ペレルマンの才能は突出していたということでしょう。
本書では、このソ連での数学環境の話が半分以上を占めるわけですけど、子供時代の経験が、後にペレルマンが数学の世界や世間から隔絶していく萌芽となっている部分もあります。その最たるものは、ペレルマンは自らが定めたルールに異常に厳しいという点です。そしてそれは、他人にも及びます。ペレルマンのルールはペレルマンにしかわからないもので、正直言って一般的な規則や慣習とは相容れないことが多いです。しかしペレルマンは、それを他人も当然順守すべきであると考えるのです。また、様々な点において独自のルールがあり、それが世間のルールとかみ合わないがために、ペレルマンはあらゆる場面で人と対立し、呆れ、諦め、そして沈黙することになるわけです。
本書を読む人がペレルマンの独自のルールについてどう感じるか分かりませんけど、僕は結構共感出来るんです。ペレルマン独自のルールに共感出来るということではなくて、独自のルールを定めそれになるべく厳密であろうとするというスタンスに共感出来ます。僕も、世間のルールとはたぶん相容れないだろう様々な独自のルールを持っていて、そのせいでいろいろと生きづらいなと感じることもあるんだけど、でも出来る限りそのルールを尊守しながら生きていきたいと考えています。だからこそ、不利益を被ったりバカバカしい状況に陥ったりすることもありますけど、それは仕方ないと思っています。ただ僕の場合、ペレルマンほど厳密にはいかないですけどね。ペレルマンはちょっと高潔すぎて、確かにこの性格だと世間とはうまくやっていけないだろうな、と思います。僕程度の厳密さでも、世間とはうまくやっていくのはなかなか難しいのに。
さて後半では、数学者として海外に出ていき、やがてポアンカレ予想を証明し、その後世間と隔絶するまでが描かれて行きます。
ペレルマンはアメリカに行き、そこで「ソウル予想」という20年前にアメリカの数学者が取り組んでまったくどうにもならなかった問題をあっさり解いて一躍メジャーになります。しかしやがてペレルマンはアメリカを去ることになります。あらゆる大学からの招聘も断り、またソ連(もうロシアになったのかな)に戻ることになります。
それからペレルマンは、突如ネット上にある論文を載せ、幾人かの数学者にその論文を見てもらうようメールを送ります。その論文には、ポアンカレ予想についての記述はほとんどなかったのですけど、その論文を読んだ数学者は皆、何か大変なことが起こっている、と感じました。それは、ペレルマンの性格をよく知っていたからです。ペレルマンは不完全な成果を出す人間じゃない。ペレルマンが論文を出したということは、それは間違っているはずがないのだ。しかもそれは、ポアンカレ予想を解決するためにハミルトンという数学者が考え出しリッチ・フローという手法に関する独創的な論文だったわけです。それからやがて続きの論文もアップされ、数学者たちはペレルマンがポアンカレ予想を解いたと確信するようになります。それから2年ほどを掛けて数学者たちが検討し、ペレルマンがポアンカレ予想を解決したと数学者たちは知ることになります。
しかし、ペレルマンの名声が上がれば上がるほど、ペレルマンはどんどんと世間との関わりを絶っていくことになります。この辺りのことは、ソ連時代のこと、アメリカでの研究時代のこと、そしてペレルマン自身の厳密なルールについて知らないとうまく説明出来ませんけど、これまでペレルマンについて断片的な情報しか知らなかった時は、奇人だなぁぐらいの感想しかなかったんですけど、本書を通じて、ペレルマンなりのルールの一端に触れると、ペレルマンがどうして数学界から、そして世間から隔絶して行ったのかというのがなんとなく理解出来るなという感じがします。
著者の喩えで、なるほどこれは分かりやすいと思ったものを一つ挙げてみます。それは、ポアンカレ予想を解決したペレルマンに対して、世界中の有名大学がペレルマンを獲得しようとしたけど、それをペレルマンはすべて断ったことについての記述です。

『もしあなたが、途方もない難問を解いた人物に対し、大学が―その大学にはそれを理解できる者が一人もいなくても―金銭の提供を申し出るのは当然だろうと思うなら、次のような例を考えてみてほしい。出版社が作家を招いてこう言う。私はあなたの作品はどれも読んだことがありません。実を言えば、どの作品であれ、最後まで読んだことのある者は我が社には一人もいないのです。でも、あなたは天才だそうですから、契約書にサインしていただきたいと。』

なるほど、確かにそういう喩えで説明されると、むちゃくちゃなことを言っているなと思うし、ペレルマンがこの理屈に沿って大学からの招聘に応じなかったのかどうかは定かではないにせよ、なんとなく理解出来るような気になります。
あともう一つ。ペレルマンが数学界に失望した理由はいくつかあるだろうけど、その一つになっただろう出来事です。それは、マイケル・フリードマンという、ポアンカレ予想の四次元版(ペレルマンが解いたのは三次元版で、三次元版のみが最後まで残っていた)を解決した数学者だったのだけど、そのフリードマンがペレルマンの仕事を、
『トポロジーにとってちょっと残念なことだ』
と述べたらしいんです。その理由は、
『ペレルマンがその分野で最大の難問を解いてしまったせいで、いまやトポロジーは魅力を失い、結果として、今いるような才能あふれる若者たちは、もうこの分野からいなくなってしまうだろう』
とのことです。
これは新聞に載ったコメントのようなんですけど、それはちょっと酷いですよね。クレイ数学研究所が出した7つのミレニアム問題は、今世紀中に一問足りとも解かれることはないだろう、と言われていたほどの難問であり、それを独創的な発想で解決したペレルマンに対してそれは酷いなと思いました。純粋なペレルマンにとってその発言は、数学界への失望の理由の一つになっただろうなと思います。
というわけでメチャクチャ面白い作品でした。確かに本書は、ポアンカレ予想自体についての記述は実に少ないので、ポアンカレ予想自体について読みたいという人には物足りないかもしれません。ただ本書は、数学的な記述がほぼないので、一人の男の自伝として、文系の人間でも充分楽しめる作品に仕上がっていると思います。9章さえすっ飛ばして読めば、普通に読めます。9章はポアンカレ予想について部分なんですけど、でもそもそもポアンカレ予想自体が難しいんで、理系の人間でもきちんと理解できないでしょう。僕はかつて、ポアンカレ予想自体の本を読んだことがあるんですけど、メチャクチャ難しくて、是非今度はもっと易しく書かれたポアンカレ予想自体についての本を読みたいと思いますけど、本書も今世紀を代表する超天才数学者の生涯を丁寧に追ったノンフィクションで、実に読み応えのある傑作だと思います。是非読んでみてください。
しかしホントに思うけど、青木薫訳の理系本は外れがないですね。外国人作家が書いた理系本を読もうという方、訳者が青木薫であればまず間違いなく良い作品だと思うので、安心して買ってください。

マーシャ・ガッセン「完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者」




青年のための読書クラブ(桜庭一樹)



 朝目が覚めると、身体の痛みに顔をしかめた。筋肉痛が酷い。手や足と言わず、全身が恐ろしいくらい痛い。起き上がるのが億劫で、志保はしばらくベッドに横になったままでいた。
 家に帰ってきた志保は、服も着替えずそのままベッドに倒れ込んだ。穴を掘っている時は、帰ったらシャワーを浴びたいなんて考えていたのだけれど、とてもじゃないけど無理だった。
 汗と泥でベトベトになった身体が不快で、志保はなんとかベッドから這い上がった。そのまま風呂場へと向かい、シャワーを浴びる。強張った筋肉が僅かずつでもほぐされていくようで、生き返ったような心地になれた。
 キッチンで朝ご飯の準備をする。と言っても、大したものではない。冷凍していたご飯を温めて卵をかけ、インスタントの味噌汁を作っただけだ。頭が徐々に現実を理解しつつあるようで、自分以外のためにご飯を作らなくていいと思うと、途端に料理をする気が失せてしまうというのは面白いと思った。リビングにあるテーブルでご飯を食べ洗い物を済ませた。

「失踪シャベル 7-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、とある女子高を舞台にした、5編の短編が収録された連作短編集です。
まず、舞台となる女子高の話を書きましょう。
聖マリアナ学園は、東京山の手に広々とした敷地を誇る伝統ある女学校で、20世紀初めに修道女聖マリアナによって建てられた。幼稚舎から後頭部までが同じ敷地内にある校舎で学び、大学のみ別校舎。学園内は外から見れば薄絹のようなヴェールで包まれて、とうの女学生たちの生態は沓として知れない。ただ良家の子女と認識されているだけだ。
この学校は、伝統的に生徒会と演劇部の力が強い。生徒会は世襲制の趣があり、政治家を親に持つ女学生らが集まり、学園の政治を取り仕切っている西の砦であった。一方で演劇部は東の砦と呼ばれた。聖マリアな学園では学園祭で『王子』なるものを決めるイベントがあるのだけど、王子を高確率で輩出するのが演劇部だったのである。
でも本書の主人公はそのどちらでもない。主役となるのは、読書クラブである。読書クラブは、校舎の裏手にある崩れかけたレンガ造りの建物の一室に籠る異形の集団だ。学園の主流派に様々な理由で溶けこむことのできない人間が集まる場所であり、何故か学園の暗黒の歴史の目撃者であることも多かった。
本書は、1919年から2019年までの100年間で、聖マリアナ学園で起こった、正史には決して残らない暗黒歴史を、それを知る5人の読書クラブ員がそれぞれ読書クラブ史に書き残した、という設定の作品です。

「烏丸紅子恋愛事件」
高等部からの入学という珍しい異分子であった烏丸紅子は、美貌ではあったが、その長身と関西訛りのせいで、なかなか学園の溶け込めずにいた。あらゆるクラブをお払い箱になり、たどり着いたのが読書クラブだった。
読書クラブの部長であったアザミは、醜い女であり、自らもそれを自覚していた。アザミは烏丸紅子の存在を認識し、そしてこれまで研ぎ続けてきた刃を使うチャンスが訪れたことを知った。アザミはあらゆる計略を駆使して、紅子が学園祭で「王子」に選ばれるよう画策することに…。

「聖女マリアナ消失事件」
聖マリアナ学園の創設者である聖マリアナは、雪の降る夜、建物の外に足跡一つ残すことなく忽然と姿を消した。この話は、とある読書クラブ員のみが知る、因縁の物語である。
聖マリアナは、厳格な父の元で育ち、幼い頃から修道女に行かされていた。一方兄のミシェールはちゃらんぽらんな性格であり、パリで読書クラブなる怪しげな商売をしてかつかつの生活を送っていた。聖マリアナは修道女の指導の元、ジャポーンに学校を作るべく邁進するはずだったのだが…。

「奇妙な旅人」
西の砦と恐れられた生徒会の牙城を崩すかに思われた黒歴史である。
外の世界の変化に呼応するように、学園にも変化が訪れていた。リクルート事件により政治家の娘の、また地価高騰により税金の支払に苦しむ良家の娘の地位がそれぞれ落ち始めていた頃、爆発するように突然資産を増やした成金の娘たちが、学園に新たな価値観を持ち込んだ。校則を無視した服装で、食堂にミラーボールをつけて扇子を持ち、パラパラを踊るような奇っ怪な集団だ。しかし時代に合っていたのか、その価値観は蔓延し、勢力を築いていくことになる。
やがてその集団は、生徒会の牙城をも脅かさんとするようになる。世襲制で守られていたはずの生徒会に無理矢理入り込み、学園を改革しようとするのだが…。

「一番星」
一人の少女がロックスターになるまでの物語である。
加藤凛子という庶民の生まれの娘と仲のよかった、本来であれば生徒会の貴族院で辣腕を振るうことも可能なほどの高貴な出自の山口十五夜は、凛子が読書クラブに入ったために、自らも読書クラブに入ることになる。しかしある日を境に十五夜は読書クラブを離れ、軽音部に入部することになる。そこで「人体模型の夜」というロックバンドを組み、学園内で爆発的な人気を箔していくことになる。しかし実はその原動力となっていたのが、凛子との些細なすれ違いであり…。

「ハビトゥス&プラティーク」
来年から近隣の男子校と合併し共学になるという年、ついに読書クラブ員は最後の一人になっていた。五月雨永遠である。永遠は小太りで目立ところのない、語句平凡な少女であった。もはや限界まで崩れかけた赤レンガの建物から追い出されてしまった永遠は、学園内にとある噂が巡っていることを初めて知ることになる。
それは、「ブーゲンビリアの君」と呼ばれる正体の知れない謎の怪盗のことだった。シスターたちは、携帯電話やゲーム機などを頻繁に取り上げていたのだが、いつの間にかそれらが、一輪のブーゲンビリアの花と共に戻ってくるのだ。それからいつしか、「ブーゲンビリアの君」という美貌の青年の噂へと変わっていくのだが…。

というような話です。
素晴らしく面白い作品でした。さすが桜庭一樹。相変わらず面白い作品を書きます。
まず、舞台となる学園の設定がいいですね。それまでの少女ばかりを書き続けてきた桜庭一樹にとって、女学園というのは突飛な設定ではないけど、普通の作家が書いてもここまで面白くはならないだろうなと思います。いくつもの時代を描いていること、主流にはなりきれない読書クラブが物語の主役になっていること、「王子」という少女ばかりが通う世界では必然的に生まれる(のかわからないけど、なんとなくそんな風に思える)存在を、作中で巧みに使っていること、などなど、この学園の見事な設定が作品を成功に導いているのだろうと思いました。
本書は、森見登美彦が描く滑稽さを内に含みながらも、一方で格調高い雰囲気もまとっているんです。このバランスが僕は素晴らしいと思うんですね。滑稽さと格調高い雰囲気を両立させるなんて、なかなか普通の作家にはできないことではないかなと思います。森見登美彦が昔風の言葉遣いでおかしみを醸し出しているように、本書でも大仰な表現で文章が描かれます。それが、ある時は滑稽さを生み出すわけですけど、また同時に作品全体を格調高いものに仕上げる要素にもなっていて、実にうまいなと思いました。それぞれの短編に一つずつ、モチーフになっている古典作品があるんだけど、それらを巧みに組み合わせることでも、格調高い雰囲気を生み出しているのだろうなと思います。
また、桜庭一樹は常に「少女」というものをメインのモチーフにして作品を生み出し続けている作家だと僕は思っているんですけど、本書ではこれまで僕が読んだどの作品と比べても、『少女性』とでも呼ぶものが溢れでている作品だと思いました。作品に少女がたくさん出てくるから当然なのかもしれないけど、でも単純な数の足し算ではないような感じがするんですね。一人の少女の持つ少女性が1だとして、二人集まれば2かというとそうではなく2.5ぐらいになる。三人だと5ぐらいになって、十人集まれば30ぐらいになる。なんか僕のイメージする『少女性』ってそういう感じがするんです。本書も、確かに少女がたくさん出てくるわけなんですけど、それにしたがって指数関数的に『少女性』が増していくような感覚があって、それが僕には実にリアルに感じられました。少女がたくさん集まることによって生まれるモワモワした雰囲気がよく出ているなと思いました。
それぞれのストーリーの骨子だけ見れば、さほど大した話ではないかもしれません。でも桜庭一樹の施す装飾が見事で、単純に思えるストーリーが実に奥深いストーリーのように思えてきます。一筋縄ではいかない読書クラブの面々や、女性の縄張り意識や嫉妬心みたいなものがあれやこれやを複雑にして、どんどんとおかしな方向に嵌っていきます。そういう意味でも、なんとなく森見登美彦的な匂いを感じるんだよなぁ。雰囲気は全然違うんだけど、複雑性みたいに、なんでもない入り口からとてつもなく変わった結末にたどり着いてしまうというような、そんな変さがあるなと思います。
話として一番好きなのは、「聖マリアナ消失事件」です。これは、聖マリアナ学園の創設者である人物の物語であり、他の作品とはかなり一線を画す作品です。初めはちょっととっつきにくいかなと思いましたけど、深みのあるいい話だなと思いました。
学園内の少女の話でいえば、「烏丸紅子恋愛事件」か「一番星」がいいですね。どちらも、多少の違いはありますけど、学園祭での「王子」の地位にいろいろと左右される話で、奇妙なうねりとでも名付けたくなる熱狂を読書クラブ員が巻き起こす物語でもあります。
最後の「ハビトゥス&プラティーク」は、学園内の話も面白かったですけど、最後の最後の終わらせ方が結構好きだなと思いました。なんかこういうのもいいな、っていう感じがします。
「奇妙な旅人」だけが、そこまで好きにはなれないかなという感じです。悪くはないけど、他の4編と比較するとやっぱり少し落ちるかなという感じがしました。
作品の世界観が独特できっちりしているし、とにかく面白い作品です。久々に桜庭一樹の作品を読みましたけど、やっぱりいいですね。レベルが高いです。近いうちに、「赤朽葉家の伝説」の続編(姉妹編?)である「製鉄天使」を読む予定なので、そちらも楽しみにしようと思います。是非読んでみてください。

桜庭一樹「青年のための読書クラブ」



異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念(チャールズ・サイフェ)

お互いに沈黙を通した。志保の方は、ただ話すことがなかっただけだ。こんな男に言ってやれることは何もない。話すだけ無駄だ。男の方が何を考えているのかは分からなかった。
 ふと風を感じた。道端に転がっていたらしい空き缶がカラコロと音を立てた。まるでそれが合図であったかのように、男は口を開いた。
「雨が降るまでだ」
 男はそう一言呟くと、踵を返した。ちょっと離れたところに車が停めてあるのが見えた。男の車だろう。ようやく立ち去ってくれたという安堵感は確かにあった。しかし最後に男が呟いた言葉が、志保に不安をもたらした。きっとあの男は言葉通りにやるだろう。しかし志保には他に選択肢はないのだった。
 体格の差は歴然としていたから、勝ち目があるわけがない。それでも志保は、あの男を殺してやりたいと思った。

「失踪シャベル 6-14」

内容に入ろうと思います。
本書は、数字としての、そして概念としての「0」についての話です。
本書は大雑把に、前半と後半で二つに分けることが出来ます。
前半は、人類がいかにゼロを発見し、そして数学や物理の世界でそれをどのように受け入れていったのかという歴史と数学の話です。そして後半は、物理学の世界でゼロがどのような問題を引き起こしてきたのかというような話になっていきます。
もともとゼロという数字は存在しなかったわけだけど、インドでゼロが見つかります。それまでゼロがないために不便な表記をしていた商人らはすぐにゼロを受け入れていきますけど、どうじにゼロという概念は教会の存在を危うくするということで異端扱いされるようにもなります。しかし数学や物理の世界で、ゼロのない世界が考えられなくなっていき、徐々にゼロは受け入れられるようになっていきます。
数学や物理にとっても、ゼロというのは実に厄介な代物でした。数学では、微積分や複素数の世界なんかで特にそれは顕著です。一方物理の世界ではさらに厄介な問題をたくさん引き起こします。特に、最新の物理学である一般性相対性理論と量子論においては、一般性相対性理論ではブラックホールが、量子論においてはゼロ点エネルギーが、ともに特異点として現れてしまうことになります。物理は、いかにゼロと無限大を手懐けるかということに力を注いできたことになります。
というような感じの作品です。
全体としては、うーんという感じでした。ゼロという数字を主軸にして、歴史や宗教や哲学、物理や数学というあらゆるジャンルにわたってあれこれ書いているという点では構成のうまさを感じるけど、僕個人としてはあんまり面白くないかなという作品でした。
そもそも前半はあんまり面白くなかったです。ゼロがいかに発見されたか、そしてそれがどう受け入れられて行ったかという部分は、ほとんどが歴史やら宗教やらの話なんですね。数学の話もちらりと出てきますけど、さほどでもない。そういう歴史とか宗教の部分は、僕がそれらにまったく興味がないために、しばらくずっと退屈でした。
微積分の話が出てきたぐらいからはようやくちょっとは面白くなってきましたけど、やっぱり残念ながらあらゆるジャンルを少しずつかじっているので、内容の薄さは否めません。僕は昔、「宇宙を織りなすもの」という上下巻のやたら長い物理の本を読んだことがあるんですけど、これは相当な分量を費やして、物理のありとあらゆるジャンルを、一つ一つに相当のページを費やして書いている本で、どうしてもそういう作品と比較してしまうと厳しいなという感じがします。
もちろん本書は、数学とか物理学とかの全体について概観するような本ではなくて、ゼロという共通項をもとに、数学や物理について初歩的に踏み込んでみるという作品だと思うので、両者を比べるのは無理があるだろうとは思うんだけど、やっぱり結構物理やら数学やらの本を読んできた人間からすれば、退屈な話が多かったなという感じがしました。
まあそれでも、微積分とカントールの話は面白かったなと思います。微積分のところでは、微積分を発見した一人であるニュートンが行った『胡散臭い』数学的な操作がまず描かれます。それは、非常に小さい項をゼロとみなすとか、ゼロで割るなど、数学的には実に怪しいやり方だったわけです。でも、その威力は素晴らしく、捨てるにも惜しい。それから数学者は、極限という概念を手にいれて、微積分を論理的なものに変えていくわけです。この流れはなかなか面白かったです。
あと、他の本でも読んで知っている話ですけど、やっぱりカントールの対角線論法はいいなと思いました。僕が今までで出会ってきた数学の証明の中で一番好きです。これはちゃんと説明すれば文系の人にでも十分理解出来るような内容で、その発想の素晴らしさに驚くんじゃないかなと思います。
あともう一つ、カントールが発見した面白い話が、『有理数は数直線上のいたるところにあるのに、なんの空間も占めない』という話。これは図とかを書かないと説明出来ないし、そもそも僕がきっちりと理解出来ているわけではない話なので説明は難しいんですけど、真理らしいですよ。なんだか不思議な話ですね。数直線にダーツの矢を投げると、有理数にではなく必ず無理数に当たるらしいですよ。不思議だなぁ。
まあそんなわけで、数学とか物理にそこそこ興味があり、それでいて数学とか物理の本をそこまで読んだことはなくて、また宗教とか歴史にも多少興味を持っているというような人にはいいのかもしれません。僕は正直、前半の歴史やら宗教やらの話は全然関心が持てませんでしたけど、後半は数学や物理の話がメインになっていくので、興味がある人は読んでみてください。

追記)amazonのレビューでは結構評価が高いです。

チャールズ・サイフェ「異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念」



幸福ロケット(山本幸久)

変な言い方だと思ったけれど、志保は男にそう問い質した。取り返しのつかないことなんて日常にいくつも転がっている。その一つ一つでいちいち立ち止まって吟味出来る人間がどれだけいるというのだろう。
「あるさ」男は静かにそう答えた。
「だったら」さっさと車から立ち去んなよ、と言おうとしたところ、男は志保の言葉に重ねるようにして言葉を継いだ。
「後悔してるんだ」
 志保は、それには何も答えなかった。志保はこれまでの人生で間違ったことはたくさんしてきたれど、それでも後悔したことはなかった。常にその時点での最良の選択肢を選び続けていると思っていた。後悔するような人間は、覚悟が足りないのだ。志保は、最良の選択肢を選びとる覚悟をいつも持っている。自分にとって最良の選択肢であるということは、誰かにとっては最良ではない選択肢であるということだ。志保は常にそのことを意識している。後悔するような人間は、その覚悟が足りないだけだ。

「失踪シャベル 6-13」

内容に入ろうと思います。
主人公は10歳小学5年生の山田香な子。本を読むのが好きで、勉強がきっちりできる、少し大人びた女の子です。
香な子は、自分の名前の「な」が平仮名であることとか、誕生日が12月24日だったりとか、お父さんがお母さんと少しでも長くいたいなんて理由で会社を辞めちゃったりすることに不満を持っているんだけど、まあ普段はそんなことあんまり考えずに普通に学校に通っている。
学校では、コーモリというあだ名の小森君と時々話すようになった。別にどうってことのない男の子だし、何でもない関係だ。
でもそんなある日、クラスで一番可愛い女の子・町野さんから相談を受ける。それまでそんなに喋ったこともないのにだ。どうやら町野さんはコーモリのことが好きらしく、協力してくれ、という。いつの間にか町野さんとは親友ということになっていたようだ。
それから、それまでにも増してコーモリと関わることが増えた。塾帰りの電車の中で頻繁に会うようになったし、香な子の家にご飯を食べに来るようにもなった。町野さんのことを考えるとマズイなぁと香な子は思っているんだけど、まあ仕方がない。
一方で、塾に通っている気にくわない奴に、お父さんの悪口みたいなのも言われたりして、どうしたらいいのかわからなくなったりする。将来のことを考えると何だかよく分からなくなったりしてくる…。
というような話です。
山本幸久は、僕はかなり評価している作家なんですけど、何故かこの作品はあんまり期待しないで読みました。何ででしょう。装丁とかがイマイチだったからかなぁ(僕が持ってるのはハードカバー版です)。
でも、さすが山本幸久。面白かったです。
本書は、小学五年生の女の子視点で物語が進んでいくんだけど、それが実にうまいんですね。小学五年生の女の子がどんな風なのか、正直僕は知らないけど、でもきっとこんな風なんだろうなと思わせるような書き方なんです。子供だから知らないこともたくさんあるけど、でも大人のようにちゃんと考えることも出来る、というような感じ。しかも、小学校時代なんか特にだけど、女子の方が大人びてたりするからなおさらです。そういう雰囲気がよく出ていました。
しかも、小学五年生にしてきっちりと「女」なんですね。前に同窓会に出た時に、既に子どもがいる人も含めた女性たちが、育てるなら男の子がいい、女の子はもう幼稚園ぐらいですでに「女」だからめんどくさい、みたいなことを言っていました。本書でも、主人公の香な子はそこまででもないけど、でも町野さんと張り合うことで女っぽさがすごく出てきます。そういう、子供なんだけど女でもあるというような部分の描き方もうまかったなと思います。
ストーリーは、さっき内容紹介を書く時にちょっと困ったんだけど、そんなに大した展開ってないんですね。でも読んでる時はあんまりそんな風には感じなかったなぁ。読み終わって、誰かにこんな話だったって説明する時に、あれそこまできっちりとストーリーがあるわけでもないなぁと気づくような感じです。
でも、少ない登場人物をうまく動かして、読ませる話を書くんですね。メインは、コーモリと香な子と町野さんの三角関係っぽい感じの恋愛模様だろうけど、それだけじゃない。香な子がさらに少しだけ成長したり、それまで知らなかったことを知ったり、新たな感情に気づいたりと結構盛りだくさんなんです。でも、人に説明しようとすると、学校を中心に香な子の日常を描いた作品、ぐらいの説明しかできないんだよなぁ。
本書で僕が一番好感だったのが、子供を子供扱いしない大人が多かったことです。僕は結婚する気はまるでないんですけど、憶が一自分に子どもが出来るようなことがあったら、子供を一人の大人として扱おうと思っています。子供の時に子供扱いされるのって、自分の経験に照らし合わせても嫌でしたからね。香な子も、自分が子供扱いされることへの嫌悪感を度々吐き出しています。
でも本書では、子供を子供扱いしない大人が結構出てくるんです。香な子の両親、香な子の担任の鎌倉先生、コーモリの母親と言った感じです。彼らは皆、香な子を子供扱いしません。もちろん、香な子が他の子供と比べて大人びているということもあるだろうから、彼らも他の子供にはそこまでしないかもしれないけど、少なくとも香な子には大人として接します。それが結構気持ちいいんですね。こういう大人が周りにたくさんいたら、子供って結構幸せかもしれません。
特に僕は鎌倉先生が素晴らしいなと思います。20歳ぐらいの頃モデルをやっていたという超美形の教師なんだけど、生徒のことばっかり考えているから、香な子は時々心の中で、そんなことじゃ彼氏が出来ませんよ、と言っている。この先生はホントに香な子との壁を感じないんですね。年齢に大きく開きがあることを感じさせないんです。じゃあ友達みたいなゆるい関係なのかというとそうでもない。厳しくする時はきっちり厳しくする。一事が万事ちゃんとしてるんですね。こういう先生だったら素敵だろうなぁと思いました。
あと、ラストシーンはとにかくよかった。コーモリも鎌倉先生も町野さんも、そしてもちろん香な子もみんなかっこよかった。このラストシーンにすべてがうまく収束していく、そんな感じがしました。でも、ラストの町野さんの行動は、実際の女子の行動としてありえるのかな?そこだけがちょっとだけ疑問だったけど。
山本幸久って作家のイメージは、社会で働く大人の苦労とか努力みたいな、そういうどこにでもいそうな大人の人生を描くのがうまいなぁという印象だったんですけど、こういう作品も書けるんだなと思いました。小学生の、しかも女の子を描くっていうのは結構難しいと思うんだけど、素晴らしい作品に仕上がっています。タイプが違うので、これまで読んだ山本幸久の作品とはうまく比較が出来ませんが、こちらもかなりいいと思います。是非読んでみてください。

山本幸久「幸福ロケット」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)