黒夜行

>>2010年02月

経済ってそういうことだったのか会議(佐藤雅彦+竹中平蔵)

腕だけじゃなくて、足腰にまで疲労が溜まり始めていた。スコップを突き刺す力は弱々しくなり、掻き出した土を遠くに飛ばすことも難しくなってきた。そろそろ止め時だ、と志保は思った。穴も、子どもの頃とは比べ物にならないくらい大きなものを掘ることが出来ていた。志保は満足したけれど、その一方で、時間と体力が許すなら、あの真っ赤なシャベルで穴を掘りたかった、という思いを消し去ることは出来なかった。
志保は少し身体を休めるために地べたに腰を下ろした。呼吸が荒い。夜の闇をたくさん吸い込んでは吐き出していく。身体の中に入った闇が、自分の中の邪悪さとがっしりと結びついて、志保自身を内側から蝕んでいくというイメージが湧いてきた。それとは逆に、身体の中に入った闇が、自分の中の善良さと熾烈な争いを繰り広げているというイメージも湧いてくるのだった。自分の吐き出す呼気にはなんの痕跡も残っていなくて、身体の内側でどんなことが起こっているのか知る由もなかった。

「失踪シャベル 6-6」

内容に入ろうと思います。本日二度目の更新です。
本書は、元電通のクリエイターで、「バザールでござーる」や「おいしいんだな、これが」などの有名なCMを作り、だんご三兄弟の作詞をし、慶応の教授になり、ピタゴラスイッチを作る佐藤雅彦と、慶応の教授からなんだかよく知らないけど政治の世界で経済のなんちゃらの大臣だかなんだかになった竹中平蔵の二人が経済について話した対談を書籍化したものです。
対談のきっかけは、佐藤雅彦が竹中平蔵から聞いた、「エコノミクスはギリシャ語のオイコノミコス(共同体のあり方)から来ている」という言葉だった。佐藤雅彦はそれまできっちりとした形では経済のことを知らず、株やらなんやらについてはなんとなくあやしげな雰囲気を感じていたようですけど、その言葉を聞いてその偏見が払拭され、もっと竹中平蔵と話したいという欲求が湧いてきたんだそうです。それから、佐藤雅彦が単純ででも本質的な質問をぶつけ、それに対し竹中平蔵が答えを返したりあるいは議論をさらに展開させたりする、というような対談です。
内容について詳しく書いていくのはなかなか難しいので、それぞれの章のタイトルだけ羅列しておきましょう。ちなみにですが、僕が読んだのはハードカバ-のものなので、もしかしたら文庫版とは若干違いがあるかもしれません。

第一章 お金の正体 貨幣と信用
第二章 経済のあやしい主役 株の話
第三章 払うのか 取られるのか 税金の話
第四章 なにがアメリカをそうさせる アメリカ経済
第五章 お金が国境をなくす 円・ドル・ユーロ
第六章 強いアジア、弱いアジア アジア経済の裏話
第七章 いまを取るか、未来を取るか 投資と消費
第八章 お金儲けはクリエイティブな仕事 企業とビジネス
第九章 人間とは「労働力」なのか 労働と失業
終章 競争か共存か

僕は基本的に、経済ってまったくわかんないんです。正直、「円高」とかも、ちょっと考えないと意味がわかんないんですね。例えば、1ドル100円と1ドル120円だったらどっちが円高なのかって、たぶんパッとは答えられないと思うんです。たぶん1ドル100円の方だと思うんだけど。
それぐらい経済についてはちんぷんかんぷん、あっぱらぱあの僕ですけど、これはなかなか面白く読めました。
実際のところ本書は、僕みたいにかなり経済について知らない人向けなんじゃないかなと思いました。一般的な人が持ってる経済的な知識というのがどれぐらいなのか僕には想像もつかないけど、たぶん今普通に個人で株の売買とかしてるような人には目新しい話はないんだろうなという気はします。大学で経済学の授業を取ってるなんて人にもさほど目新しい部分はないかもしれません。とはいえ、もしかしたら普通に経済の本を読むより本書の方がはるかに分かりやすいのかもしれないから、その辺りのことはなんとも言えないですけどね。とにかく僕に経済に関する知識がなさすぎて、本書がどれぐらいのレベルの位置する本なのかよくわかりません。
本書では主に、『経済学ではどう考えるのか』と、『現実の世界で何が起こったのか』について書かれているという感じがしました。
例えば『経済学ではどう考えるのか』の方では、お金とは何なのか、株とは何なのか、税金とは何なのか、投資と消費は何が違うのか、労働とは何なのかというような、僕らにも普段から関わりのあるような当たり前のことについて、経済学という学問ではどんな風に定義したり扱ったり処理したりしているのかということが書かれます。
第一章のお金の話は、なかなか面白かったです。佐藤雅彦の子供時代の牛乳瓶の蓋の話から始まって、貨幣とはどんな価値があってどんな役割があるのか、というような、実にシンプルで根本的な部分について書いています。
株式は美人コンテストだ、という話も面白かったです。美人コンテストでは、自分はこの人がキレイだと思うけどでも世間的にはこっちの方が上か、というような判断をします。株も同じで、自分がどう思うかではなく、周りがどう判断するのかというファクターが非常に重要になるという話はわかりやすかったです。
また、ちゃんと考えれば当たり前のことなんだろうけど、会社が株を新たに発行して増資すると、一枚の株券の価値が下がるから株主は怒るのではないか、という佐藤氏の疑問にはなるほどと思いました。今までそんなこと発想したこともなかったんでびっくりしました。実際そのために、株主総会というものがあるんだそうです。
税金の話についてもいろんな国や時代の例を出しながらいろいろ書いてあって面白かったです。税金の部分でなるほどと思ったのは二つ。まず、サラリーマンの三割が所得税ゼロという話。所得税は、年収が490万だかそれぐらい以上の人からもらうらしくて、それ以下だと所得税は払わなくていいみたいですね。アメリカでは200万から、イギリスでは100万から払わないといけないみたいなんで、日本はおかしいみたいです。
もう一つ。地域振興券というのがかつてあったけど、これはなんと税金との絡みでうまれたものだったみたいです。ある時景気が悪くなったから所得税の減税をやりたくなったんだけど、でもサラリーマンの三割は所得税を払ってないから減税のしようがない。だから、地域振興券なんてものをばらまいたんだそうです。へぇー、と思いました。
話を戻して、『現実の世界で何が起こったのか』の方の話を書きます。
アメリカの経済についての話は、アメリカという国のルーツにまで遡っていろいろ話をしていて面白いと思いました。アメリカはフロンティアがあったからこそ成長出来たのだという話はなるほどという感じですね。
ヨーロッパがユーロという通貨を導入した直後だったみたいで、ユーロについての話も出てきます。何故ヨーロッパがユーロを導入しようと思ったのか、何故イギリスは不参加なのか、何故ドイツにユーロの中央銀行があるのかなど、なるほどそういう背景があったのかと思いました。
アジアの経済についてもかなりページを割いています。何故アジアは成長し、そして経済的に崩壊していったのかという話が、それぞれの国の特徴や時代背景なんかを説明しながら話をしていてわかりやすかったです。
あと、経済の話とは直接関係はないけど、本書を読んでて面白かった話をあと三つほど書きます。
まず、カネボウが資生堂に仕掛けた戦略の話。その当時、資生堂の売上を10とすると、カネボウは1ぐらいの売上しかなかった。でも、資生堂が春のキャンペーンで口紅をやるとカネボウも負けじと口紅をやり、飽きにアイシャドウをやるとカネボウも追随する。そうすると一般の人には、10対10の会社に見えてしまう、という話。確かに、実際の売上比なんてのは分からないから、資生堂と張りあってキャンペーンを張ってる会社があれば、同規模の会社なのかなって思っちゃいますよね。佐藤氏は、本当にこの戦略は見事だったと書いています。
今度は竹中氏。消費税を大蔵省が通すという時、最後の最後誰を説得するかというと、経団連ではなく大阪財界だったという話。最終的に、大阪の商人たちがオーケーを出したから消費税が導入されたのだ、という話。すごいですね、それは。
さて最後はまた佐藤氏。最近の曲の売れ方について嘆く佐藤氏は、ある曲がドラマの主題歌に決まった時の打ち上げ会場で、「どんな曲なんですか?」と聞いたところ、「曲はまだできてません」と言われたエピソードを出します。すごい話ですよね。曲の善し悪しでドラマの主題歌が決まるんじゃなくて、それ以外の様々な力学によって決まると。そんな風に生み出される曲は、もの凄く売れるけど、数カ月で忘れ去られる。そんなのは虚しい、という話です。
経済の話をしてるんですけど、佐藤氏の視点の鋭い質問と、竹中氏の知識の深さや議論の平易さが、なんだか経済の話を読んでる風に感じさせません。決して教科書的ではないのだけど、でも経済というものの本質に深く踏み込んでいるような感じもします。ある程度経済の知識がある人には当たり前の話ばっかりなのかもしれないけど(その辺りの判断は僕にはうまく出来ません)、僕のように経済についてはあっぱらぱあな人間にはもの凄く面白くためになる本だと思います。まあもちろん本書を読んだからといって、株取引がすぐ出来るとか、会社を簡単に興せるなんてことはないですけどね。実用的というわけではないですけど、正直そこまで馴染みのない経済学という考え方を知るにはなかなかいい本だと思います。是非読んでみてください。

佐藤雅彦+竹中平蔵「経済ってそういうことだったのか会議」



氷の海のガレオン/オルタ(木地雅映子)

今はそういうわけにはいかないだろう。疲労を感じ始めた両手を必死で動かしながら、志保は、どれだけの大きさの穴を掘ることが出来るかで、これからの自分の運命を占おうとしているのかもしれないと思った。大きな穴を掘れれば掘れるほど、志保はすべてがうまくいくような気になれるのかもしれない。
遠くで、闇に溶け込んでいくかのような低い声が聞こえた。鳥の鳴き声だろうか。一瞬、サバンナで死肉を貪るハゲタカのイメージが湧いてきて、一旦手を止め、見えるはずもないのに空を見上げた。闇はどんどんと濃くなっているように思えた。背中にじとりとにじみ出てくる汗が気持ち悪かった。早く家に帰ってシャワーを浴びたい、と思った。志保はいつの間にか涙が止まっていることに気がついた。泥だらけの手で拭ったのだろう、顔にも泥がついているのがはっきりと感じられた。

「失踪シャベル 6-5」

内容に入ろうと思います。
本書は「氷の海のガレオン」と「オルタ」と「オルタ」の続編みたいな感じの「オルタ追補、あるいは長めのあとがき」という三つの短編が収録されている作品です。「氷の海のガレオン」は群像新人文学優秀賞を受賞した作品らしく、本書はそれを初文庫化した作品みたいです。

「氷の海のガレオン」
斉木杉子は、自分のことを天才だと思うことにしている。小学五年生、11歳。周囲の同級生と同じ言葉を喋っているはずなのに、どうしても自分の言葉は周囲に伝わらない。
両親がかなり変わったタイプの人間だった。杉子には兄弟が二人いるが(周防という名の兄と、スズキという名の弟、だと思う)、三人とも周囲の人間と言葉が通じないと嘆いている。母親は(確か)作家で、父親は何をしているんだか子どもたちは知らない。母親も父親も自分の言葉を持っているために、子どもたちも自分の言葉を持つようになり、そしてそれが周囲とかみ合わないのだ。だからこそ杉子は、自分は天才なんだと思い、周囲となるべく交わらずに生きている。
そんな杉子に、まりかちゃんという女の子がついて歩くようになった。まりかちゃんはクラスで弱い立場で、一人でいたくないがために杉子のところへやってくるのだ。杉子には、まりかちゃんがうっとうしくてしかたない。
そうやって気苦労を抱えながら杉子は、庭に生えている「ハロウ」と名付けた木を心の支えにしながら生きている…。

「オルタ」
「オルタ追補、あるいは長めのあとがき」
オルタは、学校という社会にはどうにも馴染むことが出来ないでいる。オルタにとって、学校やクラスメートや先生は不可思議な存在でしかない。オルタにいじわるしてくる少年に、先生はどうしてもっと注意しないのか。オルタはまだ子供なのに、どうして「ババア」と言われるのか。そういう、オルタには理解できない出来事で溢れていた。
オルタと一緒にいると、オルタがどれだけ苦しんでいるのか分かる。きっとオルタに、ちゃんと学校に行くように言えば行ったことだろう。誰に何を言っても仕方ないのだと自分を抑えつけ、辛いことを隠しながらそれでも学校に通っただろう。
しかしどうしても考えてしまう。学校にいかせなくてはいけないのだろうか?

というような話です。
結構雰囲気が好きな作品です。正直なところ、小説としての完成度という点で見れば、あまりにも荒削り過ぎるし、「オルタ」の方に至っては、これは小説なのか?という感じもする作品なんですけど、それはそれとして、作品全体に通底する雰囲気みたいなものに強く惹かれます。
はっきり言って僕も、学校とか辛かったなぁと思うんです。
もちろん、楽しいこともたくさんあったし、小中高とそれぞれにおいてそこそこの序列のラインにずっといられたので、表面上特別何かあったということは特にありません。
ただそれでも、内面はかなりきつかったですね。はっきり言って、考え方の違う人間(特に教師の考え方には納得できないところが多すぎた!)との集団生活は苦痛でした。要素だけ見れば正しいことが、集団に取り込まれることによって正しくないことに、時には間違っていることにさえ変化してしまうなんてことはたくさんあったはずです。理不尽だと感じることも、理解できないと感じることもたくさんあったはずです。
特に僕は、言葉を言葉通り受け取るという意味では杉子やオルタに結構近い部分があります。もちろん、普段の会話で支障をきたすようなことにはなりません。相手がどんな意図でそれを言っているのかということはもちろん分かるし、その言葉の裏に隠された意図に沿った行動が取れるつもりでもあります。
でもその一方で、言葉通りの解釈を捨て去れることがなかなかできないんですね。相手が言葉通りの意味で言っているという可能性を否定できないんです。だから、表向き相手の言っていることは理解出来るんですけど、でも実際は言葉通りのことを言いたかったんじゃないかとか考えちゃいますよね。そういうのがほんとめんどくさいんです。
それでも僕は中学生の頃に、あることを考えたことがあるんです。それは、『僕は世界中の人間から嫌われている』ということです。
相手の言っていることを言葉から判断することが出来ないわけだから、相手が自分を嫌ってるかどうか言葉から判断するのはなかなか困難ですよね。別にそういうのが気にならない人もいるだろうし、前提として嫌われているなんて発想がない人もいるだろうけど、僕はそういう宙ぶらりんな状態というのはちょっとダメなんです。
だからと言って、『みんな俺のことを好きでいてくれる』なんていう楽観的な発想も出来ない。だから、どっちか決まってないのは気持ち悪いし、みんな俺のことを好きでいてくれるなんてのは俺自身が信じられないんだから、だったら全員から嫌われてると思うことにしよう、という発想なんですね。僕の中では非常に論理的な判断なんですけど、そう感じない人の方が多数でしょう。実際、『自分は世界中の人から嫌われている』と考えることで、少し楽になれました。そう考えることで、『相手が自分のことを嫌ってるかどうか』という思考を相当取り除くことが出来ましたからね。
なんか本題からずれたような気もしますけど、とにかく学校というのは僕にとっては大変なところでした。その頃は今みたいに達観してなくて(今の僕の性格とかスタンスのまま学生時代に戻ったらまだマシかもしれないけど)、『普通ではない』ということにビビッてたし、群れから外れることが怖かったし、いろんなことにしがみついていないといけないと思い込んでいたんですね。そういういろんなことが僕をがんじがらめに縛り上げていたので、窮屈で窮屈で仕方ありませんでした。
そういう、小中高の頃って結構キツかったよなぁ、というのをなんとなく思い出させるような、そういう雰囲気があって、懐かしい感じがしました。
「氷の海のガレオン」という作品が書かれたのがもう15年ぐらい前ですけど、今でもこういう学校に馴染めない子っていうのはいるだろうし、むしろ増えてるんじゃないかと思うんです。でも僕は、今だからこそそう思えるけど、学校に馴染むことが出来るのなんてどんな意味があるんだろうって思うんですね。集団で生活することから学べることも確かにあるのかもしれないけど、でも結局失うものの方が多いような気がします。昔実家にいた頃、鳥かごでウサギを飼ってたことがあるんですけど、もの凄く窮屈そうで可哀想でした。子どもたちを学校に押し込むのも、鳥かごでウサギを飼うようなものなのかもしれません。身動きが取れなくなって、みんな同じような発想とか行動しかできないようになってしまう。
僕よりもっと上の世代の人からすれば、不登校なんて根性が足りない、みたいな話になるのかもしれないけど、根性がどうとかって問題ではないと思うんですね。不適切な喩えかもだけど、学校って『カラスは白い』って言ってる組織なような気がするんですね。ホントはカラスは黒いのに、それを白いと言っている。そしてそれを子供に信じさせようとしている。時々、それは何だかおかしいぞっていう子どもが出てくるんだけど、学校で教わることは正しいって言われるし、周りのみんなもそれを信じてるっていう状況ではなかなか正常な判断を下せないですよね。それで、『カラスは白い』とか言ってるところには馴染めない、でも周りのみんなはそれを信じてるみたいだし自分が悪いのかもしれない、なんていうことになるんじゃないかと思うんですね。根性がどうとかじゃなくて、昔は『カラスは白い』と言われていたことに疑問をあまり持たなかっただけなんじゃないかな、とか思ったりします。
全然作品の内容について書いてないですけど、「氷の海のガレオン」の方は、とにかく杉子の家族が相当奇抜でなかなか面白いです。なんてったって、子供の一人の名前が「スズキ」ですからね。ある作家のある作品を思い出しましたよ(ってこれだけで分かる人いるかな?分かっても答えは言わないで欲しいけど)。
「父親の職業はなんなのだ」と子供たち三人に問い詰められた時の父親の答えがなかなかかっこよかったです。僕はもし父親になるようなことが万が一にでもあったら、こういうちゃらんぽらんな父親になりたいですね。子供よりもさらに子供っぽい父親になりたいなと思います。
僕は実は話としては「オルタ」の方が好きだったりするんですね。「オルタ」の方は、著者の体験談なのか?というような感じの書き方で、自分でも答えがはっきり分からない、でも決断しちゃった母親の視点で話は進んでいきます。オルタが言葉を言葉通りにしか受け取れないという話がなんとなく僕にも通じる部分があって、親近感が湧きました。小説としての完成度は正直低いと思いますけど、「オルタ」の方が好きですね。
たぶん本書は、学校に馴染めなかった、学校は辛かった、みたいな風に思ったことがある人じゃないとなかなか共感できない作品だろうと思います。クラスのヒエラルキーのトップにいたような人たちが本書を読んでも、「???」って感じじゃないかと思います。そういう意味では川上未映子の「ヘヴン」っぽいですけど、「ヘヴン」ではかなりヘビィにいじめが扱われているのに対して、本書ではほとんどないかあってもかなりライトなので読みやすいと思います。学校が苦痛だったという人、是非読んでみてください。

木地雅映子「氷の海のガレオン/オルタ」



無一文の億万長者(コナー・オクレリー)

志保は穴を掘りながら、小さい頃に掘った穴のことを思い返していた。今の志保が置かれている状況は、あの時の自分の状況とほとんど変わりなかった。志保は自分が、あの時の自分にぴったりと重なっていくのを感じていた。あの時感じていた焦りや、真っ暗闇の中に一人でいるという恐怖、そして掘っても掘っても満足の行く穴を掘ることが出来ない哀しみが、時空を超えて今の志保に受け継がれたかのようだった。志保は気づくと涙を流していた。志保は、あの頃の自分がどうしてあれほど泣いていたのか、きちんと言葉に表すことがまだ出来ないでいる。今の志保も、似たようなものだった。その涙にどんな感情が溶け込んでいるのか、流した本人でさえ見分けることは出来そうになかった。
スコップの感触に慣れた頃には、小さかった自分が掘ったのと同じぐらいの大きさの穴が出来ていた。シャベルで掘っていた頃は、これぐらいの穴が限界だった。それがまるで、自分自身の能力の限界であるかのようで、志保は哀しかったことを覚えている。それでも、あの時はその程度の穴で充分だった。

「失踪シャベル 6-4」

内容に入ろうと思います。
本書は、世界最大の免税ショップDFSを一代で築き上げ、億万長者になりながら、財産のほとんどを存命中にすべて寄付してしまおうとしているチャールズ・フィーニーの話です。
フィーニーは起業家思考のある若者で、とにかく世界中をうろうろとしながら商売の機会をあれこれと探っていた。フィーニーは起業家としてのセンスに優れていて、これはと思うものがあればすぐさま飛び込んでいった。
海軍を相手に、艦船に乗り込みながら免税の酒や車を売りさばくという仕事を始めながら、ハワイやサイパンなどの観光地を開拓し、やがてフィーニーら4人は、世界最大の小売業チェーンを手に入れた。無一文から商売を始めた彼らは、元出がまったく必要のない商売をしていたために株式の公開をするでもなく、DFSは完全にフィーニーら4人の私的企業(こういう表現が正しいかどうかは知りませんけど)であり、彼らは莫大な配当金を手に入れることになった。
しかしフィーニーは、その莫大な富を負担に感じていた。フィーニーをよく知る人間は、「金はかれの得点表だから稼ぐのは好きだけれど、それを持っていることは好まないんだ」と言う。家族のために家を買ったりということはあっても、飛行機の移動はすべてエコノミー、車も持たず、タクシーにさえ滅多に乗らず歩いて移動する。
そんなフィーニーは、DFSの所有者であった時から、自身の持っている株式のほぼすべてを、取り戻すことができない形で自身が作った財団に譲渡するということを考えた。その財団は慈善事業のために作られたのだけど、しかしフィーニーは自身の名が知られるのを極端に嫌った。だからその財団は寄付をする際、どこから金をもらったのかということを決して喋らないように、という秘密保持の原則を守らせることになった。またフィーニーは、ほぼ全財産を失っていたにも関わらず、財団に譲渡したという事実を一切伏せていたために、それから何年も「フォーブス」ではフィーニーを、米国有数の大富豪だと報じることになった。
そんな風変わりな元大富豪の一代記です。
本書を読んだ感想は、フィーニーという個人にはとてつもなく興味が沸くけど、作品としては面白くないな、という感じがしました。
僕は、経済っぽいノンフィクションも時々読むんですけど、面白いものは面白いし、面白くないものは滅法面白くない。本書もその、滅法面白くない方に分類されるなと思います。
どこが悪いのかは、読みながら考えてたんですけど、よく分からないんですね。フィーニーという個人は実ノイ魅力的な人間なので、書き方によってはすごくいい作品になるはずなのに、どうしても読んでて面白いと思えない。強いて挙げれば、本書はフィーニーの個性に焦点を当てるのではなくて、フィーニーの人生を概観するみたいな目的で書かれているみたいで、それがどうしても読者の視点をブレさせるのかなと思ったりしました。
しかし巻末の訳者のあとがきを読むと、原文は実はもっと長かったらしくて、かなり削ったのだとか。著者が高齢で、関係代名詞を多用する古い英文になっているとかなんとか書いてあったので、まあようするに原著者の力量不足ということなんだろうなと思います。
本書で非常に残念だったのが、日本人の描かれ方ですね。これがまあ残念なんです。とにかく本書での日本人の扱いは、「カモ」の一言に尽きます。DFSは、いかに日本人にブランド物を買わせるかによって成長していったかということがものすごくよく分かります。驚いたことに、今ではリゾート地として名高いサイパン1970年代前半にはホテルさえなかったようです。そこでフィーニーが目をつけ、免税店の権利を得る代わりに空港の建設費を負担するという条件でサイパンに進出、空港が出来てまもなく年間10万人の旅行者がやってきたそうだけど、そのほとんどが日本人だったとか。
また、DFSの知名度がまだあまりなく、大手ブランドの品物を置けなかった時、カミュという無名の会社のブランデーを「これが最高級なのだ」という売り文句とともに日本人に勧めて、やがてカミュの市場が出来ていったとか、日本からやってきた農家がズボンを下げて股のところから大量の円を出してきたとか、ほんとに残念な話がたくさん載っています。フィーニーは後にDFSの株を売ってしまうんだけど、それも日本の旅行産業の衰退を見越しての判断だったようです。いかにDFSが日本人旅行者によって成り立っていたかということがよく分かりますね。
僕は基本的に金持ちにはなりたくないと常に思っているんです。金持ちになるとどう考えてもめんどくさいな、と思うんです。周りに寄ってくるのが金目当ての人間にしか思えなかったり、つまらないパーティーがたくさんあったり、人間関係がややこしかったり、税金やらなんやらの書類仕事もあるだろうし、身の安全みたいなものも気を配らなきゃいけないだろうしで、とにかく僕の中で金持ちになることはめんどくさいことだと思ってるんですね。
でももしフィーニーみたいな大金持ちになれるならいいなと思いました。自分は質素で、プライバシーはかなりきっちりと守られ、寄付を通じて自分がやりたいと思うことを何でもやれるというのは素晴らしいだろうなと思いました。もし万が一何かの間違いで僕が大金持ちになってしまったら、フィーニーの真似をしようと思いました。
そんなわけで、フィーニー個人に対する興味は湧きますけど、読み物としてはそこまで面白い本ではありません。退屈すぎて読みながらついうたたねしてしまうような作品です。あんまりオススメは出来ません。誰かもっとちゃんとした人がフィーニーの話を書いてくれるのを期待しています。

コナー・オクレリー「無一文の億万長者」



量子の新時代(尾関章+井上信之+佐藤文隆)

森の入口付近の路肩に車を停める。トランクからスコップを取り出すと、志保は森の入口を進んでいった。マグライトで足元を照らしながら、今日見つけておいたポイントまで慎重に足を運ぶ。
闇は、志保の身体にまとわりついてくるかのように重かった。まるで水の中を歩いているかのように、身体を動かす度にあちこちに抵抗を感じるように思えた。風もなく、森はあまりにも静かで、志保は自分の心臓の鼓動が周囲の木々に聞かれているのではないかと思った。
ポイントまでやってくると、志保はまず持っていたスコップを地面に突き刺した。それから、地面をうまく照らすようにマグライトを固定出来そうな場所を探した。ちょうどいい枝があって、そこにマグライトを挟むようにして固定した。突き刺したスコップを引き抜き、両手で持つと、志保は小さな掛け声と共に最初のひと堀を振りかぶった。地面の柔らかさは確かめていたけど、思っていた以上にスコップは深くまで入っていった。両手に伝わってくる衝撃が、シャベルの時とは比べ物にならなかった。その違和感のある衝撃に志保の両手が慣れるのに、少し時間が掛かりそうだった。

「失踪シャベル 6-3」

内容に入ろうと思います。
本書は朝日新聞の科学記者である尾関章が、物理の研究者二人と共著で、量子論について書いた本です。本書は、著者三人で行ったとある講演を下敷きにして書き下ろされた作品のようです。
本書は三人の著者がそれぞれ文章を書くという構成になっていて、三つのパートに分かれています。
第一章は尾関章。学生時代量子論を学んだもののの、数式を操ることに長けていたものの、数式の意味については納得出来なかった著者は、科学記者としていろいろ取材をして行く中で、苦手意識のあった量子論を少しずつ理解出来たという個人的な経験を絡めつつ、厳密さよりもイメージを優先して、量子論というのはなんとなくこんな感じなのだという、量子論をまったく知らない人でも入り込めるような導入部になっています。
第一章では主に、「とびとび」と「重なり」について大雑把な話がなされます。この二つの特徴は、量子論を決定的に特徴付け、かつ量子論の奇妙さを浮き彫りにするものでもあります。
量子論というのは本当に僕らの常識から相当かけ離れている理論なので、僕がここでざっとどんな感じなのかという説明を書くのは難しいんだけど、「とびとび」と「重なり」についてざっと書いてみます。
まず「とびとび」について。僕らは普段、あらゆる出来事は連続して起こっていると感じていると思います。たとえばボールを投げた時、放物線の軌道を取りますけど、それは滑らかに繋がっていてどこかで不自然に途切れたりしているわけではありません。僕らの普段みているマクロな世界では、世界は連続しているように見えます。
でも、量子の世界であるミクロな世界では違います。例えば原子の周りを回る電子の状態は不連続(物理の言葉では離散的といいます)です。原子の周りを回る電子のエネルギーは、例えば「1から10までの間のすべての実数(少数も入る)を取る」というのではなくて、例えば「1、4、7、9のどれかの値しか取らない」というように不連続な感じになっています。これをさっきのボールの軌道の話で書けば、「ボールは放物線軌道のすべての点を連続して通る」ではなくて、「ボールはA点、B点、C点、D点のみを通る」というようなものです。これがまず量子論の奇妙さの一つ。
そしてもう一つが「重なり」です。量子は、いくつかの状態が重なった状態だとされています。例えば、第二章で書かれている話ですけど、「世界で最も美しい実験」の一つに選ばれている、日立製作所のフェローである外村彰さんが行った二重スリット実験があります。実験の詳しい説明は省きますが、要するにこの実験によって、『一つの電子は、二つのスリットを同時に通っている』ということが実験で確認されたわけです。これをマクロの世界の例で書けば、『ある部屋にドアが二つあって、X君はその部屋に入る時にその二つのドアを同時に通った』と言っているようなものです。
この実験結果から、電子は『Aというスリットを通った状態』と『Bというスリットを通った状態』が重ね合わさっているという認識がされています。僕らの常識からすれば考えられない世界ですが、量子の世界ではこれが実験結果として出ているわけです。
またこの「重なり」の話から、多世界解釈というとんでもない話も出ています。量子論というのは実に厄介な理論で、数式で計算する分にはこれほど世界をうまく記述する理論はこれまでになかったと言っていいほどの理論なんだけど、でもその数式をどう解釈するのかという点では物理学者の間でも意見が分かれている。その解釈の一つが多世界解釈です。
先程、量子はいくつかの状態が重なった状態にある、と書きました。多世界解釈では素直にそれを、別々のパラレルワールドに存在する状態が重なっているのだ、と解釈します。例えば面接を受けた会社からメールが送られたとしましょう。そのメールの中身を読むまでは、採用されている状態と採用されない状態の二つの状態が存在している。僕がそのメールの中身を開いた瞬間に、僕らはどちらか一方のパラレルワールドに振り分けられることになる。例えば僕が採用された世界に振り分けられたとして、しかし一方で僕が採用されなかったパラレルワールドもどこかには存在している、という考え方です。そうやって世界は無限に分岐を繰り返して行く、というのがこの多世界解釈です。
SFじみた話で荒唐無稽に思われるかもしれませんが、しかしこの多世界解釈の考え方は、その考え方が正しいかどうかは別として、新たなムーブメントを生むことになりました。それが、第二章でも扱われる量子コンピュータなどの量子情報科学と呼ばれる分野です。
第二章は、尾関章が井上信之にインタビューをするという形式で進んでいきます。井上は元々電電公社(現NTT)で光ファイバー通信の研究をしていました。光ファイバーの研究で障害となったのが、量子雑音と呼ばれる量子論特有のものでした。そこから井上は量子雑音をいかに消すかという研究に入るわけですが、ある時渡英した際に、後に量子暗号の立役者の一人であるエカートという人物と出会います。量子暗号というのはまた後で書きますけど、井上はそれまで量子雑音という邪魔者を消すという研究をしていたわけですけど、量子暗号では量子特有の奇妙な性質を逆に利用してやろうという発想があって、それに感動した井上は、それから量子情報科学の分野を研究することになったようです。
第二章では、井上がいかに量子論と関わってきたのか、現在の量子論をどう感じているのかという話もありますが、やはりメインになっていくのは井上の研究分野でもある量子情報科学の話です。
量子情報科学の分野で有名なのは、量子コンピュータ、量子暗号、量子テレポーテーションの三つです。
先に、さっき書いた多世界解釈と関わりのある量子コンピュータについて書きましょう。これは実用化にはまだ程遠いものみたいですけど、さかんに研究がなされています。
普通のコンピュータは0か1のどちらかの状態を取った形で情報を処理しますが、量子コンピュータでは0と1の重ね合わせの状態である量子ビットと呼ばれるものを使います。詳しいことは説明できないんで省きますが、量子コンピュータというのは要するに、計算を相当たくさんの並行世界(パラレルワールド)に分散させて計算をするから速い、という仕組みなんだそうです。
僕が本書を読んで初めて知ったのは、量子コンピュータというのは100%性格な答えを出すという性質のものではないということでした。というか、間違った答えもかなりの確率で出すみたいです。だから、検算の出来る計算をやらせるのに適しているみたいです。例えば因数分解があります。めちゃくちゃデカイ素数の因数分解は、普通のコンピュータでは宇宙が出来てから現在までぐらいの時間が掛かりますけど、量子コンピュータではすぐ出来る。でも答えが正確ではないかもしれない。でも、元の素数を量子コンピュータの計算で出てきた答えで割れば、正しいかどうかはすぐ分かる。量子コンピュータで何回か計算すればいずれは正しい答えが出てくるはずだから、因数分解なんかには適しているんだそうです。
量子コンピュータは現在どこまで進んでいるかというと、「15=3×5」という計算が出来たみたいです。実用化にはほど通そうですね。でも具体的にどんな風にやったのかというのをそのまま写すと、
『試験管の液体の中に、七つの原子からなる分子を10の18乗個入れて、原子核のスピンという性質を使って量子コンピュータに必要な重ね合わせ状態を作ったのです。これでショアのアルゴリズムを実行して「15=3×5」の素因数分解を解いてみせました』
となります。液体の中に七つの原子とかいう時点で、僕らが想像できるようなコンピュータではないな、ということが分かりますね。僕が生きてる間に実用化するかなぁ。
量子暗号については、サイモン・シンの「暗号解読」という本で読んだことがあります。「暗号解読」はメチャクチャ面白い本なんでオススメです。
量子暗号の肝は、量子の重ね合わせの状態を「盗聴」した時に、その痕跡が残ってしまうという点にあります。これは量子論特有の現象で、これをうまく使えば、相手に暗号の鍵を送る際、送られた側は「盗聴」されているか否かをチェック出来るので、「盗聴」されていうない鍵だけを使うことが出来るわけで、最強の暗号だと言われています。この量子暗号はもう理論的には実用化の域まで達していて、あとはインフラとコストの問題だけみたいです。現在のRSA暗号がなくなるのも時間の問題かもしれません。
量子テレポーテーションについては、原子レベルでの実験に成功したというニュースを昔みたことがあります。これは、うまく説明できないので省きますが、あのアインシュタインが量子論に疑義を呈した際に考え出した、『量子の絡み合い(エンタグルメント)』という考え方を利用しています。ただこれによって人間をテレポーテーションするのは難しいだろうし、そもそもテレポーテーションした後に何らかの古典的なやりとり(電話など)によってある情報を伝えなければテレポーテーションを完了できない(電話などによって伝えられる情報が来るまでは、テレポーテーションされた情報は別の形になっているようです。それを、電話などで伝えられる情報によって復元しなくてはいけない)ようなので、結局は光より早く移動するということはできないことになります。まあ第二章はそんな感じ。
第三章は、一般向けの物理の本なんかをよく書いている著者の章。ここでも量子論の不可思議な側面についていろいろ書いてはいるんですけど、正直第一章や第二章よりも書き方が難しい気がするんで、第三章の量子論に関する部分は飛ばしてもいいかもしれません。
僕が面白いなと思ったのは、アインシュタインについてです。アインシュタインと言えば、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉で、生涯に渡り量子論を否定し続けた人というイメージしかなかったのですけど、そもそも量子論の初期の段階で量子論の発展に貢献した立役者の一人だったというのは知りませんでした。また、アメリカに亡命した後同僚に言った言葉らしいですけど、「私は一般性相対論についてより100倍も量子論について考えた」と言ったようです。それだけ考えに考えて、でも量子論は間違っていると言い続けたアインシュタインは、結局間違っていたというイメージしか定着しなかったわけですけど、アインシュタインがいたからこそ量子論が進展したという部分もあるのだなと思うとまた新たな一面だなと思いました。またアインシュタインが量子論に疑義を呈したことで有名なEPR論文は、今量子情報科学の中でさかんに引用されているわけで、やっぱりアインシュタインは凄いのだなと思いました。
長々とあれこれ書きましたけど、量子論についてちょっと興味はあるけど難しそうという初心者の方に結構いいんじゃないかなと思いました。もちろん結構簡単に書かれているとは言え量子論そのものが難しい(というか常識破り)なので、量子論初心者の方にはなかなかハードルが高く見えるかもしれませんけど、でも本書を頑張って読んでみれば、他の量子論の本を読むベースにもなるんじゃないかなと思いました。理論だけではなくて、量子情報科学など最新の研究なんかについても触れられているので、浅いけどかなり広い範囲についての知識を得られる本だと思います。なかなか面白いと思うので読んでみてください。

尾関章+井上信之+佐藤文隆「量子の新時代」



トワイライトミュージアム(初野晴)

車に乗り込んで、うしっと小さく声を出して気合を入れた。アクセルを恐る恐る踏み出す。普段買い物に行くのとは違う方向にハンドルを切る。慣れた道なら暗闇でも恐れることはないのかもしれないけど、真っ暗の中慣れない道を進んで行くというのはやっぱり怖い。
しばらく進むと、街灯も増え、人や車の気配も増えてきた。志保が普段行く方面ではないが、こちらにもスーパーやファーストフード店などが並んでいる町がある。今ぐらいの交通量なら普段だったら余裕で運転出来るのだけど、今日はとにかく事故を起こさないように慎重に運転した。
しばらくすると、また人気のない道を進んで行くことになった。徐々に明かりは減っていき、車も人も見えなくなっていく。既に森までの一本道に入っていて、昼との景色の違いに驚いた。夜の森にはこれまでも何度も来たことがあるから、そんなに珍しいはずはないのに、忘れていた事実を突きつけられたかのような感覚があった。もっと落ち着かないといけないと思った。冷静にならないといけない、と。

「失踪シャベル 6-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、初野晴の最新作(たぶん)です。もともとは雑誌に短編として発表した作品に大幅に加筆して、長編として出したみたいです。
主人公の勇介は中学生だけど、身寄りがなく、施設で天涯孤独のまま生活している。そんなある日、勇介の大叔父だという人物から、引き取りたいという申し出が来る。これで人生がうまく行くはずだと勇介は期待していた。
しかし、大学教授だった大叔父は、勇介と再会して間もなく事故死してしまう。また施設に戻るのかと思っていた勇介は、牧村という男に声を掛けられる。なんと大叔父は、自分が死んだ時のために勇介に遺言を残していたというのだ。
そうして勇介は、転売は出来ないという条件で、ある博物館を手に入れることになった。
その博物館は普通の博物館ではなかった。そこでは、大学教授であり館長でもあった大叔父の特殊な実験が行われていたのだった。特殊な能力を持つ枇杷という女性を中心に、大叔父が提唱していた医学的なある仮説を検証するために、壮大な実験が行われていた。
勇介は、その実験の要を握る役を担うことになった。枇杷と共に過酷な過去の旅ヘと向かう勇介は、かつて施設で一緒だったナナという女の子を救うべく知恵の限りを振り絞るのだが…。
というような話です。
初野晴はファンタジックミステリを書く作家だとよく言われるけど、正直僕がこれまで読んできた作品はファンタジックミステリという感じではないなというようなものばかりでした。でも本書は初めて、なるほどこれはファンタジックミステリだなと思うような作品だったなと思います。
一応タイムトラベルものではありますけど、かなり変わった設定になっています。タイムトラベルというのは実は、物理の世界では否定されてはいないんですね。実際に、こうすればタイムトラベルが可能だという理論(まあ、すべて未来に行くものばっかりですけど)はいくつもあります。ただ、それを現実に実行するのは相当困難だ、というだけなんですね。
本書では、現在存在する物理学の理論に引っかからずにタイムトラベルを成し遂げるために、意識だけ過去に飛ばす、という形でのタイムトラベルが描かれます。詳細については実際読んでもらわないとうまく説明できないんだけど、タイムトラベルが医学的な事実と絡み合っていて、正直本書で描かれていることはありえないと分かってはいるけど、でももしかしたらありうるかもなと思わせるような、そういううまい設定がなされているなと思いました。
ただ、正直なところ、タイムトラベルで向かった先の世界が僕にはあんまり興味が持てなかったので、作品全体としてはまあまあという感じだったなというのが感想です。
タイムトラベル先は、魔女狩りが行われていた時代のヨーロッパです。僕はホントに歴史とかが大嫌いで、日本史も世界史もまったく興味がなくて、学校の授業でも政経とかをやってたような、そんな人間なわけです。だから、魔女狩りを行って要るヨーロッパの描写がすごくきちんとしていると思うし、ストーリーの展開もうまいと思ったんですけど、やっぱりその時代背景にまったく興味が持てなかったので、ちょっとなぁという感じがしました。
あと、これは短編を長編にしたということを知ってしまったからそう思うのかもしれないけど、長編にしては書き込みが足りないなという感じがしました。うまく説明できないんだけど、なんかちょっと展開が性急だったり、足りないなと感じる部分があったような気がします。特に僕は、枇杷の過去とか正体とか人生とか、そういう部分の書き込みみたいなものがちょっと足りないかなという気がしました。
まあでも、タイムトラベルのために博物館を所有するなんていう発想はさすがだなと思うし、相変わらずどこから仕入れてくるんだというようなマニアックな知識もたくさんあったりして、ベースの部分での実力はやっぱりかなりある作家だなと思います。タイムトラベル先の世界に僕がもう少し興味を持てたら、僕の中でかなり傑作だという評価になったかもしれないと思います。
そんなわけで、魔女狩りの世界に興味が持てなかったために、作品全体としてはあんまり高く評価はできないんですけど、やっぱり実力のある作家だなと思います。これからも注目していく作家になるだろうなと思います。設定が奇抜でありながらかなりきちんとしているし、これまでにはなかったようなタイムトラベルものの作品なんで、興味のある人は読んでみて下さい。

初野晴「トワイライトミュージアム」



任天堂 驚きを生む方程式(井上理)



部屋着のズボンだけジーンズに履き替えて、上は部屋着のまま薄いカーディガンだけ羽織った。家を出る前に、朝から炊飯器に残っていたご飯をラップで包んで冷凍庫に入れた。災害用に常備してあるマグライトを、リビングの引き出しから探し出して、ジーンズのポケットに入れた。
車の鍵を持って外に出ると、辺りは真っ暗だった。元々街灯は少なく、深夜までやっている店も近くにはほとんどないので、夜十時も過ぎれば、周囲は真っ暗になってしまうのだ。
志保は、闇をかき分けるようにして車へと向かった。去年合宿で免許を取って以来、運転する機会はそれなりにあった。大学へは電車で充分だと思っていたけど、大学生になって日常的な買い物を志保がするようになると、車に乗らざるを得なかった。でも、基本的に夜はお母さんが職場に行くのに使うため、夜運転する機会はほとんどなかった。僅かながら不安を感じる。

「失踪シャベル 6-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、『日経ビジネス』の記者が書いた任天堂についての本です。任天堂という会社は、自社のことについてあまり語りたがらない会社らしく、任天堂について書いた本というのは実に少ないみたいです。著者は、『日経ビジネス』の取材を通じて、任天堂の様々な人間と話をする機会に恵まれ、こういう作品を書くことが出来たみたいです。
本書では、任天堂に関する様々なことが描かれます。大雑把に言って、「WiiやDSについて」「人について」「社風について」という形に分けていろいろ書いてみようと思います。
まずWiiやDSはいかにして生まれたか、という話。任天堂は当時、PSやPS2に押され、ゲーム会社としてソニーにかなり水を空けられていたようです。そんな状況の中で社長の岩田は、ゲームから人々がどんどん離れている、と分析します。ゲームが重厚長大になっていくにつれてどんどん敷居が高くなっていき、昔はやったけど…という人がどんどん増えていっているのではないか、と考えたわけです。そこで岩田は、ハードの性能を上げる競争から降り、ゲーム人口拡大路線という方向へと舵取りしていくことになります。
その思想が製品の形として結実したのがDSとWiiです。
僕は実はDSとかやったことないんですけど、DSというのは二画面で、一画面はタッチパネル式という、非常に直感的な操作の出来るハードで、これによってゲームから離れていた人間を呼び戻すことに成功します。
その後任天堂はWiiを出します。このWiiはどんなコンセプトで開発されたのかというと、「お母さん至上主義」なんです。
とにかく、お母さんに嫌われないハード、ということを徹底して考えぬいたハードです。子どもがゲームをやった後コントローラーを片付けていないときーっとなる、家には既にゲーム機がたくさんあってお母さんはさらにもう一台はいらないと思ってる、ハード本体がデカくて邪魔、などなど。Wiiはそれらの「お母さんが嫌がるポイント」をいかにして排除していくかという発想で生み出されていきます。
一番技術力を使ったのは、筐体自体をものすごく小さくしながら、一方で消費電力をどこまで抑えることが出来るか、という点だったようです。元々インターネットに接続するというアイデアがあったWiiですが、もし夜中ファンを回さなくてはならないような電力消費量だと、お母さんはうるさくてコンセントを抜いてしまう。だからこそ、とにかく岩田は、寝ている間はファンを回してはいけないと言い続け、技術陣にとって無謀な挑戦をさせることになりました。
しかしその甲斐あってWiiは成功を収めることが出来たわけです。
さて、「人について」という話を書きましょう。本書でメインで取り上げられる人は、社長の岩田、「マリオ」などを生み出した世界的に有名なゲームクリエイター宮本、ゲームボーイを生み出した横井、そして前社長の山内です。
岩田は元々、任天堂のゲームのソフトを作る会社にいた人間で、自身でもソフトの設計が出来るくらいソフトについて造形がある。DSの「脳トレ」シリーズを企画・製作したのも社長の岩田です。
岩田はとにかく、あらゆる人の話を丁寧に聞いて指示や決断をする合議制。後でも書くけど、前社長である山内とは真反対の経営者です。岩田が山内に請われて社長に就任した際まずしたことは、社内すべての部長と自身が担当する開発部の人間の全員と個人面談することでした。その数約200人。元々任天堂の社員ではなく、また前社長がカリスマ的な存在感を持つ男だったわけで、いきなりやってきて俺の指示通り動けと言っても動くわけがない。だから膝を突き合わせて話すことにしたというのだけど、やろうと思ってもなかなか出来ることじゃない。
しかもWiiの発売の際に、任天堂のホームページに、「社長が聞く」と題して、岩田が社内のあらゆる人間に自らインタビューをする、という企画をやった。その時に驚かされるのが、岩田が社内の人間を実によく把握しているということ。どこの会社から移ってきて、今何をしていて、誰の下についているのかをちゃんと把握している。なかなか型破りな経営者だなと思います。
宮本は、日本よりもむしろ世界で有名な日本人で、「世界に影響を与えた100人」というアメリカの新聞だか雑誌だかのアンケートで常にランクインされるとか。
そんな宮本にはもちろん、ウチに来ないかと多額の金を積まれてオファーの話があるのだけど、宮本は任天堂から動かない。それは、任天堂の社風を気に入っているというのと、開発費に関してうるさいことを言われないということがどれだけ素晴らしいことかということに若い時に既に気づいていたということに尽きるようです。
その宮本ですけど、今でも謙虚なゲーム作りを心がけているようです。自分の作っているゲームの途中で、社内から普段ゲームをやらない人間を引っ張ってきて、そのゲームをやらせてみる。その様子を後ろから見て、なるほどあれには気づいてもらえなかった、あれは難しかったかと反省して作り替えるのだそう。「いつも、これからゲームに引きこもう、という人を相手に作っているので、今、ゲームに熱中している人の意見は当てにならないところがある」
と言い切る宮本は、ゲームをやらない人間の視点を常に理解する「肩越しの視線」という意識で常にゲームを作り続けている。
ゲームボーイを生み出した横井は、任天堂のゲーム作りの思想に大きな足跡を残した。
花札やトランプを作っていた頃の任天堂に入社した横井は、伸縮し物を掴むことが出来る「マジックハンド」を商品化し、それまで任天堂内にはなかった「開発課」を与えられ、そこで開発に勤しむことになる。
好きな人と手を握って愛を測定するという「ラブテスター」や、光線が出るわけでもないのに的に照準が当たると反応する「光線銃」、一世を風靡した「ゲーム&ウォッチ」など、任天堂のヒット商品を次々に開発した。
その思想は、「枯れた技術の水平思考」だ。横井は、新しい画期的な技術をゲームに活かしたわけではない。むしろ、既に存在していて枯れかかっている技術を新しい使い方をすることで、驚きを生み出す魔法のような発想を持つ人間だった。
ゲームボーイを作っている時も、既に小型のカラーディスプレイは存在していた。しかし横井は白黒にこだわった。結果的にそれが、ゲームボーイの飛躍的な成功に繋がることになる。そしてその横井の精神は、WiiやDSの開発にも活かされているのだ。
前社長の山内は、直感によって経営する神がかった男だったようです。山内は、主力商品が花札だった頃、若干22歳で社長に就任した。その際、「山内家の人間は、自分一人で充分です」と、親族の排除を条件として社長に就任したというのだから既に器が違う。創業家の人間とは言え、ボンボンに何が出来ると思われ辞めていった人間もいたが、山内は天国と地獄を繰り返しながらも、任天堂を一代で世界的な企業に押し上げた。
山内自身はゲームをやるわけでもないし、クリエーター的な気質があるわけでもない。しかし山内の鶴の一声は結果的に正しい方向をさしていて、今でも社長の岩田などはどうしてそんなことが分かるのかと驚くという。直感によって経営し、運が会社を左右すると言って憚らない異端の経営者だったようです。
山内は、『娯楽はよそと同じが一番アカン』と常に言っていて、何かを作ってもっていくと、『それはよそのとどう違うんだ』と聞かれる。そこで『いや、違わないけどちょっといいんです』というのが一番ダメな答えでものすごく怒られるのだ、という。娯楽屋に徹することに決め、ソフト的な体質によって任天堂を舵取りしていった名経営者です。
さて、最後に「任天堂の社風」についてあれこれ書こうと思います。
任天堂には、社是みたいなものが明文化されていない珍しい会社みたいです。でも社員みんなが、「任天堂らしさ」を共有出来ている。それは、事業を拡大させないという点でも貫かれています。
任天堂はあくまでも娯楽屋。Wiiの成功によって、インターネットやテレビの世界で覇権を握ることが出来るような状況を手に入れることが出来ている。しかし任天堂は、敢えてそこまで踏み込まない。インターネットやテレビなどに事業については、外部に委託してしまう。任天堂はあくまでもゲームを作る会社、それ意外はやらないという徹底的な思想があるようです。
売上は驚異的に伸びているのに、社員の数はほとんど増えない。会社の規模も一向に大きくならない。じゃあ余剰資金を投資に回しているのかというとそれもなく、キャッシュとして持っている。ゲームという当たり外れの大きい業界で堅実にやっていくために必要なことのようだけど、そういう目先の利益に囚われないというのは凄いなと思います。
任天堂は娯楽屋に徹することで、他の家電メーカーにはない強みを得ることが出来ています。
家電などは、生活に必要なものだから、ちょっとぐらい操作性が悪くても説明書を見てもらえる。でもゲームは、あくまでも娯楽だから、めんどくさかったりつまらなかったりわかりにくかったりしたらすぐ飽きられてしまう。だからこそ、気持ちよく遊んでもらえる努力をずっと続けてきた。
その姿勢が、Wiiで結実する。Wiiリモコンは、テレビのリモコンとしても使えるみたいなんだけど、その使い勝手がどの家電メーカーが開発したインターフェースよりも使い勝手がいいらしいんです。宮本は、「家電屋さんはインターフェースという部分で何かをサボっている」とまで言っています。これはまさに、娯楽という役に立たないものを作り続けてきた会社だからこその成果でしょう。
製品の耐久性についても様々に伝説があるようです。ゲームキューブを車で引きずり回しても使えるみたいな映像がユーチューブにあるらしいし、エベレストに登頂した登山家が持っていったDS、ノートパソコン、MP3プレーヤーの内DSだけが壊れなかったという話もあるようです。DSやWiiについても、自社内の耐久テストの基準はかなり厳しいようで、これもすぐ壊れるようなものを作ったら見向きもされなくなるという恐怖感からだそうです。
またサポートの手厚さも有名だそうで、あるユーザーが壊れたDSを修理してもらおうと送ったところ、後日やはり修理するのは難しかったらしく新品が送られてきた。しかしその新品のDSには、前の壊れたDSに貼ってあったシールがきちんと貼り直されていた、なんていう話もあるようです。
他にも任天堂について様々に驚きべきことが書いてある本です。かなり面白い作品でした。僕個人としては、娯楽屋に徹することで飽きられない努力を続けた結果、家電メーカーが太刀打ちできないインターフェースを生み出すことになった、という部分がかなり印象的でした。これは、同じく娯楽である本にも共通するのではないかと思いました。実用書やビジネス書でもない限り、本も娯楽のために存在しています。であれば任天堂のような哲学はかなり参考になるのではないかなと思いました。まあそんなわけで、すごく面白い作品でした。僕のようにゲームをほとんどやらない人間でも充分楽しめます。是非読んでみてください。

井上理「任天堂 驚きを生む方程式」



日本語は天才である(柳瀬尚紀)

一人だけ、思い当たる節はあったのだけれど、すぐさま頭の中で打ち消した。連絡しなきゃいけない義理なんてないはずだと志保は信じた。
 洗い物をして、志保は部屋に戻った。それまでも一人で住んでいたような家だったけど、今日はいっそう広々として、そして寒々しいと感じた。それはお母さんがいなくなったことの痕跡なのか、あるいは自分自身がなにか大きく変化してしまった結果なのか、志保には分からなかった。
「どっちだと思う、マルイさん」
 マルイさんの隣に置いてあるシャベルの赤さが増したような気がした。剥げかけた塗装が少しだけ元に戻っているような、不思議な感覚だった。
「そんなことあるかな?」
 志保はマルイさんと会話し続けながら、夜が更けるのを待った。

「失踪シャベル 5-6」

というわけで、本日二度目の更新。こんな時間に更新してるのは、なんだか途中でうっかり寝てしまったから。おかしいなぁ。
著者は、翻訳不可能と言われていたジェイムズ・ジョイスという作家の「フィネガンズ・ウェイク」という作品を訳した翻訳家として有名です。他にも、「ユリシーズ」や、「チョコレート工場の秘密」などロアルド・ダールの著作を翻訳している訳者です。
本書はタイトル通り、いかに日本語という言語は素晴らしいのかということについて書いたエッセイです。
著者は、日本語についても英語についてもほどほどにしか知らない、と言っています。まあもちろんそんなわけがないんですけど、少なくともどちらも専門家と言えるほどではないみたいではあります。日本語がいかに素晴らしい言語であるかということも、大学の職を辞して翻訳家として仕事を初めてから気づいたと書いています。
なので本書も、翻訳に関わる日本語の話が結構多いです。しかも、一見するときっちり日本語にするのは難しいのではないかと思われるような翻訳についてです。
例えば英語だと韻を踏むなんてことをよくやりますけど、それを日本語訳で表現したり、あるいはダブルミーニングのような要素を含んでいるような文章をいかにして訳して来たか、というような話です。月と太陽の話とか、たまねぎの話とか、なるほどなかなか日本語訳が難しいだろうなと思う訳も、日本語があまりにも幅広くいろんな部分をカバーしているからなんとでもなる、ということですね。
他にも、敬語や方言の話、正しい日本語の使い方など、割と一般的な話題もありますけど、ひらがな48字を一回ずつ使って著者が作ったたくさんの文章が載ってたりとか、かつての識者がルビを廃止しようと、あるいはルビに限らず漢字さえも廃止しようとしていたなんていう話も出てきます。著者が興味の赴くままにいろんな日本語についての話を書いているという漢字ですね。
ちょっと時間も時間なので、本書の中でなるほどと思った文章を二つ抜き出して感想を終りにしようと思います。
まずは、著者がこれまで聞いてきたいろんな日本語の間違い(身をコナにして働く、など)を例に出して、その後でこう続けます。

『わき道にそれましたけど、日本人でも年齢に関係なく、学歴や社会的地位に関係なく、日本語は不完全だし、よく間違えるということを言いたいのです。とくに若い読者にそれを言いたい。若い人たちの日本語は、語彙があまりに乏しい。嘆かわしいくらいに乏しい。それは今の時代にかぎらなくて、ぼくらの世代もそうだったし、ぼくら以前の世代もそうだったでしょう。』

僕もそれはよく思うんですよね。大人はよく、最近の若者はとか言いますけど、自分たちが若い頃はどうだったんだろうな、と思ったりします。いいじゃん、若い内は、間違ってたって。それから年を取っても一向に直らないというんであれば、非難されるべきかもしれないけど。
さてもう一つ。こちらは、なんでも「お」をつける風潮(「おビール」など)に世間は苦言を呈しているようだが、と前書きした後で、日本語についての大家である大野晋の著作「日本語の年輪」からこういう文章を引っ張ってきている。

『「お財布を落としてしまったものですから」というような言い方をした場合に、その財布は話手のもので、相手のものでも、尊敬する人のものでもなく、また、尊敬する人に対するものでもない。しかし、財布を話題にするときに、それに「お」をつけることによって、その話題の場全体を尊敬的な、丁寧なものとして考えていることを話手が示すのである。だから、料理屋で、女中さんたちが、「おビール」「お手ふき」「おてもと」などと、何にでも「お」をつけるのは、話題全体を尊敬的に扱っていることを示すもので、あまりそれを責めるのは、酷いことだということになろう。』

バイト先でレジに入っていると、隣のレジにいるスタッフが、「レシートをお挟みになって」とか言っていたりする。僕からすると、なんだか耳障りな言い方だなとか思うし、気が向いたら注意するんだけど、この大野晋という方の意見では、まあいいじゃん堅いこと言うなよ、ということになるんでしょうね。いや、ぼくらからすれば、多少気が楽になる意見ではありますけどね。
まあそんなわけで、思っていたほど面白かったわけではないんですけど、なかなか興味深い本でした。確かに、日本語というのは天才だなと思いました(まあ著者の訳者としての実力も凄いと思いましたけど)。自分たちが普段何気なく使っている言葉を新たな視点で見ることが出来るかもしれません。読んでみてください。

柳瀬尚紀「日本語は天才である」



Google グーグル革命の衝撃(NHKスペシャル取材班)

「話は諒解しました。こちらでも心当たりをいくつか当たってみます。志保さんでしたっけ?あなたの方からも、何か分かったら連絡をいただけるかしら」
「はい、分かりました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「あなたが謝ることじゃないわ。何か相談があったら言ってちょうだい。涼子ちゃんにはいつも助けてもらっているんだし、遠慮しないでいいわ」
「ありがとうございます」そう言いながら志保は、柊さんに何か相談することはきっとないだろうと考えていた。
「じゃあ何か分かったらお願いね」
「分かりました」
 電話が切れると、志保は他にも連絡しなくてはいけないところがあるかどうか考えた。志保が高校時代までは普通に昼の仕事をしていたから、お母さんの交友関係もそれなりに知ってはいた。月に一回俳句を詠むグループの人や、町内会の飲み会で仲良くなった近所の人、時々同窓会にも顔を出していた。でも、夜の仕事をするようになってから、お母さんの交友関係も大分変わったことだろう。そもそもお母さんと生活時間が合わないし、時々顔を合わせることがあっても、その頃にはもうあまり喋らなくなっていたから、お母さんの今の知り合いについては知る由もなかった。

「失踪シャベル 5-5」

内容に入ろうと思います。
本書は、「NHKスペシャル」っていうテレビ番組(で合ってるんだよなぁ。見たことないから間違ってるかも)で組まれたグーグル特集を書籍化したものです。
僕は昔、Google創業者の二人がいかにGoogleを作り上げたか、というノンフィクションを読んだことがあるんだけど、本書はどちらかと言えば現在そして未来のグーグルについてかなり言及している作品で、会社創業記みたいな作品ではありません。
第一章は、グーグルとはこんな会社だ、というような紹介になっています。普段どんな風に仕事が行われているのか、創業者の二人がどんな風な思考を経てGoogle創業に至ったか、どうやって収益を生み出しているのか、と言ったようなことです。
第二章は広告について。グーグルは、検索連動型広告という新しいタイプの広告を考えだしました。これまでは、テレビCMや新聞広告など、より多くの人に見せる広告ばかりだったのだけど、それは関係のない人にも広告を見せることになって効率が悪い。検索連動型広告の場合、ある言葉を検索した人に、その言葉に関連した広告を表示するというもので、これによって広告の世界はどのように変わっていったのか、という点が概略されます。グーグルの広告だけで生活をしている、なんていう人の話も出てきます。
第三章は、グーグルのメディアとしての側面についてです。グーグルという会社自体は、何らかの情報を発信するというわけではありません。それでも、地球上のありとあらゆる情報を集め、整理し、それを求めている人に的確に届けるという点で、既存のメディアの枠を超えた包括的なメディアとしての役割を担うことになりました。コンピュータがニュースを編集したり、Youtubeを買収したり、図書館の本をスキャンしてデータ化したりと、グーグルの領域はどんどんと広がっていきます。
第四章は、検索順位の謎についてです。グーグルは、検索順位を決定するアルゴリズムを公表していません。一方でありとあらゆる企業は、グーグルの検索順位をいかにして上げるかという熾烈な競争を行っています。その現状についてリポートする一方で、「グーグル八分」と呼ばれる、突然グーグルの検索に出なくなってしまった会社の話も取り上げられます。
第五章は、個人情報や監視社会についての話です。グーグルは今、様々なサービスを無料で提供していますが、それは一方でユーザーのデータを蓄積していくための布石であるという風に見られています。僕らはグーグルの様々なサービスを使うことで、年齢や性別などの基本的な情報から、「今どこで何をしている」といったタイムリーな情報まで、ありとあらゆる個人情報をグーグルに保管されることになっています。グーグルは個人情報の扱いについては厳重にしているとは言っているけど、集めた個人情報をまったく使わないということもないだろうと言われています。グーグルの姿勢次第では、ジョージ・オーウェルが「1984」で書いたような監視社会がやってくるのではないか、という話です。
第六章は、うまくまとめるのは難しいですけど、著作権や独占禁止法の問題や、あるいは先進国で唯一シェアを奪えていない日本への参入、今後グーグルはどこまで突き進むのか、といったようなことが書かれています。
第七章は、グーグルの登場によって変化してしまったライフスタイルについて書かれています。検索することで情報を一瞬にして呼び出すことが出来る。また、自分の嗜好に合わせた情報が送られてくるようになるかもしれない。しかしそれは、個人の判断の領域を侵すことになるのではないか。
あるいは学生は、何か調べ物をする際まずグーグルで調べるという。他の情報収集の仕方はほとんど知らない、という学生も多い。かつて情報を得るには、図書館に通ったり人から話を聞いたりととても面倒なことをたくさんしなくてはいけなかった。しかしその過程で情報が整理され、その人独自の考えが生まれる下地になっていったはず。現在では、知りたい情報は一発で見つかるけど、個々人の考える力がどんどん奪われていっているのではないか、というような話でした。
大体こんな感じの作品です。
これはなかなか面白い作品でした。たぶんですけど、僕が読んだグーグルについての本はこれが二作目だと思います。NHKの取材班が番組のために半年掛けて取材したというだけあって、実に密度の濃い作品になっています。
本書は親本が2007年の5月に出ているんですけど、文庫化に際しなるべく最新情報をプラスするようにした、と書いています。とは言え、たった二年でもグーグルは異常なスピードで成長しているわけで、内容は若干古くなっている部分はあるのかもしれません。そういう意味では、グーグルマニアというか、グーグルを結構好きで昔からいろんな形で注目していたような人には当たり前のことが書いてあるのかもしれません。ただ僕のように、グーグルで検索(まあ正直ヤフーで検索する方が多いですけど)ぐらいはするけど、そこまでグーグルの機能を使っているわけではないという人間にはなかなか面白いんじゃないかなと思いました。
第一章には、エピソード的なことがいろいろ書いて会って面白かったです。Googleみたいな会社をもともと作ろうと思ってたわけじゃなくて、バックリンク(あるサイトがどのくらいリンクされているか)を調べる研究をしている際に、より効果的な検索のやり方を思いついたという話や、初期のグーグルは家庭用のパソコンを何台も繋げて巨大なコンピュータを作っていて、それがなんとスーパーコンピュータの専門家さえ見たことがなかったくらい高性能だったこと、電気代込みという契約でデータセンターの契約をしていたところ、Googleの使用電力があまりにも多すぎて、いくつものレンタル会社を倒産させたことなどなど。
あと、これは有名な話なんでしょうけど、Googleの社内は福利厚生から食事、ジム、遊び道具など何でも揃っていて、エンジニアの楽園と言われているようです。
第二章の広告の話でも、興味深い話がいろいろありました。Googleの広告を使って売上を飛躍的に伸ばした会社の話や、自身のホームページにGoogleの広告を張ったことで大金持ちになったインドの若者の話など、それまでの広告の世界ではありえなかったことが起きているみたいです。検索順位を上げるSEOという手法がかなり一般化していること、検索の上位に出ないと一般の人にとってはそもそも存在していないのと同じことだなど、Googleの登場によって広告の世界が様変わりしたようです。
第三章には、書店員としてはちょっと気になる、グーグルブックの話題が載っています。これは日本の作家団体がいろいろ揉めたりとかしていてなかなか交渉が難航しているみたいだけど、グーグルは世界中のありとあらゆる本をデータ化しようとしています。著作権が有効であるものについては、まあいろいろ難しいものがあるんでしょうけど、著作権が切れているものについては、是非データ化していって欲しいですね。アメリカのある図書館にしか存在しない本がデータで見れるようになる、というようなことがもう実際に行われているんですね。凄いです、ホント。
第四章では、検索順位をあげるためのあの手この手が紹介されていて面白かったです。みんな必死なんだな、と。そりゃあ、検索順位が上位じゃないと存在さえ認知してもらえない世界だから仕方ないとはいえ、なんというかアホみたいなことみんなやってるな、と思いました。
本書で一番興味深かったのが、第五章と第七章です。これは大雑把に言えば、グーグルの登場によって、僕らのライフスタイルがいかに変化してしまったのか、そしてその変化の傾向はどこまで突き進むのか、というようなことについて触れられています。
第五章では、グーグルが無料のサービスやプロジェクトを通じて、個人情報を集めようとしているという点に触れられます。グーグルが最終的に目指しているのは、広告と個人を結びつけること、のようです。例えば携帯電話などで今どこにいるという位置情報も把握出来るようになっているから、グーグルから携帯に、「近くに、この前〇〇で紹介されていた本屋があります」みたいな情報が送られてきたりするかもしれません。あるいは、これは冗談なのか本気なのか分かりませんけど、グーグル脳なんていう構想もあるみたいです。例えば僕が「うどん食べたいな」と頭の中で考えると、即座に携帯電話にうどん屋までの案内表示が出る、というような感じです。
今はまだそこまで行っていませんけど、今のまま進んで行けば、そういう社会はもうすぐそこまで迫っているのかもしれない、と思ったりします。特に、グーグルの驚異的な成長スピードを見ると、近い将来そうなっているかもしれないし、それが当たり前の社会になるかもしれません。
でもそれって怖いよな、と思うんですね。そういう社会って、例えば本屋で例えるとこういうことだと思うんです。
僕が本屋に入ります。すると、売り場を歩く度に視界に入った本をグーグル脳が分析して、あの本はアマゾンのレビューがいくつあって評価はいくつ、あるいは、先日「王様のブランチ」で紹介されていますとか、ブログで有名人の〇〇が紹介していましたよといってそのブログにアクセスしたりと言ったような感じになる、ということでしょう。そうして僕らは、そのグーグル脳からの情報を元に、本を選ぶことになるわけです。
生まれた時からそういう環境だったら疑問の持ちようもないのかもしれないけど、少なくとも僕は嫌ですね。僕は、根拠も何もない、ただなんとなくという理由だけで本を選んだり読んだりしたいんです。テレビで紹介されていようが、世間一般の評価が高かろうが、有名人が勧めていようが関係ありません。僕は、『自分で選んだ本』を読みたいんですね。
これは、本に限らずこういう情報に常時アクセス出来るということになるでしょう。そうなった場合、個人の意志みたいなものは一体どこに残るんでしょうか?
最近脳の本を読んだんですけど、脳というのは実に不思議な器官で、一瞬一瞬状態が違うんだそうです。例えば脳にXという同じ情報を与えた場合でも、脳の状態がAの時とBの時では判断が変わるんだそうです。そういうファジーな部分にこそ、人間らしさがあるんじゃないかな、と僕は思ったりします。グーグルによって、生活が便利になればなるほど、そういうファジーな部分がどんどん減っていって、人間はどんどん面白みの欠ける存在になっていくような気がしています。
あと、東京大学の総長が入学式で行った式辞で言っていたことが実に面白いと思ったので、長いですけど全部書いてみます。

『皆さんには、「常識を疑う確かな力」を養ってほしい。学問的な疑いの直感は、その人の頭の中で多様な知が関連付けられ、構造化されて初めて働くものだ。知を構造化することと、大量の情報をもつことは、全く異なる。
最近はインターネットを駆使して誰でも大量の情報を短時間のうちに入手出来るようになった。このような情報環境の中で育った皆さんは、学術情報は簡単に手に入るのが当然だと思っているだろう。しかし、ひと昔前は全く違っていた。私が若い教授だったころ、学術情報を入手するためには、多くの論文に目を通したり、人に話を聞いたり、カードを作って整理したりと、大変な手間が必要だった。もちろん現在の方が便利に決まっている。しかし、その便利さにこそ落とし穴がある。情報収集にかけた膨大な時間と手間と時間は、無駄なように見えて、決して無駄ではなかった。その作業を通じて、頭の中で多様な情報が関連付けられ、構造化され、それが「閃き」を生み出す基盤となっていたからだ。インターネットで入手した、構造化されていない大量の情報は、「思いつき」を生み出すかもしれないが、「閃き」を生み出すことは極めて稀だ。頭の中に、いかに優れた知の構造を作ることができるか、それが「常識を疑う確かな力」を獲得する鍵なのだ』

また、巻末には、NHK取材班の一人が息子と話していて、最近の学生はコピペでさらっと論文を書いてしまう、と書いていた。僕も大学時代、実験の論文とかを毎週書いていたけど、過去レポを参照することはあっても丸写しはしなかった。結局大学で学んだ知識はそのままの形では僕の人生には活かされていないけど、でも器用に表面だけを取り繕うような楽なやり方はしてこなかったと思うし、それが結果的に今の僕の基礎になっているなと感じることはあります。
そういうことを考えると、今の時代に生まれた子どもっていうのは、表面的には幸せでも、実際は不幸なんじゃないかなと思ったりします。
まあそんなわけで、さすがに長くなったのでそろそろ終りにしようと思います。グーグルをあんまり使っていない僕でもいろいろと考えさせられる内容でした。別に難しいことが書いてあるわけではないんで、誰でも読めると思います。10年後、20年後の未来を規程するかもしれない私企業グーグルの今を是非読んでみてください。

NHKスペシャル取材班「Google グーグル革命の衝撃」



ひまわり事件(荻原浩)

「…それは、昨日の夜帰って来なかった、ということ?」
「いえ、一旦家には帰ってきていると思うんです。私は会ってないですけど、洗濯機に服が入っていましたから」
「そうすると、一旦家に戻ってから再度出て行って、それから戻ってきてない、と?」
「たぶんそうだと思うんです」
 柊さんは何か考えているようで、しばらく返事が返ってこなかった。
「警察とかに連絡は?」
「いえ、まだ。もう少し様子を見てからにしようかと」
「確か涼子ちゃんは離婚しているって聞いていたけど、別れた旦那さんに連絡は?」
「いえ。そっちの連絡先は知らないもので。でも明日、叔父さんに連絡をしようと思っているんですけど」
「そう。心配ね」
 志保は、自分がお母さんの心配をしているのかどうかはっきりとは分からなくて、その言葉に返事を返さなかった。

「失踪シャベル 5-4」

内容に入ろうと思います。あー、久々に書いてる文章が消えてしもた。
本書は荻原浩の最新作(たぶん)です。
晴也、伊梨亜、和樹、秀平の四人は、かつて保育園と老人ホームがあった場所に10年ぶりぐらいに集まった。かつての約束を果たすためだ。
彼らが保育園児だった頃、すぐ隣には老人ホームがあった。同じ人間が運営していたのだけど、両者の間には高い壁があって、二つを隔てていた。
保育園では晴也たちは問題視だった。晴也と秀平はいつも秘密基地に逃げ込んでしまうし、伊梨亜は騒がしいし、和樹は携帯ゲームでいつも遊んでいた。担任の荒木先生も手をこまねているような感じで、落ち着きのない子どもだった。
一方老人ホームには、誠次という男がいた。家族を顧みずに働いてそれでも課長どまりだったという男で、余生は人と関わらず静かに生きていたいという、まあちょっと偏屈なだけの、同じ老人ホームの女性にちょっと恋しちゃってるような、そんな男だった。
ある時保育園と老人ホームの運営をしている理事長が、両者を隔てている壁を取り払い、お互いを交流させようという施策に出た。近々選挙があるようで、その宣伝にしようというのだ。
初めはお互いに誤解の連続だった。晴也たちは老人ホームを悪の巣窟だと思っていたし、誠次たちも子どもはうるさいと思っていた。しかしお互いに接していく内に仲良くなっていき…。
というような話です。
相変わらず荻原浩はいい小説を書くな、と思いました。
本書は500ページ弱ある作品なんですけど、350ページぐらいまではほぼ何も起こりません。保育園と老人ホームの日常を描いているだけの、言ってしまえば長い長いプロローグと言ってもいいくらいなんだけど、しかしこのプロローグがまあ面白いわけです。
保育園や老人ホームの内実とか、理事長が提案するお互いの交流計画に振り回されたりだとか、晴也たちが老人ホームに乗り込んでいくとか、そういう日常的な出来事が描かれているだけなのに、これが面白いんですね。350ページまでの部分に、ちょっとそれっぽい終わりをつければ、それだけでそれなりの小説に仕上がるだろうと思うような感じでした。
荻原浩はこれまでも、あらゆる年代・性別の人々の視点から小説を書いているけど、保育園児視点というのはこれまでなかったような気がします。この保育園児視点の描写というのがかなりいいなと思いました。保育園児の感じ方や言葉の使い方が、まさにそんな感じだよなぁと思わせるようなものばかりで、よくもまあ小さい子どもの、何考えてるんだかよく分からないみたいな雰囲気をここまでうまく表現出来るよなぁと思いました。
例えば、和樹は保育園児なのに何故か麻雀が得意なんだけど(笑)、和樹が誠次らと麻雀をしているところに晴也もいるから麻雀牌の読み方とか覚えるんですね。
でその後、こんな描写があるんですね。
『〇〇の方向が北だ(本当はペーって読むらしいけど)』
こういうのが実にうまいなと思うんですよね。
保育園児視点に限らず、老人ホームにいる誠次や、晴也たちの担任の荒木先生の視点から物語は描かれていくんだけど、そういう誠次や荒木先生の描写もやっぱり見事ですね。荻原浩ほど、作中の登場人物になりきっていろんな描写が出来る作家はいないと思っているんで、それが本作でもうまく出ているなと思いました。
誠次が徐々に心をひらいていく過程みたいなものもよかったです。初めは、ガキどもうぜー、ぐらいの感じだったんですけど、次第に子供達が気になっていくんです。しかし、晴也たちと誠次が初めて関わる、ボールをとってあげるシーンとか面白かったなぁ。
小さな日常的なエピソードを積み上げていって、キャラクターも保育園や老人ホームも実にリアリティ満タンという感じになった頃、日常的ではない出来事が発生します。別にそこに行き着くためにずっと準備をしてきたというわけではなく、話の流れでごく自然にそうなっていくから、それだけが話のメインというわけではないだろうけど、一応作品としては大いに盛り上がっていく感じの部分になります。ここから最後までがまた一気に読めるような面白さで、さすが荻原浩という感じがしました。
というわけで、全体としてはやっぱり非常に良く出来た小説だと思います。構成も描写もさすがだなぁと思わせる感じで、安心して読める作家の一人ですね。
でも荻原浩の作品というのは、どうしても『ガツン』という部分がないために、何作か読むとちょっと飽きてしまう部分が出てくるというのも事実ではあります。この作品も、350ページ以降物語がなかなか展開していくことになりますけど、そこも『ガツン』というほどのものではないんですね。何でしょう、もっと驚きとか爆発とか衝撃とか感動とか、そういうのがちょっと足りないんですね。別にミステリっぽく驚かせろとか言いたいわけじゃなくて、パンチが足りないという感じ。だから、荻原浩の作品は、どれから読んでも面白いんだけど、でも何作か読んでいくと、あぁ大体こういう感じかという風になって読まなくなっていってしまう感じがします。もの凄く実力のある作家なんで、あと少しなんとかして『ガツン』の部分を組み込んでくれるともっといいんだけどな、と思うことはあります。
とは言え、さすが荻原浩です。相変わらず高いレベルの作品だったなと思います。特に保育園児の描写が面白くて仕方ありません。ここまで何も起こらないのに面白い小説というのもなかなかないと思います。是非読んでみてください。

追記)amazonにはコメントが一つしかないけど、その人文章では結構褒めてる感じなのに、星は3つ。なんでだろう。

荻原浩「ひまわり事件」




カッコウの卵は誰のもの(東野圭吾)

『もしもし。池上様のお宅でしょうか?わたくし、スナック柊のオーナー、柊利子と申します。池上涼子様はご在宅でしょうか?十八時からの勤務予定となっているのですが、まだこちらには来ておりません。至急連絡をください』

 そうか、そういうこともしなくてはいけないのか、と志保は思った。朝、動転していたつもりはなかったのだけれども、冷静ではなかったのかもしれない。志保はすぐ折り返しの電話を掛けた。
「もしもし、こちらスナック柊、横井でございます」
「もしもし、私池上涼子の娘なんですけど」
「あら。ちょっと待ってくださいね」
 保留音に切り替わり、しばらくして留守番電話に残っていたのと同じ声が聞こえてきた。
「もしもし、代わりました。柊と申します」
「あ、池上志保です」
「お母さんは、今そちらにはいらっしゃらない?」
 どう説明すればいいのか、一瞬思案する。
「どこかに行ってしまったみたいなんです」
 柊さんは一瞬沈黙する。

「失踪シャベル 5-3」

内容に入ろうと思います。
本書は東野圭吾の最新作です。
緋田はかつてオリンピックに出たこともあるトップスキーヤーだった。今では現役を引退し、スポーツジムのインストラクターの仕事をしている。スキーの育成者のならなかったのは、男手ひとつで娘の風美を育てなくてはならなかったからだ。
高校を卒業したばかりの風美は、今注目されるスキーヤーになっている。まだ国際大会には出たことはないが、その実力は折り紙付きで、次のオリンピックには出られるのではないかと目されているほどだ。
ある時、新世開発スポーツ科学研究所副所長という柚木という男が緋田の元を訪ねてきた。柚木は、遺伝子のパターンからスポーツの才能を見出すという研究をしており、そのために緋田と風美の遺伝子検査をさせて欲しいという要請にやってきたのだった。
しかし緋田にはその要請を受けることが出来ない理由があった。
19年前。緋田は妻の出産当時大会に出ており、10ヶ月ほど自宅を離れていた。戻ってきた時にはもう娘は生まれていたのだ。しかし妻の様子がどうもおかしい。出産疲れなのかとも思うのだが、結局風美が2歳になる前に自殺してしまった。
その後、あるきっかけから緋田はとある妄念につきまとわれることになる。
風美は本当に自分と妻の娘なのだろうか…。
というような話です。
東野圭吾の作品らしく、一定の安定感はあります。ただやっぱり東野圭吾の作品群の中では、中の上辺りの作品かなと思います。この作品は読む前からあんまり期待はしていなかったので、まあ期待通りだったかなという感じです。もちろん東野圭吾の作品なんで、一定以上のレベルの作品ですけど、取り立てて素晴らしいと絶賛するほどでもないかなという感じです。
僕が一番気になった点は、何だか小説っぽい作品だなぁ、ということです。
東野圭吾の作品のイメージって、ミステリなんだけどものすごく現実に地に足がついた作品が多い、という感じです。初期の頃は、現実っぽさのないミステリもかなりありましたけど、ここ最近の作品は現実に起こっても不思議ではないようなストーリーが多いような気がします。「新参者」なんて、まさにそういう典型だと思います。
本書がスキーのプロ選手を扱っているから現実っぽくない、ということを言いたいわけではないんです。ただストーリーの展開のさせ方が、小説っぽいな、と。たまたま聞こえてきた会話から行動を変えるとか、あるところに行ったらたまたまそこにも誰かがいたとか、結構そういう展開が多かったなという感じがしました。東野圭吾は、そういうストーリーの展開とか結構うまいことやる印象があったんで、この作品はそういう部分でちょっとなぁという感じがありました。まあこの作品の内容であればこれぐらいの分量は適切だと思うんで、その中でストーリーを展開させるには仕方なかったのかもしれないけど、それにしてもちょっと東野圭吾らしからぬ描写が多かった気がしました。
あと、これは東野圭吾の作品の感想を書く度に書いていますけど、タイトルがイケてないと思うんですよね。まあ本書はまだ悪くない方だと思いますけど、東野圭吾の作品のタイトルはやっぱりどれもイケてない。ベストセラー作家になれたからもはや別にタイトルとか大して気にしなくてもいいと思うけど、もう少し頑張ったらいいような気もします。
とまあ厳しいこともいろいろ書きましたけど、全体としてはやはりうまくまとまっています。風美という娘の出生の秘密に重なるようにしてとある事件も起きて、そういうミステリっぽい展開がある一方で、親子とは何なのか、血の繋がりとは何なのか、というようなテーマをいろんな場面で考えさせるような構成になっています。僕としては、緋田は育ての親としてもっと自信を持てよ!と言いたくなる場面が多々あって、正直なところ緋田にはそこまで共感できないんですけどね。血の繋がりとかって、そんなに重要ですかね。僕なんか、血は繋がってる(はずだ)けど親とは不仲だし、逆に血が繋がっていなくたって気が合う親子はいるでしょう。僕個人の価値観では、血の繋がりが何なんだっていう感じがしますけど、普通の価値観ではそれって重要なんですかね?まあよくわかりません。僕がこんな風な価値観だから、この作品をそこまで評価できないのかもしれないですけど。
個人的には、鳥越伸吾が一番気になるキャラクターでした。鳥越伸吾は、遺伝子検査によりスポーツ選手によく見られる特徴的なパターンを持っていて、そのためにスカウトされ、クロスカントリーの特訓をさせられます。しかし、鳥越伸吾はクロスカントリーなんてやりたいわけではない。本当はギターを弾きたいのだ。だけど、いろいろ事情があって、今はクロスカントリーをやるしかない。そういうちょっと苦しい事情にいます。
本書のような、遺伝子を検査してスポーツ選手に向いているからとスカウトするというやり方は、もしかしたらこれから出てくるのかもしれないし、もしかしたら既に行われているのかもしれません。でもどうなんでしょうね。例えば僕が、あなたはスポーツの才能のある遺伝子のパターンを持っているんで、今すぐウチに来てクロスカントリー(まあ何でもいいんだけど)の練習をしましょうとか言われても、絶対しないですからね。本読みたいし、本売るの楽しいし、クロスカントリー?はっ!みたいな感じです。まあ別に僕にそんな遺伝子はないでしょうけど、遺伝子が特別だからってやりたくもないことを無理矢理やらされるのは苦痛以外のなにものでもないでしょう。将棋指しとか数学者の才能のある遺伝子があります、とか言われたら嬉しいですけどね。そしたら、明日からでも詰将棋を始めますよ(笑)。
まあ軽くさらっと読める作品で、いろいろ考えさせる部分もあるし、全体としてはうまくまとまっているので、特に東野圭吾初心者にはオススメです。ただ、東野圭吾の作品を結構読んでるという人には、やっぱりちょっと物足りないと感じさせる作品かもしれません。まあ読んでみてください。

東野圭吾「カッコウの卵は誰のもの」




ストーリーメイカー 創作のための物語論(大塚英志)

人ひとりが消えても、世界には大きな痕跡は残せないのだ。でも志保の人生というごく小さな世界の中では、まだまだいくつもの痕跡が残されている。そのひとつひとつは、いつ頃まで薄れずに残っているものだろうか。そもそも自分は、その痕跡が消えないで欲しいと願っているのだろうか。
 テレビを見ながら夕ご飯を食べる。一人でご飯を食べるのも慣れたものだ。お母さんがいなくなっても変わらない、いつもの日常だ。お母さんと一緒に夕ご飯を食べていた頃は、ご飯を食べながらテレビを見てはいけなかった。今では、テレビを見ながらでないと、どこに視線を向けてご飯を食べればいいのか分からなくて困ってしまうだろう。
 ご飯を食べている時、リビングに置いてある電話が光っているのに気がついた。留守番電話が残っているようだ。とりあえず夕ご飯を食べ終え、お皿を流しに置いてから、留守番電話を再生した。

「失踪シャベル 5-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、とある芸術系の大学の教授であり、一方でまんが原作者や批評家としても知られる著者が、30の質問に答えるだけで誰でも物語のプロットを作ることが出来る実用的なフォーマットについて語っている作品です。
本書のメインとなる部分は、その30の質問を具体例とともに示すという部分ですが、それだけではさすがに新書一冊として成り立たないので、前半は古典的な物語論に触れ、宮崎駿のアニメや「スター・ウォーズ」がいかにしてそういう古典的な物語論によって成り立っているかを示し、また、中上健次の未完の作「南回帰線」という作品を取り合げ、物語論的にこの作品の結末を予想する、といったやや堅い話が描かれます。ただこの部分を流し読みでもいいからざっと読んでおくと、後半の30の質問をすんなり受け入れられると思うので、ちょっと退屈な部分ではありますけど、前半も読んだ方がいいと思います。ただ著者の別の作品、「キャラクターメーカー」や「物語の体操」などをきちんと読んでいる人は、前半部分はすっ飛ばしても大丈夫みたいです。
で後半でようやく、30の質問に入ります。まあどんな質問が並んでいるのかをここで列挙する気はないのでそれは読んでもらうしかないんですけど、なるほど確かにこの30の質問に答えていけば、物語論的にきっちりとした構造を持つプロットを作成することは出来るな、と感じました。正直、たぶんこの30の質問に答えて出来た物語は、物語としては成り立っているけど、例えば極端に言えば商品として売れるようなものにはならないでしょう。この30の質問に答えた後、さらにいろいろ加えたり変更したり削ったりといったことをしなくてはならないでしょうけど、ただ物語のきっちりとしたベースを作りたいということであれば、確かにこの30の質問に答えればベースは作れるな、と思いました。
そういう意味で本書は、実に実用的な作品です。
個人的な話になりますが、僕は今年の頭に初めてまともな小説を書きまして、今ブログ上でちびちび連載しています。その時にもプロットを作ったわけなんですけど、プロットなんて作ったことがないからどうやって作ったらいいか分からないんですね。とりあえずストーリーの簡単な骨組みだけ作って、あとは登場人物たちの背景を無駄に細かく設定したり(そういう設定を作中で描いたものもありますが、描かなかった部分の方が多いような気もする)、主人公の内面描写の変化を伝えるにはこれが要るなぁ、あの伏線としてどこかにこの話を埋め込もう、とかいろいろ考えて、まあなんとかストーリーになりそうなプロットを作りました。
まあそれはそれで面白い経験でしたけど、本書を読んで、物語の文法を理解しないで物語を書くのは難しいのかもしれない、と感じました。
英語や日本語にも文法があるように、物語にも文法がある、という発想を初めてしたのはロシア人だったみたいです。ロシアの魔法民話を科学的に分析した人が、ロシアの魔法民話にはただ一つの構造しかない、ということを発見した、という研究があって、それから物語の文法という発想が生まれたようです。本書で著者は、よしもとばななは先天的に物語の文法を理解している、つまり「母語」として物語を紡いでいるのに対し、村上春樹は明らかに後天的に物語論を身につけた、つまり「外国語」として物語を紡いでいると書いていました。僕なんか、村上春樹は生まれ持っての才能というか、自然とああいう物語を生み出せるんだ、みたいな風に思ってたんですけど、著者の分析ではそうではないみたいですね。なんとなくですけど、村上春樹が後天的に物語論を身につけたという話は、これから作家になろうと思っている人間には心強い話ではないか、と思ったりします。
物語の文法に沿って生み出された物語はどれも画一的になってしまうのではないか、という懸念はあるでしょうけど、物語論というのはあくまでも構造の話です。僕は家を建てるイメージで物語論みたいなものを理解しています。たぶんですけど、どんな家でも基礎とか柱の骨組みみたいなものって、どれもそう大差ないと思うんです。もちろん平屋だったり二階建てだったりあるいは高層マンションだったりである程度の違いはあるでしょうけど、でも「家」というものの内部の構造というのはどれもそう大差ないと思っています。
その一方で、実際に人が住んでいる家というのは様々な顔を見せます。屋根の形だったり壁の色だったりという家自体の特徴もそうですけど、壁に落書きがあるとか、壁という壁に写真が貼ってあるというような住人の生活による変化もあるでしょう。そういう様々な要素によって、内部の構造はどれも大差がないはずの家というものが、どれひとつとして同じものはないものになっていきます。
物語もそういうものなのだと思います。で、本書にある30の質問に答えることによって生み出されるプロットは、その家の内部構造みたいなものだと僕は思っています。平屋なのか二階建てなのか高層マンションなのかによって差異はあるだろうけど、基本的に内部構造はどれも似ている。でも、外側をいかに装飾するかによって家というのはどれも違ったものになっていく。本書では、その外側の装飾については扱われません。本書は、プロットを強制的に吐き出す装置としての30の質問であって、それをいかに小説(あるいはマンガや映画)にするかという方法論については描かれません。物語論によって物語を生み出すことでどれも似てしまうのではないかという疑問は、こんな感じの説明で解消されるでしょうか。
まあそんなわけで、小説でもマンガでも映画でも何でもいいから、とにかく何か作品を作ってみたいなと思っている人は、読んでみたら結構使えるのではないかなと思います。僕も、今頭の中に漠然とある話を、この30の質問に当てはめてプロットの形にしてみようかなと思ったりしています。画一的な作品を書きたくないと思っている人にも本書は有効でしょう。何故なら、物語の文法を知らないでそこからはみ出すことはなかなか難しいと思うからです。
というわけで、何か作品を書こうなんて微塵も思っていない人には無益な本ですけど、何か作品を書きたいと思っている人にはかなり実用的な作品だと思います。そういう方は、是非読んでみてください。

大塚英志「ストーリーメイカー 創作のための物語論」



水の時計(初野晴)



 買ったばかりのスコップを持って、家に戻ってきた。一旦家に入り、お母さんの車の鍵を持ってきて、また外に出た。車のトランクを開け、中にスコップを放り込むと、また鍵を閉め、家に戻った。
 自分の部屋にバッグを置き、シャベルをきちんとマルイさんの隣に置いた。
「今日はね、土取りに行ってきたんだよ」
 泥だらけになった服を脱いだ。部屋を出て、洗面台の横にある洗濯機に洗い物を入れた。昨日の夜、お母さんが脱いだらしい服も入っている。洗剤を入れて、洗濯機を回す。そのまま風呂場でシャワーを浴び、部屋着に着替えた。
 リビングの脇にあるキッチンへ向かい、夕飯の支度をする。じゃがいもを茹で、鶏肉に片栗粉をまぶし、しばらく寝かせた。茹で上がったじゃがいもの皮をむき、つぶしてポテトサラダにする。油を温め、鶏肉を放り込み、唐揚げを作る。朝冷凍庫に入れたご飯を解凍し、お母さん用にポテトサラダと唐揚げを別のお皿に取り分け、ラップをかけている時に気がついた。そうか、お母さんの分は作らなくてもいいんだった。日常を取り戻さなくてはいけない部分と、新しい現実に合わせなくてはいけない部分を分けるのが難しい。徐々に慣れてくしかないのだろう。

「失踪シャベル 5-1」

内容に入ろうと思います。
本書は、今僕がかなり注目している作家のデビュー作で、横溝正史ミステリ大賞を受賞した作品です。
ルート・ゼロという暴力団の幹部の一人であった高村昴はある日、芥と名乗る見知らぬ男から声を掛けられた。芥は昴を警察から匿う代わりに、頼みがあるという。昴は何故かその男についていくことに決めた。
芥が向かった先は、廃墟と化した元病院だった。そこで密かに、一人の少女が延命措置を受けている。
既に日本の基準に照らして、脳死と判断された少女だった。
しかしその少女は、月明かりの夜に限り、特殊な装置を使って言葉を話すことが出来た。葉月という名のその少女は、現代医学が定めた死の定義に完璧に当てはまりながらも一方で、身体中に延命装置をつけられ、心臓は動き、月明かりの夜だけは会話を交わすことが出来るという、普通では考えられない状況にあった。
芥は昴に、昴の持つ特殊な能力を使って、臓器移植に協力して欲しいと言われる。昴は、臓器移植が出来ずに困っている様々な人間を見つけ出してきては臓器移植の斡旋を手伝い、その物語を葉月に聞かせる役割を与えられるのだが…。
というような話です。
初野晴は結構好きな作家で、割と期待していたんですけど、正直そんなには面白くなかったかな、という感じがしました。「退出ゲーム」とか「1/2の騎士」が結構よかったんで、そういう作品と比べてしまうからちょっと落ちるように感じるのかな、とも思うんですけど。
上記で書いた内容紹介は大体第一章のもので、以後オムニバス形式で様々な臓器移植を必要とする人の物語が描かれて行くことになります。個人的にはその展開の仕方があんまり好きではなかったですね。どういう風にするかは別として、最後まで昴視点で物語が進んで欲しかったな、と思うんです。第二章以降、様々な人が主人公となり、臓器移植に関わるストーリーが展開して行くんですけど、正直その個々の話は、昴とはさほど関係のない話が多くて(関係のある登場人物もいますけど)、どうしても関心が薄れて行くのを避けられないな、という感じがしました。
本書は、月明かりの夜だけ特殊な機械で話すことが出来る少女と、いろんな理由から臓器移植の手伝いをさせられることになった少年というのが実に存在感のあるキャラクターだし物語の設定だと思うんだけど、その設定は第一章と最終章にしか活かされずに、後は葉月や昴とはあんまり関係のない人の話になっていくんですね。どうしても、そこが残念でなりませんでした。どうにかして、最初から最後まで葉月と昴がメインになるようなストーリーだったら、もっと面白かったんではないかな、という感じがしました。
とはいえ、文章のレベルなんかは新人としてはかなりきっちりとしていて、後の作品とそこまで遜色がない出来ではないかと思いました。最近の作品の方がキャラクターの造形なんかがうまくなっている部分はあるけど、ちょっとファンタジックな描写であるとか、普通は知らないような知識があちこちで散りばめられているところとか、そういう部分はもうデビュー作で結構現れていて、デビューの時から結構実力のある作家だったんだなと思いました。
オムニバスになっている個々のストーリーは、やっぱり痛い話が多かったですね。臓器移植が絡むんで当然と言えば当然なんですけど、どの話も病気と必死で向きあおうとしていたり、あるいは病気と向き合えずにいる人とか、そういう様々な人が描かれていて、読んでいてちょっと辛くなる部分もあります。特に腎臓移植の話なんかは、実際に透析とか受けている人が世の中には結構いるんだろうけど、それでも現実の話とは思いたくないくらい、ちょっとキツいなぁとか思ったりしました。
タイトルから表紙とかからは結構想像がつかないような、割と重い話だったりします。悪くはないし、その後の初野晴の成長を示唆させるような片鱗も感じられる作品ではありますけど、やっぱり小説としては、「退出ゲーム」とか「1/2の騎士」の方が面白いかな、と思います。ちょっとあんまり自信を持っては勧められない感じの作品です。初野晴の作品は近いうちに「トワイライトミュージック」という作品を読む予定なんで、そっちに期待しようと思います。

初野晴「水の時計」



わらの人(山本甲士)

そのスコップで志保は、泣きながら穴を掘った。泥だらけになった手で涙を拭くものだから、顔まで泥だらけになっていった。拭っても拭っても、涙は一向に止まる気配がなかった。周囲に気付かれないように、声だけは抑えようとしていたはずだけど、それでも時々嗚咽のようなものが漏れでてきてしまうのを止めることは出来なかった。
 小さかった志保には、やはり小さな穴しか掘ることが出来なかった。その小ささが、自分の限界を見せつけられているようで、少しだけ哀しかったことを覚えている。でもあの時はそれで充分だった。
今は、もっと大きな穴を掘らなくてはいけないだろう。大きくなった今でも、穴を掘りながら泣いてしまうのだろうか。志保はそんなことを考えながら、持ちやすそうなスコップを選んでレジへと持っていった。

「失踪シャベル 4-9」

内容に入ろうと思います。本日二つ目の感想です。
本書は、とある理容室を中心に様々な人間模様を描いた、6編の短編を収録した連作短編集です。

「眉の巻」
とある短期大学の総務部にいる須川沙紀は、職場では冴えない。上司からの理不尽な要求を拒めず、仕事の出来ない部下を叱ることもできず、あまつさえ、理事長の不正に加担させられてもいるのである。
このままでいいわけがないと思いつつどうにもしようがなかった沙紀はふと、髪を切りに行こうと思った。前まで行っていたところにはいろいろあって行きたくなくなったので、新しく別の店を探す。そうして見つけたのが、女性が一人で切り盛りしているらしい理容室だ。
そこでマッサージなどされているとうとうとしてしまった沙紀は、目が覚めて驚いた。鏡に写っているのが別人に見えたのだ。いや、大きく変わっているのは眉ぐらいだ。しかし全然印象が違う。なんだかキツイ印象を与える顔になってしまった。
しかし外見が変わったせいで、中身もどんどん変わっていき、これまでの自分とは違った行動が取れるようになり…。

「黒の巻」
主人公は山で意識を取り戻した。自分が何者なのか一切記憶がない。つまりこれは、記憶喪失というやつなのだろう。欠けた小指、銃痕のようにも見える傷跡。自分はもしかしたら、そういった方面の人間だったのかもしれない。
とりあえず住む場所と仕事をなんとかしなくてはと思い、住み込みで日当のもらえる仕事を探すがなかなかない。当たりをつけた会社と面接の段取りを決め、少しでよく見せようと髪を切ることにした。マッサージなどされてうとうとしてしまう。目が覚めると主人公は驚いた。まさに筋者の人間のような髪型になっていたのだ。当然まっとうな会社の面接は落ちる。主人公は、いかがわしいと知りながらも、怪しい求人に応募することになり…。

「道の巻」
真水は県庁と市役所の試験を受けるのを止めた、と母親に告げた。去年、いい就職先が見つかりそうにないからと一年就職浪人し県庁と市役所の試験を受けると言ったのだが、知り合いの伝手を頼りまくって、中途採用で採ってくれるかもしれない会社のOG訪問をすることに決めたのだ。
しかし真水は次第にげんなりしていった。伝手を辿った先輩たちは、皆大学在学中などきちんとした尊敬出来る人だったが、組織というのはそんな彼らをいとも簡単に飲み込み変えてしまっていた。
なんとか気分を変えたくて、目に止まった理容室に入ってみる。目が覚めると、とんでもない髪型になっていた。しかしある意味で爽快でもあった…。

「犬の巻」
保坂は、同じ会社の営業部の大供を呼び出し、今度の登山研修は自分と大供とジュニアの三人でチームを組むことになった、と話をした。ジュニアというのは現社長の息子であり、登山研修でいい感じになっておけば今後有利だろう、という計算から、とりあえず大供を巻き込んでおこうと考えたのだ。
登山研修の朝。ふとしたことから大供の髪型を見ると、なんだかとんでもない髪型になっていた。三人で登り始めるも、途中でジュニアがとんでもない告白をする。それからどんどん泥沼にはまっていくかのように悪いことが続くのだが…。

「守の巻」
ある日部屋に戻ると、誰もいないはずの室内に誰かがいた。幸い被害はなかったが、恐らくピッキングで鍵を開けられ空き巣に入られたのだろう、ということだ。その日岩瀬かえでは、仲のいい同僚の部屋に泊まらせてもらうことにした。あの部屋で一晩過ごすなんて考えられない。
それからしばらくは恐怖に怯える日々だった。鍵を替え、防犯対策をいくつか施すとようやく落ち着くことが出来た。雨宿りのついでに髪を切ると、何だかものすごく短い髪型になると、何だか吹っ切れたような感じになって、逆に徹底的にやってやろうという感じになった。スタンガンや特殊警棒なんかを買い、護身術を習い始め、部屋では筋トレを始める、これまでとはまったく違う生活になり…。


「花の巻」
ちひろはおじいちゃんちに一人で泊まりに行くことになった。会社を辞めたおじいちゃんは趣味がまったくないみたいで退屈そうにしていたし、ちひろをどこかに連れだそうとしてくれる時でも何だかタイミングが悪くて、なんだかうまくいかないことが多かった。ちひろもなんとなくいろいろ気を遣う場面が多い。
ある日おじいちゃんが髪を切りに行くというのでついていくと、おじいちゃんは坊主にされてしまった。しばらくそれで怒っていたおじいちゃんだったけど、ちひろが誕生日プレゼントとして作務衣をあげると、その坊主頭とよく合って、何だか機嫌を取り戻したみたいだった。
機嫌を取り戻しただけじゃなくて、おじいちゃんはなんだか行動的になって、部屋中をキレイにしたかと思えば、今度は町おこしだなんて言っている…。

というような話です。
山本甲士は安定して良作を出し続ける作家で、僕はまだ著作をそこまで読んでないんだけど、本作を含めこれまで読んだ本は安定感のあるレベルの高い作品でした。僕の中のイメージでは、どんな題材でも小説に出来、しかも軽妙なタッチの文章を書くので、荻原浩に結構近いなと感じさせる部分があります。
本書は、理容室(美容院ではない)で髪を切った人々が、それをきっかけにして生き方が変わってしまうという連作短編集なんですけど、まず思ったことが、そういう設定の制約の中で、よくもまあこれだけ多彩なストーリーを思い浮かべられるものだな、と思いました。仕事に倦んでいる中年女性、記憶喪失の男、就職活動中の大学生、出世を目論むサラリーマン、空き巣に入られたOL、定年退職したおじいちゃんと、それぞれの作品で描かれる人がまったく違います。そういうまったく違う背景を持つ人々に髪を切らせようと思わせ、かつそれによって生き方が変わってしまうというストーリーを作るのは結構大変だったんじゃないかと思うんだけど、どの話もうまく出来ているなと思いました。
全体を通じて会社の話が多いけど、それも同じような設定一辺倒になることなく、いろんな設定が描かれます。「眉の巻」では、主人公が不正に加担させられている理事長の圧政がまかり通っている短期大学、「黒の巻」では、ブラックジャーナリズムを扱う実にうさんくさい会社、「道の巻」では働いている人間をどんどんと倦ませるいろんな会社、「犬の巻」では現社長がバカ息子を引き連れて権力を握っているという建設会社、「守の巻」では年を取った女性は不要と考える男社会の製薬会社、「花の巻」では定年退職した男がかつて働いていた工場、と言った具合です。やはり人の人生の中で会社というものが占める割合が実に大きいからでしょう。生き方を変えるというのが、そのまま仕事や職場を変えるという形になることが多いということもあるんだろうなという感じでした。
僕が会社の描き方で面白いなと思ったのは、「道の巻」です。就職活動中の女子大生が、実際に働いている先輩について仕事の現場をいろいろ回るんだけど、そこで見る先輩の姿が自分が知っていたものとはまるで違っていたり、かつての主義主張みたいなものががらりと変わったりしていて、主人公は、組織は人をダメにする、という結論を下します。僕は、組織が人をダメにするかどうかの真偽はまあ置いておいて(まあダメにすると思っていますけど)、基本的に組織ってのがもう嫌いで嫌いで、中学の頃から自分は絶対にサラリーマンにはなれないと判断していたような人間で、今でも就職活動をしなかったことを後悔したことはありません。まず無理でしょうね。理不尽なことをやり過ごすということがなかなかできないんで、たぶんどこに言っても衝突したりするようなめんどくさい生き方をしなくてはいけないんだろうなと思います。「道の巻」を読んで、やっぱりそうだよなぁなんて思ったりしました。
結末が面白かったのは「犬の巻」です。これは、ストーリーの中に理容室の女性が出てこなかったという点でも他の作品とは違うんだけど、最後なるほどそういう風になりますか、と思いました。まったく予想も出来なかったんでびっくししました。「眉の巻」の方も、ある程度予想は出来ていたとは言え、なかなかすっきりするラストでいいなと思いました。
他にも書こうと思えばいろいろ書けると思うんですけど、ちょっとさすがにそろそろ寝たいんでこの辺にします。
山本甲士はかなり実力のある作家で、突出した特徴はない代わりに、どの作品も安定感があって安心して読める作家だと思います。本書も、ずば抜けた要素はないけど、荻原浩の小説のように気楽に安心して読める作品です。まだ山本甲士の作品を読んだことがないという方は、どれでもそこまで当たり外れはないと思います、どれか読んでみてください。本書も面白いですよ。

山本甲士「わらの人」



1gの巨人(大山尚利)

真っ直ぐに家に帰るつもりはなかった。大学のある駅から一駅離れた街に下りた。駅から歩いて十分ほどのところに、大きなホームセンターがある。サークルで使う園芸用の備品を買う時にも頻繁に来るし、手芸関係のコーナーも充実していて、時々ビーズやフェルトなんかを買いに来たりもする。
 志保は、園芸用品のコーナーへと向かった。スコップがたくさん並んでいる売り場を探す。穴を掘るには、スコップがあった方がいい。
 小さい頃に穴を掘った時のことを思い出す。
 あの時は、マサル君からもらった真っ赤なシャベルを使って穴を掘ったのだった。その頃にはもうシャベルは志保の手に馴染んでいて、まるで三本目の腕であるかのようだった。既に塗装は剥げかけていたはずだけど、志保にとってはマサル君にもらった時のままの真っ赤なシャベルが思い浮かぶ。

「失踪シャベル 4-8」

内容に入ろうと思います。
本書は、日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した著者の最新作です。
物語は、落ち込んだ妻を慰めようと、橋のたもとに車を停め外に出たところから始まります。
主人公はフリーライターとして、細々とした仕事をする一方で、主人公の妻・みどりはメディアでも注目される雑貨屋を営んでいる。そのみどりが、ショックで食事も喉を通らないほど落ち込んでいる。
飼っていた猫が死んだのだ。
主人公がみどりと出会う前からずっと飼っている猫で、常に守り神だと言って可愛がっていた。その猫が死んでしまったのだ。
愛猫の葬儀を終え帰る途中、主人公はみどりをなぐさめようと車を停め、河川敷で川でも見ながらのんびりしようと考えた。
そこで彼らの視界に、今にも橋から飛び降りようとしている人影が映った。みどりは橋に向かって駆け出した。主人公は初め、自殺のわけがないだろうと楽観していたのだけど、結局みどりの後を追い、橋から身を乗り出している男に声を掛けた。
しかしその男がデカかった。身長が2メートル半はあるのではないかと思われた。とりあえず人助けが出来たと二人はホッとした。
しかしその後、その巨人がみどりの経営する雑貨屋にやってきた。お仕えします、何でもやります、というばかりで埒があかない。しかたがないので車を洗ってくれるように命じると、ピカピカにして帰っていった。
しかし、あくる日もそのあくる日も、今度は主人公の自宅にやってきて車を洗おうとする。さすがに主人公も不審に思うようになった。もう来なくていいというのに、何をしたらいいかと聞くので、別の人の家に行ってもらうことにした。
それで終わったと思った。しかしそうではなかった。さらにしばらくすると今度は、あの巨人を誰に紹介したのか教えろ、という人物がやってきた。ガリバーの行方を教えないと、あんたも殺されるぞ、と。
というような話です。
いやー、これはもうべらぼうに面白い作品でした。正直作家も知らない人だったし、著者がデビューしている日本ホラー小説大賞という賞にはあんまりいい印象を抱いていなかったので、全然期待しないで読みました。装丁がいいなと思ったのと、タイトルがなかなか面白いじゃんと思ったのとで、読んでみることにしました。
しかしまあこれが絶品でしたね。この著者は、書き続けていけばいつか評価されると思います。とにかく、実力のある作家なんだなということがすごく伝わる作品でした。
上記で書いた内容紹介では、ほとんど巨人(ガリバー)についてのことしか書いてないんだけど、正直言ってそこはそんなに大したことはない。ストーリー的にも、ガリバーの話が素晴らしく展開するということは特にありません。
じゃあ何がいいのかと言えば、人間の描き方ですね。上手いなと思いました。出てくる登場人物が皆きっちりと描かれているんですね。しかも、ガリバーのゴタゴタを通じて、彼らの人間関係にいろいろと変化がやってくるわけです。この作品は、ガリバーがどうこうという部分を楽しむ作品ではなくて、ガリバー騒動の結果どのようにして主人公の周りの人間関係が変化していくのかを楽しむ作品です。
主人公の周りには、妻のみどり、みどりの大学時代からの友人の典子、典子の今の彼氏・前田、主人公が昔から知っているフリーライターで今は300万部も売れた詩集を書いたクリシューとして知られている栗原、という実に狭い人間関係しかないんだけど(仕事上の付き合いは他にもあるんだろうけど、特別描かれることはない)、この五人の人間関係がガリバー騒動を通じていろいろと変わっていきます。具体的に触れるとなかなかネタバレになってしまうと思うんで書けないですけど、こうだと思っていたことは実はそうではなかったり、知らなかったことを知ったり、お互いがお互いの壁を乗り越えたりと、まあいろいろなんです。あー、このいろいろの部分を説明したいけど、さすがにそれはダメだー。
僕が個人的に特にいいなと思ったのが、典子ですね。この典子が、あるシーンでガラリと変わるんです。そのシーンは、この小説の中でたぶん一番好きです。凄いなと思いました。主人公はダメダメだなと思ったけど、同じ場面で主人公と同じにならないとは僕にも言えないなとも思います。あのシーンは素晴らしかったなぁ。
栗原とみどりの関係、栗原と主人公の関係、前田と主人公の関係など、読みどころは他にもたくさんあります。とにかく中盤は、ガリバーのことなんかさっぱり出てこなくて、ひたすら彼ら五人があーだこーだしています。終盤でまたガリバーの話に戻りますけど、やっぱりガリバーがどうこうより、彼ら五人のあーだこーだの方が読んでて楽しいです。
落ち着いた筆致で、冷静にしかし時には鋭く人間の本質みたいなものを衝いてくる感じで、文章も好きだなと思いました。正直、僕の好みのかなりストライクに近い感じの作品で、もし僕が作家になれるようなことがあれば、こういう作品を書きたいなと思えるような、そんな作品でした。
だからこそ、ちょっと帯が酷いなと思うんですね。
帯の文句を全部書いてみますね。

『狙いは何だ?(ここ太字)
「ガリバーの行方を知らないと、あんたも殺されるぞ」
―わけがわからない。
得体のしれない大男を助けてから、
私は何に巻き込まれている!?

日本ホラー小説大賞長編賞受賞作家が
才能の限りを尽くした、
ノンストップ・心理サスペンス!』

この中で僕が許容出来るのは、『日本ホラー小説大賞長編賞受賞作家が才能の限りを尽くした』という部分だけですね。正直なところ、ホラー小説大賞受賞作家という触れ込みは読者に先入観を与えるんで(この作品はホラーではないけど、ホラー作家の書く作品は止めておこうと思われるかもしれない)書いて欲しくはないんだけど、でもそこは仕方ないでしょう。才能の限りを尽くしたというのも、作家(しかもデビューしたばかりの新人ならなおさら)は毎回全力で書くだろうからいいでしょう。
でも、まず「ノンストップ・心理サスペンス」はダメでしょう。まず全然「ノンストップ」じゃない。さっきも書いたけど、中盤はほぼガリバーの話とか出てこないし、いろいろ起こるけど結構のんびりしたテンポだと思います。僕のイメージではノンストップっていうのは「24」みたいなの(とは言え僕は見てませんけど)を指すので、明らかにこれは嘘ですね。
「心理サスペンス」っていうのは間違ってはないけど、でもなんか怖そうとか、サスペンスはちょっと、みたいな風に思われてしまうかもしれません。
「ガリバーの行方を~巻き込まれている!?までの部分は、まあ内容を短くまとめているという感じなのでギリギリ仕方ないと思いますけど、「狙いは何だ?」という部分を太字にすると、最初から最後までガリバーの話で引っ張るみたいで、殺人とかミステリとかそういうのがあんまりという人は手に取ってくれないかもしれません。
本書はホントに、人間を描いている部分が素晴らしいんで、なんとかそこを推せるような感じの帯だったらよかったのにな、と思います。
僕が考えたPOPのフレーズはこんな感じ。

『あなたが普段感じている「悪意」は、
本当に、本当に「悪意」なんですか?』

という感じです。ちょっとよくわからないかもだけど、でもそれぐらいの方がPOPの文章としてはいいんじゃないかなと思ったりしています。
まあそんなわけで、期待以上に、というかまったく期待していなかったんですけど、素晴らしい作品でした。まさかこんなに良い小説だとは思ってもみませんでした。もちろん、まったく期待しないで読んだからここまでよかったという可能性もありますけど。僕の感想を読んで読もうと思った人は、ある程度ハードルが上がっちゃうと思うんで、もしかしたら僕が思うほど素晴らしいとは思ってくれないかも、とか思ったりはしますけど。でも是非読んで欲しい作品です。この作家はちょっと追いかけてみようかなと思います。たぶんまだそんなに本出してないと思うけど。今年はなかなか、いい作家を発掘出来てるなぁ。

大山尚利「1gの巨人」




幸せまねき(黒野伸一)

土取りの片付けを終えて、メンバーはそれぞれ帰っていった。カナちゃんとアカネちゃんとも別れ、志保は駅へと向かった。陽が長くなったとはいえ、そろそろ暗くなり始めている。五限上がりの土取りも、そろそろ終了だろうか、と考えた。
 駅に近づくにつれて、歩いている人の数が多くなっていった。そういう人のことを見るともなく見ていると、志保は世界の大きさについて考えずにはいられなくなっていった。自分の周りだけでも、これだけ多くの人が生活をしている。日本全国、世界全体で考えれば、もっともっと大変な数の人々が生活をしているのだろうと思う。その中のたった一人が、日常という時間の中からはみ出るようにして消えていった。しかしそのことは、この世界に何らかの痕跡を残すのだろうか。これだけ多くの人がいる中では、かすり傷ほどの痕さえ残すことは出来ないのではないだろうか。一人の人間のあまりの小ささを実感したような気になって、志保は逆にほっとした。

「失踪シャベル 4-7」

内容に入ろうと思います。本書は、今「万寿子さんの庭」という作品で話題の著者の文庫最新刊です。
舞台は中川家。学校でいじめられている弟の翔は、家に帰ると不機嫌で、母親の小絵や飼い犬のタロウに八つ当たりする。父親の真太郎は家庭に一切関心がなく、小絵が翔についての相談をしてもふにゃふにゃとした返答しかくれない。そんな夫に嫌気が差し、小絵はテニススクールのコーチと不倫に走る。姉の穰は高校生で、学校一の問題視と深い関係になっているのだけど、男の子と付き合ったことのない穰はいろいろと思い悩むことになる。
そんな崩壊寸前の家族を、飼い犬のタロウと飼い猫のミケは憂えている。しかし所詮ペットに出来ることはほとんどない。
崩れかかった家族や人間関係を、なんだかんだと言ってペットがとりなしていく、そんな物語です。
この著者の作品は始めて読みましたけど、うーん、って感じです。なんというか、出来が悪いけど世間的に人気のある恋愛小説って言ったら、なんとなくイメージ出来るものがありますか?その家族小説版、という感じがします。たぶん、こういうふんわりした話を好きだっていう人は結構いると思うんだけど、正直なところ僕には何がいいんだかよくわかりませんでした。
何か、全体的にユルすぎるんですね。家族も、確かに崩壊寸前なんだけど、だからどうしたっていう感じで興味が持てないし、いじめられてる翔とか、問題児と付き合ってる穰とかも、別にどうでもいいなって感じがする。テニスコーチと不倫している小絵なんかその極地みたいなもので、はっきり言って小絵のパートは要らないだろ、とか思いました。昼ドラみたいな雰囲気がしますね。いやいや、ありえないだろ、的な。
僕のイメージとしては、ちょっと古いタッチの絵を描く漫画家がこの作品を漫画にしたら、ちょっとぴったり来るような気はします。分かりませんけど。
というわけで、特に書くことのない作品ですね。こういう作品を良いと思う人はいるんだろうなとは想像できるけど、僕には合いませんでした。まあでも読みやすいのは読みやすいんで、読書初心者なんかには悪くないのかもしれないと思ったりはします。

黒野伸一「幸せまねき」



ほうかごのロケッティア(大樹連司)

上級生はこれから片付けがある。備品のシャベルを洗ったり、取ってきた土をきちんとした場所に保存したりしなくてはならない。特に土がかなりたくさんあるので、重労働なのだ。
 三年生の先輩も何人かいて、一緒に片付けをしてくれる雰囲気だった。志保は、三年生の先輩のところへ向かった。
「先輩、片付けは私たちでやっておくんで、あがってもらって大丈夫ですよ」
私たち、という時、志保はカナちゃんとアカネちゃんの方をちらっと見た。カナちゃんはいつものように無反応だったけど、アカネちゃんは敬礼みたいなポーズをしてくれていた。
「うん、じゃあよろしく」
 そういって先輩たちは帰っていった。ふと見ると、部長がこっちを睨んでいるような気がしたけど、志保には何が言いたいのかわからなかった。
 片付けには一時間ぐらいかかった。何故かその間志保は、誰とも会話を交わさなかった。

「失踪シャベル 4-6」

内容に入ろうと思います。本日五つ目の感想です。
繰り返しになりますが、いろいろあってラノベを読まなくてはいけなくて、連続して三冊目のラノベの感想です。
舞台は東京から南へ千キロ南下したところにあるイトカ島という小さな島。そこには、戦後一代で財を成した那須霞グループが作った私立イトカ島学園高校があり、主人公である褐葉貴人はその高校に通っている。
久藤かぐやがやってくるまでは、貴人にとっては完璧な高校生活だった。
中学まではオタクでいじめられていた貴人は、いろいろあってこの高校にやってきたが、そこで理事長の娘である那須霞翠の指示の元、クラスの平穏を保つべく様々な人間関係を『調整』する役割を完璧にこなしていた。翠は学園の学力を高めるべく必死で、その駒として貴人は動いているのだ。
しかし、転校生として久藤かぐやがやってきたことをきっかけに、歯車が狂っていく。
何よりも致命的だったのは、久藤かぐやがかつて中学生でデビューした覆面美少女歌手であり、かつ貴人が彼女に赤面極まる電波なファンレターを送りつけていたことだった。それを楯に脅された貴人は、かぐやの謎めいた頼みを聞き入れる羽目になってしまう。
ロケットが必要なの。
かぐやは、自らの携帯電話が宇宙人であると主張し、その携帯電話を宇宙に返すためにロケットが必要なのだと強弁した。かつての貴人以上の電波ではあるが、しかし成り行きで貴人はロケット作りを始めることになる。島にある工業高校に通うロケット部(表向きは違う名を名乗っているけど)の協力の元、本当に宇宙まで飛ぶロケットを高校生の手で作り出そうとするのだが…。
いやはや、これは面白い作品でした!正直、ラノベについてちょっと知るために義務的に読もうと思っていただけで、まるで期待していなかったんだけど、これは普通の小説としても売り出せるくらいかなりレベルの高い作品でした。五十嵐貴久の「2005年のロケットボーイズ」や、川端裕人の「夏のロケット」のような、結構本格的に高校生がロケットを作る話で、ライトノベルとは思えないクオリティの作品です。ちょっとラノベの売り場ではなくて一般文庫の売り場に置いてみようと思っています。
ストーリーは大雑把に言ってロケットを作ることなんだけど、でもそれだけがメインではない。複雑な事情を抱える学園やクラスの問題だったり、かぐやと貴人の関係性だったりという部分もかなりメインで扱われていて、決してロケットだけの話ではありません。また、ラノベだからと言ってロケットの部分の描写が薄いということもなく、巻末に載っている参考文献を見れば分かると思うけど、かなりいろいろ取材をしてから書いたのだろうなと分かる作品です。もちろん、専門家からすればいろいろ穴はあるのかもしれないけど、細部までかなりきっちりと描かれています。イトカ島に私立学園が出来た由来とか、イトカ島で行われている祭りについてのあれこれとか、本筋とはさほど関係ない部分についてもしっかりと描写があって、完成度高いなぁと思いました。
貴人があれこれ『調整』をしているクラスの人間関係もなかなか面白いし、前半から中盤に掛けては舞台が学園モノだという程度の描写だと思っていたのだけど、後半でなかなか面白い展開になるし、うまいと思いました。ロケット部の顧問(?)の先生のムチャクチャっぷりとか、理事長の娘である翠の帝王学とかも面白くて、私立イトカ島学園高校の学園モノのストーリーでも一つの小説が成り立つのではないかなという感じがしました。
しかしまあ何よりも、久藤かぐやのキャラクターがよかったなと思います。本作は、キャラクターのみに依存している作品ではなく、ストーリーもきっちりと作りこまれている作品ですけど、それでもやっぱり、久藤かぐやのキャラクターはなくてはならない要素だな、と思いました。ラノベっぽい、ツンデレ(というか電波デレという言葉が出てくるんだけど)みたいな雰囲気も結構好きだし、かぐやが持つムチャクチャなパワーみたいなものが原動力となって、無茶なストーリーを動かしているという感じがしました。
貴人との漫才みたいな掛け合いも面白いんです。というか、かぐやが一方的にムチャクチャなことを言っているだけなんですけど、よくもまあそんな破天荒な発想が出てくるもんだなという感じで感心しました。久藤かぐやみたいなキャラクターが近くにいたら疲れるだろうけど、でも貴人みたいにやっぱり虜になっちゃうような気がします。
しかし思うんですけど、久藤かぐやは絶世の美少女という設定なんだけど、本書の絵はなんかそれにはそぐわない感じがしますね。まあラノベラノベしていない絵だから一般文庫の方にも置きやすいけど、もうちょっと絶世の美少女感が出ていればよかったような気もします。
あと個人的には、数学の天才っていう設定の千住ってキャラクターが結局一言も喋らなかったのが印象的でした。証明した未解決問題ってなんだろう…。
いやー、まさかライトノベルでここまでいい作品に出会えるとは思っていなかったんで、かなり掘り出し物だなと思いました。これは、普段ライトノベルを読まない人にも充分オススメ出来る作品です。かなり面白い作品だと思うので、是非読んでみてください。

大樹連司「ほうかごのロケッティア」



その日彼は死なずにすむか?(小木君人)

ある程度の土が取れて、そろそろ四限上がりのグループの土取りは佳境かなという頃、志保は田村君に声を掛けた。
「ちょっとゴメン。あっちの方に行ってくる。新入生お願い」
 田村君の返事を聞くことなく、志保はシャベルを持ったまま、森の奥の方に進んでいった。
 サークルのメンバーが土取りをしている森の入口から少し入って傾斜を上り、小高くなっているところを乗り越えて反対側に降りる。去年、かなり深くまで掘った、実に土の柔らかいポイントのはずだった。志保はシャベルで少しだけ掘り進めてみた。やはり柔らかい。それだけ確認すると、志保はまたみんなのところに戻った。
 帰りも同じメンバーで車に乗り、大学に戻った。駐車場で一旦全員で集まり、ご苦労様でした、と挨拶をしてとりあえず解散となった。普段は何か行事があった後は飲み会となるのだけど、土取りの日は全員泥だらけになっているのでそうもいかないのだ。

「失踪シャベル 4-5」

内容に入ろうと思います。本日四つ目の感想です。
さっきも書きましたが、いろいろあってライトノベルを読まないといけないんで、今日たくさん読んでいます。本書はライトノベル二冊目。
主人公である八戸鋼一は、ある日ドラッグストアで買った薬に仕込まれていた爆弾によって死んでしまう。
普通ならそれで彼の人生は終わるはずなのだけど、『神様』的な存在が彼にチャンスを与えてくれることにしたらしい。あるゲームに参加し、そのゲームをクリア出来れば生き返ることが出来る、というものだ。
そのゲームは、もう一度七年前から人生をやり直し、その間に『奇跡の欠片』をすべて集めること。『奇跡の欠片』が何なのかは教えてもらえないらしい。ぼんやりしたルールのゲームだが、参加しないなら問答無用で死が決定するのでやるしかない。
小学四年生に戻った鋼一は、クラスメイトでありスウェーデンからの転校生でもあるソフィア・美冴・ベルモンドと仲良くなっていく。また、幼なじみでありもっと小さい頃仲良く遊んでくれた矢口弥宵や、同じ小学校でいじめられている女の子・信丘とも実らと関わっていくことになる。
常に鋼一と生活を共にするマキエルの助言を参考にしつつ、鋼一は何なのかも分からない『奇跡の欠片』を集めるために人生をやり直すのだけど…。
というような話です。
「ラノベ部」の感想でも書いたけど、僕は女の子が萌え萌えするようなライトノベルはそんなに好きじゃなくて、ストーリーがきっちりしている話が好きなんですね。そういう意味で本書は僕の好きなタイプの作品ではありましたけど、でもちょっと作品のレベルが低いなぁと思いました。
ちょっと前に、角川ホラー文庫から出ている三田村志郎「嘘神」という作品を読んだんですけど、本書はそれと実に似た雰囲気のある作品だなと思いました。なんというか、登場人物の感情の起伏が激しすぎるんですね。さっきまで普通だったのに突然泣き出したり、どうでもいいことでとんでもないショックを受けたりと、いやいや人間の感情ってもうちょっと繊細でないかい?と突っ込みたくなるような描写がオンパレードで、正直読んでて納得いかない場面ばっかりでした。ライトノベルと一般文芸の作品を比較するのはちょっと酷ですけど、でもやっぱり、同じ小学生を描くにしても、辻村深月なんかはホントうまいんですね。辻村深月が小学生を描けば小学生らしくないキャラクターでも小学生に見えるのに、本書では小学生らしい言動をしても小学生に見えないみたいな、そんな感じがしました。
やっぱりちょっと稚拙だなと思います。物語の設定とか、展開とか、最後のオチとか、まあ突っ込みたいところは多々あるんだけど、それにしてもやっぱり、登場人物の感情の起伏のリアルのなさにはちょっとげんなりしました。
設定はなんとなく、森絵都の「カラフル」を連想させますね。もちろん「カラフル」の方が遥かにうまいんですけど。そもそも『奇跡の欠片』が何なのかよくわからないという、ヒントもほぼなしという状況で作品を読ませるのはちょっと厳しいかな、と。途中で、『奇跡の欠片を探す物語だ』ということを完全に忘れましたしね。それでいて、最後のオチもさほどでもない。まあオチの方はそこまで悪くはなかったと思いますけどね。
あと小説の完成度としてちょっといかんなと思ったのは、視点が脈絡なく入れ替わること。もう少し、章ごとで視点を固定するとか、二人ぐらいの視点を交互に描写するとかしないと読みにくくて仕方ないし、小説としての稚拙さが拭えないなという感じがしました。
まあそんなわけで、あんまり評価出来るところが多くない作品だと思います。ライトノベルとしてはこれでいいのかもしれないけど、と思ったりもしますけどね。正直、山田祐介って作家が人気な理由が僕にはさぱり分からないので、ライトノベルとしてはこれでアリなのかもしれません。

小木君人「その日彼は死なずにすむか?」



ラノベ部(平坂読)

今年の土も、とても素晴らしいものだった。掘るたびに強くなっていく芳醇な香りも上質なものだったし、色や手触りも実に素晴らしいものだった。亡くなった教授は、新しい土地に行くと、その土地の土を必ず食べると書いていたが、志保はそこまでは出来ない。しかしきっと、食べればきっと違いがわかるのだろう、という気はした。
 時折あちこちから小さな悲鳴が聞こえる。良質な腐葉土にはミミズがいることが多い。恐らく、フリフリのスカートを履いた新入生辺りが驚いているのだろう。
 志保は、同じグループにいる新入生に腐葉土や森全般の知識をふんだんに披露し、一方で田村君には、腐葉土で一杯になったタッパーに蓋をさせたり、掘るのに良さそうな場所を探させたりと、いろいろと仕事をやってもらった。

「失踪シャベル 4-4」

内容に入ろうと思います。本日三つ目の感想です。
ちょっといろいろ事情があって早急にラノベを読まなくてはいけなくなったんで、今日は本作を含め三冊ラノベを読む予定です。まず一作目。
本書は、今「僕は友達が少ない」という作品でメチャクチャ売れている作家の作品です。
舞台はとある高校。入学したばかりの物部文香は、どこかの部活に所属しなくてはいけないという高校のルールにも関わらず、その高校には存在しない「文芸部」を希望し、担任に実際にある部活で考えなおせと言われる。
そこで文化部をうろうろしていると、「軽小説部」というのが見つかる。「軽小説」というのが何か分からないけど、部員である先輩に呼び止められ、マンガみたいな小説のことをライトノベルというのだと教わり、先輩に言われて読んでみた作品が案外面白くて、そのままラノベ部に入部することになる。
人前ではラノベを読まないことにしているラノベ部の良心・竹田龍之介、ラノベ部部長で普通に恋もする乙女・浅羽美咲、物部と同じく新入部員で無口無表情で時々赤面する藤倉暦、三次元はフィギュア以外興味がない超絶腐女子・桜野綾、男子の制服を着ていなければ美少女にしか見えない堂島潤、ありとあらゆるスポーツに万能ながらラノベにハマってラノベ部に入部した吉村士郎などの面々とともに、マイペースで天然でおとぼけな物部文香の日常を描いた作品です。
まあほどほどに面白かったというところでしょうか。
僕は時々ラノベを読みますけど、正直なところ女の子が萌え萌えしているだけの奴っていうのはあんまり好きではないんですね。ちゃんとストーリーがしっかりしているような作品がいいなと思うんです。「狼と香辛料」とか。
本書は、僕があんまり得意ではない、女の子が萌え萌えしているような小説で、まあそんなに好きな話ではないんですけど、ラノベやオタク的な話に天然でツッコむ物部文香がなかなか面白くてそこそこ楽しく読めました。
本書の中で、ライトノベルをふんわり定義している箇所があって、抜き出してみると、
『読んだことのないものを偏見から判断することなく、ジャンルや定義や権威に囚われることなく、「漫画みたい」「アニメみたい」という形容をネガティブなものとして捉えることなく、こういう小説のことをただこういう小説であると受け入れることができる新しい感性を持った少年少女のために、「こういう小説」は書かれている』
とあります。まあ内容面からの定義ではないけど、なかなか面白い見方だなとは思いました。そもそもライトノベルをきっちり定義することは難しいですからね。
僕は何にせよ、小説であれば何でも読む人間で(ノンフィクションも読みますけど)、それこそジャンルなんて関係ないんですけど、それでも苦手とか得意とかいうジャンルはあります。SFやハードボイルドや歴史小説はあんまり得意じゃないし、ラノベもあんまり得意じゃない。それでも、じゃあそういう小説を苦手なジャンルだからと言って読まないかというと別にそんなこともない。何でも読みます。時間の許す限り。一応僕も、ライトノベルを読む対象には入っているという感じでしょうか。
一応これはシリーズが続いているようなんですけど、まあ続きはいいかな。やっぱり僕は、キャラクターに引っ張られるというよりは、ストーリーに引っ張られる人間なんで、こういうキャラクターで推すような小説はすぐに飽きてしまいます。ストーリーがしっかりしていて、かつキャラクターもいいというのがもちろん一番ベストではありますけどね。
まあそんなわけで、ほどほどに面白いという感じでしょうか。特にオススメはしません。さて今日はラノベをあと二冊読みます。

平坂読「ラノベ部」



密室殺人ゲーム王手飛車取り(歌野晶午)

森に着くと、車に乗ったグループで固まったまま土取りを行うように部長から指示がある。これも去年までと同じ。志保は、同じ車に乗っていた田村君に、トランクからタッパーやサークルの備品のシャベルなど道具一式を出してもらうように頼み、自分は新入生に、どういう場所にある土がいいのか、一箇所であまり深く掘りすぎないこと、などいくつか注意点を伝えた。田村君の準備が出来たことを確認して、みんなで森の中に入っていった。
 土取りに来ると、子どもの頃に野山を駆け回っていた頃の自分を思い出す。森のひんやりとした空気や、いつもより濃く感じられる空気、葉っぱと葉っぱの間から漏れ出る光の美しさなんかが、一瞬で自分を過去に連れ去ってくれるかのようだった。
 またその一方で、去年までの自分のことも振り返っていた。土壌の専門家である教授に魅入られ、自然全般から徐々に土壌へと自分の興味が変化していった中で、ガーデニングサークルでの土取りは実に面白い経験だった。さっき自分がしたように、新入生だった去年は先輩から深く掘りすぎないようにと事前に注意を受けた。それにも関わらず、一旦掘り始めると止まらず、何度も先輩にストップをかけられた。フラフラと奥まで入り込んでしまい、慌てて先輩が追いかけてくるということもあった。

「失踪シャベル 4-3」

内容に入ろうと思います。本日二度目の更新です。
<頭狂人><044APD><aXe><ザンギャ君><伴道全教授>というハンドルネームを持つ五人のメンバーが、インターネット上で推理ゲームを行う、という趣向の作品です。
彼ら五人は、ウェブカムの映像で自分の姿や声を双方向通信で送りながら、夜な夜な集まっては推理ゲームを繰り広げている。
しかし彼らの推理ゲームは一つ大きな特徴がある。
それは、出題者=犯人、ということだ。つまり彼らは、実際に犯罪を犯し、それを問題にしている。回答者は、ネットやテレビ、あるいは自らの足で情報を集めながら、出題者=犯人の出した謎を解いていく。
<aXe>の問題は、「次は誰を殺すか」というもの。ミッシングリンクもので、繋がりがあるようには見えない何人もの人が殺されて行く事件の繋がりを見つける問題。犯行現場には常に、犯行時刻とはまったく違った時間で止まっている時計が存在し、また謎めいた謎掛けのような文章も残っている。
<ザンギャ君>の問題は、「いかにして死体を運び出したか」という密室のようなもの。ある部屋で花瓶に生首が載せられた状態で見つかったのだけど、そのアパートの前は深夜まで工事中だったにも関わらず、誰も胴体の部分が入るような大きな荷物を持った人間を見かけていない、という謎。
<伴道全教授>の問題はアリバイトリック。静岡県の浜名湖付近で殺人事件が起こったのだけど、<伴道全教授>はベトナムにいた。飛行機の時間を考えると、どうやっても犯行時刻までに戻ってくることは不可能。いかにして犯行を成し遂げたのか…。
<044APD>の問題は三重密室。セキュリティが完璧だと謳われた「とよなかやすらぎが丘」は、周囲を壁で覆い、出入口は制限され、警備員が巡回し、各戸にホームセキュリティが常備してあるという物件だったのだけど、その「とよなかやすらぎが丘」に住む住人の一人が殺害された、という謎。
<頭狂人>の謎は、何が謎なのかが分からないところがまず謎というところでしょうか。
彼らは日々殺し、そして日々謎を解き…。
というような話です。
ムチャクチャな設定ではありますけど、なかなか面白い作品だと思いました。というか、歌野晶午らしいですね。
推理ゲームを出すために実際に事件を起こすというのは、なかなかトリッキーですけど、推理小説としてはなかなか面白い趣向だと思いました。何故なら、推理小説の場合ヒントは作者の文章に隠されているわけですけど、本書のような設定の場合、まず何がヒントなのかという部分が判然としないんですね。ネットやニュースで拾ったものや、自分の足で稼いだものがヒントに「なるかもしれない」(まあ、読者の立場としては、ネットやニュースで拾ったものだろうが、登場人物が足で稼いだものだろうが、どれも作者の書いた文章なんだけど、受け取り方としてなんか違うなという気がしました)。そういう、これまでの推理小説とはヒントの提示のされ方の違いみたいなものがなかなか面白かったなという感じです。
個々のトリックはさほどでもないと思わせるものもありましたけど、でもこれがうまいもので、さほどでもないという部分に理由がちゃんとあったりするんですね。それぞれのキャラクターが、何故そういう犯罪をしたのか、みたいな性格的な部分がうまく反映されていて、なるほどと思える部分が結構ありました。ストーリー自体というよりも、それを覆う大きな設定に素晴らしさがあるというような感じです。山本弘の小説に、「アイの物語」というのがあるんだけど、短編小説をさらに大きな括りで覆うという設定は似ているなという感じがしました。
話としては、<ザンギャ君>の生首の話と、<044APD>の三重密室の話が面白かったなと思いました。生首の話は、一部トリックはわかりましたけど、やはり完璧というわけにはいかなかったですね。三重密室の方は、『出題者が現実に犯罪を犯している』という設定がうまく目眩ましになっていたなぁという気がしました。
最後の最後に<頭狂人>が仕掛けたゲームがどうなったのか気になるし、本書の続刊も発売されているんでそっちも気になります。続刊の方は、今年度の本格ミステリベストで1位になったとかで、そっちも読んでみたい感じがします。
歌野晶午らしいおかしな小説だなと思います。本格ミステリが好きという人には結構楽しめると思いますけど、本格ミステリはそこまで好きじゃないという人は読まなくていいと思います。しかし相変わらず変な小説書くなぁ、この作家。

歌野晶午「密室殺人ゲーム王手飛車取り」



悪意の森(タナ・フレンチ)

部長の采配で車への分乗が差配される。やはり、上級生と新入生がほどよくミックスされるように組まれている。カナちゃんとアカネちゃんは同じ車のようだけど、志保は別の車に乗ることになった。
 新入生らとほどほどに喋りながら森へと向かった。ガーデニングサークルは、園芸全般に関わることであればどんなグループを作っても構わないということ、地元の花屋への卸ルートを作ったのも、土取りの地主さんと交渉したのも、そうやって過去の先輩が立ち上げた新しいグループの成果であること、一つのグループに所属するのではなく、いろんなグループを渡り歩く遊軍のような立ち位置も可能なこと、などサークルに関する基本的にな知識や、誰々先輩は彼氏がいるのかとか、テストの過去問はどの程度手に入るのかとのいった話まで、まあ新入生との会話としてはありきたりの話をしていた。

「失踪シャベル 4-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、イギリスやアイルランドやアメリカの数々の賞を受賞している、アイルランドの作家のデビュー作です。
20年前、ダブリンにあるその森で一つの不可解な事件が起こりました。三人の少年少女が森に遊びに行ったのだけど、戻ってきたのは一人の少年だけ。二人の少年少女は忽然と姿を消してしまいました。戻ってきた一人は完全に記憶を失い、何が起こったのかはまるでわかりませんでした。
その一人だけ戻った少年、ロブ・ライアンは、20年後刑事としてその森に戻ってくることになります。
その森に隣接する遺跡の発掘現場で、幼い少女の死体が見つかった。ロブ・ライアンは殺人課の刑事としてその捜査を手がけることになります。高速道路建設の反対運動や、かつてその森で起こった失踪事件などがいろいろ絡み合い…。
というような話です。
いろいろ賞を受賞しているという評価の高い作品ですけど、僕にはまあとにかくつまらない作品でした。本書で面白かったのは、下巻の最後五分の一くらい、つまり事件が解決する辺りのみです。それ以外の部分はもう退屈で退屈で何がどう面白いんだかまったくわかりませんでした。
でも世間的には評価高いのかなぁ。昔「風の影」という作品を読んでまあこれもクソつまらなかったんだけど、世間的には評価が高かったからなぁ。まあやっぱり、外国人作家の作品は僕には合わないということなんだろうな。
特に書くことがありません。とにかく退屈で退屈で仕方ありませんでした。こういう作品が好きという人もいるのかもしれないけど、僕はまったくオススメ出来ません。

追記)よかった。amazonの評価もかなり低かったです。

タナ・フレンチ「悪意の森」





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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)