黒夜行

>>2009年08月

ラン(森絵都)

本屋の話を書き続けるのはなかなかネタ的に厳しいんで、今日は本を読むことについて書いてみようかと思います。
本書の内容にちょっとだけ絡めてみることにします。
ついこの間、友人から「お前も走れよ」的なメールが来ました。そいつは会社でマラソン部みたいなのを立ち上げたらしく、ハーフマラソンだとかフルマラソンだとかをみんなで一緒にやってるような奴です。何でそいつが僕を誘おうとしたのかよくわからないけど、走るのはいいや、と言って断りました。
でも僕は、走るのは割と嫌いじゃないんですよ。中学時代は一応陸上部にいて、長距離を走ってたし、マラソン大会とか割と張り切るほうだったし。スポーツとかだって、趣味のレベルえやる分にはたぶん楽しく出来る。高校時代運動部ではなかったけど、体育の授業とかで卓球やらバスケやらラグビーやらをやったし、そこそこ動けたし楽しかった。体を動かすのは嫌ってわけじゃないんですよね。
それに、走るっていうのは個人で出来るからいいですよね。正直チームスポーツはちょっと苦手です。どんな球技でもそこそこやれはするけどすごくうまいわけではないから、チーム全体にそこまで貢献できるというわけではない。邪魔するようなことはないけど、プラスになるわけでもないんで、だったら個人競技の方が気が楽でいいです。そういう意味では走るのはいいと思うし、割と真面目な性格なんで、やると決めたらたぶんきちんとやるでしょう。勝ち負けではなくて、タイムという明確な数字で結果が出るんで自分なりの目標を持って出来るし、たぶんそういうのは僕に向いてると思うんですね。
でも僕は走らないわけなんです。その理由はまさに一点のみ。僕はとにかく本を読みたいわけなんです。
例えば、42.195キロ走りながら本を読める、マラソンの練習をしながら、筋トレをしながら本が読めるっていうなら、やってもいいですよ。でもそんなわけがない。僕にとって、何か別のことをするということは、それだけ本を読む時間がなくなる、ということなんですね。それは嫌だなぁと思うわけなんです。
日々売場で仕事をしていると、毎日読みたい本が出てくる。普段僕が見ているのは文庫と新書がメインなんだけど、それでも読みたい本に出会わない日はないんじゃないかってくらいいろいろ見つかる。しかも昔に比べて読む本の幅が明らかに広がった。昔はミステリばっかり読んでたのに、最近では小説よりもノンフィクションの方が多くなってきてる。書店で働いているからという理由もあるだろうけど、どんどんと読みたい本が増えていくわけなんです。
本屋に行っても古本屋に行っても読みたい本がありすぎる。出来る限り買う本は制限しているつもりだけど、それでも家から積ん読がまるで減らない。だから正直、他のことをしてる余裕なんてないわけなんですね。
特に僕の場合、誰も知らないような面白い本を掘り出すのが好きなんです。世間的に売れてたり評価が高かったりする本って、割と読む気が失せたりするんですね。それは書店で働いているということも大きく関係しているでしょう。誰も知らないような面白い本を見つけて仕掛けてやろう、といつも思っているんです。
でもそうなると、外れもたくさん引かないといけないことになる。評価の定まった作品だけを読むならばそんなに外れを引くことはないけど、僕みたいな読書の場合、外れの作品もかなり多い。だから余計読む時間が必要になるわけなんです。
どうしてそんなに読むのか、って聞かれることがたまにあるけど、そんなこと言われても困りますよね。読みたいものはどうしようもない。一冊でも多くの本を読みたい。長生きしたいとは思わないけど、死ぬ直前まで本を読んで生きていたい。そんな風に思っています。
だからどうした、と言われそうな内容ですけど、まあそんなわけで読書って言うのは僕にとってなんだか重要な位置を占めるようになりました。まあ本を読んでれば幸せなんだから楽ですけどね。どうやってこの話を終わりにすればいいのか分からないけど、まあとにかく、ドラゴンボールに出てくる「精神と時の部屋」があったら、読みたい本を山ほど持って1年間思う存分本を読みたいものですね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
夏目環は、両親と弟を事故でなくし、叔母さんも病気で失い、ほとんど天涯孤独の身。通っていた大学を中退し、アルバイトを転々としながら適当に生きていた。
そんな環の人生を変えるきっかけになったのが、とある自転車屋さんとの出会い。
そこの店主である紺野さんと親しくなり、最終的に環は、モナミ一号と名前がつけられた、紺野さんお手製のロードバイクを受け取ることになった。
まさかこのモナミ一号が、環を家族の元へと導いてくれることになるとは。モナミ一号は、この世とあの世のかけ橋である道をひた走り、環をあの世の下層へと連れて行ったのだった。
死んでしまった家族と再会した環だったが、同じく死んでしまった叔母に諭され、何故か走らなくてはいけない状況に追い込まれた。環があの世に行くのに使っていた自転車には本来の持ち主がいる。その持ち主に自転車を返さなくてはいけない。でもモナミ一号を失えば、もうあの世へとやってくることは出来なくなる。いや、手段がないわけではない。走ってくればいい。あの世とこの世を繋ぐ40キロのかけ橋を立ち止まることなく走り続ければあの世へ辿りつくことは出来る…。
それから走る訓練を始める環だったが、5分走るだけで息が上がる始末。そんな折、よくわからないおっさんからウチのチームに来ないかと誘われ…。
というような話です。
僕は特に理由もなく、本書を普通のスポーツ物の作品だと思っていました。「一瞬の風になれ」とか「風が強く吹いている」みたいな純粋なスポーツ物だと。でもそれはどうも違いました。確かにスポーツ物ではあるんだけど、正統派のスポーツ物ではありませんでした。
全体としてはうまくまとまっている作品だと思います。あの世とこの世のかけ橋を走り抜くために特訓する、という設定はちょっとどうかと思うけど、キャラクターやら細かい設定やらでうまいこと包んでいて、全体的には悪くない作品だなと思います。
ただ、うまく説明できないんだけど、どうも違うんですよね。この作品は、何か微妙なところで僕には合わない。別に作品の質が悪いとかそういうわけではないんだけど、あんまりダメですね。
というか、僕は森絵都という作家があんまりなのかもしれません。「DIVE!!」は傑作中の傑作だと思うけど、「永遠の出口」にしても「カラフル」にしても、悪くはないし作品としてはいいと思うんだけど、なんか物足りないというかちょっと違うというか、そういう違和感があるんですよね。だから手放しに絶賛出来ない。何でだろうなぁ。
森絵都の小説に出てくるキャラクターのクールさみたいなのは僕は結構好きだったりするんです。なんていうか、こう適度に乾いている感じ。人間普通に生きていれば、どうしても他者に寄り掛かったり依存したり同情を求めたりあるいは同情したりみたいな部分が出てくるんだけど、森絵都の登場人物はみんないい意味で乾いていて僕は結構好きだったりするんです。本書でも、主人公の環は他人に心を開かないし、環はイージーランナーズっていうチームに入るんだけど、そこのメンバーも割とみんな適度に乾いている感じがする。ちょっと前に同著者の「屋久島ジュウソウ」っていうエッセイを読んだんだけど、それを読む限り著者自身がそういう乾いた雰囲気を持つ人のような気がします。僕も割と乾いている感じの人間なんで、そういう部分は結構好きだったりするんです。
それに、森絵都の小説で描かれる悪意が本物っぽくて、そこもいいなと思うんです。人間が生み出す悪意って、テレビのニュースなんか見てるとどこまでも際限ないなって感じはあるんだけど、普段の日常生活の中で感じられるのってある程度の限度があるじゃないですか?そういう限度ギリギリのラインの悪意を描くのがうまいなって思うんですよね。本書で言うなら、真知栄子っていうキャラですね。真知の悪意は、僕らの日常の延長上にありそうな感じで、実にいい感じです。ま、ホントに真知みたいな人が近くにいたら、僕なんかキレちゃいますけどね(笑)。
じゃあ森絵都の小説のキャラクターは評価するんだね、と言われるとそうでもないんです。例えば環にしても、なんか受け入れられない部分がある。そりゃ小説に出てくる主人公に全面的に共感できることなんてそう多くはないんだけど、そういうのとはちょっと違うんですよね。うまく説明できないんだけど、なんか環とは合わないんです。他の登場人物にしても、なんかスッと受け入れられない。別に嫌いなわけじゃないし、さっきも書いたことだけど乾いた感じが好きだったりします。でもそういう部分とは別に、どうも受け入れがたいなと感じてしまう。何なんでしょうね、これ。ホントうまく説明できないんだけど。
ストーリーについても、荒唐無稽な設定を持ち出すなら徹底的にやってほしいなっていう感じもあるんです。あの世に自転車で行くっていう荒唐無稽な設定はいいんだけど、ちょっと真面目すぎるなって思うんです。中途半端というか。なんか厳しい評価だなって自分でも思うんだけど、たぶんこれは、「DIVE!!」があまりにも素晴らしい作品だったからかなとか思うんです。だから他の作品にはどうしても厳しくなってしまう。
まあそんなわけで、イージーランナーズのメンバーもそれなりによかったし、ストーリーの展開もうまくまとまっていたと思うんだけど、全体的にはどうも受け入れがたい作品でした。作品としての質が悪いわけではないんで完全に僕の好みの問題ですけど。たぶんこの作品が好きだという人は多いんじゃないかなと思います。興味がある人は読んでみてください。

森絵都「ラン」




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アフリカにょろり旅(青山潤)

書店の話とは関係ないけど、今日は人生で初めて選挙に行ってみました。
僕は、自分自身に関わることについては現状維持というか変化しないことを望んでいるんだけど、自分自身に関わらないことについてはとにかく変化を求めている人間です。
僕にとって選挙の結果なんてのは僕自身にはまったく関わらないことです。まあそんなこと言ってる時点で選挙権を持ってる価値はないんだけど、実際自民党が政権を取ろうが民主党が政権を取ろうがどうでもいいです。実際民主党が政権を取ったらいろいろ変わるかもしれないけど、少なくとも社会の末端に生きる僕が実感できるほどの変化というのが起こるとは思えません。
だから僕としては、僕自身にはまったく関わらない選挙に関しては大きな変化を求めるし、だからこそ小選挙区も比例も全部民主党に入れてみました。さて結果はどうなりますかね。
あと、最高裁判事の罷免とかいうやつは、とりあえず全部×をつけておきました。理由はないですけど、そもそもあの仕組みってまったく機能してないですよね?9人の名前が書いてあるんだけど、誰ひとりとして知ってる人いないですもん。ま、仕方ないですけどね。僕は何となく権力とか自分より上にいる存在みたいなものに反発する傾向がかなり強いんで、そういうのもあってとりあえず全員×にしてみました。あれで罷免される人ってホントにいるのかなぁ。高校の公民の授業とかでもしかしたらやったかもしれないけど、覚えてないなぁ。
話は一気に変わって、僕がいつも不思議だなと思うのは、お客さんは本屋の店頭で何を見て買うかどうかを判断するのか、ということなんです。
僕自身は、今ではかなり知識があるし、興味の幅も広いんで、そもそも欲しいなと思っている本が山のようにあります。だから店頭では、その欲しいなと思っているリストにあるかどうか、という照合をすることになります。
でも、僕だって本を読み始めた頃は知識とか全然なかったわけで、じゃあそういう頃は何を基準に選んでいたんだろうと考えるんだけど、あんまり覚えていないんですよね。作家で買ったり、何か賞を受賞しているから買ったり、あるいは装丁がいいからという理由で買ったりといろいろですけど、特別決め手になるようなものがあるのかというとちゃんと覚えていないんです。
書店で働いていて不思議なのは、何故それだけ異常に売れるんだ、という本が時々出てくることなんです。
例えば、それが僕がかなり推している作品なら分かります。今で言えば、辻村深月の「凍りのくじら」をかなり推しているんだけど、これなんかはいろんなところに置いてるし、POPみたいなものも相当頑張っているんで、売れて当然とは思わないけど、売れることが不思議だという風には思いません。
でも不思議なケースというのはかなりあります。
例えばウチの店の入り口には文庫や新書を置く僕のスペースがあるんだけど、そこの三分の一以上を子育て本が占めています。「赤ちゃん学を知っていますか?」「赤ちゃんと脳科学」「子供を東大に入れる~」「子育てはキレないあせらない」「男の子ってどう育てるの?」「16歳の教科書」「発達障害の子供たち」など、子育てに関わる本を置いています。売れなくなった本をどんどん入れ替えるという形で、もう2年ぐらいずっと常設しているでしょうか。
その中でとにかく一番売れて、今でも売れ続けているのが、PHP文庫の「子どもの心のコーチング」という本です。これは世間的には特に売れているというわけでもなく、僕がその作品だけを推しているということもないんです。帯がついている作品でもないし、POPもつけてないんで、その売場でそれだけ目立つという状況にはないんです。
でもこの「子どもの心のコーチング」は、結局去年のウチの文庫の売上の13位という驚異的な売上をみせました。12位が「蟹工船」で、15位が「重力ピエロ」、17位が「天璋院篤姫」なわけで、どれだけ凄いか分かってもらえるでしょうか?
「子どもの心のコーチング」は今年もまだ売れ続けていますが、今年その子育て売場に置いてある中で一番売れているのが、同じくPHP文庫の「0歳からの子育ての技術」という本です。こちらも同様に、これだけが特別に目立っているというわけでもないのにバンバン売れています。
こういうケースが時折あるんで、凄く不思議だなと思うんですね。主婦仲間の中で、あの本はいいよみたいな情報が回ってるんでしょうかね?ビジネスっぽい文庫や新書でも同じような現象があったりするんだけど、それも情報が回ってるということなんでしょうか?もしそうだとすれば口コミで売れているということなんでしょうけど、どうでしょうね。僕には分かりません。
僕は常に、他の店では売っていない本をたくさん売りたいと思っているんで、常にいろんなチャレンジをしています。もちろん失敗もかなり多いですけど、最近は昔に比べたら失敗することが少なくなってきた気がします。大体この売場だったらこれは売れるだろうという感覚がきちっと身に付き初めてきているんだろうなと思っています。これからも、他の店ではまったく売っていないような本を発掘してバリバリ売っていこうと思っています。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、長いこと謎のままだったウナギの産卵場所を世界で初めて特定したことで一気に有名になった東京大学海洋研究所の「ウナギグループ」に所属する著者がした冒険を綴った作品です。
何故ウナギの研究に冒険が関わるのかというと、それはアフリカにしかいない「ラビアータ」というウナギを見つけるためなんです。著者は、世界に18種類いるウナギのすべての種類を採取し、遺伝子的に研究しようと計画をし、世界中を回って17種類のウナギを採取することに成功しました。しかし、残り一種類であるラビアータだけは未だ採取出来ていない。そのラビアータを求めてアフリカくんだりまで行くのである。
旅はもともと三人で始まった。著者と、ウナギの産卵場所を特定した塚本教授(旅はウナギの産卵場所特定よりも前に行われた)、そして助手のような立場である俊の三人である。
三人は、集団にボコボコにされているアフリカ人を目撃し、悪路をトラックで突き進んだり、断水した状況の中でシャワーを浴びたりという状況を繰り返しながら、ラビアータを求めてアフリカ中を駆け巡るが、一向に見つからない。
しかし、ラビアータが手に入りそうだという状況になり、日本で予定もある塚本教授は帰国することになった。しかしもちろん旅は終わらない。手に入りそうだったラビアータが手に入ることはなく、残された著者と俊は地雷原を超えて内戦が続く国にまで入り込むことになる。マラリアに罹患したり、ハエにたかられても動けなかったり、必死に嘘をついて外国人が立ち入れない場所に潜り込んだりと奮闘するも、簡単にはラビアータは見つからない。
『安全かつ確実にウナギを採集し、帰国することだけが目的』のはずの彼らの旅は、辺境作家である高野秀行もビックリするほど混沌を極めていくことになり…。
というような作品です。
これは面白い作品ですね。解説で高野秀行も書いていますけど、「あえて冒険に挑戦している人間」より、「冒険しているのにそのことに気づいていない人間」の方が見ていてずっとおかしい。著者は本書の中で、『私たちの旅は、よくあるテレビ番組のように面白おかしく辺境で過ごせればいいという訳ではない。安全かつ確実にウナギを採集し、帰国することだけが目的なのだ』と書いている。しかし、安全なんてどこにもないし、ラビアータはまったく手に入らない。そして彼らの旅は、まさに『面白おかしく辺境で過ごせればいいというテレビ番組』のようになっていくのである。これが面白い。彼ら自身は真面目にウナギを探しているだけで、これは研究の一環であると考えている。しかしそれを見ている人からすれば、彼らが辺境を面白おかしく過ごしているようにしか見えないのだ。そのギャップがあまりにも滑稽で面白い。高野秀行の作品を何度か読んだけど、そのアホさっぷりには笑ったものだ。しかし高野秀行は、基本的にアホなことをするために(本人としては真面目なようだが、ウモッカなんているかどうかも分からないような魚を見たいというだけのためにインドに行くというのはアホなことだろう)辺境に行くのだ。しかし本書の著者は、基本的には研究のために辺境に行くのだ。そうするしか手段がないから、そしてそこで結果を出す以外に方法がないからこそ行くのだ。完全に真面目な目的である。しかしその完全に真面目なはずの旅が、見ている側からすれば面白いものになってします。これは凄いなと思いました。
結局二か月ぐらいいたのかな?ちゃんと分からないけど、それぐらいは最低でもいたんじゃないかなと思います。二か月アフリカにいるとか、結構尋常じゃないと思いますよ。しかも街にいるわけじゃないんですよ。僕はエジプトに旅行に行ったことがありますけど、ツアーで遺跡とか回りながら街のホテルに泊まるような旅行でした。それでも、一週間もいるとさすがにキツいなと思いました。彼らは、酷いホテル、酷い料理屋、酷い暑さなんかにさらされながら二か月以上もいたわけで、凄いものですよ。
作中でも書いていたけど、アフリカにいた彼らがほとんどの時間を費やしていたことは、アフリカという環境でいかに生き延びるかということで、ラビアータ探しはそのついでというぐらいの配分です。でもそうしないととてもじゃないけどもたないくらい、彼らのいた環境というのは厳しいわけですね。
読んでてキツいなぁと思ったのは、トイレと水ですね。トイレはとにかく凄い。旅行先のトイレについては、それ一冊で本になるぐらいいろいろあるんだろうけど、著者らが経験したトイレもなかなか凄まじい。何せ、どこに行っても大便が流されないまま便器にうず高く積み上がっているのだ。時には水さえ流れないようなこともある。僕もエジプトでトイレに行きましたけど、かなり酷い環境のものもいくつかありました。女性だったら相当キツいんじゃないかなと思います。
後は水ですね。水についてもよく言われるだろうけど、旅行先では生水を飲んではいけない。現地の人には問題なくても、純粋培養の地日本で育った僕らには、海外の生水は危ない存在だ。
それでも彼らは時として、生水を飲まないといけない状況がやってくる。ギリギリまで我慢することが出来ても、どうしようもない状況というのも出てくる。それに飲料水だけではなくてシャワーの水なんかの確保も大変だ。
そういえば僕はエジプトに行った際、夜皆で街中に繰り出したのだけど、その時屋台みたいなのをやってるオッちゃんから水道水を受け取ってそのまま飲んでしまったことがある。そういえば生水は危険だったなと思ったのは周りの人にそれを指摘されてからで、飲んでる時は何も気づかなかった。結局腹を壊したりすることはなかったからよかったけど、危ないことをしたものだなと思いました。
旅にはあんまり関わらなかったけど、塚本教授がなかなか存在感のあるキャラクターでした。『誰がなんと言おうと、いつの時代にも、どんな世界にも、やっぱり冒険は必要だよ』なんて言葉は、世界に認められる教授でありながら実際自らフィールドワークに出ている人が言うからこそ重みがあるなと思います。飄々としていながら信念はかなり強く持っている人のようで、変人好きの僕としては好きになれそうなタイプだなと思いました。
そんなわけで、かなり変わったノンフィクションです。最近地位を確立しつつある「エンタメノンフ(エンターテイメント・ノンフィクション)」の範疇に入る作品です。真面目さと奇妙さが混然一体となった奇書です。是非読んでみてください。

青山潤「アフリカにょろり旅」



箆棒な人々(竹熊健太郎)

さて今回は、書店の話というわけではないんだけど、小売業に関わるお話を少し。
また最近新型インフルエンザが流行してるみたいなんですけど、近くの小売店の店員はマスクをしていますか?
ウチの店も、ちょっと前に新型インフルエンザが流行し始めた時は、スタッフ全員にマスクを必ずつけることという指示が出ました。あれは嫌でしたね。マスクの何が嫌って、あのゴムを掛けている耳が痛くなるんですよ。これは、分からない人は分からないみたいなんだけど、分かる人は分かるみたいです。僕は耳に何かを引っかけるっていうのがてんで駄目で、昔メガネ好きのバイトのスタッフが辞める時に、その日入ってるスタッフ全員がメガネを掛けるっていう企画があって、僕も100円均一で伊達メガネを買って掛けたんだけど、あれもダメでしたね。2時間もしてると耳が痛くなてる。マスクのゴムもダメで、とにかく耳が痛くて集中できないんです。息が苦しいとか、口の周りがモヤッとするとか、マスクの嫌なところはいっぱいあるんだけど、とにかく耳が痛いのが一番辛い。
で、最近インフルエンザの流行シナリオみたいなニュース記事を見たんだけど、正確な記憶じゃないかもしれないけど、一日の入院者数が4万人みたいな予想みたいですよ。凄くないですか?最近、新型インフルエンザで7人目の死者が出たとかいうニュースも見たし、これは結構大変な事態なんではないかと。
でも、最近どこの小売店でも別にマスクとかしてないような気がするんです。薬局とかでも普通にマスク売ってるから品薄になってるなんてこともないし。僕にはこれが不思議で仕方ないんですよね。
僕は別に、インフルエンザになったらなったで別にいいやとか思ってるんで(出来ればそのまま死ねたら素晴らしいとか思ってるような人間だけど)、別にマスクをしたいとかそういうようなことを言うつもりはまったくないんだけど、流行し始めはあんなに騒いでマスクが品薄になるほどだったのに、本格的に流行しそうで、まさにパンデミックと読んでいい状況が来るかもしれないという今は誰も対策を取ろうとしないんですよね。これって何なんでしょうね?前の流行の時、日本人はマスクをしてておかしいって外国のメディアで紹介されたらしいんだけど、その当時はそうかなぁまあ自己防衛も大事なんじゃない、とか思ってたんです。でも、こうやって再流行しそうだってなってるのに誰も反応しないところを見ると、やっぱりちょっと前の狂騒は、結局のところ集団催眠みたいなものだったのかなとか思ってしまうんですよね。なんかそれが残念で仕方ないという感じがします。
別に世界から笑われようが何だろうが、自分たちが正しいという信念でやってれば僕はいいと思うし、別に世界から笑われたから今マスクをしないなんてことはないんだろうけど、結局状況としては今の方が危なそうなのに、危ないという情報に反応をしないというのは、安易に情報に踊らされる国民性を反映しているんじゃないかなとか思ったりします。
でここから話は一気に飛んで無理矢理本屋の話にするんだけど、現代のベストセラーが生まれる背景とまったく同じだなと思うんです。最近のベストセラーというのは、発端はどういう形でもいいんですけど、何らかの形でテレビやネットで取り上げられて、という形でないと発生しえないんです。村上春樹の「1Q84」があそこまでバカ売れしたのと、新型インフルエンザが初めて確認された時のマスク騒ぎというのは、結局同じようなものなんではないかな、という感じがします。書店で働いている人間としては、どういう形であれ本が売れてくれるのはいいことなんですけど、でも今言ったような形で本が売れるというのは本来危険なんですね。何故なら、お客さんの眼がまったく養われないからなんです。メディアで紹介されたから買ってみよう、というお客さんばかりだと、そういう本しか売れなくなってしまう。僕は、お客さんに自分で選ぶ眼を養ってほしいと思っているし、書店はそれを促す場であるべきだとも思っているんです。それが、amazonのようなネット書店との差別化にも繋がると思うし。売れてるベストセラーだけを並べる、人気作家の既刊だけを並べる、出版社が組んだ売れ筋のフェアだけを並べる。それだけでも確かに書店というのは成り立ってしまうし、立地次第では売上もそこそこ見込めることでしょう。でも、恐らくそういう本屋はどんどん淘汰されていくのではないか、と僕は思っています。結局そういう本屋は、お客さんの眼を養う役割を担えていないんです。自分で本を探すというお客さんをどんどん増やしていかないと、恐らくリアル書店というのは立ち行かなくなっていくのではないかと思っています。だから僕は、売れそうにない本でも売場に置いてみるし、ベストセラーだからと言って多面展開することもしないし、棚には出版社がつけた上位ランク以外の作品もガンガン入れています。書店員もお客さんから勉強させられることは多いけど、その一方で書店員が売場を通じてお客さんの眼を養う一助を担うというのも大事なのではないかなと思っています。
本当はこんな話を書く予定ではなくて、ただインフルエンザの話を書こうと思っただけなんだけど、文章を書きながらそんなようなことを思いついてしまったので書いてみました。どんなもんでしょうか?
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、戦後のサブカルチャーの偉人四人に、竹熊健太郎がインタビューをしたものをまとめたものです。あとがきでちょっと触れられていますが、本書は「クイック・ジャパン」という異色雑誌に連載されていたものです。しかしあとがきに書かれていた「クイック・ジャパン」創刊の話は凄かったなぁ。
本書で紹介される四人は以下の通り。本書に書かれている略歴をそのまま書き写そうと思います。

康芳夫
「天下の奇人」「騒動士」「扇動家」とさまざまに故障されるマルチ・プロデューサー康芳夫は、昭和十二年(一九三七)東京・西神田に中国人医師の子として生まれた。母親は日本人。一九五八年東京大学に入学。在学中に作家の石原慎太郎や興行師・神彰と出会い、卒業と同時に興行の世界へと身を投じる。以後、『アラビア大魔法団』やカシアス・クレイ(モハメド・アリ)の世界ヘビー級公式戦を日本で開催するなど、東大卒の異色プロモーターとして辣腕を揮う。七〇年以降は『ネッシー捕獲探検隊』(一九七三)、謎の類人猿『オリバー君』来日フィーバー(一九七六)、『ノアの方舟探索プロジェクト』(一九八三~)の仕掛人としてマスコミを騒がせた。また戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』(沼正三)の全権をつかさどる出版プロデューサーでもある。自称「虚業家」。

石原豪人
大正一二年(一九二三)霊地出雲に生まれる。一八歳で大陸に渡り、会社勤めのかたわら映画看板などの画業をこなす。太平洋戦争勃発とともに現地召集、中支派遣軍藤部隊情報部のスパイとして活躍。戦後は上海で用心棒になるなど無頼の日々を送るも、昭和二一年帰国して画業に復帰。映画看板、紙芝居屋を経て挿絵画家となる。以降、江戸川乱歩・山手樹一郎。川内康範をはじめ組んだ作家は枚挙にいとまなく、『明星』『平凡』では幾多の芸能人を描いて人気を博す。また昭和四〇年代には少年誌に多数の怪獣画を描き、大伴昌司とともに怪獣ブームを支えた立役者となる。朱簿範囲は映画看板・紙芝居・カストリ雑誌・少年少女雑誌・芸能雑誌・新聞小説・劇画・広告・SM雑誌・ホモ雑誌にいたるところまで向かうところ敵なし。自宅の床が抜けるほどの作品点数あり。イラストなる言葉が登場するはるか以前から描き続けてきた戦後日本を代表する挿絵画家。現代の浮世絵師、日本のノーマン・ロックウェルとも呼ばれる。そして座談の名手。一九九八年没。

川内康範
大正九年(一九二〇)北海道函館市に生まれる。小学校卒業後、家具屋の店員から炭鉱夫まで二十数種類の職業を転々とし、独学で二十代より作家生活に。「愛は情死である」をテーマに、詩・小説・脚本・マンガ原作・作詩(川内氏は「作詞」という表記を好まれないため、本書では「作詩」に統一した)の各分野で数百本に及ぶ作品を執筆。日本初のヒーロー番組『月光仮面』では原作と脚本を担当し、未曾有の大ヒットと飛ばした。千五大衆文芸を代表する巨人のひとりである。また政治思想家・民族派運動家としても若くして頭角を現し、戦後、個人の立場で海外に抑留されていた日本人の帰国運動や、戦没者の遺骨引揚運動を展開。これが契機となって政財界に深くかかわり、佐藤栄作・福田赳夫・鈴木善幸・竹下登ら歴代自民党総裁の私的政策立案顧問を務める。その一方でアナーキスト竹中労とも親交を結ぶなど、左右を弁別しない幅広い人脈はまさに怪物的ともいえる。政治運動家としての信念は「生涯、助っ人」。二〇〇八年没。

糸井貫二
大正九年(一九二〇)東京府多摩群(現在の西新宿)に生まれる。超・前衛芸術家。全裸で日常生活をおくる伝説をもつ。終戦直後は体操選手として活躍、第一回国民体育大会にも参加。一九五一年、美術史上名高き読売アンデパンダン展(アンパン)に初出品、初の個展「かんダダ作品展」(銀座ふぉるむ画廊)を開催。五〇年代後半より、本格的な「芸術行為」を開始。アンパンには毎年出品するが、出品拒否にあうことしばし。六〇年代を通じて、全裸パフォーマンスによる儀式を繰り広げる。七〇年代に入ると、年老いた両親の看病に専念、世間との交わりを絶つ。御尊父は七七年、御母堂は七九年に亡くなられた。八〇年代からは、反戦・反原発・セックス参加を中心にメールアート行為に没頭。今も仙台某所にて健在。日本のハプニングアートの鼻祖なるも、美術史記述なし。通称「ダダカン」。

とりあえず本書の内容紹介は、この人物紹介文をもって代えさせてください。インタビューはとにかく多岐に渡るんで、内容の紹介のしようがない。とにかく四人とも凄まじいという表現がぴったり来るような人たちばっかりです。確かに戦争というファクターがあったことは彼らにとって大きな影響を与えただろうと思うけど、でもそうでなくても彼らの放つ異彩は凄いものがあるなと思います。とくにダダカンは凄い。前半の三人はきっちりと社会に根を下ろしながら、一方で異端と呼ばれるような生き方をしているわけなんだけど、ダダカンだけはそもそも社会に根を下ろしていないという点で圧倒的に異端である。とにもかくにもまあ、よくもこんな四人にインタビューしたもんだな、と思います。僕だったら無理ですね。相手からこれだけのものを引き出せないのは当然のこと、そもそもまともに喋ることが出来るかどうかだって怪しいものだなと思います。
こういう、偉人と呼んでいい人々の生きざまを知ると、やっぱり自分のことを考えてしまいますね。もちろん、本書で紹介された四人ほど破天荒な人生を歩みたいというわけでは全然ありません。別に平凡でいいです。でも、せめてもう少し指針というか道しるべというか、そういうものがあればなと思ったりします。
今日のヤフーニュースで読んだんですけど(記事はこちら)、人間は砂漠などの道しるべの何もない状況や目隠しされた状況だと、本人としてはまっすぐ歩いているつもりでも、実際円を書いて歩いてしまう傾向が強いんだそうです。
僕の人生もまさにそれに近いなと思うわけなんです。僕も、人生における道しるべみたいなものがまったくないので、目隠し状態で歩いているようなものなんですね。だからたぶん同じようなところをグルグル回って生きている。そこから抜け出したい、と強く思えないところが僕のダメなところで、だから、道しるべがあったらなぁと思うだけで探そうともしない。そんな生き方はダメだなぁとか思うんだけど、めんどくさいからどうでもいいなぁとも思うし、別にこういう生き方が嫌だっていうわけでもない。まあそんな感じです。
でもこういう、巨大な道しるべを持っているだろう人々の話を読むと、何だか自分がはっきりと劣っているような気がして何だかお尻がムズムズしてきますね。いたたまれないというか。別に本書を読んだからって、よしもっと頑張って生きるぞー、なんてことにはならないんだけど、もう少し自分自身なんとかならんものかなぁと思ったりします。
本書で紹介されている四人の中で一番強烈なのはダダカンですけど、僕が強く惹かれたのは康芳夫です。この人は何だか凄い。何が凄いんだかよく分からないんだけど、凄いなと思いました。生き方は四人ともみんな凄いんだけど、何だろうなぁ、やっぱり東大出てるから頭がいいとかそういうことなのかな。博打打ちみたいな仕事をしているわけで、そういう危うさに惹かれるのかもしれない。何にせよ、この康芳夫っていう人はちょっと凄いなと思いました。
というわけで自分の話ばっかり書いて内容についてあんまり触れていませんが、何にしても内容紹介が出来るような本じゃないですよ、これは。読まないと分からないですって。僕は本書で紹介された四人のことを読むまで誰ひとりとして知らなかったけど、読み終わった今ではこの人たちはホント凄いんだなと思っています。それと、インタビュアーの竹熊氏も凄いと思う。僕らの同世代とかでこういう人を探すのはまず無理でしょう。時代が生んだ、と言えばそれまでなのかもしれないけど、そう言い切るにはあまりにも振りきっている四人の生きざまを是非読んでみてください。

竹熊健太郎「箆棒な人々」



将棋の子(大崎善生)

さて、少し前に書いた話ですが、覚えていますでしょうか?ウォールポケットなるものを使って多面展開できるようなスペースを作り出すという話。
そのアイデアは、今週の月曜日に思いついたんですが、今週の木曜に完成しました。材料を集めたり実際に売場に設置したりということを含めてたった4日で完成させました。自分でもなかなかのハイスピードだなと思います。
もう一度どういうものなのか説明すると、ウチの店の入り口の前には、文庫と新書をメインで置いているスペース(つまり僕専用のスペースということですが)があります。それは木で作ったテーブルみたいな感じの台でして、その下の空いてるスペースにウォールポケット(壁に掛けたりして写真なんかを入れるやつ)を吊るして、そのポケットに文庫を1冊入れて多面展開をする、という形になります。タテ4×ヨコ5のものが二つ、タテ4×ヨコ6のものが一つの、計64面での展開が出来る計算になります。材料費なんかで結局4000円ぐらいかかりましたけど、予想通りの仕上がりになって僕としてはなかなか満足です。
これは元々、いろんな理由があって売らないといけない講談社+α文庫をたくさん売るために考え出してアイデアなんですけど、ただまだその本自体は来てないんですね。なんで、ちょうどタイミングよくたくさん入ってきた、PHP文庫の「心の休ませ方」っていう本を今展開しています。
しかしですねぇ、残念なことに、僕の予想に反してこれが全然売れないんですね。売れないどころか、ウォールポケットから本を取り出して立ち読みしている人の姿も見かけたことがないんです。結構目立つと思うんだけど、なんでだろうなぁ。
とにかく早急に何とかしないといけないのは、いかにしてその多面展開を目立たせるか、ということですね。とにかく、ウォールポケットから取り出して読んでくれるようにならないとどうしようもないわけで、何か手を打ちたいと思います。
話は変わって。もうすぐ棚卸しなわけですけど、在庫の調整の方はもうだいぶ前に終わっています。棚卸し後にやりたいなと思っていることがいくつかあって、早くそっちに取り掛かりたいものです。
その一つが、今回感想を書く著者のデビュー作である「聖の青春」を仕掛ける、というものです。レジ前にも文庫や新書を置く僕のスペースがあるんですけど、そこに「聖の青春」と、将棋マンガである「ハチワンダイバー」「3月のライオン」の1巻を並べておく、というプランです。今店のスタッフに、「ハチワンダイバー」と「3月のライオン」のキャラクターが「聖の青春」を勧める、みたいなPOPを作ってもらっております。計画は順調。
また、昔僕が読んで劇的に感動したブログ本「私を見て、ぎゅっと愛して」を再度仕掛けようかなと思っています。早く文庫になってほしいんですけど、まったくなる気配がないんで、単行本ではありますけど、またガツガツ売ってみようと思っています。
まあそんなわけで、やりたいことが目白押しで忙しいわけなんですけど、バリバリ頑張っていく所存であります。店全体の売上が下がっている中で、文庫の売り上げは前年比でほぼ変わらず。かなり健闘していると言えるのではないかなと思います。頑張ります。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、かつて「将棋世界」という雑誌の編集長であり、「聖の青春」という作品で作家デビューを飾った著者の、デビュー二作目です。デビュー作と同様本書も将棋を扱った作品ですが、デビュー作の「聖の青春」が、村山聖というたぐい稀な才能を持った一人の天才を扱っていたのに対し、本書では、奨励会という棋界独特の世界の中で敗れ去っていった人々を描いた作品です。
まず奨励会というものの説明をしましょう。奨励会というのは、将棋のプロ養成所みたいなところで、基本的にはこの奨励会の中で4段にならないとプロ棋士にはなれません(それ以外のルートでプロになった人もちょろちょろいるようですが)。奨励会というのは、全国から棋士を目指す若者が集い、切磋琢磨し、競い合い、そうやってプロを目指す場です。
奨励会にはいくつかのルールがあります。その内の一つが年齢制限。何歳までに何段になっていなくてはいけない、というルールがあり、その年齢を過ぎてしまえば自動的に奨励会を退会ということになってしまいます。これが奨励会員に圧し掛かる最も重いプレッシャーとなっていきます。
またもう一つ厳しいものが、三段リーグの存在です。三段リーグとは、三段の奨励会員が、たった二つの四段の椅子を掛けて争う総当たり戦のことです。三段リーグは一年に二度あり、一回につき二人四段に上がれるので、年間で四段に上がれるのはたったの四人ということになります。
このような年齢制限や昇段への制限があるために、そこには悲喜こもごものドラマが生まれることになります。
著者は本書で、そうした歴史の陰に埋もれてしまう、奨励会という仕組みから放り出されてしまった多くの若者を本書で描きました。
本書にはメインとなる一人の男の存在があります。
成田英二。著者はこの成田と浅からぬ因縁があります。
著者が「将棋世界」の編集長になって10年目。そろそろ辞めようという決意を固めていた頃、一通のメモ書きが目に留まった。棋士や関係者の住所や連作先が変更された時に総務課から配られる事務通信のメモ書きであった。
そこにはこうあった。

連絡先変更のお知らせ。
成田英二四段。
札幌市白石区白石2条1丁目
白石将棋センター気付

このメモが、著者を北海道へと向かわせることになった。
住所が将棋センター気付ということは、恐らく何かまずい事情を抱えているに違いない。そう思うと、唐突に成田に会いたくなった。
本書は基本的に、成田に会いに北海道へ向かい、成田と再会し、多くの話をし、別れるという大きな流れがあります。そして著者はその流れの中に、多くの奨励会員の話を挿入していくことになります。
たった一度の凡ミスですべてを失い、気力さえも失い、池袋の水商売の世界に飛び込んで行った秋山太郎。
棋士への道を諦め、将棋連盟の事務員として長く勤め上げた関口勝男。
将棋の世界では、圧倒的な強さを誇った羽生の他、佐藤康光、小倉久史、木下浩一など、それまでの将棋のスタイルをすべて一新させてしまった昭和57年組と呼ばれる存在があるのだが、その集団にモロに飲み込まれ、一時はトップを走っていたものの、あっさりと57年組に追い抜かれそのまま消えてしまった昭和56年組の米谷和典。米谷はその後司法書士の試験に一発で合格する。
年齢制限により奨励会を退会した加藤昌彦は、自暴自棄になり喧嘩ばかりしていた頃に俳優を目指すことを決意する。赤井英和の付き人をやりながら修業をするも、最後には将棋ライターになった。
第一回世界将棋選手権の優勝者である、ブラジル代表の江越克将も、かつては奨励会にいた。師匠に世界を放浪してこいと言われて本当にそれを実行に移した江越は、今ではブラジルで結婚しており、アマゾンの奥地に住む孤児が安全に暮らせる施設を作るボランティア活動をしている。
成田の生い立ちや両親との関係、著者との関係や奨励会を去った後の暮らしなんかをメインで描きながら、様々な形で将棋と区切りをつけて行った多くの若者たちの生き様を描いていく。それはまさに、将棋という残酷なスポーツを間近で見続けてきた男にしか描けないことだ。人生を掛けて将棋を指し、失意の内に敗れ去った多くの若者のその後を描いた作品です。
いやはや、やっぱり素晴らしいですね、大崎善生のノンフィクションは。僕は何となく大崎善生の小説は読む気がしないんだけど(「パイロットフィッシュ」だけ読みましたけど)、ノンフィクションいいですね。出来が完璧です。素晴らしすぎます。「聖の青春」と「将棋の子」読んだら、将棋に興味のない人でも将棋に興味が湧いてくるんじゃないかという感じがします。
しかも、普通こういうノンフィクションって、成功した人間を書くことが多いですよね。スポーツでもなんでも、敗れ去った人間にスポットが当てられることってそんなに多くないと思うんです。活躍している人間、かつて活躍していた人間、そうい人が主人公になるはずです。実際著者のデビュー作である「聖の青春」は、村山聖という一人の天才を描いた作品でした。
なので、本書のように、成功出来なかった人間を描くというのは少なくとも僕にはすごく新鮮で面白かったです。他のスポーツや似たような分野でもそうでしょうが、将棋というのはまったくつぶしの利かない選択なんです。将棋が出来るからと言って、社会に出て役に立つことなんかほとんどない。一方で、プロになれるのは年に4人という厳しい現実もあるわけなんです。だから、多くの若者が、奨励会を退会し、社会に出ていくことになる。
けれど、社会に出て何が出来るってわけではないんです。米谷のように、一念発起して資格試験を受ける、という人間もいるでしょうが、そういうことが出来ない人間も多い。そもそも、最近ではそうでもないらしいんだけど、昔は奨励会には学校に行っていない人間も多かったらしいです。だから中卒みたいな人がたくさんいた。そういう中で、社会に出てどうにかやっていかなくてはいけない。そしてそれ以上に、自分がこれまですべての時間をつぎ込んできた将棋というものと、何らかの折り合いをつけなくてはいけない。そこにドラマが生まれるわけなんですね。
また、ノンフィクションでありながら、作中に著者自身がたくさん出てくる。ある種の自伝風な趣きも兼ね備えている。また、主人公の内面描写を、まるで小説のように本人になりきって書く。そういうスタイルが、ノンフィクションでありながら普通のノンフィクションではないという独特の雰囲気を醸し出していて凄く好きです。
特にメインで描かれることになる成田はいいですね。この成田は実に波乱万丈な人生なんです。母親と離れたくなくて奨励会入りを拒んでいたのだけど、母親も一緒に東京に行くと決断し奨励会入りを決める。成田は早指しで、とにかく考えずに打つんだけど、それでも小学生ぐらいの時点でもう成田に勝てる大人は周囲にいなかったほどの実力を持っていた。
しかし成田は独特の将棋観を持っていた。成田は、勝敗はもちろんだが、自分オリジナルの将棋を打ちたいと思っていた。だから他の人の棋譜を研究したりすることはなかった。また著者も再三指摘したことだが、成田は序盤が弱かった。終盤に圧倒的に強かったので、序盤は適当にやっていても勝ててしまっていたのだ。それは、その当時の棋界ではさほどおかしなことではなかったのだ。しかし、羽生を始めとする57年組がその風潮を変えた。羽生たちは、序盤こそが発想を求められる場所なのだと考えた。終盤はセンスではなくただの計算だ、と。序盤でいかにして戦うかを羽生たちが初めてまともに考えるようになったのだ。
そういう流れの中で、成田は自らの信念を曲げなかったため、相変わらず終盤は強いのだが、それでも勝てなくなっていった。
不幸は続く。
父親が心筋梗塞で突然死に、母親もガンであることが発覚するのだ。
それから成田は落ちるところまで落ちて行ってしまい、著者が会いにいった時は借金まみれで逃げ回っていた。
僕はいろんな機会に時々思うのだけど、中途半端な才能というのは逆に苦しむ要素だなと思うんです。中途半端な才能では、ある小さなコミュニティの中では通用するけど、全国区になると途端にダメになる。それでも、自分の才能をなかなか見極めることが出来なくて、ずるずるとその世界に片足を突っ込んでしまうことになる。僕は基本的に才能なんかこれっぽっちもないのでそういう悩みとは無縁だけど、中途半端に才能を持って生まれてしまってしまった人というのはある意味で相当辛いのかもしれないな、と思いました。
まあそんなわけで、まだまだ書こうと思えばいろいろ書けると思いますが、疲れてきたんでこの辺で終わります。とにかく素晴らしい作品です。将棋に興味がない人もぜひ読んで欲しいです。オススメです!

大崎善生「将棋の子」



ときどき意味もなくずんずん歩く(宮田珠巳)

さて本日二つ目の感想。案の定時間がないので書店の話は割愛。しかし、忙しかった8月前半とは違って、後半は実に穏やかに過ぎていくので、読書が進む。素晴らしい。とはいえ、何だかんだで仕事の方はバタバタしていて、一刻の猶予もない、というほどでもないけど、やることがたくさんある。というか、やることをたくさん思いついてしまう、というところか。思いついたらやりたくなってしまうので、つい仕事が増えるのだ。忙しいものである。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、今世間的に結構売れている文庫です。僕の記憶では、本の雑誌社の杉江さんがある書店のフェア台を勝ち取った際に選書した1冊で、ものすごく売れたとか。それで売れ始めたんじゃなかったかな、と思うんだけどどうだろう。
内容は、基本的には旅行エッセイなんだけど旅行とは関係ないエッセイもたくさん混じってるよくわからないエッセイ、という感じである。
著者はもともとサラリーマンだったらしいのだけど、どういうわけか仕事を辞め(たぶん旅行をして暮らしたかったからではないか)、それからはあちこち旅行しながらあちこちに文章を書いて生活しているらしい。なかなかの自由人である。というか、そんな風にあっさりサラリーマンを辞められる、というのが凄い。世間的には、サラリーマンにすらなろうとしなかった僕なんかはある意味で凄いのかもしれないけど。
内容について触れる前に一つだけ書いておきたいことがある。それは、著者と僕のたぐい稀な類似点についてである。
本書ではいろんなことが書いてあるのだけど、その内二つが僕とまったく同じでびっくりした。その二つというのが、一つは食にまったく興味がないということ、そしてもう一つが記憶力が悪いということである。
食に興味がない、という部分では、こんな表現が出てくる。
『何度も言うが、食事なんか錠剤で済めばいいと思っている私が、もう一度食べたいと思うぐらいだから、さぬきうどんは本当にうまい。』
この、さぬきうどんを絶賛しているくだりも僕とまったく同じなのだけど、そうではなくて注目すべきは、『食事なんか錠剤で済めばいいと思っている私』という部分である。これはまさに僕が普段から言っていることと同じである。僕も満腹感と栄養が摂取できるなら錠剤でいいと思っている人間である。こういう話をすると、大抵の人から信じられないという目で見られる。食こそ生きがいだという人が実に多いのだ。僕には理解できない。そんな中、これまで一度も出会ったことのない、『錠剤で済めばいい派』の人間を初めて知ったのだ。これは親近感が湧くというものである。
また、『私はいつも何となく食っているだけなので、極端にうまいか極端にまずいものしか判別できない。したがって、その私がうまいと言うものは、本当にうまいのであって、さぬきうどんは、宇都宮のギョウザと全然違って真にうまい。』というのもまさにその通り。宇都宮のギョウザのことは知らないが、『極端にまいか極端にまずいものしか判別できない』というのはまさにその通り。ついでながら僕も、さぬきうどんは素晴らしくうまいぞ、とここで喧伝しておく次第である。
著者はかつて高松に住んでいたらしく、『しかも本に載っていた店のいくつかは、私が住んでいた家の目と鼻の先であり、通っていた小学校の校門の前にもあったりして、ちっとも知らん。』とあって、その『小学校の校門の前』の店という記述だけでどこの店か僕は分かるのである。四国には二回しか行ったことないのに。これぞ、さぬきうどんパワーである。
何だか脱線したところで話を戻すと、もう一つ著者に親近感を抱く点は、記憶力が悪いという点である。
『たとえば、小学校四年生以前の記憶がほとんどない』というのは僕も似たようなもので、僕の方が酷いかもしれない。僕なんか、高校時代を含めそれ以前の記憶がほぼない。時々何故かふと思い出すようなことはあっても、意識的に思い出せるような出来事はほとんどない。大学時代のこともかなり薄れ掛かっているし、今の書店のバイトを始めた初期の頃の話なんてのもてんで覚えていない。
また、『人の名前もちっとも覚えられず、サラリーマンだったときは、名刺をもらってそれをひとまずテーブルに置いた瞬間にもう相手の名前が思い浮かばなかった。もちろん顔だって簿得られない。』というのもまさにその通りだ。僕は本屋で働いていて、店頭でお客さんに声を掛けられて本を探すのだけど、その後もともとお客さんがいた場所に戻ってそこにいないと実に困る。お客さんの顔を漠然としか覚えていないから、誰だったのか思い出せないのだ。何度も、この人かなと思って声を掛けたら全然違う人だった、という経験をしたことがある。それぐらい覚えられないのである。
この、食への興味のなさと記憶力の半端ない悪さは、かなり特殊な人種なのではないかと思う。そんな特殊な人種が、会ったことはないわけだけどその存在を知ることができたわけで、なんか嬉しい。嬉しいだけで、ファンレターを書いたりなんてことはしないんだけど。
内容は、すごくゆるい感じで進んでいく。積極的に笑わせようという感じではまったくないのに面白いのだ。解説で高野秀行が、本書は面白いのだけどその面白さをどう表現していいのか分からない、と書いているのだけど、それはその通りだと思う。掴みどころがないのである。
僕が読んでて思ったのは、芸人のおぎやはぎに似てるな、ということだ。おぎやはぎっていうのは、僕のイメージでは、ゆるいし積極性なんかまるでないんだけど、独特の雰囲気を作り上げて相手をその雰囲気の中に誘い込み、自分の土俵で思う存分相撲を取るような芸人だと思うんだけど、宮田珠巳もまさにそんな感じである。ある種独特の雰囲気を作り上げて、何だかわからないけど面白い、という感じにさせてしまうのだ。不思議なものである。
話はどんどん脱線していくし、本題が何だったか分からないようなこともある。そもそも本題が空っぽみたいな話さえあるのだ。でも、何となく読んでしまうし、何となく面白い。
エッセイというのは著者本人の個性が面白くないと絶対に面白くないというのが僕の持論なんだけど、たぶんこの著者はかなり変わっていて面白いのだろうと思う。何せ、突然思い立って大阪から京都まで歩いてみるとか、トランジットでアムステルダムに7時間いることになった時、迷子になりたくて地図も持たず誰にも聞かずに街中に観光に行く、みたいなことをするような人なのだ。意味が分からない。そもそも迷子になりたい、というのはどういうことなんだろうか。結局迷子にはなれないんだけど、そこは決定的に僕とは違う。僕は初めて行くところでは必ず迷うのだ。地図があってもダメ。例えば、どっちかに曲がらないといけないような局面では、常に反対の方向を選択する。だから迷子にならないのは凄いなと思うのだ。
まあそんなわけで、ゆるゆるの面白さというか、説明が難しいのだが、とにかく面白い作品であることは間違いない。短い作品だし、7ページくらいの短い文章がいくつも続いている構成ないので、トイレとかに置いておいて少しずつ読むのもいいかもしれない。手元にあったらつい読んでしまう本かもしれないと思います。すごく積極的にオススメするというほどでもないけど、読んだら楽しめる作品だと思います。

宮田珠巳「ときどき意味もなくずんずん歩く」



ラジオ・キラー(セバスチャン・フィツェック)

さて、今日は感想を二つ書こうと思ってて時間がないので書店の話はこっちでは省略。でも、書店の話とは関係ないんだけどちょっと書きたいことがあるんでそれだけ書いておきます。
昨日バイトから帰る途中、道で横になってるおっさんを発見しました。近くに倒れた自転車があって、状況としては、自転車でどこかにぶつかってふっとばされた、みたいな感じに見える。一応心配だったからおっさんに声を掛けるんだけど反応なし。ただ、あきらかに寝ているような感じの呼吸だったから、まあ大丈夫か、と判断しました。血が出てるとか足が異様な方向に曲がってるというわけでもなかったし、自転車でぶつけてふっとんだにしては穏やかな感じの倒れ方(自転車も含め)だったし。というわけでそのおっさんはほっといて帰ったんだけど、あのおっさん大丈夫かなぁ、とほんの少しだけ心配しています。ほんの少しだけですけど。
そろそろ内容に入ろうと思います。
舞台はとあるラジオ局。サイコな知能犯がラジオ局を占拠し、人質の命を盾に殺人ゲームを始めようとしていた。無作為に電話を掛け、電話に出た瞬間に指定されたフレーズが言えなければ人質を一人殺す、というゲームだ。
そのゲームの終了と引き換えに、彼は要求を突きつける。しかしその要求も不可解なものだった。公式の記録で事故死したとされている婚約者をつれてくる、というものだった。
この知能犯との交渉をまかされることになったのが、高名な犯罪心理学者でベルリン警察の交渉人であるイーラだ。イーラは心理学者でありながら、自殺してしまった長女を救えなかったことを悔い、まさにその日自殺しようとしていた。しかもアル中で事件の責任者からは交渉人として不適格だと追い出されそうになる。しかし犯人は彼女との交渉を望んだ。イーラも仕方なく交渉のテーブルにつくことになる。
しかしそこでイーラは当惑することになる。交渉の様子はラジオで逐一流されることになるのだが、その電波に乗せてイーラは、長女の自殺を含め多くの知られたくない過去を話さざるを得なくなっていく。
死んだはずの婚約者の捜索の方でも様々におかしなことがあり、事態は複雑になっていく…。
というような作品です。
これは本当に面白かった!この「ラジオ・キラー」は、新刊が出た時にちょっと気にはなっていたんです。でも作家名を見て読むのを止めよう、と思っていました。何故なら、僕はこの著者のデビュー作である「治療島」という作品を読んだことがあるんだけど、これが死ぬほどつまらなかった。全然面白くなかったのに、ドイツではこの「治療島」は大ベストセラーになった、というのだ。つまり、この作家はドイツ人には合うけど日本人には合わないんだろう、みたいなことを考えていたわけですね。だから本作もあんまり読む気がしなかった。
でもある時、とある営業さんから、ある書店員さんに勧められて読んだら面白かった、という話を聞いたんで、じゃあ読んでみようかという気になったわけです。
これはホント読んでよかったという感じです。実に面白い。最近ミステリとかサスペンスみたいな作品をあんまり読んでなくて、読んだとしてもそこそこの作品ばっかりだったんで、こういう息もつかせぬテンポの早いミステリアスな作品というのは余計に印象的でした。
かなりいろんな人の視点でストーリーが進んでいくんだけど、メインになるのは犯人であるヤン・マイと、交渉人であるイーラです。この二人のやりとりはかなりいいです。イーラは交渉人としてもちろん心理学を学んでいるわけなんだけど、実はヤン・マイもかなり心理学の素養を持っているわけなんです。だから通常の交渉術みたいなものはすべて熟知している。だから普通のやり方が通用しない。その中でイーラは、自らの恥ずべき過去を惜しげもなく明らかにすることで犯人の信頼を勝ち取っていく。
またイーラは、望まれて捜査本部に連れてこられたというわけではないので、周囲からの協力が得られない。イーラが交渉している陰で、犯人を逆なでするような行動を計画し実行に移したりする。それによって犯人からの信頼を失う場面が何度もあり、交渉は実に難航することになる。
この、犯人とイーラとやり取りがメインになる作品なんだけど、それ以外の部分も実によく出来てる。
特に、事故死したはずの婚約者について少しずつ明らかになっていく事実は圧巻ですね。これはうまい。少しずつ情報を明らかにしていくことで、徐々に何が起こっているのかが分かっていく。こちらの謎もなかなか読み応えがあります。
また、誰が味方で誰が敵なのかも混沌としてくる。特に、捜査本部内にもスパイがいると判明してからは余計混乱していくことになる。
そういうような様々な謎やスリルを組み合わせながら、ストーリーはどんどん一点に向かって収斂していく。この過程もデビュー二作目の新人作家とは思えない手腕だなと思います。
あとは、主人公がボロボロというのがいいですね。冒頭からイーラは自殺する直前のシーンが描かれるんだけど、それぐらいボロボロの状態なわけです。しかも公共の電波で過去を明かさないといけなくなるし、捜査本部内ではほぼ孤立無援だしでどんどん絶望的な状況に陥っていく。それでも、最後の最後で救われるわけで、このストーリーテリングは見事だなと思いました。
エンターテイメントとして実に面白く完成された作品だと思います。映画とかにしても面白そうな気がします。是非読んでみてください。

追記)感想の中で、「治療島」はつまらなかった、みたいなことを書いたけど、過去の自分の記事を読んだら別にそうでもなかったみたいです。そこそこ面白い、みたいなことを書いていました。いったいいつから、「治療島」はつまらない、という記憶にすり替わったんだろう。不思議だ。

セバスチャン・フィツェック「ラジオ・キラー」



クレイジーカンガルーの夏(誼阿古)

棚卸が近いんで今月の頭くらいから少しずつ意識して在庫を減らしてきたんだけど、昨日でそれもほとんど片がついた、という感じです。同時並行でいろいろやらないといけないことがたくさんあるんで忙しいですけど、とりあえず棚卸が片付いてひと段落、という感じです。
ただ昨日また別の案件が降って湧いてきて、さてどうしたものか、という感じです。
いろいろあって、講談社+α文庫をたくさん売らないといけないんだけど、正直僕はもう散々売ったわけなんです。今年は講談社+α文庫を売らないといけない、ということになっていたので、年初めから手を変え品を変え、ありとあらゆるものを試し、いろいろ仕掛け、他の店が売っていなさそうなものを売り伸ばす、みたいなことをかなりやってきたわけなんです。
さてその上で、さらに売りましょう、という話が出ているんです。これは僕にはかなり厳しい。しかも、一月で売らないといけない目標数字というのがあって、それが相当ハードルが高い。それが達成できなかったからと言ってどうこうあるわけじゃないけど、どうせならクリアしたいじゃないですか?だから昨日、どうしたらこれ以上さらに講談社+α文庫を売ることが出来るだろうか、と考えたわけです。
そこで、僕が普段からやらないやらないと言っている多面展開をやってみようかな、という発想に至りました。
でも、普通の多面展開ではありません。普通の多面展開は、僕が普段から主張しているように、僕はあんまりやりたくないんで、そういうやり方はしません。じゃあどうやるのか。
僕は今店の入り口に、文庫と新書を置く台みたいな売場を持っています。僕のふとももくらいの高さの、40面くらい置けるような台です。
で、その下の部分(台の脚がある部分)をどうにか活用できないだろうかと考えて、ウォールポケットを使おう、と思ったわけです。
ウォールポケットっていうのは、僕もきのうネットで調べて初めて名前を知ったんだけど、よく壁とかに掛けて葉書とか写真とか入れるようなたくさんポケットのついてるビニール製のやつあるじゃないですか?あれを、その台の下の部分にくっつけて、ポケットの部分に文庫を1冊ずつ入れるという形で多面展開をしたら、これは結構目立つんじゃないだろうか、と思ったわけです。
昨日ネットで検索したところ、かなり良さそうなものが割と安い値段で売っていました。台のサイズを測らないといけないけど、恐らく昨日見つけたものを流用できるんじゃないかなと思います。ポケットが24個ついてるものを台の四つの側面すべてにつけたら、大体100面での展開が出来るんで、これは良さそうな気がします。売れてしまって空いた部分には、POPか何かを突っ込んどけばいいし。サイズだけが問題だけど、恐らくほぼ実行できるような気がします。
いろんな関係でやらなければいけないことというのが持ち上がってくるんだけど、確かにめんどくさい部分はあります。でも、そういうやらなくてはいけないことをいかにクリアするかを考えることで、必要に迫られて新しい発想が出てくるということがあります。普段は、自分でやるべきことを決めて、やりたいことをやっているんだけど、それだとなかなか発想が広がっていきません。やらなければならないことというのは、実際めんどくさいことも多々あるけど、それはそれで発想が広がるきっかけになっていいもんだなと思います。
というわけで、もう散々売りまくった講談社+α文庫ですけど、まだまだやってやろうじゃん、という感じです。なんとか頑張ります!
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、GA文庫というライトノベルレーベルから出ている本ですが、京都水無月大賞のノミネート作になった作品です。京都水無月大賞というのは何かというと、京都の有志の書店員が集まって、年に一回(かどうかは知らないけど)オススメの本を推薦し、その中から大賞を選出して売る、という感じのやつです。似たようなものに酒飲み書店員大賞というのがありますが、酒飲み書店員大賞の方が先行して存在していたものです。
舞台は、1979年、兵庫県南部のT市。大阪まで電車で30分、神戸の三宮まで1時間というその土地は、周囲を田圃で囲まれた、いわゆる田舎だ。
主人公の須田広樹は、江戸時代から続くという家柄の分家の次男。本家だの分家だのというのがまだ強く残っている土地柄で、広樹はそういう大人同士の話にうんざりすることが多い。
学校が夏休みに入り、普段から仲のいい秀一や敬道に加え、東京から転校してきた従兄弟の洌史と一緒に遊ぼうと考えてる。
洌史は東京弁を喋るし大人びているし難しそうな本を読んでるような、ちょっと土地の人間とは変わった男で、従兄弟である広樹としては大阪弁をしゃべれとかいろいろ忠告はしてるんだけど全然ダメ。それでも、4人でプールに行ったりガンダムの話をしたりして…、なんて風に夏休みを過ごせると思ってた。
でも、なんかおかしい。どうも洌史が捕まらないのだ。家から出してもらえないんじゃないかって気がする。両親もなんか隠してるみたいだし。
事実を知った彼らは、ちょっとした冒険を試みることになるんだけど…。
というような話です。
普通の青春小説という感じで、ライトノベルという感じではないでしょう。昨日感想を書いた「サクラダリセット」は、集英社文庫・講談社文庫・講談社ノベルスなんかから出てても不思議じゃないって書いたけど、本書はそれこそどこの出版社の文庫レーベルから出てても特に違和感のない作品だなと思いました。
ただ一方で思うのは、じゃあこの作品を普通の一般文芸の新人賞に応募した時に受賞できるのかというと、それもちょっと微妙だなということです。本書は普通によく書けている小説だと思うけど、特にこれと言った個性があるわけでもない小説なので、普通の一般文芸の新人賞で通るとは思えない。既にデビューした作家がこういう作品を書くのはいいんだけど、デビュー前の新人の作品としては地味すぎるなと思います。そう考えるとやっぱり、本書はライトノベルレーベルから出ている割には面白い、という評価なのかもしれないなぁ、という感じもします。
本書は、ストーリーに特別起伏があるというような小説ではありません。ただキャラクターがなかなかいいですね。細かな部分まできちんと描いているというのが伝わる感じで、丁寧だなと思います。
広樹・洌史・秀一・敬道の四人がひと夏を過ごす、という話なんだけど、この四人がなかなかいい雰囲気を醸し出すんです。ずば抜けて特異なキャラクターがいるってわけでもないし、中学生らしくまだまだ子供っぽい単純さがあるんだけど、それでも四人それぞれがきちんと描き分けられていていいなと思います。特別な出来事というのがそんなに多くないストーリーなのに、ガンダムの話や家の話をする中でそれぞれの個性や信条みたいなものをきちんと表現しているので、うまいなぁと思いました。特にガンダムを媒介にした話では、個々人のキャラクターがいろいろと現れていたなぁ、という感じがします。
また、旧家の煩わしさみたいなものも実によく描かれています。家を、土地を守るためにという古い発想を捨てきれない年寄りと、そんなことはもうどうでもいいじゃないかと思っている子供世代。その微妙なズレみたいなものをうまく描きだしているし、しかもそれがストーリーに結構深く関わっていたりするんでうまいなと思いました。
ただ僕としては、洌史の母親の変化があまりに唐突すぎる気がしたんで、そこがちょっとなぁという感じがありました。そもそもあんまり描かれてないし。広樹の一人称の小説という体裁を保つ限りなかなか難しい部分はあるんだけど、もう少しどうにかならなかったかなぁとか思いました。
まあそんなわけで、地味ではありますけど悪くない作品だと思います。というか、こういう作品が好きという人は結構いるんじゃないかなと思います。特に1979年当時中学生だった人には懐かしかったりするような描写があるんじゃないでしょうか。大阪弁の小説というのもそんなに多いわけではないんで新鮮だなと思いました。

誼阿古「クレイジーカンガルーの夏」



サクラダリセット(河野裕)

さて今日は時間がないので本屋の話は省略。
内容に入ろうと思います。
本書は、今ライトノベルの世界ではそこそこ話題になっている(はずの)作品です。帯の推薦文を乙一が書いています。そんなこともあって、ちょっと気になる作品だったので読んでみることにしました。
舞台は日本のどこかに存在する咲良田という街。そこは、住人の半数が能力者という変わった街。しかもその能力は、咲良田以外では発動しないという変なルールがある。咲良田には管理局と呼ばれる組織があり、その管理局が能力者を管理・監視している。
高校生である浅井ケイは「奉仕クラブ」に所属している。奉仕クラブは管理局の直轄みたいなところで、能力を使うことで何らかの仕事をするところだ。奉仕クラブの顧問であり、管理局にも所属している津島信太郎から時折依頼を受け、同級生の春埼美空と共に行動する。
その日ケイと美空が受けた依頼は、死んだ猫を生き返らせることだった。別の高校に通っている村瀬陽香は、自分が飼っている猫が事故で死んでしまったから生き返らせて欲しい、という。奇妙な依頼だったが、管理局が関わっているならば深く考えることもないだろう。
ケイの持つ能力は、あらゆる情報を永遠に記憶しておくことが出来るというもので、それほど大したものではない。ただ、美空の持つ能力が凄い。「リセット」と口に出すだけで、世界を三日分なかったことにすることが出来るのだ。ケイと美空の能力を組み合わせることで、大抵のことはなんとかなる。
二人は、猫が事故に遭うよりも前の時間までリセットをし、そこから猫が事故に遭わないで済むように対処しようと考えた。しかし、リセット後の世界で、リセット前には起こらなかった出来事が起きるようになり、徐々に齟齬が大きくなっていくのだが…。
というような話です。
ライトノベルのレーベルから出ていますけど、本書は一般文芸で出ててもあんまり違和感のない作品かなと思います。集英社文庫とか講談社文庫とか講談社ノベルズなんかから出ててもおかしくはないような、そんな感じのエンターテイメント作品だなと思います。ライトノベルとしてどうなのか、というのは僕にはちょっとわかりませんけど。
僕は正直、全体のストーリーについてはイマイチよくわかりませんでした。結局誰が何をしたために何がどうなって結局どうまとまったのか、みたいな部分が微妙に理解できていなかったりします。大枠では、結局あの登場人物がああいうことをしようと企んでいて、それに対してもう一方がこういう意図を持って対処しようとした、みたいな構図なんだろうけど、細かい部分で何がどうなっているのかというのがちゃんと分かっていないような気がします。美空や村瀬の能力の発動条件とかも理解し切れていない気がするし(それはストーリーにちょっと関わるんえ理解できないとダメなんだけど)、ケイや津島がどんな意図を持って行動していたのかというのもイマイチよくわからない部分があったりしました。
それでも、全体の雰囲気が結構好きな作品です。西尾維新の小説のテンションをちょっと落としたような小説、あるいは辻村深月の小説をもう少し薄く引き延ばしたような小説、という印象なんですけど(さすがに西尾維新や辻村深月と比較すると大分落ちるんで、こんな表現になりますけど)、僕の好きなタイプの小説だなと思います。ケイにしても美空にしても、何を考えているんだか、あるいは何を考えていないんだかよくわからないようなキャラクターで、その二人の視点が交互に入れ替わることで話が進んでいくので、全体としてふわふわしたような印象の作品でした。うまく説明できないけど、イマドキっぽい無気力さが全編に漂っていて、僕はそういう雰囲気が結構好きだったりするんでいいなと思いました。
ストーリーがきちんと理解できなかったという部分とも関わるけど、説明不足だなと思うような文章もところどころでありました。そういう意味では、文章はさほどうまくないのかもしれません。ただ、最初から最後まで一定した雰囲気を保っているし、その醸し出す雰囲気が結構魅力的だなと思うんで、僕は楽しめました。
先ほども書いたけど、正直全体のストーリーをうまく理解できたかと言われると、ちょっとそれは微妙なところがあります。でも、キャラクターとか文章が醸し出す全体の雰囲気は結構好きな感じです。別の作品も読んでみたいと思わせる作家だなと思います。桜庭一樹とか橋本紡みたいに、その内一般文芸の世界に来るんじゃないかなぁとか勝手に思っています。まあ分かりませんけどね。

河野裕「サクラダリセット」



昆虫探偵(鳥飼否宇)

面白そうなフェアの企画が上がっていて、それに絡むことになりそうで、準備みたいなことをちょくちょくやっております。たぶん具体的なことは何も書かない方がよかろうと思うので、これくらいにしておきます。
今日は、1月1日から今日までの今年のウチの店の文庫の売上のランキングを出してみました。いやはや、なかなか凄いものですよ。
1位は、今話題の「思考の整理学」。ちょっと前に王様のブランチで紹介され再ブレイクした作品です。ただ僕は紹介される前からうんざりするほど売っているんで(たぶん累計では700冊は超えてると思う)、今のところ1位というなかなかいい売上になっているんです。
2位は、つい最近文庫化された、伊坂幸太郎の「終末のフール」。まあ妥当なところですね。売れて当然、という感じの本です。
そして、3位が凄いんです。2位とはたったの1冊差で、辻村深月の「凍りのくじら」がランクインしています。これはなかなか快挙です。4位が「天使と悪魔 上巻」なんですけど、恐らく日本中で、「天使と悪魔 上巻」より「凍りのくじら」の方を多く売ってる書店なんてないんじゃないかな、とか思います(たぶん)。これまでも、他の店では恐らくそんなに売っていないだろう作品を年間ランキングの上位に入れようと手を変え品を変えやってきましたけど、これまでのどれよりも、「凍りのくじら」は大当たりしています。
前にも書きましたが、一応今年中に累計で500冊売る、というのが目標です。もしそれが達成できれば、「思考の整理学」を抜いて1位になるかもしれません。ちょっと頑張ってみます。と言っても、出来ることはそう多くないんですけど。
それとは別に、また仕掛けようと思う作品が見つかりました。大崎善生の「聖の青春」。将棋に命を燃やし29歳の若さで死んでしまった村山聖という棋士を描いた作品ですが、これが素晴らしかったんです。というわけで、同じく将棋を扱ったコミック「3月のライオン」と「ハチワンダイバー」の1巻を一緒に並べる予定でします。また絵のうまいスタッフに、「3月のライオン」と「ハチワンダイバー」のキャラクターが「聖の青春」を推してる、というPOPを作ってもらったりと準備中です。また売れるといいですけど、どうでしょうかね。
今回感想を書く「昆虫探偵」も、ちょっとPOPでも作ってもらって置いてみようかとは思っているんですけどね。POPをつけて置いたからと言って売れるというわけでもないんで難しいですけど、いろいろ売れそうな既刊を発掘して頑張って売っていこうと思っております。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書はかなり奇抜な設定の作品です。前代未聞のミステリと形容してもいいと思います。
『目が覚めると、葉古小吉はゴキブリになっていた。』という、フランツ・カフカの「変身」の冒頭をもじった文章から始まる本作は、その文章通り、目が覚めたらゴキブリになっていた、元人間のぺリプラ葉古が主人公です。無類のミステリ好きだった葉古は、昆虫界の名探偵である、熊ん蜂のシロコパκの助手となった。刑事であるクロオオアリのカンポノタスも協力し、昆虫の世界で起こる不可思議な事件を解き明かしていく…。
というのが大まかな設定です。
本書は7編の短編が収録されているので、それぞれ紹介しようと思います。

「蝶々殺蛾事件」 横溝正史「蝶々殺人事件」
依頼人はオオスズメバチのヴェスパμ。クヌギの樹液酒場で樹液を舐めていたところ、事件を目撃したという。一緒に樹液を舐めていたオオムラサキが飛び立った後、ムクゲコノハにぶつかったように見えた。その後ムクゲコノハは地面に墜落し死んでしまったというのだ…。

「哲学虫の密室」 笠井潔「哲学者の密室」
依頼人はダイコクコガネのC・オチュス9364。フンコロガシである9364は、若い雄と出会い交尾をし、子供を産むことにした。地下に穴を掘り、そこに糞塊を置き、その中に卵を産むのだ。
しかししばらくして、片方の糞塊からは子供が生まれたのに、もう一方は空っぽだったのだ。子供は一体どこに消えてしまったの…。

「昼のセミ」 北村薫「夜の蝉」
依頼人は、ティティウスシロカブトのTIT46。アメリカに住んでいたのだが、希少なカブトムシなので捕まえられ、日本に連れて来られてしまったのだ。なんとか逃げて来たのだが、そこでアメリカで起こっている不思議な現象について話す。
ジュウシチネンゼミという17年周期で羽化する蝉が今年大発生するはずなのだが、どうも鳴き声が聞こえないというのだ…。

「吸血の池」 二階堂黎人「吸血の家」
依頼人は別にいるが、物語の主人公はアメンボのG・パル*。G・パル*はとある池に棲んでいたのだけど、同じ池に住んでいたゲンゴロウの一匹がある時水面で死んでいるのが見つかった。
しかし不思議なことに、G・パル*は振動を感じなかった。アメンボは、水面の振動を感じ取り餌を探すのだ。アメンボに気付かれないようにゲンゴロウを殺すことなど出来るのだろうか…。

「生けるアカハネの死」 山口雅也「生ける屍の死」
依頼人はアカハネムシのシュードピロ2356。アカハネムシというのはベニボタルに擬態している生き物だ。ベニボタルは猛毒を持つ昆虫なので鳥などは食べないが、そのベニボタルの姿形を完全に真似して生き延びているのがアカハネムシなのだ。
しかしシュードピロ2356によれば、その擬態にも関わらず、何故かアカハネムシだけが最近ジュウシマツに狙われているのだという。どうしてアカハネムシだけが狙われるのか…。

「ジョウロウグモの拘」 京極夏彦「絡新婦の理」
依頼人は、ジョウロウグモのネフィラ<ヴァルゴ>(<ヴァルゴ>と読む記号があるらしいんだけど、パソコンではちょっと出せそうにない)。ジョウロウグモの訴えは、巣の縦糸がいつの間にか切られてしまう、というものだった。巣は縦糸が切られるとすぐダメになってしまう。しかも切られる直前までまったく振動を感じないというのだ。誰が犯人なのか見つけてほしい、というのだが…。

「ハチの悲劇」 法月綸太郎「一の悲劇」
普段犬猿の仲のように思える探偵シロコパκと刑事カンポノタスだが、なんとカンポノタスがシロコパκに助けを求めてきた。なんと、カンポノタスの親である女王アリが、クロオオアリの巣を乗っ取って生きるトゲアリによって危機に瀕しているというのだ。シロコパκは、それまでとは考えられないほど親身になってカンポノタスの助けになろうと躍起になるのだが…。

というような話です。
まったくもって奇妙奇天烈な本です。あとがきみたいなところで著者が、親本を出した世界文化社に、よくこんな企画を考えたものだ、みたいなことを書いているんだけど、僕も同感です。よくもこんな小説を書く気になったな、と思います。
本書はまさに前代未聞の本格ミステリと言っていいでしょう。何せ、探偵もワトソン役も刑事も犯人も被害者もすべて昆虫なわけだから。しかも、犯行動機や犯行手段なんかは、昆虫世界の論理に従っているわけです。特殊なルールの世界を創りだし、その世界観の中で成立しうる本格ミステリを生み出す西澤保彦という作家がいますが、まさにそういう感じだと思います。西澤保彦より凄い点は、本書では実際の昆虫の生態を基にしてトリックやら動機やらが考えられているという点です。
犯行動機を例にとって説明しましょう。元人間だったペリプラ葉古は、何か事件が起こると、そこに人間特有の感情、つまり嫉妬や怨恨なんかを想像して探偵からいつもダメ出しをされるんだけど、昆虫の世界には基本的に嫉妬や怨恨というのはないんです。食べ食べられという世界だし、寄生したり寄生されたりという中で生存競争を勝ち抜いていくわけで、そんな中で怨恨も何もない。それに子孫を残すというのが最優先なので、嫉妬云々もない。
昆虫の世界にとってとにかく重要なのは、生き延びることと子孫を残すこと。これが動機のほぼすべてということになります。そういう条件の中でいかにして論理的に事件を解決するか。昆虫の論理という、人間の理屈の通じない論理を駆使した本格ミステリは、確かに昆虫の世界の知識がないとなかなか理解できないけど、発想としてはすばらしいなと思います。また本書は、昆虫入門と言ってもいいくらい、昆虫の生態なんかについても詳しく説明してくれるんで、昆虫の論理が分からないということにもならないだろうと思います。
僕が面白いなと思った話は、「生けるアカハネの死」と「ジョウロウグモの拘」です。「生けるアカハネの死」の方は、擬態してるのに何故狙われるのか、というのがメインの謎で、何故かこの話は助手であるペリプラ葉古だけが単身現場に乗り出すという設定になっています。それがストーリー上ちょっとした役割を果たすことになるわけで、そこもうまいなと思いました。
「ジョウロウグモの拘」は、犯行動機が見事だなと思いました。誰が犯人なのか、ということももちろんですけど、何故そんなことをしたのか、という部分がよく出来ていて、しかもそれが、生き延びることと子孫を残すという動機にきちんと結びついている。なかなか面白いと思います。
また最後の「ハチの悲劇」はそれまでのミステリタッチの作品とは趣を異にして、どちらかといえばサスペンスタッチです。トゲアリに乗っ取られそうになっている巣をいかに奪還するかというメインのストーリーと、何故シロコパκはここまで必死になっているのかというサブの謎がうまく組み合わさっていると思いました。
たぶんこれまで誰も読んだことのないタイプのミステリだと思います。著者は昆虫とミステリが大好きらしく、それでこういう作品がうまれたのでしょう。主人公がゴキブリというところがちょっと手に取りにくいかもしれないけど、気持悪い描写はまったくありません。名前を聞くだけでもダメという人でなければ、普通に読めると思います。すごく絶賛というほどでもないですけど、そのあまりの奇天烈さに、ちょっと人に勧めてみたくなる作品ではあります。気が向いたら読んでみてください。

鳥飼否宇「昆虫探偵」



ぷりるん。特殊相対性幸福論序説(十文字青)

今日は棚で不思議だなぁと思う話を二つ書きます。
一つは、西村京太郎や内田康夫など、とにかく似たようなタイトルでやたらたくさん作品のある作家についてです。
僕は西村京太郎にしても内田康夫にしても棚に結構入れているんだけど、ランクは結構無視していろいろチャレンジしています。ランクというのは何かという説明をしますと、出版社毎に棚の注文書というのがあって、そこに振り分けられている売れているのかどうかという情報のことです。例えば新潮社の場合、S・A・B・Cというランクで、Sだと凄く売れているということになります。通常の書店員であれば、ランクが高いものを中心に棚に入れるんだと思いますけど、僕は基本的にランクを無視して棚のラインナップを決めている、という話です。
で、西村京太郎や内田康夫の作品にしても、ランクを無視して初期の作品から最近の作品までいろいろ入れてみるんだけど、不思議なことに、売れるものと売れないものがかなりはっきり分かれるんです。
普通の作家なら、これは対して驚くようなことではありません。作品ごとに評価が違うだろうし、装丁なんかが気に入って買うみたいな人もいるでしょう。
でも西村京太郎にしても内田康夫にしても、どの作品もタイトルが似ているし、表紙だってそう大差ない感じ何です。それなのに、売れるものと売れないものにはっきり分かれる。とにかく不思議なのは、西村京太郎や内田康夫の作品を買う人は、一体何を基準に棚から選んでいるのか、ということですね。本当にそれが分からないんで、不思議だなといつも思います。
もう一つ不思議なことは、巻数モノの売れ方です。巻数モノは普通、1巻がたくさん売れて、2巻以降徐々に売れなくなって行くという感じになります。
でもごく一部の作品ですが、最終巻だけよく売れるという作品があるんです。
例えば新潮文庫の「屍鬼」。この作品は全5巻なんですが、1巻はまあ普通に売れていて、2~4巻までがほぼ売れていなくて、そして5巻だけが1巻以上に売れている、という謎めいた売れ方をしています。理由については、僕には見当もつきません。だって、1巻が年間5冊ぐらい売れてて、2~4巻については年1冊売れるぐらい、で5巻だけが年間で10冊ぐらい売れるんです。なんですか、この格差は。誰か分かる方いますか?
もう一つ。講談社文庫の藤沢周平作品「獄医立花登手控え」というシリーズがあります。これは全4巻なんですが、こちらについては1~3巻までがほとんど売れていないのにも関わらず、4巻だけが年間8冊ぐらい売れているという意味不明な売れ方をしています。これも理由がさっぱり分かりません。
「屍鬼」にしても「獄医立花登手控え」にしても、最終巻が売れていなかったら外そうと思っているんですけど、未だに外せないでいます。どうして最終巻だけ売れるなんていう現象が起こるのか。理解できないですねぇ。なんかこういう小さなことから、お客さんの消費行動をズバッと推測出来たりしたらいいですね。大崎梢の成風堂書店のアノ人にでも頼んだら一発で解いてくれるでしょうか。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書はライトノベルです。ライトノベルはあんまり読まない(と言いながら近いうちにあと2冊読む予定なんだけど)ですけど、本書は一般文芸っぽい作品だと勧められたんで読んでみることにしました。
高校生の主人公・ユラキの周りには、変わった女性がたくさんいる。
妹のうずみは中学三年生。お兄ちゃん大好きで、お弁当を作ったあげたり洗濯をしてくれたりと甲斐甲斐しい。
クラスメイトの桃川みうは、みんなのアイドル的存在で可愛いんだけど、誰とでもすぐ付き合ってセックスをしてしまう。
電研部長の小野塚那智は、部員をこき使って何やら意味不明なプロジェクトを進めている。
放浪の旅から帰ってきた姉・綾は、思春期にユラキにトラウマを残したほど性について奔放。
あと一人。小学校からずっと同じクラスだった変人・ぷりるん。最近「ぷりるん」以外の言葉を一切発しなくなったためにそうユラキはそう呼んでいる。
こんな面々との学校生活を描いた作品です。
オススメしてくれたのに申し訳ないことですけど、朴的にはまあまあだったかなぁという感じです。まあでもこれは、多少読んだ時期にも問題はあるんですけど。昨日読み終わった、辻村深月の「名前探しの放課後」が、僕の中では超絶的に素晴らしい小説だったんで、その後に読む小説は多少霞んでしまうだろうなという感じはあります。
キャラクターは割とみんな面白いと思うんです。特に僕がいいなと思うのは部長の小野塚と姉・綾なんだけど(どっちかっていうとキツい性格の女性の方が面白いと思うんですよね。妹・うずみとかクラスメイト・桃川みたいなキャラはあんまり好みじゃない)、全体的にぶっとんだキャラクターが出てくるんで、そういう意味では悪くないです。ぷりるんも意味不明だし。ぷりるんみたいなのが周りにいたら、ちょっと疲れるだろうなぁ。キャラクター紹介のところに書かれているキャラクターの絵の中では、ダントツで姉・綾がいいです。
ストーリーは、うーんという感じで、なんだろうなぁという感じでした。たぶん、ユラキと五人の女性との関係をきちっと描こうとしたら、もうすこし分量が必要なんだと思うんだよなぁ。250ページ程度の分量では、どうしても薄くなってしまう。もっと、400ページくらいの分量にするつもりで書いて、ユラキと五人の女性の関わりをもう少し深く書いたらよかったのかなぁとか思ったりしますけど、でもその場合、ライトノベルとしてどうなんだろうという疑問が出てくることになるでしょうか。
まあそんなわけで、うまく評価することは出来ませんが、僕としてはまあまあという感じだったでしょうか。しかしユラキはモテすぎじゃないかと思うなぁ。ライトノベルっていうのはみんな大体こんな感じなんでしょうか。

十文字青「ぷりるん。特殊相対性幸福論序説」



名前探しの放課後(辻村深月)

今日はこんなニュースから。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090819-00000023-oric-ent

今年の出版業界の話題をさらった、村上春樹の「1Q84」が、発売から3か月弱で2009年の書籍売上1位になった、というニュースです。
ここ最近は、さすがにかつてほどの爆発的な動きはないんですけど、それでもまだまだ売れ続けています。一旦大いに話題になって売れまくった作品というのは、どこかの時点でピタッと売れなくなってしまうみたいなこともよくあるんだけど、「1Q84」はそうではなさそうですね。まだまだ売れ続ける感じがします。
しかし、売上ランキングの話で言えば、2位が「読めそうで読めない間違いやすい漢字」ですからね。ここ最近の傾向なのかどうか、僕には昔のことはあんまり分からないので何とも言えないんですけど、とにかく年間の売上ランキングの上位に来るようなものは、どうしても小説以外が多くなってしまいます。
例えば2008年度の書籍売上ランキングをいくつか引っ張ってきてみます。

http://www.honya-town.co.jp/hst/HT/best/year.html

http://www.tohan.jp/cat2/year/2008_1/

http://www.oricon.co.jp/music/special/081215_01_02.html

どれもそこまで変わり映えはしないですけど、トップ20位以内にランクインしている小説と言えば、モンスターだった「ハリポタ」を除けば、ドラマ化もされた東野圭吾の「流星の絆」ぐらいなものです。あとはすべて小説ではない作品。しかも、こう言ってはなんですけど、頭の悪そうな本というか、読んでも読まなくてもどうでもよさそうなというか、そういう知識にも教養にも経験にもならなそうな本ばっかりで、何だか悲しくなってきます。
書店としてはまあ、話題になっているもの、世間的に売れているものを売り伸ばしていかないとやっていけないというのは事実です。去年バカ売れした血液型の本だって、素晴らしい本だと思って売場に置いていた書店員は少数でしょう。本当は誰もが、こんな本売りたくないんだけどと思いながら、それでも売れてるから仕方ないかと思って売場に置いていたはずです。
かつてはもう少し小説作品が上位を賑わせていたのではないかなという気がします。こういうランキングを見てしまうと、本屋っていうのはもうちょい大事な役割を担ってるんじゃないかなぁとか思っちゃったりします。
まあそんな中で、「1Q84」の快進撃は嬉しいものですね。まあ、どちらかと言えば「1Q84」も、「ハリポタ」レベルのモンスターなのかもしれないけど、ただ「ハリポタ」と違って発売前にここまで売れると予想出来た人はあんまりいなかったんじゃないかなと思います。少しは出版・書店業界に明るい話題が出来てよかったかなと。
昔からずっと書いてることですけど、いずれにしても新刊ばっかりに頼っていては立ち行かなくなって行きますからね。なんとか売れる既刊を発掘してバリバリ売っていくしかありません。今僕は、辻村深月の「凍りのくじら」をさらに売り伸ばそうと頑張っています。去年の12月の発売から現時点で287冊売れ。今年中に500冊まで行けたらいいんだけど、というのが当面の目標です。あくまでも、多面展開はせずに、です。現在、3か所4面で展開しています(というかずっとそんな感じですけど)。さてどこまで売り伸ばせますやら。あと、最近読んで感動した「聖の青春」っていうのも、POPとか作ってもらって頑張って売ってみようかなと思っています。っていうか、売りたい既刊はたくさんあるんですけどね。発掘発掘!
そろそろ内容に入ろうと思います。
依田いつかは、ジャスコの屋上のいる時に唐突に気がついた。
あそこにある看板、なくなったはずじゃなかったっけ?
いつかは、到底信じられないことだったが、3か月前にタイムスリップしてしまったようなのだ。
「今から三ヶ月の間に、俺たちの学年の生徒が死ぬ。―自殺、するんだ」
「誰が、自殺なんて」
「それが―きちんと覚えてないんだ。自殺の詳細」
いつかは、同級生の坂崎あすならに声を掛け、自殺を食い止めるべく、<放課後の名前探し>を始めるのだが…。
というような話です。
いや、マジ、これ、すげーよ!久々にこんな素晴らしい傑作を読みましたがな。いやー、驚いた。驚きすぎましたがな。凄すぎる。マジ辻村深月は神だわ。20代でこんな作品を書けちゃうなんてマジありえん。書く度に進化していってるし。化け物だなぁ。まず間違いなく、今年読んだ本の中でトップ5には入るかと思います。
まあ僕は辻村深月にはベタ惚れなんで、僕が今書いたような過大な評価は多少さっぴいて受け取るべきではありますが、それでも凄いですよ。帯に、「青春ミステリの金字塔」ってありますけど、これはまさにその通りですね。大抵帯の文句って大げさなものがあるんだけど、これはぴったりというか、控え目すぎるかもと思います。この作品なら、僕の大嫌いなフレーズ「著者の最高傑作」という言葉が帯に載っていても全然許せます。まあ載ってませんけど。
さて、僕の興奮は多少なりとも伝わりましたでしょうか?語彙が乏しい人間なんで褒め言葉も貧弱ですけど、とにかく傑作です。傑作中の傑作です。高校生がメインの作品なんで、やっぱり若い人の方が親和性は高そうですけど、ストーリー自体はかなりよく出来たミステリなんで、どの年代の人が読んでも十分に楽しめる作品だと思います。
余計な先入観を持ってほしくないので、ストーリーについては上記の内容紹介以上のことは一切書きません。とにかく読んでみてください。
キャラクターについて少し書こうと思います。
辻村深月のキャラクター造形というのは見事なものがあります。大体辻村作品に出てくるキャラクターというのは高校生が多いんだけど、まずこの高校生の描写がリアルなんです。普通の作家が高校生を書くと、高校生らしくなかったりのっぺりしていたりみたいな感じになるじゃないですか。そりゃおっさんとかおばさんとかが高校生について書いてるわけで、そりゃ無理があるだろってなもんです。また携帯小説なんかに出てくる高校生の描写というのは、描写という言葉が当てはまらないくらい何も描かれていないんで、これも参考にはなりません。
辻村深月はまだ29歳くらいなんで普通の作家よりは十分若いですけど、それでも高校生だった時期が凄く近いというわけではありません。それなのに、この高校生の描き方。凄いと思います。
もちろん、現役の高校生が本書を読んだ場合どういう感想になるのかは分かりません。こんな高校生いないよとなるかもしれないし、凄くリアルだと思うかもしれません。まあそれは何とも言えないんですけど、ただ僕の中の「イマドキの高校生」の描写と凄くピッタリ来るんです。
辻村深月は、名前の呼び方一つ、返事の返し方一つ、さりげないしぐさの一つにも手を抜かず、逆にそういう細かい部分でキャラクターを表現しようとしているような気がします。距離の取り方、相手に合わせる部分合わせない部分、受け入れるべきところ怒るべきところ、そういう微妙な空気感みたいなものを本当によく描いている。まあ20代の作家がここまで丁寧にキャラクターの造形が出来るものなのかと、大袈裟ではなく戦慄しました。
名前の呼び方、という話を出したけど、普通の作家が高校生を描く場合、作中で一人のキャラクターの呼び方が変わるってことはあんまりないと思うんです。でも本書の場合、状況や人間関係、その人のキャラクターなんかによって、さん付けで呼んだりあだ名で呼んだり呼び捨てだったりと使い分けます。特に僕が好きなのは、割と親しくなっているはずなのにさん付けの呼び方をしているようなところです。これは僕の中で、イマドキの高校生の距離感を表現する上で凄く的確だなという感じがしています。
タイムスリップをしてしまい、自殺を食い止めるべく周囲に協力を求める依田いつか。いつかから一番初めに相談を受け、それから一番協力的だった坂崎あすな。いつかの友人で、いつも飄々としていながらも侮れない長尾秀人。強いリーダーシップを発揮し、ぶれることのない天木敬。他校の生徒ながら秀人と付き合っているためにこの件に関わるようになった椿文緒。いじめられていて鉄道好きな河野基。こういった面々が、お互いに強く関わりあいながら、一つのことに向かって一致団結するという青春ストーリー部分も実によくて、本書からミステリ的な要素がなくたって十分作品として成立するなぁと思えるほどレベルの高い作品だなと思いました。
とにかく、完璧な物語です。もう完璧すぎます。褒めすぎかもしれないけど、でもこれは傑作すぎますよ。ホント。とにかく読んでください。是非是非是非是非読んでみてください。すげーっすよ。震えますよ、マジで。なんてハードル上げすぎると、読んだとき、何だ大したことないじゃん、とか思われそうで怖いけど、それでも言わずにはいられないですね。
いやホント、稀にみる傑作ですよ。

追記)えーと、amazonのレビューによると、とりあえず初めて辻村深月を読むという人は本書を読んではいけないみたいです。
僕は読んだくせにまったく覚えていないんですけど、本書は「ぼくもメジャースプーン」という作品と深く関わっているようで、まずそっちを読んでからじゃないとダメらしいですね。確かに最後の方で、うーんよくわからんなぁと思うような箇所があったんですけど、僕としてはそういう部分はスルー出来るんであんまり気になりませんでしたが(っていうか、「ぼくのメジャースプーン」を読んでるのにどう関わっているのか思い出せないっていう部分が問題ですけどね)。「ぼくのメジャースプーン」を読んでないとちょっと意味が分からなくなってしまうという点で星の数を減らしている人が何人かいました。
あとそれとは関係なく、あんまり評価の高くない人もいるようです。おかしいなぁ。僕的には相当傑作何だけども。というわけで、僕が傑作だ傑作だと騒いでいるほど世間的には評価は高くないようなんで、買う時にはそんな辺りも参考にしてみてください。

辻村深月「名前探しの放課後」






厭な小説(京極夏彦)

もしかしたら前にも紹介したことがあるかもしれないけど、時々見ているブログで見た、こんな本屋があったら面白いんじゃないか、という話を書きます。
ブログの記事はこちら。

http://150turbo.seesaa.net/article/110846565.html

その記事では四つの書店のアイデアが書かれているんですけど、どれも結構面白いなと思います。
一番初めの、365棚書店というアイデアは、実行出来るかどうかは別としてかなり面白いんじゃないかなと思います。その日に入ってきた荷物は、その日の日付の棚のところに突っ込むだけ。来たお客さんは、自分が来ていなかった日付の分だけ棚を見れば新刊をすべて把握できる、ということです。
ただこの場合、売れたものの補充が後からどんどん入ってくるはずなので、入ってきた日付と発売日が合致しないことが多々起こることになります。そうなるとどうなんだろうか、という気もしなくもありません。
そうなると、その次のアイデアである、6棚の書店というのは結構現実的かもしれません。曜日毎に入ってくるものを全部まとめてしまう。こうすれば、毎日きてくれるお客さんも、その日入った分だけチェックすればいいし、売れた新刊の補充が後から入荷しても、そもそも発売日で並んでいるわけでもないので特に問題はないでしょう。なかなか面白いですね。
二つ目のアイデアは、amazonの倉庫みたいな発想ですね。昔本で読んだんですが、amazonの倉庫はジャンルごとに分けられたりしてはなくて適当に並んでいるそうです。でも、どこに何が置かれているのかというタグがきちんとつけられていて、それを元にピックアップしていくという感じです。
書店のアイデアとしてはタグはつけないんでしょうけど、かなり現実味の薄いアイデアとは言え、こういう本屋があったら言ってみたいなという風には思わせてくれます。
僕がかなりいいんじゃないかと思うのが、三つ目のアイデアの野口書店。巨大な棚が一つだけあって、入ってきたものはすべて左から入れる。売れていないものはどんどん右に寄せられていく、という形です。これだと、新刊を見たければ左の方から、あんまり売れていないようなマニアックな本を探しているなら右から見ていけばいいということになります。それに棚がきつくなって何か外さなくてはいけなくなったら、右の方からどんどん外していけばいいので楽ですね。
でも、巨大な棚一つしかないので、左に新刊を入れるスペースを作るために棚を詰める時、やたら時間が掛かりそうな気がしますけどね。
最後の箱のまま置くというのは、場所をうまく使えないという点であんまりよろしくないと思うけど、まあそんな本屋があってもいいですよね。
書店は普通にやっていると金太郎飴に陥りやすいので、こういう風に奇抜な発想で店づくりをするところがあってもいいのかもしれません。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は7編の短編が収録された短編集です。

「厭な子供」
高部は同僚の深谷から相談を持ちかけられている。二人は共に、亀井という狂った上司の元で働いていて、うんざりすることは絶えない。しかも深谷は亀井に目をつけられていて、散々なのだ。亀井に気に入られている高部を羨ましく思ってもいるらしい。
そうでもないよ。
高部は家の方でうまくいっていない。特に妻が。精神的に参ってしまったようで、ちょっとしたことでスイッチが入ってしまう。
玄関を開けると、そこに子供がいた。
あれは子供なのだろうか。頭が異様に大きい。あっと思った時にはどこかにいなくなってしまった。錯覚だろうか。そんなわけがない。確かに今、奇妙な子供がこの家の中にいた…。

「厭な老人」
もう限界だ。
一緒に暮らしているあの人にはもう耐えられない。ところ構わず排泄するし、パンツにも粗相とは言えないほどの汚物がついている。それに臭い。なんとも言えないあの臭いには、もう耐えられない。
呆けてしまっているならば仕方ない。しかし、決してそうではないのだ。あれは、私への嫌がらせでやっているのだ。あの人は体も心も健康体のはず。行動だけが狂っているのだ。
その内に、それまで考えもしなかったことがはっきりとしてくる。トイレの前にしゃがんでいたのは何故?寝室の前で突っ立っていたのは何故?
もう厭だ。耐えられない。

「厭な扉」
借金を抱え、妻と子供を捨てて逃げた。ホームレス同然の生活をしている最中、ふと耳にした噂がある。
泊まると幸福になれるホテルがある。その噂は、なんとかというホームレスが、泊まっただけで大金持ちになったという話から来ているらしい。
もちろんただの与太話だと思った。泊まるだけで幸福になれるホテルなど。意味が分からない。それでも、何故か私はそのホテルに向かっていた。
そこで出会ったのは、その噂の元になった元ホームレスだった。私はそこで、そのホテルの宿泊券を受け取ることになるのだが…。

「厭な先祖」
河合は会社の後輩から何故か仏壇を預かることになった。後輩の志村は周囲から空気が読めない奴と評価されているのだが、本人は一向にそのことに気付かないという厄介な男だ。河合は志村に、何故仏壇を預からないといけないのかまったく意味が分からないと散々言ったが、志村は飄々と受け流し、結局預かることになってしまったのだ。
同僚の深谷に相談するが、深谷にも一向に話が見えない。そんなものさっさと送り返せばいいじゃないかというのだが、そういうわけにもいかないらしい…。

「厭な彼女」
郡山は深谷に相談している。彼女のことが厭になったのだけど、どうしても別れられないのだ、と。弱みを握られているわけでも未練があるわけでもない。それでも別れられないのだ、と。
深谷には話が分からない。別れたいなら別れればいいだろう。
手始めに郡山は、ハヤシライスのグリーンピースの話をする。彼女は、グリーンピースがあんまり好きではないと言った郡山に、ハヤシライスを作る度にグリーンピースの量を増やしていくのだ。
話が通じないのだ。

「厭な家」
殿村は後輩である深谷に相談をしている。家でおかしなことが起こるのだ。幽霊やポルターガイストのようなものですかと聞くと、たぶんそういうものではないだろう、と答える。自分でも何が怒っているのか分からないのだが、と言って、サイドボードに小指をぶつける話をする。
寝室に置いていたサイドボードにどうしても小指をぶつけてしまうので部屋からどかすことにした。しかしそれからも、ないはずのサイドボードに小指を頻繁にぶつけ、終いには骨折してしまったのだという。
厭だと思った結果だけが繰り返される家なのだ。

「厭な小説」
深谷は亀井と共に出張に行くことになった。最悪の貧乏くじだが仕方ない。亀井の機嫌を損ねたらこの話は終わるだろう。とにかく恙なく終わらせることを最優先にしようと考えている。
亀井は、つい最近自宅の一つ下の部屋が古本屋であることに気づいた。そこで何となく一冊の本を買ってしまう。タイトルは、「厭な小説」。最近発売されたとは思えないほどボロボロの本だった。
出張に向かう新幹線の中、亀井の隣でその小説を読んだ。驚いた。なんと自分の話が出てくる。子供が出てくるとか言っていた高部の話から、家で嫌なことが繰り返されると言っていた殿村さんの話まで。一体どうなってるんだ…。

というような話です。
とにかく不愉快になるような話ばかりを集めた作品です。帯には、「日本一のどんびきエンターテイメント」とあります。
確かに不愉快になる話ばっかりでしたね。不愉快もそうだけど、どの話も不条理でした。最後まで読んでも、きちんと納得のいく終わり方をする話がそんなに多くはないですね。どの話も、不条理のままで終わってしまう。不愉快という意味だけではない形でも後味の悪い作品だなと思います。
でも、なかなか面白い話だと思いました。前半の方の話は、あまりにも不条理すぎてちょっとなぁという感じの話が多かったですけど、「厭な彼女」と「厭な家」はかなりの傑作だと思いました。
「厭な彼女」はすごい話ですね。とにかく郡山の彼女の行動がまったく意味不明なんです。同じことをされたら、正直参りますね。相手に悪意がなさそうであること、そして話がまったく通じそうにないことというのがとにかく恐怖です。郡山が厭になって別れたいと思うのは無理はないし、そして別れられないと思っているのも十分理解できます。こんな彼女がいたらキツいだろうなぁ。
最後はなんとも言えない形で終わりますけど、この話はかなり好きです。
「厭な家」もいいですね。とにかく、厭だと思ってしまったことが永遠と繰り返されていく家に住んでいる男の話です。一つ一つは些細なことなんだけど、これがずっと続いたらこれもまた参るだろうなと思います。この話はラストもなかなか良く出来ていて(まあ途中で読めますけど)、全体的に完成度が高いのではないかなと思いました。
最後の「厭な小説」はメタっぽい感じでいいんですけど、もう少し何か大仕掛けがあるのかもしれないと思って期待しただけにちょっと残念ではありました。ただ、本書の装丁がどうしてこんな古めかしくなってるのかっていう理由が分かって、なるほどという感じはしました。
あと本書の特徴は、職人・京極夏彦の本領発揮というべき組版です。組版という言葉が合っているか分からないけど、文章をどんな感じで配置するのかを組むみたいな感じです。
京極夏彦は組版まで自分でやる作家だとどこかで読んだことがあります。本書も、うまく説明できないけど、空き行が一切ないんです(普通章が変わる時とかに無駄に空いてしまう行とか出来るものじゃないですか?そういうのがないんです)。それに、どの話も最後の二行が同じ形で配置されている(これもうまく説明できないけど)わけです。こういう部分にまでこだわる作家というのは本当に少ないと思うんで、珍しい作家だなと思います。
京極夏彦の作品として考えた場合そこまで強く推すわけではありませんが、普通に面白い作品です。会話文が多いのと文章が読みやすいのとで、とにかくスラスラ読めます。機会があったら読んでみてください。

京極夏彦「厭な小説」




僕とばあばと宝くじ(パトリシア・ウッド)

ウチの店ではライトノベルがよく売れます。ライトノベルというのは、表紙がマンガみたいな感じで、挿絵も結構あるような、一応中高生向けと謳っているけど買っているのはほとんどおじさんという、あのジャンルです。
僕が担当になった当初もそれなりには売れていましたが、それから結構ちゃんと手を入れるようになってから、ライトノベルジャンル全体がかなり売れるようになってきました。
その中でも売上トップを独走するのが電撃文庫で、とにかく他のレーベルと比較しても圧倒するほどの驚異的な売れ行きです。
さて、何でこんな話をしているのかというと、今月発売された電撃文庫の売れ行きがどうもよろしくないからです。
ラインナップとしては相当素晴らしいんです。ライトノベルとか読まない人には分からないと思いますけど、「狼と香辛料」「俺の妹がこんな可愛いはずがない」「ソードアート・オンライン」という、驚異的に売れるシリーズの新刊が出ているし、他もまあ悪くない(たぶん)ラインナップが揃っています。
なのに、売れ方が鈍い。何でだ!
原因がよく分かんないんです。お盆前に発売になったからみんな帰省したのかとも思うけど、ライトノベルを買うような人はずっと部屋にいそうな気が…(偏見っすか)。台風が来る前に発売になったし、台風のせいで売れなかったとも考えにくい。これが微妙なラインナップだったらまあ仕方ないかで終わるんだけど、どう考えても売れるラインナップだから理解できないんですね。
まあ確かに、ここ最近はライトノベルの売上が下がりつつあったと思います。というか、その表現は正確ではないですね。ライトノベルのジャンルの売上はそんなに変わっていないはずなんだけど、新規参入が激しいので、一つのレーベル辺りの売れ行きが相対的に下がっているということなんだと思います。
だから人気シリーズ作の新刊が出ても、以前ほど動きが鈍るということはこれまでもあったんだけど、でも今月の電撃文庫の新刊は、そういう効果を加味してもまだ理解できないくらい売れていないんですね。
さて、土日と僕は休みでしたが、その間にバリバリ売れているということはないでしょうかね。ライトノベルがバリバリ売れてくれないと売上的にちょっと困ってしまうので、是非頑張ってほしいものだなと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
主人公のペリーは、軽度の知的障害を持つ青年。<ホルステッドのマリン用品店>で仕事をし、ばあばと二人暮らしをしている。親類はいるけど、誰もばあばと関わろうとしない。金をせびられると思っているのだ。職場の同僚であるキースや、職場のオーナーであるゲイリーなどの人々に助けられ、日々穏やかに生きている。
そんなペリーの生活が一変したのは、ばあばが死んでしまってからだ。突然親類がやってきて、ペリーがこれまで住んでいた家を奪い取ってしまう。ペリーは一人暮らしを余儀なくされるけど、そんなある日ペリーは宝くじで一万二千ドル(約14億円)を当てる。
一躍有名人になったペリーだが、そこからが大変だった。ペリーの賞金を奪い去ってしまおうとする親類が忍び寄ってくる。ペリーを救ったのは、死んでしまったばあばの教えと、彼の友人たちだった…。
というような話です。
読んでいると、現代の「アルジャーノンに花束を」と言われた、「くらやみの速さはどのくらい」にちょっと似ていると思いました。まあ知的障害者を主人公にすると文章はどれもこういう感じになるんだろう、ということですけど。
なかなか悪くない作品だと思います。ちょっとストーリーに起伏がなくて退屈な部分はあるけど、キャラクターがしっかりしてるし、何よりもペリーが実にいい奴なのだ。こういう純真な人間の素朴な疑問とか真っ直ぐな生き方みたいなものは、時々人を安らかにしてくれるものだ。まあ、なかなか普通の人がこういう生き方をするのは難しいと思うんだけど。
ストーリー自体は、正直宝くじに当たったことがすごく関わっていくのかというとそうでもないです。もちろん宝くじに当たるという部分なしで本書は成立しないけど、それよりも、ペリーとその愉快な仲間たちの話がメインになっていっています。宝くじはそのスパイスみたいな感じです。
金の亡者みたいな親類からいかにペリーを守るかということで一致団結する面々とあーだこーだやっている内に、ペリーの周囲にいろんな変化がやってくることになります。その中で、ペリーは成長していくし、いろんな意味で時は進んでいく。そういう成長の物語ではないかなと思います。
ただ本書は、アマゾンで100以上のレビューがついて、そのほとんどが五つ星だと書いてあるんだけど(日本のじゃなくてアメリカの方のアマゾンかも)、そこまで大絶賛というほどでもないような気がします。分かりやすくて感動できる作品がいいという人にはまあいいかもしれません。僕としてはやっぱり、ストーリーがちょっと平坦すぎるというのがマイナス評価という感じです。
まあ決して悪い作品ではありません。ばあばの教えや友人の忠告をきちんと守り、きちんとした生き方をしていくペリーを見ていると、何だかいろいろ考えさせられます。お金って何なんだろうな、みたいなことも考えたりするかもしれません。気が向いたら読んでみてください。

パトリシア・ウッド「僕とばあばと宝くじ」



聖の青春(大崎善生)

そろそろバタバタした時期も終わりまして、ようやく通常通りの日常が戻ってきそうです。ただ書店の話で書くネタが最近あんまりないのがちょっと困りものですね。まあ何とか捻りだしてみます。
今日は、前にも書いたような記憶がありますが、多面展開の話を書こうと思います。
何でこの話を書こうかと思ったのかというと、ある営業さんのことを思い出したからです。
とある出版社の営業さんがある時から来てくれるようになったんだけど、3回くらい来てその後はこなくなってしまいました。
で、恐らくその原因は、僕が多面展開をやらないと言ったからではないかなと思うわけなんです。
その営業さんは何度も、これは多面展開で仕掛けたら売れますよ、という話をするんだけど、僕は基本的に多面展開はしないという風に考えているんでそれを断っていたわけです。それで来なくなってしまったんではないかな、と。そんなことをふと思い出したんで、この話を書いてみようと思いました。
多面展開というのは、大きな書店なんかではよくやってるかもしれないけど、ある一つの本を一か所の広い売場に10面とか20面とかで平積みをして売るというやり方のことです。昔は「トットちゃん積み」とも呼ばれたそうです。売り言葉に買い言葉で「窓際のトットちゃん」を500冊仕入れることになってしまったある書店が、窮余の策として多面展開をしたところ(当時多面展開なんてやり方は書店になかった)、バカ売れしたらしく、それから多面展開というやり方が広まったみたいです。
僕が多面展開をしない理由は三つあります。
一つ目は、僕はなるべく多くの種類を置きたい、と思っているということです。
僕のいる本屋は、そこそこ広いとは言え、そんなに潤沢にスペースがあるというわけではありません。その中で多面展開をしようとすると、どうしても売場に置く種類を減らして場所を作らないといけません。
例えば20面で置けるスペースがあった時、そこにある一つの作品を20面で置くと多面展開ですけど、僕はそこに20種類の本を1面ずつ置きたいわけです。日々大量に新刊が入ってくる中で、限られたスペースの中で店独自の品揃えを維持していくには、やっぱり多面展開よりは多種類展開の方がいいのではないか、と思っているんです。
二つ目は、毎日来てくれるお客さんになるべく新鮮さを感じてもらいたい、というのがあります。
多面展開を一度始めると、最低でも一か月ぐらいはずっとそこで多面展開をし続けないといけない、ということになります。普通は二か月ぐらいはやるんだと思いますが。その間、その多面展開をしている場所というのはずっと変わらないわけです。そりゃあ目立つかもしれないけど、でも毎日来てくれるお客さんからすれば、見飽きたという感じになってもおかしくないと思うんです。
僕は普段から、平積みで置いている本をあっちこっちに移動させています。毎日来る度に、あらゆる売場に大なり小なり変化がある。それがどれだけ小さな変化でも、ある一定期間やり続けなくてはいけない多面展開よりは、毎日来てくれるお客さんに優しいんじゃないかなと思うわけです。
三つ目は、多面展開にしなくても目立たせる方法はいくらでもある、と思っていることです。
多面展開の強みというのは、とにかく目立つということその一点だけです。同じ作品がずらりと一か所に並んでいれば目立つ。それで売上を伸ばそう、という手法です。
であれば、多面展開ではないやり方で目立たせる方法があれば、多面展開をする必要はないということになります。
これについてはまだ研究途中ですが、いろいろと頑張っている部分もあります。「凍りのくじら」という作品があるんですけど、もう散々売ってもう無理かなと思っていた頃に、あるアイデアを実行に移してみたところ、そこからまた売上がうなぎ登りになっていきました。同じやり方を、「永遠のゼロ」という作品でもやってみたところ、これもかなりいい売上を続けています。
僕の中では、多面展開というのはある種の「逃げ」なんです。他に目立たせる方法を考えもしないで、安易に多面展開というやり方を選択するという感じがあります。
まあそんな理由で、僕は多面展開を出来るだけやらないようにしています。
上記で書いたことは、売場に余裕のある書店の場合は当てはまらないです。売場に余裕があるなら、いくらでも多面展開をやったらいいと思うんです。でも、売場がそんなに広くない書店で多面展開をするっていうのはどうなんだろうなと僕はいつも思っています。多面展開をしなくても、うまくやれば本は売れると思います。多面展開をするのと同じくらいの効果を挙げられる手法を見つければ、売場をより広く使えることにもなります。まだまだ工夫できる部分というのはあると思います。皆さん一緒に頑張りましょう!
って最後はなんかおかしくなりましたけど(笑)、そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、現在は小説家として活躍している著者のデビュー作で、将棋を題材にしたノンフィクションです。新潮学芸賞を受賞しているようです。
著者はもともと「将棋世界」という雑誌の編集長だったようで、その関係で、本書の主人公でもある村山聖とも交流があったようです。
村山聖というのは、あの羽生善治も連敗することがあるほどの超絶的な強さを誇った棋士です。A級8段という棋士の最高峰近くまで上りつめ、後はタイトルを奪うだけというところまで来ながら、29歳という若さで命を落としてしまうまでの一生を小説のような雰囲気で綴った作品です。「怪童」と呼ばれるほどの驚異的な強さを誇りながら、無用な殺生に心を痛める純真さを持ち、なかなか掴みきれない性格にも関わらず、最後の最後まで多くの人に慕われ続けた男。谷川浩司を倒すという目標だけを抱き続け、本を読むことだけでどんどんと強くなっていった男。病気のために時々不戦敗を選択しなくてはならなかった彼のために、師匠はパンツを洗うことまでした。
人生を高速で駆け抜けた男の青春を余すところなく描ききったノンフィクションです。
いやー、久しぶりに素晴らしい作品を読みました。最近、「これは!」と思える作品になかなか出合えなかったんだけど、この作品は素晴らしいですね。まさに傑作だと思います。思わず、同じ著者の別の将棋の本「将棋の子」を買ってしまいました。
まず、村山聖という男が凄すぎる。
とにかく強い。将棋はルールくらいしか分からないんで、将棋が強いというのが具体的にどういうことなのかイメージするのは難しいんだけど、とにかく強かったらしいです。本書には、棋士から強いと思われれば本物だ、みたいな記述があって、まさに聖は棋士から強いと思われた男だったらしいです。
特に終盤には驚異的な強さを発揮したようです。
終盤というのは、もうそろそろ詰みそうだ(終わりそうだ)という状況のこと。ある時こんなことがあったようです。
棋界の重鎮の何人かが、ある終盤戦を検討している時のこと。関西将棋の重鎮で詰将棋の名手でもある内藤は、それを「詰む」と決断した。しかしそこで、ある奨励会員が「詰まない」と言っています、という話が届く。
その奨励会員というのが村山聖だ。実際その後の検討により、「詰まない」という結論になった。
それから、「終盤は村山に聞け」と言われるようになったようです。誰もが、詰むのか詰まないのかわからない局面で、聖はきっちりと答えを出す。その終盤の強さは圧倒的だったようです。
また、終盤の強さだけでは上にいる人間には勝てないと悟った聖は、序盤・中盤についても研究を重ね、やがて羽生善治さえも打ち負かすほどの強さを発揮していくわけです。
僕は、将棋が強いというのが羨ましいなと思うんで、自分が強くなれないのは分かってるけど、せめて強いと言われる人たちの指した将棋を見て凄いと思えるくらいになれたらいいなとは思います。本書は基本的に将棋の知識なしで読めますけど、時折どんな風な手を打ってどういう風に詰んだみたいな話が出てきます。その中で著者が、これは奇跡の一手だったみたいなことを書くんだけど、僕にはやっぱりそれがどれだけ素晴らしいのかというのが実感できないんですね。それがちょっと悔しいです。
また聖の素晴らしさは、その強さだけではありません。
例えば聖が中学生くらいの頃。聖に奨励会(つまり将棋のプロの入口みたいなところ)に入りたいと言われていた両親は、健康上の理由からそれに賛成できないでいた。そこで家族会議を開き、そこで説得してもらおうと考えた。
しかしその席上で聖は、「いかせてくれ」と頭を下げ、その後こう言ったのだ。
「谷川を倒すには、いま、いくしかないんじゃ」
それに対し、中学校の校長をしている親族の一人が、そんな若い頃から自分の将来を見定めているなんて素晴らしいじゃないか、というような発言をし、それを皮切りに家族会議が聖擁護の方向へと進んでいくわけです。
また、既にプロとして活躍していた頃、母親とこんな話をしている。
聖が新聞に、淀川で人が溺れて死んだという記事に対し、誰も助けにいかなかったみたいだと言った。母親は、泳げる人がいなかったんでしょ、と返したが、そこで聖は、何でそんなことを言うのか、と突っかかる。
聖は、自分は泳げないけど、同じ状況なら飛び込んだ、と主張する。弱い人や困っている人をただ見ているだけなら、たとえ自分がどうなっても川に飛び込むと。
聖にはいろいろあって大人への不信感があり、また子供の頃から病気だったために弱い者への異常なまでのいたわりがあった。髪や爪をなるべく切らないというのも、無用な殺生をしたくないからという現れなのだ。
またこんなこともあった。著者と聖ともう一人先崎という棋士の三人で飲んでいた時、海外で将棋が普及しないことについて議論になった。若手から金を集めて基金を作ったらどうかという先崎のアイデアに、著者は、いいアイデアだけで実際やれるだろうか、と疑問を呈するが、聖は真っ先に賛成する。
その翌日、聖が編集部にやってきて、ポケットから出した封筒を著者に渡す。中には100万円が入っていたという。昨日の話に使って欲しい、とのことだった。そういう、尋常ではない純真さを持った男だったのだ。
また本書で、聖と同じくらい異彩を放っているのが、聖の師匠に当たる森だ。森については、なかなかうまく表現することが出来ない。少なくとも、普通の弟子・師匠という関係を大幅に逸脱しているのだ。聖と森の間で築かれた関係性というのは、本当に奇跡的なものだなと感じました。将棋の世界だからとかいうのではなく、こんな関係性は普通は築くことが出来ないと思う。そういう意味でも、聖はいい師匠と巡り合えたものだと思います。
本書の素晴らしさは、その構成にもあります。構成というか文章というか、先ほども書いたけど、小説みたいな感じでノンフィクションを構成するんです。これはかなり難しいことだと思います。ノンフィクションであれば、自分が見たもの知ったことを自分の視点で書けばいいけど、それを小説風に仕立てるというのは、自分がその場にいなかった時間をそっくりそのまま写し取るということで、これは相当対象について詳しくないと難しい。実際著者は、聖の師匠である森と幾夜も聖について話をしたようで、そういう部分の深みが、作品をより素晴らしいものに仕立てているんだろうなという感じがしました。
というわけで、とにかく素晴らしい作品だと思います。傑作にもほどがあります。将棋のことなんかさっぱり分からなくても全然大丈夫です。生きていれば羽生善治と共に大いに話題になって逸材だと思います。その生涯を是非読んでみてください。

大崎善生「聖の青春」



キッチン・コンフィデンシャル(アンソニー・ボーデイン)

さて今日はこんなニュースから。
記事はこちら。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090813-00000000-maiall-ent

確かこのcherのムック本が出るのはこれで三回目なんですけど、初めて出た時のことを思い出します。お客さんがこのcherのムック本を予約していて、その入荷の連絡をすることになったんだけど、「cher」がなんて読むんだかわからない。今では「シェル」だって知ってるけど、その入荷連絡の際には「シェア」って言ってしまいました。知らない方のために書いておくと、このcherというのは女性に人気のブランドの名前なんだそうです。
最近とにかく雑誌が売れない売れないと言われているんだけど、そんな中でも好調なものが二つだけあります。それが、パートワーク誌とブランドムック本です。
パートワーク誌っていうのは、「週刊○○」みたいな、毎週(あるいは隔週)で雑誌を買って全集みたいなものを作ったり、毎号ついてくる付録を組み立てて何かを完成させたりするような雑誌です。デアゴスティーニって出版社が一番有名ですけど、最近では大手出版社もこのパートワーク誌に乗り出しています。鉄道やら城やらディズニーやら、とにかくいろんなものがパートワーク誌の題材になります。僕からすれば、あんなに薄いのに1冊500円くらいするような雑誌を毎号買うというのはちょっと信じられないんですけど、売れてるんだからニーズがあるということなんでしょう。普通の雑誌と違って広告で成り立っているわけではなさそう(たぶんですけど)なので、薄くても値段が高いんだろうなと思います。とは言え僕も、高校生の頃に買ってましたけどね。当時写真にはまっていて、写真のパートワーク誌をかなり長いこと買ってました。まだ実家にあるかな?
そして売れている雑誌のもう一方が、今回のcherのようなブランドムック本です。
雑誌の付録として何か有名ブランドの付録がつくというのは昔からありましたが、ブランドムックというのはそういうのとは違います。ブランドムックの場合、雑誌自体もそのブランドについての内容なので(たぶん)、既存の雑誌に付録をつけるというのとはまた違うんです。で、こういうブランドムック本ってのがまあ売れますね、ホント。ウチでも発売以来バカ売れで、もう少しで在庫がなくなると思います。
僕なんかからすれば、ついている付録はみんな同じなんだから、多くの人が買えば買うほど被ってしまうと思うんだけど、それについては別に問題ないのかなぁ。ブランドムックに限らず雑誌の付録って全体的にそうだけど、同じものを持っている人がかなり多くいるという状況になるはずなので、どうなんだろうといつも思ってしまいます。まあ書店的には、売れれば何でもいいんですけど。
しかし、もはや本来の雑誌を売るというのは本当に難しくなっているなという感じがあります。本来の雑誌というのは、広告に支えられて毎週あるいは毎月でるような雑誌のことだけど、付録でもつけないともう売れない。書店にしても出版社にしても、雑誌を売ることで成り立っているビジネスモデルらしいんで、雑誌が落ち込むと打撃がかなり大きい。でもこれから雑誌の売上が伸びていくというのはどうしても考えられない。まあそんなわけで、パートワーク誌やブランドムック本などの売れるものをきちんと頑張って売っていくしかないんだろうけど、やっぱりなかなか厳しいものだなと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、ニューヨークの超有名料理店で総料理長をしている著者が、レストラン業界の裏側を暴露したとして大いに話題になった作品です。著者は、本書のようなノンフィクション的な作品の他にも、レストラン業界を舞台にした小説も出しているようで、作家としても活躍しているらしいです。
本書は、著者が経験した様々な出来事が、割と時系列順に語られて行きます。著者がどうしてシェフになろうと思ったのか、子供の頃に出会った強烈な味専門学校時代、マリファナをやったりレストランを転々としていたような見習い時代のこと、ビッグフットと著者が読んでいる師匠との出会い、キッチンがいかに戦場なのか、というような著者自身に関わる自伝的な部分や、あるいは、月曜日に魚料理を食べてはいけないなどのレストランの裏側の暴露、キッチンで使われている隠語、これまで出会ったワル&天才たち、家庭でシェフと同じような料理をするのに必要なことは何か、シェフになりたいと思っている若者への心構え、などレストランに関わる様々なことについてとにかく書いています。
どんなエピソードを扱っているかについて面白さがかなり違いました。つまらない話はつまらないし、面白い話は面白い。ビッグフットと著者が呼ぶすごいオーナーの話や、シェフになりたい若者への心構え、月曜日に魚料理を食べてはいけないわけ、みたいなのは面白いんだけど、キッチンで使われている隠語とかある日のキッチンの戦場っぷりを描いている部分とか、そういうのはあんまり面白くなかったかなと思います。
しかし本書は、アメリカのレストラン業界を少しでも知っている人が読んだらたぶん相当面白いんでしょうね。著者はかなりの毒舌で、かなりいろんなことを貶していたりします。著者はレストラン業界のことを愛しているし、シェフという仕事に誇りを持っているんだけど、それでも業界の慣習や特定のレストランの誹謗中傷みたいなことを平気でやる。それでも著者はシェフとしてかなり人気みたいです。
しかし今では超有名店で総料理長をやっている著者ですが、そこまでの道のりは相当厳しいものだったようです。待遇やメンバーや環境が悪かったりでレストランを転々とすることになるんだけど、でも僕からすれば、それぞれの環境にほんの僅かでも我慢して在籍していたというのがすごいなと思えるほど、なかなかクレイジーな感じだったみたいです。著者はシェフになりたい若者へいくつかアドバイスをしているけど、その中の一つに、「人間の愚かさと不公平の実態を覚悟してよく見ること」というのがあります。「なぜ彼/彼女のほうが、私より待遇がいのか?」「なぜシェフは客のあいだをぶらぶら歩いて、お客に愛想をふりまいているだけなのに、なんで俺はここでこき使われていなけりゃいけないんだ?」「なぜ私の勤勉さと献身が十分に評価されないのか?」みたいな質問は考えるな、と書いています。それだけで、シェフの世界というのがどんな世界なのか分かろうというものです。
シェフは海賊のようなだとも軍隊のようだとも書いています。荒くれ者たちが集う中で、トップの命令には絶対服従。僕にはとても無理ですね。そんな世界の中でのし上がっていけるんだから、本書に書かれている以上の努力を著者はしたんだろうなという感じがしました。
僕は頑張って生きようという気力がほとんどない人間なんで、こういう生きる目標があってそれに向かって迷いなく突き進める人間というのが時々羨ましくなります。目標も夢も希望もやりたいことも何もない人間っていうのは、結構大変なんですよ。
まあそんなわけで、それなりに面白い作品だと思います。日本とアメリカでは大分事情は違うだろうけど、それでもシェフになりたい人は読んだら面白いかも。もちろんシェフが読んでも。食べることに興味がある人とか特殊な世界の裏側を知りたいとかいう人にもいいんじゃないかなと思います。

アンソニー・ボーデイン「キッチン・コンフィデンシャル」



屋久島ジュウソウ(森絵都)

さて、しばらく更新していませんでしたが、ちょっと旅行に行っておりました。恐らく旅行期間中、日本中で唯一雨が降っていなかったであろう場所にです。涼しいはずなのに、ものすごく暑かったです。現地の人間は、年に10日くらいしかない夏日にたまたま当たった、と言っていました。まあいろいろ堪能して参りました。朝7:00の飛行機に乗るというなかなかハードなスケジュールだったので一日目は殺人的に眠かったですけどね。あと最近デジタルトイカメラというのをゲットして時々使ってるんですけど、なかなかいい写真が撮れたので満足です。
さてまだ日常が落ち着かないので今日も本屋の話は少しだけ。来週あたりになればいつも通りの日常がまたやってくると思うんだけど。
今日は本屋の話というよりは、本の話。旅行から帰って来てニュースを見ていたらこんなのを見つけました。
記事はこちら。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090811-OYT1T00784.htm?from=main7

地震で崩れた本に圧迫されて死んだのではないか、という記事です。時々こういうニュースを見ますけど、ホントかなぁとか思います。
僕の部屋も、まあ本が山積みですけど、これって地震とかで崩れたら死ぬのかなぁ。どうだろう。本棚ががしゃんって感じで崩れてきたらちょっと危ないかもしんないけど、でも埋もれてしまうほどの量があるとはちょっと思えないなぁ。
その女性は、家にどんだけ本を置いてたんだろう。僕の部屋より多いのかなぁ。同じく僕も家に大量の本が山積みになっている読書家としては、なかなか気になるニュースではあります。ただ、すごく不謹慎なことを書きますが、本に埋もれて死ねるならある意味それは幸せな死に方かもしれない、と僕は個人的には思います。亡くなられた女性がどうだったかはわかりませんけどね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、前半が屋久島をジュウソウ(縦走)した旅行記で、後半が森絵都が書いた短い旅行エッセイ14編を収録している感じになります。
元々は雑誌の連載か何かで旅行エッセイを書いていたんでしょう。で、それを単行本にまとめる時に、何かメインになる旅行記を書きましょうということで、いろいろあった挙句(飲み会の席で屋久島行きを提案したのが著者自身なのに、それを覚えていないとか)、屋久島行きが決定したということらしいです。
さてその、著者と編集者数名で行った屋久島ですが、なんと屋久島最強のコース(なのかな、たぶん)に行くことになったようです。しかもそのことを著者自身はあまりきちんと把握していなかったよう。そんなテキトーな感じで屋久島に挑み、玉砕こそしないもののかなり打ちのめされるという、そんな旅行記です。
ちょっと屋久島に行く予定があるんで、それで読んでみることにしたんですけど、まあ別にそんなに参考になる感じではないですね。お世辞にも綺麗とは言えない山小屋で一泊するような、何度も諦めそうになるほどキツイ行程を歩くような感じで、そんなに参考にはならないですね。靴だけはちゃんと借りた方がよさそうかな、という感じはしました。
旅行エッセイに限らずエッセイ全般ですけど、これは本当に作家によって大きく違うなという感じがします。読んでいて面白いエッセイというのは本当に稀です。作家で言えば、三浦しをん、乙一、万城目学辺りは最強に面白い(森見登美彦のエッセイは読んだことないけど、たぶん面白いと思う)。でも、東野圭吾とかみたいな、小説作家としての力量がかなりある作家でも、エッセイはさほどでもないということはかなりあります。
本書もまあそんな感じで、特にこれというようなところもないような作品です。
小説は作家自身の人格みたいなものはあんまり反映されないと思うんだけど、エッセイは逆で作家自身の人格がモロに出るんでしょう。三浦しをんにしても乙一にしても万城目学にしても、たぶん本人がかなり変わっているんでしょう。だからエッセイも面白い。そうでない場合、例え小説が面白くてもエッセイはそんなに面白くはならないなという気がします。
まあでもエッセイの場合、面白いかどうかという部分以外に、そこに着目するかという視点を楽しむというところはあります。そういう意味では森絵都のエッセイのいくつかは視点が面白いかもしれないと思いました。旅行エッセイなのに、自分の部屋でガムテープとかホチキスとか入れているようなバッグの話をしたりする。他のエッセイでも、なるほどそういう価値観を持っているのかと思わせる部分はちょっとはあったかなと思いました。
エッセイっていうのは最近あんまり読まないけど(それよりはノンフィクションの方が遥かに面白いと思う)、面白いエッセイ作家っていうのはちょっと出てきてほしいですね。エッセイが面白い作家っていうのはちょっと凄いなって改めて思いますね。

森絵都「屋久島ジュウソウ」



5000年前の男 解明された凍結ミイラの謎(コンラート・シュピンドラー)

さて今日もどうにも時間がない。本読むのが遅くなったのかなぁ。そんなことはないと思うんだけど。昨日も書いたけど、8月前半はいろいろバタバタするんで、落ち着いたらまたちゃんと本屋の話は書こうと思います。ただ正直、書くことがなくなってきたというのも事実で。本屋の話だったらいくらでも書けると思ってたけど、なかなか難しいものです。
内容に入ろうと思います。
本書は、まあタイトル通りの作品です。1991年に、オーストリアとイタリアの国境付近の山で発見された遺体が、実は5000年前のものだったという考古学上の大発見を、調査の指揮を振るった著者が綴った作品です。
本書は大きく二つに分けることが出来ます。前半は、発見時のドタバタを描いたもの、そして後半は考古学的な調査からジャン明した事実が描かれます。
このミイラを見つけたのはとある夫婦。山登りが趣味で、その過程でたまたま見つけたのだ。
その後警察に連絡したり、あるいは救助隊が出動したりということになるのだけど、当初はそこまで古い遺体だと思われてはいなかった。現場で遺体をみた人たちは、かなり以前に亡くなった人だろうとは思ったが、せいぜい100年とか200年とかそれぐらい前のものだろう、と思っていた。だから、他の山岳遭難者の死体回収と同様の手続きが取られたのだ。
しかしその後段々と、これは考古学上の大発見かもしれないという認識が広まって言って、そこから話がどんどん大きくなっていくわけです。
問題を複雑にしたのが、遺体の発見場所。ここはまさにオーストリアとイタリアの国境で、所有権や研究をどこがやるのかという話が出た。また山登りが得意でないとなかなか自力で行くのが困難な場所にあるのでヘリを飛ばすしかないが、しかし天候次第で行けなくなってしまったりする。遺体が固い雪に埋もれていたことも回収作業を難航させる要因になった。
そう言ったわけで、通常の考古学的な発掘とはほど遠い形にはなったけれども、公式発掘以前に遺体周辺に来た人間全員に話を聞いたりすることで状況を把握することに努めたようです。
さて、そういう発見のゴタゴタが終わり、正式に調査が始まってから判明した様々な事柄を書いているのが後半です。
ミイラが携帯していたものはどういう用途なのか、どんな経緯で死に至った場所までやってきて、そしてどういう理由で死んだのか、故郷はどこだろうか、というような様々な事柄について、現時点で判明していることを正確に書いています。今後別の見解が現れる可能性は十分にあると断った上で、執筆時点で結論が出ている部分について書かれています。
前半の発見のゴタゴタについては結構面白かったんです。考古学的な発掘って普通は、この辺に何かありそうだと辺りをつけて掘り始めるか、あるいは一般人が古そうな価値のありそうなものを見つけて、その後本格的な発掘になるかどちらかだろうと思うんです。で、そのどちらの場合も大抵、ほとんど手つかずの状態から発掘を始めることが出来るし、紛失したり破壊されたりと言ったようなことも起こらないはず。
しかし今回の場合、事情がまったく違いました。とある夫婦が遺体を見つけたけど、その後関わった多くの人も含めて、当初それが考古学上の大発見だという認識をしていた人はいません。5000年前の行き倒れのミイラが見つかったことなんか過去にないわけで、それは仕方ないことです。
だから公式な発掘が始まるまでに多くの人が触ったり何かを壊したり写真を撮ったりということをしています。その公式発掘までに関わった人間すべてから話を聞き、元々どういう状況にあったのかということをほぼ完璧に把握しようとするところが凄いし、考古学上の大発見だとわかる前に大雑把な回収作業をした教授が後から非難されたりといろんなことが起こります。
見つかった場所がちょうど国境地帯だったり、まさに見つかった場所が自治領だったりと、いろいろ複雑な事情もあって発見されて以降しばらくドタバタが続くことになります。この部分は結構面白いと思います。
ただ後半の、考古学上の発見については、ちょっと眠かったです。だって、太さが何センチ、長さが何センチ、材質はどうで…、みたいなことがずっと書いてあるんです。そりゃあ確かに、考古学上の観点からすればそういう部分は大事なのかもしれないけど、でも読んでる方としてはかなり退屈ではないかなと思います。ミイラが身に付けていた様々なモノについていちいちそういう説明がされるので、かなり飛ばし読みしました。
というわけで、全体的にはちょっと何とも言えない評価ですけど、前半の発見のゴタゴタはなかなか面白いです。後半の考古学的な記述はちょっと僕には辛かったです。

コンラート・シュピンドラー「5000年前の男 解明された凍結ミイラの謎」



龍神の雨(道尾秀介)

今日もちょっと時間がないので本屋の話は省略させてください。どうも8月前半はいろいろバタバタするもんで。もうしばらくしたら落ち着くと思うんだけど。
今一番ノリに乗っていると言ってもいい若手作家・道尾秀介の最新作です。
未曾有の台風がやってきた時、二組の家族は龍の怒りに飲み込まれるようにして、荒々しい日常へと放り込まれる。
添木田蓮は大学進学を諦め、酒屋でアルバイトをしている。妹の楓は高校生。父親は女を作って家を出、母親は事故で死んだ。今いるのは、母親の再婚相手の義父だけ。その義父は毎日部屋に引きこもっているだけで、仕事を探しに行こうともしない。
殺してやりたい。
蓮は義父に対しそう思い続けている。昔から好きではなかったけど、楓の話を聞いて殺意は固まった。
楓が帰るのが遅くなるというその日、機会がやってきた。蓮は義父を殺そうと、ある計画を実行に移す。
しかしバイトへと向かった蓮は後悔していた。あんなことをするんじゃなかった。取り返しがつかなくなる前になんとかしたいと思うのだけど、バイト先での万引きに関わる羽目になって思うようにいかない…。
圭介は、兄・辰也に振り回されていた。圭介の母は海での事故で死に、父はガンで死んだ。二人の面倒を見ているのは、父の再婚相手である里江さん。しかし辰也は、里江さんに事あるごとに反発する。圭介には、その気持ちが分からないでもない。要するに、また家族を失うのが怖いのだ。だから親しくしないようにしている。敢えて嫌われるようなことばかりしている。
辰也はいつもいろんなところから万引きをしては、それを机の上に置いておく。里江さんに万引きしたことを知らせるためだ。そうやって辰也はいつも、里江さんを傷つけるようなことばかりする。
その日、辰也は僕を近くの酒屋へ連れて行った。そこで僕にも万引きをしろ、という。兄の命令に逆らいたくはないけど、里江さんを悲しませるためにやるのだと思うと心が痛む…。
というような感じです。
道尾秀介の作品の中では中の中ぐらいの作品かなという感じです。道尾秀介の作品をそこそこ読んでいる人はみんなそうだと思うんだけど、道尾秀介に求めるレベルが結構高くなっていると思うんです。やっぱりかなりレベルの高い作品を書く作家ですからね。そうなると、自分の中で期待がどんどん上がってしまうのは多少は仕方ないかなという気がします。
本作は、決して悪いというわけではないです。十分に面白い作品ですけど、ただ道尾秀介の作品を何か勧めて欲しいと言われた時に上位にはこないかな。これまでの道尾秀介の作品と比べると地味ですからね。
本作では二組の家族、というか二組の兄弟が出てきます。どちらも、家族関係が複雑で、しかも両者が似通っている。そんな兄弟が、あることをきっかけに少しずつ関わっていくことになる、という形で話が進んで行きます。
道尾秀介の作品は、初期の方はストーリーのトリッキーさに重点が置かれていたと思うんだけど、段々と文章も洗練されて行って、さらに人間を描くのが実にうまくなっていっているので、若い作家なのに凄いものだなという感じがします。
どの作品もミステリ的な要素が強いけど、ミステリ的な要素の使われ方も大分変化してきていると思います。昔は読者を驚かせるためにあらゆる伏線を盛り込んでいたけど、最近では、人の感情のすれ違い、誰もがしてしまう勘違いなど、人間を描く過程で自然に出てくるような要素をうまく組み合わせているような感じがあるので、より小説としての完成度が上がっているという感じがしました。
本書も、他の作品と比べるとどうしても地味に感じてしまうけど、伏線の配し方は相変わらず見事だし、予想外の展開も起こるし、しかもメインのストーリー以外の部分でも細かいところでいくつかの謎を用意しているし、うまいなと思います。実力のある作家なので、「向日葵の咲かない夏」みたいな超絶的なトリッキーさを持つ作品もまた読んでみたいし、僕の中で今のところ道尾秀介の最高傑作だと思っている「カラスの親指」みたいにいい話かつミステリ的にも素晴らしい作品もまた読んでみたいなという感じがします。さらに言えば、これまでの作風とはまったく違うような新たな一面も見れたら面白いなと思います。
まあそんなわけで、道尾秀介の作品の中で勧めるとすれば本作は上位には来ないけど、小説としての完成度は非常に高いと思います。やはり書く度にうまくなっていくという印象があります。これからも注目していくつもりです。早書きの作家なので、どんどん作品を出していって欲しいですね。期待しています。

道尾秀介「龍神の雨」




マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実(西岡研介)

さて今日も時間がないので本屋の話は省略します。
本書は、「週刊現代」で連載されていた記事を再構成した(たぶん)作品だと思います。
本書で扱われているのは、JR東日本の唯一にして最大の問題と言われ、またマスコミの間では長い間タブーとされてきた問題です。かつて「習慣文春」誌上でこの問題について取り上げた時、JR東日本はキオスクでの販売停止、広告の拒否というとんでもない圧力を掛けてきて、結局文春側は謝罪広告を出すことになるという事態に発展しました。それまでもこの問題はタブーとされていたようですが、それを機に一層触れてはならないものとなったようです。
その問題というのが、JR東日本が革マル派と呼ばれるテロリスト集団に乗っ取られている、というものです。そしてその中心にいるのが松崎明という男です。本書では、国鉄解体時からいかにして松崎が力を持つようになっていったのか、そして松崎の横暴によってJR東日本がどれほど歪んだ組織になっているのかということを明らかにしていくわけです。
松崎という男は何者なのかというと、JR東日本の労働組合の会長です。でもJR東日本の社員ではない。かつては機関士だったのだけど、何かの理由で辞め、しかしJR東日本労働組合には残り、そこで権力をふるい始めた、というような人物です(何か記述に間違いがあったらすいません)。
JR東日本という会社は、大雑把に言ってしまえばこのJR東日本労働組合に支配されていて、そしてそのJR東日本労働組合のトップにいるのが松崎というわけです。
JR東日本にはいくつかの労働組合の集団があるんですが、しかし『JR東日本労働組合でなければ人にあらず』と言われるほど絶対的な力を持っています。JR東日本労働組合の人間が、他の組合の人間と個人的に会うというだけで破壊行為だとされ、その後執拗ないじめにさらされるんだそうです。
すごいなと思ったのが、そのいじめが乗客の安全を無視して行われるということなんです。運転士を寝させないことで事故を起きやすくするとか、信号を故意に隠すとか、置き石をするとか、そういう行為を平気でやるんです。そうやって、恐怖によって縛りつけることで、JR東日本労働組合は絶大な権力を保持することになり、その力は、JR東日本の経営陣をも屈服させてしまうわけです。松崎は人事権や経営権にも口を挟み、まさにやりたい放題。組合員から金を吸い上げる仕組みを生み出し、それによって別荘や高級外車を買ったりと放蕩三昧。しかしそんな松崎を周囲は抑えられず、傍観するしかないという状況です。
警察OBを取り込み捜査を妨害したり、デジタル警察無線を傍受したりということまでやるし、革マル派の人間を動かし盗聴や尾行などは日常的に行われている。まさに松崎はテロリストそのもので、JR東日本は未だにそのテロリストを排除出来ずにいる。
本書では、松崎という絶対権力者を中心に、いかにJR東日本が歪んだ組織であるかというのを明らかにしていく作品です。
ここに書かれているようなことはまったく知らなかったので、これは凄いなぁと思いました。松崎がいかにしてJR東日本を乗っ取ったのかという話や、松崎をトップとして革マル派のメンバーがどんなことをしているのか、JR東日本がいかに組織として崩壊しているのかという部分ももちろん驚きましたが、僕が一番驚いたのは、乗客の安全を無視してでも『反乱分子』をいじめ抜くというその姿勢です。
ある社員に嫌がらせをすると決めたらもうすごいです。運転士の後ろに立って、運転中に嫌がらせをするとか、周りに一般の乗客がいる前で大人数で運転士を拉致するなんていうことが日常的に行われていたんだそうです。運転士に事故を起こさせて辞めさせるという発想が普通にあったようで、そもそも乗客の安全なんていう視点はどこにもないわけなんです。この話は一番衝撃でしたね。かなり公共性の高い企業でありながら、乗客の安全を無視するようなことが普通にまかり通ってしまうような組織はダメだろうと思うわけです。
著者はこのJR東日本の問題を「週刊文春」で連載しようと思っていたのだけど、かつてのトラウマから「週刊文春」での連載は不可能だと判断。その後、書籍化しないかという話はいくつかあったものの、週刊誌の連載でやらなくては意味がないと固く思い、最終的に取材班ごと「週刊現代」に移籍しそこで連載をすることに決めたんだそうです。さすがに今回は、キオスクでの販売停止とか広告の拒否みたいなことにはならなかったようですけど。ただ松崎一派からの反応は凄かったみたいです。またJR東日本の広報に何度も取材を申し込んだんだけど、「貴殿には回答しない」という返答以外はもらえなかったらしいです。JR東日本というのは就職ランキングでもかなり上位に位置する会社らしいんだけど、そんな会社の中がこんな風になってるなんて普通は知らないですよね。
本書の中で、早稲田大学の改革の話が出てきます。早稲田大学というのは革マル派の結党以来30年間革マル派の温床となり続けていたらしいんだけど、それを改革した人の話が載っていました。これは興味深かったですね。JR東日本が革マル派を駆逐出来ないのに対し、奥島さんという元総長は8年間戦って革マル派を駆逐することに成功したんだとか。JR東日本もそれぐらい頑張って健全な企業になってほしいものだなと思いました。
テレビや新聞なんかを読んでるだけでは絶対に知りえないような問題だと思います。電車に乗らない人というのはあんまりいないと思うので、割と関心が持ちやすいんじゃないでしょうか。ぜひ読んでみてください。

西岡研介「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」



犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎(コニー・ウィリス)

さて、感想を書くのが実に久しぶりになりました。ほぼ一週間ぶりぐらいでしょうか。長い小説を読んでいたことと、週末花火やら弟の結婚式やらがあってバタバタしていたのとで、なかなか読書が進みませんでした。
さて今日は何の話を書きましょうか。ソニーが出してる電子書籍端末「リーダー」がグーグルブックと提携した、というような話でも書きましょうか。
記事はこちら。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20090327/141761/?ST=buzz

電子書籍端末では、amazonが出している「キンドル」が有名でしょうが、あちらで読める書籍は今25万冊ぐらいだそうです(日本の小説はどれぐらい読めるんでしょうか)。ソニーの「リーダー」は今現在では10万冊ほどしか読めないようなんですけど、それが一気に50万冊(僕が前に見た記事だと100万冊になってましたが)に増えるんだそうです。ほとんどが、版権が切れた作品なんでしょうけど、それでも古典作品や学術的な作品なんかがいろいろ読めるようになるんでしょうから、まあすごいものだなと思います。
しかし、amazonの「キンドル」にしても、ソニーの「リーダー」にしても、日本では広まってるんでしょうかね?イマイチ僕には分かりません。前にも書きましたけど、アメリカとかでは電子書籍端末で最新の新刊とかが読めたりするみたいです。でも日本ではまだまだそんなことはないと思うんです。携帯で連載されている作品とか、ネット上で連載されている作品みたいなのはあると思うけど、電子書籍端末でフルで読める新刊作品というのは少なくとも僕は知らないです。
日本でも、書籍の電子化という話はいろんなところでされているようなんですけど、現状をきちんと把握出来ている人がどれぐらいいるんでしょうか?電子書籍に可能性を見出している人はたくさんいるんでしょうけど、ビジネスモデルとしてきちんと成り立っているようなものはほとんどないような気がします。
電子書籍が広まってほしいわけではないんですけど、これからどうなるのかという部分はすごく気になります。紙の本がなくなるとは思っていないけど、電子書籍が台頭するようになってくると、紙の本への影響力はかなりのものだろうという感じもあります。まあ電子化が進むにしても、ゆっくり進んで欲しいなと思います。せめて僕が生きている間くらいは、紙の本が優勢であってほしいなと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
舞台は2057年。タイムトラベルの技術が確立されているのだけど、過去から現在へ何かを持ってくるのは不可能だと証明されてしまったため、ネットと呼ばれるタイムマシンはもっぱら歴史研究だけに使われている。
主人公の「僕」ことネッド・ヘンリーは、第二次世界大戦中空襲で焼失したコヴェントリー大聖堂を復活させようとあらゆる無茶を通すレイディ・シュプラネルにこき使われている。任務は、<主教の鳥株>なるものを探し出すこと。それを見つけ出すために過去と現在を行ったり来たりさせられてしまったネッドは、タイムラグと呼ばれる時間旅行者特有の症状にかかりダウンしてしまう。
タイムラグごときで人を使うことを諦めないレイディ・シュプラネルから逃れるために、ダンワージー先生のアイデアで、ネッドはヴィクトリア朝へと飛ばされることになる。とにかくそこでゆっくりと休んできなさい、ということだ。
しかしネッドは同時に、ある重要な使命を帯びていたはずなのだ。しかしタイムラグ特有の症状により、その使命がなんだったのかちゃんと思いだせない。とりあえず使命が何なのか分からないままボートで川下りをすることになるのだけど…。
ヴィクトリア朝に派遣されていたヴェリティと途中で合流し、歴史に齟齬をきたさないようにあらゆる手を打つように努力するんだけど…。
というような話です。
世間的には相当評価の高い作品です。ただ僕としては、まあまあかなという感じでした。
設定は面白いと思うし、ストーリーの展開もうまいと思うんだけど、とにかく長いんですね。正直なところ、こんなに長い必要がある作品なのかというのが僕にはちょっと疑問でした。本書はSFですが、ユーモア小説としての評価も高いみたいです。たぶん僕がそのユーモアの部分をあんまりきちんと理解できていないから、長くて冗長みたいな評価になるんだろうなと思います。
ラストはなるほどという感じでした。そこに至るまでに、伏線だと思わせない形でいろいろ伏線を出しているし、SFでありかつミステリである作品としてなかなかいいオチだなと思います。ただ、そこに行く着くまでのストーリーが長いんだよなぁ。確かに面白くないわけではないんだけど、上品なユーモアって僕にはちょっと分かりにくいんです。だから、SF作品というよりはユーモア作品という感じだと思うんで、そういう小説が好きだという人には合うんじゃないかなと思います。SF的な部分はあんまりなくて、作品のほとんどがヴィクトリア朝を舞台にしたストーリーなんで、SFはちょっと…という人でも別に問題なく読める作品だと思います。
歴史や文学とかが好きな人とか(歴史的な話はいろいろ出てくるし、文学からの引用も多い)、あるいはユーモア小説(って言われてもどういう作品が該当するのか僕にはピンとこないけど)が好きな人とかにはいいんじゃないかなと思います。世間的には相当評価の高い作品なので、気が向いたら読んでみるといいんじゃないかなと思います。
ちなみに本書のタイトルは、ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」という小説の副題「犬は勘定に入れません」から取ったみたいです。「ボートの三人男」もちょっと興味あるけど、読むかどうかは分かりません。

コニー・ウィリス「犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」





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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)