黒夜行

>>2009年06月

スタンド・バイ・ミー 東京バンドワゴン(小路幸也)

今日は自転車の話でも書こうかなと思います。
ウチの店は入口が二か所あって、それぞれの入口が幅の狭い道路に面しています。車一台がなんとか通れるくらいの幅しかないような狭い道です。
で、店の前に駐輪場があるんですけど、ここがまあ酷いんですね。もう、みんなグチャグチャに置くんです。道路に大幅にはみ出して置いたりとかする輩もいます。そりゃあ、僕だってどこかに自転車を停めようっていう時に、そんなすごくちゃんとしているかっていうとそんなこともないけど、それでもそれはちょっと酷くないか、どう考えても車通れないよね?みたいな感じで自転車を置いていく人が多いんです。
まあ、お客さんの方にももちろん言い分があるのは分かっています。とにかく、自転車の量に対して駐輪場が狭いんですね。だから、すぐ溢れてしまう。それに、ウチの店の周辺にはいろんな店はあるんだけど駐輪場が絶対的に足りないから、ウチの店のお客さんじゃないのにウチの駐輪場に停めたりする人もいるからさらにどうしようもない状況になっていくんです。
で、時々トラックの運転手とかが店にやってきて、僕らが文句を言われたりするんですね。これじゃあ車が通れないじゃないか、こんなにマナーの酷いところは他にないぞ、と。昨日もそんなことがありました。まあ確かに、駐輪場の状況を見ると、怒るのも当然だなというような状況ではありましたけど。
しかしですねぇ、これはもうどうにもならないと思うんですよね。僕は、最近はちょっとやってないですけど、昔はほぼ毎日チャリ整理を自発的にやっていたわけです。その経験から言うと、あの駐輪場をどうにかするのはもう無理です。
とにかく、これはあくまでも予想ですけど、ウチの店のお客さんではないチャリが本当に多すぎるんです。ウチは駅からもそこそこ近いし、目の前にヨーカドーとかがあったりするんで、そういう人がチャリを停めていってしまうんです。そういうチャリがかなり幅をとっているんで、ちゃんとウチの店に来てくれるお客さんが仕方なくマナーの悪い感じで停めなくてはいけなくなってしまうんですね。もちろん、そもそもマナーの悪い人というのもいますけど。
どうしたもんですかね、このチャリ問題。目の前にあるヨーカドーがきちんと駐輪場の対策をしてしまったんで、余計にウチに自転車が集中するようになってしまいました。ウチは対策を講じるのが遅すぎた(というか未だに特に何もしてないですけど)感じです。
まあとにかく、チャリ整理をするしかないんですけどね。めんどくさいですね。やりたくないですね。まあそんな感じです。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、東京バンドワゴンシリーズの第三弾です。
本書は4編の短編が収録された短編集ですが、その内容紹介の前に、大雑把に家族構成なんかを中心に作品の設定みたいなものを書こうと思います。
<東京バンドワゴン>というのは、明治から続く古本屋で、現在はカフェも併設している。堀田勘一が三代目当主である。御年80歳。その妻サチが本書の語り部なのであるが、既に故人。つまりサチは、幽霊として東京バンドワゴンの面々を見守っていて、その日常を語っているという設定なわけです。
勘一とサチの一人息子が我南人で、彼は伝説のロッカーとして世間で有名。今でもファンは多いようだけど、本人は常にフラフラしている。
さて我南人には秋実さんという奥さんがいたのだけど、既に亡くなっている。その秋実さんとの間に出来た子供が藍子と紺だ。藍子は画家で、同じく画家であり日本大好きなマードックというイギリス人と結婚した。藍子には花陽という娘がいるが、実はマードックとの子供ではない。シングルマザーで生んだ子供だ。
一方紺は元大学講師でフリーライターをしながら店を手伝っている。亜美さんという元スチュワーデスと結婚し、研人とかんなという二人の子をもうける。亜美さんの実家である脇坂家も、堀田家によくやってきては子供の面倒をみている。
さて、我南人にはもう一人青という息子がいるのだけど、これは秋実さんとの子供ではない。池沢百合枝という、日本を代表する大女優との不倫の末に生まれた子供である。青はプレイボーイで、古本屋と併設したカフェにいると女性客がたくさんやってくる。すずみさんという、古本に対する情熱に溢れた女性と結婚し、鈴花という子供をもうけている。
常連客に、藤島というIT社長や、茅野という元刑事、あるいは勘一の幼なじみの祐円という元神主や、その息子で現神主の康円なんかがいる。また、藍子の高校時代の後輩がおかみをやっている小料理居酒屋<はる>というのが堀田家のいきつけの店で、コウさんという無口だが腕の立つ料理人がいたりする。
まあそんなわけで、大家族小説なのです。

「秋 あなたのおなまえなんてぇの」
売場を見ていたすずみさんが妙なことに気づきます。比較的値段の高い本が並んでいる一角で、明らかに本の並びが変えられている、というんです。確かに、三冊の本が変な順番で並んでいるみたい。はて、一体誰が何のためにそんなことを?
一方で、またしてもすずみさんが変な本を見つけます。今度は買い取った本。裏表紙の内側にすぐはがれる糊で紙が貼ってあります。剥がしてみると、驚いたことにそこにはこんな文字が。
<ほったこん ひとごろし>
<ほったこん>と言えば、ウチの紺のことでしょうか。一体これは何なんでしょうかね?

「冬 冬に稲妻春遠からじ」
アメリカから大量に荷物が届くという連絡があった後、店の周りにどうも不審な輩がうろついているのを見かける。どうも怪しい。と思ったら、アメリカかららしい荷物が届いた途端に目の前に姿を出してきやがった。しかもその荷物をすべて200万円で買い取る、という。
一方我南人は、<はる>の料理人であるコウさんから相談を受けます。何でも、店を辞めるつもりなんだと。何故かというと…。

「春 研人とメリーちゃんの羊が笑う」
京都から何やらお手紙です。それを見た勘一は顔を顰めます。<六波羅探書>と題されたそれは招待状で、京都の古書店の会合なんだそう。というわけで勘一は無理矢理、すずみさんと青に行かせることに決めてしまいました。
一方、研人の同級生であるメリーちゃんの母親から、堀田家に相談です。何でもメリーが変なことを言っていると。メリーちゃんは学校帰りに東京バンドワゴンに寄ってから家に帰るんだけど、こんなことを言っているんだという。私の後ろを羊がついてくるんだけど、東京バンドワゴンに寄ってから帰るともういなくなっている、と。なんですかそれは。メリーさんの羊ですか?

「夏 スタンド・バイ・ミー」
何だか我南人の周りが不穏なんだそうです。同級生が興信所みたいなところから調査が来たり、記者らしい人間が我南人のインタビューなんかをしているとか。池沢さんの事務所の社長が金策に困っているという話も聞くし、これはどうも青がらみの話かもしれない。青が我南人と池沢さんの息子だと知れたら、これは大層なスキャンダル。とはいえ、藪をつついて蛇を出すみたいなことにはなりたくないし…。

というような話です。
僕はこの東京バンドワゴンのシリーズが大好きで読んでるんだけど、ホントこのシリーズは面白いですね。シリーズ作っていうのは、新刊を出す度に微妙になっていくということはよくあるけど、このシリーズは全然そんなことはないですね。シリーズ第三弾だけど、相変わらず面白いです。
本書はもう、これだけの設定を作り上げたという時点で勝ちですよ、ホント。本書は大家族を舞台にした小説で、とにかく主要な登場人物だけでも10人以上いると思うんだけど、それでも登場人物表なんて見なくても誰が誰なのかすぐ分かるくらいキャラクターがしっかりしている。とにかくまずこのキャラクターの完璧さが素晴らしい。それに、舞台である東京バンドワゴンという古本屋も素晴らしいし、下町っぽい風情のある生活も素晴らしいし、複雑な人間関係も素晴らしいし、とにかく、そういう前提となる設定が素晴らしいんですね。だから、ストーリーがどうであろうと面白くならないはずがないんです。
正直なところ、本書は一応ミステリっぽい感じのストーリーではありますが、ただそのミステリの部分はさほど大したことはありません。一応スパイス程度にミステリを入れてみました、というような感じです。だから、正直なところストーリーがメインというわけではない。メインとなるのは、そういうドタバタの状況の中にいる家族やその周辺の人々のことであって、その描き方が絶妙なんですね。
すべての登場人物について触れるのはちょっと時間がかかりすぎるんで止めますけど、何よりも我南人が素晴らしいですね。伝説のロッカーとして世間で有名で、いつもフラフラしていてどこにいるんだか分からない。しかしどの話でも、最後に結局我南人が物事を丸く収める、という感じになっていくんです。こんなにフラフラしていて適当に見える男なのに、実際はなかなか細やかで律義な男なんですね。我南人の「LOVEだねぇ」というセリフは、もうこのシリーズのお馴染みですね。
また本書では、すずみさんが素晴らしかったです。「春 研人とメリーちゃんの羊が笑う」の中ですずみさんは京都の古書店会みたいなのに出席することになるんだけど、そこでのすずみさんはもう素晴らしいの一言。こんな女性がいたら魅力的だなぁと思わせる感じでした。いやー、今回はちょっとすずみさんに惚れましたね。
あと今回は、藤島っていうIT社長も大活躍でした。ある意味で東京バンドワゴンのパトロンみたいな人ですね。かつて勘一に救われたことがあって(って言ってもその話覚えてないんですけど)、それで勘一に大恩を感じていて、さらに純粋に東京バンドワゴンのことが大好きだという藤島は、堀田家のためにとにかくあらゆる支援をしてくれるわけです。ホント、いいやつだなぁ。最後の話でも、まさかそんな展開になるとは、って感じだったしなぁ。
いろんな人が書いているけど、これホントにドラマにしたら面白いと思います。これだけ人間がいれば、小説に書かれているのとは違うストーリーを脚本家が生み出すことも割と簡単でしょうし。登場人物が多くて予算的に大変かもだけど、是非映像で見てみたい作品だなと思います。
登場人物がこれだけ多いのに、一人一人のキャラクターが実によく描けていて、とにかくキャラクターに関わる部分がすこぶる面白いです。ストーリーも、謎解きとしては大したことはないんですけど、家族の絆とか愛みたいなものを再確認出来るような、そんなストーリーになっています。僕は家族とか苦手だし、大家族なんてたぶん発狂してしまうと思うけど、それでもこの堀田家の一員になってみたいなと思わせるだけの魅力があります。メチャクチャ面白い作品です。ぜひぜひ読んでみてください!
全然どうでもいいことですけど、本書は書き下ろし作品なんだそうです。雑誌連載向きの構成だと思うんだけど、何だかもったいないなと思いました。

小路幸也「スタンド・バイ・ミー 東京バンドワゴン」




スポンサーサイト

問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?(北原保雄)

そろそろな内容に入ろうと思います。
本書は、かつて相当話題になった日本語についての本です。今世間では(ウチの店でもですけど)、「日本人が知らない日本語」という本がバカ売れしていますけど、本書は結構真面目に日本語の正しさについて考える、という感じの本です。
著者は昔「KY式日本語」という本も出しています。「KY(空気読めない)」みたいな略語について解説した本です。また、「明鏡国語辞典」の編者でもあるようです。
凄いと思うのは、もう既に70代なのに、若者の言葉の使い方とかにもきちんとアンテナを張っているということですね。「KY式日本語」も若者言葉でしたが、本書でも若者が使っているちょっと変な言葉遣いについても多々触れていて、よく観察しているんだなぁと思いました。
本書は、一般の人から寄せられた、最近気になる日本語の使い方についての質問がまず載っていて、それに答える形で日本語についての説明が進んでいく形になります。
例えばこんな質問があります。

『「全然いい」「全然平気だ」などの言い方をよく聞きますが、「全然」を肯定表現に使うのは間違いではないのでしょうか?』

これはよく言われますね。僕も、全然を肯定表現で使うことに特に抵抗がない人間だったりします。「全然余裕だよ」みたいな感じですね。
ここの話はなかなか面白かったです。「全然」という言葉には、「まったく」「まるっきり」などというような肯定表現で使われる意味もあって、夏目漱石や芥川龍之介の作品なんかにも出てくるとか。
一方で、最近の若者が使っているような肯定表現についてだけど、これも肯定表現に対して使っているのか、という疑問を呈します。例えばさっき僕が書いた「全然余裕だよ」という言葉も、次のような状況で使います。
「あんた宿題大丈夫なわけ?」
「全然余裕だよ」
これを著者は、否定的な状況あるいは心配な状況・懸念をくつがえし、まったく問題がないという場合に使う、と説明しています。つまり、まるっきり肯定的な使い方をしているというわけでもないんです。
著者のいる大学で昔ある学生がこの「全然」について使用の実態をレポートにしたことがあるらしいですけど、そこでその学生は、<あなたが思っていることとは違って>という限定で使うのだ、と書いていたようで、著者は優れた着眼だと感心したらしいです。
そういうわけで、肯定表現に「全然」を使っているように思えるからと言って、すぐさま誤用だと断じるのはいかがなものか、ということが書かれています。
こういう風に、ただ間違っている合っているということを書くだけではなくて、問題を細分化して答えたり、あるいは誤用である場合にしても、じゃあ何故そういう風な誤用が生まれたのかという背景についても説明をしていて面白いなと思いました。
バイト先でスタッフが言っていて僕が結構気になるのが、「~の方」という表現で、それも本書に載っています。よくスタッフが、「お会計の方が○○円になります」とか言っているのを聞いて、突っ込みどころが二つもあるなぁ、と思うんだけど、この「~の方」も、状況によってはオッケーだそうです。ただやっぱり、「お会計の方が○○円になります」はダメですけどね。
「お会計の方が○○円になります」のもう一つの突っ込みどころである「~なります」という表現についても載っています。
これについては、誤用かどうかというよりも、両者の解釈の違いによる誤解が生まれやすい表現だ、と書いています。
「こちら和風セットになります」という文章で考えてみます。
提供側としては、「~なります」という表現によって、自信満々に提供するのではなくて「これではたしてお客様のご期待に添えるかどうかわかりませんが」という謙虚な姿勢を示しているし、仮にお客さんの予想から外れてもその客だけ特別扱いしているわけではなく、それがその店の既定の和風セットであるということも示すことが出来ます。
しかしお客さんの方としては、自分が注文したメニュー通りのものが提供されることを期待しています。そのような場面で「なる」が使われると、何か新しい状況が生じるのかと思い、何か変化が起こるのだろうかと考えます。それなのに、注文した通りの和風セットがくるのでおかしいと感じる、というような説明でした。
なので、上記のような場合だと、明らかに誤用だとは言いにくいようですね。ただ「お会計の方が○○円になります」は明らかに誤用ですね。そこは自信満々に言ってもらわないとお客さんとしても困るでしょう。また、「雰囲気」の話も載っています。これ、僕もそうなんですけど、どうしても「ふいんき」って読んじゃうんですよね。なかなか「ふんいき」とは読めない。さすがにパソコンで書くときなんかはちゃんと「ふんいき」って書いてから変換しますけど、読むときは「ふいんき」って変換されちゃいます。
本書に載ってたエピソードで、ワープロソフトの会社に「「ふいんき」で漢字変換できないなんておかしい」という若者らしいユーザーからのメールが来たことがある、というのも載っていました。その若者は、本当に「雰囲気」を「ふいんき」だと思っているんでしょうね。
ただ本書は面白い例が載っていました。
例えば「山茶花」っていう花がありますよね。今僕も「さざんか」って書いて変換すると「山茶花」になりましたけど、これってもともと「さんざか」って名前だったみたいです。それがいつの間にか「さざんか」で定着したのだとか。だから、「雰囲気」についても、いつか読みが「ふいんき」で定着する日が来るかもしれません。
まあそんな感じで、いろいろと日本語について詳しいことが分かる本です。特に、最近の若者の言葉の使い方に納得のいかない人なんかが読んだらいいかなと思います。若者が使っている言葉でも、明らかに誤用とは言い難いものもあるんだ、ということが分かって面白いんじゃないかなと思います。まあ、間違っているものの方がやっぱり多いですけどね。
敬語の本とかも一回ぐらい読んでみようかな。ちゃんと敬語喋れないしなぁ。こういう本を読むと、日本語ってのもなかなか面白いなと思います。興味がある人は読んでみてください。

北原保雄「問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?」



5年3組リョウタ組(石田衣良)

「思考の整理学」という文庫がハチャメチャに売れています。
モノ自体は、1986年に発売された文庫です。それが大ヒットしたのは、去年だったかな。さわや書店という有名な書店での仕掛けから全国的なヒットになりました。「もっと若いうちに読んでおけば…と思いました」みたいな文面のPOPかパネルを本屋で見かけたことがある人もいるんじゃないかなと思います。
だから去年はひたすら売れました。去年一年間の文庫の売上の第四位にいるくらいです。ちなみに1位「チーム・バチスタの栄光」、2位「ナイチンゲールの沈黙」、3位「容疑者Xの献身」、5位「死神の精度」というラインナップです。どうでしょうか。すごさが伝わるでしょか?
たぶん去年一年間で400冊弱くらいは売った気がします。店の規模次第ですけど、ウチの店の場合だと、文庫で400冊というのはかなりのものです。累計で400冊超えている作品というのはそう多くないと思います。
という感じで去年散々売ったのに、今年また異様に売れているんです。ここ三ヶ月くらい、毎月60冊近く売れている。新刊や話題作だって、月60冊売れるというのはなかなかないです。しかも僕は、多面展開というのがあんまり好きではないので、「思考の整理学」は二か所に一面ずつ計二面での展開にも関わらず(これは去年からずっとそうなんですけど)、しかも去年散々売ったにも関わらず、まだ売れている。
一応理由っぽい理由を挙げることは出来ます。「思考の整理学」という本は、去年「東大・京大で最も売れた本」らしくて、帯やPOPなんかにはそのことが書かれています。だから売れているのかも、と思ったりはします。
しかし、長くずっと売れ続ける本というのは本当にあるもので、いつも不思議に思ったりします。
例えば、東野圭吾の「時生」って文庫をずっと二か所に一面ずつで置いているんだけど、毎月20冊はコンスタントに売れる。もうたぶん2年ぐらいずっと置きっぱなしなんだけど、売れ方が衰えることがない。
あるいは、入口付近に子育て関連の文庫・新書をたくさん置いているんだけど、それらもまったく売れ方が落ちない。毎月15冊ぐらいはどれも売れていく。
どれももう散々売ってるんですけど、それでもまだまだ売れていく。もちろん、お客さんはどんどん入れ替わっているんだろうけど、それでもウチのお客さんは割と普段から来てくれる近くに住んでいる人というのがメインのはず。だから余計に不思議だなと思います。
こうやって、長く売れ続ける本を発掘するというのが僕の目標の一つではありますけど、なかなか難しいです。売れる本が必ずしもいい本ではないという事実があるので、何を置けば当たるのかがさっぱり分からない。特に小説は難しいですね。本っていうのはホントに、置いてみないと売れるかどうか全然分からないんです(まあ他の商品でもそうだろうし、映画とかでもそうなんだろうけど)。僕も生涯に一回くらいは、ウチの店から全国的なベストセラーを発掘してみたいな、と思ったりします。
そろそろ内容に入ろうと思います。
久々に石田衣良の作品を読みました。本書は、石田衣良初の新聞連載だったようで、新聞連載→夏目漱石→坊ちゃん→教師という連想ゲームから、教師を主人公にした作品に決めたんだそうです。
物語の舞台は、清埼県清埼市にある、希望の丘小学校だ。元は清埼市立第一小学校と呼ばれ、序列をつけるのを好まない教育委員会の方針で名前こそ変わったものの、かつてのナンバースクールとしての誇りを持ち続けている小学校だった。
主人公は中道良太。25歳のまだ若い教師だ。教師になって三年。今年は5年3組を受け持つことになっている。
小学校は学年主義がまかりとおっていて、すべてが学年単位で行われる。なので学年主任の力が強い。学年ごとに、クラス競争が行われ、良太はこれまでの三年間、常にほとんどビリだった。さっぱりとした性格だからそこまで気にしないものの、同年代で5年2組の担任である染谷はこれまでクラス競争で1位か2位しか取ったことがない。染谷は古参の教師から、教育の天才、とも呼ばれているらしい。随分と差をつけられたものだ。
春には、良太のクラスの生徒である本多元也が問題を起こす。いつも心ここにあらずという表情で座っているのだが、問題行動が多い。教科書を忘れて開き直ったり、理科の実験中に勝手な行動をしたり。しかしその内、授業中に勝手に教室を出るようになり、さすがにここままではマズイと良太も思うようになった。
しかしどうしたらいいのかわからない。同僚の染谷に相談したところ、一週間付きっきりで本多と向き合うことに決めた。
これをきっかけに、染谷と親しくなった。染谷の意外な過去も知り、その崇高なまでの理想に良太は素直に感動した。しかし染谷は、クラス競争で一番のライバルは良太だという。そんなことがあるだろうか?
夏は、一人の教師の無断欠勤からすべてが始まった。生野というその教師は、良太たちとは違い4年生を受け持っていたが、良太や染谷と同年代であるということもあり、この問題に首を突っ込むことにした。
あらかじめ何らかの情報を持っているらしい染谷と違い、良太には状況がさっぱり分からない。しかしいろいろと調査を進めていくにつれて、4年の学年主任に問題があるらしいということがわかり…。
冬は、クラスメートの家で起こった火事から大変なことになった。日高というその生徒は、勉強もスポーツも出来る秀才だった。しかしその日高が、兄と共に家に放火したのだ、と言っているらしいという話が入ってくる。
良太はどうしたらいいのか分からなかったが、しかし記者会見に自ら出ていくことにした。良太の対応に、多くの人が拍手を送り、涙を流した。
良太は次の問題を考えなくてはいけなかった。日高をいかにしてクラスに復帰させるのか、ということだ…。
そして一年の終わりの3月。良太のクラスはクラス競争で2位にいた。1位の染谷のクラスとの差はほんの僅か。これまで万年ビリだった良太には驚きである。
もちろん理由がある。春問題行動を起こしていた本多元也と、火事に巻き込まれた日高が、3組を1位にしようと思って成績の悪い生徒に勉強を教えるようになったらしいのだ。生徒の自主性に任せてみよう、と思ってた良太だったが…。
というような話です。
石田衣良って作家は、恋愛っぽい感じの作品を立て続けに出していたのと、池袋ウエストゲートパークシリーズはもういいかなと思っていたのとで、本当にしばらく読んでいなかったんだけど、久々に読んでみようかなと思って手にとってみました。
石田衣良の恋愛小説はあんまり得意ではないですけど、こういう青春ものみたいなのはやっぱりうまいなと思います。全体的に、都合が良すぎる、うまく行きすぎる、という部分はあって、そういうのが我慢できない人はちょっとダメかもしれないけど(でもそんなこと言ったら石田衣良の小説は全部ダメかも。薄いオブラートで包んであるような、ちょっと出来すぎているような作品が多いから)、僕はそういう部分はそこまで気にならないんで、面白かったなと思います。
一応長編ですが、全部で4つの事件が起こります。春の問題行動を起こす生徒、夏の教師の引きこもり、冬の
放火、そして3月のクラス競争です。学校で起こるトラブルにしてはなかなか多種多様っていう感じで、教師の引きこもりとか放火みたいな大きな話から、ちょっと教室から抜け出しちゃうとかクラス競争の話みたいなちっちゃな話までいろいろです。
どの話でも、良太が持ち前の行動力で何とかする、という感じなんだけど、それだけだったらあんまり面白い小説にはならなかったと思う。本書で最も重要な点は、良太が熱血教師ではないという点、そして熱血教師は基本的には出てこない、という点です。
確かに良太は5年3組のメンバーが好きだし、親身になって考えることが出来る。でも良太の場合、高い理想を持って小学校教師という仕事を選んだわけではない。茶髪でネックレスをするという、年輩の教師からはあまりいい目で見られない格好も、良太は平気でする。自分が信じていないことを押し付けるのも、自分のキャパシティを超えた自分を見せるのも好きではないという、小説の主人公の教師としてはなかなか珍しいタイプではないかなと思います。
そんな良太が、考えるのは苦手だけど思いつきや直感で行動して結果的にいい方向に生徒たちを導いていくというのが面白いなと思いました。
どの話でも、良太は何が正解なのか分からないまま行動しています。自分の中で、絶対の自信があって行動出来ている時なんてほとんどない。トラブルが起こると、どうしたらいいんだか分からなくなるし、憂鬱にもなる。それでも、子供たちは大好きだから何とかしたいと思う。そういう単純であんまり教師らしくない部分がいいなと思いました。
春の教室から出ていってしまう生徒に対してのアプローチとか、秋の生徒が放火に巻き込まれた事件のスポークスマンを努めた時とかの良太の行動はかなりいいですね。こんな先生がいたら、そりゃあ慕われるだろうし、先生のためになんとかしてあげよう、って発想になるのも当然だろうなと思いました。
一方で、染谷という教師もすごくよかったなと思います。染谷は熱血でもないし力で押さえつけるわけでもないんだけど、常にクラス競争ではトップを争う。校長、副校長から気に入られていて、何事にもそつがない。いつもクールで何を考えているんだかわかんない奴なんだけど、恐ろしく仕事は出来る。良太にとっても初めは掴みどころのない奴でした。
しかしそれが、春の事件をきっかけに急速に接近する。染谷は、良太が自分のライバルになるはずだ、と思ってずっと注目していたのだという。
そんな染谷は、良太よりも遥かに高い理想を持っていて、その理想からほど遠い小学校教育を嘆いている。学校ではそんなそぶりは見せないんだけど、教育に対しては熱い男なのだ。いつか大学院に行き、教師を育てる先生になりたい、という。崇高な目標があるのだ。
この染谷が僕は結構好きです。場合によっては良太より好きかもしれません。ギャップがあるという部分もいいんだけど、何より一番いいと思うのが、自分には出来ない部分というのをきちんと把握しているところだ。染谷は周りからは何でも出来ると思われているけど、もちろん欠点だってある。自分にどういう部分が欠けているのかをきちんと認識しているし、良太の前でだけだけどその欠点を認めることも出来る。それが強さの一因になっているんだろうなと思います。
そんな染谷が大活躍する話が、夏の教師の引きこもりである。これは、最後の最後、染谷が荒治療と言ってある場所に連れ出すシーンが好きです。教育って何だろうなと考えさせられる部分でもありました。
学校を舞台にした作品だけど、熱血教師が出てくるわけでもないし、教育がどうたらという熱い話が出てくるわけでもない。等身大の一人の若者が、32人の生徒を自分の意のままに管理できるという中にあって、いかに彼らと向き合っていくのか、という部分を描いた作品です。スマートでスタイリッシュな作品を書く石田衣良は、こういう作品を書かせても実にうまいですね。石田衣良はもういいかな、と思っているような人でも楽しめるのではないかなと思います。是非読んでみてください。

石田衣良「5年3組リョウタ組」




僕たちのミシシッピ・リバー 季節風・夏(重松清)

今「すべらない話」を見ながらこれを書いています。やるって知らなかったんですけど、やっぱ見ちゃいますね、これ。普段テレビを見るのって、週に2時間弱なんだけど、こういう時、テレビってあってよかったな、と思います。デジタル放送になったらどうしようかなぁ。テレビを買い替える気力がないんだけど。
昨日はしかし大変でした。バイトの話です。僕は文庫の担当をしているんですけど、毎年恒例の夏の100冊と呼ばれる文庫のフェアを展開しました。ただし、集英社と角川書店だけですけど。
元々、新潮社のフェアが今日入ってくるという予定の元で昨日集英社と角川書店を出したわけです。夏の100冊というのは、集英社・角川書店。新潮社が毎年行う規模の大きなフェアですが、入荷するタイミングが微妙に違うんですね。大体新刊が出るのに合わせて入ってくるんですけど。まあもし同時に入ってくるとしたら、運送会社が大変なことになっちゃうだろうから、そういう配慮もあるんだろうけど。
で、いろいろあって今日新潮社が入ってくると思ったんですね。で、昨日は遅番のスタッフも結構たくさんいたということもあって、新潮社が揃わない段階で出してみることにしました。まあ予想は外れましたけど。
しかしまあこれが大変でした。
いや、僕はそのフェアの展開はまったくやってないんです。遅番のスタッフ二人に完全に任せて、僕は一切ノータッチでした。文庫の陳列からPOPやポスター付けまで完全に任せました。
んじゃあ僕は一体何をしていたのか。
夏の100冊を出すスペースには、もともといろんな文庫が置いてあるわけです。夏の100冊を出すスペースを作るために半分ぐらいは返品したわけですけど、残りの半分はまだ売場に残したかったわけです。
僕がやっていたのは、その残したかった文庫を通常の文庫の売場に組み込む、ということを僕はずっとやっていたわけです。
これはキツかった。残したかった文庫は100点弱。これを、フェア台ではない通常の文庫の売場のあちこちに割り振って収めないといけないわけで、これは大変なんてもんじゃありませんでした。
最終的に、1日で10箱弱くらいの返品を作ることになりました。売り場も大幅に変えました。書店は力仕事だと言われるけど、昨日ほどそれを実感することはありませんでした。体力を絞りつくされた感じでした。
しかしまあ、この夏の100冊のフェアを出して、あと半年分の年間フェアを考えれば、しばらく楽になれそうな気がします。ここのところとにかくひたすら忙しかったので、早く一息つきたいなと思います。
「すべらない話」を見ながら書いているのでちょっと適当すぎますかね。すいません。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は12編の短編が収録された短編集です。12個もちゃんと感想を書くのはかなり大変なんで、いつもよりは省略すると思います。

「親知らず」
実家にしばらく滞在して東京へと戻るその帰りの新幹線の中。私はいつもの予感を捉えた。親知らずが痛くなる兆候だ。
子供の頃から、歯医者に行きたくなかった。怖かったのは確かだ。でも、それだけじゃない。歯医者にあったポスター。虫歯のキャラクターがつるはしで歯を打っているあの絵が、どうしても好きになれなかった…。

「あじさい、揺れて」
僕と姉貴は有美さんとレストランにいた。おめでたい話を聞くためだ。おめでたいはずの話を。
有美さんは、僕らの兄の奥さんだった。交通事故で兄が死んでしまうまでは。
有美さんの再婚が決まったのだ。おめでたい話、のはずだ。

「その次の雨の日のために」
不登校になった子供たちに勉強を教えるフリースクールでボランティアをしているノブさんは、残念ながら亮平が戻ってくるという報告を受けたばかりだ。
教師から好かれている子供ではない。生意気で、大人をナメているところがある。
ある日、フリースクールの教師の一人が、亮平を殴った、という話を聞き…。

「ささのは さらさら」
七夕に短冊を書くのが恒例だった。少し前は楽しいイベントだった。お父さんが病気になってからは、何だか悲しいイベントになった。
お父さんが死んで、母と弟の三人暮らしになった。
しばらくして、お母さんが再婚の話をするようになって…。

「風鈴」
カップルばっかり住んでいるアパート。僕らも住み始めた。苗字は別々だったけど。
ある日隣に越してきたカップル。これから結婚をするんだという。僕らは二人で、ギリギリの会話をしながら、それでも相変わらず関係性が変わらなかった。
隣のカップルが部屋に風鈴をつけたみたい。僕が弾くギターの音に重なる…。

「僕たちのミシシッピ・リバー」
転校するトオルに、海を見に行こうと誘われた。僕らは、マーク・トウェインの本にはまっていたのだ。僕たちのミシシッピ・リバーへ向かって自転車を走らせた。
ずっと仲のいい親友だった。トオルが転校してしまうんだと思うと、どうしていいのかわからない…

「魔法使いの絵の具」
田舎で農作業をしながら、幸せな生活を送っていたわたし。夏休みに子供たちのラジオ体操のお手本をしていると、懐かしい人を見かけた。幼馴染みだった。東大に合格した秀才だ。目が合ったと思ったんだけど、向こうはこっちに気付かなかったかな…。

「終わりの後の始まりの前に」
夏が終わった。甲子園を目指して頑張ってきた三年間が終わった。
予選一回戦、強豪と当たった試合の最後の打席が僕だった。
見逃しの三振。ただ、あれは絶対ボールだったと思う…。

「金魚」
久々に実家に戻ると、懐かしい名前を聞いた。ケンちゃん。三十三回忌だ、という。
小学五年生の時、ケンちゃんは川で溺れて死んだ。一緒に祭に行った日の翌日だった。祭りの時にすくった金魚を川に戻そうとして川に落ちたらしい。
息子と祭に行くことにした。あの時と同じで、金魚すくいをした…。

「べっぴんさん」
おばあちゃんは大往生だった。曾孫までいて、100歳には届かなかったけど、おばあちゃんの葬儀はよく頑張ったという感じで半分お祝いだった。
いとこや親戚もたくさん集まって話をした。おばあちゃんの思い出で出てきたのが、ベビーパウダーだった…。

「タカシ丸」
お父さんのお見舞いに行っても、なかなか話すことがない。お母さんは、お父さんは雅也を待ってるんだっていうんだけど、二人きりになるとお父さんが困ったような顔をしているのは気のせいじゃないと思う。
もうお父さんがダメだという時、お父さんが一時帰宅することになった。その日、雅也はお父さんと、夏休みの宿題で船を一緒に作ることになった…。

「虹色メガネ」
メガネだけはどうしても嫌だった。お母さんも店員さんも似合ってるっていうけど、そういう問題じゃない。
クラスメートの川野さんに、メガネちゃんってあだ名をつけたのは私だ。あんなあだ名、つけなきゃよかった…。

というような感じです。やっぱり12編も感想を書くのは厳しいですね。
やっぱり重松清は相変わらず素晴らしい話を書きますね。
全体的にまとまったテーマがあるというわけではないけど、やっぱり重松清の作品だなという感じの、まさに重松清にしか書けない作品を書くなという感じでした。
僕が好きな話は、「あじさい、揺れて」、「ささのは さらさら」、「タカシ丸」、「虹色メガネ」です。
「あじさい、揺れて」は、死んでしまった兄の元奥さんが再婚をする、という微妙な舞台を、実にうまく描いていました。最後の最後に、主人公が有美さんの息子に教えるエピソードなんて大好きです。
「ささのは さらさら」は一番好きかもしれません。前半は、死んでしまったお父さんの話、そして後半は再婚相手の男性との話。その揺れ動く娘心をすごくよく描いているなと思いました。
「タカシ丸」は、まああんな話を書かれたら誰でも泣くだろみたいな話で、まあベタなのかもしれないけど、ベタな話を書いて感動させる作家では重松清はトップクラスなんで、やっぱりいいですね。
「虹色メガネ」は短い話で、しかも人が死んだり家族が大変なことになったりするわけではないんだけど、結構よかったです。視力が弱くなってメガネを掛けなくてはいけなくなったんだけど、クラスメートにメガネちゃんってあだ名をつけてしまったがためにどうしてもメガネを掛けたくない女の子の心情がよかったなと思います。
他の作品もよかったんですが、あれこれ書くと長くなるんでこれぐらいにしておきます。
しかし、作品自体は素晴らしかったんですけど、でもちょっと書きたいことがあるんです。
重松清の作品は、一つ一つはもちろん素晴らしいんだけど、これだけたくさん読んでいると、どうしても感動が薄れつつあるなという感じがあります。
これはどうしてかと考えた時、短編集だからだろうなという気がするんです。
長編の場合、もちろん随所に重松清らしさが出てくるし、似たようなテーマの作品もたくさんあるんだけど、それでも長編という長い話の中でいろいろ書きこんでいくと、作品ごとの特徴というのが出やすくなってくると思うんで、いいと思うんです。
でも、短編の場合って、どうしても作品自体が似てくると思うんですよね。家族という結構広いテーマで作品を書いているんだけど、数が数なだけに、短編同士がどうしても似てきてしまうと思うんです。一つ一つのレベルは高いんだけど、数が飽和してきてしまっているというか。だから、重松清の長編まだ新鮮な感じで読めるんだけど、短編の場合はどうも初めて読む作品なのに新鮮さが薄れてしまう感じがあるな、と本書を読んでちょっと思いました。
重松清は相変わらず好きだし、素晴らしい作家だと思うんだけど、ちょっとしばらく読むのを止めて、また新鮮な感じで読めるようになるのを待とうかなと思ったりしました。
いろいろ書きましたが、作品自体は相変わらず素晴らしいです。いい話を書きます。ぜひ読んでみてください。

重松清「僕たちのミシシッピ・リバー 季節風・夏」



海を超える想像力 東京ディズニーリゾート誕生の物語(加賀美俊夫)

昨日は集英社文庫の新刊が発売になりました。伊坂幸太郎の「終末のフール」とか、村山由佳のおいしいコーヒーの入れ方の新刊何かが出ました。
でも一つだけ問題が。
これからの時期、新潮社・集英社・角川書店という三社は、夏の100冊と呼ばれるフェアを展開することになります。これはもう書店の夏の恒例と言ってもいいほどのもので、しばらくしたら、新潮社は黄色、集英社は青、角川書店は緑の帯をつけた文庫がズラリと売場に並んでいる光景を見ることになるでしょう。
この夏の100冊というのは、各社それぞれがプレゼントに力を入れています。新潮社がマスコット人形、集英社がストラップ。角川書店がブックカバー、かな。新潮社と角川書店は、文庫を二冊買ってハガキで(あるいは角川書店の場合携帯からのも可)応募する形になりますが、集英社だけはちょっと違います。集英社も昔は該当する文庫を二冊買ってハガキか何かで応募だったんですけど、2・3年ぐらい前から1冊買う毎にレジでストラップをあげる、というやり方に変わりました。
で、昨日発売された集英社文庫の新刊というのが、ナツイチ(集英社の夏の100冊の名称)の対象文庫なわけです。帯の裏に、1冊お買い上げ毎にストラップを一つ差し上げます、って書いてあります。
さて、何が問題なのかというと、昨日その集英社文庫の新刊が入ってきた時点で、ストラップがまだ届いていなかったということです。
こういうことは時々起りますけど、困りますね。ちょっと前にはPHP文庫のフェアでも同じようなことがありました。集英社文庫の新刊を売場に出したのは昨日の16時くらいで、ストラップが届いたのが23時過ぎくらい。結果的にストラップがなかったのは7時間ぐらいだったけど、正確にいつ入ってくるか元々分かっていたわけではないので参りました。
まあしかし、新刊を売場に出さないわけにはいかないんで、POPみたいなものを作ってもらって貼っておきました。まだストラップが店に届いていないので、ご了承の上お買い求めください、と。
やっぱり皆さん、もらえるはずのものがもらえないとなると買うのを控えてしまうんでしょうかね。そのPOPを貼っている間、「終末のフール」は3冊、おいしいコーヒーの入れ方は一冊も売れませんでした。どちらも売場に出した瞬間から馬鹿売れしてもおかしくないような新刊なんで、やっぱりストラップが届いていないというのは痛かったなと思います。ストラップが届き、POPを外した23時以降はどちらもポツポツ売れ始めました。まあ今日辺りから大きく売れ始めるんじゃないかな、と思います。
まあそんなようなことがあった、というお話です。
さて、今日は新潮文庫が入ってくるはず。ラインナップもなかなかのもので、森見登美彦「きつねのはなし」、三浦しをん「風が強く吹いている」、重松清「あの歌がきこえる」、道尾秀介「片眼の猿」、有川浩「レインツリーの国」などビッグタイトル目白押しです。さてさて、ガンガン売れてくれるといいんですけどね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドの現・代表取締役会長(執筆時は代表取締役社長)である著者が、ディズニーランド開業までのタフな道のりから、そこからどのようにして東京ディズニーリゾートが生まれていったのかという部分を、歴史を語る視点と経営を語る視点との両方を持ちながら綴っていくという作品です。
東京ディズニーランドを日本に持ってくるという夢を描いたのは、京成電鉄社長である川崎千春だ。著者は元々京成電鉄に入社し、そこで経理を学んでいた。
オリエンタルランドという会社は元々、京成電鉄・三井不動産・朝日土地興業という三社が設立した会社で、千葉県が埋め立てによって広大な土地を生み出そうとしているところに何か作ろうという目的で設立された。とは言え本社も何もなく、川崎が社長、著者が経理を見ることになり、そして実動部隊として高橋政知がいるだけの会社だった。
この高橋政知というのがなかなか伝説的な人物だ。結果的に東京ディズニーランドを開業までこぎつけたのはこの高橋だった。
高橋は元々、酒の飲みっぷりがいいから、という理由でオリエンタルランドに引っ張ってこられた。というのも、東京湾の埋め立てを成功させるには、それによって職を失う漁師への漁業補償をしなくてはならないのだが、仲間意識が強く気性の荒い彼らの相手が出来る人間はそういない。というわけで、とにかく酒の強い高橋が選ばれたのだ。元々テーマパークだとかそういうことに興味があったというわけではない。高橋は私財を投げ打ってまで、漁業補償を成功させる。
しかしその後事情があって、川崎が社長を退かなくてはならなくなった。漁業補償を取りまとめるまでが自分の仕事だと思っていた高橋は、しかし急遽矢面に立たされることになる。ディズニー側とも粘り強い交渉を続けた。何度も交渉が決裂しかけたが、その度に高橋が立て直した。この話がまとまらなければ、自分は何のために私財を投げ打ってまで埋め立てを成功に導いたのか分からない、という意地もあったのだろう。
とにかく、川崎の夢から始まったディズニーランドという夢は、高橋という不屈の精神を持つ男によって実現を果たすこととなった。
その後オリエンタルランドはどんな戦略で舞浜地区の開発を進めていったのか、ディズニーシーの開発にはどういった苦労があったのか、これからどんな風に発展させていくつもりなのか、というようなことについていろいろと書いてある作品です。
東京ディズニーランドから東京ディズニーリゾートに至る流れを一通り俯瞰するにはいい作品ではないかなと思います。
本書を読むと、何よりもまずディズニー社の凄さというものが伝わってきます。もちろんオリエンタルランドも凄いんですけど、ディズニー社の凄さは群を抜いていると思う。
アメリカの企業だから、契約だとか交渉だとかがハードだということもあるし、そもそも会社の理念みたいなものが素晴らしいという面もあるんだけど、何より一番凄いと思うのは、その溢れんばかりの想像力・創造力だなと思います。
ディズニー社には、イマジニア(イメージとエンジニアを足した造語らしい)と呼ばれる人々が最大で2000人ぐらいいるらしい。彼らは、最新テクノロジーをテーマパークに結び付けて新しいものを生み出す人々で、彼らが作り出すものはやはし凄いらしい。ディズニーランドにしてもディズニーシーにしても、その基本的なプランや設計はディズニー社が行ったらしいんだけど、そこで出てくるアイデアの数々が本当に凄いと著者は書いていました。クリエイティブな仕事というのはまさにこういう仕事なんだろうなと思います。
オリエンタルランドもまた凄い。元々はディズニー社とは上下関係というような状態で、向こうの言うことを聞くしかない状態だったけど、ディズニーシーの計画辺りから積極的に意見を言うようになり、今では対等のパートナーシップを結べているらしい。オリエンタルランドはディズニー社に頼らないプランもいくつか進めてきたし(イクスピアリなんかはオリエンタルランド独自のものだそうです。行ったことないですけど)、オリジナルのキャラクターを生み出して育てるということもしている。いつまでもディズニー社におんぶに抱っこではない、ということです。
しかしあらゆる面でスケールが違うんで、本当に驚きます。
例えば、東京ディズニーランドというのは常に新しいアトラクションが生まれたりしているんだけど、オープン前から追加施設を企画し準備していたんだそうです。オープン前から、いつどのタイミングで追加の施設を組み込むのかという準備までしているという辺りが、凄いなと思いました。
また、ディズニーシーのロストリバーデルタというエリアは、中央アジアのジャングルをテーマにしているらしんだけど、そこで流れているBGMは実際に中央アメリカのジャングルで録音してきたものなんだそうです。
こんな面白い話もあります。東京ディズニーランドには世界のどのディズニーランドよりも優れている部分がいくつかあるけど、その一つが車両のコントロール法だそうです。一時間で3000~4000台の車をさばく手法は世界でも例がないようで、「舞浜地区におけるトラフィック・マネジメント・システム」と題してオーストラリアの交通学会で発表されたそうです。そんな、まったく関係ない分野でも評価されてしまうほど優れたシステムなんだそうです。
著者は、変化とは消費者としてのニーズだと言います。そのニーズに合わせて、提供側も変わらなければいけない、と。これは、本屋で働いている僕としても考えなければいけないな、と思います。お客さんが何を求めているのかを知ることは難しいですが、変化を捉え、ニーズを察知し、こちらのスタンスもどんどん変えていくという臨機応変さがなければ、この厳しい時代を乗り越えていくことは難しいんだろうなと思います。
というわけで、全体としてはなかなか興味深い話もあったし面白いと思うんだけど、やっぱり僕としては、東京ディズニーランド開業までのストーリーをノンフィクション仕立てで読みたいなと思ってしまいます。もちろん主人公は高橋政知。彼が漁師との交渉をいかにやり、その後矢面にたってディズニー社との苦しい交渉をいかに乗り切ったのか、あるいは東京ディズニーランド建築の現場でどんな苦労があったのか、みたいな話をこと細かな取材をして誰かノンフィクションライターかなんかが書いてくれないかな、と思います。昔、「東京ディズニーランドを作った男」みたいな感じのタイトルの本を読んだことがあって、それは今僕が言ったみたいな感じの本だったんだけど、もっとうまく書ける作家はいると思うんですよね。僕が昔読んで素晴らしいと思った「ソニー自叙伝」くらいのボリュームで、誰か東京ディズニーランド開業までの物語を書いてくれないかなと思います。
本書は、表面的な部分をさらっていくにはなかなかいい本だと思います。経営的な話も結構出てきます。こういう人が上にいてくれるといいな、と思わせるような人だと思いました。機会があったら読んでみてください。

加賀美俊夫「海を超える想像力 東京ディズニーリゾート誕生の物語」



本日、サービスデー(朱川湊人)

今日は、昨日ネットの記事で見たこんな話について書いてみようと思います。

出版業界の流通革命?返品改善へ、「責任販売制」広がる

書店というのは基本的に委託販売で、仕入れた商品を返品する際に同額で出版社に引き取ってもらえる。これは、利益率の低い書店が、世の中に出回っている星の数ほどもある本の中から自由に品揃えをするためにはどうしても必要な仕組みだ、と僕は思います。委託販売制度がなくなったら、書店はそもそも成り立たないのではないかなと思います。いくら凄腕の書店員でも、すべての本が買い切りになってしまったら、恐らくどうにも出来ないんじゃないかなと思います。
でもこれは、出版社にとっては負担になります。記事にもあるように、現在では返品率(入荷に対する返品の割合)が4割を超えています。4割というのがどれほど驚異的な数字なのかわかりませんが、まあでも仕入れた分の半分近くを返しているんだから、なかなか凄いんでしょう。
なので、出版社がその返品率の改善に乗り出すのも分かるし、この責任販売制(書店の利益率を上げる代わりに、返品の際の負担を書店も持つという仕組み)がそれを改善するための対策になるというのも分かります。
ただ僕としては言い分があるわけなんです。
記事の文章の感じからすると、出版社の言い分はこんな風に聞こえます。
『返品率が高いのは、書店が適正な発注をしていないからで、書店に責任がある』
確かにそういう面はあります。僕だって、適正な発注が出来ているとは言えないと思います。ただ、返品率の高さはそれだけが問題じゃない。
僕が言いたいのは、出版社は新刊を出しすぎだ、ということなんです。
新書を例に取って説明をしましょう。
今ウチの新書の返品率は4割を超えていますけど、返品しているのはほとんど新刊です。新書についてはもう、本当に悪循環の見本のような状況になっています。
まず、僕が担当になってから新書の売場というのは基本的に増えていません。僕は文庫の担当もやっていて、苦しくなってくると文庫の売場に新書を混ぜて置いたりすることはよくあるんだけど、それでも売場が広くなったと言えるほどではありません。当然、売場が広くなっていないということは、そこから上がる売上にもの凄い変化があるというわけではありません。
一方で、新書の新創刊は相次いでいます。僕が新書の担当になってから創刊された新書レーベルを思い出せる限り挙げてみると、幻冬舎新書・PHPビジネス新書・朝日新書・早川オレンジ新書・学研新書・経済界の新書・日経プレミア新書・小学館101新書・ヴィレッジブックスの新書などです。しかも近いうちに、PHPと幻冬舎が新らしい新書レーベルを立ち上げるそうです。それぞれのレーベルが毎月2~5点ぐらい出し、さらに既存の新書レーベル(講談社・光文社・中央公論新社・集英社・新潮社・PHP・角川・文春など)ももちろん新刊を出してくるわけで、どうやって出せっちゅうねん!という感じである。
とにかく毎日毎日山のように新刊が入ってくるわけで、必然的にちょっと前に出た新刊を返品しなくてはいけなくなる。何せ、場所がないのである。後から後からやってくる新刊を何とか売場に出すには、返したくなくても新刊を返さざるおえないのである。
売場が広くならないから、売上が飛躍的に伸びるわけがない。一方で、今後さらに新書の創刊が続くわけで、入荷は一方的に勝手に増える。じゃあどうなるか。返品が増えるのは必然だと思いませんか?
返品が増えた原因に、書店にまったく責任がない、なんていうつもりはありません。書店の担当者がもっと適正な発注をすればもう少し返品を抑えられるかもしれません。しかし一方で、出版社が新刊を出しすぎる、という面も多分にある。しかも出版社は、書店への支払いを相殺するために新刊を出しているような部分もあって(この辺の説明はめんどくさいから省くけど、出版社は書店にお金を払う代わりに新刊を納品していると思ってください)、だからそんな理由で出版された新刊が売れるわけがない。だからまた返品が増える、という悪循環が起こるわけなのだ。
一概に書店だけの責任ではないのだ。新刊を出しすぎている、という部分も同時に何とかしないと、本質的に返品率を改善するということにはつながらないんじゃないかなと思うんですけど、どうでしょうか?
まあ何にしても、これまでの出版・書店業界のやり方は、もう限界に来ているということなんでしょう。その中から新しいやり方として、責任販売制という仕組みが広がっていくというのは、まあいいのかもしれません。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は5つの短編が収録された短編集です。

「本日、サービスデー」
しがないサラリーマンである鶴ヶ埼は、ある日悪魔と名乗るすっとんきょうな格好をした女に、今日あなたはサービスデーなんだと言われます。すべての人に人生の一日がサービスデーとして割り振られていて、その日は何を願っても叶うんだそうです。
半信半疑の鶴ヶ埼だったが…。

「東京しあわせクラブ」
作家である私は、ある日知り合いの編集者に誘われて一軒のバーに行き、そこで飛鳥という女性と知り合う。彼女は、私が昔エッセイに書いたレシートを譲ってほしい、という。何でも、東京しあわせクラブの集まりに持っていくんだとか。ちょっと興味をそそられた私は、その集まりに参加させてもらうことにしたのだが…。

「あおぞら怪談」
俺は幽霊に触ったことがある。二十年以上も前の話だけど。バイト先の先輩の家に、幽霊が出るんだ。先輩はもう慣れたもんで、女房みたいな扱いをしているみたいなんだけど、ちょっとそれはマズイんじゃないかなぁと思っていろいろ考えたんだけど…。

「気合入門」
いつも兄に馬鹿にされていた少年は、兄をぎゃふんと言わせるためにザリガニを釣ることにした。前に12匹釣った兄を超えるために、12匹以上のザリガニを捕まえようと奮闘するが…。

「蒼い岸辺にて」
もの凄い苦しさの後、私は何故か海の前にいた。いや、船の前にいる男の言葉を信じれば、それは河らしい。私はどうやら死んだみたいで、これから向こう岸に渡るみたいなんだけど…。

というような感じです。
いやー、びっくりしました。まさか朱川湊人の作品で、こんな駄作に当たるとは。これまで読んだ本がすべてレベルの高い作品だったので、正直ここまで駄作だと心配になります。何かあったんですか?それとも、実は朱川湊人ではない別の人が書いてたりしますか?
5編とも、まったく面白くないんです。そもそも文章がちょっと…という感じで、朱川湊人らしさがあんまりない。その上、ストーリーもちょっとなぁという感じのものばかりで、何でこんな作品になってしまったんだろうという感じです。不思議ですねぇ。普段はあんなにレベルの高い面白い作品を書いているのに。
というわけで、書くことはほぼありません。とにかくつまらなかった。朱川湊人の作品を何か読もうと思っている方、とりあえずこの作品だけは止めてください。他の作品はどれも粒ぞろいなんで、本書以外の作品を読んでください。

追記)amazonのレビューでは、僕ほど酷評している人はいないです。そこそこの評価という感じでした。

朱川湊人「本日、サービスデー」




シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説(ローラ・ヒレンブランド)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、1930年代、大恐慌時代のアメリカに彗星のごとく現れた、伝説の競走馬・シービスケットの歴史を綴るノンフィクションです。
シービスケットが当時どれだけ人気だったのかを示す、こんな話があります。1938年、新聞が最も紙面を割いたのは、2位のルーズベルト、3位のヒットラー、4位のムッソリーニをおさえて、シービスケットが1位だったという事実です。当時の大統領(ルーズベルトがその当時の大統領でいいんですよね?)を差し置いて、新聞に最も顔を出したほどの人気ぶりだったわけです。
しかしそんなシービスケットも、元々スターだったというわけではありません。
シービスケットはかつて、全米一の調教師と呼ばれたフィッツシモンズという男が面倒を見ていました。しかしそのフィッツシモンズでさえも匙を投げだすような、そんな馬だったわけです。フィッツシモンズも、シービスケットの素質は見抜いていました。しかし、彼はその素質をどうやっても引き出すことが出来なかった。厩舎でも、シービスケットはもてあまされているような存在でした。
そんなシービスケットの素質を見抜き、馬主に絶対に買うようにと進言したのが、後にシービスケットの調教師として名を馳せたスミスです。スミスは元々大草原で野生馬馴らしをしていた本物の馬使いで、それがどういういきさつか都会に流れ出て、無名の厩舎で調教しとしての人生をスタートさせました。その後運命がスミスとハワードを引き合わせることになります。
ハワードはシービスケットの馬主で、1900年初頭、アメリカ西部最大のカーディーラーとして大成功を収め、巨万の富を築いた男です。まさに自動車産業が産声を上げ始めた時に、アメリカに自動車を普及させた功労者で(当時自動車は馬に劣ると思われていたのだけど、ハワードがそのイメージを一新させ、自動車が一気に普及するきっかけを作った)、そのハワードが自分が駆逐した馬によってさらに名声を高めるというのはなかなか面白い。
ハワードは、まったく実績のないスミスを雇い入れ、そのスミスの助言に従ってシービスケットを買った。しかし、ハワードの厩舎で働いていた者はそれをとんでもない愚行ではないかと思った。シービスケットは事故を起こした列車のようだった。とにかく常に暴れていたし、体重も標準を90キロ以上も下回っていた。どこから手をつければ、そもそもまともな競走馬になるのか分からないような始末だった。
しかしスミスはそんなシービスケットを、まるで『魔法のような』やり方で調教し、完全に自分のものにしていった。シービスケットも落ち着くようになり、スミスによって素質を引き出されたシービスケットは信じられないスピードを見せた。しかしまだ問題はあった。このクセのある馬に乗れる騎手を探しだなければいけない。
ポラードは子供の頃家を飛び出し、騎手への人生を歩み始めた。その当時の騎手の扱いは、最低のはるか下と言っても言い過ぎではないものだった。雇い主に僅かな穀物と交換で売りに出されたり、深刻な嫌がらせもあった。また、常に体重を低く維持していなくてはならないため、絶望的な方法で過酷なダイエットをすう羽目になった。それだけ努力しても、もらえる報酬はほんのわずかという有り様だった。
ポラードはそんな世界の中で努力したが、しかしそう簡単にはいかない世界だった。一時浮き上がったものの、とあるトラブルのせいでみるみる内に成績が下がっていった。ポラードは金に困るとボクサーとして金を稼ぐこともあった。
ポラードはある日、車で出かけた。途中で車が壊れ、ヒッチハイクをした。その終点で彼は、シービスケットのいる厩舎にたどり着いた。旅の相棒はいつものように、ダメだろうと思いながら、ポラードを売り込み始めた。
こうしてハワード・スミス・ポラードという三人が、シービスケットを中心に集まった。
シービスケットは、その圧倒的な強さを武器に、快進撃を続けた。人気はうなぎ登りだった。しかし、常に順風満帆だったというわけではない。というよりは、波乱の連続だった。ポラードは怪我に悩まされ、シービスケットも怪我とは無縁ではいられなかった。何度も雨に降られ、濡れた馬場が得意ではないシービスケットは何度も出走取消をする羽目になった。謂れのない中傷も山ほど受けた。憶測や噂が飛び交い、一時はハワード陣営は世間からまったく信用されなくなった。
しかし何よりもドラマチックなのは、ウォーアドミラルという競走馬の存在だろう。西部で最強を誇っていたシービスケットだったが、ウォーアドミラルは東部で最強を誇り、しかも世間的にはウォーアドミラルの方こそが全米最強の競走馬だと思われていた。
ハワードはこのウォーアドミラルとのマッチレースを何度も実現にこぎつけようとして様々な手を打った。しかしその度毎に何かが起こり、マッチレースはなかなか行われない。もうダメか、と誰もが諦めた時にそれは実現した。そしてその世紀の対決で、シービスケットは伝説となるのである。
最初から最後まで波乱万丈の連続で、小説よりもドラマチックな作品で、競馬なんかにまったく興味がないのにめちゃくちゃ興奮して読みました。こんなことが実際に起こったんだと思うと、本当に凄いなと思います。
シービスケットはとにかく強かった。シービスケットよりも強い馬がその後出てきたのかどうか、そういうことについては僕は分からないけど、でも僕は思う。もしシービスケットよりも強い馬が今後出ようとも、シービスケットほどドラマを生み出す馬は現れないだろう、と。
そもそも、ハワード・スミス・ポラードの三人が出会う経緯からしてなかなかのものです。特にスミスの存在は圧巻です。スミスは、それまでの調教の常識を180度ひっくり返すようなやり方で調教をし、それによって最高の馬を生み出したわけです。それなのに、晩年になっても適正な評価を与えられなかった不運な調教師でもあります。マスコミが大嫌いで、いかにマスコミを出しぬくかという点にサディスティックな満足を覚えていたその性格も面白いです。
ポラードもまた凄いです。シービスケットの馬主であるハワードは、「ポラードなくしてシービスケットなし」と言うほどポラードを評価していて、自分の息子のように可愛がっていました。しかしポラードは、残念なくらい怪我に悩まされることになります。重傷を負いながらもその度毎に復帰するという不屈の精神を見せ、最後の最後でのカムバックなんかはもう素晴らしいの一言です。本書は一応、ライバルであるウォーアドミラルとの対決が山場になりますが、その後シービスケット最後のレースとなるサンタアニタのレースがさらに最後の山場として控えています。先ほども書いたけど、こんなにもドラマを生み出す馬は、今後生まれないだろうと思います。
本書はもちろん、シービスケットを中心とした話になりますが、それだけではありません。当時の競馬をとりまく状況もあまねく伝えようとしています。騎手が減量とどう戦っていたのか、反則も何でもありだった当時のレース事情、賭博が法律で禁止されていた時代の競馬事情など、シービスケット周辺の話だけではなく、より広い視野で当時の競馬事情を描いています。なので、非常に重厚な作品に仕上がっていると思います。競馬のことなんか知らないし興味もないという人(僕もそうです)なんかでも十分に楽しめるし、たぶんシービスケットのことが好きになるんじゃないかなと思います。時間があれば、もっと本書の良さを色々書きたいところですが、ちょっと時間がないのでまだまだ書き足りないですけど、とにかく素晴らしいノンフィクションだったと思います。理系作品や経済作品のノンフィクションは時々読みますけど、スポーツ物はあんまり読まないです。これからもスポーツ物の良作ノンフィクションを読んでみようと思わせるような傑作でした。ぜひ読んでみてください。

ローラ・ヒレンブランド「シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説」



「0円販促」を成功させる5つの法則(米満和彦)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、前回感想を書いた「「1回きりのお客様」を~」という本と一緒に買ったものです。売上を伸ばす参考になればなぁと思って買ってみました。
著者はもともと、大手の印刷会社に勤めるサラリーマンで、そこで広告の基礎を学んだとか。しかしそれは、資金が潤沢にある大手企業との間でのやり方を学んだにすぎなかったわけです。いろいろあって独立し、小さなお店を中心に仕事をするようになり、いかにこれまでの自分が間違っていたのか悟り、それから資金の少ない小さなお店でいかにして売上を伸ばしていくかということを考え始めます。そこで行きついたのが、「0円販促」。本当にただで始められるか、あるいは初期投資は多少必要だけどその後お金を掛けずに維持できる方法というのを中心に様々な事例を集めていった結果、「0円販促」には5つの法則があることに気づいたようで、それを本書にまとめた、というわけです。
例によって、書店ではなかなか応用できそうにないものもたくさんありますが、とりあえず内容を紹介するためにその5つの法則とやらを書いて説明してみます。

「インターネット販促」
著者は商売をしていく上で最も重要な要素に、顧客リストを選択しています。とにかく、顧客リストのあるなしによって、商売というのはガラリと変わっていく。
で、とにかくメールを送ったりHPを作ったりする、というのが第一の法則。とにかく、インターネットというのは限りなく無料に近いツールなわけで、それを使わない手はない、という話です。

「集客が半永久的に継続するツール」
これは、店の外に置く看板や、あるいは店内にちょっとした特殊なスペースを設けるとか、そういう話です。いかに興味を惹く看板を設置するかという例や、カーショップにバーベキュースペースを併設して売上を伸ばした事例、スーパーに小規模な図書館を設置したりという例が載っています。
僕が一番面白いと思ったのは、冒頭に載っていたある居酒屋の例です。そこでは、お客さんからの意見なんかを募集するノートが置かれているんだけど、それにはすべて店長からのコメントが返ってくる。「生協の白石さん」みたいな感じでしょうかね。でしかも、「鳥皮をほめてくれたから鳥皮5本サービス券」と書かれた手書きのクーポン券みたいなものが返信のところに貼ってある。それは、○○さん専用と書いてあるもので、そのコメントをくれた人にお礼としてあげるクーポンなわけです。これは面白いですね。交換日記みたいな感じでしょう。こういう居酒屋があったら、ちょっと行ってみたいなと思います。

「店の個性を打ち出す」
ここで最も重要なポイントは、その店を一言で表すことが出来るようなイメージ作りです。何でも揃っている、というイメージでは弱い。そうではなくて、とにかく何でもいいからその店のイメージを植え付ける。魚料理ならこことか、あそこの店長は料理中にやるジャグリングがスゴイとか、とにかく何でもいい。その店を一言で表現できるようなイメージを作り出す、ということです。
ここの例で一番分かりやすかったのは、ドミノピザの話でした。これはマーケティングの世界では有名な話のようですが、「30分を超えたら50セント引き」というキャッチコピーを考えたんだそうです。これが今でもピザ屋で通用している、「30分でお届」というルーツなんだそうです。当時、ドミノピザよりも美味しいピザ屋はたくさんあったそうですが、ドミノピザはこのキャッチフレーズ一つだけで世界的に有名なピザ屋になったというわけです。
他にもこんな例がありました。ある自転車店で、「半永久的に修理代無料」と打ち出したところ大成功したようです。現実には、1台の自転車を5年も乗れば買い換えるらしいんで、半永久的に修理代を無料にしても問題はないらしいです。それを、店のキャッチコピーとして大々的に打ち出すだけで大成功。
こういう、店の特色やイメージなんかを分かりやすい一言で表現することで、消費者のイメージ喚起力を高め、よりその店を強く印象付ける、というような話。

「とにかく考える」
これはまあ漠然とした話ですが、とにかく考えることが大事という話です。著者は今作業はすべて他のスタッフにやらせ考えることだけに専念しているようですが、どれだけ忙しくても毎日最低一時間は考える時間を作るようにと書いています。
この項では特に、他業界での成功例を広く集め、それをいかにして自店に活かすのか、という部分を考えるといいですよ、という話をしています。
例えばこんな例が載っています。デジカメの台頭により売り上げを大幅に落としていたある写真店が、こんなサービスを始めました。それは、15分でプロにメイクをしてもらい、写真撮影してもらうというものです。
これは、女性のことを観察し続けた結果生まれたアイデアなんだそうです。
世の中の女性は、30分以内で昼食を済ませる。じゃあ休み時間の残りは一体何をしているのか。
それが、化粧直しなんだとか。
15分でプロにメイクをしてもらい写真撮影をするというのは、昼休みの残り30分で行けるし、しかもメイクも直すことが出来るという、女性にはぴったりのサービスだったわけです。観察し、考え続けた結果、こういうサービスが生まれたわけです。
しかもその写真店のサービスを知ったある美容院では、30分で出来るシャンプー+メイクだけの低価格サービスを始め、それによってかなりの集客に成功したようです。
これは先ほどの写真店でのメリットに加え、敷居の高い美容院のサービスを体験的に受けられるというメリットもあります。いきなり髪を切ってもらうには不安があるけど、シャンプーとメイク直しだったら抵抗は少ない。それでお店の雰囲気なんかを感じてもらえれば、髪を切ってもらうという抵抗が減るということです。
そういう風に、他業界での成功例をいかにして活かすかということも考え続けるといいわけです。

「口コミ」
ここでは、口コミを発生させる確率をいかに高めるか、という話が書かれています。口コミというのは自然発生的に生まれるものだけど、それでもある程度は店の努力によって確率を上げることが出来る。
まず重要な点は、お客さんが他人にその店を伝える時、何を伝えるのかということです。それは、『スゴイこと』です。それがどんなものでもいいです。とにかく、他の店ではありえない特徴、ありえないサービス、ありえないスタッフ、とにかくそういう、人に話したくなるような『スゴイこと』を何でもいいから作ることが大事です。
本書の例にあったわけではありませんが、昔僕は何かの本で、屋上に観覧車がある本屋の話を読んだことがあります。その本屋がどんな品揃えで何が充実しているのかということをまったく知らなくても、屋上に観覧車があるという事実だけでその話を人にしたくなりますよね?あるいは、僕の知っている本屋で日本で初めて(世界でも初めてでしょうが)、「書店プロレス」なるものが開催されました。文字通り、書店の売場でプロレスをする、という企画です。これは記者会見をするくらいの前評判を呼んだし、実際当日ものすごい数のお客さんが来たそうです。そういう『スゴイこと』をまず用意し、それを出来る限り積極的に発信しないといけません。
第二段階は、その『スゴイこと』を思い出させるツール作りです。財布に入るような大きさの紙にその『スゴイこと』を書いてお客さんに配るわけです。そうすうると、思い出してもらえる可能性が高まります。
そして第三段階では、他人に対して影響力のありそうな人、過去にあなたの店を紹介してくれた人、紹介を受けてお客さんになった人なんかに手紙を出し、より口コミが発生する可能性を高める、という話でした。
そして最終段階。ここでは、お客さんを感動させるということが重要になります。なんでもいいからお客さんを感動させる。そうすれば、お客さんはその店のファンになって、その店の良さを周りに伝えてくれる、ということになります。
でも、お客さんを感動させるなんてことがそう簡単に出来るのか。
そこに著者は、あるテクニックを見出しています。
それは、『お客さんが、自分自身をお客として認識していない状態の時にサービスをする』ということです。
具体例を挙げましょう。
ある焼肉屋は人気で、1時間待ちはざら。寒空の中待っていると、店員が七輪や暖かい飲み物を持って来てくれる。店の外に並んでいる時は、お客さんは自分のことをまだお客としては認識していません。そんな状態の時にサービスをしてもらえれば、それが感動体験になる、ということです。
この流れを意識すれば、口コミを発生させる可能性はかなり高まる、とそんな話でした。

インターネットとか看板とかっていうのはなかなかウチの店でやるのは難しいんだけど、イメージを明確な言葉で伝えるとか、口コミを発生させるみたいな話は頑張れば出来そうな気がします。
イメージを明確にするというのは、本屋だからこそうまくやろうと思えばやれるんじゃないかなと思います。例えば、「なんかいつも可笑しなフェアをやってる」とか、「スポーツ関連の本がものすごく充実してる」とか、そういう切り口は書店だったらいくらでも打ち出すことが出来ます。なので、そういうメインになるような部分をかなりきちんとやり、しかもそれをポスターやPOPなんかにして店のあちこちに貼りだす。そういうことをやれば、なるほどあの店はこうなんだな、というイメージを持ってもらえるんじゃないかなと思います。
『スゴイこと』をやって口コミを、という話もやろうと思えば何だって出来るでしょう。スタッフ全員が浴衣で仕事をするとか(まあこれはある書店員が書いた本の中に書いてあった実例ですけど)、クリスマスの日だけ店全体を超真剣に飾り付けするとか、バレンタインデーに本を買ってくれた人全員にレジでチロルチョコを配るとか、まあ何だって出来ますよね。そういう、売上に直接結びつくわけではない、でも人に話したくなるような『スゴイこと』をいろいろ考えてやってみれば、話題が広がっていくんじゃないかなと思います。
他業界の成功例というのも、今すぐ何かパッと思いつくようなことはないけど、活かせるようなものはいろいろとあるかもしれません。これまで僕は書店業界ばっかりに目を向けていろんな情報を収集していましたけど、これから他業界にもきちんと目を向けてみようかなと思います。まあなかなか難しいですけどね。
まあそんなわけで、具体的な例をたくさん盛り込みながら、「0円販促」を実現するための5つの法則が解説されています。どの話も、なるほどそれは面白そうだなと思える感じでした。お客さんからの意見ノートみたいなのは実際始めたら面白いかもしれません。お客さんから、『何か面白い本はないですか?』みたいなことを聞かれて答えるようなやりとりとか起こりそうですしね。まあ返答がなかなか大変ですけど。
いろんなヒントになるのではないかなと思います。サービス業をしている人は読んでみたら面白いと思います。

米満和彦「「0円販促」を成功させる5つの法則」



「1回きりのお客様」を「100回客」に育てないさい!(高田靖久)

以前読んだ三浦しをんの「悶絶スパイラル」の中で、コンビニの店員が「二番目にお並びのお客様」と言っていることについて三浦しをんが考察していて、その話を自分のブログで書いた。三浦しをんの話では、「二番目にお並びのお客様」と言われると、列の先頭に並んでいる自分が呼ばれた気がしない、という。つまり、スタッフの側からすれば、目の前で会計を終えたお客さんが一番目で、列の先頭に並んでいるお客さんが二番目という数え方だが、並んでいる方からすれば自分が一番目だ、という齟齬が生じるのだ。その時に僕は、『自分は「お次にお並びのお客様」と言っている』というようなことを書いた記憶があります。
しかし、どうもそうではないらしい。というのも、ちょっと前にちょっとしたトラブルがあったから気づいたのだ。
その時レジがなかなか混んでいた。ウチのレジはちょっとお客さんが並び方で混乱をきたすような配置になっているんだけど、まあそれはとりあえず問題の本質ではないので省きます。
レジの配置を説明します。僕がいたレジが2POSと呼ばれていて、僕から見て右側、そして僕の左手に1POSと呼ばれるレジがあります。1POS側のさらに左の方からお客さんが一列に並んでいる、という状況です。
なかなか忙しい時間帯。その時お客さんが5人ぐらい一列に並んでいたのかな。その時点で会計しているお客さんを除き、列に並んでいるお客さんを先頭からAさん・Bさん・Cさん…と名付けることにしましょう。
僕の方の会計が終わり、列の先頭にいるAさんに声を掛けたつもりでした。でもその時僕は、「二番目にお並びのお客様」と言っていたんですね。そのことには後で気づいたんですけど。
普段から恐らく「二番目にお並びのお客様」という言い方もしてるんだろう。で、それで今まで問題はなかったのだけど、その時は違った。僕が「二番目にお並びのお客様」と声を掛けたところ、なんとBさんが僕のレジの方にやってこようとしたのだ。
僕としては、「二番目にお並びのお客様」と声を掛けることでAさんを呼んだつもりでいました。一応、ちょっとおかしな日本語だけど意図は通じるでしょう。でもBさんは恐らく、自分が呼ばれたんだ、と思ったんだと思います。だって、列の二番目に並んでるのは私だもん、と。
Bさんがレジに来ようとしていたので、申し訳ないんですけどと言って下がってもらい、Aさんを呼んで会計をしました。でその後、その時点では先頭になっていたBさんをこちらのレジに呼んだのですが、お客さんは怒ってしまったようで、その次に並んでいたCさんにどうぞと声を掛けて、自分は僕のレジではない方で会計を済ませてしまいました。
初めの内は、何でBさんがそこまで怒っているのかイマイチよく分からなかったのだけど(僕からすれば、何で前に並んでる人を抜かしてこっちに来るんだよ!という感じです)、でもその後会計をしている時、自分が「二番目にお並びのお客様」と声に出していることに気づき、その瞬間ちょっと前に読んだ三浦しをんのエッセイのことを思い出して、もしかしてそのせいで勘違いをさせてしまったのだろうか、と思いました。
僕の「二番目にお待ちのお客様」という言い方が原因のすべてだったのか、それは明らかではありませんけど、その可能性もゼロではないので、ちょっと反省しました。しかし何よりも、自分が「二番目にお待ちのお客様」って言ってるってことがショックでした。いつも自分では「お次お待ちのお客様」って言っているはずだったので。
接客中に発する言葉は、もはや機械のように自然に出てくる感じになってしまっているからこういうことになるんだろうなと思います。もう少し丁寧な接客をせねばいかんな、と反省しました。レジにいる間もいろいろ作業をしたり考えたりしているんで、それがたぶんいけないんだと思いますけど、なるべく流したりしないで、ちゃんと接客をしようと思いました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
僕は店の売上が上がってくれたらいいなぁと思っているので、時々こういう本を読んだりします。こういう、具体的なハウツーが載っている本を読むのは珍しいんですけど。副題が、「90日でリピート率を7倍にアップさせる簡単な方法」とあります。
著者はなかなか変わった人です。そもそも、今でもただのサラリーマンだそうです。経営者とかではありません。顧客管理ソフトを販売する会社の責任者みたいな立場なんだそうです。
入社当初ソフトの営業マンでしたが、まったく売れず。しかしその後一念発起し短期間で店舗経営のノウハウを身に着け、それを顧客管理システムに反映させ、またコンサルタント的なこともすることでクライアントの売上を飛躍的にアップさせることに成功した、とか。その経験を一冊の本にまとめたものが本書です。
基本的にこのやり方は、美容院や飲食店で展開しているものだそうです。僕としては、本書に書かれていることをいかに書店で活かすか、というのが重要なわけですが、とりあえずまずは本書に書かれている内容をざっと書いてみようと思います。
まず本書は、大きく二つに分かれます。前半では、『固定客化』、そして後半が『新規集客』です。しかし著者は、本書はあくまでも『固定客化』の本だと言います。その理由は、後半書かれる『新規集客』の話も、そもそも固定客化しやすい人を新規で集める手法だからで、固定客化のステップの一つだ、という認識なわけです。
で、まず固定客化の話。具体的なノウハウについて書いてしまうのはちょっとよろしくないかなと思うわけなんでそれは省きますが、この固定客化の話でもっとも重要な点は、『お客さんがリピートしない理由は、お客さんがその店のことを忘れているからだ』というところにあります。
人というのは忘れやすい生き物です。どんなに素晴らしい店であっても、例えば今日どこかでご飯を食べようと考えた時に頭の中に浮かぶ店にならなければ、その店には来てくれません。
じゃあ、そんな忘れている人にどういう手を打つか。具体的な話は書きませんが、要するに手紙を出すわけです。ダイレクトメールとはちょっと違う内容の手紙を出すことで、お客さんに『思い出してもらう』というわけです。
著者は、顧客情報を見る中で気づいたことがあるそうです。それは、その店を「一回きり」利用して過ぎ去っているお客さんは、全体の7割を超えるんだそうです。
そしてもう一つこんなデータも導き出したとか。三ヶ月の間に一度しか利用しないお客さんをAグループ、三ヶ月の間に二回以上利用してくれたお客さんをBグループとした時、その後10か月以上利用してもらえる確率がBはAの7倍以上だというのだ。
つまり、三ヶ月以内にどんな手を使ってでも二回以上来てもらえるだけで、リピート率は飛躍的にアップする。そのために手紙を送るのだ。
さて、当然の話であるが、お客さんに手紙を出すには顧客情報が必要である。しかしここでも重要なデータがあるらしい。
それは、『店の売上の75%は、上位30%のお客様で構成されている』ということだ。
顧客情報は、手紙を送るために使う。じゃあその手紙をどんな人に送ればより効果的かと言えば、その店によりお金を使ってくれている人、ということになる。その店にすごく興味のある人というのは、その店でよりお金を使ってくれる人に他ならないからだ。だから顧客情報には、「いつ」と「いくら」という情報も最低限必要だ、という話。
ここまでが固定客化の話。
次は新規集客の話になる。
まず、ある店が選ばれない最大の理由は何か、という問いかけをする。
その答えは、『何故その店を選ばなくてはいけないのか、お客さんが分かっていないからだ』となる。だから新規集客の際もっとも重要なのは、『その店を選ばなくてはいけない理由を明確に伝えること』ということになる。
自店の商品すべてが素晴らしい、と伝えたのではお客さんには伝わらない。ここでユニクロの例が分かりやすかった。ユニクロはある時期に集中的にある一つの商品について宣伝をする。ある時期はフリースだった。ユニクロはとにかく徹底的にフリースについての宣伝をした。それを見たお客さんは、なるほどフリースは良さそうだと思ってユニクロに行く。しかしユニクロにはフリース以外にもたくさんの商品がある。お客さんはこう考える。フリースもあれだけいいなら、他の商品もいいはずだ。こうしてリピーターになっていくのだ。
本書では、アナログブログという方法も提示している。これは実に面白いと思った。具体的には書かないけど、店の表にブラックボードを出し、そこにスタッフが日記を書くのだ。新規客がお店に入りにくい理由の一つに、中で働いている人が『見えない』ということがある。その壁を、アナログブログという形ですこしだけ取り除いてやるのだ。これは面白いなぁと思った。
また新規客を集めるために、配布メニューというものを作る。これは簡単にサクッと説明するのが難しいけど、本書のノウハウをすべて詰め込んで、お客さんに『何故この店を選ばなくてはいけないのか』を明確に伝えるためのフリーペーパーのようなものです。これを店先に置いておく。
これらのことを複合的に行うことで、店のリピーターも新規客も増え、売上は上がっていきますよ、という話でした。
非常に具体的で分かりやすい内容だなと思いました。何故お客さんがリピートしないのか、という答えが、忘れているからだというのは、考えてみれば当たり前なのかもしれないけど、パッとは出てこないですよね。その他にも、お客さんの視点に立って、店に入りにくいという障壁をどう取り除くか、その店に行きたいと思わせるにはどうするかなど、具体的に提示しているので分かりやすいなと思います。
本書の主張は明快で分かりやすい。とにかく、リピーターになりやすい人に集中的に経費を使ってアタックしなさい、ということだ。一度お店に来てくれた人をいかにリピーターにするか、普段お金を使ってくれる人をさらに虜にするにはどうするか、値段以外の部分の価値観に共感してもらうことで新規客を増やせばリピーターになってもらいやすい、など当たり前なんだけどちゃんと考えたりはしない部分をきちんと的確に掴んでいるなという感じがしました。
さて僕の中での問題は二点。
これが書店に応用できる手法なのか。
そして、僕自身に出来ることなのか。
書店に応用できるかどうか、というのはなかなか難しいかもしれません。
書店というのはそもそも、商品での差別化がしにくいです。もちろん、どんな本をセレクトして、どんな並べ方をするのかという部分で個性を出すことは出来るけど、それはお客さんに明確に伝えられる部分にはなかなかなりにくいです。
じゃあ接客やサービスをアピールするかということだけど、少なくともウチの店はそんなレベルにはまだほど遠いんで難しいでしょう。まず最低限のサービスレベルを向上させることが目標だったりするんで。
しかしまあウチの店はそんな状態なわけだけど、書店というのはサービスや接客という面でもなかなか差別化しにくいのではないかなと思います。自宅まで本を届けたりと言った部分での努力は出来るけど、すごく差をつけることが出来るかというとそうでもない。
書店というのは、パッと見で伝わる部分というのが店の広さぐらいしかないんですね。もちろん、見る人が見ればいい品揃えだということが分かる本屋であっても、一回だけ来たお客さん、あるいは新規のお客さんなんかにそれを分かってもらう、あるいは言葉で説明して理解してもらうというのはなかなか難しいのではないかと思います。前半の固定客化の話では、店のいい点なんかを手紙にするというのがメインになるんで、これはなかなか難しいなと思います。
どうでしょうね。書店はどういう部分がアピールポイントとして挙げられますかね?食材の新鮮さとか、技術の高さとか、そういうのはないですからね。本のソムリエみたいなことが出来るスタッフがいれば、それは売りになるでしょうけど。
また、そもそも顧客情報をどうやって手に入れればいいのかがよく分からない。今ウチの店が入っているグループではポイントカードを始めたようなんだけど、どういう事情なのか、ウチの店ではやってない。ポイントカードをウチでも対応できるようになれば、顧客情報を手に入れるのは難しくないかもしれないけど、今の状態ではなかなか厳しい。
客注と言って、お客さんから注文を受けるのがあるけど、あれも電話番号までしか聞かないから、住所は分からない。飲食店や美容院なんかで本書に書かれたことをやっているみたいだけど、そういうところではどうやって顧客情報を集めてるんでしょうかね?
固定客化の話で少しだけ出来そうなのは、雑誌の定期購読をしているお客さんかな。住所は相変わらず分からないから手紙は送れないけど、定期購読している雑誌の種類からなんとなく趣向が分かるし、となれば会計時にこんな本が入りましたよなんて勧め方も出来る。しかしこれを全スタッフに浸透させるのは、難しいなぁ。
新規集客の部分で書かれていたことは、やろうと思えばできそうですね。アナログブログなんか、やろうと思えば明日からだって出来るし、配布メニューも気合いさえあれば出来るでしょう。実際大手の書店なんかでは、スタッフがフリーペーパーみたいなのを作ってたりするところもあるし。そういう部分はまだまだ出来る余地はありそうな気がしました。
しかし、まあやっぱりとは思ったけど、品揃えとかPOPとかでリピーターになってもらえるという考えは、甘いみたいですね。本書には、小田温泉という老舗の温泉宿の話が出てきます。ここは昔から料理には自信があったし、じゃらんの口コミでも5点満点中4.9点の評価と、質の高い温泉宿として知られていたのだけど、それでもバブル後急激に売上が落ちてしまったらしい。どれだけいい商品・サービスを提供できる器があっても、固定客化するための努力をしなくてはダメなんだなと思いました。
書店で固定客化を実現するにはどうしたらいいでしょうかね?それとも書店というのはなかなか特殊な業態だから、品揃えとかを頑張れば固定客化出来たりしますかね(って、それはやっぱり楽観的な考えだよなぁ)。どうしたものでしょうね。
でもいずれにしても、すごく新鮮な内容でした。活かせるかどうかは別として、発想を入れ替えることが出来たと思います。お客さんがリピートしないのは忘れてるから、新規集客に品揃えや商品力は関係ない。なるほど。これからもがんばります。

高田靖久「「1回きりのお客様」を「100回客」に育てなさい!」



シュミじゃないんだ(三浦しをん)

そろそろ内容に入ろうと思います。
さて本書のタイトルだけで、どんな内容なのか想像できるでしょうか?
本書は、三浦しをんの読書日記というようなエッセイです。しかし、扱っているジャンルがなんとBL。つまり、ボーイズラブ漫画の感想のみを扱ったエッセイ、という感じです。なかなかマニアックな本です。
本書は基本的に、まず前振りがあって、そこからボーイズラブのテーマに繋げていきます。ボーイズラブのテーマというのは、「リバーシブル」だとか「純愛」だとか「友情」だとか「セックス」だとか、そういう感じである。それらのテーマについて、具体的な漫画を挙げながら、三浦しをんが唾を飛ばさんばかりに熱くボーイズラブ漫画について語り続けるという、100%混じりっ気なしの三浦しをんのボーイズラブへの愛情だけで出来上がっている作品です。
何でこんな本を読もうと思ったのかというのは、まあ別に特に理由はないんだけど、ついこの間腐女子の生態について書かれた本を読んだし、三浦しをんのエッセイはそもそも面白いし、というような理由だ。
ボーイズラブ漫画なんかほとんど読んだこともない(ないわけでもないのだ)僕だけど、やっぱり三浦しをんのエッセイは面白いのである。さすがです。
三浦しをんはとにかく、ボーイズラブのために生きていると言っても過言ではない生活を送っている。普通の女子がのめり込むようなことにはほぼ興味なし、とにかくボーイズラブの漫画を読み、同志と語り合い、共に妄想を繰り広げることさえ出来ればすべて幸せ、という人間なのである。三浦しをんがボーイズラブへの愛情で溢れているということは、本書を読めば十分伝わる。すごいなぁ、よくもまあこんなにドハマりできるものがあるもんだと思う。
ボーイズラブ漫画なんでほぼ読んだことのない僕にとっては、紹介されている漫画とか漫画家なんかについてはちんぷんかんぷんなんだが、それでも三浦しをんが熱心に伝えようとしているものを読んでいる内に、何だか面白そうだなぁと思えてくるから不思議なものだ。三浦しをんがボーイズラブ漫画を紹介すると、どうもボーイズラブ的な部分が全然出てこない。僕が言う、ボーイズラブ的な部分というのは、要するに男同士のセックスのことなんだが、そこにはほとんど言及することがない。もちろんエッセイなんだから慎みが必要だという配慮もあるのだろうが、読んだ限りそれだけではない。三浦しをんにとっては、僕が考えるそのボーイズラブ的な部分というのは%の次、というような感じらしいのだ。
ここで僕なりに、何故腐女子はボーイズラブが好きなのか、という考察を書いてみようと思う。
女性というのは何にせよ、過程を大事にしたいと思う生き物であるようだ。それは何となく僕も分からんではない。同じ結果を得られるにしても、そこにどうたどり着いたのか、という部分も重視するのだ。例えばプレゼント一つあげるにしても、ただあげるのと何かサプライズ的な仕掛けを用意するのとでは反応が全然違うことだろう。
漫画や小説にしても同じこと。つまり女性というのは、セックスはセックスで重要なのだが、しかしそこにいかにして行きついたのかというストーリーの方がもっと大事なのである。その過程にいかに納得することが出来るか、そしてその結果としてセックスに行き着く。これが女性にとって重要なのである。
しかしそれなら、男と女の恋愛でもよかろう、という反論があるだろう。それは正しい。男と女の恋愛でも、説得力のある過程を描くことはもちろん可能なはずだ。
しかし次のような理由から、一部の女性(つまりボーイズラブに嵌まるような女性)は男と女の恋愛には嵌まれないらしい。
それは、小説や漫画に出てくる女性キャラクターに向ける目が自然と厳しくなってしまう、という性質だ。女性にはそういう傾向があるらしい。というか、ボーイズラブを好むような女性にそういう人が多い、というべきだろうか。小説や漫画に出てくる女性キャラクターに厳しい目を向けてしまうがために、ストーリーに入れない、ということになるようである。男と男の恋愛であれば、そういう問題は解消される、というわけだ。
もう一つ、男と男のストーリーであるメリットというのがある。
男と男は普通セックスをしない(この場合の『普通ではない』というのは、『大多数ではない』という意味で、決してホモとかゲイとかを否定しているわけではありません。以下同様の表現があっても同じと考えてください)。しかしボーイズラブでは、最終的に男と男がセックスをするという状況が描かれるわけだ。その普通ではありえない状況に陥るためには、そこに至るストーリーがより強固なものでなければ納得出来ない。男と女の場合、ちょっと一緒にいるだけだってそのままセックスになってもおかしくないし、現実的にそういうことだって起こりうる。しかし男と男の場合、たまたまとかなんとなくとか成り行きで、なんていう漠然とした理由でセックスまで至ることはありえないのだ。畢竟、そこに至るまでの苦悩や葛藤が、男と女の場合よりも遥かに多いはずだし、だとすればそれらをすべて乗り越えてセックスまで至るという過程には、実に女性好みのストーリーが必要されるということになる。男と男がセックスをするという困難なラストに至るために乗り越えなくてはならないストーリー展開、これこそがボーイズラブを愛する人がボーイズラブを愛する核ではないのか、と本書を読んで僕は思いました。
だから話を戻すと、内容について説明する際にセックスについての説明は不要なのだ。セックスがないボーイズラブはきっとあまり受け入れられないだろうけど、しかしそれは決してメインではない。そこに行き着くまでの過程の集大成としてセックスがあるわけで、だからこそ作品のメインはセックスに至る過程そのものということになる。
三浦しをんは、そのセックスに至る過程についての描写がなかなか面白いのである。不可思議な設定も多々あったりするのだけど、その中で登場人物たちは苦悩したり葛藤したり悶えたり何かを乗り越えたりと、とにかくいろんな感情がグルグルと渦巻くことになる。それは確かに、男同志の恋愛という部分に関わる煩悶なわけなんだけど、でも本書で三浦しをんが紹介しているような『傑作』は、ストーリーがなかなかいいんだろう、その煩悶の部分がなかなか面白そうなのである。
だから三浦しをんが紹介している作品で、なるほどなかなか面白そうだなと思えるものもいくつかあった。「春を抱いていた」というボーイズラブ界の傑作漫画があるらしいんだけど、これがどんだけぶっ飛んだ作品なのか興味あるし、門地かおりの「秋霖」という作品は時代ものらしく、キリシタンである忍がキリスタンを殺しにいかなくてはいけないという葛藤に恋愛の葛藤も重なるというなかなか複雑な設定で、これも面白そうだなと思った。あとはあんまり覚えてないけど、面白そうだなと思った作品は他にもあったはず。
でもまあきっと読まないでしょう。読んでもきっとまったく理解できないのだ。前に書いたけど、僕の周りにはリアル腐女子が一人いて、そのリアル腐女子から一回だけオススメだというボーイズラブの漫画を読ませてもらったことがあるんだけど(タイトルは忘れた)、でも何がいいんだか僕にはさっぱりわからないわけだ。こりゃあボーイズラブを理解するのは無理だなと思い退散した次第である。
というわけで、まあ今後とも恐らくボーイズラブの漫画を読むことはなかろうが、しかしボーイズラブのマンガを知らなくても、面白い考察、三浦しをんの汗が飛んでくるかのような情熱、そして妄想は、やっぱり読んでて面白い。
ボーイズラブとはまったく関係ないんだけど、三浦しをんは相変わらず頭の悪い(笑)日常を送っているようで、そういう部分も面白かった。
例えば友人と京都に旅行に行った時、彼女たちは一体何をしていたかというと、「超戦隊ボンサイダー」という脳内テレビ番組の詳細な設定を考えていたんだそうです。しかも、哲学の道を歩きながら!何をやっとんじゃい!すぐにでも映像化出来るほど細部まできちんと考え抜いているようで、本当にどうしようもないと思う。
また別の時は、「理想のボーイズラブ雑誌編集部員」になっている。これは要するに、脳内出版である。友人と、自分たちの読みたいボーイズラブ雑誌を勝手に編集してしまおう、という編集会議を繰り広げているらしく、僕には果てしのない時間の無駄にしか思えないのだけど、まあ楽しいからいいのだろう。
まあそんなわけで、三浦しをんの情熱ほとばしる作品でした。基本的にはボーイズラブに興味のある人が読めばいいと思うけど、三浦しをんのエッセイとして読んでも十分面白いと思います。

三浦しをん「シュミじゃないんだ」



できそこないの男たち(福岡伸一)

最近どうも起きる時間が遅くなってしまって、朝本を読んで感想を書くという時間が短くなっています。今日もちょっと時間ある方ではないのであんまり長くならないように書きます。
6/17水曜日に、あるお客さんに「週刊プロレス」について問い合わせを受けました。お客さん曰く、週刊プロレスというのは毎週水曜日発売だそうで。
で、データを見てみたんですけど、これが実に奇妙なデータだったんです。
まず、在庫が20冊、と表示されていました。おぉ、あるんだな、と思ったんですが、よく見てみると最新入荷日と発売日が共にが6/19金曜日になっている。
まだ発売されていない本の、データだけ先に入ってくるというのはよくあることです。何日か先に発売になるもののデータだけがあるので、検索の際には注意が必要です。この時僕は、なるほど何らかの理由で発売日が17日から19日に変わったのではないか(特にプロレスと言えば、三沢選手がリング場で死亡するというファンには衝撃的な出来事があったので)、と思いました。
しかしさらにデータを見てみると、既に1冊売れているということになっているんです。最新入荷日も発売日も共に6/19なのに、6/17に1冊売上が立っている。
これでもう僕はわけが分からなくなってしまいました。
とりあえず僕はこう結論しました。この1冊売れているのは、きっと何かの間違いだ。「週刊プロレス」のバックナンバーか何かを客注したお客さんが買って、それがたまたま最新号の売上として反映しているんではないか、と。なのでお客さんには、まだ発売していない、6/19に入荷するようだ、と伝えました。
その後遅番のあるスタッフにこの状況を伝え、二人でウンウンと考えました。その中でそのスタッフがこういう仮説を提示しました。
「実際今日1冊入荷して1冊売れている。ただ、三沢選手のこともあって、今緊急で増刷をしている。その増刷分が6/19に入荷するのではないか」
結果的にはその仮説が正しかったようで、今日6/19に20冊入荷するらしいです。さらに明日6/20に、週刊プロレスの増刊号として三沢選手の追悼号みたいなものが出るらしく、それと併売してほしい、ということのようです。
データがおかしい、という状況は常にありますが、これはなかなか見慣れないデータだったので実に難しかったです。データで検索できるのは非常に便利ですけど、それをいかに解釈するかという部分はセンスや経験が必要ですね。
あと一つ別の話を。
今ウチの店では、客注をアップさせようということをやっていますが、先日こんなけースがありました。
あるスタッフが、ECO検定か何かの問題集を注文したいとやってきました。試験が一ヶ月後にあるらしく、なるべく早く欲しい、と。いつも通り、一週間から十日ほど掛かると伝えると、うーんそんなに掛かるかぁ、なるべく早く欲しいけど、うーんでもまあ仕方ないかぁ、というような感じでとりあえず注文ということになりました。
でもその後も、入荷の時期のついて悩んでいるようだったので、これはまあ仕方ないと思って、僕はamazonを勧めました。一緒にいた奥さんがamazonを知っていたようで、それで注文はキャンセルということになりました。
まあ僕は正しいことをしたと思いますけど、やっぱり不本意でした。amazonと同じようにとはいかなくても、書店の流通ももっと早くならないものだろうかと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、ベストセラーとなった「生物と無生物のあいだ」を書いた分子生物学者である福岡伸一が、生命の性について書いた作品です。
本書の基本的な主張は非常に明白です。

『生命の基本仕様は女であり、男は女の仕様をカスタマイズしたできそこないに過ぎない』

アダムとイブの例を使ってこんな風にも書いています。

『イブはアダムの肋骨から造り出されたのではない。アダムこそがイブから創りだされたのだ』

SRY遺伝子というものがある。これが、生命の性を決定するすべての要因となる遺伝子である。本書ではまず、遺伝子の基本知識をざっとさらった上で、このSRY遺伝子発見までのドラマを描くことになる。それは、科学の世界では常にあることであるが、勝者と敗者の物語である。
女の遺伝子はXXで、男はXYである。SRY遺伝子はY染色体に存在している。Y染色体を持つ精子が卵子にたどり着き、SRY遺伝子が行動を開始すると、生命はオスに作りかえられるのである。
作りかえられる、という部分が重要だ。SRY遺伝子さえ働かなければ、生命はすべて女になる。つまり、生命の基本仕様は女なのである。そこにSRY遺伝子が働くことによって、女が男に作りかえられる。その過程で余分なものをつけ足したりそぎ落としたりする。女の場合、過不足はない。男はできそこないなのである。
本書の大体三分の二ほどが、この遺伝子の基礎的な知識からSRY遺伝子の発見、そしてSRY遺伝子の働きなどについて解説している部分である。
で、後半三分の一では、生命の男と女ということをモチーフにして、様々に興味深い話が綴られていく。
例えば、アリマキという昆虫がいる。この昆虫は単為生殖、即ちメスだけで子供を産むことが出来る。生まれてくるのもすべてメスである。
しかし年に一度、冬が近づいてくると、メスはオスを作りだして産む。生まれてきたオスは、死ぬまで出来る限り交尾をする。年に一度だけ交尾によって生殖することで、遺伝子に複雑さを持たせようとしているのだ。
あるいは、男はなぜ女よりも寿命が短いのか。それは、男であることの宿命によることかもしれない、という話。Y染色体とチンギス・ハーンの話。とある分子生物学者の末路について。そんなようなことが描かれます。
生命の性ということを核として、学術的な面とエッセイ的な面を併せ持った作品になっています。
数学者や科学者が本を出すことは結構あるけど、それは大抵学術書という感じになる。もちろん、内容のレベルは様々だ。非常に分かりやすく噛み砕いて書かれたものから、すごく専門的な部分に突っ込んだものまでいろいろある。ただ、いずれにしても、学術的な記述がメインになる。
しかし福岡伸一の作品は違う。全体として学術的な記述の方が多くても、作品はエッセイのような雰囲気を漂わせるのである。数学者や科学者でエッセイを出している人がいないわけではないけど、そう多いわけでもない。なかなか珍しいタイプの研究者兼作家だなという気がします。
福岡伸一の作品がエッセイっぽく感じられるのは、恐らくその文章にあるんだろうなという気がします。福岡伸一の文章は、非常に格調高いという印象です。理系の作家で、こういう文章が書けるというのは、どうなんでしょう、やっぱり普通ではないですよね。数学者の日本語は格調高い、なんて話を聞いたことがあるような気がするけど、それは科学者でも同じだったりするでしょうか?
本書でも、前半三分の二は学術的な記述がメインになるけど、格調の高い文章、また様々に通じている知識なんかをうまく絡めて、普通の学術的記述にならないように配慮しています。そもそも本書の中で福岡伸一は、
『わたしはこの文章で、「何々は何々と呼ばれる」といった類の、教科書的記述をできるだけ避けるようにつとめてきた』
とあるように、文章には結構気を配っていることが伝わってきます。
学術的な部分は、生物をまったく勉強してこなかった僕にはやや難しかったし、文系の人なんかからするとちょっとハードルが高いような記述もあるのかもしれないけど、でも本書の魅力はそういう知識を伝えるという部分にあるわけではありません。福岡伸一という作家が物事をいかに捉えているか、どう感じているか、何を考えているか、そういう部分を様々な部分から感じ取れる、それが重要だと僕は思います。なので、難しいと思える学術的記述は読み飛ばせばいいと僕は思います。それよりも、福岡伸一が歴史を語る口調、淀みなく流れる流麗な文章、真実を見ようとする視線、そう言ったものを感じ取ってもらえたらなと思います。
学術的な内容の部分については、なるほどなという点がたくさんありました。基本仕様は女で、男はできそこない、という話は聞いたことがあるような気がするけどきちんと説明された文章を読んだことはなかったし、聖杯を目指す研究者の争いみたいなものもやっぱり面白い。遺伝子がどう働いているのか、という具体的な記述も多いので、ちょっと専門的な部分に踏み込んでみたいという人にも面白く読めるのではないかなと思います。
僕としてはやっぱり、学術的ではない部分が好きですね。特にアリマキという昆虫の話は本当に面白かったです。普段は単為生殖なのに、年に一度だけオスを生み出して交尾をする、なんて凄すぎじゃないですか?自然というのはとんでもないことを考えるものだなと思いました。
時間がないのでそろそろ感想を終えますが、最後に一つだけ。プロローグに書かれた、福岡伸一が出席したある国際学会での出来事についてだ。
開会に先立って行われる基調講演で、スイスの重鎮学者が開口一番こう言ったようです。
「科学の世界の公用語は、皆さん、英語であると当然のようにお考えになっていると思いますが、実は違います」
会場にいた多くの科学者は驚いてその重鎮学者を注視したという。それもそうだろう。科学の世界の公用語は明らかに英語だし、それは当然のことなのだ。
しかしその重鎮学者はこう続けた。
「科学の世界の公用語は、へたな英語(プア・イングリッシュ)です。どうかこの会期中、あらゆる人が進んで議論に参加されることを望みます」
僕は、自分でもおかしいと思うけど、この部分を読んで泣きそうになりました。今もこれを書きながら泣きそうになっています。
これは素晴らしい演説だなと思います。素晴らしすぎる。僕がこの演説をどう素晴らしいと感じ、何で泣きそうになっているのかうまく説明は出来ないんだけど、英語圏ではない国からもたくさんの科学者がやってくる国際学会の開会の場でこういう演説が出来る科学者を、名前も知らないけど僕は尊敬します。
「生物と無生物のあいだ」と比べたら、やっぱりちょっと本書は劣ると思うけど(「生物と無生物のあいだ」が良すぎたので)、でも十分面白い作品でした。ぜひ読んで欲しいと思います。「動的平衡」って最新作も読みたいなぁ、早く。

福岡伸一「できそこないの男たち」



2次元より平らな世界 ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴(イアン・スチュアート)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本書の成立過程についてまず書いてみようかなと思います。
1884年に、イギリス人であるエドウィン・アボット・アボット(タイプミスではない)という中等学校の校長が、「2次元の世界(フラットランド)」という一般向けの科学書を出版した。その作品は、2次元世界に住む住人の一人が、3次元の存在に出会い、今まで知ることのなかった3番目の次元について知識を深める、という内容です。
その当時、4次元の存在が示唆され始めたようなんだけど、でも3次元に住む人間によって4次元は訳が変わらないし、すぐに馴染めもしない。だからアボットは、「2次元の世界」という本を出すことでその抵抗を減らそうとしたらしいです。
この「2次元の世界」というのは科学書として素晴らしい古典であり、多くの訳書やあるいは関連本が出ているとのこと。本書もその一つであり、イアン・スチュアートは本書を「2次元の世界」の主人公から数世代を経た孫であるヴィッキー・ラインが主人公となる続編という位置づけで物語が進んで行きます。
ある日ヴィッキー・ラインは、ずっと昔の祖先であるというA・スクエアという人物の書いた文章を見つけてしまう。彼は、3次元に住む存在に出会い、自分もその世界に行ったと主張したのだ。そのため祖先は牢獄に入れられる羽目になった。
家族からその話を聞いたヴィッキー・ラインは、しかし3次元にもの凄く惹かれた。自分も3次元に住む存在と接触しようと、祖先の書いた文章を何度も読み返し、ヴィッキー・ラインはスペースホッパーという名の高次元に住む存在に出会う。
ヴィッキー・ラインはスペースホッパーに連れられて、様々な幾何学的世界を探検することになる。ユークリッド幾何学、射影幾何学、相対性理論、フラクタル理論、超対称性、トポロジーなどなど、幾何学という切り口で数学・物理のあらゆる分野に進んでいくが…。
というような、科学書なんだけど小説のようにストーリーが展開していく作品です。
僕は科学系の本が好きで結構読むんだけど、本書は相当難しかったです。見た目は会話文ばっかりですごく親しみやすそうな気がするんだけど、内容は相当ハード。初めの内はまだ理解できる範囲の話なんだけど、そもそも僕が幾何が得意じゃないからそれでもついていくのは大変。学生時代も、図形の問題とかはホント苦手だったし、立方体をこういう平面で切り取った時の断面積がうんたら、みたいな問題とかホントうまく頭の中でイメージ出来なかったからなぁ。
でさらに話は、もうメチャクチャな感じに進んでいくんです。平行線同士はお互いの距離が一定ではなく、お互いの距離が一定の直線同士は平行ではない世界とか、遠近法なんかで使われる射影幾何学なんかも僕にはもうお手上げでした。ちゃんと読んでも、何が書いてあるんだかイマイチ理解できない。僕が幾何学が得意ではない、というのはもちろんあると思うけど、それを差し引いても難しかったと思います。でも、今まで結構数学の本とか読んできたけど、これまで読んできた本にはあんまり書いていないような話があったりして、難しかったけど面白い数学の分野があるんだなとは思えました。全然理解できないんだけど。
全体的に会話を主体にした物語が進むので、背景的な知識については大きく省かれている(らしい。訳者あとがきによれば)。僕からすれば、結構本質的な部分にも踏み込んでるんじゃないかなという気はしたんだけど。まあ、いろんな分野について書かれているので、本書で扱われているのはあくまでも全体的な概要だということなんでしょう。
設定やストーリー展開みたいなものはすごく面白いと思いました。ただ僕が幾何学が得意ではないので、どうしても内容的にすごく難しく感じられました。幾何学が得意、あるいは幾何学に興味があるという人にはかなりオススメ出来る作品だと思います。

追記)amazonのレビューでもコメントがあったけど、訳者の人は訳を頑張ったなと思う。ジョーク的な部分をすごくうまいこと日本語にしているなと感じました。ラスト近く、ちょっと替え歌が出てくるんだけど、あれもなかなか面白いと思ったし。

イアン・スチュアート「2次元より平らな世界 ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴」



オタク女子研究 腐女子思想大系(杉浦由美子)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本書はタイトルの通り、腐女子、即ち女性のオタクについていろんなことが書いてある本です。
腐女子という言葉は、「腐女子彼女」というブログ本がヒットしてから一般的にも認知されるようになったと思うんですけど、どうでしょうか。あと、貴腐人とか汚蝶夫人みたいな言い方もあるみたいですけど、やぱり腐女子が一般的ではないかと。
腐女子というのは、広義に捉えると女性のオタク全般を指すようです。ジャニーズオタクや宝塚オタクなんかも含める、ということですね。しかし腐女子というのは狭義では、BL作品(男同士の恋愛やらセックスやらを描いた小説や漫画)が好きなオタクということになります。本書でも基本的には、腐女子という言葉はその狭義の意味で使われています。
著者の杉浦由美子さん自身も腐女子のようです。どうして本書を書くことになったかと言えば、そもそも女性のオタクの存在が表に出てこず、まるで存在しないかのように思われているようなので、ここは一つ腐女子について書いてみようか、となったよう。
男のオタクについては、「電車男」なんかのヒットでその存在が大きく知れ渡ることになりましたが、確かに女性のオタクというのは謎に包まれている。僕は幸いにも(?)リアル腐女子を一人知っているのでその生態についてそれなりに知っているし、「腐女子彼女」っていう本も面白く読んだのでなんとなく分かっているつもりではあるんですけど、一般的には女性のオタクというのは謎ですよね。
僕が知ってる腐女子は、「僕の周りにも腐女子は必ずいる。いないわけがない」と力説します。女性の半分は腐女子だ、とまでいいます。そうなんだろうか?僕がこれまで知りあってきた女性の中には、外から見て腐女子だと分かるような人はいなかったと思います。本当に彼女たちの中にも腐女子はいるんだろうか?
腐女子の存在が表に出てこない理由の一つは、腐女子は妄想をメインにしている、というところがあります。男のオタクは、グッズを集めたりというような部分がありますが、腐女子はあんまりそういうことはない。本やコミックを元にして、あるいは目の前にいる男二人を元にして頭の中で妄想を組み立てる。だから分からない。
さらに腐女子は、身なりにもきちんとお金を掛けています。男のオタクは服装や見た目にはこだわらないため、ひと目でそれと分かりますが、腐女子はそうではない。すごく綺麗な人も多いらしいし、最低限化粧品や服にもお金を使う。だから外から見ただけでは分からないのです。
昔三浦しをんのエッセイに載っていた、腐女子判定テストというのが面白いのでここに載せてみます。
誰でもいいから女性に、「今から僕が言う言葉の反対の言葉を言ってください」と言います。その後、何でもいいから言います。「北」「南」、「右」「左」「勝ち」「負け」、「前」「後ろ」…という感じです。出来る限り相手に即答させる、というのが大事です。
で、そろそろいいかなという時に「攻め」と言ってください。
もし相手が腐女子なら「受け」と答えるでしょう。腐女子でないなら「守り」と答えると思います。
これが三浦しをんの提唱する腐女子判定テストです。まあそう簡単に引っかかるかは分かりませんけどね。
本書では、男のオタクとの違い、腐女子の歴史、池袋の乙女ロード、BL作品の種類、「攻め」「受け」のレクチャー、腐女子の日常などいろんなことが取り上げられています。正直言って、その理屈は論理が通ってないだろ、と突っ込みたくなるような部分もありますが(雑誌なんかを見てもそうだけど、日本はフランス人が一番だと思っている。フランス人は二日に一回はセックスをしないといけない種族。だから日本でも、セックス至上主義がはびこっているのだ、という理屈は僕には意味不明でした)、基本的には面白い切り口だと思える部分も多いし、なるほどそうなのかと思えう部分もある。リアルに腐女子を知っているために、書いている内容についてなかなか理解しやすい、という部分もあるのかもしれないけど、全体的には面白い作品だと思いました。
以下、いろいろと気になった話を書こうと思います。
まず、男のオタクと腐女子との大きな違い。男のオタクは、現実逃避としてオタクに向かう。現実の女性とうまくいかないから、二次元の女性に走り、あまつさえ二次元の女性こそが理想の女性なのだ、と考えるようになる。
でも腐女子はそうじゃない。腐女子は現実でもきちんと恋愛をしたり結婚をしたりする。現実で叶わないものをオタクへと投影するということはしない、という話。
男のオタクにとって萌えは現実の代償行為であることが多いのに対し、腐女子はそうではなくあくまでも別腹である、というのはなかなか面白いなと思いました。
腐女子はBLにリアリティを求めていない、というのもなかなか新鮮な意見でした。ちょっと違いますね。リアリティを求めていないのではなくて、リアリティが気になるからこそ、それを超越した作品を求めている、ということになるでしょうか。腐女子にとって、いかにありえない恋愛・セックスであるか、という部分が大事なんだそうです。
例えばロマンス小説というジャンルがあります。これは日本人作家の作品ではあまり売れないらしい。何故かというと、日本人作家が日本を舞台にしてロマンス小説を書く場合、あまり売れないんだそうです。何故なら、それがどんな状況であれ、日本という舞台だと突っ込みどころがたくさん出てきてしまうからなんだそう。例えば本書では深夜のコンビニで中小企業の営業職の私がおにぎりを買いにきた年棒10億のプロ野球選手と出会う…、なんてストーリーがあった場合、女性は、どうせこのプロ野球選手は親の作った借金で首が回らなくなってるとか、深夜のコンビニでおにぎり買うとかプロとしてダメじゃん、とか突っ込みたくなるらしい。
でもそれが海外を舞台にしていれば、なるほどそういうこともあるのかもしれない、と寛容になれるのだとか。
腐女子にもこれと同じことが言えるようです。男と女の恋愛では、いろいろと突っ込みどころが生じる。だから、それが男と男の恋愛を描くBLの場合、まずそのありえなさによって寛容になれるんだそう。しかも、男と男の恋愛、という部分だけでなく、その設定なんかについてもありえなさが満載。管理職のおっさんが入ってきたばかりの新入社員に告白されるだの、御曹司ばっかり集まる男子校でうんたらかんたらなど、そういうありえない設定によっても、腐女子は寛容になれる。だからこそ、BLという枠組みはすごくいいのだ、ということらしいです。
また、これは腐女子に限りませんが、女性がなぜオナニーの話をしないのか、という考察はなかなか面白かったです。
男の場合、オナニーのオカズにするものは、エロ本やらAVやら、いずれにしても自分の外部にあるものです。だから別に話したところで恥ずかしいことはない。
でも女性の場合はそうではない。女性の場合、基本的に妄想をオカズにします。それも、「満員電車で汚いオヤジに凌辱される自分」とか「白馬に乗った王女様の自分が美少年を助け出してセックスをする」と言った内容のことを妄想するんだそうです。
つまり突き詰めると、女性の場合オカズとなるものが「自分自身」なんですね。だからこそ話すのが恥ずかしい、というような考察でした。
まあこの考察が正しいかどうかは別として、なかなか面白い発想だなと思いました。
まあ別に読んでも読まなくてもどっちでもいい本ではありますが、読んだら読んだで面白いと思います。なかなかその生態を知る機会のない腐女子について詳しくなれますよ。腐女子は奥さんにするには最適だそうですよ、男子諸君。その理由はぜひ本書を読んでみてください。

追記)amazonのレビューを読むと、腐女子からすると本書の記述は事実誤認が多いんだとか。これが腐女子だと思われても困る、というコメントもありました。なかなか難しいですね。誰か、これが腐女子研究の決定版だ、みたいな本を出せばいいのに。誰にメリットがあるのかよく分かりませんけどね(笑)

杉浦由美子「オタク女子研究 腐女子思想大系」



奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家木村明則の記録(石川拓治)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組が監修となって出版された本です。同番組でかつて本書の主人公である木村秋則さんについて特集したところ反響が凄かったらしく、コメンテーターとして出演していた茂木健一郎が、木村さんについて本にまとめたらどうかというアドバイスをして本書が出来たそうです。
木村さんは、タイトルの通り、奇跡のリンゴを生み出した奇跡の農家です。
木村さんのつくるリンゴは腐らないそうです。理由は未だに解明されていないようですが、二年前に二つに切ったリンゴが未だに腐らない。とあるレストランのオーナーの話です。
木村さんが作るリンゴはとにかく評判がいい。一般の流通にはまったく乗らず、消費者との直接のやりとりによってやり取りされているリンゴだからなかなか食べられないけど、一度食べたら忘れられないらしい。
しかし凄いのはそれだけではない。
なんと木村さんは、完全無農薬でリンゴを作ることに世界で初めて成功したのだ。
これがどれだけ凄いことなのか、恐らく理解できない人は多いと思う。僕もそうでした。でも本書にはその説明もあります。
今僕らが食べているリンゴというのはそもそも、農薬散布によって害虫を駆除できる、という前提の元に品種改良されているんだそうです。甘くて美味しいリンゴにするために、害虫への対応力みたいなものが著しく失われている、それが現在僕らが知っているリンゴなんだそうです。ニュートンが木から落ちるのを見ていたリンゴと僕らが知っているリンゴというのはそもそもまったく違うものと言っていいくらいなんだそうです。
だからリンゴは農薬なしでは育てられないと言われてきた。実際著者もその話を聞いた時に信じられなかったという。青森出身だという著者は、農薬によって真っ白になったリンゴ園を見続けてきたので、農薬なしでリンゴが育つなんていことは信じられなかったわけです。専門家でさえ、未だにそれは不可能だと言っているんだそうです。
しかし木村さんはそれに成功した。
子供の頃から機械いじりが好きで、自作のコンピュータを作ろうとしたこともあったようです。バイクの改造なんかはお手の物。
次男だったから家を継がなくてもいいかと思っていたけど、いろいろあって結局農家に入り婿として入ることになり、農業に手を出すことになった。
トラクターを運転したかったから農業を始めたようなもんだ、と木村さんは語る。
リンゴと並行で、トラクターで土を掘り返してトウモロコシを作った。研究熱心な人で、雪で農業が出来なくなると、農業に関する本を片っ端から読んで知識を深めていったのだという。
そんな木村さんが、リンゴを無農薬で作ろうと思い立ったのには二つの理由がある。
一つは、奥さんが農薬に弱い体質だったこと。何とかしてあげたいなと思ったのだという。
そしてもう一つ、これがなければ今の木村さんは恐らくないだろうが、書店での偶然があった。トラクター関係の本を取ろうと思ったのだけど、高い棚にあった。横着して棒で取りだそうとすると、左右の本も一緒に落ちてきた。角が折れてしまったから仕方ないから一緒に買った。その本が、無農薬で稲を育てることに成功した人の本で、結局木村さんはその本を何度も繰り返し読むことになる。
義父にも相談し、ついに無農薬でのリンゴの栽培に取りかかることにした。
しかしこの道は、地獄への第一歩だった。木村さんがどんなことをやり続けたのかは読んでもらうとして、木村さんはリンゴの木以外の様々なことにも悩まされることになった。
まず貧乏。リンゴが収穫できなくて現金収入がないのだから、とにかく家は極貧だった。家族は父親の夢を応援していたが、しかし木村さんは家族に迷惑を掛けていることを心底申し訳なく思っていて、それで自分を責めるという悪循環だった。結局8年にもわたり、木村さんのリンゴの木は実をつけなかった。後半は木村さんはアルバイトをすることになるのだけど、初めの5年くらいは現金収入なんてほとんどない。とにかくこの生活がキツかった。
それに、近隣の農家からの反応も辛かった。青森県には、畑をほったらかしにすることを罰する法律があるらしい。これは、畑をほったらかしにすると害虫が発生し、それによって周りのリンゴ園にも影響を与えるから、という理由だ。木村さんの畑はほったらかしにされたわけではない。木村さんは毎日のように他の農家の人よりも懸命に働いていた。しかしいかんせん無農薬、害虫の巣窟みたいな状況になっていく。当然近隣の農家はよく思わない。村八部のような状況になっていったのだという。
木村さんはあまりに追い詰められ、一度自殺することを考えた。ありとあらゆることを試して、無農薬なんかでリンゴを作るのは不可能だと分かった。それでも、止められない。しかし止めない家族に迷惑が掛かる。その葛藤に耐えられなくなったのだ。
しかしそこで木村さんはある発見をする。まさにこれこそが、成功への第一歩だった。5年間、ありとあらゆることを試してもうやれることが何もないと思っていた木村さんは、自分が見えるところしか見ていなかったことに気づく。しかし、死のうと思っていたその時に成功への鍵を見つけるなんていうのも、ドラマのようである。
そして木村さんは、そこからさらに不屈の精神で頑張り、完全に農薬を断ってから9年目に、初めてリンゴの木が花を咲かせ、それからリンゴを収穫できるようになっていったのだ。
完全無農薬でリンゴを作れた木村さんだったが、そこからも大変だった。普通のリンゴより小さいし、傷物も多いこのリンゴをなんとか買ってもらえないと意味がない。完全無農薬でリンゴが作れたって、それで生活が成り立たなければ他の人がやってみようとは思えない。そうやって、買ってくれる人を少しずつ増やしていくのも大変だったようだ。
木村さんは今では、日本のみならず海外からも呼ばれて農業指導に行く。自分が生み出した、完全無農薬でリンゴを栽培する方法も惜しげもなく教えてしまう。恐らく何かすればそれで一財産稼げるだろうに、そんなことには興味がない。
木村さんは農業指導に行き、無農薬で収穫できるようになると、次に値段を出来るだけ抑えるように、と指導するのだという。無農薬野菜が贅沢品である限り、無農薬農業は特殊なやり方という段階を超えられない。無農薬野菜とそうでない野菜が同じ値段で売っていたら、まちがいなく無農薬野菜を買うだろう。そうなって初めて、無農薬農業が全国に広まる。木村さんはそんなところまで考えているのである。凄すぎる。
そんな奇跡を成し遂げた木村さんの魅力を十分に伝えている作品です。
いやー、いい本を読んだなぁ、という感じです。僕はこういうノンフィクションって結構好きですけど、これはちょっと凄すぎました。世の中に、こんなとんでもない人がいるんだ、と感動しました。木村さんの凄さは、到底僕の文章なんかでは表現できないんで、とにかく本書を読んでみてください。
僕は本書を読んで、まだまだインターネットには負けないな、と思いました。本書の内容とは関係ないですけどね。世の中には恐らく、木村さんのような凄い人がまだまだいることでしょう。でも、木村さんにしても本書が話題になるまで僕は知りませんでした。もちろん、木村さんからリンゴを買っている人がいるわけで、木村さんのことを知っている人はそれなりにいたんでしょうけど、でもこれだけインターネットが発達した時代にあって、それでも木村さんのような凄い人の情報が僕の元には届いてこない。
まあこれは当たり前なんですけどね。要するに、情報というのは整理する人間がいて初めて意味をなすわけで、ネット上ではその情報が玉石混交の状態で存在しているから、情報だけは山ほどあるけどきちんとした手段で自分からアクセスしないとその情報に行きつけない。インターネットは便利だけど、それは調べたいものが明確である場合にうまく機能するわけで、木村さんのような存在にアクセスするにはやっぱりうまくいかないと思うんです。
だからテレビで紹介したり、こうやって本になったりする。インターネットは確かに既存のメディアを脅かす存在だけど、アンテナの張り方や編集の仕方によって、まだまだ存在意義を見出す余地はあるんだろうなと思いました。
本書を読んで、そうだよな農業だって化学と同じようなものだよな、と思いました。化学というのは、いろんな薬品を反応させて新しい性質を見出したり、新たな物質を開発したりするわけなんだけど、農業だって同じだと。土・水・気温・湿度・肥料など様々な条件をいろいろに組み合わせて、その中でもっとも最適な組み合わせを見つけ出す、ということがもっと行われてもいいなと思うんです。
しかし、化学と農業が違うのは、それが生活に直結するかどうかということです。
化学者は、実験が失敗しても給料がもらえる。でも農家は、実験が失敗すれば収入が途絶える。それなら、これまで先人が築いてきたやり方をそのまま踏襲して危険を冒さない方がいい、という発想になるのは当然です。
しかし木村さんは、危険を冒して実験を繰り返し、ついに最適解を見つけたわけです。
木村さんはリンゴと並行で、米の無農薬栽培もやってみた。そこで木村さんは驚くべきことに気づく。これまでの農業の常識では、米を作る時は土をお汁粉のようになるまでかき混ぜるのがいい、とされてきました。でも木村さんの実験によれば、二三回適当に書き混ぜ土の塊が残るくらいの方が生育がよかったんだそうです。農業というのは生活と密着しているために、あまり実験がしにくいという部分がある。だからこそ、まだまだ研究の余地があるんじゃないかなと思います。
本書を読むと、とにかく木村さんは凄い。凄すぎる。でも何より、家族が凄いなと思いました。
だって5年近く現金収入がほとんどないわけです。娘は学校に通ってたけど、文房具だってまともに買えない、食事も満足に食べらないわけです。
それでも、皆木村さんの夢を支えていたわけです。
木村さんは初めにも書いたけど、入り婿なわけです。義父なんかからしたら元々他人です。それでも木村さんのことを責めたりすることは一度もなかった。それどころか、無農薬でやらせて欲しいと木村さんが言った時、あっさり了承してくれた。妻も文句も言わずにひたすら虫取りを手伝ってくれたし、ずっと支え続けてくれた。5年間やり続けて、それでもなんのヒントも掴めなかった。そのままやり続けても成功するかどうかもまったく分からなかったわけです。それでも家族は木村さんを支え続けた。これが一番凄いなと僕は思いました。
あと木村さんの周りの人も凄くいい。初めの内は村八部みたいな感じにされていたけど、後半はそういう人たちの協力なしには成り立たなかった。電気代や水道代をいつの間にか払ってくれていた友人。代金を取らなくなったスクラップ屋の主人。生活費がなくなるだろと言って利息分も受け取らなかった銀行の支店長。いつかあんたの時代が来るからと言って励ましてくれた税務署の課長。隣の畑の持ち主は、木村さんの畑との境界にあるリンゴの木をすべて切ったという。何故なら、ウチの畑に撒いた農薬が少しでも木村さんのリンゴの木に掛かったら無農薬が台無しになる、とのことだった。そういういろんな人の協力があったからこそ、木村さんはこれほどのことを成し遂げられた。だからこそ木村さんは今、自分が得た知識を惜しげもなく広めていくことに専心しているのだろうと思う。
まあとにかく、いい本を読みました。これは多くの人に読んで欲しいですね。素晴らしすぎますよ、木村さん。農業の分野でなくてもいいから、木村さんのような気骨のある人がこれからも出てきてほしいと思うし(自分ではやる気はない 笑)、そしてそれをしっかり見て評価してあげる人もきちんと出てきてほしいと思いました。
書き忘れましたが、帯にも書いてある木村さんのこの言葉は奥が深い。

『ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合う。』

石川拓治「奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家木村明則の記録」



光(三浦しをん)

眠いのと時間がないのとで、本屋の話はさっさと終わらせようと思います。
今日は、話題になったのはちょっと前になるけど、ちょっと変わった本の話。
「リング」「らせん」などで有名な作家鈴木光司が、トイレットペーパーに小説を書いて売り出しました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090521-00000006-oric-ent

よくわからないけど、静岡を中心に販売してるとか。会社自体が静岡県にあるからなんでしょうけど。ちなみに、富士市と言えば、わたくしが生まれた町の隣の市。というか、市町村合併により、僕の本籍も富士市になりましたけど。全然関係ないですね。
まあ面白いことを考える人がいるものです。僕が知っている本屋でもいくつか扱っているとか。まあウチでは扱わないでしょうけどね、きっと。
まあそれだけの話ですけど、こういうものが書店を盛り上げてくれればいなぁと思ったりします。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、これまでの三浦しをんの作風とは大分違うテイストの作品になっています。
美浜島という小さな島がある。島民は約300人弱。みんな親戚みたいな島だ。高校はなく、小中学校は同じ校舎を使っている。
その島で生まれ育った中学生の信之は、たった一人の同級生である美花と機会を見つけてはセックスをしている。娯楽のないこの島では、テレビを見るか、灯台に住むじいさんからエロ本を買うか、セックスするかぐらいしかない。
信之の後をいつもくっついてくるのは、輔だ。父親にいつも殴られていて、体中に痣を作っている。誰もがそれに気付いているが、何とかしようという者はいない。
信之は輔を疎ましく思うが、輔は卑屈さを隠そうともせずにくっついてくる。鬱陶しい。しかし、この狭い島の中では、どうにもしようがない。
ある日やってきた津波が、すべてを押し流していった。
生き残ったのは、信之と美花と輔、そして灯台のじいさんと輔の父親と外からの観光客一人。残ったのは最悪な人間たちだけだった。
信之は、そんな阿鼻叫喚の島で、美花を助けるためにある行動を取る。
二十年後、まるでその時の暴力が返ってくるかのように、過去が押し寄せてくる…。
というような話です。
僕としては、うーん、って感じの作品でした。世間的に評価が高かった、吉田修一の「悪人」という作品がありましたけど、僕はあれが全然ダメだったんです。「悪人」が面白かった、という人にはいいんじゃないかな、と思える作品です。
作品全体の感じが、どうも僕の好きなトーンではなかったんです。うまく説明出来ないけど、ダメでした。
淡々と進む作品は別に嫌いじゃないんだけど、こういう作品は、読んでてもどうしてもいいなぁと思えないんです。どうせなら、「白夜行」みたいに深く深くやってくれればいいんだけど、どうもそういうわけでもない。あー、でもうまく説明できないなぁ。何にしても、僕には合わない作品だったという感じです。
で、さらに、これが三浦しをんの作品だということがなかなか受け入れがたいんですね。これまで三浦しをんの作品をたくさん読んできたけど、やっぱり僕は三浦しをんの文章というのは、ポジティブで楽しい感じの作風にマッチするんじゃないかな、と思うんです。三浦しをんとしては、新しいことに挑戦して幅を広げようという感じだったのかもしれないけど、やっぱり本書のような淡々と人間の悪意を描くみたいな作品は、三浦しをんの文章とは相性が悪いんじゃないかなと思います。
あんまり的確に言葉に出来ないんだけど、まあそんな感じの理由からどうもこの作品は僕にはダメでした。三浦しをんの昔からファンだったという人には、あんまり合わないかもしれません。三浦しをんという作家のことを知らずに読めば、あるいは面白いと感じられるのかもしれません。どうでしょう。分かりませんが。
僕としてはあんまりオススメ出来ない作品ですけど、恐らく世間的な評価は割と高いんじゃないかなという気がします。分かりませんが。

三浦しをん「光」




鬼の跫音(道尾秀介)

さて今日は、文芸書の文庫化権を他社に売るビジネスモデルについて書こうかなと思います。
小説が出版される際、まず大抵ハードカバーで発売され、それから文庫になります。物によっては、ハードカバー→ノベルス→文庫というものもあるし、さらに特殊なものとして、ノベルス→文庫→ハードカバーという形で出た作品も知っています。でもまあ、大抵の場合、ハードカバー→文庫という流れでしょう。
その際、ハードカバーと文庫が別々の出版社から出る、というようなケースが多々あります。これは基本的には、文庫レーベルを持たない出版社の作品を文庫化する際にそういうことになります。実業之日本社だの太田出版だの毎日新聞社など、自社の文庫のレーベルを持たない出版社の場合、その文庫化権を他社に売ることになります。
しかしそうでないケースもあります。僕が不思議だった例を挙げると、宮部みゆきの「模倣犯」という作品は、元々小学館からハードカバーが出ていましたが、文庫になる際新潮社に移りました。そういう、文庫レーベルを持っている出版社でも、他社に文庫化権を売るケースがあります。でも、「模倣犯」だったら確実にベストセラーになる作品なわけで、その文庫化権をどうして小学館が手放したのか、僕としては不思議なんですよね。
そもそも僕の認識が間違っている、という可能性もあります。僕は、どの出版社で文庫にするかどうかという文庫化権は、そのハードカバー版を出版した出版社が保有しているのではないかと思いますけど、もしかしたら著者がその権利を持っているのかもしれませんね。どうなんでしょう?基本的には、ハードカバーを出した出版社で文庫にするというのが慣習になっているけど、著者の意向によってそれが変更になるということなのかもしれません。
まあそういう事情はどうでもいいんですけど、僕が今回書きたいのは、他社で文庫化するというそのビジネスモデルそのものです。
かつてはこれはそれなりに機能していたんじゃないか、という気がします。今ほど文芸書が売れないという時代ではなかったし、文庫になるスパンもそこまで長くなかったので、ある程度ハードカバーで売って利益を確保し、その後文庫化の権利を他社に売ることでさらに利益を得る、というスタイルが成立していたのではないかな、と。
でも最近では、とにかくハードカバーの文芸書は売れない売れない。文庫になるスパンが相当早くなっているんで、買い控えみたいなものが起こっているんだと思います。将来的にハードカバーの文芸書の値段が上がらない限り、ハードカバー版だけである程度の利益を確保するというのは相当難しいんじゃないかな、という気がします。ハードカバー版が話題にならなければ、文庫化権を売る際にもあまりいい値段はつかないだろうし、そうなると頑張ってハードカバーの単行本を出版しても、結局儲かるのはその文庫化権を獲得した出版社だ、ということになるような気がします。
かと言って、じゃあ文庫のレーベルを作るか、という話になるかというと、それもまた大変な話です。書店的にも売場の問題があるし、出版社の体力的な問題もあるでしょう。よく分かりませんが、新たに文庫レーベルを創刊するというのは相当大変なことなんではないか、という気がします。
だから、ハードカバーである程度の収益を上げるビジネスの仕組みを何とか作り上げないと、文庫レーベルを持たない出版社の多くは相当難しいんじゃないかなと思います。まあこれはあくまでも僕の勝手な予想何で、実際どうかわかりませんけどね。
もう一つ似たような話に、他社で絶版になっている文庫の権利を買って出しなおすというのがあります。これはうまくすれば美味しいビジネスになります。僕がパッと思い浮かぶものを挙げると、岡嶋二人の「99%の誘拐」や、今野敏の「リオ」なんかがあります。「99%の誘拐」は元々徳間文庫でしたが、それを講談社文庫から出し直しました。で、数年前ですが、何故か大ヒットになり、めちゃくちゃ売れました。あれはまさに濡れ手で粟ってやつだろうな、という感じでした。
「リオ」も、元々幻冬舎文庫だったものを新潮文庫で出しなおしました。そのちょっと後に今野敏が何か大きな賞を取り、また著作のドラマ化が決まったりして、今野敏が注目されるようになりました。あれも結構成功しているなという気がします。
文庫のレーベルを持っている出版社は、文庫レーベルを持たない出版社の文庫化権を買ったり、あるいは他社の絶版になった文庫を引っ張り出して来て出しなおすというようなことをやって、うまいこと利益を上げていくことが出来ます。一方、文庫レーベルを持たない出版社は、ハードカバーが売れない時代に入って相当苦戦しているのではないかなと思います。文庫レーベルを持っているかどうかで現在の出版業界で生き残れるかどうかが変わってくる、というのは僕の行き過ぎた予想に過ぎないでしょうか?
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、道尾秀介が出す初めての短編集です。アンソロジーなんかではいろいろと短編を書いている道尾秀介ですが、自身の作品として短編集を出版するのは本書が初めてだと思います。
本書には6つの短編が収録されています。

「鈴虫」
11年前の出来事で、刑事がやってきた。私は、Sの死体を埋めたことを刑事に告白した。Sは崖から勝手に転落した。私がしたのは、Sを地面に埋めたことだけだ、と。私の行いをすべて見ていたのは、鈴虫以外にはいない。
Sと杏子と私は、大学時代の友人だった。私は杏子のことが好きだったが、ある時Sと杏子が付き合うことになった。
Sと隣同士で住んでいた私は、日々彼らの会話を聞き、杏子のあえぎ声を盗み聞いた。
ある日のこと。隣の部屋から、杏子ではない女性の声が聞こえてきた。その時だ。私がSに殺意を抱いたのは…。

「○(ケモノ)」○は獣偏
僕は家族みんなから落ちこぼれだと思われている。祖母も両親も妹もみんなだ。二年前、この椅子が届いた時も、僕は馬鹿にされた。刑務所作業製品がどんなものなのか答えられなかったのだ。
その椅子を、僕はつい壊してしまった。しかし、その折れた脚の断面に、奇妙な文章が彫られていることに僕は気がついた。
『父は屍 母は大 我が妹よ』
そう読める文章だった。
末尾にSというフルネームが書かれていた。インターネットでその名前で調べてみると、昔家族を惨殺し、無期懲役に決まった人物のようだった。
僕はダメな人間なんかじゃない。
だから、これについてちょっと調べてみよう。

「よいぎつね」
この街に戻ってくることは、もうないと思っていた。あれからもう20年。W稲荷神社で行われる伝統行事「よい狐」の取材のためでなかったら、戻って来たくはない街だった。
20年前、高校生だった私は、同級生のSにそそのかされて、誰でもいいから女性を強姦することになった。場所は普段は神輿がしまわれている蔵。祭りの当日に実行することになった。
やっぱり出来ない。
出来なかった、そう言おうと思った。それが出来れば、どんなによかったことか。
気づけば僕は、目の前を歩く女性を神輿蔵に引き込んでいた…。

「箱詰めの文字」
書きかけの短編小説の原稿を机の上に広げた僕は、呼び鈴の音を聞いて玄関を開けた。するとそこにいた青年は、いきなり深々と頭を下げ、「申し訳ありませんでした」と言った。
事情がさっぱり理解できない僕に、その青年は説明した。何でも少し前に僕の部屋に空き巣に入り、貯金箱を盗んでしまった。中身には手をつけてないので返します、ということだった。
しかし僕にはその招き猫型の貯金箱は見覚えがなかった。中身を確認すると、そこには「残念だ」と書かれた紙切れが一枚入っていた。
そうか、これはSが置いたに違いない…。

「冬の鬼」
一月八日から一月一日まで逆に遡って綴られるある女性の日記。
その女性は、どうやら一月一日に素晴らしい願い事が叶ったようで、両目に目玉を入れたダルマをどんどや(どんど焼きや左義長とも言う)に持っていこう、と考えているらしい。かつて火事に見舞われ家族だけではなく何もかも失った女性を見つけ出して一緒に暮らそうと言ってくれたS。Sとの幸せな生活にどうしても必要だった決断とは…。

「悪意の顔」
僕は学校でSに陰湿な嫌がらせをされている。どうして僕が標的になるのか、今でもよく分かっていない。Sは今日も、僕の椅子に瞬間接着剤を塗り、半ズボンだった僕の肌が椅子とくっついてしまった。
いろいろ考えながら家に帰る途中、見知らぬ女性を見かけた。その女性は、僕が何か大変な目に遭っていることに気づいたらしく、家まで来れば助けてあげる、とそう言った。
彼女が取りだしたのは一枚の絵だった。彼女の説明によればこうだった。この絵は何でも吸いこんでしまうのだ、と。だからあなたがSを恐れる気持ちも吸い込んだのだ、と…。

というような話です。
どの作品も、道尾秀介らしい作品だな、と思いました。
すべての作品に、Sという名の人物が出てきて、それが重要な役割を担う、という点では繋がっていますが、基本的にそれぞれの話はまったく関係ないです。Sという登場人物と言えば、「七つの死者の囁き」みたいなタイトルのアンソロジー文庫に道尾秀介が書いていた作品にも確かSという人物が出ていた気がします。きっと同じ時期に書いていたんだろうなという気がします。
どの話も、恐ろしく静かに淡々と進んで行きます。そのトーンというかテンションは、これまでの道尾秀介の作品にはあまりない感じだなと思いました。道尾秀介の初期の作品は、文章よりもストーリーやトリッキーさに重点が置かれた作品が多かったですが、段々と文章や小説としての雰囲気みたいなものに比重が置かれるようになっています。本書も、これまでにない雰囲気の文体によって、独特の雰囲気を生み出しています。
ジャンルとしてはホラーになるのかもしれないけど、やはり道尾秀介らしくミステリ的な要素がかなりあります。一篇毎になかなか味のある仕掛けを用意していて、短い話の中でこれだけ引っくり返せるというのはさすがだなという気がします。
僕が好きな話は、「鈴虫」「箱詰めの文字」「冬の鬼」です。「鈴虫」は、他の作家が同じような作品を書いているだろうなと思わせるような、まあよくある展開だとは思ったけど、道尾秀介はやっぱり展開とか伏線の張り方みたいなものがすごくうまいと思うんで、さすがだなと思います。
「箱詰めの文字」は、初めの展開からしてなかなか面白いし、「残念だ」という言葉の意味に気づいた主人公の回想もなかなかのものだし、しかもそこからさらに読者を騙し、幻惑させるテクニックは素晴らしいと思いました。
「冬の鬼」は、ミステリ的というより、非常にホラーだなと思いました。これはなかなか怖いです。一番怖いのはやっぱり人間だな、と思えるような作品です。日記を遡るという、結構難しい構成をうまくストーリーと絡めて取り込んでいるし、ラストのカタルシスみたいなものはもちろん予想できないし、でもその狂気が理解できないわけでもない、しかし理解したくないみたいな部分があって、すごい話を書いたなという感じでした。
「○(ケモノ)○は獣偏」は、初めの設定はすごく面白いと思ったし、ラストのオチは怖っとか思ったんだけど、間の展開がちょっとそこまで面白くなかったかなと感じました。決して悪い作品ではありませんけどね。
「よいぎつね」は、作品としては凄く面白いなと思ったんだけど、道尾秀介がこの終わらせ方をしちゃダメだろ、と感じたんでちょっとマイナスです。話はすごくいいんだけど、どんな無茶苦茶な設定でも合理的な理由を与え続けてきた道尾秀介の作品として受け入れるにはちょっと難しいという感じです。
「悪意の顔」は、うまく評価することの出来ない作品です。これはちょっと失敗作ではないかなと思うんですけど、厳しすぎるでしょうか?最後、結局どうだったのかイマイチはっきりしない感じだったのも、僕としてはあんまり好きではないかなという気がしました。
全体としては、実にレベルの高い短編集だと思いましたけど、でも僕としては最高傑作とは言い難いですね(帯に最高傑作と書いてあるんで)。やっぱり僕としては、「カラスの親指」がいいなぁと思います。でも、いろんなアンソロジーで道尾秀介の作品を読む度に、本当に何を書かせてもうまいなぁと感じるんで、これからも道尾秀介の短編に注目したいなと思います。
本書は、作品とは関係ない部分で気に入った部分があるんでそれも書こうと思います。
まず、文字のフォント。ホラー小説っぽい、なんとなく読んでて怖くなるようなフォントが採用されていて、これは作品の雰囲気をうまく盛り上げているなと感じました。
あともう一つ。表紙の絵がいいですね。どこがどう、とは言えないけど、かなり気に入っています。怖いとか妖しいとか、そんな感じの印象を受ける絵です。
というわけで、相変わらず道尾秀介はレベルの高い作品を書くなと思います。若いのに本当にすごいと思います。これからも益々注目の作家です。是非頑張ってほしいなと思います。最新作の「龍神の雨」も読みたいなぁ。

道尾秀介「鬼の跫音」




愛しの座敷わらし(荻原浩)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は荻原浩が新聞連載をしていた小説です。
晃一の転勤により、引っ越すことになった高橋家。都心に住んでいた彼らが向かったのは、牛がその辺りにいるような、ドをつけたくなるような田舎。晃一が、どうせ引っ越すなら一軒家がいいだろう、と言って探し当てた物件だ。とりあえず下見を、ということで家族全員でやってきたものの、既に史子は不安で一杯だった。一番近いスーパーはどこ?
晃一が見つけてきたのは、築103年というまさに古民家と呼ぶのが相応しい物件。かつて外国の芸術家が住んでいたらしいのだが、どういうわけか突然引き払ってしまったらしい。史子にはその経緯も大いに不安を感じるのだが。
小学四年生で好奇心旺盛な弟の智也は大丈夫かもしれないが、中学二年生の梓美はここに住むことは決してオーケーしないだろう。トイレが水洗ではない時点でたぶんNG。ちょっと夜道が暗いのが不安だけど、やっぱり街中のマンションにしよう。こんなところにはやぱり住めない。
しかし結局一家はここに住むことになる。駅まで自転車で頑張って通うと言っていた晃一は一日で根を上げ、取っても取っても次の日にはまた出来ているクモの巣を史子は嫌々ながら取る。前の学校でクラスメートとうまくやっていけなかった梓美は新しく通う学校にも不安を感じているし、飼い犬のクッキーは人気のないところに向かって無駄に吠えることが多くなってきた。
智也と晃一の母親澄代だけが初めに気がついた。
智也は初め、近所の子供だと思った。小さな子で、コミュニケーションを取るのが酷く難しそうだったけど、何とか頑張って仲良くなった。頭のてっぺんで髪を結んだ、着物を着た変な子だ。
澄代はその子を初め、六助だと思った。口減らしのために東京の親戚にもらわれることになった末の弟の六助が、新しく移り住んできたこの家に何故かいる。
それは、座敷わらしだった…。
というような話です。
さすが荻原浩、実に面白い。家族小説では、重松清の牙城を崩せる作家はそうそういないだろうと思うけど、荻原浩だったら重松清に匹敵するだけの力はあると思う。荻原浩の方がユーモア的な部分が多いんで、作風は大分違いますけどね。
高橋一家は、そこそこうまくやっているように見えて、実は結構問題がある。まあこの問題って言うのは、こういう家庭には一般的によくあるような話だと思うんだけど。晃一は、仕事で実績を出していると思っていたにも関わらず、実質的に左遷となる転勤の辞令を受け取り、もはや出世の道もない。それなのに、まだ会社や上司におもねるような仕事をしてしまう、根っからのサラリーマンだ。あと、男親と娘という宿命なんだろう、梓美との関係が芳しくなく、何とかしたいと思っているけどどうしたらいいか分からない。
史子は、そんな仕事人間である晃一に不満を持っている。家庭を顧みることなく、家族との約束も仕事のせいで反故にして、あまつさえ新居についても勝手に決めてしまう。夫の母親である澄子がボケ始めているような感じがあって、その義母との同居も少しストレスになっている。
梓美はとにかく、学校での対人関係がうまく行っていない。昔は面白いキャラとして周囲の溶け込むことは出来たんだけど、最近はどうしても周りの空気を読もうとしてしまって、いろいろ考えた挙句何も出来ないということが多い。新しい学校で心機一転、人間関係をやり直そうと思っているんだけど、やっぱりいろいろ考えてしまう。あとオヤジがうざい。
智也は、恐らく家族の中で一番問題を抱えていないかもしれない。だから真っ先に座敷わらしを見つけ、仲良くなれたのかも。子供の頃喘息を患い、母親から過保護に育てられた以外は、特に問題はない。ただ家族の変化や雰囲気なんかには敏感で、冷静な観察眼を持っている。
澄子は、時々おかしな言動をするが、自分ではボケているわけではないと思っている。しかし、特に史子からそう思われているだろうから、言動を自重しようという風には考えている。夫の死後、長野の住処を引き払って息子夫婦と同居するようになってから、ちょっとボケの症状が出始めている。
さて、こういうありきたりだけどありきたりだからこそ解消するのが難しい問題が、なんと座敷わらしによって解決していくのである。本書は、まあ読みどころは人それぞれ様々だと思うが、その座敷わらしの存在によって家族が再生していく、というのがその一つになるのではないかなと思う。
正直なところ、座敷わらしは何もしない。そもそも喋りもしないし、姿が見えるのは時々だし、見えない人には見えない。智也にしたところで、けん玉で遊んだり、お菓子をあげたりしているだけにすぎない。
でもそんな座敷わらしの存在が、実に鮮やかに家族の問題を解決していくのだ。何もしない座敷わらしがどうやって?と思うかもしれないけど、そこは荻原浩の作家としての力量が素晴らしいというしかない。僕は、ファミレスで晃一と梓美が連係プレーを取っているシーンなんて見事だなと思うし、座敷わらしを見てしまった史子が、自分の頭がおかしくなったと思い、なるほどこれは辛いものだ、澄子さんのボケを疑ったりするのも申し訳ないことだと思って優しくするような場面もいいなぁと思います。一つ一つは実に些細なことなんだけど、そうしたことの積み重ねが、家族を立て直していく。これは面白いなぁと思いました。
荻原浩の小説が素晴らしいのは、キャラクターを生かした文章です。こういう文章が書ける作家は他にはそんなに思いつかないです。
荻原浩の文章表現は、そのキャラクターに合った表現が生かされているのが特徴です。『○○みたい』っていうような表現があった場合、その○○に当たる部分がそのキャラクターの性格みたいなものを表していたりします。ちょっとした場面でもそういう細かな部分に手抜かりがなくて、恐らくものすごくたくさんの取材みたいなことをしているんだろうなと思います。
また、『史子が自転車に乗っている時、持ち手を逆手にする』みたいな描写があります。これは、『手のひらばかりに紫外線を当てないようにするため』と説明されるんですけど、こういう細かな描写によってキャラクターの個性を描きだすのが実にうまいんですね。東野圭吾なんかもそういう部分があるけど、こういうただ取材するだけでは分からないような描写って、どうやって書いているんだろうなっていつも思います。
家族五人それぞれについてきちんとストーリーを用意し(澄代だけはそんなに出番は多くないけど)、それを家族の再生という全体の主軸に絡める手腕はさすがだし、450ページ近くある結構長い小説なのに、その長さをまったく感じさせない読みやすい文章は素晴らしいものがあるなと思います。荻原浩の作風というか作家としての真価みたいなものは、本書のような小説の時に一番発揮されるなという気がしました。実に面白い小説です。是非読んでみて欲しいなと思います。

荻原浩「愛しの座敷わらし」






悶絶スパイラル(三浦しをん)

本書は三浦しをんのエッセイです。僕は三浦しをんのエッセイをこれまでにもたくさん読んできていますが、相変わらず面白いですね。小説が面白くてもエッセイが面白いとは限らないわけですが、三浦しをんは間違いなく、エッセイも小説も抜群に面白い作家だなと思います。
基本的には、三浦しをんの日常の出来事、日常感じたこと、オタク的なこと、友人との戯れ、などなどが書かれています。そんなに大したことが書かれているわけではないんですけど、面白いです。たぶん、三浦しをんが外面を気にせずに欲望のままに(?)、あるいは本能のままに(?)生きているというところがいいんだと思います。それに、三浦しをんの周りにいる友人というのもなかなかのもので、どうしてこうトリッキーな人間が集まるのか、これこそまさに類は友を呼ぶという奴なのか、と感心しました。
以下、面白いなぁと思った話をいろいろ抜き出してみようかなと思います。

まず、三浦しをんが家族(父・母・弟)と話している時のこと。弟がまずこんな爆弾発言をするのだ。
「でも俺が見るところ、トイレで用を足したあとに手を洗っていく男って、二割弱だぞ」
それに対し三浦しをんは、ありえないだろ、手ぐらい洗えよ、と言い、弟はちゃんと俺は洗うよと言うのだが、さらにそこに爆弾が投下される。投下したのは父である。
「どえー!おまえ、手なんか洗うのか!お父さんはいつも、トイレで手を洗っていく男を見てばっかじゃないのかと思ってたぞ」
ひとしきり悶着があった後、母がこんな雑学を披露する。
「アメリカの男のひとって、小用を足すまえに手を洗うんですって。汚い手で自分のあそこに触るのはいやだから、って」
というような話をひたすらレストランでする家族だ。

三浦しをんは「メゾン・ド・ヒミコ」という映画を絶賛していて、それは三浦しをんの周囲にいる人々も同じらしい。しかし彼女らが一様にする反応というのが、「シャツがイン!」なんだそうだ。これは、主人公(たぶん)のオダギリジョーがゲイ役らしいんだけど、そのオダギリジョーのファッションがズボンにシャツインらしいのだ。とにかく誰もがそのシャツインに気を取られて、肝心な本質的な部分の感想にたどりつかないそうな、という話。

コンビニの店員の接客言葉について三浦しをんは考える。これは、書店で働いている僕としてもなるほどと思える話だった。
三浦しをんは、「二番目にお待ちのお客様、どうぞ」という言葉が気に入らない。これは、店員側と客側で視点が違うということが原因になる。
店員としては、今目の前にいるお客さんの会計は終わった。だから次は「二番目の客」ということになる。しかし客側としては、自分は先頭に並んでいるのだから「一番目の客」なのだ。その視点の違いによる認識の違いが三浦しをんをいたく悩ませるらしい。
三浦しをんの提示する解決策はこうだ。
「次のかた、どうぞ」
僕はいつも、「お次お待ちのお客様どうぞ」というのだが、三浦しをん的には「お」が多すぎるし、「お次」という言い回しが古臭い、ということになるらしい。なかなか難しいものである。

友人の新居で飲んでいる時に、何故かカツラの話になり、そこである友人がこんな人を見たことがあるのだ、という話をし始める。
「冠婚葬祭など改まった席でのみカツラをつけるオッサン」
これが物議を醸し出す。このおっさんは一体何を考えているのか。カツラとしてのアイデンティティはどうなるのだ、というような話だ。最終的に、これは落語的不条理だ、という結論に達する。
ここまではいい。
三浦しをんとその友人が凄いのは、その話から実際に落語を作ってしまうということだ。しかもこれが結構面白い。本当の落語を知っている人からすればなんということもないかもしれないけど、僕は面白いなと思いました。すげぇな、三浦しをん(とその友人)。

三浦しをんは外を歩いている時、頭から血を流しているおばあさんを見かけた。既に中年の男女(夫婦ではないらしい)が看病をしており、救急車も呼んだとのこと。
付き添っていた中年女性がおばあさんから連絡先を聞き出し、家族に連絡を掛ける。
「もしもし、私いま、○○町であなたのお母様と一緒にいる、通りがかりのものですけど。お母さま、道で転んだらしくて、怪我をしてるんですよ。それでこれから、救急車で病院に行こうと思うんですが」
さて、こう言った後、この中年女性が次に発する言葉を想像できるでしょうか?
「いえ、ホントなんです。切らないで」
三浦しをんも中年男性も、そして電話を掛けた当の中年女性さえも思ったことが、これオレオレ詐欺っぽい、ということだ。世知辛い世の中になったものである。

三浦しをんは機械オンチらしい(僕もそうだ)。で、執筆のためにマックを使っているのだが、こいつの調子が悪い。三浦しをんはこう考える。自分としてはワープロとメールとインターネットがあれば十分で、それ以外の9割以上の機能は使わないのに、その使われない高級機能が叛乱を起こすんだ、と。
それを表現する会話文が面白い。
「王は、我ら近衛兵をなんと心得ておられるのか」
「下賤の輩ばかりを登用なさり、我らは飼い殺し」
「これではせっかくの装備が錆びついてしまうぞ」
「ていうか、むしを錆びつかせてやれ!」
「そうだそうだ、我らを使いこなせぬ王など無用!」
「叛乱の狼煙を上げろ!」
マックが故障した、というだけの話をこんなに面白い文章に出来るのはさすがだなと思いました。
まあそんなわけで、どの話もとにかく面白いです。三浦しをんのエッセイはどれを読んでも基本的に面白いので、本書じゃなくてもいいんでなんか読んでみてください。

三浦しをん「悶絶スパイラル」



転落(永嶋恵美)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、どこの書店か忘れましたが、今大きく仕掛けているようです。まだ情報が回ってきませんが、もしそこの店での仕掛けが順調ならば、恐らくまた書店発のベストセラーとして売れるんではないかと。一応ウチの店でも面陳で置いていますがさほど売れてはいません。これはベストセラーにはならないかな?
『何か』からの逃亡の果てにホームレスに身をやつしてしまった主人公は、ある時から食料の確保に困らなくなった。神社でたまたま出会った麻由という小学生が、定期的に食料をくれるようになったのだ。母親が作りすぎるから、というのが表向きの理由だが、それだけではない。麻由はムカツク同級生の仕返しを主人公にやらせるのだ。こうしてきちんと食料をもらえるなら、何だってする。ちょっとした犯罪行為なんて、大したことではない。
しかし、その些細だったはずの好意が、やがて主人公をさらなる転落へと向かわせることになる…。
というような話です。
全体としてはまあまあよかったんじゃないかなと思います。すごくいい、という評価はちょっと出来ないけど、まずまずという感じです。
本書は三部構成になっていて、上記の内容紹介は第一部の話です。二部、三部の話に触れるとちょっとネタバレっぽくなってしまうので止めておきます。
本書でメインとなるのは、犯罪者の心理状態、みたいなところです。主要な登場人物が二人なんですが、その二人がどちらも犯罪に手を染めています。二人は犯罪行為が露見しないように日々の生活を送るようになるんですが、そのちょっと過剰とも思えるような警戒心・不安感みたいなものが、逆に小心者の犯罪者の心理をうまく表現しているような気がしました。
また一方でその二人は、何らかの形で被害者であったりもします。しかし、被害者として二人はものすごく苦痛を感じる経験をしてきました。自分たちは被害者であるのに責められる、というやり場のない怒りのようなものも随所で表現されていて、そういう心理的な描写がメインになっている作品です。
またその二人は、普通であれば敵対するはずの関係なのに、ある種共犯関係を結ぶことになります。どうしてそういう状況が成立するのか、初めの内はよくわからないんですけど、それも最後の方まで読むと明かされることになります。その明かされた状況もちょっとなかなか理解しがたいものではあるけど、まあ納得出来なくもないという感じの状況です。
本書では、とにかく子育ての問題が背景として横たわっています。なので、子供を持つ母親や、かつて子育てを経験したことのある人だったら、僕以上に理解できるのかもしれません(あるいは反発するかもしれませんが)。子育てを経験した人でも、本書のような状況に陥ることはそうないだろうから(育児ノイローゼはあるだろうけど、そうじゃない部分はなかなかないと思う)、こういう状況について共感できるかどうかは分からないけど、いずれにしても子育てを経験した人にちょっと読んで欲しいかもしれない、と思ったりしました。
僕としては一点残念だなと思うのは、ある部分があまり説明されない点です。本書は、時間軸的には第三部から第一部に繋がる流れなんだけど、その間でどうして主人公が『ああいうこと』になってしまったのか、という説明がちょっと足りないなぁ、という気がしました。ストーリー上どうしても必要な部分ではないかもしれないけど、僕としては説明してほしかったなと思います。
まあ特別オススメというわけでもないですが、読んでみたら案外よかった、という感じの本ではないかなと思います。気が向いたらどうぞ。

永嶋恵美「転落」



少女(湊かなえ)

昨日は何だか変なお客さんがいました。ちょっと、と言って声を掛けられて、占いとか暦とかの売場に行ったんだけど、そこで本の値段を指さして、『高いからマケろ』と言われました。
この人はどこまで本気で言ってるんだろう?って思いました。こういう場合、どんな風に言うのが正解なんですかね。僕は、『すいません、それはちょっと無理ですねぇ』みたいな感じで返したんですけど。世の中いろんな人がいるもんだなぁ、と思いました。
あともう一つ、これは誰がやったんだか分かりませんが、ウチの店の入り口にあるゴミ箱に、自転車のカゴが捨ててありました。そもそも、自転車のカゴが要らなくなる状況っていうのが分かんないんだけど、とりあえず店のゴミ箱には捨てるなよ、と思いました。
昨日書いて消えちゃった本屋の話をもう一回チャレンジして書こうと思います。
PHP文庫の話です。
PHP文庫というのは、「決算書が~」みたいなビジネス系や、「運命がすぐ分かる~」みたいなスピリチュアル系や、「世界の神々が~」みたいな雑学系なんかの、いわゆる実用系の文庫を出しているレーベルです。
でそのPHP文庫というのは、PHP研究所という出版社が持っている唯一の文庫レーベルなわけです。なので、時々小説もPHP文庫から出る。つい最近時代小説や古典作品なんかも出すようになりました。
で問題となるのは、PHP文庫の小説作品を一体どの棚に入れればいいのか、ということ。
これは、BOOK OFFのように著者名順で棚を並べている書店では特に問題になることはありません。でも僕は出版社別で棚を並べています。出版社別の場合、普通に考えれば小説作品もPHP文庫の棚に置くことになるし、実際僕もそうしています。
しかし、先ほども言ったけど、PHP文庫というのは実用系の文庫レーベルなわけです。棚にあるのもほとんど実用系の文庫ばかり。その中にちょっとだけ小説作品があったとして、その売場に来た人が買おうという気になるかどうか。ならないでしょうねぇ。
かと言ってPHP文庫の小説作品というのはそう多くないので、それだけ単独でどこか別の棚に入れておく、なんていうことをしてもそんなに目立たないでしょう。
僕としては、小説作品のみの新文庫レーベルをPHPが創刊すればいいと思うんですよね。創刊時に5点くらい集めて、それから毎月2点ずつぐらい出す、みたいな感じにすれば、その内売場にその小説作品のレーベルを作らざるおえなくなるでしょう。
少なくとも今のやり方で小説作品の刊行点数が増えていっても、正直棚から小説作品が売れる、というのは難しいなと思います。まあもう少し小説作品の点数が増えれば、それだけ独立で別の棚に、ということも考えますけど。実用系の文庫レーベルで小説を出しているのってたぶんPHPぐらいだと思うんでとりあえずどうしたらいいのかまだ手探りですけど、難しいなぁ、と思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、「告白」で本屋大賞を受賞した著者の二作目です。
物語は、由紀と敦子という二人の女子高生の語りが交互に繰り返される形で進んで行きます。
中学時代共に剣道部だった二人。ずっと仲がよかったのだけど、お互いにいろいろあって、些細なことから気持がすれ違っていく。お互いそれを表に出さないまま、表面的には仲良く振舞っている。相手のことを信じたい、と思いながらなかなか信じることが出来ないでいる。
高校で知り合った紫織という同級生から、彼女たちは衝撃的な話を聞く。転校生だった紫織は、前の学校で親友に自殺された、というのだ。それを聞いて二人は、人が死ぬ瞬間を見たい、という思いが芽生える。
敦子は夏休み中、体育の授業の補習として、老人ホームで二週間ボランティアをすることになった。老人ホームだったら人が死ぬこともあるだろう、そんな期待を抱きながら仕事をすることになった。そこで知り合った、無愛想で愚鈍な『おっさん』と深く関わっていくことになる。
一方由紀は、たまたま見かけた読み聞かせのボランティアに応募することにした。行く先に小児科病棟があったから、難病に冒された子供と知り合いになるのもいいかもしれない、と思ったのだ。狙い通り二人の少年と知り合った由紀は、成り行きから彼らの願いを叶えてあげることにしたのだが…。
というような話です。
僕の評価としてはこうなります。まったく同じ構成・ストーリーの作品を、伊坂幸太郎が書いたら10倍は面白い作品だろうな、という感じ。
ストーリーは悪くないと思います。ちょっと考えが浅いような場面もないではないけど、とにかくいろんなことが絡み合って、最後にそれらがもつれた糸がほどけるようにしてすっきりする。伏線が至る所に配されていて、あまり長くない小説なのに密度が濃い、という気がしました。
ただ問題は、軽い、ということです。それは主に文章の責任で、文章が軽すぎるために全体的に軽い印象になってしまっています。
もちろん、女子高生が語っている、という設定なんだから、この軽さは著者の意図した通りのものかもしれないけど、僕には成功しているようには思えません。同じ女子高生を主人公にしても、「凍りのくじら」のようなしっかりとした作品を書くことが出来るわけで、女子高生だから軽さを全面に出した、と考えているならちょっと違うなと僕は感じました。本書からは、ただ軽薄という印象を受けてしまいます。
せっかくストーリーや伏線なんかがきちんとしているんだから、もったいないなと思いました。文章からくるこの軽薄さが、作品全体をどうしても一段低いものにしている感じがします。
由紀と敦子の誤解が解け、お互いに友情を確認する、というような感じの展開になって、それは結構よかったと思うんだけど、でも僕はどうしても最後の最後が理解できなかったんです。どうして、○○の○○が最後の最後に来るのか、が。読解力がないんですかね。だって別に○○って○○を用意する必要がないじゃないですか?ありましたっけ?○○に出てくる名前も、いや分かるけど、もうちょい説明してほしいなぁという感じ。まあ分からないのは僕だけかもしれないけど。
まあそんなわけで、僕としては惜しいなぁ、という感じの作品でした。ストーリーは悪くないんだけど、全体としてはちょっとあんまり良い評価は出来ないなという感じです。もう少しやりようはあったんじゃないかという気がしました。

湊かなえ「少女」




 | ホーム |  »

プロフィール

通りすがり

Author:通りすがり
災害エバノ(災害時に役立ちそうな情報をまとめたサイト)

サイト全体の索引
--------------------------
著者名で記事を分けています

あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行~わ行

乃木坂46関係の記事をまとめました
(「Nogizaka Journal」様に記事を掲載させていただいています)

本の感想以外の文章の索引(映画の感想もここにあります)

この本は、こんな人に読んで欲しい!!part1
この本は、こんな人に読んで欲しい!!part2

BL作品の感想をまとめました

管理人自身が選ぶ良記事リスト

アクセス数ランキングトップ50

TOEICの勉強を一切せずに、7ヶ月で485点から710点に上げた勉強法

一年間の勉強で、宅建・簿記2級を含む8つの資格に合格する勉強法

国語の授業が嫌いで仕方なかった僕が考える、「本の読み方・本屋の使い方」

2014の短歌まとめ



------------------------

本をたくさん読みます。
映画もたまに見ます。
短歌をやってた時期もあります。
資格を取りまくったこともあります。
英語を勉強してます。













下のバナーをクリックしていただけると、ブログのランキングが上がるっぽいです。気が向いた方、ご協力お願いします。
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

アフィリエイトです

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
本・雑誌
13位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
11位
アクセスランキングを見る>>

アフィリエイトです

サイト内検索 作家名・作品名等を入れてみてくださいな

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

カウンター

2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)