黒夜行

>>2009年03月

七つの死者の囁き(有栖川有栖他6名)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、7人の作家による、『死者』をテーマにしたアンソロジーです。

有栖川有栖「幻の娘」
死んだ人間を見ることの出来る刑事は今ある殺人事件に関わっている。容疑者を取り調べて、アリバイを証言してくれるという目撃者の似顔絵を描いたのだけど、近所の人曰くその似顔絵の人は既に死んでいるということだった。刑事は気づいた。容疑者は本当のことを言っている。彼は幽霊を見たのだ。自分も同じだから分かる。しかしそれをどうやって証明すればいい?

道尾秀介「流れ星のつくり方」
旅行に来て、一人涼みに外へ出た凛は、一人の少年に出会う。ラジオを聴いていたという少年は、凛に流れ星のつくり方を教える。しばらく会話をすると、友人の両親がなくなった話をし始めるのだが、どうもその少年の話が奇妙で…。

石田衣良「話し石」
録音機器などまだなかった太古の昔から、人間の声を閉じ込めることの出来る話し石という存在は知られていた。話し石を1001個集めるとなんでも願いが叶うと聞いたS氏は、かつて自殺した親友Rの霊を呼び出すのだが…。

鈴木光司「熱帯夜」
それは、本当に些細な行き違いから起きた。
携帯電話などなかった時代、映画館で受けた一本の電話がすべてを狂わせた。そこに自分がいるなど誰も知らないはずなのに掛かってきた、そしてすぐに切られた電話。誰が何のために私なんかに電話をしてきたの…。

吉来駿作「嘘をついた」
君も死んだら僕も死ぬ。
そう誓った相手が首を吊って死んだ。
友人のチリと一緒に、死んだ裕子の写真を取ろうと、首吊り現場である林の中でカメラを構えている。約束を破った僕のことを起怒って裕子が出てくるから、と…。

小路幸也「最後から二番目の恋」
あなたの思いでを私にくれる代わりに、あなたに人生をやり直すチャンスをあげましょう。
同い年の母親が死んでしまう。昔からずっと仲良しだったのに、いなくなってしまう。小学生の頃に出会ってからずっと、ずっと一緒だった…。

恒川光太郎「夕闇地蔵」
地蔵助と呼ばれた少年。地蔵介には世界はよく見えていない。冬次郎という友人。冬次郎の妹が死んで、冬次郎はおかしくなってしまった。
村のはずれには、冥穴堂という黄泉に通ずる穴がある。

というような感じです。
僕の印象では、本作では道尾秀介の独り勝ちだったなぁという感じです。相変わらず道尾秀介はうまい。文章が上手いと思います。
ここで僕が言う「文章が上手い」というのは、「文学的表現に優れている」とかそういう意味ではありません。「無駄がなく読みやすい」という意味です。道尾秀介は本当に、読みやすくて無駄のない文章を書きます。文章を読んでいる、という気にさせないくらい、文章が邪魔をしないんですね。デビュー作の「背の目」を読んだ時はここまでの作家になるとはまったく思わなかったけど、新刊を出す度に進化していく作家だなと思います。ここに載っている短編は、まだデビューして間もない頃のものだと思うけど、よく出来ているし、他の作家の作品と比べてずば抜けていい、と僕は思います。今は、「向日葵の咲かない夏」がバカ売れしてますからね。まさかあんなトリッキーな本がこんな売れる本に化けるとは思いませんでした。
有栖川有栖の「幻の娘」と吉来駿作の「嘘をついた」が次点という感じでしょうか。有栖川有栖の方は、まあよくある話という感じではあるけど、うまくまとまっていると思います。吉来駿作は、本作に連なっている作家の中で唯一まったく聞き覚えのない作家だけど、ストーリーは面白いと思いました。特に、オッサンがなかなかいい味を出していました。このストーリーについては、読んでいる途中で、まさかこういうことか!と思ったことがありましたが違いました。ネタバレになってしまうかもしれないけど、「男の体を手に入れるために死んだ」のではないか、と想像してしまったんですね(読んだ人ならこの意味は分かってもらえるはず)。もしそうだったらなかなか衝撃の作品だったかもしれないけど、その場合リアリティを持たせるのが大変かもです。
石田衣良の「話し石」は、設定は結構好きなんだけど、全体としてはちょっとなぁという感じでした。もうひと捻り欲しい、というところ。鈴木光司の「熱帯夜」も悪くはないけど、やっぱりもうひと捻り欲しいかもというところ。
小路幸也の「最後から二番目の恋」はちょっと期待したんだけど、僕にはどんな話なのかよく分からないまま終わりました。結局どんなオチなんですか?恒川光太郎の作品は、ちょっと何とも言えないですね。恒川光太郎ワールドっていう雰囲気は出ていましたけど、作品としてちょっと…という感じ。
というわけで、道尾秀介が圧勝という結果です。全体的にまあまあのレベルの作品が多くて、しかも読みやすいと思います。機会があれば読んでみてください。

有栖川有栖他6名「七つの死者の囁き」




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尾道坂道書店事件簿(児玉憲宗)

本書は、尾道を中心に広島県に二十店舗以上を展開する啓文社という書店グループで働く書店員が、WEB本の雑誌というサイトで連載を続けていたものが書籍化したものです。
著者の児玉さんは、現在は本部でチェーンの一括仕入れ窓口を担当している。書店の現場にいない書店員なのだ。基本的に書店というのは、各店の担当者が発注や返品の権限を持っている。僕も、文庫と新書に関しては、すべて発注するものを決め、返品するものを決めている。しかし、モノによってはチェーン全体分をとりあえず本部で発注し、そこから各点に分けるというやり方が必要となるものがある。なかなか各店では確保できないベストセラーやある店舗での売上はいいが他では注目されていないという本がそれに当たる。そういうものをデータを見ながら情報を得、チェーンの一括仕入れをしているのだ。
児玉さんは新入社員として入社後、60坪の書店からスタートし、突如500坪の出店を任され、それ以降様々な場所で馬車馬のように働いた。職人と呼ぶに相応しい、昔堅気の先輩社員に揉まれながら成長していった。
しかしある時病魔が襲う。脊髄の中に悪性のリンパ腫瘍が見つかり、それを取り除く手術をした後、下半身麻痺となった。その後何度か再発するも、懸命なリハビリを繰り返し、また啓文社の社長の好意もあり(著者のために本社をバリアフリーに改築したらし)、元の職場に復帰することが出来たのだ。
そんな波乱万丈な書店人生を送る著者が、新人時代から病魔との闘い、あるいは日々の書店の出来事などを綴った作品です。
良いという評判を聞いていたので、読んでみることにしました。やっぱり本屋で働いている身としては、冒頭で書いたように特にこれと言って出来ることのない僕とは雲泥の差がある人ではありますが、親近感を持って読むことが出来ました。
本書を読んだ一番の感想は、「羨ましいなぁ」ということでした。こんな店で働きたいと思えるようなところでした。本書で書かれていましたが、数社の文芸出版社に聞いたところ、文芸書の売上の2割が東京都の書店からなんだそうです。残りの8割が東京都以外の県での売り上げということになります。出版社のほとんどが東京に集中しているためこういうようなことになるんだろうけど、即ち地方の書店というのは売上的にかなり厳しいのだ。しかも本書を読む限りこの啓文社という書店グループは、他の店舗と張り合うようにして競っているし、また皆職人のような人ばかりだ。そんな人たちの中で働くのは恐らくメチャクチャ大変だろうと思う。
それでも、いい本屋だなぁと思うし、働きたいなぁと思わせる本屋でした。
啓文社の社長が繰り返し言う言葉に、「合理主義者は祭りをなくす」というのがあるそうです。祭りというのは費用がかかるばっかりで効率が悪いけど、それでも祭りは決してなくさない、というモットーが啓文社にはあるようです。だから、スタッフ全員が浴衣を着て接客をする日があったり、クリスマスにサンタクロースに扮した書店員が各家庭を訪問するなんてこともやっているみたいです。確かに、それ自体によって売上が伸びるとは思いませんが、しかしそういうことを頑張ってやり続けているというのはすごいと思うし、面白そうな会社だなと思います。ネットカフェや古本屋なんかにも手を出しているようで、業種もなかなか幅広いです。もちろん、そこで働くのは大変そうだし、面接も僕は通るとは思えないんですけどね(面接についての話も本書にあります)。あと、下半身麻痺になった著者をまた雇う、しかも本社をバリアフリーに改築するなんていう社長には惚れますね。
やっぱり、上にいる人間がやる気があって下にいる人間を引っ張っていく、上にいる人間がまず率先して動く、というのが大事だなということを思いました。爪の垢を煎じて飲ませたいなぁなんて思ったり。
本書では、書店の話から離れた、著者が病気になり、リハビリをしたりするような部分にも結構ページが割かれています。こちらもなかなか面白いです。面白いなんて言っていいのか分かりませんが、悲壮感はなさそうだし(足が動かないのは、身長が低いのと対して変わらない、というのが全然強がりに聞こえません)、実際生活する上で苦労は多々あるんだろうけど、それでも前向きに生きています。
また何よりも、奥さんが凄いなと思いました。再発し隔離病棟に入った著者を毎日見舞っていたみたいだし(片道二時間半掛かるところにあったらしいです)、家をバリアフリーに改築しなくてはいけないから、元々住んでいた家を売ったり、著者の生活をサポートするために書店員の仕事を辞めたり(著者のひいき目もあるだろうけど、著者よりさらに有能な書店員だったと著者は書いています)と、素晴らしい献身っぷりです。まあ僕が同じことをされたら、ちょっと重いなぁって感じ何ですけど(笑)、いい夫婦だなと思いました。
内容については多岐にわたるので読んでみてください。以下、読んでいて気になった部分について抜き出しながらあれこれ書いてみようと思います。

著者が新人時代に働いていた店舗の店長が職人のような人だったみたいで、出版社の営業にも厳しかったようです。案内に来た新刊について質問を浴びせかけ、答えられないと出直してこいと言って追い返したとか。こういう書店員って、まだいるんでしょうか。どこかにはいるんでしょうね。きっとそういう方が出版社の営業マンも鍛えられるんだろうけど、なかなかそんなこと出来ないようなぁとか思います。

啓文社が女性客の多いファションビルの7階に出店した時のこと。著者が店長に任命され、「女性客メイン」の品揃えにしたようだけど、その売上比率がすごい。
週刊誌は駅前で売れてしまうので全然売れない。ビジネス雑誌もクルマ雑誌も全然売れない。女性誌だけの売上比率が15パーセントで、それよりも何よりもコミックが全体の35パーセントを占めていたとか。
これはすごい数字です。ウチの場合、雑誌が大体30パーセント強くらい、文庫とコミックが共に大体15パーセントくらいという感じ。かつてウチの店を立て直しにきてくれた人は、ウチならコミックは25パーセント行ってもおかしくない、と言っていたけど、それにしても35パーセントという数字は尋常じゃない。そういえばちょっと前に、三省堂書店有楽町店のある人と話す機会があって、その店では売り上げ比率の最も高いジャンルが文庫なんだそうだ。雑誌よりも文庫の売上の方が高いってどんな店だよとか思うけど、やはり書店によって売上構成比というのはいろいろ違うものなんだなぁと思った次第。

本書には、本一冊売ると書店にいくら入ってくるかという数字が載っている。
『500円の文庫本を1冊買ってもらうとおよそ100円の儲け』と書いてあるので、書店の取り分は大体20パーセントなんだろう。今までこの数字はあんまり知らなかったので、へぇと思った。僕の知り合いには、某大手出版社で働いている人間がいて、そいつによれば出版社の取り分は70パーセントらしい。残りの10パーセントをきっと取次が取っていくのだろうな、と思う。

啓文社は、今ではどうかしらないけど同人誌を扱っていたことがあるらしい。メジャーデビューしていなかったCLAMPなんかの同人誌を置くようになると、全国からお客さんがやってくるようになったらしい。ウチの置いたら売れるんじゃないかなぁ、同人誌。

「日本一短い感想文」コンクールというのを主催しているらしい。30字以内で感想を書くというルールだ。その発想が、帯にコメントとして付けたかったというのは単純だけどなかなか思いつかないかも。

前どこかで、新刊点数が増えているという話を書いたけど、その具体的な数字が載ってた。
1960年に一年間で11000点だった新刊が、75年には倍になり、83年には3倍になり、93年には4倍になり、2000年には6倍以上になった。もちろんそのすべてが書店に入ってくるわけではないが、50年前とくらべて新刊が6倍以上になった割に新刊がどんどん売れなくなっているというのが、本当に出版業界全体の危うさを表しているなと思う。

啓文社の1号店を閉店することになったのだけど、その時お客さんの一人が言った言葉。
「欲しい本が何でも揃っていたから便利で良かったのに」
啓文社の店舗は近くの駅前にもあるが(しかもそちらの店舗の方が遥かに大きい)、そのお客さんはその駅前の店舗には欲しい本はなかったという。1号店のスタッフは、来てくれるお客さん一人一人の顔を浮かべながら品揃えをしていたわけで、何でも揃っていたのも当然だったのだ。書店の大型化によって、こういう本屋が存在しにくくなってしまった、ということを嘆いています。

尾道出身の小林和作という画家のエピソードが面白い。

書店が出版社や取次に対してイニシアテブを取れる点として著者は二つ挙げている。
「どこにどのように置くか」
「何をどれだけ返品するか」
確かに僕も、担当者の仕事というのは突き詰めて考えればこの二点だけだと日々思っているので、同じ考えでちょっと嬉しい。まあ当り前のことなんだけど。

POPの文章はどうあるべきか、という文章がある。僕はPOPを作ってもらう際、文章だけは自分で考えるんだけど、どうもしっくり来ないものが多い。どういうシチュエーションで読んで欲しいか、その本があなたにとってどういう一冊になるのかというような、本の内容以外の部分でアピールできるような文章がいいかもしれない、と考えるんだけど、そううまく文章が出てくるかどうか難しいところ。

これは結構驚いたのだけど、
『返品業務には人件費もかかるし、首都圏にはないが、地方では返品運賃も書店が負担している』
と言う文章がある。僕が驚いたポイントは、首都圏の書店には返品運賃がない、という点だ。本当かな?僕のいる店は首都圏の本屋だと思うけど、返品運賃を負担してないのかなぁ。勝手に払ってると思ってたんだけど、どうなんだろう。

まあそんなわけで、都会の本やではなく、地方ならではの書店運営についていろいろと面白いことを知ることのできる本です。書店員はもちろん、本屋が好きだという人は読んでみたら面白いかもしれません。

児玉憲宗「尾道坂道書店事件簿」




ブラ・バロック(結城充考)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、今年の日本ミステリー文学大賞を受賞した新人の作品で、恐らくこれから大いに話題になっていくのではないか、と思われる作品です。
舞台は、京浜工業地帯。神奈川県警機動捜査隊に所属する女刑事・クロハは、喉を切り裂くという残忍な殺人事件の捜査中、別件で埋立地の冷凍コンテナに行かされることになった。事情があってコンテナを開けるんで、立ち会って欲しいということらしい。女だからという理由でこういう扱いをされる。機動捜査隊を希望したのは、捜査の本質を知るためなのに。
しかしそこでクロハは、予想もしなかった事態に遭遇する。冷凍コンテナから、14体の凍死体が発見されたのだ。
ドアノブから死んだ人間すべての指紋が検出され、また睡眠薬を服用していることから集団自殺と判断されたが、事態の解明のために捜査は続けられる。クロハは、上司の嫌がらせに遭い、捜査から外されるが、それに反発してあちこち首を突っ込むことになる。
後から見つかった遺書。クロハが逃げ込む仮想空間。アレルギーを抱える息子を持つ姉。ハラやサトウといった同僚。振り続く雨。頻発する殺人事件。謎の男との遭遇。増える死体…。
というような作品です。
新人の作品とは思えない出来で、これはなかなかレベルが高い、と思いました。著者はかつて、電撃大賞の銀賞とかを受賞しているようで、本作がデビュー作というわけではないようですが、それにしても新人でここまで書けるというのは素晴らしいと思います。
本作の一番の特徴は文体でしょうか。恐らく僕の予想では、この文体を受け付けないという人はいるだろうなと思います。全体的に感情が隠れていて無機質さを感じさせる文体で、非常に冷たい。苦手だと感じる人はいることでしょう。でも僕はこういう感じは好きでした。森博嗣の「スカイ・クロラ」ともちょっと違う感じではあるんですけど、イメージとしては近いです。「スカイ・クロラ」が完全な無関心によって無機質さを演出しているのに対して、本書では無機質さの中にキリっとしたトゲトゲしたものを感じます。もの凄く冷たい雨に打たれているような文体で、作品全体の雰囲気ともものすごく合っているんで、いいと思いました。この著者がこれから成功できるかどうかは、作品に合わせて文体を変えられるかどうか、に掛かっているかもしれません。あるいは文体を変えられないのなら、自分の文体に合ったストーリーを生み出せるかどうかに。本作では、作品の雰囲気と文体が非常に合っていたので、全体としていい効果を生んでいたと思います。
ストーリーもなかなか斬新じゃないかなと思います。本作は、括りとしては警察小説となると思うけど、普通警察小説って大きな事件を扱うじゃないですか。連続殺人とか誘拐とか。でも本作では集団自殺というのがストーリーの入口なんです。規模は確かに小さくはないかもしれないけど、それで警察小説を書くには厳しいんじゃないかなと思えるような題材で、それを新人がやるっていうんだから度胸があります。
そんな、警察小説で描くにはちょっと地味ではないかと思える集団自殺を扱った作品なんだけど、これが面白い風に展開していくんです。自殺だということはすぐ判明するんだけど、そこからどうやって物語を展開させていくんだろうと僕は思っていました。しかし、巧いですね。遺体の身元を割り出せば終わりだろうと高を括っていた面々(もちろん読者も)を驚かせるような事実が次々出てくるんです。構成が巧いと思いました。これだけ地味な題材で、ここまで物語を転がすことが出来るというのは、著者の力量だろうなと感じました。
しかも本作は、さっきも書いたように文体が非常に冷たくて落ち着いているんです。そうすると、まったく一切の予感がない状態でびっくりするような出来事が起こったりするんです。普通小説って、こうなるんじゃないか、あぁだったらどうしよう、みたいなことを読者に思わせて、で裏切られたぁ、そうくるかぁ、って思わせるんじゃないかって思うんだけど(特にミステリーでは)、本作はその「あぁだったらどうしよう」みたいなことを考える部分が全然ないんです。だから、自分の思っていたこととの落差に驚くみたいな風ではなくて、予想もしない方向から車が突っ込んできたみたいに、突然事態が進展するんです。これは、口で言うほど簡単ではないと思うんですね。だって、読者に何か予想をさせるのであれば、それを裏切れば読者を驚かせることが出来るけど(まあもちろんそれも難しいんだろうけど)、本作ではどうなるのかまったく先を読ませない(トリックがどうとかっていう点ではなく、ストーリーの展開がどんな風になっていくのかというのがイメージ出来ないと思う)状態で驚かせるわけで、一番難しい点は、「あぁだったらどうしよう」なんて言う風に思わせないで、でも早く先を読みたいと思わせること。本作ではここが出来ているんですね。
その最も重要な要素が、クロハという女刑事の存在だと思います。本作は、読者にストーリー以外の部分に意識を向けている間にストーリーの方で大きな展開を持たせるというような、何となくマジシャンがやっているようなテクニックでページをめくらせているような気がするんだけど、そのストーリー以外の部分で読者に意識を向けさせるのが、クロハではないかなと思います。上司とぶつかったり、同僚との関係性だったり、クロハ自身の過去だったり、姉との関わりだったり、謎の男との邂逅だったり、仮想空間での出来事だったりと、クロハの存在が非常に目立つんです。感情を抑えた冷たい文体の癖に、妙にクロハが気になる。そういう風に描いているんだろうけど、このクロハの存在が読者の目くらましになってストーリーへの注意を削がせ、その隙にびっくりするような展開を持ってきているんだろうなと言う気がしました。
帯には、選考委員の言葉が載っているんだけど、有栖川有栖の「今書かれ、今読まれるべき新感覚のミステリー」というのは確かにその通りだなと思います。例えば本作が10年前に出たとしたら、ちょっと受け入れられないんじゃないかって思います。わかりませんけど、まさに「今」だからこそ通用する雰囲気や背景を持っている作品だなと思います。
また、田中芳樹の「この作家でなければ書き得ない境地を獲得している」というのも、ちょっと大げさだけど分かる気はします。文体や作品全体の雰囲気に、著者自身の個性が滲み出ていて、こういう新人はそう多くはないと思います。これからうまくすれば、かなりメジャーな作家になっていくかもしれないなぁと思わせる萌芽があります。
新人賞受賞作というのは、正直外れが多いというのが僕の印象ですが、本作はかなり当たりだと思います。本作の文体が受け入れられないという人はまず間違いなくいると思うので、買う前に10ページくらい立ち読みすることをオススメしますが、文体が受け入れられるようなら是非読んでみてください。警察小説にしては地味な題材を、非常にうまく扱って面白い物語に仕立てています。全体の雰囲気も特徴的で、作家の個性が出ています。このクロハって女刑事はシリーズになりそうな予感もしますが、シリーズにならなくても、二作目以降ちょっと気にしてみようと思います。装丁も結構かっこいい(カバーだけでなく、本体そのものにも印刷があって、新人の作品への装丁としては結構気合いが入ってると思う)ので、是非手に取ってみてください。たぶんこれから話題になる作品だと思うんだけどなぁ。

追記)amazonを見たら、動画が貼ってありました。大した内容じゃないけど、出版社が力入れてるんだなぁというのが伝わってきます。

結城充孝「ブラ・バロック」





聖☆おにいさん3巻(中村光)

とりとめのない話になりましたが、そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、普段全然マンガを読まない僕が珍しく読むことにしているマンガです。普段僕は「名探偵コナン」だけ買い続けていて、あとマンガはほとんど読みません。マンガは完結してからじゃないと読めないし、完結するまで待つと凄く長いんでなかなか読めないんです。本作のように、一話完結みたいな話だといいんですけどね。
本作は、1巻が出た時から大いに話題になり、「このマンガがすごい」みたいなランキング本でも常に上位を維持し、一時書店の売り場を席巻した大人気マンガの最新刊です。
今回もなかなか面白かったです。というか、これだけダユい(ダラダラしててユルいという意味の今僕が勝手に作った言葉)作品だと、どんな話でも面白いんじゃないかと思えてしまいますけどね。
一応大体の設定を書いておくと、天界の住人であるブッダとイエスが、下界に休暇で訪れて、立川で二人で住んでいる、という話です。確かそんな設定だったと思う。
今回は、普段の日常的な話に加えて、ちょっと遠出の旅の話もあります。
日常的な話は、相変わらずスケールが低いです。部屋が暑いからファミレスに行くとか、滅茶苦茶安い物件があったから引っ越そうかと考えるとか、小学校の運動会に出るとか、寒い日の大掃除とか、お金がないからバイトでもしようかみたいな話です。そんなありきたりの話なんだけど、ブッダとイエスがそれぞれ昔の経験からいろんなことを判断したり言ったりやったりするんで面白いですね。住んでるアパートの大家さんに、かつて自分が生まれた家みたいに素晴らしいアパートだって伝えようとしてイエスが言ったのが、「馬小屋みたいで」って言葉で、大家さんを怒らせちゃうとか、そんなやりとりがそこかしこで続けられるんです。よくもブッダとイエスの細かな情報を使って、こういう面白い話を描けるものだなと思います。
旅行の話は伊豆です。こっちも、旅行らしい話というか、日常のやり取りの延長みたいな話ばっかりですけど、やっぱり面白いです。
マンガの感想って何を書いたらいいかよく分からないからどうも「面白い」としか言えないんだけど、やっぱり話題のマンガだけあって面白いなと思います。僕としては、他のコミックより明らかに薄い(ページ数が少ない)と言うのが気になるところなんだけど(いい商売してるなぁって感じなのかな)、まあ面白ければいいでしょう。1、2巻の内容は既に忘れたけど、こういう一話完結のマンガだと読み返さなくてもいいので好きです。続きが楽しみです。

中村光「聖☆おにいさん3巻」






どがでもバンドやらいでか!(丁田政二郎)

さて今日は二つ感想を書く予定です。まず一つ目。
今回は、売れる本の条件みたいな話をしてみようかなと思います。大層なことは書けませんが。
ちょっと前に、本の雑誌社の杉江さんのブログ「炎の営業日誌」で、『本好きの人が良いっていう本ほど売れない』という話がありました。また、『本好きが読んだら欠点が目につく作品が読みやすくてベストセラーになっている』ともあります。
これは僕も実感としては非常によくあります。僕も二年ぐらい前からずっと同じことを思っていました。昔は僕は、自分が推したい本を売場に結構たくさん置いていたんですけど、そういう本は(僕の売り方の問題もあるんだろうけど)なかなか売れない。で、僕が読んで「これは大したことないなぁ」「どこが面白いんだろう」と思うような作品が世間的にベストセラーになって、売場に置いておくとバンバン売れていく、なんてことになるわけです。
世間的に大ベストセラーになっていった本(ちょっと前だと「モルヒネ」や「行きずりの街」など)を、こういう本が売れるんだなという分析のためになるべく読むようにしているんだけど、面白くないものが多いし、何で売れるんだかさっぱり理解できない。
それでもそういう本が実際にベストセラーになっていくわけで、つまり最近では『僕が読んで面白くないと思った本ほど売れる可能性がある』という無茶苦茶な考えに傾きつつあります。もっと正確に言えば、『ストーリーやキャラクターや構成は大したことはないんだけど、文章が読みやすい作品なら売れる可能性がある』ということだろうと思います。
しかしこれは正直難しいですね。僕としてはやっぱり売上を上げたいというのがあるので、きっちりと売れる本を揃えておきたい。でも最近の傾向だと、売れる本というのは本好きからすると大したことのないつまらない作品であることの方が多い。そうなると、売上のためにはそういう作品を置かざるおえないけど、そういう本ばっかり並べておくと今度は本好きの人が店から離れて行ってしまう、ということにもなりかねません。もちろん僕としてはバランスを取って、本好きの人にも楽しんでもらえる本を置くようにしていますけど、売れる本と面白い本というのがここまでかみ合わなくなってくると、売場作りが難しいなぁという気がします。
そういえばどこかで読んだ話ですが、「週刊ブックレビュー」という番組と「王様のブランチ」の違いがこういうところにあるんじゃないかという話です。「週刊ブックレビュー」の司会の女の人(名前は知らない)は結構本を読む人らしいんだけど、その人が紹介しても本はそこまで売れない。でも、「王様のブランチ」で優香が紹介すると売れる売れる。「優香の一泣き10万部」とも言われているそうで、「優香でも読めるんなら私でも大丈夫かも」と思わせるのではないか、と僕が読んだ文章には書いてありました。
いずれにしても、最近の人は読む力が失われているんだろうという気はするんです。ちょっと前も書きましたが、昔僕は当時18歳ぐらいだった女性に、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を貸したことがあるんですね。そしたら、「難しくて読めない」って言われたんですね。「過去と未来に行ったり来たりして難しい」なんだそうです。正直唖然としましたね。最近の子はそこまで文章が読めないものか、と。そりゃあ携帯小説とか読むしかないわなぁと思いました。
最近は、売れる本は滅茶苦茶売れるけど売れない本は全然、という売上格差時代になっています。それ自体も問題ですが、より問題なのは、どんな本なら売れるのかというのが昔以上に(恐らく僕が本屋で働く前と比べたらもっとでしょうが)わからなくなってきているということです。それは確かにやりがいがあるし面白い点でもあるのだけど、でも自分が良いと思った本があまり売れないというのでは微妙だなという感じはします。なかなか難しいものです。
そろそろ内容に入ろうと思います。
今回、またゲラをいただきまして、新人賞を受賞した作品だそうです。ちょっと調べたところ、この著者は俳優みたいなこともやっているみたいです。
舞台は1986年(という表記はないんだけど、チャレンジャー号が爆発したと年という表記があったんで調べてみました)の鳥取。高校生である宮田は、ロックにはまってギターをやり始めたのだけど、カシオペアというインストゥルメンタルバンド(ボーカルのいないバンド)に出会って大いにはまり、高校の文化祭である天神祭でバンドを組んで出ると決める。
しかし、元々組もうと思っていた相手に裏切られ、宮田はそいつのことを罵りながらも、新たにメンバー探しを開始することになった。
いろんなきっかけで集まってきたメンバーと共に、念願だったカシオペアをやれる。初めは全然うまくいかなかったけど、練習していく内にバンドらしくなっていった。 受験を控えながらも、天神祭という一瞬にひと夏すべてを掛ける宮田と、そんな宮田と共に一緒にバンドをやっていく個性的な面々の物語です。
基本的には最初から最後までバンドの話です。僕は読んだことはないんだけど、「青春デンデケデケデケ」って作品に近いものがあるんじゃないかなと思います。田舎でバンドをやろう、っていう設定が同じです。
正直読み始めはきつかったです。文章が、携帯小説みたいとは言わないけど(携帯小説なんかよりははるかにしっかりした文章だけど)、そっちよりの軽さの作品で、地の文が喋ってるような感じで進んでいくんですね。さっき僕が書いた理屈で言えば、読みやすいという理由で売れる要素になるかもしれないんだけど、読み始めはこの文章に慣れるのがきつかったですね。軽すぎて、もちろんスラスラ読めるんだけど、ちょっとどうなのかなぁという感じ。段々と慣れてはきたし、作品の雰囲気とも合ってるような気はしてくるんだけど、やっぱり僕としてはもう少し、勢いだけで書いたような文章ではなくて、軽さはあってもしっかりしている文章がよかったなぁという気はします。
ストーリーは平凡ですけど、まあなかなか面白いと思います。宮田がバンド探しに必死になっている理由、思っていたのとは違った形で集まったメンバー、うまくいかない練習、次第にまとまっていく連帯感、そして本番…というような、まあ王道でしょうね。起伏はないですけど、そこそこ面白く読めると思います。秋津のキャラがなかなかいいんじゃないかなと思います。
個人的には、本筋とはほとんど関係ないんだけど、宮田が片思いをしている館野っていう同級生とのくだりは結構好きでした。正直なところ館野に対する宮田の態度が全然高校生っぽい感じがしないんだけど(どこがどうっていえないけど、高校生男子ってそんなに大人かなぁという感じがしてしまう。まあそういうものかもしれないけど)、館野って女の子がなかなかいいキャラしてるんでいいなと思いました。
後本作の特徴と言うと、方言ですね。鳥取弁なのか、他に別に名前があるのか知らないけど、方言丸出しの会話です。僕はこれは結構好きですね。語尾に「だらぁ」ってつくのは、確か僕の地元もそんな感じだったので(僕は静岡出身です)懐かしい感じもしました。
冒頭で書いた話を踏まえると、本作は、本好きを満足させるレベルには届かないかもしれないけど、本をそこまで読まない人なら面白く読むかもしれない、とそんな感じの本だなと思いました。機会があったら読んでみてください。

丁田政二郎「どがでもバンドやらいでか!」




サイエンス・インポッシブル(ミチオ・カク)

今日の話は、立ち読みのマナーについてです。
本屋で立ち読みをすることは、まあ僕は別に全然構わないと思っています。森博嗣は、携帯の写真機能で本の内容を撮影することが万引きの一種であるように、立ち読みさえも万引きの一種と見ていいのではないか、ということを昔どこかで書いていたような気がするけど、まあそれでも、立ち読みしないで本を買わせるというのは酷というものでしょう。
でも、最低限のマナーはやっぱり守ってほしいと思うんです。ありえないと思うのは、その本が商品だという意識がまったくないお客さんですね。昔立ち読みをしているお客さんで、ページをめくるのに指をなめている人がいました。二回目撃して、後一回やったら注意しようと思っていたけどそれ以降しなかったみたいなので注意はしなかったんだけど、それはお前の本じゃないぞ、と言いたくなりました。
また本がベロベロになってしまうような読み方をしている人や(片手で本を持って読んでいるとそうなることが多い)、カバーと本体がきちんとなっていない状態で棚に戻したりとか、本に挟まっているスリップが売場に落ちているのにそのまま戻すとか、そういうのをよく見つけます。
また本の読み方の話じゃないけど、自分の荷物を本の上に置いて立ち読みをしている人もかなり見かけます。何で商品の上に荷物を置くんだよ、と思います。床に置くか手に持つかしてくれ、と思うし、これはよく注意するようにしています。
もっと酷い人になると、雨の日でもそれをやります。その荷物濡れてますよね?そんな荷物本の上に置いたら本が濡れちゃいますよね?それぐらいのことがわからないんです。もっと酷いと、傘袋に入っているとは言え、濡れた傘を本の上に置いたりします。どうしたらそんなことが出来るんでしょう?
あとは、読んだ本を元の場所に戻さないというのが結構ムカツキます。もちろん、状況によっては仕方ない場合もあります。雑誌売り場なんかでは立ち読みのお客さんがズラリと並んでいたりするので、手に取った雑誌を元の場所に戻すのに人をかき分けていかなくてはいけない状況というのもあるでしょう。そういう場合はまあ仕方ないとは思います。でも、明らかにそうではないケースがたくさんあります。一番やられたくないのが、ある平積みされた本の一番上に別の本を置かれてしまうことです。これをやられると、お客さんもスタッフも本を探せなくなってしまうんです。これも雑誌売り場でよくあります。お客さんが売場で見つけられないと言って問い合わせを受けた雑誌が、別の雑誌の下になっているんです。勘弁してくれ、と思います。
もちろん、売場の整理をするというのも本屋の大事な仕事だと思います。でもそれは、マナーの悪いお客さんの存在を許容するような言い訳にはならないと思います。立ち読みはもちろんお客さんの自由だし、いくらでもというわけにはいかないかもしれないけど、十分時間を掛けて吟味してもらえばいいと思っています。ただ是非とも節度を持って立ち読みをしてもらいたいものだなと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、ひも理論の権威であり、物理に詳しくない一般の人々に分かりやすく物理を伝える著作を何作も書いているミチオ・カク氏が、SFの世界でよく使われる『不可能に思えるテクノロジー』について、現代物理学の観点から実現可能かどうかについて真剣に考える理系雑学本です。
本書では、不可能レベルをⅠからⅢまで設定しています。不可能レベルⅠは、現時点では不可能だが、既知の物理法則には反していないテクノロジーで、今世紀か来世紀辺りには実現するのではないか、と思えるもの。不可能レベルⅡは、物理的世界に対するわれわれの理解の辺縁にかろうじて位置するようなテクノロジーで、もし実現するとしても数千年から数百万年も先の話になるだろうというもの。そして不可能レベルⅢは既知の物理法則に反するため、少なくとも現在分かっている物理学の範囲内では永遠に不可能と判断するしかないものである。
とりあえず以下で、それぞれの不可能レベルにおいてどんな話題が扱われるかを列挙しようと思います。

不可能レベルⅠ
・フォース・フィールド(スタートレックに出てくるバリアみたいなもの)
・不可視化
・デススター(スター・ウォーズに出てくる惑星を破壊できるビーム兵器)
・テレポーテーション
・テレパシー
・念力
・ロボット
・地球外生命体とUFO
・スターシップ(惑星間移動の出来る宇宙船)
・反物質と反宇宙

不可能レベルⅡ
・光より速く移動する
・タイムトラベル
・並行宇宙

不可能レベルⅢ
・永久機関
・予知能力

不可能レベルⅢに分類されるものが非常に少ないというのがいいですね。もちろん、不可能レベルⅠ・Ⅱで扱われているものについても、今すぐどうこうという話にはならないわけだけど、それでももしかしたらいつか実現するかもしれない、少なくともそれを妨げる物理法則は今のところ見つかっていないというのはなかなか面白いなと思います。
本作に書かれていた内容の多くは、僕がつい最近読んだ「宇宙を織りなすもの」という作品で書かれていたこととかなり重複したんですが、「宇宙を織りなすもの」では物理法則が概念的な部分について詳しく書いていたのに対して、本作ではあるテクノロジーを実現するためにはどういうアプローチが可能かという工学的な視点もかなり組み込まれているので、また別の読み方が出来て面白いと思いました。
それぞれの項目ごとに該当する物理法則を説明しています。正直なところこういう構成は、ある程度現代物理学について知識を必要とするかもしれません。「宇宙を織りなすもの」のように、一つ一つ積み重ねていくようにしていく構成なら、物理の知識のない人でも十分についていけると思うんだけど、本作は項目ごとに物理法則が説明されるので、おそらくその説明の部分についていけないという人はいるのではないかなと思います。特に量子論や一般性相対性理論が関わる項目では、説明不足だなという印象を受けました。ロボットやテレパシー、あるいは地球外生命体のように、難しい物理法則の説明のない項目もあるので、一概に物理初心者には向かないとは言えませんが、ちょっと苦労するかもしれません。ただ、物理の説明の部分が分からなくても、それぞれの項目についてこれまでどんな歴史があったのか、というようなことも描かれるので、読み物としては十分に面白い作品だと思います。
本作で僕にとって最も興味深かったのは「不可視化」についてです。これは要するに「透明マント」みたいなもので、自分の姿を隠すことが出来るものです。これまでの光学理論では、不可視化というのは理論上ありえなかったわけだけど、「メタマテリアル」と呼ばれる物質(一種類の物質の名前ではなく、屈折率が負であるような物質全般の総称)が開発されるようになり、一気に現実味を帯びてきたようです。このメタマテリアルの登場によって、光学の教科書は書き換えを余儀なくされるとか。それぐらいこのメタマテリアルというのは衝撃的な発見だったようです。
技術的な問題についてはまだまだ山ほどあるようですが、少なくとも理論上は既に不可視化は不可能ではありません。というか、既に非常に小さなスケールでは、不可視化の実験も成功しているようです。これからは、それをいかにマクロなスケールで実現するかという技術的な問題を克服する段階で、もしかしたら僕らが生きている間に透明マントが開発されたりしちゃうかもしれません。
テレポーテーションやタイムマシンのように、量子論や一般性相対性理論と言った現代物理学の知識をふんだんに使った項目はやっぱり僕的には面白いんですけど、テレパシーや地球外生命体などちょっと怪しげな分野の話はそこまで興味が持てなかったです。まあでも逆に考えれば、これだけたくさん項目があるんだから、自分が興味の持てるものはきっといくつかあることでしょう。SFを扱った作品が好きという方には、なかなか面白い読み物なんではないかなと思います。またSFに興味がなくても、ありえないと思っていたことが実現可能かもしれないと思えるのはちょっと面白いんじゃないでしょうか?物理の本としてはちょっとという感じでしたが(前に読んだ「パラレルワールド」という作品の方が数倍も面白かったですが)、雑学的な読み物としてはなかなか面白いんじゃないかなと思います。機会があれば読んでみてください。

ミチオ・カク「サイエンス・インポッシブル」




猫を抱いて象と泳ぐ(小川洋子)

そこまで時間があるわけではないので、今日も本屋の話は少しだけ。
今日は、本には大抵ついている帯について書いてみようかなと思います。
本屋に並んでいる本には、大抵帯がついています。前にも書きましたが、書店によっては棚に入れる際に帯を取るというところもあると思うし、また新刊や話題作以外の本にはついていないことも多かったりするので常にあるわけではありませんが、やはり本と帯というのはなかなか切り離せないだろうなと思います。
以前新潮社を見学に行った際に、新潮社の装丁室で働いている方とお話をさせていただく機会がありました。そこで僕は、やはりデザイン的に考えた場合、帯は邪魔ですか、と聞いたところ、うーんでも帯なしで考えるなんてことは出来ないからねぇ、というような回答でした。ニュアンスとしては、やはりデザインをする立場の人からすると、帯というのはない方がいいんだろうという印象でした。
また森博嗣という作家は常に、本に帯はいらないと言っていました。自分で本屋に行く時は、帯のついているものは買わない、というようなことも書いていたように思います。自身の本を出す際も、編集部に何度も帯をなくしてくれるよう頼んだそうですが、やはりなかなか受け入れられないようですね。中央公論新社から発売された何点かの文庫は帯ナシでしたが。
さて皆さんは本を買う際に、帯の文句なんかを重視するでしょうか?僕は正直なところ、そこまででもないんですね。帯の文句に釣られて買ってはみたものの失敗したという経験が割とあるので、帯はそこまで重視していません。ただまったく目に入れないというわけにはいかないし、自分がまったく知らない作家やジャンルの本の場合多少なりとも参考になったりはするという面はないではありません。
書店員という立場からすると、やはり帯というのは結構必要な存在だなと思います。帯がない状態で売場に平積みしていた時は売れなかったけど、その後出版社の営業の方が帯だけ送ってくれて、それをつけたところ売れるようになった、ということは時々あります。また、映画化やコミック化、続編が出ているよというような情報が効果的に伝わるというのも重要だなと思っています。どんな形であれ、お客さんに手にとってもらえない限り本は売れないので、そのきっかけの一つとして考えるとやはり帯の存在は重要だなと思います。
僕は売場にある本に、お手製の帯をつけたりすることもあります。売場にPOPを乱立させるよりは、POPの代わりに帯をつくって巻いた方がいいんじゃないか、と思ったのがきっかけです(ただ僕の売場は相変わらずPOPが乱立しているんですけど)。以前は、ある本に対して一つの帯を作っていたのだけど、最近では『メチャクチャ売れています』『担当注目』『もしかしてまだ読んでないの?』というようなフレーズを書いた帯を何種類か作ってもらい、それをそれぞれのフレーズに合うと僕が考える本につけたりしています。
帯のフレーズにはいろんなものがあります。編集者が考えたり、有名人や書店員からコメントをもらっているような場合もあります。
ただその中で、僕が一番信用していないフレーズというものがあります。それが、
『著者の最高傑作』
という言葉です。このフレーズは、本当にいろんな本で目にすることになるんですけど、僕なんかはいつも、そんな常に『最高傑作』が書けるわけがないだろ、と思ってしまうんですね。そしてさらにそこから発展して、『最高傑作』ってフレーズはきっと、他に何も書くべき言葉が見当たらない時につかうのだろう、つまり『最高傑作』と帯に書かれている本は作っている人間が駄作だと思っているのではないか、というひねくれた見方をするようになっています。
帯のフレーズにはとにかく大げさな言葉が使われがちです。それで何度も騙された身としては、もう帯の文句なんか信じてなるものか、と思ったりします。出版業界は、もう少し適切でその本に見合った帯のフレーズを心がけるようにした方がいいと僕なんかは思います。
そろそろ内容に入ります。入る前に一つだけ。本書の帯にも、『小川ワールドの最高傑作!』って書かれているんですね。普段ならそんな煽り文句は無視して本も手に取らないんですけど、本書は『来年度の本屋大賞ではないか』と今から言われるほどの傑作だという話をチラリと耳にしたので読んでみることにしました。
主人公は、後にリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになった一人の少年です。アリョーヒンというのは有名なチェスプレーヤーで(まあ僕は知りませんでしたが)、『盤上の詩人』という異名を誇っていたそうです。主人公の少年は、『盤下の詩人』と呼ばれるほどの実力があり、体の小ささも相まってそう呼ばれるようになりました。
少年は、唇から毛が生えていることを除けば、ごくごく普通の少年でした。両親を早くに亡くし、祖父母に育てられた少年は、慎ましくまた孤独を愛する少年に育ちました。
とあるきっかけから少年は、役目を終えたバスに住むおじさんと出会うことになります。そのおじさんこそが少年にチェスを教えた師匠であり、少年は彼のことを生涯マスターと呼ぶことになります。
チェスを指す際、チェス盤の下に潜り込まないと集中できないという特異な性質のために、少年は普通の場所ではチェスを指すことが出来ませんでした。しかしそれで少年が落ち込んだかと言えばそんなことはありません。少年は、様々な境遇を経て奇妙なチェス指しになることを求められ、次第にリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになっていくが…。
というような話です。
さて今回は、『小川ワールドの最高傑作』というフレーズに嘘はないと思える作品でした。確かに、少なくとも僕がこれまで読んできた小川作品の中では1、2を争うほど好きな作品です。僕の中では、「博士の愛した数式」と「密やかな結晶」がお気に入りなんですけど、本書もそのお気に入り作品の仲間入りをしました。
小川作品を「博士の愛した数式」しか読んだことがないという人は恐らく多いのではないかと思うんだけど(本屋大賞を受賞したし、映画化もされたので)、「博士の愛した数式」という作品は小川洋子の作品の中でもかなり得意な作品なんです。普段小川洋子は、ファンタジーというほど現実からかけ離れてはいないけど、現実から少し浮き上がっているような奇妙な舞台を用意し、そこで時に不思議だったり、時に淫靡だったり、時にもの悲しかったりするような奇妙なストーリーを描く作家なんです。本作も、「博士の愛した数式」に似た雰囲気はありますが、全体としてはやはり現実から少し浮き上がった奇妙な話に分類されるだろうなと思います。
小川作品はどれも大抵登場人物が少ないですが、それにも関わらず非常に豊かで情緒のあるストーリー展開を見せるんです。本書でも、主要な登場人物は片手で足りるくらいです。またほとんどの人間が無口という非常に静かな設定の中で、それでも読ませる話を書きます。
大きな大会には一度も出たことがない、その存在を示す証拠はたった一つの棋譜しか残っていないという伝説の存在としてリトル・アリョーヒンを描いた作品で、何故彼は大きな大会には出なかったのか、どんなチェスをしていたのか、そこでどんな出会いがあったのか、彼のチェスはどんな美しい詩を生み出したのか、というような部分がストーリーの本筋になります。本当に小さな少年が、どのようにしてチェスと関わってきたのか、その小さな体でどれほどのものを抱え、またどれほどの感動を秘めていたのか。僕はチェスについてはほとんど知りませんが(将棋のルールを知っているので、何となく駒の動かし方が分かるくらい)、それでもリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになった少年が辿った人生に共感することが出来ます。
チェスについてはよく分かりませんが、将棋なら多少分かります。僕は、将棋が強い人って言うのは本当に羨ましいなって思うんです。将棋が強い人はメチャクチャ頭がいいはずなんです。その高みにまで行かないと見えない世界というのが必ずあって、それを僕みたいな凡人には決して見ることが出来ないというのが残念なんですね。これは、数学とか物理に近いものがあるという気がします。僕は数学も物理も好きですが、しかし能力はさほどないので、高みを見渡すことが出来ません。もしその高みに行くことが出来れば素晴らしい景色が見えることが分かっているのだけど、同時に僕にはどうしてもそれが出来ないことが分かっている。それがもう悲しいですね。
少年は、チェスという世界を通じて、その高みに登りつめ、美しい光景を見ることの出来るそう多くはない人の一人でした。チェスについては分からないものの、僕は少年が羨ましいと思いましたね。僕も、能力があるものにしか感じ取れない世界で美しいものを見たいという気分がますます募っていきました。
また、チェスというものをほとんど知らないものの、いずれにしても勝つか負けるかだろうと思っていたんですけど、そのイメージを覆されました。少年は、盤上に美しい詩を残すこと、もっと具体的に言えば、相手の駒と協力し合って美しい対話を織りなすことこそがチェス指しにとって最も素晴らしいことだと感じています。リトル・アリョーヒンの棋譜はあまりに美しいと評判で、リトル・アリョーヒンの対局を見たことのある人の多くは、それが人生最高の対局だったと語ることになります。そういうことが分かるようなレベルに、どんなジャンルでもいいから行きついてみたいものですね。
リトル・アリョーヒン以外にも魅力的なキャラクターがたくさん出てきます。相棒となった鳩を載せた少女、どんな家具でも完璧に修理してしまう祖父、母が死んだときから一度も手放すことなくボロボロになった布巾を持ち続けている祖母、リトル・アリョーヒンにチェスを教えた太りすぎのおじさん、後々出会うことになる総婦長や長い間ライバルと言っていい存在であった老婆令嬢など、登場する場面はそこまで多くないキャラクターでも、非常に強い印象を残す登場人物がかなりたくさん出てきます。僕が一番好きなのは、やっぱり鳩を載せたミイラでしょうかね。後半の手紙なんか、いいセンスしてるし。
前にも何度か書いたことがあるけど、この作家の作品は作家名を知らずに読んでも分かる、というような作家は何人かいます。伊坂幸太郎・舞城王太郎・古川日出男・村上春樹なんかは分かるでしょう。で、きっと小川洋子の作品も分かると思うんです。それぐらい、小川洋子の作品というのは独特の世界観を保っています。
数学を扱った作品で大ヒットを飛ばした小川洋子が、最新作で扱うのがこれまた一般的にはなじみ深いとは言えないチェス。しかし小川洋子は、チェスを知らない人間にもその奥深さを伝え、またチェスを通じて人間を描くという難しいことをやってのけます。派手さはないし、というかどちらかと言えばすごく地味な作品だけど、でも強く印象に残る作品だと思います。読んでよかったと思える作品になると思います。ぜひ読んでみてください。

小川洋子「猫を抱いて象と泳ぐ」




人類が消えた世界(アラン・ワイズマン)

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、「TIME誌が選ぶ2007年ベストノンフィクション」とか、「Amazon.com Best Books of 2007(ノンフィクション部門)」に選ばれたりと、かなり話題になった作品です。日本でも、本書が出た時は多少話題になったはずだし、僕もちょっと読みたいなぁと思っていたわけです。
しかしこれがですね、もう絶望的につまらなかったですね。何がダメだったのか自分でもよく分からないんだけど、とにかくどこを読んでいてもまったく面白くありませんでした。
本書の基本的なコンセプトはなかなか面白いです。もし明日、世界中から人間だけがいなくなったとしたら、その後の世界は一体どうなるだろうか、ということを考えている本です。つまり、建造物や街など、人間がそこに住んでいたという痕跡はすべてそのままで、人間だけがいなくなった世界について考えているわけです。
発想としてはすごく面白い本だと思うんですけど、どうも内容は僕が思っているようなのとは違いました。僕のイメージでは、人類が消えて1年後、10年後、100年後、1万年後、100万年後…みたいな感じで時間を区切って、そのそれぞれの期間でどんな風なことが起こるのかというような流れの本なのかなと思っていたんですけど、そうではなくて、例えばプラスチックについてとか、例えば街についてとか、そういう個々の物や場所に焦点を当てて進めている本でした。まあそういう構成も悪いとは言わないけど、まずそれが期待とはちょっと違いました。
で、一番問題なのは、文章を読んでて全然楽しくないんです。とにかく、一番の問題は文章にあると思うんですよね。これが、元の文章の問題なのか、あるいは訳の問題なのかはよく分からないんだけど、amazonのレビューで(通常読む前や読んでいる途中でamazonのレビューを見ることはないんだけど、今回はあまりにもつまらなかったので、気になって見てしまいました)、一人「訳が酷い」って書いている人がいたので、そうなのかもしれないと思います。元の文章が悪いにしても訳が悪いにしても、とにかく文章がダメだと思います。読み進める気がまったく起こらない文章なんですね。
まあそんなわけで、相当飛ばし読みをしました。ほぼ内容は頭に残っていません。話題になった作品ではありますが、僕はオススメしません。

アラン・ワイズマン「人類が消えた世界」




宇宙を織りなすもの(ブライアン・グリーン)

さて今日は、時間が全然ないっていうことはないんだけど、やらなければいけないことがたくさんあること、あと夜予定があること、さらに本作の感想の場合、内容についていろいろ書きたいことがたくさんあるという理由で、本屋の話はさらっと終わらせようと思います。
ついこの間の話ですが、お客さんからある本を聞かれました。お客さんは新聞記事を持っていて、この本が欲しい、と言ってやってきました。それが、あの料理の格付けで有名なミシュラン社が出したという、『ミシュラン旅行ガイド 日本編』という本でした。確かその新聞記事によれば、3/16発売、みたいな感じだったと思います。
しかし、ちょっと調べたところ、それらしい本はまったく検索に引っかからなかったわけです。それに、新聞記事を渡された時点で、これはちょっと怪しいなと思ったわけです。何故なら、もしミシュランが旅行ガイドを出すということになれば、出版業界で話題にならないわけがないと思うからです。でも、少なくとも僕の耳にはそんな情報はこれまでまったく入ってきませんでした。
そこで、ざっと調べた後で新聞記事にもう一度目を通したところ、謎は解けました。その「ミシュラン旅行ガイド日本編」というガイドブックは、ミシュラン社がフランス語で出した本だったわけです。もちろん、フランス人のための日本のガイドブックというわけです。記事には、近いうちに英語版も出るみたいなことが書いてありましたけど、日本語版についての詳細は全く載っていなかったので、そういうような説明を客さんにしました。
結論は特にないけど、いろんな問い合わせが来るものだなぁという感じです。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、初の著作である「エレガントな宇宙」が世界中で大ヒットしたブライアン・グリーンの待望の二作目です。本作は、「時間と空間」というテーマを軸として、最新の物理学の成果について非常に面白く描いている本です。
僕は、確か高校生ぐらいの時に、その「エレガントな宇宙」という本を読んだことがあるんですね。昔っから物理とかは好きだったんだけど、そういう一般向けだけど専門的な内容に踏み込むような本はそれまでそんなに読んでいなかったと思います。でも「エレガントな宇宙」がですね、もう面白すぎるほど面白かったんです。この著者はひも理論と呼ばれる分野の研究者で、「エレガントな宇宙」もひも理論の話でした。今となってはどんな内容だったのか全然思い出せないけど(また読み返したいなぁという気分になりました)、高校生だった僕にも分かるくらい易しい比喩や文章なんかを駆使して、ひも理論というとんでもなく難しい理論を実に面白く描きだした作品でした。
そのブライアン・グリーンの二作目と知って、読まないわけにはいかないですね。この本は、僕がいる本屋の返品の箱から救い出してきたものなんです。文芸書の担当者が、新刊で入ってきた本書を売場に置くこともなくさっさと返品したようで、僕は表紙を見るなり「エレガントな宇宙」の著者の作品だと分かったので、興奮しながら返品の箱から救いだしてきて、すぐ買いました。
僕はこれまでにも物理や数学を扱った様々な本を読んできました。しかしそういう本は大抵、ある一つの分野について詳しく書いているというものが多いんですね。例えば量子論なら量子論だけ、相対性理論なら相対性理論だけ、宇宙論なら宇宙論だけ、という感じです。しかし本作は、現代物理学のありとあらゆる成果や勝利や失敗が載っています。量子論や相対性理論や宇宙論は当然のこと、時間の矢について、ひも理論について、はたまたテレポーテーションやタイムマシンについての話まで出てきます。
それらの話題をまとめるのが、「空間と時間」という軸です。正直なところ、著者の編集力は凄いなと思いました。そもそもあらゆる物理のジャンルについての内容を書けるというだけでも十分すごいのに、それを「空間と時間」という軸に沿って編集をしているんです。なので本作では、例えば量子論についてもいくつかの章でバラバラに描かれることになります。「空間と時間」という流れに沿って描いているために、物理学のジャンルという縛りを超えた編集がされていて、サイエンスライターならともかく、現役の物理学者が緻密に編集されかつ一般向けに分かりやすい物理の本を書けてしまうというのが僕には驚きでした。
さてしばらく本書を、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」とミチオ・カクの「パラレル・ワールド」という作品と比較する形で説明をしてみようと思います。本書も含めた三冊は、これまで僕が読んできた物理系の本の中でもトップクラスに面白い本なのだけど、それぞれに大分特徴が違います。大雑把なイメージを書けば、「ワープする宇宙」は理系向け、「パラレルワールド」は雑学本、「宇宙を織りなすもの」はその中間という感じになるでしょうか。
「ワープする宇宙」では、様々な物理理論の細かな部分や、難解だと思われる部分についても果敢に踏み込んでいきます。リサ・ランドールはそれらの難しい概念を、優しい文章や分かりやすい比喩で非常にイメージしやすい形で表現しているわけなんだけど、でもやはりそれは僕に物理の素養があるからだと思います。「ワープする宇宙」は、もちろん物理の素養のない人でも頑張れば読める本ですが、しかし相当に頑張らないとついていくのは大変でしょう。「ワープする宇宙」は、元々それなりの物理の素養がある人が、深いレベルについて知りたいと思った時に読むといい本です。
一方で「パラレルワールド」はそれとは真逆で、難しい部分についてはさらっと流しています。現代物理学の様々な部分について、普通の人が聞いて驚くような面白いトピックスをいろいろ取り上げながら、最新の物理学というのはこんなとんでもない世界になっているのね、こんな突拍子もない話がまかり通っているのね、というようなことが分かる本です。難しい部分には踏み込まず、悪い言い方をすれば表面をなぞったようなトピックスを選ぶことで、物理にあまり興味のない人間を振り向かせるという力を持った良書だと思います。
さてでは本作はどうかというと、理系向けと雑学本の中間で、物理の素養がなくても読めるけれども表面だけをなぞっているわけでもないという感じです。それは、ページ数だけ見ても分かるでしょう。本性は上下で900ページ近くにもなる作品です。
難しい部分に踏み込んでいるという点では「ワープする宇宙」と同じですが、しかし両者はアプローチが違うような気がします。「ワープする宇宙」を読んだのがもう結構前なのでちゃんとは覚えていないけど、「ワープする宇宙」の場合、ある物理学上の問題が「どう解決されたか」あるいは「どう解決されるべきか」というような点について力点が置かれていたような気がします。つまり問題自体ではなく、答えの方について踏み込んでいくというイメージです。
しかし本書の場合、「問題は一体何なのか?」という部分についてしつこく踏み込んでいきます。もちろん、物理学上の問題が「どう解決されたか」あるいは「どう解決されるべきか」という点についても非常に分かりやすい解説をしてくれるんだけど、それ以上に、「何が問題とされているのか?」という部分について、非常に本質的なところにまで踏み込んで解説をしてくれます。これが、「ワープする宇宙」との差であり、物理の素養がなくても読めるという違いになってくるのだと思います。
何故なら本書では、最大の問題であるとしているものが「空間と時間」だからです。普段僕らは、「空間と時間」というものについて真剣に考えることはありません。「空間と時間」というのは、そこにあるものとして特別意識せずに過ごしているわけです。しかし本書で著者は、「空間と時間」について様々な問題を提起することになります。なるほど確かに、その問題提起をする過程で、物理的に難しい概念を通らなくてはいけないことはままあります。しかしそれでも、著者が本書で描きたいことは(恐らく)、「空間と時間」について説明する際に通らなくてはいけない物理的な概念の方ではなく、それを通り抜けた先にある「空間と時間」に関する本質的な部分における問題提起だと僕は思うわけです。本書では、物理的な概念についても非常に分かりやすい比喩と文章で説明をしてくれるので、その部分についても物理の素養がなくてもある程度ついていけると僕は思うわけなんですが、それ以上に本作では、僕らが普段意識しないほど身近に感じている「空間と時間」というものについて問題提起を投げかけるので、物理の素養はそこまで必要ないと思うわけです。
実際本作を読むのに必要とされるのは物理の素養ではなく、常識から抜け出す力です。本書は、「空間と時間」をテーマにした作品ですが、もう一つ「普通の人が持っている常識を解体する」というテーマも底にあるだろうなと思っています。
現代物理学は、僕らが五感で感じていることの多くは間違いであるという事実を否応なしにつきつけます。僕らは普段、目で見たり耳で聞いたり肌で感じたりしていますが、それらによって得られた「常識」あるいは「経験則」というものは、実際この世界を支配している物理法則とはかけ離れているということが様々な実験によって既に指摘されているわけです。特に量子論なんかは、僕らの普段持っている常識を根底から揺るがすとんでもない理論です。
本書を読むと、あらゆる場面で「常識を捨てなさい」というささやき声が聞こえてきます。それくらい、現代物理学というのは、僕らの知っている常識とはかけ離れているわけです。しかも残念なことに、これまで様々な人々によって積み重ねられてきた知見によれば、間違っているのは物理法則の方ではなくて、僕らの常識の方なわけです。もしニュートンが今の時代にタイムスリップしてやってきたら、携帯電話に驚くよりもまず、あまりにも変わってしまった物理法則に嘆くことでしょう。
もし本書を読んで難しいと感じる部分があれば、それは物理的記述が難しいのではなくて(もちろんそういう箇所もあるだろうけど)、僕らが普段持っている常識をなかなか捨てられないというところに原因があるのではないかと思います。もちろん僕もその一人で、これまでにも様々な物理の本を読んでいろんなことを知識と知っているから、自分の持っている常識とかけ離れていること自体に驚くことは少なくなってきたけど、それでもやはり、自分の持っている常識がこれほどまでに砕かれてしまうのかという驚きは絶えないですね。あなたの周りに世間の常識を全然知らない人がいるとしましょう。しかし現代物理学はその人以上に常識知らずだとあなたは判断することになるでしょう。実際に間違っているのは僕らの方なんですけどね。
さて話を戻しましょう。とりあえず本書を、物理的に難しい部分に踏む込むという点で「ワープする宇宙」と比較しました。今度は、「パラレルワールド」との比較です。
「パラレルワールド」は僕がこれまで読んだ物理の本の中でもトップクラスに面白いということは間違いありませんが、それは子供がお菓子を目の前にしてウキウキしているのに似ているところがあると僕は思います。子供の頃というのは味覚がかなり限定されていて、甘いものがとにかく大好きだったりします。だから、そんな自分の味覚に合うお菓子が目の前にあるとウキウキします。
しかし大人になってくると、味覚にも幅が広がってきて、子供の頃だったら絶対に美味しいと感じられないようなものまで好んで食べるようになります。そういう状態が本書かなという気がします。
「パラレルワールド」は、物理についてあまり詳しくない人向けに(甘いという味覚に敏感な人向けに)、物理学のあらゆるトピックスの内の興味深い表面(お菓子)をまんべんなくちりばめた作品です。僕は元々物理は好きですが、得意と言えるほど理解力も知識もないので、僕もこういう甘いお菓子のような作品も大好きです。
でも一方で僕は、そもそも物理について興味があるので(味覚の幅が広がった大人なので)、表面だけでなくその内部についても知りたいと思うんですね。これは、知的好奇心がどういう風に広がっていくかという違いだと思います。興味深い表面(お菓子)だけで満足できる人もいれば、その内側まで知りたいと思う人もいるわけです。
でも本書では安心なことに、内部に入ってもさほど深くまでは行きません。そんな、浅いところまでしか内部に入り込んでいない状態で、しかし驚くほど知的好奇心を満足させてくれるんですね。著者の卓越したイメージ力と、それを表現する力が、これほどまでに知的好奇心を満足させる作品になっているのだと思います。
というわけで、「ワープする宇宙」と「パラレルワールド」と本書を比較してみましたが、めちゃくちゃ深いところまで知りたい人は「ワープする宇宙」を、最新の物理学についてその面白い部分を拾って読みたいという人は「パラレルワールド」を、そしてちょっと深い部分に触れつつも難しくなりすぎない本を読みたいければ本書をという感じになるでしょうか。
最後に二つほど、本書を読んでこれは書きたいなと思った点について。
まずは、「時間の矢」についてです。これは即ち、「なぜ時間は過去から未来に流れるのか」という問題提起であって、エントロピーというものと関わりがあります。エントロピーというのは乱雑さを表す指標で、いつの間にか部屋が汚くなってしまうことはあっても、いつの間にか部屋が綺麗になっているなんてことは起こりえないように、エントロピーは常に増大する、すなわちエントロピーは低い状態(秩序の高い状態)から高い状態(秩序の低い状態)に移行するわけです。
でも、これがびっくりさせられたことなんですけど、「今」を基準として過去と未来を考えると、<どちらの方向にもエントロピーは増大する>はずなんです。これは、あらゆる物理法則がその内部に時間対称性を持つために、過去と未来では現象が対称に起こると考えられるからです。僕の説明ではよく分からないかもしれないけど、エントロピーが低い状態から高い状態に移行するために「時間の矢」が存在するはずなのに、物理学の法則から考えると、「今」を基準とした時に、それよりも過去の時点ではエントロピーが高いはずなんです。これはすごいですよね。訳者の人も、そこまで深く考えたことがなかった、とあとがきで書いています。僕が何で驚いたのか、僕の拙い文章では伝わらないかもしれないけど、かなりびっくりしました。
あともう一つは、どれほど突拍子もないと思える物理理論であろうとも、それには具体的な背景があるんだなと感じた例です。
本書の最後の方に、「ホログラフィック理論」というものが出てきます。ホログラフィックというのは、二次元の平面に適切なレーザー光線を当てることで三次元のような視覚化を実現できるものだけど、僕らの住んでいる世界も実は二次元平面から浮かび上がったホログラフィックのようなものなのではないか、という理論なわけです。つまり僕らは、二次元の世界に住んでいるのだけど、何らかの理由により三次元のように錯覚しているだけ、ということになります。
この理論は、ブラックホールのエントロピーについて考察した研究から出てきたものらしいんだけど、なるほど説明を聞いているとその理論が出てくるのは必然であったような気がします。僕らは実は二次元の世界に住んでいるかもしれないなんていう無茶苦茶な理論も、妥当な背景から生まれてくるんだなと思って感心しました。
そんなわけで、もうとにかく面白い作品です。こんな分厚い本は、なかなか物理に興味のある人しか手を出さないと思うんだけど、僕は出来れば物理にそこまで興味のないという人に読んで欲しいものですね。まず「パラレルワールド」を読んで物理に興味を持ってから本書に移行するというのでもいいかもしれません。素晴らしい作品です。是非とも読んでみてください。

ブライアン・グリーン「宇宙を織りなすもの」







モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活(奥泉光)

今日はPOPの話でも書こうかなと思います。
書店によるでしょうが、大体の書店ではいろんな本に様々なPOPをつけて売っていることでしょう。僕も、文庫の担当をしていますが、文庫売場はPOPだらけです。正直、文庫が取りづらいくらいのレベルまでPOPが乱立しているんで、鬱陶しいと思っているお客さんもいるとは思うんですけど、それでもなるべくPOPはいっぱいある方が活気があっていいんじゃないかと思っているので、取りやすさを犠牲にしてでもPOPはつけるようにしています。
対照的に、近くの駅の中にある本屋の売り場にはほとんどPOPがありません。壁に貼ってあったり、あるいは別の形でPOPがついているようなケースはありますが、平積みになっている本にあの針金で出来たPOPを支えるやつ(名前は知りません)を使ってPOPをつけているものがほとんどありません。恐らく、そういう方針で、つまり取りやすさを優先して売り場作りをしているということなんだと思います。どっちがいいのかは、まあよくわかりません。自分が信じるやり方でやっていくしかないんじゃないかなと思います。
かつて書店ではPOPは重視されていなかったようです。特にデパートなんかに入っている本屋の場合、館全体のイメージもあるからということで手書きのPOPをつけてはいけないというようなところもあったんだそうです。
それが変わったのが、「白い犬とワルツを」という一冊の文庫のお陰です。どこの本屋か知りませんが、かつてこの文庫をとある小さな本屋が手書きPOP付きで仕掛けたところ、それはそれは信じられないくらい売れたようでして、その売上は全国的なものへと発展して行ったようです。それから、書店では手書きPOPが奨励されるようになっていったみたいです。
今では、書店員オリジナルのPOPが書店の店頭を賑わせるようになっています。最近では、とある書店員が作ったPOPが出版社を経由して全国の書店に配られるケースも増えてきて(例えばちょっと前に売れまくった「モルヒネ」のPOPなんかは話題になりました。「うずくまって泣きました」っていう奴です)、ますます手書きPOPというのが重要視されるようになっているなという気がします。
また出版社の方でも、「手書き風POP」なるものを書店に送ってくるようになりました。これは、「夏の100冊」という、新潮社・集英社・角川書店が夏になる大きなフェアの場合より顕著で、出版社の人が作った「手書き風POP」が売場を埋め尽くすことになります。
しかしいつも思うのが、POPをうまく作れる人は羨ましいなぁということです。僕なんかはもうまるきりセンスがなくて、全然ダメです。字が汚いというのもあるけど、正直なところ字の上手い下手というのはPOPにおいてはさほど問題ではないと思っています。でもなんていうかね、ホントセンスがないんですよ。かつてはそれでも、下手ながらPOPらしきものを自分で作ったりしたことはありますけど、今ではまったく作らないですね。スタッフの中にPOPを上手く作れる人間がかなりいて、その人たちに作ってもらうようにしています。僕が文章を考えて渡すと、いいPOPを作ってくれるわけなんですよね。日々いろんなPOPを作りまくってもらっています。
POPのあるなしは、普通の人が思っている以上に売り上げを左右するようになってきています。ダメなPOPもありますが、何故かこのPOPをつけているとグングン売れるとい魔法のようなPOPもあります。不思議なものですが、そういうよくわからない部分も本屋の面白さだなぁと思っています。
とPOPについての話を書きましたけど、書いていて、これ前も同じようなこと書いたような気がするなぁという気になってきました。これまでどんな話を書いたのか全然覚えていないので、もしかしたら話題が重複するかもしれないけど、その時は笑って許してください。
そろそろ内容に入ろうと思います。
大阪にある、敷島学園麗華女子短期大学というしがない短大で日本近代文学を教えている助教授である桑潟幸一の元に、ほんの些細なきっかけからとある幸運がもたらされた。そのきっかけになったのが、数年前に研修館書房が発行した、「日本近代文学者総覧」という本である。これはその名の通り、ありとあらゆる日本の近代文学者を一般には名前の知られていない者まで網羅した大辞典であり、桑潟幸一はその内23人について執筆を担当することになった。本当は太宰を担当出来たはずなのに…、と愚痴を言いながら仕事をした成果が報われることになったのは、大学の研究室に、研修館書房の猿渡幹男と名のる男がやってきたことに始まる。猿渡は、溝口俊平の未発表原稿が見つかった、ついては溝口順平の専門家であるところの先生に是非ご一読願いたい、というのだ。はて、溝口順平とは誰だったか、と首を捻った桑潟は、しかしようやく思い至った。「日本近代文学者総覧」で桑潟が担当した23人の内の一人である。
しかし、桑潟が担当した23人は、一般人に名を知られていないどころか、日本近代文学の助教授である自分さえも知らない輩ばかりで、溝口順平もその内の一人であった。そんな無名な人間の未発表の原稿が出てきたところで、そもそも作家自体が未発表みたいなものなのだから詮無いことこの上ない。しかし、溝口俊平の未発表原稿について文章を書いてくれればお金も出すし雑誌にも載せるというので読んでみることにしたのだった。
雑誌にも載り、また溝口俊平の未発表原稿を書籍化したものが売れに売れたことで、しがない短大の助教授であった桑潟の知名度が否が応でも上がることになる。
しかしその後、桑潟の文章を雑誌に載せた編集者が殺されたことが発覚し、さらに溝口俊平の未発表原稿の書籍化に関わった編集者も殺されたことが判明する。桑潟は謎めいた夢を見、溝口俊平に関わる騒動にどんどんと巻き込まれて行き…。
一方で、とあるきっかけで溝口俊平の遺稿と関わることになった、歌手でもあるフリーライターでもある北川アキは、趣味で溝口俊平の遺稿に関わる殺人事件の調査に関わることにする。元夫であり、出版社に勤める諸橋倫敦と共に謎を追う中で、「アトランティスのコイン」を巡る陰謀に行き当たるのだが…。
というような話です。
これまで奥泉光の作品は三冊読みました。「グランドミステリー」は大分昔に読んだからほとんど覚えていないけど、これはかなり面白かったはず。「鳥類学者のファンタジア」はべらぼうに面白く、「プラトン学園」はべらぼうにつまらなかったです。で本作は、これまたかなり面白い作品で大分満足しました。
本作には、「鳥類学者のファンタジア」に近いところがあります。「鳥類~」で主人公だったフォギーがちらっと出てくるし、底に流れるメインテーマみたいなものも似たようなものがあります。それでいて作品全体としてはまったく違うわけで、なかなか面白いと思います。
本作の何が凄いって、「日本近代文学者総覧」で「溝口俊平」の項を担当した、というたったそれだけのきっかけから、こんなに壮大なストーリーを紡ぎだしているというところです。本作の導入部分は至って普通です。「日本文学者総覧」で担当した「溝口俊平」の未発表原稿が出てきたから解説を書いてほしい、というただそれだけです。しかしここから事態はどんどんと変な方向へと転がっていくんですね。本作は、一応ミステリという分類が出来なくもないから人が死んでいくのはいいとしても(よかぁないけど)、桑潟が見る奇妙な夢(夢なのか幻覚なのか判然としないけど)や、「アトランティックのコイン」なんていう怪しげなものが出てきたり、また「鳥類~」でも出てきた「ロンギヌス物質」やら「宇宙オルガン」なんて話も出てくるわけで、そんじょそこらのミステリとはまったく違った展開になっていくんです。
それでも、メインとなるストーリーはかなりしっかりミステリをしています。初めは五里霧中だった事件が、北川アキと諸橋倫敦という元夫婦刑事の活躍により、様々なことが判明していきます。しかし、様々なことが判明していく過程でどんどん謎が増えていくわけです。一つ調べる度に謎が二つ増える、みたいな具合で調査はいっかな進まない。それでも、趣味でやってるとは思えないほど粘り強く捜査を続ける二人は、ようやく真実らしきところに辿りつくわけなんです。これがまた実によく出来ていて、意外な人物が犯人だし、伏線も実に見事に配されているしで、オカルティックな部分を消してしまえばものすごくちゃんとしたミステリなんです。
でも本作は、もちろんそのオカルティックな部分を排除しては語ることは出来ないわけなんですね。もちろん、よく僕にはイマイチよく分からない部分もたくさんあるんだけど(一番よくわからないのは、15人の少年たちの部分だけど)、それでも良く分からないなりに、全体としては一本筋が通っているというのは何となく分かるし、というか「鳥類~」で描いたのと同じ世界観がまさか出てくるとは思わないから、そういう意味でも驚きました。
さて本作はストーリー自体の面白さもさることながら、最も特徴的なのは桑潟幸一という男そのものでしょう。本作は大体、桑潟幸一の視点か、あるいは北川アキの視点かで話が進んでいくんだけど、この桑潟幸一の視点の話が滅法面白い。
桑潟幸一というのは、とにかく小物で、器が小さいなんてもんじゃない。大手の出版社の人間に卑屈になりそうになりながらも、自尊心から敢えて尊大にふるまおうとして失敗したり、相手の言っていることにすぐ納得してしまったり、弱い人間には強く出たりと、とにかくあらゆる場面で小物っぷりを大いに発揮するんです。桑潟幸一視点の話では、基本的に桑潟の述懐みたいなものがメインになっていて、うだうだ言い訳したり後悔したり答えの出ないことを考えてみたりと、とにかくどうでもいいことばっかりいつも考えている。桑潟幸一という人間の小ささを楽しむ、というのも本作の読み方の一つだなと思ったりします。
ミステリの型を大いに利用しつつも、その型を大いにはみ出して実に奇妙なストーリーを作りだしている作品です。実に面白い作品だなと思います。「プラトン学園」はちょっと失敗だったけど、やっぱり奥泉光っていうのは面白い作家だなと思いました。機会があればまたいろいろ読んでみることにします。

奥泉光「モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」




館島(東川篤哉)

今回は、多面展開について書いてみようかなと思います。
多面展開というのは、ある一つの本を広い売り場を使ってブワァーッって感じで並べることで大きな書店であればあるほど、この多面展開というのをやっているところは多いのではないかと思います。やっぱりどうしても売場が広くて余裕がある本屋でないとなかなか出来るものではないので、中小の書店では一か所あるかないかという感じになるかと思います。
この多面展開、僕が読んだ本によれば、一番初めは黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」から始まったようです。昔どこかの書店にいた店長が、なかなか新刊が入ってこない状況に業を煮やして、「窓際のトットちゃん」が出る際、出版社の営業の方と応酬をし、その際売り言葉に買い言葉という感じで「だったら500冊入れてみろ」みたいなことを言ったんだそうです。そうしたら、本当に500冊入荷してしまった。店長は内心、これは参った、と思ったようです。確かに500冊入れろとは言ったけど、まさか本当に入ってくるとは思わなかった。もちろん、500冊なんか平積みに出来るレベルの冊数ではない。
そこで、苦肉の策として、今でいう多面展開という形で売場に並べることにしたんだそうです。すると、これが面白いように売れたんだそうで、それからこの多面展開が広まった、というようなことが書いてある本を読んだことがあります。だから昔は多面展開のことを、「トットちゃん積み」なんて呼び方をしたんだそうです。
今では本を売る手法としてあまりにも一般的になった多面展開ですけど、その始まりが苦肉の策だったというのは面白い話だなと思いました。
僕は文庫の担当をしているんですけど、最近文庫は本当に、既刊の話題作がゾクゾクと発掘されるようになってきています。ここで言う『期間の話題作』というのは、それまでそんなに売れていなかったし話題になっていなかった本だけど、ある書店が仕掛けることで全国的に売上が波及していくもの、ということです。まさに今だと、新潮文庫「向日葵の咲かない夏」、祥伝社文庫「庭師」なんががあります。「庭師」はまだ話題になったばっかりだけど、「向日葵の咲かない夏」の方は、今ならどの本屋に行っても置いてあると思います。ただこれも、三省堂書店有楽町店というところが多面展開でメチャクチャ売ったことがきっかけだし、「庭師」の方も啓文堂書店グループ(だったかな、確か)で仕掛けて話題になっているものです。あと有名なものでは、去年大きく話題になった「蟹工船」も、ブックエキスプレスディラ上野店というところが仕掛けて全国的に話題になったし、あとどこの店が仕掛けたのか忘れちゃったけど、「床下仙人」って文庫も大分話題になりました。この前営業の方に聞きましたけど、この「床下仙人」の著者は、もう作家を辞めようと思っていたんだけど、書店員の発掘によって「床下仙人」が売れに売れたから、もう少し頑張ってみようと思ったようで、最近新刊を集英社が出しました。
そんなわけで、どこかの書店(あるいは書店グループ)が多面展開によって仕掛けた本が全国的に話題になるというのが、今文庫売場のブームと言えばブームです。僕も、何とか自分の店から全国的に話題になる発掘本を掘り出したいというまず不可能な野望を抱いているんですけど、なかなか難しいものですね。
ただ僕はそもそも、多面展開ってあんまり好きじゃないんです。売り場が腐るほどあるっていうなら、そりゃあいくらでも多面展開をしますけど、僕のいる店はそこまで広くはないんです。そんな店で多面展開を多用してしまうと、置ける文庫の種類がどうしても制限されてしまいます。僕はなるべく多くの種類の本を置けたらいいと思っているので、少なくとも今の店にいる間は、多面展開を多用するということはないだろうと思います。
いつか自分でも既刊の話題作を発掘出来るように野望を抱きながら、これからも頑張ってやっていこうと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
岡山限定の有名人である天才建築家十文字和臣が、瀬戸内海のとある島に建てた自ら設計した奇妙な建物の中で奇妙な死を遂げていたのは半年前。六角形をした、みようによってはラブホテルと間違えてしまいそうな奇妙な意匠のその建物の中心にある螺旋階段で死体は見つかった。奇妙だったのが、和臣は転落死していたということだった。階段から転げ落ちたというわけではない。3階以上の高さから墜落したものだと断定されたのだ。早速警察が墜落現場を捜索するも、どこにもそれらしい場所が見つからない。墜落死体があるのに墜落現場が見つからないという奇妙な状況が出現し、半年経った今でも、その謎は解かれていない。
刑事である相馬は、和臣の未亡人である十文字康子に呼ばれ、お盆の最中その奇妙な六角形の建物に招待された。他にも、和臣墜落事件の際の関係者を呼び集め、一緒に読んだ探偵に事件の謎を解かせようと目論む。
しかしそこで、さらなる殺人事件が勃発する。
嵐のために警察がやってこれない状況の中、連続殺人に発展していく。孤島に建つ奇妙な建物で起こる連続殺人に、探偵と刑事は挑むことになるが…。
というような話です。
僕としては非常に珍しいことに、読み始めでメインのトリックが大体分かってしまいました。しかも事件が起こる前に。珍しく複線がバンバン理解できて、なるほどこれならこういうトリックしかありえないなぁということが理解できたんですね。普段ミステリを読んでても全然謎が解けない僕としては珍しい経験でした。
そんなわけで、大体のトリックが分かっている状態で本作を読みましたけど、それでも案外面白かったですね。それは、東川篤哉が<ユーモアミステリ作家>と呼ばれているところに理由があるんだろうと思います。僕は東川篤哉の作品を読むのはこれで二作目ですけど、どちらの作品も殺人事件を扱うミステリでありながら、酷く軽妙な作品なんですね。重苦しさは一切なし。一応殺人犯と一緒に孤島で夜を明かさなくてはいけない人々の不安みたいなものは描かれるんだけど、別にヒステリックになるわけでもなく淡々としています。さらに、相馬刑事と探偵は何だかふざけながら(いちゃいちゃしながら?)捜査もどきをしているし、どう考えても事件とは関係ない部分に頭を使っているような場面もあって、そういうような部分が結構面白いんですね。
人によっては、リアリティに欠けるみたいなことを言いそうな作品ではあります。普通殺人事件が起きたらもっとピリピリするはずだし、普通殺人の捜査はもっと真面目にやるはずだ、と。そんな風に思っちゃう人には、オススメ出来ない作品です。僕なんか、本格ミステリはもはやリアリティなんか追求したってどうにもならんでしょ、とか思うんですよね。本格ミステリっていうのは、トリックが底辺に存在するために、どうしたってその広がりに限界が出てきます。それを、こういうユーモアで広げることが出来るなら、それはいいんじゃないかって僕は思うんですよね。
細かな部分こそ分からなかったものの、殺人に関する部分では何となく僕の予想は当たっていて、やっぱりなって感じでしたけど、和臣の墜落死の謎とか、和臣の設計の意図とか、フリーライターの取材との関わりとか、瀬戸大橋との関わりとか、そういうストーリーとは関係ないけど本作の背景になるような部分についてもかなりしっかりと構成をしていて、なかなかうまく持ってくものだなぁと思いました。
トリックが分かりやすいのかどうかはよく分かりませんが(たぶん僕はたまたまラッキーで分かっただけだと思うけど)、もし分かったとしても最後まで読ませるだけの魅力のある作品だと思いました。今本格ミステリを書こうなんて新人はどんどん減ってると思うけど、ユーモアミステリという方向性で本格ミステリをまた面白い方向に広げていってくれるといいなと思います。

東川篤哉「館島」




スメラギの国(朱川湊人)

今日は時間がとってもないので、本屋の話はほんの少しだけ。
昨日、かなり年配のサラリーマンに見えるおじさんが、「ガテン」という肉体労働系の求職雑誌を買っていきました。そんなにガタイのいい人には見えなかったし、そもそも普通に仕事がありそうな人だったけど、やっぱりこの不況でリストラされちゃったりしたのかなとか思いました。ここ最近、「ガテン」って雑誌に限らず、割と年配のサラリーマンみたいな人が求職雑誌を買っていくことがよくあるので、やっぱり大変なんだろうなと思います。
そんなわけでそろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、基本的に短編作家だった朱川湊人の、久しぶりの長編です。確か、デビュー作に近い、ホラー小説大賞の佳作かなんかを獲った作品が長編だったような気がするけど、それ以外長編ってほとんどなかったと思います。
普通のサラリーマンである香坂志郎は、会社の寮を出て、F市神音町のアパートに引っ越すことになった。結婚を考えている麗子と将来一緒に住むことを考えて選んだ部屋だ。これまで辛く厳しい人生を歩んできただけに、ようやく訪れた幸福の予感に、志郎だけでなく麗子も喜びを隠せない。
超大金持ちの大家さんに、隣の空き地にはあんまり近寄らないでくださいねと言われた以外、不安らしい不安は何もない生活が始まった。ふらりとやってきた猫を飼うことにしてみたり、休日に麗子と過ごしたりと順風満帆。結婚祝いと称して、会社の同僚が安く車を譲ってくれることにもなり、幸せは続いた。
しかし、不運な事故を境に、志郎の生活は一変することになり…。
志郎と同じ会社の上司である村上は、失意の底にいた。交通事故で息子を亡くし、一時精神を病んでいた。復職したものの、以前のようには働くことが出来ない。今は、息子との約束を叶えてやりながら復讐を考える日々だったが…。
チョコは、古い猫だった自分のことをほとんど覚えていない。オウさまに会って、あの歌を聞いてから、自分は新しい猫になった。頭の上にこんなに広い空が広がっていることも知ったし、仲間と会話だって交わせる。何だって出来る気になってくる。
アイスは僕のことをまだ子供だって思ってるみたいで何かとうるさいことを言うんだけど、一人で出歩いてみたいと思う。何とかアイスを説き伏せて外をぶらぶら一人で歩いていると、アイスからも聞いていた『テキ』の姿を目にすることになり…。
というような話です。
全体的に朱川湊人の雰囲気が出ているし、ストーリーも面白いと思うんだけど、やっぱり短編の方がいいかもと思ってしまいました。本作がダメなんてことは全然ないし、十分面白いんだけど、ちょっと冗長な感じはしました。もしかしたら、短い話でピリッとしたストーリーを読ませるというイメージがかなり強くこびりついているからかもしれないけど、ちょっと長いなぁという感じがしました。
ストーリーの展開のさせ方は、さすがに上手いです。志郎と麗子の日常を描きながら、さりげなく後々重要になる要素を盛り込んでいく。それに、本作は実際には相当ありえない設定なんだけど、朱川湊人の緻密な描写のお陰で、もしかしたらこういうことだってありえるかもしれない、と思わせるところがありました。そもそも猫って、犬なんかより全然得体のしれないようなところがあるし、何やってるか分からないところもあるから、もしかしたら本作に出てくるような<新しい猫>なんてのがいて、一つ間違えれば自分も志郎みたいになっちゃうんじゃないか、なんて思わされますね。そういう、読者を引き込んでいくストーリー展開はさすがだなと思います。
また、志郎が段々と追い詰められていくその過程を描くところなんかはなかなか凄いです。確かに、こんなことされたら心が壊れちゃうだろうし、朱川湊人はそんな志郎を丁寧に描いていくんですね。多少冗長に感じられるところもないではないんだけど、その丁寧な描写が恐怖を誘う感じもします。
志郎と麗子の関係の描き方も絶妙だし、また頻繁には出てこないものの、会社の同僚である仲本や、大学時代の友人で作家の佐久間なんていうキャラクターも、出番が少ないくせに妙に存在感があっていいですね。交通事故で息子を失った村上の描写が、全体に対して非常に少なかったというのがアンバランスな感じもするけど、ラスト村上のストーリーの展開はなかなかよかったと思います。
また本作では、猫視点の描写っていうのも結構出てくるんだけど、この部分も結構面白かったりします。特に絶妙なのが、ジンゴローです。ジンゴローは色んなところにちょいちょい顔を出すんだけど、何者なのかイマイチよくわからない存在で、デブで不細工と言われるんだけど愛嬌のある猫です。本作で一番存在感のある猫はスメラギとルイだと思うけど、その次がジンゴローかもしれないですね。なかなかいいキャラクターだと思います。
僕としてはどちらかと言えば短編の方が好きかもと思ったりしますが、本作も朱川湊人っぽさが全開に出ている良作だと思います。猫vs人間というありえないけどありえそうなストーリー展開はなかなか面白いです。読んでみてください。

朱川湊人「スメラギの国」





船に乗れ!Ⅰ合奏と協奏(藤谷治)

さて、というわけで本日二つ目。
前回は、取次を通さない特殊な出版社の話を書きましたけど、今回は別の意味で特殊な出版社について書こうと思います。
それは、書店からは注文できない出版社、ということです。<注文できない>というのは語弊があるかもしれないから正確に書くと、「特殊な条件を受け入れなくては注文できない出版社」ということになります。で、そういう出版社は大抵、「お客さん自身が注文する」という形を取っています。
これは客注品によくある話です。お客さんがある本を注文したいと言って書店にやってくる。書店で受付をして、さて出版社に電話して注文するぞとなるんだけど、出版社の方から「特殊な事情を受け入れないと注文できない」と言われ、「お客様ご自身で注文していただく形になります」という風に伝えることになります。そう頻繁にあるわけではありませんが、たまに起こる例外とは言い切れないくらいの頻度ではあります。
さてでは、その「特殊な事情」というのはどういうものがあるんでしょうか。
一番多いのは、送料が掛かるというものでしょうか。つまり、書店からでも注文しようと思えば注文は出来るけど、それには送料が発生してしまう。送料が発生してしまうことをお客さんに了承してもらい、会計時に送料も一緒に支払う、なんていうやり方をすれば書店からでも注文は出来なくないけど、それならお客さんが自分で頼んで自宅に届けてもらう方がいいだろうということでお客さんに直接頼んでもらうことになります。
また、ある一定の冊数以上からの発注でないと受け付けないというものもあります。これは、「日経ビジネス」など日経が出している雑誌なんかによくあるらしいです。僕は昔は、「日経ビジネス」は書店扱いがない雑誌なんだと思っていたんですけど、実際は確か5冊以上からでないと注文を受け付けないとかなんとかっていう話を聞いたことがあります(正確かどうか分かりません)。「日経ビジネスアソシエ」や「日経ウーマン」など通常通りの取引条件で普通に入ってくる雑誌はウチの店の店頭にも普通にありますけど、「日経ビジネス」のような雑誌の場合店頭にも置いてないし、客注も受けてないです。ウチに入ってきていない日経の雑誌は、お客さんから直接出版社に注文してもらう形にしています。
またそれとほとんど同じようなものですが、ある一定以上の金額を満たさないと発注できないという出版社もあります。これは、一つ前の記事で書いた取次を通さない出版社である冬水社や、「アルネ」というバーコードもついてないようなちょっと変わった雑誌を出してる出版社なんかが該当します。どちらも新刊が入ってくるタイミングで客注品を注文すれば新刊と一緒に送られては来ますが、冬水社のコミックは20日の新刊発売の便に間に合うように注文できなければ入荷が一か月先になってしまうし、「アルネ」の場合毎月出ている雑誌ではないのでさらに入荷が先になってしまう可能性が高いです。冬水社の場合事情を説明して注文を受ける場合もありますが、「アルネ」の場合はちょっと難しいので注文を受け付けないようにしています。
冬水社と違って、同じく取次を通さない出版社であるミシマ社やディスカヴァー21は、一冊の客注品でも出庫してくれるんです。冬水社は送料を節約するために規定の金額以上の発注を最低条件にしているんだと思うんだけど、ミシマ社やディスカヴァー21が出来ているのだから何とかならないものかなと思ったりします。
あと、これは最近あったんですけど、ちょっと不思議な雑誌がありました。お客さんから「GALAC」という雑誌を注文してほしいと言われたんですけど、出版社からの回答はこうでした。
「書店への初回配本のみでそれ以降は書店からの注文は受けていないのでお客様が直接注文してください」
ウチの店には入ってないけど、一応通常書店で扱っている雑誌らしいです。でも初回配本のみでそれ以降の注文を受け付けないっていうのはよく意味が分からないなぁ、と思いました。
まあそんなわけで、出版社も本当にいろいろでよく分かりません。書店で注文したのに、最終的にお客さんから注文してくださいみたいな風に言われてもお許しくださいませ。
そろそろ内容に入ろうと思います。
この本は、ちょっと前の書いたように、出版社の営業の人がくれました。ゲラではなくて普通に売っている形の本です(献本といいます)。何でくれたのかは、よくわかりませんが、もらえるものはもらっておきましょう。
物語の形式としては、大人になった主人公が、自らの中学・高校時代のことを思い返して回想しているという感じです。
主人公である津島(僕)は、親族のほとんどが音楽に関わっているという一家に生まれた。祖父は音楽科もあるとある高校の学長で、他にも親族の中には有名な人間がごろごろいる、いわゆる上流階級である。
中学の頃から「共産党宣言」だのツルゲーネフの「はつ恋」だのを読んで分かった気になっていた僕は、自分以外の人間を見下して馬鹿にしているちょっと気取った少年だった。
そんな少年が、ちょっとした挫折の後に、祖父が学長をやっている高校に入学して以降の話がメインになる。
中学の頃チェロを選択した僕は、入学の時点で校内トップクラスのチェリストだった。他にも、フルートの伊藤、バイオリンの南など一年なのにうまいと言われているやつは結構いた。
学校の授業やレッスンは、時に厳しくもあり、時に楽しみでもあり、メインで勉強することが音楽であるということを除けば、さほど普通の高校生活と変わるところはない。
そんな中で、子供の頃から無駄に育ってきた自尊心や、あるいは経験のなさからくる不安なんかをうまくやり過ごしながら、次第に僕はある一人の少女に惹かれていくことになる。バイオリンの南のことが気になって仕方ないんだけど、自分から話しかけるなんてことは出来るわけがない…。
みたいな話です。なんか内容紹介が難しいです。
本作は、読み始めがかなりきつかったです。初めの50ページくらいは全然読み進められなくて、大変でした。主人公の回想というスタイルだからか、とにかく主人公の思考がぐるぐるしているような文章で面白くないんですよ。ウダウダしている主人公なんで、ちょっとイライラしてしまったりもするし。
高校に入ってからちょっとした辺りからストーリーが面白くなってくると僕は思いました。人づきあいが決してうまいとは言えない主人公ですが、それでも周りにチラホラと友達が出来てきます。そもそも主人公が入った高校というのが女子高で、男子はほんの僅かしかいません。その僅かな男子が結束しているというのもあるし、女子とも多少は関わりはあったりという感じになるので、話が面白くなっていきます。
ありきたりな高校生活の話が続くことになりますが、退屈ということはありません。音楽学校という特殊さはなかなか新鮮だったり、オーケストラのレッスンの厳しさに同情したり、逆に倫理社会の授業は面白くてこの授業なら受けてみたいなぁとか思ったりしました。
そんな中で、南との関係にもいろんな変化が起こってくることになります。南に起ったトラブルから、そこからどうやって親密になっていくのかという過程は僕にはなかなか自然に思えるし、恋愛をまったくしたことがなかった主人公の初々しさや、そもそも高校生の恋愛が初々しいことも相まって、結構面白く読みました。最後の方で出てくる、祖父の隠れたメッセージみたいな場面はかなり好きです。
本作は、JIVEという出版社が出していて、この出版社が出している本の傾向としては、中高生やOLなんかがメインターゲットになりそうな作品が多いです。ただ本作は、どちらかと言うともう少し年配寄りの作品かもしれないと思いました。一応高校生の物語ではあるけれども、ここで描かれているのは携帯電話がないような時代の高校生のことで、正直今の中高生が読んで共感できるのかというと微妙なところがあると思いました。冒頭で何だか小難しい話が出てくるので、そこで読むのを止めてしまう人もいるのではないかなと思います。逆に、ここで描かれているのと同じような時期に高校生だった世代の人だったら、懐かしさから共感できる作品なんじゃないかなと思います。僕が中学・高校の頃は、周りは結構携帯電話を持ってたんで、僕よりももう少し上の世代だとちょうどいいような気がします。
読んでてちょっと苦労したのが、音楽に関する専門的な記述です。著者が芸大を出ているということもあるんだろうけど、かなり描写が専門的です。もちろん理解しようとなんてしないで読んだけど、そこは結構難点かなと思いました。でもやぱりそれによって雰囲気は出ていると思うんで、必要だとは思いますけど。
全体としてはなかなか悪くない作品だったなと思います。一応「Ⅰ」とあるので続編が出るんでしょうけど、読むかどうかはまた出てから考えます。

藤谷治「船に乗れ!Ⅰ合奏と協奏」




京大芸人(菅広文)

さて今日は諸事情あって感想を二つ書く予定なので大変です。
まず一つ目。
今日は、取次を通さない出版社について書いてみようかなと思います。
どの小売業でもそうなんでしょうが、出版業界も太古の昔から(?)取次というところを通して書店に本を卸しています。流通の基本なのかもしれませんが、一応この取次というものについてざっと説明をしておこうと思います。
基本的に出版社は取次というところに本を送り、それを書店に送る代行をしてもらっていると考えてもらえばいいです。書店に本を運んでくるのは取次(というか取次から依頼を受けた運送会社)の仕事です。こういう仕組みがあるから、数人しか社員がいないような小さな出版社でも、全国の書店に本を送り込むことが出来るわけです。
書店には返品という仕事もあって、これは書店で売れなくなったと判断した本や汚れた本なんかを取次に返すことです。で取次は返品された本を仕分けして出版社に戻すことになります。
書店は出版社と取次どちらに発注することもできます。出版社・取次共に在庫を持っていて、ものによってどちらに在庫が多いなんていうのが違ったりします。この本だったら取次にあるだろうからそっちで、これは取次に頼んでも入ってこないから出版社に、みたいな判断をしながら発注をしたりしています。
他の小売業ではどうか知りませんが、出版業界ではこの取次が非常に大きな力を持っています。その大きな力がどのように発揮されているのか僕はよく知らないんですけど(取次に大きな力があるというのも本か何かで読んだだけの知識)、何にしても取次と取引のない出版社はほぼ書店に本を卸すのは不可能みたいなところがあったはずです。
しかし最近(というほど最近ではないでしょうが、でも昔からあったとも思えません)、取次を通さない出版社というのが結構あります。僕がすぐに出てくるところだけでも、冬水社・ディスカヴァー21・ミシマ社・糸井重里事務所・トランスビュー(トランスビューはちょっと自信ないけど)というようなところがあります。
こういった出版社はどういう風に本を書店まで届けるかというと、通常の運送会社に届けてもらうわけです。取次から来る荷物は、取次の箱に入って裏口みたいなところに運ばれてきますが、取次を通さない出版社の荷物は、書店に届く他の配送物と同様普通の運送会社の人が持って来て、レジで受け取りのハンコを押すような感じになります。
取次と取引をする上で、どれぐらいのお金が発生するのか僕にはまったく分かりませんが(取次に関わる数字の多くには秘密が多いらしいんです)、それでも通常の運送会社を使って書店に本を送る方がお金は掛かるんじゃないかと思うんです(何せこちらが返品する際の送料も出版社持ちになりますからね)。それでも取次を通さない方がメリットがあると判断したんだと思うんですけど(あるいは昔は取次と取引をしていたけど喧嘩したとか、そもそも取次に取引を断られたみたいな可能性もないではないけど)、取次について詳しくない僕には、そのメリットが何なのかはよくわかりません。
昔ディスカヴァー21という出版社が勝間和代の本を出す際に、コンビニに先行販売、みたいなことをやったらしくちょっとだけニュースになっていました。取次と取引をしている場合それは無理らしい(どこかの書店系のブログで読んだ記憶があります)んですけど、でもまあそれがメリットになるのかというとよくわからないですね。
書店側のデメリットとしては、やっぱりめんどくさいというのがありますね。売り場に置くときはいいけど、返品するときは他の本と混ぜてはいけない。取次と取引のある出版社の場合、返品はすべて取次にすればいいので楽ですけど、取次と取引のない出版社の場合それぞれの出版社に返品しなくてはいけないので面倒です。また、これは冬水社だけですが(この出版社は基本的にコミックのみの扱いです)、発売日が毎月20日なんですけど、荷物自体は19日に入ってくるんですね。で、書店によっては19日にすでに店頭に並べてたみたいなことが過去にあったみたいで、それに怒った出版社が荷物が届く日を20日にしたというようなことがありました。今はまた19日に入ってくるようになりましたけど、そういうところも面倒と言えば面倒と言えるかもしれません。
まあなかなか特殊な出版社だと言えるかもしれません。それにしても、ディスカヴァー21っていう出版社はすごいなって思いますね。話題作をバンバン出してくるし、勝間和代さんを一番初めに発掘したのも確かここだったと思います。ミシマ社はいい本を出すというので有名だし、冬水社はBLコミックがメチャクチャ売れます。糸井重里事務所とトランスビューについてはよくわかんないけど、何にせよ、取次を通さないという恐らく<不利>な状況であっても、良書を出したり出版社自体にお客さんがつくようになったりすれば、この厳しいと言われる出版業界でもうまくやっていけるんだなぁと思いました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、芸人コンビである「ロザン」のの一人である菅広文が、相方である宇治原史規をモチーフにした実話小説です。
著者である菅は大阪府立大学(詳しくは知らないけど、割と学力の高い大学なんだと思う)を中退したという経歴だけど、相方の宇治原はなんと京都大学卒というとんでもない経歴です。しかも本書を信じるならば、宇治原が京大を目指した理由は、菅に「芸人になった時に売りになるから」と言われたというのが理由なんだそうです。なんつーか、ホントかよって突っ込みたくなるような話ではあるけど、恐らくホントなんでしょうねぇ。
菅と宇治原は高校で出会いました。菅は、本書の記述を信じるならば、運だけで超難関の進学校に入れた男らしく(最終的にエスカレーター式に高校に上がれた)、実際の学力と学校のレベルが合っていないと感じていたらしいけど、宇治原はその超難関校に試験を突破して入学してきた超エリートだそうです。
菅がそんな外からやってきたエリート達につけた名前が、「高性能勉強ロボ」。みんな同じ顔をしていたそうです。
その後いろいろあって菅と宇治原は仲良くなるんだけど、別に芸人になりたいなんて話をしたことは一度もなかった。
高校三年の春、二人で将来について話している時、菅が突然宇治原に「芸人なれへん?」と聞く。それまで芸人になりたいなんて話はまったくしてなかったのだが、宇治原は何故か乗り気。菅は、大丈夫かコイツは、と思いながらも、畳みかけるようにして宇治原に「京大入ってや」という。理由は、芸人になった時売りになるから、だ。
それから、宇治原が余裕で京大に合格するまでの話を書いたのが本作です。
いやはやすごいものだなと思いますよ。もともと勉強は出来たとは言え、京大に入ると決意したのが高校三年の春ですからね。もちろんしばらく模試とか受けてもE判定とかばっかりなわけです。でも宇治原はまったく慌てない。宇治原は独自のスケジュールを立てていて、そのスケジュール通り勉強すれば絶対に大丈夫だという強い自信があったわけなんですね。で、予定通り成績はグングン上がり、余裕で京大に合格しちゃうわけです。まったく化け物だなと思います。
本書には、宇治原が具体的にどんな勉強方法を取っていたのかというのが書かれているんですけど、なるほど理に適ったやり方かもしれないと思えるものが非常に多かったです。もちろん、宇治原のようなやり方をしてきっちりと成績を上げるには、ある程度の素養みたいなものが必要だと思うんで(そもそも記憶力がよくないと宇治原のやり方は無理で、記憶力が死んでる僕には到底不可能なわけです)、すべての受験生にいい方法だなんてことは言えないけど、「数学や理科は数字が違うだけで同じような問題が出るから同じ問題集を繰り返しやって問題と答えを覚える」「英語は英単語だけで覚えても意味がないから、英文をまるごと覚える」「社会は時代ごと覚えるんじゃなくて、長大なストーリーとして覚える」など、どうしてそういうやり方をするのかという理由も含めて、なるほどなぁと思う部分が多かったです。
本書では勉強以外でも、宇治原が高校時代どんな奴だったのかとか、宇治原が大学に合格してそれからどういう風に芸人への道を進んでいったのかというような話も描かれます。芸人のオーディションで「声が小さい」と言われて、「じゃあマイクをください」っていう発想は無茶苦茶だなと思ったり、オーディションに受かった直後、菅が大阪府立大、宇治原が京都大学に在籍しているとしってニュースで取り上げられたりと、まあ面白いなと思いました。
作品全体としてはまあまあという感じですけど、受験生は立ち読みでもして勉強のやり方の部分だけでも読んでみたらいいと思います。参考になるかどうかは分からないけど、少なくとも自分のやり方が正しいのかどうかということを見直すいい機会になるのではないかなと思ったりします。

菅広文「京大芸人」





煙る鯨影(駒村吉重)

今日は、昨日あった問い合わせに関わる話を少し書いてみようと思います。
昨日あるお客さんに、「ヤンマガ(週刊ヤングマガジン)」を聞かれました。そのお客さんは売場を見ずにレジに来たようで、僕はとりあえずデータ上在庫が2冊あるはずということを確認してから週刊漫画誌の売り場に行きました。
しかし、ヤンマガが全然見つからないんです。2冊あるはずなんですけど、1冊も。もしかしてと思ってストックも見てみたんですけど、それでもない。おかしいなぁと思うわけです。
ただ、2冊あるはずという点を除けば、一つだけ思い当たる仮説がありました。週刊漫画誌のコーナーで立ち読みをしていた男性客がいたんですけど、もしかしたらその人が読んでいるのがヤンマガでは?
さりげなく確認してみると、やっぱりそうでした。2冊あるはずのもう一冊がどうしても見つからないのは腑に落ちないけど、とりあえず一冊はある。
でも、お客さんが立ち読みをしている本を奪うのはアリだろうか?
これはなかなか難しい判断でした。問い合わせをしてきたお客さんは、見た感じ100%買うだろうと思える人でした。一方、イヤホンを耳につけて立ち読みをしているお客さんからは立ち読みだけで買う気配は感じられません。
しかしまあとりあえずは、もう一冊あるはずの在庫を探すのが優先だろうかと思い、ないだろうと思いながらさらに周辺を探すも、やはりなく。
結局僕はその立ち読みのお客さんに声を掛け、その雑誌を買いにきたお客さんがいるんですがと断って奪い取ってきました。
結局問い合わせのお客様はヤンマガを買って行ってくれたので一応体裁としては悪くないと思いました。
ただ、どうでしょうね。立ち読みに全面的に賛成とは言わないけど、でもやっぱり立ち読みと書店は切っても切り離せないと思います。しかしやはり買いにきたお客さんが優先されるのは当然ではないだろうかとも思います。昨日の対応が正しかったのかどうかイマイチ自信はありませんが、まあそんなに間違っていないような気もします。
書店で立ち読みしている場合、昨日の僕のように奪い去るようなことがあるかもしれませんがご容赦ください。
あと、この話とはまったく関係ないんだけど、もう一つ別の話。これは、僕が未だに何をするのかよく分かっていない書店の仕事の話です。
それが、検品です。
書店系のブログや本なんかを読んでいると、「検品」という仕事が出てくるんだけど、僕にはこれが何なのかイマイチよく分からなかったりします。
入荷した商品と伝票が正しいかどうかチェックするということなら僕のいる店でもそれなりにやってるけど、そのことなのかなぁ。僕のイメージでは、入荷した商品を機械か何かでピッピと読んでいくみたいな仕事なんじゃないかと思うんだけど、でもウチはそんなことしてないしなぁ。
書店で働いている方で、検品が何なのか知っているかた、是非教えてください。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、小学館ノンフィクション大賞を受賞した作品です。
クジラが世界的な論争になっているという事実は皆さん知っているでしょう。僕は全然詳しくないけど、日本が捕鯨国として世界からバッシングを受けているというようなことは知ってるし、現在は調査捕鯨のみということになっているということも知っています。
さて本書は、日本でたった5艘だけ存在する商業捕鯨船の一艘に乗り込んだ著者が見た、商業捕鯨の現実を描いた作品です。
とこう書くと、首をひねる方もいるでしょう。僕もよくわかりませんでした。現在、商業捕鯨って禁止されてるんじゃなかったっけ?
国際捕鯨委員会(IWC)というところが、「商業捕鯨一時停止」に定めているクジラの種類がある。つまり、それに指定されていないクジラであれば商業捕鯨は可能なのである。たった5艘のみ存在する商業捕鯨船は、ゴンドウ鯨やツチ鯨という耳慣れぬ小型種を獲って生計を立てている。
舞台は、和歌山県にある太地という土地。
かの地は江戸時代からクジラ漁で名をなした土地だった。独特の手法を編み出し、クジラによって生計が成り立っていた土地だった。
しかし、小説にも多く題材にされるという「大背美流れ」という大惨事によって、太地のクジラ産業は大打撃を受けることになる。
著者はこの「大背美流れ」を知り、またたまたま商業捕鯨船が現役で存在することを知り興味を持った。著者の目的は、純粋に商業捕鯨船に関わる人々のあり方を知りたいというものだったが、しかしクジラに関わる人間には避けて通れない踏み絵がが存在する。
捕鯨に賛成なのか、反対なのかという立場である。
著者は、そんなことに巻き込まれたくないという主張を通し、本作でも捕鯨賛否論については深く踏み込んでいない。そんな著者だったからかもしれない、普段は取材はすべて断るという船長も、渋々乗船を許可することになったのだ。
伝統的にクジラによって生計を立てていたにも関わらず、IWCなんていうところが勝手に、獲っていいクジラの種類を決め、また獲っていいクジラの数も定めることになった。「捕鯨ノラトリアム」という大打撃を受けた太地の商業捕鯨の現実を、実際に商業捕鯨船に乗った経験を元に描いた作品です。
面白いかどうかは別として、なかなか興味深い作品だなと思いました。
そもそも僕には、クジラだけがどうしてこんなにクローズアップして議論されるんだろうという疑問があります。もちろん僕は、捕鯨賛否論について本書を読むまでほぼ知らなかったし、本書も基本的なところしか触れてないから詳しいことは分からないんだけど、それでも、例えばだけどアフリカなんかでやってる稀少種の密猟なんかの方がよっぽどどうにかしないといけないと思うんです。クジラは、そりゃあ乱獲によって多少数は減ってるかもしれないし、そりゃあ自然動物は一般に保護される方がいいとは思うけど、にしたって日本がこれほどバッシングされるほどの大罪なのかというとそんなことはないだろうと思うんです。たぶんもはや、本質的な部分っていうのは残っていなくて、とにかくクジラはダメなんだっていう、よく分からない弱い者イジメになってるんじゃないかって気がします。
とは言え、国内におけるクジラ事情も非常に複雑なものがあるようです。
日本は現在、調査という名目でクジラを獲り続けています。もちろん、調査のために捕獲したクジラは、その後肉が余ることになります。それは、クジラの調査をしている団体が市場に出すことになるんだそうです。
クジラの調査には年間60億円ほど掛かるそうですが、その内の9割をこのクジラの肉による利益から捻出しているんだそうです。
こういうやり方が、調査という名目を借りて実質的に商業捕鯨になってるみたいな批判はあるみたいなんですけど、とりあえずそれは置いておいて、この調査捕鯨による市場の寡占が、細々と続けている商業捕鯨船に打撃を与えることになっているわけなんです。
商業捕鯨が禁止されてから調査捕鯨が行われるまでは、商業捕鯨船が捕獲していたクジラには高値がついていました。何故なら、「商業捕鯨一時停止」と定められたクジラは市場には出回らないので、その代用品として商業捕鯨船が捕獲していた「商業捕鯨一時停止」以外のクジラの需要が高まったんですね。
でも、調査捕鯨が行われるようになると、「商業捕鯨一時停止」に指定されているクジラの肉が市場に出回ることになるんです。やっぱり「商業捕鯨一時停止」に指定されているクジラの肉の方が美味しいみたいなんですね。そうなると、代用品としての価値がなくなった商業捕鯨船が捕獲していたクジラは値が下がってしまうわけです。
日本は今IWCに、太地を初めとする伝統的な捕鯨地域に対して商業捕鯨を認めるように主張しているようですが、これはまったく認められる気配がありません。しかし、万が一この意見が通ったとしても、商業捕鯨船の現状にはあまり変わりがないかもしれません。というのも、既にクジラ市場は調査捕鯨を担う団体が寡占してしまっているわけです。そこに、規模の小さな商業捕鯨船が割り込む余地はあるでしょうか?
そんなわけで、どうしても衰退していくしかないように見える商業捕鯨船で、しかし今も現役で働いている人はいるわけです。その中には、まだ20歳そこそこという若者もいます。船というそもそも厳しい環境での仕事である上、IWCだのなんだのという様々なところの政治的な関係もあって思うようにいかない日々だけど、でも商業捕鯨船に乗っている人々はそんなことお構いなしという感じで日々船に乗り続けています。
捕鯨賛否論について詳しく踏み込まなかったという批判はあったようですが、これはこれでいいんじゃないかなと僕は思ったりします。著者のようなスタンスで商業捕鯨船に乗ったからこそ、賛成か反対かのどちらかの視点でしかクジラ問題を見れない人にはない視点で彼らクジラ漁に関わる人々と接することが出来たのではないかなと思います。
ノンフィクションというのは僕の中で勝手にワクワクドキドキみたいなものを求めてしまうんですけど、本作はそんな感じの作品ではありません。そこが僕の趣味とは若干合わない感じでしたが、それでも商業捕鯨船に乗るというなかなか出来ない経験を通じて、クジラと共に生きる人々を活き活きと描いている作品だと思いました。深く踏み込んではいないとは言え、一通りの捕鯨賛否論についても分かるようになっています。去年は「蟹工船」がヒットしましたけど、今年は「商業捕鯨船」…なんてことはまあないでしょうけどね(笑)。興味があれば読んでみてください。

駒村吉重「煙る鯨影」




家族の言い訳(森浩美)

今日は、雑誌の発売日や書籍の発行日なんかについて書いてみようと思います。
書店で雑誌をよく買う方なんかは、一度くらい不思議に思ったことがあるでしょう。何で3月に4月号が出ているのか、と。
何となくの理由は知っていたんですけど、詳しいことは知らなかったのでざっと調べてみました。
まず週刊誌と月刊誌で、記載していい期限があります。週刊誌の場合15日先まで、月刊誌の場合40日先までの記載が可能です。つまり、3/9日に発行される週刊誌には、「3/24発売号」と記載することが出来るし、例えば3月20日以降に発売する雑誌には、5月号という表記まで可能ということになります。これは、日本雑誌協会というところが定めているんだそうです。ただ実際のところは、週刊誌の場合は二週間先の日付(つまり3/9発売の場合、3/23発売号という表記になる)、月刊誌の場合翌月の記載になるのが普通です。
で、どうしてこんなことになっているのかというと、昔の慣習がそのまま残っているということらしいです。昔はこのやり方には一定の利点があったわけです。昔は交通事情があまり発達していなかったため、印刷してから店頭に並ぶまでの時間差がかなりあったんだそうです。そのためこういう措置が取られた、とか。でも今では、雑誌を古く見せないという利点の方がきっと大きいんでしょうね。例えば2月の28日に発売された雑誌が「2月号」という表記だったら、次の日から3月になるわけで、そうすると3月になっても2月号があるから古いみたいな判断がされてしまうというようなことですね。もちろん、今ではどの雑誌もこの慣習に則っているので、意味があるのかどうか定かではないですけど。
しかしこの雑誌の発売日の表記に関しては本当に止めて欲しいと常に思います。一番困るのは客注時ですね。
客注というのは、お客さんが欲しい本を店頭で注文し、それを書店が出版社に発注するということですけど、その際、雑誌のどのバックナンバーなのかをはっきりと特定するのが酷く面倒で、ミスも起こりやすくなるわけです。
月刊誌はまだましだと思います。お客さんは、「○月号」が欲しい、という形で注文にやってきますけど、それは大抵雑誌に表記されているもの、つまり発売日から一か月先の表記のものです。ただ月刊誌の方でも、お客さんが言った「○月号」というのが、「○月に発売したもの」という意味だったりするので確認が必要です。そもそもお客さんの中に、発売日とその表記が違っているということを知らない人も恐らくいると思うので、そういう人の場合、「○月に発売したもの」という意味で「○月号」という言い方をするので注意です。
これが週刊誌になるとさらに厄介です。何故なら、週刊誌を買っている皆さんもそうだと思いますけど、週刊誌の「○/●発売号」なんて表記そもそも見ないですよね?もちろん覚えてるわけもないと思うんです。ただ週刊誌だから、毎週何曜日に出るかっていうのはお客さんの方でちゃんと分かってる。自分が欲しいのが先週出たものなのか、あるいは先々週出たものなのかということぐらいは分かる。そうなるとカレンダーを見て日付が分かるし、で注文の時に「○/●発売号」という言い方で、「○/●に発売したもの」を注文したつもりになるお客さんがいるわけです。
もちろん僕はその辺りのことをきちんと確認するし、スタッフにもいつも注意するように言っているんだけど、どうしてもミスが出てくる。それはこういうケースが一番多いですね。お客さんに、「○/●発売号」という風に言われて、そのまま客注表に書いてしまう。スタッフは、「○/発売号という表記のあるもの」なのか、「○/●に発売したものなのか」をそもそも確認しないまま注文を受けてしまうんですね。
僕は常に、「○/●に発売したものですか?それともそういう表記のものですか?」と確認するようにしているし、ネットで画像が出てくるのであればそれを見てもらうようにするし、お客さんが覚えていればどんな特集が表紙に書かれていたのかを聞くようにしています。もちろんスタッフ全員がそれを注意して注文を受けるべきなんですけど、なかなか完全にというのが難しい。どうしても、時々ミスが出てお客さんに確認しなくてはいけないことになるし、時には間違いに気付かないまま発注してしまい、会計時に気づいて再発注になるということもあります。もちろんスタッフが悪いんですけど、そもそもこんな仕組みになってなければこんな面倒なことにならなくて済むのにな、といつも思います。
それに比べたら書籍の発行日なんてのはどうってことはないですね。こちらは本の最終ページ辺りに書かれていることが多くて、奥付(正確には奥附らしいですけど)と呼ばれています。
この奥付は、今では慣習で残っているだけで、記載する義務みたいなものはないみたいです。そういえば話はまったく変わりますが、時々古い本を読んでいると、奥付に<検印廃止>みたいな表記があったりします。あれって未だに何のことかよく分からないんですよね。まあどうでもいいんですけど。
書籍の発行日は、注文の時にトラブルになるわけでもないのでどうでもいいんですけど、ただ「このミステリーがすごい」とか「本屋大賞」なんかだとちょっと関わってきますね。奥付の発行日がいついつからいついつまでの本が対象、みたいなことが決められていますからね。まあ書籍の発行日が関わるのはそれぐらいでしょうか。あれも大抵、発売日よりも先の日付が記載されています。
まあそういうよく分からない慣習が出版業界にはいろいろあると思うんだけど、雑誌の発売表記だけはホントどうにかしてほしいと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は8編の短編が収録された短編集です。

「ホタルの熱」
旦那と別れ、幼い子供と二人暮らし。いい加減嫌になって二人で死んでしまおうと電車に乗ったところ、子供の具合が急に悪くなる。「ごめんね」と繰り返す子供をおぶって病院へ行き、その後一軒の寂れた宿に泊まる。人懐っこい女将さんの温かさに触れ…。

「乾いた声でも」
過労死で死んだ夫に焼香を上げに、会社の先輩がやってくる。ポツリポツリと亡き夫の話をする二人だが、仕事仕事で時々浮気もしていたと疑っている妻は、夫のことをまったく知らなかったことに気付かされ…。

「星空への寄り道」
ITバブル期に立ち上げた会社が一向うまくいかず、結局会社を畳むことにした。その残務処理をしているある日、帰りにタクシーに乗った。腰の低い運転手と問わず語りをしている内に、自分がこれまでしてきたことを思い返すようになり…。

「カレーの匂い」
とある女性誌の副編集長であり、陰の編集長と言われるやり手だが未だ独身。結婚願望がないではないけど、特に焦る気持ちもない。母や友人に、時には負けることも必要だと言われるが、バリバリ生きていく気持ちに変わりはない。
そんなある日、かつて使っていた女性ライターの一人と再会し…。

「柿の代わり」
かつての教え子と結婚したが、突然離婚を切り出される。妻の気持ちは知ってはいたが、自分で気づいたわけではなかった。「若い子は見切りが早いから」という前の彼女の言葉が蘇る。
女子高の教師として、トラブル続きの日々をやりくりしているが、またクラスの女子から連絡があり…。

「おかあちゃんの口紅」
税理士として成功し、家族に裕福な暮らしをさせているが、家族の反応にイマイチ納得が出来ない。妹から掛かってきた電話で、母の病状を聞きにいってくれと言われ渋々病院まで行くが…。

「イブのクレヨン」
フリーでイラストの仕事をしながら、働きに出ている妻の代わりに血の繋がっていない娘を迎えに行く。不満があるわけではないが、なんとなくどうしたらいいかわからない。母との関係について妻に詰め寄られ…。

「粉雪のキャッチボール」
母を振り切るようにして、軽井沢のホテルの支配人として単身飛び出した父。しばらく接触がなかったその父から連絡があった。話があるから来てくれないか。
ホテルで父の評判を聞くと、中村という若いボーイは、父のような支配人になりたいという…。

というような感じです。
著者は作詞家として有名なんだそうです。著者の名前は知りませんが、SMAPの「青いイナズマ」とか、kinki kidsの「愛されるよりも愛したい」など、僕でも知ってるような歌を作詞している人なんだそうです。最近この文庫が売れているようで(ウチでも割とよく売れていきますが)、それで読んでみました。
タイトル通り、全体的に家族の話がメインになっています。人生の選択を間違えた、とは言わないまでも、予期していなかった未来に戸惑ったり、過去のわだかまりを捨てきれなかったりする人々が、不器用ながらも前に進もうとする、そんな作品だと思います。
ただ、もし重松清の家族小説を読んだ人が本書を読んだ場合同じことをすると思うんだけど、どうしても重松清の作品と比較してしまうんですね。家族の扱い方とかストーリーの展開のさせ方なんかが、非常に重松清を彷彿とさせる作品だと僕は感じます。
で、やっぱりどうしても圧倒的な差で重松清に軍配が上がるんですね。まあ、作詞家としては有名でも、小説家としてはまだまだデビューしたばかりで、そんな新人と重松清を比べるのは酷く可哀そうだと僕も思うんだけど、それでも比べないわけにはいかないし、重松清の作品よりどうしても劣っているなぁと思ってしまいます。まあこういう作品を書くなら、重松清を超えないと名を残すのは難しいだろうなというのが僕の正直な感想です。本作がダメというわけではないんですけど、同じ家族小説を読むなら重松清の方をお勧めする、という感じです。
話として好きだったのは、「カレーの匂い」と「イブのクレヨン」です。
「カレーの匂い」は、ラストがなかなかスパッと決まっていいですね。女ってすげぇなって思います。男としたら、ちょっと怖い話ですけどね。
「イブのクレヨン」もラストがなかなかよかったと思います。僕が同じことをされた時喜べるかどうかは別として(もしかしたらダメかもしれない)、ストーリーとしては非常によく出来ていると思いました。
「ホタルの熱」と「おかあちゃんの口紅」はラジオドラマや入試問題にもなったようです。まあ、作詞家としての知名度もあったのかもしれませんが、作品自体の質としてはなかなか上出来かなと思います。ただ何度も書きますが、どうしても重松清を超えることが出来ていないので、手放しで絶賛は出来ないなぁという感じです。重松清の家族小説を読んだことがあるという方にはあまり薦めたくないですが、そうでない方には読んでみて欲しいなと思います。

森浩美「家族の言い訳」




ノーサラリーマンノークライ(中場利一)

そろそろ内容に入ろうと思います。
金子哲也、職場では「カネテツ」とか「ザル」とか呼ばれている僕は、合併で大きくなった銀行に勤めている。でも合併された側で、出身大学によるカースト制度の選別ではランク3。大プロジェクトにも参加したことのない程度の社員だ。
僕はいつだって辞めたいと思っているし、辞めてやろうと思うことも何度もある。何かある度にボールペンでこめかみをグリグリする上司には嫌気がさしているし、仕事だって面白くも何ともない。銀行の営業なんて無茶苦茶なことをやっている。あぁ、辞めたい。
でも、かつての先輩が脱サラしたその後を見ていると、フリーになる勇気なんてないし、どこか別の会社から声が掛かれば考えるけど、自分から動こうという気はない。辞めたいといつも思いながら、どうしてもつい頑張ってしまう。悲しいサラリーマンの性。
ふとしたことで再会した幼馴染みのサージや、行内のあらゆる情報について書かれていると恐怖されている今井ノートを作り続けているリテール(個人用窓口業務)の今井さん、今井さんの友人として知りあいいい関係になっていくチナツなどとの人間関係も複雑にもつれていく。職場でもトラブル続き、プライベートでもドタバタ続きの僕は、一体どうしたらいいのか悩むが…。
というような話です。
本作はなかなか珍しいと思うんだけど、「日経ビジネスアソシエ」っていうビジネス雑誌に連載されていた小説みたいです。前からあったかもしれないけど、最近はこういう文芸誌以外でも小説を連載するというのが結構多い気がします。僕がそれまで知らなかっただけかもしれないけど。
この本は、ちょっと仕事の関わりで読んでみることにしたんだけど(いろんな関係で、プッシュしたい本を選定しなくてはいけないのだ)、これは素晴らしく面白かったですね。とりあえずその仕事との関わりの方ではこれを押すことにします。
中場利一というと「岸和田少年愚連隊」が一番有名でしょうが、僕は読んだことがありません。ちょっと前に、これまた仕事の関係で「NOTHING」という作品を読みましたが、これがなかなかよかったんですね。でも本作はそれ以上に素晴らしい出来でした。
本作では、ものすごくダメな人間ばっかりが描かれていくんです。本作で最初から最後までまともなのって、たぶんチナツだけじゃないかな。それ以外は、みんなどこかおかしかったりおかしくなったり、あるいは初めはおかしかったけど普通になったりと、とにかくちょっとダメな人たちが集まってるんです。
でも、じゃあ現実から浮いたキャラクターなのかっていうと、それが全然逆で、ものすごく現実にいそうなキャラクターばっかりなのだ。どの人間も、ダメなんだけどとにかく必死で生きてる。やり方は間違ってるかもしれないけど、それでも自分が正しいと思うやり方で必死で足を前に出そうと努力している。底の部分にそれがあることがきちんと伝わってくるので、地に足のついたキャラクター造形になっているのではないかなと思いました。
キャラクターで一番好きなのは、カネテツの幼馴染みとして出てくるサージです。サージは後半めっきり出てこなくなってしまうので悲しかったですが、めちゃくちゃいいキャラでした。初めはすごく印象の悪い登場なんだけど、実はいい奴だということが分かってきます。ふらふら生きている人間で、適当にバイクなんかを修理して生計を立て、勝手にカネテツの家に住み始めちゃうような奴なんだけど、人の心をがっしり掴む男でファンが多い。男気のある奴で、ものすごく男らしい。カネテツとはまったく真逆の男で、非常に清々しいのである。
また、チナツもとってもいいですね。さっきも書いたけど、本作中唯一と言っていいほど、初めから最後まできちんとしている。しかも、女なのに男気にあふれている一面もある。こんな女性が近くにいたらかっこいいだろうなと思うのだけど、でも見た目はキリっとしているわけでもなく普通の女性。なかなかギャップがたまらないですなぁ。
この二人と比較してしまうと、カネテツの人間としての底の浅さが非常に悲しくなってくる(しかしそれは、僕自身が人間として底が浅いということをジワジワ指摘されているみたいなところもあって、それで悲しかったりもするのだけど)。チナツもサラリーマンなのだけど、サラリーマンの性というのは感じない。しかし、銀行という業界があまりに特殊ということもあるのかもしれないけど(読んでて、死んでも銀行では働けないと思った)、カネテツは男である前に人間である前にサラリーマンというような、実に悲しい男なのだ。
これはしかし、上司であるシートが口にした言葉でもある。自分がかつて、幼馴染みだったとある会社の社長にどれだけ酷い仕打ちを語った後で、自分は人間である前に男である前にサラリーマンなんだ、と語るのだ。カネテツはシートのその言葉に疑問を抱くが、しかし悲しいかな、カネテツも同じ側の人間だ。人間である前に男である前に、サラリーマンとしての自分を考えてしまう。チナツやサージはそういうところがまったくない。サージは無職だし、差別的な意味でかくつもりはないけどチナツは女性だから、単純にカネテツと比較するのは酷かもしれないけど、しかしやっぱりカネテツは見ていて悲しくなってくるキャラクターである。
しかし、カネテツのプライベートに関してはともかくとして、カネテツの仕事の部分に関しては共感してしまう人も多いのではないだろうか。僕は大分昔から(たぶん意識し始めたのは中学生の頃だけど)サラリーマンとしてやっていくのは無理だと思っていたし、事実アルバイト以外の仕事をしたことがないから、サラリーマンというものを具体的にイメージすることは出来ないんだけど、それでもカネテツには同情してしまうくらい何となく分かる。自分が同じ立場にいたら同じことをしてしまうんじゃないかということが分かる。それは人間としては悲しいけど、でもサラリーマンとして生きていくには必要なことで、それがタイトルにもよく表れてる。「ノーサラリーマンノークライ」、泣かないサラリーマンはいない。恐らく世の中の多くのサラリーマンも、カネテツのように不満や悲しみを抱きながら、それでもサラリーマンとして必要なことを日々やっているのだろう。いや、僕には無理だ。やっぱサラリーマンとか僕には無理だよなぁ。
職場の人間にも濃いキャラクターはいっぱいいる。ボールペンでグリグリする上司は、中盤で意外な展開になる。これまでシートのことを完璧に嫌っていたカネテツだが、しかしシートの言葉がグサリとカネテツの奥底に届く。
「軸足をつねに前に置け」
シートはいけすかない上司だが、しかし上に行くために日々努力をしている。それがどれだけ人間性を失うものであっても、サラリーマンとしてひたすら生きることをシートは決意している。確かに上司としてシートはいけすかない奴だが、しかし目標に向かってあくどいくらい努力をしているという点では、カネテツよりもずっといいと言えるかもしれない。文句ばっかり言ってないでやることやれ、ということである。
花木という同僚もなかなか面白い。合併した側の人間で、普段から冗談を言っているような男なのだが、しかし中盤でこれまた大変なことになる。しかし、これが人ごとではないと実感できる人ももしかしたら少なくないかもしれない。花木予備軍は、恐らくそこらじゅうにたくさんいることだろう。サラリーマンの恐ろしいところである。
あと、とにかく数字にしか興味がない山田さんとか、行内の情報を隅々まで知ってる今井さんとか、ちょっと後になって出てくるいけすかない新人サーカスとか、これまたちょっと後に出てくるカネテツの上司であるメーデルとか、まあとにかく濃い人間ばっかりである。僕はこんな人たちと一緒だったらほんの短い期間でも一緒には働けないと思う。イライライライラ。
サラリーマンの話ではあるけど、仕事の話ばっかりではない。カネテツのプライベートに関わる話も非常に面白い。
カネテツ・サージ・チナツ・今井さん・今井さんの彼氏と言った実に少人数による話なんだけど、これがドタバタでとても面白いのだ。基本的に恋愛のドタバタなんだけど、仕事絡みでプライベートがドタバタしたり、あるいは恋愛とは関係ない部分でトラブルが起こったりと、まあとにかくいろいろ起こる。こっちはこっちでドタバタばっかりだし、ちょっとイラっとするような場面も出てくるんだけど、仕事の描写ほどムカつくような場面はないので、仕事の描写の間にこのプライベートの描写を挟むのは非常にうまいやり方だったなと思います。
まあそんなわけで、最初から最後まで滅法面白い話でした。そろそろ感想は終わりにしますが最後に一つだけ。
解説を書いているのが、本作を連載していた「日経ビジネスアソシエ」の編集長という人なんだけど、その人が著者と話している時、著者がこんなことを言っていたという話が解説に書かれていました。

『ネタというのは自分の中にいったん取り込んでちょっと寝かさんと面白くないんですよ。自分のもんにならないですから。それでメモをね、全部捨てたんです。で、覚えてる分だけで書きました』

これはすごいと思いましたね。本作は、それはそれは丹念な取材が必要な作品だと思うんだけど、それに関するメモを全部捨てちゃうんですからね。なかなか出来ることではないと僕は思いました。僕なら同じことをするにしても、もしかしたら万が一チェックしないといけないことが出てくるかもしれないからなんて思って、執筆中は絶対みないと心に決めて、メモは捨てないでしょうね。
まあそんなわけで、著者が初めて物したサラリーマン小説です。荻原浩のサラリーマン小説のようにユーモアのある作品ですが、荻原浩とはどこか違う印象のある作品です。サラリーマンの方にはもちろんオススメですけど、サラリーマンでなくても十分楽しめることでしょう。是非読んでみてください。

中場利一「ノーサラリーマンノークライ」




gift(古川日出男)

さて今日は、僕がレジをしている時に気をつけていることについていろいろ書いてみようかなと思います。まあせせこましい話ばっかりですけどね。
僕は自分がお客さんとしていろんなお店に行ったときに嫌だなと感じることについては、なるべく自分はやらないようにしています。そういうものの中に、小銭とお札どっちから先に返すかというものがあります。
普通大体どこのお店でも、お札から返すようになっていると思います。理由は分からないけど、きっとそういうようなマニュアルみたいなものがあるんでしょうね。
ただ僕は、小銭から返して欲しいなっていつも思うんです。これは、最近よくありがちな、全自動のレジ(スタッフはお金をレジに入れるだけで、お釣りは自動的に出てくるやつ。僕のいる店はこのタイプではありませんが)だと余計にそう思います。
というのも、まずお札を受け取りますよね?で、それ財布に入れるのって結構手間取りませんか?お札を財布にしまうのって、多少時間が掛かるんです(これはいつもレジでお客さんを見ていてもそう思います)。で、その後小銭ですよね。例えばお釣りが789円とかだったらスタッフの人が小銭を取り終わるのに多少時間がかかるんですけど、お釣りが100円とか、あるいはさっき言ったような全自動のレジだったりすると、小銭が手渡されるのが早いんです。タイミング的に、まだこっちはお札を財布にしまってるのに、もう小銭が来る、みたいな感じになるんですね。
僕はそれが嫌なので、自分でレジをする時は小銭から返すようにしています。時々お客さんで、財布の中で小銭を分類している人(500円玉・100円玉のグループとそれ以外みたいな)がいたりするので、そういう場合多少タイミングが合わなかったりしますけど、そうじゃなければ、小銭を財布にしまうのはすぐ出し、僕がレジからお釣りのお札を出すのもちょっと時間がかかるので、微妙な間がなくなって僕はいいなと思っています。ただ時々お客さんの中には、小銭をもらった段階でお釣りをすべてもらったと思いこんで帰ろうとする方がいたりしますが、まあそれは逆の場合でも同じように起こるだろうから大して問題ではないだろうと思っています。
また同じく僕が嫌だなと思うのは、こちらがお金を出し終わっているのにすぐに会計をしてくれない場合です。これはコンビニなんかでよくありますね。弁当や総菜などを買うとします。店員が商品をレンジに入れたり割りばしを用意したりといろいろしてる間に、僕はお金を出し終わるんです。でも、自分の仕事がひと段落しないと会計してくれないんですね。
あれが僕は嫌いなんです。だって、財布をしまえないじゃないですか。お金を出し終えた時点でさっさと会計をしてお釣りをくれれば、僕は財布をさっさとしまえて、後は商品を受け取ってさっさとレジから立ち去るだけです。でも最後まで会計をしてくれない場合、財布はしまえないしレジから立ち去るタイミングも遅くなるのでイライラするんですよね。
だから僕は、カバーをしている途中だろうが袋に入れている最中だろうが、お客さんがお金を出し終わったなと判断した時点ですぐ会計をするようにしています。
まあこれらのことが本当にお客さんのためになっているかどうかはよくわかりませんが、まあ僕なりのこだわりです。
もっと細かな話をしましょうか。例えば、僕のいる店では文具やお菓子なんかも売ってたりするんですけど、そういうものって袋に入れなくてもお店のテープを貼るだけでよかったりする場合ってありますよね。そういう時、もちろんお客さんに「こちらテープでもよろしいですか?」と確認をするんですけど、この確認をしている最中にテープに手を伸ばさないように気をつけています。
他のスタッフを見ると、「テープでもよろしいですか?」と聞きながら、同時に手をテープまで伸ばしていたりします。それって、質問の形を取ってるけど、お客さんとしては選択肢ないんじゃないかなぁとか僕は思っちゃうんですよね。もちろんお客さんとしてはそんなこと気にしてないかもしれないけど、僕は気をつけています。
またこれとは逆の話が、袋に入れるかどうか聞く時です。カバーを掛けた本1冊とかで、お客さんがバッグなんかを持っているような場合、袋に入れなくてもいいかなというような場合があるんだけど、そういう場合も「袋にお入れいたしますか?」と聞くようにしています。ただそれを聞いている時、必ず袋に手を伸ばすようにしています。お客さんの方から見えているかどうか分かりませんが、一応こうすることで僕の中で、こちらとしては袋に入れる用意はありますがお客さんがいらないというのでしたら入れませんよ、というアピールをしているつもりです。袋に手を伸ばさないまま袋に入れるかどうか聞くと、まるでこっちが袋に入れたくないみたいな風に聞こえないかなとか思ってしまうんですね。
他にも、今パッとは思い出せないけど気をつけていることはいろいろあるんだろうなと思います。まあ一つ一つは正直どうでもいいことなんですけどね。それでも、まあ丁寧にやっていこうと思っています。
何ですけど、僕が直そうと思いながらどうしてもうっかりやってしまうことがあるんですね。それは、「カバーをお掛けしますか?」とお客さんに聞いて、「いらない」と言われたにも関わらず、無意識の内にカバーをしていることです。これ、僕の場合かなり頻繁にあるんです。途中で気づいて止めることもありますが、その場合でも、カバーそのものには確実に手は伸びています。もう本を持つと、反射的にカバーをするものだというスイッチが入ってしまうことがよくあるんですね。まあ、カバーを掛けられてすごく困るなんていうお客さんはそこまでいないだろうから実害はそこまでないと信じたいけど、これは意識してなんとかしないとなぁと思っています。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、掌編20話が収録された作品です。「掌編」という言葉を使いながらよく分かっていませんが、ショートショートみたいに短い話のことだと思います。

「ラブ1からラブ3」
妖精の足跡を捕まえたという知人の話を聞き、自分でも確かめようとビデオカメラで撮影をする。

「あたしはあたしの映像の中にいる」
餓死して死のうと決めた少女がたどり着いた廃墟のマンション。そこにあった場違いな少女の部屋。

「静かな歌」
奄美大島に来て犬に吠えられヤギに会いよくわからないままこの手紙を書いている青年。

「オトヤ君」
石川県に生まれた一人の天才。1歳半で辞書のすべての言葉を覚え、3歳にしてアラブ首長国連邦で大統領より有名になった赤ちゃん。

「夏が、空に、泳いで」
屋上で偶然出会った旧友が、屋上に密かに隠している秘密。

「台場国、建つ」
臨海副都心の水位が何らかの影響で急上昇し、孤立した観覧車。その絶望的な状況の中から、コミュニケーションが生まれる。

「低い世界」
13歳になったあたしは、<低い世界>から排除される。<低い者>に出会ったらおしまいだ。

「ショッパーズあるいはホッパーズあるいはきみのレプリカ」
本物の銃に見えるモデルガンを買った少年は、コンビニで働き始める。

「ちいさな光の場所」
女性二人のユニットと録音をするために訪れたある山。

「鳥男の恐怖」
街を舞台にした伝統ある戦いに紛れ込んだ鳥男。

「光の速度で祈っている」
叔父夫婦が猫を生んだらしい。

「アルパカ計画」
アルパカを大量生産するためのコンテナである<アルパカの方舟>。男の思考が途切れ、アルパカは迷走する。

「雨」
雨の音に反応して、体が自然とダンスを踊る。

「アンケート」
無人島にもっていく私物三つは?

「ベイビー・バスト、ベイビー・ブーム 悪いシュミレーション」
少子化の日本に起った、突然の年若い結婚ブーム。皆16歳になると一斉に結婚し出し、子供をバンバン生むようになる。

「天使編」
砂漠からの脱出を目論む一人の女性。

「さよなら神様」
駐車場に止められたセダンのトランクに、次々と人が入っていく。

「ぼくは音楽を聞きながら死ぬ」
無人島で幻想の音楽を聞きながら過ごしている。

「生春巻占い」
猫の夢を見るのは、生春巻きを食べた次の日だった。

「ロックンロール中華街」
ロックンローラーとスタッフが中華街で打ち上げ。

というような話です。
本書はたった190ページの本なので、単純計算すると一話約10ページ。1ページで終わる話もあるので長さに長短はあるけど、どれも基本的には短い話ばかりです。
しかし、本作の一番凄い点だと僕は思うんだけど、これだけ短い話なのに、どの話も古川日出男の作品だということがはっきりと分かる。もし著者名を伏せられた状態で本作に収録された掌編を読まされても、間違いなく古川日出男の作品だということが分かると思います。
普通本を読んでて、ここまで作家の個性が表れることってなかなかないと思うんです。僕が、名前を伏せられた状態で読んでも分かるだろうなと思っている作家は4人。伊坂幸太郎・村上春樹・舞城王太郎、そして古川日出男です。もしかしたら森見登美彦も分かるかも。それ以外は、たぶん自信を持って作家を当てることはできないだろうなと思います。もちろん、後から作家の名前を聞いて、なるほど確かにそう言われればそうだ、となるだろうとは思うけど、でも読んだだけで作家名が分かるほどの個性を持った作家というのは、本当に限られていると思います。
本作に収録された掌編は、本当にどれも古川日出男らしさが表れています。時に抽象的だったり、時に具体的だったりと様々な描き方をする作家だけど、根本的な部分がブレていないというか、すべてが同じ源から生み出されているのが分かるというか、そんな感じあするんですよね。
古川日出男の作品っていうのはどれも、作られたっていう感じがしないんです。本書の帯に、<神さまの手から零れ落ちたような、鮮やかで優しい20の物語>とあるんだけど、確かに神さまの手から零れ落ちたという表現がさほど大袈裟ではないような気がします。人間が作ったものではない、なんて表現だとちょっと大げさすぎるかもしれないけど、でも人工物という感じはしないんです。長い歴史を経て存在し続ける自然のように、<そこにあるもの>という印象が非常に強いと感じました。
本書は、好き嫌いがはっきり分かれる作品だろうと思います。もともと古川日出男の作品がそんなところはありますけど、本作は特にそうかもしれません。僕は相当好きです。よく分からない掌編もいくつかあったけど、大抵どの話も好きでした。現実を解体したり、日常を不連続にしたりして、不思議な世界を生み出しています。頭で考えて読む本じゃなくて、もっと深いところで感じながら読むみたいな、理解するんじゃなくて受け入れるというような、そんな作品だなと思います。
僕が特に好きな話は、「夏が、空に、泳いで」「台場国、建つ」「ショッパーズあるいはホッパーズあるいはきみのレプリカ」「光の速度で祈っている」「ベイビー・バスト、ベイビー・ブーム 悪いシュミレーション」「さよなら神様」辺りでしょうか。きちんとしたストーリーがありながら不可思議な世界を描いているのが好きです。逆に、あんまりストーリー性を感じられない掌編はちょっと好きになれなかったなぁと思います。
一つ二つならすぐ立ち読み出来る本です。気になったら本屋でちょっと読んでみてください。古川日出男作品が初めてだと、その濃厚な世界観にちょっとびっくりするかもしれないけど、古川日出男という作家に興味が湧くのではないかなと思います。

古川日出男「gift」




みじかい眠りにつくまえにⅡ(金原瑞人選)

今回はいいタイミングなので、ゲラについて書こうと思います。
ゲラという言葉はまあ一般的ではないでしょう。僕も本屋で働いてしばらくするまでたぶん知らなかったと思います。書店で働いていても、ほとんど関わらないですからね。
ゲラというのは、出版社が本を製本する前に、誤字脱字をチェックしたりするために読む用のものです。ただA4サイズのプリンター用紙が重なっているだけの代物です。
元々このゲラというのは、出版社の人しか読んでいなかったはずです。出版社が製本する前のチェックのためという本来の機能しか持っていなかったはずです。
ただ最近の書店員は(と言っても、一部の有名どころの書店員に限られますが)、出版社から次から次へとゲラが送られてくるんだそうです。先日書店員が集まる場で紀伊国屋書店の方と話をする機会があったんですけど、その方もゲラばっかり読んでると言っていました。
これは、本屋のあり方が昔とは大きく変わったということを示している一つの例だと僕は思います。
昔の本屋というのは、新刊さえきっちりと置いていれば売上はきちんと取れたんだそうです。どこの書店も似たりよったりだっただろうけど、そもそも交通機関がそこまで発達してなくて遠くの本屋にちょっと出かけるなんてことはなかっただろうし、インターネットがないだろうから他の本屋がどうかなんて情報が回ることもない。そんな世界が狭い時代には、それでよかったのかもしれません。
ただ最近ではそれは大分変ってきています。とにかく、新刊が売れない売れない。アホみたいな話ですが、昔と比べたら新刊の点数は増えてるんです。正確なデータではないかもしれないけど、ある時点と比べると新刊点数が二倍になったとか、そんなのをどこかで読んだような気もします。とにかく、うんざりするほど新刊は出るくせに基本的に売れないというのが今の書店の現状です。
ただ漫然と新刊を並べてたんではそもそも売上が立たないのに、さらに新刊点数が多いんだからあまり売れそうにないものを絞って売れそうなものを大きく展開するという流れになっていくのはまあ当然かもしれません。
そうなると、何を基準にそれを選ぶのかということになって、それで出版社はどこも書店員にゲラを送るようになったんだろうなと思います。発売前に読ませて、よかったら大きく展開してくださいね、ということだ。
大きな書店の書店員にしかゲラがいかないのは、とにかくベストセラーを牽引するのはどうしても大きな書店だという現実があります。もちろん、小さなお店だって面白い本を発掘して売ることは出来るけど、それを全国的な規模に波及させるにはどうしてもメジャー級の書店の牽引が必要になってきます。ゲラだってそんなに刷ってるわけにもいかないので、畢竟大きな書店の限られた書店員の元に渡っていくことになるわけです。
僕はこれまで、献本も含めれば7冊もらったことがあります。献本というのは、書店で売っている形の完成された本を出版社がくれるというものです。あとはまた別に、仮綴じ本みたいなものもあります。これは、普通の本みたいな形になっているけどきちんと製本されているわけではないという、やはりお試し読み用のものです。昔、本多孝好の「正義のミカタ」が出る前に、書店にその仮綴じ本が配られたのを覚えています。
話を戻すと、その7冊の内訳は、ゲラが4冊と献本が3冊です。ゲラは、今回の「みじかい眠りにつくまえにⅡ」と、蒼井上鷹「俺が俺に殺されて」、雫井脩介「犯罪小説家」、池田浩明「さおだけ屋はなぜ潰れたのか?」、献本は、エリザベス・コストヴァ「ヒストリアン」、田中真知「孤独な鳥はやさしくうたう」、藤谷治「船に乗れ!Ⅰ」となります。こうやって覚えていられるぐらいだから少ないものですね。何か忘れてたら申し訳ないけど…。
この内、「ヒストリアン」と「さおあけ屋はなぜ潰れたのか?」は、書店員としてではなく、黒夜行のブロガーとしてもらいました。ブログを通じて連絡があったものですね。それ以外のものについては、営業の人がくれたり、いろいろちょっとした関係があってもらったりというような感じです。
基本的にゲラというのは、文芸書が発売になる前に出回るものです。というか、判型はどうでもいいんだけど、初めて本になる時(つまり文庫化とかではない時)に出回るわけで、それはやっぱり文芸書が多いです。僕は文芸書の担当ではないので、そもそもゲラなんか読んでも仕方ないんですよね。それでも、もらえるものはもらっておきましょうといつも思っています。ゲラはとっても読みにくいですけど、なんか嬉しい気分になるので好きだったりします。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、翻訳家である金原瑞人が選んだアンソロジーです。この前この出版社の営業の方が初めてきまして、で僕は「みじかい眠りにつく前にⅠ」を結構売ってたんです。だからⅡのゲラをくれたというわけなんです。ついでに「船に乗れ!Ⅰ」って本もくれましたけど。これは近いうちに読む予定です。
内容紹介は僕が読んだ順(つまりゲラに乗っている順番)で書きますが、それが製本された時どうなっているかは知りません。

あさのあつこ「真菜の来た夏」
母親が入院したとかで、従姉妹の真菜がひと夏うちにいることになった。無愛想でつんけんしているよくわからない奴だったけど、その内笑うようになった。ある日飛び出して行った真菜を追いかけていくと…。

山尾悠子「月触」
従姉妹からの電話で、その一人娘を一日預かることになった。一人でやってきた娘を誰かに押し付けようと女友達に片っ端から電話をするもまったく捕まらず。仕方なく京都の街をうろうろすることになるのだが…。

森絵都「フェスティバル」
有名な予言者が、明日世界は滅亡すると予言して、それが学校で話題になっている、というショートショート。

石井睦美「連帯のメールを送る」
隣の隣に住んでいるおばさんが何だかいつもと違った。別に俺には関係ないけど。母親がまた夕飯のお金を置いていかなくてむすっとしていると、そのおばさんがおでんを持ってやってきて…。

大島真寿美「げた箱は魔法のクスリ」
体育の時間の前になるとどうしてもお腹が痛くなる。神経性のものらしく、最近自分が飲んでいたのが偽薬だということを知ってショックを受ける。
近所の友人に、げた箱は魔法のクスリだからねと教えてもらって、ある日お腹が痛くなったら時げた箱に行ったけど…。

加納朋子「白いタンポポ」
夏休みの終わりに小学校でやるミニキャンプみたいなものの手伝いの行くことになった。友人が教員免許取得を目指していて、今からあれこれ準備に余念がないためだ。
そこで、真雪ちゃんという女の子に出会う。とある先生からは、タンポポを白く塗っちゃったんで、情緒がないんじゃないかという話を聞く。一緒にいててあげてくれないかな?

川島誠「愛生園」
孤児院での話。そこを出ていったある少年の一人語りと、そこで生活するある少女の日記と、最近入ってきたある少年の話。

松村栄子「窓」
予備校で窓の外ばかり見ていたら、同じクラスの男子に気に障るから止めてくれと言われた。私だってマズイと思ってる。それでもどうしても目を離せないのだ。予備校の窓から見える病院の屋上にいる一人の少年のことを…。

壇一雄「花筐」
初めの方を読んでダメそうだったので読むのを諦めました。

芦原すなお「雨坊主」
知り合いに連れていかれて釣りに出かけた。釣りに行くのにゴム長靴を借りたおばあちゃんのところの孫が、雨坊主がいるんだよという話をするのだが…。

というような感じです。
正直なところ、僕の琴線に触れる作品はほとんどありませんでした。なんと言うかどの話も、すごく平坦に感じられるんですね。これは僕の好みの問題だと思います。僕は、エンターテイメントやミステリーが好きで、そういうジャンルでのなくてもストーリーに起伏がある小説の方がいいです。本作は、青春小説という括りで大体いいと思うんだけど、こういう感じの小説はどうも僕には平坦に感じられてちょっと退屈な感じはあります。どちらかというとやっぱり女性向けでしょうね。
僕が面白いと思ったのは、「白いタンポポ」と「窓」かな。「白いタンポポ」は、さすが加納朋子、うまく話をまとめるなぁと思いました。「窓」は、そのあっさりしたところが僕はいいと思いました。あとは「連帯のメールを送る」かな。これも悪くなかったと思います。
他の作品は、うーんどうでしょうか。僕には何とも言えないなぁと思いました。スラスラ読めるんですけどね。まあ作品自体の問題ではなくて、僕の好みの問題でしょう。
しかし、突然壇一雄が出てきた時にはびっくりしましたね。何でこのラインナップで壇一雄なんだろう、と。よくわからないものです。後やっぱり昔の作家の文章は僕はちょっと苦手なんで飛ばしてしまいました。
まあそんなわけで、基本的には女性が読んだら良さそうな気はします。「みじかい眠りにつく前に」というタイトルはなかなかセンスがいいなと思います。


金原瑞人選「みじかい眠りにつくまえにⅡ」




くらやみの速さはどれくらい(エリザベス・ムーン)

もはやいつものことになってしまいましたが、今日もまったくもって時間がないので早めに行きます。
今日は、ちょっと前にネットで見た、<入場料を払う本屋>というアイデアについて書こうかなと思います。
<入場料を払う本屋>というのがどこかに実際にあるわけではありません。あるブログで、書店に関わる仕事をしているっぽい人が、そんなアイデアを書いているのを見たわけです。
小売店というのは多くの場合、物を買う場所であると同時に、そこに並べられている物を眺める場所でもあったりします。どんなものが置いてあるのか、新しいものは出ているのか。そういったことを見ることも楽しみの一つになります。
しかし、本屋の特殊な事情の一つに、立ち読みがあります。他の小売店の場合、買ったり借りたりしない限りそこに陳列されているものを消費することは出来ません。でも本屋の場合、買わなくても立ち読みすることで商品を消費することが可能になるという特徴があります。
もちろん、立ち読みが一概に悪いとは言いません。立ち読みをして買う気になる人はたくさんいるだろうし、中を見れない状態で本を買う気にはなかなかなれないものだと思います。
ただ一方で、ただ立ち読みをするためだけに本屋にくるというお客さんも少なからずいることでしょう。あるいは、本屋で中身を確認して、買うのはamazonでなんて言う人もいるかもしれません。この<入場料を払う本屋>というアイデアは、そういう人を来にくくするという意味があるのだろうと思います。
具体的にどういうことをするのかと言うと、まず入り口にゲートを設け、そこに専用のカードを通す形になります。ゲートをくぐる度に、例えば一回100円というようなお金が引かれることになります。
ただ入場料として支払ったお金は蓄積され、会計時に割引として使うことができます。つまりこういうことです。あるお客さんは5回来店したけど、その時は何も買わずに店を出ていくとしましょう。この時点で入場料は累計で500円引かれています。で、6回目にやってきた時、つまり入場料は累計で600円引かれることになりますが、そこで1000円の本を買うことに決めます。そのお客さんは、既に入場料として支払っていた600分を割引きされ、レジでは400円だけ支払う、ということになります。
たぶんSuicaみたいなシステムを導入すれば可能な話なんだろうなとは思います。導入にはお金が掛かりそうですけどね。でも、このシステムを導入すれば、もしかしたら万引きも減るかもしれないと思いますね。心理的に、わざわざ100円払ってまで万引きのために店に入るというのは馬鹿馬鹿しい気がしてくるかもしれません。100円払って入ったのに、タイミングが悪くて万引きが出来ない可能性がある、と考えるようになるかもしれません。
問題は、入場料を支払ってまでお客さんが本屋に行こうと思うかどうか、ということですね。後で割引として還元されるとは言え、ただ中に入るためだけにお金を取られるということには変わりがありません。これは即ち、その店がお客さんにとって魅力的な店かということに掛かってくるんだろうなと思います。例え100円払ってでもいいからあの店に行きたい、と思わせる本屋でなければ成り立たないだろうと思います。
後は細かい話になるけど、出版社の営業の人とか配送の人たちの出入りの問題がありますね。お客さんとは別の入り口に毎回来てもらうか、あるいは特別なIDを発行するか…。まあ別にこの話が実現するとは思えないので真剣に考える必要はないんでしょうけど、まあなかなか難しいだろうなと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は21世紀版「アルジャーノンに花束を」と言われている作品で、自閉症を扱っています。
舞台は近未来。とは言っても僕らの世界と対して違うはない。ちょっとテクノロジーが進歩しているとい程度。そして、本作にとって最も重要な変化は、自閉症の治療が可能になったということ。
この時代には、幼児期に治療を受ければ自閉症を治療することが可能になっている。しかし本作の主人公であるルウは、その治療の恩恵をギリギリで受けることが出来なかった。つまり、自閉症の最後の世代の人間である。
ルウは製薬会社でセクションAという自閉症者たちによる職場で働いている。パターン分析が得意な自閉症者の特徴を活かして、社内でもトップクラスの実績を生み出している。
しかし、新任の上司であるクレンショウは、彼ら自閉症者をお荷物だと判断する。彼らには、ジムや専用の駐車場など、恵まれた設備が与えられすぎている。これを削減しなくてはいけない、とクレンショウは言う。それは到底納得の行く理屈ではなかったが、しかしクレンショウは実力者だ。無理やりにでも自分のやりたいことを通そうとする。
クレンショウはセクションAの面々に、とある治療を受けるように強制しようとする。治療を受けなければ解雇するという暗黙の脅しとともに。その治療は、幼児期でなくても自閉症者を治療することが出来るというもので、動物実験までは終わっているけど、人体実験はなされていない新技術だ。クレンショウは彼らをその被験者にしてしまおうと考えているのだ。
ルウは、治療が成功して正常になったとしても、それは元の自分とは違ってしまっているのではないかと悩む。あらゆる人に話を聞き、あらゆる経験をし、その中でルウはある決断をする。
光がどんなに速く進んでもその先にはかならず闇がある。だから、暗闇のほうが光よりも速く進むはず。そう信じているルウの運命は?
というような話です。
非常に興味深い作品でした。いろんなことを考えさせてくれる深い作品だと思います。自閉症というものについて僕は断片的にしか知らないけど(大昔僕は、自閉症と引きこもりは同じだと思っていました)、本作は自閉症というものについて非常に新鮮な見方を与えてくれます。
本作の特異な点は、ストーリーのほとんどが自閉症者の視点で進んでいくということです。通常ではこれはありえないでしょう。何故なら自閉症者というのはさまざまな障害によって、通常の日常生活を送ることが大抵困難なはずだからです(たぶん、ですけど。軽度の自閉症者ならば自立した日常生活を送ることは可能なのかもしれません)。
ただ本作では、自閉症者への治療はかなり進歩しています。ルウは自閉症を治療することは出来なかったけど、それでも現代よりも進んだ治療によって、自閉症でありながら自立した日常生活を送ることができるようになっている、という設定でストーリーが進んでいきます。だからこそ、自閉症者による視点で進むストーリーという小説の構成が出来るわけです。
ルウの視点というのは非常に新鮮だなと思いました。自閉症者の特徴の一つに、言葉の意味をそのまま捉えてしまう、というものがあります。たとえば本作では、「real heel」という表現が出てきます。英語のスラングで、これは「見下げた野郎だ」みたいな意味のようです。しかしルウは「ほんもののかかと」と解釈します。もちろんルウは、これがあまりよくない意味で使われるスラングであることは今では理解しています。しかしそれなら「ほんもののかかと」なんていう言い方をする必要はないと思ってしまうわけです。他にも、どうしてそんな言い方をするのか、と感じる部分がたくさんあります。
他にもルウは、何故正常な人ははっきりものを言わないのか不思議に感じます。例えばある場面で、相手が話を切り上げたがっているのをそうは聞こえない表現でルウに言います。ルウは経験上それがそういう意味だと分かるようになっていますが、それでもルウは、どうして正常な人は「話を終わりにしたい」とはっきり言わないのだろうと不思議に感じます。
そういうやり取りを読んでいると、僕らは本当にいろんな前提の上にコミュニケーションを成り立たせているのだなというのがわかってきます。普段何気なく会話をしたり視線を移動させたりというようなことをして、それで何となくコミュニケーションが成立しているんだけど、それは僕らの間にいろんな前提があって、その前提の下であらゆることを了解しているが故に出来ることなんだなぁと改めて思いました。
話は飛びますが、ロボット工学の世界に「フレーム問題」と呼ばれるものがあります。僕はこれを詳しく説明することが出来ませんが、ある具体例を考えたことがあります。
例えばあなたは、A県B区C市○○に住む人だとしましょう。であなたは、旅行先のX県でたくさんお土産を買い、それを自宅に郵送してもらうサービスの手続きをするとします。その時あなたは、住所欄には<A県B区C市○○>と記入するでしょう。
一方であなたがもし、A県B区C市にある電気屋で冷蔵庫を買い、それを自宅に郵送してもらいたいとしましょう。その時あなたは住所欄にどう書くでしょうか?たぶん、<C市○○>と書くのではないでしょうか?<A県B区>という部分は省略してもいい、という暗黙の了解を理解できるはずです。
しかしじゃあ同じことをロボットにやらせることが出来るでしょうか?もちろん、あらかじめそれを入力しておけば出来るでしょう。どういう条件であればどこまで省略が可能かということについて。しかし、将来的に人間と同じような働きを持つロボットを作る時、人間が持っているこうした前提をどこまで入力しなくてはいけないのでしょうか?
これが、僕の認識による「フレーム問題」の具体例です。これはフレーム問題の説明としては間違っているかもしれないけど、でも自閉症者と似ているなと思ったのでここで書いてみました。
自閉症者は、僕らが普通に感じている前提を理解することが出来ません。相手の表情が何を意味しているのか、相手の視線が何を言っているのか、ということを経験から学ぶことが非常に困難なわけです。そういうわけで、人間の前提が入力されていないロボットという比喩はそこまで遠いものではないと思います。
自閉症者と関わった経験がまったくないので、どういう苦労があるのか僕には具体的な想像がまったく出来ませんが、しかし恐らく並大抵の苦労ではないでしょう。僕は以前、自閉症ではないけどそれに恐らく近いだろう、高次機能障害という障害を持つ女性の日常を描いた「僕の妻はエイリアン」という本を読んだことがありますが、本当に日常生活が大変みたいです。自閉症の場合、自立した生活を送ることが恐らく困難なので、その世話をする人もかなり苦労することになるのでしょう。本作を読んで、その苦労が少しだけ分かったかもしれないという錯覚を抱きました。
本作の著者の息子が自閉症なんだそうです。だからと言って息子をモデルにしたわけではないそうですが、タイトルは息子の発言から思いついたとあります。
たぶんもう少し時間があったらもう少しいろいろ書いてみたいと思うんだけど、ちょっと時間がありません。本作は、SFというほどSFではないし、ファンタジーというような作品でもありません。高度な治療によって、自立した日常生活を送ることが可能な自閉症者の日常生活や心の葛藤を追うことで、人間とは何か、普通とは何か、自分とは何か、生きているとはどういうことかということについて考えさせてくれる作品です。とはいえ、重い作品というわけでもありません。自閉症者の特徴なのかもしれないけど、ルウが非常にさっぱりした性格なので、作品全体が暗くなるということがありません。非常に奥深い作品です。是非読んでみてください。

エリザベス・ムーン「くらやみの速さはどれくらい」





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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)