黒夜行

>>2008年08月

狼と香辛料Ⅳ(支倉凍砂)

長いこと掃除をしていなかった物置を片付けていると、奥の方からノートが出てきた。大分古いノートで、表紙には子供の字で「にっきちょう」と書かれている。
名前を見て、なるほどお祖母ちゃんのか、と思った。
お祖母ちゃんは2年前、癌で亡くなった。最後まで決して病院に行こうとしなかった。一旦行けば戻ってこれないことが分かっていたのだろう。それに、私たちだってそう簡単に見舞いに行ったり出来ないのだ。ならば、住み慣れた家で親しい人と最後を過ごしたい、とそう願ったのだ。
悪くない人生だったはずだ。
ここに越して来たのはお祖母ちゃんたちだったそうだ。当時、周囲から猛反対を受けたという。それはそうだ。今でこそ、それなりに認知されているとは言え、こんなところに住もうと思う人などいないよ。私にはその言葉はよく理解できなかったけど、お祖母ちゃんはよくそう言っていた。
私はここが好きだった。ここ以外の生活を知らないだけだからかもしれない。それでも、私はここでの生活を気に入っているし、ここから出て行こうと思うこともない。
お祖母ちゃんは、昔の話をあまりしてくれなかった。今から思えば、知らなくていいことは知る必要はない、と思っていたのかもしれない。私はお祖母ちゃんに、ここから出て行くつもりはない、とずっと言っていた。ならば、ここ以外の生活を教えることもないだろう、とそんな風に思っていたのかもしれない。
だからこの日記を読めば、ここ以外の生活について少しは分かるかもしれない。そんな風に期待したのだ。

4がつ5にち
きょうは、でんしゃでとなりの町までいきました。でんしゃははやくて、でもぜんぜん怖くなかったです。となりの町ではお洋服を買いました。いろんなお洋服があって楽しかったです。

でんしゃってなんだろう。そういえばこの前見た映画に出てきたかも。運転手がいて、降りる時にブザーを押すあれ。たぶんそうだ。

4がつ6にち
きょうは、あやなちゃんといっしょに川にいきました。川でカメを見つけてびっくりしました。川についていったらどこまで行けるのかやってみたけど、あんまりにもどこまでもつづいてるので、こうりょく橋のてまえであきらめました。

川かぁ。何だろうな。どこまでも続いてるのか。それなら確かに、ついていってみたくなるだろうな。すっごい長い蛇とかかな?

お祖母ちゃんの日記を読んでも、私にはイマイチよくわからない言葉ばっかりで、よくわかりませんでした。こうして私達は、地上での生活をどんどん忘れてしまうのでしょうね。
空に浮かぶ島に住む、私達のような少数民族は。

一銃「お祖母ちゃんの日記帳」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、ライトノベルの人気シリーズ「狼と香辛料」の第四巻目です。
まずはシリーズ全体の設定を。
旅商人であるロレンスは、行商の途中、一人の少女を拾った。ホロと名乗るその少女はしかし、何百年もの時を生きている神様であり、麦に宿るという豊作の神様だったのだ。
二人はちょっとした理由から旅を共にすることになり、そしてさらに、ホロの故郷を一緒に探すことになった。ホロの故郷であるヨイツの場所を、既にホロは忘れてしまっている。ロレンスの行商の行く先でヨイツについての情報を集めるのだけど…。
さて、本作の内容です。
異国の物語を集め続けている聖職者がいる修道院の話を聞きつけた二人は、早速そこへ向かうことに決める。しかし、その修道院の場所を知っているという人物は、テレオという町の教会にいるという。しかも、そのテレオへの道を聞くのに一旦エンベルグという町に行かなくてはならない、という行程である。
さて、テレオの教会に辿り着いた二人だったが、しかしそこで彼らを出迎えたのは一人の少女であった。しかも、修道院の場所は知らない、という。明らかに嘘だった。
二人はしばらく町に逗留し、修道院の場所を探ることにするのだが、その間にテレオの町が隣町エンベルグと抱えているトラブルに巻き込まれることになり…。
というような話です。
さて、どの巻を読んでも絶好調に面白い「狼と香辛料」も、なんと4巻までやってきました。4巻まで読んでもまだ面白いライトノベルとか、ホントすごいなと思うわけです。
もちろん本作も、相変わらず絶好調に面白いですね。というか、この「狼と香辛料」というシリーズは、巻を増すごとに面白くなっているという印象があります。
これまでのシリーズ3冊では、彼らが巻き込まれるトラブルは商売上のものであることが多かったですが、本作では違います。これまでは彼らは商売上のトラブルに巻き込まれその中心にい続けますが、今回は基本的には傍観者です。町と町が抱える問題の巻き添えを食らった、という形です。しかも、問題の大半は宗教上のものであり、経済上の問題ではありません。彼らはずっと傍観者でいられればよかったのですが、最後には結局巻き込まれ、乗り越えていかなくてはいけなくなってしまいます。
どの巻を読んでもそうですが、この巻き込まれるトラブルの設定が非常にうまいですね。実に細部までしっかりきちんと考え込まれています。町に住む人々の生活や言動から背景を推測したり、大きな流れの中で不可避な状況というのをきちんと押さえているし、そのトラブルを巡る中での人々の感情や動きについても非常に繊細に追っています。
そして何よりも素晴らしいと思ったのが、今回のトラブルが微妙にホロの問題と重なることです。それによりホロが取り乱すシーンがあるんですけど、この場面を読んだ時、この作家の構成の巧さに舌を巻きました。これは偏に、その世界で生きる人々の感情の動きというものを著者が正確に掴もうと努力しているからこそ出来ることだろうな、と思いました。お見事です。
さらに、恐らく本シリーズ最大の魅力と言ってしまってもいいと思うけど、ホロとロレンスのやり取りが素晴らしいですね。大雑把に斬ってしまえば、彼らはただイチャイチャしてるだけ、と言えなくもないんですけど、その状況に適切にマッチした言葉の罠を仕掛けて相手を嵌めたり、急に素直になってドキッとさせたりと、まあ基本的にロレンスが翻弄されっぱなしなんですけど、このやり取りの見事さといったらないですね。
シリーズを追う毎に面白くなっていくのには、このホロとロレンスのやり取りがどんどん面白くなっていくからという点もあるでしょうね。一巻目ではまだやっぱりぎこちなかった二人が、いろんなことを乗り越えて行く中で相手を知り、またいろんな会話を交わす中で相手とのやり取りのコツを掴んでいき、そうして今のようなやり取りになっていったわけです。素晴らしいです。このホロとロレンスのやり取りをメインで読むという読み方も全然アリだと僕は思います。
まあ何にしてもですね、これほど面白いライトノベルはないんじゃないかと思ったりしますね。まあそもそも僕はそんなにライトノベルを読まないんで比較の対象が少ないですが、少なくとも今まで読んだライトノベルの中ではトップです(西尾維新の<戯言>シリーズを外すなら、ですが。<戯言>シリーズは、僕の中ではライトノベルに分類されてないので)。
最近、ライトノベルの世界から文芸の世界にやってくる作家が結構いますけど(有川浩や橋本紡など)、もし次に来るとしたらこの支倉凍砂じゃないかなと思ったりします。だって、この「狼と香辛料」は、内容はそのままでカバーだけ替えれば、新潮文庫の棚に入ってても違和感ないような作品ですよ(「守り人」シリーズみたいなイメージです)。これだけ人間をうまく書ける作家なら、ライトノベル以外にも活躍の場はたくさんあるだろうな、と思います。とはいえ、ライトノベルで出す方が圧倒的に本は売れるでしょうから(有川浩と桜庭一樹は例外中の例外でしょう)、そのままライトノベル業界だけにい続けるという可能性もありますけどね。
僕はもう既にⅤ巻も買っているわけです。ちょっとしたら読むつもりです。これほど読むのが楽しみなライトノベルというのも凄いですね。まだ読んでない人がいたら、ホント面白いので、是非読んでみてください。シリーズを追う毎にドンドン面白くなっていきますよ!

追記)amazonのレビューを見ると、この巻はどうも評価が低いですね。シリーズ全体の小休止、と柔らかな表現を使っている人も多かったですけど。そうかなぁ。僕は相当面白かったと思うんだけど。

支倉凍砂「狼と香辛料Ⅳ」



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告白(湊かなえ)

なぁ、ちょっとだけ俺の話聞いてくれるか。おっ、俺が口を利いたのが意外だって顔してるなぁ。まあ無理もないよね。いじめられっ子いじめっ子にこんな風に話すなんてね。ムカついてる?まあそうだよね。でもさ、ちょっとだけ我慢して欲しいんだ。もし制裁を加えたいんだったらさ、後からいくらでも受けるからさ。ちょっとだけ、ね。
トオル君はいじめられたことってあるかな?ない?ないよね、そりゃあ。勉強もスポーツも出来てかっこいい。女子からもモテる。羨ましいよ、ホント。まあそんなに恵まれた人間なのになんでいじめなんかしてるのかよくわかんないんだけどね。
うん、でね、やっぱりいじめられる人間の気持ちってわかんないだろうなって思うのよ。そうでしょ?じゃあ僕がどんな風に思ってるのか教えてあげるよ。
最初はねぇ、びっくりしてね。何で僕がいじめられるんだろう、って。でもそれからはね、ちょっと楽しくなっていったかな。別にマゾとかそういうことじゃないんだよ。いじめられればいじめられるほど、よりデカイ復讐が出来るな、ってね。
トオル君はタイムトラベルって信じてる?そうそう、未来とか過去に行くやつ。信じてないんだ。まあそうだよね。普通出来るわけないしね。でもあれって、この時代の物理学の知識でも、一応可能だっていうことにはなってるんだよ。まあ未来にしかいけないんだけどね。
何の話かわかんないって?まあそうだろうね。簡単に言っちゃうとね、僕は時間を移動することが出来るんだ。過去にも未来にもね。その顔は信じてないな。まあいいんだ、別に信じてもらおうなんて思ってないんだよ。
でも、一つ聞いていいかな。マツオ君って覚えてる?
覚えてないよね。たぶんこのクラスの誰に聞いても覚えてないと思う。担任だって覚えてないだろうね。マツオ君の親に聞いたって、きっと覚えてないはずなんだ。マツオ君のことを覚えてるのは僕だけ。何故って、僕が彼のことを消しちゃったからなんだ。
ほら、あそこ。教室の真ん中辺りの席。あそこって、何故か誰も座ってないだろ。誰もそれを変だなんて思ってないみたいだけど、普通に考えたらおかしいよね。空席はもっと端っこの一番後ろとかにすればいいんだもんね。
そうそう、あそこがさ、マツオ君のいた席なんだよね。2ヶ月前まではこのクラスにちゃんといたんだよ。でももういなくなっちゃった。マツオ君も、僕のことをいじめててくれたんだ。そのお礼ってとこだよね。
どうやって消したのかって?そんなの簡単じゃないか。過去にちょっと行って、ちっちゃい頃のマツオ君をさらっと殺してあげるだけだよ。この時代で殺しちゃうとさ大騒ぎになっちゃうけど、過去に戻って殺しちゃえばさ、今この時代で姿がなくなっても誰も気づかないからね。
俺のことも消すのかって?いやいや、あれ、今僕そんな話してたっけ?僕はただ、自分がタイムトラベルが出来るってことと、昔マツオ君ってクラスメイトがいたって話をしたかっただけなんだよ。これで僕の話はお終い。
あぁ、そうか。いじめられっ子が生意気にこんな話を始めたんだから制裁を受けないとね。えっ、いいの?トオル君、何だか変わったね。そっちの方が僕好きだな。んじゃ僕帰るね。トオル君は、マツオ君みたいに消えちゃったりしないよね。

一銃「いじめられっ子の告白」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は連作短編集ですが、長編という解釈も出来る作品なので、内容紹介的には長編として扱います。
森口という女性教師は、とある事情で教師を辞めることになった。その間際、クラスメイトを前にして、ある「告白」をする。
それは、少し前に起こったある「事故」に関する告白だった。
シングルマザーだった森口は、どうしても都合がつかない時は娘の愛美を学校に連れてきていた。その愛美が、学校のプールに転落して水死するという事故が起こったのだった。プールを横切った先に飼い犬がいるのだけど、その飼犬に餌をあげに行く途中で足を滑らせたのだ、と見られた。
しかし森口はクラスメイトを前にこう主張する。
『愛美は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒に殺されたのです』
森口は、真相が判明してからもその事実を警察には届けませんでした。何故か。それは、少年法の存在により、もし犯人を指摘しても大した罰は与えられないからです。
森口はクラスメイトを前に、自分の境遇や事件について話し続けます。そしてやがて、彼女の「裁き」が明らかになる…。
この「事件」を中心に、様々な人間を描いていく作品です。様々な人間の「語り」によって、事件は表裏をどんどんと変えて行き、状況は二転三転していきます。そして辿り着く衝撃のラスト。
というような作品です。
本作でデビューした新人の作品なんですが、これは面白いですね。新人のレベルを超えていると思いました。今ちょっとずつ話題になりつつある作品ですが、確かにこれは話題になるだけのことはある作品だなと思いました。
僕はそもそも、本作の賞への投稿の仕方がすごいなと思いました。著者は、本作の第一章である「聖職者」という作品で、短編の新人賞の賞を受賞しているわけです。つまり著者のやり方としてはこうなります。受賞できるかどうかわからないけど、連作短編として最終的に長編に構成できるような伏線を盛り込みつつ、「聖職者」という短編を書き賞に応募した、と。なかなかこういうことは出来るもんじゃないですね。著者は他にもテレビやラジオドラマなどの脚本の新人賞を受賞しているようですが、とにかく力量のある人なんだろうなと思います。本作は、どう読んでも新人の作品ではないですね。お見事だと思います。
何が凄いって、その短編の新人賞を受賞した冒頭の「聖職者」ですね。これはホントすごいです。今年どれだけ短編を読んだか覚えていないですが、その中で間違いなくトップだと言えるレベルの高さだと思います。横山秀夫の短編を読んでるような、そんな感じがしました。短い話なのに、必要な伏線をすべて盛り込んで、ラストで大きな展開を見せるというのが横山秀夫っぽい気がしました。
「聖職者」という作品は、最初から最後まで森口という女教師の一人語りによって進行します。一人語りというのは書くのに結構難しいやり方だと思うんですが、それであれだけの作品を書けてしまうんだからすごいですね。とにかくラスト驚くと思います。僕はびっくりしました。なるほど、そういうことか!って感じです。この「聖職者」という第一章だけを読むために本作を買っても損はないような気がします。
それ以降の短編では、森口の娘が殺されたという事件に直接的・間接的に関わる様々な人々が描かれていきます。森口が去って次の年になってから起こった出来事を委員長視点で描いたもの、事件の共犯者であった少年の母親の日記、事件の共犯者の回想、事件の主犯の回想、そしてラストという感じです。どの話も、それまでに描かれた部分をなんらかの形でひっくり返すような形で話が進んでいます。冒頭の「聖職者」を読んだだけでは分からない、様々な人の動きや気持ちを追うような内容になります。地味でさほど驚きのない話もありますが、しかしどの話も新人とは思えない巧さで書かれていて、レベルは高いと思いました。
そしてラストです。このラストも素晴らしいですね。なるほど、そういう展開になりますか、という感じで、またまた驚かせてくれます。お見事な展開だと思いました。
倫理的にも様々に考えさせる作品だと思いました。学校という、いつの間にかものすごくデリケートになってしまった場所を舞台にしているので、読む立場によって感じ方が様々に変わることでしょう。教師として、生徒として、親として、あるいは関係ない一般市民として読んだ場合では、本作の印象はそれぞれ大きく変わってくることでしょう。自分だったらどうするか、どうするのが正しかったか、何が出来たのか。そういうことを考えながら読んでいくと面白いかもしれません。特に、子供を持つ親は読んでみたらいいかもしれません。何らかの参考になる、とは言いませんが、自分の子供が本作で描かれているような感じではない、という保証はどこにもないと心を引き締めることが出来るかもしれません。
本作は、細かく見ればいろいろと無理があるような箇所があるかもしれません。よくamazonなんかのレビューを見ていると、そういう部分を細かく指摘している人とかがいたりしますけど、僕は別にそういう部分は気にならないので問題ありません。それよりも、そうやって伏線を回収するか、そういう展開に持ち込むか、という部分が素晴らしいと思うのでいいんじゃないかなと思います。
なかなかレベルの高い新人が出てきたものだと思います。「チーム・バチスタの栄光」ほどの衝撃度はなかったですが、でもこれから注目の作家ではないかと思います。出来れば次の作品を早目に出した方がいいですね。話題になっている内にどれだけ作品を書けるか、というのが勝負ではないかと思います。
かなりオススメ出来る作品です。是非読んでみてください。

湊かなえ「告白」




数学ガール フェルマーの最終定理(結城浩)

「先生、大変な発見をしてしまったかもしれません」
「どうした」
「間違っているかもしれないんですが…。1+1が2ではない空間を発見してしまいました」
「…もしそれを君以外の人間が言ったとしたなら一笑に付すんだがな」
「ええ、僕も初め見つけた時はとてもじゃないけど信じられませんでした。でも、何度考えても同じ結果になってしまうんです」
「どんな空間なんだ」
「基本的にはヒルベルト空間です。そこで、無限次元の複素数行列を定義しました。その複素数行列と楕円曲線との関係性を考えていたんですが、無限降下法によってとある命題を背理法によって証明しようとすると、どうしてもある一点で躓いてしまうんです。初めの内はどこで躓いてしまうのかさっぱりわからなかったんですが、その内わかりました。この空間―まだ名前はつけていないですが―では、1+1という演算が定義されないんです。1という数字も2という数字もきちんと定義できるし、+という演算子もちゃんと定義できます。しかも、1+1以外のすべての加算は通常通り成立するんです。ただ、1+1だけがどうしても定義できないんです」
「細かい検証は後回しにすることにしよう。しかし、大体の概略は分かった。確かに、君の言う通りになる可能性は否定できないな…。しかし驚いたな。ヒルベルト・プログラムの際、1+1=2の証明は厳密に成されていたと思っていたが…」
「恐らく、非ユークリッド空間に関する論証に穴があったのではないでしょうか。正確なところは分かりませんが…」
「あるいはゲーデルの不完全性定理の別バージョンとも言えるかもしれないな」
「僕はこんなことを考えているんです」
「何だ」
「1+1以外のすべての加算は正確に定義できるわけですから、通常の数学的空間と比べて、1+1に関して対称性が破れていると言えますよね」
「まあ、そうだな」
「もしかしたら、この対称性の破れが、宇宙の創造に何らかの関わりがあるんじゃないか、ってそんな風に思うんです」
「なるほど…。確かにこの空間をビッグバンの時点に適応することは可能かもしれないな。この空間なら、特異点を排除することが出来るかもしれない。なるほど、特異点を排除するために1+1の演算が定義できないことが必要だったということなんだろうか。これはすごい発見だぞ!」
「えぇ。これからさらに調べてみます。もしかしたら、他の演算が定義されない空間も見つけることが出来るかもしれません。でも先生、ホント数学って奥が深いですね」

一銃「1+1」

知ってる数学用語を適当に使って、ものすごく適当なことを書いてみました。上で書いたのは、用語としては実際に存在するものばかりですが、使い方はまったく不正確なので信じないでください。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、「数学ガール」の第二弾です。この「数学ガール」のシリーズは、数学関連の話をストーリータッチでWebで公開しているものを書籍化したものです。
前作「数学ガール」では、登場人物は僕・ミルカさん・テトラちゃんの三人でしたが、本作ではさらに、僕の従姉妹であるユーリが加わります。
僕は高校二年生。放課後図書室で数式をいじるのが大好き、という数学オタク。そんな彼は高校入学と共に、ミルカさんとテトラちゃんという美少女二人と知り合う。
同じ学年のミルカさんは、とっても数学が出来る才媛。僕でもまったく敵わなくて、いつも数学の深遠を垣間見せてくれる。ちょっとだけツンデレっぽいけど、デレの部分はあんまり見せてくれない。
テトラちゃんは一個下。僕に数学を教わりに来ている、という感じで、そこまで数学が得意というわけではない。けど、鋭い質問をしたり、基本に忠実だったりとセンスはなかなかいい。用語の定義にもの凄く敏感で、定義されない言葉があると気になってしまう。
従姉妹のユーリは中学生。いつも僕の家にやってきては、数学を教えてとねだる。基本的に数学は得意じゃない。というか、あんまり自分で考えない(けどこれは後半結構変わっていく)。自分で考えるより、僕と一緒に数学を追っていくのが好きだ。それでも時々、驚くような発想をするし、驚くような解法を思いつくこともあって侮れない。決して条件を忘れない注意深さがある。
そんな面々と、いろんな形で数学を介して触れ合っていく。村木先生が出してくれる数学カードやミルカさんの講義、僕がユーリやテトラちゃんにする数学の講義、一般向けに行われた数学セミナーなどなど…。
というような話です。
相変わらずもうすんばらしく面白い作品ですね!続編が出てることなんて全然知らなかったんだけど、この前本屋に行った時に見つけて即買いしました。
この本の一番素晴らしい点は、やはりストーリー形式になっている、というところでしょうね。数学の本というのは、基本的にとっつき難いものばかりです。それは、数式がたくさん並んでるという理由もあるだろうけど、それ以上に、教科書を読んでるみたいな、お世辞にも面白いとは言えないような文章で書かれていることが多いからです。サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」のように、普通の文章でもとんでもなく読みやすくて面白い作品というのはありますけど、しかしそういう作品はやはり稀ですね。なかなか数学の才能とストーリーテリングの才能というのは両立しないようです。
しかし本作は、ストーリー仕立てで進んでいきます。しかもそれが結構うまいんです。何よりも素晴らしいのは、僕・ミルカさん・テトラちゃん・ユーリのキャラクターがそれぞれしっかり確立されている、ということですね。しかもそれが、数学の問題を解きながら浮き彫りにされていくわけで、ホントうまいな、と思います。四者四様の性格やスタンスで数学に臨む姿は読んでて楽しいです。しかも、男一人に女三人というシチュエーションなんで羨ましい…じゃなくて、そういう恋愛っぽい要素もきちんと盛り込んでいるからなかなか楽しいです。あのミルカさんでさえ、時々ドキッとするようなことをしてきたりしますからね…。
数学の部分については、前作でもそうでしたが、結構優しいものからかなり難しいものまでレベルは様々です。やっぱり基本的には、ユーリやテトラちゃんに僕が教えることに関しては割かし付いていきやすいけど、ミルカさんが三人に講義することについてはかなり難しい、という感じになります。
本作で言うなら、僕は群だの環だの体だのという話がかなり難しかったです。いや、群については元々知ってたので大丈夫だったんですけど、群から派生していく環や体についてはちょっとついていけませんでした。難しすぎます。あとはmodですね。modというのは、ある数で割った余りのみに注目する数学なんですけど、これ昔から苦手だったんですよね。このmodは、高校の授業ではやらないけど、塾で教わりました。受験の時は使っていいって言われたんだっけ?あんまりちゃんと覚えてないけど、まあ要するに裏技的な感じで教わったわけです。
でもこれ、どうも馴染めないんですよね。modがどういうものなのかということはちゃんと理解出来るんだけど、そういう意味を切り離して、modに関する計算になってくると、途端によくわからなくなっちゃうわけなんです。難しいものですね。
一方で、原始ピタゴラス数についての話は面白かったですね。これは僕でも余裕でついていける話です。これについては、最後の最後でユーリが思いつく発想が素晴らしいです。っていうかユーリは後半、メチャクチャレベルが上がってる気がするんだけど、レベル上がりすぎじゃないかなぁ、とか思ったり…。
フェルマーの最終定理については最後に書かれています。というか、最終章に辿り着くまえの各章というのは、もちろんそれぞれの章で単独で完結する話ばかりなんだけど、でも最終的にフェルマーの最終定理の解法を理解するための道具になってくるわけで、この構成も見事だなと思いました。それまでに読んで来た部分が複線のようにしてフェルマーの最終定理と絡んでいく辺り、おぉって感じでした。
で、フェルマーの最終定理ですけど、これやっぱ難しいですね。フェルマーの最終定理に証明の概略をミルカさんが示してくれたんだけど、かなり追うのが大変でした。フェルマーの最終定理については何作か本を読んだので、最終的に志村=谷山予想が証明されればいいということは知っていたけど、しかしどうしてそういう理屈になったのか、そしてそもそも志村=谷山予想とはどういうものなのかということは知らなかったので勉強になりました。と言っても、ほとんど理解できていないわけなんですけど。ただ、何故志村=谷山予想を証明することがフェルマーの最終定理の証明に繋がるのか、ということが理解できたのでよかったです。
この「数学ガール」のストーリーは、現在もWebで続いているようですけど、やっぱWebで見る気にはあんまりなれないんだよなぁ。是非続編をバンバン出しまくってもらいたいものですね。もちろん全部買いますよ。これほど初心者に優しくて面白い、しかもかなりレベルが高い数学の本というのはなかなかないでしょう。僕としては、数学が大嫌いだという人に是非読んでもらいたい本ですけど(数学ってこんなに面白いんだよ、というのが少しはわかると思うんだけどなぁ)、でもそれは難しいでしょうね。数学にちょっと興味があるんだけど…、というような人は是非読んでみてください。僕みたいに、数学とはもう離れてしまっていて、でもちょっと戻ってみたいなんて思っているような人にもオススメ出来るシリーズです。

結城浩「数学ガール フェルマーの最終定理」



怪獣記(高野秀行)

僕はある特殊な能力を持っていて、それでちょっと悪戯をしてやろうと思った。ホント、初めはただそれだけのつもりだったんだけど、今では何だかドツボに嵌まってしまったような気がする。
僕の能力っていうのは、何にでも変身出来るってことだ。世の中に存在する生物・無生物を問わず、また実在しない架空の存在にだって、それを明確に思い描きさえすれば擬態出来ちゃうんだ。
だから僕は、『ネッシー騒動』を起こしてやることにしたんだ。
まず学校の友達に、山底湖で怪獣を見たよ、と言いふらす。山底湖というのは、近くにある比較的大きな湖だが、今までそんな未確認生物がいたなんて話は聞いたことがないような場所である。
友達はもちろん信じないだろうけど、タイミングを合わせて僕が変身し、怪獣の姿を見せる。そうすれば、一時のネッシー騒動のような大事になるだろう。
僕の読みは、初めの内は当たっていた。友達はびっくりして大人を呼んで来たし、その大人はマスコミの人間を呼んで来た。マスコミの人間にももちろん姿を見せてあげたし、ばっちり映像にも撮られたから、僕は『テッシー』として有名になっていったのだった。
しかし、段々僕の予想外の出来事が起きるようになる。
発端は、学校であるクラスメイトが話したことである。彼は、山底湖で、テッシーとは別の変な生き物を見た、と言った。僕は山底湖をテッシーになって泳いでいるんだから知ってるけど、あの湖には未確認生物なんてまったくいない。そのクラスメイトは、テッシーで話題になっている今なら、別の未確認生物の話をでっちあげればまた話題になるんじゃないか、と思ったのかもしれない。
しかし、そうはいかなかった。そのクラスメイトは嘘つき呼ばわりされ、いじめにまで発展しそうになってしまったのだ。
仕方がないから、僕はそのクラスメイトが言っていた通りの生物に変身してまた姿を現すことにした。これでそのクラスメイトが言っていたことは嘘じゃないということになり、一件落着…のはずだった。
しかし、そのクラスメイトはそれから、様々な未確認生物を見たとことある毎に言いふらすようになったのだ。未確認生物の発見者があまりにももてはやされるので調子に乗ったのだろう。この前も、自分が言った通りの生物が出てきたんだから、また言ったら出てくるだろう、なんて安易に考えているに違いない。
結局僕は、そのクラスメイトが言うままに未確認生物への変身を続けていった。そうなるともう大変で、日本のちっぽけな町に尋常じゃない数の未確認生物がいると知れ渡って、マニアの人々が大挙してくるし、そうなると他にも未確認生物を見たという人が続々出てくる始末で、僕はもうてんてこまいだった。
今でも僕は、何とか時間をやりくりして無茶苦茶多種類の未確認生物に変身して姿を見せている。でもなぁ、ホントはこんなつもりじゃなかったんだけど…。

一銃「UMA」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、40を超えて相変わらず怪獣探しなんてアホなことをやっている著者の、「幻獣ムベンベ」に次ぐ18年ぶりの怪獣探索記です。
世界中の辺境や未知のものに目がない著者は、もちろんUMA(未確認不思議生物)も大好きで、その方面の情報収集も怠らない。ある日、UMA繋がりの友人と話している時、今一番ホットなUMAは何かと聞くと、相手は「そりゃあジャナワールでしょう」と答えるのだった。
ジャナワール。そのUMAについては著者ももちろん知っていた。トルコにあるワン湖に出るという、いわゆるネッシーのような巨大生物で、数年前にとあるビデオ映像が流れてから世界中で認知されるようになったUMAである。
しかし著者は、このジャナワールにはイマイチ興味がない。そもそも著者は、ネッシーやチュパカブラのような「既知の未知生物」にはあまり興味がない。あまりにも有名になっているものは誰かが探しているだろうし、となれば自分が探しても見つかる可能性は低い、というわけだ。だから、まだ存在そのものさえ世間に知られていない「未知の未知生物」が好きなのだ。そこへいくとジャナワールは、「既知の未知生物」であり、そもそも著者の興味の範囲から外れている。
しかも著者には、ある個人的な理由もあって、ジャナワールの実在については疑問だったのだ。まあそれについては読んでもらうとして…。
そんなわけで、半信半疑どころかほとんど信じていないジャナワールだったが、しかし著者はそのジャナワール調査のためにトルコまで行くことになってしまう。
何故そんなことになったのか。
著者は、ジャナワールの認知度を一気に高めたビデオを見たのだ。それは、何だかよく分からないビデオだったが、まあどちらかと言えば怪しいというような、そんな代物だった。著者は、このビデオは本物なのかあるいはヤラセなのかを確かめに行く、と決めたのだった。そもそも怪獣を探しに行くというスタンスではなかった。
しかし、日本での予備調査の際、とんでもないものが見つかる。それは、トルコで出版されたある本だった。それは一冊丸々ジャナワールについて書かれた本だが、なんと目撃者全員の顔写真と連絡先がすべて載っているという、UMA関連本としてはありえない『奇書』だったのだ!これを見つけて著者は俄然やる気になっていくのだが…。
というような話です。
著者はちょっと前に、インドに「ウモッカ」という魚を探しに行きましたが、怪獣となるとやはり「ムベンベ」以来ということになるでしょうね。しかし40歳を超えてもまだまだ好奇心を失わないというか、逆に強くなっている感じがするのはすごいなと思います。
著者の作品はもうどれも面白くて、実際の体験に裏打ちされた無茶苦茶な展開がとにかく面白いわけなんですけど、本作もやっぱり面白かったですね。ほとんどノリで怪獣を探しに行くっていうだけの話なんだけど、著者が歩くところには何かが起こってしまうようで、トラブルや偶然や、はたまたとんでもないハプニングまで、相変わらずすごい展開です。「怪魚ウモッカ」の時もとんでもない展開に唖然としたものですが、この「怪獣記」の展開もなかなかです。特にラスト。最後の最後でまさかあんなことになるとは予想が出来たでしょうか!著者は初めて○○○になってしまったわけで、初めて○○○の心境みたいなものが理解できたわけです。初めて○○○の側に立ったという経験は、著者のこれからの探索行に大きく影響するような気がします。「○○○」が何かは、是非読んでみてください。
著者はいつものように、とにかくきちんと調査をします。人からの伝聞を信じず、自分の眼で見たものしか信じないというスタンスはいつも通りだし、自分で確かめられることは自分でやるというスタンスもいつも通りです。相変わらず行動力があります。まあ滑稽ですけどね。なるべく推測だけで判断せず、あらゆる可能性を考えて調査を続けるという姿勢がいいですね。普通UMAを追っている人って、その実在をあまりに信じ込むが故に、事実を自分のいいようにねじ曲げたり、都合の悪いことには目をつぶったりしがちでしょうけど、著者はそんなことはしません。やはり、基本的にはUMAなんていないかもしれない、でもいるなら是非見つけたい、という姿勢でいるからでしょうね。
まあそんなわけで内容は相変わらず面白かったわけなんですけど、この本を読んで僕は個人的に驚愕したことがあるわけです。
著者の旅に同行した、当時大学院生でトルコの大学に一年間留学する予定の末澤という男が出てくるんだけど、彼はどうも僕が知ってる人間のような気がするんですよね。文章中にその名前が出てきた時は気づかなかったんだけど、後のページで顔写真が載ってて、それがかなり僕の知ってる人間に似てたわけなんです。確信はないんですけど、たぶん同一人物だと思います。
大学時代にちょっとだけ同じサークルにいたことがある人で、そこまで喋ったことがあるわけでもないし、そんなに関わりがあったわけでもないんで、まあ知ってる人間ぐらいの距離感ですけど、それにしても知ってる人間の消息をまさか本を読んでて知ることになるとは思いませんでした。長いこと本を読んでいますけど、こんな経験は初めてで、いやはや驚きましたね。本書に載ってた写真をコピーしたんで、まあ誰か大学時代の友達に会うような機会があれば見てもらうことにしようかな。
まあそんなわけで、いろんな意味で楽しめた作品でした。読んで欲しい作品ですね。あの末澤を知っている人は、読んでみたら結構面白いかもしれませんよ。通訳みたいなポジションで同行してるんで常に出てくるし、なかなか面白いキャラクターとして描かれているんで。

高野秀行「怪獣記」




嘘つきアーニャの真っ赤な真実(米原万理)

「人を探しているんですが」
ドアを開けると、二人組みの男女が立っていた。外国人のようだった。男の方が英語でそう尋ねてきたのだった。
ここは市街から山を二つ越えたところにある小さな村。田んぼと畑だらけで、のんびりとした時間の漂う、まあド田舎だ。普段外国人の姿を見るような機会もまったくないような場所だったから、ドアを開けた僕はいきなり面食らってしまった。
「どんな人ですか?」
学生時代から英語だけは得意だった。ちょっとした会話ならなんとかこなすことが出来る。まさかこんなところで役に立つなんて思ってもみなかったけど。
「8年前に別れたきり会っていない妹を探しています。彼女は、ほとんど家出のように飛び出して言ってしまいました。親しい友人に、日本に行くと話していたそうです」
喋っているのは男の方だけだった。一緒にいる女性は無言で立ち尽くしている。彼女も兄弟の一人だろうか。
「この辺に来たというような情報でもあったんですか?」
「いえ。ただ彼女はこういう長閑なところが好きだとずっと言っていました。都会に住んでいるとは考えられません。手掛かりはほとんどないのですが、こういう場所なら外国人は目立つだろうと思って、しらみつぶしに回っているんです」
それはなんと気の遠くなるような話だろうか、と思った。そんな手掛かりのない状況で日本まで来てしまうなんて、普通出来ないだろう。
「残念ながらこの村で外国人の方を見かけたことはないですね」
「そうですか」
あまりにも落胆したその表情を見ていると、なんとかしてやりたい、と思うようになった。
「もしかしたらこれから見かける機会があるかもしれません。もしあれば、その方の写真でも見せてもらえませんか?」
そう言うと彼は、そういえばそうだったというような表情をしながらバッグを漁り始めた。
「これが妹です」
その写真を見て、僕は困惑するしかなかった。どういうことだろう。この男は、ちょっとおかしくなってしまっているのだろうか。
その写真に写った女性を、僕は見たことがあった。というか、今も目の前にいる。男の隣にいる女性こそ、その写真に映っている女性なのだ。それとも、双子だったりとかするのだろうか。
その時、初めて女性が口を開いた。
「彼には私のことが見えないみたいなんです」
いつも同じ説明をしているのだろう。困惑している顔をしながら、淀みなく言葉が出てくる。
「彼が探しているのは私です。突然私のことが見えなくなってしまったみたいで、それからずっと探しているんです。不安なのでこうしてついて行くんですけど、この旅はいつ終わるんでしょうね」
僕が何も言えないでいると、男の方が口を開いた。
「お時間を取らせて申し訳ありません。ありがとうございました」
そう言うと、二人は去っていった。
二人の旅は、一体いつ終わるのだろうか。

一銃「探している人」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、著者の経験を下敷きにしたノンフィクションとなっています。
著者の米原万理は、ロシア語通訳者として、またエッセイストとして有名な人です。つい最近亡くなりました。破天荒な言動や、下ネタもガンガン飛ばす文章などで、その無茶苦茶な正確っぷりはよく知られていたようです。
米原万理の著作には、読み物的なエッセイが多いようですが、本作はなかなか骨太のノンフィクションとなっています。
核となるのは、著者のかつての同級生である三人の少女です。
著者は一時期、チェコスロバキアにあった「在プラハ・ソビエト学校」に通っていました。そこは、五十カ国以上の国々から生徒が集まる多国籍な学校でした。著者は、父親が共産党の有力者であり、プラハにあった「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集局に勤めていた関係でプラハにいたのでした。
そのソビエト学校に通っていた頃の同級生であるリッツァ・アーニャ・ヤスミンカ。この三人の少女を軸として、話は進んでいきます。
ギリシャ人のリッツァは、見たことがないはずの故国の青い空を常に自慢し、また男の見極め方や恋愛についての深い部分を教えてくれる女の子。ルーマニア人のアーニャは、空気を吸うように嘘をつくけれど皆に愛され、また貧富の差のない共産主義を目指していながら、自身では貴族のような生活をしてそれに矛盾を感じない女の子。ユーゴスラビア人のヤスミンカは、学校一の秀才で、体育以外のすべての科目で天才的な才能を発揮し、また絵については教師もその才能に惚れ惚れするほどの腕前だった女の子。この、生まれも境遇も性格もまったく違う少女達との関係を通じて、当時混乱を極めた東欧諸国の状況を鮮やかに切り取っていくわけです。
「リッツァの夢見た青い空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「白い都のヤスミンカ」とそれぞれ題された章で、それぞれの少女との関わりについて描かれます。
構成はどれも似ていて、まずソビエト学校にいた頃の著者とその少女達との関わりを描き、その後著者が大人になってから、彼ら三少女の消息を調べ会いに行き、そこで昔とは大きく変わってしまった現状を知る、という感じの構成になっています。
僕はそもそも歴史がホントにダメで、ペレストロイカとかプラハの春とかも、もちろん名前だけは知ってるんですけど、じゃあそれがどんなものなのかまったく説明できません。ソビエト連邦がなぜロシアになったのかもしらないし、ユーゴスラビアはサウジアラビアの近くにあると思ってたし、その他民族や宗教の対立のついての知識や、共産主義と社会主義は何が違うのかというところまで、まったくさっぱり知らない人間です。ダメダメですね。そんなダメダメな僕でも、本作は充分楽しめる内容でした。
やはりそれは、三人の少女を主人公とした構成にあるのだろうな、と思います。もしこの作品が、東欧の歴史を時系列で追ったりするような本だったら、僕には読めなかったでしょう。実際本作にも、東欧の歴史的な出来事についての説明とか、民族や宗教の対立なんかについての記述が結構あるんですけど、そういう部分はよくわからないので読み飛ばしていました。
本作は、やはりメインとなるのは三人の少女と著者との関わりです。三人の少女はそれぞれ、ギリシャ・ルーマニア・ユーゴスラビアという国の出身なわけですが、決してその国を代表する一人というわけではありませn。本作では、どんなに遠く離れていても祖国に対する愛は強い、ということが書かれていますけど、それでも彼女達三人は、決してその国を代表する人間ではないわけです。三人の少女を主人公にすることで、国がどうとか民族がどうとかという部分を最小限抑えて、それぞれの少女を一人の人間として描くことに成功しているような気がして、だから僕にも読みやすかったんだろうな、と思います。
もちろん、本作を読むと、民族への帰属というのは本当に強いんだな、と思わされます。僕は日本人で、民族がどうの国境がどうの宗教がどうのというような問題に接するようなことはほとんどないわけで、だからそういう国、特に激動の時代にまさにその渦中にいた人々のあり方については想像するしかないのだけど、でもこの民族だから、この出身だから、この宗教だからという理由で何もかも変わってしまうというのは何だか実感が湧かないですね。日本の学校のいじめみたいなもんなんだろうけど、それを大の大人が国をまたいでやってるわけで、なんだかなぁ、という感じがします。
リッツァの話では、数学教師とのやり取りが面白かったです。ここまで数学の出来ない生徒がいたら、そりゃあ教師はギリシャの偉人を引き合いに出して皮肉の一つも言いたくなるでしょう。そして何よりも驚かされるのが、これほど数学(というか勉強全般)が出来なかった少女が、まさかその後そういう進路を取るとは…、という感じでした。リッツァは父親の生き様に振り回されてなかなか大変な苦労をすることになります。
アーニャは、その嘘つきっぷりがなかなかいいですね。しかも、嘘つきだと分かっていながら、周りの皆がそれでもアーニャを愛しているというのがいいなと思います。
でも、やっぱりアーニャの暮らしには疑問がありますよね。確かに著者自身も自問しています。もしアーニャと同じ境遇にいたら、アーニャの享受してきたものを拒否するだけの勇気が自分にはあるだろうか、と。著者は、それは難しいだろうと思うし、確かに僕も難しいだろうなと思うわけです。しかしそれでもやはり、アーニャ一家の生活水準は異常に高すぎるし、共産主義の実現のために戦っているというアーニャの主張にはどうしても首をかしげざる終えないですね。
その後アーニャとその一家に再会した著者は、それぞれの家族の食い違った見解に面食らいます。正しい答えというのはないのでしょうけど、激動する状況にあっては、特権階級も楽ではない、ということかもしれませんね。
一番好きなのが、最後の「白い都のヤスミンカ」です。ヤスミンカは超が付くほどの秀才で、周りから近づきがたいと思われているんだけど、ヤスミンカの方から著者に近づいてきて、親友になります。ヤスミンカは、その後戦争に巻き込まれていくことになるユーゴスラビアの出身で、大人になった著者が再会を目指す時も、一番心配していた相手でした。再会は出来るものの、やはり民族の壁によってあまり幸せとは言いがたい状況に追い込まれていて、やりきれなさが募ります。
ヤスミンカが言っていたことで非常に印象的な言葉があります。

『この戦争が始まって依頼、そう、もう五年間、私は、家具をひとつも買っていないの。食器も。コップ一つさえ買っていない。店で素敵なのを見つけて、買おうかなと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても壊されたときに失う悲しみが増えるだけだ、っていう思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも、明日にも一家皆殺しになってしまうかもしれないって』

僕は今でも戦争というものをリアルに捉えることは出来ないし、どういうものなのか具体的に思い描くことは出来ないのだけど、でもこのヤスミンカの言葉は、ほんの少しだけ戦争下における生活というものを想像させてくれました。こういう、実際にそこにいなければ感じることも言葉にすることも出来ないようないろんな感情が様々な人から語られるので、本作は非常に貴重なのではないかなと思います。
米原万理の作品を読んだのは初めてでしたが、とにかく読みやすかったです。機会があれば他の作品も読んでみようと思いました。あらすじなんかを読むとちょっと難しそうな話に思えるかもしれませんが、読みやすくて非常にとっつきやすい作品なので、是非読んでみてください。

米原万理「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」




しゃぼん玉(乃南アサ)

ひったくりをするなら、やっぱり夕方がいい。山岡翔太は、そんなことを思いながら、暗くなり始めた街を自転車で走っている。暗くなりかけであればまだ警戒心もそこまで強くはないし、それでいて微妙な暗闇が姿を隠してくれる。買い物に出ている人も多いだろうし、そうだとすれば財布の中身もそこそこ期待できる。翔太はいつものように獲物を物色しながら自転車を漕いでいた。
あれにするか。
目の前に一人のおばさんが歩いている。後ろ姿からではなんとも判断できないが、40代ぐらいだろう。片手にショルダーバックを持ち、もう片手にスーパーの買い物袋を下げている。ショルダーバックごと奪ってしまえばいいだろう。買い物後ということで財布の中身がどうかわからないが、しかし両手が塞がっているという条件はやっぱり捨てがたい。
何気なく近づいていき、いつものようにサッとショルダーバッグを奪い取った。すぐさま全力疾走で逃げる。このやり方で、今まで捕まったことはない。
川まで出たところで自転車のスピードを緩める。川岸まで下りれる道を探し、適当なところで自転車を停めた。
犯行後は出来る限り川まで来るのが翔太のやり方だった。現金だけを抜き取って、後は全部捨ててしまうのに、川はちょうどいいのだ。
財布から現金を抜き取る。3万円ぐらいはありそうだ。なかなか上出来。これでまあしばらく生活できるってもんだ。
川に財布を投げ捨てようとしたところで、ふと何かが気になった。たぶん、財布の中の免許証が見えたのだろう。山岡、というような字が見えたような気がする。ありふれた名前というわけでもないけど、そこまで多くはない。一応気になって見てみた。
やはり嫌な予感は当たった。免許証に書かれていた名前は山岡翔子。翔太の母親である。顔写真を見ても、間違いなかった。
まさか、あれが母親?
背格好は確かに記憶にある通りだったかもしれない。しかし、母親に最後に会ったのはもう5年以上も前のことだ。はっきりとは顔を思い出せなくなっている。しかし、ここに母親の免許証がある。間違いない。あれが、母親だったのだ。
まるで別人みたいだったな。
翔太はさっきのおばさんのことを思い出している。断片的母親にこんな生き方してるってばれたら哀しむだろうなぁ。
そんな風に、唐突に母親のことを思い出した。何だか急に、恥ずかしくなった。今さら母親に会いに行けるなんて思ってない。それでも、母親の財布を掏ってしまったことをきっかけにして、母親に恥ずかしくない生き方をしよう、と翔太は思った。

それはそれとして、さっき翔太に財布を掏られた女性はこんなことを思っていました。
「ムカツク。人の財布なんか取りやがって。でもまあいいさ。どうせその財布、ついさっき見知らぬ女から掏ったやつだからね」

一銃「スリ」

全然関係ない話だけど、今日の睡魔はすごかったなぁ。この感想書き始めたの、昨日の21:30ぐらいなんですけど、どうしても耐え切れない睡魔に襲われてちょっと横になったら、起きたら3:30でしたね。驚きです。いろいろやろうと思ってたことがあったのに…。
そろそろ内容に入ろうと思います。
伊豆見翔人は、女性や老人ばかり狙うひったくりだった。後ろからバッグをひったくる小悪党で、家もなく、盗みを繰り返しては日本中を転々とするようなそんな男だった。
そんなある日、脅しのためだけに使っていたナイフが被害者の女性に刺さってしまった。咄嗟に逃げる翔人。もしかしたら俺は、人を殺してしまったかもしれない…。
翔人はヒッチハイクで移動し、気づいたらある山奥にいた。そこで、バイクで転倒していた一人の老婆に出会ったことが、翔人の運命を大きく変えることになる。
そんな婆さんなんか無視してトンズラする予定だったのだが、何だかんだとあって結局その婆さんの家に住むことになってしまった。周囲の人々からは、翔人はその婆さんの孫だと思われているようだ。婆さんも何故かそれを訂正しようとしない。
超ド田舎での生活は辛いことも様々あったが、しかし暖かくて純真で真っ直ぐな田舎の人々と触れ合っていく内に、翔人に少しずつ変化が現れ…。
というような話です。
これも、ちょっと仕事に関わる理由で読み始めましたが、かなり面白かったです。乃南アサは「風紋」って作品を読んだことがありますが(これも仕事絡みだったけど)、それとはまたタイプの全然違う作品でした。どうも仕事絡みでした乃南アサを読まないけど、二作読んだ限りだとかなりレベルの高い作品を書くようなので、自分でも選んで読んでみてもいいかもしれないですね。でも著作が多いからなぁ…。
この作品は、ストーリーはありきたりと言えばありきたりですね。ひと言で要約すれば、「犯罪者が田舎の優しさに触れて更正する」ってだけです。そういうストーリーってありがちじゃないですか?
でもそのありがちな話を、これがまた非常にうまいこと転がすわけなんですね。
まず、婆さんと出会うシーン。結局ここで、何故か翔人は婆さんを助け、さらに周囲の人間に婆さんの孫だと勘違いされることによってその村に住むようになるわけなんだけど、なかなか自然にストーリーが進んでいきますね。翔人の、悪党にはなりきれない中途半端さとか、田舎の人たちの強引さとか、そういう部分の描き方が秀逸なので、なかなかありえなそうな状況をそれらしく装飾していますね。婆さんと出会うまではちょっと退屈なんだけど、この婆さんに出会ってからはストーリーは俄然面白くなっていきます。
また、何よりも主人公の伊豆見翔人のキャラクターが素晴らしいですね。とにかk、徹頭徹尾頭があんまりよくない小悪党という風に描かれていくわけです。例えば翔人は初め、自分が『宮崎』に辿り着いたことを聞いて、なるほど『四国』にいるのか、と思ったぐらいです。翔人の中では、『宮崎』=『四国』なわけです。頭悪すぎですね。他にも、翔人があまりにも世間の常識とか言葉を知らないという描写が様々になされ、ちょっとこりゃいかんなと思わせてくれます。
一方で翔人は、ひったくりをするような悪人だけど、でも悪人にはなりきれないという中途半端さがあって、それが本当によく描かれていますね。結局怪我をした婆さんを助けちゃったわけだし、それからも怒りが沸点に達するようなことは何度もあったのだけど、その度に何だかんだ抑えてしまうわけです。この、悪人ではあるんだけど実は好青年という設定が、ストーリー上非常に重要な要素となっていて、それを乃南アサは巧みに描いていると思いました。
翔人が田舎の生活に馴染んで来た頃の話は、なんともほのぼのとしていていいですね。時折翔人の中で、何かがはじけるようにして衝動が沸き起こるのだけど、でもそれもなんとか抑えられて平穏な日常がやってきます。これは、田舎の生活の大変さを実感で来ていないからこそ言えるのだと思っているけど、翔人の生活を読んでいると、こんなド田舎の生活も悪くないかなと思えたりします。もちろん僕は、田舎で生活することなんかまず無理だってことぐらいわかっていますけど、そんな僕でさえも、田舎の生活は悪くないかもしれない、と思わせるくらいの描き方で、ちょっといいなと思いました。何にせよ、自分の存在が誰からも必要とされるっていうのは嬉しいでしょうね。この作品を読んで一番強く思ったことは、人は誰かに必要とされないと生きて行けないのではないか、ということです。
そして素晴らしいのはラストですね。ネットの感想で、涙なくしては読めない、なんて書かれていましたけど、確かにラストは涙ぐんでしまい、もう少しで泣きそうでした。このラストの展開だってまあベタベタなんですけど、しかしやっぱり著者の書き方が巧いんでしょうね、何だか感動させられていました。ストーリー自体はもうごく普通のありきたりの展開なので、そこまで特徴的っていうわけでもないんですけど、乃南アサの人物描写が巧いんでしょう、かなりいい展開になっていました。
『人は、いつまでならやり直しができる?』
こういう境地に至った翔人の気持ちが何かすっかり分かるような、そんな感じでした。
というわけで、かなりいい作品だと思います。ベタベタその展開のストーリーをここまで面白い読み物にする手腕はちょっとすごいなと思いました。翔人は犯罪者ではあるけど、それ以上に現代のやりきれなさを抱えた一人の若者でもあります。そんな彼の、あなたにもありえたかもしれない人生を読んでみるというのもいいかもしれません。

乃南アサ「しゃぼん玉」



蝉しぐれ(藤沢周平)

「世の中物騒になったわねぇ」
ワイドショーを見ながら、母親がそんなことを言っている。昨日起きた、連続放火魔のニュースをやっているのだ。
「通り魔だって続いてるし、酷いもんだわ」
誰に聞かせるというでもなく、独り言のように母親は呟く。
ここのところ世間を騒がせている大きな二つの事件だった。放火魔は、「水曜日の悪魔」とも呼ばれていて、毎週水曜日、都内近郊でかならず放火が起こる。その現場には、必ず同じ特徴がある、と報道されているけれども、その詳細については秘されている。
一方通り魔の方は、「韋駄天」という異名を取っていた。決まった間隔はなく、事件を起こす場所もまちまちだったが、とにかく逃げ足が速いことで有名だった。一回の犯行で死者が5名を割ったことはなく、こちらも世間を震え上がらせているのであった。
今日は日曜日で、僕はもちろん学校は休み、父親も二階で寝ている。いつものような、ダラダラとした休日の昼である。
そんな折、誰かがやってきた。応対に出た母は、しばらくして部屋に戻ってきたかと思うとそのまま二階へと向かった。二人で階段を下りてきて、僕に「ちょっと遅くなるかもしれないけど、夕飯は適当に食べて」と言い残して出かけていってしまった。僕は、あまり気にも留めずに、ゲームでもしようか、と考えていた。
事態が理解できたのは夕方だった。母親から電話があったのだ。
「お父さんが、水曜日の悪魔かもしれないって」
母親の声は驚くほど震えていた。それが、父親の犯行を認めたくないからなのか、あるいはこれから来る悲惨な生活を思ってのことなのかは分からなかったが、まあ平常ではいられないだろうな、と僕は冷静に思った。
それからの日々は、予想通り大変だった。マスコミが大挙してきた。学校で苛められるようになった。近所の人との付き合いがなくなった。母は次第に疲弊していき、ついには倒れてしまった。
僕はと言えば、そんな状況に何か感じることはなかった。めげなかった、というようなことでは全然ない。複雑な気持ちが渦巻いてはいたが、一番近いのは「不満だ」というものだったかもしれない。
(しかし、まさか父親が放火魔だったとはな)
父親を非難したいという気持ちは一切ない。そうではなくて、この騒ぎが父親によって引き起こされたことが不満だったのだ。
(まあまさか父親も母親も、僕が「韋駄天」だとは思いもよらないだろうけどね)
事実、マスコミに振り回されていた時期は、通り魔「韋駄天」は出没しなかったのである。

一銃「罪と罰」

そろそろ内容に入ろうと思います。
牧文四郎は、友人と共に剣の道場に通い、勉学のために塾に通う、どこにでもいる少年の一人だった。隣に住む小柳家の娘ふくが気になってはいるものの、まだ恋だの愛だのというようなものでもなかった。
文四郎は、剣の腕前はなかなかのものだった。友人の一人である島崎与之介は、剣を諦め、勉学のために江戸に向かうことになった。もう一人の友人である小和田逸平とは、生涯に渡り連れ合っていく仲となる。
平穏に過ごしていた文四郎だったが、ある日突然の知らせがやってくる。父親が切腹させられるのだ、という。藩に背いたということでの切腹とのことだったが、父親は、自分は悪いことはしていない、父親を恥じるな、と文四郎に言って聞かせた。
それから、反逆者の息子として辛い日々を過ごすことになった文四郎。一方、ふくにも大きな変化があり…。
ちょっと前に映画になった時に見ました。映画を見た時は、そんなにどうっていう話でもないなぁ、なんて思ったわけなんですけど、やっぱり小説はなかなかのものですね。
僕は基本的に時代小説といわれるものはほとんど読まないので、他と比較してどうというようなことは言えません。なので見当違いなことを書くかもしれないですけど許してください。
本作は、確かに時代小説ではあるんですけど、しかし全然それだけではないですね。僕の中の勝手なイメージでは、時代小説というのはもっとドラマ的で、アクション的で、という感じなんですけど、本作はまずそういう感じはしないですね。よく言われるように、「抑制の利いた」文章で綴られている作品で、とにかく文章から激しさを感じることがありません。一応三人称で書かれている小説ですが、実質的に文四郎の一人称視点の小説のようなもので、文四郎の内面描写を中心に話が進んでいくんですけど、しかし文四郎自身がそもそも抑制の利いたキャラクターで、苦しい時は耐え、しかし一方で楽しい時も羽目を外しすぎない、かといって堅物というわけでもないという絶妙の立ち位置にいます。その文四郎の身に、本当に実に様々な出来事が降りかかってくるわけなんですけど、文四郎はじっとそれに耐え、剣の修行に励み、雑音を排し、守るべきものは守り、というようなストイックな生き方をするわけです。小和田逸平というのが文四郎とはかなり対極的な正確だったりするので、その対比もあって、文四郎のあり方がより一層際立っているな、という感じがします。
そういう意味で、まさに本作は少年の成長小説だと言っていいでしょう。少年時代から青年時代、そして最後の一瞬だけかなり年配へと時代が変わる物語の中で、文四郎は一回りも二回りも成長します。父親を失って一家の大黒柱となって母を助け、一方で策謀に巻き込まれ窮地を脱する。見知らぬ決闘に首を突っ込んだり、剣の試合で神がかり的な戦いをするなど、一人の少年が多角的に描かれていくので、文四郎の成長を傍で見守っているようなそんな気分になります。
また一方で、本作は非常に上質な恋愛小説としても読める作品です。というか、この恋愛はちょっと凄まじいな、と思ったりします。
文四郎は、隣に住むふくになんとなく気を取られる感じはあるものの、まだお互い子供だったこともあって、言葉に出来るような関係はありません。その後、文四郎の父親が切腹させられたり、あるいはふくの方の事情が大分変わったりというようなことがあって、離れ離れになってしまいます。
元々隣同士で住んでいた頃さえそこまで接点はなかったのに、こうなるとさらに接触がなくなります。しかしこの二人は、心の奥底でお互いを想っていたのであって、それが本当によく描かれていますね。
まず、ふくが一人で文四郎の元を訪れた場面がいいですね。結局その時文四郎とふくは会えなかったわけだけれども、これがまた最後いい具合に物語に絡んできます。
そして、何よりも最後。この最後は圧巻ですね。最後の最後、ふくが文四郎に言った言葉。僕はその言葉を、映画で見て知っていましたけど、しかし小説で読むとやっぱりゾクっと来る感じがしました。それをふくに言わせるタイミングも絶妙で、どれだけ二人が長いこと想いあっていたのか、そしてそれがどれだけ深いものだったのか、ということが伝わる感じで、凄かったですね。
というわけで、本作は時代小説でありながら少年の成長物語でもあり、さらに恋愛小説でもあります。落ち着いた文章で綴られる一人の少年の成長、そして恋や青春は、なかなかに迫力があって、素晴らしかったです。映画のことはあんまり覚えてないですが、でも大分削られてる感じがしたので、原作を読んで改めてその深さを認識しました。
時代小説を読むようになったのは山本周五郎からで、山本周五郎もなかなかいいですが、藤沢周平もなかなかいいものですね。次は池波正太郎辺りですかね。時代小説もなかなかいいものかもしれないな、と最近思ったりするようになりました。読みたい本が山ほどあるのでそんなには読めないでしょうが、少しずつ読んでいけたらいいかなと思います。

藤沢周平「蝉しぐれ」


蝉しぐれ文庫

蝉しぐれ文庫

ポプラの秋(湯本香樹実)

一番初めに見つけたのは、アマチュア天文家だった、と言われている。しかし恐らくそれは、大衆が見つけた中で一番、ということだろう。天文台やNASAなどが見逃していたはずがない。どうしたって隠すことは出来ないものだから、せめて発覚を遅らせようということで緘口令を敷いていた、というところだろう。
そのアマチュア天文家は、いつものように空を観察していると、見慣れないものを目にした。それは、どうも木にしか見えなかった。根の部分を上にして、木が逆さまに宙に浮かんでいるのだった。
彼は急いで仲間の天文家に連絡に連絡を取り、すぐに大騒ぎになった。木は、初めに見た時よりも一層成長しているようで、位置からするとこのまま行けば、関東近郊のどこかに突き刺さるのではないか、と憶測された。
やがてそのニュースは一般市民も知るところとなった。既に木は肉眼でも見えるくらいになっており、この段階でようやく政府が動き、木が突き刺さる可能性の高い地域への避難勧告が出されたのだった。
しかし、それは杞憂に終わった。木はものすごいスピードで成長を続けてはいたものの、地面から5mほどのところまで来た時にピタッとその成長を止めた。
すぐに自衛隊がやってきた。
政府は、この木に関して厳重な警戒態勢を取った。木の周囲に近づかせないようにし、さらにどのような飛行物体もその木の周囲に近づいてはならない、とされた。木の生えたところは、いくつかの空路と重なっていたのだが、各航空会社は空路の変更を余儀なくされることとなった。
メディアの規制も激しかった。テレビも新聞も、ありとありゃうるメディアでこの木は一切取り上げられなかった。政府が一体どんな手を使ったのか分からなかったが、しかしよほど触れられたくないのだな、と事態を見守っていた人は思った。
しかし、やはりインターネットまでは規制することが出来なかったようだ。あるブログに書かれた記事が、瞬間的に大きく話題になった。すぐにプロバイダ経由で削除されたようであるが、しかしそのブログを見た人がさらにいろんなところで書いて広めていったので、実質的にその噂を止めることはもう不可能だった。
それはこんな文章だった。

『政府が隠したいと思っていることを当ててみせよう。これだけ厳重に隠そうとしているのだ。何かとんでもない秘密が隠れていると皆思っているだろうし、実際それは正しい。
結論から言おう。我々が住んでいるのは、惑星の表面ではないのだ。我々は実は、地底に住んでいるのである。
これまでは、様々な巧妙な細工によって、我々が惑星の表面に住んでいるのだ、と思い込ませることに成功していた。しかしそれは、全世界規模の陰謀なのである。実際我々は、地底に住んでいる。
そう考えれば、あの木の存在についても説明がつくだろう。あの根が、我々が考えているような空に浮いていると考えるのは不自然だ。しかしあれが、地底の天上から下に生えているのだ、と考えれば自然だろう。
つまりそういうことだ。我々は騙されているのだ。騙されていたとしても、我々の生活は大して変わらないだろう。しかしやはり、自分達が地底人であるという事実は、なかなか受け入れがたい』

一銃「空から生えてきた木」

そろそろ内容に入ろうと思います。
7歳の千秋は、夫を失ったばかりの母親に翻弄されていた。失意の底に沈んでいた母親は、初めは寝込んだまま過ごし、それから一転、千秋を連れて外をうろうろと歩き回るようになった。千秋は、父親の不在にも、母親の豹変にも不安を感じていた。
そんなある日、二人はあるアパートを見つけたのだった。庭に生い茂るポプラの木に引き寄せられるようにして、二人はそこに住むことになった。
千秋は初め、大家のおばあさんが怖かった。不気味で近寄りがたい雰囲気で、初めは全然話せなかった。
次第に普通に接することが出来るようになると、おばあさんは秘密を打ち明けるようにして千秋にこう言った。
「死んだ人に手紙を書けば、私が持っていってあげるよ」
こうして、千秋とおばあさんの交流が始まっていく…。
というような話です。
この作家の作品は初めて読みました。ホントは、デビュー作であり無茶苦茶高い評価を受けている「夏の庭」から読めばいいのかもしれないですけど、仕事との関わりもあってこっちを読んでみることにしました。
梨木香歩やなんかと同じような児童文学の系統の作品ですね。僕は、梨木香歩にしてもそうですが、児童文学に類される作品というのはそこまで得意ではないんですね。やっぱり、僕が男だっていうのもあるかもしれないし、僕の年齢的なものもあるかもしれないけど、そこまでしっくり来るわけではないな、という感じがします。
本作にしても、やっぱり児童文学だなぁという感じの作品で、そこまでしっくり来るという感じではなかったです。
でも、全体の雰囲気とか登場人物の描写なんかはうまいと思うし、面白いなと思いました。
まず一番は、大家のおばあさんの描き方がいいなと思いました。現実にいそうなんだけどでもいなさそうでもあって、お年寄りっぽいけどちょっと違うような、そういう巧い外し方をして描いているのが印象に残りました。ストーリー全体が、このおばあさんの人格によって引っ張られている感じがあって、いいなと思いました。
また、千秋もなかなかよく描かれています。ここで描かれている千秋を読むと、どことなく自分の子供の頃を思い出しますね。僕も割と子供の頃からいろいろ考えちゃうようなやつだったわけで、その考えすぎて疲れてしまうみたいな子供特有のあり方をうまく描いていると思いました。特に、学校に行くのに忘れ物をしていないか何度も確かめ、その内、もしかしたら授業内容が変わっているかもしれないと思ってすべての教科書を毎日持っていっていた、なんて話はよくわかりますね。さすがにすべての教科書を毎日持っていくなんてことはしてなかったけど、でも似たような子供だったと思います。
そんな千秋が、死んじゃったお父さんへの手紙を書くことで立ち直っていく過程が物語のメインになっています。その過程もごく自然な流れの中にあって、ストーリー展開のうまい作家だと思いました。
ただ一点不満を言えば、もう少し長い物語にしてもよかったんじゃないかな、と思ったりします。どこを膨らませればいいのか、と聞かれると困りますけど、もうちょっと長く読みたかったような気がします。これは、僕があんまり児童文学を読まないから思う感想でしょうか。児童文学は、これぐらいの長さがちょうどいいのかもしれません。
まあそんなわけで、全体的には割といい作品だと思います。児童文学がそこまでしっくり来ない僕にはそういう感想ですが、児童文学がぴったりくるという人にはオススメ出来る作品だと思います。

湯本香樹実「ポプラの秋」



ポアンカレ予想(ジョージ・G・スピーロ)

「ペッチロード予想に関する重大な検証」
ある時、そう題された論文が、インターネット上にアップされた。投稿したのは、フィンランドの数学者、リッチャウス・ハミーロである。
ペッチロード予想は、今から200年前の数学者ペッチロードが提唱した予想である。五次元以上のすべての構造体は、それぞれある一つのペッチロード関数に対応する、というもので、この予想は恐らく正しいだろうと考えられているが、誰も証明に至ることのなかった難問の一つである。
そのペッチロード予想に関して論文が出されたのだ。数学者は皆、もしかすると証明されたのだろうか、と期待した。それは当然だろう。証明したか、あるいは反例を見つけたか、普通はそのどちらかしか考えられない。
しかし、ハミーロが提示したのは、もっと驚くべきことであった。彼の主張を簡約するとこうなる。
「ペッチロード予想なるものは存在しない」
普通、数学上のある予想に対しては、それが真であることを証明するか、あるいは偽であることを証明するか、あるいは反例を見つけるかのいずれかしかない。例外はある。ゲーデルが証明した不完全性定理というものがあり、大雑把に言えば、数学上の設問には真なのか儀なのか確定できないものが存在する、ということを証明したのだ。しかし、答えがなかろうが、その設問自体は存在することは自明だろう。しかしハミーロは、ペッチロード予想がそもそも存在しない、と主張しているのだ。
数学者はその論文を読み、ハミーロの主張に破綻がないことを理解した。ハミーロは、ペッチロード予想が存在しないことについて証明したが、しかしこれはもっと拡張されることだろう。つまり、ゲーデルの不完全性定理のように、ハミーロの非存在性定理とでも呼ぶべきものに。
数学という学問はこれまで、ありとあらゆる対象を扱って来た。現実には想像することさえ不可能な高次元の幾何や、どんな数なのか想像も出来ない「i」だって扱えるのだ。しかし、存在しないものはさすがに扱うことが出来ない。これでまた一つ、数学上の限界が示されたことになる。

一銃「数学の限界」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、「ポアンカレ予想」という名で知られている、長い間未解決だった難問の解決に至るまでの道筋を追ったノンフィクションです。
数学には、僕のような普通の人間にも名前の知られた難問がいくつかあって、既に解決されたフェルマーの最終定理や四色問題、未解決のリーマン予想などがあります。このポアンカレ予想も比較的メジャーな難問で、名前だけは知っているという人は多いのではないでしょうか。
ポアンカレ予想というのは、トポロジーという分野に関する問題です。トポロジーというのは、物体を幾何学ではない見方で見た時の学問、という感じの説明になります。幾何学では、物体を分類するのに角や辺と言ったものに注目します。しかしトポロジーでは、本質的に重要なのは「穴がいくつあるか」という部分だけです。
本書に書かれている面白い文章を抜き出してみましょう。

『三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。すると、幾何学者は「立方体です」と答え、グラフ理論学者は「11の辺で結ばれた、8つの点です」と述べ、トポロジストは「球です」と答えた。』

これは有名なジョークのようですが、トポロジストについて分かりやすく説明されています。トポロジストにとっては、立方体も円錐もすべて、穴がないという意味で球と同じです。しかし、ドーナツと球は違います。また、取ってのついたコーヒーカップとドーナツも別物です。取ってのついたコーヒーカップには穴が二つありますが、ドーナツには一つしかありません。
もう少し正確に言えば、破ったり穴を開けたりすることなく変形することの出来る物体はすべて同じだと見なされる。それがトポロジーという学問です。粘土で作った立方体は、破いたりすることなく球にすることができますが、ドーナツにはできません。
さてそんなトポロジーの分野に、ポアンカレという傑出した数学者が先駆的な仕事を様々にしました。トポロジーという分野は、ポアンカレが切り拓いたと言っても言い過ぎではないでしょう。そのポアンカレが、自身では証明できるだろうと思っていたけどいろいろあって「予想」という形で残したのが「ポアンカレ予想」です。まさかポアンカレも、この予想がその後100年に渡って多くの数学者を悩ますことになるとは思いもしなかったでしょう。
ポアンカレ予想を簡単に説明するのは難しいですが(というかそもそも僕がちゃんと理解できてないですが)、漠然とした言い方をすると、『球体の表面にいるアリは、自身が球体の上にいるということを知ることが出来るだろうか』ということになります。
もう少し数学的に説明するとこうなります。例えばある球が存在するとして、その球に長さが伸縮自在の輪ゴムを掛けるとします。その輪ゴムをどんどん短くしていくとある一点に収縮します。
さて一方でドーナツを考えます。ドーナツには、ドーナツの輪っか部分に掛けるのと、ドーナツの穴を通すのと二種類の輪ゴムの掛け方があります。さてこの輪ゴムをどんどん短くしていくとどうなるでしょうか。二種類の輪ゴムは、決して一点では収縮することはありません。
さてここからポアンカレはこう考えました。ある物体に輪ゴムを掛けた時、その輪ゴムが一点に収縮するならば、その物体は球に変換することが出来るのではないだろうか。これがポアンカレ予想です。
例えば立方体や円錐や円柱で考えて見れば、これはすぐ当てはまることに気づくでしょう。これが、ありうるすべての物体(四次元以上の物体も含めて)について成り立つのかどうか、ということが問題でした。
あらゆる難問と同じように、このポアンカレ予想も多くの敗退者を生み出しました。多くの試みが試され、多くの時間が費やされましたが、この壁は一向に乗り越えることが出来なかったわけです。
さてそこで、ハミルトンという数学者が登場します。ハミルトンは、最終的にポアンカレ予想を解決することになるある手法を考え出しました。リッチ・フローという手法で、物体を特殊な微分方程式によって変形させ、その消滅の過程を観察することでポアンカレ予想を証明しようという試みでした。ハミルトンは様々な構造体に対してその微分方程式を適応させ、様々な障害を取り除いたわけですが、どうしても取り除けない障害があり立ち止まってしまいました。
そこでペレルマンという数学者が登場します。ペレルマンは、ハミルトンのプログラムを借り、最終的にポアンカレ予想を完全に証明した人物です。ペレルマンは、ハミルトンが躓いていた障害が、現実には起こり得ないということをトリッキーなやり方で証明しました。さらに他にも、僕には理解できない様々なことをやってのけて、最終的にポアンカレ予想の証明をしました。
さてそのペレルマンですが、なかなかに破天荒な人物です。ポアンカレ予想を証明した功績により、四年に一度授与される、数学者にとって最高の栄誉であるフィールズ賞が与えられることになったのですが、それを史上初めて辞退しました。またポアンカレ予想には100万ドルの懸賞が掛けられており、ペレルマンにはそれを受け取る権利があるのですが、それを受け取るかどうかもなんとも言えないのだそうです。そもそもペレルマンは今行方がわからなくなっていて、ありとあらゆる数学研究の機関にも所属していないようです。ペレルマンは、数学界のモラルの失墜を嘆いていて、それに巻き込まれないようにするために数学界から離れる、というようなことを一部の人間に漏らしていたそうです。
しかしペレルマンが天才的で最高の数学者であることは間違いありません。ペレルマンは、誰ともほとんど接点を持つことなく、一人で部屋に籠ってポアンカレ予想と対峙しつづけました。最終的な論文を完成させると、数学者は普通親しい数学者に査読を求めるものですが、ペレルマンはそれさえせず、さらに論文を権威ある雑誌などに投稿することもなく、インターネットに投稿してお終い、という簡素さです。ペレルマンは、人類の知識が発展することは望んでいるけど、それ以上の自身の名誉であるとかお金であるといったようなことにはほとんど関心がないように見えるのだそうです。
まあそんなわけで、証明され終わってからも様々な問題を引き起こしたポアンカレ予想ですが(中国人数学者に端を発するゴタゴタはもうすごいです)、長い歴史を辿った難問がまた一つ解決されました。ポアンカレ予想は、フェルマーの最終定理と同じく、解かれたからと言ってどうなるものでもない予想です(そういう意味では、リーマン予想の方がより重要な予想でしょう、たぶん)。でも、証明しても知的好奇心が満たされるだけであろうとも、やはり数学というのは素晴らしいなと思います。なんというか、こうやって「知りたい」という気持ちだけで(まあ「第一の証明者になりたい」という欲もあるでしょうけど)、長い長い年月を掛けて一つのことに取り組むことが出来るというのは素晴らしいことですね。しかも、僕は変人が大好きなので、ペレルマンのように無茶苦茶な人間が最終的にポアンカレ予想を証明してくれたというのは嬉しいですね。フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズは割と普通の人だったので、こういうドタバタは読んでて楽しいなと思いました。
しかし、トポロジーは無茶苦茶難しいですね。僕は学生時代から図形がとにかく嫌いで、想像力がなかったんでしょうね。トポロジーなんてまさに図形に関する想像力が果てしなく要求される分野で、トポロジーに関する記述は割とアウトでした。前半はまだなんとかなりましたけど、後半はもう理解しようとするのは諦めようと思って読んでいました。
でも、トポロジーの部分が完全に理解出来なくても、なんとなくの流れは終えるし、それにこのポアンカレ予想についても、多くの数学者のドラマがあるので、やっぱり読んでて楽しいですね。
さて、次にメジャーな未解決問題が解決されるのはいつになることでしょうね。僕としてはやっぱり、リーマン予想が証明されてくれたらいいんだけどなぁ、と思います。あと、四色問題のコンピュータを使わない数学的な証明とか。ゴールドバッハ予想なんかも、予想自体が単純故にどう証明されるのか気になるところです。
まあそんなわけで、かなり面白い作品です。数学に興味のある人は是非読んでみてください。ホントこういう本を読むと、僕も数学者になりたかったな、そして超トップクラスの数学者になって普通の人が見れない世界を見れたらよかったのにな、と思ったりします。

ジョージ・G・スピーロ「ポアンカレ予想」



聖☆おにいさん 2巻(中村光)

「はい、次の人」
イエスは、自分の部屋の前に並んだ行列を一人で捌いていた。
何をしているかと言えば、同居人の選別である。
前回、「聖☆おにいさん」を読んだイエスは、宿敵であるブッダと共同生活をすることでブッダをやっつけよう、という計画を立てた。自身のブログに、ブッダに向けて一緒に住もうという文章を書いたところ、我こそはブッダであるという人間が山のように押し寄せてきたのである。
その数、推定1000人。そこでイエスは、夜を徹して本物のブッダ探しに没頭しているのである。
「あなた、そこでちょっと浮いてみてください」
審査はこれだけで充分。ほとんどの候補者は、これが出来ない。当然である。ただの人間なのだから。かつての宗教団体の教祖のようにぴょんぴょん飛び跳ねてみせる者もいるが、もちろん話にならない。
「はい、次の人」
そんなことをしている内にイエスはイライラしてきた。何で1000人もの人間をいちいちチェックせにゃならんのだ。あぁ、めんどくさ。っていうかホント、こんなことさっさと終わりにしないとなぁ。
そんなわけでイエスは、当初の目的をすっかり忘れてしまったのです。
「はい、次の人。はい、あなたで決定」
そんな風に、投げ遣りで同居人を決定してしまったのです。ブッダと共同生活をしなくてはいけないのに、ブッダでも何でもない人間とただ共同生活をするなんて本末転倒。しかし、もはやこの苦行から逃れたかったイエスは、肩の荷が下りたようにホッとしました。
しかし、それもつかの間でした。
「きみ、名前は?」
「ユダです」
よりにもよってイエスが同居人に選んだのは、裏切り者のユダでした。
「おいおい」
とイエスは呟いたそうです。
一方その頃ブッダはというと…。

一銃「エリミネーション」

「聖☆おにいさん」の感想を書く度に続いていく連載ショーとショート第二弾です。まあ、相変わらずどうってことのない話ですけどね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、今巷で話題沸騰の大人気マンガ、「聖☆おにいさん」の2巻です。
「聖☆おにいさん」というのは、イエスとブッダが共同生活をする話です。普段は展開に住んでいる二人は、現在バカンス中で、その間地上で共同生活をすることにしました。お金に厳しいブッダと、ブログをものすごく更新するイエスが、日常で様々なトラブルや食い違いに巻き込まれながらも、日々生活をしていく、という話です。
相変わらず絶好調に面白い作品ですね。今回は、冒頭がクリスマスの話で、これがまたいいですね。イエスは、クリスマスが何の日なのか実は知らなくて、そんなイエスを相手に、ドッキリ誕生パーティーを成功させようと目論んでいるブッダ、という展開で、なかなか面白いです。
他にも、初詣に行ったり、ブッダが風邪を引いて寝込んだり、ジョギングを始めたり、ハイキングに出かけたり、イエスにとっての聖地である秋葉原に行ったり、二人が散髪をしたりと、設定自体は全然大したことないんだけど、二人の掛け合いやら展開やらが面白いという、なかなか絶妙なマンガです。
僕は、ブッダが風邪を引いた奴と、秋葉原に行く奴が結構お気に入りですね。特に、ブッダが寝込んでいるとき、頭を冷やして欲しいって言った時のイエスの対処が最高ですね。面白すぎます。
普段マンガをほとんど読まない僕ですが(「名探偵コナン」ぐらいですね)、これはちょっと今読んでおいた方がいいマンガだと思います。普段マンガを全然読まない人でも絶対楽しめると思います。なかなかオススメです。是非読んでみてください。

中村光「聖☆おにいさん 2巻」



聖☆おにいさん 1巻(中村光)

イエスは、本屋をブラブラしている時に、ふとあるマンガ目に入ったのだ。
「聖☆おにいさん 1巻」
なんだこりゃ、と思ったイエスは、さっそく家に帰り、そのマンガを読んでみることにしたのだった。ちなみにイエスは一人暮らしである。
「な、なんじゃこりゃー」
イエスは一人咆哮することになりました。そこには、宿敵ブッダと自分が仲良く共同生活をしている様が滑稽に描かれているのでした。
「あやつのせいで、アジアにキリスト教を広めることが出来なかったんだ。許せん。マンガとはいえ、自分とブッダが共同生活をしているなんて、許せん!」
しかし、イエスはふと思いつきました。
「なるほど、このマンガのように実際ブッダと一緒に暮らしてみるというのはどうだろう。打倒ブッダを掲げて地上に降り立ったとは言っても、ブッダがどこにいるのかも見当がつかないし、いてもどうやって倒せばいいのか分からないぞ。一緒に生活をしていれば、宿敵を探す手間がそもそも省けるし、弱点なんかも見つけることが出来るかもしれないではないか」
なるほど、これは名案だと思ったイエスは、早速自分がアップしているブログにこんな文章を載せてみました。
『ブッダを探しています。
一緒に生活をしませんか?
連絡待ってます。』
ブッダから連絡が来たのかどうかは、またのお楽しみ…。

一銃「イエスの宿敵」

なんとなく続き物っぽいショートショートにしてみました。「聖☆おにいさん」の感想を書く度に続いていく、ということにしておきましょう。そんなこと出来るかどうか分かりませんけどね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、今巷で大人気のコミックです。とにかく、いろんな人が絶賛していて、このコミックでフェアを組んで大プッシュしている書店もたくさんあると思います。僕も、ずっと読みたいなぁ、と思っていたわけなんですけど、ようやく読んでみることになりました。
設定は非常に単純です。イエスとブッダは今バカンス中で、下界に降りて共同生活をしています。ちょっとお調子者のイエスと、お金に細かいブッダが織り成す日常を描いた作品です。
いやはや、これメチャクチャ面白いですね。特に何かストーリーがあるってわけじゃなくて、イエスとブッダの何気ない日常をただ描いているだけなんですけど、これは面白いです。
彼らは人間界で生活することに慣れていないので、どうにも勘違いしていることがあったり、変な食い違いをしたりすることがすごく多いわけです。その変な部分っていうのが面白いですね。動物に親しまれたり、サウナで妙な会話をしたり、ジェットコースターに乗りながら念仏を唱えたりと、なかなかのズレっぷりで面白いですね。
それに、イエスとブッダのキャラがいいですね。イエスはイエスの、ブッダはブッダの背景をきちんと持っていて、笑ったのが、イエスが空腹の時にブッダが出した食べ物ですね。なるほど、確かにイエスなら出来るだろうな、とか思ったりしました。あとブッダの髪型とかイエスの水泳とか徳の高いことを考えた時のブッダとか、とにかく面白さ満点なわけです。
好きな話は、「Oh my ホビー」と「サマージャム、市民館」ですね。「Oh my ホビー」の方は、とにかく最後の終わり方が大好きですね。おいおい猫!って感じです。常にあんな感じだとしたら、確かにブッダもイエスもなかなか大変かもしれないですね。
「サマージャム、市民館」の方は、やっぱりヤクザのお兄さんとサウナに入っているところが最高ですね。あまりにも噛みあってない会話が素晴らしいです。
まあそんなわけで、今非常に勢いのある人気マンガです。アクションや魔法やバトルや謎解きと言ったコミックにありがちな展開はまるでないので、普段コミックを読まないような人でも面白く読めるんじゃないかなと思います。ゆるくていいですよ。ゆるゆるです。シュールだし。何よりもやっぱり、ブッダとイエスを共同生活させるっていうその発想が神ですね、ホント。

中村光「聖☆おにいさん 1巻」



彼岸先生(島田雅彦)

先生との出会いのきっかけは、いつものように本屋でブラブラしていたことから始まった。僕は見るともなく本を眺め、時折手に取ってはパラパラ捲るということを繰り返していた。
そんな時、一冊の本に僕は釘付けになった。その本が、先生の本だったのである。
内容紹介も帯の文句も至って普通で、著者の名前は聞いたことがなかった。しかし、その著者略歴を読んで僕は驚いたのだ。
『1867年生まれ』
そう書いてあったのだ。
その小説は、どこをとっても、今生きている作家が書いたとしか思えないものだった。内容紹介をざっと読んでも、100年以上前の人間に書けるものではない。となれば可能性は二つしかない。著者略歴に誤植があるか、あるいはとんでもない長生きの作家なのか。
それ以来僕はその作家のことが気になって、とにかく調べまくった。どうやって先生の元に辿り着いたのか、それは割愛しよう。とにかく、とんでもない労力の賜物であった。しかし僕は先生に辿り着いた。それだけで充分だ。
僕は時々先生を訪ね、話をし、そしてその内先生の弟子になった。弟子になったからと言って何かが変わるわけではなかった。そのはずだったのだ。
先生は、見た目は50歳くらいだった。著者略歴の年齢についてもちろん聞いてみたけど、その内分かるだろう、と言って教えてくれなかった。しかし、先生の言う通り、確かにその内唐突に理解することになる。
ある日、先生が病気で倒れた。たまたま僕が一緒にいる時で、僕は救急車を呼んだり、病院までついて行ったりと大忙しだった。
ようやく一段落つくと、先生は病院のベッドの上で、おもむろにこう言いだした。
「そろそろ私も引退のようだ。私の跡は、君が継ぎなさい。君が四代目だよ」
先生も25年ほど前、二代目によって作家の地位を引き継がれたのだという。なるほど、それで生年が1867年になっていたのか。長年の疑問が解けた嬉しさの反面、これから小説を書かなくてはいけないのかと想うと不安でたまらなくなった。

一銃「長寿先生」

そろそろ内容に入ろうと思います。先に書いておくと、今回はまだこの作品を読み終わっていません。けど、ちょっといろいろあってこのタイミングで感想を書かないといけない感じなので、最後まで読まない状態で無理矢理感想を書いてしまおうと思います。
ぼくは、姉の関係である作家と知り合う。姉がその作家に、オペラの発声を教えていたのである。その作家は、ポルノなんだかSFなんだか政治小説なのかミステリーなのか分からない不思議な恋愛小説を書いているらしかった。
僕はその作家を「彼岸先生」と名づけて、先生の元に出入りするようになった。先生に弟子だと認めてもらい、先生の変わった友人たちとも交流を持っていく。
常に女性と交際することばかり考えていて、いつも頑張って遊んでいて、稀代の嘘つきである先生と、そんな先生に弟子入りしたロシア語を学ぶ青年の関係を描いた、現代版「こころ」。
島田雅彦の作品を最近立て続けに読んでますが、なかなか面白いですね。最近は、書店の棚には普通には並んでない作家だと思うんだけど、もっと注目されてもいいような気がしますね。
島田雅彦の作品は、何となく鬱屈した主人公がうだうだしている様を一人称で書いているところが面白いななんて僕は思うわけです。本作でも、主人公が割と鬱屈している感じで、結構不安定です。その不安定な主人公が、彼岸先生やその周囲にいる変な人達と出会って振り回されていくという感じの話で、なかなか面白いです。
彼岸先生の描写がなかなかいいですね。本作にはかなり奇妙な人々が山ほど出てくるんですけど、その中でもトップクラスに変な人ですね。奥さんがいるのに浮気ばっかりしていて、奥さんもそれを知ってるっぽいのに夫婦仲は悪くない。作家だと言いながら小説を書いている雰囲気はなくて、最近は日記ばっかり書いているみたい。遊ぶことも仕事だと言い張って、とにかく頑張って遊んでいる。昔はニューヨークなんかでなかなか面白い体験をしたりしていて、いわゆるドン・ファンである。いつもフラフラしていて何を考えているのか分からないし、先生の周囲にいる人もそれでいいと思っているという、なんとも奇妙な人間関係ですね。
ストーリー的には何が起こるというわけでもなくて、主人公の先生を中心としたダラダラとした生活が書かれていきますね。今300Pぐらいまで読んだんですけど、そのちょっと手前でストーリー上の大きな転換点がやってきて、さてこれからどうなるかな、というようなところです。
本作には、先生の手になる日記が出てくるんだけど、これがまたうまいですね。島田雅彦の「君が壊れてしまう前に」という作品は全編日記で構成されている小説で、これはホントにうまいなと思ったわけですけど、本作でもやっぱり日記の部分は秀逸で、なんか凄いなと思いました。日記にリアリティを持たせることが出来るのは凄いな、と。
さてこれからストーリーがどう展開するか分かりませんが、これまでのところなかなか面白い作品です。島田雅彦はなかなかいいですね。これからもちょくちょく読んでいこうと思います。

島田雅彦「彼岸先生」




自転車少年記 あの風の中へ(竹内真)

「最近、この辺もやっとバリアフリーになってきたよね」
「ホント、私たちみたいな人のことをようやく考えてくれるようになったのね」
「昔は酷かったもんなぁ。ウチの祖父ちゃんなんかがその時代だったらしいけど、ウチらみたいな人間なんて切り捨てられてたみたいだからね」
「あぁ、それウチのお祖母ちゃんも言ってたかも。そんな障害があるわけないだろ、って散々言われたって」
「まあでも、考えてみればそうかもね。俺らみたいな障害を持った人間がまだほんの僅かしかいなかった時代なら、そういう風に思われてても仕方ないかもね」
「でも、あちこちに階段はあったわけだし、それに店とか電車とかにも入れなかったわけでしょ?考えられないよね、ホント」
「そうだよなぁ。どうしてたんだろうね」
「自転車ドクターだっていなかったっていう話だしね」
「それはキツいなぁ。え、じゃあ昔は、自転車のメンテナンスとかどうしてたわけ?」
「さぁ、ちゃんと聞いたわけじゃないけど、同じ障害を持つ人どうしでメンテナンスの知識を共有してお互いにやったりとかしてたみたいだけどね」
「それに比べれば今は楽だよね。自転車に乗ったままメンテナンスしてくれるなんて、今じゃ当たり前だからね」
「っていうか、それがないと生きていけないって」
「でもさ、何で『自転車から降りられない』なんて障害が起こるんだろうね」
「さぁ。遺伝的な要素はないってこの前ニュースでやってたけどね」
「これ、ウチらみたいな人間には全然分かってもらえないけどさ、ホント自転車がお尻から生えてるような感じがするんだよね」
「分かる分かる。そうなんだよね、周りの人ってどうも理解しがたいらしいんだよね」
「まあしょうがないけどね」
「自転車からは降りられないけど、楽しく生きられるしね」

一銃「未来の障害」

そろそろ内容に入ろうと思います。
僕は子供の頃から自転車が大好きで、自転車が縁で親友とも出会えた。そして、まさに上京するという今日、ずっと住んでいた南房総の風が丘から東京中野まで自転車で走りぬいてやろうと思ったのだった。
親友の草太と伸男と一緒に走り始めた僕ら。無事東京に着き、僕らの新しい人生がスタートした。
ちょっと自転車から離れた時期もあった。親友のとんでもない行動に度肝を抜かれたこともあった。失恋もしたし、そして恋もした。就職して、そしてまた自転車と関わるようになっていった。
とあるイベントを機に、昔の仲間が集まってくる。結婚し子供まで出来た僕は、今では子供に自転車の乗り方を教えている…。
というような作品です。
最近個人的に嵌まっている竹内真の作品です。相変わらず竹内真は非常にいい作品を書きます。ホントに、もっともっと名前が売れるべき作家だなと思うわけです。っていうか、俺が売れよって話ですね。
本作は、非常に特殊な形で出版された作品だそうです。ハードカバー版でも「自転車少年記」というのは出ていますが、それをそのまま文庫化したわけではありません。ハードカバー版では、主人公の「僕」が8歳の頃からの話を多視点で描いているらしいんですけど、文庫版では上京するシーンから(ハードカバー版での第8章から)が濃密に描かれ、さらにハードカバー版では描かれなかった続きが描かれているわけです。ハードカバー版の構想を元に、書き下ろしされた作品とのことですが、確かにハードカバー版とは大きく変わっているようです。
自転車は僕も普段乗ってますけど、ちょっとそこまで乗るのに使うぐらいで、本作で描かれるように、南房総から東京とか、東京から日本海とか、そんなアホみたいな乗り方はもちろんしたことがありません。僕の体力では出来るわけないよな、と思いつつ、でもちょっと自転車に乗って長い距離を走ってみたいな、と思ったりしました。この何事にもやる気のないこの僕を少しでもやる気にさせた(まあ実際はやりませんけど)この作品はなかなかすごいと思いました。
自転車は、ところどころ専門的な話も出てきますが、基本的にはロードレースなんかにまったく知識がない人でも全然楽しめる作品です。大学入学のために状況し学生時代を過ごす青春が描かれているかと思えば、子どもが出来て父親になっている姿が描かれていたりと、青春小説でもあり家族小説でもある感じです。
相変わらず読みやすい文章で、スイスイ読めてしまいます。文章も、デビュー当時よりもさらに落ち着いている雰囲気がしていて(デビューの辺りで既に落ち着きはありましたけど)、クセのないいい文章を書くなと思います。
自転車で風を突っ切っていく爽快感を味わえる作品です。真夏のクーラーのない部屋で読書をしていても、何だか気分だけは爽やかになれそうな、そんな本です。いろんな要素のつまった作品なので、いろんな楽しみ方が出来ると思います。いいですね、竹内真。次は、「カレーライフ」辺りでも読もうかなぁ。

竹内真「自転車少年記 あの風の中へ」



ミノタウロス(佐藤亜紀)

「なぁ、中国人が全員一斉にジャンプしたらどうなると思う」
「っていうか、あんた誰?」
「神様だよ、神様」
「嘘ばっかり。神様がこんなしけた飲み屋にいるかよ」
「実際いるんだから仕方なかろう」
「んで、何だっけ?中国人がどうしたって?」
「だから、中国人が全員一斉にジャンプしたらどうなるか、ってことよ」
「どうなるかも何も、そんなことありえんだろ」
「今誰と話してると思ってるんだ。俺は神様だぞ。そんなこと容易い容易い」
「へぇ、じゃあやってみてよ」
「いいのか?」
「どういうことだ?」
「よく言うじゃないか。中国人が全員一斉にジャンプしたら、地震と津波が起きて日本はヤバイ、って」
「んなアホな」
「だからそれを確かめようと思うんだけど、ホントにやってみてもいいかな」
「まあいいんじゃねぇの。俺だってそんな日本とかに興味ないしね」
「よしじゃあちょっとやってみるか」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
「いかんいかん。ロシア人までジャンプさせてしもうた。日本はちと壊滅してしまったのぉ。まあ仕方ないか」

一銃「中国人のジャンプ」

そろそろ内容に入ろうと思います。
舞台は、1913年のロシア。主人公のぼくは、地主になった父親について生まれ育った土地を離れる。様々な人間と出会い別れ、時には人を殺し、逃げ、仲間とつるみ、そうやって生き抜く話です。
というか、僕には内容がイマイチよくわからないので、内容紹介はほぼ出来ません。
もうですね、佐藤亜紀の小説はレベルが高すぎて僕にはちょっと無理なわけです。僕はデビュー作の「バルタザールの遍歴」を読んだことがありますけど、そっちももう硬質で読みにくくて話がさっぱり理解できなくて、とにかくすごいということだけが伝わってくる話です。本作の方も、硬質でとにかく読みにくいし話はさっぱり理解できないしと、全然ダメでした。
佐藤亜紀は、書評界では無茶苦茶評価が高い作家なんですよね。国際レベルの作家だ、とさえ言われるぐらいです。何ですけど、やっぱり僕はダメですね。もう全然合わないわけです。佐藤亜紀はやっぱりもう読むのを止めようと思ったりします。ちょっとさすがに、この作家の作品を読みこなすのは不可能な気がします。
読みにくさはもう一級品でして、同じ分量の小説と比べて、読むのに二倍の時間が掛かりました。とにかく、文章が全然頭の中に入ってこないんです。文章を追うんだけど、段々ついていけなくなって、途中で自分がどこを読んでるのか分からなくなって、ちょっと前まで戻る、みたいなことをずっと繰り返していました。
しかし、こういう読みにくい小説に出会うと、今の中高生が普通の本を読めないというのはこういう感覚なのかな、と思ったりすることがあります。例えば本作にしても、もっと年配の人で、若いときから難しい本をバリバリ読んでいたような人なら全然普通に読めることでしょう。でもたぶん僕と同年代だと結構お手上げなんじゃないかなと思います。本作を普通に読みこなせる人からすれば、何でこれぐらいの文章が難しいんだろう、と思ってしまうんでしょうけど、でもそれは恐らく、僕らが中高生に対して、何で普通のエンターテイメント小説の文章が難しくて読めないんだろう、と思うのとたぶん同じことなんだろうな、とか思いますね。
そう考えると、やっぱり時代によって受け入れられる文章というのはどんどん変わっていってしまうわけで、だとすれば今後は携帯小説みたいな文章の小説が主流になる可能性もあるわけです。考えるだに恐ろしい世界ですね。
話は脱線しましたが、本作はまあとりあえずすごいなという感じの小説ですね。話はさっぱり理解できませんでしたけど、この作家もこの作品も相変わらずすごいんだなと思うようなそんな本でした。しかし読むの疲れたなぁ。こんなに分量の少ない小説を読んでここまで疲れるというのも本当に珍しいですね。270Pぐらいの小説なんですけど、1000P以上の小説を読んだみたいな疲労感があります。
まあそんなわけで、僕には本作は評価のしようがありません。世間的には評価は無茶苦茶高いはずです。佐藤亜紀という作家自体も無茶苦茶評価が高いです。僕はダメでしたが、是非チャレンジしてみてください。
ちなみにですけど、装丁はかなり好きです。

佐藤亜紀「ミノタウロス」



腐女子彼女。パート2(ぺんたぶ)

「セバス、ちょっとこの眼鏡を掛けてみなさい」
「Y子さん、眼鏡萌えでしたっけ?」
「確かに眼鏡萌えでもあるけど、大事なとこはそこじゃないの!いいから掛けなさい」
「はいはい。ちょっと待ってくださいよ。歩きながらだと掛づらいです。荷物片方持ってもらえません?」
「まったく人使いの荒いセバスね!」
「って、えーっ、な、なんですかこれは?」
「ようやく掛けたのね。どう、私が発明した素晴らしい眼鏡の効果は。って、何で外してるのよ」
「いやいや、こんな眼鏡掛けてられないですって」
「どうして!世界中の女子の夢をあまねく叶える素晴らしい発明品なのに!」
「そもそも僕は男ですし、それにY子さんみたいな趣味を持ってる女性じゃないとダメですよね」
「何を言ってるの。すべての女性は多かれ少なかれそういう願望があるの!私は人よりちょっと多すぎるだけ!」
「…自覚はあるんですね。で、何なんですか、この眼鏡」
「見たものすべてを男に変えてしまう眼鏡よ。名づけてセバス眼鏡!電柱だって車だって、もちろん女性を見たって、すべて男に見えてしまうという優れもの。これさえあれば、日常的にBLの世界を堪能できるってわけ」
「…突っ込まないでいましたけど、もしかしてY子さんが今掛けてる眼鏡って、そのセバス眼鏡なんですか?」
「そうよ!今の私にはありとあらゆるものが男に見えているの!幸せすぎて鼻血が出そうよ!」
「まあそれはよかったですが、僕にはこれは必要ないですよ」
「何言ってるの。あたしといる時は常に掛けておきなさい。これは命令よ」
「えっ、だってそんなことしたら、Y子さんも男に見えちゃうじゃないですか」
「それがいいのよ。禁断の愛って感じでしょ。ほら、つべこべ言わないの!」
「…男になったY子さんも、案外いいかも」
「これであんたも立派に腐女子の仲間入りね!」
「それは違う!断じて違う!」

一銃「セバス眼鏡」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、大人気を博した「腐女子彼女。」の第二弾です。こちらも、ブログに書き続けていた文章を書籍化したものです。
「腐女子彼女。」について知らない人にざっと大枠を説明しましょう。
僕は、バイト先でY子さんという女性と出会って恋に落ちます。Y子さんは綺麗系の女性で、僕より2コ上。年上のお姉さまです。
僕は意を決してY子さんに告白をしました。その時に言われたのが、「私、腐女子だけど大丈夫?」って言葉でした。僕は、「腐女子」って言葉が何を指すのか分かりませんでしたが、Y子さんが何であろうと好きな気持ちには変わりないので全然問題なしです。
しかし、「腐女子」というのが何か分かってから、僕はY子さんの趣味の世界にずるずると引きずりこまれていってしまいます…。
というような日常をですね、面白おかしくブログに書いているわけなんです。
この「腐女子彼女。」、もうメチャクチャ面白いわけなんですよ。第一弾も爆笑して読みましたけど、第二弾の本作を笑わずに読むのは困難だなぁ、という感じの作品でした。
Y子さんというのはかなりハードな腐女子でして、ありとあらゆる発想をそっちの方向に結びつけていくわけですね。あの国民的マンガ「ドラ○もん」でさえも、そういう発想に持っていこうとするわけです。そのY子さんの暴走気味の発想から展開される二人の会話はもう爆笑で、オタク的な知識がなくても十分楽しめると思います(僕も、ガンダムさえみたことない人間ですけど、充分楽しめます)。
僕は僕で、Y子さんにずるずる引きずられているとわかっていながら、まあそれでもいいかと思ってしまっている辺り、ぞっこんなんだなという気がします。実際この二人はホントラブラブでして、どこを読んでも惚気てるわけなんです。アホみたいな会話をしている間に、ふと照れくさいようなことを言ってみたりするわけで、そのギャップも面白いですね。
いろいろ面白い話はあるんですけど、Y子さんを両親に会わせよう、といシリーズがありまして、そこはかなり面白かったですね。僕の両親というのがなかなか変わった人で、皆で僕をからかうので、僕が何故かアウェー感を感じる、と言った雰囲気になってしまうわけですね。どうやらこの二人は結婚する(した?)ようでして、まあ末永くお幸せに、という感じです。
まあなかなか羨ましいカップルだと思いますよ。Y子にしても、腐女子な自分をここまで受け入れてくれる人に出会ったのは最高だったと思うし、僕の方にしてもY子さんにぞっこんのようで、お似合いですね。よいことだと思います。
まあそんなわけで、パート2から読んでも全然楽しめると思うので、どっちからでもいいので読んでみてください。すぐ読めちゃうので気軽に読めますよ。爆笑必至です。

ぺんたぶ「腐女子彼女。パート2」




僕は模造人間(島田雅彦)

僕はある時気づいてしまったのだ。自分が、実はロボットであったということに。
きっかけは些細なことだった。というか、それは普通の人のはきっかけと呼ぶには相応しいものではないだろう。あまりにも脈絡がなさすぎる。
僕は部屋で勉強をしていた。机に向かって、真面目にカリカリとシャープペンを動かしていた。その時、どうなったのかよく覚えていないけど、僕はシャープペンを落としてしまったのだ。いや、それは正確な言い方ではない。実際は落とさなかった。手から離れてしまったが、しかしそれが床に落ちる前に僕はシャープペンを掴みなおすことに成功したのだ。
その瞬間、僕は悟ったのだ。なるほど、僕は人間ではなくてロボットだったんだ、と。
そうなれば、いろいろと試してみたくなるのは当然だ。僕は、かなづちで自分の頭を殴ってみたり、母親が飲んでいる睡眠薬を大量に飲んでみたり、自分のお腹をカッターで引き裂いてみたりした。その結果はわかりやすく、すべて救急車を呼ばれる羽目になってしまった。かなづちによって頭蓋骨は陥没し、大量に飲んだ睡眠薬は胃洗浄によって取り除かれ、真一文字に切られた腹からはぬらぬらとした臓器がべちゃべちゃと流れ出るのだった。
両親は、僕が自殺をしようとしているのだと思い、カウンセラーに行かせたがった。しかし、僕はそんなつもりはないということを必死に説明しようとした。自殺をしたいわけでは決してない。ただ僕は確認したいだけなんだ。自分がロボットだっていうことはたぶん間違いない事実だ。後はそれを確かめるだけでいい。これまでの試みは全部失敗だったけど、今度はちゃんと失敗しない方法を考える。だから全然大丈夫だよ。
その結果どうなったか。僕は精神科に連れて行かれることになった。おかしい。ちゃんと自殺の意思がないことを伝えたのに。でもまあいい。もしかしたら精神科医だったら、僕がロボットであることを見抜いてくれるかもしれない。そうなれば、僕が余計な手間を掛けることはなくなるわけだ。まあいいだろう。精神科でも何でも行ってやろうじゃないか。

一銃「ロボット」

そろそろ内容に入ろうと思います。
主人公の亜久間一人は、生まれた時から捻くれ者でした。世の中を斜めに見るのが大好きで、人と違うことをすることが大好きなあまのじゃくで、倒錯したものの考え方をしていました。被虐的で、それでいてものすごく明るいこの少年は、すくすくと歪んだまま成長していきます。
人間は誰もが未完成な模造品で、誰もが誰かを演じている。そんな風に思っている彼は、自分の人生をドラマチックに演出することに情熱を傾け、その内演技している自分を皮肉って笑うことにさえ精魂傾けるようになっていく、そんな自意識過剰すぎる少年です。そんな少年の、歪んで歪んで、でも何でか絶望的に明るい人生の歩みを描いた作品です。
本作は僕の中で、前半と後半で大きく評価の分かれる作品です。
前半はものすごく面白い作品でした。捻くれまくった少年が、その捻くれ具合を全面に発揮して無駄に自意識過剰に振舞って生活していく過程は、読んでてすごく面白かったです。とにかく普通のことが大嫌いで、どうしたらあまのじゃくになれるか、しかも普通ではないあまのじゃくになれるかということばかり考えていて、周囲の人間をそれを実行するための道具ぐらいにしか思っていません。恋愛も学校生活もオナニーも、彼にとってはすべてからかいの対象でしかなくて、しかも最終的にからかうのは自分自身という、まさに倒錯しまくった少年なわけです。そんなわけのわからん少年が、自分の倒錯しきった生き方を貫き通す様は、読んでいて非常に面白かったです。
でも後半になると、何だかよくわからない話になってしまいます。それまでのスカッとした倒錯っぷりが影を潜めてしまい、何だか内に籠って煩悶するような、まるでそこらにいる普通の少年になってしまったかのようでした。僕としては、最後まで倒錯しきった振る舞いで通して欲しかったなぁと思うわけで、よくわからなくなってしまった後半部分はあんまり楽しめなかったです。
まあ、哲学的、あるいは文学的に解釈すれば、本書のような展開にも何か意味を見出せるのかもしれないけど、基本的に僕はそこまで頭がよくないし、小説は面白いかどうかだけが評価の基準なので、イマイチ難しい話はわからないわけです。前半の、明らかにバカしている話の方が断然面白かったんだけどなぁ。
しかし、島田雅彦という作家はちょっとした収穫ですね。今年は、竹内真と島田雅彦という二人が僕の中で発掘作家ですね。どちらも、もっと評価されてもいいんじゃないかな、と思う作家です。まあ、島田雅彦は賞なんかも結構とってるし、業界的には評価されているんでしょうけど、でも最近ではめっきり名前を聞かない作家になってしまっていると思うわけです。割と現代でも通用する作品を結構書いていると思うわけで、長く読み次がれてもいいんじゃなかろうか、と思うわけです。最近、「自由死刑」がドラマになって話題になりましたけどね。まあ何とかこの二人の作家を売り場で目立たせてやろう、というのがこれからの目標です。
なんとも評価のしづらい作品ではありますけど、人間ここまでアホみたいな思考が出来る、という極致みたいな作品で結構楽しめると思います。薄い作品ですしね。この作品自体、親本が出たのが昭和61年みたいですけど、ここで描かれる少年のありようは、現代の少年とさほど大きく変わるものではないだろうな、と思うわけです。むしろ現代の少年の方が、本作に近い鬱屈を抱えながら日々生活をしているかもしれませんね。そんな風にも思えたりします。そこそこ面白い作品なので、読んでみてください。

島田雅彦「僕は模造人間」




サッカーボーイズ(はらだみずき)

その日、我が家に友人が遊びに来た。特に何があったというわけではない。大学時代からの友人であるトモヒロは、よくこうやって僕の家にやってくるのだ。大抵、ゲームをするかテレビをみるか、あるいはお互い喋りもせずに雑誌やマンガや本を読んでいる、という過ごし方が多かった。
トモヒロがウチに来る理由の大半は、僕がそこそこ料理をするからだ。トモヒロは料理はからきしで、いつもコンビニの弁当を食べている。僕は割と料理を作るのが趣味だったりするので、それを見込んで遊びにやってくるのだった。
その日も適当に料理を終え、それからサッカーの試合を見ていた。僕はサッカーにはまったく詳しくないのだけど、トモヒロは大好きらしい。確かその日の試合は、日本代表と韓国代表の試合で、その試合の結果如何でワールドカップへの出場が決まるとかなんとか、確かそんな話だったような気がする。僕も興味はないのだけど、特別することもないため、トモヒロと一緒に試合を見ることにしたのだ。
22人の選手達がセンターで向き合い挨拶を交わす。それから試合が始まった。
何がどうなっているのかイマイチよく分からないが、トモヒロの独り言なのか僕に説明しようとしてくれているのかよく分からない言葉で何となく試合の流れが分かるようになってくる。日本は決定的なシーンでシュートを外し、観客が大げさに落胆していた。
ぼんやりと試合を見ていると、僕はあることに気が付いた。
「なぁ、23人いないか?」
「審判がいるだろ」
「そうじゃなくてさ。もちろん審判を除いての話だよ」
「そんなわけあるかよ。お前だって見てただろ。初め量チームとも11人ずつしかいなかったじゃないか」
「そうなんだけどさ、でも今絶対23人いるって」
僕はこうことに関しては得意だ。映像を写真のように記憶し、それを自分の好きなやり方で取り出すことが出来るのだ。漠然とした疑問を持った僕は、フィールドの全景が映ったシーンを記憶し、そのシーンにいる選手の数を数えてみたのだ。すると、やっぱり間違いなく選手の数は23人だった。こればっかりは間違いない。
「確かにお前がそういうなら間違ってないのかもしれないけどな。でも、普通に考えてそんなことありえないだろ」
「でもさ、案外わかんないんじゃない?ほら、トモだって気づかないわけだろ?審判だってテレビ局の人だってさ、フィールドにいる人数が何人かなんて気にしちゃいないよね。そりゃあどうやってフィールドに潜りこんだかっていう問題はあるけどさ」
「でもまあさ、審判だって気づいてないっていうならさ、そりゃ反則になりようがないわな。まあいいんじゃないか」
トモヒロはあんまり細かいことには頓着しない性格なのだ。
やがてハーフタイムになった。試合は0-0と動いていない。初歩的なミスが目立ちましたねぇと、現役を引退した解説者が語っていた。
「このグラウンドは思い出があるんですよ」
その解説者は実況のアナウンサーとそんな話をし始めた。
「もう6年になると思いますけどね。ここでの試合中に選手の一人が心臓発作で死んじゃったんですよね。今でも思い出しますよ、あの時のことは。その彼もね、当時日本代表だったですからね。今日の試合も観てるかもしれませんね」
それを聞いて、僕とトモヒロは顔を見合わせた。
「そういうことかな」
「そういうことだろうね」
何ともやりきれない話だった。

一銃「23人」

そろそろ内容に入ろうと思います。
小学六年生の武井遼介は、桜ヶ丘FCというジュニアサッカーチームに所属していた。子どもの親たちがボランティアで運営やコーチを引き受けている、昔からあるサッカーチームだ。そこで遼介は4年5年とキャプテンを務めてきた。今でもチームをまとめられていると自分では思っていた。
しかし、最終学年になって、キャプテンの地位を別のやるに奪われた。チームのメンバーが決めた結果だった。その後、別のチームに所属していたやつが入ってきて、遼介のポジションまで奪われてしまった。
段々と監督も怒りっぽくなってきて、遼介が個人的にあれこれ言われることも多くなってきた。昔はボールを蹴ってさえいれば楽しめたのに、今はサッカーを楽しむことが出来ないでいる。どうすればいいだろう。チームも最近勝ってないし。
しかし、新しく入ったコーチとの関わりや、チームのメンバーとのやり取りで、少しずつあるべき形が見え始めてくる。サッカーを楽しむことが出来るようになってくる。チームとしてのまとまりも出てきて、試合に勝つことが出来るようになってきている。
サッカーを通じて成長する少年たちの物語です。
僕の中でスポーツ小説の傑作というのは、佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」、森絵都の「DIVE」、三浦しをんの「風が強く吹いている」がもう最高傑作だと思っているので、やっぱりさすがにそのレベルには届かない、という風に比べてしまいますね。でもこの作品はこの作品でなかなか読み応えがあるし、面白いと思いました。
ストーリーとか設定とか展開は、まあベタですね。スポーツ物の小説は割とそうなってしまう傾向があるんで仕方ないかなと思ったりしますけど(だから先に挙げた三作はすごいなと思うわけなんですけど)。弱小チームで、チームもバラバラになりかけるんだけど、いろいろあってチームにまとまりが出てくるし、最後には一丸となって試合に取り組めるようになっていく、という感じで、まあありがちなストーリーですね。
でもまあ、ベタはベタなんですけど、少年達が生き生きと描かれているところとか、関わっている大人が一風変わっていたりとか、サッカーについて詳しくなくても読める試合の描写とか、いいところもなかなかあって、面白いと思います。
一番いいキャラなのは、やっぱりコーチの小暮ですね。少年にスポーツを指導するというのは難しいだろうし、正解はないのかもしれないけど、小暮の場合、どう終わらせてあげるか、ということを常に念頭においているところがよかったですね。
試合に勝ったり、市で一番になるという目標もいいけど、その目標を達成しようとするあまり、スポーツそのものが楽しめなくなってしまい、結局続けたくなくなってしまうことがある。小暮もそういうことを経験していたわけで、だからこそ勝つことよりも、どういう終わり方を提示してあげられるか、ということをメインに考えているわけです。なかなか面白い発想だなと思いました。
子供たちはそれぞれなかなかにいいキャラをしていますけど、僕が個人的に好きなのは尾崎ですね。この尾崎というのは、ディフェンダーの要になる位置にいるんだけど、どうしても声が出せないために壁を越えられないんですね。普段も寡黙で、作中でも結構地味なキャラなんだけど、でも最後結構大きく変わるんですね。あぁいう、外からはそんなに目立たないかもしれないけど、実は縁の下の力持ち的な存在は結構好きですね。
日本人が書いたサッカー小説では、野沢尚の「龍児」が有名ですけど、僕は「龍児」のことはすっかり忘れてしまったのであんまり比較しようがないですね。サッカーに詳しくない人でも楽しめると思います。解説をあさのあつこが書いているように、イメージ的には「バッテリー」っぽい感じもします。なかなか面白いと思うので読んでみてください。

はらだみずき「サッカーボーイズ」



平台がおまちかね(大崎梢)

書店の前に立つと、未だに緊張する。もうこうして書店を訪問するようになってかなり経つのに、未だに慣れるということがない。でも僕は、そんな緊張感がたまらなく好きなのだ。この緊張感を味わいたくて、こうして書店を回っていると言っても言い過ぎではない。
意を決して店内に入る。店内で作業中のスタッフに声を掛け、文芸書の担当者を呼んできてもらう。この店に来るのは初めてだ。というか僕の場合、一書店を訪問するのは一回だけだ。常に、初めましての会話から初め、じゃあまた来ますと言って別れるけれども、その書店には二度と足を運ぶことはないのである。そうするしかないのだから仕方ないとは言え、ちょっと残念だなと思わないでもない。
「初めまして。一二三出版の竹中と申します」
名刺を出して渡すのはさすがに慣れてきた。こればっかりやっているのだ。
「あぁ、一二三出版の方ですか。営業の方が来たのって初めてかもしれないなぁ。そうじゃないですか?」
「えぇ、たぶんそうだと思いますね。ウチは営業を四人でやっていますんで、なかなか回りきれないところがありますよね」
「まあ仕方ないですよね。そういえばあれ売れてますよ、『緑の敷地にガナリアン』。ウチのスタッフが好きでね、趣味みたいなもんですけどね」
「ありがとうございます。あれを売っていただけている書店さんは他にあんまりないでしょうからねぇ。嬉しいです」
「文芸書は最近落ちてるからね。ちょっとでも活気のある話は嬉しいよね」
「そうですね。それでこんな本もあるんですけど、いかがですか?今吉田山書店で週売30冊を超えてるんですよ」
「へぇ、『マルコム仏陀』ですか。変なタイトルですねぇ。ノンフィクションですか?それなら今あの辺に似たようなのを置いてるからそこに混ぜてみようかなぁ」
「ありがとうございます。あと、こっちもなかなかいいんですよ。まだ数字は出てないんですけど、今編集がイチオシなんです。馬蝶書店の長柄さんにPOPを書いてもらおうなんて話もありまして」
「あの長柄さんにかぁ。それはいいですね。じゃあそれも置いてみますよ」
「ありがとうございます。じゃあ番線をお願いします」
こうやってスムーズに話が進んでいくと気持ちがいい。何のかんのと言って、やっぱり本屋が大好きなんだな、と思うのだ。
さて、次の書店でも回ろうか。『マルコム仏陀』なんて本は存在しないし、これからも発売されることはないだろう。僕も、出版社の営業の人間ではない。ただ趣味で書店営業のフリをして本屋を回っているだけだ。一度訪れた書店には二度と行けないし、その内この悪事が誰かに見つかってしまうことだろう。それでも、病み付きになってしまった。だったら本当に書店の営業になればいいんだろうけど…。
まあ人にはいろいろあるのだ。

一銃「書店営業」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、書店営業マンを主人公にした連作短編集です。それぞれの内容を紹介しますが、その前にざっと大まかな設定だけ。
主人公は、明林書房の営業マンである井辻智紀。学生時代からアルバイトをしていた出版社で正社員として採用されて半年。とある事情で編集部には行きたくないから、そっちに行けと言われないように営業部で頑張ろうと思っている。
智紀は、吉野という今は編集部にいる先輩の営業区域をすべて受け持った。吉野先輩は書店員から絶大な人気を誇っていて、智紀が営業になってから一年が経つのに、未だに吉野先輩の話を聞かされる。吉野先輩を越えられるような営業マンになることが目標だ。
智紀はよく書店で、佐伯書店という出版社の営業マンである真柴司と鉢合わせる。真柴は、営業マンとしては智紀の先輩に当たるが、図々しく不真面目そうに見えるので素直に尊敬できない男である。智紀のことを「ひつじくん」なんて呼び方をするし。
そんな中で智紀は、書店さんときちんと向き合っていい仕事が出来るようにと、日々営業マンとして頑張っているのである。

「平台がおまちかね」
智紀は、上司から受け取ったデータを見て首を捻った。ある書店で、明林が五年前に出し、そこまで売れているわけでもない文庫本を異常に売っている店があったのだ。これまで行った事のなかった書店だったので早速足を運んでみた。そこでは、目立つ平台すべてがその文庫で占められていて、飾りつけもすごかった。それはすべて店長がやっているとスタッフから聞いた智紀は、お礼を言おうと店長に話し掛けたのだけど、ぶっきらぼうな対応の上、最後には帰ってくれと言われてしまった。一体どういうことなんだろう…。

「マドンナの憂鬱な棚」
書店営業マンの間で、「マドンナ」として通っている書店員がいる。書店営業マンの間で抜け駆けを防ぐべく、「マドンナの笑顔を守る会」なんてのが存在するくらいだ。
そのマドンナが落ち込んでいるという話をある営業マンが口にした。何でも、「つまらない女だ」と言われたのだそうだ。なんだと、我等がマドンナにそんなことを言うやつはどこのどいつだ、と「守る会」のメンバーはいきり立ち、マドンナを元気付けるためにあれこれ手を尽くすことになるのだが…。

「贈呈式で会いましょう」
明林書房が手掛けている新人賞の授賞式が今日行われる。その準備に借り出された智紀だったが、ちょっと買出しに出かけた際にとある老人に、大賞受賞者に伝言があると言って呼び止められた。その伝言とは、『君もずいぶん大胆な手を使うようになったじゃないか』というものだった。智紀には意味がわからない。
伝言を伝えようと控え室にやってきた智紀は、そこでとんでもない事実を知る。なんと大賞受賞者が行方不明だというのだ。一体どこにいるんだ…。

「絵本の神さま」
初めの内は首都圏近郊の書店しか回っていなかった智紀だったが、ようやく慣れたということもあって、東北に出張に出ることにした。そこで向かった一軒の書店が閉店していて、智紀は愕然とした。前任者である吉野がその書店で写真を撮っていたのだ。それを渡すつもりだった。
その本屋は周辺でもかなり評判のいい書店で、なかでも絵本の品揃えはピカイチだったそうだ。誰もがその閉店を惜しんでいた。
一方で、智紀の周囲でその閉店した書店に関わりそうな小さな出来事がいくつも続いた。これは一体何を意味しているんだろう…。

「ときめきのポップスター」
ある書店で、なかなか面白い企画をやることが決まった。その書店に出入りする営業マンが、他社本にPOPをつけ売上を競う、というものだ。最も売上を上げた営業マンが、翌月のある平台一面を独占できる、というご褒美つきだ。
智紀ももちろん参加することにした。なるべくメジャーな作品ではなく、埋もれてしまいそうな発掘本をということで、なかなか面白い本が並んだフェアになった。
さてそのフェア開始後、何だか奇妙なことが起こるようになった。真柴が選んだ本が平台の上でどんどんと移動していくのだ。何だろう、これは。何かのメッセージなんだろうか…。

というような話です。
いやぁ、これは非常に面白かったですねぇ。大崎梢さんと言えば、「成風堂」という本屋を舞台にしたシリーズが有名ですけど、僕はこっちの出版営業シリーズの方が好きかもしれないですね。
どっちのシリーズも謎解きを主体にしたミステリなんですけど、こっちの出版営業シリーズの方が舞台が広い分やっぱり面白くなりますね。書店が舞台だと、どうしても書店の中での話に限定されがちで、内容もちょっと狭くなってしまいがちだけど(それでも、「成風堂」シリーズでよくもまああそこまで書店を舞台にしたミステリを書けたものだ、と感心していますけど)、出版営業のシリーズでは、ある一書店だけではなく全国各地様々な書店を舞台に出来るし、さらに自社や他社を含めた出版社も舞台にすることが出来ます。その分幅が広がるわけで、これは是非じゃんじゃんシリーズ化していって欲しい作品ですね。
僕のイチオシは、「絵本の神様」です。これは、ミステリ色はそんなに強くないんですけど、ラストの展開が秀逸ですね。思わずうるっと来てしまいましたよ。いい話だったなぁ。
ミステリ色が強いのは、「マドンナの憂鬱な棚」と「ときめきのポップスター」ですね。「マドンナの憂鬱な棚」は、初めはちょっと無理があるかなぁという導入だったんですけど、最後まで読むと、なるほどそういうことでしたか、と納得でした。かなり巧い設定だなと思いました。
「ときめきのポップスター」は、謎解きの部分よりも、ここで扱われているフェアそのものにかなり興味アリでした。確かにこのフェアは面白いと思います。出版社の営業の人に他社本を薦めさせて、一番売れた人に平台を全部あげるなんて、これやろうと思ったら出来そうですよね。ウチはそこまで書店営業の人が来る方でもないと思うんで難しいかもしれないけど。面白いアイデアだなぁ、と思いました。
「贈呈式で会いましょう」もミステリタッチだけど、ちょっと違う感じがしますね。何だかいろんな人間模様が絡んでいて面白いです。
人間模様が絡むといえば「平台がおまちかね」もそうで、これもミステリと言えばミステリですけど、面白い展開の話ですね。ありがとうと言いに言ったのに追い返されてしまった智紀は残念ですが、まあこういう事情なら多少は諦めも付くかなという感じです。
書店を舞台にしたミステリというのもかなり珍しかったですけど、書店営業をメインにしたミステリというのもかなり珍しいでしょう。今までなかった分野ではないかと思います。書店や出版社を舞台にしているからと言って、一般の人に分からないような内輪なネタがあるなんてことは全然ないです。もちろん、書店や本に興味のある人なら充分楽しめる内容になっています。これは面白い作品ですよ。是非読んでみてください。装丁も面白いですしね。
余談ですが、出版社の営業にも様々にいて、僕はやっぱり強引な人は好きになれないですね。特に、フェアを無理矢理入れようとする人は嫌いです。
さらに余談ですが、本作中二箇所誤植を見つけました。
253P 「指示」→「支持」
256P 「強力」→「協力」
ですね。まあもう誰かが気づいて出版社に連絡していることでしょう。

大崎梢「平台がおまちかね」



どすこい出版流通(田中達治)

僕はもう、どのくらいここに閉じ込められているんだろう。
暗くて、何も見えないところだ。遠くに足音や人の声なんかが聞こえてくることはあるけど、誰も僕には気づかないみたい。僕がここにいる意味ってあるんだろうか。そもそもどうして僕はここにいるんだろうか。
昔はいろんなところを旅したものだった。作業服を着たおじさんに抱えられながら、あるいはトラックの後ろで大人しくしながら、いろんな場所へ連れて行ってもらったものだ。その度毎に、最終的にここに戻ってきたことだけは覚えている。作業服を着たおじさんは時々、可哀相だななんてことを僕に言ったりした。たぶんそれは、いつもここに戻ってきてしまうことに対してそう言っていたのだろうけど、僕にはよくわからなかった。何となくだけど、この場所が好きだったんだ。
昔は、仲間だってたくさんいた。僕と同じ顔をした仲間が一杯いて、全然淋しくなかった。どこかに行く時もまとまっていく時が多かったし、ここに返ってくる時だってそれは同じだった。
でもある日のことだった。突然仲間が全員いなくなってしまったんだ。おじさんは僕に、「サイダンされたんだ」なんて言ったけど、僕にはその意味はよくわからなかった。もういなくなってしまって、二度と戻ってこないんだろう、ってことだけは分かった。
おじさんは、何故か僕だけは「サイダン」しなかったらしい。「お前は特別だよ」と言って、僕を今いるこの暗い場所に閉じ込めてしまったのだ。
それから僕はずっとここにいる。あれ以来誰も僕の様子を見に来ることはなくなった。ずっとずっとここにいて、ただぼんやりとしているだけだ。
いつものようにそんなことをつらつら考えている時のことだった。こっちに向かってくる足音が聞こえたかと思うと、扉が開くような音がして、ここに誰かが入ってきたのが分かった。その誰かは、耳に当てた小さな機械で誰かと喋っているみたいだ。
「ちょっと待ってくださいね。ここだったらもしかしたらあるかもしれません」
そんなことを言いながらその人は辺りをひっくり返していく。
そして僕の目の前にやってきたんだ。その人は僕に手を伸ばすと、すっと抱え上げて、そして悲鳴のような声を上げた。
「ありましたよ!そうです、お探しの『水とやすらぎは天空に』です!よかった。じゃあすぐそっちに向かいますんで」
その人は僕を抱えたままどこかに行こうとしているみたいだ。そういえば、久々に僕の名前も呼ばれたような気がする。あまりに長いこと呼ばれてなかったから、自分の名前だっていう感じがあんまりしなくなっちゃったんだけどね。
僕を抱えている人の手から、何だか興奮しているような熱気を感じて、僕は何だか、初めて自分の使命を果たせるんじゃないかって、そんな気分になれたんだ。

一銃「倉庫」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、筑摩書房の名物営業マンだった(僕は知らなかったけど)田中達治さん(少し前に癌で亡くなられたそうです)が、筑摩書房営業部が毎月書店向けに出している「蔵前新刊どすこい」という案内の中で連載していた「営業部通信」を書籍化したものです。この「蔵前新刊どすこい」、僕もモノ自体はみたことありますけど、ちゃんと読んだことってなかったですね。書店で働いていると、日々FAXやメールや郵便で様々な情報が舞い込んで来るので、それらすべてに目を通していくのはなかなか難しいわけです(まあやろうと思えば出来なくもないはずなので、ある程度は怠慢ですけど)。でも本作を読み終えた今、代替わりしているだろう「蔵前新刊どすこい」の「営業部通信」だけでもこれから読んでみようかな、と思ったりしました。
本作は、僕のように業界に関する知識のあんまりない書店員なんかには非常に面白くて役に立つ本だなと思います。
僕なんかは書店で働いていますが、基本的にきちんと書店のことについて教わったことがないので、知っている知識はいろんなところから断片的に繋ぎ合わせてきたものしかありません。僕は今文庫と新書の担当ですが、その担当になる際に引き継がれたことは、『補充の箱が入ってきた際の開け方』と『POSと連動したパソコンでの補充発注の仕方』の二点だけです。それしか教わらずに、それ以外必要な情報は適宜勝手に自分で見につけて騙し騙しやってきたので、知らないことがたくさんあったりします。例えば『無伝返品』なんてのもイマイチよくわかってなかったりしますね。時々、『無伝で~』なんて話を耳にしますが、イマイチよくわかっていなかったりしますね。まあこの『無伝』に関しては、本書を読んでもイマイチよくわからなかったのだけど。
内容は多岐に渡ります。筑摩書房で大ヒットした「金持ち父さん 貧乏父さん」の話や、高校向けの教科書営業の話、書店の現状への憂いや、返品に目をつむる出版業界の悪しき慣習、はたまた80年代の著者自身の営業日誌なんていうものまで話に出てきます。基本的に書店や出版社、取次など業界に関する話題ばかりで、僕のような碌に知識もないエセ書店員にはなかなか面白い内容でした。
著者は物流に関して一家言ある人のようで、物流に関する話題も多かったですね。物流システムの構築にも尽力したようだし、他の様々なインフラ整備に携わっていたようで、業界の有名人だったようです。僕はそもそも、筑摩書房が一回倒産していたということも本書を読むまでまったく知らなかったんですけど(こんなことを言うとびっくりされるでしょうか)、その倒産した筑摩書房を物流の視点から立ち直すなんてことをやって人のようで、なかなか凄い人なんだなと思ったりしました。
本書を読んで思うところはいくつかありましたが、まず自動発注はイカン!という意見は大賛成ですね。僕はとにかく、自動発注になっているものを見つけたら解除するようにしているんですけど、あれはダメですよ。やっぱり自分で、これは追加をする、これはしない、というのを判断しないとダメです。スリップレスが段々進んでいるので、データを見て売上を把握するのがいいと思うのだけど、やっぱりそれには、自分で発注を管理するというのが一番ですね。って、ウチのあるスタッフに言い続けているんですけど、相変わらずそのスタッフは自動発注を止める気配がないですね。
あと、「逆送」の話も面白かったですね。「逆送」というのは、書店が出版社に返品しようとしたものが、『何らかの理由』により取次によって書店にまた戻されてしまうことを言うんですけど、これは明確なルールがないみたいなんですよね。『これは固そうな本だから買い切りだろう』なんて判断で逆送してることもあるんじゃないか…、というのは著者の憶測でしたけど、確かに逆送品は多いですね。あれはどうにかしないといけないと思うんだけど、バックヤードに溜まっていくばかりですね…。
あと、書店と出版社の間の問題は、最終的には返品に行き着くのだろうな、ということを感じました。
書店という小売店は、出版社から注文した本を出版社にまた返品できるという特殊なルールのある特殊な小売店です。これは、書店としてはありがたいし、実際返品できない状況で仕入れを考える力が今の書店員にはないと思いますが(もちろん僕もですけど)、とりあえずこの返品できるというルール(再販制度)の是非については議論する気はないし、どっちが正しいというものでもないような気もします。
僕の中では、返品できるというルールがあるならそれはフル活用すべきだ、と思っているわけです。だからと言って何でもかんでも返品すればいいと思っているわけでもなくて、ある程度の範囲内に収めたいと思っているわけですけど、でも積極的に返品を減らそうという発想にはなかなかなあないですね。
出版社の言い分ももちろんわかりますが、僕の中ではやはり、売り場の鮮度を保つためにはある程度以上の返品は仕方ないと思うわけです。その中の動きのスピードがどんどん速くなっていって、『旬』がどんどん短くなっていくわけで、返品をなくべく抑えようとすると、売り場がどんどん死んでいってしまうことになります。あくまで書店員の視点しかない一方的な意見ではありますけど、やはり売り場の鮮度を保ってお客さんを惹き付けられるようにするには、かなりの返品を許容しなければ不可能だと思うわけです。
それに、新刊やら創刊やらが多すぎるんですよね。特に新書!もう無理っす!どの出版社も、アホみたいに新書を創刊しないでください!書店の売り場面積は変わらないんですよ!そんなに新書ばっかり置けるわけがないでしょうが!僕は、文庫の方はそれなりの返品率に抑えていると思っているんですが、新書の方はやっぱりダメですね。創刊が多すぎて、結局返品する数もどんどん増えていってしまうことになります。
でも一方で、やっぱりこんなに返品ばっかりしてちゃいかんだろうな、とも思うわけです。仕入れたものはなんとか売ってやろうといろいろ工夫はしているつもりだけど、まだまだ出来ることはあるかもしれません。また、店の客層を掴みきれていないということもあるでしょう。ただ、置いてみないと売れるかどうか分からないというのも確かで、じゃあどうしたらいいんだよという話になりますね。
結局返品をどうすべきなのかは僕にはよく分からないんですけど、返品できるというルールがある以上、僕はそのルールを限界までフルに活用したいな、と思っています。もちろん、仕入れたものをなるべく売る努力はしますけどね。
まあそんなことをダラダラ考えてみたくなるような本です。出版関係の仕事をしている人にはなかなか面白い本なんではないでしょうか。出版関係の仕事でなくても、本屋とか出版社ってどうなってるんだろう、と思っている人なんかには結構いいと思います。なかなか分かりやすい文章で面白く書いているのでオススメです。読んでみてください。

田中達治「どすこい出版流通」




僕の妻はエイリアン(泉流星)

白いご飯をモグモグと食べる。僕の周囲には、白いご飯以外何もない。味噌汁もおかずも一切。
「ねぇ、よくご飯だけで食べれるね」
妻はよく僕にそう言う。
いや、妻だってもちろん分かってて言っているのだ。何せ長い付き合いだ。僕の障害についてはちゃんと理解してくれている。それでも、時々こうしてつい口に出てしまうのだ。やはり普通の感覚では、ご飯しか食べないというのはよほどおかしなことなのだろう。
そういえば、学生時代は辛かったよな、と思い出す。
中学までは給食だった。僕はあの給食というやつが何よりも辛かったんだ。僕が子どもの頃は、給食を残すなんて許されなかった時代だから、僕も初めの内は無理矢理食べさせられたものだ。人生の中で、あれほど苦痛だったことはない、と今でも断言できる。今だって、僕の障害についてはわからないことが多すぎるのだ。当時、周囲に僕の障害を理解してくれた人がいたとは思えないし、それは仕方ないことだったと今では僕もきちんとわかっている。
給食を食べることがあまりにも苦痛であるということが周囲に段々理解されるようになっていった。僕の場合、食べ物が口に入った瞬間嘔吐感がやってきて、口に入ったものがまだ胃に到達する前に吐いていたのだ。それが毎日だった。その内僕は特例でお弁当持参が許可されるようになった。当然僕の食事は、白いご飯だけである。周りの友達には、よくご飯だけで食えるよなぁ、飽きないのかよぉ、と散々言われたものだった。
「まあしょうがないよね。舌が過敏すぎるんだから」
僕を診断してくれた医者は、妻を同席させた場で、分かりやすく花粉症に喩えて説明してくれた。花粉症は、免疫機能が過敏に反応することによって引き起こされる。僕の障害も同じで、味覚に関して異常なほどの反応をするのだ。通常の人間の一万倍味覚が敏感だ、と診断された。
そのせいで僕は、基本的に味のある食べ物は食べられなくなってしまった。この「味のある食べ物」というのは普通の人にとってって意味で、僕はありとあらゆるものに味を感じてしまう。普通の缶入りのジュースを飲んだだけで舌が溶けそうなくらい甘ったるく感じるし、チョコレートなんて食べたらヤバイ。どんな料理を食べても塩辛く感じてしまうし、醤油なんか口に入れたら舌がもげるんじゃないかという気がする。口にちょっとでも海水が入るととんでもないことになるので、海で泳げないくらいだ。
僕にとって安全な食べ物というのは、お米や食パン寒天と言ったようなものである。そういう、普通の人にはそこまで明確に味を感じられないような食べもので、僕は様々な味覚を楽しむことが出来るのだ。ご飯だけで飽きないのかとよく聞かれるけど、とんでもない!ご飯に含まれる味覚をすべて堪能するにはまだまだ食べたりないくらいなのだ。
「まあ、凝った料理を作らなくていいから主婦としては楽チンだけどね」
一つ妻には内緒にしていることがある。ちょっと前に我が家では無洗米を買うことにした。僕がそうするようにお願いしたのだ。妻としては、お米を洗う手間が省けると言って喜んでいた。
僕が気になったのは、前食べていたお米から男の臭いを感じたのだ。恐らく男に触れた手でお米を研いだからだろう。たぶん妻は浮気をしているのだろう。しかし、それはいいのだ。大事なことは、僕が美味しいお米を食べられるかどうか、ということ。無洗米に変えてから不快な臭いは消えたので助かったのだ。

一銃「障害」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、高機能自閉症という障害を持った妻と、その妻と一緒に生活をしている夫の、噛み合わない日常生活を描いたノンフィクションです。
自閉症というのがまず誤解されている部分が多いような気がします。僕もちょっと前は、漢字の字面から、「引きこもり」と同じような意味だと思っていたんですけど、全然違うんですね。
自閉症というのは、生まれつき脳の作りが人と違っていて、社会に適応したり、他者とコミュニケーションを図るのが難しい人のことを指します。伊坂幸太郎の「陽気なギャングが地球を回す」にも、自閉症の子どもが出てきたような気がします。
その中でも、「高機能自閉症」と呼ばれるのは、大雑把に言ってしまえば自閉症の中でも社会への適応度が高いよ、ということです。社会への適応度が高いならいいじゃないか、と思うでしょうけど、これが違うんですね。社会への適応度が高いからこそちょっと問題になるわけです。
社会への適応度の低い自閉症の場合、明らかに周りとうまくやっていくことが出来なかったり、そもそも言語に障害があったりするので、子どもの頃に大抵障害を持っていると診断されることになります。
しかし、高機能自閉症の場合、ある程度社会へ適応できるだけの能力がある分、障害を持っていることが分かるまでにものすごく時間が掛かることになります。本書のケースでも、妻が自閉症であるということが分かるまで、結婚してから8年の歳月が必要だったわけです。20代の前半で結婚したのだとしても、30年近く障害を持っていることを本人も周囲も分からなかったわけです。これが、社会への適応度がそこそこ高いからこその弊害となります。
障害を抱えているということが判明するまで妻は、性格が悪いとか自己中心的だとか、そういう性格の問題であると思われてきました。妻も、自分自身何かが悪いことは分かっていましたが、どう悪いのかがまったく分かっていなかったためにコミュニケーションを初めとする様々なことに臆病になり、その結果うつに近い症状になったりします。自閉症を持っている人は大抵二次障害としてうつを抱えることが多いようです。
まあそんなわけで、そんな高機能自閉症という障害を抱えて生活をする妻とその夫の話なんですけど、これが滅法面白かったですね。面白いなんて言っては不謹慎かもですけど、でも面白いんです。
高機能自閉症であることで起こるトラブルは様々ありますが、最も大変なのが、他者とのコミュニケーションがうまく出来ない、という点でしょうね。
とにかく妻は、相手の言葉の抑揚や声の高低、あるいは視線の動かし方や身振り手振りなんかから、相手がどういう意図でそれを言っているのかということがまったく判断できないのだそうです。つまり、自分の言ったことで周りの空気が凍り付いても気づかず、さらに話を続けるなんていうのは日常茶飯事なんだそうです。
僕らは普段、特に意識するわけでもなく、いわゆる「空気を読む」ということをしていますよね。割と意識的にやっている部分もあると思うけど(特に若い世代は)、でもある程度は無意識の内にやっているものでしょう。今空気が悪くなったとか、ここは周りに合わせないとマズイとか、今ならちょっと無茶なことを言っても大丈夫だぞ、みたいなことを判断しながら会話をしていますよね。
でも、妻はそれがまったく出来ないんだそうです。それってどういう感じなんでしょうね。文章でも読んでるみたいなイメージかもしれませんね。
あとは、一つのことに集中し始めると周りが見えなくなるとか、いくつものことを同時に処理することが出来ないとか(だから車の運転は諦めたとのこと)、決まっていたはずの予定が変更されると混乱したり、相手の言った言葉をそのまま言葉通りに受け取ったり(だから夫婦喧嘩で夫が「もういい!出てけ!」とか言うと、ホントに荷造りをし始めるんだそうです)と大変なんです。それでも妻は、自分が障害を抱えていると気づく前からこれまでの人生で様々な工夫をしていろんなことを乗り切ってきたし、障害を抱えていると分かってからは様々なサポートを得ながら生活をしているわけです。夫も非常に理解のある人で、もちろんむかついたり喧嘩になったりはするけど、基本的に妻のことは大事にしているし理解しようと努めています。なかなかいい夫婦だと思います。普通本作で描かれているようなことがあったら、結婚生活は破綻してしまうんじゃないかなと思うので、夫もなかなかすごいなと思いました。
本書は、未だ自分が障害を抱えていると気づいていない人に、それに気づくきっかけになる一冊ではないかと思います。もちろんそうでな人が野次馬的な興味で読んでも充分に面白い本です。最後のあとがきでちょっとしたサプライズがあって、なるほどそりゃあすげぇな、と思ったりしました。おいおい、そんなことまで書いちゃって大丈夫なの。この本妻だって読むんだよね、って何度も思いながら読んでましたけど、なるほどそういうことでしたか。
まあそんなわけで、この本はかなりオススメです。かなり読んだ方がいいと思います。もしかしたら、あなたの周りにいる「ちょっと変な人」が、実は高機能自閉症であるなんてことが分かったりするかもしれませんよ。そしたら、少しは優しくなれるかも…、なんちて。

泉流星「僕の妻はエイリアン」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)